サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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アルテミス

リュウジが――S級に戻ってきた。

 

その事実が、オペレーションルームの空気をわずかに変えた。

殺伐とした焦燥が消えたわけじゃない。ブライアン一行も、ブルンクリン一行も、まだセーシング領域外で漂っている。時間は確実に削られていく。ここは戦場だ。

 

それでも、胸の奥に灯がともるような感覚があった。

温度のない金属に囲まれた場所で、確かに“あたたかいもの”が広がっていく。

 

ルナだけじゃない。メノリも、チャコも、ペルシアも、そしてクリスタルも。

誰も言葉にしないが、同じものを感じているのが分かった。

 

戻ってきた。

あのリュウジが。

もう一度、この宙に手を伸ばした。

 

ペルシアはテレビモニターに映るリュウジを見つめたまま、ふっと口角を上げた。さっきまでオペレーターたちを叩き起こすように叫んでいた声ではない。どこか、昔の“統括官ペルシア”の軽さが戻っている。

 

「宇宙連邦連盟、リュウジに繋げられる?」

 

ジェームズが即座に頷き、回線の切り替えを始めた。

 

「少々お待ちください。向こうのスタッフを通します」

 

画面の向こうで、スーツ姿のスタッフがリュウジの横に寄り、耳元で小声で何かを伝えた。

リュウジは軽く頷くと、差し出されたイヤホンを受け取り、片耳に装着する。テレビ用の“見せる顔”が、わずかにほどけていく。舞台裏の、いつもの顔に戻る瞬間だった。

 

「……俺だ」

 

その声が聞こえた瞬間、ルナの喉の奥がきゅっと鳴った。

画面の向こうなのに、距離が縮まる。あの声だ。夢じゃない。

 

ペルシアは一拍置いて、わざとらしいくらい軽く言う。

 

「久しぶりね、リュウジ」

 

リュウジの目が細くなる。画面越しでも分かるほど、声が柔らかくなった。

 

「……その声は、ペルシアか。戻ってきたんだな」

 

「それはこっちのセリフよ」

 

ペルシアが肩をすくめると、リュウジは一瞬、言葉を失ったように口を閉じた。

そして、ふっと――優しく微笑んだ。

 

「……良かった」

 

それは、あまりにも穏やかで、あまりにも“リュウジらしくない”笑みだった。

サヴァイヴの頃の、必死に仲間を守ろうとしていたあの鋭さではない。

傷も焦りも抱えたまま、それでも「良かった」と言える人間の顔。

 

その瞬間、ルナの胸の奥が妙に痛んだ。

昨日、自分が彼に投げた言葉が、まだ刺さったままだからだ。

それでも同時に、涙が出そうなくらい――安心してしまう自分もいた。

 

ペルシアは、その空気を一刀で断ち切った。軽口の温度が、すっと消える。

 

「ええ。だけどね、リュウジ。大好きなペルシアさんともっと世間話したいと思ってるだろうけど」

 

リュウジが小さく息を吐く。察している。

 

「……あんまりのんびりしてられないのよ」

 

「どうした」

 

ペルシアは迷いなく言った。端的に、正確に、現場の時間で。

 

「時間がないから端的に言うわ。四日前に北の未探索領域へ、新しいS級――ブルンクリンが出発。セーシング領域外五キロ地点で機器トラブル、航行不能」

 

リュウジの眉がわずかに動く。

 

「そして昨夜、救助に向かったブライアンたちも、セーシング領域外に入った直後に航行不能」

 

画面の向こうで、リュウジが目を閉じる。嫌な記憶を噛み潰すように。

 

「……またブライアンか」

 

その呟きに、ペルシアは間髪入れず続けた。

 

「ブライアンの宇宙船には、エリン、サツキ、マリが乗ってる」

 

その名前を並べた瞬間、ルナの背筋が冷えた。

 

ペルシアは最後に、釘を刺すように言う。

 

「ここまで言えば分かるわよね」

 

リュウジは画面の向こうで、短く頷いた。

 

「ああ。俺が行く」

 

言い切った瞬間、ペルシアの口角が上がった。

それは勝ち誇りでも虚勢でもない。必要なピースが揃ったときの、現場の笑み。

 

「S級になったばかりで悪いわね」

 

「その為に戻ってきたんだ」

 

即答。迷いがない。

その言葉が、オペレーションルームに“芯”を通した。

 

ペルシアは立ったまま、指先で時計を叩く。

 

「そこから、宇宙管理局までどれくらいかかる?」

 

「三十分くれ」

 

「了解。今から一時間後に出発する」

 

即決。

オペレーターたちが一斉に動き出す気配がした。誰もが、その決断の速さに引っ張られる。

 

ペルシアが畳みかける。

 

「宇宙船は?」

 

リュウジは当然のように言った。

 

「ネフェリスがあるだろ」

 

しかし、その瞬間――ナミがモニターの一角に航行記録を映し出した。

そこに表示された機体名に、ペルシアの目が細くなる。

 

「……あると思う。いいえ、ネフェリスは、新しいS級のブルンクリンが使ってるみたい」

 

沈黙が一瞬走る。

リュウジは分かりやすく、ため息をこぼした。

 

「何を考えてるんだ。ネフェリスは、そう簡単に扱える宇宙船じゃない」

 

ペルシアが即答した。

 

「バカってことよ」

 

「……そのようだな」

 

リュウジが珍しく同意し、モニター越しにほんの少しだけ笑った。

その短いやり取りだけで、緊張で固まっていた空気に、ほんのわずかな“生”が戻る。

 

リュウジはすぐに表情を切り替える。

 

「なら、サツキが作った船があるだろ」

 

「サツキが……?」

 

ペルシアがナミを見る。ナミは頷き、即座に映像を切り替えた。

 

「今、映します!」

 

モニターに映し出されたのは、白い機体。曲線が美しく、無駄のないフォルム。

新造機の塗装がまだ若い光を残している。

 

「あった、宇宙船アルテミス。先日、完成したばかりよ」

 

ペルシアの声に、わずかな誇らしさが混じった。

サツキが積み上げた努力の結晶。それを、今この瞬間に“命”へ繋げる。

 

リュウジが頷く。

 

「それでいける」

 

ペルシアはすぐ次へ移った。

 

「メンバーは?」

 

リュウジの視線が一瞬だけ画面の端へ流れた。考えているのではなく、決めている目だ。

 

「クリスタルとチャコが宇宙管理局にいるだろ。そのメンバーで行く」

 

その言葉に、オペレーションルームの温度が上がった気がした。

 

ペルシアがゆっくりクリスタルを見る。

クリスタルは迷わず頷いた。

 

「クリスタルはオッケー」

 

その即答が、クリスタルの“仕事の顔”だった。

友人として泣いて怒っていた顔ではない。命を救う現場の顔。

 

ペルシアは次にチャコを見る。

 

「チャコは……」

 

チャコは頭をかいた。突然すぎる。冥王星から戻ってきたばかりだ。心も体も、まだ昨日の夜の余韻を引きずっている。

 

「そない急に言われてもなぁ……」

 

その声の揺れに、ルナは気づいた。

チャコは迷っているのではなく――ルナを見ている。

 

ルナは一歩前に出た。

胸の中にはまだ痛みがある。リュウジと向き合えないままの自分がいる。

それでも、ここで止まったら、誰かが落ちる。

 

ルナは息を吸って、まっすぐ言った。

 

「チャコ、お願い。リュウジを手伝ってあげて」

 

チャコの目が見開かれる。

 

「……ええんか、ルナ」

 

その問いには、色んな意味が含まれていた。

今行けば、リュウジと一緒になる。顔を合わせる。声を聞く。

昨日の夜の傷が、また開くかもしれない。

 

ルナは笑おうとした。ちゃんと笑えなかった。

でも、嘘はつかない。痛いままでも、前を向く。

 

「うん。お願い」

 

その一言で、チャコはふっと肩の力を抜いた。

覚悟が決まった人間の顔になった。

 

「分かったわ。いっちょやったるか」

 

ペルシアが満足そうに頷く。

 

「チャコもオッケーよ」

 

モニターの向こうで、リュウジが短く言う。

 

「他には?」

 

ペルシアが即座に返す。

 

「その二人でいい?」

 

「その二人でいい」

 

リュウジの声が冷たくなる。切り捨てではない。合理だ。

 

「仮にも未探索領域だ。知らない奴を連れていって連携が乱れるよりマシ」

 

ペルシアが顎に手を当て、少しだけ迷う顔をした。

 

「それもそうね……だけど少なすぎない?」

 

リュウジは躊躇なく言った。

 

「強いて言うなら、コックピットコンディションか通信システムがいれば助かる。だが、ないものねだりはしない」

 

その言葉に、オペレーションルームの誰かが小さく息を呑んだ。

“助かる”と言いながら、“いなくても行く”と言っている。

それがS級の責任の形だ。

 

ペルシアは、その責任を真正面から受け止めた。

そして、軽い口調で言った。

 

「了解。なら私が行く」

 

画面の向こうで、リュウジの目がわずかに見開かれる。

 

「本気か?」

 

「ええ。リュウジと宙を飛ぶのも悪くないかな」

 

ペルシアの声は軽い。けれど目は真剣だった。

戻ってきたのは、名誉のためじゃない。

命を救うためだ。

そして――自分が守れなかったものに、もう一度手を伸ばすためだ。

 

リュウジが短く笑う。

 

「……足を引っ張るなよ」

 

ペルシアは得意げに胸を張った。

 

「誰に言ってるのかしら? 久しぶりに副パーサーペルシアの復活よ」

 

その瞬間、クリスタルが吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。

チャコは「ほんまに変わらん」と呆れたように言い、メノリは小さく目を細める。

ルナは――胸が少しだけ軽くなるのを感じた。

 

この人たちは、いつだってこうだ。

絶望の縁に立っても、笑って、前へ行く。

だから守られてきた。だからここまで来れた。

 

リュウジは最後に言った。

 

「分かった。すぐ向かう」

 

通信が切れる直前、ペルシアが念を押す。

 

「三十分、必ずよ。遅れたら置いてくから」

 

「……了解」

 

画面が切り替わり、オペレーションルームに再び“今”の音が戻った。

けれど、さっきまでの音とは違う。焦りだけの音ではない。

希望が混じった音だ。

 

 

ーーーー

 

 

オペレーションルームは、さっきまでの「怒鳴り声」とは別の音で満ち始めていた。

キーボードを叩く乾いた連打、無線の短い応答、椅子が床を擦る音、端末の起動音――それらが、ひとつの方向に向かって揃っていく。

 

ペルシアは大型モニターを一瞥すると、振り返ってオペレーターたちへ声を飛ばした。声量は抑えているのに、鋭さだけがよく通る。

 

「急いで運航ルートを確保。最短距離、割り出して」

 

誰かが「了解」と返す前に、ペルシアの次の指示が重なる。

 

「それから、宇宙船アルテミス。設計図と関係書類を機体側にインプットしておいて。起動後に探す時間がもったいない」

 

ナミが椅子の背を蹴るように立ち上がり、端末に向き直った。

 

「分かりました。アルテミスのデータリンク、回します。機体の許可キーは?」

 

「局長権限で通す。私が責任取る」

 

淡々とした言葉が、逆に重い。

“責任取る”という言葉の温度が、ローズのそれとは違う――ルナは胸の奥で、はっきり感じ取った。

 

ペルシアはローズの方へ歩き、統括官席の端末に手を置いた。ローズは肩を落としたまま、目だけで睨み返す。けれどその視線にはもう力がない。さっきの高圧は萎み、ただの拗ねた人間みたいに見えた。

 

ペルシアは端末のスイッチを入れ、マイクを握る。

一瞬だけ、オペレーションルームの音が引いた。全員が「次の一手」を待っている。

 

「あー、あー。統括官から宇宙管理局、全スタッフへ」

 

その言い方が、わざとらしいほど軽い。けれど、次に出た言葉は刃だった。

 

「今から一時間後。ブルンクリン一行とブライアン一行の救出任務のため、救助船が出発する」

 

ざわり、と空気が揺れた。

“出発する”――それは命を取りに行く宣言で、同時に命を持ち帰る宣言でもある。

 

「管制。既に着陸シーケンスに入っている宇宙船以外、今から全ての離着陸を見送って。定期便も含めてよ」

 

すぐに無線が返ってくる。遠い管制の声が、緊張を隠しきれない。

 

『管制、了解。全便ホールド、再調整に入ります』

 

ペルシアは頷きもせず、次へ行った。

 

「整備班!」

 

『はい、聞こえてます』

 

その声に、ペルシアの目が一瞬だけ細くなる。知っている声だ。現場の匂いがする。

 

「救助船にアルテミスを使う。今いる整備班全員で、アルテミスのチェックを一時間以内でお願い」

 

間髪入れず、低い反発が返った。

 

『ちょっと待ってくれ。一時間なんて無理だ』

 

オペレーションルームの空気が一瞬凍り、次に燃えた。誰かが舌打ちし、誰かが「今それ言う?」という顔をする。

ルナは思わず息を止めた。ここで揉めたら、時間は削られる。

 

でもペルシアは焦らなかった。むしろ、その声を待っていたみたいに笑う。

 

「その声、ミゲルね」

 

『……あ、ああ』

 

ミゲル、と呼ばれた整備班の男が息を呑む気配が、無線越しでも分かる。

ペルシアは背筋を伸ばし、わざと優しい声で言った。

 

「救助船の操縦はリュウジがやる。なんとかなるでしょう?」

 

数拍の沈黙。

そして無線の向こうで、誰かが小さく笑った気配がした。諦めの笑いではない。現場の人間が、どうしようもなく奮い立つときの笑いだ。

 

『……リュウジが?』

 

「そう」

 

『分かった。何とかしてやる』

 

その返事が聞こえた瞬間、ルナの胸の奥が熱くなった。

リュウジという名前は、時に呪いみたいに重いのに――今は不思議と、背中を押す合図になっている。

 

ペルシアはすぐ付け足す。強引に押し切るだけじゃないことを、ちゃんと示すために。

 

「でも安全第一。どうしても一時間超えるなら、超えていい。壊れたまま飛ぶ方が最悪だから」

 

『分かっている』

 

「よろしく」

 

ペルシアはそこで一度息を吐き、また端末へ言う。

 

「それから宇宙管理局スタッフで手が空いてる者。備蓄庫から一週間分の食糧と水をアルテミスに積み込んで」

 

端末の向こうで誰かが「一週間分!?」と叫ぶ声が漏れたが、ペルシアは気にしない。救助が長引く可能性は常にある。未探索領域で、しかもセーシング領域外。想定を甘くした瞬間に人は死ぬ。

 

ペルシアは放送スイッチを切り、端末を置いた。

その動きの無駄のなさに、局長が小さく息を吐く。感心でも呆れでもなく、「やっぱりこの人はこうだ」という諦めに近い息だった。

 

ペルシアは振り返り、チャコとクリスタルを見た。目が、現場の目になる。

 

「チャコ。アルテミスにジャックインして機能確認。クリスタルは必要な医療資機材を積み込んで」

 

チャコは肩を回し、口元だけで笑う。

 

「任せとき。ウチの手ぇ、今から温めといたる」

 

クリスタルは短く頷き、すでに脳内でリストを走らせている顔になっていた。

 

「了解。救急パック、止血材、熱傷、骨折固定、吸入、感染対策……長期化も視野に入れるわね」

 

二人は迷いなくオペレーションルームを出ていった。

その背中を見送って、ルナとメノリは自然と視線を合わせ、頷き合った。言葉はいらない。ここにいて見ているだけなんて、耐えられる状況じゃない。

 

ルナは一歩前へ出て、声を張った。

 

「ペルシアさん、私たちも手伝います!」

 

メノリも同じように、低く言う。

 

「協力させてくれ」

 

ペルシアは一瞬だけ目を細め、二人を測るみたいに見た。

ルナの喉がカラカラになる。昨日の夜のことがまだ胸を締め付けている。泣いて、怒って、傷ついたまま。なのに、こういう時だけは前に出てしまう自分がいる。

メノリも同じだろう。怒りと不安を飲み込んで、動ける側に回る。

 

ペルシアは短く言った。

 

「ええ。ちょっと待ってて」

 

その返事の直後、横からスッと制服が差し出された。

イーナだ。さっきまで怒鳴られ、走らされ、顔色を失っていたのに、今は驚くほど落ち着いている。

 

「こちらを。サイズも合うと思います」

 

ルナとメノリは目を見開いた。

制服――つまり、内部スタッフとして動ける身分証。

それを迷いなく渡してくるイーナの動きが、まるで「この瞬間のために用意していた」みたいだった。

 

ペルシアが制服を受け取り、口笛でも吹きそうな調子で言う。

 

「流石、イーナ。分かってるぅ」

 

イーナは頬を赤くし、でも微かに胸を張った。

 

「ペルシアさんなら、こうすると思ってました」

 

その言葉に、ルナの心臓が跳ねた。

皆が皆、ペルシアを“帰ってきた人”として受け入れている。たった一年。なのに、空気がそう変わる。

それはペルシアが強いからだけじゃない。強さを、組織のために使う人だからだ。

 

ペルシアはイーナへ言う。

 

「悪いけどイーナ、この二人を案内してあげて。私は一度、ブルンクリンとブライアンのご家族に話をしてくる」

 

イーナが背筋を伸ばす。

 

「よろしくお願いします」

 

「それじゃあ行きましょう」

 

イーナはルナとメノリを連れて歩き出した。

制服を抱えたまま、ルナは一瞬だけ振り返る。

ペルシアはもう、机の影で上着とズボンを脱ぎ始めていた。泥のついた作業着を放り、Tシャツとスパッツ姿になる。ここがオペレーションルームだというのに、躊躇がない。着替えのスピードが現場の速度だ。

 

「ナミ。リュウジが来たら対応よろしく」

 

袖に手を通しながら言う声が、よどみなく飛ぶ。

 

「分かりました」

 

ナミは返しながら、すでに別回線の準備に入っている。

 

ペルシアはズボンを履き、ボタンを留めながら、ローズを見た。

 

「ローズ。いつまで不貞腐れてるのよ」

 

ローズは椅子に沈み、ぼそりと返す。

 

「……うるさい」

 

ペルシアは鼻で笑い、制服のボタンを止め直す。袖口を整える動きが、妙に丁寧だった。まるで「これから言うことは、遊びじゃない」と身体に刻むみたいに。

 

「まったく。あんた、仮にも今の統括官はあんたなのよ。私がいない間は頼んだよ」

 

そしてペルシアは、今まで後ろに回していた帽子の唾を外し、制帽を手に取った。

その瞬間、ルナは思った。

サヴァイヴで会った“副パーサー”の彼女が、今ここでは“統括官の空気”を纏っている。肩書きじゃない。立ち方がそうだ。

 

ペルシアは局長へ視線を投げる。

 

「いいよね、局長」

 

局長はため息混じりに頷いた。

 

「ああ。ローズもいいな?」

 

ローズが歯噛みしながら、声を絞り出す。

 

「……分かりました」

 

ペルシアは満足そうに頷き、制帽を被った。

その姿はもう、迷いのない指揮官だった。

 

「よし」

 

オペレーションルームの空気が一段階締まる。

 

「行くか!」

 

ペルシアは歩き出した。

その背中に、誰もが引っ張られる。さっきまでバラバラだった鼓動が、一つのテンポに揃っていく。

 

 

イーナの案内は手際が良かった。

通路の角を曲がるたびに、色の違うランプが点滅し、セキュリティのゲートが開く。そこかしこに慌ただしい職員の影が走り、端末を抱えたまま呼び止められ、怒鳴られ、でも誰もが前を向いている。

 

「今から動ける人は、備蓄庫へ向かってください。アルテミスに積み込みです」

 

イーナが通路で指示を飛ばすと、通り過ぎた職員が「了解!」と返して走り去る。

それだけで、場が“作業”から“作戦”に変わっていく。

 

ルナとメノリは通路の端で制服に着替えた。

布の感触が、妙に現実味を持って胸に当たる。

昨日まで学生だったはずなのに、今は宇宙管理局の中で、同じ制服を着て走ろうとしている。

 

メノリがボタンを留めながら呟いた。

 

「……こんな格好、似合わないな」

 

「似合うよ」

 

ルナが言うと、メノリが少しだけ口元を歪める。

 

「ルナの慰めは雑だ」

 

「雑じゃない。メノリ、頼もしいもん」

 

ルナは自分でも驚くほど、声がまっすぐ出た。

昨日は泣いて、今日も胸が痛い。それなのに、口に出した言葉は嘘じゃない。

今ここにいるメノリは、本当に頼もしい。

 

イーナが振り返った。

 

「お二人、こちらへ。備蓄庫は地下です。搬送用の台車があるので、積み込み班に合流します」

 

ルナとメノリは頷き、走り出した。

床が硬い。空気が冷たい。天井のライトが白い。

それでも、胸の奥だけ熱い。

 

備蓄庫に着くと、すでに職員たちが動いていた。

水のパック、乾燥食、栄養バー、簡易加温器、酸素補助カートリッジ、保温シート――一週間分と言われていた物資が、次々と台車に積まれていく。

 

「アルテミス行き、こっち! 重いのは下!」

 

「水は揺れで潰れないようにバンドで固定!」

 

「非常用の医療水も忘れないで!」

 

怒鳴り声ではない。現場の声だ。

必要な言葉だけが飛び交い、誰もが余計なことを言わない。

ルナは台車を押しながら、手が震えるのを感じた。怖いからじゃない。動けることが、嬉しくて怖い。ここでしくじったら、誰かが死ぬ。その恐怖と、動ける高揚が混ざっている。

 

メノリが横で、無言で重い箱を持ち上げた。

その背中はぶれない。

ルナはそれを見て、少しだけ呼吸が整う。

 

 

その頃、オペレーションルームでは別の戦いが始まっていた。

 

ペルシアは家族用の説明室へ向かう廊下で、短く息を吸った。

ここは“言葉”の救助が必要な場所だ。

救助船の準備とは別の意味で、心を削る。

 

ドアを開くと、視線が一斉に刺さる。

青白い顔、握りしめられた拳、震える唇。

ブルンクリン財閥の関係者もいれば、ブライアン一行の家族もいる。泣いている者も、怒っている者も、ただ呆然としている者もいた。

 

ペルシアは一礼した。

 

「宇宙管理局、統括官代理のペルシアです。ご心配をおかけしています」

 

その名に反応が走る。

「ペルシア?」

「あのペルシア?」

ざわめきと同時に、期待と疑念が混じる空気が生まれる。

 

ペルシアはそれを受け止めたまま、言い切った。

 

「今から一時間後、救助船が出発します。操縦はリュウジが担当。機体はアルテミスです」

 

「リュウジ……?」

 

「本当なのか!」

 

「ブルンクリンは! うちの子は!」

 

声が重なり、椅子が鳴る。

ペルシアは一切動じず、ただ言葉を積み上げた。

希望を煽りすぎない。絶望を放置しない。

現実だけを、真っ直ぐ渡す。

 

「現時点で確認できているのは、両船とも通信が途絶しているという事実です。ですが、セーシング領域外五キロ圏内での航行不能。生存の可能性は十分にあります。私たちは、そこに全力で手を伸ばします」

 

その言葉に、誰かが声を殺して泣いた。

誰かが歯を食いしばった。

そして、誰かがやっと頷いた。

 

ペルシアは最後に、胸を張って言った。

 

「最善を尽くします」

 

その言葉は軽くない。

言った瞬間に、引き返せない誓いになる。

だからこそ、家族の瞳が揺れ、そして縋るように固定される。

 

 

一方、格納庫――アルテミスの前は、熱を帯びた工場になっていた。

 

整備班が機体の下に潜り込み、パネルが外され、工具の音が鳴る。

ミゲルが指示を飛ばす声が響く。

 

「燃料系統、圧力チェック! 姿勢制御のスラスター、応答見ろ! 通信ユニット、冗長系統の切り替え試験!」

 

「了解!」

 

「パルス反応、正常!」

 

「冷却ライン、微妙に遅い!」

 

「許容範囲に収めろ、削るな、塞げ!」

 

時間が削られていく。

それでも、雑にはならない。

整備班の手は荒いのに、仕事は繊細だ。

 

その横でチャコがジャックインの準備をしていた。

機体側のポートに接続し、目を閉じる。

その瞬間、彼女の雰囲気が変わる。いつもの軽さが薄れ、機械と会話する顔になる。

 

「……アルテミス、応答して。ウチや。機能、見せてみ」

 

ジャックインの光が走り、チャコの指が空中をなぞるように動く。

見えない計器を撫でる手つき。

そして、短く言った。

 

「……いける。まだ若い船やけど、芯はしっかりしとる。サツキの性格、出とるな」

 

その呟きに、整備班の誰かが笑い、すぐに真顔に戻る。笑っている暇はない。でも笑えるだけの余裕が、必要だ。

 

クリスタルは医療資機材の箱を積み込みながら、ひとつひとつにチェックを入れていく。

同じ箱でも、内容が違う。

止血、縫合、抗菌、痛み止め、栄養補給、睡眠誘導、ショック対策。

宇宙では、医療が遅れたら終わる。

クリスタルの表情は冷たいほど落ち着いていた。

 

「酸素マスク、三。人工呼吸補助、二。点滴パック、追加。感染対策……未探索領域だから、徹底する」

 

彼女の声には、迷いがない。

その迷いのなさが、周囲の不安を押し下げる。

 

 

そして――宇宙管理局の玄関側が、ざわついた。

 

「リュウジが来た!」

 

誰かが叫ぶ声が、館内放送の隙間から漏れた。

オペレーションルームのナミが顔を上げ、すぐに端末を操作する。

ペルシアの言葉どおり、対応はナミが握っている。

 

その頃、ルナとメノリは備蓄庫から台車を押し、エレベーターに乗り込んでいた。

扉が閉まる直前、ルナの胸が跳ねた。

来た。

リュウジが来た。

――会うのだろうか。会いたいのか、会いたくないのか、自分でも分からない。

 

メノリが低く言った。

 

「……心臓、うるさいぞ」

 

ルナは驚いてメノリを見る。

 

「聞こえるわけないでしょ」

 

「聞こえる気がする」

 

その言い方がメノリらしくて、ルナは苦笑しそうになり、でも笑えなかった。

苦さが残っている。それでも、前に進む。

 

エレベーターが開き、格納庫へ続く通路に出る。

台車の車輪が床を叩く。

周囲の職員が「通ります!」と声を掛け、道が開く。

その道が、救助へ繋がっている。

 

 

オペレーションルームでは、ペルシアが戻ってきたところだった。

説明室で削った心を、表に出さず、また現場の顔に戻す。その切り替えが早い。

 

ペルシアは扉を開けるなり、ローズを見た。

ローズはまだ不機嫌そうにしていたが、局長の視線が刺さるたびに姿勢を正す。

“統括官”という席の重さに、ようやく気づき始めた顔だった。

 

ペルシアは近づき、わざと明るく言う。

 

「ねぇ、ローズ。私がいない間、頼むわよ」

 

ローズが歯を食いしばり、言う。

 

「……分かってる」

 

「分かってるなら、顔を上げなさい。あんたが俯いたら、現場が俯く」

 

その言葉に、ローズが一瞬だけ怯んだ。

それは怒鳴りつけられたからじゃない。

“自分の姿勢が現場に伝染する”という現実を突きつけられたからだ。

 

局長が短く言う。

 

「ローズ。今は協力しろ。失敗したら、責任は免れない」

 

「……はい」

 

ローズが返事をした瞬間、ペルシアは満足そうに頷いた。

それは勝ち誇りではなく、「最低限は動く」と確認した頷きだ。

 

ペルシアはモニターを見て、時間を確認し、指示を飛ばした。

 

「残り三十分。ルートは最短で。通信ポイントは二系統。積み込み完了報告は逐次。ミゲルから整備状況、五分おきに上げて」

 

返事が揃う。

“はい!”が今度は確かに揃う。

 

その瞬間、ルナとメノリが格納庫から戻ってきた。制服姿で、汗をかき、少し息が上がっている。

ルナは台車を置き、言った。

 

「水と食糧、積み込み班に合流済みです。追加の医療水も積みました」

 

メノリが続ける。

 

「必要物資の固定も完了です。揺れ対策、バンドで締めてあります」

 

ペルシアは二人を見ると、軽く笑った。

 

「ありがとう、二人とも」

 

その一言が、妙に胸に沁みた。

ルナは頷き、ふと気づく。

自分の胸の痛みが、少しだけ薄くなっている。

痛みが消えたわけじゃない。けれど、痛みの上に“やるべきこと”が積み重なって、立てるようになっている。

 

その時、ナミが顔を上げた。

 

「ペルシアさん。リュウジ、到着しました。今、格納庫側へ向かっています。アルテミスの最終確認に入るそうです」

 

ペルシアの口角が上がる。

 

「了解」

 

ルナの呼吸が止まりかけ、メノリが小さく呟いた。

 

「……来たか」

 

誰もが同じ方向へ引っ張られる。

“始まる”という気配が、皮膚に張りつく。

 

ペルシアは制帽のつばに指を当て、言った。

 

「行くわよ。ここから先は一分一秒が命の価値。迷う暇はない」

 

オペレーションルームの全員が頷いた。

ローズも、唇を噛みながら頷いた。

 

そしてペルシアは歩き出す。

制服が揺れ、制帽が光を受ける。

その背中が、今度は“救う側”の背中だった。

 

ルナはその背中を見つめ、胸の奥で静かに思った。

 

(リュウジ。あなたが戻ってきた意味は、きっと――こういうことなんだよね)

 

痛みは残っている。

でも、心は前に出てしまう。

 

この宙で、誰も落とさないために。

そして、一時間後。

アルテミスは飛ぶ。

リュウジと、ペルシアと、チャコと、クリスタルが――希望を連れて。

 

ルナは拳を握りしめ、制服の袖口をきゅっと引いた。

自分の中の震えを、行動に変えるために。

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