アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
新井木厚士がその全てを告白し、瑞丸中将から絶対的な信頼を勝ち得た日。
それは彼が、正式に横須賀鎮守府の『提督』として迎え入れられた日でもあった。
階級は、彼が最初に名乗った『一等海佐』のまま、据え置かれた。
この世界の海軍の形式に合わせるならば、『大佐』と呼称するのが正しい。だが、この異例の待遇は、彼が、この世界で唯一無二の、『霧の艦隊』を直接指揮する艦長であり、その艦隊司令長官でもあるが故の、特別な敬意の表れだった。
そして彼が率いる、その小さな、しかし、世界最強の艦隊には、正式な名称が与えられた。
厚士が、自らの虚構の経歴として語ったあの名が、そのまま現実のものとなったのだ。
───『東洋方面第一巡航艦隊』。
その誕生と共に、艦隊は最初の、そして、大きな再編成期を迎えた。
まず、数週間の建造期間を経て、ついに完成した巨大な『移動工廠』。その建造コードネームであった『大工作艦キリシマ』は、就役と共に、その名を改めることになった。
新名称は、『大工作艦
命名の瞬間、厚士の隣にいたキリシマが、地獄の底から響くような低い声で、彼を睨みつけた。
だが、厚士は平然と、その理由を告げた。
「仕方ないだろ。一言に『キリシマ』では、大戦艦なのか、イージス艦なのか、工作艦なのか、区別がつかなくて面倒になる。業務上の都合だ」
そのあまりにも事務的な理由に、キリシマはぐうの音も出なかった。
それに付随してもう一隻、その名を変える艦がいた。
霧のイージス艦『きりしま』。
彼女の新しい名は、『おおよど』。
これは、これから『霧熊』によって改修される、本物のイージス護衛艦の中に、二番艦『きりしま』も含まれているため、艦名の重複を避ける、という実務的な理由があった。
そして、その改名に際して『おおよど』には更なる大規模な改修が施された。
新たな副官となった艦娘『大淀』が元々、連合艦隊旗艦も務めた、優れた情報処理能力を持つ艦であることに厚士は着目した。
霧のイージス艦『おおよど』は、その通信システムと、情報処理能力を徹底的に強化。大規模作戦時において複数の艦隊の情報を一手に引き受け、処理し、指揮管制を行う、艦隊総旗艦として生まれ変わったのだ。
さらに厚士は、もう一つのユニークな強化を『おおよど』に施した。
艦娘の大淀が水上偵察機を運用できることにヒントを得ていた。
『おおよど』の艦尾ヘリポートに、一機の新型艦載機が配備された。
もちろん、それはただのヘリコプターではない。
霧の技術の粋を集めて造られた、ナノマテリアル製の万能哨戒攻撃ヘリだ。
短距離誘導魚雷2本、中距離空対空ミサイル2本、ロケット弾ポッド4基、二門のガトリング砲。
対潜哨戒、制空戦闘、開幕爆撃、そして対艦戦闘まで、その全てを一機でこなす、艦娘で言うところの『瑞雲』の遥か上位互換とも言うべき怪物機。
ヘリコプターならではのホバリングや、急上昇、急降下、急旋回といったトリッキーな三次元機動は、単純な速度では戦闘機に劣るものの、その運動性能といやらしさにおいては、敵の艦載機を遥かに凌駕していた。
こうして、新生『東洋方面第一巡航艦隊』はその陣容を整えた。
最強の『剣』である、大戦艦キリシマ。
大和型に匹敵する『切り札』、重巡タカオ。
艦隊の頭脳となる、総旗艦、イージス艦おおよど。
そして、それら全てを支える、未来の工廠、大工作艦霧熊。
厚士が率いるたった四隻の艦隊。
だが、その力はこの世界の、どの国の海軍力をも凌駕する可能性を秘めていた。
そして、その艦隊にはもう一人、欠かすことのできない重要なメンバーがいた。
厚士の最初のクルーであり、そして彼と、この世界の艦娘たちとを繋ぐ架け橋となる、軽巡洋艦『大淀』。
彼女の存在こそが、この異質な艦隊をこの世界に繋ぎ止める、最後の、そして、最も重要な楔なのだった。
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正式に『東洋方面第一巡航艦隊』司令長官となった新井木厚士が、提督として最初に行った仕事。それは、瑞丸中将を始めとした、横須賀鎮守府司令部、そして、日本政府の上層部へと提出された、一通の壮大な作戦計画書の上申だった。
【作戦名:『富嶽(ふがく)計画』──日本近海エネルギー資源開発及び、日本海航路安全確保作戦】
その計画書の冒頭には、こう記されていた。
一.作戦目的:
我が国近海に眠る、海底天然ガス及び、メタンハイドレート資源の、安定的かつ大規模な採掘・精製体制を確立。これにより、我が国のエネルギー自給率を飛躍的に向上させ、深海棲艦との長期継戦能力を確保。同時に、日本海航路における敵性勢力を完全に駆逐し、同海域の制海権を確保する。
二.参加兵力:
東洋方面第一巡航艦隊所属
旗艦:大戦艦 キリシマ
随伴艦:重巡洋艦 タカオ
随伴艦:イージス艦 おおよど
三.作戦行動計画:
1. 艦隊は、横須賀鎮守府を出撃。日本列島太平洋側を南下し、瀬戸内海を通過。道中、呉軍港に寄港し、補給を行う。
2. 島根県沖へ進出。同海域にて、海底天然ガス田掘削・精製のための、第一洋上プラント『海神』を建設する。
3. 建設完了後、日本海に展開する深海棲艦勢力を、北上しつつ、これを完全に撃滅する。
4. 富山県沖へ進出。同海域にて、海底メタンハイドレート採掘・精製のための、第二洋上プラント『竜宮』を建設する。
四.支援要請項目:
1. 作戦行動中、呉軍港、及び、富山・能登半島の各港より、継続的な資材・食料の補給支援を要請する。
2. 作戦期間中、横須賀鎮守府に残る大工作艦『霧熊』は、予定通り、全国から回航されたイージス護衛艦の近代化改修作業を続行する。
3. 改修作業が完了した霧のイージス艦は、練度向上のための長距離航行試験を兼ね、富山沖の第二プラント『竜宮』への、霧熊回航護衛及び支援艦隊として出撃されたし。
五.建設後の施設運用について:
1. 完成した洋上プラントは、それ自体が鎮守府として機能可能な大規模海上要塞となる。自立防御兵装も備えるが、持続的な防衛のため、人的支援を要す。
2. 第一プラント『海神』は、地理的観点から、呉鎮守府の支援を要請。同施設を呉の管轄とするか、新たに提督を置く独立した鎮守府として稼働させるかは、上層部の判断に委ねる。
3. 第二プラント『竜宮』は、我が国のエネルギー生命線の最重要拠点となるため、地政学的なリスクを考慮し、完成後、当面の間は東洋方面第一巡航艦隊がその直接防衛の任に就く。
4. 上記に伴い、同プラントからの資材資源受け渡し入れ機能確保のため、富山湾における、大規模な港湾施設の拡張を、別紙にて提案する。
六.追記事項:
洋上プラントの建設作業は、大戦艦キリシマ、及び、イージス艦おおよどを、一時的に工作艦として転用し、これを行う。よって、鎮守府からの直接的な工作支援は、これを不要とする。
その作戦計画書は、もはや一介の提督が立案する軍事作戦の範疇を遥かに超えていた。
それは厚士が瑞丸中将に語って見せた、日本が資源大国へと生まれ変わるための、大事業そのものを現実の形にするための、具体的な設計図だった。
軍事、経済、そして、未来の国土計画までを全て内包した、壮大な国家プロジェクトの、キックオフ宣言。
その、あまりにも雄大で、そして、緻密に計算され尽くした計画書を前に、瑞丸中将を始めとした日本の指導者たちは、改めて確信した。
自分たちが未来を託した男は、ただの強力な駒ではない。
この国の、新しい未来そのものをデザインする、稀代の『グランドデザイナー』なのだと。
日本の歴史上、最大の挑戦が今、静かに、そして確かに、始まろうとしていた。
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横須賀鎮守府、司令官執務室。
その場にいた誰もが、言葉を失っていた。
瑞丸中将、長門、陸奥、そして、鎮守府の各部署を束ねる百戦錬磨の参謀たち。
彼らは皆、目の前の大型スクリーンに映し出された作戦名『富嶽計画』の、そのあまりにも雄大な全容に、ただただ、圧倒されていた。
静寂を破ったのは、瑞丸中将の絞り出すような、そして、隠しきれない興奮に打ち震える声だった。
「……見たか、諸君」
彼は椅子から立ち上がると、スクリーンに映る日本の未来の設計図を、まるで愛おしいものでも見るかのように見つめた。
「これが、新井木提督が我々に示してくれた、未来への道標だ」
作戦室が、どよめきに包まれる。
「日本海側の完全な制圧……そして、エネルギー資源の自給自足体制の確立……!」
「もはや軍事作戦の域を超えている! これは、国家再生計画そのものではないか!」
「しかし、これを本当に、あの三隻だけで……?」
参謀たちの間で期待と、そして、その計画のあまりの壮大さに対する畏怖が入り混じった声が飛び交う。
その時、計画書の最後の添付資料が、スクリーンに映し出された。
【追加提言事項:国民への広報戦略について】
大工作艦『霧熊』による、全イージス護衛艦の近代化改修が完了した暁には、横須賀にて、新生『霧のイージス艦隊』による大規模な観艦式の実施を、強く推奨する。
本観艦式は国内の報道機関を招き入れ、広く一般に公開するものとする。
目的は、深海棲艦の脅威に怯える国民に対し、我が国が、未だ強力な防衛力を有しているという事実を、明確に示すこと。そして、我々がこの戦争に、必ず勝利するという不退転の決意を、内外に示すための強力なプロパガンダとするためである。
その、最後の、どこまでも冷静でそしてしたたかな一文を読み終えた時。
この計画が、単なる理想論や夢物語ではないことを、そこにいた誰もが確信した。
「……彼は、全てを見ている」
長門が唸るように呟いた。
「軍事、経済、そして、人心の掌握まで。この戦争に勝つために必要な全ての要素を、彼は、たった一人で見通している」
「ええ。そして、そのための『駒』を我々に、一つずつ、丁寧に、揃えさせようとしていますわ」
陸奥がその美しい口元に、畏敬の念を込めた、笑みを浮かべて続けた。
「大工作艦『霧熊』。そして、これから生まれる、霧のイージス艦隊。それらは全て、この壮大な計画を実現させるための布石……」
瑞丸中将はゆっくりと、決意を固めた顔で参謀たちを見渡した。
「諸君。我々は歴史の、大きな、大きな、転換点に、立っている…。この計画は、成功すれば、我が国は救われる。だが、失敗すれば、もはや後はないだろう。そして、その、あまりにも重い責務を、未来から来た、たった一人の青年に丸投げするだけで、本当に良いのかね?」
その問いに、参謀たちははっと、顔を上げた。
瑞丸中将の瞳には、強い、強い、激しく燃え立つ気炎が、宿っていた。
「否、だ! 我々もまた、この国の海を護る提督のはずだ! 彼が前線で、未来を切り拓くというのなら、我々はその後方で、その道を支え、固め、そして、盤石の物としなければならん! それが我々の使命であり、誇りではないのか!」
その、魂からの檄。
それに応えるように、作戦室にいた全ての参謀たちが、一人、また一人と、椅子から立ち上がり、不動の姿勢を取った。
「長門!」
「はっ!」
「直ちに海軍司令部、及び、政府との緊急調整会議を招集! 『富嶽計画』を、国家の最優先事項として承認させる! 陸奥!」
「はい!」
「呉、舞鶴、佐世保、大湊の各司令長官へ極秘通信! 全面的な支援体制の構築を要請せよ! そして、各部署!」
「「「はっ!!」」」
「補給、工廠、人事、全ての部署はこれより、総力を挙げて、この『富嶽計画』の支援にあたれ! 我々、横須賀鎮守府の真価が今問われるぞ!」
瑞丸中将の力強い号令が、作戦室に響き渡る。
それはもはや、未来からの来訪者に全てを委ねる受け身の姿勢ではなかった。
彼ら自身が主体となってこの国の未来を自らの手で掴み取ろうとする、力強い決意の咆哮だった。
新井木厚士が投じた、一石。
それはついに、この国の、眠れる獅子たちの魂を完全に揺り起こしたのだ。
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厚士が立案した日本の運命を左右する『富嶽計画』。
それが横須賀鎮守府、海軍省、そして日本政府という、国家の最高機関によって、驚異的な速度で承認されてから、わずか三日後の早朝。
横須賀の海は荘厳なまでの静けさと、そして、歴史が動く瞬間にだけ見せる、特別な緊張感に包まれていた。
埠頭を埋め尽くす見送りの艦娘たちと、鎮守府の職員たち。
その視線の先で、三隻の鋼鉄の巨鯨が静かに出航の時を待っていた。
新生『東洋方面第一巡航艦隊』。
その最初の、そして、最も重要な作戦が今、始まろうとしていた。
号令と共に、もやいが解かれる。
先頭に立つのは、艦隊旗艦、大戦艦キリシマ。そのブリッジには、腕を組み、これから始まるであろう戦いと、創造の宴に、獰猛な笑みを浮かべる
その後に続くは、霧のイージス艦おおよど。
艦隊の頭脳。そのCIC兼艦橋には、背筋を伸ばし、無数のコンソールを冷静に、そして的確に操作する副官、大淀の姿があった。彼女の瞳には、もはや連絡員としての務めではなく、愛する司令官の航海を、その最初から最後まで完璧に支え抜くという強い意志の光が宿っていた。
そして最後尾。三番艦として静かに付き従う、重巡洋艦タカオ。
そのブリッジは、他の二隻とは少しだけ様相が異なっていた。
艦の主であるタカオのメンタルモデルは、艦長席のすぐ傍らに、どこかそわそわと、しかし、その瞳をキラキラと輝かせながら立っている。
そして、彼女が立つべきその艦長席に、深く腰を下ろしていたのは、この艦隊の司令長官、新井木厚士、その人だった。
この一見すると奇妙な配置。
それこそが、この作戦を成功させるための、厚士が導き出した最適解だった。
キリシマと、おおよどは、それぞれ、自律した思考を持つキリシマ自身と、厚士に絶対の忠誠を誓った大淀がその能力を最大限に引き出すことができる。
だが、タカオは違う。
彼女のユニオンコアに実装された『乙女プラグイン』。
それは彼女を、人間以上に人間らしく、魅力的にさせている源泉であると同時に、戦闘兵器としてはあまりにも、悲しい性を彼女に与えていた。
敬愛する『艦長』が傍にいる時。その存在を肌で感じている時。彼女の戦闘能力、演算能力、その全てのポテンシャルが、まるでリミッターを外されたかのように、うなぎ登りに跳ね上がるのだ。
厚士はその事実を冷静に、そして、一つの戦術として受け入れていた。
彼の存在そのものが、タカオという、大和型に匹敵する『切り札』をさらにその上の領域へと昇華させる、最高のブースターとなる。
「全艦、出航!」
厚士の声が、艦隊全体に響き渡る。
三隻の霧の艦は静かに、そして、力強く、横須賀の港を後にした。
目指すは、呉。そしてその先の、日本海。
それはただの軍事作戦の始まりではなかった。
深海棲艦の脅威に怯え、資源の乏しさに喘いできた、一つの国の新しい未来をその手で創り出すための、壮大な創造の旅路。
その、あまりにも重い使命を、たった三隻の艦と数人の乗員たちが、今、その双肩に、背負ったのだ。
彼らが征く航路の先に何が待っているのか。
まだ、誰も知らない。
ただ、昇り始めた朝日に照らされ、黄金色に輝く海原へと進んでいくその三つの航跡だけが、これから始まる新しい伝説の序章を告げていた。