サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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 それから二週間後。

 

 北の未探索領域へ向けて、ブルンクリンが乗る宇宙船はついに出発した。

 

 コロニーの朝はいつもと同じ明るさをしているのに、ニュースの映像は必要以上に眩しかった。出発までの間、連日報じられていた“英雄の誕生”の続き。ブルンクリン財閥の力なのか、単に世間が「新しいS級」という肩書きを欲しているのか――どちらにしても、今日の映像は祭りだ。

 

 宇宙港の滑走路、整列する関係者、光沢のある機体。吹き抜ける風に揺れる旗。

 カウントダウン。拍手。フラッシュ。

 そして、宇宙船がゆっくりと浮き、推進の光を吐いて、空の向こうへ消えていく。

 

 “ちょうど出発式が行われて、飛び立ったのだ”。

 

 その瞬間、そこにいるはずもない誰かの背中が、ふと脳裏を横切る。

 ――見送る側も、見送られる側も、もう一度だけ思い出してしまう。

 胸の奥に刺さったままの、不在。

 

◇◇◇◇

 

 ルナの家。居間のテレビには、出発式のハイライトが何度も繰り返し流れていた。

 

 チャコはソファの背もたれに前足――いや、腕を引っ掛けるようにして画面を見ている。口の端が、露骨に曲がっていた。

 

「なんや、いけすかんやつやな、ブルンクリンって」

 

 ルナは台所から戻りながら、小さく眉を寄せた。

 

「チャコ、人を見た目で判断しないの」

 

「見た目だけちゃうわ。ウチの勘が言うとる。ああいうのはな、絶対に――」

 

「はいはい」

 

 ルナは苦笑して、テーブルにマグカップを置いた。カップの底が触れる音が、いつもより軽い。軽いのに、妙に響いた。

 

「自尊心が高いとは、エリンさんも言ってたけど」

 

 ルナが補足すると、チャコは即座に身を乗り出した。

 

「せやろ!? ほらやっぱり!」

 

「……でも、すごいよね。未探索領域だよ。怖くないのかな」

 

 ルナが画面の光に目を細める。飛び立つ船体の背中は、潔いほど真っ直ぐだ。

 その真っ直ぐさが、どこか“演出”に見えるのは、ルナがひねくれているからだろうか。

 

「怖いとか怖ないとか、そういうんやない。あいつは、“自分が主役”って思うとるんやろ」

 

「チャコ……」

 

「……って、ウチは思うだけや。ほな、ルナはどう思うん?」

 

 ルナは一瞬、言葉に詰まった。

 

 ブルンクリンのことを語れば語るほど、別の名前が喉元に上がってきてしまうからだ。

 だから、ルナは答えをずらした。

 

「……私は、無事に帰ってきてほしいって思う。誰だって」

 

 チャコは口を尖らせたまま、ふう、と息を吐く。

 

「ルナはほんま、変なところで優しいわ」

 

「変じゃないよ」

 

「変や。……でも、そーいうとこ、嫌いちゃう」

 

 言い終えて、チャコはぷいと顔を背けた。照れ隠しだ。

 ルナは笑いそうになって、でも笑えなかった。

 

 テレビの画面に映る“新しいS級”の背中が、どうしても別の背中と重なる。

 

 ――あの人だったら、こんなふうに見せ物みたいに出発しただろうか。

 ――いや、きっとしない。

 

 “目立つ”ことを嫌うくせに、どこへ行っても目立ってしまう。

 そんな矛盾を、ルナは思い出してしまった。

 

 マグカップの縁を指でなぞりながら、ルナは小さく呟く。

 

「……リュウジ、今どこにいるのかな」

 

 チャコは返事をしない。

 返事ができないのだ。

 その沈黙が、答えみたいに重い。

 

◇◇◇◇

 

 一方、火星の小惑星コロニー。演劇学校の休憩スペース。

 

 人だかりができていた。壁掛けのモニターが、出発式の映像を流している。

 歓声と拍手。眩しい照明。宇宙船の発進。

 

 ハワードは飲みかけのペットボトルを片手に、輪の外から覗き込んだ。

 

「何見てるんだ?」

 

 近くにいた男子生徒に声をかけると、相手は振り返り、目を輝かせた。

 

「知らないの? S級のブルンクリンが今日から未探索領域に出発したんだよ!」

 

「……ああ、そういえば、そんなニュース流れてたな」

 

 ハワードは思い出すように言い、モニターを見上げた。

 そこには、整った笑顔と、整った拍手と、整った“すごい”が並んでいる。

 

 男子生徒が不思議そうに顔を覗き込む。

 

「なんだ、興味ないのか?」

 

 ハワードは肩をすくめた。

 

「まぁな」

 

「えー? 俳優志望なら、こういう“華”って憧れない?」

 

「華、ねぇ……」

 

 ハワードは言いかけて、口を閉じた。

 

 憧れがないわけじゃない。

 “すごい”と言われる場所に立ってみたい気持ちも、確かにある。

 でも、それを見て胸が熱くなるより先に、別の熱が込み上げてしまう。

 

 ――もし、そこにリュウジがいたら。

 ――“元S級”のあいつが、黙って立っていたら。

 映像が一気に薄っぺらくなる気がするのだ。

 

「……僕の憧れは、舞台の上にあるから」

 

 ハワードはそう言って、輪から離れた。

 胸の奥に残った違和感を、わざと置き去りにするように。

 

メノリ

 

 教室。

 

 メノリは机の上に携帯端末を置き、出発式の映像を無音で流していた。

 音がなくても分かる。拍手の波。口の動き。歓声のタイミング。

 

 背後から明るい声が飛ぶ。

 

「メノリも興味あるんだ?」

 

 振り返ると、同学年の女子――スワレがにやにやしていた。

 

「スワレか。興味というより、気まぐれで見ていただけだ」

 

 メノリは端末をさっとポケットにしまう。

 映像を消すように、視界から消す。

 

「でもさ、最近のニュースをチェックするのは大事だよね。私たち、社会に出るし」

 

 スワレが真面目ぶった口調で言うと、メノリは小さく頷いた。

 

「まったくだ。……それより宿題はやってきたのか?」

 

「えっと……」

 

 スワレの目が泳ぐ。分かりやすすぎる。

 メノリはため息をつき、机の引き出しからノートを取り出した。

 

「……メノリ、ノート見せて」

 

 スワレは両手で“ごめん”のポーズを作る。

 

「仕方のないやつだ。最初からそのつもりで来たんだろ?」

 

「流石、メノリには敵わないなー」

 

 スワレが苦笑すると、メノリはほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「分からないところは教えてやる。一緒にやろう」

 

「やった!」

 

 スワレが喜ぶ横で、メノリの視線は無意識に窓の外へ向く。

 空は澄んでいる。

 澄んでいるほど、浮かぶのは“不在”だ。

 

 ニュースを見ることは大事だ。

 そう自分に言い聞かせて、メノリは映像を閉じた。

 

 だが、胸の内で別の問いが消えない。

 

 ――ニュースより、連絡ひとつ寄こさない男の方が問題だ。

 

 メノリはペンを握り直す。怒りは、今は勉強に変える。

 そうしないと、胸のどこかが折れそうになるから。

 

◇◇◇◇

 

 宇宙工学の専門学校。実習室の隅。

 

「シンゴ、始まったぞ」

 

 同部屋のキンケイがモニターを指さし、嬉しそうに声をかけた。

 

 S級。未探索領域。

 “宇宙船関連”なら、いつもなら飛びつくのがシンゴだ。

 

 だがシンゴは、工具を握ったまま顔も上げない。

 

「うーん、僕はいいや」

 

「珍しいな。宇宙船関連になるといつも大騒ぎするくせに」

 

「……いま、忙しいから話しかけないで」

 

 きつい言い方になったと気づいて、シンゴは唇を噛んだ。

 キンケイが目を丸くする。

 

「……珍しいこともあるんだな」

 

 そう言って去っていく背中に、シンゴは何も返せなかった。

 

 忙しいから。

 それは嘘じゃない。

 でも本当は、それだけじゃない。

 

 モニターを見れば、どうしても思い出してしまう。

 “操縦のことを聞けば、黙って教えてくれた”男を。

 

 今、聞きたいことは山ほどあるのに、聞けない。

 連絡しても、返ってこない。

 返ってこないまま、時間だけが進む。

 

 シンゴは工具を置き、机の端に指を立てて小さく叩いた。

 癖だ。心が落ち着かない時に出る。

 

「……リュウジ、何してるんだろ」

 

 声は小さすぎて、機械音に飲まれた。

 

◇◇◇◇

 

 コロニーの喫茶店。窓際の席。

 

 壁のモニターが出発式を映している。

 ベルはカップをソーサーに戻し、静かに息を吐いた。

 

「観にいかなくてよかったの?」

 

 ベルが尋ねると、シャアラはカップの縁を指でなぞりながら首を振った。

 

「うーん、そこまで興味はないかな。ベルこそ、よかったの?」

 

 シャアラが逆に尋ねると、ベルは少し困ったように笑った。

 

「俺もシャアラと同じ理由だよ」

 

「……同じ、って?」

 

「見たら、思い出すだろ」

 

 ベルの声は穏やかだ。

 穏やかな分だけ、その言葉は深く刺さる。

 

 シャアラは俯き、短く頷いた。

 

「……うん」

 

 思い出す。

 何を?

 誰を?

 

 答えは言わなくても、互いに分かっている。

 

 シャアラは笑おうとした。

 でも笑うと、涙が出そうだった。

 だから、言葉を変えた。

 

「帰ってきたら、またニュースで騒ぐんだろうね」

 

「そうだな」

 

「……私たち、ちゃんと拍手できるかな」

 

 ベルは少し考えたあと、ゆっくり言った。

 

「拍手はできる。できるけど――」

 

 その続きを言うのは、やめた。

 “でも、心は別の場所にある”

 そんなこと、言うまでもない。

 

◇◇◇◇

 

 誰もが“興味がない”ふりをした。

 

 チャコは勘だと言い、ハワードは舞台が優先だと言い、メノリは気まぐれだと切り捨て、シンゴは忙しいと誤魔化し、ベルとシャアラは静かに距離を取った。

 

 でも、本当は皆、知っている。

 

 “新しいS級”を見れば、思い出してしまうからだ。

 

 肩書きも、ニュースの光も、拍手も、華やかな言葉も。

 全部、あの男の不在を際立たせる。

 

 元S級パイロット。

 連絡ひとつ寄こさない。

 どこで何をしているのか、誰にも分からない。

 

 ――リュウジ。

 

 彼の名を口に出すだけで、心のどこかが疼く。

 だから皆、言わない。

 言わないことで、耐える。

 

 テレビの中では、ブルンクリンの宇宙船が星の向こうへ消えていく。

 誰かの未来が動き出す映像。

 

 けれど、ルナの家では、ルナがマグカップを両手で包み、ふいに携帯端末へ目を落とした。

 メッセージ欄を開いて、指が止まる。

 

 “元気?”

 “忙しい?”

 “ちゃんと食べてる?”

 言葉は浮かぶのに、送る勇気が出ない。

 

 送って、返事が来なかったら。

 それは、“不在”を現実として突きつけられることになる。

 

 ルナは一度入力して、消す。

 もう一度入力して、また消す。

 

 チャコはそれを見て、何も言わなかった。

 言えば、ルナの強がりまで剥がれてしまう気がしたから。

 

 画面の光は相変わらず眩しい。

 けれど今、ルナの部屋で一番眩しいのはテレビじゃない。

 

 ――送れないメッセージ欄の白さだった。

 

 未探索領域へ向かった宇宙船は、もう見えない。

 それでもニュースは繰り返す。

 “新しい英雄”の物語を。

 

 ルナたちは、その物語を見ながら、別の物語の空白を数えてしまう。

 

 リュウジがいない世界。

 それを“慣れ”にしてしまうのが怖くて、今日も誰も、あえて興味がないふりをした。

 

 

ーーーー

 

 

 放課後。校舎の影が長く伸び、風が少し冷たい。

 メノリは資料を鞄に押し込みながら、隣を歩くスワレの歩幅に合わせた。スワレは上機嫌そうに、鼻歌まじりで校門へ向かっている。

 

「今日は妙に軽いな、スワレ」

 

「え? だって今日、宿題……やったもん」

 

「“やった”の語尾に不自然な間があったな」

 

「気のせい! 気のせいだよ!」

 

「気のせいで提出物が増えるなら、私はいくらでも気のせいにしてやりたい」

 

「言い方が怖いんだってば。メノリってほんと、先生みたいだよね」

 

「私は先生ではない」

 

「でもほら、言い方が――」

 

「余計なことを言うな」

 

 メノリが淡々と言うと、スワレは「はいはい」と笑って両手を上げた。そんなやり取りをしていると、校門の方から小さくざわめく声が混じってくる。

 

「……なんか、騒がしくない?」

 

 スワレが眉を寄せ、メノリも視線を上げた。確かに、門のあたりに人だかりがある。警備員の声が硬く響き、誰かが食い下がるような声が重なる。

 

「不審者でも現れたんじゃないか?」

 メノリが淡々と告げると、スワレは吹き出した。

 

「メノリ、さらっと怖いこと言うね!? この学校、財閥の子とか権利者の跡取り多いけどさ……」

 

「よからぬことを考える連中もいるだろ。だが、ここに来る時点で間抜けだ」

 

「間抜けって言い切った!」

 

「不審者をやる時点で頭が悪い。論理だ」

 

「論理で片付けないでよ!」

 

 笑いながら校門に近づくと、今度は聞き覚えのある声が、警備員の声に負けじと響いた。

 

「だからよ! 不審者じゃないって言ってるだろ!」

 

 メノリは足を止める。

 心臓が、ほんの一拍だけ変な跳ね方をした。

 

(この声……)

 

「……え、今の、誰? めっちゃ元気な人」

 

 スワレが首を傾げた瞬間、さらに大きな声が飛んだ。

 

「なぁ! いるんだろ! メノリ・ヴィスコンティ!」

 

「そのような生徒はいません!」

 警備員が即座に返す。

 

「嘘つけ! いるって聞いたぞ!」

 

「校内に無断で立ち入ろうとする者を通すわけにはいきません!」

 

「いや、だから、僕は立ち入ろうとしてるんじゃなくて――」

 

「立ち入ろうとしているから止めているのです!」

 

「言葉の揚げ足取るなよ!」

 

 言い合いがだんだん漫才みたいになってきたところで、メノリは深くため息を吐いた。

 額に手を当てる。頭痛が来る前兆のような感覚だ。

 

「あのバカは何をしているんだ……」

 

「え、メノリ、知り合い?」

 

「……すまない、少し待っててくれ」

 

「う、うん……」

 

 スワレが目を丸くする中、メノリは校門の方へ歩いていく。人だかりの隙間から、警備員とにらみ合う金髪の青年――ハワードが見えた。

 両手を腰に当て、胸を張り、いかにも“俺は正しい”と言わんばかりの顔。周囲の視線を集めることに関しては、さすがと言うべきか、無駄に堂々としている。

 

「こうなれば力づくでも――」

 

「何をしているんだ! バカ者!」

 

 メノリの一喝が飛んだ瞬間、ハワードの顔がぱっと花が咲くように明るくなった。

 

「メノリ!!」

 

「嬉しそうにするな。恥ずかしい」

 

「だってさ! ほら、見ろよ、このオッサンが通してくれなくて――」

 

「“このオッサン”などと言うな。警備員さんだ」

 

「いや、でもさ――」

 

「でもも何もない。お前はアポイントメントという言葉を知らないのか!」

 

 メノリが指を立てて叱ると、ハワードは胸を張って即答した。

 

「知ってるさ!」

 

「なら、なぜこの状況になる」

 

「少しくらい、いいだろ!」

 

「よくない!」

 

 メノリの声が鋭くなる。警備員が小さく頷き、周囲の生徒も「そりゃそうだ」と顔に書いてある。

 ハワードだけが納得していない顔だ。

 

「だいたい、学校内に入るのならちゃんと手続きしてから来い! 素性が分からない奴を通すわけがないだろ!」

 

「素性!? 僕はハワードだぞ!? ハワード財閥の――」

 

「財閥の名前を出して威張るな!」

 

「威張ってない! 自己紹介だ!」

 

「自己紹介なら、まず“失礼します”が先だろ!」

 

「うっ……!」

 

 ハワードが一瞬たじろいだ。メノリの正論パンチは容赦がない。

 しかし、ハワードはそこで終わらない。むしろ、そこからが彼の本番だ。

 

「……分かった。なら僕は、俳優として演じる」

 

「何を」

 

「“正しい来訪者”をだ!」

 

「やめろ。警備員さんの前で寸劇を始めるな」

 

 止めるメノリの声もむなしく、ハワードはすっと姿勢を正した。

 手を胸に当て、斜め上を見上げ、声のトーンを急に柔らかくする。

 

「――こんにちは。突然の訪問、誠に申し訳ありません。僕は、ただ……メノリ・ヴィスコンティさんに大切なお知らせを届けに参りました」

 

 周囲が「え?」と固まる。

 警備員の眉がピクリと動く。

 

「……いま、“アポイントメント”という単語を学びました」

 

「学ぶな、すぐに使え」

 

 メノリが冷たく突っ込むと、ハワードはさらに続けた。

 

「僕の名はハワード。君の笑顔が見たい――」

 

「言うな!!」

 

 メノリが即座に遮った。ハワードが「うわっ」と肩をすくめる。

 

「なんだよ、今いいところだったのに!」

 

「警備員さんの前で口説くな!」

 

「口説いてない! 演技の練習だよ!」

 

「場所を考えろ!」

 

 メノリが言い切ると、警備員が咳払いを一つして、真面目な顔で言った。

 

「……つまり、あなたは“アポイントメントなしで来た”ということでよろしいですね?」

 

「うっ……言い方が冷たい!」

 

「正確だ」

 

 メノリがきっぱり言う。ハワードは悔しそうに歯を噛み、しかし次の瞬間、あっさり肩を落とした。

 

「……悪かったよ」

 

「分かればいい」

 

「でもさ、メノリに用があったんだってば」

 

「用があるなら、手順を踏め。ルールを守るのは礼儀だ」

 

「うう……メノリ、正しいけど厳しい……」

 

「厳しくしているのではない。お前がだらしないだけだ」

 

「言い方ぁ!」

 

 ハワードが情けない声を出すと、周囲の生徒がクスクス笑う。

 メノリはため息を吐き、警備員へ向き直った。

 

「申し訳ありません。私の知り合いです。ご迷惑をおかけしました」

 

「いえ、生徒さんがそう言うなら……」

 

「ほら、ハワード。謝れ」

 

 メノリが顎で促すと、ハワードは一瞬だけ「やだなぁ」みたいな顔をしたが、すぐに頭を下げた。

 

「……すみませんでした。ちょっと……熱くなりました」

 

「“ちょっと”で済む騒ぎじゃない」

 

「メノリのツッコミが重い!」

 

「当然だろ」

 

 そこまで言って、メノリはハワードの肩を軽く押して校門から少し離れた場所へ連れ出した。

 周囲のざわめきも、少しずつ落ち着いていく。

 

「それで。何の用だ」

 

 メノリが腕を組むと、ハワードは急に真面目な顔になった――と思いきや、鞄の中をゴソゴソし始めた。

 

「実はな、これだ!」

 

 取り出したのは、封筒のようなもの――いや、チケットだ。

 ハワードはそれを、宝物みたいに掲げた。

 

「明日、このコロニーで舞台があるんだ。来てくれ!」

 

「……舞台」

 

「そう! 僕の学校の公演! 学生だけど、ちゃんとしてるぞ! 僕も出る!」

 

「……ハワードが?」

 

「僕だ!」

 

 ハワードは指で自分の胸を叩き、誇らしげに笑う。

 メノリはその顔を見て、思わず口元が緩みそうになるのを必死に堪えた。

 

「それで、わざわざここまで来たのか」

 

「そうだよ! メノリに見てほしくてさ」

 

「……だったらなおさら、手続きして来い」

 

「それはそうなんだけどさ!」

 

 ハワードは急に姿勢を正し、指を立てる。

 

「でも! これは緊急だった!」

 

「何が緊急だ」

 

「だって、メノリって忙しいだろ? こういうの、放っておいたら“行かない”って言うじゃん!」

 

「……当たり前だ。私は忙しい」

 

「ほら! 言った!」

 

「喜ぶな」

 

 ハワードがニヤニヤするので、メノリはチケットを受け取り、真顔で見つめた。

 

「……明日、か」

 

「そう! 明日!」

 

「時間は」

 

「放課後!」

 

「場所は」

 

「モールの小劇場! 地図もある!」

 

「準備は」

 

「完璧!」

 

「……ふん」

 

 メノリが短く息を吐いたところで、背後からスワレの声が飛んできた。

 

「ねぇメノリ、その人だれ!? めっちゃ元気なんだけど!」

 

 メノリが振り返ると、スワレが好奇心の塊みたいな顔で近づいてきた。

 ハワードはその瞬間、さっと姿勢を整え、キラッと爽やかな笑みを浮かべる。切り替えが早い。

 

「やぁ! 僕はハワード! メノリの――」

 

「余計なことを言うな」

 

 メノリが即座に遮ると、ハワードは「はいはい」と肩をすくめた。

 

「友人だ。……たぶん」

 

「たぶんって何!?」

 

「友人です!」

 

 ハワードが自信満々に言い切る。メノリは反論しかけたが、スワレが先に目を輝かせた。

 

「え、友人!? メノリに友人!? しかもこんな……なんか……陽キャというか……」

 

「失礼だな!? 僕は舞台人だ!」

 

「舞台人……?」

 

 スワレが首を傾げると、メノリはチケットを軽く掲げた。

 

「明日、このコロニーで舞台があるそうだ。見に来てくれと言われた」

 

「え、面白そう!」

 

「面白いぞ! 僕が出るからな!」

 

「ちょっと待て。宣伝するな」

 

「宣伝じゃない! 事実だ!」

 

 スワレはチケットを覗き込み、「ほんとだ」と声を上げた。

 

「ねぇメノリ、行くの?」

 

「行けたらな」

 

「“行けたら”って絶対行かない言い方じゃん!」

 

「私は忙しいんだ」

 

「じゃあ一緒に行こうよ! 私も見たい!」

 

 スワレがぐいっとメノリの腕に抱きつく勢いで言う。メノリは驚いたように一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく咳払いをした。

 

「……構わないが、いいのか? 学生の舞台だぞ」

 

「たまにはいいかなって。むしろ、学生の舞台って勢いあるじゃん」

 

「おお! 分かってるじゃないか!」

 

 ハワードが感激したように両手を合わせる。

 

「君、いい目をしている! 観客の素質がある!」

 

「観客の素質ってなに!?」

 

「褒めてるんだよ!」

 

「褒め方が変!」

 

 スワレが笑い、ハワードも笑う。

 メノリはその様子を見て、また少しだけ口元が緩んだ。

 

「……分かった。明日の放課後に一緒に行こう」

 

「やった!」

 スワレが跳ねる。

 

「よし!」

 ハワードも拳を握る。

 

「ただし条件がある」

 

 メノリの声が落ち着いて響くと、二人の動きがピタッと止まった。

 

「な、なに?」

 

「今後は“アポイントメント”を取って来い」

 

「舞台にアポイントメント!?」

 

「学校に来るなら、という意味だ」

 

「えー……」

 

「“えー”ではない。分かったか」

 

 メノリが睨むと、ハワードはすぐに背筋を伸ばし、やけに丁寧に頭を下げた。

 

「はい、以後、気をつけます」

 

「急に丁寧になるな。気味が悪い」

 

「演技力ってやつだよ」

 

「使いどころを間違えるな」

 

「でもさ、メノリ」

 

「なんだ」

 

「……来てくれるんだろ?」

 

 ハワードの声が、ほんの少しだけ柔らかい。

 メノリは一瞬言葉を止め、チケットを鞄にしまってから答えた。

 

「行けたら、と言っただろ」

 

「それ、行くって意味だよね?」

 

「……さぁな」

 

「絶対行く顔してた!」

 

「してない」

 

「してた!」

 

 スワレが「なにそれ、かわいい」と笑い、メノリが「うるさい」と一喝する。

 ハワードは満足そうに頷いた。

 

「じゃあ、僕は帰る! 明日のためにコンディション整えるからな!」

 

「今度はちゃんと正面から出ていけ。騒ぐなよ」

 

「了解!」

 

 ハワードは大げさに敬礼して、そして――またしても警備員の方を見て、急に申し訳なさそうに走って戻った。

 

「さっきはすみませんでした! 今度はちゃんと手続きします!」

 

 警備員が「……はい」と少し困ったように頷く。

 ハワードはそれを見て、満足そうに戻ってきた。

 

「ほら! メノリ! 僕、成長した!」

 

「一歩だ。たった一歩」

 

「一歩でも前進だろ!」

 

「……まぁな」

 

 メノリが小さく認めると、ハワードは嬉しそうに笑い、今度こそ帰っていった。

 

 残されたスワレが、メノリの横顔をじっと見て、ぽつりと言う。

 

「……メノリって、あんな顔するんだね」

 

「どういうことだ?」

 

「うーん……感情表現が豊かっていうか。嬉しそうっていうか」

 

「……なんだそれは」

 

 メノリは照れ隠しのように、わざとぶっきらぼうに言った。

 でも、スワレは見逃さない。にやにや笑いながら歩き出す。

 

「ねぇねぇ、明日楽しみだね!」

 

「私は“仕事”のつもりで行く」

 

「はいはい、仕事ね!」

 

「……スワレ」

 

「なに?」

 

「明日の分の宿題は?」

 

「……うっ」

 

「やってないな」

 

「明日やる! 明日!!」

 

「舞台の前にやれ」

 

「メノリ厳しい〜!」

 

 夕暮れの校門を抜けながら、二人の声は少しずつ遠ざかっていった。

 メノリの手元の鞄の中で、チケットの角が小さく折れずに収まっている。まるで――“明日”が確かにそこにあるみたいに。

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