サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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真実

ペルシアは大型モニターから視線を外し、オペレーションルームにいる一人一人の顔を、確かめるように見て回った。

オペレーターの指先。通信技師の肩の上がり方。息の浅さ。目の焦点。

機械より先に、人の“異常”が見えた。

 

彼女の視線が通った場所だけ、空気の密度が変わる。

「見られている」と分かった瞬間、人は姿勢を正す。

それは恐怖ではなく、――“逃げられない”という現実の自覚だった。

 

局長が、慎重に声をかける。

 

「……久しぶりの宇宙管理局は、どうだ?」

 

ペルシアは答えなかった。

口元に笑いの形だけを作る。鼻で、短く笑う。

だがその笑いは、温度がない。

 

「局長、言ったよね」

 

振り返り、局長を真正面から捉える。

その目は真っ直ぐで、やけに澄んでいて、だからこそ刺さった。

 

「ここにくれば、私の守りたい者が守れる仕組みに変えられる。組織やしがらみ関係なくって」

 

局長は一拍置いて頷く。

 

「ああ、言った」

 

ペルシアはもう一度、鼻で笑った。

今度は、苦さが混じっている。

 

「……へぇ」

 

そして彼女はゆっくりと室内へ視線を投げる。

壁際の通信端末。モニター群。慌ただしく動くはずの人間たち。

それらが、まるで“形だけの仕事”をしているように見えた。

 

「私がいなくなって、たった一年」

 

低い声。

落ち着いているようで、底で沸騰している。

 

「よくもまぁ、ここまで腐ったものね」

 

局長の眉が跳ねる。

 

「……何?」

 

ペルシアは、局長の言葉を受け流すように一歩前に出た。

局長の机でもない、ローズの席でもない。

“現場の中心”に立つ位置へ。

 

そこで、局長へ顔を向けた。

 

「局長」

 

呼び方は丁寧なのに、声の圧が違う。

 

「あんた、本気で命を救おうと思ってる?」

 

局長が答える前に、ペルシアは続けた。

 

「ここにいる皆は――ブライアン捜索の時に、私自身が抜擢した、すばらしいメンバー」

 

視線が一人一人へ落ちるたび、名前のない“信頼”が投げられる。

誰もが覚えている。

あの時、命綱みたいに繋いでくれたのが、ペルシアの指示だったことを。

 

「私が宇宙管理局でも尊敬しているオペレーターや通信技師ばかり」

 

ほんの一瞬、ペルシアの目が柔らかくなる。

――だが次の瞬間、その柔らかさは刃へ変わった。

 

「それなのに」

 

言葉が床へ落ちたように重い。

 

「明らかに連携ができていない!」

 

鋭い声が、室内の壁にぶつかり、跳ね返る。

耳の奥まで刺さる音。

 

誰も反論できない。

なぜなら、全員が心のどこかで“そうだ”と思っていたから。

 

ペルシアは机上の端末へ視線を投げ、そこに映る通信ログの乱れを一瞥する。

そして局長へ戻す。

 

「それを局長は分かっていながら」

 

声は低く、怒りが沈殿している。

 

「皆のメンツを気にしてるのか、責任を被るのが嫌なのか――全力で救おうとしていない」

 

局長の喉が僅かに動く。

言い返そうとした、――だがペルシアの目は、それを許さない。

 

彼女の視線が、オペレーターの一人へ移る。

別の席で、静かに唇を噛んでいた女性。

 

「シャオメイ」

 

名前を呼ばれた瞬間、シャオメイの肩が跳ねた。

 

「さっきの有人無線機の件」

 

ペルシアの声は、責めるためのものではなく、問い詰めるためのものだった。

“本気か?”と。

 

「なんで、もっと本気で交渉しようとしないの?」

 

シャオメイは唇を震わせ、視線を落とす。

言い訳が喉に詰まって出ない。

出した瞬間、それが“逃げ”だと自分が一番理解しているから。

 

ペルシアは、他の席へも視線を走らせる。

 

「他のみんなも同じ」

 

机を叩かない。怒鳴り散らさない。

けれど、言葉が冷たい釘みたいに一つずつ刺さっていく。

 

「何の策もないローズにあしらわれたまま――」

 

息を吸う音が、はっきり聞こえた。

ペルシアが息を吸うだけで、空気が緊張する。

 

「とにかく、“誰からも命を絶対に落とさせやしない”っていう気迫ややる気が感じられない」

 

静かだった。

だからこそ、余計に痛い。

 

そして、ペルシアはさらに声を落とした。

まるで、室内の誰かが心の底で思っている“腐った本音”を引きずり出すように。

 

「S級パイロットのブライアンが救助に向かってるから大丈夫」

 

淡々と、模倣する。

 

「たかがセーシング領域外、五キロ地点の事故なんだし」

 

目が細くなる。

笑っていないのに、笑っているような目。

 

「宇宙管理局が本気を出す必要がない?」

 

その瞬間、ペルシアの肺が大きく膨らんだ。

大きく息を吸った。

 

――次の音が、爆発だった。

 

「ふざけるな!!!」

 

叫びが、空気を震わせる。

床が揺れたと錯覚するほど、声が強い。

モニターの警告音も、端末の通知音も、その声の前では“雑音”になった。

 

ルナは思わず身を強張らせた。

メノリも、チャコも、息を止める。

クリスタルでさえ目を見開き、口を閉じたまま動けない。

 

ペルシアの声は止まらない。

怒りだけではない。

焦りでもない。

“祈り”に近い切実さが混ざっている。

 

「今回の任務に参加しているメンバーや、ご家族に失礼よ!!」

 

言葉が拳みたいに飛ぶ。

 

「命を救うことに対して、もっとも全力で向き合わないのをこの宇宙管理局にしたい奴は――」

 

一拍。

言葉が沈む。

全員の鼓動が、その一拍に吸い寄せられる。

 

「今すぐ制服とバッチを外して、出て行きなさい!!!」

 

室内が、凍った。

叱責じゃない。

“最終通告”だ。

 

静寂が走る。

誰も呼吸をしていないように見えた。

 

ペルシアは一度だけ、目を閉じた。

溢れそうな感情を、内側へ押し戻すように。

そして、開いた。

 

「……返事!!」

 

鋭い号令。

 

「はい!!」

 

一斉に返ってくる声。

ばらばらだったはずの声が、揃う。

それが、ペルシアの求めた“連携の第一歩”だった。

 

ペルシアは一つ息を吐いた。

吐息だけが、ほんの少し震えていた。

 

怒りの余韻を切り捨てるように、彼女は次の指示へ移る。

今度の声は冷静で、速い。

まるで刃を研ぎ終えた職人みたいに。

 

「ジェームズ!」

 

「はい!」

 

「S級のアズベルトに連絡。近くの管制へ行くよう伝えて!」

 

「はい!」

 

「フレイ!」

 

「はい!」

 

「スターフォックスは?」

 

フレイが即答する。

 

「スターフォックスはクリスタルさんとグレートフォクス以外、各地の管制に飛ばされています」

 

ペルシアは間髪入れずに言う。

 

「すぐにここへ集めるよう伝えて」

 

「了解です!」

 

ペルシアはシャオメイへ視線を投げる。

さっき責めた相手へ、今度は役割を渡す。

それがペルシアのやり方だった。

潰すためではなく、立ち上がらせるため。

 

「シャオメイ」

 

「……はい!」

 

「ジェームズと協力して、アズベルトが到着する管制から救出ポイントまでの“通信ポイント”を計算して!」

 

シャオメイが一瞬だけ口を開く。

 

「操縦士は……?」

 

ペルシアは迷わない。

 

「誰でもいい。空いてる操縦士とエンジニアを適当に選んで」

 

それは乱暴ではない。

“今は速度が最優先”という判断の宣言だった。

 

「分かりました!」

 

ペルシアはナミへ視線を移す。

 

「ナミ!」

 

「はい!」

 

「スターフォックスのアーウィン映像を、アズベルトがいる管制と同期作業して」

 

ナミの目が見開かれる。

 

「スターフォックスの……ですか?」

 

ペルシアは頷く。

 

「ええ。救助はスターフォックスに行かせる」

 

その瞬間、ナミの顔色が変わった。

 

「しかし、救助ポイントはセーシング領域外です! 領域外の救助はS級パイロットしか――」

 

言い切る前に、ペルシアが遮る。

声は静かだが、断言だ。

 

「大丈夫」

 

そして、さらりと告げた。

 

「私がいなくなる前に規則を変えてある」

 

「……え?」

 

ナミだけじゃない。

周囲のオペレーターも通信技師も、顔を上げた。

局長も、僅かに目を細める。

 

ペルシアは淡々と続ける。

 

「やむを得ない事情によりS級ライセンス所持者が運行できない場合――セーシング領域外“五十キロ圏内”に限り、S級ライセンス所持者の監視下でのA級ライセンス所持者の操縦ができる。なお、監視下での操縦が困難な場合はA級ライセンス所持者が操縦することができる」

 

ナミが思わず呟く。

 

「……いつの間に」

 

ペルシアの目が、ほんの少しだけ遠くを見る。

過去の苦い記憶を、短時間で引きずり出した目。

 

「S級のリュウジが辞めた後に、こうなる事は予想できた」

 

ルナの胸が、きゅっと縮む。

その名が出ただけで、心臓の形が変わる。

 

ペルシアは続ける。

 

「アズベルトは体調不良だったしね。だから私が役員に頭を下げて、無理矢理変えたのよ」

 

局長の口元に、苦笑いが浮かぶ。

彼は、言葉にしない。

だが心の奥で、はっきり思い出していた。

 

――頭を下げたのは、私なんだがな。

ペルシアはただ、ここに判を押して、としか言わなかった。

 

局長はその時の紙の冷たさ、ペルシアの目の鋭さまで思い出し、胸の奥が痛む。

“守りたい者を守る仕組み”。

それは、言葉遊びじゃなかった。

彼女は、誰にも言わずに既に作っていた。

 

ペルシアは全員を見回し、最後に局長へ一瞬だけ視線を送る。

それは責める視線じゃない。

“今は、やるよ”という合図だった。

 

そして、ペルシアは声を張った。

怒鳴りではなく、全員の背骨に刺さる強さで。

 

「さぁ、時間との勝負よ!」

 

瞬間、全員の動きが加速する。

端末が鳴り、席が軋み、モニターが切り替わり、通信の声が飛び交う。

 

「はい!!」

 

返事が重なる。

一つに揃った“現場”の音が、オペレーションルームを満たしていく。

 

ペルシアはその中心で、泥だらけの作業着のまま、目だけを冷たく光らせた。

怒りも、焦りも、悔しさも――全部、燃料だ。

燃やすためじゃない。

救うために。

 

そして彼女は、誰にも聞こえないほど小さく、吐き捨てるように呟いた。

 

「……今度こそ、落とさせない」

 

その一言に、今この場にいる全員の“やるべき理由”が揃った。

 

ーーーー

 

オペレーションルームの空気が、目に見えるほど動き出した。

 

さっきまで散らばっていた焦りが、一本の線になって流れていく。

通信ログが整理され、座標が引き直され、無線の呼び出しが規則正しく連なっていく。

モニターの切り替え音、端末の入力音、短い確認の声。

その全部が、同じ方向を向いていた。

 

ペルシアはその様子を一瞥し――ようやく、安堵の息をひとつ漏らした。

胸の奥に溜めていたものを、ほんの少しだけ吐き出したような、短い息。

 

「……よし」

 

それは誰に聞かせるでもない、小さな呟きだった。

だが、その一言だけで、室内の緊張の質が変わる。

“焦りの緊張”から、“集中の緊張”へ。

 

ペルシアはゆっくりと、ルナたちへ視線を向けた。

今まで意図的に見ないようにしていたわけでもない。

ただ、今は命を繋ぐ作業が最優先で、感情の寄り道を許さなかっただけだ。

 

――そして今、ようやく許された。

 

「やぁ、久しぶり」

 

ペルシアはいつもの調子で、にこっと笑った。

作業着は泥だらけで、帽子の唾は後ろに回したまま。

なのにその笑顔だけ、場違いなほど軽い。

 

「久しぶりじゃないわよ」

 

クリスタルが呆れたように口を開く。

目尻には疲れが溜まっているはずなのに、怒りと安心と安堵が混ざって、表情が忙しい。

 

「……ほんとに。あなた、どれだけ――」

 

言いかけたクリスタルの言葉を、ペルシアは肩をすくめるだけで受け流した。

 

「おっと、その前に」

 

ペルシアの視線がルナへ落ちる。

まるで何年も会っていなかったことなど関係ないというように、軽いトーンで――

 

「あれ? ルナちゃん、髪切った?」

 

その言葉の軽さに、ルナの胸の中に溜まっていたものが、ほんの少し緩んだ。

笑ってはいけないような場所だ。

笑うには不謹慎かもしれない。

なのに――ふっと、口元が緩んでしまう。

 

「……切ってないです」

 

ルナは小さく答えて、けれど次の瞬間、自分でも分かるくらい柔らかい笑みが浮かんだ。

ペルシアの言葉の選び方が、かつてのままだからだ。

“元気?”でもない。

“無事?”でもない。

髪を見てくる。

それが、この人なりの――距離の詰め方。

 

ルナは姿勢を正して、はっきり言った。

 

「ペルシアさん、お久しぶりです」

 

声音に笑顔を乗せた。

それは礼儀であり、安堵であり、――どこか救われた気持ちでもあった。

 

「うん、久しぶり」

 

ペルシアはさらりと返し、今度はチャコを見た。

 

「チャコも……相変わらず?」

 

「ペルシアは変わらへんな」

 

チャコが肩を竦めるように言う。

だけどその目の奥には、しっかりと“よかった”がある。

 

メノリも一歩前へ出て、静かに頭を下げた。

 

「無事で良かったです」

 

短い言葉。

だけど、メノリがこういう言葉を素直に言うのは、稀だ。

その事実が、ペルシアを少しだけ戸惑わせた。

 

「え? なんか皆、優しいんだけど!?」

 

ペルシアが目を丸くして、わざとらしく辺りを見回す。

困惑というより、照れ隠しに近い。

 

クリスタルが噛みつくように言った。

 

「優しいもなにも――」

 

声が少し震える。

怒りの震えなのか、安堵の震えなのか、本人にも分からないだろう。

 

「一年間も音信不通で、私たちが一体どれだけ心配したと思ってるのよ!!」

 

言い切った瞬間、クリスタルは息を吐いた。

言ってしまった、という顔。

でも言わないと、胸が破裂しそうだった。

 

「あ、そういうこと」

 

ペルシアが妙に納得した顔をする。

 

「そういう事じゃないわよ!」

 

クリスタルが即座にツッコミを入れる。

オペレーションルームの緊張の真ん中で、まるでいつもの口喧嘩みたいなやり取りが生まれ、周囲のオペレーターたちの表情がほんの僅かに緩んだ。

 

――“戻ってきた”。

彼女が、というより。

この場所の“芯”が。

 

「まぁまぁ」

 

ペルシアが両手を上げて宥める。

 

「落ち着いて、クリスタル。ほら、今は大事な時でしょ?」

 

「それはあなたが言うことじゃない!」

 

「はいはい、すみませんでした~」

 

ペルシアは軽く謝りながら、突然、ルナをじっと見つめた。

笑顔のままなのに、その眼差しだけが鋭い。

軽口の裏側に、刃物みたいな観察が隠れている。

 

「……で」

 

一気に声が落ちる。

周囲の空気が一段と締まる。

 

「ルナちゃん」

 

「はい?」

 

ルナは思わず背筋を伸ばした。

 

「何かあったの?」

 

「え……どうしてですか?」

 

問い返した瞬間、ルナは悟ってしまった。

――この人の前では、隠し事ができない。

表情の影も、言葉の端の揺れも、全部拾われる。

 

ペルシアは笑顔を崩さず、しかし優しい声で言う。

 

「なんとなく。どこか寂しそうな感じがしたから」

 

その言葉が、ルナの胸の奥の、まだ乾いていない部分に触れる。

昨夜の涙。冥王星の空。リュウジの背中。

“嘘つき”と言って走った自分。

思い出したくないのに、身体が先に思い出してしまう。

 

ルナが言葉を探して口を開きかけた、その時だった。

 

ペルシアが、ため息混じりに言う。

 

「……どうせ、リュウジが原因よね」

 

「えっ」

 

ルナの声が、驚きで少し裏返る。

メノリの眉が動き、チャコが「ほらな」と言いたげに口角を上げる。

クリスタルは「やっぱり」と呟きかけて飲み込んだ。

 

ペルシアは肩を竦めた。

 

「当たってた?」

 

「……」

 

ルナは答えない。答えられない。

答えないこと自体が答えになってしまうのが、悔しい。

 

ペルシアはにこっと笑い――軽い調子で言った。

 

「じゃあ、ちゃんと私からキツく叱ってあげる」

 

「え、あ、その……」

 

ルナは思わず口籠った。

叱ってほしいわけじゃない。

でも、叱られるべきなのも分かっている。

それだけじゃ足りないのも、分かっている。

 

――その時、宇宙管理局に、甲高い警告音が鳴り響いた。

 

ヴィーヴィー――ヴィーヴィー――

 

さっきまで“作業のリズム”だった音が、一瞬で“異物”になる。

全員の肩が跳ねる。

会話が切れる。

視線が一斉に音源へ向かう。

 

ペルシアの顔から、笑顔が消えた。

軽さが消えた。

代わりに現れたのは、氷みたいな集中。

 

「発信先は?」

 

声が短く、鋭い。

 

ジェームズが端末を確認して答える。

 

「宇宙連邦連盟からです」

 

「……宇宙連邦連盟?」

 

ペルシアの眉が僅かに寄る。

このタイミングで?

今、ここに?

胸の奥に嫌な予感が走る。

 

「こんな時に何の用よ」

 

吐き捨てるように言うと、ジェームズが続けた。

 

「至急の連絡です」

 

「……言いなさい」

 

ジェームズが息を飲む。

オペレーションルーム全体が静まり、次の言葉を待つ。

 

「新たにS級パイロットが誕生したとのことです!」

 

その瞬間、空気がざわついた。

ざわつきは喜びではない。

不安と計算と、嫌な予感の塊だ。

 

「え……」

「今?」

「この状況で?」

オペレーターたちの声が漏れる。

通信技師が眉を寄せる。

 

ペルシアは、舌打ちをした。

はっきりと、音がした。

 

「……最悪」

 

言葉が重い。

その一言で、全員が理解する。

 

――スターフォックスを前線に出す計画が、崩れる。

――素性も知らない人間が、“救出任務の中核”に座り込む可能性が生まれる。

――それは、救える命を救えなくするリスクだ。

 

ペルシアは一度だけ目を閉じ、次に開いた時にはもう決断が終わっていた。

 

「とりあえず体制はこのまま維持!」

 

声が室内を切る。

ざわつきが一瞬で止まり、手が動き出す。

 

「モニターにテレビを映して」

 

「はい!」

 

返事と同時に、複数のモニターが切り替わる。

緊急ニュース枠の色が点滅し、スタジオのアナウンサーが映る。

 

ペルシアは腕を組み、画面を睨む。

その背中に、怒りと焦りと、そして“絶対に落とさせない”という執念が同居していた。

 

ルナはその横顔を見て、息を飲む。

この人は――

戻ってきたんじゃない。

最初から、ずっとここにいたみたいに、現場の中心に立っている。

 

その時、アナウンサーの口が動き、次の情報が流れ始めた。

オペレーションルームの全員が、画面に釘付けになる。

 

そしてペルシアは、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。

 

「……余計な波、立てないでよ」

 

その呟きが、奇妙なほど真剣で。

ルナの胸は、また別の予感で静かに締め付けられた。

 

ーーーー

 

 

テレビ画面の中、スタジオの照明が白く眩しかった。

けれどオペレーションルームの空気は、逆にひどく重い。誰もが息を潜め、音があるのに音が遠い――そんな感覚だけが残っている。

 

アナウンサーが、いつもより少しだけ声を張った。

 

「――過去に最年少でS級まで登り詰め、そしてこの宙から離れていた“あの英雄”が、再びこの宙に戻ってきました!」

 

一瞬、誰も言葉を発せなかった。

S級が誕生した。

その事実だけでも十分に重いのに、“英雄”という言葉が余計に胸を締めつける。

 

画面奥、黒い幕の陰から、ひとりの人物が姿を現す。

 

背筋が真っ直ぐで、歩幅は大きくない。

大きく見せようとしていないのに、自然と視線を引き寄せてしまう歩き方。

それが誰なのか――ルナは、目が追いかけるより先に胸が理解してしまった。

 

「――英雄、リュウジです!」

 

その瞬間、オペレーションルームの時間が、確かに止まった。

 

「……ちょっと待て、どういうことなをや!?」

 

最初に声を上げたのはチャコだった。

驚きのあまり、言葉が微妙に噛んでいるのに本人は気づかない。画面に釘付けのまま、口だけが先に動く。

 

「何やってるのよ……」

 

ペルシアの呟きは低く、鋭い。

怒りに見えるのに、怒りだけじゃない。

“分からない”ことへの苛立ちと、胸の奥を刺すような既視感――その混ざった音がした。

 

「S級を取り直したとでも言うのか!?」

 

メノリが珍しく声を荒げた。

普段ならまず感情を表に出さないのに、今はそれが追いつかなかった。

 

「どうして……」

 

ルナは、言葉を口の中で転がして、やっと外に出した。

目の前のモニターには、リュウジが映っている。

しかも“英雄”として。

さっきまで、リュウジを“嘘つき”と呼んで走った自分が、喉の奥に引っかかったままなのに。

 

その時、クリスタルが視線を逸らした。

どこか申し訳なさそうに、ほんの一瞬だけ眉を下げる。

 

「……黙ってて、ごめんね」

 

その言葉に、ペルシアの反応は早かった。

空気が一段冷える。

 

「クリスタル」

 

名前だけで、圧があった。

 

「……クリスタルは全部分かってたのね」

 

ペルシアの声は静かだ。

静かであるほど怖い。怒鳴っていないのに、刃が研ぎ澄まされている。

 

クリスタルは小さく頷き、唇を噛みしめた。

 

「ええ。隠していたわけじゃないのよ。……ずっと口止めされてたの」

 

「説明して」

 

ペルシアの言葉が、鋭く落ちた。

 

クリスタルは一つ息を吐く。

その呼吸だけで、“軽い話ではない”と分かる。

彼女は視線をテレビから外し、ペルシア、ルナ、メノリ、チャコ――順番に見てから、ゆっくり口を開いた。

 

「リュウジは、別に宇宙飛行士になることを諦めたわけじゃなかったのよ」

 

その一言で、ルナの胸がぐっと締め付けられる。

諦めていなかった?

じゃあ――冥王星で見たリュウジは何だったの?

退学して、アルバイトをして、何も言わずに、ただ遠ざかって。

 

「なら、どうしてS級ライセンスを返上したのよ!」

 

ペルシアが噛みつくように言う。

彼女には“返上”の重さが分かる。

それは地位や名誉じゃない。命を預かる資格そのものだ。

 

クリスタルは躊躇なく答えた。

 

「……リュウジの操縦技術が衰えていたからよ」

 

「そんなことはない筈です!」

 

メノリが即座に反論した。

驚きと怒りと、何より“それは違う”という確信が混ざっている。

 

「リュウジはサヴァイヴからの帰還の際に、魔のゾーンを突破しています」

 

「せや!ブライアン捜索の時も、リュウジの操縦は完璧やった!」

 

チャコも頷きながら畳みかける。

ルナも、思わず同じ映像を頭の中で反芻してしまう。

あの時のリュウジは、確かに“怖いくらいに”正確だった。

 

クリスタルは首を横に振った。

否定ではない。補足だ。

 

「私も、そう思ってた」

 

「……ただ、それは宇宙船がネフェリスだったからよ」

 

ネフェリス――その単語が出た瞬間、ペルシアの目の色が変わる。

彼女が心の底から信頼し、そして同時に恐れていた“特別な船”。

 

クリスタルは淡々と続ける。

 

「リュウジは言ってたわ。“コロニーの技術で作ってある宇宙船じゃ、俺はせいぜいC級がいいところだろ”って」

 

ルナの指先が冷たくなる。

あまりにリュウジらしい言い方だ。

誇張もない。自虐でもない。単なる“事実の申告”。

 

「神経応答制御が使えるネフェリス以外の宇宙船じゃ、いずれ取り返しのつかない事故が起こるってね」

 

オペレーションルームの隅で、誰かが小さく息を呑んだ。

専門用語の意味を完全に理解できなくても、“事故”と“取り返しのつかない”の重さだけは全員が分かる。

 

ペルシアが小さく呟いた。

 

「……確かに。リュウジは悲劇のフライト以来、ずっと操縦はしていなかった」

 

指先でこめかみを押さえながら、記憶を辿るように。

 

「操縦していない年月は……三年ぐらいか」

 

「ブランクがあった状態で癖のあるネフェリスを操縦しとったら、感覚が狂うんも……分からんでもないな」

 

チャコが珍しく納得したように頷いた。

 

メノリは引かない。

彼は“理屈”を求める。筋が通らないものを嫌う。

 

「しかし、それは訓練で補えるものではないんですか? わざわざ返上する必要が分かりません」

 

クリスタルは頷いた。

その疑問は当然だ、と言うように。

 

「リュウジがS級である以上、また過酷な任務が来るかもしれない。ブライアン捜索でボロボロになったネフェリスは、しばらく使えない」

 

ルナの胸が、また痛む。

ブライアン捜索――あの一件が、まだ尾を引いている。

ネフェリスが使えない。

つまり、リュウジは“ネフェリス以外で飛べ”と言われる可能性があった。

 

「そうなれば、否が応でもコロニーの宇宙船で行かなければならない」

 

クリスタルの言葉は、刃のように整っている。

情緒がないからこそ、事実の重さがまっすぐ落ちてくる。

 

「それはリュウジにとっては無謀に近かった」

 

「……」

 

ルナは唇を噛んだ。

無謀。

リュウジが“無謀”という言葉を自分に向ける時、どれだけ追い詰められているか――ルナは知っている。

 

クリスタルは続ける。

 

「ただ、S級が全員いなくなるのも危険と判断したリュウジは、ブライアンさんが最低限、現場に復帰できるまで待ってから、S級を返上することに決めたの」

 

その一文が、ルナの中で別の形に変換される。

 

“自分が残ることで、誰かが危険に行かされる”

“自分が飛ぶことで、取り返しのつかない事故を起こすかもしれない”

“でも、S級がいなくなるのも危険”

その矛盾を、全部一人で抱えて――リュウジは、いなくなった。

 

ペルシアが、しんとした声で言った。

 

「……リュウジが言っていた“やりたい事”って、宇宙飛行士のことだったのね」

 

ルナの喉の奥が、ひゅっと鳴りそうになった。

じゃあ、冥王星で問い詰めた時――

リュウジは、なんで答えなかったの?

 

でも。

 

“だから許せる”かと言われたら――別だ。

ルナの胸の中には、まだ“約束したじゃない”が残っている。

 

ペルシアは腕を組み、眉を寄せた。

理解したからこそ、次の疑問が湧く。

 

「……だけど、よく分からない事があるのよね」

 

「私もです」

 

メノリが頷く。

 

「ブライアンさんが復帰してから、わざわざ返上する必要はないんじゃないですか?」

 

「せや、むしろS級のままの方が設備や環境も整って、ええやろ」

 

チャコも同意する。

現実的な視点だ。

S級であればあるほど、訓練環境も補助も手厚い。

“再訓練”をするなら、むしろその方が合理的。

 

クリスタルは苦笑いを浮かべた。

観念した顔だった。

 

「……貴方達はやっぱり勘が鋭いわね」

 

ペルシアは目を細める。

答えを急かす視線。

 

クリスタルは、ゆっくり言った。

 

「リュウジがS級を返上した理由は……もう一つあるのよ」

 

その瞬間、ルナの胸が、嫌な予感でぎゅっと縮む。

理由がもう一つ。

それは単なる操縦の問題じゃない。

もっと、リュウジの“生き方”の根っこに触れるものだ。

 

クリスタルは言葉を選ぶように、ほんの少し間を置いた。

オペレーションルームの喧騒は、背後で続いている。

救助計画の数字が積み上がっていく音。

通信の切り替えが進む音。

それらの“命を繋ぐ音”の中で、クリスタルの声だけが浮き上がる。

 

「――リュウジはね」

 

ルナは息を止めた。

ペルシアは瞬きすらせず、クリスタルを見ている。

メノリの指先が僅かに握り込まれ、チャコは口を結んだ。

 

テレビ画面の中では、リュウジが落ち着いた表情でインタビューを受けている。

“英雄”の顔。

けれどルナには、その目の奥に――冥王星の夕焼けの色が、ちらりと重なった。

 

クリスタルは、静かに続けようとして――

 

その時、背後でペルシアが低く言った。

 

「……このタイミングで“英雄”扱い。連盟、ほんとに性格悪いわね」

 

誰に向けた言葉でもない。

けれど、ルナはその一言に気づく。

 

この“発表”は、ただのニュースじゃない。

救助の現場に、政治と演出を持ち込む“宣言”だ。

 

ペルシアの目が、もう一度テレビに戻る。

そして鋭く命じるように言った。

 

「クリスタル、続けて。全部」

 

クリスタルは小さく頷いた。

喉を潤すでもなく、言葉を置く。

 

「……分かった」

 

ルナの胸が痛いほどに鳴る。

怖い。

でも、知りたい。

知ってしまったら、もう戻れない気がするのに――

 

クリスタルは、次の言葉を口にする直前で、もう一度だけルナを見た。

その眼差しは、謝罪と、覚悟と、そして“それでも知ってほしい”が混ざっていた。

 

「リュウジが返上した、もう一つの理由は――」

 

そこで、オペレーションルームの別のモニターが切り替わり、救助関連のアラートが小さく鳴った。

誰かが「更新入りました!」と叫ぶ。

ペルシアが「後で!」と返し、即座に指示を飛ばす。

 

緊急の現場は止まらない。

それでも、ルナたちの時間だけが、クリスタルの言葉の先で固まっている。

 

クリスタルは、短く息を吸った。

 

「……」

 

そして、続けるために唇を開く。

 

(――リュウジ、あなたは……何を抱えてたの?)

 

ルナの胸の中の問いが、声にならないまま震えた。

 

ーーーー

 

クリスタルは二年前のクリスマスを思い出した。

ハワードの家でクリスマスパーティーをやるので、レンタル倉庫にあるいらない荷物をクリスマスプレゼントとして持って行く時。遠くで誰かが通話している声がして、クリスタルは足を止めた。

 

「ええ。日常生活には支障はありません。ですが、このままにしておくわけには――」

 

声の主はリュウジだった。

一瞬言葉を区切り、リュウジは短く息を吐く。

 

「……はい。それでは」

 

通話を切る音が、やけに大きく響いた。

その直後、リュウジは何かを感じ取ったように、ゆっくり振り返る。

 

「……気配を消して近づくのは、宇宙ハンターのときの癖か?」

 

静かな、しかしごく自然な声音。

クリスタルは目を見開いた。自分では完全に気配を殺していたつもりだった。それでも気づかれた。

背筋が冷えた。彼は、まだ“あの感覚”を捨てていない。

 

「あなた、まさか――」

 

抱えていた箱を抱き直しながら、クリスタルは言った。問いかけた瞬間、自分の中で答えが半分確定する。

 

「やっぱりどこか怪我してるのね」

 

リュウジの眉がわずかに上がる。

否定しない。その沈黙が答えだった。

 

「答えなさい」

 

クリスタルは踏み込む。だがリュウジは答えようとしない。

頑なに、守るように、自分を隠す。

 

クリスタルは唇を噛んだ。

ここで引けば、彼は何も言わないまま、また笑って誤魔化す。

 

「答えないんだったら、クリスマスパーティーで騒ぐけどいいの?」

 

その言葉は脅しではなかった。最後の“糸”だった。

クリスマスパーティーにはハワードたちだけでなく、エリンもペルシアもいる。皆に知られたら、彼は話さざるを得ない。

ようやくリュウジは観念したように、静かに口を開いた。

 

◇◇◇◇

 

「目が見えない……?」

 

ペルシアの驚きの声が静かに漏れた。

 

クリスタルは静かに頷き口を開いた

 

「……リュウジは、心因性視覚障害を患っていたのよ」

 

メノリが冷静に確認するように言う。

 

「心理的、あるいは精神的ストレスなどのために、視力や視野などの視機能が障害される……あれですよね」

 

「ええ。リュウジは強いストレスがかかった時に、左眼だけが何も見えなくなった」

 

ルナは胸を押さえた。

左眼が見えない。

宇宙の操縦で、それは致命的だ。自分にも分かる。分かってしまうのが怖い。

 

チャコが声を荒げる。

 

「まさか、ブライアン捜索の時の怪我が原因なんか!?」

 

「分からない。確かにあの時、左瞼を切った。でも医療ミスはなかった。どうしてそうなったのか、原因は分からないのよ」

 

ペルシアが硬い声で言う。

 

「宇宙飛行士にとって、視覚の阻害は致命的な欠陥よ」

 

その言葉に、ルナの胸がズキリと痛んだ。

致命的。

リュウジは、その“致命的”を抱えて、笑っていたのか。

 

クリスタルは続ける。

 

「それでもリュウジは諦めなかった。休みの間は冥王星にいるアズベルト先生を頼った。医学家系の出だしで、腕のいい女医とも繋がりがある。もしかしたらすぐ治るかもしれないと思ったのね。でも、どこへ行っても『心因性視覚障害』としか言われなかった」

 

ペルシアがぽつりと言った。

 

「……死ぬほど辛かったでしょうね」

 

「ええ。だから最初は、ストレスが原因なら、大人しくしていれば治るだろうって学園生活を選んだの」

 

ルナの喉がきゅっと縮む。

じゃあ、ずっと隠していた。だから連絡も返せなかった。

そう理解しても、胸の痛みは消えない。

 

クリスタルの視線がペルシアに移る。

 

「でも、ある出来事を境に、悠長にいられなくなった」

 

ペルシアが眉を上げる。

 

「……もしかして私?」

 

「ええ。あなたが宇宙管理局から追放されたってニュースが出たでしょう。リュウジは言ってた。『みんなを守るためにもう一度宇宙飛行士を目指したのに、ペルシア一人守れないなんて』って。もちろん、それはリュウジだけじゃないけど」

 

ペルシアは、唾を飲み込んだ。

そしてルナたちに視線を送り、そして小さく頭を下げた。

 

「……ごめんなさい」

 

誰が悪いわけでもないのに。

謝られてしまうと、ルナは胸が余計に痛む。

 

クリスタルは言葉を続けた。

 

「その頃のリュウジは焦ってた。ソリア学園でゆっくりするつもりだったのに、一日でも早く宇宙飛行士にならなければならないといい、アズベルト先生を再び訪ねた。少しは良くなってるかもしれないと思って。でも、病気は一向に良くなる気配すらなかった。ようやくやりたい事をみつけ、進もうとした矢先、今度は病気によって閉ざされてしまった。正直、悲しみと絶望の淵にいるリュウジに対して、なんて声をかければいいのか、私には分からなかった」

 

ルナは胸の中で呟いた。

だから、作り笑いなんてしてたんだ。

これまで見た笑みの違和感が、今になって形になる。

 

「でも、リュウジは立ち止まらなかった。冥王星に移住までしてアズベルトの元で訓練に励んだ。片目が見えなくても宇宙飛行士を目指せるって、がむしゃらに努力し続けたのよ」

 

「……それで治ったんですか?」

 

ルナがようやく絞り出すと、クリスタルは頷いた。

 

「ええ、何がキッカケなのかは分からないけど、いつの間にか治っていた。そして今日、あなた達三人をここに連れてくるように頼まれたのよ」

 

ルナはメノリを見る。

メノリが短く頷いた。

 

「昨夜、リュウジに頼まれた」

 

クリスタルが言う。

 

「リュウジは、S級を取る瞬間をあなた達に見てもらいたかったのよ」

 

チャコが低く言う。

 

「……そうやったんか」

 

ルナは、声が小さくなる。

 

「どうして……」

 

ルナの声が、また小さくなる。

嬉しいはずなのに、胸の奥が痛い。

あの夜の言葉が消えない。

“信じて待つのが辛い”と叫んだ自分が、ここにいる。

 

「ルナ?」

 

メノリが心配そうに呼ぶ。

ルナは首を振った。

そして――叫んでしまう。

 

「どうしてリュウジはこのことを隠していたんですか!?」

 

声が大きくなった。

オペレーターたちが一瞬、こちらを見る

でもペルシアが手で制し、作業は止まらない。

 

「宇宙飛行士を続けているなら、目が見えないなら、最初から言ってくれれば良かったのに!」

 

胸が苦しい。

喜びたいのに、喜べない。

昨日投げた言葉が、今になって自分の喉を締める。

 

(……ひどいよ)

 

心の中で叫ぶ。

涙が滲む。

 

(こんなの素直に喜べない。失敗したらみっともないから、ただ、いいかっこうするために隠していただけじゃない)

 

そんな、酷い考えが頭をよぎる。

自分でも嫌になるのに、止められない。

だって、傷ついたのは本当だから。

 

「分かってあげて、ルナ」

 

クリスタルが言う。

その声は優しい。

 

「リュウジはずっとルナやペルシア、皆が喜ぶ顔が見たくて頑張ってきたのよ。ただ、人一倍負けず嫌いで口下手な人でだから―――自分で復活できる確信が持てるまでは言い出せなかっただけなの。分かるとは思うけど、一から宇宙飛行士を目指すことは想像以上に大変なことなの…その大変で苦しそうな姿を―――リュウジはあなた達にみせたくなかったのよ」

 

だが、優しいからこそルナは反発してしまう。

 

「なんでですか……!?」

 

声が震える。

 

「別に見せてくれればいいじゃないですか!」

 

ルナは涙をこぼしながら言った。

「見せてくれればいいじゃないですか。苦しくても、目が見えなくても、頑張ってるって教えてくれたら、私……リュウジにあんなひどいこと言わなかった!」

 

その言葉は怒りというより、切実な祈りだった。

“言ってほしかった”。

“信じて一緒に背負いたかった”。

 

クリスタルは頷いた。

 

「私も昨日、リュウジから話を聞いてそう思ったわ」

 

“昨日”。

その言葉に、ルナは息を止めた。

昨日――リュウジは、クリスタルに。

そしてメノリに。

でもルナには、何も言わなかった。

 

その“距離”が、胸を痛くする。

 

そこでクリスタルは、さらにもう一つの記憶を差し出す。

今度は“昨日”の電話。

 

◇◇◇◇

 

「はぁ? ルナたちを失望させた!?」

 

クリスタルは電話口で叫んだ。

その時の自分の声が、今も耳に残っている。

 

『……ああ』

 

リュウジの声は、静かだった。

静かすぎて、余計に腹が立った。

 

「……あのねぇ、そこまで来たら話をしてあげればいいじゃない」

 

クリスタルは怒鳴った。

 

「一応、一次試験は受かったんだし、もう隠しておく必要はないんじゃない?」

 

けれどリュウジは頑固だった。

いつも通り、あまりにも不器用だった。

 

『まだだ。もう少しだけ待ってくれ』

 

その声に、クリスタルは歯噛みした。

 

『いくら一次試験に受かったとは言っても、まだ宇宙飛行士じゃない。明日の実技試験で相当結果を出さなければ、S級ライセンスは授与されない。S級をこっちの都合で返上した俺なんかに、簡単にS級は戻らない‥‥中途半端なぬか喜びはさせたくない……新しくS級パイロットになる姿を魅せたいんだ』

 

その言葉が、今になって胸に落ちる。

“魅せたい”。

見せたい、じゃない。

魅せたい。

自分の弱さも苦しさも背負いながら、それでも“希望の姿”として戻ってきたい。

 

クリスタルは、オペレーションルームの今へ戻り、ルナたちに言った。

 

「リュウジはただ、誤解されたくなかったの」

 

ルナの睫毛が震える。

 

「宇宙飛行士は、S級パイロットは――辛くて苦しいものなんかじゃない」

 

クリスタルの声が、少しだけ熱を帯びる。

 

「この宙を切り開く、夢のあるものなんだってことをね」

その瞬間。

テレビのモニターからリュウジの声が流れた。

オペレーションルームの雑音が遠くなる。救助の計算も通信も続いているのに、耳だけがその声に奪われる。

 

「今も昔も、守りたいものは変わっていない」

 

画面の中で、リュウジはまっすぐ前を見ている。

逃げない目。誤魔化さない声

 

「俺は守りたいものを守るために――還ってきたんだ」

 

そして、優しく微笑んだ。

作り笑いじゃない。

逃げる笑みでもない。

痛みを知った人間が、それでも前を向く時の笑み。

 

その笑みに、ルナの瞳が熱くなる。

視界が滲み、輪郭が溶ける。

頬を伝って、涙が零れ落ちた。

 

(……リュウジ)

 

心の中で名前を呼ぶ。

声にしたら、また壊れてしまいそうで、呼べない。

 

ペルシアが画面を睨みながら、どこか悔しそうに笑った。

 

「……ほんと、馬鹿」

 

でもその声は、怒りじゃなくて、安心に近かった。

 

チャコは鼻をすすりながら、照れ隠しみたいに呟く。

 

「……あほやなぁ。ほんま、あほや」

 

メノリは何も言わない。

ただ、拳を握っている。

悔しいのか、嬉しいのか、どちらもなのか分からない顔で。

 

昨日の夜、吐き捨てた言葉が胸を刺す。

「嘘つき」「大っ嫌い」

消えない。なかったことにはならない。

でも今流れている涙は、後悔だけじゃない。

帰ってきてくれたことへの感謝であり、隠していた痛みを知ってしまった痛みであり、それでもなお“これから”を信じたいという祈りだった。

 

クリスタルはそっと、ルナの肩に手を置いた。

 

ルナは涙を拭こうとして、指先が震える。

拭っても拭っても、止まらない。

嬉しいのに、痛い。

嬉しいからこそ、痛い。

 

(あの時、信じて待つのが辛いって言った)

 

(でも、リュウジは……もっと辛かった)

 

片目が見えなくなる恐怖。

誰にも言えない孤独。

“守りたい”という願いが強すぎて、自分を追い詰めてしまう焦り。

 

それでも、彼は“夢”として帰ってきた。

苦しいものじゃない、と言い切れる姿で。

誰かに恐怖を与える英雄じゃなく、誰かの背中を押す英雄として。

 

ルナの涙が、さらに溢れた。

 

(リュウジ……ごめん)

 

(でも……ありがとう)

 

(還ってきてくれて……ありがとう)

 

テレビの中のリュウジは、記者の質問を受けながらも、どこか落ち着いていた。

そして最後に、もう一度だけ微笑んだ。

 

その微笑みが、ルナの心の中の暗い部分を、ゆっくり照らしていく。

痛みは消えない。

けれど――“届いた”と感じた。

 

リュウジは、ここにいる。

守りたいものを守るために。

あの日、ルナが信じていた“前へ進む姿”で。

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