アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
新井木厚士による、『浜風陥落事件』から数日。
横須賀鎮守府第一期、嘱託提督候補生たちの間には、一つの巨大な壁が立ちはだかっていた。
(……あんなこと、できるか……!)
誰もがそう思っていた。
あの、新井木一佐のように、自分から進んでパートナーの艦娘の身体に触れ、マッサージをするなど。
そんな超高等なコミュニケーション術は、自分たちのようなヘタレでチキンなオタクには、到底不可能だ、と。
だがその膠着した状況を破ったのは、意外にも艦娘たちの方からだった。
「……あの、司令官」
ある日、演習後の整備中。
一人の候補生のパートナーである睦月型の三日月が、もじもじと上目遣いに彼に話しかけた。
「浜風さんが言ってたんですけど……。司令官にマッサージしていただくと、すごく、身体が楽になるって……。…あの、もし、よかったら、私にも……?」
そのあまりにも健気で、そして、純粋なお願い。
それを断れるほど、候補生たちの心臓は、強くはなかった。
「えっ!? あ、い、いや、俺なんて、そんな、新井木一佐みたいに、うまくは……!」
「大丈夫です! 肩だけで、いいですから…」
その一件を皮切りに。
まるで堰を切ったように、他の艦娘たちからも「私も」「私も」と、マッサージをねだる声が上がり始めたのだ。
彼女たちにとっても、提督とのスキンシップは嬉しいものであり、そして何より、あの伝説の『とろとろ浜風』状態に、少しだけ興味があったのかもしれない。
「……し、仕方ないなぁ! 脚とかはセクハラになっちゃうからダメだけど、肩とか首筋くらいなら、やってやらんでもないぞ!」
候補生たちは内心のパニックを必死に隠しながら、おずおずと、そしてどこか嬉しそうに、その小さな肩に、手を伸ばし始めた。
こうして。
横須賀鎮守府第一期生の間で、『演習後の艦娘と妖精さんへのマッサージ』という、奇妙で、そして甘酸っぱい、新しい日課が誕生したのだ。
だが。
彼らはまだ知らなかった。
その日課が彼らにとって、日々の演習よりも遥かに過酷な『戦い』の始まりとなることを。
「ん……っ……」
「あ、そこ、気持ちいい、です……♪」
「もっと、強く……んふふ……♪」
少女たちの肩を揉むその指先に伝わってくる柔らかな感触。
耳元で聞こえる無防備で、そして、どこまでも艶めかしい吐息と声。
シャンプーの甘い香り。
湯上がりの火照ったうなじ。
グギギググググググググ……ッ!
候補生たちは、皆、必死だった。
込み上げてくる煩悩と、理性の狭間で。
ここで一線を越えてしまえば、待っているのは憲兵隊と、社会的な死。
だが目の前の誘惑は、あまりにも強すぎる。
「(……耐えろ……! 耐えるんだ、俺の理性……!)」
「(……これが、提督になるための最終試験なのか……!?)」
「(……一佐は、この地獄を毎日乗り越えているというのか……! なんて鋼の精神力だ……!)」
彼らはただひたすらに、歯を食いしばり、滝のような冷や汗を流しながら、少女たちの肩を揉み続ける。
その姿は、もはやマッサージというよりは、何か過酷な修行に挑む求道者のようだった。
新井木厚士が何気なく始めた一つの善意。
それが結果的に、未来の提督たちの精神力を、予期せぬ形で鍛え上げることになったのを、知る者は誰もいなかった。
±±±±±
【第一期生】俺たちの鎮守府、どうよ? Part.5【合同演習はよ】
150:呉の時雨
なあ、お前ら。
最近、うちの時雨が少しよそよそしいんだが……。
なんか、俺、やらかしたかな……。
151:佐世保の五月雨
>>150
分かる……。うちの五月雨ちゃんも、なんか、こう、一歩壁があるっていうか……。
パートナーとしては信頼してくれてるみたいなんだが、それ以上にはなかなかな……。
152:舞鶴の霞
>>151
贅沢言うな。
こっちは毎日、「このクズ! ゴミ!」って罵られてるんだぞ。
まあ、それがいいんだが。
153:名無しの提督さん
>>152
はいはい、霞スキーは黙ってようね。
154:横須賀の電
……え?
みんな、そんな感じなの?
155:呉の時雨
>>154
横須賀は違うのか?
なんかお前ら、最近書き込み少ないよな。
もしかして、地獄の特別訓練でもやらされてるのか?
156:横須賀の雷
地獄……?
まあ、ある意味地獄かもしれないな……。
理性との戦いっていう意味では。
157:佐世保の五月雨
は? なにそれ怖い。
158:横須賀の電
いや、なんていうか……。
うちは最近、演習後にパートナーの肩を揉んであげるのが日課になってて……。
159:舞鶴の霞
…………………………………………………………………………………………は?
160:呉の時雨
……肩を、揉む……?
艦娘の……?
お前正気か?
161:横須賀の雷
いや、俺たちがやり始めたわけじゃないんだよ!
なんか艦娘の方から、「やってください」ってお願いされて……。
元々は、あの新井木一佐が浜風さんにやってたのが始まりらしいんだが……。
162:名無しの提督さん
(※横須賀に浜風は一隻しかいません)
163:佐世保の五月雨
……おい、待て。
つまり、お前らは毎日、合法的に、艦娘の身体に、触れている、と……?
164:横須賀の電
まあ、そうなる、のかな……?
妖精さんたちにもやってるぞ。
165:舞鶴の霞
……
166:呉の時雨
……
167:佐世保の五月雨
……ずるい。
168:舞鶴の霞
ずるい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
169:呉の時雨
ずるすぎるだろそれ!!!!!!!!!!!!!!
なんで横須賀だけそんな天国みたいなイベントが発生してるんだよ!
こっちはまだ敬語すら外れてないのに!
170:横須賀の雷
いや、天国というか……。
さっきも言ったけど、理性との戦いが半端ないぞ……。
うちの雷ちゃん、マッサージすると「司令官、ホントにマッサージ上手ね!」って無防備に身体預けてくるし……。
その……吐息とか、匂いとか、色々、ヤバい……。
171:横須賀の電
分かる……。電も「はわわ……」とか言って、顔真っ赤にするから、こっちまでどうにかなりそうになるのです……。
172:呉の時雨
……
173:舞鶴の霞
……自慢か?
自慢なのか?
これは俺たちに対するマウントか?
174:横須賀の雷
ち、違う!
ただ毎日生きた心地がしないってだけで……!
175:佐世保の五月雨
……なあ、みんな。
俺、決めたわ。
次の合同演習で横須賀の奴らに会ったら、まず全員一発ずつ殴ろう。
176:呉の時雨
>>175
賛成。
177:舞鶴の霞
>>175
全力で殴る。
178:横須賀の電
ええええええええええええ!?
なんでそうなるの!?
その日。
何も悪くない横須賀第一期生たちは、他の鎮守府の同期たちから一方的に、深い、深い、嫉妬と憎悪の念を向けられることになった。
彼らの絆が深まれば深まるほど、他の鎮守府との、心の距離はどんどん離れていく。
その全ての元凶が、一人の規格外の提督の、何気ない行動から始まっていることを知る者は、まだ誰もいなかった。
そして、来るべき第一期生合同大演習が波乱の幕開けとなることは、もはや確定したも同然だった。
±±±±±
嘱託提督の教育実習が始まって2週間。
厚士は一つの小さな、しかし、切実な問題に直面していた。
「……毎回演習のたびにジェットスキーをドックから引っ張り出してくるの、正直面倒くさいな……」
彼の特殊な戦闘指揮スタイル──艦娘と共に海の上を走り、直接指示を出す。
そのために必要不可欠なジェットスキー。
だが、その準備と後片付けが地味に手間だったのだ。
もっとこう、手軽に海の上に出られないものか。
そのあまりにも個人的で、そしてズボラな発想が、またしてもこの世界の軍事技術に、トンデモない革命をもたらすことになる。
「……そうだ」
厚士の、フロム脳が閃いた。
「俺も艤装つければいいんじゃね?」
その突拍子もないアイデア。
彼はすぐさま行動に移した。
パートナーである浜風の背中に装着されている、あの箱型の艤装。
その設計データを元に、ナノマテリアルで全く同じ形状のレプリカを作成。
そしてそのがらんどうの内部に──霧の艦艇の超技術をこれでもかとブチ込んだ。
重力子エンジン、超小型版。
クラインフィールド発生装置、極小モデル。
そして、水上滑走用の推進システム。
数日後。
横須賀の演習海域に現れたのは、目を疑うような光景だった。
「……い、一佐……!? そ、その、お姿は……!?」
浜風が信じられないといった顔で目を見開く。
彼女と全く同じ艤装を、背負った厚士がそこにいた。
「ああ、浜風。ちょっと試作品ができてな。今日からこれで行く」
そう言うと、厚士は何の躊躇もなく、埠頭から海へと飛び込んだ。
普通なら重さで沈むはず。
だが彼の足元が水面に着いた瞬間。
チャポンッ!
と、軽い音を立てて、彼の足元の水面が輝き、そして彼は、海の上に立った。
「おお! いける、いけるぞ!」
彼が、造り上げた、『提督専用・水上滑走艤装』。
その性能は驚くべきものだった。
水上滑走能力:
艤装を装着している限り、人間でも絶対に沈むことはない。たとえ海の上でスッ転んでも、ライフジャケットのように浮き上がる。
防御能力:
極小のクラインフィールド発生装置により、駆逐艦艦娘と同程度の防御力を常時保証する。
機銃掃射や、小口径砲の直撃にも耐えうる。
機動力:
速力は、平均的な駆逐艦艦娘とほぼ同等。申し分ない。
厚士はまるで、新しいオモチャを手に入れた子供のように海の上をスイスイと滑り始めた。
「よし、浜風! 演習開始だ! 今日は俺が前に出る! ついてこい!」
「は、はいっ!」
その日から。
横須賀鎮守府の演習海域では、奇妙な光景が日常となった。
一人の人間の男が艦娘と全く同じように海の上を滑り、指示を出し、共に戦い、そして時には自らが、クラインフィールドを展開してパートナーの盾となる。
それはもはや、提督と艦娘という関係性を超えていた。
共に戦場を駆ける、一心同体の戦友。
そのあまりにも新しい、そして、あまりにも理想的な指揮官の姿。
それを目の当たりにした他の候補生たちと艦娘たちは、憧憬と、そして、畏敬の念をさらに強くするのだった。
面倒くさがりが生んだ、一つの発明。
それが結果的に、提督と艦娘の絆のあり方そのものをまた一つ、新しいステージへと進化させてしまったことを、まだ厚士自身は気づいていなかった。
±±±±±
厚士が開発した『提督専用・水上滑走艤装』。
そのあまりにも画期的な発明は、当然他の嘱託提督候補生たちの羨望の的となった。
「い、一佐! ずるいです! 俺たちにもそれを使わせてくださいよ!」
「そうだそうだ! 俺も睦月ちゃんと一緒に海の上を走りたいでーす!」
そのあまりにも切実な願い。
そして何よりもその艤装が提督と艦娘との連携能力を飛躍的に向上させる、極めて有効な装備であることは、誰の目にも明らかだった。
厚士はその声に、ニヤリと笑うと、あっさりと言った。
「ああ、いいぜ。そのうち量産してやるよ」
そして、数日後。
横須賀の工廠の片隅で厚士と妖精さんたちが、こっそりと、夜なべ作業を行った。
ナノマテリアルを使い厚士の設計図を元に、彼らはその『約束』を果たしたのだ。
横須賀鎮守府、第一期、嘱託提督候補生全員分の、提督専用艤装。
それもただの量産品ではない。
それぞれのパートナーである艦娘の、艤装に合わせた特別仕様。
吹雪型、綾波型、白露型、朝潮型、睦月型、陽炎型、夕雲型……。
それぞれのパートナーとお揃いのデザインの艤装が、ずらりと並んだその光景は圧巻だった。
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」」
自分の名前が書かれた、真新しい艤装を前に、候補生たちは歓喜の雄叫びを上げた。
まるでクリスマスに、最高のプレゼントをもらった子供のように。
そんな彼らの熱狂の中で。
厚士はまるで悪戯を企むガキ大将のように、不敵な笑みを浮かべて言った。
「──いいか、お前ら」
その一言に、全員が静まり返る。
「再来週、各鎮守府の第一期生が全員集まる、合同大演習がある。その時までこの艤装のことは、絶対に、他言無用。極秘だ」
ゴクリ、と、誰かが喉を鳴らす。
そして厚士は、最高の笑顔で締めくくった。
「──その日、俺たち横須賀第一期生全員でこれを着けて、パートナーの艦娘と一緒に、他の鎮守府のヘタレどもと教官たちの度肝を抜いてやろうぜ?」
そのあまりにも痛快で、そしてあまりにも悪戯心に満ちた提案。
それを聞いた瞬間。
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」」
候補生たちのボルテージは最高潮に達した。
そうだ。
俺たちはただの候補生じゃない。
あの新井木厚士と共に学ぶ、横須賀の精鋭なんだ。
他の鎮守府の連中に、俺たちの、そして、俺たちのパートナーのすごさを見せつけてやる。
それは厚士が、意図せずして生み出した強烈な連帯感と、エリート意識。
そして、他の鎮守府に対する宣戦布告とも言える挑戦状だった。
もはや彼らの中に、ただのオタクの面影はない。
そこにあったのは、一人のカリスマ的なリーダーに率いられた、精強な戦闘集団の顔つきだった。
来るべき合同大演習。
その波乱の幕開けは、もはや誰にも止められなかった。