アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
その日、横須賀鎮守府、今までにない熱気と緊張感に包まれていた。
ずらりと整列する500人の嘱託提督候補生と、その傍らに寄り添う500隻の艦娘たち。
呉、佐世保、舞鶴、大湊。日本全国から第一期生の精鋭たちが、この横須賀の地に集結したのだ。
教育開始から一ヶ月。その成果を問われる大舞台、合同大演習の幕開けだった。
やがて壇上に一人の男が姿を現した。
黒い軍服に身を包んだ、新井木厚士。
横須賀鎮守府司令官、瑞丸中将に代わり、この歴史的な計画の立案者である彼が、開会の辞を述べるのだ。
総勢1000人の視線が、一斉に彼へと注がれる。
厚士はマイクの前に立つと、集まった未来の提督たちと、そのパートナーたちの顔を、ゆっくりと見渡した。
そして彼は静かに、しかし、その声は会場の隅々まで響き渡るほど力強く、語り始めた。
「───集まってくれた諸君。そして、我が愛しき艦娘たち。本日ここに、第一期、嘱託提督候補生合同大演習の開催を宣言する。この演習の意義は何か。それは単に、君たちの一ヶ月の訓練の成果を測るものではない。この演習は、我々人類が、新しい時代へと踏み出すための、始まりの号砲だ。嘱託提督制度とは何か。それは、ただの人員不足を補うための苦肉の策では断じてない。これは、今まで守られるだけだった一般の国民が、自らの手で国を護るための力を持つということ。そして、艦娘という孤独な英雄たちに、共に戦い、共に笑い、共に、泣くことができる、本当の『家族』を得るための計画なのだ」
その言葉に、艦娘たちの瞳がわずかに潤む。
「今日まで辛い訓練もあっただろう。慣れない共同生活に、戸惑うこともあったはずだ。だが、君たちはそれを乗り越えた。ならば、今日この場で、その成果を存分に見せてほしい。そして、邁進してくれ。日本の未来を護る、新しい英雄となる、その道を」
厚士の短い、しかし、魂を揺さぶる演説が終わる。
会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
だが、その熱狂の中で。
一部の候補生たちは、ある異様な光景に気づいていた。
呉、佐世保、舞鶴、大湊。
他の鎮守府から来た候補生と艦娘たちの間には、まだ、どこか、ぎこちない空気が流れている。
提督は提督。艦娘は艦娘。上官と部下。
その間に目には見えない、一線のようなものが確かに存在していた。
しかし。
横須賀鎮守府の一団だけは、明らかに違った。
彼らはまるで、もう何年も連れ添った夫婦か、恋人のように、ごく自然に、隣に寄り添い談笑している。
横須賀のとある候補生が、艦娘の髪についた埃を取ってやったり。
艦娘が候補生の、少し曲がった襟を直してやったり。
その距離感はあまりにも近く、そして、親密だった。
(……なんだ、あいつら……)
(馴れ合いすぎ、じゃないか……?)
他の鎮守府の候補生たちが戸惑いと、わずかな嫉妬の念を込めて、その光景を見つめる。
彼らはまだ知らない。
横須賀だけで行われてきた、あの秘密の『マッサージ』という儀式、そして二人三脚で海を往くことが、どれほど彼らの絆を深く結びつけてしまったのかを。
そして、この後繰り広げられる演習でその絆の力が、どれほどの圧倒的な差となって現れるのかを。
波乱の予感に満ちた合同大演習の火蓋が今、静かに切って落とされようとしていた。
±±±±±
合同大演習の火蓋は切って落とされた。
最初の演目は小規模艦隊による模擬戦闘。
各鎮守府から選抜された3名の代表候補生と、そのパートナー艦娘によるチーム戦だ。
演習海域を見渡す高台に設置された巨大な艦隊司令部テント。
そこには、呉、佐世保、舞鶴、大湊から選ばれた提督たちが、緊張した面持ちで席に着き目の前のモニターと無線機に向かっていた。
彼らにとって戦場はここだ。陸の上から的確な指示を飛ばすことこそが、提督の役割だと教えられてきたからだ。
だがそのテントの一角。
『横須賀鎮守府』と書かれたテーブルだけが、もぬけの殻だった。
機材だけが置かれ、そこに座るべき人間の姿が、どこにもない。
「……おい。横須賀の連中はどうした?」
「遅刻か? それとも棄権か?」
「いやに静かだとは思ったが……」
他の鎮守府の提督たちが、怪訝な顔で囁き合う。
その時だった。
『───全艦、演習海域に入ります!』
スピーカーから、凛とした大淀の声が響き渡る。
高台のモニターに、次々と演習に参加する艦娘たちの姿が映し出されていく。
呉の時雨。佐世保の五月雨。舞鶴の霞、大湊の夕雲……。
続々と続く各鎮守府の代表提督の艦娘たち。
そして最後に、横須賀鎮守府の艦娘たちが画面に現れた瞬間。
司令部テントに、どよめきが走った。
「───なっ!?」
そこに映っていたのは艦娘だけではなかった。
彼女たちのすぐ傍ら。
海の上に立ち、そして滑る三人の人間の男たちの姿があったのだ。
先頭を行くのは言うまでもなく、新井木厚士と浜風のペア。
まるで水面を切り裂く二本の矢のように、鋭く、そして、美しく並走している。
その後ろに続く二人の候補生。
一人はパートナーの睦月と、ぎこちなくもしっかりと、手を繋ぎながら。
もう一人は、パートナーの白雪と、身体をぴたりと密着させ、ペアスケーターのように息を合わせながら、滑走している。
その、あまりにも信じがたい光景。
「…う、嘘だろ……」
「人間が、海の上に……?」
「あれが、横須賀の提督……!?」
テントの中の全ての提督たちが席を立ち、モニターに釘付けになっていた。
先頭を行く厚士と浜風の、あの異次元の動きに比べれば、後ろの二人の練度の低さは否めない。
だが、そんなことは些細な問題だった。
提督が、艦娘と共に海を征く。
その事実だけで、他の鎮守府の候補生たちの度肝を抜くには、十分すぎるほどのインパクトがあった。
自分たちが陸の上という、安全な場所から指示を出すだけの存在であるのに。
彼らは違う。
自ら戦場に立ち、パートナーと同じ目線で戦おうとしている。
その圧倒的な覚悟の差。
そして、その光景がもたらす絶望的なまでの『格の違い』。
呉、佐世保、舞鶴、大湊の提督たちは、まだ戦いが始まるその遥か手前の段階で、既に自分たちが完全に敗北していることを悟らざるを得なかった。
横須賀鎮守府による衝撃的なデモンストレーションは、合同大演習の全ての空気を、一瞬にして支配してしまったのだった。
±±±±±
演習開始の号砲が鳴り響く。
横須賀チームの睦月と白雪のパートナーである二人の候補生はすぐに自分たちのパートナーから少し距離を取り、後方からの指揮に徹した。
それでも目の前で、リアルタイムに繰り広げられる戦況を、自らの目で見て、直接指示が出せるというアドバンテージは絶大だった。
陸の上の司令部から、モニター越しに指示を出すよりも情報のタイムラグがなく、即応性に富んでいる。
そして何よりも。
すぐ近くで司令官が共に戦ってくれているという事実が、艦娘たちの士気を最高潮にまで高めていた。
だがそんな彼らの健闘すら、霞んでしまうほどの圧倒的な光景が、そのすぐ隣で繰り広げられていた。
呉鎮守府代表、時雨を旗艦とする、夕立、吹雪の精鋭艦隊。
そのど真ん中へと、後方の睦月と白雪の援護を受けつつも、厚士は浜風と共にただの二騎だけで真正面から、突っ込んでいったのだ。
演習用弾とはいえ、その元は艦娘用の強力な砲弾。
着弾した水柱が容赦なく厚士の全身を叩き、彼をずぶ濡れにさせる。
だが厚士は、そんなことを全く意に介さず、ただ前だけを見据え、己の相棒へと絶叫した。
「──前方、魚雷4! 右の射線が広い! 爆雷を蹴り飛ばして投下しろ! それと同時に機銃と主砲斉射! 蹴り飛ばした爆雷を撃ち抜いて、魚雷を誘爆させながら突き抜けろ!」
「了解っ!」
そのあまりにも無茶苦茶で、曲芸のような命令。
だが、日々の地獄の特訓で、完全に厚士の思考に同調していた浜風は、一瞬の躊躇もなく、それを実行した。
爆雷をサッカーボールのように蹴り飛ばし、それが魚雷の前に着水した瞬間に自らの主砲と機銃で撃ち抜く。
誘爆した爆雷が、迫り来る魚雷を飲み込み、巨大な爆炎と水柱を上げる。
そして、その爆炎の中を浜風はまるで何事もなかったかのように突き抜けて、敵の懐へと潜り込んでいた。
「な……!?」
呉の艦隊が、その信じられない光景に硬直する。
だが、厚士の攻撃はまだ終わらない。
誘爆を免れた、最後の一本の魚雷が彼のすぐ脇を通り過ぎようとした、その瞬間。
厚士は自ら、その魚雷を側面から蹴り上げ、海の中から空中に掬い上げた。
そして、その魚雷を片手で掴むと、艤装のトップスピードを乗せた、豪速球のアンダースローで投げ返したのだ。
「──しまっ!?」
吹雪が反応するも間に合わない。
投げ返された魚雷は、彼女の側面部に直撃。中破判定となり彼女の行き足が鈍る。
そこへ浜風が爆雷を正確に投げ込み、直撃。大破判定。
そのまま片足を軸に、ターンピックが冴えている動きでコマのようにターンした浜風は、残った時雨と夕立の動きを封じるように、魚雷を扇状にばら撒きながら吶喊。
対空用の機銃を掃射して、目眩ましを行い、相手が怯んだその一瞬の隙に、主砲のゼロ距離射撃で、とどめを刺した。
あっという間の出来事だった。
対潜水艦用の爆雷を手榴弾のように使い。
対空用の機銃を、目眩ましに使う。
その本来の用途とは全くかけ離れた浜風の異常なまでの戦い方。
だが、それは一つの真理を示していた。
ゲームシステムによる制限など、この現実の世界には存在しない。
艦娘に備わった武器を、ただの『艦の兵装』としてではなく、『人間の手足が使う武器』として扱えるのであれば。
その戦術の幅は、無限に広がる。
あとは、人間のカタチをしている艦娘自身の、その身体能力の有用性と、そして無限の可能性を彼女たち自身に教えてやるだけでいい。
司令部テントで、そのあまりにも異次元の戦闘を見ていた、全ての候補生と教官たち。
彼らはただ、呆然と呟くことしかできなかった。
「……あれは、もはや海戦ではない」
「一種の、格闘技だ……」
新井木厚士が開いた新しい戦術の扉。
そのあまりにも過激で、そして、あまりにも強力なインパクトは、この日の演習の全てを、完全に過去のものへと変えてしまったのだった。