サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第12話

翌朝――。

 スターホールの外は、まだ荒れ狂う吹雪に包まれていた。白い雪煙が舞い上がり、数メートル先も見通せない。耳をつんざくような風が洞窟の入り口を叩き、内部に冷気を押し込んでくる。

 

 それでも仲間たちは出発の準備を整えていた。

 リュックはリュウジが背負う

 

 リュウジはシャトルのシーツで作った上着を着て、真剣な眼差しで外を見据える。彼の顔には一切の弱さを見せていなかった。

 

「本当に行くんだな……」メノリが険しい顔で言う。

「俺たちが行かなきゃ状況は変わらない」リュウジがきっぱりと答える。

「危険だと思ったら、必ず帰ってこい」メノリの声は強く震えていた。

 

「ルナ、気をつけて……」シャアラが袖を掴む。

「大丈夫。すぐ帰ってくるから」ルナは優しく微笑んで手を握り返した。

 

 ベルは黙って荷物を受け取り、力強く頷いた。

 ハワードは腕を組んで「絶対に無茶すんなよ!」と叫び、アダムを指差した。

「アダム、ルナとリュウジから離れるなよ!」

「うん!」アダムは力強く返事をした。

 

 最後にカオルが出口に立ち、冷たい風の音に耳を澄ませていた。

「……行け。風はまだ強いが、今なら歩ける」

 その低い声に、5人は顔を見合わせ、大きく息を吸い込んだ。

 

「行こう!」ルナの声を合図に、彼らは吹雪の中へ飛び出した。

 

◇◇◇

 

雪は膝まで積もり、歩くだけでも体力を奪われる。

 先頭を歩くリュウジが足跡を刻み、後ろを振り返りながら仲間たちを導いた。

 その背中をルナが追い、アダムの手を強く握って進む。

 

「大丈夫か、アダム!」リュウジが振り返って叫ぶ。

「うん! 大丈夫!」アダムは必死に頷き、雪に埋もれそうな足を前に出す。

 

 ルナは唇を噛みしめ、吹雪の白の中を見つめた。

 ――絶対にたどり着く。皆を信じて。

 

◇◇◇

 

 思ったよりも雪に時間を取られてしまい、辺りはすっかり暗くなっていた。

 吹雪の中を無理に進むのは危険だと判断し、一行は小さな岩の窪みを見つけて身を寄せ合った。

 

 入口には雪を積み上げて壁を作り、冷気を防ぐ。

 中では拾い集めた枝に火を灯し、揺れる炎が五人の顔を淡く照らしていた。

 

 アダムはルナの膝に頭を預けると、安心したようにゆっくりと眠りについていた。

 焚き火の音に合わせて、穏やかな寝息が響く。

 

「……アダムはどうだ?」

 リュウジが低い声で尋ねる。

 

「眠ったわ。疲れてたのね」

 ルナはアダムの髪にそっと触れながら、優しい笑みを浮かべて返した。

 

「ウチらも、そろそろ寝よか……」

 チャコが小声で呟くと、隣でシンゴが大きな欠伸をした。

 

「火は俺が見ておく。お前らはゆっくり休め」

 リュウジの声は頼もしく響き、ルナは小さくコクリと頷いた。

 

 炎の明かりに照らされながら、ルナは眠るアダムに視線を落とす。

「無理しちゃって……」

 小さな声で呟き、優しい笑みを浮かべた。

 

 外では吹雪がまだ荒れ狂っていたが、岩の窪みの中には一瞬だけ、静かな温もりが宿っていた。

 

◇◇◇

 

皆が小さな寝息を立て、岩の窪みはひとときの静寂に包まれていた。

 その時だった。

 

「……っ」

 チャコがふらりと揺れ、そのまま焚き火の横でばたりと倒れ込んだ。

 

「チャコ!」

 慌ててリュウジが駆け寄り、抱き起こす。

「しっかりしろ、チャコ!」

 

 声に応えるように、チャコはわずかに目を開けた。

「だ、大丈夫や……」

 か細い声でそう答えたが、その顔色――いや、機械音がかすれている。

 

 リュウジはすぐさま、チャコの服のファスナーを下ろし、内部の機器を確認する。

 微かに蒸気のようなものが漏れ、電子音が不安定に鳴っていた。

 

「……気温が低すぎて、水素がうまく作れないのか」

 リュウジは歯を食いしばった。チャコが水素エネルギーで動くロボットペットだと、彼だけは知っていた。

 

「一旦、洞窟に戻った方がよさそうだな」

 彼は小さく呟いた。岩の窪みで火を焚いているとはいえ、温かさならスターホールの方がはるかに上だ。

 

 だがチャコは、リュウジの腕からするりと抜け出す。

「なに言うとんねん。ウチは大丈夫や」

 ふらつきながらも立ち上がり、焚き火のそばに歩み寄る。

 

「しかし……」リュウジは口を開くが、チャコは首を横に振った。

「ウチは大丈夫や」

 その声は弱々しいが、決意がにじんでいた。

 

 リュウジはしばし黙ってチャコを見つめ、やがて小さく頷いた。

「……分かった。少し薪を拾ってくる」

 

 そう言って立ち上がると、雪で覆われた入り口に向かう。

「今から行くんか?」チャコが目を丸くする。

 

「少しでも温度を上げた方がいい」

 リュウジはそう言って、雪の壁を少し崩し、吹雪の音がうなる外へと身を踏み出した。

 

◇◇◇

 

リュウジが薪を抱えて岩の窪みに戻った時、チャコはすでに火のそばで静かに眠りについていた。

 規則正しい電子音と微かな機械の吐息が聞こえる。どうやら危機は乗り越えたらしい。

 

 「……大丈夫だろう」

 そう小さく呟き、リュウジは胸を撫で下ろした。

 

 その時だった。

「……どこ行ってたの」

 少し強い響きを帯びた声に、リュウジは振り返る。

 

 ルナが横になったまま、眠たげな瞳をこちらに向けていた。

 焚き火の赤が彼女の横顔を照らし、瞳の奥に淡い光が宿っている。

 

「薪を拾いに行ってただけだ」

リュウジは短く答えた。

 

「こんな吹雪の中に? 危ないじゃない」

 ルナは半身を起こし、眉を寄せている。

「……もう少し遅かったら、私、本気で心配したんだから」

 

 その言葉に、リュウジは一瞬言葉を失い、視線を落とした。

「……悪かった」

 普段の彼にしては珍しい素直な声音だった。

 

 ルナはしばらく彼を見つめていたが、やがて小さな声で呟いた。

「……ありがとう」

 

「何がだ?」リュウジが振り返る。

 

「みんなのために動いてくれること。チャコのことも……私たちのことも、ちゃんと気にかけてくれること」

 ルナの瞳はまっすぐで、その眼差しにリュウジは少しだけ視線を逸らした。

 

「大したことはしてない」

「それでもね」ルナは首を振る。「あなたがいてくれると、心強いの」

 

 焚き火がまたひとつ、ぱちりと音を立てた。

 吹雪の唸り声が遠くで響く中、二人の間にだけ静かな温もりが広がっていく。

 

 アダムの寝息が一定のリズムを刻み、チャコの機械音が小さく安定して響く。

 その穏やかな音に包まれながら、ルナとリュウジはしばし言葉を交わさず、ただ炎を見つめ続けていた。

 

 ◇◇◇

 

薪をくべた焚き火がぱちぱちと音を立てる。

 橙色の光が、眠るシンゴとチャコの顔を淡く照らしていた。

 

 リュウジが視線を落とし、静かに呟いた。

「……寒さでチャコがうまく水素を作れていないらしい」

 

 その言葉に、ルナは目を見開いた。

「えっ……そうだったの?」

 

「ああ。だから少しでも火を強くしてやろうと思って薪を取りに行った」

 

 ルナははっとしたように表情を緩め、少しだけ視線を伏せる。

「……ごめんなさい。危ないなんて責めちゃって」

 

 リュウジは首を横に振った。

「謝らなくていい。この吹雪の中じゃ、誰だって心配する。……ルナが起きてるとは思わなかったがな」

 

 その口元にふっと笑みが浮かんだ。

 

 ルナは少し頬を赤くし、困ったように笑う。

「それって……私が見てないと無茶するって、言われてる気がするんだけど」

 

 リュウジは何も答えず、再び火を見つめた。

 その炎の揺らめきに合わせるように、ルナが口を開く。

 

「それより……どうしてアダムを遺跡に連れていくことにしたの?」

 

 リュウジが岩壁に背を預け、短く息を吐いた。

「俺が“アダム、俺のそばから離れるなよ”って言わなければ……お前はアダムを連れてくる気はなかっただろう」

 

「……ええ」ルナは頷いた。

 

 焚き火に薪を一つくべながら、リュウジは低く呟く。

「この冬はアダムがいた遺跡から噴き出しているんだろう」

 

「……そうよ」ルナは目を伏せた。

 

「俺たちは気にしていないが、アダムは……自分のせいでこの冬が来ていると思ってるんだろう」

 その言葉に、ルナの胸が強く締めつけられる。アダムが時折見せる沈んだ表情を、思い出したからだ。

 

「だから、アダムの手で解決してやる方がいいと考えただけだ」

 リュウジは淡々と言い、薪を火に押し込んだ。火花が散り、炎が高く燃え上がる。

 

 ルナは彼の横顔を見つめ、やがて小さく微笑んだ。

「……本当によく見てるわね、リュウジって」

 

 リュウジは答えず、炎の奥を見つめていた。

 

「遺跡まで、あとどれくらいで着きそう?」ルナが尋ねる。

 

「……二時間もあれば着くだろう」リュウジが即答する。

 

 ルナは頷き、眠るアダムの髪を撫でながら言った。

「チャコのためにも……アダムのためにも、急いだほうがよさそうだね」

 

「ああ」

 短い返事の中に、確かな決意が宿っていた。

 

◇◇◇

 

 次の日の朝。

 雪は弱まる気配を見せないまま、一行は遺跡へ向かって出発した。

 

 アダムの手を引いて歩くのはシンゴ。

 リュウジは背中にチャコを背負い、ルナはその隣で心配そうにチャコを見守っていた。

 

「……すまんな、リュウジ」

 力のない声でチャコが呟く。

 

「気にするな」

 リュウジは短く返事をした。

 

 ようやく辿り着いた遺跡の前には、雪に埋もれた巨大な扉がそびえ立っていた。

 シンゴはリュックから無線機を取り出し、アダムが持っていたカードに線を繋ぐ。

 

「リュウジ、おろしてぇや」チャコが小さく声を上げた。

「大丈夫なの?」ルナは不安げに尋ねる。

 

「大丈夫やって」

 そう言うと、チャコはリュウジの背中からひょいと飛び降りた。

「早くせんと、みんな凍え死んでまうで」

 そして、シンゴの隣に立ち、器用に手伝いを始める。

 

 やがて準備が整った。

「よし……これで遺跡が開くはずだ」

 シンゴが無線機を操作する。

 

 瞬間、カードの模様が緑色に光り始めた。

「よし! このまま――!」

 シンゴの顔に笑顔が浮かぶ。だが、その光は一瞬で消え失せた。

 

「くそっ! だめだ!」

 悔しさを込めた声が吹き出す。

「なんでや……」チャコも呻くように声を漏らした。

 

 ルナは扉へ歩み寄り、そっと手を触れた。

「……なぜ、開かないの」

 

 その時だった。

 背後で「ドサッ」と鈍い音がした。

 

「チャコ!?」

 ルナが振り向いた瞬間、チャコの身体が崩れ落ちていた。

 

「チャコ! しっかりして!」

 慌てて抱きかかえたルナの腕の中で、チャコの瞳が薄く揺れる。

「チャコぉぉぉ!!」アダムが悲痛な声をあげた。

 

 その叫びに同調するように、カードが宙へと浮かび上がった。

 眩い緑の光が溢れ出し、全員の視線が吸い寄せられる。

 

 光は真っ直ぐに扉へ伸び、やがて遺跡全体を包み込んでいった。

 ルナがかつて扉を開いた時と同じ、いや、それ以上に強い光。

 

 轟音とともに、石造りの扉がゆっくりと開いていく。

 冷たい風が吹き込む中、リュウジが声を張った。

「――取り敢えず急いで中に入ろう!」

 

「アダム、急いで!」ルナが呼びかける。

 

 だがアダムは足を止め、泣きそうな顔で振り返った。

「でも……チャコが……」

 

 その肩にシンゴが手を置いた。

「大丈夫! コールドスリープのエネルギーを使えば、チャコを治せるかもしれない!」

 

「本当!?」アダムが大きく目を開く。

 

「アダム、いきましょう!」

 ルナが強く声をかける。

 

 アダムは涙を拭い、力強く頷いた。

そして一行は、広がる光の中へ――遺跡の内部へと駆け込んでいった。

 

◇◇◇

 

長い石造りの通路を進むと、中央に巨大な装置が姿を現した。

 幾重もの光の柱が天井から差し込み、中央には人が入れるほどの透明なカプセル――コールドスリープ装置が鎮座している。

 

「……コールドスリープのエネルギーは使えそう?」

 ルナが息をのんで尋ねる。

 

「動いてればね。ちょっと見てくるから、チャコをコールドスリープに寝かせて」

 シンゴが返事し、走り寄って装置を調べ始める。

 

「分かった」

 ルナはうなずき、リュウジとともにチャコを抱えて装置のそばへ進んだ。

 

 その様子を不安そうに見つめるアダムの肩に、リュウジがそっと手を置く。

「大丈夫だ。チャコはきっと治る」

「……うん」

 アダムは小さく頷いた。

 

 やがて、シンゴの声が響く。

「よし、動いてるぞ!」

 

 リュウジとアダムも駆け寄り、シンゴが装置の盤を外して内部の端子を露出させる。

「この端子を繋げば……!」

 

 リュウジはチャコの隣にしゃがみ込み、ケーブルを慎重に近づける。

 その腕をアダムがぎゅっと握った。

 

「リュウジ……」

「大丈夫だ」リュウジは静かに答える。

 

 次の瞬間、接続端子がチャコに繋がると、コールドスリープ全体が白く輝きだした。

 

「上手くいくかしら……」ルナが不安げに呟く。

「たぶんね」シンゴは必死に装置を監視しながら答えた。

 

 ルナはふと問いかける。

「でも、どうして遺跡が開いたのかしら?」

 

「きっとあのカードは、アダムだけが使える鍵だったんだよ」

 シンゴが腕を組みながら言う。

 

「僕だけが……?」アダムは戸惑ったように目を見開いた。

 

「だけど、どうして最初は反応しなかったんだろう……」

 シンゴは首を傾げ、考え込む。

 

「……アダムの思いが通じたのかもしれないな」

 リュウジの呟きに、ルナははっとしてアダムを見つめた。

 

 白い光が収まると、チャコの身体が小さく震えた。

「チャコ!」ルナが叫び、抱き起こす。

 

「……ウチ、どこや?」

 チャコは目を開き、接続された端子を外しながら不思議そうに辺りを見回す。

 

「あんた……だれや?」

 第一声に、皆は息を呑んだ。

 

「記憶が……リセットされた?」

 シンゴが青ざめながら呟く。

 

 ルナは目を潤ませ、震える声を漏らす。

「チャコ……」

 

 だが次の瞬間、チャコはにやりと笑った。

「なーんてね、冗談、冗談や」

 

「チャコ!!」

 ルナは力いっぱい抱きしめる。

 

「ビックリさせるな……」リュウジは深く息を吐いた。

 

「リュウジ、ウチ、どないしたんや?」

 ルナに抱きしめられながら、チャコは苦しそうに問いかける。

 

「気温が下がりすぎて、機能停止したんだ」リュウジが説明する。

 

「機能停止……! せや、なんか頭がボォーとしてきて……」

 チャコは辺りを見渡し、ぱっと顔を明るくした。

「入れたんか! やったな!」

 

「……あとは赤外線反射物質を止めるだけね」ルナが呟く。

 

「遺跡の中に入ったらこっちのもんや! シンゴ!」

 チャコが元気を取り戻した声をあげる。

 

「うん!」シンゴは力強く頷いた。

 

 こうして一行は、奥へと続く遺跡の探索を始めた――。

 

◇◇◇

 

遺跡の奥へと進んでいくと、不意に空間が淡く光り、宙に巨大なホログラムが投影された。

 映し出されたのは一つの惑星――。

 

 その表面は一面、茶色に覆われ、荒れ果てた大地が広がっているように見えた。

 やがて、その惑星の上で一つの白い点が点滅を繰り返す。

 次の瞬間、そこから放たれた光が白い線となり、蜘蛛の巣のように惑星全体へと伝播していった。

 

「……これは……」ルナが息を呑む。

 

 チャコとシンゴは同時に、画面の意味を理解していた。

「わかったで……これ、テラフォーミングマシンや!」チャコの声が震える。

「この白い点は、この惑星に設置されたテラフォーミングマシンを示していたんだ」

 

「これ全部!?」ルナが小さく声を上げる。

 

「間違いない……しかも大きい点はメインコンピューターや。すべてのテラフォーミングマシンを管理してるんや!」

 チャコは拳を握りしめ、ホログラムを睨んだ。

 

「メインコンピューターまではかなり遠いな……」リュウジが低く呟く。

「このマシンだけでも止められないか?」

 

 チャコは端末を操作しながら首を横に振った。

「それがな……環境制御プログラムだけ、見当たらへんねや」

 

 シンゴも必死に機械を解析しながら、同じ結論に辿り着く。

「きっと別に制御ルームがあるんだよ……」

 

「でも、途中にはそんなもの見当たらなかったわ」ルナが不思議そうに首をかしげる。

 

 その時――。

 

 リュウジはふと辺りを見回し、眉をひそめた。

「……アダム?」

 

 姿が見えない。

 振り返ると、アダムは一人、壁の前に立ち尽くしていた。

 

「どうしたの、アダム?」

 ルナが近づく。

 

 瞬間、アダムの前にある壁が光を帯び、巨大な扉が姿を現した。

 仲間たちは一斉に息を呑む。

 

 開いた扉の奥には、さらに広い部屋が広がっていた。

 壁一面にモニターが並び、この星の映像が次々と映し出される。

 荒れ果てた大地、吹雪に覆われる山々、そして赤外線反射物質が渦を巻く空――。

 

 ルナはその光景に呆然と立ち尽くした。

「ここが……本当の制御室……」

 

◇◇◇

 

制御室の中央には、ひときわ目を引く巨大な赤いボタンがあった。

 それはシンプルでありながら、異様な存在感を放っている。

 

「……あれや! あれを押せば環境制御プログラムを止められる!」

 チャコが指差す。

 

 シンゴとチャコは真っ先に駆け出した。だが、二人が制御室に足を踏み入れた瞬間――。

「うわっ!」

「な、なんやこれぇ!」

 

 バチィッ! 青白い電撃が走り、二人の身体を弾き飛ばした。

 床に転がり、煙をあげながら呻き声をあげるチャコとシンゴ。

 

「チャコ! シンゴ!」

 ルナが駆け寄ろうとしたその時、空間に二つの影が浮かび上がった。

 

 それは人型のホログラムだった。

 容姿はアダムにどこか似ている――だが、彼よりもはるかに大人び、冷徹な雰囲気をまとっていた。

 双眸は無機質な光を宿し、まるで侵入者を拒む番人のように佇んでいる。

 

「……こいつらは……!」リュウジが身構える。

 

 だが扉の前に立ちはだかる見えない壁が、リュウジを含む全員の前に展開した。

 制御室の中へと進めるのは、ただ二人――ルナとアダムだけ。

 

「ルナ……僕たちしか入れないみたいだ」

「……わかった」

 

 制御室の中央に輝く赤いボタン。

 だが、ルナとアダムが一歩踏み込んだ瞬間、ホログラムの二人が動きを変えた。

 光の腕が二人を絡め取り、次の瞬間――空間が歪む。

 

 ルナとアダムは水の中に投げ込まれていた。

 冷たい水が全身を包み、視界は泡と光に覆われる。

 息をしようとしても、口いっぱいに水が流れ込み、胸が苦しい。

 

「ルナ!」アダムが必死に手を伸ばす。

 だが、彼の動きは鈍く、やがて泡を吐き出しながら沈み始めた。

 

「アダム!」

 必死に手を伸ばしたルナの目に、アダムの意識が遠のいていく姿が映る。

 

 胸の奥が張り裂けそうになった。

 どうして、こんな小さな子が――。

 どうして、また守れないの――。

 

「アダムを……奪わないでぇぇぇぇ!!!」

 

 その瞬間、ルナの全身がまばゆいピンク色の光に包まれた。

 水を押し返すように光が広がり、二人を閉じ込めていたホログラムが悲鳴のように軋んで、やがて消滅した。

 

 次の瞬間、制御室全体を覆っていた透明な壁が音を立てて消える。

 

「ルナ! アダム!」

 リュウジはその隙を見逃さなかった。

 一気に駆け込み、中央の赤いボタンへと手を伸ばす。

 

 ガシャン!

 

 赤いボタンが沈み込むと同時に、制御室全体が白い光に包まれた。

 ホログラムは完全に消え、空間の振動が収まっていく。

 コンソールに映し出されたグラフは急速に下降し、赤外線反射物質の噴出が止まっていくのがわかった。

 

「……やった……止まったんだ」シンゴが息をのむ。

「ほんまか!?」チャコも目を見開いた。

 

 リュウジは荒い息をつきながら、膝をつくルナとアダムに駆け寄った。

「ルナ! 大丈夫か!?」

 ルナは震える腕でアダムを抱きしめながら、涙を滲ませて頷いた。

「ええ……アダムも、無事よ」

 

 アダムはまだ息を荒げながらも、小さく笑った。

「僕……ルナに守ってもらったんだね……」

 

 吹雪に覆われていた惑星に、ようやく一筋の希望の光が差し込んだ瞬間だった。

 

◇◇◇

 

制御室の光が静まると同時に、遺跡の扉が低い音を立てて開いた。

 冷たい風が吹き込むが、その中に混じって、わずかに柔らかな空気が流れ込んでくるのをルナは感じた。

 

「……外に出てみよう」

 リュウジの声に、皆が頷いた。

 

 石の廊下を戻り、重い扉を押し開けると、そこにはまだ吹雪が残っていた。

 だが、それは先ほどまでのように荒れ狂ってはいない。

 風は弱まり、雪煙は少しずつ薄くなっていく。

 

「……止んできてる」

 ルナが小さく呟く。

 

 空を見上げると、厚い雲の切れ間から、淡い光が差し込んでいた。

 凍てついた空気の中に、ほんのわずかだが暖かさが混じる。

 

「これが……赤外線反射物質が止まった証拠なんだな」

 リュウジは腕を組み、遠くの空を見上げた。

 

「すごい……本当に変わるんだね」

 アダムは目を丸くして、雪の空に差す光をじっと見つめていた。

 

 チャコが胸を張り、満足げに頷く。

「ウチらのやったこと、無駄やなかったっちゅうこっちゃ!」

 

「まだ完全に晴れるまで時間はかかるだろうけど……これで希望が持てるわ」

 ルナは息を吐き、アダムの頭を撫でた。

 

 アダムは照れたように笑みを浮かべ、そして小さな声で呟いた。

「……僕も、この星を救えたんだね」

 

 遺跡を背に立つ五人の前で、吹雪はゆっくりと、その勢いを失っていった。

 氷に覆われた世界に、初めて小さな春の兆しが芽生えた瞬間だった。

 

 

雪を踏みしめながら、五人はようやくスターホールへと帰り着いた。

 厚い木の扉を開けると、暖かな火の光が一行を迎える。

 

「ルナ! リュウジ!」

 最初に駆け寄ったのはシャアラだった。涙を浮かべながらルナに抱きつく。

「無事でよかった……本当に……」

 

 続いてベルが、重い足音で近づく。

「外の吹雪が急に弱まってきた……あれは、皆がやったのか?」

 

「ええ」ルナは深く頷いた。

「遺跡の中で環境制御プログラムを止めたの。赤外線反射物質の噴出も……もう終わったわ」

 

「すげぇ!」シンゴの肩を叩きながらハワードが声を上げる。

「本当にやりやがったんだな! これで凍え死ぬ心配はなくなるってことか!」

 

「完全に春が戻るには時間がかかるでしょうけど……少なくとも希望はできた」

 ルナが答えると、仲間たちはどよめき、火の前に集まった。

 

 メノリがルナに視線を向ける。

「でも、ただの仕組みじゃなかったのだろう?」

 

 ルナは小さく頷き、アダムの肩に手を置いた。

「……遺跡はアダムを“選んだ”みたいなの。あのカードも、あの制御室も、アダムなしでは開けなかった」

 

 その言葉に、一同の視線がアダムに集まる。

 アダムは少し居心地悪そうに縮こまったが、やがて真剣な眼差しで言った。

「僕……この星を守りたい。だから、みんなと一緒に頑張る」

 

 沈黙を破ったのはチャコだった。

「おおきにな、アダム。ウチらだけやったら、途中で詰んどったやろな」

 わざと軽口を叩くその姿に、仲間たちから小さな笑いが漏れる。

 

 リュウジは壁際で腕を組んでいたが、やがて短く言った。

「だが、まだ終わりじゃない。チャコとシンゴが解析したホログラムにあった……メインコンピューター。あれをどうにかしなければ、本当の解決にはならない」

 

 火のぱちぱちと弾ける音が、静まり返った空気を一層強調した。

 

 ルナは仲間たちを見回し、しっかりと声を張った。

「でも――今日はちゃんと胸を張っていいと思う。私たちは、この吹雪を止めた。みんなで掴んだ成果よ」

 

 仲間たちの間に、自然と笑顔が広がっていった。

 まだ困難は残っている。

 けれど、心の奥に初めて“未来を信じる力”が宿った瞬間だった。

 

⬜︎

 

暖かな火がスターホールの中央で揺れていた。

 吹雪を止め、遺跡から戻った仲間たちは、それぞれ肩の力を抜き、久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。

 

 ベルが大鍋をかき混ぜる。

「今日は、干し肉と芋を煮込んだスープだ。栄養は保証するぞ」

 

「やったぁ!」シンゴが勢いよく手を上げる。

「やっとまともなご飯にありつける!」

 

「おい、シンゴ。まだ煮えてへんで、待っとき」

 チャコが呆れ顔で返すと、シンゴは舌を出して肩をすくめた。

 

 香りが部屋に広がると、みんなの顔が自然とほころんでいく。

 ハワードはいつもの調子を取り戻したのか、椅子にふんぞり返りながら胸を張った。

「まあ、この俺様が飢えずに済んだのも、結局は俺の財閥の運命力ってやつだな!」

 

「はいはい、また始まった」メノリが呆れたようにため息をつく。

「けど……悪くない。いつもの調子が戻ってきた気がする」

 

 ルナはそんな仲間たちを見渡し、胸の奥が温かくなるのを感じた。

 隣にはアダムが座り、スープの匂いに小さく笑顔を見せている。

 

「ねえルナ……僕、少しは役に立てたかな」

 アダムの声は小さいが、その瞳は誇らしげに輝いていた。

 

 ルナは微笑み、彼の髪をそっと撫でた。

「もちろんよ。あなたがいなければ、あの遺跡は開かなかったもの」

 

 アダムは照れくさそうに俯いたが、その顔には安心の色が浮かんでいた。

 

 鍋から湯気が上がり、スープがよそわれていく。

 冷え切った身体に、温かい食事と仲間の笑い声が染み渡った。

 

 リュウジは少し離れた場所でスープを口にしていたが、仲間たちの笑顔を静かに眺めていた。

 その目には、わずかに柔らかな光が宿っている。

 

「……悪くないな」

 小さく呟いたその声は、暖かな喧噪に紛れて、誰の耳にも届かなかった

 

⬜︎

 

季節は少しずつ移り変わろうとしていた。

 吹雪はやみ、日差しは雲の切れ間から差し込むようになった。

 だが、朝の空気はまだ刺すように冷たく、夜は火を囲んでも震えが止まらなかった。

 

 そして、もっと深刻な問題があった。

 ――食料が、底をつきかけていた。

 

 その夜、スターホールの焚き火の前で、みんなが肩を寄せ合っていた。

 鍋の底には、ほんのわずかな乾燥肉と硬い芋しか残っていない。

 

「……これで最後か」

 ベルが木の匙を持ったまま、鍋の底を見下ろして呟く。

 

「はぁ……もっと食べたいのに……」

 シンゴが腹をさすり、弱々しく笑った。

 

「僕なんてお腹と背中がくっつきそうだよ」

ハワードもお腹を抑えていた。

 

「もう限界やなぁ」チャコもため息をつき、耳をぴくりと動かす。

「せやけど、この寒さで獲物なんか見つかるんかいな」

 

「だからって、空腹で倒れたら話にならない」

 メノリは厳しい口調で言ったが、彼女の頬もやつれているのがわかった。

 

 そのやり取りを黙って聞いていたリュウジは、ふと目を上げ、向かいに座るカオルへと静かに視線を送った。

 カオルはそれを受け止め、わずかに頷く。

 

 ――海に潜る。槍で魚を仕留めるしかない。

 過酷な手段を、二人は無言で選んだ。

 

 しかし、その小さなやり取りを見逃さなかった者がいた。

 ルナだ。

 

「……ねえ、今、目で合図しなかった?」

 ルナの問いかけに、二人は一瞬だけ固まった。

 

「……別に」リュウジは淡々と返す。

「ただの勘違いだ」カオルも視線を逸らした。

 

 ルナはじっと二人を見つめた。

 問い詰めても何も言わないのはわかっている。

 けれど、このままでは絶対に何かする。

 

 ――怪しい。何を隠してるの?

 ルナは胸の奥に不安を抱え、ひそかに決意を固めた。

 

 

 翌朝。

 冷気がまだ残る中、リュウジとカオルは他の仲間より一足早くスターホールを後にした。

 

「どこ行くの?」とシャアラが声をかける。

「食料を少しでも探してくる」リュウジは短く答えた。

 

「気をつけて行きなよ」ベルがうつむいたまま言う。

「二人がいない間に、俺たちも森を探してみる」

 

「無理すんなよ」リュウジは短く言い残し、カオルとともに扉を閉めた。

 

 残された仲間は顔を見合わせる。

「なんか……妙に早かったわね」メノリが小声で呟く。

「なんか怪しいね……」アダムが頬をかく。

 

 その時、ルナは無言で立ち上がった。

「……私も行く」

 

「えっ、ルナ?」シャアラが驚いたが、ルナは首を振った。

「大丈夫。ちょっと気になるから」

 

 

 リュウジとカオルは、荒れた海辺へと辿り着いていた。

 波はまだ高く、潮風は冷たい。

 

「俺が先に行く」

 リュウジは迷いなく上着を脱ぎ、槍を手に取った。

 鍛えられた身体が白い息を吐きながら、波打ち際へ進む。

 

「戻った時に凍えないよう、火を起こしておく」

 カオルは流木を集め、火打石を取り出した。

 

「頼んだ」

 短い言葉を交わし、リュウジは冷たい海へ飛び込んだ。

 

 ――三十分後。

 水面を割ってリュウジが浮かび上がる。

 槍の先には数匹の魚が突き刺さっている。

 

 息を荒げながら岩場に上がると、彼の眉がぴくりと動いた。

 そこに待っていたのは、火をくべるはずのカオルではなかった。

 

 腕を組み、じっと立っていたのはルナだった。

 

「……やっぱり、そういうことだったのね」

 その瞳は、真冬の海よりも鋭く、そして熱を帯びていた。

 

 リュウジは濡れた髪をかき上げ、ひとつ深く息を吐く。

「……まったく。隠すのは無理だったか」

 

⬜︎

 

リュウジが海に潜ってから、しばらく経った。

 カオルは集めた流木を積み上げ、火打石を鳴らす。

 パチリと火花が散り、乾いた木が赤く燃え上がると、冷え切った空気の中に暖かさが広がった。

 

 カオルは火の隣に腰を下ろし、海に目を向ける。

「……少しでも獲れればマシか」

 小さく呟いたとき、背後で砂浜を踏む足音がした。

 

 カオルは振り返った。

 そこに立っていたのは、眉を吊り上げ、険しい表情をしたルナだった。

 

「……何してるの?」

 作り笑いを浮かべて問いかける声は、しかし怒気を含んでいた。

 

 カオルは思わず冷や汗を流す。

 彼は視線を逸らしながら低く言った。

「……俺は止めた。だが、聞かなかった。――ルナ、お前からも言ってくれ」

 

 ルナは一瞬だけ息を飲み、海を見やった。

 リュウジが海に潜っているのは明らかだった。

 

 カオルは立ち上がり、槍を手にした。

「食料を探してくる」

 それだけ言い残し、森の中へと歩き出す。

 

「……気をつけてね」

 ルナは背中に声をかけたが、胸の奥には不安が渦巻いていた。

 

 

 海面からリュウジが上がってきたのは、それから少し後のことだった。

 槍の先には数匹の魚が突き刺さり、彼は荒い息を吐きながら岩場に身を乗り上げた。

 

 だが視線の先にあったのは、火を守っているはずのカオルではなかった。

 両腕を組み、険しい眼差しで立っていたのは――ルナだった。

 

 その瞬間、リュウジは心の中で毒づいた。

「……あの野郎」

 

 カオルが彼女をここに残した理由を理解し、リュウジは濡れた髪をかき上げて、無言で息を吐いた。

 

⬜︎

 

濡れた髪を払い、槍に刺した魚を岩の上へ置いたリュウジは、無言で息を整えた。

 火のそばに立つルナの表情は、怒りを含んでいるように見えた。

 

「……」

 彼女は腕を組んだまま、しばらくリュウジを見つめる。

 

 リュウジは覚悟を決めたように肩をすくめる。

「どうせ、何を言っても納得しないんだろうな」

 

 だが次の瞬間、ルナは小さくため息をついた。

「……怒ろうかと思ったけど、やめたわ」

 

「え?」リュウジは少し驚いたように眉を上げる。

 

 ルナは火の明かりに照らされながら、静かに続けた。

「食料がないから、無理をしてでも取ってこようとしたんでしょう? ……考えれば、リュウジがここに来た理由なんてすぐに分かるもの」

 

 リュウジは一瞬、視線を逸らした。

 その沈黙が、彼女の言葉が正しいことを示していた。

 

「でもね」ルナは一歩前に出て、リュウジを真っ直ぐに見つめた。

「次からは、ちゃんと話をして。黙って危険なことをしないで。……仲間なんだから」

 

 焚き火の音が、二人の間の静けさを際立たせる。

 リュウジはしばらく目を伏せ、そして小さく笑みを浮かべた。

「……ああ。悪かった」

 

 その声はかすかに掠れていたが、素直な響きを持っていた。

 

ルナは火越しに彼を見つめ、口を開いた。

「……本当に無茶するんだから」

 

 その声音に責める響きはなく、むしろ安堵が混じっていた。

 リュウジは片眉を上げ、ふっと笑った。

「心配かけたな」

 

 ルナは少し頬をふくらませ、でもすぐに笑みを零した。

「……ええ。でも、こうして無事に魚を持って帰ってくるところは、さすがだと思う」

 

 リュウジは火を見つめたまま肩をすくめる。

「生き延びるには、やれることをやるしかない。だが……お前に隠しても無駄だったな」

 

⬜︎

 

魚を火のそばに並べ終えると、リュウジは槍を握り直し、再び海へと視線を向けた。

 

「もう一度潜ってくる」

 低く短い言葉に、ルナは目を丸くした。

 

「えっ……また行くの?」

 思わず声が上ずる。

 

 リュウジは振り返りもせず、火に照らされた横顔で答えた。

「本当はカオルと交代で潜る予定だった。……だが、お前を潜らせる訳にはいかないからな」

 

 それだけ告げると、彼はためらいなく海へ向かって歩き出す。

 広い背中が、朝の光を受けて淡く輝いていた。

 

「……気をつけてね」

 ルナは背中に向かって声を投げかける。

 

 リュウジは短く片手を上げて応え、波打ち際へと消えていった。

 

 

 ルナは焚き火のそばに戻り、薪をくべた。

 ぱちぱちと音を立てる炎を見つめながら、心は自然とリュウジのことへ向かっていく。

 

 ――魚をあれほど素早く仕留めてくるなんて、やっぱり流石だ。

 頼りがいがあって、皆を背負ってくれる。

 

 そう考えた瞬間、脳裏に先ほどの光景がよみがえった。

 海から上がってきたリュウジ。

 濡れた髪から滴る水、引き締まった上半身、強い眼差し――。

 

「……っ!」

 ルナは慌てて顔を両手で覆った。

 

 胸の奥が熱くなる。頬が火よりも赤く染まっている気がした。

 一人きりの砂浜で、ルナは自分でも気づかぬうちに小さく呟いた。

「……私、何考えてるのよ……」

 

⬜︎

 

波間に黒い影が浮き、白い飛沫がぱっと弾けた。

 リュウジが海面を割って現れ、槍の先には先ほどよりも大ぶりの魚が三匹、ずっしりと刺さっている。

 岸へ上がった彼の足取りは迷いがなく、濡れた肌から吹き出る水が日差しを拾って細い光を散らした。

 

「戻った」

 短い声と一緒に、重さのある魚が砂の上に落ちる。ぱさ、と海藻の匂いが立ちのぼった。

 

「おかえり。……すごい、こんなに」

 ルナは思わず顔を綻ばせたが、すぐに眉を寄せる。

「手、切ってるじゃない」

 

 リュウジの指の背に、岩で擦った浅い傷が走っていた。

 ルナは布を取り出し、火で軽く温めてからそっと押し当てる。

「しみるよ、少しだけ我慢して」

「……大丈夫だ」

 返事は素っ気ないのに、力は抜けていた。

 

 風はまだ冷たい。リュウジの肩が無意識に震えるのを見て、ルナは毛布をぐいと掛けた。

「まず温まって。魚は私が捌くから」

「俺がやる」

「今日は“私がやる”。二回も潜った人は座ってて」

 火の向こうで視線がぶつかり、先に折れたのはリュウジだった。小さく肩をすくめて、焚き火へ両手をかざす。

 

 ルナはリュウジが持っていた黒曜石のナイフで器用に捌いていく。

「戻ったら皆、喜ぶわね」

「ああ。これで今夜は倒れずに済む」

 

 ふと、リュウジが火越しにルナを見た。

「さっきは……ありがとな」

「え?」

「“気をつけて”って言われるのは久しぶりだが、悪くない」

 からかうようでいて、どこか照れ隠しの声音。ルナの胸の奥がふわりと熱くなる。

 

 視線が自然と彼の肩へ滑ってしまう。

 朝の光で濡れた肌がきらりと光り、引き締まった筋が呼吸に合わせて静かに動く――その光景が、脳裏に焼きついて離れない。

「……っ」

 ルナは慌てて目線を逸らし、薪を一つ火にくべた。

「どした」

「な、なんでも。まだ午前なのに、火、弱くなってたから」

「顔、赤いぞ。冷えたか?」

「そっちこそ、震えてたくせに」

 軽い応酬に、火のはぜる音が相槌を打つ。二人の間の空気が、少しだけ近くなった。

 

 ルナは改めて彼の手を取り、包帯を巻き直す。

「さっき言ったこと、覚えてて。次からは“一緒に”考える。黙って海に入るのは禁止」

「了解。じゃあ次は交代で――」

「任せて」

「言うと思った」

 二人同時に吹き出し、波の音に笑い声が混じる。

 

 火がもう一度ぱちんと弾け、二人は立ち上がった。

 背負う荷は軽くない。けれど、足取りはさっきよりも、少しだけ、揃っていた。

 

⬜︎

 

スターホールの扉を開けると、外の冷気と一緒に潮の匂いが流れ込んだ。

 リュウジとルナは手にした魚を持ち込み、仲間たちの前にどさりと並べる。

 

「……魚だ!」

 シンゴが真っ先に駆け寄り、目を輝かせる。

「すごい、こんなに!」

 

 シャアラは両手を合わせて喜び、ベルも大きな肩を揺らして笑った。

「これで今夜は腹いっぱい食べられる!」

 

 メノリも珍しく頬を緩める。

「ようやく少し余裕ができる。……よくやってくれた」

 

「感謝しろよ!」とハワードが胸を張るが、誰も突っ込まず、ただ笑い声が広がった。

 仲間たちの目に、安堵と感謝の色が満ちていく。

 

 そんな喧騒の中、リュウジは静かに歩を進めた。

 誰にも気づかれぬよう、カオルの背後に回り込む。

 

 低い声が、耳元に落とされた。

「……裏切ったな」

 

 カオルの背筋がわずかに動いた。

 火を囲む仲間たちの声にかき消されるほどの小さなやり取りだった。

 

「……あれしか方法がなかった」

 カオルは視線を逸らさず、淡々と答える。

 

 リュウジはしばらく沈黙し、やがて吐き捨てるように呟いた。

「……貸し一な」

 

 それ以上は言わず、魚を焼き始めるルナのもとへと歩み去る。

 

 カオルは一度だけ焚き火を見つめ、そして口を引き結んだ。

 仲間の笑顔の裏で交わされた、誰にも知られない密やかな言葉。

 それは、互いの信頼か、それとも負債か―

 

⬜︎

 

魚が炙られ、香ばしい匂いがスターホールいっぱいに広がった。

 焚き火の炎が魚の皮をぱちぱちと弾かせ、皆の腹の虫を容赦なく刺激する。

 

「よし、焼けたぞ!」ベルが串を持ち上げる。

 ほろりと身が割れ、湯気と共に海の匂いが立ちのぼった。

 

「うわぁ……美味しそう!」シンゴが目を輝かせて飛びつく。

 熱々の身を口に放り込んで、「あっちぃ!」と跳ね上がり、皆を笑わせた。

 

「少し冷ましなさいと火傷するぞ」メノリが呆れ声をあげる。

 だが、その目元はいつになく柔らかい。

 

「ほんまにええ匂いやなぁ!」チャコが鼻をひくひくさせ、かぶりつく。

「これや、これや! 生き返るわ!」

 

 シャアラは慎重に身を裂いて口に含むと、思わず声を漏らした。

「……おいしい……」

 小さな呟きに、周囲もつられて微笑む。

 

「ふん、まぁ僕だって本気を出せばこれくらい――」とハワードが胸を張る。

 すかさずシンゴが突っ込んだ。

「嘘だ! 潜るのが怖くて震えてたくせに!」

 

「ち、違う! あれは寒さだ!」と慌てるハワード。

 ベルが豪快に笑い、

「ハワードが潜ったら、魚のほうが逃げちゃうよ!」とからかうと、皆にどっと笑いが広がった。

 

 その時、アダムが大事そうに焼き魚を手にして、小さな声で言った。

「……おいしいね」

 

 ルナは優しくアダムを見た。

「美味しいわね」

「うん。ルナやみんなと一緒だから、余計に美味しいんだと思う」

 アダムの素直な笑顔に、場の空気がさらに和んだ。

 

「そうや、アダム。アダムも魚捕りの練習せなあかんで!」チャコが茶化す。

「えっ……お、泳ぐのは……ちょっと……」アダムが慌てると、皆がまた笑い声を上げた。

 

 ルナは皆の輪を眺めながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

「……今日は、ごちそうだね。リュウジとカオルのおかげよ」

 

 その言葉に、リュウジは焚き火の陰でちらりとルナを見やり、何も言わずに魚を頬張った。

 カオルも火を見つめたまま、低く一言だけ漏らす。

「……明日もある。食べすぎるな」

 

「でも今日ぐらいは腹いっぱい食べたいよ!」シンゴが声を張り、

「せやせや! 食べれるうちに食べとくんがサバイバルや!」チャコが調子を合わせる。

 

 笑い声と湯気が立ち上り、冷たい冬の残り香を押しやっていった。

 仲間たちの顔には、長い飢えから解放された安堵の色が広がっていた。

 

⬜︎

 

次の日。

 ようやく雪解けが始まり、川辺には春を思わせる水音が戻ってきていた。

 まだ白い氷がところどころに残っていたが、表面は薄く、きらきらと陽を反射していた。

 

「今なら……川の魚も捕れるはず」

 ルナは膝まで雪を踏みしめながら、水辺に目を輝かせた。

 

 リュウジは無言で頷き、腰に差した短槍を手に取る。

 二人は並んで川辺にしゃがみ込み、氷の表面を少しずつ削っていった。

 氷は薄くなってきており、刃を当てればひび割れの音が心地よく響く。

 

「ほら、見て。もう水面が見えるわ」

 ルナは嬉しそうに指を差した。透き通った水の中を、小さな魚が光を反射して泳いでいる。

 

「確かに、いけそうだな」

 リュウジの口元に、珍しくわずかな笑みが浮かんだ。

 

 夢中になって氷を削っていたルナが、ふと足を滑らせた。

「きゃっ――!」

 身体が横に傾き、川へと倒れ込もうとする。

 

 瞬間、リュウジの手が彼女の腕をしっかりと掴んだ。

 引き寄せられるようにして、ルナはリュウジの胸にぶつかる。

 硬い体に支えられ、冷たい水に落ちる前で止まった。

 

 鼓動が近い。

 焚き火の熱とは違う温もりが、衣服越しに伝わってきて、ルナは息を飲んだ。

 

「……気を抜くなよ」

 低く呟くリュウジの声が頭上から降ってくる。

 

「……ごめん」ルナは小さく答えた。

 けれど頬はほんのり赤く染まっていた。

 

 リュウジは彼女をゆっくりと離し、再び槍を握り直す。

「魚を獲る。……足元に気をつけろ」

 

 ルナは胸の奥を静かに押さえながら、うなずいた。

 川面に映る太陽の光が、二人の影をきらめかせていた。

 

⬜︎

 

リュウジに支えられて体勢を立て直したルナは、胸の鼓動を意識的に落ち着かせ、氷面の穴を覗き込んだ。

 薄い氷の縁に、午前の陽が白く反射して眩しい。流れは思ったより速く、底の黒い石が帯のように滑っていく。

 

「眩しいなら、こっちを使え」

 リュウジが手拭いを差し出す。

「氷の手前に影を作ると、反射が消える。魚の影が読みやすい」

 

「なるほど……」

 ルナは手拭いを広げ、氷穴の上にそっと影を落とした。たしかに白いぎらつきが消え、水中の輪郭がくっきりする。銀の光点が一つ、また一つ、石影の間をすり抜けた。

 

「それと――」リュウジは短槍を水平に構え、膝を半分ほど曲げる。

「水は屈折する。見えてる場所より、半身ぶん“手前”を刺す。急がない。動かず、待つ」

 

 ルナは息をひそめた。氷の縁で滑らないよう、足場に雪をかむように踏み締める。指先はかじかんで痛い。けれど、心は奇妙に静まっていく。

 水底の石の上を、小ぶりの魚影がふっと止まった。鰭がかすかに震え、体側の鱗が光る。

 

 次の瞬間、空気を裂くように槍が落ちた――が、魚は石影へ弾けるように逃げ、槍先は水底に「コッ」と乾いた音を残した。

 

「……惜しい」

「いまの、十分速かったわよ」

「速さは十分。狙いが“見た目”だった」

 リュウジは槍を引き上げ、水を払う。淡々としているが、口調は責めていない。淡白に、ただ事実だけを置く。

 

「次は手伝ってくれ。流れが曲がる手前で、少しだけ石を動かす」

「わかった。どの石?」

「その黒い偏平のやつ。十五度だけ。魚の逃げ道を絞る」

 

 ルナは水際に指を入れる。冷たさにびくりと肩が跳ねたが、奥歯を噛んで石を押した。手の中で石がかすかに転がり、流れが細く蛇行する。

 水の帯の形が変わるのが見て取れた。細い澱みが生まれ、そこに銀の影が吸い込まれていく。

 

「来る」

 リュウジの声は低く短い。

 魚影が澱みに触れた瞬間、槍が落ちる。さっきよりも、半身ぶん手前――。

 

 水が弾け、白い飛沫がルナの手の甲に点々と散った。

 槍の先に重みが乗る。「やった……!」とルナが息を弾ませると、リュウジは無言で槍を引き上げ、氷の縁へと魚を載せた。

 

「一尾」

 静かな声と裏腹に、ルナには彼の瞳の奥がわずかに明るくなるのが見えた。

 

「まだ行ける」

「うん、影、もう少し広くしてみるね」

 ルナは手拭いの位置を調整し、氷穴の手前から横へと影の帯を延ばした。反射が消え、川底の起伏がさらに読みやすくなる。

 彼女は父の形見のリュックから細い紐を取り出し、即席の網袋を作って雪の上に広げた。「雪で冷やしておけば大丈夫よね」と言うと、リュウジは短く頷く。

 

 二尾目は早かった。

 澱みに入る寸前の細身のやつを、リュウジは呼吸一つで射抜いた。

 三尾目は難敵だった。石影に潜り、わずかな尾の振りで流れを読み、こちらの気配を窺っている。ルナは氷縁に添えた手をそっと引き、影の角度を数センチだけ変える。

 魚が、ほんの指先ほど前に出た。

 

「いまだ」

 リュウジの囁きと同時に、槍が矢のように落ちた。

 手応え。水の抵抗越しに、確かな重みが腕へ乗る。

 

「三尾!」

 ルナは思わず小さく跳ね、両手で拍を打った。

「やっぱりすごい、リュウジ」

「お前の影と石の角度がよかった」

「ふふ。じゃあ、共同作業の勝利だね」

 ルナが笑うと、リュウジはわずかに視線を逸らし、口元だけで応える。「そうだな」と。

 

 しばし沈黙。流れる水音と、薄氷がかすかに鳴る音だけが耳に残る。

 風が緩み、陽が一段強くなる。氷穴から立ち上る水蒸気が、白い糸のように日差しを縫った。

 

「もう少しやるか?」

「うん。みんな、きっとお腹を空かせて待ってる」

 ルナは網袋を整え、雪をかけて冷やす。頬に触れる空気は、昨日より柔らかい。冬の名残はまだ濃いのに、川の匂いにわずかに“春”が混じった気がした。

 

 四尾目は、ルナが見つけた。

「右下、石の陰……小さいけど動きが鈍い」

 リュウジが視線をなぞり、頷く。「見えている」

 槍の角度が少し変わる。

「屈折で半身手前、でしょ?」

「それと、流れの“押し”を計算する。刺す前に、半歩分、左へ」

 

 ルナは彼の肩ごしに、水の筋を読む。石と石の間にできた薄い落差。そこに生じた小さな渦。

 リュウジが半歩、左に移る。

 槍が静かに沈み――そして、音もなく突き上げられた。

 

「……成功」

 リュウジの言葉に、ルナの口元がほどけた。

「ね、私もちょっとは役に立てた?」

「十分だ。ルナの“見る目”はいい」

 不意に褒められて、ルナは耳まで赤くなる。「そ、そうかな……」

 

 網袋は五尾で十分な重みになった。雪を厚く被せ、ルナはリュックのベルトを締め直す。

 立ち上がる際、また足が滑りかけ――今度は自分で踏みとどまった。

「大丈夫」

「そうだ。足は“面”で置け。踵からじゃない」

「ありがとう」

 

 帰り支度を整え、二人で川から離れる。

 背後で薄氷がぱきりと鳴り、流れが新しい筋を刻んだ。季節がほんの少し、前に進む音のように聞こえた。

 

「戻ったら、ベルに焼いてもらおう。塩はないが、海水が使える」

「シンゴはきっと、また熱々のまま食べて“あっちぃ!”って言うね」

「チャコは三尾で満足しない」

「メノリは“食べすぎ禁止”って言うけど、ハワード――あ、僕ね、って言い直して自分の分を増やすかも」

 想像のなかのみんなが、焚き火の周りで笑っている。ルナもリュウジも、自然と歩幅が合っていった。

 

 ふと、ルナが横目で彼を見上げる。

「……ねえ、ありがとう。さっき助けてくれたことも、教えてくれたことも」

「礼を言うなら、皆にしてくれ。腹を満たせる」

「うん。でも――」ルナは首を振る。

「“私”からも、ちゃんと。ありがとう、リュウジ」

 

 返事の代わりに、彼はわずかに顎を動かした。

 言葉にしない約束が、冷たい川風の中で確かに結ばれた気がした。

 

 雪解けの水音が背中を押す。

 二人は魚の重みを分け合いながら、スターホールへと歩き出した。

 

◇◇◇

 

──暗闇の中に、柔らかな光が滲んでいた。

 アダムの視界にぼんやりと浮かぶのは、青白い計器の灯と、何かを操作する二人の姿。

 光沢のある服に、流れるような動き。

 その横顔には、自分とよく似た輪郭があった。

 

 男と女──。

 その二人が何かを真剣に操作している。

 外には、黒い宇宙と、わずかに映る惑星の影。

 まるで――何かを守るために、最後の調整をしているように見えた。

 

 女の人が振り返り、微笑んだ。

 それは母のように優しい微笑だった。

 男は無言で頷き、アダムを抱き上げる。

 やがて視界が切り替わり、銀色の装置──コールドスリープのカプセルが映った。

 母の瞳が潤んでいる。唇が震え、何かを呟いた。

 ――アルドゥラムギェット。

 その声だけが、胸の奥に響いた。

 

 蓋が閉まる瞬間、アダムは伸ばされた母の手を見た。

 そして、真っ白な光の中で意識が遠のいていった。

 

 アダムは目を開けた。

 そこはスターホールの洞窟の中。

 まだ夜明け前で、淡い光が壁の水晶をかすかに照らしている。

 寝息を立てる仲間たちの間で、ルナが静かに眠っていた。

 

 アダムはその顔を見て、胸の中の痛みが和らいでいくのを感じた。

「……ルナ……」

 小さく呟き、目を閉じる。

 再び、夢の続きを求めるように、穏やかに眠りに落ちていった。

 

 朝日が洞窟の入り口を黄金色に染めるころ、アダムは皆に夢の話をした。

 

「僕……夢を見たんだ」

 焚き火のそばで、アダムは膝を抱えて話す。

「自分に似た人が二人いて……たぶん、僕のお父さんとお母さんだと思う」

 

 仲間たちは静かに耳を傾けた。

「二人は何かを操作していたんだ。操縦席みたいなところで……」

 

「操縦席……?」とメノリが眉をひそめた。

「つまり、遺跡の中にまだ別の部屋があるということか?」

 

「はっきりとは思い出せないけど……そんな気がする」アダムは不安げに呟いた。

 

「本当かよ、それ」ハワードが半信半疑の声を上げる。

「そんな部屋、見当たらへんかったなぁ」とチャコも首を傾げる。

 

 シンゴは顎に手を当て、真剣な眼差しを見せた。

「きっと……遺跡の中に、その部屋があるんだよ。僕らが見つけられなかっただけで!」

 そう言うと勢いよく立ち上がった。

「ねえ、もう一度行かせてよ!行けば何か分かるはずだ!」

 

 その真剣な声に、ルナは少し考え込む。

「そうね……この前の環境制御ルームだって、偶然見つけたんだものね」

 

「ずっと気になってたんだ」シンゴが言う。

「どうしてアダムが、あの遺跡にいたのかって」

 

 皆の視線が集まる。

 沈黙の中、シンゴが口を開いた。

「あの遺跡が“宇宙船”なら、辻褄が合うんだ」

 

 その言葉に、一同は息を呑んだ。

 ただ、リュウジだけが険しい顔をしていた。

 

「せやな……あのマシンの構造から考えても、その可能性は十分にあるで」

 チャコも腕を組み、ゆっくりと頷いた。

 

「じゃあ……もしかしたら帰れるかもしれないんだな!」

 ハワードが立ち上がり、声を上げる。

 

「待て!」メノリが即座に制した。

「仮に宇宙船だとしても、動くとは限らない!」

 

「それだけじゃない」シンゴは言葉を続けた。

「あんな精巧なテラフォーミングマシンを作れる技術を持ってる。

 僕が作った無線機なんか比べものにならないほどの通信装置があるはずだ!」

 その瞳は興奮に燃えていた。

 

「でも、今までみたいにすんなり調査が進むとは思えない」メノリが冷静に返す。

「それは覚悟のうえだよ!」シンゴの声には迷いがなかった。

 

「遺跡に泊まり込むつもりなの!?」シャアラが不安そうに口を開く。

「うん、1日や2日じゃ調べきれない」

 

「ウチも行くで、シンゴ!」チャコが元気よく言い、背中を叩いた。

 

 シンゴはうなずき、真っ直ぐにルナを見つめる。

「ルナ! アダムも一緒に連れて行きたいんだ。遺跡の扉を開けるのに、アダムの力が必要なんだ」

 

 アダムも続いて声を上げた。

「行かせて、ルナ。僕……僕のこと、もっと知りたい。お願い!」

 

 ルナは驚いたように目を見開いた。

「……大丈夫なの?」

 

「うん。僕、もう怖くない」

 アダムの瞳はまっすぐで、迷いがなかった。

 

 ルナの脳裏に、以前リュウジが言った言葉がよぎる。

 ――“アダムの手で解決してやる方がいいと考えただけだ”

 

 しばしの沈黙のあと、ルナは穏やかに微笑んだ。

「……分かったわ」

 

 アダムの顔に笑みが広がる。

 それを見てシンゴもチャコも力強く頷いた。

 

「カオル、三人を遺跡まで送ってもらえる?」

 焚き火の向こうでルナが声をかけると、カオルは短く答えた。

「ああ、任せろ」

 

「ありがとう。……じゃあ、交代でシンゴたちの食料を面倒見ましょう」

 ルナの言葉に、皆が次々と頷く。

 

 朝の光が差し込み、洞窟の壁の水晶が輝きを放つ。

 その光を浴びながら、アダムは胸の奥で、夢に見た母の声を思い出していた。

 ――アダム。

 その名を、もう一度確かめるために。

 

◇◇◇

 

環境制御プログラムが止まり、島は“冬の底”をようやく過ぎた。

 雲の切れ間に太陽が顔を出す時間が目に見えて増え、冷気はまだ頬を刺すけれど、風の縁には柔らかい匂いが混じる。雪の下から黒い土がのぞき、湖面の氷は縁から薄くガラスのように割れていた。

 

 今日は――スターホールを離れ、あの“大いなる木”の上に作ったみんなの家に戻る日だ。

 最後に出てきたルナは、しばらく洞窟の中を振り返った。長い夜を何度もやり過ごした焚き火の跡、壁に残った煤、天井の雫の跡。たくさんの息づかいと囁きが染みついた場所。

 「……ありがとう」と小さく呟いてから、彼女は扉をゆっくり閉めた。古びた蝶番が短く鳴り、スターホールは静かに眠りに戻る。

 

「三人を遺跡まで送ってくる」

 カオルが短く言う。肩には最小限の荷、腰にはロープ、足取りは迷いがない。

 

「お願いね」

 ルナが頷くと、シンゴが弾む声で続いた。

「行ってきます!」

「差し入れ、待っとるで!」チャコはウィンクして、背負い紐をぎゅっと引き締める。

 

「三人とも、気をつけてね……」

 ルナの声音には、ほころぶ陽だまりのような優しさと、薄氷の上を歩くような心配が同居していた。

 

「そんな顔すなや、ルナ。心配ないって」

 チャコは親指を立てて笑う。「ほな、いこか」

 合図と同時にカオルが先導し、三人は白く息を弾ませながら東の道へ歩き出した。

 

「気をつけろよな!」

 背後から僕――ハワードの声が飛ぶ。

 シンゴは振り返って手を高く上げた。「ありがとう! 行ってきます!」

 

 彼らの背中が斜面の向こうに消えてゆくのを見届けると、ルナはくるりとみんなの方へ向き直った。

「私たちも行きましょう」

 シンゴたちとは反対方向。湖を抱く谷あいを、陽にきらめく氷縁に沿って歩く。

 

 足元で薄氷がぱきり、と鳴った。水鳥の影が一筋の波紋を残し、遠くで枝の雪が落ちる音がする。

 湖の縁を回り込むと、視界がふいに開けた。

 

「あっ、見て!」

 シャアラが、嬉しさを押しきれないみたいに叫んだ。

 黒々とした幹を天へ伸ばし、幾千の腕で空を抱く“大いなる木”。その高みに、板橋と縄の通路で結ばれた、みんなの家が陽を浴びている。

 

「ああ、みんなの家だ」

 僕――ハワードは自然と笑った。胸の奥がじんわり温かくなり、気づけば駆け出していた。

「やった、着いたぞ!」

 はしゃぐ僕に引っ張られるように、シャアラもスカートを押さえ、笑顔で走る。二人の背に、柔らかな風が押した。

 

 その背中を見て、ルナたちの顔にも花が咲く。

 けれど、そのとき不意に、メノリが足を止めた。

「――何か、気になることでもあるのか?」

 視線の先にはリュウジ。頬に落ちた影、沈んだ光の奥に微かなざらつき。

 

「え?」

 ルナとベルが同時に振り返る。メノリは細い指でこめかみを押さえ、淡々と続けた。

「宇宙船の話をしていた辺りから、険しい顔をしているだろう」

 

 リュウジは、短く息を吐いて口角をわずかに上げた。

「よく気が付くな」

 乾いた風に、どこか嬉しさを隠した響きが溶ける。

 

「何かあったの?」

 ルナの問いかけは、氷のひびを撫でる指のようにそっとしている。

 しばらくの沈黙ののち、リュウジは重い口を開いた。

 

「……お前たちなら、もう大丈夫か。――あの遺跡は宇宙船で間違いないだろう」

 言葉は静かで、しかし石を置くように確かだった。

 

「どうしてそう思うんだ?」

 ベルが眉を寄せる。

 リュウジは湖面を一度見て、記憶を辿るように視線を遠くにやった。

 

「前に東の森を調べに行ったとき、俺が言ったことを覚えてるか?」

 ルナとベル、そして僕も、その日の肌の軽さを思い出す。

 アダムを見つけて連れ帰った、あの奇妙な森。落ち葉が宙でゆっくり落ち、体がふわりと浮いたように軽かった。

 

「たしか……“人為的な重力制御ユニットのようなものが暴走しているのかもしれない”……だったかしら」

 ルナがぱち、ぱち、とまつ毛を瞬かせながら言う。

「そうだ」リュウジは頷いた。「もし遺跡が宇宙船で、重力制御ユニットが故障しているなら、東の森で重力が軽いことの説明がつく」

 

「それが宇宙船とどう関係しているんだ?」

 メノリの問いは直線だ。

 リュウジは指先で空気をなぞるようにして続けた。

 

「重力制御ユニットの“メイン”が死んでいるなら、いくらチャコやシンゴがいても、代わりのユニットがなければ修理できない。調整や配線の引き回しで誤魔化せる領域じゃない」

 言い切り方は冷たいのに、その奥には“期待を裏切りたくない”熱が沈んでいる。

 

「それだったら、どうして先に言わないんだ」

 メノリが一歩踏み出した。叱責というより、責任の所在を確かめる長の声。

 

「……あの三人は、もうやる気になっていた。シンゴの言うとおり、通信装置がある可能性も高い。希望は潰すものじゃない」

 リュウジは短く目を伏せ、続ける。

「それに――今ここで“直せないかもしれない”なんて話を、ハワードやシャアラに投げるのは、受け止めきれないだろう」

 

リュウジの言うとおりだろう。

 

「今はシンゴたちに任せてみよう」

 ルナは温かな笑みを浮かべる。

 宇宙船かどうか――それも大事だけれど、彼女は別の“答え”をもう見つけていた。

 (リュウジは、ちゃんと皆のことを考えている)

 それだけで、ルナの胸は不思議と軽くなった。

 

「おーい! 早く来いよー!」

 大いなる木の根元で、ハワードが両手を口に当てて叫ぶ。返事の代わりに、ルナの声が澄んだ空気を渡ってきた。

「今行くー!」

 

 歩き出すリュウジとメノリ。二人は肩を並べ、前を見たまま短くやり合う。

「――お前はなんで、大事なことを早く言わないんだ」

「だから言っただろう。タイミングの問題だ」

「そのタイミングを、これからは“私にも”共有しろ」

「了解。……努力はする」

 

 硬い言葉の応酬のはずなのに、どこか滑稽で、どこか心地よい。

 ルナはその後ろ姿を見つめながら、胸の奥があたたかく満ちるのを感じていた。

 (リュウジが、仲間に向かって言葉を投げている。閉じた扉の向こうじゃなく、同じ場所で)

 嬉しくて、少しだけ涙腺が緩む。

 

「あの二人、なんだかお似合いだね」

 ベルがぽつりと呟いた。大きな手で荷を持ち替えながら、どこかほっとした響きで。

 

「え、ええ……」

 ルナは微笑もうとして、思いがけず胸の奥がちくりと痛むのに気づいた。

 (どうして、今の言葉に……)

 舌の先に、甘いのに少ししょっぱい味が広がる。

 焚き火の明かりの下で肩を貸し合った夜、冷たい海で見た逞しい背中、川面に落ちないように掴んでくれた手のぬくもり――記憶がふっとよみがえって、頬が軽く熱を帯びた。

 

◇◇◇

 

太陽が真上に昇り始めたころ、森の風が少し暖かくなってきた。

 大いなる木の枝々に結ばれた“みんなの家”は、冬の間の雪を払い落とし、ようやくその姿を取り戻していた。

 板張りの床はところどころ灰色に乾き、木の楔で締められた梁がきしむ音が小さく響く。

 鉄板を敷いた土台が太陽を反射し、冬の名残を少しずつ追い払っていた。

 

「さて、手分けしてやろうか」

 ルナが手を叩くと、みんなの動きが始まった。

 今日は六人――リュウジ、メノリ、ルナ、ハワード、ベル、シャアラだけだ。

 チャコとシンゴ、アダム、そしてカオル(案内のみ)は東の遺跡で調査を続けている。

 

「俺は食料を取ってくる」

 リュウジはそう言って短槍を手に取る。槍の穂先は自分で削った黒曜石だ。光を受けて黒く光るそれは、リュウジの無骨な手にしっくり馴染んでいる。

 背中に縄の紐を結び、枝の通路を渡る。

 

「気をつけてね、滑るから」

 ルナが声をかけると、彼は短く「分かってる」とだけ言い、風の中に姿を消した。

 

 家の中では、メノリとシャアラが掃除をしていた。

 窓はない。けれど枝の隙間から光がこぼれ、埃の粒が金色に輝く。

 シャアラは箒で隅々を掃き、メノリは布で床を丁寧に拭いていく。

 

「ここ……木の節が浮いてきてるな」

「ほんとだ……あ、でも拭けば少し落ち着くかも」

 シャアラは手にした布で、節の周囲をゆっくりと拭いた。

 木の香りと、冬の間にこもった湿気が混ざり合い、懐かしい匂いが漂う。

 

「やっぱり……この場所が一番落ち着くね」

 シャアラがそう言うと、メノリはほんの少しだけ笑った。

「ああ。ここが“私たちの家”だ」

 

 風が吹き抜けるたびに、二人の髪が揺れ、ほのかに光った。

 まだ寒いのに、その空気には確かに春の気配があった。

 

 一方その頃、外ではルナ・ベル・ハワードの三人が、構造の点検を行っていた。

 ベルは足元の梁を叩いて音を確かめ、ルナは節の割れを目で追う。

 ハワードは木組みのつなぎ目を覗き込みながら、「ここ、楔が緩んでるな」と声を上げた。

 

「どこ?」

 ルナが身をかがめて覗き込む。

 ハワードが指差すと、楔の頭が少し浮いているのが見えた。

 

「乾燥で木が縮んだんだろうな」とベルが言う。

「打ち直す?」

「うん。少し叩けば締まる」

 

 ベルが腰袋から木槌を取り出し、軽くコンと打つ。

 音が“締まる”感触に変わった。

 ルナはほっと息をつき、「いい音」と笑った。

 

「よし、次は床板だな」

 ハワードが鉄板を軽く踏み、響きを確かめる。

 “コン、コン”と響く音はまだしっかりしていた。

 

「冬の間もよく耐えてくれたね」

「そりゃあ僕たちが作った家だからな」ハワードが自分の胸を叩く。

 

 それにベルが笑い、ルナもつられて吹き出した。

 その笑い声が枝を渡り、森の空へ広がっていく。

 

 ひととおり点検を終えると、ルナは立ち上がって手を腰に当てた。

「よし、これで全部大丈夫そうね」

「うん。構造に問題なし。さすが俺たちの家だ」ベルが満足そうに頷く。

「僕のチェックも完璧だったね!」とハワードが胸を張る。

 

「……壊す勢いで揺らしてただけじゃないの?」ルナが笑うと、

「えぇ!? あれは強度テストだよ!」と慌てて反論するハワード。

 

 笑いの中に、柔らかな陽が差し込んだ。

 木々の枝を抜けた光が、床にまだら模様を描く。

 その中で、ルナは小さく目を細めた。

 

「……やっぱり、ここが一番好き」

 そう呟いた彼女の声に、二人も静かに頷く。

 

 冬の長い眠りを終えた“みんなの家”は、再び仲間たちを迎える準備を整えていた。

 風の匂いはどこか甘く、遠くで鳥が囀りはじめている。

 

 リュウジが戻れば、今日は久しぶりの“焚き火の晩餐”になるだろう。

 春の訪れを告げる、穏やかな一日だった。

 

◇◇◇

 

夕暮れ。森の奥がゆっくりとオレンジ色に染まり、空の端に細い光の筋が伸びていた。

 ルナたちが作業を終え、“みんなの家”の前に焚き火を囲んで座っていると、枝を踏む音が近づいてきた。

 

「……戻ったぞ」

 

 声の主はリュウジだった。肩に掛けた布袋の中から、銀色に光る魚がいくつも覗いていた。

「すごい! こんなにたくさん!」

 シャアラが目を輝かせて立ち上がる。

 

「おかえり、リュウジ!」

 ルナが笑顔で駆け寄ると、リュウジは少し照れたように口角を上げた。

「流れの緩い所を見つけた。思ったより簡単に獲れたよ」

 

「リュウジ、やるじゃないか!」とハワードが声を上げ、ベルも嬉しそうにうなずいた。

「今日の夕飯は豪華になりそうだな」

 

 ルナは持っていた鉄の皿を取り出し、火のそばに置いた。

「ハワード、火をもう少し強くしてもらえる?」

「任せとけ!」

 ハワードは枝をくべ、火に息を吹きかける。ぱちぱちと音を立て、炎が一気に明るくなった。

 

 

「ただいま」

 枝を踏みしめる音と共に、カオルの低い声が響いた。

 みんなが振り向くと、背中には使い慣れた槍。

 

「おかえり、カオル!」

 ルナが笑顔で手を振る。

「アダムたちは無事に遺跡に着いたの?」

 

「ああ、問題ない。シンゴもチャコも元気だ。遺跡の入り口で火を焚いてきた」

「よかった……」ルナは胸をなでおろす。

 カオルは焚き火の前に腰を下ろし、冷えた手を火にかざした。

 

「いいタイミングだね」ベルが笑って木皿を差し出した。

「ちょうどリュウジが魚を持って戻ってきたところだ」

「そいつは助かる」

 

 火の上では、鉄皿で焼ける魚と何匹もの魚が串に刺されて焼けていた。

 香ばしい匂いが風に乗って漂い、ハワードが鼻をくんくん鳴らしている。

 

「この匂い……最高だ!」

「ハワード、まだだってば!」とルナが笑う。

「もうちょっと焼けるまで我慢して」

 

 リュウジは黒曜石のナイフで魚を裂き、火加減を見ながら一匹ずつ向きを変える。

「メノリ、こっちの塩、頼む」

「分かった」

 そう言って、メノリが手際よく塩をつまんだ……が、次の瞬間。

 

 “ざばっ!”

 

 魚の上に大量の塩が雪のように降りかかった。

「……ちょっと、メノリ! それ、しょっぱすぎるだろ!」

「え? あ、ちょっと手が滑っただけだ!」

「滑る量じゃないだろう!」とハワードが大笑い。

 

「塩焼きじゃなくて“塩漬け”になりそうだね」ベルが皮肉っぽく言い、みんなが吹き出した。

 メノリは頬をふくらませ、「笑うなら食べなきゃいいだろう!」とムッとした表情。

 

「ほらほら、ケンカしないの」ルナが笑って間に入る。

「ほら、こっちのやつはちゃんと焼けてるから、みんなで食べよ」

 

 魚の皮がパリパリと音を立て、焦げ目から油がしみ出す。

 リュウジが一口食べると、静かにうなずいた。

「うん、悪くない」

「ほんと?!」メノリが嬉しそうに身を乗り出す。

「このしょっぱいやつも?」とハワードが茶化すと、リュウジは無言で肩をすくめた。

 

「……これはこれで保存が利く」

 その一言に皆がまた笑い声を上げる。

 

 カオルは静かに魚を口に運び、しばらく黙ってから「うまいな」と短く呟いた。

「そりゃあ、リュウジが獲ってきたんだもん」ルナが嬉しそうに言う。

 

 風がふっと吹き抜け、焚き火の炎が揺れた。

 その光の中で、誰もが笑っていた。

 つらかった冬が遠ざかり、やっと、穏やかな時間が戻ってきたのだ。

 

「……あったかいね」

 その声に、誰もが顔を上げた。

 メノリも、ベルも、シャアラも、そしてリュウジも。

 みんなが自然と微笑み合った。

 

 焚き火の火の粉が夜空へ舞い、星と溶け合うように消えていく。

 長い冬を越えて、ようやく訪れた穏やかな夜。

 それは、彼らの小さな“春の祝宴”だった。

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