サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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二重遭難

宇宙船ホーク型二番船――それは、ブライアンが自ら設計図を引き、何度も何度も試験航行を重ねて仕上げた探索機だった。

外殻は軽量合金と複合装甲の多層構造。推進系は、長距離を前提にした高効率のメインスラスターに加え、微細な姿勢制御用スラスターが機体の各所に散りばめられている。操縦席の周りを取り囲むように配置されたモニター群は、戦闘艇のそれに近い。探索機というより、未知に噛みつく猛禽――ホークの名は伊達ではなかった。

 

だが、船内の空気はその機体の強さとは裏腹に、どこか噛み合っていない。

 

「そろそろセーシング領域外に入るぞ」

 

ブライアンが短く告げる。

操縦桿に添えられた指先は落ち着いているのに、声だけが少し硬い。

 

「は、はい!」

 

副操縦士が返事をする。若い――というより、現場の“圧”に慣れていない返し方だった。

返事の一拍が遅い。呼吸も浅い。肩が上がっている。緊張がそのまま形になって、彼の背中から立ち上っていた。

 

「落ち着いて。大丈夫だから」

 

エリンが静かに声をかける。

明るく盛り上げるような口調ではない。けれど、一定の温度を保った声は、船内の空気を“作業”に戻す力がある――はずだった。

 

……本来なら。

 

「セーシング領域外に出たらすぐに探索が始まるわ。医療キットの確認は出来てる?」

 

エリンが後方の席にいる医療従事者へ視線を投げる。

医療従事者が頷きかけ、ふと手を止める。

彼もまた、緊張を抱えているのが分かった。手元の固定ベルトが一瞬もたついた。

 

「今、確認します」

 

「……お願いね」

 

エリンはそれだけ言って、余計な言葉を足さなかった。

“お願いね”――その短い言葉が、丁寧であるほど、今はどこか冷える。

自分の声が、いつもより乾いている気がして、エリンは小さく息を吐いた。

 

「おい、システムエンジニア。レーダーに反応は?」

 

ブライアンが、操縦席の横に座るシステムエンジニアへ声を飛ばす。

 

「えーと……」

 

その間が、致命的に長い。

“えーと”で時間を稼ぐのは、分からない時の癖だ。

ブライアンの眉が僅かに動く。視線はモニターから外れないのに、気配が鋭くなる。

 

「……今のところ反応がありません」

 

「……そうか」

 

返答は受け取ったが、納得はしていない声。

エリンは、そのやり取りの“噛み合わなさ”に気づいていた。

 

――ブライアンの“お抱え”のシステムエンジニアが来られない。

――だから、今回は臨時の人員。

――技術が低いわけじゃない。けれど、ブライアンの癖を知らない。

――ブライアンも、相手の癖に合わせるほど柔らかくない。

 

それは、ほんの小さなズレだ。

だが、セーシング領域外に出れば、その小さなズレは“秒”の差になる。

秒の差は、生死の差になる。

 

エリンは座席に深く背を預けた。

背中がシートに触れる感覚が、妙に現実的で、胃の奥が冷える。

 

「エリンさん、大丈夫ですか?」

 

マリが小声で尋ねてくる。

マリはヘッドセットを首にかけたまま、視線だけをエリンへ寄越している。

いつもなら淡々としすぎるほど淡々としているマリが、今日は“人”の表情をしていた。

 

「え? ええ、大丈夫よ」

 

エリンは反射で返す。

“副パーサーとして、空気を乱さない”返し方。

けれど、その返し方の中に、ほんの僅かな鈍さが混じった。

 

「そうですか」

 

マリはそれ以上言わない。

言わない代わりに、“ずっと見ている”という視線の重さだけが残る。

 

「それよりマリ、ブルンクリンとの通信は?」

 

エリンは話題を切り替えた。

自分の顔色の話をされるより、やるべきことに集中したかった。

 

「それが……応答がありません」

 

マリの声が少し硬くなる。

 

「恐らく、無線封鎖をしているのだと思います」

 

「なんでそんな事を?」

 

サツキが思わず声を出す。

現場での判断が早い分、余計な嘘がつけないタイプだ。感情がそのまま出る。

 

「自尊心が高い奴だからな」

 

ブライアンが短く吐き捨てる。

 

「救われるのが嫌なんだろ」

 

船内の空気が一段重くなる。

エリンは、内心で“くだらない”と思った。

救助に“格”などない。生きて戻ることがすべてだ。

それが分からないほど幼いのなら、S級など名ばかりだ。

 

――そんな風に、誰かを切り捨てるように考える自分が、嫌だった。

昔のエリンなら、きっと同じ言葉を“笑い”で包んでいた。

「もう、男のプライドって面倒」なんて軽く言って、場の緊張をほどいていた。

 

でも今は、その“笑い”が喉の奥で固まって出てこない。

 

ペルシアがいなくなってから、船内の空気を“人として”ほどく役割が、宙に浮いている。

エリンは副パーサーとして、穴埋めに走って、走って、走り続けて――

気づけば、自分の中に余裕が残っていなかった。

 

「よし! セーシング領域外に出たぞ!」

 

ブライアンの声が、区切りの宣言のように響く。

 

その瞬間。

変化は、何もない。

 

外の景色は変わらず漆黒で、星が散り、遠くの光が滲んで見えるだけ。

だが、船内は違う。

空気が、目に見えない形で硬くなる。

誰もが自分の呼吸の音を意識し、機械の駆動音が一段大きく聞こえ始める。

 

エリンはふと、ブライアン捜索の時を思い出した。

あの時は、緊張をほどよく解いていた。

ときどき冗談を挟み、ときどき厳しく締め、船内の温度を一定に保った。

 

それが、今はない。

 

“ない”という事実が、逆に全員をエリンへ意識させる。

マリもサツキも、言葉にしないまま――エリンの様子を気にしてしまう。

 

そして。

 

――アラームが鳴った。

 

ヴィィィィィ――と、耳の奥に刺さる警告音。

一瞬で船内の空気が凍りつく。

 

「何事だ!」

 

ブライアンが声を荒げる。

操縦桿を握る手が、ほんの僅かに締まった。

 

「え、えーと……!」

 

システムエンジニアが慌ててモニターを操作する。

指が滑る。

“慣れていない”のが露骨に出る。

モニターに表示されるまでの一拍が、長い。

 

「無数の何かが宇宙船に向かって飛んできます!!」

 

叫ぶ声が裏返った。

 

「モニターに出せ!」

 

ブライアンの指示が鋭く飛ぶ。

 

「は、はい!」

 

副操縦士が操作を補助する。

二人の動きが重なり、画面が切り替わる。

だが一拍遅い。

その一拍の間に、警告音だけが船内を切り裂く。

 

そして――映った。

 

暗闇の中で、無数の点が迫ってくる。

光ではない。

星の瞬きのようにも見えるが、動きが違う。

不規則で、群れをなして、こちらへ向かってくる。

 

「なんだこれは?」

 

ブライアンの声が低く沈む。

 

「無数の隕石の粉塵だ!」

 

マリが即座に判断する。

“粉塵”という言葉が、逆に恐ろしい。

塊なら避けやすい。

だが粉塵は広がっている。

雲のように、逃げ道を塞ぐ。

 

「ブライアンさん、回避!」

 

エリンが反射的に叫ぶ。

声は、やっと“いつもの”鋭さを取り戻していた。

危機の時だけ、体が勝手に動く――そういう癖は、元チーフパーサーの頃から変わらない。

 

「備えろ! 間に合わん!」

 

ブライアンが吐き捨てる。

 

次の瞬間――

 

宇宙船が激しく揺れた。

 

衝撃は横から来た。

身体がシートに叩きつけられ、内臓が一拍遅れて追いかける。

警告アラームがヴィーヴィーヴィーとさらに甲高く鳴り、床が細かく震える。

どこかで金属が軋む音がした。

 

「うっ……!」

 

副操縦士が息を詰める。

医療従事者がとっさに自分の荷物を抱え込み、固定ベルトを再確認する。

 

「被害状況!」

 

ブライアンが吠える。

 

「外殻に多数の微小衝突! シールド値――!」

 

システムエンジニアが叫ぶ。

だが、数値が追いつかない。

モニターが警告で赤く点滅し、情報が溢れ返る。

 

「落ち着いて! 優先順位!」

 

エリンが怒鳴る。

自分でも驚くほど声が通った。

船内の全員の目が一瞬、エリンへ集まる。

 

「生命維持! 推進! 操舵! 通信! その順で確認!」

 

「は、はい!」

 

医療従事者がすぐに生命維持系の表示を確認する。

マリも通信系を開く。

サツキは反射で工具箱に手を伸ばし、船内の振動で散りそうなものを押さえる。

 

――その時、第二波。

 

衝撃が、今度は斜め上から来た。

一瞬、視界が白くなる。

警告音に混じって、別のアラームが鳴った。

空調の音が乱れ、船内の気圧が僅かに変わるのが皮膚で分かった。

 

「くっ……!」

 

ブライアンが歯を噛む。

操縦桿を引き、姿勢制御スラスターを叩き込む。

ホーク型二番船が唸るように身をよじり、粉塵の“濃い部分”を避けようとする。

 

だが――粉塵は雲だ。

避けたつもりでも、薄い層が残る。

薄い層が残るだけで、船体には無数の針が刺さる。

 

「シールドが削られていく!」

 

システムエンジニアの声が震える。

 

「メインスラスター出力は――!」

 

「生きてる! でも安定しない!」

 

副操縦士が叫ぶ。

 

「生命維持は……一応、正常! 気圧も維持! ただ、二酸化炭素処理系が一時的に――!」

 

医療従事者が報告する。

 

「通信は?」

 

エリンが即座に問う。

 

「……外部通信、ノイズが酷い! 送信が弾かれてます!」

 

マリの眉が寄る。

粉塵が電波を乱している。

つまり、ブルンクリンへ呼びかけても届かない可能性が高い。

 

サツキが唇を噛む。

 

「こんな中で……救助を待ってる側は……」

 

言葉が途中で途切れる。

想像が、現実の恐怖に変わって胸を締め付けた。

 

「ブライアンさん、深追いしないで! 一旦、粉塵雲を抜けるルートを!」

 

エリンが叫ぶ。

自分の声が、船内の“軸”になっているのが分かる。

そして、その軸が今、かろうじて全員を繋ぎ止めている。

 

「分かってる!」

 

ブライアンが返す。

分かっている。だが、それを実行するのが難しい。

粉塵雲は立体で、しかも濃淡がある。

濃い部分を避けようとしても、薄い部分が絡みつくように追ってくる。

 

「システムエンジニア! 濃度マップを出せ! 抜けられる薄い帯を探せ!」

 

「はい……! え、えーと……!」

 

また“えーと”が出る。

エリンの胸に、苛立ちが走る。

だが、それを表に出せば船内が壊れる。

エリンは一度だけ目を閉じ、次の瞬間、声の温度を落とした。

 

「焦らなくていい。手順通り。今は“確実に”」

 

それは、励ましでもあり、命令でもあった。

 

「……出ました! こっちです!」

 

ようやく濃度マップが表示される。

モニターに、粉塵の密度が色分けされ、薄い帯が一本だけ見えた。

“穴”ではなく、“細い道”。

少しでも操舵を誤れば、濃い雲に突っ込む。

 

ブライアンの目が鋭くなる。

 

「――行くぞ。全員、固定を強化しろ!」

 

「はい!」

 

エリンはベルトを締め直し、周囲を見渡す。

副操縦士の手が震えている。

医療従事者が唾を飲み込む。

サツキの指が白くなるほど工具箱を押さえている。

マリは無言で通信ログを睨み、何かを諦めるように呼吸を整えた。

 

そしてエリン自身――

自分が一番、余裕がないのを知っている。

 

ペルシアがいない。

この船で、笑って空気をほどく役がいない。

今、支えているのは“役割”だけだ。

本当は疲れている。

本当は怖い。

本当は、胸の奥がずっと冷たい。

 

――それでも。

 

「行けるわ。ブライアンさんなら」

 

エリンは、ブライアンの背中へ向けて言った。

自分に言い聞かせるように。

そして、船内にも。

 

ブライアンは返事をしない。

返事の代わりに、操縦で答える。

 

ホーク型二番船が、薄い帯へ突っ込む。

姿勢制御スラスターが連続噴射し、機体が小刻みに身を躱す。

それでも、粉塵は当たる。

微小衝突の振動が、絶え間なく骨に響く。

 

「うぅ……!」

 

副操縦士の声が漏れる。

 

「呼吸を合わせて!」

 

エリンが言う。

「吸って、吐いて。船の揺れに逆らわない!」

 

その言葉に、副操縦士が必死に頷く。

 

――その時。

 

新しい警告音が混じった。

低く、重い、嫌な音。

 

「ブライアンさん! 右舷外殻、局所シールド低下!」

 

システムエンジニアが叫ぶ。

 

「分かってる!」

 

ブライアンが切り返す。

薄い帯を抜けるまで、あと少し――

だが、その“あと少し”が、いちばん危険だ。

 

「医療従事者、万が一の減圧に備えて!」

 

エリンが指示を飛ばす。

 

「はい! 個人マスクの確認、緊急止血、固定材……!」

 

医療従事者が一つずつ声に出して確認する。

声に出すことで、自分を落ち着かせているのだ。

 

マリが唇を噛みながら、ぼそっと言う。

 

「……ブルンクリンの船が、この粉塵雲の“中”にいる可能性が高い」

 

その言葉が、船内に沈む。

 

救助する側がこれだ。

救助される側は――。

 

サツキが息を飲む。

 

「……早く、抜けましょう」

 

エリンは頷き、視線を前へ戻す。

モニターの薄い帯の終端が、じわじわ近づいていた。

 

――抜ける。

――抜けなければ。

――抜けた先に、彼らがいる。

 

そう思った瞬間、エリンの胸に浮かんだのは――リュウジの顔だった。

 

ブライアン捜索の時。

ネフェリスを操縦した彼。

あの時の彼なら、この粉塵雲の“呼吸”を読んでいたかもしれない。

そして――あの人なら、きっと誰かを安心させる余裕まで残していただろう。

 

“あの人なら”。

 

その考えが、今のエリンには苦い。

いない。

ここにいない。

そして、ペルシアもいない。

 

不在が、船内の緊張を増幅させる。

 

だが――

 

「抜けるぞ!」

 

ブライアンが叫んだ。

 

次の瞬間、振動が一気に軽くなった。

警告音が一段落ち、モニターの赤い点滅が減る。

粉塵雲の外側へ出たのだ。

 

船内に、息が戻る。

 

「……出ました」

 

システムエンジニアが震えた声で言う。

副操縦士が、ようやく肩を落とした。

医療従事者が、深く息を吐いた。

 

しかし――安心はできない。

 

ここからが本番だ。

救助対象は、あの粉塵雲の向こうにいる可能性が高い。

しかも、ブルンクリンは無線封鎖。

自尊心で命を危険に晒している。

 

ブライアンが舌打ちする。

 

「……チッ。ガキの意地で全員巻き込む気か」

 

その言葉に、エリンは胸の奥で同意しながらも、表情を変えなかった。

副パーサーとして、今は“怒り”より“手順”を優先する。

 

「マリ。通信。粉塵雲の外からでも繋がる周波数帯を探して。短文でいい、“生存確認”を最優先」

 

「了解」

 

「サツキ。内部点検。揺れで緩んだ固定、配線、扉のロック。小さな異常も見逃さないで」

 

「はい!」

 

「医療従事者。全員の状態確認。過呼吸、軽い脳震盪、打撲。船酔いでもいい、今は申告させて」

 

「分かりました!」

 

エリンは指示を出し終えて、自分の手が少し震えているのに気づいた。

震えを握りつぶすように、指を組む。

 

そして、前方のモニターへ視線を固定した。

 

“救助”という言葉が、現実の重量になってのしかかる。

ブライアンの背中は大きい。

だが、その背中だけに任せられる状況ではない。

 

エリンは、薄く息を吸う。

 

――ペルシアがいないからこそ。

――今、私が崩れたら、この船が崩れる。

 

そう理解しているのに、心だけが追いつかない。

疲労が、恐怖が、焦りが、胸の奥で渦を巻く。

 

それでも、エリンは座り直し、淡々と告げた。

 

「……ブライアンさん。次、粉塵雲に再突入するなら、進入角は慎重に。薄い帯をもう一度探して」

 

ブライアンが一瞬だけ、横目でエリンを見る。

そして、短く頷いた。

 

「分かってる」

 

――その“分かってる”が、いつもより重く聞こえた。

 

ホーク型二番船は、再び暗闇へ進む。

粉塵雲の縁が、モニター上で不気味に揺らめく。

 

船内に、また緊張が戻る。

さっきよりも、深い緊張。

 

警告音は止まったままなのに。

全員が“次はもっと酷い”と理解しているからだ。

 

そしてエリンは、気づいてしまう。

 

――ブライアン捜索の時、私はこの緊張の“間”を、笑いで埋めていた。

――今、埋める言葉が見つからない。

 

埋められない空白が、誰かの心を削る。

空白は、恐怖を膨らませる。

 

だからエリンは、笑いの代わりに、静かに言った。

 

「全員、呼吸を整えて。私たちはチームよ。誰か一人が背負う仕事じゃない」

 

言いながら、エリンは自分にも言い聞かせていた。

“チーム”。

“仲間”。

 

その言葉が、かつては当たり前に胸の中にあった。

今は、ペルシアの不在が、その当たり前を痛いほど浮き彫りにする。

 

けれど――

 

誰かがいないからといって、止まってはいられない。

救助は、待ってくれない。

 

ホーク型二番船は、粉塵雲の縁へ近づいていく。

外殻が再び微細な振動を拾い始め、警告灯が弱く点滅した。

 

ブライアンの声が、船内に落ちる。

 

「――行くぞ。次は、確実に目的地へ近づく」

 

その声に、全員の背筋が伸びた。

そして、宇宙船は再び、未知の“殺意”の中へ突入していった。

 

 

ホーク型二番船は、粉塵雲の縁へゆっくりと近づいていく。

外殻が微細な振動を拾い始め、警告灯が弱く点滅した。

 

ブライアンの指が操縦桿をわずかに締める。

 

「――行くぞ。次は、確実に目的地へ近づく」

 

その言葉に、全員の背筋が伸びた。

“行く”しかない。

救助対象が、あの雲の向こうにいる。

そして彼らは、今もどこかで――助けを待っている。

 

「進入角、二度。姿勢固定、微調整」

 

副操縦士が言われた通りに手順を追う。

モニター上で、粉塵雲の薄い帯が細く表示された。さっきよりも狭い。揺らぎも激しい。

雲の“呼吸”が荒くなっている。

 

「シールド、再展開。最大……いけます」

 

システムエンジニアの声が震えていた。

いける、と言っているのに、言い切れていない。

 

エリンは一つ、深く息を吸う。

ここで誰かが崩れれば、連鎖する。

言葉を選ぶ余裕はない。必要なのは“命令”だ。

 

「全員、固定。口を閉じて、歯を食いしばらない。舌を噛むわ」

 

「了解」

 

医療従事者が先に返事をして、周囲の空気を引っ張った。

サツキが工具箱を足で押さえ込み、胸の前で腕を組んで衝撃に備える。

 

マリは通信ログを開いたまま、短く呟く。

 

「……もし、ここで私たちが止まったら、救助が二重遭難になります」

 

それは脅しではなく、事実だった。

エリンは頷く。頷いてから、目線だけでブライアンに合図を送った。

 

ブライアンが短く顎を引く。

 

「突入」

 

ホーク型二番船が、粉塵雲の中へ滑り込む。

 

――瞬間。

 

船体全体を覆うような、ザザザザ……という不快な摩擦音。

微小衝突。無数の針。

宇宙船の装甲が、目に見えない嵐に削られていく。

 

警告音が遅れて鳴り始める。

 

ヴィィ――ヴィィ――ヴィィ――!

 

「シールド、低下速度が速い!」

 

システムエンジニアが叫ぶ。

 

「ブライアンさん! 薄い帯、右に――!」

 

エリンが言い終える前に、衝撃が来た。

 

ドン――ッ!

 

今までの“揺れ”とは違う。

明確な“当たり”だ。

身体がシートに叩きつけられ、視界が一瞬揺らぐ。

どこかで金属が割れるような音がした。

 

「右舷、外殻損傷! 損傷率、急上昇!」

 

「何だ今の!」

 

副操縦士の声が裏返る。

 

「……粉塵の中に混じってた。破片だ、塊が!」

 

マリが即座に言う。

粉塵雲は“粉”だけじゃない。

見えない影のように、塊が混じっている。

それに当たれば――船は終わる。

 

「……回避!」

 

ブライアンが操縦桿を叩き込む。

姿勢制御スラスターが連続噴射し、機体が身をよじった。

 

だが、その“身をよじる”動きが、逆に粉塵を引っ掛ける。

薄い帯を外れた。

 

警告音が一段、甲高くなる。

 

ヴィヴィヴィヴィヴィ――!

 

「シールド、臨界!」

 

システムエンジニアが叫ぶ。

 

「くそっ、もう一度――!」

 

ブライアンが歯を食いしばった、その瞬間だった。

 

――ガンッ!!

 

今度は、船の腹を殴られたような衝撃。

艦内灯が一瞬落ち、非常灯に切り替わる。

空調の音が乱れ、空気が僅かに“薄く”感じる。

喉が乾くのではなく、肺が足りなくなる感覚。

 

「減圧!?」

 

医療従事者が立ち上がりかけ、エリンが即座に制した。

 

「座って! 酸素マスク、用意!」

 

「はい!」

 

医療従事者が緊急パックを引き寄せ、個人マスクの状態を確認する。

 

サツキが床を蹴って壁のパネルへ向かおうとしたが、また衝撃が来る。

 

ドドドドド――!

 

連続衝突。

粉塵ではなく、粒が大きい。

機体が跳ねるように揺れ、机の上の固定具が鳴る。

 

「メインスラスター、出力低下!」

 

副操縦士が叫んだ。

 

「姿勢制御スラスター、応答遅延!」

 

「何!? 嘘だろ!」

 

ブライアンの声が低く荒れる。

 

「出力系統が……! 右舷側、配電が落ちてます!」

 

システムエンジニアが必死にモニターを叩く。

画面が赤い。赤い。赤い。

警告が多すぎて、情報が読めない。

 

エリンは喉が冷えるのを感じた。

この嫌な感覚を知っている。

“崩壊”の予兆だ。

 

「サツキ! 推進系の配電系統、見れる!?」

 

「今、行きます!」

 

サツキが叫び、腰を浮かせた瞬間――

 

……ブツン。

 

音が消えた。

警告音が止まったのではない。

機械音そのものが、落ちた。

 

空調の風が止まる。

操縦席のモニターが半分暗転する。

ホーク型二番船の“心臓”が、一拍だけ沈黙した。

 

「……」

 

誰も声が出ない。

鼓動だけがうるさい。

 

そして、遅れて非常用の電源が点いた。

 

パッ――と赤い非常灯が復帰し、最低限のモニターだけが点滅する。

だが、表示される文字が最悪だった。

 

【MAIN THRUSTER: OFFLINE】

【ATTITUDE CONTROL: LIMITED】

【NAVIGATION: ERROR】

【AUTO-PILOT: FAIL】

 

ブライアンが凍りついたように画面を見つめる。

 

「……メインスラスター、死んだのか?」

 

副操縦士が震え声で言う。

 

システムエンジニアが唇を噛み、首を縦に振った。

 

「……電源系統が落ちました。再起動……できるか分かりません」

 

「姿勢制御は!?」

 

「……片側だけ、生きてます。でも――推力が足りない。姿勢は保てても、前に進めない」

 

「前に進めない……?」

 

サツキが一歩遅れて状況を理解し、息を呑む。

 

「つまり……自力運航、不能?」

 

その言葉に、船内の温度が下がった。

“不能”――それは、探索任務の失敗ではない。

生還の条件が消えることだ。

 

ブライアンが操縦桿を握り直し、何度も入力を試す。

だが、操縦桿は、まるで死んだ鳥の翼のように反応が鈍い。

 

「くそ……! 起動しろ……! 起動しろ!」

 

ブライアンの声が、怒鳴りに近い。

 

エリンは、ブライアンが焦っているのを初めて見たわけではない。

だが“ここまで”焦っているのは、見たことがない。

 

マリが淡々と報告する。

 

「……位置情報が乱れてます。粉塵雲の中でナビが死んだ。通信も、今は――」

 

彼女がヘッドセットに触れ、短く首を振る。

 

「繋がりません。外に出す電波が、出せない」

 

「冗談……」

 

副操縦士の声が震える。

 

医療従事者が言う。

 

「空調が止まってます。酸素は緊急供給に切り替わってる。……長くは持ちません」

 

長くは持ちません。

その言葉の意味を、全員が理解した。

 

――救助に来た側が、救助を要請する側になる。

 

エリンは胸の奥が冷えるのを感じながら、口を開いた。

声は、不思議と落ち着いていた。

落ち着かせるのではなく、落ち着いていなければ“終わる”からだ。

 

「ブライアンさん。今は再起動に固執しないで。まず、被害状況。どこが死んで、どこが生きてるか」

 

ブライアンが歯を噛んだまま、エリンを横目で見る。

 

「……分かってる」

 

分かってる。

さっきも聞いた。

でも、今の“分かってる”は、苦しさが混じっている。

 

「サツキ。配電のバイパス、できる?」

 

サツキは一瞬、口を開き――閉じた。

即答できない。

即答できないほど、状況が酷いのが分かってしまう。

 

「……やってみます。でも、工具と時間が……」

 

「時間は、作る」

 

エリンが言い切った。

 

「マリ。通信。非常用の“発信”だけでも出来ない? 受信が死んでてもいい、こちらの位置と状況だけ飛ばす」

 

「やってみます」

 

「医療。全員の酸素管理。必要なら交代でマスクを――」

 

「了解」

 

指示が飛び、全員が動き始める。

動けば恐怖は薄れる。

だが――薄れるだけだ。消えない。

 

船は、今この瞬間も、粉塵雲の中で削られている。

姿勢制御が片側しか生きていないなら、やがて回転が始まる。

回転したら、終わりだ。

遠心力で内部が壊れる。

空調も、配線も、心臓も――二度と戻らない。

 

ブライアンが低く言う。

 

「……くそ。救助どころじゃない。俺たちが、助けを呼ぶ側になりやがった」

 

その言葉が、船内に沈む。

 

エリンは、息を吸ってから吐いた。

胸の奥が痛い。

“この空気”を知っている。

ブライアン捜索の時、ギリギリで保っていた緊張――

あの時は、ペルシアがいた。

リュウジがいた。

皆が、互いの癖を知っていた。

 

今は違う。

 

だからこそ、エリンは自分に言い聞かせた。

 

――私が崩れたら、この船は終わる。

――ペルシアがいないなら、私が“支える”。

 

その覚悟を固めた瞬間――

 

船が、ゆっくりと傾き始めた。

 

「……姿勢、崩れてます!」

 

副操縦士が叫ぶ。

 

「……制御スラスター、限界です!」

 

システムエンジニアが声を震わせる。

 

ブライアンが操縦桿を握りしめる。

 

「踏ん張れ……! 頼む……!」

 

ホーク型二番船は、粉塵雲の中で、傷だらけの翼を必死に広げる。

だが、進めない。

逃げられない。

“自力運航不能”という現実が、じわじわと船を呑み込んでいく。

 

赤い非常灯の下で、エリンは唇を結び直した。

 

「……全員、最悪を想定して。脱出手順、確認」

 

その言葉が、最後の引き金のように重く落ちた。

 

そしてホーク型二番船は――

“救助へ向かう船”から、

“救助を待つ船”へと、完全に立場を変えた。

 

ーーーー

 

 

冥王星の夜は、思った以上に静かだった。

昼間の見学施設の喧騒も、体験スペースの拍手も、もう遠い出来事みたいに感じる。コロニーの人工照明は夜を白く均してしまうのに、胸の奥に残った痛みだけは暗いままだった。

 

ホテルの外に出ると、乾いた空気が頬を撫でた。

公園へ向かう道は整備されていて、足音がやけに鮮明に響く。街灯の下で影が伸びて、伸びた影がまた別の影と重なりそうで重ならない。

 

リュウジは、ホテルのすぐ近くにある小さな公園のベンチに腰を下ろしていた。

作業着はもう脱いでいたが、指先にはまだ土と木の匂いが残っている気がした。髪も、昼間のまま少しだけ湿っている。あの頃と同じようで、違う。何が違うのか、それを考えるのが怖い。

 

風に揺れる低木がさざめく。

その音に混じって、靴音が近づいてきた。

 

リュウジは立ち上がりかけて、目を上げる。

 

「……ルナ」

 

呼びかけようとした言葉は、途中で止まった。

街灯の明かりの中に現れたのは、ルナじゃなかった。

 

メノリだった。

 

冷えた空気のせいじゃない。

彼女の目が冷たい。

いや――冷たいのではなく、怒りを削ぎ落とした“硬さ”だ。怒鳴り散らすより、よほど刺さる種類の静けさ。

 

メノリはベンチの前で立ち止まり、短く言った。

 

「……私だ」

 

リュウジは喉を鳴らして、ほんの少しだけ目を伏せた。

まるで、最初からこうなると分かっていたみたいに。

 

「ルナは?」

 

その問いは、縋るような声になりそうで、リュウジは自分の喉を押し殺した。

それでも、出てしまった。出さずにいられなかった。

 

メノリは一拍置いて、淡々と答える。

 

「話したくないそうだ」

 

それだけで充分だった。

それだけで、胸のどこかが鈍く沈んだ。

 

「今はチャコが側にいる」

 

メノリの言葉が続く。

“守っている”と言われた気がした。

ルナの隣にいるのが自分じゃないという事実を、あらためて突きつけられた気がした。

 

「……そうか」

 

リュウジはそれ以上言えなかった。

言い訳も、弁解も、謝罪も。

全部、さっきルナにぶつけた言葉の前では意味を失っている。

いや、意味があったとしても、出せる資格がない。

 

メノリはため息を吐かない。

怒鳴らない。

ただ、現実を切り取るように言う。

 

「今回は貴様が悪い」

 

“貴様”。

それは、サヴァイヴの頃にメノリが本気で怒ったときの呼び方だ。

懐かしいはずなのに、今は痛い。

 

「事情はどうであれ、ルナを裏切ったんだ」

 

リュウジは、反射的に何か言い返そうとした。

だが、言葉が喉で潰れた。

違う、と言いたいのか。

裏切っていない、と言いたいのか。

そんなものは、どれも逃げだ。

 

「……分かっている」

 

やっと出た言葉は、自分でも驚くほど掠れていた。

 

メノリの眉が、ほんのわずかに動く。

 

「分かっているなら、話してもいいんじゃないか?」

 

その“話してもいい”の意味は、単なる事情説明じゃない。

ルナに対して、真実を。

そして何より――“リュウジ自身が逃げないこと”を求めている。

 

冥王星の夜の静けさが、二人の間に溜まっていく。

公園の奥で、子どもの遊具が風に鳴った。金属の軋みが小さく響いて、妙に不吉に聞こえる。

 

「……」

 

リュウジは答えなかった。

唇を結んだまま、目をそらした。

それが答えだった。

 

メノリは、わざとらしく肩をすくめるでもなく、ただ視線を鋭くする。

 

「……まぁいい」

 

切り捨てるような短い言葉。

けれど、それは諦めではなく、“今はこれ以上言っても無駄だ”という判断に近かった。

 

メノリは少しだけ声の温度を下げる。

 

「私達は明日、帰る」

 

リュウジの胸が、きしりと鳴った。

明日帰る。

つまり、ルナが冥王星を去る。

今夜を逃したら、次に会える保証はない。

 

メノリが続ける。

 

「もし話があるなら、明日の朝にでも出直せ」

 

その言葉は、最後の手綱だった。

まだ、リュウジに選択肢を残してやっている。

まだ、ルナの気持ちが完全に閉じたわけじゃないと言っているに等しい。

 

だからこそ、リュウジは言った。

言ってしまった。

 

「……それは出来ない」

 

夜の空気が、さらに冷える。

メノリの視線が鋭く突き刺さった。

 

「なに?」

 

問いではない。

“説明しろ”だ。

 

リュウジは喉を鳴らし、短く息を吐いた。

 

「明日はどうしても外せない用がある」

 

その言葉が落ちた瞬間、メノリの表情が一段階、険しくなる。

 

「ルナよりも大事な用が他にあると?」

 

怒鳴っていないのに、声が重い。

足元の地面が、少し沈んだみたいに感じた。

メノリは本気で、信じられないと思っている。

 

リュウジは――答えなかった。

否定もしない。肯定もしない。

ただ、黙る。

 

メノリはその沈黙を見て、鼻で笑うこともしない。

低い声で、言葉を選びながら告げた。

 

「サヴァイヴの頃と、随分変わったな」

 

その一言が、リュウジには一番痛かった。

サヴァイヴの頃。

あの頃の自分は、確かに無愛想で、乱暴で、欠けたところだらけだった。

それでも――守るべきものの前では、逃げなかった。

 

今の自分は、守ると言いながら、逃げている。

 

メノリは少し顔を背け、吐き捨てるように言った。

 

「好きにすればいい」

 

そして、最後に。

 

「辛いのはルナだけではないんだぞ」

 

ルナだけじゃない。

チャコも、メノリも、皆が。

そして――リュウジ自身も、辛いのだとメノリは知っている。知っているから、余計に腹が立つ。

辛いなら、なおさら逃げるな、と。

 

リュウジの唇がわずかに震えた。

自分が何をしたのか、何をしていないのか。

それらが全部、胸に押し返してくる。

 

「……悪い」

 

その謝罪は小さく、弱かった。

メノリはそれを受け取るでもなく、受け取らないでもなく、ただ見つめた。

 

するとリュウジは、覚悟を決めたように顔を上げる。

目は、もう逸らさない。

逸らしたら終わると分かっている目だった。

 

「その代わりに――頼みたい事がある」

 

メノリが瞬きを止める。

“その代わり”という言葉が、あまりにも重い。

謝罪と同じ重さで、いや、それ以上の重さで、何かを差し出そうとしている。

 

メノリの目が大きく開いた。

怒りより先に、理解と警戒と――そして、嫌な予感が走ったのが見て取れる。

 

「……何だ」

 

メノリの声が、わずかに低くなる。

夜の公園の空気が、ぴんと張った。

 

リュウジは、一度だけ深く息を吸った。

言葉を出す直前の、あの癖。

昔から変わらない。

 

そして――

 

「――」

 

リュウジが口を開いた瞬間、メノリの表情が、さらに大きく揺れた。

驚きというより、“想定していなかった重さ”を受け止めた顔。

 

メノリは、大きく目を見開いたまま、言葉を失っていた。

 

夜風が、公園の木々を揺らす。

街灯の光が二人の影を伸ばし、その影が一瞬だけ重なって、すぐに離れた。

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