アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
合同大演習、第一日目。
各鎮守府の代表者による小規模艦隊戦は、誰もが予想した通りの、しかし、その予想を遥かに超える衝撃的結果で幕を閉じた。
一位:横須賀鎮守府(全勝)
二位:佐世保鎮守府
三位:呉鎮守府
……
横須賀の圧勝。
それも、ただの勝利ではない。
厚士と浜風のペアはもちろんのこと、睦月、白雪のペアもまた、他の鎮守府の精鋭たちを相手に一度も負けることはなかった。
提督が共に海に出るという圧倒的なアドバンテージ、そして厚士譲りの戦法の前に、他の鎮守府は為す術もなかったのだ。
その夜。
明日の第二日目に備え、各鎮守府の宿舎ではそれぞれ、熱のこもった作戦会議が開かれていた。
明日は一鎮守府12隻編成の連合艦隊を、8個同時に動かすという前代未聞の超大規模演習。
今日の演習で見えた、各鎮守府の戦術傾向や弱点を分析し、どう立ち向かうか。夜を徹しての情報共有が行われていた。
【呉・佐世保・舞鶴・大湊 合同作戦会議室(という名の、大部屋)】
「……くそっ! やはり、問題は、横須賀だ!」
「ああ。あの、海の上を滑る提督たち。あれをどう攻略するか……」
「そもそも、あの新井木一佐の動きが全く読めん。爆雷を蹴り飛ばすだの、魚雷を投げ返すだの、もはや戦術の次元が違う……」
「データが少なすぎる。横須賀の戦い方は、我々の常識の外にありすぎるんだ。全くの未知数として扱うしかない……」
四つの鎮守府の候補生たちは皆、頭を抱えていた。
どうすれば、あの規格外の艦隊に勝てるのか。
その答えが全く見つからない。
部屋の空気は重く、そして、どこか悲壮感すら漂っていた。
一方、その頃。横須賀鎮守府の宿舎では、作戦会議室とは名ばかりの、ただのリラックス空間だった。
あちこちで今日の演習の疲れを癒す光景が繰り広げられている。
「あー……そこ、です……司令官……。気持ちいいにゃぁ……」
「はは。今日の動き、良かったぞ睦月。明日も頼むな」
候補生の一人が、パートナーの睦月の小さな肩を優しく揉んでいる。
「……司令官、髪、綺麗になりましたか?」
「ああ、ツヤツヤだ。白雪の髪は、本当に綺麗だな」
また別の候補生は、パートナーの白雪の髪を、丁寧に櫛で梳かしてやっていた。
「……司令官の、膝、温かいのです……」
「そうか? 電こそ、風邪引くなよ」
ソファでは、電がパートナーの膝の上で、幸せそうに眠りに落ちかけている。
そして部屋の隅では。
今日のMVPである厚士と浜風が、一つの毛布にくるまり、互いの体温で暖を取りながら寄り添い、抱きしめ合ったまま静かに寝息を立てていた。流石に海水を被りまくって身体の芯から冷えた上に、1番動き回った2人は単純に疲れていた。
生真面目に見えて食いしん坊なところがあるあの浜風が、夕食もそこそこに終えて船を漕いでいた程であると言えば、何れ程疲れたのかは察せられるだろうというもの。
その浜風と並走して海を駆けていた厚士もまた然り。
それはもはや、上官と部下というよりは、完全に長年連れ添った戦友、あるいはそれ以上の、親密な空気に満ちていた。
彼らにとってマッサージや髪を梳かすこと、膝枕、そして、共に眠ること。
それらは特別なことではない。
共に戦い、共に生きる、パートナーとして当たり前の『日課』なのだった。
その、あまりにもリラックスした、そして、あまりにも親密な光景。
もし、他の鎮守府の候補生たちが、この部屋の様子を見たら。
おそらく、戦意を喪失し、その場で泣き崩れていたに違いない。
彼らがまだ、必死に乗り越えようとしている、艦娘との心の壁。
その壁を、横須賀の者たちは、とっくの昔に飛び越えて、遥か彼方の新しいステージへと進んでしまっているのだから。
±±±±±
合同大演習、第二日目。
演習海域には、昨日とは比較にならないほどの緊張感が張り詰めていた。
これから始まるのは、各鎮守府12隻編成の連合艦隊8個、合計96隻が入り乱れる前代未聞の超大規模模擬戦。
駆逐艦のみで編成されるという特殊なルール。
本来なら、ゲームシステム上組めないはずの編成。
だが、ここは現実。そんな制限はどこにもない。
そして全ての鎮守府の提督たちのパートナーが駆逐艦なのだから、条件は皆同じはずだった。
誰もが思っていた。
今日も、また、あの黒衣の悪魔──新井木厚士が、最前線で戦線を引っ掻き回すのだろう、と。
その一点をどう抑えるか。
各鎮守府の提督たちは、夜を徹して『対・新井木』包囲網のシミュレーションを繰り返してきた。
だが。
演習開始の時刻が迫り、各艦隊が出撃準備を整える中。
その前提は、あまりにもあっさりと覆された。
高台の司令部テント。
その横須賀鎮守府のテーブルに、厚士の姿があったのだ。
彼の隣には副官の大淀と、そして昨日あれほどの無双ぶりを見せつけたパートナーの浜風も静かに座っている。
「な……!?」
「……なぜ、奴が、ここに……!?」
他の鎮守府の提督たちが動揺する。
100人の候補生から96隻を選抜するこの演習。
どうしても4隻の待機組が出てしまう。
その待機組に、厚士と浜風が入っていたのだ。
(好機……!)
誰もがそう思った。
あの圧倒的な個の力がいない。
ならば勝機は十分にある、と。
息巻く他鎮守府の提督たち。
だが、それはあまりにも見積もりが甘すぎたしっぺ返しとなって、彼らに返ってくることになる。
────演習、開始!
号砲と共に、海上が一瞬にして戦場と化す。
そしてそのカオスな戦場で、横須賀艦隊だけが、明らかに異質な動きを見せた。
無茶苦茶戦法の継承。
昨日、厚士の浜風が見せた、あの曲芸。
主砲による砲撃戦の中に、平然と爆雷を投げ込み、蹴り飛ばし、曲射爆撃を行う睦月型や朝潮型の姿。
見様見真似で他鎮守府の艦娘が爆雷を投げようとすれば、その瞬間を狙われ、頭上で機銃掃射を浴びせられ自爆、大損害。
完璧な役割分担。
横須賀の艦隊には、明確な『役割』が分担されていた。
例えば、霞。彼女は一切、武器を持たず、水上電探と対空電探をガン積みし、艦隊の『目』として、司令塔の役割に徹していた。かつて、第二水雷戦隊臨時旗艦を務めた彼女の経歴を活かした完璧な抜擢。
運の高い雪風と、雷装の高い島風には魚雷をガン積みさせ、必殺の雷撃専門部隊として。
火力の乏しい睦月型には対空機銃をガン積みさせ、対空防御の壁として。あるいは爆雷専門の特殊攻撃部隊として。
そして何よりも、昨日と同じように横須賀の連合艦隊の艦娘の直ぐ傍らには、パートナーである提督たちが艤装を着けて、共に滑走していた。
命令伝達はツーカー。艦隊が密集し、動きが鈍りそうな場面でも、彼らが間に入り交通整理を行う。
二人三脚の練度は昨日よりもさらに上がっていた。全ては厚士が言った『度肝を抜いてやろうぜ』という、あの言葉を実現させるために。
その結果。
戦況は一方的だった。
他鎮守府の魚雷は爆雷の誘爆や主砲と対空機銃の弾幕で通らない。
だが、横須賀の雷撃は一瞬の隙を突いて、確実に突き刺さる。
爆雷を投げようにも、その隙を狙われるため、迂闊に使えない。
霞や叢雲、吹雪、陽炎、夕雲といった『電探艦』による完璧な索敵網と艦隊連携。8つの連合艦隊が、まるで一つの巨大な生命体のように、有機的に連携し、襲いかかってくる。
大型艦がいない火力不足は、爆雷の曲射爆撃で補い。
索敵機がいない索敵能力の不足は、電探艦で補う。
居ないなら居ない分の代わりを用意する。
そのあまりにも柔軟で、そして、思い切りの良すぎる極端な装備構成は合理的な横須賀の戦略の前に、他の鎮守府はなす術もなく、蹂躙されていった。
司令部テントで、その光景を眺めていた厚士は、ただ静かに微笑んでいた。
そうだ。
それでいい。
俺がいなくても、お前たちはもう戦える。
俺が教えた無茶苦茶な戦い方を、自分たちの頭で考え、応用し、そして、勝利を掴み取ることができる。
それこそが、新井木厚士という元・艦これプレイヤーにして、霧の艦隊の指揮官。
教科書には決して載っていない、自由な発想で艦娘の本当の可能性を引き出す男。
その教育の差が、あまりにも顕著に現れた圧勝劇だった。
この日横須賀第一期生は、『師』の不在証明によって、初めてその真の強さを、世界に証明したのである。
±±±±±
合同大演習第二日目終了。
その、結果は誰もが予想し、そして誰もが信じたくなかったものであった。
──横須賀鎮守府、完全勝利。
その日の夜。
横須賀に集っていた、呉、佐世保、舞鶴、大湊の、各鎮守府司令官と、大本営から派遣された海軍上層部による緊急の総括会議は、重苦しい沈黙に包まれていた。
「……これが、本日の演習結果の全てだ」
瑞丸中将が、淡々と報告を締めくくる。
だが、その声の奥には、隠しきれない誇りと満足感が滲んでいた。
舞鶴の司令官が呻くように言った。
「……信じられん。昨日あれほどの力を見せつけた新井木一佐と、そのパートナーが参加していないというのに。なぜ、これほどの一方的な結果に……」
「問題はそこです」
大本営から来た参謀総長が、厳しい顔で言った。
「我々は新井木一佐という突出した『個』の力に目を奪われすぎていた。だが、本当の脅威はそこではなかった。彼の思想そのものが、横須賀の第一期生全員に伝播し、根付いてしまっている。…その事実こそが、我々が最も恐れるべきことなのです」
爆雷を蹴り飛ばし、魚雷を誘爆させる。
対空機銃で目眩ましを行う。
爆雷の曲射爆撃による火力増強や電探に特化した偵察専門艦を置く。
そのどれもが、既存の海軍の戦闘教義には一切、載っていない完全に規格外の戦法。
「……まるで我々が、今まで必死に積み上げてきた戦術論が全て、時代遅れのガラクタだと言われているようだ」
大湊の司令官が自嘲気味に呟く。
佐世保の司令官が悔しそうに机を叩いた。
「だが、認めざるを得ん! あの戦い方は明らかに、我々のそれよりも合理的で、そして、強い! なぜ我々には、あのような発想ができなかったのか……!」
その問いに答えたのは、ずっと黙って戦況を見つめていた、呉の提督だった。
「……我々が艦娘を『艦』としてしか見ていなかったからだろう」
その静かな言葉に、誰もがはっと息を呑んだ。
「我々は、彼女たちの性能諸元に縛られすぎていた。主砲はこう使うものだ。魚雷はこう使うものだ、と。だが新井木提督は違った。彼は、彼女たちを『人間のカタチをした無限の可能性』として見たのだ。…その根本的な発想の違いこそが、この圧倒的な差を生んだのだ」
静まり返る会議室。
誰もがその言葉の重みを噛み締めていた。
やがて、瑞丸中将がゆっくりと口を開いた。
「……諸君。恥じることはない。我々は今日、未来の海戦の形を目の当たりにしたのだ。そして幸いなことに、その新しい教科書を書いた男は、我々の仲間だ」
彼は、会議室にいる全ての司令官たちを見渡した。
「ならば、我々がやるべきことは一つだろう。プライドを、捨て、頭を下げて、教えを乞うことだ」
その決断。
それは、旧時代の提督たちが自らの過去の栄光と、凝り固まった常識を捨て、新しい時代を受け入れることを決意した、歴史的な瞬間だった。
「すぐに新井木提督をここへ。…いや、我々が彼の元へ出向こう。そして要請するのだ。この新しい戦術論を日本の全ての鎮守府のスタンダードとして、指導してはもらえまいか、と」
その日。
新井木厚士はただ、自分の弟子たちの成長を喜んでいただけだったが。
その裏で、彼自身が日本の海軍全体の『総教官』へと祭り上げられようとしていることを、まだ知る由もなかった。
彼の何気ない行動が、またしてもこの国の歴史を大きく動かそうとしていた。