アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く   作:おかーちゃんサーナイト

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提督たちの初滑り

 

 翌日の横須賀鎮守府埠頭。

 

 そこには、今までにない異様な光景が広がっていた。

 

 お揃いの真新しい艤装を背負った、横須賀第一期嘱託提督候補生たちが、緊張した面持ちで、埠頭の縁にずらりと並んでいる。

 

「いいか、お前ら。ビビるなよ」

 

 彼らの前でただ一人、腕を組んで仁王立ちする厚士が檄を飛ばす。

 

「コツは、スキーとか、アイススケート、ローラーブレードと同じだ。足元を信じて、体重移動するだけ。難しく考えるな。そんなもんだ」

 

 そのあまりにもざっくりとしたアドバイス。

 

 だが、その言葉に勇気づけられ、候補生たちは意を決して次々と、海へと足を踏み出していく。

 

「うおおおおお、行くぜぇぇぇ!」

 

 ──ザッパァァァァァンッ!!!!

 

「……あれ?」

 

 ザッパァァァァァンッ!!!!

 ザッパァァァァァンッ!!!!

 ザッパァァァァァンッ!!!!

 

 そこかしこで水柱が上がる。

 

 厚士が言っていた『スキーやスケート』という、固い地面の感覚とは全く違う。

 

 実際には常に、ふよふよと揺れ動く、不安定な水の上に立つという未知の感覚。

 

 ほとんどの候補生は、そのバランスを取ることができず、無様にスッ転んではビショビショのずぶ濡れになっていた。

 

「つ、冷てぇ!」

 

「だ、ダメだ、立てねぇ!」

 

「うわっ、鼻に、水が……!」

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 

 パートナーの艦娘たちが「だ、大丈夫ですか、司令官!」「しっかりしてください!」と、慌てて手を差し伸べている。

 

 その光景は、もはや軍事訓練というよりは、幼稚園のプール開きのようだった。

 

 だがそんなカオスな中で一人だけ、いとも容易く、その新しい感覚を掴んでいる男がいた。

 

 前職が左官から転身したという、異色の経歴を持つ候補生だ。

 

「……なるほどな」

 

 彼はふらつきながらも、すぐに海の上にすっくと立った。

 

「こいつぁ、アレだ。まだ固まってねぇコンクリの上に、『コンクリート下駄』で立つ時の感覚に似てやがんな」

 

 そのあまりにもニッチで、誰にも共感されない例え。

 

 だが彼は、その長年の職人としての経験で、この艤装の極意を誰よりも早く掴んでいた。

 

 そして。

 

 その全ての混乱を高みの見物と洒落込んでいた張本人。

 

 厚士は、やれやれ、といった顔で一つため息をつくと言った。

 

「……ダメだなぁ、お前ら。俺が手本を見せてやる」

 

 彼はそう言うと、埠頭の端から助走をつけてそのままダッシュで、艤装を鳴らしながら海へと飛び込んだ。

 

 タタタタタッ、ターン!

 

 ズシャァァァ!!!!

 

 彼の足が水面に着いた瞬間、一切の減速も、ふらつきもなく、彼はそのまま水の上を滑らかに滑走し始めたのだ。

 

 それどころか、彼はまるでアイススケート選手のように、くるり、と身体を反転させ、後ろ向きで滑りながら、まだ水中でもがいている候補生たちに手を振って見せた。

 

「ほら、簡単でしょ?」

 

 それを見ていた全ての候補生たちは、笑う気力すら失っていた。

 

(……ああ、そうか)

 

(……俺たちが、間違っていたんだ)

 

(……あの人を、俺たちと同じ『人間』だと思うから混乱するんだ)

 

(……あの人はきっと、水の上を歩ける、そういう種類の聖人か何かなんだ……)

 

 海の上でバシャバシャと犬かきのようにもがく候補生たち。

 

 厚士は、やれやれ、といった顔で一つため息を吐くと、

彼はまるで水上を散歩でもするかのように、彼らの中心へと滑るように移動すると、パンパン、と、手を叩いた。

 

「はい、注目ー! お前ら、根本的に勘違いしてるぞ!」

 

 その声に、溺れかけていた候補生たちが必死に顔を上げる。

 

「いいか、よく聞け。この艤装はな、反重力システムで浮力を得ている。つまり、『浮く』と考えれば勝手に浮くように作られているんだ!」

 

「……はぁ……?」

 

 誰かの気の抜けた声が漏れる。

 

「お前らが沈むのは、心のどこかで『海に入れば沈むのが当たり前だ』って思ってるからだ! その固定観念が、艤装の出力を下げてるんだよ! だからまず、『沈む』という考えを捨てろ! ここは海じゃない! 氷の上だと思え! そうでなきゃいつまで経っても浮力を充分に得られなくて沈むだけだぞ!」

 

 そのあまりにも精神論的な、しかし、どこかSF的な説明に、候補生たちはただ、ぽかんとするばかりだった。

 

 厚士は構わず続ける。

 

「そして滑り方だ! あれこれ身体を動かそうとするからバランスを崩すんだ! この艤装は思考制御にも対応してる。つまり、お前らの頭の中にちゃんとした『滑る』イメージを描けば、あとは勝手に、その通りに、滑るように、出来てるんだよ!」

 

 彼はそこで、にやり、と、悪戯っぽく笑った。

 

 そして彼らの、心の一番奥深くにある一点を、正確に突き刺す言葉を放った。

 

「──お前らも『ヲタク』だろー?」

 

「「「「「───ッ!?」」」」」

 

 候補生たちの顔色が変わる。

 

「だったら得意なはずだろー? そういう『妄想』は! 自分がガンダムのパイロットになったつもりで滑空する、いや、俺がガンダムだ! エヴァとかファフナーみたいにシンクロしろ! 艤装を感じて一体化するんだ! エステバリスのIFSだ! とにかくカッコいいイメージを頭の中で完璧に作り上げろ! そうすれば身体は勝手についてくる!」

 

 そのあまりにもオタクにしか理解できない、しかし、彼らにとっては何よりも分かりやすい指導。

 

 それを聞いた瞬間。

 

 候補生たちの、目の色が変わった。

 

(……そうだ)

 

(……イメージ……妄想……)

 

(……それなら、俺たちの独壇場じゃないか!)

 

 今まで体育会系のノリについていけず、隅っこで生きてきた彼らの唯一の武器。

 

 それが『妄想力』。

 

「……見える……! 見えるぞ俺が海の上を疾走する姿が……!このまま秩父山中に行ってやる!」

 

 一人の候補生が、ぶつぶつと、呟き始める。

 

「……違う! 俺は、飛ぶんだ! この背中には遥か未来を目指すための翼があるんだ!! ハァァァァ!!!! フィールド全開ッ!!」

 

 また別の候補生が中二病全開のセリフを叫ぶ。

 

「そうか……。俺は、お前だ。お前は……、俺だ!」

 

 そしてその次の瞬間。

 

 奇跡が起きた。

 

 今まであれほどもがいていたのが嘘のように、一人、また一人と、候補生たちがすっと、海の上に立ち始めたのだ。

 

 まだおぼつかない。

 

 だが、彼らは確かに、自分の足で立っていた。

 

「……お、おお……! 立てた……!」

 

「俺は、立てるんだ……!」

 

「し、司令官が立ったにゃ…」

 

「凄いです! 司令官が立ったあ!」

 

 その光景にパートナーの艦娘たちも目を丸くする。

 

 厚士は、その様子を満足げに見届けると、静かに頷いた。

 

「よし。やれば出来るじゃないか」

 

 彼は知っていたのだ。

 

 彼らのような人間には一般的な体育会系の指導法よりも、

彼らが最も得意とする『妄想』というフィールドに引きずり込んでやった方が、よっぽど早く成長するということを。

 

 それは、彼自身がそうであったから。

 

 ならば最初からそうすれば良いのだろうが、その前に一度自分の身体で体当たりさせてやらないと感覚として掴めないだろうと思っての事だった。

 

 こうして横須賀鎮守府の演習海域はさながら、ヲタクたちの妄想力が爆発する異様な、しかし、活気に満ちた新しい訓練のステージへと変貌を遂げていくのだった。

 

 

±±±±±

 

 

「おおおお! 動いた! 俺の、イメージ通りに、動いてるぞ!」

 

「見てよ長月! 俺、ターンが出来たぞ!」

 

 横須賀の演習海域はもはやカオスだった。

 

 妄想力を解放したオタク提督候補生たちは、水を得た魚のように生き生きと、海の上を滑り回っている。

 

 ある者は戦闘機のように鋭いターンを決めようとして派手にスッ転び。

 

 またある者は、ロボットアニメの必殺技のように意味もなくポーズを決めながら直進している。

 

 その光景は微笑ましくもあり、そして、少しだけ不安になるものでもあった。

 

 その熱狂を少し離れた場所から、厚士は腕を組み、静かに見守っていた。

 

 彼の隣には、パートナーの浜風が心配そうな顔で付き添っている。

 

「……一佐。皆様、ずいぶん、上達されましたね。ですが……少し、はしゃぎ過ぎでは……?」

 

「まあ、いいさ。今はな」

 

 厚士は穏やかに答えた。

 

 そして彼は浜風にも、そして、誰にも語らなかった一つの『秘密』を、心の中に仕舞い込んでいた。

 

 この『提督用艤装』。

 

 それはただ、水の上を滑るだけの移動装置ではない。

 

 その気になれば、艦娘の主砲や魚雷発射管をそのまま接続し、自らが武器を持って戦うことすら可能なように設計されていた。

 

 霧の技術を応用すれば、人間の筋力でも駆逐艦の小口径砲の反動程度を吸収することは可能だったからだ。

 

 だが厚士は、その事実をあえて、彼らに告げなかった。

 

 なぜか。

 

 答えはシンプルだ。

 

 武器を持てば、人は戦ってしまうから。

 

 『戦える』と思ってしまえば、前に出てしまうから。

 

(……こいつらは兵士じゃない)

 

 厚士は、海の上で無邪気にはしゃぐ候補生たちを見つめながら思う。

 

(こいつらは『指揮官』なんだ)

 

 厚士が、彼らに育ててほしいのは、深海棲艦を一匹でも多く倒すための戦闘能力ではない。

 

 彼らが身につけるべきは、艦娘と共に大海原を駆け、冷静に戦況を判断し、的確な指示を出し、そして何よりも、いざという時には自らが前に出て、クラインフィールドの盾となり、愛する艦娘を護り抜く、その覚悟。

 

 それだけだ。

 

 提督が自ら武器を持って最前線で戦い始めたら、それはもはや指揮官ではない。

 

 ただの一兵卒だ。

 

 そして、指揮官を失った艦隊は必ず敗北する。

 

 厚士は自らも、その機能を知っていながら、決して演習で武器を持ち出すことはなかった。

 

 彼が持つ唯一の武器は、自らの『声』と『思考』。

 

 そして、愛する艦娘を護るための『盾』となる覚悟。

 

 それだけで十分だった。

 

(……お前たちの本当の武器は、その背中の鉄の塊じゃない)

 

 厚士は心の中で、未来の提督たちに語りかける。

 

(お前たちの本当の武器は、隣にいるパートナーへの『信頼』と『愛情』だ。…それを忘れてくれるなよ)

 

 その静かな、しかし、何よりも重要な教え。

 

 それが彼らに本当に伝わるのは、これから彼らが経験していくであろう数多の厳しい戦いを経てからのこと。

 

 今はまだ、ただ海の上を滑る楽しさだけを知っていれば、それで良かった。

 

 

 

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