アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
『富嶽計画』が始動してから約1週間。
横須賀鎮守府の様相は一変していた。
横須賀鎮守府港湾に座する巨大な大工作艦『霧熊』。
その威容はもはや、鎮守府の新しいシンボルとなっていた。
そして、その『母』の胎内から今、続々と新しい命が産声を上げようとしていた。
日本全国の港から回航されてきたこんごう型、及びあたご型イージス護衛艦。
彼女たちは一隻、また一隻と、『霧熊』の巨大なドックへと、その身を吸い込まれていく。
そしてわずか一日半という、信じられないほどの短期間で、全く新しい力を持って生まれ変わっていくのだ。
一番艦:DDG-173『こんごう』
既に就役済み。試験航行において戦艦ル級を単艦で撃破。その圧倒的な性能とコストパフォーマンスは証明済み。現在は横須賀近海の警備任務と、後続の姉妹艦の乗員たちのための訓練艦としての任務を兼任している。
二番艦:DDG-174『きりしま』
厚士の最初の相棒であった、イージス艦『おおよど』の元となった艦。その名は『おおよど』に受け継がれ、そして今、新たな身体を得て再び戦列に加わる。
三番艦:DDG-175『みょうこう』
四番艦:DDG-176『ちょうかい』
五番艦:DDG-177『あたご』
六番艦:DDG-178『あしがら』
既に就役している『こんごう』に続き。
『霧熊』はその恐るべき生産能力を遺憾なく発揮し、『きりしま』『みょうこう』『ちょうかい』『あたご』『あしがら』の5隻のイージス艦を、わずか10日間で、その改修を完了させたのだ。
横須賀軍港に、ずらりと並ぶ六隻の鋼鉄の姉妹たち。
その外観は見慣れた海上自衛隊のイージス艦。
だが、その内部に秘められた力は、もはや別次元。
一隻一隻が、深海棲艦の戦艦クラスと、互角以上に渡り合えるだけのポテンシャルを秘めている。
それは、日本の海上防衛力が、歴史上類を見ない、飛躍的な進化を遂げた瞬間だった。
しかし、それだけではまだ終わらなかった。
霧のイージス艦六隻の新生。
その衝撃がまだ鎮守府を覆っている中で、護衛艦改修計画は、さらにその次なる段階へと移行していた。
大工作艦『霧熊』のドックに、次なる改修の対象として入渠したのは、二隻の巨大な艦影。
海上自衛隊において、ヘリコプター搭載護衛艦として、その中核を担ってきたひゅうが型護衛艦。
一番艦、DDH-181『ひゅうが』。そして二番艦、DDH-182『いせ』。
彼女たちの広大な全通甲板は、元々多数のヘリコプターを同時に運用するためのもの。
厚士は、その卓越した航空機運用能力に着目していた。
わずか4日間。
『霧熊』はその二隻のヘリ搭載護衛艦にも、霧の近代化改修を施した。
基本的な船体性能の向上。クラインフィールドの搭載。
だが、その改修の真髄はそこではなかった。
『ひゅうが』と『いせ』の広大な格納庫と甲板に次々と配備されていく新型の艦載機。
それは厚士の愛艦である、霧のイージス艦『おおよど』が搭載する、あの万能哨戒攻撃ヘリの量産モデルだった。
ナノマテリアルで構成されたその機体は、対潜、対空、対艦、そして、対地攻撃まで、あらゆる任務を一機でこなす怪物機。
その化け物じみた航空戦力を、それぞれ十数機ずつ搭載した『ひゅうが』と『いせ』。
彼女たちはもはや、単なるヘリコプター搭載護衛艦ではなかった。
事実上、深海棲艦の航空戦力とも互角以上に渡り合えるだけの力を手に入れた正規空母へと、その本質を変貌させていたのだ。
そしてここに、一つの新しい艦隊が産声を上げる。
航空母艦(ヘリ搭載護衛艦):
『ひゅうが』
『いせ』
イージス艦(ミサイル護衛艦):
『こんごう』
『きりしま』
『みょうこう』
『ちょうかい』
『あたご』
『あしがら』
この八隻からなる大艦隊。
それは空母による制空権の確保と、イージス艦による鉄壁の防空網、そして、圧倒的な対水上打撃力を兼ね備えた人類史上初の、対深海棲艦用・空母機動部隊。
その威容は、かつての帝国海軍が誇った第一航空艦隊を彷彿とさせながら、しかし、その中身は未来の超技術によって構成された、全く新しい力。
この新しい希望の艦隊──新生『第一機動護衛隊群』。
その進水はもはや、ただの一艦隊の誕生ではなかった。
それは今まで防戦一方だった人類が、初めて深海棲艦に対して、戦略的な攻勢に転じることが可能となった、歴史的な瞬間。
日本の、そして、世界の海の夜明けを告げる、力強い産声だった。
観艦式の準備は整った。
その日相模湾は異様なほどの熱気に包まれていた。
横須賀軍港には国内から数百人もの報道陣が詰めかけ、その無数のカメラのレンズはただ一点、沖合に整然と並ぶ鋼鉄の艦隊へと向けられていた。
厚士が計画書に記した通り。
新生『第一機動護衛艦群』の完成を披露する、一大観艦式が今、始まろうとしていた。
海上に浮かぶ、八隻の艨艟。
その威容は、見る者を圧倒した。
先頭に立つのは『ひゅうが』と『いせ』。その広大な全通甲板は、さながら動く航空基地。
そして、その後方に続く六隻のイージス艦。そのシャープな船体は、これから始まる戦いのための静かな闘志に満ち溢れている。
観閲官を務める瑞丸中将を乗せた観閲艦が、その列の間を、ゆっくりと進んでいく。
その光景は、全世界へと生中継された。
深海棲艦の出現以来、人類が失いかけていた海への希望。
その希望が今、この日本の横須賀で、再び力強く灯ったのだと、誰もが感じていた。
観艦式が厳粛な雰囲気の中で終了すると、次なるプログラムが発表された。
希望する報道陣を乗せたまま、この新生艦隊が、デモンストレーションとして鎮守府近海の哨戒任務へと向かう、というのだ。
これ以上ないスクープに、報道陣は色めき立った。
そして艦隊は、横須賀軍港を発進した。
報道陣を乗せた『ひゅうが』と『いせ』を中心に、六隻のイージス艦が完璧な輪形陣を組んで進んでいく。
外洋へ出ると、すぐにその時は来た。
「───右舷前方、敵影! 深海棲艦、駆逐隊!」
見張り員の声と同時に、艦隊の動きが変わる。
「『あたご』『あしがら』、前に出ろ! 主砲にてこれを排除せよ!」
旗艦『ひゅうが』のブリッジから、艦隊を指揮する瑞丸中将の声が飛ぶ。
二隻のイージス艦が滑るように前進。
そして、その主砲が火を噴いた。
放たれたビームが寸分の狂いもなく、敵の駆逐艦を捉え、一瞬で蒸発させる。
そのあまりにも一方的で、そして、静かな戦闘に、報道陣は息を呑んだ。
だが、それは序の口だった。
「──敵、水雷戦隊、接近! 旗艦、軽巡ホ級!」
「全艦、対水上戦闘、用意! 『ひゅうが』『いせ』、艦載機、発艦始め!」
号令と共に、二隻の空母の甲板から、あの万能哨戒攻撃ヘリが次々と空へ舞い上がっていく。
そして、イージス艦群のVLSから、無数のマイクロミサイルが発射される。
空と海からの、完璧な飽和攻撃。
深海棲艦の水雷戦隊は、反撃する暇すら与えられず、ミサイルとロケット弾の雨に飲み込まれ、海の藻屑と消えていった。
その圧倒的な攻撃力を目の当たりにして、報道陣はもはやシャッターを切ることすら忘れ、ただ呆然と、その光景を見つめるしかなかった。
これはもはや戦闘ではない。
『狩り』だ。
人類が初めて、深海棲艦を一方的に蹂躙する、その歴史的な瞬間。
その映像は、全世界に、衝撃と、そして何よりも大きな希望を与えた。
人類はまだ、終わらない。
我々にはまだ、戦うための牙がある。
その力強いメッセージは、この日、日本の横須賀から、全世界へと確かに発信されたのだった。
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第一洋上プラント『
島根県のとある漁港の公民館に、厚士はいた。
彼の目の前には、この海で何十年も漁をしてきた、日に焼けたいかつい顔の漁師たちが腕を組み、険しい顔で座っている。
地元漁業組合との公式な説明会。
当然、その雰囲気は歓迎ムードとは程遠い。自分たちの聖域である漁場に、得体の知れない巨大な施設を作ろうというのだ。反発がないはずがない。
「……それで、あんたがその、計画の責任者かいの?」
組合長らしき、一番年嵩の老漁師が、ドスの効いた声で口火を切った。
厚士は一人、壇上に立つと、まず深々と頭を下げた。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。私が、この『海神』建設計画の現場責任者を務めます、新井木と、申します」
そして彼は顔を上げると、一切の言い訳も前置きもなく、単刀直入に切り出した。
「まず、皆様にご理解いただきたいのは、この事業はもはや我々一個人のレベルの話ではなく、既に国からの正式な決定において認可された国家プロジェクトである、ということです」
その有無を言わせない一言。
それは交渉の余地などない、という、事実上の最後通牒。
漁師たちの顔がさらに険しくなる。
だが厚士は続けた。その声は威圧的ではなく、むしろどこまでも誠実だった。
「その上で、本日は皆様に、この計画によって生じるであろうメリットとデメリットについて、包み隠さず、ご説明するために参りました」
厚士は手元のリモコンを操作し、背後のスクリーンに一枚のCG図を映し出した。
「まず、メリットからお話しします」
「この海上プラント『海神』には、最新の潮流制御システムが搭載されます。これはプランクトンや栄養塩を豊富に含んだ深層の海水を汲み上げ、皆様の漁場へと計画的に流し込むためのシステムです。これにより、漁場全体が豊かになり、魚群も、自然とこの海域へと集まってくるようになります。結果として、皆様の漁獲量は飛躍的に増加するでしょう。また、湾内で行われている養殖物の成長も、格段に良くなることが予測されています」
ざわっ、と、会場がどよめいた。
漁獲量の増加。それは彼らにとって何よりも魅力的で、そして、切実な言葉だった。
厚士は構わず続ける。
「そして、もう一つ。この『海神』は単なる採掘施設ではありません。完成後は鎮守府として機能し、強力な自衛防衛兵器も配備されます。つまり、この施設がある限り、皆様はこの近海に出没する深海棲艦の脅威から、完全に、守られることになります。安全な操業が保証されるのです」
安全の保証。
これもまた、命懸けで海に出る彼らにとって、何よりも重い言葉だった。
会場の空気が明らかに変わっていく。
険しい表情が少しずつ和らいでいく。
厚士はそこで、一度言葉を切った。
そして少しだけ、申し訳なさそうな顔で言った。
「……では次に、デメリットについて、お話しします」
ゴクリ、と、誰かが喉を鳴らす。
これだけのメリットがあるのだ。さぞかし大きな代償があるのだろう。
厚士は深々と、再び頭を下げた。
「皆様の愛する、この美しい日本海の景観が、少しだけ、悪くなります」
「……………………………………は?」
組合長が、ぽかん、とした顔で聞き返す。
会場にいる全ての漁師たちが、同じ顔をしていた。
「沖合に巨大な人工物ができるのですから。水平線が少しだけ、見えにくくなるかと。…誠に、申し訳ありません」
厚士はただひたすらに、その一点についてのみ、平身低頭、謝罪を繰り返した。
数秒間の沈黙。
そして。
「……ぷっ」
誰かが吹き出したのを皮切りに。
「「「「「わっはっはっはっはっは!」」」」」
会場は割れんばかりの大爆笑に包まれた。
「なんじゃい、あんちゃん! そんだけかいの!」
「景観が悪くなるじゃと? そんなもん、毎日見とるワシらのツラの方が、よっぽど景観を悪うしとるわい!」
「魚が増えて安全になるんなら、文句なんぞあるかいの!」
厚士は、その豪快な笑い声に包まれながら、静かに顔を上げた。
その口元には、計算通りの完璧な笑みが浮かんでいた。
彼は知っていたのだ。
海の男たちには、小難しい理屈よりも、実利と、そして、少しばかりのユーモアこそが、何よりも響くということを。
割れんばかりの大爆笑。
漁師たちの警戒心は、完全に解きほぐされていた。
組合長が、まだ笑いの涙を拭いながら、厚士に問いかける。
「しかし、あんちゃん。景観が悪うなる言うても、一体どれくらいのもんができるんじゃ? 灯台みてえなもんかいの?」
その問いに、厚士は待っていましたとばかりにスクリーンに新たなCGイメージを映し出した。
そこに現れたのは、漁師たちの想像を遥かに超える光景だった。
海の上に浮かぶ、一つの巨大な人工島。
中央には天然ガスを精製するためのプラント施設が聳え立ち、その周囲には港湾設備、大型船が接舷できる埠頭、そして、隊員や艦娘たちが生活するための居住区画までが、まるで一つの海上の街のように広がっている。
「……こ、こりゃあ……」
漁師たちが息を呑む。
「皆様の浜辺からでも、肉眼ではっきりと確認できるほどの大きさにはなります。ですが、これはデメリットばかりではありません」
厚士は、今度は観光業に携わるであろう地元の人々の顔を見据えながら語りかけた。
「確かに、水平線は少し、遮られます。ですが、その代わりに、皆様の目の前の海に、一つの新しい『島』が生まれる、と、お考えください」
「島……じゃと?」
「はい。残念ながら国防上の機密施設でもありますので、一般の方の上陸はできません。ですが、その存在そのものが、新しい観光資源となり得るはずです」
厚士はそこで、日本地図を指し示した。
「皆様がよくご存知の、新潟県の沖合に浮かぶ佐渡島。あのような感覚に近くなるかと思います。島へは渡れない。だが、海の向こうに、確かに見える、一つの大きな目標物。そして夜になれば、その街の明かりが、水平線を美しく彩るでしょう」
その言葉に、会場にいた旅館の女将さんや土産物屋の店主たちの目が、キラリと光った。
「『海に浮かぶ、謎の未来要塞』。遊覧船でその周りを巡るツアーなんてのも、面白いかもしれませんね。新しい名物になるかもしれませんよ」
厚士のその巧みな言葉の魔術。
彼は、『景観が悪くなる』という唯一のデメリットを逆手にとって、それを『新しい観光資源が生まれる』という、全く新しいメリットへと、鮮やかにすり替えて見せたのだ。
(……このあんちゃん、とんでもねえタヌキじゃ……)
組合長は、そのあまりにも見事な交渉術に、もはや感嘆のため息を吐くしかなかった。
デメリットは一つもない。
あるのは漁獲量の増加と、安全の保証。そして新しい観光の目玉。
地元にとって、これほど美味い話はなかった。
もはやこの計画に反対する者など、この島根の漁港には一人もいなくなっていた。
±±±±±
その夜、厚士と大淀は、漁港の老舗旅館に宿を取っていた。
目の前の膳には、今朝獲れたばかりの新鮮な魚介類が、これでもかというほど並んでいる。昼間の説明会の大成功を聞きつけた漁業組合からの、心尽くしの差し入れだった。
「……それにしても、見事なお手腕でした」
熱燗をちびりとやりながら、大淀が心の底から感心したように言った。
「『景観が悪くなる』という唯一のデメリットさえも逆手に取って、『新しい観光資源の誕生』として宣伝し、あれほど頑なだった漁師の方々を完全に納得させてしまうとは。…私には到底真似できません」
その賞賛の言葉に、厚士は分厚いトロの刺し身に舌鼓を打ちながら、こともなげに答えた。
「まあ、当然でしょ」
「……え?」
「考えてもみなよ大淀。俺たちがこれから造ろうとしているのは、あの海の上に浮かぶドデカい街だ。当然、その影響を一番モロに受けるのは、毎日その海で飯を食ってる地元の人たちだ。その地元への配慮を最大限にしておかないと、後でとんでもないしっぺ返しを食らうことになる」
厚士はぐいと、熱燗をあおった。
「もし、彼らの反感を買ったまま工事を強行したら、どうなると思う? 港湾組合が一致団結して『あのデカい工場のせいで魚が獲れなくなった!』なんて言い出して、ストライキでも起こしてみなさいな。俺たちの艦隊への補給も、資材の陸揚げも、全部ストップだ。そうなったら目も当てられないだろ?」
そのあまりにも現実的で、そしてシビアな視点。
大淀は、自分がまだそこまで考えが及んでいなかったことに気づかされた。
厚士は箸を置くと、真っ直ぐに大淀の目を見つめて言った。
「俺が上申して、
その言葉。
それは彼が、ただの夢想家や天才的な戦略家であるだけでなく、自らが下した決断がもたらすであろう全ての結果に対して、最後まで責任を負う覚悟を決めている、本物の『リーダー』であることの、何よりの証明だった。
大淀は何も言えなかった。
ただ目の前の、自分の司令官の、そのどこまでも大きく、そして、頼もしい背中を見つめながら。
自分もこの人のその重い責務の、ほんの一部でも共に背負えるような副官にならなければ、と。
その決意を胸に秘め、静かにお銚子を手に取るのだった。