アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
ソロモン諸島、鉄底海峡。
その海は、燃えていた。
黒煙が空を覆い、絶え間ない砲声と爆音が海原を揺るがす。数多の艦娘たちが、異形の深海棲艦と死闘を繰り広げていた。
そして、その地獄のような戦場の、わずか数キロ先の深海に、一隻の鋼鉄の鯨が息を潜めていた。
万能潜水攻撃艦へと生まれ変わった、大戦艦キリシマである。
「……壮観だな。これが、貴様の言っていた『戦争』か」
CICのメインスクリーンに映し出される、潜望鏡からの映像を見ながら、キリシマが静かに呟いた。霧の超絶技術によって強化された潜望鏡は、遥か遠くの戦闘の様子を、まるで目の前で起きているかのように鮮明に捉えている。
熾烈な戦闘の余波で海中が激しく揺れているというのに、両陣営は、あまりにも近すぎる距離に潜む観測者の存在に、全く気づく気配がなかった。
「(ステルスシェードを展開してるとはいえ、潜望鏡まで出してるのに、全く気づかれないとは……)」
厚士は、艦娘たちの索敵能力の甘さに、内心で呆れと心配を覚えていた。こんなザルな警戒態勢で、よく今まで戦い抜いてこられたものだ。
「(いや、待てよ……)」
そこで、厚士はふと思い出す。10年以上も前にプレイしていた、遠い記憶。
『艦隊これくしょん』のサービス初期。あの頃の対潜装備は、いったいどうだったか。
「(そうか……この頃は、九三式水中聴音機があれば良い方で、三式ソナーなんて贅沢品だったか……?)」
10年以上前のことだ。一つ一つの装備の実装時期まで、正確に覚えているわけではない。だが、間違いなく言えるのは、現代の対潜哨戒網とは比較にならないほど、旧式で貧弱な装備しか彼女たちには与えられていないということだ。
霧の超技術による潜航能力とステルス性能を持つキリシマを、彼女たちが見つけられるはずもなかった。
「フン。どちらの陣営も、ずいぶんと目が節穴らしいな。これでは、私が本気を出せば、双方まとめて海の藻屑にしてやれるぞ」
キリシマが、獲物を見つけた肉食獣のように、楽しげに喉を鳴らす。
「まだだ。今は動くな」
厚士はそんなキリシマを制し、じっと戦況を見つめ続ける。
助けると言っても、タイミングが重要だ。下手に割り込めば、双方から敵と見なされ、集中砲火を浴びかねない。
最も効果的に、最も劇的に「恩を売る」ためには、最高の舞台設定が必要だった。
「もう少し、様子を見る。艦娘側が崩れかかり、絶体絶命の危機に陥る……その瞬間を狙うんだ」
厚士は、非情なまでの冷静さでそう告げた。
まるで舞台監督のように、最高の見せ場を待つ。
潜望鏡のレンズの向こうで、一人の駆逐艦の少女が被弾し、海面に倒れ込むのが見えた。
その光景に、厚士は静かに目を細めた。
潜望鏡から送られてくる映像を注意深く観察していた厚士は、艦娘たちが苦戦している原因を特定した。
水平線の向こう、島と思しき陸地に陣取る、巨大な異形の存在。滑走路のような構造物を持ち、そこから絶え間なく深海棲艦載機を吐き出し続けている。
「……飛行場姫、か」
厚士の口から、忌々しげな名前が漏れる。
彼の記憶が正しければ、ここは『艦これ』のイベント海域、E-4「アイアンボトムサウンド」。そして、あの陸上基地型の深海棲艦こそが、多くのプレイヤーを絶望の淵に叩き込んだ「飛行場姫」だ。
(あそこは確か、羅針盤でボスルートを固定できず、おまけにゲージ回復まであった鬼畜海域だったな……)
疲れて寝てしまえば、翌日には削ったゲージが全快していることもザラだったという、悪名高いステージ。自分はサービス開始から少し後の「AL/MI作戦」からの参加だったため、その鬼畜さは動画サイトでしか知らない。だが、いずれにせよ、それが現実の海戦となっているのならば、艦娘たちが疲弊しきっているのは火を見るより明らかだった。
このままでは消耗戦の末、艦娘側が壊滅する。
厚士は静かに決断を下した。
「キリシマ、レーダー波への干渉はあるか?」
「いや、特に問題ない。こちらの量子レーダーは、奴らの電波レーダーとは干渉しないからな。全て丸見えだ」
キリシマからの力強い返答を聞き、厚士は頷いた。観測は十分だ。これ以上、絶好の機会を待っていては手遅れになる。
「よし、決めた」
厚士の声のトーンが変わる。先ほどの冷静な観測者から、大胆不敵な指揮官へと。
「潜望鏡、回収! メインタンク、ブロー! 急速浮上!」
「ほう、いよいよお出ましか!」
キリシマが嬉しそうに応じる。
「浮上と同時にVLS全門解放! 長距離ミサイルで飛行場姫以外の深海棲艦を牽制! そのままアフターバーナー全開で、敵陣のど真ん中、飛行場姫に吶喊する!」
その作戦は、あまりにも無謀。敵の大部隊が守る本丸に、たった一隻で真正面から突っ込むというのだ。
だが、厚士の表情に迷いはなかった。
「このままじゃ埒が明かない。ならば、こちらから動いて、思うように埒を開けてやるまでだ!」
厚士の宣言に、キリシマは最高の笑みで応えた。
「了解した、キャプテン! 派手にいこうじゃないか!」
次の瞬間、キリシマの艦内に警報が鳴り響き、バラストタンク内の海水が圧縮空気によって凄まじい勢いで排出される。
海中で息を潜めていた鋼鉄の鯨は、今、戦場のど真ん中にその姿を現すべく、水面へと向けて急浮上を開始した。
鉄底海峡の均衡を破る、第三の勢力の介入が始まろうとしていた。
±±±±±
鉄底海峡の戦況は、絶望の色に染まっていた。
飛行場姫から絶え間なく放たれる艦載機が空を覆い、陸上基地としての圧倒的な耐久力と火力は、艦娘たちの決死の攻撃をことごとく跳ね返す。じりじりと戦線を削られ、誰もが疲労と焦燥に心を蝕まれていた、その時だった。
「──なっ!?」
前線で砲撃を続けていた重巡洋艦の少女が、最初に気づいた。
敵艦隊と自分たちの陣形、そのちょうど中間地点の海面が、何の前触れもなく、巨大な鯨が浮上するかのように不自然に盛り上がったのだ。
次の瞬間、轟音と共に海が割れた。
水面が爆発したかのような巨大な水柱が天を突き、その中心から、巨大な鋼鉄の船体が姿を現す。
「金剛型戦艦……!? この海域に、私たちの姉妹はいないはず!」
主砲を構えていた軽巡洋艦の少女が、驚愕に声を震わせる。
シルエットは、誰もが見知った高速戦艦「金剛」のそれ。だが、その様相はあまりにも異質だった。
深緑と緑に近いで塗装された艦体には、まるで電子回路のように、鮮やかな若葉色の幾何学模様が明滅している。それは深海棲艦が放つ禍々しい赤や黄色、紫の光とは明らかに違う、生命感と超技術の匂いを放つ、未知の光だった。
艦娘たちの間に、緊張と混乱が走る。
敵か、味方か。
その答えが出る前に、謎の戦艦は行動で示した。
「な……!?」
浮上を完了するや否や、その戦艦の甲板がスライドし、無数のハッチが開く。次の瞬間、白煙の尾を引いたおびただしい数のミサイルが空へと撃ち出されたのだ。
艦娘たちの誰もが見たことのない、未知の兵器。その弾幕は空を覆い尽くし、彼女たちの頭上を越えていく。
「こっちじゃない……!?」
「深海棲艦の艦隊に……!」
ミサイルの雨は、飛行場姫を守るように展開していた護衛の重巡リ級や駆逐ロ級の艦隊に正確に降り注ぎ、凄まじい爆発と水柱を幾重にも立ち上らせた。一瞬にして、深海棲艦の護衛艦隊が混乱に陥る。
「敵を……攻撃してる……?」
呆然とする艦娘たちを置き去りに、謎の戦艦は更なる常識外れの行動に出る。
艦尾から、あり得ないほどの巨大な水しぶきを上げると、まるで水上を滑るかのように急加速。その巨体からは考えられないほどの機動力で、一直線に、敵の本丸である飛行場姫へと吶喊していく。
通信回線が、悲鳴のような報告で溢れかえった。
『司令部! 所属不明艦が出現! 繰り返す、所属不明艦が出現!』
『識別信号、なし! 深海棲艦のものとも一致しません!』
『形状は金剛型! しかし、艦体に謎の発光パターンを確認!』
『現在、所属不明艦は、深海棲艦の護衛艦隊を一方的に蹂躙しつつ、飛行場姫へと単艦突撃中!』
誰一人、目の前で起きていることを理解できなかった。
あれは、敵なのか。
それとも、この地獄のような戦況を覆すために現れた、神の使いか。
若葉色の光を纏い、海を駆ける巨大な戦艦の姿は、疲弊しきった艦娘たちの目に、畏怖と、そして一筋のあり得ない希望を焼き付けた。
±±±±±
キリシマはもはや、ただの鋼鉄の塊ではなかった。
艦首に極限まで圧縮された若葉色のクラインフィールドは、光り輝く巨大な衝角と化していた。その衝角は、進路上に立ち塞がる深海棲艦を、まるで紙細工のように容赦なく轢き潰し、切り裂いていく。
凄まじい轟音と断末魔。それをBGMに、艦橋に立つ厚士は冷静に次の指示を出す。
「キリシマ、向こうの通信回線に繋いでくれ」
「造作もない」
猛烈な速度で操艦しながら、キリシマはその程度の処理を片手間でこなしてみせる。彼女の演算能力は、今まさに艦娘たちが使っている無線通信の周波数を特定し、完璧な割り込み(ハッキング)を成功させた。
その頃、突如として現れた謎の戦艦に呆然としていた金剛たちの耳に、ノイズと共にクリアな音声が飛び込んできた。それは、今まで聞いたことのない、落ち着いた男の声だった。
『こちら、東洋方面第一巡航艦隊所属、大戦艦キリシマ艦長、新井木厚士一佐。これより貴艦隊を援護する』
「艦長……!? あの船、人が乗ってるデスか!?」
「大戦艦……? そんな艦種、聞いたことない……!」
「でも……確かに深海棲艦を薙ぎ払ってる……!」
「“一佐”って……じゃあ海軍将校なの……!?」
金剛が驚愕の声を上げる。深海棲艦でもない。所属不明だが、人類側の艦だというのか。
男の声は、有無を言わせぬ力強さで続けた。
『こちらが敵を引きつけている間に、艦隊の陣形を立て直せ。繰り返す、陣形を立て直せ!』
その声が途切れると同時に、通信は一方的に切断された。
金剛は、ハッと我に返る。
そうだ、今は驚いている場合ではない。あの謎の戦艦が、命を賭して活路を切り開いてくれている。
「All ships! 態勢を立て直すネー! 弾着観測、徹甲弾、次発装填急げ! あのキャプテンに、紅茶も淹れられないような戦いは見せられないんダヨ!」
金剛の檄が飛ぶ。
混乱から立ち直った艦娘たちは、自分たちの目の前で、たった一隻で飛行場姫へと突撃していく黒い戦艦の雄姿に、一縷の望みを託した。
「全砲門、
キリシマの歓喜に満ちた咆哮と共に、主砲、副砲、全ての砲門からビームと実体弾が同時に放たれる。飛行場姫の巨体が、凄まじい爆炎と衝撃に何度も揺れた。
今までびくともしなかったその装甲に、初めて明確なダメージが刻まれていく。
敵の攻撃が、完全に謎の戦艦──キリシマへと集中した。
その隙に、我に返った艦娘たちは、弾かれたように動き出す。
「か、各艦! 被弾した艦を後退させて!」
「陣形を再編! 立て直すわよ!」
「あの戦艦を援護! 主砲、撃ち方始め!」
謎の男「新井木一佐」の言葉と、キリシマの圧倒的な戦闘力が、崩壊寸前だった艦娘たちの士気を、一気に引き戻した。
誰なのか、何者なのか、今はわからない。
だが、確かなことは一つだけ。
あれは、味方だ。
艦娘たちは、突如として現れた規格外の援軍と共に、地獄の飛行場姫に対する反撃の狼煙を上げた。
±±±±±
キリシマの全火力を受けてもなお、飛行場姫は健在だった。陸上基地型の深海棲艦が持つ圧倒的な耐久力は、生半可な攻撃ではびくともしない。艦娘たちが陸上型に有効な「三式弾」を装備している艦が少ないことも、このジリ貧の状況に拍車をかけていた。
「埒が明かない……!」
CICの艦長席で、厚士は歯噛みした。このままでは、キリシマのエネルギーが先に尽きる。ならば、残された最大火力で、一撃の下に沈めるしかない。
「俺に掴まってろ、キリシマ! これから、とびっきりアクロバティックな指示を出すからな!」
厚士は叫ぶと、艦長席から飛び降りてコンソールを操作するキリシマの肩を強く掴んだ。メンタルモデルである彼女の体は、ナノマテリアルで構成されているとはいえ、確かな実体を持っている。
「なんだアツシ、いよいよおかしくなったか!?」
「正常だ! やるぞ!」
厚士は、常人の理解を遥かに超えた、狂気の戦術を叫び始めた。
「超重力砲、発射シーケンス移行! スラスター偏向マイナス50! 艦体を海から空へ飛ばせ、キリシマ!」
「なんだと!?」
「いいからやれ! 両舷装甲を展開、空力カウルを形成! 揚力を稼ぐ! 重力アンカー射出! 飛行場姫に引っ掛けて、艦を倒立させろ!」
「無茶苦茶だ!」
「今更だろ! 重力ブレーキ作動! クラインフィールド最大展開! 準備でき次第、超重力砲、発射ァッ!!」
もはやそれは、艦の運用法ではなかった。巨大ロボットアニメの必殺技シークエンスだ。
だが、キリシマは一瞬の逡巡の後、最高の笑みで応えた。
「ハッ、面白い! やってやるさ!」
次の瞬間、キリシマの艦体中央部が禍々しい光を放ち始め、空間そのものが歪むようなエネルギーの収束が始まる。
同時に、艦尾のポンプジェット推進器が最大出力で海水を下方へ噴射。排水量数万トンの巨体が、水面から爆発的な勢いで空へと跳躍した。
「装甲、変形!」
空中に躍り出たキリシマの船体側面装甲が、機械的な駆動音を立ててスライド、変形。巨大な翼のような「空力カウル」を形成し、わずかながらも空気を掴む。
そして、艦首から射出されたワイヤー付きのアンカーが、飛行場姫の構造物にガキン!と突き刺さった。
「アンカーを支点に、倒立!」
アンカーのワイヤーが巻き上げられ、空中に躍り出たキリシマの巨体が、まるで体操選手のように、艦首を下に、艦尾を天に向ける「倒立」状態になる。
そのあり得ない光景に、地上で戦っていた艦娘たちは、もはや思考を停止させていた。
「重力ブレーキ、クラインフィールド、最大! 超重力砲、てぇぇぇぇぇっ!!」
厚士の絶叫が轟く。
倒立したキリシマの艦体中央、今や真下を向いたその部位から、全てを飲み込む漆黒の球体が放たれた。
真上から、回避不能のゼロ距離で叩き込まれた超重力砲。飛行場姫の巨体が、バキバキと音を立てて空間ごと圧し潰されていく。
「重力ブレーキ、解除! 急速離脱!」
厚士の最後の指示。超重力砲の凄まじい反動を抑え込んでいた重力ブレーキが解除されると、そのエネルギーは行き場を失い、キリシマの船体を空へと撃ち出す巨大な推進力に変わった。
アンカーを切り離し、キリシマはまるでロケットのように、蒼穹へと舞い上がっていく。
眼下では、超重力によって圧壊し、大爆発を起こす飛行場姫の最後の姿があった。
空高く打ち上げられたキリシマは、空中で巧みにスラスターを噴かして姿勢を制御。展開した空力カウルで風を掴み、クラインフィールドで浮力を調整することで、その巨体を悠々と空中に静止させた。
若葉色の紋様を輝かせ、青空を背景に浮かぶ、一隻の戦艦。
その非現実的な光景を、鉄底海峡にいた全ての艦娘と深海棲艦が、ただ呆然と見上げていた。