サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第1話

 

「よし……今日から、私の新しい生活が始まるんだ」

 

胸の前で小さく拳を握りしめながら、私はソリア学園の白い校舎を見上げた。

ロカA2コロニーの一角にそびえる学園は、宇宙開発時代の象徴みたいに近未来的で、整然としたガラスと金属の外観がまぶしい。地球が人類の故郷だった頃の古い映像で見た学校とは、まるで違う。

 

肩にかけたリュックは、父の形見。重さ以上に、心の支えだった。

――お父さん、私、ちゃんとやれるよね?

 

不安と期待の入り混じる胸を押さえながら、私は校門をくぐった。

 

◇◇◇

 

最初に出会ったのは、長い青髪を揺らしている少女だった。

鋭い視線を向けてきた彼女は、私を見て淡々と告げた。

 

「あなたがルナか。今日から私のクラスに転入すると聞いた。私はメノリ。生徒会長を務めている。学園には厳しい規律があるから、くれぐれも軽率な行動は控えるように」

 

「う、うん!よろしくね、メノリ」

 

彼女の背筋はぴんと伸びていて、まるで一分の隙もない。思わずこちらも背中を正してしまった。

 

その直後、ひょっこりと顔を出したのは眼鏡をかけた文学少女――シャアラ。

本を胸に抱え、遠慮がちに私に微笑んだ。

 

「……あの、ルナ。わ、私、シャアラっていいます。よ、よろしくお願いします……」

 

「うん、こちらこそ!仲良くしようね!」

 

はにかむ彼女に思わず笑みがこぼれた。どうやら、私の最初の友達はこの子になるかもしれない。

 

そこへ突然、派手な身振りで現れたのは金髪に整えた御曹司風の少年だった。

 

「僕の名はハワード。この学園一の貴公子といえば、誰もが僕を思い浮かべるに違いない!」

 

「……だ、誰も思い浮かべないと思うけど」

 

後ろから低い声で突っ込みを入れたのは、背の高い大柄な少年――ベルだった。

おどおどしながらも、真面目そうな瞳をこちらに向けてくる。

 

「……あ、あの……僕はベル。ハワードの……友達。よ、よろしく……」

 

(友達っていうより……付き人みたいな感じ?)

内心そう思ったけど、彼の優しそうな雰囲気に安心した。

 

◇◇◇

 

昼休みには、元気な少年シンゴが教室に飛び込んできた。

まだ十二歳なのにこの学園にいるのは、飛び級の天才だからだそうだ。

 

「ねえルナ!君のリュックってどんな仕組み?古いタイプっぽいけど、改造できそうだなぁ。あ、僕シンゴ!科学のことならなんでも任せて!」

 

目を輝かせながら父のリュックを触ろうとするシンゴを、慌てて制止する。

――大事なものだから、そんなにいじらないで!

 

もう一人の影

 

放課後、校庭の隅でひとり黙々とトレーニングしている生徒が目に留まった。

短髪で引き締まった体つきの少年――リュウジ。

 

声をかけようとしたが、彼は冷たい視線を向けてきた。

 

「……なんの用だ。俺は一人でいい」

 

短く突き放され、胸がちくりと痛んだ。

彼の表情には、誰にも近づかせない壁があった。けれど同時に、どこか深い悲しみが隠れているようにも見えた。

 

◇◇◇

 

――ロカA2コロニー。

 地球を離れた人類が、いくつもの人工コロニーに暮らすようになった時代。その中でも、ソリア学園は将来の宇宙開発を担う人材を育てる名門校として知られていた。

 

 私――ルナは、父の形見のリュックを肩に掛けながら、校門をくぐった。まだ転校してきたばかりで、見慣れない景色ばかりだ。それでも胸の奥にある期待と不安が、私の歩みを少しだけ速めた。

 

「おはよう、ルナ」

 柔らかい声が背後からかけられた。振り向けば、ベルが立っている。大柄な体つきなのに、いつもおどおどした雰囲気で、笑顔もどこか控えめだ。

「おはよう、ベル。今日も早いね」

「う、うん。……なんか目が覚めちゃってさ。修学旅行のこと、ちょっと気になってるんだ」

 彼は頬をかきながら苦笑した。その穏やかな口調に、私の緊張も和らぐ。

 

 並んで歩いていると、廊下の向こうからメノリがやって来る。背筋を伸ばし、凛とした足取り。まるで舞台に立つ役者のように視線を集める存在感だ。

「二人とも、おはよう。……もうすぐ試験だろう。旅行に浮かれる前に、しっかり準備をしておくべきだ」

「そ、そんなに堅く考えなくても……」ベルが小さく答える。

「でも、メノリの言う通りかも。せっかくの旅行、安心して楽しみたいし」

 私がそう言うと、メノリは少しだけ表情を緩めた。

 

 教室に入ると、すでにハワードの声が響いていた。

「ふふん、これが僕の新しいデータパッドだ! 最新式だぞ、みんな羨ましいだろ?」

 机の上に得意げに機械を置き、周囲を見渡す。だけど、みんな反応に困って目を逸らしていた。

「……また始まった」シャアラが小声でつぶやいた。長い髪を耳にかけ、不安そうに机の隅に座っている。

「いいじゃない、シャアラ。ハワードが楽しそうなら、それで」私は笑いかけてみせる。

 彼女は少し戸惑いながらも、ふわりと笑い返してくれた。

 

「ちょっと見せてよ、それ!」

 シンゴが駆け寄ってきた。小柄な体に大きな瞳を輝かせ、データパッドを覗き込む。

「へえ、やっぱり処理速度が違うなあ! この機能、僕も試してみたい!」

「だろ? 僕の選ぶものに間違いはない!」

 ハワードが鼻を高くする。そんな二人を見て、私たちは思わず笑ってしまった。

 

 そんな中、窓際の席で一人黙って本を読んでいる影があった。

 リュウジ――黒髪短髪の少年。無駄な言葉を発しないその姿は、周囲から距離を置いているように見える。

 私は少し勇気を出して声をかけた。

「おはよう、リュウジ」

 彼はちらりとこちらを見て、すぐに視線を本へ戻した。

「……勝手にどうぞ」

 冷たい口調に、胸がちくりと痛む。けれど、不思議と完全には拒絶されていない気がした。

 

 そのやり取りを黙って見ていたのがカオルだ。彼もまた、感情を表に出さず、壁にもたれたまま低くつぶやく。

「余計なことはするな。……放っておけ」

「でも――」

「いいんだ」

 短く遮られ、私はそれ以上言えなくなった。

 

 チャイムが鳴り、授業が始まる。先生が入ってきて、修学旅行の説明を始めた。目的地は木星圏の惑星開拓実習。危険もあるが、未来の宇宙開発を担う学園らしい試みだ。

 

 教室の空気がざわめき、仲間たちの目が輝く。

「木星圏! うわあ、楽しみだな!」

 シンゴがはしゃぎ、ハワードが胸を張る。

「僕の知識を存分に披露できるってわけだな!」

「でも、規律を守らなければ事故に繋がるぞ」メノリが冷静に言う。

 そんな仲間たちの声を聞きながら、私はリュウジの方を見た。彼はただ静かに窓の外を見つめていた。

 ――その横顔に、どこか深い影が落ちているように見えた。

 

◇◇

 

まだ人工太陽の光が昇りきらない朝。ルナは狭い居住ユニットの小さなテーブルに座り、携帯食のパッケージを開けた。

温められた栄養食は、淡い香りとともに立ちのぼる湯気がどこか味気ない。それでも、ひと口ひと口を噛みしめるように食べていく。

 

足元にはチャコが丸くなっていた。

「ウチも一緒に行きたいんやけどなぁ。学園は機械は入れん、やろ?」

「そうなの。だから留守番お願いね、チャコ」

「しゃあないな。帰ってきたら今日の出来事、ちゃんと聞かせてや」

 

父の形見のリュックを背負い、ルナは玄関を出る。背中の温もりが、少しだけ不安を和らげてくれる気がした。

 

 

昼休みの鐘が鳴ると、生徒たちが一斉に食堂へ流れ込んでいく。

ソリア学園の食堂は、最新式の自動配膳システムとクラシックな人間スタッフの手仕事が混ざった、不思議な温かさのある空間だ。自動機械が運ぶ皿に、年配のスタッフが笑顔でスープをよそってくれる。

 

「ルナ、こっちに座らない?」

声をかけてきたのはシャアラだった。本を小脇に抱え、少し緊張気味に微笑んでいる。

 

二人は並んで席につく。

ルナは栄養プレートを、シャアラは控えめにパンとスープを選んでいた。

「ちゃんと食べないと元気出ないよ?」

「うん……でも、これくらいで大丈夫」

 

周囲に目をやると、他のクラスメイトたちがそれぞれの場所で食事をしていた。

 

メノリは真剣な表情でタブレットを広げ、周囲の友人に指示を出しながら昼食をとっている。

シンゴは一人、分解した携帯端末の部品を机の上に広げ、パンをかじりながら作業に没頭していた。

ハワードは取り巻きと騒がしく笑い合い、ベルはその隣で気弱そうに相槌を打っている。

カオルは窓際の席で黙々と食べ、誰とも目を合わせようとしない。

そしてリュウジ――黒髪を短く刈り上げた彼は、一番奥の席で静かに食事をとっていた。誰も近寄らず、彼もまた誰にも視線を向けない。

 

ルナの胸が、なぜか少しざわついた。

(どうしてだろう……気になる。あの人のこと……)

 

けれど、その思いを口に出すことはできなかった。

今はただ、シャアラの隣で温かいスープを飲む。

まだこの学園で、みんなの距離は遠い。けれど確かに――少しずつ運命の糸は結ばれ始めていた。

 

◇◇

 

午後――授業

 

昼食を終えると、午後の授業が始まった。教室には透明なスクリーンが並び、教師が投影したデータが空中に浮かび上がる。宇宙航行の歴史、重力嵐の観測記録、そして各コロニーの現状――すべてが人類の生存に直結する学びだった。

 

ルナはメモを取りながら必死に耳を傾けた。

(難しいな……でも、頑張らなきゃ)

 

隣のシャアラはノートを丁寧にとっていたが、時々ペンを止めて考え込んでいる。ルナは小さく微笑んで「大丈夫?」と囁いた。

「ええ……ちょっと、難しいけど……」

その表情は不安げで、けれどどこか安心もしているように見えた。

 

前列ではメノリが真っ直ぐ背筋を伸ばし、誰よりも早く答えを発していた。

後列ではシンゴが手を挙げ、教師に食い下がるように質問を繰り返している。

「それは公式化されてないだけで、シミュレーションならもっと正確に……!」

周囲はあきれたように笑うが、シンゴはまったく気にしていない。

 

教室の隅、カオルとリュウジは互いに一言も発さないまま授業を受けていた。二人の間に漂う空気は、他の生徒を寄せつけない冷たさを帯びていた。

 

◇◇◇

 

放課後――帰り道

 

授業が終わり、ルナはシャアラと一緒に学園のゲートを出た。

人工空の夕焼けが赤く染まり、街路樹に似せて設計された光合成パネルがオレンジに輝いている。

 

「今日も疲れたね」

「うん……でも、ルナが隣にいてくれるから」

「もちろん! 私、シャアラの味方だから」

 

シャアラは小さく笑い、肩の力を抜いた。その笑顔を見て、ルナの胸もほんのり温かくなる。

 

すれ違う中庭では、ハワードがベルを連れて大げさに身振り手振りで何かを話していた。ベルは曖昧な笑顔で頷いている。

少し離れた場所で、メノリは後輩らしき生徒を捕まえて熱心に指導していた。

そして、校舎の影にカオルとリュウジの背中が一瞬見えた。二人は言葉を交わすこともなく、ただ静かに歩き去っていく。

 

ルナは思わず足を止め、その姿を見つめてしまった。

「ルナ?」

「あ、ううん……なんでもないよ」

胸の奥に生まれたざわめきを誤魔化すように、ルナは笑ってみせた。

 

◇◇◇

 

自宅に戻ると、チャコが玄関まで迎えに飛び出してきた。

「おかえりや! 今日はどんなことあったん?」

「ふふ、色々あったけど……授業はちょっと難しかったかな」

「ウチが解析したろか? 学園のデータベースにアクセスできたらやけど」

「それはダメ。留守番できただけで十分だよ、ありがとう」

 

ルナはチャコの頭を撫でた。冷たい金属の感触の奥に、どこか温もりを感じる。

 

シャワーを浴び、ベッドに潜り込むと、今日一日の出来事が頭を巡った。

シャアラの笑顔。メノリの厳しさ。シンゴの熱。ハワードの賑やかさ。ベルの静けさ。

そして――リュウジの孤独な背中。

 

「……あの人は、いったい……」

答えの出ない問いを胸に抱えながら、ルナはゆっくりと目を閉じた。人工の夜空に浮かぶ星々が、眠りにつく彼女を静かに見守っていしか

 

 

◇◇

 

朝 ― 新しい日常

 

 目を覚ますと、天井に取り付けられた照明が自動で淡く点灯した。ルカA2コロニーの朝は、地球のように太陽が昇るわけではない。人工重力と人工気象システムが管理する時間割に沿って、コロニー全体の「朝」が訪れるのだ。

 

 私はベッドから身を起こし、髪を軽く結わえながら深呼吸をした。部屋の片隅には、父の形見である古びたリュックが置かれている。毎日学校に持って行くそれを視界に収めるたびに、胸の奥で小さな痛みと温もりが交差した。

 

「……今日も、頑張らなきゃ」

 

 口に出してみると、少しだけ勇気が湧く。私はテーブルに用意してあった携帯食を手に取り、封を切った。温めなくても食べられる簡便なパック式で、味はそこそこ。でも、ちゃんと栄養は計算されている。

 

「ルナ、おはよ」

 

 少し機械じみた、けれどどこか人間らしい声が背後から聞こえた。振り返れば、私の大切な相棒――ネコ型ロボットのチャコがこちらを見ていた。

 

「おはよう、チャコ」

「朝からよう頑張っとるなぁ。そんなんでちゃんと腹ふくれるんか?」

「大丈夫。栄養は足りてるし、時間もないからね」

「せやけど……ほんまは温かいもんのほうがええんちゃう?」

 

 チャコの関西弁まじりの声を聞くと、少しだけ緊張がほぐれる。私は笑ってパックを食べ終えると、リュックを背負い、ドアの前で振り返った。

 

「行ってくるね、チャコ」

「気ぃつけや。無理せんと、困ったらちゃんと人に頼るんやで」

「うん、わかってる」

 

 そう言い残して部屋を出る。チャコは学校には連れていけない。旧式で目立つから、余計な噂の種になってしまうだろう。だから、チャコにはいつも留守番をお願いしている。

 

 人工の空の下、登校路を歩く。今日も一日が始まる。

 

◇◇◇

 

 ソリア学園は、ロカA2でも屈指の名門校だ。施設はどれも最新鋭で、広大な校庭や実験棟、シミュレーションルームが整っている。生徒は各コロニーから集められ、将来の宇宙開発を担う人材がここで育成されていた。

 

授業 ― 重力嵐の歴史

 

 一時間目の授業は「宇宙環境史」だった。ホログラムに映し出されたのは、かつての地球の映像。青い海、緑の大地。けれどやがて映像は荒れ狂う嵐や地殻変動の様子に変わり、人類がコロニーへと移り住むことになった経緯が説明される。

 

「この異常気象や地殻変動の原因は未だ完全には解明されていない。しかし、後世における『重力嵐』の発見が、大きな手がかりとされている」

 

 教師の言葉に、生徒たちがざわめいた。

 重力嵐――それは宇宙を旅する人類にとって、最大級の脅威の一つだ。

 

「この現象は重力場の乱れによって発生し、付近の物体を飲み込み、時に異なる宇宙空間へ放り出す。かつての大規模な地殻変動も、その影響である可能性が示唆されている」

 

 私は思わず息をのんだ。映像の渦に吸い込まれるような感覚に、心臓が早鐘を打つ。

 

「ルナ、大丈夫?」

 

 小声で心配そうに聞いてくれるシャアラに笑みを返す。

「うん、平気」

 

 教室の別の席では、シンゴが熱心にノートを取っていた。まだ十二歳の彼は飛び級で学園に入った天才少年だ。隣の席の誰とも話さず、ただ真剣にホログラムを見つめている。

 

 前列にはメノリが座っている。生徒会長らしい厳格な姿勢で、教師の言葉を一言も聞き漏らすまいとしていた。彼女の纏う空気は凛としていて、近寄りがたいものがある。

 

 一方、後方の席ではハワードが大げさな身振りで隣の生徒に何かを語っていた。その隣で、ベルが困ったように小さく相槌を打っている。大柄な体格のベルは目立つけれど、その表情はどこか気弱さを感じさせた。

 

 そして、窓際。

 カオルは静かに、誰とも目を合わせず外を見ていた。

 さらにその斜め後ろの席には、黒髪のリュウジが座っている。鋭い眼差しでノートを走らせるその姿は、どこか近寄りがたい雰囲気をまとっていた。

 

 私の胸の奥で、小さな疑問が芽生える。彼はどこか普通の生徒とは違う気がする。けれど理由は分からない。

 

◇◇◇

 

放課後 ― すれ違う影

 

 放課後。私はシャアラと別れたあと、校門近くで二人の影を見た。

 

 カオルとリュウジが、偶然廊下ですれ違ったのだ。

 言葉を交わすことはなかった。けれど、ほんの一瞬、互いの視線が鋭く交錯した。

 

 その空気に胸がざわついた。私には分からない過去が、二人の間に横たわっているような……。

 

帰宅 ― チャコとの対話

 

「ただいま」

 

 部屋に戻ると、チャコがすぐに迎えてくれた。

「おかえり、ルナ! 今日はどないやった?」

「うん、授業は難しかったけど……なんとか」

「そら大変やなぁ。けど、ルナなら大丈夫や。ウチが保証するわ」

 

 チャコの声に、肩の力が抜ける。

 

 食堂の光景、リュウジの姿、すれ違ったカオル。

 今日一日の出来事が頭を巡った。

 

「……私、みんなともっと仲良くなれるのかな」

「焦らんでええんや。人はゆっくり近づいていくもんやろ」

 

 チャコは当たり前のように言った。私はその言葉に救われる。

 

◇◇◇

 

 ベッドに横になり、天井を見上げた。

 この学園での日々が、これからどんな未来につながっていくのだろう。

 

 心の奥で、小さな予感が灯る。

 遠くで轟く「重力嵐」の映像が、なぜか忘れられなかった。

 

 そして私はまだ知らない。

 冷たい瞳のリュウジが、かつて歴史に刻まれた「悲劇のフライト」の当事者であることを。

 カオルと彼の間に、深い過去が横たわっていることを。

 

 ただ、胸の奥に芽生えた小さな違和感と、これから始まる冒険の前触れだけが、静かに脈打っていた。

 

◇◇◇

 

 第2章 出発

第一節 旅立ちの朝

 

 空港ターミナルの巨大なガラス窓からは、青白く輝く星々と、整然と並ぶシャトルの姿が見渡せた。ここはソリア学園の特別研修で用意された集合場所。生徒たちは私服姿で、それぞれの荷物を手に、次々と集まってきていた。

 

 ルナは父の形見のリュックを背負い、緊張と期待を抱えながら人混みを見渡していた。シャアラはその隣に寄り添い、不安そうに小さな声で話しかける。

 

「……本当に、これから宇宙に行くんだよね。私、ちゃんとやっていけるかな」

 

「大丈夫。私たち、一緒だから」

 

 ルナはにっこりと微笑んだ。握りしめるリュックの感触が、彼女に勇気を与えてくれる。

 

 その少し離れた場所では、メノリが腕を組み、きちんと並ぶように周囲の生徒へ声をかけていた。

 

「集合時間はとっくに過ぎている。まだ来ていない人は速やかに列に加わるように」

 

 毅然とした態度に、ハワードが眉をひそめる。

 

「ええ? まだ出発まで余裕あるだろ。そんなにカリカリしなくてもさ」

 

「規律を守ることが安全に繋がるんだ。理解できないのか?」

 

「うわ、またお堅いお説教だ」

 

 ハワードは肩をすくめて笑いながらも、結局は言われた通り列に並ぶ。その横で、ベルが少し戸惑いながらもハワードの後ろに従った。

 

 そこへ、シンゴが駆け足でやってきた。息を弾ませながらも瞳は輝いている。

 

「間に合った! あ、みんなもう揃ってるんだ」

 

「遅いぞ、シンゴ」メノリが冷たい視線を向ける。

 

「ご、ごめん。機材チェックしてたら時間が……」

 

 そんな会話の背後から、低い声が響いた。

 

「全員、揃ったか」

 

 振り返れば、無愛想なカオルが腕を組んで立っていた。その隣には、冷たい瞳をしたリュウジの姿がある。二人が並ぶと、場の空気が一層張り詰めるようだった。

 

「……じゃあ、搭乗手続きを済ませよう」

 

 ルナの心臓は早鐘を打っていた。いよいよ本当に、この仲間たちと宇宙へ旅立つのだ。

 

◇◇◇

 

 

 シャトルが出発し、振動が収まると、生徒たちは案内に従って船内の食堂へと移動した。そこは木目調の温かみを残したクラシックな造りで、壁際には人間のスタッフが立ち、笑顔で生徒たちを迎えている。

 

「さあさあ、こちらへどうぞ。本日の昼食は数種類から選べますよ」

 

 トレイを手に、ルナはシャアラと並んで席を探した。

 

「ねえ、こっち空いてるよ」

 

 二人はテーブルに腰を下ろし、温かい湯気の立つ料理を前にほっと息をついた。

 

「やっぱり、人の手で作られたごはんって安心するよね」ルナが呟く。

 

「うん……機械だけじゃないんだって、ちょっと嬉しい」シャアラが微笑んだ。

 

 向かいの席では、ハワードがベルに話しかけている。

 

「やっぱり僕はこのステーキだな。ベル、お前も同じにしろよ。どうせ迷ってるんだろ?」

 

「え、でも……野菜も取った方がいいんじゃ……」

 

「いいからいいから! 肉だ、肉!」

 

 その調子にベルは押され、結局同じものを選んでしまう。そんな二人を見て、シンゴは呆れたように笑った。

 

「全然健康的じゃないよ。僕はバランス重視で行くから」

 

 一方、メノリは一人、姿勢正しく食事を進めていた。その規律正しい所作が、周囲を少し黙らせるほどの存在感を持っている。

 

 食堂の片隅。カオルとリュウジが向かい合って座っていた。二人の間には短い沈黙が流れ、周囲も気軽に声をかけられない雰囲気が漂っている。

 

「……お前がここにいるとはな」カオルが低く呟く。

 

「驚いたか?」リュウジの声は冷たかった。

 

「当然だ。最年少でS級ライセンスを取った奴が、学園の研修に混じってるなんて」

 

「別に、俺のことを話す義理はないだろ」

 

 カオルは苦々しげに視線を逸らす。

 

「……ルイが生きてたら、どう思うかな」

 

 一瞬、カオルの手が止まった。目の奥に影が差す。

 

「その名前を出すな」

 

 鋭い言葉に、リュウジも言葉を飲み込む。二人の間には確かに過去がある。しかし今はまだ、その全貌を誰も知らない。

 

 少し離れた場所で、ルナは二人の様子を気にしていた。けれど、彼女には事情がわからない。ただ、二人の冷たい視線のぶつかり合いが胸をざわつかせた。

 

◇◇◇

 

第三節 班分け

 

 食事が終わると、メノリが立ち上がった。

 

「これから活動班を編成する。効率よく動くためには、今から役割をはっきりさせるべきだ」

 

「もう? 別に行き当たりばったりでいいんじゃない?」とハワード。

 

「駄目だ。統率が取れなければ事故に繋がる」

 

 結局、メノリの提案が通り、班分けが始まった。

 

「1班のメンバーは──ルナ、シャアラ、メノリ、ハワード、ベル、シンゴ、カオル、そしてリュウジ。この八人でひとつの班だ。リーダーは私が努める」

 

 その発表に、場の空気が微妙に揺れた。誰もが、リュウジとカオルが同じ班に入ることを意識したからだ。

 

「ふん、まあいいさ。僕がいれば班は安泰だ」ハワードが胸を張る。

 

「……ハワードが一番心配なんだよ」とシンゴが小声で呟いた。

 

 ルナは不安そうに隣のシャアラの手を握った。彼女にとって唯一安心できる存在は、今のところシャアラだけだった。

 

◇◇◇

 

第四節 思わぬ stowaway

 

それぞれのキャビンに戻った頃だった。シャトルがコロニーを離れ、完全に宇宙空間に出てしばらくした時、ルナのリュックが突然もぞもぞと動いた。

 

「えっ……?」

 

 慌てて開けると、中から小さなネコ型ロボット――チャコが飛び出した。

 

「ふぅ〜、やっと出れたわ! あん中、窮屈すぎんねん!」

 

「チャコ!? なんでついてきてるの!」

 

「そら決まっとるやろ。ルナが心配やからや。ウチ、留守番とか性に合わへんねん」

 

 ルナは慌てて声を潜めた。

 

「ダメだよ、こんなところに来ちゃ……!」

 

「今さら言うても遅いで? もう宇宙やで? ウチ、ここで頑張るつもりや」

 困り果てるルナ。

 チャコ一人を返すわけにもいかず、慌ててリュックに詰め込んだ。

「いい!絶対にリュックから出ないでよ!!」

 そう言い残してリュックのチャックを閉じた。

 

 けれど、ルナの胸には不安が残る。チャコがここにいることで、予期せぬ問題が起こらなければいいのだが──。

 

第五節 迫り来る影

 

 船内の窓から見える宇宙は、静かで美しかった。星々の光が流れ、誰もがその景色に見とれていた。

 

 だが、計器に映る数値がわずかに乱れ始めていることに、まだ誰も気づいていなかった。

 

 ルナは胸騒ぎを覚えた。理由はない。ただ、何かが迫っている──そんな予感だけが、強く心に残った。

 

 ◇◇◇

 

宇宙船の奥、避難区画に設けられた格納庫に、小型シャトルが並んでいた。

艶やかな白い外殻に青いラインが走り、十数名ほどを収容できる程度の大きさだ。非常用として設計されたその船体は、母船の巨大さと比べると心許なく、まるで玩具のように見えるほどだった。

 

「こっちだ! こっちに乗り込むんだ!」

 

船長の短く鋭い指示に、学園の生徒たちは一斉に駆け出す。緊急警報が赤いライトとともに鳴り響き、金属の壁が低く唸る。船体は時折、不規則に揺れ、立っているだけでもバランスを崩しそうになる。

 

「しっかりして、シャアラ!」

 

「……うん、大丈夫……」

 

ルナは怯えるシャアラの手を握り、必死に前へ進む。

胸の奥は恐怖でいっぱいだったが、仲間の顔を見れば立ち止まってはいられない。父の形見であるリュックを背負い直し、彼女は息を切らせながら仲間を導く。

 

「急げ! 時間がない!」

 

メノリが鋭い声を飛ばした。その声音には緊張と焦りが滲んでいたが、的確に周囲を動かす迫力もあった。彼女の「だろう」調の口調は、こういう場面では不思議と頼もしく響く。

 

「わ、分かってるって……!」

 

ハワードは慌てて走りながらも、額に浮かんだ汗を気にしている様子だった。

彼の後ろに続くベルは、必死に肩で息をしながら、ハワードの背中にしがみつくように走っていた。

 

「ハワード……待ってくれよ……!」

 

「遅れるなよ、ベル! 僕は華麗に生き残らなきゃならないんだ!」

 

「この状況で何を言ってるんだ、お前は!」

メノリがぴしゃりと叱責する。その声にハワードは小さく肩をすくめた。

 

一方、最後尾を走るのはカオルとリュウジだった。二人は仲間の背中を守るように走り、鋭い視線を周囲に向けている。

無言のカオルは、緊張しているというよりは状況を冷静に見極めている風で、逆にリュウジは眉をひそめ、わずかに苛立ちを隠そうともしなかった。

 

「ちっ……遅い……」

 

冷たい声が漏れるが、それ以上は言わず、彼もただ黙々と駆け続ける。

 

やっとの思いで一同は格納庫に辿り着いた。

そこにはすでに数機のシャトルが待機していたが、乗員の数と比較すると圧倒的に足りないことは一目瞭然だった。

 

「分かれろ! それぞれの班で乗り込むんだ!」

 

メノリの指示に従い、ルナたちは一つのシャトルへと向かう。

ルナ、メノリ、ハワード、ベル、シンゴ、カオル、シャアラ、リュウジ――総勢八人がこの一隻に割り当てられた。

 

シャトルのハッチが自動で開き、狭い内部が姿を見せる。

通路を挟んで左右に簡素な座席が並び、前方には二人用の操縦席。壁は白い金属で覆われ、緊急灯が青白く光を落としていた。

 

「ここに……乗るんだね……」

 

シャアラが怯えた声を漏らす。

ルナは頷き、仲間を先に乗り込ませようと手を振った。

 

「大丈夫だよ、シャアラ。ほら、私たちが一緒だから」

 

その声に少し安心したのか、シャアラはルナの後ろにくっつくようにして中へ入っていった。

 

乗り込むなり、ハワードは目ざとく操縦席に飛びついた。

 

「おお! ここが操縦席か! ふふん、やっぱり僕にはこういう華があるね!」

 

「ハワード! 触るな!」

メノリの声が鋭く響く。

 

「触るなって言われても……このスイッチとか、すごく気になるだろ?」

 

「気になるとか言ってる場合じゃないだろう!」

メノリは厳しく叱責するが、ハワードは聞く耳を持たない。彼はレバーや計器を指でつつき、まるで自分がパイロットであるかのように胸を張った。

 

「なあ、ベル! 僕、似合ってるだろ?」

 

「……あ、ああ……でも……ほんとに触って大丈夫なのか……?」

 

「だ、大丈夫だって! 僕はセンスがあるんだ。ほら、このボタンなんか――」

 

「やめろ、ハワード!」

リュウジが低く鋭い声を投げた。彼の目は冷たく、睨まれたハワードは一瞬たじろいだ。

 

「な、なんだよ……そんな怖い顔して……」

 

「お前が余計なことをすれば、全員が死ぬ」

 

冷徹な響きに、ハワードは口をつぐむ。だが、その手はまだ計器の周辺を彷徨っていた。

 

「まったく……この状況で遊ぶな。分かったな?」

カオルも低く告げ、操縦席からハワードを半ば引きずり下ろす。

 

「わ、分かったよ! 触らなきゃいいんだろ、触らなきゃ!」

 

ハワードは不満げに口を尖らせながらも、渋々席を離れた。

そのやり取りを見て、ルナは心臓が冷たくなる思いをしていた。今はただ、早くシャトルを発進させることが何より大切なのだ。

 

「みんな、座って! もう出発するんだから!」

 

ルナの声に導かれ、それぞれが座席に腰を下ろす。安全ベルトを締める音が重なり、室内には緊張した沈黙が広がった。

 

そして――ハッチが閉じ、母船から切り離される時が迫っていた。

 

 

シャトルのハッチが完全に閉じると、機内に一瞬、無音の静寂が訪れた。

やがて低い駆動音が響き、壁面のパネルが光を灯す。緊急シーケンスが自動的に起動し、離脱準備が整っていく。

 

「よし、これで安全に――」

 

メノリが確認の声を上げようとしたその時だった。

再び操縦席の前に座り込んだハワードが、興奮気味にあちこちの計器を覗き込み始めたのだ。

 

「おおっ! すごいな、ここから全部の操作ができるんだ! 僕がパイロットをやったら、きっと映画みたいに――」

 

「ハワード! いい加減にしろ!」

メノリが声を荒げるが、彼は全く聞いていない。

 

「だってさ、ほら、この赤いボタンとか――」

 

「触るなって言っただろ!」

メノリの叱責が飛ぶが、言うことを聞かないハワードにルナも慌てて立ち上がるが、その瞬間――

 

――カチリ。

 

軽い音と共に、赤いランプが点灯した。

一拍置いて、機体全体が揺さぶられる。

 

「な、なに!?」

シャアラが悲鳴を上げた。

 

次の瞬間、シャトルが母船から切り離される感覚が襲った。

激しい衝撃とともに、視界の端から巨大な母船の船体が遠ざかっていく。

 

「切り離された……!? 誰が操作したんだ!」

メノリが叫ぶ。

 

「ま、まさか……」

ベルがハワードを振り返る。だが当の本人は、顔を真っ青にして首を振っていた。

 

「ち、違う! 僕は……! ほんのちょっと触っただけで……!」

 

「触ったんだな……!」

リュウジの声が冷たく響く。

しかし真相を確かめる余裕などなかった。

 

窓の外――虚空に、不気味な光が渦を巻いている。

青白い稲光が網のように絡み合い、重力の波が宇宙空間を揺らしていた。

 

「……重力嵐だ!」

カオルが低く呟く。

 

「まずいぞ、引き込まれる!」

シンゴが叫び、必死に計器を操作しようとするが、警告音が鳴り響くだけだった。

 

「シャトルの推進機能が不安定になってる……! このままじゃ――!」

 

揺れが増し、座席から体が浮き上がる。

シャアラは悲鳴を上げ、ベルは隣にいた彼女を守るように覆いかぶさる。

 

ルナは必死にリュックを抱きしめ、目をつむった。

鼓動が速くなり、耳鳴りが頭の中を支配していく。

 

(お願い……どうか、みんなを守って……!)

 

その祈りにも似た思いが、金属の振動にかき消されていく。

シャトルは光の渦の中へと、容赦なく呑み込まれていった。

 

シャトルは重力嵐に呑み込まれ、制御を失ったまま激しく揺さぶられていた。

警告音が絶え間なく鳴り響き、機体の計器は真っ赤に点滅している。

 

「このままじゃ、機体がバラバラになる!」

シンゴが必死にモニターを叩くが、応答はない。

 

「推進装置が完全にシャットダウンしてる……操縦系統も死んでる!」

メノリの顔から血の気が引いた。彼女の冷静な声にも焦りが混じっている。

 

「ど、どうすれば……!」

シャアラは半泣きでルナの腕を握る。

 

「落ち着いて! 絶対に方法があるはず!」

ルナは震える心を押さえ込み、みんなを見回した。だが答えは誰にも出せない。

 

――その時だった。

 

ルナの背中のリュックが「ガタッ」と動いた。

次の瞬間、ファスナーを内側から無理やりこじ開けるようにして、小さな影が飛び出す。

 

「ふぅ~~っ、やっと出られたわぁ!」

 

茶色い金属の耳をぴょこんと立てた猫型ロボット――チャコが、器用に床へ着地した。

 

「な、なんだあれ!?」

シンゴが目を丸くする。

 

「しゃ、しゃべった……猫がしゃべったぞ!?」

ベルが驚きで声を裏返らせる。

 

「ロボット……? ルナ、これは一体どういうことだ!」

メノリが鋭い目で問いただす。

 

「えっ……えっと……」

ルナは言葉を詰まらせる。彼女自身、チャコがなぜここにいるのか、説明できなかった。

 

「な、なんでネコのロボが……ルナのリュックから!?」

シャアラが怯えたように身をすくめる。

 

リュウジとカオルは険しい表情のまま、無言でチャコを見つめていた。

 

だが当のチャコは、全員の視線も気にせず、壁際の制御端子へと駆け出していく。

 

「そんなん後や! 今はシャトルがヤバいんやろ!」

 

「チャコお願い!」

ルナの声に「せや」と反応し、モニターの前にチャコはぴたりと立ち止まり、小さな手のひらを制御端子に押し当てた。

次の瞬間、微かな光が走り、内部から「カチリ」と機械が再起動する音が広がった。

 

端に彼女の瞳が青白く輝き、機体全体が低い駆動音を立てる。

 

「……アクセス開始! 機能停止しとったシステムを再起動するで!」

 

「ほんとにできるのか!?」

シンゴが目を丸くする。

 

「旧式でも伊達やないんや。解析データ流し込んで……はいっ!」

 

次の瞬間、暗く沈んでいた操縦パネルが一斉に光を取り戻した。

途切れていた制御系統が、再び生き返ったのだ。

 

「やった……!」

シャアラが涙声で呟く。

 

「でも、安定はまだ先や! 誰か操縦桿を握って、降下制御せなあかん!」

チャコの声が震える。

 

「操縦桿……?」

みんなが一斉にリュウジへ視線を向ける。彼なら操縦の経験があるはず――しかし。

 

「……俺はやらない」

リュウジは低く吐き捨てるように言った。その表情は冷たく、硬い。

 

一瞬、空気が凍りつく。

 

ルナは息を呑み、操縦席に視線を向けた。

モニターに「手動操縦可」の文字が浮かび上がっている。

 

「……私がやる!」

 

「ルナ!? 危険だ、素人が――」

メノリが制止しようとしたが、ルナは振り返らず操縦席に飛び乗った。

 

「誰かがやらなきゃ、全員助からない! 大丈夫、やれる!」

覚悟を決めたルナは操縦席のシートベルトを締めた。

 

ルナは両手で操縦桿を握りしめ、唇を噛んだ。

 

その肩越しに、無言で立ち上がった影が一つ。

リュウジだ。

 

彼は冷え切った眼差しのまま隣に立ち、ちらりとルナを見た。

「……死ぬのは構わない。だが、俺の罪とお前たちは関係ない」

 

小さく、低く、ルナにだけ届くようにつぶやいた。

その声には感情がこもっていないのに、不思議と胸に突き刺さるものがあった。

 

「リュウジ……」

ルナは振り向かず、短く名を呼ぶ。

 

「指示は出す。動かすのはお前だ」

彼はただそれだけ言い、隣の補助コンソールに手をかけた。

 

「おおきに、ルナ! ほなウチも一丁手ぇ貸すわ!」

チャコも端子から手を離さぬまま、ルナの足元近くに移動してくる。

手のひらを端末に押しつけ、必死に信号を流し続けていた。

 

「スラスター、右前がまだ生きとる! ルナ、操縦桿をちょびっと手前に引いて、傾き修正や!」

「ルナ、左だ。重力に逆らうな、乗れ」

リュウジとチャコ、二人の声が交互に飛ぶ。

 

「うん……!」

ルナは必死に応じ、操縦桿を引き込んだ。

 

――船体が大きく軋む。

だが、わずかに進行方向が修正される。

 

その間、メノリはすでに行動を開始していた。

「全員、座席に座れ! シートベルトをしっかり締めろ、早く!」

 

シャアラは慌てて腰を下ろし、震える手でバックルを閉める。

ベルは隣のシンゴのシートベルトを手伝いながら、「大丈夫、絶対大丈夫だ」と優しく繰り返す。

ハワードは顔を青ざめさせ、「ぼ、僕はまだ心の準備が……!」と騒ぎ立てるが、メノリが鋭く叱責する。

 

「黙って座れ! 全員の命がかかっているんだ!」

 

その迫力に押され、ハワードもしぶしぶベルトを締めた。

 

「……いいか、ルナ」

リュウジの低い声が耳元に落ちる。

「大気圏突入までは俺とこいつ(チャコ)の声だけ聞け。他の音は雑音だ」

 

「分かった」

ルナは短く返事をし、真っ直ぐ前を見据えた。

 

外の視界には、すでに青く光る惑星の縁が迫っている。

その境界は揺らめき、まるで炎の壁のように見えた。

 

「……突入するで! 心してかかりや!」

チャコが叫んだ瞬間、シャトルは大気圏へと突っ込んでいった――。

 

◇◇◇

 

シャトルが青い大気の膜を突き破った瞬間、轟音と共に船体が激しく揺さぶられた。

 

「きゃあっ!」

「うわああ!」

 

シャアラやシンゴの悲鳴が響く。

外の視界は真紅に染まり、窓の外を炎が這いずる。

振動は骨の芯まで響き、座席に固定された仲間たちの体を無慈悲に揺さぶり続ける。

 

「くっ……!」

ルナは操縦桿を握り締め、必死に体を前へ預けた。

手は汗で滑り、歯を食いしばっていなければ、全身が振動に飲み込まれてしまいそうだった。

 

「ルナ! 機体が右に傾いとる! 補正せな横転するで!」

チャコの警告が飛ぶ。

 

「……!」

ルナは咄嗟に操縦桿を左へ切り込む。

だが反応は鈍く、機体は重力に引きずられるように右へ傾き続けた。

 

その瞬間――隣の補助コンソールに影が落ちた。

 

リュウジだ。

 

彼は無言のまま、指先で補助入力を行う。

画面に青い文字列が走り、即座にスラスター出力が最適化される。

 

「……っ!」

ルナの動きと連動して、機体がわずかに持ち直す。

 

「いける……!」

ルナは息を呑み、前へと視線を戻した。

 

炎はますます濃く、船体が軋む音が耳をつんざく。

だがリュウジは顔色一つ変えず、ただ黙々と補助入力を続けていた。

その姿は無慈悲な現実の中で、唯一の安定した軸のように感じられる。

 

「高度急降下中! 減速せな地面に突っ込むで!」

チャコが必死に叫ぶ。

 

「分かってる!」

ルナは叫び返し、操縦桿を前に押し込む。

しかし制御は重く、警告音が容赦なく鳴り響く。

 

「フラップ反応せぇへん! 非常系統に切り替えるで!」

チャコが再び手のひらを端末に押しつける。

青白い火花が散り、システムが一瞬ブラックアウトした。

 

――その時。

 

リュウジの手が滑らかにキーを叩き、再起動プロセスを上書きする。

無言で。

表情も変えずに。

 

再びモニターが灯り、フラップ系統が回復した。

 

「ルナ、今や!」

チャコが叫ぶ。

 

「……っ、いけぇぇ!」

ルナは操縦桿を引き込んだ。

 

シャトルは炎をまとったまま、急激に機首を上げる。

窓の外に見えていた青い地表が、視界の端へと滑り込んだ。

 

「耐えろ……耐えて……!」

ルナの声は震えていたが、指先は決して離さなかった。

 

船体が悲鳴を上げるようにきしむ。

だがその傍らで、リュウジは一言も発さないまま淡々と補助を続けていた。

まるで、自分の命などどうでもよいかのように。

 

そして――。

 

「減速成功! 機体のバランス戻ったで!」

チャコが歓声をあげる。

 

ルナは涙をにじませながら、ようやく操縦桿を中立に戻した。

 

次の瞬間、衝撃が全員を襲う。

シャトルが大地に叩きつけられ、地面を滑走し、岩を跳ね飛ばし、砂煙を巻き上げた。

 

「うわあああっ!」

「きゃああ!」

 

座席に固定された仲間たちの悲鳴。

それでもルナは最後まで操縦桿を離さず、機体を必死に制御する。

 

――やがて。

 

すべての衝撃が止んだ。

砂煙がゆっくりと収まっていく。

 

「……と、止まった?」

シャアラがおそるおそる目を開く。

 

船内はまだ警告音が鳴り響いていたが、機体は完全に静止していた。

 

「不時着……成功や!」

チャコが腕を振り上げ、喜びを爆発させる。

 

ルナは操縦桿に額を押しつけ、深く息を吐いた。

手は汗で濡れ、全身が震えていた。

 

「よくやったな」

隣から低く、抑えた声。

 

振り向くと、リュウジが無言で立ち去ろうとしていた。

その背中は、炎の光を背負った影のように重く、冷たかった。

 

そして次の瞬間、彼女の頭ががくりと垂れる。

それはルナだけでなく、シャアラも、カオルも、ハワードも、シンゴも、ベルも、メノリも。

みな、意識を手放すように崩れ落ちた。

 

チャコは端末から手を離し、燃え尽きたように肩を落とした。

それでも目を鋭くし、黙り込むリュウジを見上げる。

 

「……アンタ、何者なんや?」

 

リュウジは答えなかった。

ただ、窓の外に広がる青い惑星の大地をじっと見つめていた。

彼の横顔は冷たく、けれどどこか深い影を宿していた。

 

その声は船内に沈む煙のように、静かに消えていった。

少しの間、ただ警告音と外の風のうなりだけが響いていた。

 

やがて、チャコは深く息を吐き、リュウジから視線を外す。

ぐったりと倒れ込むルナの姿に目を向けると、その小さな体を必死に支えた。

 

「……アンタが、ルナを助けてくれたんやな」

 

振り返り、もう一度リュウジを見る。

彼は無言のまま、窓の外に目をやっていたが――それでも、操縦桿を握るルナの手の横で確かに支えていた姿を、チャコは見ている。

 

「……ありがとうや。ウチひとりじゃ、ルナは守れへんかった」

 

チャコの声は震えていたが、心からの感謝が滲んでいた。

それでもリュウジは答えなかった。ただその影のような瞳に、かすかな揺らぎを宿しただけだった

 

◇◇◇

 

 

 ――波の音が聞こえる。

 どん、と打ち寄せる低い響きと、さらさらと引いていく細やかな音。その繰り返しが鼓膜を震わせるたび、胸の奥まで揺さぶられるようだった。

 

 ルナはゆっくりとまぶたを開いた。

 視界に広がったのは、見渡す限りの白い砂浜。空は淡い青色で、太陽のように眩しい光が降り注いでいる。潮風が髪を揺らし、頬にひやりとした感触を残した。

 

 「……ここ……」

 

 掠れた声で呟くと、昨日の記憶が一気に押し寄せてくる。

 宇宙船の事故、避難シャトル、炎の大気圏突入、必死で握った操縦桿――そして、光が途切れる直前に仲間たちが気を失った光景。

 

 「夢じゃないんだ……」

 

 上体を起こそうとした瞬間、肩から腕にかけてずきりと痛みが走った。手のひらには操縦桿を握った痕が赤く刻まれている。

 

 「ルナ! 目ぇ覚めたんか!」

 

 背後から聞き慣れた声。振り返ると、チャコが砂に足跡を残しながら駆け寄ってきた。煤に汚れた毛並みのまま、目だけは力強く輝いていた。

 

 「チャコ……」

 「ほんま心配したんやで。操縦席で倒れて、そのまま気ぃ失ってしもたんや」

 「……そっか。私……」

 

 胸の奥に、昨日の恐怖と緊張が重く蘇る。必死で支えてくれたリュウジとチャコの姿が、目尻を熱くした。

 

 「他のみんなは……?」

 

 ルナが問うと、チャコは後ろを振り返った。

 砂浜に打ち上げられた小型シャトルが傾いたまま停止しており、その中や周囲に仲間たちが倒れていた。

 

 メノリは両腕を胸に抱きしめるようにして眠り、顔は青ざめている。

 シャアラはルナの方へ身を寄せるように丸くなっていた。

 ベルは砂に背をつけ、重たい呼吸を繰り返している。

 シンゴは眼鏡を斜めにかけたまま横たわり、小さな寝息を立てていた。

 ハワードは砂を握りしめるように手を動かしながら、口を半開きにしている。

 カオルは腕を組んだ姿勢のまま、項垂れて眠っていた。

 そしてリュウジ――ただ一人、眠らずにシャトルの影に腰を下ろし、海を睨むように見据えていた。

 

 潮風に揺れる黒髪、険しい横顔。

 名前を呼ぶと、彼はちらりと振り向いた。

 

 「起きたか」

 それだけを冷たく言い、また視線を海へと戻す。

 

 だがルナには、その一言に安堵が滲んでいるように思えた。

 

 視線の先、水平線が陽光を反射して眩しく輝いている。白い波が絶え間なく押し寄せ、砂浜を濡らし続けていた。背後には、砂丘のように盛り上がった地形と、そこから続く濃い森の影。

 

 「……ここが、私たちの……」

 ルナが呟くと、チャコが低く答えた。

 「そうや。ここが、アンタらが生き抜かなあかん場所や」

 

 潮の匂いが肺に染みる。

 昨日までの学園生活――温かい食堂での昼食、父のリュックを抱えて通った日々。それらはもう遠い。

 

 未知の惑星の砂浜。

 ここから、彼女たちのサバイバルが始まるのだ。

 

 シャトルの中は、まだ焦げた匂いと金属の熱気が残っていた。窓から差し込む光は眩しく、潮騒の音が遠くからかすかに響いている。

 ルナはまず体を起こし、重たい頭を振った。――生きている。そう実感すると同時に、視線の先に仲間たちの姿が広がった。みんな座席にぐったりとしたまま、意識を失っている。

 

 「……みんな……起きて……お願い」

 

 ルナは隣に座っていたメノリに手を伸ばした。シートベルトで固定されたまま、彼女はかすかに顔を歪めている。

 「メノリ、私だよ……起きて」

 肩を揺すると、メノリがうめき声をあげ、目を開いた。

 「……ここは……?」

 「シャトルの中。私たち、不時着したの」

 メノリは状況を理解すると、浅く息をつきながら周囲を見渡した。

 「……全員、無事か……?」

 「うん、今から起こす」

 「そうか……なら、急がないと」

 

 続いてシンゴ。頭をだらりと垂れ、眼鏡がずれていた。ルナがそっとかけ直すと、彼はまぶたを震わせた。

 「……ルナ……? 僕、夢じゃないんだよね」

 「夢じゃない。大丈夫、私たち生きてる」

 「……よかった……」

 

 次はベル。大きな体をシートに預け、口を半開きにして眠っている。ルナはその手を強く握った。

 「ベル、起きて!」

 やがて彼の目が開き、呆然と天井を見上げる。

 「……ルナ……俺たち、助かったのか……?」

 「ええ……助かったんだよ」

 「……わかった」

 

 シャアラの頬に触れると、彼女はすぐに目を覚ました。

 「……ルナ……?」

 「うん。大丈夫だよ」

 「怖かった……」

 「もう大丈夫。私がいるから」

 シャアラは涙を拭い、ルナにすがりつくように頷いた。

 

 次にハワード。シートにもたれ、呻き声を上げている。

 「……僕は……」

 「ハワード、起きて!」

 目を開けた途端、彼は狼狽した。

 「な、なんだよここ!? なんで砂の匂いがするんだ!」

 「落ち着いて! 私たち、なんとか着陸できたの」

 「う、うそだろ……」

 彼は青ざめた顔で窓を見やり、口をつぐんだ。

 

 最後にカオル。彼は目を閉じ、腕を組んだまま動かない。ルナは肩を揺さぶった。

 「カオル……聞こえる?」

 しばらくの沈黙ののち、彼はゆっくりと目を開いた。

 「……あぁ。……生きてるな」

 「うん」

 それだけを言って、彼は再び目を閉じたが、呼吸は確かに整っていた。

 

 こうして全員が目を覚まし始めた。ルナは皆を確認し、深く息をついた。

 

 「さあ、外に出よう。ここがどんな場所か、見てみないと」

 

 シャトルの扉が重々しく開いた。湿った風と潮の匂いが一気に流れ込み、波の音がはっきりと聞こえた。仲間たちは互いに支え合いながら外へ出ていく。

 

 そこは広い砂浜だった。青く光る海が眼前に広がり、遠くには緑豊かな森の輪郭が見える。

 「……ここが……」

 「惑星……なのか……?」

 仲間たちの声が震える。

 

 その時、ルナは一歩先の砂浜に、既に立っている人影に気づいた。

 リュウジだ。腕を組み、海を見つめたまま、こちらに振り返ろうとはしなかった。

 

 潮風に吹かれながら、ルナは仲間たちを振り返り、胸の奥で強く誓った。

 ――ここで生き抜くんだ。私が、みんなを守る。

 

◇◇◇

 

 砂浜に打ち寄せる波の音が、妙に規則的に聞こえていた。

 生き延びたという実感がようやく広がりはじめた頃、ルナは仲間を見回して、決意を込めて声をあげた。

 

 「みんな……まずはシャトルの中を調べよう。残っているものを確認して、これからどうするか決めないと」

 

 その言葉に、仲間たちは顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。生き残った安堵の影に、不安と恐怖が色濃く漂っている。

 

 メノリが一歩前に出て、腕を組んだ。

 「物資の確認と管理は最優先だろう。私が記録を取る。異論はあるか?」

 

 「ちょっと待ってよ」ハワードが眉をひそめる。「なんでメノリが勝手に仕切るんだ? 僕だって――」

 「黙って。いまは役割争いをしている場合じゃないだろう」

 その鋭い言葉に、ハワードは不満げに口をつぐんだ。

 

 ベルが苦笑しながら言った。

 「まぁまぁ。とにかく、中に何が残ってるか見てみよう。食べ物とか、水とか……必要なものがあるはずだ」

 

 ルナは頷き、皆をシャトルへと導いた。内部には衝撃で壊れた箇所が目立ったが、緊急収納コンテナが無事に残っていた。

 開けると、中から出てきたのは――レトルト食品のパック数個、浄水用の簡易フィルター、そして一振りのサバイバルナイフ。

 それだけだった。

 

 「これだけ……?」シャアラが小さく声を震わせる。

 「少なすぎる」カオルが低くつぶやいた。

 「三日……いや、四日もたないな」チャコが小さく耳を揺らしながら言った。「水は二日で尽きるやろ」

 

 沈黙が流れる中、ルナは皆の顔を見回し、思いついたように言った。

 「……それぞれ、自分の持ち物も確認しよう。きっと役に立つものがあるはず」

 

 一人ずつ、小さな荷物を出していった。

 

 メノリはケースを大事そうに抱きしめる。

 「これは……私のヴァイオリンだ。食料や水の代わりにはならないけれど……」

 「でも、心を落ち着けるには必要だよ」ルナが優しく返した。

 

 ルナは父の形見のリュックを抱えたまま、中から小さな救急ポーチと折り畳み式の水筒を取り出した。

 「これは、きっと役に立つと思う」

 

 ハワードは手鏡と櫛を取り出して、得意げに言った。

 「僕はこれ。身だしなみを整えるのは大事だからね」

 「サバイバルで鏡が必要か……?」シンゴが呆れた声をもらす。

 「いや、反射板に使えるかもしれない」ベルが真面目にフォローした。

 

 シャアラは小さなハンカチを握りしめていた。

 「わ、私はこれだけ……」

 「でも布は大事だ。応急処置や包帯代わりにもなる」ルナが励ますように言った。

 

 ベルは分厚い手帳とペンを取り出した。

 「これは記録に使える。……父さんがよく、記録は真実を残すって言ってたから」

 

 シンゴは工具箱をぎゅっと抱え、嬉しそうに言った。

 「僕は工具一式だ! 壊れたものを直すのは任せてよ」

 

 そして、カオルとリュウジの番になった。

 カオルは静かに首を振った。

 「……何もない」

 リュウジもまた、視線を逸らしたまま短く言う。

 「俺もだ」

 

 気まずい沈黙が落ちる。

 ルナはその空気を和らげるように、明るく言った。

 「大丈夫。みんなで協力すれば、きっと足りないものは補える」

 

 「そうだろうな」メノリが頷いた。「では、役割を分担しよう。私が資源と記録の管理をする」

 「僕は力仕事をやるよ」ベルが言う。

 「俺は探索」カオルが短く付け足す。

 「僕は機械担当!」シンゴが胸を張った。

 「わ、私は料理とか……片付けとかなら……」シャアラが不安げに言う。

 「よし、じゃあ私は全体をまとめる。みんなを守るのが、私の役目だから」ルナが力強く言った。

 

 その輪の外で、リュウジはただ無言で海を見ていた。

 彼の背中を、チャコがしばらく見つめていた。

 

◇◇◇

 

 砂浜に仮の集会場所を作り、仲間たちは半円を描くように並んで座っていた。

 潮風が吹きつけ、波音が規則正しく響いている。

 

 メノリは真剣な眼差しで全員を見渡し、はっきりと言った。

 「まずは食糧の確保だろう。水も必要だが、空腹では動けない。探索班を編成する」

 

 彼女の凛とした声音に、誰もが自然と背筋を伸ばした。

 

 「私とハワードで一組だ。ハワードは一人で行動すると信用できない。同行して行動を確認する」

 「なっ……ひどいな!」ハワードは思わず声を上げたが、メノリは表情を変えず冷ややかに告げる。

 「異議があるなら、ここに残って待っているといい」

 「……わかったよ」渋々座り直すその姿に、誰も苦笑も漏らさなかった。

 

 「次に、ルナ・シャアラで一組だ。ルナがまとめ役、シャアラは植物の観察ができる。」

 ルナは元気に「うん!」と返事をし、シャアラは少し不安そうにしながらも「わ、わかったわ」とつぶやいた。チャコは胸を張って「ウチに任せとき!」と声を張り上げる。

 

 「リュウジとカオルは二人組だ。サバイバルナイフはカオルが持っていけ。危険な作業は君が適任だろう」

 カオルは小さく頷いてナイフを受け取り、リュウジはただ無言でそれを見ていた。

 

 「最後に、ベルとシンゴ。力と観察力の組み合わせは探索に向いている。ベルは不用意に危険な場所へ入るな。シンゴは観察と記録を行え。チャコは補助に回ってくれ」

 「了解だ」ベルが穏やかに答え、シンゴは工具箱を抱えて「まかせて!」と声を弾ませる。

 

 こうして班分けが終わり、それぞれが散開していった。

 

◇◇◇

 

森の中 ― カオルとリュウジ

 

 森の縁に差し掛かったとき、カオルは一本の太い枝を手に取って歩みを止めた。

 彼はそれをしげしげと眺め、しばし黙考したのち、低くつぶやく。

 「……素手よりは、武器になるかもしれないな」

 

 サバイバルナイフを抜き、枝の先を削り始める。木屑がぱらぱらと地面に散り、やがて鋭い先端が形を成し始める。

 

 リュウジは腕を組んで立ち、ただそれを見ていた。

 「……反対側も削れ」

 唐突な声に、カオルは振り返る。

 「何だと?」

 「バランスが悪い。片側だけ尖らせても狙いが逸れる」

 

 カオルは黙ったまま、指示通りに反対側を削りはじめた。リュウジの目は冷静で、手元の作業を細かく観察している。

 

 「……お前、槍なんて作ったことがあるのか」

 「訓練でな。実地でも似たようなものはあった」

 リュウジの口調は素っ気ないが、その声音の奥に重みがある。

 

 削り進めるカオルの手は次第に確信を帯び、やがて粗削りながらも槍の形を整えた。

 カオルは完成した武器をじっと見つめ、静かに言った。

 「……わかった」

 

 やがて、削る音の合間に低い声が落ちた。

「……お前、まだ操縦できないのか」

 

 カオルの手が止まった。刃先が木の表皮を掠めたまま静止し、彼はわずかに息を吐いた。

 

「……知ってるだろ、リュウジ。俺が操縦席に座れば……あの事故のことが頭をよぎるんだ。手が震える。声も出ない。だから……まだできない」

 

 その声はかすれていた。脳裏に焼きついた光景――燃え上がる炎、気を失っていく友、二度と戻らない命。ルイの笑顔。カオルは歯を食いしばり、目を閉じた。

 

 リュウジはしばし黙っていた。風が木々を揺らす音だけが流れる。やがて、地面を踏みしめる音を一つ立て、淡々と答えた。

「そうか」

 

 その一言は冷たく響いたが、カオルには妙に優しい響きにも感じられた。

 

 カオルは無理に笑みを作ろうとしたが、顔が強張ったままだった。逆に問いを投げる。

「……じゃあお前は? 操縦できるんだろう?」

 

 リュウジの目がゆっくりとカオルを射抜いた。黒い瞳は深い影を宿し、どこまでも冷静で、どこまでも遠い。

「……できるさ」

 

 短く答え、リュウジは少し視線を逸らした。

 

 カオルは安堵するはずだった。だが次の瞬間、返ってきた言葉に胸が凍りつく。

「だが……する気はない」

 

 カオルは驚きと苛立ちを覚え、削っていた枝を強く握りしめた。

「なんでだ? お前が操縦できるなら……助かる可能性が広がるじゃないか!」

 

 リュウジは肩をすくめ、吐き捨てるように言う。

「死ぬのは構わない。……だが、俺の罪とお前たちは関係ない」

 

 カオルは思わずナイフを止め、リュウジを凝視した。

「……罪?」

 

 リュウジの顔にはわずかに陰が走った。だが口元は動かず、目だけが虚空を見ていた。

 

「俺が操縦すれば、お前たちは助かるかもしれない。……だが、その先で俺がまた何かを失わせるかもしれない。俺の背負ってるものは……俺一人で終わらせる」

 

 その言葉は、凍てつくような孤独と諦念に満ちていた。

 

 カオルの胸に鋭い痛みが走る。彼もまた、ルイを救えなかったという「自分の罪」を背負っているからこそ、リュウジの言葉が余計に突き刺さった。

 

「……リュウジ。お前も、俺と同じなんだな」

 

 リュウジは答えない。ただ風が黒髪を揺らし、その横顔は無機質な仮面のようだった。

 

 沈黙を破るように、カオルはナイフを握り直し、枝を削り続けた。木屑が地面に落ち、槍の形が整っていく。

 

 やがて、カオルは口を開いた。

「……じゃあ、あの時はどうしてだ? 不時着の時……ルナを助けたじゃないか。お前が無言で補助入力を支えなかったら、俺たちは燃え尽きてた」

 

 リュウジはほんのわずかに目を細めた。その瞳の奥に、一瞬だけ苦い影が浮かんだ。

「……あいつが『やる』と言ったからだ。……それだけだ」

 

 淡々とした声。だが、そこに滲む感情をカオルは見逃さなかった。リュウジは「巻き込みたくない」と言いながら、本当は完全に見捨てることもできない――矛盾を抱えている。

 

 槍の先端が鋭さを増す。カオルは黙々と削り続けた。枝の表皮が薄く剥がれ落ち、木肌が滑らかに整えられていく。

 

 しばらくして、カオルはぽつりとつぶやいた。

「……お前の罪と、俺の罪。どっちも消えない。でも、背負ったままでも……進むしかないんだろうな」

 

 リュウジは答えなかった。だが、沈黙の中に奇妙な共鳴があった。

 

 二人の影が森の光に伸び、重なり合い、また離れていく。

 

◇◇◇

 

 

 辺は波がやさしく寄せては返し、きらめく光が水面に踊っていた。ルナは靴を脱いでズボンの裾を膝までまくり上げ、海に足を踏み入れる。水は意外なほどぬるく、くすぐったい感触が伝わってきた。

 

「よーし、見ててねシャアラ! 私が魚を捕まえてみせるから!」

 

 そう元気よく宣言すると、ルナは波打ち際を見つめ、群れから離れた一匹の魚を狙った。素早く両手を水に突っ込む。しかし――

 

「きゃっ!」

 

 魚は軽やかにひらりと逃げ、ルナの両手の間をすり抜けて消えていった。思わず水しぶきが上がり、彼女は全身にしぶきを浴びる。

 

 ルナは顔を上げ、失敗をごまかすように笑みを浮かべた。

「……あははっ。やっぱり簡単にはいかないね」

 

 けれど、その笑顔に返るものはなかった。浜辺に立つシャアラは、表情を曇らせたまま静かに見つめている。

 

 「ルナ……」

 

 彼女の声は震えていた。小さな両手を胸の前で強く組みしめ、怯えるように俯いている。

 

「私……すごく怖いの。ここは知らない場所で、いつ帰れるかもわからない。みんなも不安で……私なんか、きっと足手まといになるだけ」

 

 言葉を絞り出すたびに、彼女の瞳には涙がにじんだ。

 

 ルナは一瞬息をのみ、それからそっとシャアラの手を取った。

「シャアラ、そんなことないよ。私は……本当に助かってるんだ」

 

「……助かってる?」

 

 意外そうに問い返す彼女に、ルナは大きくうなずいた。

 

「うん。シャアラはすごく優しいでしょ? みんなが疲れてたり、不安で押しつぶされそうなとき、気づいて声をかけてくれる。私はそれが本当に心強いの。ねえ、私、いつも元気にしてるように見える? でもね、本当はすごく不安で……怖くて、泣きたくなる時もある。でも、そんな時にシャアラの笑顔や言葉があったら、どれだけ救われるか」

 

 シャアラは言葉を失い、ルナを見つめる。

 

「だからね、シャアラはただ“弱い子”なんかじゃない。みんなにとって大切な存在なんだよ。私はそう信じてる」

 

 シャアラの胸に熱いものがこみ上げた。涙が頬を伝いながらも、少しだけ力を取り戻したように小さく頷いた。

「……ありがとう、ルナ。少し……勇気をもらえた気がする」

 

 その時だった。ふわりと甘い香りが風に乗って漂ってきた。

 

「……あれ?」

 

 シャアラは涙をぬぐい、鼻をひくつかせた。甘い、熟れた果実のような匂い。ルナも気づき、二人は顔を見合わせる。

 

「すごくいい匂い……果物かも?」

「行ってみよう。みんなの役に立つかもしれない」

 

 二人は希望を胸に森の中へと分け入った。木々の隙間から差し込む光は薄れ、甘い香りは濃くなっていく。

 

 やがて――開けた空間の中心に、それはあった。

 

 人の背丈をはるかに超える巨大な植物。口を大きく開いた捕虫袋は不気味な艶を帯び、縁からはねっとりとした液体が滴っている。その周囲にはスイカほどの大きな実が鈴なりにぶら下がり、強烈な甘い香りを放っていた。

 

「わあ……あんなに大きな実……」

 

 シャアラの瞳がきらめく。ふらりと前に出たその瞬間――

 

 ビュンッ、と鋭い音を立てて蔓が跳ね上がった。

 

「きゃあああああっ!!」

 

 甲高い叫び声が森に響き渡る。シャアラの足首に巻きついた蔓が彼女の身体を乱暴に引き倒し、地面をずるずると引きずり始めた。

 

「シャアラっ!」

 

 ルナが飛び出すが、その腰にも別の蔓が絡みついた。

 

「うそ……やめてっ!」

 

 必死に振り払おうとするが、植物の力は異様に強い。二人は抗えぬまま、捕虫袋の方へと引きずられていく。

 

「いやぁぁっ! ルナぁ! 助けてっ! たすけてぇぇぇ!!」

 

 シャアラの悲鳴は涙と恐怖に濡れ、森にこだました。ルナは歯を食いしばり、全身の力を込めて叫ぶ。

 

 シャアラの小さな手は冷たく震え、涙で濡れていた。蔓は二人を獲物としか見なさず、じわじわと口の縁へと引き寄せていく。

 

「いやっ! 怖いよルナぁぁぁ!!」

「大丈夫! 私がいる! シャアラ、私を信じて!」

 

 ルナは反対の腕で必死に近くの木の枝を掴む。枝はギシギシと軋み、今にも折れそうだ。

 体を締め上げる蔓の力は凄まじく、息が詰まり、指先がじわじわと痺れていく。

 

 ――このままじゃ二人とも飲み込まれる!

 

 ルナは心の中で焦りを噛み殺し、必死に枝へと体を押し付けた。足も必死に踏ん張るが、森の土は柔らかく、靴底がずるずると滑っていく。

 

 そのとき、捕虫袋の口が開いた。

 内部はどろりとした液体で満たされ、ねっとりと糸を引く泡が、まるで舌のように蠢いている。

 甘い香りはさらに濃く、吐き気を催すほどに二人を包み込んだ。

 

「やだぁぁぁぁぁ!!」

「シャアラ、しっかりして! 絶対に一緒に帰るんだから!」

 

 ルナの叫びは、震える自分自身をも奮い立たせるようだった。

 

 その瞬間――

 

「伏せろ!」

 

 鋭い声が森を切り裂いた。

 

 ルナが顔を上げると、木々の影から現れたのはリュウジだった。

 彼は一歩も迷うことなく、手にした即席の槍を全力で投げ放った。

 

 シュッ――ッ!

 

 鋭い音を立てて空を裂いた槍は、正確無比に飛び、蔓の結び目を突き破った。

 

 ズバンッ!

 

 乾いた衝撃音とともに、蔓が反射的に暴れ狂う。二人を締め上げていた力が一瞬で緩み、ルナとシャアラは解き放たれた。

 

「今だ、離れろ!」

 

 リュウジの声に反応し、ルナはシャアラを強く抱き寄せたまま地面に転がる。枯れ葉と土埃が舞い上がり、二人はかろうじて捕虫袋の射程から逃れることができた。

 

 直後、巨大なウツボカズラは蔓を狂ったように振り乱し、周囲の木々をバシバシと叩きつけた。

 湿った音とともに細い枝が折れ、鋭い棘が空を切る。もしもう一瞬でも遅れていたら――二人は確実に飲み込まれていただろう。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 荒い呼吸の中、ルナはシャアラを抱きかかえたまま呟いた。

「シャアラ、大丈夫……? ケガは……?」

 

 震える唇で、シャアラが小さく答えた。

「……ルナ……こわかった……でも……助けてくれて……ありがと……」

 

 その顔は涙でぐしゃぐしゃだったが、かすかに安堵の色が浮かんでいた。

 

 そのとき、後方から仲間たちが駆け込んできた。

 

「ルナ! シャアラ!」

 カオルが叫び、メノリも顔を青くして二人に駆け寄る。

「無事でよかった……でも、いったいこれは……」

 

 巨大な植物を目にしたベルとシンゴは息を呑み、足を止めた。

「こ、こんなの……食虫植物……? いや、規模が……」

「ぼ、僕の知ってるのより何倍も……」

 

 リュウジは冷めた視線を植物に向けたまま、低く言った。

「……不用意に近づけば全員やられる。二度と近寄るな」

 

 その言葉に、仲間たちは誰も反論できなかった。

 

◇◇◇

 

 仲間たちは森の奥から拠点に戻るため、互いに肩を貸し合いながら歩みを進めていた。シャアラはまだ震えが止まらず、ルナが片腕で彼女を支えながらゆっくりと前へと進む。メノリは後ろを振り返り、全員の顔を確認しながら歩を合わせていた。

 

 しかし、その列からただ一人、離れて立ち止まっている姿があった。

 

 リュウジ。

 

 彼はサバイバルナイフを静かに握りしめ、じっと巨大なウツボカズラを睨みつけていた。森の光がその横顔を照らし、険しい表情をより鋭く見せている。

 

 不気味な植物はまだ蔓を震わせ、かすかに動きを見せていた。だが、二人を捕食し損ねた今もなお、その口を大きく広げ、次の獲物を待ち構えているようだった。

 

 カオルがそれに気づき、列を外れて戻ってきた。

「……リュウジ、何をするつもりだ?」

 

 問いかける声は鋭くもあり、同時に不安を含んでいた。

 

 リュウジは振り返らず、ただ低く呟く。

「危険だ。……ここに残せば、また誰かが呑まれる」

 

「……まさか」

 カオルの眉がわずかに動いた。

 

 リュウジの目は、すでに獲物を狙う獣のそれだった。ナイフを握る指先に力を込め、歩を一歩進める。

「蔓を全部、切り落とす。根絶やしにはできなくても、捕まえる力を奪えば十分だ」

 

 短い沈黙。

 

 カオルはその横顔をじっと見つめ、やがて小さく息を吐いた。

「……そうか。お前なら問題ないだろう」

 

 それだけを言い残し、仲間の列へと戻っていった。カオルの中で、リュウジが一度決めたことを止める術はないと理解していたのだ。

 

リュウジの孤独な戦い

 

 仲間の足音が遠ざかると、森にはリュウジとウツボカズラだけが残された。

 

 甘い香りがまだ濃厚に漂う。蔓は再び動きを増し、彼の存在を新たな獲物として認識したかのように伸びてきた。

 

「……やれるもんなら、やってみろ」

 

 リュウジは低く吐き捨てると、飛び込むように駆け出した。

 

 シュッ――と風を裂き、一本の蔓が襲い掛かる。リュウジは身を沈め、横薙ぎにナイフを走らせた。

 

 ズバッ!

 

 生々しい音と共に、蔓が斬り裂かれ、ぬるりとした液が飛び散った。切られた蔓は暴れるように地面を叩き、その一部が彼の頬を掠めた。

 

 しかしリュウジは眉ひとつ動かさず、次の蔓を狙う。

 

 右、左、頭上――四方から襲いかかる無数の蔓を、冷静に、正確に切り落としていく。動きは無駄なく、研ぎ澄まされ、まるで戦いそのものに慣れているかのようだった。

 

 息をつく間もなく十数本を切り倒し、やがて植物はただの膨れ上がった袋状の肉塊へと成り果てた。捕食する力を失ったそれは、もはや脅威ではなかった。

 

 リュウジはナイフを軽く払って血のような液を振り落とし、静かに鞘へ収めた。

 

◇◇◇

 

拠点でのシャアラと仲間たち

 

 一方その頃、拠点に戻った仲間たちはシャアラを囲んでいた。

 

 砂浜に置かれたシャトルの影で、シャアラはまだしゃくり上げながら涙を流していた。

「……ごめん……私、怖くて……あんなのに……」

 

 ルナは彼女の手をしっかりと握り、目を見つめた。

「謝らなくていいの。あんなの、誰だって怖いよ。……でも、助かったんだ。だから大丈夫。これからはみんなで守り合えばいい」

 

 メノリも静かに頷く。

「そうだ。私たちが一緒にいる」

 

 ベルはおどおどしながらも、震える声で言った。

「し、死んじゃうかと思ったけど……生きてるんだもんね。よかった……」

 

 シンゴは無言で工具箱を抱きしめるようにしながら、必死に涙をこらえていた。

 

 シャアラの肩をみんなが囲むように寄せると、彼女は少しずつ落ち着きを取り戻していった。だが恐怖の記憶は消えず、震えは完全には止まらなかった。

 

リュウジの帰還

 

 そのときだった。

 

 足音が砂浜に響く。

 全員が顔を上げると、森の闇から姿を現したのはリュウジだった。

 

 彼の手には、重そうに抱えられた大きな丸い果実――まるでスイカのような緑の実があった。表面には縞模様が浮かび、瑞々しさを思わせる。

 

「……見つけた。食えるかはわからんが、水分は多そうだ」

 

 リュウジはそれだけを淡々と告げ、実を砂浜に置いた。

 

 仲間たちは一斉に彼を見つめた。驚き、安堵し、そして少し言葉を失っていた。さっきまで死の縁に立たされていた仲間を救い、そのうえ危険な森から食料まで持ち帰った――その事実が、彼の背中をこれまで以上に大きく見せていたからだ。

 

 しかし、リュウジ本人の表情に誇らしげな色は一切ない。ただ淡々と仲間の輪から少し離れ、海を見つめるように座り込んだだけだった。

 

 その背中を、ルナはじっと見つめていた。

 胸の奥に、言葉にできない思いが芽生えていく。

 

 夕暮れ。

 赤みを帯びた空が砂浜を染め、打ち寄せる波が涼やかな音を響かせていた。拠点にしているシャトルの傍らに、仲間たちは自然と集まっていた。

 

 砂の上に鎮座しているのは、リュウジが森から抱えて帰ってきた大きな緑の果実――まるでスイカのような「スイカもどき」だった。

 

 ルナがその前にしゃがみ込み、じっと見つめる。

「本当に……食べられるのかな?」

 

 その横でシャアラは不安げに肩を寄せた。

「もし毒だったら……」

 

 皆の視線が集まる中、一番に動いたのはやはりハワードだった。

「ふん、こんなときは僕が先に味見をしてやろう!」

 

 彼は大げさに胸を張り、果実に手を伸ばす。だがその手をピシャリと叩いたのは、メノリだった。

「勝手な行動はやめろ! 毒性の確認もせずに口にしたら、ただでさえ限られた人員を失うことになる」

 

「い、痛っ……! な、なんだよメノリ!」

「規律を守れ。これは全員の命に関わる問題だ」

 

 ハワードがむっとして腕を組むのを横目に、リュウジが口を開いた。

「チャコ」

 

 呼ばれた名に反応し、チャコが現れた。

「呼んだか? ウチの出番やな」

 

 チャコは砂の上を歩き、果実の前まで歩み寄る。小さな前足を果実に当て、手のひらの部分を展開させると、青白い光が走った。

 

「成分解析開始や。ちょいと待っとき」

 

 しばしの沈黙ののち、チャコの瞳がきらりと光る。

「――よし、結果出たで! 水分量は多め、糖度も十分。毒性は検出されへんかった。つまり……食える!」

 

「ほんと!?」

 ルナが目を輝かせた。

 

「おお、やった!」

 シンゴが飛び上がって喜ぶ。

 

「……ほんとうに?」

 まだ不安げなシャアラに、チャコは胸を張るように言った。

「ウチを信用せぇ。こう見えて、食いもんの安全確認は得意分野やで!」

 

◇◇◇

 

初めての夕食

 

 メノリの指示で、カオルがナイフを手に果実の皮に切れ込みを入れた。厚い皮を割ると、中からは瑞々しい赤い果肉が顔を覗かせる。潮風に混じって、甘い香りがふわりと広がった。

 

「うわぁ……!」

 ルナが歓声を上げる。

 

 ハワードは先ほど叱られたのを忘れたかのように、口を開けてごくりと唾を飲んだ。

「見ろよ、完璧にスイカじゃないか!」

 

 ベルは恐る恐る一切れを受け取り、口に含んだ。

「……あ、甘い……ほんとに食べられる!」

 

 その言葉に皆が一斉に歓声を上げ、次々と果肉を口に運んでいった。

 

 甘く冷たい果汁が渇いた喉を潤す。空腹を抱えていた仲間たちの顔に、ようやく笑みが戻っていった。

 

 ルナも一口かじる。果汁が口いっぱいに広がり、疲れた体に染み渡るようだった。

「美味しい……! リュウジ、本当にありがとう!」

 

 その言葉にリュウジはちらりと視線を向けたが、すぐに目を逸らした。

「別に……たまたま見つけただけだ」

 

 彼は仲間たちから少し離れた場所に腰を下ろし、無言で一切れを食べ始める。だが、その姿を見たルナの胸の奥は、なぜか温かくなった。

 

 その夜、シャトルの前で仲間たちは輪になり、初めての夕食を共にした。

 冷たい海風に吹かれながらも、甘い果実を分け合い、笑い声が少しずつ夜の砂浜に広がっていった。

 

 ――彼らのサバイバル生活の、最初の一歩だった。

 

◇◇◇

 

 

 波の音が遠く、規則正しく胸に響く。シャトルの中は薄暗く、眠りについた仲間たちの呼吸だけが聞こえている。私は寝袋のチャックをぎりぎりまで締めて、父の形見のリュックを抱きしめたまま目を閉じる。寝ようとしても、頭の中には今日の出来事が何度も何度も再生される。

 

最初に思い出すのは、出発前のあのざわつきだ。エアポートの群れ、私たちの笑い声、メノリのいつもの毅然とした口調――それが一時間後に全部変わるなんて、誰が想像しただろう。あの日常が遠い映画のワンシーンのように感じられる。

 

シャトルに乗り込んだとき、私はなんだか妙な胸騒ぎがしていた。ハッチが閉まる音、気圧が調整される匂い。ハワードが操縦席に居座り、はしゃいで計器をつつくのをメノリが叱りつける。そのときは誰も、本当に「切り離しボタン」を触るなんて想像もしなかった。

 

「触るなって言っただろう!」――メノリの声。けれど彼は笑って手を伸ばしてしまった。赤いランプが一瞬光って、甲高いアラームが鳴り、シャトルに衝撃が走る。あの瞬間、母船の巨体が視界から離れ、私たちは無重力の闇に投げ出された。

 

外の世界は、渦のような光の嵐だった。重力嵐。シンゴの声がモニター越しに震え、「推進系統が不安定だ」と叫ぶ。計器は全部真っ赤に点滅している。私はベルトにしがみつきながらパニックの波を押し殺した。ハワードは青ざめ、メノリは顔を真っ白にして命令を飛ばすが、警告音がうるさくて言葉がかき消される。

 

そのとき、リュウジの冷たい視線が私の背後を通り抜けていった。彼の顔はあの日のあの表情のままだ。私は彼が何かを知っている気がして、胸が締め付けられた。でも逃げる時間はなかった。シャトルは重力の渦に吸い寄せられ、進路はもう誰にも変えられないように見えた。

 

計器は次々と死んでいった。推進装置も、操縦系統も、応答が返らない。シンゴはパネルにテキストを叩きつけ、メノリは最悪の事態を考えながら冷静さを保とうとする。私は何をすればいいのかわからなかった。ただ、父の声が不意に浮かんだ。「自分を信じろ。そして仲間を信じろ」――たぶんそれが、私が次にしたことの根っこにあった。

 

背中のリュックが急にぎしぎしと動いた。最初は虫でも出たのかと思ったら、ファスナーの内側から小さな影がひょっこり出てきた。チャコだ。煤けた姿で、でも目は生き生きと光っていた。

 

「ウチにまかせぇ!」って、あの関西弁がこういうときに聞こえると妙に安心した。チャコは私のリュックから飛び出すと、制御盤に駆け寄り、手のひらを端子に押し当てた。手のひらで――そう、手のひらでジャックインしたのを私ははっきり覚えている。青白い光が走り、沈黙していたパネルがじわりと息を吹き返す。チャコの手は小刻みに震え、でも確実に信号を送り続けていた。

 

「解析開始。機能停止していたシステム、順次復帰中や」――チャコの声。シンゴが叫ぶように数値を叫んで、推進の一部が復旧する。だが完全とは言えない。手動操縦モードが出て、「操縦可能」の表示が点滅する。誰が動かす? 誰がこの動くかどうかもわからない機体を操作する? その瞬間、私はもう迷いがなかった。

 

「私がやる」――気がつけば口から出たのはその言葉だった。皆が振り返る。メノリが制止しかけるが、私を見つめる視線の中に「頼む」というものを見つけた気がした。シャアラは震え、ハワードは真っ青だ。リュウジだけは無言で、隣の補助コンソールに手をかけた。彼は操縦ができないんじゃない、ただ「する気がない」のだとそのとき、私は直感した。背負っているものがあるのだろう。

 

チャコが私の足元で「ほな、ウチが繋ぎ止めるで!」って言ってくれた。彼女の手のひらから流れる火花のような信号が、断線した回路を繋ぎ、補助スラスターがかろうじて応答する。リュウジは無言で、でも正確に補助入力を出し続けた。彼の指の動きは冷たく正確で、画面に流れるログを無言で閉じていく。

 

大気圏突入の瞬間は、思い出すといつも胸が潰れそうになる。窓の外がいきなり朱色に染まり、熱と光が私たちを包む。スラスターを微調整して、角度を取る。チャコが叫ぶ。「右だ! 左だ! スラスターの出力を下げろ!」 私は手元の感覚だけを頼りに、操縦桿を握る。機体が重くのしかかり、体がベルトに押し付けられる。指が痛いほどに力が入る。リュウジは隣で無言で補助し、時折短く指示を出す。彼の声は少ない言葉の中に、冷たい決意が宿っていた。

 

窓の外では、小さな流星群のように物体が燃え尽き、空気が唸る。シャトルは何度も地面に打ちつけられ、砂と岩を跳ね飛ばして滑走を続ける。私の耳の中は爆音でいっぱいで、肺が焼けるように苦しい。ルナ、ここで正しい角度を、少し左に、もう少し。リュウジとチャコの声だけが、雑音の中で私の救いとなった。

 

最後の衝撃は脳を揺らすようなものだった。体が宙に浮き、重たい音がして、そして地面に叩きつけられる。私は目の前に見えた砂と、仲間の影を必死で確かめる。衝撃が和らいだ瞬間、私の体は力尽き、まぶたが降りていった。最後に聞こえたのはシャアラのかすれた声と、チャコが「なんとか持ったで!」と小さく叫ぶ音。そこから意識は断片的に途切れた。

 

今、私はその時の匂いをはっきりと覚えている。焦げた金属の匂い、汗の匂い、海の潮の匂い。すべてが混じり合った匂いが私の肺に残っている。父の形見のリュックを抱きしめたまま、私はあのとき自分が何を思っていたかをはっきり思い出す。怖かった。でも、誰かがやらなきゃならない。父の言葉が私の耳に再び響いた気がした――自分を信じろ、と。

 

思い出し終わると、胸が重くなる。私の手がリュックの布地をぎゅっと掴む。目頭が熱くなって、寝袋の中で小さく震えた。外では見張りの足音が沙に落ちる。月明かりの隙間に、リュウジのシルエットが見える。あの人はもう外に出て見張りをしている。あの冷たい人が、あの時には私たちを支えてくれた。私はもう一度、静かに息を整えた。

 

ゆっくり寝袋から抜け出すと、無言のままシャトルのハッチを押し開けた。夜風が頬を掠め、星が冷たく瞬いている。砂の上に立つリュウジは、手に槍を一本だけ握りしめ、海と森の境界を見つめていた。彼は私の存在に一瞬だけ顔を向け、「起きたか」とだけ言った。その声は低く、でもどこか救いのようにも聞こえた。

 

私はそっと彼の横に立った。星と波の間で、胸の中のざわめきが少しだけ静まる。今日一日で得たもの、失ったもの、そしてこれから負うもの――全部がここにあるように思えた。外は冷たいが、私はまだ震えている体を彼の無言の強さに少し預けてみたかった。

 

「見張り、してるの?」と私は訊ねる。彼は短く「ああ」とだけ答える。言葉はいらなかった。二人の間に流れる夜風が、私たちをつなげてくれるようだった。

 

 

 夜の波は、静かに打ち寄せては返していた。

シャトルの灯りが背後に小さく瞬き、周囲を包むのは闇と潮の匂いだけ。私は見張りのリュウジを探しに出て、彼の影を見つけたとき、ほっと胸を撫で下ろした。

 

槍を片手に佇む彼の背中は、どこか孤独で、近寄りがたい空気を纏っていた。

それでも私は声をかけた。

「……今日、いろんなことがありすぎたね」

 

リュウジは答えない。ただ、海を見つめている。

私は勝手に話を続けた。

 

「不時着のとき、正直、怖かった。……燃え上がるシャトルの中で、みんなの悲鳴も、自分の心臓の音も……何もかもが混ざって……。あの瞬間、本当に、死ぬんだって思った」

 

言葉を吐き出すたび、胸の奥に閉じ込めていた恐怖が少しずつ浮かび上がってくる。

私は唇を噛み、けれど視線を逸らさずに言った。

「……怖かったよ」

 

それは、誰にも言えなかった弱音だった。仲間の前では決して見せたくない自分の脆さ。

けれど、目の前のリュウジには、なぜか吐き出せてしまった。

 

彼はわずかに視線をこちらに向けた。その瞳は夜の闇に沈みながらも、確かに揺れていた。

そして次の瞬間、彼は無言で立ち上がった。

 

「えっ……どこへ?」

私が問いかけても答えない。槍を手にしたまま、彼はそのまま森の方角へ歩き出した。

 

「危ないよ! 夜の森に入ったら……!」

声は波にかき消され、リュウジの背中は闇に飲み込まれていった。

 

残された私は、しばらくその場に立ち尽くした。胸の奥でざわめく感情は、恐怖と怒りと……何か言葉にできない想いが入り混じっていた。

やがて、私は深く息を吸い込み、シャトルへ戻った。仲間たちの安らかな寝息が聞こえる中、私は眠ることもできずにただ座り込んだ。

 

――そして、どれほどの時が経っただろう。

砂を踏む音に気づいて顔を上げると、闇の中からリュウジの姿が現れた。肩には、大きなスイカのような実を抱えている。

 

彼は黙ってそれを砂浜に置いた。息が荒いわけでもなく、ただ淡々と戻ってきたように見える。

けれど、私の胸は張り裂けそうに波打っていた。

 

「……どうして、勝手に出て行ったの」

思わず声が震える。

「危ないって分かってるのに……。怖かったんだよ……! また誰かいなくなっちゃうんじゃないかって……」

 

私の言葉に、リュウジはふっと目を細めた。

彼はゆっくりと私を見つめ、ぽつりと呟いた。

 

「……なんだ。泣いてなかったのか」

 

その声音には、ほんの少しの安堵が混じっていた。

きっと、私が泣いていると思ったのだ。いや、むしろ――彼は悟ったのかもしれない。

 

私は、人前では決して涙を見せない。けれど、恐怖を吐き出したとき、泣き出す代わりに震える声で「怖かった」と言った。

それを聞いたリュウジは、私の強がりを理解し、姿を消したのだ。

――私の代わりに、夜の森へ足を踏み入れて。

 

胸が熱くなる。怒りとも感謝ともつかない感情が入り混じり、言葉が見つからなかった。

 

「……ほんとに、無茶ばっかり」

小さく呟いて、私は彼に背を向けた。

 

シャトルの中へ戻ると、仲間たちの寝息が再び私を包む。

私はリュックを抱きしめ、心の中に残ったリュウジの横顔を振り払おうとした。けれど、波の音と共に、その影はなかなか消えてはくれなかった。

 

◇◇◇

 

朝の光が、シャトルの割れた窓から細い筋となって差し込んでいた。海のきらめきが外に広がり、波の音が一定のリズムで打ち寄せてくる。夜の混乱を越え、ようやく迎えた最初の朝――だが、この小さな船体の中で目を覚ました仲間たちの心には、安堵と同時に、どうしようもない不安が入り混じっていた。

 

 ルナは背中に父の形見のリュックを感じながら、仲間の顔を順番に見渡した。皆の表情は疲労に沈み、声を発する者も少ない。だが、それでも空腹は容赦なくやってくる。

 

「みんな……とりあえず、朝ごはんにしよう」

 ルナは努めて明るい声を出した。笑顔を作らなければ、誰も立ち上がれない。自分が笑っていれば、きっと誰かも笑ってくれる。そう信じて。

 

 メノリが腕を組み、短くうなずく。

「そうだな。まずは腹を満たさなければ、頭も体も動かないだろう」

 

 昨夜、皆で分け合って食べたのは、不時着の際に偶然見つけた「スイカモドキ」と呼ぶしかない不思議な果実だった。みずみずしく、ほんのり甘いその味は、飢えと疲れに沈んだ身体を少しだけ蘇らせてくれた。

 

 だがルナは、思い出す。夜中――。

 皆が眠りについてから、リュウジが無言で槍を手に外へ出て行った。止めようとしたルナだったが、彼は振り返りもせず、波打ち際の闇へ消えていった。そしてしばらくして、彼は大きなスイカモドキを二つ抱えて戻ってきた。息を乱すこともなく、まるで当然のように。

 その時、ルナは彼の顔を見た。冷たい目。だが、ほんの一瞬、誰かのために動いたような気配があった。

(リュウジ……やっぱり、仲間のことを考えてくれてるんだ……)

 

 そのことを仲間に伝えるべきだと思った。黙っていたら、彼の行動は誰にも知られないままになる。

 

「みんな。昨夜食べたスイカモドキだけど……夜のうちに、リュウジが新しいのを持ってきてくれたの」

 ルナの言葉に、視線が一斉にリュウジへ向かう。だが彼は壁にもたれ、腕を組んだまま目を閉じていた。何も答えない。

 

 カオルが短く言った。

「そうか」

 

 それ以上の詮索はしなかった。

 

 ベルが遠慮がちに果実を持ち上げる。

「こ、これ……本当に食べても大丈夫なのかな」

 

「ウチに任せとき!」チャコが胸を張り、リュックからひょいと飛び出す。

 手のひらを当ててジャックインすると、果実の表面に小さな光が走る。

「水分も糖分も問題なしや。昨夜のと変わらへん。安心して食べられるで!」

 

「ふむ、そうか。では皆で分けよう」メノリが言う。

「……ハワード、勝手に手を出すなよ」

 

 案の定、ハワードは「僕が毒見をしてあげようかと思ったんだ」と口にしながら果実へ伸ばした手を慌てて引っ込めた。

「わ、分かってるよ。もう……」

 

 ルナが笑い、皆に果実を切り分ける。冷たい甘さが喉を潤すたび、少しずつ笑顔が戻ってきた。

 

◇◇◇

 

 食後、メノリが全員を見渡して口を開いた。

「さて。腹が満ちたところで、現状を整理するぞ。水、火、食料。これらを確保しなければならない。今日から本格的に動き出すしかないだろう」

 

「火がなければ夜は寒いし、料理もできひんなあ」チャコがうなずく。

 

 ベルが手を上げ、おずおずと言った。

「父さんに聞いたことがある。木の枝と石を使えば、火は起こせる……はず」

 

「そうか。ならベル、君が中心になるんだ」メノリが頷いた。

「一人では大変だろう。シャアラ、手伝ってやってくれ」

 

「わ、私でいいの……?」シャアラが不安げに尋ねる。

 

「君には繊細な手先があるだろう。火種を育てるには向いている」メノリは断言した。

 

 ルナがにっこりと笑いかける。

「シャアラならできるよ。一緒に頑張ろう」

 

「……ありがとう」か細い声だが、確かな決意がそこにあった。

 

「次に水だ。海水は飲めない。どこかで真水を見つけなければならない」

 メノリは続ける。

「この任務は人数が必要だろう。私と、ルナ。それからハワードと……リュウジだ」

 

「え、僕も?」ハワードが顔をしかめる。

「水を探すなんて……僕には似合わない仕事じゃないか」

 

「文句を言うな。生き延びたいなら働け」メノリが冷ややかに切り捨てる。

 

 ルナが明るく補う。

「大丈夫だよ、ハワード。みんなで探せばきっと見つかるから」

 

「ふん……仕方ないな」渋々うなずいた。

 

 リュウジは黙っていた。ただ短く、

「……了解」

とだけ返した。

 

「残るは食料だな」メノリはシンゴへ目を向ける。

「シンゴ、君は知識と道具を持っている。調査に出てくれ」

 

「任せて!」シンゴは胸を張った。腰の工具袋を叩く。

「なんとかしてみせるよ」

 

「一人では危険だ。カオル、君も同行してくれ」

 

「……分かった」

 

「それと、チャコもだ。解析機能が役に立つだろう」

 

「おおきにな!ウチも役に立てるんやったら全力や!」チャコは尻尾を振って答えた。

 

 こうして三つの班が決まった。

 火起こし班:ベルとシャアラ。

 水班:ルナ、メノリ、ハワード、リュウジ。

 食料班:シンゴ、カオル、チャコ。

 

 それぞれが緊張と不安を抱えながらも、小さな目標を胸に刻む。

 

 ルナは全員を見渡し、はっきりと告げた。

「これから大変なことがいっぱいあると思う。でも……私たちは一人じゃない。力を合わせれば、きっと生き延びられる」

 

 その言葉に、ほんの少しだが仲間の表情が和らいだ。

 外では、波音が変わらぬリズムを刻んでいる。

 未知の惑星での本格的なサバイバルが、今、始まろうとしていた。

 

◇◇◇

 

 朝の準備がひと段落し、三つの班がそれぞれの目的地に向かって動き出した。

 私とメノリ、それにリュウジとハワードの四人は、水を探す探索班だ。拠点の泉だけでは心もとないし、長期の生活を考えれば川や大きな水源を確保しておきたい。

 

「さて、行きましょう。森の奥に入れば何かしらの流れがあるはずよ」

 メノリがきびきびとした声で言い、皆を促す。いつも通り少し高圧的だけど、それも彼女なりの責任感からだと私はわかっている。

 

「無理はしないでね。奥まで行くと帰りが遅くなるから、慎重に進もう」

 私は父の形見のリュックを背負い直しながら言った。ハワードは大げさにうなずいて見せたけれど、足取りはやや重い。

 

「ふん、こういうのは得意じゃないんだ。けどまあ、僕がいなきゃ退屈だろ?」

「退屈はしないから、しっかりついてきて」

 私が少し笑って返すと、ハワードは「ちぇっ」と舌打ちして、それでも列の最後尾を歩き出した。

 

 森の中は昨日と違って鳥のような声が遠くから聞こえ、湿った空気が漂っている。朝の光が枝葉の隙間からこぼれ、足元にまだら模様を描いていた。

 

 そんな時だった。

 

「……あれを見ろ」

 リュウジが小声でつぶやいた。

 

 視線の先、低い茂みの影から飛び出した小さな影があった。灰色の毛並みに丸い耳、そしてぴょんぴょんと跳ねる足。見たことのない生き物――ワラビーのような姿をした獣だった。

 

「わあ……かわいい!」

 思わず声を上げてしまった。小さくて愛らしいその姿は、この島では珍しい存在に思えた。

 

「かわいい? これは立派な食料だ。捕まえるぞ!」

 メノリがきっぱりと言い、腰を落として身構えた。

 

「おい、待て。無闇に追うな」

 リュウジが低く制したが、メノリは聞く耳を持たない。

「こんな好機を逃す手はない!」

 

 その声に、獣はびくりと跳ね上がり、すぐさま森の奥へ駆け出した。

 

「待て!」

「ちょっとメノリ、深追いは危ないよ!」

 私は慌てて声をかけるが、彼女は振り返らず追いかけていく。仕方なく、私とリュウジも後を追った。ハワードは足が遅く、まだ後ろで遅れをとっている。

 

 小さな影を追う私たちは、どんどん森の奥へと入っていった。草木が濃くなり、空気も重くなる。やがて、目の前に岩場が見えてきた。

 

 そのときだ。

 

「……止まれ」

 リュウジが鋭くつぶやき、私とメノリの腕をつかんだ。

 

「な、なに?」

「足元を見ろ」

 

 彼が示した先には、白く乾いた骨が散乱していた。細い獣の骨、そして折れた肋骨。数は多く、ここがただの岩場ではないことを物語っている。

 

 メノリも一瞬、息を呑んだ。

「これは……」

 

「静かにしろ。足音を立てるな」

 リュウジの声は冷たいほど落ち着いていて、逆に背筋が凍る。私は無意識に息を潜め、足音を殺して岩陰に身を寄せた。

 

 その奥で――見た。

 

 ワラビーのような獣が必死に跳ねていた。しかし、その前に巨大な影が立ちはだかる。長い尾を持ち、鱗に覆われた体。黄色く濁った目がぎらぎらと光り、二本の太い足で地面を踏みしめていた。

 

 巨大なトカゲだ。

 

 そいつは鋭い顎を開き、逃げようとする獣を一息で呑み込んだ。ごきり、と骨が砕ける音が岩場に響く。私は思わず息を呑んだ。

 

 ――これが、この島の捕食者。

 

「……っ!」

 メノリの顔が青ざめる。私も震えを押さえきれなかった。

 

 リュウジだけが冷静だった。

「見たか? これが現実だ。軽はずみに追えば、次はお前たちが餌になる」

 

 その言葉に、私はただ小さくうなずいた。

 

 リュウジの低い声が、私とメノリの耳に突き刺さった。

「……ゆっくり立ち去るぞ。動きを急ぐな。足音は殺せ」

 

 その言葉には、冷徹さと経験の重みがあった。彼がどれほどこの状況を危険視しているのか、伝わってくる。私は喉がからからに乾くのを感じながら、小さく首を縦に振った。メノリも顔を強張らせたまま、ぎこちなく頷く。

 

 目の前では、巨大なトカゲがまだ骨を噛み砕いている。

 ごり、ごり、と顎が動くたびに響く音。乾いた骨が割れる残響が森に沈んでいく。そのたびに、私の心臓は自分でも制御できないほど速く打ち、全身が硬直してしまう。

 

「落ち着け……。あいつは俺たちにまだ気づいていない」

 リュウジの声が低く囁かれる。

「獲物を食っている最中にちょっかいを出すのは自殺行為だ。視線を合わせるな。背中を見せずに、ゆっくり後退する」

 

 彼の冷静な指示に、私は自分の膝が笑っているのを必死で堪えた。頭ではわかっていても、体は恐怖に支配されている。ほんの一歩を下がるだけでも、全身の神経が「音を立てるな」と叫んでいる。

 

 メノリも唇を噛みしめ、汗を額に浮かべながら、足を後ろにすべらせる。彼女の性格からして、普段なら「リーダーは私だ」と言い張る場面だろう。だが今は違う。彼女もまた、リュウジの言葉に従うしかない。

 

 私は背負っているリュックが枝に引っかからないよう気を配り、肩を少し縮めて下がった。心臓の鼓動が耳の奥で爆音のように響いている。――頼むから、この鼓動の音でバレないで、と本気で祈った。

 

 岩場に響く音は、トカゲが咀嚼する音だけ。私たちは息をひそめ、ただ無言で後退を続けた。

 

◇◇◇

 

 その時だった。

 

「……っ、はぁっ……待て……おい、皆……!」

 

 息を切らした声が、後方から唐突に飛び込んできた。

 

 私とメノリは反射的に振り返りそうになったが、リュウジが鋭い視線で制した。

「動くな」

 その小さな声に、私は歯を食いしばって必死に耐える。

 

 しかし声の主は止まらなかった。

「やっと追いついたぞ……! なんでそんなに……」

 

 ハワードだった。遅れていた彼が、ここで合流してしまったのだ。足音も荒く、枝を踏み折りながら進んでくる。

 

 私の背中を冷たい汗が流れた。お願い、気づかないで……お願い……!

 

 ハワードが私たちに駆け寄ろうとした瞬間、彼の視線が前方をとらえた。

「な……なんだ、あれは……!」

 

 次の瞬間、彼は肺いっぱいに空気を吸い込み――

「うわああああああああっ!!!」

 

 と、絶叫した。

 

 その声は森を震わせ、木々の葉がざわめくほど大きく響いた。

 時間が止まったように感じた。

 

 巨大トカゲの黄色い眼が、ぴたりとこちらに向く。血に濡れた顎を開き、唇の端から骨の欠片をこぼしながら。

 

 私の心臓は一瞬、完全に止まったかと思った。

 リュウジの手が鋭く私の肩を押し、低く怒鳴る。

「走れっ!!」

 

リュウジの怒号と同時に、空気が爆発したように張りつめた。

 巨大トカゲの尾が岩場を薙ぎ払い、乾いた破砕音とともに石片が飛び散る。私の頬に当たった細かな破片が痛みを伴って散った。

 

「こっちを見るな! 走れ!」

 リュウジの叫びに、私は弾かれたように駆け出した。メノリもすぐ後ろを走る。

 

 ハワードはその場に腰を抜かしかけていた。だがリュウジが彼の腕を乱暴に掴み、無理やり引きずるようにして走らせる。

「黙れ! 声を出すな!」

「ひっ……ひぃぃ……!」

 

 岩場に響くのは私たちの足音と、背後から迫る地鳴りのような音。トカゲの巨大な四肢が地面を打つたびに、大地が震える。

 

 私は必死に呼吸を抑え、ただ前だけを見ていた。息を乱せば足がもつれる。恐怖に囚われれば転ぶ。転べば――終わる。

 

◇◇◇

 

 

 やがて岩場から森の木々が迫ってきた。

「森に入れ!」

 リュウジの声に従い、私は枝葉の間をすり抜ける。低い枝が頬をかすめ、服を裂いたが気にしている余裕はなかった。

 

 メノリが息を切らせながら振り返り、鋭く言った。

「早く、もっと奥へ!」

 

 森の中に入れば木々が障害となり、あの巨体では動きづらいはず――頭ではそう考えていた。だが、背後から聞こえる轟音は、そんな希望を簡単に打ち砕く。

 

 巨大トカゲは、信じられないほどの力で木々をへし折りながら迫ってきていた。枝が弾け飛び、木片が雨のように降り注ぐ。

 

「まだ追ってきてる! どうすれば……!」

 私の声は震えていた。

 

「走れ! 考えるのはそれからだ!」

 リュウジが鋭く返す。彼の背中は冷静そのもので、まるで恐怖を押し殺した鎧のように見えた。

 

 木々が密集する一角に差し掛かったとき、ハワードがついに転んだ。

「ぐあっ!」

 枝に足を取られ、地面に叩きつけられる。

 

「立て!」

 リュウジが振り返りざまに叫ぶ。

 

「む、無理だ……足が……!」

「足をやったのか?」

「ち、違う! ただ、動かない……!」

 

 完全に恐怖で体が硬直していた。

 

 背後から迫る咆哮が、肺の奥まで震わせる。あの音が近い。あと数秒もすれば――。

 

「ハワード!」

 私は彼の腕を掴み、必死に引き起こした。

「立って! お願いだから!」

 

 メノリも反対側から肩を抱え、力を込める。

「走れる! 走れるんだ、今は!」

 

「む、無理だ……死ぬ……僕はここで……!」

「黙れっ!」

 リュウジが怒鳴り、ハワードの胸倉を掴んだ。

「死ぬのは勝手だが、こいつらを巻き込むな!」

 

 その怒声に、ハワードはわずかに顔を引きつらせ、脚に力を込めた。

 

 その瞬間、トカゲの頭が木々の間から突き出した。黄色い瞳がぎらつき、牙の間から熱い吐息が漏れる。

 

「っ……!」

 私は反射的に拾った石を投げつけた。

 

 石は運良くトカゲの鼻先に当たり、カン、と乾いた音を立てた。トカゲが一瞬だけ動きを止める。そのわずかな隙に、リュウジが叫ぶ。

「今だ、走れ!」

 

 私たちは再び走り出した。心臓が破裂しそうだった。自分の投げた石が、たった数秒を稼いだにすぎないことは理解していた。それでも――その数秒がなければ、今ここで誰かが食いちぎられていただろう。

 

◇◇◇

 

 森を抜けた先に現れたのは、広大な湖と、それを見下ろすようにそびえる一本の巨大な木だった。幹は四人がかりで抱えても回しきれないほどの太さで、枝は何十メートルもの高さに広がり、空を覆っている。水面は穏やかに揺れ、光を反射して眩しかった。だがその美しさに心を奪われる余裕は、誰の胸にもなかった。

 

彼らの背後では、地響きとともに迫り来るオオトカゲの気配が重苦しくのしかかっていた。

 

追われる四人

 

「こ、ここまで来れば……!」

ハワードが喉をひりつかせながら叫んだ。額には汗が噴き出し、足取りはもうふらついている。

 

だがリュウジは、振り返らず冷静に声を放つ。

「止まるな。あいつはまだ追ってきている」

 

その言葉に、ルナは心臓が跳ねるのを感じた。恐怖で喉が渇き、肺が焼けるように苦しい。それでも足を止めるわけにはいかなかった。みんなを引っ張る役目が、自分にはある。

 

「はぁっ……はぁっ……! リュウジ、本当に……逃げ切れるの?」

「逃げ切るんじゃない。やり過ごすか、仕留めるかだ」

 

簡潔な返答。だがその声音には揺らぎがない。ルナは、恐怖の中でその言葉に縋るしかなかった。

 

巨木の下で

 

メノリが湖のほとりに目を向け、はっとしたように声をあげた。

「見ろ、この木……! 登れるかもしれない!」

 

「登る?」とハワードが素っ頓狂な声をあげる。

「ば、馬鹿な! こんなでかい木、どうやって――」

 

「黙れ!」とメノリは一喝した。

「他に選択肢はない! 下にいれば、あの怪物に丸呑みにされるだけだ!」

 

リュウジは一瞬だけ木の幹を見上げ、すぐに判断した。

「……確かに、枝が低い位置に伸びてる。掴んで登れる」

 

「よし、行こう!」ルナが声を張る。

 

その瞬間、背後で大地が大きく震えた。オオトカゲが木立を突き破り、長い舌を伸ばしながら迫ってきていた。

 

登攀

 

「早く! 捕まって!」

ルナはハワードの腕を掴み、半ば引きずるように木の根元まで連れて行く。

 

「わ、わかった……! ひぃっ、近いっ!」

 

リュウジは一番に幹へ取りつき、軽々と枝に身体を持ち上げた。次にメノリが続く。だが彼女の額にも冷や汗が滲んでいた。規律や自負心で固めた仮面の下で、死の恐怖が確実に揺らぎを生んでいる。

 

「ルナ! 先に登れ!」

「でもハワードが……!」

「いいから登れ!」

 

リュウジの鋭い叱責。ルナは歯を食いしばり、ハワードの背中を押して登らせた。自分の足は震えていたが、必死で木肌を掴み、腕を引き上げて登っていく。

 

下では――。

 

オオトカゲが巨体を揺らしながら、舌を伸ばしては幹を舐めるように探っていた。獲物を逃すまいと、黄色い瞳がぎらついている。

 

木の上での安堵と恐怖

 

枝にしがみついたルナは、ようやく息を整えた。だが下を覗き込んだ瞬間、血の気が引く。

 

「……まだ、そこにいる……!」

 

オオトカゲは木の根元をぐるぐると回り、しきりに舌を伸ばしている。長い爪で幹を引っかくたびに、木が揺れ、四人の心臓を震わせた。

 

「な、なぁリュウジ……!」

ハワードの声は震えきっていた。

「ど、どうするんだよ! まさかこのまま……ずっとここにいるつもりか!?」

 

リュウジは短く息を吐き、手にしていた槍を握り直した。

「……追い払う」

 

「なっ……!? 無茶だ!」メノリが即座に反論する。

「相手は常識を超えた怪物だぞ! 武器は槍一本、倒せるはずが――」

 

「倒すんじゃない。撃退する」

その冷ややかな声音に、誰も言葉を継げなかった。

 

決断の時

 

リュウジは枝の上に片膝をつき、じっと下のオオトカゲを見据えた。目の奥には恐怖が確かに宿っていたが、それ以上に鋭い決意が燃えていた。

 

ルナは唇を噛んだ。

――リュウジ、本当にやる気なんだ……!

 

「ま、待って!」ルナは思わず声をあげた。

「危ないよ! 私たち、他の方法を考えた方が――」

 

「時間をかければ、あいつは飢えと怒りで暴れだす。そうなれば、木ごと揺すられて終わりだ」

 

理屈は正しかった。だが、それでも恐ろしかった。

 

「……私もやる!」ルナは枝を掴み、真っ直ぐにリュウジを見た。

「一人じゃ無理だよ。少しでも力になる!」

 

リュウジは一瞬だけ視線を合わせ、ふっと鼻を鳴らした。

「……勝手にしろ」

 

◇◇◇

 

リュウジは槍を振りかぶり、枝の上から狙いを定めた。下ではオオトカゲが舌をうねらせ、こちらに意識を集中させている。

 

「今だ――!」

 

鋭い投擲。槍は空を裂き、怪物の肩口に突き立った。

 

「グアァァァァッ!」

 

絶叫とともに、オオトカゲがのたうち回る。爪で幹を叩き、土煙を巻き上げた。木全体が揺れ、ルナは思わず悲鳴をあげて枝にしがみついた。

 

「ルナ、しっかり掴まれ!」メノリの声が飛ぶ。

 

「わ、わかってる……!」

 

下ではオオトカゲが狂ったように暴れ、だが槍を引き抜こうとすればするほど傷口が広がっていった。

 

「今だ! 次を投げろ!」

リュウジの声に、ルナは震える手で予備の槍を持ち上げた。

 

恐怖と勇気

 

だが、投げようとした瞬間――。

(こわい……! 外したら、あの怪物が……!)

 

体が竦み、呼吸が浅くなる。槍が重くて、腕が上がらない。

 

「ルナ!」リュウジの鋭い声。

「お前ならできる。迷うな!」

 

その一言に、心臓が大きく跳ねた。自分を信じろと言われた気がした。ルナは唇を噛み、力を込めた。

 

「えいっ!」

 

放たれた槍は軌道を描き、オオトカゲの脇腹に突き刺さった。

 

「ギャァァァァッ!」

 

槍はトカゲの肩口に突き刺さり、再び咆哮が森に響いた。

 

 

 トカゲは怒り狂って幹に体当たりを繰り返したが、やがて出血と痛みに耐えかね、舌を伸ばしながら後ずさった。湖畔の水際に退き、最後にこちらを睨みつけると、森の奥へと姿を消した。

 

 枝の上で、私たちはしばらく声も出せなかった。心臓が耳の奥で脈打ち、汗が滴り落ちる。

 

「……助かった……?」

 震える声でそう言ったのはハワードだった。

 

 メノリは乱れた息を整えながら、険しい眼差しでリュウジを見た。

「お前がいなければ……私たちは全員終わっていただろう」

 

 リュウジは何も答えず、ただ枝に腰を下ろして視線を逸らした。その横顔は、冷たい無表情に戻っていた。

 

◇◇◇

 

ルナは震える手を胸に当て、ようやく呼吸を整えた。

「リュウジ……ありがとう。助かった……」

 

リュウジは短く視線を逸らし、冷たく言い放った。

「礼はいい。降りるぞ」

 

だがその横顔に、一瞬だけ安堵の色が浮かんだことを、ルナは見逃さなかった。

この時、私は胸の奥で強く思った。

――この人は、本当は死にたいなんて思ってない。仲間を見捨てることなんてできない人なんだ。

 

 

 しばらくして、ようやく巨大なトカゲの姿が湖畔から完全に消えたのを確認すると、ルナたちは大樹の枝から慎重に降りていった。葉や樹皮で擦りむいた腕や足がひりついたが、地面を踏みしめた瞬間、全員の胸に安堵の息が広がった。

 

 「……た、助かった……」

 メノリは背筋を伸ばし、息を整えながら言った。その声も、いつもの厳しさというより震えが混じっていた。

 

 ハワードは尻もちをついたまま動けず、肩を上下させていた。先ほどの大声を思い出したのか、情けない顔をして俯いている。ルナはそんな彼を責めることなく、汗ばんだ手で背中を軽く叩いた。

 「大丈夫。もう安全よ、ハワード」

 

 リュウジは一歩離れた場所で周囲を警戒していたが、その表情もいつもの冷たい無表情ではなく、微かに安堵が浮かんでいる。

 

 そんな中、湖面が夕日を反射してきらきらと輝いた。透き通るような光景に、ルナの喉がひどく渇きを訴える。思えば、漂流してからろくに水を口にしていなかった。全員も同じはずだ。

 

 「……水、飲めそうだよ」

 ルナが恐る恐る口にすると、皆の視線が湖に集まった。

 

 「ただの水じゃないか。早く飲ませろよ」

 ハワードが立ち上がり、先に駆け寄ろうとする。だがリュウジがすかさず腕を伸ばして制した。

 「待て。まず確認だ」

 

 彼は枝を拾い上げ、水辺に差し入れた。波紋がゆっくりと広がり、魚影らしき影がすばやく横切った。毒性はなさそうだと判断したのか、リュウジは自分の手で水をすくい、唇を湿らせる。その表情を仲間が固唾を呑んで見守った。

 

 「……飲める」

 短い言葉に、皆の顔が一気に明るくなる。

 

 「やった!」ルナは歓声を上げ、そのまま両手で水を掬った。冷たさが喉を伝っていくたび、生き延びている実感が全身に染み渡る。

 「生き返る……」

 

 メノリも膝をついて水をすくった。普段は毅然としている彼女の目に、涙のような水滴がにじんで見えた。

 「……ありがたい」

 

 ハワードも夢中で飲んだ。だが途中で咳き込み、胸を叩いて涙目になる。

 「ぐっ……! でもうまい!」

 そんな姿に、ルナも思わず笑ってしまった。

 

 湖の恵みを味わいながら、しかし次第に現実的な問題が胸を重くした。――自分たちは、逃げてくる間に完全に方向を失っていたのだ。シャトルのあった場所も、仲間たちの拠点も、まったくわからない。

 

◇◇◇

 

 しばしの休息。

冷たい水が全員の命をつなぎ止めた。しかし次第に、別の現実が浮かび上がってくる。

 

「……で、シャトルはどこだ?」

最初に口にしたのはリュウジだった。水を啜り終え、鋭い眼差しで辺りを見渡す。

 

ルナとハワードも、はっとして背筋を伸ばした。湖畔に立ち、周囲を眺めてみる。しかし見えるのは森と山並みばかり。彼らが落ち延びたシャトルの銀色の機体は、どこにも見当たらない。

 

「……方向を見失ったんだな」

メノリが低く言った。その声音は冷静を装っていたが、手は無意識にスカートの裾を握っていた。

 

「ど、どうするんだよ! あのシャトルに戻れなきゃ、僕たち寝る場所も食料も……」

ハワードが声を荒げる。焦りと恐怖が混ざった表情に、ルナは胸が痛んだ。

 

沈黙を破ったのはメノリだった。

「……ならば、この島全体を把握するしかない。居場所を確認し、シャトルへ戻る道を探す。最も合理的だろう」

 

「どうやって……?」

ルナが尋ねると、メノリは迷いなく指を伸ばした。

 

湖の向こうにそびえる一際高い山。その頂は雲に届くかと思えるほどで、島全体を見渡すには最適だった。

「あの山だ。あそこからなら全域を視認できるはずだ」

 

ルナはごくりと唾を飲む。あまりにも遠く高い山。だが、確かにそこへ登ればシャトルの位置も確認できるかもしれない。

 

「……行こう」

ルナは力強く頷いた。その声には、迷う仲間を奮い立たせる響きがあった。

 

リュウジは無言のまま立ち上がり、槍を肩に担ぐと歩き出す。背中越しにただ一言。

「……死ぬ気があるなら勝手にしろ。ただし、俺は道を選ぶ」

冷たい声にハワードが肩をすくめたが、その背中には確かな覚悟が滲んでいた。

 

◇◇◇

 

湖を離れ、四人は山へと向かい始めた。森の中は鬱蒼としており、湿気を含んだ空気がまとわりつく。鳥のような鳴き声や、見慣れぬ小動物の影がちらちらと動く。

 

「うわぁ……僕の靴、もう泥だらけだよ! これ、高かったのに!」

ハワードの愚痴が途切れない。メノリは振り返り、冷ややかに言い放った。

「生き延びるのに靴の値段は関係ないだろう」

 

「ぐっ……!」

押し黙るハワード。しかし彼の呼吸は荒く、歩調も乱れがちだった。普段のぜいたくな暮らしから一転、過酷な登山は彼の体力を容赦なく削っていく。

 

ルナはそんなハワードに気づき、そっと歩調を合わせる。

「大丈夫? 無理はしないで」

「う、うるさい! 僕は平気だ!」

虚勢を張る声の裏で、彼の額には大粒の汗が滲んでいた。

 

リュウジは二人のやり取りを一瞥するだけで、黙々と前を進む。その無言の背中は頼りがいがある反面、近寄りがたい孤独を纏っていた。

 

◇◇◇

 

やがて、急な岩場に差し掛かった。足場は不安定で、苔に覆われた岩は滑りやすい。

 

「ここからは慎重に登れ。手を使って体を支えるんだ」

メノリの指示が飛ぶ。その声は厳しいが、仲間を導く響きがあった。

 

ルナは先に進み、手を伸ばして後ろのハワードを支えようとする。

「ハワード、手を掴んで!」

「わ、わかってる……っ」

 

しかし次の瞬間、ハワードの足が岩から滑った。

「うわぁぁっ!」

彼の体が傾き、谷底へと引きずられそうになる。

 

「ハワード!」

ルナが咄嗟に腕を掴む。全身に重みがのしかかり、肩が悲鳴を上げた。

「ぐっ……離さないで!」

 

「無理だ、僕落ちるっ!」

恐怖に顔を歪めるハワード。その叫びが森に反響する。

 

「落ち着け! 視線を下に向けるな!」

メノリが厳しく指示するが、ハワードの体は震え、理性を失いかけていた。

 

その時、リュウジが横から伸び上がり、がっしりとハワードの腕を掴んだ。冷たい表情のまま、鋼のような力で引き寄せる。

「……黙ってろ。暴れると余計に落ちる」

 

ぐい、と二人で引き上げ、ようやくハワードは岩の上へと転がり込んだ。荒い呼吸を繰り返しながら、地面にしがみつく。

 

「……助かった……」

弱々しく呟くその姿に、ルナはそっと背を撫でた。

「大丈夫だよ。ちゃんとみんなで戻るから」

 

リュウジは何も言わず、手についた土を払っただけだった。しかし、その横顔には一瞬だけ、安堵の影が浮かんでいた。

 

◇◇◇

 

森を抜けて山道へと足を踏み入れた四人の歩みは、次第に険しさを増していった。巨大トカゲとの遭遇と湖での緊迫した戦いを逃れ、ようやく水を得られた安堵の直後に「島全体を見渡し、位置を確かめる」必要があると決断したのはメノリだった。その言葉は規律を重んじる彼女らしく、仲間の生存を優先した冷静な判断であったが、疲れきった体にとって山登りという選択は決して容易ではなかった。

 

 先頭を歩くリュウジは、槍を片手に無言で岩場を登っていく。彼の背中はまるで道しるべのように迷いなく、ルナの目には頼もしくもあり、どこか近寄りがたい孤独の影を背負っているようにも見えた。彼は振り返ることもなく、ただ黙々と足を進めていく。

 

 その後ろを歩くメノリは、疲労を押し隠すように姿勢を正し、時折仲間に短く指示を飛ばしていた。

「足を滑らせないように注意したほうがいいだろう」

「列を乱さないで進むんだ」

その口調には厳しさが滲み、彼女自身の不安を打ち消すための強がりでもあった。

 

 ハワードは三番手を歩いていたが、すでに息が上がっていた。顔には汗が流れ、口元はしきりに文句を零している。

「はぁ、はぁ……もう勘弁してよ……僕は体力勝負なんて向いてないんだって……」

しかしその弱音も、リュウジに一瞥されただけで喉に引っ込む。リュウジの冷たい視線は何も言葉を必要とせず、ただ「黙れ」と告げていた。

 

 最後尾のルナは、仲間たちの背中を追いながら、心の中で必死に自分を鼓舞していた。皆を励ます立場である以上、弱さを見せるわけにはいかない。それでも胸の奥では、あの巨大トカゲに追われた恐怖と、自分たちがいかに危うい状況にあるのかを痛感していた。

 

◇◇◇

 

 やがて、山の中腹に差し掛かったところで、リュウジが立ち止まった。険しい岩場を見上げ、険しい顔で辺りを確認する。

「ここで一度休憩する。これ以上は体力が持たない奴が出る」

低く短い声が響き、メノリも渋々同意した。

「確かに……無理をすれば判断力も鈍るだろう。ここで五分休む」

 

 四人は木陰に腰を下ろした。ルナはリュックから先ほど湖で汲んだ水が入った水筒を取り出し、皆に差し出す。冷たい水が喉を潤すと、わずかながら緊張がほぐれた。

 

 しかし、ハワードが水筒の底を覗き込んで小さく呻く。

「……ああ、もうほとんど残ってないじゃないか。せっかく湖まで行ったのに、あの騒ぎでゆっくり汲めなかったし……」

弱音混じりの声に、メノリが冷たく切り返す。

「言い訳をしても状況は変わらないだろう。私たちは山を登って方角を確かめる。その先で改めて水を探すんだ」

「そ、そんなこと言ったってさ……僕、これ以上歩ける気がしない……」

ハワードは額を押さえ、わざとらしく大げさにうめいた。

 

 ルナはすかさず彼の隣に腰を下ろし、優しく声をかける。

「大丈夫だよ、ハワード。ここまで来られたんだから、あと少しだよ。きっと上からならシャトルの場所も見える。そうしたら安心できるでしょ?」

ルナの励ましに、ハワードはしばし沈黙したが、やがて小さくうなずいた。

「……うん、そうだね。シャトルの場所さえ分かれば……」

 

 リュウジはそんな二人のやりとりを黙って聞いていたが、やがて淡々と告げた。

「泣き言を言うなら、置いていく。それだけだ」

突き放すような声に、ハワードは慌てて首を振る。

「ま、待ってよ! わかった、もう言わないから!」

彼の情けない声に、ルナは苦笑を浮かべた。だが同時に、リュウジの厳しさが今は必要であることも理解していた。

 

 短い休憩の間にも、森の奥からは奇妙な鳥の鳴き声や、草むらを揺らす音が聞こえてきた。この島が彼らにとって安全な場所ではないことを、自然は絶えず告げている。ルナはぎゅっと拳を握りしめ、胸の奥で自分に言い聞かせた。

(負けない。絶対に、みんなで生き延びるんだ……)

 

◇◇◇

 

 五分が経つと、メノリが立ち上がった。

「もう休憩は終わりだ。山頂まであと半分はあるだろう。歩みを止めれば、それだけ危険が増す」

その毅然とした声に、ルナも頷き、ハワードも不満げながら腰を上げる。リュウジは何も言わず、すでに先を見据えていた。

 

 再び歩き出した四人の影は、傾き始めた陽光の中で長く伸びていた。険しい山道と不安、そして希望。彼らの登山は、まだ始まったばかりだった――。

 

 夕陽が赤く空を染め始めたころ、四人は山の中腹をさらに登り続けていた。だが足取りは重く、岩肌の斜面は徐々に急勾配となり、登頂をこのまま続けるのは危険だと誰もが感じ始めていた。

 

 先頭を歩いていたリュウジが、立ち止まって振り返る。

「これ以上は無理だ。日が沈む。暗闇で登れば命取りになる」

 

 その短い一言に、メノリも眉をひそめながら同意した。

「確かに……夜間の登山は愚策だろう。ここで一泊するのが妥当だ」

 

 ハワードはすぐさま地面に腰を下ろし、大きなため息をついた。

「やっと休める……僕の足、もう棒みたいだよ……」

 

 ルナは辺りを見回し、野営に適した場所を探す。少し下ったところに平らな岩場が広がっており、木々に囲まれて風を防いでくれそうだった。

「ねえ、あそこがよさそうだよ。木もあるし、岩で後ろが守られてる」

 

 四人はそこへ移動し、それぞれ荷物を置いて腰を下ろした。陽は傾き、辺りの森はすでに紫色の影に包まれ始めていた。

 

◇◇◇

 

食料探し

 

 野営地を決めると、次に必要なのは食料だった。スイカモドキを昨夜と今朝に食べてしまったため、もう残りはない。今日一日歩き通した体はエネルギーを欲しており、腹の虫は無情にも音を立てて鳴いていた。

 

 メノリが立ち上がり、冷静な声で言った。

「日が沈む前に食料を探すべきだろう。水は湖で確保できたが、この体力消耗では何も食べないわけにはいかない」

 

 ハワードが苦い顔をする。

「えぇ……また探すの? 僕、もう動けないよ……」

 

 メノリは彼に冷たい視線を向ける。

「座り込んでいても食べ物は降ってこないだろう」

 

 ルナは間に入って、少し明るい声を出した。

「大丈夫だよ、みんなで少しずつ探せば何か見つかるはず。暗くなる前に戻ってくる約束で行こう?」

 

 リュウジは短く頷き、槍を持ったまま森へと消えた。メノリも反対方向へと歩き出す。ハワードは不満げに立ち上がり、仕方なく近場を探しに行った。

 

 ルナもまた、一人で木々の間を進んだ。枝に目を凝らし、地面の草をかき分けながら探す。だが実りそうな果実は見つからない。森の奥からは獣の鳴き声や羽音が響き、心細さを誘った。

 

 それでも諦めかけたとき、一本の木の根元に黄色い果実が落ちているのを見つけた。手のひらほどの大きさで、表面にはところどころ虫に食われた跡がある。ルナはぱっと顔を輝かせた。

「よかった……少なくてもこれでみんなに分けられる」

 

 彼女は大事そうにそれを抱えて野営地へ戻った。

 

◇◇◇

 

 日没が迫り、リュウジとメノリも手ぶらで戻ってきた。ハワードは落ち葉を被って泥だらけになりながら帰ってきたが、成果はゼロだった。皆の表情に疲労と落胆が混じる。

 

 そんな中でルナが胸を張って果物を掲げた。

「見て! 一つだけど果物があったよ! 虫が食べてたから、多分大丈夫だと思う!」

 

 彼女の言葉に、ハワードが目を輝かせて駆け寄った。

「ほんとに!? やっとまともな食べ物が……!」

 

 メノリは慎重に果実を見つめ、眉を寄せる。

「虫が食べていたから安全とは限らないだろう。だが、今は他に選択肢もないか……」

 

 ルナは果物を地面に置き、リュックから小さなナイフを取り出した。慎重に果物を半分に切った瞬間――。

 

 ブワッと鼻を突く刺激臭が辺りに広がった。腐敗臭とも発酵臭ともつかない強烈なにおいに、ルナ自身も思わず顔をしかめる。

「うっ……な、なにこれ……!」

 

 ハワードは慌てて鼻を塞ぎ、飛び退いた。

「うわぁっ!? なんだよこれ、腐ってるじゃないか! 絶対食べられないって!」

 

 メノリも口元を押さえ、冷静を装いながらもわずかに後ずさった。

「……このにおいは尋常じゃないな。危険かもしれない」

 

 ルナは困惑し、ナイフを握ったまま皆の顔を見回す。

「でも……せっかく見つけたのに……どうしよう……」

 

 その時、リュウジが無言でルナの横にしゃがみ込み、切られた果実の一切れを手に取った。

 

「リュウジ? ちょ、ちょっと待って!」

 

 ルナが止める間もなく、リュウジは平然と果肉を口に運んだ。強烈なにおいが鼻を突くはずなのに、彼の表情は一切変わらない。咀嚼し、飲み込むと、淡々と告げる。

「食える」

 

 あまりにあっさりとした言葉に、三人は目を見開いた。

 

 ハワードが慌てて叫ぶ。

「な、何やってるんだよ!? 毒だったらどうするんだよ!?」

 

 メノリも険しい顔でリュウジを見据える。

「無謀だろう。解析もなしに口にするなど、正気か?」

 

 リュウジは冷めた視線を二人に向け、肩をすくめた。

「いちいち騒ぐな。虫が食ってるなら死ぬほどの毒じゃない。それに……腹が減って死ぬよりはマシだ」

 

 その冷徹な割り切りに、ルナは息を呑んだ。彼の背中には恐れよりも諦観のような影が見えた。生きるためなら苦しみをも厭わない――そんな強さと危うさが同居していた。

 

 結局、他の三人は手を伸ばせず、リュウジだけが無言で果実を口に運び続けた。鼻を衝くにおいの中で、その静かな咀嚼音だけが響き、夜の森に溶けていった。

 

 「……せめて、リュウジが大丈夫なら……」

小さく呟き、彼女は果実を口に運んだ。最初の一口で喉が詰まりそうになったが、必死に笑顔を作り、飲み込む。

 

「ほら、食べられるよ」

無理に明るく言うと、メノリとハワードが顔を見合わせた。二人ともためらっていたが、ルナの姿に心を動かされたのか、しぶしぶ手を伸ばす。

 

「……仕方ないな」メノリが短く言い、果実を口にする。苦い顔をしたが、喉に押し込むように飲み下した。

「こんなの食べ物じゃない……でも、食べないよりはマシか」ハワードも半ば泣きそうな声で言った。

 

◇◇◇

 

その夜の食事は、それだけだった。皆で分け合い、無言で飲み下す。匂いと味に辟易しながらも、腹の空きを少しでも紛らわせることができた。

 

焚き火が小さくなっていく頃、リュウジが言った。

「今夜の見張りは俺がやる。お前たちは休め」

 

「だが……」メノリが言いかけたが、リュウジはきっぱりと首を振った。

「疲れているだろう。動けなくなるほうが危険だ」

 

メノリは渋々黙り、ルナも反論しなかった。三人は身を寄せ合い、岩を背に横になった。

 

森の夜は静かだった。いや、静かすぎて逆に騒がしい。虫の羽音、遠くの獣の叫び、枝の軋む音、風のざわめき……それらが重なり合い、時に幻聴のように人の声にも聞こえる。

 

月の光に照らされて、リュウジは無表情で座っていた。目は森の奥を見据えている。何も語らず、自然の音を聞きながら夜を迎えているその姿は、影のように孤独だった。

 

しばらくして――ルナがそっと身を起こした。月の光に照らされた彼女の横顔は、不安と好奇心とで揺れていた。静かに歩み寄り、リュウジの隣に腰を下ろす。

 

「……リュウジ」

「起きていたのか」

「うん。なんだか眠れなくて」

 

しばしの沈黙が流れる。

 

「ねえ……リュウジのこと、もっと知りたいの」

彼女は勇気を振り絞って口にした。

「私も、まだ転校してきたばかりで……リュウジのことをよく知らない。だから、知りたいの」

 

リュウジの瞳がちらりと揺れた。だが彼はすぐに目をそらし、短く吐き捨てるように言った。

「もう寝ろ」

 

「でも……」

「寝ろ」

その声音は鋭く、拒絶の壁を築く。

 

ルナは唇を噛み、うつむいた。月の光が彼女の瞳を滲ませる。問いかけは届かなかった。リュウジの心はまだ固く閉ざされていた。

 

それでも、彼の横顔を見つめるルナの胸には、確かな想いが芽生えつつあった。孤独に耐えるその姿を放っておけないという想い。自然の音と森のざわめきの中で、彼女は静かに目を閉じた。

 

夜は深まり、星空が岩場を覆っていた。

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