アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く   作:おかーちゃんサーナイト

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二人三脚のワルツ

 

 数日後。

 

 横須賀の演習海域の光景は、また少しだけその様相を変えていた。

 

 厚士のように単独で自由自在に海の上を滑り回ることは、まだまだ難しい。

 

 だが、候補生たちは自分たちなりの、そしてある意味で厚士の理想を超える新しい『滑り方』を見つけ出していた。

 

 それは、パートナーである艦娘との二人一組での滑走だった。

 

「わ、わ、わ! 司令官、そっち、早いって!」

 

「ご、ごめん! 皐月ちゃん、しっかり掴まってて!」

 

 お互いの手をぎゅっと繋ぎ、まるでペアスケーターのように息を合わせながら滑っていく皐月とそのパートナーの嘱託提督候補生。

 

 まだおぼつかない。

 

 時折バランスを崩しそうになる。

 

 だが、その度にお互いが支え合い、そして笑い合う。

 

「…右! 次、右に曲がるぞ白雪!」

 

「はいっ! 身体、寄せますね!」

 

 より上達したペアは、もはや手を繋ぐだけではない。

 

 お互いの身体をぴたりと密着させ、腰に手を回し、体重移動だけで意思疎通を図りながら、滑らかなターンを決めていく。

 

 それは、もはや、訓練というよりは海の上で繰り広げられる優雅なワルツのようだった。

 

 その光景を少し離れた場所から浜風と共に滑っていた厚士は、満足げに見つめていた。

 

(……なるほどな)

 

 彼は少しだけ自分の浅慮を恥じた。

 

 自分はあくまで、『個人』としての技量を高めることばかりを考えていた。

 

 だが、彼らは違った。

 

 自分一人の力では足りない。

 

 ならば、二人で補い合えばいい。

 

 その、あまりにもシンプルで、そして何よりも正しい答えに、彼ら自身がたどり着いたのだ。

 

 厚士は思い出す。

 

 『艦隊これくしょん』というゲームの始まりを。

 

 提督はいつだってそうだ。

 

 最初はたった一人の初期艦と二人きり。

 

 資材も、仲間も、何もない、小さな鎮守府から全てが始まる。

 

 二人で力を合わせ支え合い、そして少しずつその絆を、艦隊を大きくしていく。

 

 まさに二人三脚。

 

 今、目の前で繰り広げられているこの光景。

 

 それはまさしく、そのゲームの原点を体現していた。

 

 彼らは無意識のうちに、提督と艦娘の最も理想的な関係性の第一歩を踏み出し始めているのだ。

 

「……上出来、だな」

 

 厚士の口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。

 

 自分が教えたのは、ただの技術だったかもしれない。

 

 だが、彼らはその技術を通して、それ以上に大切な『絆』という力を、自らの手で掴み取ろうとしている。

 

 それでいい。

 

 それこそが、何よりも正しい。

 

 厚士はただ静かに、そして、誇らしげに、未来の提督たちがその愛するパートナーと共に成長していく、その眩しい光景を見守り続けるだけだった。

 

 

±±±±±

 

 

 候補生たちがパートナーとの微笑ましい二人三脚にようやく慣れてきた頃。

 

 彼らの指導者である新井木厚士は、またしても次元の違う世界を見せつけた。

 

「……いくぞ、浜風」

 

「はい、一佐!」

 

 厚士はすっと、その場に静止すると、まるで儀式でも行うかのように、奇妙な構えを取った。

 

 両脚を大きく、左右肩幅以上に開き、腰を落とす。

 

 そして、その身体を大きく傾け、右手の指先が水面に触れるか触れないかのギリギリまで、その身を沈ませる。

 

 反対の左腕は、バランスを取るように横へと大きく広げられていた。

 

 その独特で、そしてどこか、見覚えのあるポーズ。

 

 それは彼らが愛した物語の一つ『コードギアス』に登場する白き騎士。第七世代ナイトメアフレーム『ランスロット』が発進シーケンスの構え、あの象徴的なポーズそのものだった。

 

「──M.E.ブースト!」

 

 厚士が、そう呟いた(と、後で読唇に長けた、候補生が証言している)、その瞬間。

 

 ドッッッッッッッッッッッッ!!!!

 

 彼の両脚の艤装から、圧縮された水流ジェットが爆発的な勢いで後方へと噴射される。

 

 水面が大きく抉られ、巨大な水柱が上がる。

 

 そして彼の身体は、まるでロケットスタートを切った戦闘機のように、静止状態から一瞬でトップスピードへと達し、水平線の彼方へと、弾丸のように飛び出していった。

 

「──お待ちください、一佐!」

 

 その白い軌跡を追って、浜風もまた、全速力で後を追う。

 

 そこから繰り広げられたのは、もはや演習ではなかった。

 

 一つの、異次元の演舞だった。

 

 他の候補生たちが艦娘と手を取り合う二人三脚だとしたら。

 

 厚士と浜風は、まるで水上のF1、ボートレースでもしているかのように、互いに激しく航路を交差させ、ギリギリの駆け引きを繰り広げながら、海の上を滑走していく。

 

 厚士が急旋回をすれば、浜風がその内側をさらに鋭角にえぐり。

 

 浜風が前に出れば、厚士がその引き波を利用して、スリップストリームから、一気に抜き去る。

 

 それは互いの全てを知り尽くし、そして信頼しきっている最高のライバル同士だけが演じられる究極のデュエットだった。

 

 そのあまりにも美しく、そして、あまりにも人間離れした光景を、候補生たちはただ、呆然と見つめるしかできなかった。

 

 だが、その心に宿ったのは、もはや嫉妬でも諦観でもなかった。

 

(……そうだ)

 

(……あの、始まりのポーズはランスロットの……)

 

(……あの動きは、間違いなく俺たちが知っている、あのマニューバーだ……)

 

 彼らは、理解してしまったのだ。

 

 厚士がやっていることは、決して魔法でも神業でもない。

 

 自分たちが愛し、そして、よく知っている物語の中の動きを、この『提督用艤装』というシステムを完全に理解し、使いこなすことで、現実のものとして再現しているだけなのだ、と。

 

(……今は、無理だ)

 

(……だが、いつかは、必ず……!)

 

 彼らの心に灯った新しい炎。

 

 それは、『理解できるからこそ届きたい』という、純粋な向上心。

 

 そして、『自分も、あの物語の主人公のようになりたい』という、ヲタクとしての、どうしようもない夢想だった。

 

 新井木厚士は、その背中で彼らに示したのだ。

 

 彼らが目指すべき遥かなる(いただき)の、その姿を。

 

 そして、その頂へと至る道が、自分たちの愛する物語の中にこそあるのだという、最高の希望を。

 

 横須賀第一期生の、本当の意味での『覚醒』は、この瞬間から始まったのかもしれない。

 

 

±±±±±

 

 

 厚士と出逢って一ヶ月。

 

 駆逐艦浜風の世界は、完全に変わってしまった。

 

 彼女の世界は、とてもシンプルだった。

 

 第十七駆逐隊としての誇り。

 

 僚艦たちとの絆。

 

 そして、いつか、また訪れるであろう、坊ノ岬のような悲劇の中で、今度こそ大切な仲間を護り抜くのだという、悲壮なまでの決意。

 

 生真面目で少し融通が利かなくて、そしていつもどこか張り詰めている。

 

 それが、彼女だった。

 

 提督は尊敬すべき上官。

 

 任務は忠実にこなすべき責務。

 

 そこに、それ以外の感情が入り込む余地はなかった。

 

「一佐! 右です! もっとバンク角を深く!」

 

「了ー解っ! 見てろ浜風! これが俺の艦船ドリフトだ!」

 

 演習海域で、彼女は笑っていた。

 

 心の底から楽しそうに。

 

 隣を滑走する、無茶苦茶な上官と競い合い、そして笑い合う。

 

 いつしか彼女は、ただ彼に従うだけの駒ではなくなっていた。

 

 彼の隣に立ち、共に戦場を駆ける対等な『相棒』として、その存在を主張していた。

 

 夜、演習が終わり、整備を終えた後のマッサージタイム。

 

 それは彼女にとって、至福の時間だった。

 

「ん……っ……。い、一佐……そこ、です……。もう少し、強く……」

 

「ん、ここか? …ああ、ちょっと硬いなこりゃ」

 

 最初は恥ずかしくて、顔も上げられなかったその時間。

 

 今では、自分からその日の疲れが溜まった箇所を、彼にねだることすら覚えてしまった。

 

 彼の大きな手のひらの温かさを感じていると、あの悲しい過去の記憶も、少しだけ和らぐような気がした。

 

 心も、身体も、彼に解きほぐされていくその甘い感覚は、少しだけ癖になっていた。

 

 そして、何よりも変わったのは、彼女の彼に対する感情だった。

 

(……不思議な人)

 

 彼は、誰よりも強い。

 

 霧の艦隊すら従える圧倒的なカリスマと指揮能力。

 

 なのに、時折見せるその素顔は、ただの悪戯好きな少年のよう。

 

 彼は、誰よりも優しい。

 

 自分だけでなく、小さな妖精さんたちのことまで気遣ってくれる。

 

 なのに、一度、敵と対峙すれば、氷のように冷徹な決断を下す。

 

 そして。

 

 彼はいつも、自分を見ていてくれる。

 

 自分の小さな変化に気づき、声をかけ、そして『浜風』という、一隻の駆逐艦の可能性を、誰よりも信じてくれている。

 

『艦娘は伊達に人間のカタチをしちゃいない』

 

 あの言葉。

 

 それは彼女の心に、深く、深く、突き刺さっていた。

 

 尊敬。

 

 信頼。

 

 そして、その奥底に芽生え始めた、もっと温かく、そして、少しだけ切ない、新しい感情。

 

 彼女はまだ、その感情の名前を知らない。

 

 ただ、彼の隣にいると、心が温かくなる。

 

 彼が笑うと、自分も嬉しくなる。

 

 彼が、他の艦娘と親しげに話していると、胸の奥が、少しだけ、ちくり、と痛む。

 

 一ヶ月前まで、彼女の海図に描かれていたのは、過去の海戦と、未来の戦場だけだった。

 

 だが、今。

 

 その海図には、新井木厚士という、大きくて、そして、温かい、一つの『港』が、確かに記されていた。

 

 

±±±±±

 

 

 その夜。

 

 横須賀鎮守府の女子寮の一室に、第一期嘱託提督候補生のパートナーを務める駆逐艦たちが集まっていた。

 

 もちろん、議題は一つ。

 

 最近、自分たちの身の回りで起きている『異常事態』についての緊急報告会である。

 

「──というわけで! まずは私から、報告するわ!」

 

 勢いよく手を挙げたのは雷。

 

「うちの司令官たら、最近私がちょっとバランスを崩しただけで、『大丈夫か雷!』とか言って、すぐに腰を抱き寄せてくるの! もうドキドキしちゃって大変なのよ!」

 

「はわわ……! わ、分かります……!」

 

 それに続いたのは電。

 

「私の司令官さんも、手を繋ぐ時の力が前よりずっと強くなって……。時々、演習だってこと忘れちゃいそうになるのです……」

 

「うわあ! 雷ちゃんも電ちゃんも、隅に置けないですね!」

 

 主催者である吹雪がきゃっきゃと囃し立てる。

 

 部屋の空気は、完全に修学旅行の夜の恋バナ大会のそれだった。

 

「……別に。私はただ、パートナーとして効率的な滑走方法を模索しているだけよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」

 

 叢雲がそっぽを向きながら言う。だが、その耳が少しだけ赤い。

 

「あらあら、叢雲ちゃんは素直じゃないんだから。この前、叢雲ちゃんの司令官さん、転びそうになった叢雲ちゃんを庇って、自分が海に落ちてたじゃない。あの後、すごく心配してたでしょ?」

 

 村雨がニマニマしながら突っ込む。

 

「なっ!? あ、あれは、その、監督不行き届きよ! 私のせいじゃないわ!」

 

 その光景を、少し離れた場所で浜風は静かに、お茶を啜りながら見ていた。

 

(……みんな、同じなのね)

 

 ここ数週間で明らかに変わった空気。

 

 提督用艤装での二人三脚訓練が始まってから、候補生たちと艦娘たちの心の距離は、物理的な距離と同じように急速に縮まっていた。

 

 最初はぎこちなかった手も、今では当たり前のように繋がれる。

 

 バランスを取るために身体を密着させることにも、もう誰も戸惑わない。

 

 その一つ一つのスキンシップが、若い彼女らの心を甘く、そして強く揺さぶっているのだ。

 

「でも、やっぱり一番すごいのは浜風だよね」

 

 と、不意に時雨が話を振ってきた。

 

「えっ!? わ、私!?」

 

 突然注目を浴び、浜風が慌てる。

 

「だって、新井木一佐とあんなボートレースみたいなことしてるじゃないか。あれ、もう完全に息が合ってないとできないよ」

 

「そ、それは、一佐の操艦がすごいだけで……!」

 

「またまたー! それに演習後のマッサージ! どうなんだよ、アレは!?」

 

 時雨に続いて涼風が話に割り込んで来た。

 

「そうそう! 毎日あんなことされてて、平常心でいられるわけないわよね!? お姉ちゃん、ちょっと心配だけど、相手が新井木一佐なら安心出来るわぁ」

 

 そう言うのは陽炎型長女の陽炎だった。

 

 同僚たちから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

 

 浜風は顔を真っ赤にしながら、俯いてしまった。

 

(……平常心、なわけ、ないじゃない……)

 

 彼の大きな手のひらの感触。

 

 耳元で囁かれる優しい声。

 

 そして時折向けられる、あの悪戯っぽい笑顔。

 

 その全てが、彼女の心をかき乱してやまない。

 

(……でも、一佐は特別。私の司令官は、みんなの司令官とは違うから……)

 

 そんな少しだけ複雑で、そして、少しだけ優越感に満ちた思いが彼女の胸をよぎる。

 

 その時だった。

 

「……いつかは、みんなも、新井木さんも、この鎮守府からいなくなっちゃうのかしら」

 

 如月が寂しそうに言う。

 

「……」

 

 浜風は、何も言えなかった。

 

 ただ胸の奥が、きゅっ、と、痛むのを感じるだけだった。

 

 恋の話に花が咲いていたはずの女子会は、いつしかいつか来るかもしれない別れの予感に、少しだけセンチメンタルな空気に包まれていく。

 

 彼女たちの小さな恋心は、その切ない事実に、まだ気づいたばかりだった。

 

 

 

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