サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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ブルンクリンの壮行会

 スパーツィオ養成学校の廊下は、昼過ぎの光が斜めに差し込んでいた。訓練棟から流れてくる金属音と、遠くの整備ドックの警告アラームが、ここが“空へ行くための場所”だと嫌でも思い出させる。カオルは壁の掲示板に貼られた訓練スケジュールを一瞥し、いつものように無駄のない歩幅で曲がり角を抜けようとした。

 

「カオル」

 

 背中に、重い声が落ちる。

 

 ブライアンだ。

 

 振り返る前から分かっていた。呼ばれた時点で、逃げ道は消える。ブライアンという男は、そういう空気を纏っている。S級パイロットとしての名だけじゃない。人を“動かす”ことに慣れた目だ。

 

 カオルは足を止め、半身だけ振り返った。

 

「……何ですか」

 

「今夜、付き合え」

 

 ブライアンは腕を組み、当然のように言った。カオルは眉をひそめる。

 

「お断りします」

 

 即答だった。反射に近い。

 

「訓練があります」

 

 事実だ。訓練は逃げではない。カオルにとって、訓練だけが自分を誤魔化さずにいられる場所だった。

 

 だがブライアンは、涼しい顔のまま言い返す。

 

「訓練は調整してやる」

 

「……」

 

 その一言で、カオルの中に小さな苛立ちが走った。調整。簡単に言う。訓練は予定ではなく、積み上げだ。誰かの都合で動かすものではない。

 

 ブライアンは、カオルの沈黙を“揺らぎ”と判断したらしい。さらに追い打ちをかけるように言う。

 

「ブルンクリンの壮行会だ。一緒に来い」

 

 ブルンクリン。新たなS級。財閥の息子。腕は確かで、プライドは高い。

 

 胸の奥が、嫌な感覚でざらつく。ああいう場は好きじゃない。乾杯の音、笑顔の仮面、視線の値踏み。生き残るための駆け引きではなく、見栄と肩書きの見せ合いだ。

 

「……俺が行く理由はありません」

 

 カオルが低く言うと、ブライアンは鼻で笑った。

 

「S級を目指すなら、見ておいた方がいい」

 

 “目指すなら”。

 その言い方は、カオルの逃げ道を塞ぐ。

 

 カオルは口を開きかけて、閉じた。拒絶したい気持ちがある。だが、拒絶した瞬間、自分の中の別の声が囁く――逃げているのではないか、と。

 

 カオルは小さく息を吐いた。ため息にも似た、熱を逃がす吐息。

 

「……分かりました」

 

 ブライアンは満足そうに頷いた。

 

「十九時。外出許可は俺が取る。服装は――」

 

「分かっています」

 

 カオルは言い切って、もう一度息を吐いた。拒否権は残っていない。だったら最短で終わらせるしかない。

 

 

 夜。

 市街区の高層モールに併設されたホールは、照明が柔らかく、床が鏡みたいに磨かれていた。壁面には宇宙船の写真や、未探索領域の航路図が飾られている。ここが単なるパーティー会場ではなく、“宣伝”と“政治”の場であることが分かる。

 

 カオルはブライアンに連れられて会場に入った。

 

 すぐに理解する。

 ここは“ブルンクリンの壮行会”という名目だが、実態は別だ。財閥関係者、宇宙管理局関係者、報道、スポンサー、そして養成学校――複数の思惑が交差する場所だ。S級の栄光を飾り立てるための舞台であり、同時に次の椅子取りの場でもある。

 

 ブライアンは、その中心に自然に溶け込んでいった。

 彼が歩くと、周囲が道を開ける。握手、軽い抱擁、短い挨拶。どの相手にも、必要なだけの笑顔と、必要なだけの言葉。まるで操縦のように無駄がない。

 

 カオルはその横で、遅れないように歩いた。

 “顔に泥を塗るわけにはいかない”。

 それだけで、身体の動きが勝手に決まる。

 

 挨拶を求められたら、軽く会釈。

 名刺を差し出されれば受け取る。

 質問が来れば短く返す。

 そして、口角を少しだけ上げる――“作った笑顔”。

 

 それは笑顔ではない。

 筋肉で作った形だ。

 目は笑わない。心も笑わない。

 

 だが、この場ではそれで十分だ。むしろ余計な感情を見せない方が安全だ。

 

「ブライアンさん、こちらの若い方は?」

 

「俺のところのカオルだ。来年以降が楽しみだぞ」

 

 その言葉が出るたびに、カオルは内心で舌打ちしたくなる。勝手に期待を乗せるな。勝手に将来を語るな。俺は俺だ。だが口には出さない。

 

 ブライアンは数十分、会場を回り続けた。

 カオルはその後ろを歩き続け、喉が乾いていくのを感じていた。乾杯のグラスを勧められても、水で誤魔化す。アルコールは必要ない。頭を鈍らせたくない。何より、ここで酔うのは“弱み”になる。

 

 やがてブライアンが、カオルの肩を軽く叩いた。

 

「少し休んでていい」

 

「……助かります」

 

「壁際にでも行け。騒ぐなよ」

 

「騒ぐ理由がありません」

 

 ブライアンは鼻で笑い、また人の波に消えていった。

 

 カオルは言われた通り、壁際へ移動した。

 人の流れから少し外れた場所。視線が届きにくく、音が少しだけ弱まる場所。

 肩の力が、ほんの少し抜けた。

 

 ――疲れた。

 こういう“戦場”は、操縦席より消耗する。

 

 作った笑顔のまま、内側が削れていく感覚がある。カオルは壁に背を預け、目を閉じそうになるのを堪えた。

 

「疲れた顔をしてるな」

 

 声がした。近い。

 カオルは反射的に視線を上げた。

 

 そこにいたのは――マリだった。

 

「……マリさん」

 

 思わず口をついて出た。

 カオルは軽く会釈した。マリも同じように会釈を返す。互いに必要最小限で、しかし失礼はない。

 

「どうしてここに?」

 

 カオルが尋ねると、マリは肩をすくめた。

 

「ただの付き添いだ。それに未探索領域の任務は宇宙管理局が担当するからな」

 

「なるほど」

 

 カオルは納得した。ここに宇宙管理局関係者が多い理由も分かる。壮行会は、裏を返せば“任務の顔合わせ”でもあるのだ。

 

「それなら、こんな所で油を売っていていいんですか?」

 

 カオルが言うと、マリは笑った。薄い笑いだが、疲れを隠す笑いでもある。

 

「構わないさ。メインは新しい統括官のお披露目だ」

 

「新しい統括官?」

 

 カオルは眉をひそめた。

 壮行会というより、“権力”の披露宴に近いのかもしれない。

 

「統括官は何人もいるんですか?」

 

「一応、三人な」

 

 マリは少しバツが悪そうに言った。

 カオルは小さく呟く。

 

「三人か……少ないな」

 

「滅多になれる役職じゃないからな。宇宙飛行士でいうS級みたいなものだ」

 

「……凄いな。新しい統括官も余程の実力者なんですね」

 

「まぁ、それなりにな」

 

 マリの返しは、どこか歯切れが悪かった。

 カオルはその違和感を見逃さない。

 

 マリは視線を泳がせ、苦笑する。

 

「ペルシアさんの代わりだしな」

 

 その名前が出た瞬間、カオルの背中に冷たいものが走った。

 ペルシア。

 リュウジの周囲の“宇宙管理局側”の要。

 そして、突然消えた存在。

 

「ペルシアさんの代わり? ペルシアさんは昇格したんですか?」

 

 カオルが問い返すと、マリは首を振った。

 

「いや。ペルシアさんはもう宇宙管理局にいない」

 

「……いない?」

 

 カオルの声が、少しだけ低くなる。

 “いない”という言葉が、嫌に重い。

 

「ああ。事情は私にも分からないが……ブライアン捜索任務で、宇宙ハンターをペルシアさん自身が依頼した事が世の中に漏れたんだ」

 

 カオルは目を細めた。

 その話は知っている。

 あの件は、リュウジが“自分で呼んだ”ことにして、丸く収まったはずだ。少なくとも表向きは。

 

「それはリュウジが自身で呼んだことで、丸くおさまったんじゃないんですか?」

 

「そうなった筈なんだがな。……だがそれが世の中に漏れた」

 

 マリの声は淡々としている。だが淡々としているからこそ、背後にある異常さが際立つ。

 

 カオルの胸に、嫌な推測が浮かぶ。

 

「……誰かがリークした可能性がありますね」

 

「私も同じ意見だ」

 

 マリが即答した。

 その速さが、彼女がそれをずっと考えていた証拠だった。

 

 そして、マリは顎で遠くを示した。

 

「特に――あそこにいる、新しい統括官ローズが仕組んだと思っている」

 

 カオルの視線が、自然とその方向へ向く。

 

 人の輪の中心にいる男。

 茶髪のマッシュルームヘアー。

 柔らかい笑顔。

 だが目は冷たい。笑っているのに、笑っていない。

 挨拶の手の動きは滑らかで、誰に対しても同じ角度で頭を下げる。まるで“型”だ。

 

 カオルは思わず言ってしまう。

 

「……そんな事を言っていいんですか?」

 

 マリは一瞬、息を止めたように見えた。

 それから小さく眉を寄せる。

 

「……すまない。聞かなかった事にしてくれ」

 

 その言葉で、カオルは理解する。

 マリは口を滑らせたのではない。

 抑えていたものが、漏れたのだ。

 

「分かってる」

 

 カオルは短く頷いた。

 そして、もっと重要なことを聞く。

 

「それで……ペルシアさんはどうしてるんですか?」

 

 マリは首を振った。

 小さく、しかし決定的に。

 

「分からない」

 

 その一言が、カオルの胸の奥に沈む。

 分からない。

 つまり、誰も追えていない。守れない。手が届かない。

 

「その一件以来、何処で何をしているのか……」

 

 マリは言いかけて、少し言葉を選ぶように間を置いた。

 

「最悪の場合もあるかもしれない」

 

 カオルの指先が、無意識に握り込まれた。

 最悪。

 それがどんな意味を含むか、聞き返す必要はない。

 

 ここでカオルが思い浮かべたのは、ペルシア本人よりも――リュウジだった。

 あの男は、仲間を守るためなら無茶をする。S級を降りた後でさえ。

 

「……リュウジはどうしてるんですか?」

 

 カオルがそう言うと、マリは少しだけ視線を落とした。

 

「聞いた話だと、ペルシアさんの件で色々と動いたそうだが……今は諦めたそうだ」

 

 諦めた。

 その言葉が、カオルの胸を刺す。

 

 ――諦める?

 リュウジが?

 あの男が?

 

 カオルは一瞬、言葉を失った。

 だが次の瞬間、別の感情が湧き上がる。

 

 苛立ち。

 悔しさ。

 そして、どうしようもない無力感。

 

 “諦めた”のか。

 それとも、“諦めるしかなかった”のか。

 どちらにしても、そこにあるのは現実だ。

 

 カオルは、目の前のグラスに視線を落とした。透明な水面に、会場の光が揺れている。

 揺れた光が、どこか宇宙の星に見えた。偽物の星だ。ここも宇宙も、似ている。光っているようで、実際は冷たい。

 

 マリが、カオルの表情を見て言った。

 

「……カオル、今の話で余計に顔が固くなったな」

 

「元から固い」

 

「そういう問題じゃない」

 

 マリは苦笑した。

 そして、少しだけ声を落とす。

 

「ここで感情を出すな。こういう場は、情報が飛び交う。」

 

「分かってます」

 

「ならいい」

 

 マリは頷いた。

 その頷きは、宇宙管理局の人間としての警告でもあり、かつてシミュレーションルームでカオルを見守った“年長者”としての心配にも見えた。

 

 カオルは、もう一度ローズを見る。

 ローズは笑っている。周囲も笑っている。拍手も聞こえる。

 だが、その拍手の音は、どこか乾いている。

 

 カオルは小さく息を吐いた。

 

 ――俺は、こういう場で戦うのが嫌いだ。

 ――でも、避けてばかりじゃ宇宙には行けない。

 ブライアンの言葉が脳裏に響く。S級を目指すなら見ておけ。

 

 カオルは視線を戻し、マリに言った。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言われるようなことじゃない。……ただ」

 

 マリは言いかけて、言葉を止めた。

 そして、ほんの少しだけ目を細める。

 

「ペルシアさんの件は、表に出ている情報よりずっと厄介だ。お前も……余計なことには首を突っ込むな」

 

 その言葉に、カオルの胸がざわついた。

 

「余計なこと、ですか」

 

「そうだ。お前はまだ学生だ。守るべき場所がある」

 

 守るべき場所。

 それは、仲間か。夢か。自分自身か。

 

 カオルは短く頷いた。

 頷くしかなかった。

 

「……分かりました」

 

 その返答が、嘘か本当か。

 自分でも分からない。

 ただ一つ分かるのは――リュウジが“諦めた”という事実が、カオルの胸の奥で、火種みたいに残ったことだった。

 

 あの男が諦めるなら。

 それだけの理由があるはずだ。

 

 そして、その理由を知らないまま、前に進むのは――嫌だ。

 

 カオルは壁際で、作った笑顔を一度だけ崩し、ほんのわずかに唇を噛んだ。

 会場のざわめきの中で、誰にも気づかれない程度に。

 

 ――リュウジ。

 ――お前、何を抱えてる。

 

 問いかけても返事はない。

 ただ拍手の音だけが、遠くで鳴り続けていた。

 

ーーーー

 

 壁際で息を整えていたカオルの肩を、軽く叩く影があった。

 

「カオル。こっちだ」

 

 ブライアンの声だ。

 ――嫌な予感しかしない。

 

 カオルが無言で頷くと、ブライアンは人の波を割るように歩き出した。会場の中心へ。拍手の音、笑い声、グラスの触れ合う乾いた音。香水と料理の匂いが混ざった空気が、喉の奥をむずむずさせる。

 

「……今から何をするんですか」

 

「挨拶だ」

 

 ブライアンは短く言った。

 

「誰に」

 

「誰だと思う」

 

 カオルは一瞬、口を閉じる。

 ――ブルンクリン。

 

 新しいS級。今日の主役。財閥の息子。

 カオルは顔の筋肉を動かし、作った笑顔を貼り付ける準備をした。胸の奥が妙に冷える。こういうのは操縦より消耗する。

 

 ブライアンの背中に引っ張られるまま、人の輪の内側へ入っていく。輪の中心で、ひときわ目立つ男がいた。背筋を伸ばし、整ったスーツを着こなしている。髪型も乱れひとつない。笑顔は爽やかで、歯の見せ方まで計算されている。

 

 ――ブルンクリン。

 

 視線が合った。

 その瞬間、カオルは理解する。目が、値踏みをしている。人を見る目ではない。性能を見る目だ。宇宙船のパーツを選ぶみたいな、冷たい光。

 

 ブライアンが、いつもの調子で声をかける。

 

「ブルンクリン。少し時間をくれ」

 

「もちろんです、ブライアンさん」

 

 ブルンクリンは即座に応じた。返事は丁寧。視線も柔らかい。

 ――ブライアンに対しては、だ。

 

 その視線が次に滑った先が、カオルだった。

 目が合った瞬間、カオルは理解する。値踏みだ。人間としてではなく、性能と価値を測る目。

 

「紹介する。俺のところの生徒だ。カオル」

 

 ブライアンが顎で示す。

 

 カオルは一歩前へ出て、会釈した。

 

「カオルです。よろしくお願いします」

 

 ブルンクリンは頷いた。

 だが、それは“礼”というより“確認”だった。書類のチェック欄に丸を付けるような、軽い動作。

 

「……ふうん」

 

 口から漏れた声は小さく、しかし妙に響いた。

 

「ブライアンさんの言っていた“リュウジの影”ですか」

 

 周囲の誰かが、気まずそうに笑った。

 ブライアンは表情を崩さないが、空気が薄く張るのが分かる。

 

 カオルは目を逸らさない。

 

「影じゃない」

 

「そう言うでしょうね」

 

 ブルンクリンはあっさり流した。否定を“予定調和”として処理したのだ。

 

「でも似ている。雰囲気が。……まあ、素材は悪くない」

 

 素材。

 人間に向ける言葉じゃない。

 

 カオルの胸の奥で、何かが小さく弾けた。

 だが顔は動かさない。ここで噛み付けば、ブライアンの顔に泥を塗る。

 

 ブルンクリンは続ける。

 

「君、S級を目指してるんですか?」

 

「……当然だ」

 

「はは。いいね。若いって、そういう無謀さがある」

 

 笑い声が起きる。周囲が“主役の冗談”として笑う。

 カオルの胃の奥が冷える。

 

「無謀じゃない。努力してる」

 

「努力ねぇ」

 

 ブルンクリンはカオルの肩から胸元へ、視線をゆっくり滑らせた。

 まるでサイズを測る仕立て屋みたいに。

 

「努力は、誰でもするんですよ。A級だって。B級だって。……でもS級は、才能がある者だけが“選ばれる”。君はその“選ばれる側”に立てると思ってる?」

 

 質問の形をしているが、答えを求めていない。

 “立てるわけがないよな?”という含みが、声の端に乗っていた。

 

 カオルは短く返す。

 

「立つ」

 

「へえ」

 

 ブルンクリンは楽しげに目を細めた。

 

「君、面白い。怖いもの知らずだ」

 

 その瞬間、カオルの背後でブライアンの気配が少し重くなった。

 ――余計なことを言うな。

 そういう圧だ。

 

 だがブルンクリンは止まらない。止まる必要がないと思っている。

 

「僕がS級になったのはね、運でも偶然でもない。結果で証明してきたからだ。血筋がどうとか、財閥だとか、そういうのを言いたがる連中がいるけど――」

 

 ブルンクリンは周囲を見渡し、わざとらしく肩をすくめた。

 

「“努力してるのに評価されない”って泣き言を言う人間ほど、現実から目を逸らす」

 

 周囲がまた笑う。

 この場では、主役の言葉が正義になる。

 

 カオルは言った。

 

「……お前の現実は、まだ現場じゃない」

 

 ブルンクリンの笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。

 だがすぐ戻る。

 

「現場? 未探索領域に行くんですよ、僕は。君の言う“現場”へ」

 

「行くだけなら誰でもできる」

 

「違う」

 

 ブルンクリンの声が、少しだけ硬くなる。

 プライドの厚い壁に触れた反応だ。

 

「“行って帰ってくる”のが僕だ。君は、訓練室で吠えていればいい」

 

 周囲が小さくどよめく。

 それはカオルを侮辱したというより、“ブルンクリンの格の違い”を見せるための言葉だった。

 

 カオルは拳を握りそうになるのを、指先だけで止めた。

 

「……乗務員を連れて行くんだろ」

 

「当たり前だ。僕が行くのに、サポートがいないわけない」

 

 ブルンクリンはさらりと言う。

 

「ただ――“足を引っ張らない”人材であることを祈るだけですね」

 

 足を引っ張る。

 その言葉が、カオルの耳にひっかかった。

 

「乗務員は道具じゃない」

 

「道具?」

 

 ブルンクリンは目を丸くした。心底意外そうに。

 そして次の瞬間、笑った。

 

「ああ、なるほど。君、そういう理想論が好きなんだ」

 

 理想論。

 エリンの言葉が、カオルの奥で熱を持って蘇る。

 

「仲間だっていう感覚がなければ、現場で判断が狂う」

 

「逆だよ」

 

 ブルンクリンは即答した。

 即答できるほど、結論が固い。

 

「仲間だと思うから、判断が遅れる。僕は遅れない。僕は“成果”を持ち帰る。成果があれば、皆が助かる確率が上がる。……合理的でしょ?」

 

 その理屈は整っている。

 だが、整いすぎていて、どこか空っぽだった。

 

 カオルは言う。

 

「……お前は、落としたことがないんだな」

 

 ブルンクリンの目が細くなる。

 

「何を」

 

「守りたくて守れなかったやつを」

 

 周囲の空気が一瞬止まった。

 ブルンクリンの笑みは残っているのに、目の奥が冷える。

 

「君、失礼だな」

 

「現場の話だ」

 

「君の“現場”は、まだ学生の模擬戦でしょう?」

 

 ブルンクリンは薄く笑った。

 

「僕は違う。僕は“選ばれた側”だ。君は“選ばれるかもしれない側”。立場が違う」

 

 はっきり言い切る。

 下に見ていると隠す気もない。

 

 カオルは低く言った。

 

「立場で人を測るな」

 

「測るよ」

 

 ブルンクリンは当然のように言った。

 

「世界は序列で回ってる。宇宙も同じだ。パイロットにも格がある。S級が頂点。――それが現実」

 

 カオルは息を吐いた。

 

「その現実が、ペルシアを消したのか」

 

 ブルンクリンの眉が、ほんの僅かに動いた。

 触れられたくない名前。あるいは面倒な話題。

 

「……宇宙管理局の内部事情は知りません。興味もない」

 

 その言葉の冷たさが、逆に“知っている”匂いを漂わせた。

 カオルは一歩だけ近づく。

 

「興味がない? 未探索領域の任務は宇宙管理局が握ってる。統括官の顔色ひとつで、現場が変わる」

 

「だから?」

 

 ブルンクリンは肩をすくめた。

 

「僕は結果を出すだけです。統括官が誰であろうと関係ない。……僕はS級なんだから」

 

 その言い方が、嫌になるほど“自分は特別”で固まっていた。

 

 ブライアンが咳払いのように割って入る。

 

「ブルンクリン。今日は挨拶の場だ」

 

「ええ、分かっています」

 

 ブルンクリンはすぐ笑顔に戻った。

 戻れる。切り替えられる。――それもまた才能だろう。

 

 そしてブルンクリンは、カオルを見て微笑む。

 

「カオル。君、悪くない。態度は最悪だけど、目はいい」

 

「……褒め方が下手だな」

 

「褒めてないよ」

 

 ブルンクリンははっきり言った。

 

「僕は事実を言ってるだけ。君は、伸びればA級くらいにはなる」

 

 A級。

 “くらい”。

 S級から見たら、褒めているつもりなのかもしれない。だが、それは明確な線引きだった。

 

「俺はS級を取る」

 

 カオルが言うと、ブルンクリンはまた笑った。

 

「取れたらいいね。――僕の邪魔にならない範囲で」

 

 その言葉が、決定打だった。

 カオルの作った笑顔が、わずかに剥がれる。

 

「邪魔?」

 

「うん。未探索領域は危険だ。僕は僕のチームで最適化して動く。……余計な“感情論の正義マン”が入り込むと、効率が落ちる」

 

 正義マン。

 カオルは一瞬、手を出しそうになる衝動を飲み込む。

 

 ここで殴れば、ブルンクリンの思う通りだ。

 “感情で動く未熟者”という烙印が、きっと貼られる。

 

 カオルは声を落とす。

 

「……生きて帰れ」

 

 呪いじゃない。忠告だ。

 それでもブルンクリンは、笑みを崩さない。

 

「当然。僕は負けない」

 

 断言。

 そして少しだけ顔を寄せ、カオルにだけ聞こえる声で言った。

 

「君も、せいぜい頑張るといい。ブライアンさんに拾われた幸運を、無駄にしないようにね」

 

 拾われた。

 幸運。

 努力ではなく、偶然でここにいると言いたいのだ。

 

 カオルは目を細め、低く言った。

 

「……俺は誰にも拾われてない」

 

「そう思いたいんだ」

 

 ブルンクリンは軽く笑い、距離を取った。

 もう興味が薄れたように、周囲へ視線を配る。次の挨拶相手を探す目だ。

 

 カオルはその場に立ったまま、胸の奥の熱を抑え込む。

 拳を握らない。声も荒げない。目も逸らさない。

 

 ――こういう人間が、S級になれるのか。

 ――こういう人間が、宙を握るのか。

 

 眩しい光の中心で、ブルンクリンは笑っていた。

 カオルはその笑顔を見ながら、心の中でだけ誓う。

 

 ――俺は、お前みたいなS級にはならない。

 ――そして、いつか必ず、その驕りを現場で思い知る。

 

 ブライアンの手が、カオルの背を軽く叩く。

 

「行くぞ」

 

 カオルは短く頷いた。

 作った笑顔を、また貼り付ける。

 ここではそれが必要だ。――だが胸の奥の火は、消えなかった。

 

 ブライアンに引かれるように、輪から外へ出る。

 会場の喧騒が戻ってきた。笑い声、拍手、グラスの音。何事もなかったかのように流れていく。

 

「お前、喧嘩を売ったな」

 

 歩きながら、ブライアンが低く言った。

 

「売ってない。向こうが勝手に値段を付けた」

 

「……口が悪い」

 

「元からだ」

 

 カオルが言うと、ブライアンは鼻で笑った。

 

「ブルンクリンは自尊心の塊だ。あいつのタイプは、敵に回すと面倒だぞ」

 

「敵に回すつもりはない」

 

「なら、もう少し角を落とせ」

 

「落とす角がない」

 

 ブライアンは、カオルの横顔を見た。

 そして、少しだけ声を落とした。

 

「……お前は、ペルシアの件で頭がいっぱいか」

 

 その一言に、カオルの足がほんのわずかに止まりかけた。

 ブライアンは続ける。

 

「さっき、マリと話してただろ。顔が変わってた」

 

 カオルは黙った。

 ブライアンが、深く息を吐く。

 

「いいか。今は、まず自分の足場を固めろ。お前が強くなれば、守れるものが増える」

 

 守れるもの。

 その言葉が、胸に刺さる。

 

 カオルは小さく言った。

 

「……守れないものもある」

 

「ある。だから強くなる」

 

 ブライアンは即答した。

 それは乱暴な答えだ。だが、ブライアンらしい答えでもある。

 

 カオルは、遠くで笑っているブルンクリンをもう一度だけ見た。

 主役の光。勝者の顔。

 ――あれが、S級の“象徴”。

 

 だが、カオルの脳裏には別の顔が浮かぶ。

 作った笑顔で、何かを隠していたリュウジ。

 守りたいものを守れず、でも立ち上がっていたリュウジ。

 

 “象徴”とは何だ。

 “強さ”とは何だ。

 

 カオルは、喉の奥に溜まった息を吐き出すように言った。

 

「……俺は、あいつみたいにはならない」

 

「どいつだ」

 

 ブライアンが聞く。

 

 カオルは答えない。

 答えないまま、作った笑顔をまた貼り付けた。

 

 この場では、それが必要だからだ。

 必要な仮面を被りながら、胸の奥では別の誓いが燃えていた。

 

 ――S級を目指す。

 ――だが、勝つために誰かを切り捨てる強さにはならない。

 ――そして、ペルシアの件も……リュウジの件も、俺は“見なかったこと”にしない。

 

 会場の光は眩しい。

 だが、カオルの目は、その光の裏側を見ようとしていた。

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