サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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焼き芋

季節は巡り、冷たい空気がやわらいで、コロニーの街路樹にも新芽が混じりはじめた。

 

 新学期。

 

 ソリア学園の校門をくぐるたびに、ルナは胸の奥が少しだけ締めつけられる感覚を覚える。服の袖口に触れた風は、冬の名残を引きずりながらも、確かに春の匂いを運んでいた。

 

 ――高等部。

 

 ついにその言葉が、ルナにとって“次の章”になったのだと実感する。中等部の頃とは、同じ校舎でも空気が違う。歩く生徒たちの顔も、どこか大人びて見える。背筋を伸ばしている子が多くて、声のトーンも少し落ち着いている。もちろん、騒がしいのは変わらないけれど。

 

 ルナは父の形見のリュックの肩紐を軽く整え、深く息を吸った。

 

「……よし」

 

 口に出してしまうのは、昔からだ。自分を奮い立たせるための、小さな合図。

 

 ――寂しくないと言えば、嘘になる。

 

 高等部に上がったこと自体が寂しいわけじゃない。皆が、それぞれの道に進んだことが、寂しい。

 

 メノリは政治や行政の分野を学ぶ専門的な学校へ。あの厳格な口調の奥に、誰よりも現実を見て、誰よりも未来を守ろうとする意志を隠していたメノリらしい進路だと、ルナは思う。彼女はきっと、机上の理想を語るだけの人にはならない。現場で人を守るための仕組みを作る人になる。

 

 そして、シンゴ。

 

 宇宙工学の専門学校へ進んだ。あの天才少年は、ずっと宇宙船の図面や端末の画面と向き合っていた。楽しい時も、辛い時も、いつも“考える”ことで前に進んでいた。サヴァイヴの頃もそうだった。みんなが不安で崩れそうになっても、シンゴは「直せる」「作れる」「試せる」と言ってくれた。それがどれほど心強かったか、今さら思い出す。

 

 メノリとシンゴがいない教室を想像すると、胸が空っぽになりそうになる。

 

 でも――。

 

 それでも、ルナは前に進もうと思えた。

 

 みんなが未来のために歩き出したのなら、ルナも止まってはいられない。サヴァイヴで学んだのは、生き延びる方法だけじゃない。“前に進む”ということが、どれほど勇気のいることなのか。その勇気を、仲間たちが今、ちゃんと使っている。

 

 ルナだって、使う番だ。

 

 ソリア学園の高等部に進んだのは、ルナと、シャアラと、ベル。

 

 ベルもルナと同じく、惑星開発技師の専門科に進む。サヴァイヴで、土や木や火と向き合ってきたベルなら、きっと惑星の開拓現場でも頼りになる。

 

 一方、シャアラは普通科。

 

 同じ学園にいるのに、クラスが分かれる。授業も、課題も、時間割も違う。会えるのに会えない瞬間が増える。それが、ルナには少し怖い。

 

 校舎に向かう道を歩きながら、ルナはそんなことを考えていた。

 

 そのとき。

 

「ルナ!」

 

 背後から、聞き慣れた声が呼んだ。

 

 ルナの肩がふっと軽くなる。振り返る前から、分かる。

 

「シャアラ!」

 

 振り向くと、シャアラが小走りで近づいてきた。髪が揺れて、頬がほんのり赤い。いつもより少し緊張した表情をしているのは、新学期のせいだろうか。

 

「おはよう」

 

 ルナが言うと、シャアラは息を整えながら、ふにゃっと笑った。

 

「おはよう、ルナ……はぁ、間に合った」

 

「間に合ったって、どうしたの?」

 

「だって……今日から別のクラスだよ?」

 

 シャアラが言う。寂しそうに、でも必死に笑顔を保とうとするような顔で。

 

 ルナは胸の奥が、きゅっと鳴った。

 

「……そうだね」

 

 言葉にすると、余計に実感が増す。

 

「私とベルは惑星開発技師の専門科で、シャアラは普通科だもんね」

 

 ルナがそう言うと、シャアラは少し唇を噛んだ。

 

「うん……分かってる。でも、分かってても寂しいの」

 

 シャアラの正直な言い方が、ルナの胸にじんわりと染みる。

 

 ルナは笑って、肩をすくめた。

 

「私も寂しいよ」

 

「……!」

 

 シャアラの目が少し潤んだ気がした。慌ててシャアラは顔をそらす。

 

「だ、だから!絶対、一緒にお昼食べようね!」

 

 勢いよく宣言するように言う。

 

 ルナは思わず笑ってしまった。

 

「ええ、もちろん」

 

「絶対だよ?」

 

「絶対」

 

 ルナが頷くと、シャアラはやっと安心したように、ほっと息を吐いた。

 

 二人は並んで歩き出す。ソリア学園の校舎が近づいてくるたびに、生徒の声が大きくなる。足音が増え、笑い声が跳ねる。

 

 シャアラは歩きながら、何か言いたげにルナの横顔をちらちら見る。

 

「……なに?」

 

 ルナが気づいて尋ねると、シャアラは少し照れたように笑った。

 

「ううん。なんでもない」

 

「その顔は“なんでもない”じゃないよ」

 

「……いいでしょう、別に」

 

 シャアラがむっとしたふりをする。ルナはそれが可笑しくて、くすっと笑った。

 

「ふふ」

 

「もう」

 

 シャアラは頬を膨らませているが、その目元は柔らかい。こういうやり取りが、ルナにとってどれほど大切か――改めて思い知らされる。

 

 ずっと一緒だったはずの仲間が、少しずつ別の道に進んでいく。

 

 でも、こうして隣にいてくれるシャアラがいる。

 

 ルナは心の中で、ほんの少しだけ安心した。

 

「ちなみにさ」

 

 ルナは話題を変えるように、軽い調子で言った。

 

「今日のシャアラのお弁当は?」

 

 シャアラはぱっと表情を明るくした。お弁当の話はシャアラにとって安全な話題だ。繊細な心を守るための、日常の取っ手。

 

「普通に、おにぎりと卵焼きと……さつまいもの煮っ転がしかな」

 

 さらっと言いながら、シャアラは少し得意げだ。

 

「さつまいもかぁ……」

 

 ルナは苦笑した。なぜか、あの味が一瞬で舌に蘇る。

 

 サヴァイヴの冬。

 

 寒さが骨に沁みて、食べ物が少なくて、みんなの顔色がどんどん悪くなっていった時期。あの時、さつまいもがどれほどありがたかったか。土の匂いがするのに、甘くて、ほっとする味だった。

 

 シャアラも、その記憶を掘り起こしたように笑う。

 

「サヴァイヴの冬の時は助けられたもんね」

 

「うん……あの焼き芋、美味しかったな」

 

 ルナがしみじみ言うと、シャアラは一拍置いてから、いたずらっぽく目を細めた。

 

「それは、リュウジと一緒に食べたからじゃなくて?」

 

 ルナは足を止めかけた。

 

「……っ」

 

 胸の奥が、きゅっと鳴る。懐かしさと痛みが混じったような音。

 

「もう……揶揄わないでよ」

 

 ルナは照れ隠しみたいに言って、ぷいっと前を向く。頬が熱いのが自分でも分かる。

 

 シャアラは「ごめんごめん」と笑いながら、ルナの横にぴたりとついてくる。

 

「ふふっ、ごめん、ごめん」

 

「ほんとにもう……」

 

 ルナは小さくため息をついたふりをした。けれど、シャアラが笑ってくれるのが嬉しい自分もいる。

 

 ――でも、名前を出されると、やっぱり胸が痛い。

 

 冥王星へ行ったリュウジ。もうここにはいない。端末にメッセージを送っても、すぐに返事が来ないこともある。来ても短い。リュウジらしいと言えばらしいけれど、その短さが逆に、距離を感じさせる。

 

 ルナはその痛みを、笑顔のまま飲み込んだ。

 

 シャアラは、空気を切り替えるように、ぱっと別の話を振る。

 

「でもさ、さつまいもと言えばハワードよね」

 

 ルナは思わず吹き出しそうになった。

 

「本当よね。食べ物のことになるとやる気になるもんね」

 

 二人で顔を見合わせて、くすくす笑った。

 

 サヴァイヴでのハワードを思い出す。

 

◇◇◇◇

 

 スターホールは、外の世界から切り離された小さな島みたいだった。

 

 吹雪は止む気配もなく、厚い氷の粒が外壁を叩く音が、絶え間なく響いている。まるで、誰かがずっと扉を叩き続けているみたいで、ルナはその音を聞くたびに肩がすくむ。けれど、皆の視線が焚き火に集まっている今だけは、同じ場所にいることが救いだった。

 

 焚き火の明かりは、スターホールの内壁にゆらゆらと影を揺らしている。火がパチパチと弾ける音、鍋の中でスープが静かに揺れる音。外の吹雪が世界を凍らせようとしているのに、ここだけは、ほんの少しだけ生きている温度が残っていた。

 

 その温度を、一番必要としているのは――今は間違いなく、リュウジだった。

 

 ベッド代わりにしている簡易寝台の上で、リュウジは横たわっていた。足はまだ腫れたまま。包帯の下の皮膚が、どれだけ痛みを訴えているか、ルナには想像できる。

 

 シャアラが、鍋から湯気を立てる器を手にして、そっと近づいた。

 

「リュウジ、ご飯だけど……起きられる?」

 

 その声は小さくて、でも芯があった。サヴァイヴに来てからのシャアラは、泣きそうな顔をしながらも、こういう時だけは妙に落ち着いている。火の近くで器を温めてから、リュウジの返事を待った。

 

 リュウジは、目を開けた。いつもの鋭い目つきは少し柔らかい。眠りが浅かったのだろう、瞼の縁が赤い。

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 ゆっくりと起き上がり、体を起こす。その動きだけで痛みが走るのか、眉がほんの少しだけ寄った。リュウジはそれを悟られたくないのか、すぐに呼吸を整え、足を庇いながら寝台の端に腰を下ろした。

 

 ルナは焚き火のそばで鍋を見ていたが、その動きを見て、思わず声をかける。

 

「無理しないでよ」

 

 リュウジは、焚き火の方へ歩きながら、ちらりとルナを見た。

 

「大丈夫だ」

 

 その返答はいつも通り短いのに、今は少しだけ“意地”が混じっているように聞こえた。

 

 リュウジは、足を引きずらないように、あくまで“普通に”歩こうとしている。でも、普通に歩けるほど軽い怪我じゃない。昨日、足首から先が信じられないくらい腫れて、色も変わっていたのを、皆は見ている。

 

 焚き火の前に着いたところで、チャコが鼻を鳴らすような声を出した。

 

「足はもうええんか?」

 

 関西弁の軽さの中に、妙に鋭い心配が刺さっている。

 

 リュウジは器を受け取りながら、肩をすくめた。

 

「まだ痛むが、大丈夫だろ」

 

「大丈夫大丈夫って……」

 

 アダムが、焚き火の向こう側から心配そうに身を乗り出した。火の光を映した瞳が、少し揺れている。

 

「でも、凄い腫れてたよ」

 

 シンゴも頷く。いつもなら淡々としているのに、今は声が強い。

 

「そうだよ。折れてないのが不思議なくらいの傷なんだから」

 

 リュウジは、スープを一口啜り、少しだけ目を細めた。温かさが喉を通ったのだろうか。呼吸が少し落ち着いたように見える。

 

「心配しすぎだ」

 

 そう言いながら、珍しく笑みを浮かべた。ほんの少し。焚き火の揺らぎのせいでそう見えただけかもしれないほどの、小さな笑み。

 

 ――でもそれでも、皆の胸を軽くするには十分だった。

 

 メノリが、腕を組んだまま、きっぱりと言う。

 

「それが普通だ」

 

 ルナは思わず、メノリらしい、と心の中で呟いた。厳しい言葉のはずなのに、そこには“お前を守りたい”という意志がある。

 

「ここには治療する設備も薬もないんだ」

 

 メノリの言葉に、スターホールの空気が一瞬だけ冷えた。焚き火の熱とは別の冷たさが、胸の奥に入り込む。現実。どれだけ心配しても、できることが限られている現実。

 

 ベルが、器を両手で包み込むように持ちながら、穏やかな声で続けた。

 

「そうだな。休むことに越したことはないよ」

 

 カオルが、ぼそりと付け足す。

 

「特に、お前が欠けたら困る」

 

 その言い方は不器用で、相変わらず愛想もない。けれど、カオルの口から“必要”という意味の言葉が出るだけで、どれほどの重みがあるか、ルナは知っている。

 

「そうだ、そうだ」

 

 ハワードが大きく頷いて、器を掲げるようにした。まるで乾杯の前みたいに。

 

 しかし次の瞬間、メノリの視線がハワードに突き刺さる。

 

「ハワードならまだしも」

 

「お前な!」

 

 ハワードが声を上げた瞬間、スターホールに笑いが広がった。

 

 シンゴが吹き出し、シャアラは口元を押さえ、ベルは肩を揺らして笑い、ルナもつられて笑ってしまう。カオルは笑わないが、鼻で小さく息を吐いた。あれは、たぶん、カオルなりの笑いだ。

 

 リュウジは、焚き火の火を見つめたまま、ほんの少し口元を緩めていた。

 

「まったく……僕を何だと思ってるんだよ」

 

 ハワードは不満そうに言いながらも、どこか嬉しそうだった。皆に弄られることが、今のハワードにとっては“仲間”の証なのだと、ルナには分かる。

 

 そうして笑いが落ち着くと、ハワードは器を置いて、急に真面目な顔をした。

 

「ところで今日の晩ごはんはなんだ?もう腹ペコだぜ」

 

 メノリが即答する。

 

「干し肉と芋を煮込んだスープだ」

 

「またかよ……僕はもう飽きたよ」

 

 ハワードがぐにゃりと顔を歪める。

 

 チャコが、呆れたように肩をすくめた。

 

「腹ペコや飽きたやら、忙しいやっちゃな」

 

「仕方ないだろ」

 

 メノリが少し声を落とす。責めているわけじゃない。現実を言っているだけ。

 

「もう保存食も少ないんだ」

 

 その言葉に、笑いは完全に消えた。

 

 シャアラが、鍋を見ながら小さく言う。

 

「スープなら温かいし、量は作れるから」

 

 カオルも頷く。

 

「水には困らないからな」

 

 ベルが、少し眉を下げた。

 

「だけど……それにも限度がある」

 

 ルナは器を持つ手に力が入るのを感じた。焚き火の温度の中でさえ、背中に冷たいものが走る。

 

「ええ。何とかして食料を集めないと」

 

 言葉にした瞬間、ルナは自分が“リーダー”だと言う事を改めて自覚した。けれど、誰かが言わなければならない。皆が不安の中で同じことを考えているなら、ルナがそれを言葉にして共有する必要がある。

 

 アダムが、スープを啜りながら、ぽつりと言った。

 

「明日……外に行ける?」

 

 その問いは、子どもらしいほどまっすぐで、だからこそ残酷だった。

 

 外は吹雪だ。今もスターホールを叩いている。明日、急に晴れる保証なんてどこにもない。

 

 ルナはアダムの方を見て、できるだけ柔らかく笑う。

 

「明日は少しでも吹雪が止んでくれればいいけど……」

 

 その言葉の先が続かない。止まってくれれば、行ける。止まらなければ、行けない。簡単なことなのに、決定権が自分たちにない。

 

 リュウジが器を置いた。焚き火の光が、彼の横顔を揺らす。どこか遠くを見るような目。

 

「……吹雪が止まなくても、手は考える」

 

 低い声で、短く言う。

 

 それは慰めでもないし、根拠のない希望でもない。実務的で、冷たいほど現実的な言葉なのに――不思議と、ルナの胸が少し軽くなった。

 

 “考える”という言葉には、諦めない意思が含まれている。

 

 メノリが頷いた。

 

「その通りだ。今は、できることを整理する」

 

 シンゴが、焚き火のそばに置いた小さな道具袋を見つめる。

 

「僕、明日のために道具の点検しておく。外に出られるなら、すぐ動けるように」

 

 ベルも言う。

 

「俺も。荷物の整理、手伝うよ」

 

 シャアラは少しだけ目を伏せ、でも、しっかり声を出した。

 

「私、明日もし外に出られなくても……スープの材料をうまく使えるように考える。干し肉の切り方とか、芋の煮方とか、できることあると思うから」

 

 “泣くだけの存在”ではないシャアラが、そこにいた。

 

 ルナは胸が熱くなるのを感じて、頷いた。

 

「ありがとう。みんながいてくれると、本当に……心強い」

 

 言葉にした瞬間、ルナは少し恥ずかしくなって、器の中に視線を落とした。

 

 その横で、ハワードが小さく咳払いをした。

 

「……まあ、僕だってな。やる時はやる」

 

 その言い方が、いかにもハワードらしくて、空気が少しだけ柔らかくなる。

 

 チャコが即座に突っ込む。

 

「ほな、やれや」

 

「うっ……うるさい!」

 

 皆の笑いが、またふわっと広がった。吹雪の音は変わらない。外は相変わらず凍える世界だ。それでも、スターホールの中にいるこの瞬間だけは、“明日”が少しだけ近く感じた。

 

 リュウジは、笑いの輪の端で、焚き火の火を静かに見ていた。足が痛むはずなのに、表情には出さない。ルナはその横顔を見て、胸の奥がちくりとする。

 

 ――頼りすぎたらだめだ。

 

 でも、頼れる人がいることは、悪いことじゃない。

 

 ルナはそう自分に言い聞かせながら、スープを一口飲んだ。塩気の薄い、干し肉と芋の味。でも温かい。それだけで、今日を越えられる気がした。

 

 吹雪は、まだ止まない。

 

 けれど、焚き火の前には、確かに“仲間”がいた。

 

 明日がどうなるか分からなくても、今夜だけは、皆で同じ火を見て、同じスープを飲んで、同じ不安を分け合っている。

 

 ルナは心の中で、静かに願った。

 

 ――明日、少しでも吹雪が止みますように。

 

 そして、リュウジの足が、どうか悪化しませんように。

 

ーーーー

 

 食事が終わると、スターホールの空気が少しだけ軽くなった。

 

 鍋の中身はほとんど空になり、器に残った薄い湯気だけが名残みたいに漂っている。焚き火の火は相変わらず静かに燃えていたけれど、さっきまで皆の腹を満たしていた「晩ごはん」という大きな仕事が片付いたことで、次はそれぞれが“明日を生きるための作業”へと散っていく。

 

 ベルは外壁の隙間を点検しに行き、シンゴとチャコは通信機の調整を続けるために角のスペースへ移動した。シャアラは鍋を軽く洗ってから、干し肉の残量をもう一度数えに行った。メノリは地図とメモを広げ、明日の行動案を整理し始めている。

 

 ルナは焚き火に薪を足し、火が弱くならないように整えていた。誰も命令していないのに、それぞれが自分の役割を取り戻していく感じがする。漂流してから何日も経ち、慣れと疲労が入り混じったこの生活の中で、こういう“自然な分担”は大事だった。

 

 そして――リュウジは、簡易寝台に横になっていた。

 

 足の腫れはまだ引いていない。火の前に座っていたときは「大丈夫だ」と言い切ったけれど、寝台に戻った途端、その肩から力が抜けたのが分かった。目は開いている。けれど焦点が少し遠い。痛みと戦いながら、無理に“普通”を装っているのが、ルナには見えてしまう。

 

 そんなリュウジの視界に、突然、ハワードがぬっと顔を出した。

 

「なぁ、焼き芋食べたい」

 

 その言い方があまりに唐突で、リュウジは一拍置いてから、呆れたようにため息をついた。

 

「今の備蓄じゃ無理だろ。メノリに怒られるぞ」

 

「焼き芋だぞ?」

 

 ハワードは本気で言っているらしい。まるで“焼き芋”が万能薬か何かみたいな口ぶりだ。

 

「焼き芋でもだ」

 

 リュウジが淡々と返すと、ハワードは不満そうに唇を尖らせて、寝台の横にしゃがみこんだ。

 

「リュウジ、もう動けるんだろ?」

 

「多少はな」

 

 言った瞬間、リュウジは自分でも“余計なことを言った”と気づいたのか、視線を逸らした。だが、もう遅い。

 

 離れた場所から、飛んできた声がある。

 

「リュウジは安静よ!」

 

 ルナだ。焚き火の近くで薪を整えながら、振り向きもしないで言ってくる。声は明るいのに、語尾がきっぱりしていて、反論の余地がない。

 

 リュウジは寝台の上で肩をすくめた。

 

「だそうだ」

 

「まぁ、大丈夫だろ」

 

 ハワードは軽く言う。軽すぎる。まるで“転んで膝を擦りむいた”くらいのノリだ。

 

「怒られるのは俺だぞ」

 

 リュウジが低い声で釘を刺すと、ハワードは胸を張った。

 

「僕も一緒に怒られてやる」

 

「お前はメノリに怒られろ」

 

 リュウジの返しが冷たくて、ハワードはむっと顔をしかめた。

 

「嫌だよ。あいつ怒るとすげー怖いんだぜ? 眉間に皺が寄って――」

 

 そこまで言いかけた瞬間。

 

「聞こえてるぞ!」

 

 鋭い叱責が、スターホールの反対側から飛んできた。メノリの声だ。空気が一瞬で引き締まるほどの圧がある。紙をまとめていた手が止まった気配さえ感じる。

 

 ハワードは固まってから、そろーっとリュウジの方を見た。

 

「……あんな感じだ」

 

「なるほど」

 

 リュウジは真面目に頷いた。あまりに淡々と頷くものだから、ハワードは「お前、そこは助けろよ」と言いたげな目をする。

 

 メノリは今にも立ち上がりそうだった。頬杖をついていた姿勢が変わり、肩が少し上がる。怒る準備が整っていく気配。

 

 その瞬間、ルナが「まぁまぁ」と間に入った。

 

「メノリ、今はみんな疲れてるし、ハワードも冗談でしょ。ね?」

 

 ルナの声は柔らかい。でも、ただの宥めじゃない。“今は喧嘩をする時間じゃない”という判断がそこに含まれている。メノリは唇を引き結んで、しぶしぶ息を吐いた。

 

「……まったく」

 

 怒りは消えていない。けれど、ルナの言葉で刃を引っ込めた。

 

 そのやり取りを見ていたリュウジは、寝台の上で少しだけ目を細めた。ルナのことを見ているわけではないのに、どこか“感心している”空気がある。ルナが気づく前に、視線はすぐ天井へ戻った。

 

「それで、俺にどうしろと?」

 

 リュウジがハワードに向けて言う。声に呆れが混じっているのに、完全に拒絶する気はない。ハワードは、その隙を見逃さなかった。

 

「一緒にさつまいもを探しに行こうぜ」

 

 リュウジはしばらく黙った。焚き火がパチ、と小さく鳴る。

 

 “食料探し”――それは命を繋ぐ行為だ。ふざけた理由(焼き芋)でも、結論としてやること自体は間違っていない。むしろ正しい。問題は、リュウジの足だ。

 

「食料探しか……いいだろ」

 

 リュウジが言った瞬間、ルナの声が今度は驚きのトーンで飛んできた。

 

「何言ってるの? まだ熱が下がったばかりでしょ!」

 

 熱。そうだ。リュウジは足だけじゃなく、体調そのものがまだ完全じゃない。昨日、体の芯まで冷えていた。風邪に片足を突っ込んでいてもおかしくない。

 

 ハワードは両手を広げて、軽い調子で言う。

 

「いいだろ。危険なことはしないからさ」

 

「それが一番信用できないのよ」

 

 ルナが即座に返す。チャコが「それな」とでも言いたげに鼻を鳴らした。

 

 ハワードはへらっと笑い、さらに畳み掛ける。

 

「それに前に見つけたのも、僕とリュウジだぞ」

 

「僕も一緒だったよ」

 

 アダムが手を挙げるみたいに言う。かわいい自己申告だが、内容が内容なので、ルナの眉がぴくりと動いた。

 

「見つけたいうても、ハワードは雪崩に巻き込まれただけやろ?」

 

 チャコのツッコミが容赦ない。シンゴが「それは確かに」と小さく頷いた。

 

「何言ってるんだよ!」

 

 ハワードは不服そうに立ち上がる。

 

「雪崩に巻き込まれながらも食料を見つけた立役者に――」

 

「あーはいはい」

 

 チャコが流すように手を振った。「はいはい、よう頑張ったな」くらいの温度で切り捨てられ、ハワードは口を尖らせる。

 

 ルナは揉めそうな空気を見て、深く息を吐いた。

 

 このままハワードの勢いに流されてリュウジが外に出るのは、絶対に良くない。けれど、食料探しは必要だ。もし、吹雪が少しでも弱まったタイミングがあるなら、短時間でも動けるうちに動いた方がいい。

 

 ルナは判断の糸を頭の中で引っ張りながら、リュウジの寝台の方へ視線を向けた。

 

 リュウジは――ルナの目を避けない。逃げない。けれど、何も言わない。

 

 その沈黙は、“決めるのはお前だ”とも、“止めたいなら止めろ”とも取れた。

 

 ルナの胸がきゅっとなる。リュウジはいつもこうだ。自分のことを語らない。頼りたいのに、頼れない距離を保つ。でもその距離は、ルナにとっては“信頼の形”でもある。

 

 ルナは唇を結び、言った。

 

「……短時間。吹雪が弱まってる間だけ。危険なところには絶対に近づかない」

 

「おっ!」

 

 ハワードが嬉しそうに声を上げる。

 

「ただし、リュウジは――」

 

 ルナはリュウジを見つめ、言葉を選んだ。強く言いすぎれば反発される。弱く言えば通じない。

 

「リュウジは足を見せて。歩けるかどうか、私が判断する」

 

 リュウジは一瞬だけ目を細めた。面倒そうにも見える。でも、その奥に“観念した”気配がある。

 

「……分かった」

 

 短く言う。ルナはほっと息を吐く。ハワードはその様子を見て、ニヤリと笑った。勝ったとでも言いたげだ。

 

 すると、背後からさらに鋭い声が飛ぶ。

 

「お前たち、何を勝手に決めている」

 

 メノリだ。紙束をまとめる手を止め、こちらへ向き直っている。表情は険しい。

 

 ルナはすぐに前に出た。

 

「メノリ、食料探し。吹雪が弱い間に、近場だけ……」

 

「ダメだ」

 

 即答だった。迷いがない。メノリはリュウジを見る。

 

「リュウジ、足は?」

 

「痛む」

 

 リュウジが正直に言ったのは意外だった。メノリは眉を寄せる。

 

「なら却下だ」

 

 ルナは反射的に言い返しそうになったが、言葉を飲み込んだ。メノリは正しい。正しいからこそ、今の“足りない食料”が怖い。

 

 その間に、ハワードが口を挟む。

 

「でもさ、メノリ。焼き芋だぞ?」

 

「焼き芋は関係ない!」

 

 メノリの叱責で、ハワードが肩をすくめる。ルナは苦笑しそうになるのを堪えた。

 

 メノリは続ける。

 

「行くなら、行ける人間が行く。リュウジは残れ」

 

「……それもそうだな」

 

 ベルが頷く。シャアラも「無理しない方がいい」と小さく言った。

 

 リュウジは寝台の上で黙り込んだ。視線だけが揺れる。無力感に似たものが一瞬だけ顔をかすめたのを、ルナは見逃さなかった。

 

 ルナはその空気を断ち切るように言った。

 

「じゃあ、こうしよう。リュウジは残る。外には……ベルと私と、シンゴと……」

 

「僕も行く!」

 

 ハワードが挙手する。メノリが即座に睨む。

 

「却下」

 

「なんでだよ!」

 

「お前は雪崩に巻き込まれるからだ」

 

「それは前回だけだ!」

 

 チャコが「あほか」と呟き、シンゴが笑いを堪える。

 

 ルナは手を上げた。

 

「ハワードは……補助。私の横から離れないなら、いい」

 

「よし!」

 

 ハワードが喜び、メノリが頭を抱えそうな顔をする。

 

「ルナ……」

 

「大丈夫。危ないことはさせない」

 

 ルナはメノリを見て頷く。メノリはしぶしぶ息を吐いた。

 

「……分かった。ただし、必ずロープを持て。風が強まったら即撤退。時間は決める」

 

「うん!」

 

 ルナが頷くと、ベルも頷いた。

 

「俺も一緒に行く。力仕事なら任せて」

 

 シンゴも立ち上がる。

 

「僕は地形を確認する。雪の層が不自然な場所は避けよう」

 

 チャコが耳をぴくりと動かしながら言う。

 

「ウチは通信機いじらなあかんけど……戻りが遅かったら、すぐ呼ぶで」

 

「ありがとう」

 

 ルナはチャコに頷き、リュウジに視線を向けた。

 

 リュウジは寝台に横になったまま、しばらく沈黙していた。焚き火の光が、彼の頬を照らす。目は鋭いのに、その奥にあるのは苛立ちと焦りだ。

 

「……俺は、役に立たないな」

 

 ぽつりと落ちた声は、いつもより小さかった。

 

 ルナの胸がぎゅっと締まる。

 

「そんなことない」

 

 ルナは即答した。言葉は強く、目は揺れない。

 

「リュウジがここにいてくれるだけで、安心するんだよ。私たちが戻ってくる場所が、ちゃんと守られてるって思えるから」

 

 リュウジはルナを見た。言い返す言葉を探しているように見える。でも、見つからなかったのか、ただ小さく息を吐いた。

 

「……勝手だな、お前」

 

「勝手でいい」

 

 ルナは笑った。ほんの少し。

 

「だって、私たち、仲間でしょ」

 

 その言葉に、リュウジの視線が一瞬だけ揺れた。照れたのか、誤魔化したのか、すぐに天井へ目を逸らした。

 

 ハワードがその空気をぶち壊すように言う。

 

「まぁ、そういう訳だから、頼んだぞリュウジ!」

 

「何をだ」

 

「留守番!」

 

「……分かった」

 

 リュウジが渋々頷くと、ハワードは満足そうに親指を立てた。

 

 ルナは皆の準備が整っていくのを確認しながら、最後にもう一度リュウジの方を見た。

 

 リュウジは寝台の上で、目を閉じようとしている。痛みを押し殺すように、呼吸を整えようとしている。

 

 ルナは心の中で、そっと言った。

 

 ――待ってて。すぐ戻るから。

 

 そして、焼き芋が食べられるほどの余裕なんて、今はまだ遠い。

 

 けれど、ほんの小さな“焼き芋が食べたい”という願いが、明日への糸になるなら――それも、悪くない。

 

 吹雪の音が、相変わらず外壁を叩いている。

 

 ルナはロープを手に取り、ベルとシンゴとハワードを振り返った。

 

「行こう。時間は短く、慎重に」

 

「了解」

 

 ベルが低く返し、シンゴが頷き、ハワードは勢いよく頷いた。

 

「焼き芋!焼き芋!」

 

「うるさい」

 

 メノリの叱責が飛び、皆が少し笑った。

 

 笑いながら、ルナたちは外へ向かう準備を始めた。

 

ーーーー

 

 次の日の朝。

 

 あれだけ世界を白い音で埋め尽くしていた吹雪が、嘘みたいに止んでいた。スターホールの入口の隙間から入り込んでいた冷たい風も弱まり、外の空気は鋭いけれど、昨日までの“殺すような”圧ではない。

 

 焚き火の残り火が、ぱちぱちと小さく鳴る。

 

 夜番を交代したばかりのベルが外を覗き込み、肩越しに言った。

 

「……止んでる」

 

 その言葉を聞いた瞬間、寝袋から半身だけ飛び出していたハワードが、勢いよく起き上がった。

 

「ほらぁ! 僕の願いが通じたんだって!」

 

 根拠ゼロの勝利宣言に、シンゴが欠伸を噛み殺しながら「すごいね」と棒読みで返し、チャコが「うっわ、朝からうるさ」と小声で呟いた。メノリは眉間に皺を寄せたまま、焚き火に薪を足している。

 

 ルナは寝台から起き上がり、外の様子を目で確認する。空は薄い灰色で、雲は重いままだが、雪の粒が舞っていない。それだけで今日は“動ける日”だと分かる。

 

「よし。みんな、準備しよう」

 

「早く行こうぜ!」

 

 ハワードが靴もちゃんと履かずに跳ねる。ルナは肩をすくめた。

 

「今、行くからちょっと待って」

 

「待てない!」

 

「待ちなさい!」

 

 ルナの声がぴしゃりと飛ぶと、ハワードは一瞬だけ縮こまり、次の瞬間に「へへ」と笑って誤魔化した。まったく反省していない顔だ。

 

 ルナは深呼吸して、いつものように段取りを組み立てる。

 

「それじゃあ……メノリとシャアラとアダムは、西側で食料集めをお願い」

 

「分かった」

 

 メノリは短く返す。声は冷たいけれど、その中に安心できる芯がある。

 

「シャアラ、大丈夫?」

 

「うん……大丈夫。気をつける」

 

 シャアラは小さく頷き、アダムは「僕も行く」と胸を張った。ルナはその頭を軽く撫でた。

 

「じゃあ、カオルとチャコは東側をお願いね」

 

「任せとき」

 

 チャコが元気よく言い、カオルは「ああ」と短く頷く。

 

「ルナ〜! 早く〜!」

 

 ハワードの声がまた飛ぶ。

 

「もう! うるさいな!」

 

 ルナが少し強めに言うと、ベルが苦笑して「まぁまぁ」と宥めるように肩を叩いた。

 

「それじゃあ今日も頑張りましょう!」

 

 ルナはわざと明るい声を作って宣言し、最後に付け足す。

 

「――あ、リュウジは留守番よ」

 

 洞窟の奥、簡易寝台の方から小さな気配が動いた。リュウジが起きていたのか、起きたのかは分からない。けれど、返事はない。

 

 ルナは“聞こえたはず”だと分かっているので、それ以上は言わない。言えば言うほど、リュウジは意地になる。

 

 ルナは荷物を確認し、ロープと簡易スコップを背負う。

 

 今日の目的は――さつまいもだ。

 

 ハワードのくだらない願いが、今は一番現実的な“希望”になっている。

 

「行こう。ハワード、ベル、シンゴ」

 

「おう!」

 

「了解」

 

「任せて」

 

 外へ出た瞬間、肌に刺さる冷気が肺に入り込んだ。空気が痛い。それでも昨日までの絶望はない。雪面は硬く締まり、足が沈みにくい。歩ける。

 

 ルナは前を向いた。

 

 ――食料。見つける。

 

 ***

 

 次に動いたのは、メノリ、シャアラ、アダムの三人だった。

 

 西側へ向かう背中は小さく見えたが、メノリの歩き方は迷いがない。シャアラは緊張しているのが分かる。それでもアダムが隣で「僕がいるから」と言うように手を振っていて、その無邪気さが逆に心強かった。

 

 彼らが去ってから、スターホールに残ったのは――カオル、チャコ、そしてリュウジ。

 

 焚き火の前で、チャコは腕を組んで大げさにため息を吐いた。

 

「ほな、ウチらも行こか」

 

「ああ」

 

 カオルが立ち上がる。

 

 チャコはすぐに振り返り、簡易寝台にいるリュウジに向かって言った。

 

「リュウジ、大人しくしとき」

 

「分かってる」

 

 リュウジの声はいつも通り低く、淡々としていた。

 

 だが、その次の瞬間。

 

「リュウジも行くか?」

 

 カオルが、まるで当たり前のように言った。

 

「何言うとんねん!」

 

 チャコが即座に突っ込む。耳がぴょこっと跳ねる。

 

「どうせ洞窟にいてもやることないだろ」

 

「そらそうやろけど!」

 

 チャコが言い返すが、言葉が弱い。否定はしているのに、どこか“分かってしまう”自分もいるからだ。

 

 カオルはリュウジを見て、短く言った。

 

「どうする?」

 

 リュウジはしばらく黙っていた。焚き火の火が揺れ、その影が彼の顔を横切る。

 

 ――痛む足。

 ――ルナの“留守番”という言葉。

 ――それでも、何もしないで待っているのが一番苦しい。

 

 リュウジはゆっくりと、寝台から身体を起こした。

 

「……ルナに怒られたら、二人が怒られろよ」

 

 その言い方がずるい、とチャコは内心で思った。自分だけ責任を背負う気はないくせに、結局行く。そういうところがリュウジらしい。

 

「皆が戻ってくる前に終わらせる」

 

 カオルは短く言った。

 

「賢明や」

 

 チャコが頷く。仕方ない。こうなったら、短時間で終わらせるしかない。

 

 三人は外へ出た。

 

 ***

 

 一方、ルナたちは雪原で悪戦苦闘していた。

 

「……固い!」

 

 スコップを入れても、雪が硬く締まりすぎていて、思うように掘れない。ベルが掘り、シンゴが地形を見て、ハワードが「僕も掘る!」と言ってはすぐ手を止めて息を切らす。

 

「さっぶー!」

 

 ハワードが震えながら鼻をすすった。

 

「掘っても掘っても雪ばっかりだよ!」

 

「雪が厚すぎるな……」

 

 ベルの声が低い。力があるベルがそう言うなら、本当に厳しい。

 

 シンゴは雪の層を指でつまみ、観察しながら言った。

 

「何か当てがないと難しいね。さつまいもが“ありそうな場所”の手がかりが欲しい」

 

 ルナは息を吐き、頬を赤くしながら笑ってみせた。

 

「次はきっと見つかるわよ。今日は“感触”を掴めたし」

 

 言ってみせたものの、胸の中では焦りが渦巻いている。食料は減っている。吹雪が止んだのは奇跡みたいなものだ。このチャンスを逃したくない。

 

 けれど、雪は容赦ない。

 

「撤退しよう」

 

 ベルが言った。シンゴが頷く。ルナも頷いた。無理はできない。

 

 帰り道、ハワードはずっとぶつぶつ言っていた。

 

「焼き芋……焼き芋……焼き芋……」

 

「呪文みたいに言わないで」

 

 ルナが呆れながら笑うと、ハワードは逆に胸を張った。

 

「こういうのは気合いなんだよ!」

 

 その気合いが、いつか本当に役に立つ日が来るのかもしれない。来ないかもしれない。ルナは判断を保留にした。

 

 ***

 

 スターホールに戻った瞬間、焚き火の熱が恋しくて仕方なかった。

 

「さっぶー!」

 

 ハワードが一目散に焚き火へ駆け寄り、手をかざす。ベルも肩を落とし、シンゴはスコップを置いてため息をついた。

 

 入口近くでチャコが腕を組み、ニヤッとした顔で待っていた。

 

「どやった?」

 

「ダメダメ!」

 

 ハワードが即答する。

 

「掘っても掘っても雪ばっかりだよ!」

 

「雪が厚くて、さつまいもを見つけるのは至難の業だ」

 

 ベルが冷静に報告する。

 

「何か当てがないと難しいね」

 

 シンゴが頷いた。ルナは“みんな頑張った”と思っているのに、口から出るのは励ましの言葉だけだ。

 

「次はきっと見つかるわよ」

 

 ルナが言った、その時だった。

 

 ふわり。

 

 甘い匂いが、洞窟の空気に混じった。

 

 ルナの鼻がぴくっと動く。え? この匂い――。

 

「あれ?」

 

 ルナは思わず声を漏らす。

 

「カオル、何作ってるの?」

 

 焚き火の側で、カオルが淡々と火を調整していた。焦げないように慎重に、でも迷いなく。

 

「焼き芋だ」

 

 その答えに、ハワードが間抜けな声を漏らした。

 

「へ?」

 

 シンゴも目を丸くする。

 

「……いや、焼き芋って」

 

 ベルが周囲を見回す。

 

「そんなに在庫……なかったよね?」

 

 ルナは呆然とした。だって昨夜数えた。残りは少なかったはず。大事に食べるしかないはずだった。

 

 チャコが、その瞬間を待ってましたと言わんばかりに胸を張る。

 

「注目や! じゃじゃーん!」

 

 チャコが布をばさっとどけた。

 

 そこには――山積みになったさつまいも。

 

 土のついたままの芋が、まるで宝物みたいに積まれている。

 

「さ、さつまいもだ!」

 

 ハワードの目が輝いた。さっきまで寒さで半泣きだった男が、一瞬で元気になる。

 

「たくさんあるよ!」

 

 シンゴも身を乗り出す。

 

「こんなに……」

 

 ルナは声が掠れた。嬉しい。けれど、同時に驚きが大きすぎて、感情が追いつかない。

 

「ウチとカオルにかかれば朝メシ前や」

 

 チャコが鼻を鳴らす。

 

 ルナはカオルを見る。

 

「二人だけで、こんなに?」

 

「運ぶのも掘るのも、時間がかかった」

 

 カオルが淡々と言う。言葉の端々が、逆にリアルだった。

 

 ルナはふっと笑って、頭を下げた。

 

「ありがとう。二人とも」

 

 チャコが「ええって」と照れたように顔を背ける。カオルは「別に」と短く言う。

 

 その瞬間、ルナの視線は洞窟の奥へ滑った。

 

 簡易寝台。

 

 そこに、リュウジが寝ていた。

 

 昨日からずっと“留守番”のはずのリュウジ。けれど――髪が少し濡れている。額のあたりも、微かに湿っている。汗か、雪解けか。

 

 ルナの胸が、じんわりと熱くなった。

 

 ――二人だけじゃない。

 

 ――リュウジも、探しに行った。

 

 あの量を、二人で掘り出し、二人で運ぶのは無理がある。ベルの言う通り、雪が厚かったのならなおさらだ。

 

 ルナは何も言わず、ただリュウジを見つめた。

 

 言ってしまえば、彼は否定するだろう。誤魔化すだろう。あるいは、怒られると分かっているから、黙るだろう。

 

 だからルナは、言わなかった。

 

 代わりに、笑った。

 

 “ありがとう”を、心の中でそっと言う。

 

 ***

 

 焼き芋ができあがった。

 

 カオルが火から取り出し、皮を少し割る。湯気がふわっと上がり、甘い匂いが広がる。

 

「うま!」

 

 ハワードが最初に叫び、次の瞬間には口の周りを芋だらけにしている。

 

「あま!」

 

 シンゴが目を輝かせる。食べ物でこんな顔をするのは珍しい。

 

「うん、美味しい」

 

 ベルが落ち着いた声で言い、ほっとしたように肩の力を抜いた。

 

「心して食うんやで」

 

 チャコが偉そうに言う。

 

「お前は焼いてないだろ」

 

 カオルのツッコミが飛ぶ。

 

「細かいこと言うなや!」

 

 チャコがむくれると、ルナがくすっと笑った。

 

 そして、ルナは簡易寝台に近づいた。

 

 リュウジは目を開けていた。起きていたのか、匂いで起きたのか。どちらにせよ、視線はいつものように冷静で、表情は薄い。

 

 ルナは芋を半分、そっと差し出す。

 

「……リュウジも食べる?」

 

「俺はいい。皆で食べろ」

 

 リュウジは短く言って、視線を逸らした。

 

「そっか」

 

 ルナは笑って、引っ込めた。無理に押し付けない。押し付けたら、リュウジはもっと頑なになる。

 

 けれど、ルナは分かっている。

 

 彼は食べないんじゃない。――“今は”食べない。

 

 みんなの喜ぶ顔を見て、それで満足している。

 

 そういう人だ。

 

 ***

 

 その後、メノリ、シャアラ、アダムも戻ってきた。

 

 西側は西側で、木の実や小動物の痕跡を少し見つけたらしい。収穫は少ないが、空振りではない。

 

 焼き芋の匂いに気づいたシャアラが、ぱっと顔を明るくした。

 

「焼き芋……?」

 

「そうだ!」

 

 ハワードが誇らしげに言う。お前が焼いたわけじゃないだろ、と誰もが思ったが、誰も言わない。今は平和が大事だ。

 

 皆が芋を食べながら笑い合っている中、シャアラがふとルナに小声で言った。

 

「……でも、すごいね。あんなにたくさん」

 

「うん」

 

 ルナは頷き、視線だけで簡易寝台の方を示す。

 

「あの時、リュウジも探しに行ったと思うの」

 

「え?」

 

 シャアラが驚く。

 

「そうなの?」

 

「うん。髪が濡れてたし、あの量を二人で運ぶのは無理があるもの」

 

 ルナは声を落として言った。シャアラは少しだけ目を細めて、納得したように頷く。

 

「……リュウジには聞いたの?」

 

「ううん」

 

 ルナは首を振る。

 

「あの時はそれどころじゃなかったし……たぶん、聞いたら、誤魔化すと思う」

 

「……そうだね」

 

 シャアラが小さく笑った。

 

「でも、ルナは気づいたんだね」

 

「気づいちゃった」

 

 ルナは困ったように笑う。嬉しいのに、胸が少し痛い。彼は、ちゃんと動いた。無理をした。怒られると分かっていても、仲間のために。

 

 ――だからこそ、言えない。

 

 ありがとう、と。

 

 言ったら、彼は照れ隠しに冷たいことを言うかもしれない。距離を取るかもしれない。ルナは、それが嫌だった。

 

 だから、今は胸の中だけで言う。

 

 シャアラは芋を小さく齧りながら、ぽつりと呟いた。

 

「……こういう時、リュウジって優しいよね」

 

「うん」

 

 ルナは頷いた。

 

「優しい。……でも、優しさって、時々、怖い」

 

「怖い?」

 

 シャアラが首を傾げる。

 

 ルナは言葉を探した。焚き火の火が揺れている。皆の笑い声が聞こえる。平和なはずなのに、胸の奥に薄い影がある。

 

「自分のことを後回しにするから」

 

 ルナが言うと、シャアラは一瞬黙った。そして、そっと頷いた。

 

「……分かる」

 

 二人の視線の先で、リュウジは寝台の上で静かに目を閉じていた。

 

 髪の湿り気はまだ残っている。

 

 誰も何も言わない。

 

 言わないからこそ、その優しさは、焚き火の熱みたいに、じわじわと洞窟に広がっていった。

 

 ハワードが芋を頬張りながら叫ぶ。

 

「これだよ! 冬はやっぱり焼き芋だよなぁ!」

 

「冬じゃなくても食うやろ」

 

 チャコが突っ込み、メノリが「静かにしろ」と眉を寄せ、ベルが「まぁまぁ」と笑い、シンゴが「次は僕も焼き方研究しようかな」と言い出す。

 

 ルナはその声を聞きながら、胸の奥でそっと誓った。

 

 ――次は、リュウジが無理をする前に、私が気づけるようになりたい。

 

 自分の不安も、仲間の痛みも、一人で抱えないリーダーになるために。

 

 焚き火がぱちんと鳴った。

 

 焼き芋の甘い匂いが、洞窟の天井へ昇っていく。

 

 外はまだ寒い。未来もまだ見えない。

 

 それでも今だけは、皆の手の中に、確かな温かさがあった。

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