アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
『嘱託提督制度』。
その発表は、日本中に熱狂の渦を巻き起こした。
横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊。
全国五つの主要鎮守府で始まった第一期生の募集。
それぞれ定員100名、合計500名の狭き門に対し、応募は実にその1000倍にも及んだという。
書類選考の第一関門は『妖精さんが見えるかどうか』。
この一点だけで応募者の大半がふるいにかけられた。
そこからさらに、面接による人格の選別。
そして一週間実際の艦娘たちと共同生活を行い、その生活態度やコミュニケーション能力を厳しく評価される最終試験。
それでもなお残り続けた優秀な候補生たちは、遥かに定員数を上回っていた。
そのため急遽最後の選抜試験として、その一週間ペアを組んだ艦娘と共に演習を行い、その成績によって第一期から第五期までの採用時期が振り分けられることとなった。
そして。
その横須賀鎮守府第一期、嘱託提督候補生たちの中に。
ひっそりと、しかし、圧倒的なオーラを放ちながら、一人の男が混じっていた。
新井木厚士、その人だった。
「いやあ、勉強になるなぁ」
彼は周囲の困惑の視線など全く意に介さず、そう
曰く『霧の艦隊の提督ではあっても、艦娘の提督としてはズブの素人。だから、一から勉強しに来た』というのが、彼の公式な参加理由だった。
もちろん、その本当の目的が自らが考案した教育プログラムが正常に機能しているかを、その目で確かめるための潜入調査であることに気づく者はいなかった。
他の候補生たちが、パートナーとして睦月型や朝潮型といった年若い駆逐艦をあてがわれる中。
厚士にパートナーとして紹介されたのは、一人の少女だった。
陽炎型駆逐艦、十三番艦『浜風』。
「……駆逐艦、浜風です。これより、貴官の教育実習をサポートします」
きりりとした表情。
生真面目で、少し堅い口調。
だが、厚士は息を呑んだ。
駆逐艦、というカテゴリーには到底収まらない、その圧倒的なプロポーション。
上から、ボン、キュッ、ボン。
セーラー服には艤装のベルトが、その豊かな胸の谷間に食い込み、その存在をこれでもかと強調している(いわゆる、『パイスラ』)。
そして、スカートの下から伸びる黒タイツに包まれた、しなやかな脚線美。
(マジかよ……)
厚士は、内心で天を仰いだ。
彼女が、艦これウ=ス異本界隈でも、トップ3に入るほどの人気キャラであることは、知識として知っている。
しかも浜風はつい最近確認されたばかりの最新鋭艦娘だ。
そんな超弩級の逸材を、いきなり自分にあてがってくるとは。
(……それくらいには、俺は瑞丸中将に信頼されている、ということか)
そう彼は、前向きに捉えることにした。
思わせぶりな態度で男を惑わす村雨や、如月のようなタイプよりも。
この浜風は、見た目こそ男を狂わせる魔性の魅力を持ちながらも、本人の性格は極めて生真面目。
つまり提督側がよほどアホな真似をしない限り、最も安心してパートナーを組める最高の『当たりくじ』とも言えたのだ。
「……あの。私の兵装に、何か?」
じろじろと値踏みするように見てくる厚士の視線に、浜風が少し、居心地が悪そうに問いかける。
「あ、いや! 素晴らしい兵装だと思ってね!」
厚士は慌てて、そう取り繕った。
もちろん、その『兵装』が何を指しているのかは、言うまでもない。
こうして。
最強の提督(のフリをした、ただのオタク)と、最強の駆逐艦(の色々な意味で)。
二人の奇妙な、そして、波乱万丈な教育実習が始まろうとしていた。
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【朗報】俺氏、提督になる Part.1【第一期生スレ】
1:横須賀の睦月
というわけで、スレ立てしてみたにゃしぃ。
全国の第一期生の同志たちよ!
ここを情報交換と愚痴の吐き出しの場としようぞ!
ちなみに俺のパートナーは睦月ちゃん! 天使! 超天使!
2:呉の如月
スレ立て乙。
俺は呉鎮守府、パートナーは如月ちゃんだ。
よろしくな。
しかし座学、キツすぎないか……? 俺、学生時代より勉強してるぞ……。
あと如月ちゃんがエッチいので憲兵隊に睨まれないか心配です…。
3:佐世保の白雪
>>2
分かるwww
軍法とか、陣形論とか専門用語ばっかで頭パンクしそうだわwww
うちの白雪ちゃんが優しく教えてくれるからなんとかなってるけど。
あと白雪ちゃんのご飯がめっちゃ美味しくて、普通に嫁に欲しいぞ。
4:舞鶴の叢雲
うちの叢雲様は、「あんた、本当に馬鹿ね!」って、罵ってくれるぞ。
最高のご褒美です、ありがとうございます。
5:名無しの提督さん
>>4
はいはい、M提督は黙ってようねー。
6:横須賀の睦月
しかし横須賀組、やばい奴いないか?
なんか一人だけレベルが違うっていうか、オーラが違うっていうか。
7:横須賀の初雪
>>6
ああ! あの、黒い軍服の人だろ!?
なんか教官が指名しても全部模範解答。
どころか、「現場の視点から補足させていただきますと」とか言い出して、教官より詳しく解説し始めるっていうwww
8:横須賀の皐月
いたいたwww
霧の護衛艦との連携戦術とか言い出して、教官が逆にメモ取ってたぞwww
あの人何者なんだよwww
9:横須賀の睦月
なんか噂だと、あの新井木一佐らしいぞ。
『勉強のため』とか言って、俺たちに混じってるんだと。
10:名無しの提督さん
はああああああああああ!?
あの、霧の艦隊の司令長官!?
11:名無しの提督さん
チートキャラがチュートリアルに紛れ込むのやめろwwwww
12:名無しの提督さん
演習もヤバかったぞあの人。
俺たちが陸の上の司令部テントから無線でヒーコラ指示飛ばしてるのに。
あの人、ジェットスキーに跨って海の上走り回ってたぞwww
「俺のやり方だから真似しなくていい」とか言ってたけど、レベルが違いすぎるwww
13:佐世保の白雪
で、その新井木一佐のパートナーって誰なんだ?
やっぱり大淀さんとか?
14:横須賀の睦月
いや、それが違うんだよ。
なんか、最近確認されたばっかりの浜風って子。
知ってるか?
15:名無しの提督さん
浜風!?
あの乳風さんか!
マジかよ、羨ましすぎるだろ!
16:名無しの提督さん
おいおい、よりによって最強の提督が、最強のπ/を引き当てたのかよ。
どんな豪運だよ。
17:横須賀の睦月
で、その浜風ちゃんがまた強いのなんのって。
演習だとマジで負けなし。
提督がすぐ傍で指示飛ばすから、反応速度が尋常じゃない。
18:呉の如月
どんな感じなんだ?
19:横須賀の睦月
この前、うちの睦月ちゃんと如月ちゃんチームが演習で当たったんだが。
こっちが魚雷を撃ったら、浜風ちゃんが「魚雷接近、数5!」って報告した瞬間にだよ
ジェットスキーで横を併走してた新井木一佐がこう叫んだんだ。
「爆雷投下! 両舷は近接信管で起爆、魚雷を吹き飛ばして防御! 最後の1本は、ジャンプして躱せ!」って。
20:名無しの提督さん
……は?
ジャンプ?
21:横須賀の睦月
そう、ジャンプwww
そしたら浜風ちゃん、本当に海面から飛び上がって魚雷を飛び越えやがったwww
で、新井木一佐が最後にこう付け加えたんだ。
「艦娘は伊達に人間のカタチをしちゃいない! 有用性と可能性を教えてやれ!」って。
もう、わけがわからんwww
22:名無しの提督さん
かっけえええええええええええええええ!!!!
23:佐世保の白雪
次元が違うwww
俺たちまだ、陣形の勉強してるのにwww
24:舞鶴の叢雲
もうあの人、教官でいいだろwww
25:横須賀の睦月
だよなwww
まあそんなわけで、俺たちの横須賀第一期は、とんでもないスーパーエリート様と一緒に学ぶことになったわけだ。
プレッシャー半端ないけど、色々盗めるものは盗んでやろうぜ!
26:名無しの提督さん
なんかすげぇな、第一期生。
俺も第二期、応募しようかな……。
その日、発足したばかりの『嘱託提督スレ』は、新井木厚士という規格外の存在の報告によって、早くも伝説のスレとなる様相を呈していた。
彼が何気なく行う一つ一つの行動が、良くも、悪くも、日本中の注目を集め、そして、新しい時代の熱狂を作り出していく。
その渦の中心で、彼自身はただ純粋に、新しい『ゲーム』を楽しんでいるだけであったことを知る者は、まだ誰もいなかった。
±±±±±
激しい演習が終わると、すぐに次の訓練が始まる。
『艤装の整備点検』。
それは艦娘が戦うための『武器』であり、『身体』の一部でもある艤装を自らの手で手入れするという、極めて重要な訓練だった。
鎮守府が大きくなれば工作艦『明石』や夕張が一手に引き受けてくれる。
だが、最初は提督と艦娘だけの小さな警備隊から始まるのだ。
提督と艦娘、そして、小さな妖精さんたちが力を合わせて行わなければならない。
「おお! こういうことなら任せとけ!」
「俺、前職、自動車整備工だったんだよ!」
「プラモ作りで培った、この俺の技術、見せてやるぜ!」
意外にも、この地味な訓練で水を得た魚のように生き生きとし始めたのは、今まで座学で死んだような顔をしていた、機械弄りが大好きなオタク上がりの候補生たちだった。
工廠のあちこちで、候補生たちがそれぞれのパートナー艦娘と額に汗して作業を進める。
「司令官さん! そこのスパナ、取ってほしいのです!」
「はいよ、電ちゃん! これでいいかい?」
機械弄りが好きな候補生にとっては、まさに本領発揮の場だ。目を輝かせながら、器用な手つきで、愛する艦娘の兵装をピカピカに磨き上げていく。
彼らはその器用な手先で、パートナーの艦娘や妖精さんたちと、楽しげに、コミュニケーションを取りながら、慣れない手つきで、しかし、愛情を込めて、艤装を分解し、整備していく。
それは厚士も同じだった。
彼もまた、その輪の中に混じり、自分のパートナーである浜風の12.7cm連装砲を手際よく分解し、油を差し、そして、砲身の中を丁寧に磨き上げていく。
艤装の基部を点検し、妖精さんに部品を渡しながら浜風と声を掛け合っていた。
「弾倉のリロード、もう少し軽くしておいた。次は詰まりにくいはずだ」
「了解です、司令。……あ、砲架の軸も確認をお願いします」
「あいよ、了解。妖精さん、そこの15番取ってちょうだい」
「……すごいですね、一佐は。何でもできるのですね」
「はは。まあ、これくらいはね。自分の相棒の手入れをするのは、艦長として当然の務めだ」
厚士はそう言って、にこり、と笑った。
やがて全ての整備が終わった頃。
厚士は立ち上がると、ぽん、と、浜風の肩を叩いた。
「よし、終わりだ。浜風、ご苦労さん。疲れただろ? 少しこっちへ」
「え?」
厚士はきょとんとしている、浜風を、近くのベンチに座らせると、その背後に回り、すっ、と、彼女の両肩に手を置いた。
そして、そのまま優しく、その肩を揉みほぐし始めたのだった。
「ッ!? い、い、い、一佐!? な、何を……!?」
浜風が、顔を真っ赤にして慌てる。
そのあまりにも大胆な行動に、周囲でまだ片付けをしていた、他の嘱託提督候補生たちも、ぎょっとして動きを止めた。
(な、なんだと……!?)
(パートナーの艦娘の肩を揉むだと!? そんなこと、できるか普通!)
(セクハラで一発アウトだろ!)
だが厚士は、そんな周囲の動揺など全く意に介さず、ただ真剣な顔で、浜風の肩を揉み続けていた。
「……うわ、ガチガチ。やっぱり今日の演習、相当無理させたな」
彼はどこまでも事務的な口調で呟いた。
「胸が大きいと、本当に肩、凝るんだなぁ……。浜風も毎日大変だな」
そのあまりにも自然で、そして、あまりにもデリカシーのない、しかし、どこまでも純粋な労いの言葉。
それは浜風の抗議の言葉を、完全に封じ込めてしまった。
(こ、この人は……! なんて自然に、とんでもないことを……!)
彼にとってはそれは、本当に日常の延長でしかなかった。
自分の艦隊でキリシマやタカオの肩を揉んだり、大淀の脚を解したり、マヤの髪を梳かしてやったり。
そういうスキンシップは当たり前のことだったからだ。
「……あ……ぅ……」
浜風はもう、何も言えなかった。
ただ彼の、大きな手のひらから伝わってくる温かさと、心地よい揉みほぐしの感覚に、身を委ねるしかなかった。
最初はガチガチに強張っていたその身体が、少しずつ、少しずつ、その緊張を解きそして蕩けていく。
その光景を遠巻きに見ていた他の候補生たちは、ただ、戦慄していた。
(……これが、本物の提督……!)
(俺たちとは踏み込んでる領域が違いすぎる……!)
「……よし、肩は、こんなものか」
戦慄している嘱託提督候補生たちを他所に、厚士のマッサージは肩だけで終わりはしなかった。
「次は脚だな。今日の演習で一番酷使したはずだ。ほら、投げ出して」
「えっ!? あ、あの、一佐、もう大丈夫ですから……!」
慌てて遠慮しようとする浜風。
だが厚士は、有無を言わさなかった。
彼はベンチの前にしゃがみ込むと、浜風の黒タイツに包まれたそのふくらはぎを、そっと、掴んだ。
「ひゃぅっ!?」
か細い悲鳴。
厚士はその筋肉の張り具合を確かめるように、ゆっくりと、そして、的確に、凝り固まった箇所を揉みほぐしていく。
下から上へ。
足首から膝の裏へ。
そしてその指は彼女の太ももの付け根のリンパ節まで……。
「あ……! あ、そこ、は……! んんっ……!」
浜風はもはや、羞恥心と、そして、抗いがたい心地よさで声も出せない。
ただ、ベンチの縁を、きゅっと、強く握りしめることしかできなかった。
脚のマッサージが終わると、今度は首筋。
うなじから肩甲骨にかけての凝りを、絶妙な指圧でほぐしていく。
「……ん……ふぅ……」
浜風の口から完全に、気の抜けた吐息が漏れる。
そしてとどめは、ヘッドマッサージだった。
厚士の指が彼女の頭皮を優しく、そしてリズミカルに刺激する。
その、あまりにも心地よい感覚に、浜風の意識はゆっくりと白く、靄のかかった夢の中へと誘われていく。
「……ん……ぅ……」
全ての施術が終わった頃。
そこにいたのはもはや、あのきりりとした生真面目な駆逐艦の姿ではなかった。
ベンチにぐったりともたれかかり。
その頬はほんのりと上気し、瞳は完全に蕩けきって虚空を見つめている。
口元はだらしなく半開きになり、時折ふにゃとした、締まりのない寝言のような声が漏れる。
まるで、全身の骨を抜かれてしまったかのようにふにゃふにゃになっている浜風。
そのあまりにも無防備でそしてあまりにも可愛らしい姿。
「……よし。これで明日の演習もバッチリだな」
厚士はその完璧な仕上がりに満足げに頷くと、まるで整備を終えた機械を見るかのような目で、彼女を眺めていた。
彼にとっては、これもまた『相棒のメンテナンス』の一環でしかなかったのだ。
だがその光景を遠巻きに見ていた他の候補生たちの目には、全く別の光景が映っていた。
(……お、落とした……)
(……あの鉄壁の浜風さんを、完全に陥落させやがった……!)
(……あれはマッサージではない。一種の調教だ……!)
完全にふにゃふにゃになってしまった浜風をベンチに寝かせたまま。
厚士はふと視線を、彼女の足元に置かれた艤装へと向けた。
その12.7cm連装砲の砲塔の上で、小さな妖精さんたちがちまちまと後片付けをしている。
「……ん?」
厚士は、その中の一人の妖精さんの動きが、どこかぎこちないことに気づいた。
よく見るとその小さな背中に、先ほどの演習で部品を運んだ際に痛めたのか、湿布のようなものを貼っている。
「……ねぇ、ちょいとそこな妖精さん」
厚士はその場にしゃがみ込むと、小さな妖精さんに、声をかけた。
妖精さんが、ぴく、と、驚いて振り返る。
「ちょっと、こっちへ、来てみんしゃい」
厚士は自分の手のひらをそっと差し出した。
妖精さんは、おずおずと、しかし、逆らうことなく、その巨大な手のひらへと、ちょこん、と乗った。
「……背中、痛めたのか? 無理しちゃって」
厚士はそう言うと、もう片方の手の人差し指の先端で。
ぷにぷに、と、その妖精さんの小さな背中を優しくマッサージし始めたのだ。
「…………!?」
妖精さんの小さな身体が、びくんっ! と、大きく跳ねた。
そしてそのまん丸な目からは、まるでアニメのようにキラキラとした星が飛び出す。
「「「………………!!」」」
その光景を見ていた他の妖精さんたちが、一斉に動きを止めた。
そして次の瞬間。
ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!
彼女たちはまるで、アイドルの握手会に殺到するファンのように、我先にと厚士の元へと殺到し始めたのだ。
「お、おい、こら! 一列に並べ!」
厚士の手のひらや膝の上、肩から頭まで、あっという間にマッサージ待ちの妖精さんたちの長蛇の列ができてしまった。
彼は、やれやれ、といった顔をしながらも、ひとり、ひとり、丁寧にその小さな身体を揉みほぐしていく。
指圧されるたびに恍惚の表情を浮かべ、ふにゃふにゃになっていく妖精さんたち。
そのあまりにもシュールで、そして、あまりにもメルヘンな光景。
それを見ていた他の候補生たちは、もはや戦慄を通り越して、ある種の悟りの境地に達していた。
(……だめだ)
(……もう、何も、考えるのは、やめよう)
(……あの人は、きっと、そういう、生き物なんだ)
(……人だけでなく、艦娘だけでなく、妖精さんまでも無意識に誑し込んでしまう、天然の魔性の男なんだ……)
彼らはただ遠い目で妖精さんたちのマッサージ行列と、それを淡々とこなしていく規格外の同期の姿を眺めるだけだった。
±±±±±
厚士のその神業のようなマッサージスキル。
それは決して、一朝一夕で身につけたものではなかった。
その技術を否応なく磨き上げさせた元凶がいたのだ。
その日の、夕方。
全ての教育課程を終えた厚士が横須賀鎮守府の自室へと戻ると。
その扉を開けた瞬間。
「かーんちょーーーさーーーーーんっ!!!!」
一つの赤い弾丸が、彼の腹部へと突っ込んできた。
大型犬のゴールデンレトリバーが、久しぶりに会った飼い主に飛びつくかのような凄まじい勢い。
もちろんその正体は重巡洋艦マヤだ。
「お帰りー! 遅いー! マヤ、ずっと待ってたんだよー! カーニバルまだー!?」
ぎゅうううう、と、ありったけの力で抱きついてくるマヤ。
そのパワーは並の人間なら肋骨の二、三本は覚悟しなければならないレベルだった。
彼女は毎日、カーニバルがしたい霧の重巡。
だが厚士がこの嘱託提督プログラムに参加している間は当然派手な戦闘には出撃できない。
さらに島根沖周辺の深海棲艦を撃滅してしまったら、ミサイルを撃ち込む相手も簡単には見つからなくなってしまった。
そのフラストレーションは日増しに溜まっていく一方だった。
「はいはい、ただいま、マヤ。分かった、分かったから、少し落ち着け」
厚士はやれやれといった顔で、自分にまとわりつく少女の、頭を優しく撫でた。
そして彼は日課となってしまった、その『儀式』を始めた。
「ほら、こっちへ来い」
厚士はマヤを大きなソファへとうつ伏せに寝かせると、その小さな背中に手を置いた。
そしてゆっくりと、その身体を揉みほぐし始める。
「ん~~~~……♪」
マヤの口から、猫が喉を鳴らすような、心地よさそうな声が漏れる。
厚士の的確なマッサージは、彼女の溜まりに溜まった戦闘への渇望を鎮静させ、その有り余るエネルギーを解きほぐしていく唯一の手段だった。
これこそが、厚士のマッサージスキルが異常なまでに上達した本当の理由。
いわば猛犬を手懐けるための必須スキルだったのだ。
浜風を揉み。
妖精さんたちを揉み。
そして最後に、この一番手のかかる愛犬を揉む。
「……どうだ、マヤ。少しは落ち着いたか?」
「うん……♪ もっとやってー……♪」
とろとろに蕩けきった声でマヤがねだる。
厚士は深いため息を一つ吐くと、その身体を丁寧にマッサージし続けた。
ミサイルカーニバルをしたいという彼女の欲求を抑えるためには、これしかないのだ。
(……俺は一体、何屋なんだろうな……)
提督であり、艦長であり、戦略家であり、そして、マッサージ師。
自分の多すぎる肩書に、内心ツッコミを入れながらも、彼はこのどうしようもなく手のかかる、しかし、どこまでも愛おしい『家族』たちとの、騒がしくも平穏な日常を、悪くない、と、思っている自分に気づくのだった。