スパーツィオ養成学校の廊下は、昼過ぎの光が斜めに差し込んでいた。訓練棟から流れてくる金属音と、遠くの整備ドックの警告アラームが、ここが“空へ行くための場所”だと嫌でも思い出させる。カオルは壁の掲示板に貼られた訓練スケジュールを一瞥し、いつものように無駄のない歩幅で曲がり角を抜けようとした。
「カオル」
背中に、重い声が落ちる。
ブライアンだ。
振り返る前から分かっていた。呼ばれた時点で、逃げ道は消える。ブライアンという男は、そういう空気を纏っている。S級パイロットとしての名だけじゃない。人を“動かす”ことに慣れた目だ。
カオルは足を止め、半身だけ振り返った。
「……何ですか」
「今夜、付き合え」
ブライアンは腕を組み、当然のように言った。カオルは眉をひそめる。
「お断りします」
即答だった。反射に近い。
「訓練があります」
事実だ。訓練は逃げではない。カオルにとって、訓練だけが自分を誤魔化さずにいられる場所だった。
だがブライアンは、涼しい顔のまま言い返す。
「訓練は調整してやる」
「……」
その一言で、カオルの中に小さな苛立ちが走った。調整。簡単に言う。訓練は予定ではなく、積み上げだ。誰かの都合で動かすものではない。
ブライアンは、カオルの沈黙を“揺らぎ”と判断したらしい。さらに追い打ちをかけるように言う。
「ブルンクリンの壮行会だ。一緒に来い」
ブルンクリン。新たなS級。財閥の息子。腕は確かで、プライドは高い。
胸の奥が、嫌な感覚でざらつく。ああいう場は好きじゃない。乾杯の音、笑顔の仮面、視線の値踏み。生き残るための駆け引きではなく、見栄と肩書きの見せ合いだ。
「……俺が行く理由はありません」
カオルが低く言うと、ブライアンは鼻で笑った。
「S級を目指すなら、見ておいた方がいい」
“目指すなら”。
その言い方は、カオルの逃げ道を塞ぐ。
カオルは口を開きかけて、閉じた。拒絶したい気持ちがある。だが、拒絶した瞬間、自分の中の別の声が囁く――逃げているのではないか、と。
カオルは小さく息を吐いた。ため息にも似た、熱を逃がす吐息。
「……分かりました」
ブライアンは満足そうに頷いた。
「十九時。外出許可は俺が取る。服装は――」
「分かっています」
カオルは言い切って、もう一度息を吐いた。拒否権は残っていない。だったら最短で終わらせるしかない。
⸻
夜。
市街区の高層モールに併設されたホールは、照明が柔らかく、床が鏡みたいに磨かれていた。壁面には宇宙船の写真や、未探索領域の航路図が飾られている。ここが単なるパーティー会場ではなく、“宣伝”と“政治”の場であることが分かる。
カオルはブライアンに連れられて会場に入った。
すぐに理解する。
ここは“ブルンクリンの壮行会”という名目だが、実態は別だ。財閥関係者、宇宙管理局関係者、報道、スポンサー、そして養成学校――複数の思惑が交差する場所だ。S級の栄光を飾り立てるための舞台であり、同時に次の椅子取りの場でもある。
ブライアンは、その中心に自然に溶け込んでいった。
彼が歩くと、周囲が道を開ける。握手、軽い抱擁、短い挨拶。どの相手にも、必要なだけの笑顔と、必要なだけの言葉。まるで操縦のように無駄がない。
カオルはその横で、遅れないように歩いた。
“顔に泥を塗るわけにはいかない”。
それだけで、身体の動きが勝手に決まる。
挨拶を求められたら、軽く会釈。
名刺を差し出されれば受け取る。
質問が来れば短く返す。
そして、口角を少しだけ上げる――“作った笑顔”。
それは笑顔ではない。
筋肉で作った形だ。
目は笑わない。心も笑わない。
だが、この場ではそれで十分だ。むしろ余計な感情を見せない方が安全だ。
「ブライアンさん、こちらの若い方は?」
「俺のところのカオルだ。来年以降が楽しみだぞ」
その言葉が出るたびに、カオルは内心で舌打ちしたくなる。勝手に期待を乗せるな。勝手に将来を語るな。俺は俺だ。だが口には出さない。
ブライアンは数十分、会場を回り続けた。
カオルはその後ろを歩き続け、喉が乾いていくのを感じていた。乾杯のグラスを勧められても、水で誤魔化す。アルコールは必要ない。頭を鈍らせたくない。何より、ここで酔うのは“弱み”になる。
やがてブライアンが、カオルの肩を軽く叩いた。
「少し休んでていい」
「……助かります」
「壁際にでも行け。騒ぐなよ」
「騒ぐ理由がありません」
ブライアンは鼻で笑い、また人の波に消えていった。
カオルは言われた通り、壁際へ移動した。
人の流れから少し外れた場所。視線が届きにくく、音が少しだけ弱まる場所。
肩の力が、ほんの少し抜けた。
――疲れた。
こういう“戦場”は、操縦席より消耗する。
作った笑顔のまま、内側が削れていく感覚がある。カオルは壁に背を預け、目を閉じそうになるのを堪えた。
「疲れた顔をしてるな」
声がした。近い。
カオルは反射的に視線を上げた。
そこにいたのは――マリだった。
「……マリさん」
思わず口をついて出た。
カオルは軽く会釈した。マリも同じように会釈を返す。互いに必要最小限で、しかし失礼はない。
「どうしてここに?」
カオルが尋ねると、マリは肩をすくめた。
「ただの付き添いだ。それに未探索領域の任務は宇宙管理局が担当するからな」
「なるほど」
カオルは納得した。ここに宇宙管理局関係者が多い理由も分かる。壮行会は、裏を返せば“任務の顔合わせ”でもあるのだ。
「それなら、こんな所で油を売っていていいんですか?」
カオルが言うと、マリは笑った。薄い笑いだが、疲れを隠す笑いでもある。
「構わないさ。メインは新しい統括官のお披露目だ」
「新しい統括官?」
カオルは眉をひそめた。
壮行会というより、“権力”の披露宴に近いのかもしれない。
「統括官は何人もいるんですか?」
「一応、三人な」
マリは少しバツが悪そうに言った。
カオルは小さく呟く。
「三人か……少ないな」
「滅多になれる役職じゃないからな。宇宙飛行士でいうS級みたいなものだ」
「……凄いな。新しい統括官も余程の実力者なんですね」
「まぁ、それなりにな」
マリの返しは、どこか歯切れが悪かった。
カオルはその違和感を見逃さない。
マリは視線を泳がせ、苦笑する。
「ペルシアさんの代わりだしな」
その名前が出た瞬間、カオルの背中に冷たいものが走った。
ペルシア。
リュウジの周囲の“宇宙管理局側”の要。
そして、突然消えた存在。
「ペルシアさんの代わり? ペルシアさんは昇格したんですか?」
カオルが問い返すと、マリは首を振った。
「いや。ペルシアさんはもう宇宙管理局にいない」
「……いない?」
カオルの声が、少しだけ低くなる。
“いない”という言葉が、嫌に重い。
「ああ。事情は私にも分からないが……ブライアン捜索任務で、宇宙ハンターをペルシアさん自身が依頼した事が世の中に漏れたんだ」
カオルは目を細めた。
その話は知っている。
あの件は、リュウジが“自分で呼んだ”ことにして、丸く収まったはずだ。少なくとも表向きは。
「それはリュウジが自身で呼んだことで、丸くおさまったんじゃないんですか?」
「そうなった筈なんだがな。……だがそれが世の中に漏れた」
マリの声は淡々としている。だが淡々としているからこそ、背後にある異常さが際立つ。
カオルの胸に、嫌な推測が浮かぶ。
「……誰かがリークした可能性がありますね」
「私も同じ意見だ」
マリが即答した。
その速さが、彼女がそれをずっと考えていた証拠だった。
そして、マリは顎で遠くを示した。
「特に――あそこにいる、新しい統括官ローズが仕組んだと思っている」
カオルの視線が、自然とその方向へ向く。
人の輪の中心にいる男。
茶髪のマッシュルームヘアー。
柔らかい笑顔。
だが目は冷たい。笑っているのに、笑っていない。
挨拶の手の動きは滑らかで、誰に対しても同じ角度で頭を下げる。まるで“型”だ。
カオルは思わず言ってしまう。
「……そんな事を言っていいんですか?」
マリは一瞬、息を止めたように見えた。
それから小さく眉を寄せる。
「……すまない。聞かなかった事にしてくれ」
その言葉で、カオルは理解する。
マリは口を滑らせたのではない。
抑えていたものが、漏れたのだ。
「分かってる」
カオルは短く頷いた。
そして、もっと重要なことを聞く。
「それで……ペルシアさんはどうしてるんですか?」
マリは首を振った。
小さく、しかし決定的に。
「分からない」
その一言が、カオルの胸の奥に沈む。
分からない。
つまり、誰も追えていない。守れない。手が届かない。
「その一件以来、何処で何をしているのか……」
マリは言いかけて、少し言葉を選ぶように間を置いた。
「最悪の場合もあるかもしれない」
カオルの指先が、無意識に握り込まれた。
最悪。
それがどんな意味を含むか、聞き返す必要はない。
ここでカオルが思い浮かべたのは、ペルシア本人よりも――リュウジだった。
あの男は、仲間を守るためなら無茶をする。S級を降りた後でさえ。
「……リュウジはどうしてるんですか?」
カオルがそう言うと、マリは少しだけ視線を落とした。
「聞いた話だと、ペルシアさんの件で色々と動いたそうだが……今は諦めたそうだ」
諦めた。
その言葉が、カオルの胸を刺す。
――諦める?
リュウジが?
あの男が?
カオルは一瞬、言葉を失った。
だが次の瞬間、別の感情が湧き上がる。
苛立ち。
悔しさ。
そして、どうしようもない無力感。
“諦めた”のか。
それとも、“諦めるしかなかった”のか。
どちらにしても、そこにあるのは現実だ。
カオルは、目の前のグラスに視線を落とした。透明な水面に、会場の光が揺れている。
揺れた光が、どこか宇宙の星に見えた。偽物の星だ。ここも宇宙も、似ている。光っているようで、実際は冷たい。
マリが、カオルの表情を見て言った。
「……カオル、今の話で余計に顔が固くなったな」
「元から固い」
「そういう問題じゃない」
マリは苦笑した。
そして、少しだけ声を落とす。
「ここで感情を出すな。こういう場は、情報が飛び交う。」
「分かってます」
「ならいい」
マリは頷いた。
その頷きは、宇宙管理局の人間としての警告でもあり、かつてシミュレーションルームでカオルを見守った“年長者”としての心配にも見えた。
カオルは、もう一度ローズを見る。
ローズは笑っている。周囲も笑っている。拍手も聞こえる。
だが、その拍手の音は、どこか乾いている。
カオルは小さく息を吐いた。
――俺は、こういう場で戦うのが嫌いだ。
――でも、避けてばかりじゃ宇宙には行けない。
ブライアンの言葉が脳裏に響く。S級を目指すなら見ておけ。
カオルは視線を戻し、マリに言った。
「……ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃない。……ただ」
マリは言いかけて、言葉を止めた。
そして、ほんの少しだけ目を細める。
「ペルシアさんの件は、表に出ている情報よりずっと厄介だ。お前も……余計なことには首を突っ込むな」
その言葉に、カオルの胸がざわついた。
「余計なこと、ですか」
「そうだ。お前はまだ学生だ。守るべき場所がある」
守るべき場所。
それは、仲間か。夢か。自分自身か。
カオルは短く頷いた。
頷くしかなかった。
「……分かりました」
その返答が、嘘か本当か。
自分でも分からない。
ただ一つ分かるのは――リュウジが“諦めた”という事実が、カオルの胸の奥で、火種みたいに残ったことだった。
あの男が諦めるなら。
それだけの理由があるはずだ。
そして、その理由を知らないまま、前に進むのは――嫌だ。
カオルは壁際で、作った笑顔を一度だけ崩し、ほんのわずかに唇を噛んだ。
会場のざわめきの中で、誰にも気づかれない程度に。
――リュウジ。
――お前、何を抱えてる。
問いかけても返事はない。
ただ拍手の音だけが、遠くで鳴り続けていた。
ーーーー
壁際で息を整えていたカオルの肩を、軽く叩く影があった。
「カオル。こっちだ」
ブライアンの声だ。
――嫌な予感しかしない。
カオルが無言で頷くと、ブライアンは人の波を割るように歩き出した。会場の中心へ。拍手の音、笑い声、グラスの触れ合う乾いた音。香水と料理の匂いが混ざった空気が、喉の奥をむずむずさせる。
「……今から何をするんですか」
「挨拶だ」
ブライアンは短く言った。
「誰に」
「誰だと思う」
カオルは一瞬、口を閉じる。
――ブルンクリン。
新しいS級。今日の主役。財閥の息子。
カオルは顔の筋肉を動かし、作った笑顔を貼り付ける準備をした。胸の奥が妙に冷える。こういうのは操縦より消耗する。
ブライアンの背中に引っ張られるまま、人の輪の内側へ入っていく。輪の中心で、ひときわ目立つ男がいた。背筋を伸ばし、整ったスーツを着こなしている。髪型も乱れひとつない。笑顔は爽やかで、歯の見せ方まで計算されている。
――ブルンクリン。
視線が合った。
その瞬間、カオルは理解する。目が、値踏みをしている。人を見る目ではない。性能を見る目だ。宇宙船のパーツを選ぶみたいな、冷たい光。
ブライアンが、いつもの調子で声をかける。
「ブルンクリン。少し時間をくれ」
「もちろんです、ブライアンさん」
ブルンクリンは即座に応じた。返事は丁寧。視線も柔らかい。
――ブライアンに対しては、だ。
その視線が次に滑った先が、カオルだった。
目が合った瞬間、カオルは理解する。値踏みだ。人間としてではなく、性能と価値を測る目。
「紹介する。俺のところの生徒だ。カオル」
ブライアンが顎で示す。
カオルは一歩前へ出て、会釈した。
「カオルです。よろしくお願いします」
ブルンクリンは頷いた。
だが、それは“礼”というより“確認”だった。書類のチェック欄に丸を付けるような、軽い動作。
「……ふうん」
口から漏れた声は小さく、しかし妙に響いた。
「ブライアンさんの言っていた“リュウジの影”ですか」
周囲の誰かが、気まずそうに笑った。
ブライアンは表情を崩さないが、空気が薄く張るのが分かる。
カオルは目を逸らさない。
「影じゃない」
「そう言うでしょうね」
ブルンクリンはあっさり流した。否定を“予定調和”として処理したのだ。
「でも似ている。雰囲気が。……まあ、素材は悪くない」
素材。
人間に向ける言葉じゃない。
カオルの胸の奥で、何かが小さく弾けた。
だが顔は動かさない。ここで噛み付けば、ブライアンの顔に泥を塗る。
ブルンクリンは続ける。
「君、S級を目指してるんですか?」
「……当然だ」
「はは。いいね。若いって、そういう無謀さがある」
笑い声が起きる。周囲が“主役の冗談”として笑う。
カオルの胃の奥が冷える。
「無謀じゃない。努力してる」
「努力ねぇ」
ブルンクリンはカオルの肩から胸元へ、視線をゆっくり滑らせた。
まるでサイズを測る仕立て屋みたいに。
「努力は、誰でもするんですよ。A級だって。B級だって。……でもS級は、才能がある者だけが“選ばれる”。君はその“選ばれる側”に立てると思ってる?」
質問の形をしているが、答えを求めていない。
“立てるわけがないよな?”という含みが、声の端に乗っていた。
カオルは短く返す。
「立つ」
「へえ」
ブルンクリンは楽しげに目を細めた。
「君、面白い。怖いもの知らずだ」
その瞬間、カオルの背後でブライアンの気配が少し重くなった。
――余計なことを言うな。
そういう圧だ。
だがブルンクリンは止まらない。止まる必要がないと思っている。
「僕がS級になったのはね、運でも偶然でもない。結果で証明してきたからだ。血筋がどうとか、財閥だとか、そういうのを言いたがる連中がいるけど――」
ブルンクリンは周囲を見渡し、わざとらしく肩をすくめた。
「“努力してるのに評価されない”って泣き言を言う人間ほど、現実から目を逸らす」
周囲がまた笑う。
この場では、主役の言葉が正義になる。
カオルは言った。
「……お前の現実は、まだ現場じゃない」
ブルンクリンの笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
だがすぐ戻る。
「現場? 未探索領域に行くんですよ、僕は。君の言う“現場”へ」
「行くだけなら誰でもできる」
「違う」
ブルンクリンの声が、少しだけ硬くなる。
プライドの厚い壁に触れた反応だ。
「“行って帰ってくる”のが僕だ。君は、訓練室で吠えていればいい」
周囲が小さくどよめく。
それはカオルを侮辱したというより、“ブルンクリンの格の違い”を見せるための言葉だった。
カオルは拳を握りそうになるのを、指先だけで止めた。
「……乗務員を連れて行くんだろ」
「当たり前だ。僕が行くのに、サポートがいないわけない」
ブルンクリンはさらりと言う。
「ただ――“足を引っ張らない”人材であることを祈るだけですね」
足を引っ張る。
その言葉が、カオルの耳にひっかかった。
「乗務員は道具じゃない」
「道具?」
ブルンクリンは目を丸くした。心底意外そうに。
そして次の瞬間、笑った。
「ああ、なるほど。君、そういう理想論が好きなんだ」
理想論。
エリンの言葉が、カオルの奥で熱を持って蘇る。
「仲間だっていう感覚がなければ、現場で判断が狂う」
「逆だよ」
ブルンクリンは即答した。
即答できるほど、結論が固い。
「仲間だと思うから、判断が遅れる。僕は遅れない。僕は“成果”を持ち帰る。成果があれば、皆が助かる確率が上がる。……合理的でしょ?」
その理屈は整っている。
だが、整いすぎていて、どこか空っぽだった。
カオルは言う。
「……お前は、落としたことがないんだな」
ブルンクリンの目が細くなる。
「何を」
「守りたくて守れなかったやつを」
周囲の空気が一瞬止まった。
ブルンクリンの笑みは残っているのに、目の奥が冷える。
「君、失礼だな」
「現場の話だ」
「君の“現場”は、まだ学生の模擬戦でしょう?」
ブルンクリンは薄く笑った。
「僕は違う。僕は“選ばれた側”だ。君は“選ばれるかもしれない側”。立場が違う」
はっきり言い切る。
下に見ていると隠す気もない。
カオルは低く言った。
「立場で人を測るな」
「測るよ」
ブルンクリンは当然のように言った。
「世界は序列で回ってる。宇宙も同じだ。パイロットにも格がある。S級が頂点。――それが現実」
カオルは息を吐いた。
「その現実が、ペルシアを消したのか」
ブルンクリンの眉が、ほんの僅かに動いた。
触れられたくない名前。あるいは面倒な話題。
「……宇宙管理局の内部事情は知りません。興味もない」
その言葉の冷たさが、逆に“知っている”匂いを漂わせた。
カオルは一歩だけ近づく。
「興味がない? 未探索領域の任務は宇宙管理局が握ってる。統括官の顔色ひとつで、現場が変わる」
「だから?」
ブルンクリンは肩をすくめた。
「僕は結果を出すだけです。統括官が誰であろうと関係ない。……僕はS級なんだから」
その言い方が、嫌になるほど“自分は特別”で固まっていた。
ブライアンが咳払いのように割って入る。
「ブルンクリン。今日は挨拶の場だ」
「ええ、分かっています」
ブルンクリンはすぐ笑顔に戻った。
戻れる。切り替えられる。――それもまた才能だろう。
そしてブルンクリンは、カオルを見て微笑む。
「カオル。君、悪くない。態度は最悪だけど、目はいい」
「……褒め方が下手だな」
「褒めてないよ」
ブルンクリンははっきり言った。
「僕は事実を言ってるだけ。君は、伸びればA級くらいにはなる」
A級。
“くらい”。
S級から見たら、褒めているつもりなのかもしれない。だが、それは明確な線引きだった。
「俺はS級を取る」
カオルが言うと、ブルンクリンはまた笑った。
「取れたらいいね。――僕の邪魔にならない範囲で」
その言葉が、決定打だった。
カオルの作った笑顔が、わずかに剥がれる。
「邪魔?」
「うん。未探索領域は危険だ。僕は僕のチームで最適化して動く。……余計な“感情論の正義マン”が入り込むと、効率が落ちる」
正義マン。
カオルは一瞬、手を出しそうになる衝動を飲み込む。
ここで殴れば、ブルンクリンの思う通りだ。
“感情で動く未熟者”という烙印が、きっと貼られる。
カオルは声を落とす。
「……生きて帰れ」
呪いじゃない。忠告だ。
それでもブルンクリンは、笑みを崩さない。
「当然。僕は負けない」
断言。
そして少しだけ顔を寄せ、カオルにだけ聞こえる声で言った。
「君も、せいぜい頑張るといい。ブライアンさんに拾われた幸運を、無駄にしないようにね」
拾われた。
幸運。
努力ではなく、偶然でここにいると言いたいのだ。
カオルは目を細め、低く言った。
「……俺は誰にも拾われてない」
「そう思いたいんだ」
ブルンクリンは軽く笑い、距離を取った。
もう興味が薄れたように、周囲へ視線を配る。次の挨拶相手を探す目だ。
カオルはその場に立ったまま、胸の奥の熱を抑え込む。
拳を握らない。声も荒げない。目も逸らさない。
――こういう人間が、S級になれるのか。
――こういう人間が、宙を握るのか。
眩しい光の中心で、ブルンクリンは笑っていた。
カオルはその笑顔を見ながら、心の中でだけ誓う。
――俺は、お前みたいなS級にはならない。
――そして、いつか必ず、その驕りを現場で思い知る。
ブライアンの手が、カオルの背を軽く叩く。
「行くぞ」
カオルは短く頷いた。
作った笑顔を、また貼り付ける。
ここではそれが必要だ。――だが胸の奥の火は、消えなかった。
ブライアンに引かれるように、輪から外へ出る。
会場の喧騒が戻ってきた。笑い声、拍手、グラスの音。何事もなかったかのように流れていく。
「お前、喧嘩を売ったな」
歩きながら、ブライアンが低く言った。
「売ってない。向こうが勝手に値段を付けた」
「……口が悪い」
「元からだ」
カオルが言うと、ブライアンは鼻で笑った。
「ブルンクリンは自尊心の塊だ。あいつのタイプは、敵に回すと面倒だぞ」
「敵に回すつもりはない」
「なら、もう少し角を落とせ」
「落とす角がない」
ブライアンは、カオルの横顔を見た。
そして、少しだけ声を落とした。
「……お前は、ペルシアの件で頭がいっぱいか」
その一言に、カオルの足がほんのわずかに止まりかけた。
ブライアンは続ける。
「さっき、マリと話してただろ。顔が変わってた」
カオルは黙った。
ブライアンが、深く息を吐く。
「いいか。今は、まず自分の足場を固めろ。お前が強くなれば、守れるものが増える」
守れるもの。
その言葉が、胸に刺さる。
カオルは小さく言った。
「……守れないものもある」
「ある。だから強くなる」
ブライアンは即答した。
それは乱暴な答えだ。だが、ブライアンらしい答えでもある。
カオルは、遠くで笑っているブルンクリンをもう一度だけ見た。
主役の光。勝者の顔。
――あれが、S級の“象徴”。
だが、カオルの脳裏には別の顔が浮かぶ。
作った笑顔で、何かを隠していたリュウジ。
守りたいものを守れず、でも立ち上がっていたリュウジ。
“象徴”とは何だ。
“強さ”とは何だ。
カオルは、喉の奥に溜まった息を吐き出すように言った。
「……俺は、あいつみたいにはならない」
「どいつだ」
ブライアンが聞く。
カオルは答えない。
答えないまま、作った笑顔をまた貼り付けた。
この場では、それが必要だからだ。
必要な仮面を被りながら、胸の奥では別の誓いが燃えていた。
――S級を目指す。
――だが、勝つために誰かを切り捨てる強さにはならない。
――そして、ペルシアの件も……リュウジの件も、俺は“見なかったこと”にしない。
会場の光は眩しい。
だが、カオルの目は、その光の裏側を見ようとしていた。