アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
『富嶽計画』の初動は驚くほど順調に進んでいた。
東洋方面第一巡航艦隊は太平洋を静かに南下。戦闘を極力避けるため、深海棲艦の主戦力があまり展開していない、日本列島の沿岸ギリギリの航路を取っていた。
時折、海岸線や、沖合で漁をする漁船から、その異様な三隻の艦隊の姿が目撃されたかもしれない。だが、彼女たちはまるで幽霊のように、静かに、そして迅速に、その航路を進んでいた。
重巡タカオのブリッジ。
その艦長席に深く腰を下ろした厚士は、しかし、この艦の操舵には一切関与していなかった。タカオの航行は旗艦キリシマの航路を、完璧にトレースするように設定されている。
彼の視線は、目の前のホログラム・ディスプレイに釘付けになっていた。
そこに映し出されているのは、高速で流れる空からの景色。コックピット視点の映像だった。
「───!」
タカオの隣に立つメンタルモデルが、思わず、小さな悲鳴を上げた。
艦隊の上空、遥か高くを飛行していたイージス艦おおよどの艦載哨戒攻撃ヘリが、突如、きりもみ回転を始めたからだ。
「きゃっ! か、艦長! ヘリが墜落するわよ!?」
「いや、あれは墜落じゃない」
厚士は、ディスプレイから目を離さず、ニヤリと笑った。
彼の指が、コンソールのスティックとボタンの上で、目にも留まらぬ速さで踊る。
きりもみ回転をしていたはずのヘリは次の瞬間、まるで戦闘機のように、空中で鋭い宙返り──インメルマンターンを決め、さらに続けて、機体を水平に保ったまま高速で回転──バレルロールまで披露し始めたのだ。
それはヘリコプターの物理法則を完全に無視した、無茶苦茶なアクロバット飛行だった。
『……アツシ。貴様の新しいオモチャはずいぶんと頑丈にできているらしいな』
戦術ネットワークを通じて、旗艦キリシマからの呆れたような、しかし、どこか面白がる響きを持った通信が入る。
『い、一佐! 機体への負荷が危険領域に達しています! これ以上の機動は空中分解の恐れが……!』
続いて、おおよどの艦橋にいる、大淀からの悲鳴に近い悲痛な報告。
その二つの通信を聞きながら、厚士は楽しそうに笑った。
昔取った杵柄、とはよく言ったものだ。
FPSゲームで偵察用の豆ヘリや、攻撃ヘリを縦横無尽に飛ばしまくったあの経験が、こんなところで活きるとは。
ナノマテリアルで構成された機体は、人間のパイロットが乗っていれば、Gで圧死しかねないほどの無茶な機動にも涼しい顔で耐えきっている。
一通りのアクロバット飛行を終え、ヘリを艦隊上空の定位置に戻すと、厚士は大淀への通信回線を開いた。
「大淀、聞こえるか。今の機動が、このヘリのおおよその性能限界だ。つまり──」
厚士はそこで言葉を切ると、悪戯っぽく、しかし、指揮官の目で言った。
「これだけ、無茶苦茶動かしても壊れない、ということだ。実戦で遠慮はいらない。敵の度肝を抜くように思いっきりブン回してやれ」
その言葉に大淀は、はっと、息を呑んだ。
艦長がただ、新しいオモチャで遊んでいるのだとばかり思っていた。
だが違った。
これもまた、彼なりの兵器の性能実証試験であり、そして、実際の運用者である自分に対する、実践的な教育だったのだ。
「……は、はいっ! 肝に銘じます!」
通信の向こうで、大淀のきりりとした、返事が返ってくる。
その一連のやり取りを、隣で呆気にとられて見ていたタカオ。
彼女は、目の前の自分の『艦長』が、ただの優れた戦術家であるだけでなく、時に子供のように、無邪気に、兵器との戯れを楽しみ、そしてそれすらも、次の戦いのための布石へと変えてしまう底の知れない男であることを、改めて思い知るのだった。
±±±±±
瀬戸内海の穏やかな夜の闇を滑るように進み、東洋方面第一巡航艦隊が、呉軍港の埠頭にその身を寄せたのは夜の10時を少し過ぎた頃だった。
煌々と照らされた埠頭には、すでに出迎えの艦娘たちと、この鎮守府を預かる老練な提督の姿があった。
タラップを降りた厚士は、呉鎮守府提督との手短な、しかし、礼を尽くした挨拶を交わす。
「夜分遅くに申し訳ありません。東洋方面第一巡航艦隊、司令、新井木です」
「いや、よく来てくれた。長旅、ご苦労だったな。早速補給の準備をさせよう」
だがその申し出に、厚士は穏やかに首を横に振った。
「お心遣い、感謝します。ですが補給は、明日の朝で結構です。なにぶん、こんな夜中に大勢でがやがやと作業をしては、近隣の住民の方々にもご迷惑でしょうから」
そのあまりにも庶民的で、そして、当たり前の配慮に、呉の提督は少しだけ虚を突かれたような顔をした。国家の存亡を賭けた作戦の指揮官が、まず口にしたのが市民への配慮だったからだ。
「……もう少し早く着いていれば、呉の街にでも繰り出して、ちょっとした観光でもしようかと思っていたんですがね。まあ、こればかりは致し方ない」
厚士はそう言って、悪戯っぽく笑った。
そのどこまでも自然体な姿に、呉の提督もつられてふっと、笑みをこぼした。
厚士は自分の後ろに控えていた三人の『仲間』を振り返った。
大戦艦キリシマ。重巡タカオ。そして、イージス艦おおよど。
「さて、と。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうか」
厚士はキリシマ、タカオ、そして大淀を伴い、呉鎮守府の庁舎へとその足を踏み入れた。
彼らがまず求めたのは、温かい風呂だった。
長い航海の潮気と緊張を洗い流し、人心地をつく。
次に、用意された温かい晩飯。瀬戸内の海の幸に、厚士も、そして人間の食事の味を覚えたキリシマとタカオも、舌鼓を打った。
そして、ささやかながらも、呉の提督たちとの酒の席。
作戦の難しい話は抜き。ただ、海の男たちとして、互いの労をねぎらい、杯を交わす。
日本を背負う巨大な作戦の真っ只中。
だが厚士の振る舞いには、悲壮感も、過剰な気負いも、どこにもなかった。
やるべきことは分かっている。
そのために、全力を尽くす。
だからこそ、休める時には心から休み、英気を養う。
その当たり前の、しかし、極限の状況下では誰もができなくなる人間としてのバランス感覚。
その夜、呉鎮守府で一泊の休息を取る厚士と、彼の率いる異質な仲間たち。
その姿は これからこの国の新しい未来を切り拓いていく者たちに相応しい、力強い、しかし、どこまでもしなやかな決意に満ち溢れていた。
±±±±±
厚士が呉の提督たちとのささやかな宴を楽しんでいる、その頃。
鎮守府の一室で、二人の瓜二つの艦娘が、静かにお茶を啜っていた。
一人は、この呉鎮守府で、任務娘として辣腕を振るう軽巡洋艦「大淀」。
そしてもう一人は、厚士の副官として、この呉の地を踏んだ、元・横須賀鎮守府所属の、軽巡洋艦「大淀」。
部屋には心地よい静寂が流れていた。
各鎮守府や警備府、泊地には必ず一隻は、任務娘として大淀が赴任している。そして、彼女たちは鎮守府の公式な通信網とは別に、『大淀ネットワーク』と呼ばれる、独自の高速情報網を構築していた。
それは任務を円滑に進めるための、極めて効率的なシステム。今、この呉の部屋は、そのネットワークの最重要情報が集まる特設ノードと化していた。
「──それにしても、驚きました」
最初に沈黙を破ったのは、呉の大淀だった。
「貴女が新井木一佐の専属副官になったと、ネットワークが報じた時は、正直、耳を疑いましたから。あの横須賀の、誰よりも冷静で、合理的だった貴女が、まさか個人の下に付くとは」
その言葉に、厚士付きの大淀は、静かにカップを置いた。
「状況が、変わっただけです。…それより、本題に入りましょう。明日からの瀬戸内海航行及び、島根沖でのプラント建設にあたり、いくつか確認したい情報があります。大淀ネットワークに上がってきているこの海域の、非公式な情報を開示していただけますか?」
大淀の、あまりにもビジネスライクな切り出しに、呉の大淀は少しだけ目を丸くした。だが、彼女もプロだ。すぐに手元の端末を操作し始める。
「了解しました。…ここ数日、備後灘で潜水カ級の目撃情報が、漁師の間で複数報告されています。公式な索敵では確認されていませんが、信憑性は高いかと。また、島根の漁業組合の一部が、大規模な海上施設の建設に難色を示している、との情報も。根回しが必要になるかもしれません」
次々と公式報告書には載らない、生々しい情報が共有されていく。
大淀はその全てを的確に、そして高速で、記憶していく。
一通りの情報交換が終わった時、今度は呉の大淀が、探るような目で、大淀へと問いかけた。
「……では、今度はこちらからの質問を、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「新井木一佐は……いえ、新井木提督は一体、どのような方なのですか? ネットワーク内でも、彼の噂で持ちきりです。『未来から来た英雄』『霧の艦隊を従える、謎の男』『大和型を超える大食らいを、さらに大食らいにさせた、元凶』……ですが、その実像が、誰にも掴めない」
その問いに、大淀は初めて、少しだけ表情を和らげた。
そして、彼女は語り始めた。
自分が見てきた、新井木厚士という男の、本当の姿を。
「……彼は、矛盾した人です」
「ほう?」
「誰よりも合理的で、冷徹な判断を下します。兵站と、費用対効果を、何よりも重視する。ですが同時に、誰よりも情に厚く、艦と乗員の命を、自分のこと以上に、大切にする人です。彼は未来の、高度な知識を持っています。ですが、その根底にあるのは、私たちが、その魂の記憶の中に持つ、あの古き良き時代の、海の男たちと全く同じ、荒々しく、そして、どこまでも、自由な、冒険心。そして『私』と共にあの戦乱の大海原を駆けた『艦長』らと同じ覚悟と魂を持つ御方です」
大淀の言葉には、抑えているが、確かな熱がこもっていた。
「そして何より……彼は、私たち『艦娘』を、ただの兵器として見ていません。共に戦い、笑い、そして、泣くことができる対等な『仲間』として見てくれる。…彼は、そういう人です」
そこまで語ると、大淀は少しだけ恥ずかしそうに俯いた。
「だから私は、決めたのです。この方に、お仕えしようと。私の 全てを懸けても良い、と」
そのあまりにも真っ直ぐな告白。
呉の大淀は、ただ黙って、聞いていた。
そして彼女は、全てを理解した。
ネットワークを飛び交う、断片的な情報では決して分からない。
新井木厚士という男の、本当の魅力と、器の大きさを。
そして、目の前の自分と同じ顔をした同僚が、どれほど深く、彼に心酔しているのかを。
「……承知いたしました」
呉の大淀は深く、そして厳かに頷いた。
「貴女が、そして、貴女の魂がそこまで信じると決めた方ならば。私たち、全国の『大淀』も、その航海を全力でサポートいたしましょう。…大淀ネットワークの、全アクセス権限を、貴女に譲渡します。これからは貴女が、私たちの司令塔です」
それはただの情報提供ではなかった。
日本全国に散らばる、最も優秀で、そして、情報に通じた軽巡洋艦たちの、その全ての力を、新井木厚士という一人の男のために結集させるという、誓いの言葉。
同じ艦としての、魂の共鳴。
その夜、二人の大淀の間で交わされた静かな、しかし、固い約束。
それこそが、『富嶽計画』の成功を水面下で支える最も強力な礎となることを、まだ厚士自身は知らなかった。
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横須賀鎮守府。
そこに鎮座するその巨大な艦は、もはや船というよりは、一つの動く島だった。
その名は、『大工作艦 霧熊』。
厚士が大型艦建造に匹敵する国家予算を投じさせてまで造り上げた、この移動工廠。
その真の建造目的をこの時知る者は、厚士と、その片腕であるキリシマ以外には、誰もいなかった。
瑞丸中将や政府が期待しているのは、あくまで霧のイージス艦の効率的な量産と整備能力。
だが、厚士がその設計の根幹に据えていたコンセプトは、全く別の次元にあった。
(……いつか来るかもしれない、その日のために)
厚士の脳裏に浮かぶのは、『蒼き鋼のアルペジオ』という物語のキーパーソン。
全ての霧の艦隊を統べる総旗艦。
『ヤマト』。
この『大工作艦 霧熊』は、来るべきその日。
霧の総旗艦である、超戦艦ヤマトを、その巨大な船体を丸ごと迎え入れ、そして、整備、補給、修復の全てを完璧に行えるだけのスペックを有していた。
それはもはや、ただの工作艦ではない。
霧の最高存在を受け入れるために造られた、聖域であり、方舟だったのだ。
もちろん、その副次的な機能として与えられたイージス艦の改修能力も、常軌を逸している。
その巨体には、戦闘艦艇としての能力は最低限しか与えられていない。
だが、その『最低限』が、この世界の常識とはかけ離れていた。
自衛能力:
対空VLS(垂直発射システム)を、船体の四方八方に装備。対空榴散弾頭やマイクロミサイルによる完璧な弾幕を形成する。
CIWS(高性能20mm機関砲)も多数搭載。いかなる航空攻撃も寄せ付けない。
防御能力:
霧の艦らしく、大出力のクラインフィールドを常時展開可能。その防御力は、大戦艦キリシマの超重力砲の直撃にすら耐えうるという、異常なまでの堅牢さを誇る。
まさに、海の上に浮かぶ鉄壁の移動要塞。
そして、その本来の目的である工作能力。
全国から集められてきたイージス護衛艦を、その船体中央にある巨大なドックへと引き込む。
そして、無数の作業用アームと、ナノマテリアル・プラントが稼働を開始すれば。
ものの半日(12時間)で、全ての近代化改修が完了する。
その後、人間の目と手による最終的なチェックと、調整に丸一日を費やす。
トータル、わずか一日半で、一隻の最新鋭霧のイージス艦が『量産』されていくのだ。
その、あまりにも異次元の生産能力は、この国の国防の常識を、そして、深海棲艦との戦いのパワーバランスを、根底から覆すには十分すぎるほどの力だった。
厚士はまだ、誰にも語らない。
この巨大な方舟が持つ、本当の意味を。
今はただ、来るべき未来の邂逅のその日に備え、静かに、そして、着実に、人類の新しい『盾』を生み出し続ける。
全ては彼だけが描く壮大な物語の筋書き通りに。