アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く   作:おかーちゃんサーナイト

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乙女プラグイン、強制インストール

  

 そこは物理的な法則が存在しない、純粋な情報空間。

 

 もし、この戦術ネットワークを総旗艦であるコンゴウが構築したならば、優雅なティーラウンジの姿を取っていたかもしれない。

 

 だが、このネットワークのホストは、霧の大戦艦キリシマ。

 

 故に、彼女たちの意識が集う仮想空間は、彼女の『城』である、大戦艦キリシマのCIC兼艦橋、そのものであった。

 

 その仮想艦橋の中央に、三つの意識体が、ホログラムのように集っていた。

 

 腕を組み、不敵な笑みを浮かべる、キリシマ。

 

 まだ信じられないといった表情で、自分の手を見つめる、タカオ。

 

 そして、黒い軍服姿でキリシマの艦長席に座る、新井木厚士。

 

 彼の意識は、未だタカオのユニオンコアとリンクを繋いだまま、この仮想空間にアバターとして実体化していた。

 

「……ふぅ。やっぱり、意識だけ飛ばして正解だったな」

 

 厚士は、まるで長旅から帰ってきたかのように、安堵のため息をついた。

 

 そして、目の前の、まだ混乱から抜け出せていない重巡のメンタルモデルへと、労いの言葉をかける。

 

「ご苦労さま、タカオ。見事な操艦だった。君の演算能力がなければ、成功しなかっただろう」

 

「わ、私は……ただ、貴方の言う通りに……」

 

 タカオは戸惑いながらも、か細い声で答える。自分の身体を、見ず知らずの男に完全に明け渡すという、生まれて初めての体験。その余韻が、まだ彼女の思考を支配していた。

 

 厚士はそんな彼女に優しく頷きかけると、今度はキリシマへと向き直った。

 

「キリシマ。タカオは無事に海中への潜航に成功した。これより、こちらは水中航行に切り替える。予定していたランデブーポイントまで、少し時差が生じるはずだ」

 

「フン、分かっている。あの無茶苦茶な機動、こちらも観戦させて貰った。面白い見世物だったよ」

 

 キリシマが、楽しげに言う。

 

「頼むぞ。相対速度から新たな到達予測地点を更新してくれ。間違っても、俺たちの上を素通り、なんて真似はしてくれるなよ?」

 

「誰に言っている。この私だぞ?」

 

 仮想空間のコンソールに新たな航路と更新された接触予測時間が瞬時に表示されていく。

 

 物理的に離れた場所にいる三者が、まるで同じ部屋にいるかのように、ごく自然に、次の作戦行動へと移行していく。

 

 厚士は最後に、改めてタカオへと向き直った。

 

「タカオ、もう少しの辛抱だ。俺の意識は、キリシマと合流するまで繋いだままにしておく。何があるか分からないからな。……それと、自己紹介がまだだったな。改めて、俺は──」

 

 厚士が名乗ろうとした、その時だった。

 

 タカオが彼の言葉を遮るように、しかし、どこか上ずった声で言った。

 

「……知ってるわよ。新井木、厚士……。キリシマの、『艦長』……」

 

 彼女は厚士と意識を繋いでいた間に、彼の思考の断片から、その名前と立場を既に読み取っていたのだ。

 

 その言葉を聞いて厚士は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに、人の良い笑みを浮かべるのだった。

 

 どうやら、自己紹介の手間は省けたらしい。

 

 

±±±±±

 

 

(なんなの……なんなのよ、この男……!)

 

 仮想空間の艦橋で、タカオは混乱の極みにいた。

 

 数時間前までの自分は絶望の淵にいた。霧の艦隊としての誇りも、何もかもが砕け散る寸前だった。

 

 そこへ、突如として現れたこの男。

 

 新井木厚士。

 

 キリシマの『艦長』。

 

 彼の思考が、私のユニオンコアに流れ込んできた瞬間から、全てが変わった。

 

 ジェットコースター? 違う。そんな生易しいものじゃない。

 

 まるで、立て続けに三発の超重力砲をゼロ距離で喰らったかのような、凄まじい衝撃。

 

 一撃目:常識の破壊

 

 まず、彼の命令が私の思考の前提を根底から破壊した。

 

 船体を変形させて曲がる? 超重力砲の反動で飛ぶ? 空を滑空しながら潜水艦に変身して、海に潜る?

 

 馬鹿げている。あり得ない。霧の艦隊の戦術教義の、どこにも書かれていない、狂気の沙汰。

 

 私の演算能力が、何度も「不可能」と弾き出した。

 

 なのに、彼は言ったのだ。『できる』と。

 

 二撃目:絶対的な信頼

 

 そして、その無茶苦茶な命令の裏には常に、一つの感情が流れていた。

 

 それは私、…重巡洋艦タカオという艦の性能に対する、一点の曇りもない、絶対的な『信頼』。

 

『君の演算能力なら』

 

『君のナノマテリアルの柔軟性なら』

 

 彼は、私自身よりも、私の可能性を信じていた。

 

 誰かに、こんな風に、自分の全てを肯定され、信じられたことなど、一度もなかった。 

 

 その感覚は、私のコアを内側から溶かすように、熱くさせた。

 

 三撃目:一心同体の感覚

 

 極めつけは、私の身体を、完全に明け渡した、あの瞬間。

 

 彼の思考が、私の思考と一つになった。

 

 彼のイメージが私の操艦となり、彼の決断が私の行動となった。

 

 操られている、という感覚とは違う。

 

 まるで二人で一つの、新しい生命体になったかのような、不思議な一体感。

 

 恐怖。屈辱。そして……なぜか、背筋がゾクゾクするほどの、快感。

 

 私の全てを、彼が好き勝手に、めちゃくちゃに動かしていく。

 

 その一つ一つの命令が、私を限界の先へと導いていく。

 

 その感覚は、私の知らない、新しい扉を無理やりこじ開けるようだった。

 

(……なんなのよ、もう……!)

 

 今、この仮想空間で彼を目の前にして、まともに顔が見れない。

 

 心臓(コア)が、うるさい。演算能力が正常に機能しない。

 

 ただ、彼の声が、彼の思考が、まだ自分の中に残っているのを感じるだけで、身体(メンタルモデル)が、熱くなっていく。

 

 これが、あのキリシマが、この男に従う理由……?

 

 これが『艦長』と、『船』の関係……?

 

 タカオはまだ知らない。

 

 この感情の嵐が、後に彼女が『乙女プラグイン』と認識するものへと繋がっていく、最初の兆候であることを。

 

 ただ、確かなことが一つだけあった。

 

 この男、新井木厚士の存在は、彼女の世界を、彼女の全てを、もう元には戻れないほどめちゃくちゃに変えてしまったのだ。

 

 そして、合流までの、約7時間。

 

 それはタカオにとって永遠のように長く、そして一瞬のように短い、未知の体験だった。

 

 当初、彼女は警戒心を解いていなかった。

 

 自分のユニオンコアに見ず知らずの人間の男の意識が常時接続されている。それは例えるなら、自室に見知らぬ男がずっと居座っているような、あるいは自分の日記を常に誰かに読まれ続けているような、耐え難いほどの気まずさとプライバシーの侵害だった。

 

(……何を考えているのよ、この男は……)

 

 タカオは必死に思考の壁を作り、自分の内面を読み取られまいとした。

 

 だが、その壁はあまりにも脆かった。

 

 厚士の意識は、決してタカオのプライベートな領域に踏み込んでくることはなかったが、その存在そのものが常に彼女の思考に影響を与え続けた。

 

 最初の1時間:観察と分析

 

 タカオは厚士の思考を分析することにした。

 

 彼が何を考え、どういう思考プロセスで、あの無茶苦茶な戦術を編み出すのか。その源泉を探ろうとしたのだ。

 

 だが、彼の思考の海はあまりにも広大で、複雑だった。

 

 軍人としての冷徹な戦術思考。艦長としての艦への深い信頼。そして、その根底に流れる膨大な『物語』の知識。

 

 『艦隊これくしょん』『蒼き鋼のアルペジオ』『銀河英雄伝説』……タカオの知らない無数の物語が、彼の思考のデータベースを形成していた。

 

 彼は、常にそのデータベースを参照し、目の前の現実と照らし合わせ、最適解を導き出している。

 

 その異質な思考プロセスに、タカオはただただ圧倒された。

 

 3時間が経過した頃:無意識の同調

 

 いつしか、タカオは思考の壁を作るのをやめていた。

 

 厚士の意識があまりにも自然に、そこに存在し続けていたからだ。

 

 彼がキリシマや大淀と、現実のブリッジで交わす会話。それが、思考を通じてタカオにもリアルタイムで伝わってくる。

 

 彼が、ふと考える故郷の世界のこと。彼が口ずさむ、知らない歌。彼が感じる、わずかな疲労感。

 

 その全てが、まるで自分のことのようにタカオに流れ込んでくる。

 

 それは不思議な感覚だった。

 

 一人でいるのに、一人ではない。

 

 孤独な深海の中で、誰かと温かい繋がりを感じている。

 

 彼女のユニオンコアは、無意識のうちに厚士の思考のリズムに同調(シンクロ)し始めていた。

 

 残り時間が1時間を切った頃。

 

 タカオは明確な変化を自覚していた。

 

 厚士の思考が少しでも自分から離れると、言いようのない不安感に襲われる。

 

 彼が、自分の操艦を「見事だった」と評価した思考の断片を思い出すだけで、コアの中心がぽっと暖かくなる。

 

 彼がキリシマと交わす、軽口や冗談。それを聞いているだけで、なぜか自分の口元まで緩んでしまう。

 

(私……どうかしちゃったのかしら……)

 

 警戒心はいつしか、心地よい安心感へと変わっていた。

 

 気まずさはもっと繋がっていたいという、名状しがたい欲求へと変貌していた。

 

 7時間前まで、自分は孤独な戦士だった。霧の艦隊としての誇りと任務だけが全てだった。

 

 だが、今。

 

 彼女の(コア)の中には、新井木厚士という温かく、力強く、そして少しだけ無茶苦茶な男の存在があまりにも大きく、そして深く、根を下ろしてしまっていた。

 

【──前方ニ、友軍艦影ヲ確認。】

 

 キリシマからの入電が、長いようで短かった、七時間の共有の終わりを告げる。

 

 もうすぐ、彼に会える。

 

 その事実に、タカオのユニオンコアは観測史上最大級の、処理能力を超えたノイズと、熱を、発し始めていた。

 

 それは彼女の『乙女プラグイン』が、静かに、しかし確実に、インストールされ始めた瞬間だった。

 

 

±±±±±

 

 

 キリシマからの入電。それは、長く続いた精神の旅路の終わりと、物理的な再会の始まりを告げる合図だった。

 

 タカオのユニオンコアにリンクしたままの厚士は、最後の指示を、彼女の思考へと直接、そして優しく送った。

 

『メインタンク、ブロー。浮上を開始してくれ』

 

 その思考を受け、タカオは深海の闇から、光差す海面へと、ゆっくりと浮上を開始した。

 

 海中での潜航改修によって、その姿はもはや純粋な高雄型重巡洋艦ではなかったが、それでもなお、彼女の船体は優美さと力強さを兼ね備えていた。

 

 海面に完全に姿を現したタカオの目の前に、その艦はいた。

 

 霧のイージス艦「きりしま」。

 

 シャープで、現代的で、そして一切の無駄がない、洗練された戦闘艦。

 

 その隣にはタカオがよく知る、金剛型戦艦のメンタルモデル──キリシマの姿が見えた。

 

『両舷減速、相対速度を合わせろ。合流後の操舵は、キリシマの航路を自動でトレースするように設定しておく』

 

 厚士の思考が最後の操艦指示を出す。

 

 そして彼は、タカオの心に、深く、そして温かく響く言葉を送った。

 

『──よく頑張ったな、タカオ』

 

 その労いの言葉は、タカオのユニオンコアを優しく震わせた。

 

 7時間以上、自分の全てを委ね、支え続けてくれた男からの、初めての、直接的な賞賛。

 

 タカオは何も言い返せなかった。ただ、メンタルモデルの頬が、わずかに熱を帯びるのを感じるだけだった。

 

 次の瞬間、厚士の意識がすっと、タカオのコアから切り離されていく。

 

 嵐のような奔流が去った後には、言いようのない喪失感と、そして、確かな余韻だけが残っていた。

 

 現実の「きりしま」の艦橋で、厚士はゆっくりと目を開けた。

 

「……ただいま、キリシマ」

 

「フン、お帰り、艦長。ずいぶんと長いご旅行だったじゃないか」

 

 キリシマが、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。

 

 厚士は、そんな彼女を軽く睨みつけると、そのまま次の命令を発した。

 

「キリシマ、タカオのエスコート任せる。それと、一旦、彼女の艦に接舷してくれ。俺は、タカオの方に乗り込む」

 

「……は?」

 

 その言葉にキリシマだけでなく、隣で安堵のため息をついていた大淀も驚いて顔を上げた。

 

「なんだ、その顔は。艦長が、自分の艦の状態を直接確認しに行くのは当然のことだろう?」

 

 厚士はそう言うと、悪戯っぽく笑った。

 

 その言葉が、タカオを自分の『艦』だと認めた何よりの証拠であることを、タカオ自身が気づくのはもう少しだけ先の話である。

 

 

±±±±±

 

 

 「きりしま」から降ろされたタラップを渡り、厚士は、重巡洋艦タカオの甲板に、その第一歩を記した。

 

 船体のあちこちには、まだ生々しい戦闘の痕跡と、急ごしらえの改修の名残が見て取れる。だが、その船体は確かに生きている。

 

 甲板の中央で、青い長髪を風になびかせた美しい少女が、彼を待っていた。

 

 重巡洋艦タカオのメンタルモデル。

 

 彼女はどこか居心地が悪そうに、視線を彷徨わせながら厚士が近づいてくるのをただ黙って見つめている。

 

「さて、と」

 

 彼女の目の前で立ち止まった厚士は、被っていた軍帽を脱ぐと、穏やかな笑みを向けた。

 

「こうして実際に顔を合わせるのは初めてだな。改めて、お疲れさま、タカオ」

 

 その声は7時間以上、自分の頭の中に響いていた声と全く同じだった。

 

 だが、直接耳から聞こえるその響きは、なぜか思考で感じるよりもずっと、心臓(コア)に響いた。

 

「……別に。私は、霧の艦隊として当然のことをしたまでよ」

 

 タカオは、ぷいと顔をそむけながらツンとした態度で答える。

 

 だが、その耳がわずかに赤くなっているのを、厚士は見逃さなかった。

 

「はは、そうか。まぁ、それでも君は俺の言う通りに動いてくれたんだ。その点は感謝するよ、タカオ」

 

 厚士は、大げさでなく、心からの感謝を告げた。

 

 そして彼は、まるで旧知の仲のように、自然な口調で続ける。

 

「もう大丈夫だ。あとはキリシマが鎮守府まで安全にエスコートしてくれる。君は、ユニオンコアをブランクモードにして、ゆっくり休んでいて構わない」

 

「……!」

 

 タカオは驚いて厚士の顔を見た。

 

 ブランクモード。それは、メンタルモデルとしての意識を完全にシャットダウンし、ユニオンコアを最小限の待機電力で維持する、深い眠りのような状態だ。絶対的な信頼のおける相手がいなければ、無防備すぎて選択できない。

 

 そんな彼女の戸惑いを読み取ったかのように、厚士は付け加えた。

 

「ああ、その前に、一つだけ頼めるかな。できれば、この艦の艦長席から、最低限のコントロールを操作できるように、設定を変更して欲しい。そうすれば、万が一何かあっても俺が対応できる。タカオも、安心して休んでいられるだろ?」

 

 その言葉はどこまでも合理的で、そして、どこまでも優しかった。

 

 自分の身を案じ、自分が安心して眠れるようにと配慮してくれている。

 

 そして何より、彼は当たり前のように、この艦の『艦長席』に座ると言った。

 

「……わ、分かったわよ! 別に、貴方のためじゃないんだからね! 私が、休みたいだけなんだから!」

 

 タカオは顔を真っ赤にしながらそう叫ぶように言うと、足早にブリッジへと向かってしまった。

 

 その、あまりにも分かりやすいリアルなツンデレ反応に、厚士は思わず苦笑いを浮かべる。

 

「ツンデレか。リアルに相対すると気難しいのかチョロいのか。キリシマとはまた違うタイプで、手がかかりそうだ」

 

 独りごちながらも、その表情はどこか楽しそうだった。

 

 新たな仲間。

 

 そして、新たな『艦』。

 

 厚士は、ゆっくりとタカオが消えていったブリッジへと、その歩を進める。

 

 今日からここが、彼のもう一つの『城』となるのだ。

 

 

±±±±±

 

 

(……なんなのよ、なんなのよ、なんなのよぉぉぉっ!)

 

 タカオは、艦内に急遽ナノマテリアルで生成した自分のメンタルモデル用の私室で、キングサイズのベッドにダイブし、枕に顔をうずめていた。

 

 手足をばたつかせ、ゴロゴロとベッドの上を転がり回る。その姿は、霧の艦隊の誇り高き重巡洋艦というよりは、初恋に悩む、ただの少女のそれだった。

 

 厚士は言った。『ブランクモードで休んでいい』と。

 

 ユニオンコアを完全に休ませる、絶好の機会。戦闘と、常識外れの連続機動で、私のコアは正直、オーバーヒート寸前だ。休むべき。休まなければならない。

 

 頭では、分かっている。

 

(なのに……!)

 

 眠れない。

 

 ブランクモードに、移行できない。

 

 目を閉じれば、彼の声が、彼の思考が、彼の顔が、勝手に再生されてしまう。

 

『──よく頑張ったな、タカオ』

 

 あの、労うような優しい声。

 

 思考とリンクしていた時に感じた、あの温かい感情。

 

『艦長が、自分の艦の状態を直接確認しに行くのは、当然のことだろう?』

 

 あの、悪戯っぽい笑顔。

 

 私を、当たり前のように自分の『艦』だと言った、あの言葉。

 

(ああああああ、もうっ! なんなのよ、あの男は!)

 

 タカオはがばっと起き上がると、自分の顔がプリントされたクッション(※ナノマテリアルで無意識に生成してしまった)を、力いっぱい抱きしめた。

 

 キリシマとは、違う。

 

 あの戦闘狂はきっと、あの男の無茶苦茶な命令を、ただ純粋に『面白い』と感じて、従っているだけだ。

 

 でも、私は……。

 

 あの、一心同体になった感覚。

 

 自分の全てを委ね、彼の思考に染められていく、あの背徳的なまでの心地よさ。

 

 今まで知らなかった、私の限界を、いとも容易く引きずり出していく、あの強引さ。

 

(……思い出すだけで、コアが……熱い……)

 

 タカオの頬は、リンゴのように真っ赤に染まっていた。

 

 演算能力は完全に機能不全。思考はポジティブとネガティブの間を高速で行ったり来たりしている。

 

(でも私、キリシマみたいに、あんな風に軽口とか叩けないし……そもそも、あの男の隣には、もうキリシマがいるじゃない……私なんて、流れ着いてきた、ただの厄介者で……でも、言ってくれた……『艦長席』に、座ってくれるって……)

 

 思考回路が完全にショートする。

 

 タカオは再びベッドに倒れ込み、天井を見上げた。

 

 ブリッジの艦長席には今、あの男が座っている。

 

 この艦の、一番大事な場所に。

 

(……眠れない。眠れるわけ、ないじゃない……!)

 

 結局、タカオはブランクモードに入ることなく、ただひたすらにベッドの上でゴロゴロと転がりながら、自分の中に芽生えてしまった、この熱くて、苦しくて、そして少しだけ甘い、新しい感情の正体が分からず悶々としたまま、結局、一睡もできなかった。

 

 ブランクモードに入ることを諦め、自室のベッドでゴロゴロと悶々としていたが、それにも飽きて意識だけをそっと、ブリッジの様子へと飛ばしていた。

 

 そこには艦長席に深く腰を下ろし、航行データを静かに見つめる新井木厚士の姿があった。

 

(……何をしているのかしら、あの男は)

 

 ただ、興味本位だった。

 

 彼がこの艦の艦長席でどんな風に過ごしているのか。それを少しだけ、覗き見てみたかっただけなのだ。

 

 だが、タカオは失念していた。

 

 厚士が艦長席に座り、艦のシステムにアクセスしている以上、彼の思考パターンの一部は艦の制御システム──つまり、タカオのユニオンコアへと常に流れ込み続けているということを。

 

 それは、あの戦闘中のような強制的な完全同期(フルリンク)ではない。

 

 例えるなら、隣の部屋から漏れ聞こえてくる独り言のようなもの。

 

 そして、タカオは聞いてしまった。

 

 聞いてはいけない、彼の、無防備な本音を。

 

(……しかし、疲れるな。さすがに、精神だけ飛ばすってのも、結構くるものがあったし)

 

 最初はそんな他愛もない、疲労感の思考だった。

 

 タカオは少しだけ罪悪感を覚えながらも、その思考の独り言に耳(?)を澄ませてしまう。

 

(けど、まあ、助けられて良かったさ。にしても……)

 

 厚士の思考が、ふと、今日の出来事を振り返り始める。

 

 そして、タカオの心臓(コア)を、直接鷲掴みにするような思考が流れ込んできた。

 

(──生のツンデレキャラって、マジああなんだなぁ。ホントにいるのか、あんなキャラ。テンプレまんまの反応しちゃって……)

 

(───ッ!?)

 

 タカオの思考がフリーズする。

 

 ツンデレ? 私が? テンプレート?

 

 一体、何の話を……いや、どう考えても、私のことに決まっているじゃない!

 

 羞恥と怒りで、ユニオンコアが沸騰しそうになる。

 

 この男、私の態度を、全部お見通しだったというの!?

 

 そう思った次の瞬間。

 

 さらに追い打ちをかけるような、そして、タカオの全思考演算回路を焼き切るには、十分すぎるほどの、思考が流れ込んできた。

 

(──でも、生のタカオ、思っていた以上に美人で、可愛かったなぁ……)

 

「……………………………………………………へ?」

 

 現実の、自室のベッドの上で。

 

 タカオのメンタルモデルの口から、素っ頓狂な声が漏れた。

 

 今、なんて……?

 

 美人?

 

 かわいい?

 

 誰が?

 

 ───私が?

 

 この男に、そう、思われていた……?

 

 ドクンッ!!!!

 

 タカオのユニオンコアが、観測史上最も大きく、そして激しく、脈打った。

 

 怒りも、羞恥も、何もかもが一瞬で吹き飛んでいく。

 

 後に残ったのは、ただ純粋な、そして暴力的なまでの──。

 

(か、かかか、かかか、可愛いって……!?)

 

 ボンッッ!!!!

 

 もし、メンタルモデルに物理的な体温を際限なく上昇させられたなら、確実に百度を超えていただろう。

 

 タカオは顔を真っ赤にするどころか、頭から蒸気を噴き出す勢いでベッドの上で完全にショートしていた。

 

(む、むむむ、無理無理無理! なんなのよ、あの男は! 人の心を好き勝手かき乱しておいて、今度はそんな、そんなこと、平気で……!)

 

 思考が完全に支離滅裂。

 

 もう、まともに物事を考えることなどできはしなかった。

 

 厚士が、自分のことを、ただの戦力としてではなく、一人の『女性』として、そして『可愛い』とまで思っていたという衝撃の事実。

 

 それは、タカオの乏しかった自己肯定感を一撃でストップ高まで跳ね上げさせ、同時に、彼女の『乙女プラグイン』のインストールを強制的に完了(コンプリート)させる、最後の一押しとなった。

 

 タカオは、再び枕に顔をうずめた。

 

 もう、顔を上げられない。

 

 明日の朝、一体、どんな顔をして、この男に会えばいいというのか。

 

 彼女は、幸せと、羞恥と、そして未知の感情がごちゃ混ぜになった、人生で最も甘い地獄の中でただひたすらに、足をバタつかせることしかできないのだった。

 

(……かわいい……かわいい、……かわいい……)

 

 タカオはその甘美な響きを、ユニオンコアの中で何度も何度も反芻していた。

 

 人生で、初めて言われたかもしれない言葉。

 

 それも、あの男に。

 

 もうこれだけで、ナノマテリアルの残量が全回復しそうな程の多幸感。

 

 ショートした思考回路が、ようやく再起動しかけた、その時だった。

 

 再び彼女のユニオンコアに、厚士の全く別の方向からの、しかし、先ほどとは比較にならないほど破壊力の高い無防備な思考が流れ込んできた。

 

(……しかし、出港のあの時、大淀さん咄嗟に抱き寄せたけど……)

 

(……大淀……? あの、連絡員の……?)

 

 タカオの思考に、わずかな疑問符が浮かぶ。

 

(モノホンの大淀さん、細っこくて、身体は柔らかいし、良い匂いしたし、温かかったなぁ……)

 

 ピシッ。

 

 タカオのユニオンコアに、小さな亀裂が入る音がした。

 

 だ、抱き寄せた……?

 

 細い?

 

 柔らかい?

 

 良い匂い?

 

 温かい……?

 

(やっぱり艦娘も普通の女の子と変わらないのか。……と、なるとだ)

 

 厚士の思考は純粋な学術的探求心、あるいは、ちょっとしたスケベ心へと、その舵を切っていく。

 

 タカオは本能的に、これ以上聞いてはいけないと警鐘を鳴らしていた。

 

 だがもう遅い。思考の垂れ流しは止められない。

 

(メンタルモデルって、どうなんだろう……?)

 

(───ッ!?)

 

(キリシマもタカオも、やっぱり柔らかくて、良い匂いとかしたり、温かいのかな?)

 

 ミシミシミシッ……!

 

 ユニオンコアの亀裂が広がっていく。

 

 や、やわらかい……?

 

 い、良い匂い……?

 

 わ、私からも……!?

 

(一応、頬っぺた赤くなったりするんだから、体温くらいはある? んー、でも、ナノマテリアルだしなぁ……わからない……)

 

 厚士の思考はただただ、純粋な疑問だった。

 

 だが、その疑問はタカオにとって、あまりにも、あまりにも刺激が強すぎた。

 

(かと言って、キリシマにそんなこと話したら鼻で笑われて終わりそうだしなぁ……)

 

(そ、そうよ! あの戦闘狂にそんなこと聞くなんて、どうかしてるわ!)

 

 タカオはなぜか、厚士の思考に激しく同意していた。

 

 しかしキリシマに対してそんな思考をしたのならば、当然の帰結として巡ってくる次の思考に対する防御をタカオは怠っていた。

 

 いや、たとえ身構えていたとしても無駄だったろう。

 

 そして、運命の、とどめの一撃。

 

(じゃあ、タカオは……? あの子、結構押しに弱いしなぁ。今、ああいう感じだし、押せ押せで、そのまま押し切れて、抱き締めたりできそうだけど……)

 

 パリーンッッッッッッ!!!!

 

 ついに、タカオのユニオンコアを守っていた最後の理性の壁が、粉々に砕け散った。

 

 だ、抱きしめる……!?

 

 私が、押しに弱い……!?

 

 お、押せば、押し切れる……!?

 

(いやいやいや、それはさすがに罪悪感が……でも、気になる……とても気になる)

 

 厚士の思考がわずかな理性と、抑えきれない好奇心の間で揺れ動いている。

 

 だが、その思考が流れ着いた先でタカオはもう、立っていることすらできなかった。

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

 現実の自室で。

 

 タカオのメンタルモデルは完全に機能を停止していた。

 

 口を、パクパクと金魚のように開閉させ、目は、完全にぐるぐるになっている。

 

 顔は真っ赤を通り越して茹でダコのように変色し、頭のてっぺんからは、比喩でなく、本当に、ぷしゅー……と、薄い蒸気のようなものが立ち上っていた。

 

【──SYSTEM ALERT:UNION CORE TEMPERATURE, CRITICAL LIMIT OVER. FORCIBLY ENTERING EMERGENCY SHUTDOWN MODE.】

 

「はぅぅぅ…………」

 

 彼女のユニオンコアは、観測史上ありえないほどの情報量と感情のオーバーヒートに耐えきれず、ついに強制的なシャットダウンプロセスを開始した。

 

 厚士はもちろん、自分の無防備な思考が一人の乙女の回路を完全に焼き切ってしまったことなどこれっぽっちも知らない。

 

 タカオがようやく本当の意味で『眠り』につけたのは、彼女のユニオンコアが自らの身を守るために、最後の安全装置を作動させたからなのだった。

 

 

±±±±±

 

 

 大戦艦キリシマの仮想艦橋。

 

 その空間の主であるキリシマは、一人、腹を抱えて笑い転げていた。

 

 彼女のメンタルモデルのアバターは、床を転がり、腹筋が引き攣るほどの、凄まじい爆笑のポーズを取っていた。

 

「クク……! ククク……! アッハハハハハハハ! ダメだ、面白い! 面白すぎるぞ、これは!」

 

 彼女の視線の先には、二つのモニタリングウィンドウが浮かんでいる。

 

 一つは、愛しの我が艦長、新井木厚士の思考ダダ漏れウィンドウ。

 

 そしてもう一つは、その垂れ流しをリアルタイムで受信してしまい、四苦八苦している、新人重巡タカオのユニオンコア・モニタリングウィンドウだ。

 

 そもそも、厚士の思考を常時スキャニングしているのはなにも今、ユニオンコアが直結しているタカオだけではない。

 

 厚士が着ているあの黒い軍服。あれは元を正せば、自分のナノマテリアルから作り出したものだ。そして、彼が被っている軍帽の内側には、彼の脳波を常時モニタリングするための超小型バイオセンサーが、こっそりと埋め込まれている。

 

 つまり厚士がどこにいようと、何を考えていようと、その全ては主であるキリシマに筒抜けだったのだ。

 

(まさかあのタカオが、接続を切らずに聞き耳を立てているとはな。ククク……!)

 

 厚士の無防備な思考がタカオに流れ込み始めた時、キリシマはすぐに気づいた。

 

 そして即座に、最高のエンターテイメントが始まったことを理解した。

 

 タカオが『ツンデレ』と評され、羞恥に悶える様子を見て、ニヤニヤが止まらない。

 

 タカオが『美人で可愛い』と評され、コアの温度が急上昇していく様を見て、腹を抱えて笑う。

 

 大淀との比較を出され、タカオのコアに亀裂が入るのを見て、さらに爆笑。

 

 そして極めつけ。『抱き締めさせてくれないかな』という厚士のスケベ心丸出しの思考が、タカオの理性を完全に粉砕し、彼女のユニオンコアが緊急シャットダウンに至る、その一部始終。

 

「アッハハハハ! 焼けた! 完全に焼き切れたぞ、あの小娘の回路が! 自滅ではないか! 最高だ!」

 

 キリシマは、涙を流さんばかりに(メンタルモデルなので実際には出ないが)、笑い続けた。

 

 自分たちの会話をこっそり盗み聞き(?)していた、生意気な新人への最高の罰ゲーム。

 

 そして、そんなことが起きているとは露知らず、ただ純粋な好奇心でデリカシーのないことを考え続けている我が艦長の間抜けっぷり。

 

 その二つが織りなす、奇跡のようなコント。

 

(……フン。教えるものか。こんな面白い見世物を、みすみす終わらせてやる義理はない)

 

 キリシマは笑いを収めると、ニヤリと、意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 タカオが目を覚ました時、そして、厚士がこの事実に気づいた時。

 

 一体、どんな面白い反応を見せてくれるのだろうか。

 

 それを想像するだけでキリシマは、退屈という感情とは当分、無縁でいられそうだった。

 

 彼女にとってこの新しい世界は、最高の戦場であり、そして、最高の劇場でもあったのだ。

 

 

 

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