アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く   作:おかーちゃんサーナイト

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霧の大戦艦、海へ潜る

 

 海域を支配していた轟音と爆炎が嘘のように、静寂が訪れた。鼻をつく硝煙の匂いと、海面に漂う黒い残骸だけが、つい先ほどまでここで繰り広げられていた一方的な殲滅戦の痕跡を留めている。

 

 艦橋の床にへたり込んだまま、厚士は呆然と目の前の光景を見つめていた。

 

(やっちまった……)

 

 内心、後悔と畏怖が渦巻いていた。

 

 ゲームの知識と、物語の知識。それらを自分の「フロム脳」がこねくり回して導き出した最適解。それを、本物の超兵器であるキリシマに、ほとんど命令に近い形で叫んでしまった。

 

 一介の民間人、ただのオタクである自分が、意思を持つ大戦艦の指揮を執るなど、あまりにも分不相応で、傲慢な行為ではなかったか。

 

 彼女は霧の艦隊。プライドの高い戦闘狂だ。人間の指図を受けたことを、どう思っているだろうか。

 

 最悪の場合、用済みとばかりに、ここで消されても文句は言えない。

 

 厚士は恐る恐る、艦橋の中央に立つ少女の様子を伺った。

キリシマは、敵艦隊が沈んでいった海域を、じっと見つめて微動だにしない。その横顔からは感情が読み取れず、沈黙がやけに重く感じられた。

 

「あ、あの、さ、キリシマ……」

 

 厚士が、か細い声で呼びかける。

 

「勝手に、指揮を執るような真似して……すまなかっ──」

 

 謝罪の言葉を言い終える前に、キリシマがゆっくりとこちらを振り返った。

 

 その表情に、怒りの色はなかった。

 

 それどころか、彼女の瞳は興奮に爛々と輝き、その口元には、獰猛な肉食獣を思わせる、歓喜に満ちた笑みが浮かんでいた。

 

「──謝るだと? なぜだ、人間!」

 

 キリシマは、大股で厚士のもとへ歩み寄ると、その顔を覗き込むようにして身を屈めた。

 

「最高じゃないか! あの機動! あの戦術! 敵の懐に飛び込んで、ゼロ距離で全火力を叩き込むなど、考えたこともなかったぞ!」

 

 その声は、戦闘の高揚感を隠そうともせず、弾んでいた。

 

 彼女は怒っているのではなかった。心の底から、先ほどの戦闘を楽しんでいたのだ。

 

「貴様、何者だ? なぜ私の姉妹艦であるヒエイの戦い方を知っていた? なぜ、あの敵の正体と、その倒し方を知っていた?」

 

 矢継ぎ早に繰り出される質問。その瞳には、侮蔑や怒りではなく、純粋な好奇心と、未知の戦術家に対する畏敬のような色さえ浮かんでいた。

 

 厚士は、キリシマの圧倒的な迫力に気圧されながらも、一つのことを理解した。

 

 どうやら自分は、この意思を持つ大戦艦に、新たな「遊び」を教えてしまったらしい。

 

 そして彼女は、それをひどく気に入ったようだった。

 

 キリシマの爛々とした瞳に見つめられながら、厚士は観念したように、ぽつりぽつりと話し始めた。自分の中にいる複数の人格が協議した結果、この状況では正直に話すのが最善手だと判断したからだ。

 

「深海棲艦のことを知っていたのは……それが敵として出てくる『艦隊これくしょん』っていうゲームを、俺がやっていたからだ。アニメや漫画も観ていたし、集めて読んでいた」

 

「げぇむ…? あにめ…? まんが…?」

 

 キリシマは、初めて聞く単語を繰り返す。その顔には「何を言っているんだこいつは」と書いてある。無理もない。

 

 厚士は構わず続けた。

 

「キリシマ、お前のことも同じだ。『蒼き鋼のアルペジオ』っていう漫画を集めて読んでいたし、アニメも観ていた。だから、霧の大戦艦が、普通の兵器と比べてどれだけ無茶な性能を持っているか、どんなことができるのか、ある程度は知っていた。それを元に、こうすれば勝てるんじゃないかって、想像して指示を出しただけだ」

 

「……」

 

 キリシマは黙り込んだ。その表情は、先ほどの興奮が嘘のように冷めて、怪訝なものに変わっている。彼女の頭脳が、厚士の言葉を理解しようと高速で回転しているのが見て取れた。

 

「海戦の指揮についても、さっき言ったゲームをそれなりにやった経験と、あとはリアルタイムストラテジーとか……まあ、そういうゲームの知識が少しあっただけだ。得意じゃないけど、基本性能で勝ってるあんたなら、オートでも強いだろうから心配はしてなかった」

 

 厚士は最後に、自嘲気味に笑って締めくくった。

 

「艦の指揮なんて言えるもんじゃない。アニメの主人公の受け売りだよ。俺は本当に、ただの一般人でしかないんだ」

 

 すべてを話し終えた厚士は、キリシマの反応を待った。

信じられるはずがない。自分たちの存在が、遠い未来の創作物、娯楽作品だなどと。

 

 侮辱されたと感じて、今度こそ激昂するかもしれない。

 

 しかし、キリシマの反応は、厚士の予想とは全く違っていた。

 

 彼女はしばらくの間、難しい顔で考え込んでいたが、やがてフッと、まるで面白い冗談を聞いたかのように吹き出した。

 

「クク……なるほどな。つまり貴様は、我々が『物語』の登場人物だとでも言うのか。そして貴様は、その物語の『読者』だった、と?」

 

 その声に怒りはなく、むしろ純粋な知的好奇心と、面白がるような響きがあった。

 

「にわかには信じがたい話だ。だが……」

 

 キリシマは一度言葉を切り、先ほどの戦闘を思い返すように目を細めた。

 

「貴様が下した指示の的確さは、本物だった。ヒエイの戦法を知っていること、クラインフィールドの応用方法、そしてあの正体不明の敵の弱点。それらを初見で見抜ける者など、いるはずがない」

 

 真実か、虚構か。

 

 常識で考えれば、厚士の言葉は戯言に過ぎない。

 

 しかし、現実に起きた戦闘の結果が、その戯言に奇妙な説得力を持たせていた。

 

「面白い……。実に面白いぞ、人間、アツシ」

 

 キリシマは厚士の名前を呼んだ。そして、悪戯っぽく笑いながら、こう続けた。

 

「ならば、その『物語』とやらの知識で、これから私をどう楽しませてくれる? 見せてもらおうじゃないか、貴様の『指揮』とやらを。我々の……いや、この艦の参謀。次の一手はどうする?」

 

 

 彼女は、厚士がただの一般人であるという言葉を、信じていないわけではないのだろう。だが、それ以上に、彼の持つ「未来の知識」という未知の要素に、強烈な興味を惹かれていた。

 

 こうして、ただのオタク青年と、物語から飛び出してきた大戦艦の間に、奇妙な共犯関係のようなものが芽生えようとしていた。

 

 先ほどの戦闘の高揚感が嘘のように静まり返った艦橋で、厚士はキリシマに向き直り、真剣な表情で切り出した。

 

「キリシマ、今後のことなんだが……」

 

「なんだ、アツシ。次の敵はどこにいる?」

 

 獲物を求める獣のように瞳を輝かせるキリシマに、厚士は首を横に振る。

 

「いや、逆だ。戦わないための話だ。そもそも、金剛型の艦体はデカくて目立ちすぎる。このまま海の上を航行していたら、また深海棲艦に見つかって、その度に戦闘になる。いくらあんたが強くても、エネルギーも弾薬もいずれ尽きる」

 

「フン、霧の弾薬はナノマテリアルさえあれば無限だぞ?」

 

「そのナノマテリアルだって有限だろ。それに、毎回毎回、今回みたいにうまくいくとは限らない。だから、発想を変えるんだ」

 

 厚士は一呼吸置いて、とんでもない提案を口にした。

 

「──潜るんだ、海の中に」

 

「……は?」

 

 キリシマの目が点になる。大戦艦が潜水するなど、前代未聞だった。

 

 厚士は構わず、自身のフロム脳が導き出した改装プランを立て板に水のごとく語り始める。

 

「お前の体はナノマテリアルで出来ているはずだ。なら、艦体を完全に気密化して、内部にバラストタンクを形成できるだろ? 推進も、スクリューじゃ音がデカすぎるから、極力音が出ないポンプ式の噴射水流推進器に切り替える。ステルスシェードも併用すれば、少なくとも深海棲艦の大型艦種──戦艦、重巡、空母、陸上基地みたいな奴らの目は欺けるはずだ。軽巡や駆逐艦も、こっちが静かにしていれば見つけられない」

 

 キリシマは呆気にとられたまま、厚士の言葉を聞いている。彼女の演算能力が、その提案の実現可能性を検証しているようだった。

 

「ああ、潜る前にソノブイも造るのを忘れないでくれ。潜ったら外の様子がわからないからな。それと、魚雷と魚雷発射管も作って欲しい。史実の金剛型も、改装される前の初代の船体は魚雷発射管を備えていたはずだ。水中で使う可能性もある。当然、潜るんだからソナーも必須だ」

 

 厚士の言葉は止まらない。彼の頭の中には、既に完成図が見えていた。

 

「ついでに、爆雷と爆雷投射機も作ってもいい。時と場合によっては、海上にいる俺たちが敵の潜水艦を攻撃する場面だってあるかもしれないからな」

 

 一気にまくし立てた厚士は、最後にキリシマの目を真っ直ぐに見つめて言った。

 

「いいか、キリシマ。俺たちは、金剛型戦艦という枠に囚われる必要はない。やれることは全部できるようにするべきなんだ。だから悪いけど、あんたにはただの戦艦から、イージス艦みたいな万能艦に生まれ変わってもらう。そうすれば、この先の見えない航海を、もっと安全に進められるはずだ」

 

 そこまで聞いて、キリシマは呆れを通り越して、もはや感心したようなため息をついた。

 

「……貴様、本当にただの人間か? 私をなんだと思っている」

 

「物語の登場人物で、俺の相棒。違うか?」

 

 厚士が臆せずにそう返すと、キリシマは数秒間黙り込んだ後、腹を抱えて笑い出した。

 

「ククク……ハハハハハ! 面白い! 面白すぎるぞ、アツシ! イージス艦だと? 万能艦だと? よかろう! 貴様のその突拍子もない与太話、このキリシマが現実にしてやろうじゃないか!」

 

 彼女は笑いながら、自信に満ちた顔で胸を張る。

 

「ナノマテリアルの使い方を、貴様のような人間に教えられるとは思わなかったぞ。見ていろ、アツシ。このキリシマを、最強の戦艦から、最強の“万能潜水攻撃艦”にしてみせる!」

 

 その言葉と共に、キリシマの艦体が若葉色の光のラインに包まれる。

 

 前代未聞の大改装が、今、太平洋の真ん中で始まろうとしていた。

 

 十数分後、キリシマの艦体は厚士のプラン通り、見事な変貌を遂げていた。

 

 艦底にはポンプジェット推進器が形成され、船体各所には魚雷発射管や爆雷投射機が格納されている。

 

 外見は金剛型戦艦のままだが、その中身は全くの別物──“万能潜水攻撃艦”としての機能を備えていた。

 

「よし、潜るぞ」

 

 厚士の静かな声が、改装された戦闘情報センター(CIC)に響く。

 

「バラストタンク注水、潜航開始。各部気密チェック、入角-5度。初めて潜るんだから、ゆっくりで良いぞ」

 

「了解した。……フン、この私が海に潜る日が来るとはな」

 

 キリシマは面白がるような口調で応じると、艦体に指令を送る。ゴゴゴ…という重低音と共に、艦内に海水が引き込まれ、鋼鉄の巨体がゆっくりと海面下へと沈み始めた。メインスクリーンには、陽光に照らされたきらびやかな海面が、急速に頭上へと遠ざかっていく光景が映し出される。

 

「潜航深度150。水平を保て。潜航したら、艦首及び艦尾の魚雷発射管、注水と開閉テストだ。いざという時に使えませんじゃ、話にならないからな」

 

 厚士の淀みない指示に従い、キリシマは新設された兵装の動作チェックを次々と行っていく。その全てが、設計通り完璧に機能した。

 

「すごいな、アツシ。本当に潜水艦になってしまったぞ、私は」

 

「お前のナノマテリアルのおかげだよ」

 

 CICで感嘆の声を上げるキリシマに、厚士は冷静に次の指示を出す。

 

「ソノブイを射出しておいてくれ。ネットで『艦娘』、『深海棲艦』、それと『鎮守府』を検索。俺の想像が正しければ、去年あたりから深海棲艦が現れて、そこへ『艦娘』が現れたか、あるいは開発されたはずだ」

 

 キリシマは言われた通り、海中から小型のソノブイを射出。外部との情報リンクを確保し、再び脆弱な人類のネットワークへとアクセスを開始した。

 

 検索結果は、すぐに表示された。

 

――深海棲艦、突如として世界中の海洋に出現。人類は制海権を喪失。

――その脅威に対抗すべく、往年の艦艇の魂を宿す『艦娘』が誕生。

――日本各地に『鎮守府』を設立。人類の反攻作戦が始まる。

 

「……ビンゴ、か」

 

 厚士の推測は、完全に的中していた。この世界は、やはり『艦隊これくしょん』の物語が現実となった世界だった。

 

「続けて、横須賀、呉、舞鶴、大湊のデータベースにアクセス。現在の艦娘たちの動向を探ってくれ」

 

「やれやれ。貴様に言われると、ハッキングも朝飯前だな」

 

 キリシマは軽口を叩きながら、日本の主要な鎮守府のサーバーへと静かに侵入していく。暗号化された作戦情報が、次々と解読されていく。

 

「……見つけたぞ、アツシ。現在、連合艦隊の主力を集め、ソロモン諸島沖──鉄底海峡にて、大規模な反攻作戦を展開中、とのことだ」

 

 その報告を聞き、厚士は深く息を吐いた。最悪の戦場として名高い、あの海域。

 

「そうか……鉄底海峡か」

 

 潜航を続けるキリシマの艦内で、厚士は静かに思考を巡らせる。

 

 史実通りなら、そこは地獄だ。数多の艦が沈み、多くの命が失われる場所。だが、同時に、物語が大きく動く場所でもある。

 

「大規模な作戦行動中……なら、俺たちが取れる選択肢が、いくつかあるな」

 

 もし作戦が行われていなかった場合、情報収集と戦力増強のために、一旦日本の近海、硫黄島あたりへ向かうつもりだった。

 

 だが、状況は違う。

 

 世界の命運を分ける戦いが、今まさに始まっている。

 

 厚士はメインスクリーンに映し出された、暗く静かな深海の映像を見つめながら、静かに次の目的地を決めた。

 

「よし、方針は決まった」

 

 CICの静寂を破り、厚士は決然とした声で命令を下した。

 

「ソノブイを回収。ステルスシェードを展開しつつ、最大戦速でソロモン諸島へ向かうぞ」

 

「了解した。……しかし、いいのか? 貴様の言う通りなら、そこは今、一番物騒な場所なんだろう?」

 

 キリシマはスクリーンに映る暗い深海から目を離さず、問いかける。その声には、危険を承知の上で飛び込むことへの面白さが滲んでいた。

 

 厚士は艦長席に深く腰掛けたまま、どこか疲れたように、しかし確固たる意志を持って答えた。

 

「ああ。だが、行かなきゃならない理由がある。……切実な問題として、そっちと違って俺は、飯を食わないと死ぬんだ」

 

「……食事か。人間とは、なんとも燃費の悪い生き物だな」

 

 キリシマが心底不思議そうに呟く。彼女にとって、食事は生命維持に必須の行為ではない。

 

「うるさい。それにあんただって、ナノマテリアルを使い続ければいずれは尽きるだろ? 『蒼き鋼のアルペジオ』の世界では、艦娘が使う燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイトといった資材が、お前たち霧のナノマテリアルに変換できたらしい。なら、この世界でも同じことができる可能性がある」

 

 厚士は続ける。その目は、遥か先の未来を見据えていた。

 

「だから、ソロモンで戦ってる人類……艦娘たちを助けて、恩を売る。そこから交渉して、俺たちの補給路を確保するんだ。それが一番、穏便で確実な方法だ」

 

「交渉、か。回りくどいな。気に入らなければ、奪えばよかろう」

 

 戦闘狂らしいキリシマの言葉に、厚士は苦笑いを浮かべた。

 

「それが最後の手段だ。交渉が決裂したら……深海棲艦の縄張りを荒らして物資を強奪する海賊稼業をするしかなくなるよ」

 

 その物騒な言葉に、キリシマはニヤリと口の端を吊り上げた。

 

「海賊稼業! ハッ、そっちの方が性に合っているかもしれん!」

 

「そうならないために、交渉するんだよ。いいか、俺たちは正体不明の超兵器だ。下手に人類と敵対すれば、深海棲艦と俺たちの両方を敵に回すことになる。それだけは避けたい」

 

 厚士の言葉には、切実な響きがこもっていた。

 

 彼は、自分が物語の登場人物ではない、ただ死ねばそれまでの、か弱い人間であることを誰よりも理解していた。

 

 厚士の真剣な眼差しを受け、キリシマは楽しげな表情を収め、静かに頷いた。

 

「……分かった。貴様の言う『交渉』とやらに付き合ってやろう。どちらに転んでも、退屈はしなさそうだ」

 

 彼女は再び前を向き、その瞳に強い意志の光を宿した。

 

「進路、ソロモン諸島、鉄底海峡。最大戦速!」

 

 キリシマの号令と共に、ポンプジェット推進器が静かに、しかし力強く駆動を始める。

 

 ステルスシェードに覆われた鋼鉄の巨体は、誰にも知られることなく、深海の闇を切り裂いていく。

 

 歴史が大きく動こうとしている、世界で最も危険な海域を目指して。

 

 食料と未来を賭けた、奇妙な二人組の航海が、本格的に始まった。

 

 

 

 

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