宇宙船ホーク型二番船――それは、ブライアンが自ら設計図を引き、何度も何度も試験航行を重ねて仕上げた探索機だった。
外殻は軽量合金と複合装甲の多層構造。推進系は、長距離を前提にした高効率のメインスラスターに加え、微細な姿勢制御用スラスターが機体の各所に散りばめられている。操縦席の周りを取り囲むように配置されたモニター群は、戦闘艇のそれに近い。探索機というより、未知に噛みつく猛禽――ホークの名は伊達ではなかった。
だが、船内の空気はその機体の強さとは裏腹に、どこか噛み合っていない。
「そろそろセーシング領域外に入るぞ」
ブライアンが短く告げる。
操縦桿に添えられた指先は落ち着いているのに、声だけが少し硬い。
「は、はい!」
副操縦士が返事をする。若い――というより、現場の“圧”に慣れていない返し方だった。
返事の一拍が遅い。呼吸も浅い。肩が上がっている。緊張がそのまま形になって、彼の背中から立ち上っていた。
「落ち着いて。大丈夫だから」
エリンが静かに声をかける。
明るく盛り上げるような口調ではない。けれど、一定の温度を保った声は、船内の空気を“作業”に戻す力がある――はずだった。
……本来なら。
「セーシング領域外に出たらすぐに探索が始まるわ。医療キットの確認は出来てる?」
エリンが後方の席にいる医療従事者へ視線を投げる。
医療従事者が頷きかけ、ふと手を止める。
彼もまた、緊張を抱えているのが分かった。手元の固定ベルトが一瞬もたついた。
「今、確認します」
「……お願いね」
エリンはそれだけ言って、余計な言葉を足さなかった。
“お願いね”――その短い言葉が、丁寧であるほど、今はどこか冷える。
自分の声が、いつもより乾いている気がして、エリンは小さく息を吐いた。
「おい、システムエンジニア。レーダーに反応は?」
ブライアンが、操縦席の横に座るシステムエンジニアへ声を飛ばす。
「えーと……」
その間が、致命的に長い。
“えーと”で時間を稼ぐのは、分からない時の癖だ。
ブライアンの眉が僅かに動く。視線はモニターから外れないのに、気配が鋭くなる。
「……今のところ反応がありません」
「……そうか」
返答は受け取ったが、納得はしていない声。
エリンは、そのやり取りの“噛み合わなさ”に気づいていた。
――ブライアンの“お抱え”のシステムエンジニアが来られない。
――だから、今回は臨時の人員。
――技術が低いわけじゃない。けれど、ブライアンの癖を知らない。
――ブライアンも、相手の癖に合わせるほど柔らかくない。
それは、ほんの小さなズレだ。
だが、セーシング領域外に出れば、その小さなズレは“秒”の差になる。
秒の差は、生死の差になる。
エリンは座席に深く背を預けた。
背中がシートに触れる感覚が、妙に現実的で、胃の奥が冷える。
「エリンさん、大丈夫ですか?」
マリが小声で尋ねてくる。
マリはヘッドセットを首にかけたまま、視線だけをエリンへ寄越している。
いつもなら淡々としすぎるほど淡々としているマリが、今日は“人”の表情をしていた。
「え? ええ、大丈夫よ」
エリンは反射で返す。
“副パーサーとして、空気を乱さない”返し方。
けれど、その返し方の中に、ほんの僅かな鈍さが混じった。
「そうですか」
マリはそれ以上言わない。
言わない代わりに、“ずっと見ている”という視線の重さだけが残る。
「それよりマリ、ブルンクリンとの通信は?」
エリンは話題を切り替えた。
自分の顔色の話をされるより、やるべきことに集中したかった。
「それが……応答がありません」
マリの声が少し硬くなる。
「恐らく、無線封鎖をしているのだと思います」
「なんでそんな事を?」
サツキが思わず声を出す。
現場での判断が早い分、余計な嘘がつけないタイプだ。感情がそのまま出る。
「自尊心が高い奴だからな」
ブライアンが短く吐き捨てる。
「救われるのが嫌なんだろ」
船内の空気が一段重くなる。
エリンは、内心で“くだらない”と思った。
救助に“格”などない。生きて戻ることがすべてだ。
それが分からないほど幼いのなら、S級など名ばかりだ。
――そんな風に、誰かを切り捨てるように考える自分が、嫌だった。
昔のエリンなら、きっと同じ言葉を“笑い”で包んでいた。
「もう、男のプライドって面倒」なんて軽く言って、場の緊張をほどいていた。
でも今は、その“笑い”が喉の奥で固まって出てこない。
ペルシアがいなくなってから、船内の空気を“人として”ほどく役割が、宙に浮いている。
エリンは副パーサーとして、穴埋めに走って、走って、走り続けて――
気づけば、自分の中に余裕が残っていなかった。
「よし! セーシング領域外に出たぞ!」
ブライアンの声が、区切りの宣言のように響く。
その瞬間。
変化は、何もない。
外の景色は変わらず漆黒で、星が散り、遠くの光が滲んで見えるだけ。
だが、船内は違う。
空気が、目に見えない形で硬くなる。
誰もが自分の呼吸の音を意識し、機械の駆動音が一段大きく聞こえ始める。
エリンはふと、ブライアン捜索の時を思い出した。
あの時は、緊張をほどよく解いていた。
ときどき冗談を挟み、ときどき厳しく締め、船内の温度を一定に保った。
それが、今はない。
“ない”という事実が、逆に全員をエリンへ意識させる。
マリもサツキも、言葉にしないまま――エリンの様子を気にしてしまう。
そして。
――アラームが鳴った。
ヴィィィィィ――と、耳の奥に刺さる警告音。
一瞬で船内の空気が凍りつく。
「何事だ!」
ブライアンが声を荒げる。
操縦桿を握る手が、ほんの僅かに締まった。
「え、えーと……!」
システムエンジニアが慌ててモニターを操作する。
指が滑る。
“慣れていない”のが露骨に出る。
モニターに表示されるまでの一拍が、長い。
「無数の何かが宇宙船に向かって飛んできます!!」
叫ぶ声が裏返った。
「モニターに出せ!」
ブライアンの指示が鋭く飛ぶ。
「は、はい!」
副操縦士が操作を補助する。
二人の動きが重なり、画面が切り替わる。
だが一拍遅い。
その一拍の間に、警告音だけが船内を切り裂く。
そして――映った。
暗闇の中で、無数の点が迫ってくる。
光ではない。
星の瞬きのようにも見えるが、動きが違う。
不規則で、群れをなして、こちらへ向かってくる。
「なんだこれは?」
ブライアンの声が低く沈む。
「無数の隕石の粉塵だ!」
マリが即座に判断する。
“粉塵”という言葉が、逆に恐ろしい。
塊なら避けやすい。
だが粉塵は広がっている。
雲のように、逃げ道を塞ぐ。
「ブライアンさん、回避!」
エリンが反射的に叫ぶ。
声は、やっと“いつもの”鋭さを取り戻していた。
危機の時だけ、体が勝手に動く――そういう癖は、元チーフパーサーの頃から変わらない。
「備えろ! 間に合わん!」
ブライアンが吐き捨てる。
次の瞬間――
宇宙船が激しく揺れた。
衝撃は横から来た。
身体がシートに叩きつけられ、内臓が一拍遅れて追いかける。
警告アラームがヴィーヴィーヴィーとさらに甲高く鳴り、床が細かく震える。
どこかで金属が軋む音がした。
「うっ……!」
副操縦士が息を詰める。
医療従事者がとっさに自分の荷物を抱え込み、固定ベルトを再確認する。
「被害状況!」
ブライアンが吠える。
「外殻に多数の微小衝突! シールド値――!」
システムエンジニアが叫ぶ。
だが、数値が追いつかない。
モニターが警告で赤く点滅し、情報が溢れ返る。
「落ち着いて! 優先順位!」
エリンが怒鳴る。
自分でも驚くほど声が通った。
船内の全員の目が一瞬、エリンへ集まる。
「生命維持! 推進! 操舵! 通信! その順で確認!」
「は、はい!」
医療従事者がすぐに生命維持系の表示を確認する。
マリも通信系を開く。
サツキは反射で工具箱に手を伸ばし、船内の振動で散りそうなものを押さえる。
――その時、第二波。
衝撃が、今度は斜め上から来た。
一瞬、視界が白くなる。
警告音に混じって、別のアラームが鳴った。
空調の音が乱れ、船内の気圧が僅かに変わるのが皮膚で分かった。
「くっ……!」
ブライアンが歯を噛む。
操縦桿を引き、姿勢制御スラスターを叩き込む。
ホーク型二番船が唸るように身をよじり、粉塵の“濃い部分”を避けようとする。
だが――粉塵は雲だ。
避けたつもりでも、薄い層が残る。
薄い層が残るだけで、船体には無数の針が刺さる。
「シールドが削られていく!」
システムエンジニアの声が震える。
「メインスラスター出力は――!」
「生きてる! でも安定しない!」
副操縦士が叫ぶ。
「生命維持は……一応、正常! 気圧も維持! ただ、二酸化炭素処理系が一時的に――!」
医療従事者が報告する。
「通信は?」
エリンが即座に問う。
「……外部通信、ノイズが酷い! 送信が弾かれてます!」
マリの眉が寄る。
粉塵が電波を乱している。
つまり、ブルンクリンへ呼びかけても届かない可能性が高い。
サツキが唇を噛む。
「こんな中で……救助を待ってる側は……」
言葉が途中で途切れる。
想像が、現実の恐怖に変わって胸を締め付けた。
「ブライアンさん、深追いしないで! 一旦、粉塵雲を抜けるルートを!」
エリンが叫ぶ。
自分の声が、船内の“軸”になっているのが分かる。
そして、その軸が今、かろうじて全員を繋ぎ止めている。
「分かってる!」
ブライアンが返す。
分かっている。だが、それを実行するのが難しい。
粉塵雲は立体で、しかも濃淡がある。
濃い部分を避けようとしても、薄い部分が絡みつくように追ってくる。
「システムエンジニア! 濃度マップを出せ! 抜けられる薄い帯を探せ!」
「はい……! え、えーと……!」
また“えーと”が出る。
エリンの胸に、苛立ちが走る。
だが、それを表に出せば船内が壊れる。
エリンは一度だけ目を閉じ、次の瞬間、声の温度を落とした。
「焦らなくていい。手順通り。今は“確実に”」
それは、励ましでもあり、命令でもあった。
「……出ました! こっちです!」
ようやく濃度マップが表示される。
モニターに、粉塵の密度が色分けされ、薄い帯が一本だけ見えた。
“穴”ではなく、“細い道”。
少しでも操舵を誤れば、濃い雲に突っ込む。
ブライアンの目が鋭くなる。
「――行くぞ。全員、固定を強化しろ!」
「はい!」
エリンはベルトを締め直し、周囲を見渡す。
副操縦士の手が震えている。
医療従事者が唾を飲み込む。
サツキの指が白くなるほど工具箱を押さえている。
マリは無言で通信ログを睨み、何かを諦めるように呼吸を整えた。
そしてエリン自身――
自分が一番、余裕がないのを知っている。
ペルシアがいない。
この船で、笑って空気をほどく役がいない。
今、支えているのは“役割”だけだ。
本当は疲れている。
本当は怖い。
本当は、胸の奥がずっと冷たい。
――それでも。
「行けるわ。ブライアンさんなら」
エリンは、ブライアンの背中へ向けて言った。
自分に言い聞かせるように。
そして、船内にも。
ブライアンは返事をしない。
返事の代わりに、操縦で答える。
ホーク型二番船が、薄い帯へ突っ込む。
姿勢制御スラスターが連続噴射し、機体が小刻みに身を躱す。
それでも、粉塵は当たる。
微小衝突の振動が、絶え間なく骨に響く。
「うぅ……!」
副操縦士の声が漏れる。
「呼吸を合わせて!」
エリンが言う。
「吸って、吐いて。船の揺れに逆らわない!」
その言葉に、副操縦士が必死に頷く。
――その時。
新しい警告音が混じった。
低く、重い、嫌な音。
「ブライアンさん! 右舷外殻、局所シールド低下!」
システムエンジニアが叫ぶ。
「分かってる!」
ブライアンが切り返す。
薄い帯を抜けるまで、あと少し――
だが、その“あと少し”が、いちばん危険だ。
「医療従事者、万が一の減圧に備えて!」
エリンが指示を飛ばす。
「はい! 個人マスクの確認、緊急止血、固定材……!」
医療従事者が一つずつ声に出して確認する。
声に出すことで、自分を落ち着かせているのだ。
マリが唇を噛みながら、ぼそっと言う。
「……ブルンクリンの船が、この粉塵雲の“中”にいる可能性が高い」
その言葉が、船内に沈む。
救助する側がこれだ。
救助される側は――。
サツキが息を飲む。
「……早く、抜けましょう」
エリンは頷き、視線を前へ戻す。
モニターの薄い帯の終端が、じわじわ近づいていた。
――抜ける。
――抜けなければ。
――抜けた先に、彼らがいる。
そう思った瞬間、エリンの胸に浮かんだのは――リュウジの顔だった。
ブライアン捜索の時。
ネフェリスを操縦した彼。
あの時の彼なら、この粉塵雲の“呼吸”を読んでいたかもしれない。
そして――あの人なら、きっと誰かを安心させる余裕まで残していただろう。
“あの人なら”。
その考えが、今のエリンには苦い。
いない。
ここにいない。
そして、ペルシアもいない。
不在が、船内の緊張を増幅させる。
だが――
「抜けるぞ!」
ブライアンが叫んだ。
次の瞬間、振動が一気に軽くなった。
警告音が一段落ち、モニターの赤い点滅が減る。
粉塵雲の外側へ出たのだ。
船内に、息が戻る。
「……出ました」
システムエンジニアが震えた声で言う。
副操縦士が、ようやく肩を落とした。
医療従事者が、深く息を吐いた。
しかし――安心はできない。
ここからが本番だ。
救助対象は、あの粉塵雲の向こうにいる可能性が高い。
しかも、ブルンクリンは無線封鎖。
自尊心で命を危険に晒している。
ブライアンが舌打ちする。
「……チッ。ガキの意地で全員巻き込む気か」
その言葉に、エリンは胸の奥で同意しながらも、表情を変えなかった。
副パーサーとして、今は“怒り”より“手順”を優先する。
「マリ。通信。粉塵雲の外からでも繋がる周波数帯を探して。短文でいい、“生存確認”を最優先」
「了解」
「サツキ。内部点検。揺れで緩んだ固定、配線、扉のロック。小さな異常も見逃さないで」
「はい!」
「医療従事者。全員の状態確認。過呼吸、軽い脳震盪、打撲。船酔いでもいい、今は申告させて」
「分かりました!」
エリンは指示を出し終えて、自分の手が少し震えているのに気づいた。
震えを握りつぶすように、指を組む。
そして、前方のモニターへ視線を固定した。
“救助”という言葉が、現実の重量になってのしかかる。
ブライアンの背中は大きい。
だが、その背中だけに任せられる状況ではない。
エリンは、薄く息を吸う。
――ペルシアがいないからこそ。
――今、私が崩れたら、この船が崩れる。
そう理解しているのに、心だけが追いつかない。
疲労が、恐怖が、焦りが、胸の奥で渦を巻く。
それでも、エリンは座り直し、淡々と告げた。
「……ブライアンさん。次、粉塵雲に再突入するなら、進入角は慎重に。薄い帯をもう一度探して」
ブライアンが一瞬だけ、横目でエリンを見る。
そして、短く頷いた。
「分かってる」
――その“分かってる”が、いつもより重く聞こえた。
ホーク型二番船は、再び暗闇へ進む。
粉塵雲の縁が、モニター上で不気味に揺らめく。
船内に、また緊張が戻る。
さっきよりも、深い緊張。
警告音は止まったままなのに。
全員が“次はもっと酷い”と理解しているからだ。
そしてエリンは、気づいてしまう。
――ブライアン捜索の時、私はこの緊張の“間”を、笑いで埋めていた。
――今、埋める言葉が見つからない。
埋められない空白が、誰かの心を削る。
空白は、恐怖を膨らませる。
だからエリンは、笑いの代わりに、静かに言った。
「全員、呼吸を整えて。私たちはチームよ。誰か一人が背負う仕事じゃない」
言いながら、エリンは自分にも言い聞かせていた。
“チーム”。
“仲間”。
その言葉が、かつては当たり前に胸の中にあった。
今は、ペルシアの不在が、その当たり前を痛いほど浮き彫りにする。
けれど――
誰かがいないからといって、止まってはいられない。
救助は、待ってくれない。
ホーク型二番船は、粉塵雲の縁へ近づいていく。
外殻が再び微細な振動を拾い始め、警告灯が弱く点滅した。
ブライアンの声が、船内に落ちる。
「――行くぞ。次は、確実に目的地へ近づく」
その声に、全員の背筋が伸びた。
そして、宇宙船は再び、未知の“殺意”の中へ突入していった。
⸻
ホーク型二番船は、粉塵雲の縁へゆっくりと近づいていく。
外殻が微細な振動を拾い始め、警告灯が弱く点滅した。
ブライアンの指が操縦桿をわずかに締める。
「――行くぞ。次は、確実に目的地へ近づく」
その言葉に、全員の背筋が伸びた。
“行く”しかない。
救助対象が、あの雲の向こうにいる。
そして彼らは、今もどこかで――助けを待っている。
「進入角、二度。姿勢固定、微調整」
副操縦士が言われた通りに手順を追う。
モニター上で、粉塵雲の薄い帯が細く表示された。さっきよりも狭い。揺らぎも激しい。
雲の“呼吸”が荒くなっている。
「シールド、再展開。最大……いけます」
システムエンジニアの声が震えていた。
いける、と言っているのに、言い切れていない。
エリンは一つ、深く息を吸う。
ここで誰かが崩れれば、連鎖する。
言葉を選ぶ余裕はない。必要なのは“命令”だ。
「全員、固定。口を閉じて、歯を食いしばらない。舌を噛むわ」
「了解」
医療従事者が先に返事をして、周囲の空気を引っ張った。
サツキが工具箱を足で押さえ込み、胸の前で腕を組んで衝撃に備える。
マリは通信ログを開いたまま、短く呟く。
「……もし、ここで私たちが止まったら、救助が二重遭難になります」
それは脅しではなく、事実だった。
エリンは頷く。頷いてから、目線だけでブライアンに合図を送った。
ブライアンが短く顎を引く。
「突入」
ホーク型二番船が、粉塵雲の中へ滑り込む。
――瞬間。
船体全体を覆うような、ザザザザ……という不快な摩擦音。
微小衝突。無数の針。
宇宙船の装甲が、目に見えない嵐に削られていく。
警告音が遅れて鳴り始める。
ヴィィ――ヴィィ――ヴィィ――!
「シールド、低下速度が速い!」
システムエンジニアが叫ぶ。
「ブライアンさん! 薄い帯、右に――!」
エリンが言い終える前に、衝撃が来た。
ドン――ッ!
今までの“揺れ”とは違う。
明確な“当たり”だ。
身体がシートに叩きつけられ、視界が一瞬揺らぐ。
どこかで金属が割れるような音がした。
「右舷、外殻損傷! 損傷率、急上昇!」
「何だ今の!」
副操縦士の声が裏返る。
「……粉塵の中に混じってた。破片だ、塊が!」
マリが即座に言う。
粉塵雲は“粉”だけじゃない。
見えない影のように、塊が混じっている。
それに当たれば――船は終わる。
「……回避!」
ブライアンが操縦桿を叩き込む。
姿勢制御スラスターが連続噴射し、機体が身をよじった。
だが、その“身をよじる”動きが、逆に粉塵を引っ掛ける。
薄い帯を外れた。
警告音が一段、甲高くなる。
ヴィヴィヴィヴィヴィ――!
「シールド、臨界!」
システムエンジニアが叫ぶ。
「くそっ、もう一度――!」
ブライアンが歯を食いしばった、その瞬間だった。
――ガンッ!!
今度は、船の腹を殴られたような衝撃。
艦内灯が一瞬落ち、非常灯に切り替わる。
空調の音が乱れ、空気が僅かに“薄く”感じる。
喉が乾くのではなく、肺が足りなくなる感覚。
「減圧!?」
医療従事者が立ち上がりかけ、エリンが即座に制した。
「座って! 酸素マスク、用意!」
「はい!」
医療従事者が緊急パックを引き寄せ、個人マスクの状態を確認する。
サツキが床を蹴って壁のパネルへ向かおうとしたが、また衝撃が来る。
ドドドドド――!
連続衝突。
粉塵ではなく、粒が大きい。
機体が跳ねるように揺れ、机の上の固定具が鳴る。
「メインスラスター、出力低下!」
副操縦士が叫んだ。
「姿勢制御スラスター、応答遅延!」
「何!? 嘘だろ!」
ブライアンの声が低く荒れる。
「出力系統が……! 右舷側、配電が落ちてます!」
システムエンジニアが必死にモニターを叩く。
画面が赤い。赤い。赤い。
警告が多すぎて、情報が読めない。
エリンは喉が冷えるのを感じた。
この嫌な感覚を知っている。
“崩壊”の予兆だ。
「サツキ! 推進系の配電系統、見れる!?」
「今、行きます!」
サツキが叫び、腰を浮かせた瞬間――
……ブツン。
音が消えた。
警告音が止まったのではない。
機械音そのものが、落ちた。
空調の風が止まる。
操縦席のモニターが半分暗転する。
ホーク型二番船の“心臓”が、一拍だけ沈黙した。
「……」
誰も声が出ない。
鼓動だけがうるさい。
そして、遅れて非常用の電源が点いた。
パッ――と赤い非常灯が復帰し、最低限のモニターだけが点滅する。
だが、表示される文字が最悪だった。
【MAIN THRUSTER: OFFLINE】
【ATTITUDE CONTROL: LIMITED】
【NAVIGATION: ERROR】
【AUTO-PILOT: FAIL】
ブライアンが凍りついたように画面を見つめる。
「……メインスラスター、死んだのか?」
副操縦士が震え声で言う。
システムエンジニアが唇を噛み、首を縦に振った。
「……電源系統が落ちました。再起動……できるか分かりません」
「姿勢制御は!?」
「……片側だけ、生きてます。でも――推力が足りない。姿勢は保てても、前に進めない」
「前に進めない……?」
サツキが一歩遅れて状況を理解し、息を呑む。
「つまり……自力運航、不能?」
その言葉に、船内の温度が下がった。
“不能”――それは、探索任務の失敗ではない。
生還の条件が消えることだ。
ブライアンが操縦桿を握り直し、何度も入力を試す。
だが、操縦桿は、まるで死んだ鳥の翼のように反応が鈍い。
「くそ……! 起動しろ……! 起動しろ!」
ブライアンの声が、怒鳴りに近い。
エリンは、ブライアンが焦っているのを初めて見たわけではない。
だが“ここまで”焦っているのは、見たことがない。
マリが淡々と報告する。
「……位置情報が乱れてます。粉塵雲の中でナビが死んだ。通信も、今は――」
彼女がヘッドセットに触れ、短く首を振る。
「繋がりません。外に出す電波が、出せない」
「冗談……」
副操縦士の声が震える。
医療従事者が言う。
「空調が止まってます。酸素は緊急供給に切り替わってる。……長くは持ちません」
長くは持ちません。
その言葉の意味を、全員が理解した。
――救助に来た側が、救助を要請する側になる。
エリンは胸の奥が冷えるのを感じながら、口を開いた。
声は、不思議と落ち着いていた。
落ち着かせるのではなく、落ち着いていなければ“終わる”からだ。
「ブライアンさん。今は再起動に固執しないで。まず、被害状況。どこが死んで、どこが生きてるか」
ブライアンが歯を噛んだまま、エリンを横目で見る。
「……分かってる」
分かってる。
さっきも聞いた。
でも、今の“分かってる”は、苦しさが混じっている。
「サツキ。配電のバイパス、できる?」
サツキは一瞬、口を開き――閉じた。
即答できない。
即答できないほど、状況が酷いのが分かってしまう。
「……やってみます。でも、工具と時間が……」
「時間は、作る」
エリンが言い切った。
「マリ。通信。非常用の“発信”だけでも出来ない? 受信が死んでてもいい、こちらの位置と状況だけ飛ばす」
「やってみます」
「医療。全員の酸素管理。必要なら交代でマスクを――」
「了解」
指示が飛び、全員が動き始める。
動けば恐怖は薄れる。
だが――薄れるだけだ。消えない。
船は、今この瞬間も、粉塵雲の中で削られている。
姿勢制御が片側しか生きていないなら、やがて回転が始まる。
回転したら、終わりだ。
遠心力で内部が壊れる。
空調も、配線も、心臓も――二度と戻らない。
ブライアンが低く言う。
「……くそ。救助どころじゃない。俺たちが、助けを呼ぶ側になりやがった」
その言葉が、船内に沈む。
エリンは、息を吸ってから吐いた。
胸の奥が痛い。
“この空気”を知っている。
ブライアン捜索の時、ギリギリで保っていた緊張――
あの時は、ペルシアがいた。
リュウジがいた。
皆が、互いの癖を知っていた。
今は違う。
だからこそ、エリンは自分に言い聞かせた。
――私が崩れたら、この船は終わる。
――ペルシアがいないなら、私が“支える”。
その覚悟を固めた瞬間――
船が、ゆっくりと傾き始めた。
「……姿勢、崩れてます!」
副操縦士が叫ぶ。
「……制御スラスター、限界です!」
システムエンジニアが声を震わせる。
ブライアンが操縦桿を握りしめる。
「踏ん張れ……! 頼む……!」
ホーク型二番船は、粉塵雲の中で、傷だらけの翼を必死に広げる。
だが、進めない。
逃げられない。
“自力運航不能”という現実が、じわじわと船を呑み込んでいく。
赤い非常灯の下で、エリンは唇を結び直した。
「……全員、最悪を想定して。脱出手順、確認」
その言葉が、最後の引き金のように重く落ちた。
そしてホーク型二番船は――
“救助へ向かう船”から、
“救助を待つ船”へと、完全に立場を変えた。
ーーーー
冥王星の夜は、思った以上に静かだった。
昼間の見学施設の喧騒も、体験スペースの拍手も、もう遠い出来事みたいに感じる。コロニーの人工照明は夜を白く均してしまうのに、胸の奥に残った痛みだけは暗いままだった。
ホテルの外に出ると、乾いた空気が頬を撫でた。
公園へ向かう道は整備されていて、足音がやけに鮮明に響く。街灯の下で影が伸びて、伸びた影がまた別の影と重なりそうで重ならない。
リュウジは、ホテルのすぐ近くにある小さな公園のベンチに腰を下ろしていた。
作業着はもう脱いでいたが、指先にはまだ土と木の匂いが残っている気がした。髪も、昼間のまま少しだけ湿っている。あの頃と同じようで、違う。何が違うのか、それを考えるのが怖い。
風に揺れる低木がさざめく。
その音に混じって、靴音が近づいてきた。
リュウジは立ち上がりかけて、目を上げる。
「……ルナ」
呼びかけようとした言葉は、途中で止まった。
街灯の明かりの中に現れたのは、ルナじゃなかった。
メノリだった。
冷えた空気のせいじゃない。
彼女の目が冷たい。
いや――冷たいのではなく、怒りを削ぎ落とした“硬さ”だ。怒鳴り散らすより、よほど刺さる種類の静けさ。
メノリはベンチの前で立ち止まり、短く言った。
「……私だ」
リュウジは喉を鳴らして、ほんの少しだけ目を伏せた。
まるで、最初からこうなると分かっていたみたいに。
「ルナは?」
その問いは、縋るような声になりそうで、リュウジは自分の喉を押し殺した。
それでも、出てしまった。出さずにいられなかった。
メノリは一拍置いて、淡々と答える。
「話したくないそうだ」
それだけで充分だった。
それだけで、胸のどこかが鈍く沈んだ。
「今はチャコが側にいる」
メノリの言葉が続く。
“守っている”と言われた気がした。
ルナの隣にいるのが自分じゃないという事実を、あらためて突きつけられた気がした。
「……そうか」
リュウジはそれ以上言えなかった。
言い訳も、弁解も、謝罪も。
全部、さっきルナにぶつけた言葉の前では意味を失っている。
いや、意味があったとしても、出せる資格がない。
メノリはため息を吐かない。
怒鳴らない。
ただ、現実を切り取るように言う。
「今回は貴様が悪い」
“貴様”。
それは、サヴァイヴの頃にメノリが本気で怒ったときの呼び方だ。
懐かしいはずなのに、今は痛い。
「事情はどうであれ、ルナを裏切ったんだ」
リュウジは、反射的に何か言い返そうとした。
だが、言葉が喉で潰れた。
違う、と言いたいのか。
裏切っていない、と言いたいのか。
そんなものは、どれも逃げだ。
「……分かっている」
やっと出た言葉は、自分でも驚くほど掠れていた。
メノリの眉が、ほんのわずかに動く。
「分かっているなら、話してもいいんじゃないか?」
その“話してもいい”の意味は、単なる事情説明じゃない。
ルナに対して、真実を。
そして何より――“リュウジ自身が逃げないこと”を求めている。
冥王星の夜の静けさが、二人の間に溜まっていく。
公園の奥で、子どもの遊具が風に鳴った。金属の軋みが小さく響いて、妙に不吉に聞こえる。
「……」
リュウジは答えなかった。
唇を結んだまま、目をそらした。
それが答えだった。
メノリは、わざとらしく肩をすくめるでもなく、ただ視線を鋭くする。
「……まぁいい」
切り捨てるような短い言葉。
けれど、それは諦めではなく、“今はこれ以上言っても無駄だ”という判断に近かった。
メノリは少しだけ声の温度を下げる。
「私達は明日、帰る」
リュウジの胸が、きしりと鳴った。
明日帰る。
つまり、ルナが冥王星を去る。
今夜を逃したら、次に会える保証はない。
メノリが続ける。
「もし話があるなら、明日の朝にでも出直せ」
その言葉は、最後の手綱だった。
まだ、リュウジに選択肢を残してやっている。
まだ、ルナの気持ちが完全に閉じたわけじゃないと言っているに等しい。
だからこそ、リュウジは言った。
言ってしまった。
「……それは出来ない」
夜の空気が、さらに冷える。
メノリの視線が鋭く突き刺さった。
「なに?」
問いではない。
“説明しろ”だ。
リュウジは喉を鳴らし、短く息を吐いた。
「明日はどうしても外せない用がある」
その言葉が落ちた瞬間、メノリの表情が一段階、険しくなる。
「ルナよりも大事な用が他にあると?」
怒鳴っていないのに、声が重い。
足元の地面が、少し沈んだみたいに感じた。
メノリは本気で、信じられないと思っている。
リュウジは――答えなかった。
否定もしない。肯定もしない。
ただ、黙る。
メノリはその沈黙を見て、鼻で笑うこともしない。
低い声で、言葉を選びながら告げた。
「サヴァイヴの頃と、随分変わったな」
その一言が、リュウジには一番痛かった。
サヴァイヴの頃。
あの頃の自分は、確かに無愛想で、乱暴で、欠けたところだらけだった。
それでも――守るべきものの前では、逃げなかった。
今の自分は、守ると言いながら、逃げている。
メノリは少し顔を背け、吐き捨てるように言った。
「好きにすればいい」
そして、最後に。
「辛いのはルナだけではないんだぞ」
ルナだけじゃない。
チャコも、メノリも、皆が。
そして――リュウジ自身も、辛いのだとメノリは知っている。知っているから、余計に腹が立つ。
辛いなら、なおさら逃げるな、と。
リュウジの唇がわずかに震えた。
自分が何をしたのか、何をしていないのか。
それらが全部、胸に押し返してくる。
「……悪い」
その謝罪は小さく、弱かった。
メノリはそれを受け取るでもなく、受け取らないでもなく、ただ見つめた。
するとリュウジは、覚悟を決めたように顔を上げる。
目は、もう逸らさない。
逸らしたら終わると分かっている目だった。
「その代わりに――頼みたい事がある」
メノリが瞬きを止める。
“その代わり”という言葉が、あまりにも重い。
謝罪と同じ重さで、いや、それ以上の重さで、何かを差し出そうとしている。
メノリの目が大きく開いた。
怒りより先に、理解と警戒と――そして、嫌な予感が走ったのが見て取れる。
「……何だ」
メノリの声が、わずかに低くなる。
夜の公園の空気が、ぴんと張った。
リュウジは、一度だけ深く息を吸った。
言葉を出す直前の、あの癖。
昔から変わらない。
そして――
「――」
リュウジが口を開いた瞬間、メノリの表情が、さらに大きく揺れた。
驚きというより、“想定していなかった重さ”を受け止めた顔。
メノリは、大きく目を見開いたまま、言葉を失っていた。
夜風が、公園の木々を揺らす。
街灯の光が二人の影を伸ばし、その影が一瞬だけ重なって、すぐに離れた。