アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
第一洋上プラント『海神』が完成し、呉鎮守府への引き継ぎが完了したある日。
厚士は横須賀の司令官執務室で、瑞丸中将と向き合っていた。
議題は、彼が事前に提出していた、一つの恐るべき提言書についてだった。
「──新井木君。君が提出してくれたこの、『嘱託提督制度』に関する提言書。読ませてもらった」
瑞丸中将の表情は硬い。
無理もなかった。そこに書かれていたのは、今まで聖域とされてきた軍の人事制度そのものを、根底から覆す革命的な内容だったからだ。
「……まず、確認させてくれ。君は本気で、軍務経験のない一般市民を、提督として起用しろと言っているのかね?」
「はい。正確には、『妖精さんが見える一般人』を、ですが」
厚士は臆することなく、真っ直ぐに中将の目を見返した。
「私が知る未来において、艦娘たちの戦線は急速に拡大していきます。西はジブラルタルを越え英国へ。東はハワイを回りミッドウェービキニ環礁まで。それはもはや、日本の防衛という範疇を超えた、世界規模の戦いです。その時、必ず直面する問題。それが、深刻な『提督不足』です」
厚士は立ち上がり、執務室に置かれた世界地図を指し示した。
「現在、艦娘を指揮できるのは、専門的な訓練を受けた現役の軍人提督のみ。その貴重な人材を海外遠征に振り向ければ、当然、日本の本土防衛が手薄になる。さりとて、本土防衛に固執すれば世界中のシーレーンは崩壊し、いずれ、我が国も干上がってしまう。ジレンマです」
「……うむ」
「ですがもし、本土防衛だけでも担ってくれる新しい提督を大量に確保できれば、話は別です。現役の、精鋭提督たちは、後顧の憂いなく、海外の大規模作戦に全力を注ぐことができます」
「その『新しい提督』を、民間に求めろと?」
「はい。日本国民一億二千万。そのわずか一割だとしても、一千二百万もの提督候補生が今も、この国の在野に眠っている可能性があるのです。艦隊運用や軍法については、各嘱託提督に派遣される大淀や初期艦の艦娘たちと共に、実地で学ばせればいいでしょう。教育係としては、練習巡洋艦の香取、その経験もある大井なども最適でしょう」
厚士はそこで一度言葉を切り、少しだけ下世話な、しかし、極めて重要な注意点を付け加えた。
「──ただし、香取の妹である鹿島を教育係に起用する際には、細心の注意が必要です」
「ほう?」
「閣下。下世話な話で恐縮ですが、鹿島は異常なまでに魅力的な艦娘です。彼女はとても真面目で優しい頑張り屋の艦娘なのですが、私のいた世界では『有明の女王』という異名を持ち年に二回の即売会では会場を席巻し、企業の栄養ドリンクを全国のコンビニから消し去った、という伝説すらあります。それほどの魔性を秘めていると、ご認識ください」
「……」
瑞丸中将が絶句する。まさか一艦娘が、企業の栄養ドリンクを店頭から一掃するほどの人気を博す社会現象を起こすなどと夢にも思わなかったからだ。
「問題は彼女ではありません。問題は、嘱託提督候補生たちの方です。私のような部屋の片隅でパソコンだけを相手にしてきたような男がいきなり彼女らのような見目麗しい艦娘と寝食を共にすればどうなるか。女性トラブルは絶対に起きます。むしろ起きないわけがありません」
そのあまりにも生々しく、そして、説得力に満ちた告白に、瑞丸中将はぐうの音も出なかった。
「セクハラ、パワハラ、そして、知識不足。それらのリスクは全て承知の上での提言です。ですが、それでもやらなければ、いずれ我々は、『物資はあるのに人がいない』という、かつての大戦の敗因とは真逆の理由で、再び、敗北することになります。広げすぎた戦線は必ず瓦解する。それは、歴史の必然です」
「……規律の乱れに対する対策は」
「憲兵隊の増強しかありません。陸自、空自、そして、警察からも人材を引き抜き、厳罰を以て臨む。それと同時に、提督たちのメンタルケアも必要となるでしょう」
厚士は最後に、深く、頭を下げた。
「中将閣下。これは鎮守府の、いえ、この国の人事という最後の聖域にメスを入れる劇薬です。ですが、この大改革なくして、日本の海の未来はありません。……何卒、一考の程、よろしくお願い申し上げます」
静まり返った執務室。
瑞丸中将は目を閉じたまま、動かない。
その頭の中では、厚士が提示した輝かしい未来と、それに伴う、あまりにも生々しく、そして、厄介なリスクが、激しくせめぎ合っていた。
それは一人の軍人が下すには、あまりにも重すぎる国家の形そのものを変えてしまう、究極の決断だった。
±±±±±
新井木厚士が執務室を辞した後。
瑞丸中将はすぐに、長門、陸奥、そして各部署の主要な参謀たちを緊急に招集した。
会議室のテーブルの中央には先ほど厚士が提出した『嘱託提督制度・人事改革案』と題された分厚いファイルが置かれている。
誰もがその衝撃的な内容に目を通し、言葉を失っていた。
「……以上が、新井木提督からの新たなる提言だ。…諸君らの、率直な意見を聞きたい」
瑞丸中将が、重々しく口火を切った。
「……これが」
最初に口を開いたのは、人事部の担当官だった。
人事部長が乾いた声で呟いた。
「…これが、彼の頭の中か……」
提言書の内容は、衝撃的だった。
だが、彼らをさらに震撼させたのは、その添付資料として添えられていた、『嘱託提督・教育課程(草案)』だった。
「……恐るべき慧眼としか言いようがありません。我々が、今まで目を背けてきた、『提督不足』という最大の問題点。その核心を突き、そして、これほど具体的で現実的な解決策を提示してくるとは……」
経理部の担当官が眼鏡の位置を直しながら続く。
「『物資はあっても人がいない』。…第二次大戦の敗因の焼き直し、ですか。耳が痛い話ですが、彼の言う通りです。我々は、資源問題の解決に浮かれ、最も基本的なリソース…『人的資源』の問題を軽視していた……」
そして、誰もが最も衝撃を受けた部分。
それは、提言書に添付されていた『嘱託提督・教育課程プログラム(草案)』だった。
【教育課程・第一段階:対駆逐艦・適性評価】
ステップ1:睦月型、朝潮型との共同生活
目的:候補生の倫理観の、初期スクリーニング。
評価基準:見た目が幼い彼女たちに対し、庇護欲を超えた性的な関心を示すか否か。ここで手を出そうとする者は、小児性愛者の可能性が極めて高く、即時アウトとする。
ステップ2:吹雪型、綾波型との交流
目的:一般的な少女とのコミュニケーション能力の評価。
ステップ3:白露型、陽炎型、夕雲型との共同演習
目的:より発育が良く、個性も多様な少女たちとの関係構築能力を見る。
【教育課程・第二段階:対正規艦艇・ストレス耐性評価】
駆逐艦課程をクリアした者も、軽巡、重巡、そして、空母、戦艦と接する中で、必ず問題は発生する。
彼女たちは容姿も、性格も、成人女性として極めて魅力的であるため、候補生が一線を越えようとするリスクは常に存在する。
問題行動が発生した場合は、厳重注意から、段階的な処罰を与え、その改善と、修正を図る。
それでも改善の見込みがない者は、アウトとする。
そのあまりにも具体的で、そして、人間の汚い部分をえぐるような教育プログラムに、陸奥が感嘆と呆れが混じったため息を吐いた。
「……うふふ。彼は本当に、どこまで分かっているのかしら。人間のどうしようもない愚かさと、そして、弱さを」
長門がその言葉を引き継いだ。
「ああ。彼はただ、理想を語るだけではない。その理想を実現する過程で必ず発生するであろう、人間の『業』までも完全に織り込み済みで、その対策を講じている。…これはもはや、軍事戦略家ではない。人間というシステムそのものを知り尽くした、社会学者の領域だ」
瑞丸中将は、深く、深く、頷いた。
「そうだ。彼は我々に、ただ勝利への道筋を示しただけではない。その道のりの厳しさと、そして、我々人間自身が抱える弱さをも、同時に突きつけてきたのだ」
彼は会議室にいる全員を見渡した。
「諸君。我々が信じ、そして未来を託した男は、我々の想像を遥かに超える怪物だ。だが、その怪物が示してくれたこの地図は、紛れもなく本物だ。この『嘱託提督制度』、直ちに政府に上申し、法整備を進める。人事部は全国からの候補生の募集要項の作成に入れ。法務部は憲兵隊の増強と、新しい服務規程の策定を急げ」
そして彼は、最後にこう付け加えた。
それは彼が、新井木厚士という男に抱く、評価の全てだった。
「……我々は幸運だ。我々がこれから進む暗い道のその先にある全ての落とし穴の場所を教えてくれる、最高の『案内人』を手に入れたのだからな」
その日。
横須賀鎮守府司令部は、新井木厚士という男の本当の恐ろしさを、そしてその底知れない器の大きさを改めて思い知ることになった。
彼はただの、チート能力を持った英雄ではない。
人間の光も闇も、その全てを理解し、それでもなお、前へと進もうとする本物の『指導者』なのだと。
もはや彼らの中に、この改革案に異を唱える者は、誰一人としていなかった。
±±±±±
瑞丸中将の執務室を辞した厚士と大淀。
二人は静かな廊下を並んで歩いていた。
先ほどの会議の緊張感とは打って変わって、穏やかな時間が流れる。
だが、大淀の頭の中は、まだ先ほどの提言書の衝撃的な内容でいっぱいだった。
「……あの、一佐」
彼女は、意を決して隣を歩く上官に問いかけた。
「先ほどの教育プログラムですが……。なぜ、あそこまで細部にわたり、嘱託提督候補生の性的な部分を
その純粋な疑問に、厚士は少しだけばつが悪そうに、軍帽の上からガシガシと頭を掻いた。
「……はは。まあ、そりゃあねぇ」
彼はどこか、遠い目をしながら言った。
「俺も、そっち側の同じ穴のムジナだったからね」
「……え……?」
厚士は観念したように、自嘲気味に語り始めた。
「つまり、俺自身も元の世界では、画面の向こうの艦娘たちに劣情を抱き、そして、まあ、その……色々と、欲望をぶつけていた、ただのキモヲタだった、ってことだよ。だからわかるんだ。いきなり君たちのような、魅力的な女の子たちに囲まれたらどうなるか。絶対に間違いを起こす奴が出てくるって」
それは彼の、どうしようもない黒歴史の告白。
だが同時に、彼がなぜ、あれほどまでに人間の汚い部分をリアルに予測できたのか、その答えでもあった。
「だから、あの教育プログラムはセーフティネットなんだよ。俺みたいな、どうしようもない奴らを事前に弾き、そして、万が一間違いを起こしても、更生させるための。そうやって少しでもマトモな提督を残そうとした、苦肉の策さ」
その、あまりにも正直で、そして、情けない告白に、大淀は思わず、頬を赤らめながらも、一つの、どうしても聞かずにはいられない質問を、口にしてしまった。
「……そ、その、中には……。わ、私も、含まれて、いたので、しょうか……?」
その問いに、厚士は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにその意図を察し、困ったように笑った。
そして彼は、少しだけ意地悪く、彼女が一番聞きたいであろう答えを躱してみせた。
「言っただろ? 俺は、艦娘みんなが、大好きなどうしようもないクズだって」
その言葉。
それは大淀にとって、肯定とも、否定とも取れる、ずるい答え。
だが彼女には、その本当の意味が痛いほど分かってしまった。
(……つまり私も、例外なく、彼の劣情の対象だった、ということ……)
その事実に、彼女の頬がさらに、熱くなる。
そんな真っ赤になった大淀の可愛い反応を見て、厚士はとどめを刺した。
「ああ、そういえば言ってなかったかな?」
彼はまるで今、思い出したかのように言った。
「俺の性癖、黒髪ロングと、メガネっ子なんだ」
彼はそこで、にやり、と笑うと、大淀の頭にぽんと手を置き、優しくひと撫でした。
「そういう意味じゃ、大淀はツーストライク、って、とこかな」
「───ッ!?」
「さ、行くぞ。やる事はまだ山積みだ」
そう言って、厚士は何事もなかったかのように再び前を向いて歩き出した。
後に残されたのは、頭を撫でられた感触と、あまりにも破壊力の高すぎる告白によって完全にフリーズし、顔から蒸気を噴き出しそうになっている一隻の軽巡洋艦の姿だけだった。
どうやらこのどうしようもない司令官に振り回される彼女の日常は、まだまだ続きそうだった。
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【超速報】政府、一般人からの『提督』公募を開始キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! Part.1
1:名無しの提督さん
おいおいおいおいおい!!!!!!
さっきの官房長官の緊急記者会見見たか!?
マジかよ!!!!!!
2:名無しの提督さん
見てた! 見てたぞ!
耳を疑ったわwww
『嘱託提督制度』創設!?
3:名無しの提督さん
え、何? kwsk!
仕事中で見れなかったんだが!
4:名無しの提督さん
>>3
お前人生損してるぞwww
要約するとこうだ!
政府が一般人から『提督』を大々的に募集開始!
応募資格はただ一つ! 『妖精さんが、見えること』!
年齢、性別、学歴、職歴、一切、不問!
採用後は専門の教育課程を経て、正式に提督として艦隊指揮権が与えられる!
給与は国家公務員特別職に準ずる!
5:名無しの提督さん
……
6:名無しの提督さん
……は?
7:名無しの提督さん
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
8:名無しの提督さん
俺の時代が来た……!
ニートで童貞で、友達もいない俺だけど……!
妖精さんだけは、見える……! 見えるんだよぉぉぉぉっ!
9:名無しの提督さん
待ってろよ俺の嫁(吹雪)!
今会いに行くからな!
10:名無しの提督さん
しかしこれ、どういう風の吹き回しだよ?
今まで軍人しか提督になれなかったのに。
11:名無しの提督さん
>>10
なんか例の新井木一佐が強く進言したらしいぞ。
『今後の世界規模での戦線拡大を見据え、人的資源を確保するため』だってさ。
12:名無しの提督さん
あつこちゃん……!
いや、新井木閣下……!
あんた俺たちの神かよ……!
13:名無しの提督さん
でも待てよ。
教育課程とかあるんだろ?
俺みたいなコミュ障に務まるのか……?
14:名無しの提督さん
>>13
なんかその教育プログラムも発表されてるぞ。
最初は睦月型の子たちと共同生活からスタートするらしい。
15:名無しの提督さん
む、睦月型と、共同生活……だと……!?
(ゴクリ……)
16:名無しの提督さん
>>15
憲兵さん、こいつです。
17:名無しの提督さん
資料読んだけど、なんかすげぇしっかりしてるぞ。
セクハラとか、パワハラとか、やらかしたら即アウトで、厳罰らしい。
特に睦月型に手を出そうとしたら、問答無用で社会的に抹殺されるレベル。
18:名無しの提督さん
だよなwww
そりゃそうだろwww
19:名無しの提督さん
でも逆に言えば。
マトモな常識さえ持ってれば、誰にでもチャンスがあるってことだろ?
20:名無しの提督さん
ああ……。
俺、明日ハローワーク行くのやめるわ。
鎮守府に履歴書送る。
21:名無しの提督さん
>>20
俺もだ。
もうこんなクソみたいな会社辞めてやる。
俺は、俺の艦隊を作るんだ!
22:名無しの提督さん
なんか日本中が大変なことになりそうだなwww
退職届と履歴書が乱舞するぞwww
23:名無しの提督さん
歴史の転換点ってこういうことなんだな……。
今まで画面の中でしか応援できなかったあの子たちと一緒に戦える日が来るなんて……。
24:名無しの提督さん
ありがとう政府!
ありがとう海軍!
そしてありがとう、新井木閣下!
25:名無しの提督さん
とりあえず応募サイト鯖落ちしてて草www
お前ら少しは落ち着けwww
その日。
日本中の片隅で燻っていた数多の『提督候補生』たちが一斉に立ち上がった。
それは社会の歯車からは、少しだけはみ出してしまったかもしれない、しかし、誰よりも艦娘を愛し、そして妖精さんと心を通わせることができた、優しきオタクたちの覚醒の瞬間。
日本の歴史上、最大規模の『転職ブーム』と、そして、『婚活ブーム(?)』の幕開けを告げる号砲が、高らかに鳴り響いたのだった。