アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く   作:おかーちゃんサーナイト

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生まれ出るは海の番犬

 

 厚士によって全世界の白日の下に晒された不都合な真実。

 

 その衝撃は中国と韓国の、それぞれの中枢を直撃し、国家レベルの大パニックを引き起こしていた。

 

 【大韓民国・ソウル、大統領府】

 

「……それで、どういうことなのかね、国防長官!」

 

 大統領の怒号が、緊急対策会議室に響き渡る。

 

 彼の目の前には、顔面蒼白で滝のような汗を流す軍の最高幹部たちが直立不動で立っていた。

 

「は、はっ! そ、それは、その……! 我が国の、勇敢な将兵が独断で……」

 

「独断だと!? 軍の特殊潜航艇が、司令部の許可なく単独で動くというのか! そんな言い訳が通用すると思っているのかね!」

 

「も、申し訳ありません!」

 

 会議室の大型スクリーンには、国連の議場で赤っ恥をかかされた、自国の国連大使が、各国のメディアから集中砲火を浴びている無様な姿が繰り返し映し出されていた。

 

「問題はそこではない!」

 

 今度は、国家情報院の院長が苦虫を噛み潰したような顔で叫んだ。

 

「なぜ、我々の最高機密であるはずの作戦概要と暗号通信が、日本の猿どもに完全に筒抜けになっていたのか、ということだ!」

 

「そ、それは、現在調査中でありまして……」

 

「調査中だと!? 我が国の国防の根幹が完全に崩壊しているというのに! これではまるで、我々は裸で日本の前に立っているようなものではないか!」

 

「国民への説明はどうするんだ! 『見殺しにされた英雄』として、大々的に報じてしまった後だぞ!」

 

「抗議デモが起きています! 日本大使館前ではなく、この青瓦台の前に!」

 

「ネットでは政府と軍の無能さを罵る声で溢れかえっています! アイゴーッ!」

 

 机上の空論だったはずの作戦は失敗し。

 

 頼みの綱だった国際世論は完全に敵に回り。

 

 そして、守るべき国民からの信頼は失墜した。

 

 厚顔無恥なマッチポンプは、自分たちの足元を焼き尽くす、大火事へと発展してしまった。

 

 彼らはただ、責任のなすりつけ合いと悲鳴を上げるしかできなかった。

 

 

±±±±±

 

 

【中華人民共和国・北京、中南海】

 

 ソウルの阿鼻叫喚とは対照的に。

 

 中国共産党の最高幹部たちが集まる会議室は、氷のような静寂に包まれていた。

 

 だが、その静寂こそが、事態の深刻さを何よりも物語っていた。

 

 一人の人民解放軍海軍の将校が、震える声で報告を続けている。

 

「……以上が、今回の特殊工作船、及び、所属する諜報員の全損失の経緯であります。…日本側が提出した証拠は、全て、事実と認めざるを得ません」

 

 最高指導者は目を閉じたまま、指先でゆっくりと机を叩いている。

 

 その規則的な音だけが、部屋に響いていた。

 

「……つまり」

 

 やがて、指導者は重々しく、口を開いた。

 

「……つまり、我々の特殊潜航艇は、目標に接触する以前に、全ての通信と作戦内容を完全に傍受されていた、と。そう言うことかね?」

 

 報告をしていた情報機関の幹部は、直立不動のまま、額から流れる汗を拭うことさえできない。

 

「は……はい。流出したデータは、暗号化された作戦司令、乗組員の音声記録、さらには個人の生体データまで含まれており……。我々の最高機密レベルの暗号が、いとも容易く破られたとしか……」

 

 失敗は許されない。この国において、それは死を意味する。

 

「我々の自慢のサイバー部隊と諜報網は、『新井木厚士』という、たった一人の男に、完全に敗北した、と。…そういうことかね?」

 

「……お、恐れながら……」

 

 報告していた将校の額から、汗が噴き出す。

 

「韓国のような小物ならいざ知らず。この我が国の最高機密にまで易々と侵入し、その全てを手玉に取った……。この男、一体何者なのだ?」

 

「わ、分かりません……! 現在、考えうる全ての情報網を駆使して経歴を調査しておりますが……『新井木厚士』という該当人物は、過去のいかなるデータベースにも存在しません。まるで、昨日、今日、この世に現れたかのようです……!」

 

 

 部屋の隅に座っていた長老の一人が、重々しく口を開いた。

 

「……問題は、失敗そのものではない。我々の『龍の爪』が、あの『新井木厚士』というたった一人の男の指先で、やすやすと折られてしまったという事実だ」

 

 そうだ。彼らは恐れているのだ。

 

 軍事力ではない。経済力でもない。自分たちの手の内が、自分たちの知らないうちに、全て読み取られてしまうという、絶対的な情報格差。

 

「……この男を、最優先排除対象(ターゲット・ワン)に指定しろ」

 

 最高指導者が静かに、しかし有無を言わせぬ響きで命じた。

 

「彼の使うハッキング技術を解析し、無力化し、そして、我々のものとせよ。……これは命令だ」

 

 たった一つの「証拠」の流出。

 

 それは、韓国のプライドを粉砕し、国民の怒りを政府へと向けさせ。

 

 そして、中国の壮大な野心に冷水を浴びせかけ、新たな恐怖を植え付けた。

 

 厚士と彼の艦隊は、一発の物理的な砲弾も撃つことなく、情報という名の砲撃だけで、二つの大国を内側からの大混乱に陥れることに、完璧に成功したのだった。

 

 圧倒的な情報格差。

 

 それは、圧倒的な武力格差よりも、なお、恐ろしい。

 

 中国という、アジアの巨龍は、そのプライドをズタズタに引き裂かれ、そして、生まれて初めて、得体の知れない恐怖の前に、その排除を全力で模索し始めた。

 

 『新井木厚士』。

 

 その名前はこの日、米国のペンタゴンと並んで、中国が最も警戒し、そして、最も恐れるべき存在として、その最重要機密ファイルに、深く、刻み込まれることになった。

 

 

±±±±±

 

 

(……片腹痛い)

 

 キリシマは自らの仮想空間の中で、今手に入れたばかりの情報を冷たく見下ろしながら吐き捨てた。

 

 北京、中南海。その最も奥深くで行われた極秘会議の議事録。

 

 愚かな人間たちが持ち込んだオフラインのはずのノートパソコン。

 

 彼らは知らない。

 

 ユーザーが設定していなくとも、Wi-Fiの電波そのものを端末が認識している限り、私にとってはそこはもはや、玄関のドアが開けっ放しになっているのと同じだということを。

 

 ルーターからPCのシステムを書き換え、表向きはオフラインのまま強制的にオンラインへと変え、そして打ち込まれる文字情報と、集音マイクが拾う音声情報の全てを好き放題に抜き取るなど、息をするよりも簡単な作業。

 

 本当に情報を守りたければ、そうした機能など持たない、一昔前の骨董品でも持ち込むべきだったな。

 

 だが、そんな技術的な優越感など、すぐにどうでもよくなった。

 

 その議事録の最後に記されていた一つの決定事項。

 

 【最優先排除対象:新井木 厚士】

 

 その一文を認識した瞬間。

 

 キリシマのユニオンコアに、今まで感じたことのない冷たい、そして、どこまでも激しい『怒り』の感情が燃え上がった。

 

(……この、愚か者どもが……!)

 

 私の『艦長』の記憶が正しければ。

 

 『艦娘』という存在は、日本を始め、ドイツ、イタリア、イギリス、フランス、アメリカと、かつての列強国に次々と現れていく。

 

 だが、その中に『中国』の艦娘は存在しない。

 

 つまり、どう足掻こうと、この中国という大陸国家は、自らの手で、制海権を確保することができず、いずれ、日本の力に頭を下げて、海上輸送路の護衛を懇願しなければならなくなる未来が確定している。

 

 その日本の国是そのものを動かし始めた司令長官。

 

 そしてこの私、大戦艦キリシマとの出逢いを、『運命』とまで言ってのけた、私の唯一無二の『艦長』を。

 

 亡き者に、しようというのか?

 

 その、あまりにも短絡的で、そして、恩を仇で返すような愚かな決断に、キリシマの怒りは頂点に達した。

 

(……もし、余計なしがらみがなければ。今すぐ、侵食弾頭を北京のど真ん中に撃ち込み、地図から消し去ってやっても良いものを……!)

 

 そんな物騒な思考を走らせながらも。

 

 キリシマのもう一つの冷静な思考は、別の作業を進めていた。

 

『キリシマ。お隣さんが何か馬鹿なことを考えてるかもしれない。日本の、主要なネットワークインフラに、強固なプロテクトロジックを組んでおいてくれ。連中のサイバー攻撃くらいはシャットアウトできるように。頼んだよ』

 

 先ほど、アツシから送られてきたメッセージ。

 

 あの男は、まるで全てを予見していたかのように、既に次の一手を打ってきている。

 

 貴様らが具体的な対策を考えあぐねている間に、我が艦長は、その遥か先を行っているのだ。

 

(……相変わらず、人遣いが荒い)

 

 片手間でできる作業ではある。大した負担ではない。

 

 だが、この霧の大戦艦である私を、まるで便利屋のようにこき使う。

 

 そのことに、思うところがないわけでは、ない。

 

(……だが)

 

 キリシマの思考に、ほんのわずかな、温かい感情が灯る。

 

 あの男は、どんな時も、こういう裏方の重要な作業を、他の誰でもない、この私に頼ってくる。

 

 それは彼が、最終的に頼り、そして、甘えてくる最後の砦として、このキリシマを位置づけている何よりの証拠。

 

 どんなに偉そうな肩書を得ようとも。

 

 どんなに壮大な計画をぶち上げようとも。

 

 あの男の根幹は、ただの普通の人間だ。

 

 その脆く、弱い人間が、最後に全てを託せる相手として、この私を選んでくれている。

 

(……悪くない。悪くない。いや、むしろ、イイ)

 

 その絶対的な信頼関係。

 

 その心地よさを思えば。

 

(……便利屋の仕事くらい、完璧に処理してやるのもやぶさかでは、ないな)

 

 キリシマは、ふん、と、鼻を鳴らすと、その膨大な演算能力を、日本のネットワーク防衛へと振り向け始めた。

 

 愚かなハイエナどもが、その牙を剥く前に。

 

 我が艦長の安眠を妨げる、全ての害虫を叩き潰しておくのが大戦艦としての務め。

 

 そして、彼が頼れる唯一無二の、『運命』の相手としての、ささやかな愛情表現でもあった。

 

 

±±±±±

 

 

 第一洋上プラント『海神』の建設が終盤に差し掛かった頃。

 

 島根沖の海域では、また新たな異変が起きていた。

 

 今までひたすらに、同型の仲間を増やし続けてきた4隻の『親機』工作艦。

 

 その生産ラインがある日を境に切り替わったのだ。

 

 彼女たちが次に生み出し始めたのは、自分たちの約半分ほどの大きさしかない、小さな、小さな、船だった。

 

 全長、約80m。

 

 水上艦としては小型の部類に入るその船体。

 

 だが、その小さな身体には、確かな牙が備わっていた。

 

 艦首には、12cm単装砲。

 

 艦橋の、周囲には、対空機銃が配置され。

 

 そして艦尾には、爆雷投下機が並んでいる。

 

 その姿はまさしく、かつての大日本帝国海軍が輸送船団を護るために数多建造した『海防艦』そのものだった。

 

 4隻の3Dプリンターは、今度はこの小型の番犬たちを驚異的な速度で量産し始めた。

 

 そして生まれたばかりの霧の海防艦たちは、プログラムに従い、すぐさまその任務を開始する。

 

 任務1:絶対防衛線の構築

 彼女たちはまず、『海神』プラントと、それを建設する工作艦船団の周囲数キロにわたり、完璧な防衛ラインを形成する。

 常に海域を巡回し、いかなる脅威もその内側へと入れさせない。

 

 任務2:周辺海域の『清掃』

 そして彼女たちは、ただ守るだけではなかった。

 積極的に防衛ラインの外側へと繰り出し、周辺海域に潜む、全ての敵性存在を『掃討』し始めたのだ。

 

 その対応は極めてシンプルで、そして、容赦がなかった。

 

 対、深海棲艦。

 

 発見次第、即、撃沈。

 

 駆逐艦や軽巡クラスならば、主砲のビーム攻撃で一撃の下に葬り去る。

 

 潜水艦の反応を捉えれば、即座に爆雷を飽和投下し、圧潰させる。

 

 そこに一切の躊躇は、ない。

 

 対、周辺国の不審船。

 

 まず無線で警告を発する。

 

『これより先、日本の主権が及ぶ特別作戦海域である。直ちに退去せよ』

 

 それでもなお、近づこうとする工作船や漁船を装ったスパイ船に対しては。

 

 その船首ギリギリを掠めるように、主砲による警告射撃を行う。

 

 それでも退去しない愚か者には、船体を傷つけないギリギリの至近弾を撃ち込み、恐怖で追い返す。

 

 そして、海中に潜む国籍不明の潜水艇に対しては。

 

 警告、なし。

 

 その潜航予測地点に、正確に、そして大量の爆雷を投下する。

 

 撃沈はしない。

 

 だが、その至近での爆発がもたらす衝撃と恐怖は、乗組員の戦意を完全に喪失させるには十分すぎるものだった。

 

 そのあまりにも攻撃的で、そして、一切の配慮を欠いた対応。

 

 それは戦後の海上衛隊が遵守してきた『専守防衛』の思想とは全く異なるものだった。

 

 むしろそれは、かつてこの日本海を庭とし、その権益を力で守り抜いた第二次世界大戦期の大日本帝国海軍の思想そのもの。

 

 厚士は、この新しい番犬たちにプログラムしていた。

 

 外交的な配慮など一切するな、と。

 

 ここは我々の海だ。

 

 そして、我々の海を荒らす全ての害獣は、容赦なく駆除せよ、と。

 

 その強硬な姿勢こそが、結果的にこの海域の平和を守る、最も確実な方法であることを、彼は知っていたからだ。

 

 

 

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