サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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エリンとペルシア

しばらくして――操縦室の扉が、控えめにスライドした。

 

空気の流れが一瞬だけ変わり、誰もが反射で視線を向ける。入ってきたのはペルシアだった。肩まで落ちた髪は少し乱れ、片手で大きな欠伸を噛み殺しながら、眠そうな瞼を指でごしごしと擦っている。制服の上着はきちんと着ているのに、顔だけがまるで別人みたいに無防備で、整った美貌が逆に妙な間抜けさを漂わせていた。

 

ペルシアは誰に断るでもなく、そのまま通信席へ歩いていき、椅子を引いて腰を落とした。背もたれに体重を預けた瞬間、首がふわりと揺れる。目は半分しか開いていない。

 

チャコが端末の画面から目を離さないまま、口だけで言った。

 

「よう眠れたみたいやな」

 

返事がない。

 

チャコは一拍置いてから、少しだけ顔を上げた。通信席のペルシアは、顎がわずかに胸へ落ちたまま固まっている。呼吸は規則的。まぶたも完全に閉じていた。

 

ククルが慌てて小声で言う。

 

「……寝ちゃってます」

 

操縦席のクリスタルが、堪えきれないように喉で笑った。

 

「ふふっ……」

 

チャコは呆れたように眉を上げる。

 

「何が“宇宙船で眠れるかな”や。ちゃんと寝てるやないかい」

 

操縦室の空気が、ほんの少しだけ和らぐ。だが、モニターに表示されている航行データは、淡々と冷たい。セーシング領域の縁までの距離と推定到達時間は着実に減り、通信帯域のノイズ値も少しずつ上がっている。笑っている場合じゃない――分かっているのに、この瞬間だけは誰もが助けられていた。緊張を張り詰めたままでは、必ずどこかで心が裂ける。

 

その時、再び扉がスライドし、今度はリュウジが姿を現した。両手にコーヒーを二つ。紙カップの蓋から立つ湯気が、操縦室の乾いた空気に溶けていく。

 

「ペルシア。コーヒーだ」

 

リュウジは眠り落ちたペルシアの前に、そっと一つ置いた。もう一つは自分の席へ。ペルシアは目を閉じたまま、置かれた気配だけでカップを掴み、まるで夢の中の返事みたいに呟く。

 

「……あんがと」

 

そしてそのまま、ズズゥ……と、吸うようにコーヒーを飲む。目は閉じたまま。顔も動かない。なのに飲む。

 

チャコが唇を引きつらせた。

 

「器用すぎるやろ……」

 

リュウジは苦笑いだけを落として、クリスタルに視線を向ける。

 

「クリスタル、変わろう」

 

「了解」

 

クリスタルは操縦桿から手を離し、椅子を滑らせるように立ち上がった。その動きは落ち着いていて、周囲に余計な波紋を作らない。

 

「予定より少し早く着きそうよ。追い風……って言い方は変だけど、航路が安定してる」

 

「ああ」

 

リュウジは操縦席に腰を下ろし、姿勢を整えると同時に計器類へ視線を巡らせた。速度、姿勢、補正値、エンジン出力、レーダー反応。目の動きが早いのに、落ち着いている。宇宙の暗闇を前にした時だけ、リュウジの中の“戻ってきたもの”が静かに息をし始める――そんな気配があった。

 

チャコが横目で通信席を見る。

 

「なぁ……ペルシア、大丈夫なんか?」

 

「大丈夫だ。そのうち起きる」

 

リュウジは短く答える。経験から来る確信だった。ペルシアは、眠っていても、必要な時には必ず起きる。むしろ、起こす方が危険なタイプだ。半端に目が覚めた状態で仕事をさせると、機嫌が悪いだけで済まない。

 

その瞬間、通信席のペルシアが、いきなり口を開いた。

 

「ククル〜……」

 

声は眠気を引きずっているのに、妙に“呼び慣れた”感じがする。ククルは反射で走り出した。

 

「は、はいっ!」

 

ペルシアの横に駆け寄り、顔を近づける。

 

「どうしましたか?」

 

次の瞬間、額にピシッと衝撃が走った。

 

「いたぁっ!?」

 

ククルが悲鳴を上げる。ペルシアの指が、狙い澄ましたようにククルの額を小突いていた。目は半分しか開いていないのに、やることだけ正確だ。

 

ペルシアはニヤニヤしながら言う。

 

「走らない」

 

「す、すみません……!」

 

ククルは額を押さえ、しょんぼりしながらも反射的に背筋を伸ばした。叱られたのに、どこか嬉しそうなのが余計に分かりやすい。

 

ペルシアは大きく息を吸って背伸びし、今度こそ目を開けた。

 

「うーん……よく寝た!」

 

チャコが呆れながら笑う。

 

「ホンマや。復活したな」

 

クリスタルも席を移りながら、肩越しに言った。

 

「ゆっくりできたようね」

 

「よく寝れたけど、今度はマットレス持ってこないと。固くて身体が凝りそうだもの」

 

ペルシアは真面目に言い、真面目な顔のままコーヒーをもう一口飲んだ。操縦室の全員が、一瞬だけ同じことを思う。――この人、いま本当に救助任務の最中だよね?

 

だが、次の言葉で空気が切り替わる。

 

「それより状況は?」

 

眠気が抜けた瞬間のペルシアは、さっきまでの間抜けさが嘘みたいに研ぎ澄まされる。目の焦点が合い、声の芯が戻り、姿勢が“統括官”のそれになる。たった数秒。けれど、その数秒で操縦室の温度が変わった。

 

リュウジが即答した。

 

「あと三十分でセーシング領域の縁に着く」

 

「了解」

 

ペルシアは端末を立ち上げ、通信ログと外部ノイズの推移グラフを呼び出す。指の動きが早い。眠っていたとは思えない。

 

「そしたらその場で待機。無線通信で呼び掛けて様子を見るわよ。こっちから焦って突っ込まない。向こうの送信が壊れてる可能性がある以上、まず“届いてるか”を確かめるのが先」

 

「了解」

 

リュウジが短く頷く。

 

ペルシアは視線を上げ、次々と指示を飛ばした。声量は抑えめなのに、操縦室の隅まで届く。

 

「チャコ。システムの再チェック。とくに通信系とレーダーのフィルタリング。ノイズに飲まれたら終わりよ」

 

「了解や!」

 

チャコは即座に端末を切り替え、ログの深い階層へ潜る。指先が滑るように動く。いつもは口が先に出るのに、今は手が先に出ている。

 

「クリスタル。医療機器の確認。救出後すぐに使えるように、動作チェックと配置も確認して」

 

「了解」

 

クリスタルは頷き、操縦室の後方にある収納スペースの方へ視線を送る。医療パックの固定具、簡易担架、呼吸補助器具、点滴セット、止血材。揺れが大きくなった場合でも散らばらないよう、固定ベルトの状態まで頭に入れる。

 

「ククル」

 

ペルシアがククルを見る。

 

「はいっ」

 

「積荷。食糧と水、予備電源、緊急用の熱源パック。いつでも出せるように配置確認。必要なものが“奥にある”って状況、今は作りたくない」

 

「分かりました!」

 

ククルは勢いよく返事をし――走り出しそうになって、思い出したように一歩で止まる。さっき額を小突かれた痛みが、教訓として残っている。代わりに、きびきびした早足で扉へ向かった。

 

「よし」

 

ペルシアは端末を操作しながら、小さく呟いた。その声は誰に向けたというより、自分の中のスイッチを押すための声だった。

 

操縦室のモニターに、セーシング領域境界の予測線が薄く表示される。縁に近づくにつれて、宇宙の暗闇の“質感”が変わってくる。目で見えるわけじゃない。だが、計器が先に知っている。外部ノイズの上昇、微細デブリの反射、通信帯域の歪み――数値が、“向こう側”の存在を示し始める。

 

クリスタルが医療ケースの固定を確かめながら言った。

 

「……早いわね。もうここまで来た」

 

チャコがログを見つめたまま、低く返す。

 

「ここから先は、ほんまに気ぃ抜けへんで」

 

「分かってる」

 

リュウジの声も静かになる。操縦桿に置かれた手の力が、ほんの少しだけ強くなる。宇宙服の中の呼吸音が微かに拾われる。ペルシアはそれを聞きながら、口元だけで笑った。

 

「緊張してる?」

 

「してない」

 

「してるわよ」

 

ペルシアは軽く言い切り、通信端末の設定を切り替える。送信出力を調整し、冗長ログを作成し、応答がなくても“届いた痕跡”だけは残るようにする。彼女の指は止まらない。救出は今からだ。今この瞬間の準備が、数時間後の生死を決める。

 

ククルが戻ってきた。息は上がっていない。走っていない。えらい。

 

「配置確認、完了しました! 緊急用の熱源パックと水は入口側に。予備電源は医療スペース近くに移動しました。食糧は種類ごとにまとめ、搬出動線を塞がないように――」

 

「いい子」

 

ペルシアが短く褒める。ククルの顔がぱっと明るくなる。だが、すぐに真面目な顔に戻る。褒められて浮かれている暇はないと、本人が一番分かっている。

 

リュウジがモニターを見て言った。

 

「あと二十五分」

 

「そのまま安定飛行。境界線手前で速度を落とす。いきなり縁に突っ込む必要はない」

 

ペルシアが答える。

 

「了解」

 

リュウジの返事が即座に返る。やり取りが短く、無駄がない。以前の“冗談交じりの空気”は完全に消えて、救助任務のチームに切り替わっていた。

 

だが、ペルシアがいると不思議と恐怖が剥き出しにならない。

怖い。危険だ。分かっている。

それでも「やれる」と思わせる速度で、彼女は状況を組み立てていく。言葉ではなく、手順と決断で。

 

チャコが端末を閉じ、報告する。

 

「通信フィルタ、再設定完了。レーダーも感度調整した。ノイズに飲まれにくいはずや」

 

「よし」

 

ペルシアは頷き、次にクリスタルを見る。

 

「医療は?」

 

「問題なし。すぐ使える状態にした。搬入ルートも確保してある」

 

「よし」

 

ペルシアは一つ息を吐いた。

それは気を緩めた息じゃない。戦闘前の、呼吸を整える息だ。

 

「じゃあ、あとは――呼びかけるだけね」

 

彼女は通信端末のマイクに手を伸ばし、指先で軽く触れる。

スイッチを入れれば、ここから先は“声”が武器になる。

届くか届かないか分からない暗闇に向かって、呼びかける声。

 

リュウジがモニターを見たまま言った。

 

「……あと二十分」

 

「了解」

 

そしてアルテミスは、静かに、確実に、セーシング領域の縁へと滑り込んでいく。

誰もが自分の持ち場に戻り、手と目と耳を研ぎ澄ませる。

 

“ここから先”の宙は、命を選別する。

だからこそ、選別なんてさせないために――彼らは来たのだ。

 

ーーーー

 

セーシング領域の縁――そこは、宇宙が宇宙であることをやめかける境界だった。

 

アルテミスは、リュウジの手によってゆっくりと速度を落とした。エンジンの推力が細かく制御され、姿勢制御スラスターが短く、短く鳴く。その微かな噴射音が、船内に伝わる振動として足裏に届く。

 

「……到着だ」

 

リュウジの声は淡々としていた。だが、それが余計に緊張を煽った。淡々と報告できるだけの“余裕”がある――それは信頼に足るものでもあり、同時に、これから先が本当の領域だと告げる鐘でもある。

 

操縦室の前面モニターには、目に見えない境界線を示す表示が薄く走り、周囲のノイズ値を表すグラフがじわじわと上がっていた。

 

クリスタルが計器から視線を上げずに問う。

 

「チャコ、レーダーは?」

 

チャコは副操縦席でログと反応を睨み、舌打ちするみたいに息を吐いた。

 

「乱れとるな。反射が多すぎて、星の影とデブリの影が混ざっとる」

 

「やっぱりね」

 

ペルシアは通信席からモニターを一瞥し、肩を軽く回した。制服の襟元を指で直し、声の温度を一段下げる。

 

「隕石粉塵よ。微弱な電波が蔓延ってる。薄い帯に見えるくせに、こういうところは陰湿なのよね、宇宙って」

 

ククルが不安そうに目を丸くする。だが、口は挟まない。今この場で必要なのは、言葉ではなく“動き”だと、さっきまでに叩き込まれている。

 

ペルシアは引き出しからヘッドホンを取り出した。耳に当て、接続を確認する。パチ、と小さな接点音がして、次の瞬間、世界が変わった。

 

操縦室の静けさの向こう側――宇宙の振動を、波動を、信号を、無理やり“音”に変換したものが、耳の内側に流れ込む。

 

それは、音楽ではない。心地よさなど欠片もない。粒子が擦れるようなざらつき、遠い衝突の鈍い腹鳴り、微小な帯電の尖った針。そこに、人間の作った信号が紛れ込む余地はほとんどない。

 

「……とりあえず、周囲の音を探るわ」

 

ペルシアは目を閉じる。瞼を閉じた瞬間、視覚が消え、代わりに“耳”が世界の中心になる。

 

「ククル」

 

ペルシアはヘッドホンを押さえたまま立ち上がり、通信席を示した。

 

「無線で呼びかけて。できるだけ明瞭に。余計な言葉はいらない。こちらの識別と、応答要請。繰り返して」

 

「分かりました」

 

ククルは足早に通信席へ向かった。走らない。音を立てない。椅子に座るときも、勢いを殺して静かに腰を落とす。今、この場で余計な音はペルシアの邪魔になる。それを本能で理解していた。

 

ククルは深呼吸し、送信スイッチに指をかける。喉が乾く。だが、声が震えたら届くものも届かない。自分は“元気少女”である以前に、この船の一員だ。

 

「こちら救援隊、宇宙船アルテミス。ネフェリス、ホーク、聞こえたら応答してください。繰り返します、ネフェリス、ホーク……」

 

声はまっすぐだった。明るさは抑えられている。必要な分だけ、力が入っている。

 

ペルシアは目を閉じたまま、宇宙を聴く。

 

ざり……ざり……。

 

「この音も違う」

 

彼女の唇が動く。独り言に近い。誰に聞かせるでもなく、音の分類を脳内で整理していく。

 

「これも隕石の音。粉塵帯の擦過……こっちは微小衝突。規則性がない」

 

チャコが小声で言った。

 

「……あかんか」

 

「まだだ」

 

リュウジの声は低く、短い。操縦桿に置いた手は動かないが、目は計器とレーダーと距離計算を往復している。いつでも飛び込める姿勢だ。いつでも引き返せる姿勢でもある。冷静さは、撤退の道を残すためにも必要だった。

 

ククルは呼びかけを続ける。間隔を一定に、声量を一定に。送信のログを残しながら、耳を澄ませる。返事が来ないのは想定内だ。想定内でも、焦りは胸の奥でじわじわと膨らむ。

 

その時だった。

 

通信機の受信ランプが、ほんの一瞬だけ点滅した。

 

ククルの背筋が凍る。目が釘付けになる。もう一度。点滅。短い。ノイズと同じくらい短い。

 

ククルは叫びそうになって、声を飲み込んだ。大声はペルシアの耳を壊す。必要なのは、正確な報告だ。

 

「ペルシアさん! 通信反応、ありました! ……二十二時の方向です!」

 

操縦室の空気が一気に引き締まった。

 

ペルシアの目が開く。瞳が、眠気の欠片もない鋭さで一点を刺す。

 

「よくやった」

 

短く褒め、すぐに息を吸う。

 

彼女はもう一度、神経を“耳”へ寄せた。二十二時――方向を頭の中で回転させ、音の海をその角度へ絞り込む。フィルタを変え、波形を重ね、ノイズの山をひっくり返して“違うもの”を探す。

 

ざざざ……。

 

粉塵帯の奥。粒子が渦を巻く音の層。そのさらに向こうに――何かがある。

 

「……見つけた」

 

ペルシアの声は小さいのに、誰よりも重かった。

 

クリスタルが息を呑む。

 

「流石ね」

 

ペルシアはヘッドホンを外し、すぐに端末を操作し始めた。

 

「座標を表示する。ククル、席を譲って」

 

「はい!」

 

ククルは椅子から立ち、すっと横に退いた。ペルシアが通信席へ滑り込む。

 

ペルシアはマイクを握る。そこに、オペレーションルームで皆を震え上がらせた“統括官の声”が戻る。だが、今の声は怒りではなく、命を引き寄せるための刃だった。

 

「ネフェリス、ホーク。聞こえたら応えて。こちらは救援隊――宇宙船アルテミス。現在位置を受信した。応答せよ」

 

同時に、モニターへ座標を表示する。点が生まれ、薄い線が引かれ、アルテミスから目的地点までの距離と方位が数値で踊った。

 

リュウジが即座に言う。

 

「チャコ、軌道計算」

 

チャコは振り向きもしない。

 

「もう、やっとる」

 

指が走り、モニターが切り替わる。粉塵帯の濃度分布、反射強度、推奨回避ルート。計算された線が幾重にも表示され、最短の一本が強調される。

 

「ここから五分ってとこや」

 

クリスタルが眉をひそめる。

 

「五分……でも、粉塵帯は?」

 

リュウジは前方の暗闇を見据えたまま、軽く肩をすくめた。

 

「なんとかなる」

 

チャコが口元を歪める。言いたいことは山ほどある。大丈夫なのか。突っ込むのか。引き返す余裕はあるのか。だが――このタイミングで“リュウジに不安をぶつける”ことは、チームの芯を折る。

 

チャコは鼻で笑って、言った。

 

「大丈夫なんか? 言いたいところやけど……リュウジが言うなら大丈夫なんやろな」

 

クリスタルも、短く頷いた。

 

「それもそうね」

 

ペルシアはもう一度マイクへ口を寄せる。

 

「ネフェリス、ホーク。応答しなさい。こちらの座標を送った。確認できるなら、応答して」

 

だが――返事はない。

 

受信は沈黙し、代わりにザザッというノイズが短く噛むだけだった。

 

ペルシアが歯を鳴らすように舌打ちした。

 

「あー、くそ。応答がないわ」

 

ククルが不安を押し込めながら尋ねる。

 

「こちらの無線……届いているんでしょうか?」

 

ペルシアは通信席の前で、わずかに首を傾げた。

 

「どうかしらね。送信機がやられてる可能性は高い。受信だけ生きてるかもしれないし、逆かもしれない」

 

一瞬の沈黙。操縦室の空気が硬くなる。五分先にいるのは、ブライアンの船。ブルンクリンの船。そこにはエリンがいて、サツキがいて、マリがいる。助けを呼べない船が、粉塵帯の中で息を止めている。

 

ペルシアは指先で机を二度叩いた。決断の癖だ。

 

「確認しましょう」

 

彼女はマイクに口を寄せる。声がさらに鋭くなる。感情を削ぎ、必要な情報だけを投げる。

 

「ネフェリス、ホーク。この無線が聞こえているなら、通信ログをこちらに送って。短くていい、受信確認のログだけ」

 

言い終えたペルシアは、少しだけ背もたれに身を預けた。

 

「さて……来るかしら」

 

その声には、賭けの緊張が混じる。勝ち負けではない。命の有無だ。

 

数秒が、異様に長い。

ノイズの海に、沈黙が溶ける。

誰もが息を殺して、受信ランプだけを見つめる。

 

ククルの喉が鳴った。クリスタルが無意識に指を組む。チャコは口元を結び、リュウジは計器の数字がずれないよう微細な姿勢制御を続ける。停止しているように見えても、宇宙では“完全な停止”など存在しない。わずかな漂いを抑えるだけで神経が削れる。

 

そして――

 

受信ランプが、点いた。

一度、二度。

その点滅は、さっきより確かに“規則”を持っていた。

 

ペルシアの目が細くなる。

 

「……ビンゴ」

 

リュウジが顔だけ向ける。

 

「来たのか?」

 

「ええ」

 

ペルシアは端末を素早く操作し、表示されたログを確認する。震えない。歓声も上げない。ただ、事実だけを掴んで次へ繋ぐ。

 

「ネフェリス、ホーク、共にログが来た」

 

その言い方が、どれほど救いか。操縦室の空気が一瞬だけ軽くなる。確かに、向こうは“生きている”。受信ができる。こちらの存在が届いた。それだけで、救助の糸が一本、闇の中に張られた。

 

ペルシアは通信席から立ち上がると、ククルの方へ歩いていった。ククルは条件反射で背筋を伸ばす。褒められるのか、叱られるのか――どちらにせよ、受け止める覚悟はできている。

 

ペルシアはククルの頭に手を置き、軽く撫でた。

 

「ククル、よくやった」

 

ククルの顔がぱっと明るくなる。胸の奥の緊張が、涙になりそうになるのを堪えて、ぎゅっと唇を噛んだ。

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

チャコが鼻で笑う。

 

「ほんま、ええ仕事したで。元気少女」

 

「はいっ!」

 

ククルの返事が、操縦室を明るくする。だが、その明るさは軽薄ではなかった。いま必要なのは、絶望しないための火だ。

 

ペルシアはすぐに表情を引き締め、リュウジへ戻る。

 

「行けるわよ、リュウジ。向こうは受信が生きてる。こっちの座標も届いてる」

 

リュウジは前方の暗闇へ視線を戻し、短く頷いた。

 

「ああ。五分だな」

 

チャコがモニターを指差す。

 

「粉塵の濃い帯がここ。薄いのがこっち。最短はこれやけど、リュウジ、どっちで行く?」

 

リュウジは迷わなかった。迷いは操縦に出る。操縦に出た迷いは、粉塵帯では致命傷になる。

 

「薄い帯を抜ける。速度は抑える。姿勢制御は俺がやる。チャコ、レーダーは死ぬ気で拾え。クリスタル、医療準備。ククル、搬入動線、もう一度確認」

 

「了解や!」

 

「了解」

 

「分かりました!」

 

短い返事が、操縦室を一つにする。

誰もが“今やるべきこと”に戻る。

 

ペルシアは通信席に戻り、マイクを握った。さっきの怒鳴り声など、もうどこにもない。代わりにあるのは、救援隊の声だ。暗闇に向かって糸を投げる声。

 

「ネフェリス、ホーク。こちらはアルテミス。これより接近する。受信できるなら――ログを継続送信。姿勢と電源状況、可能な範囲で更新して」

 

送信ボタンを押す指先が、微かに震えていた。

それは恐怖ではない。怒りでもない。

命を守るために、絶対に間違えられないという緊張だ。

 

アルテミスは、リュウジの操縦で、静かに前へ滑り出した。

粉塵帯が待っている。

その向こうに――帰ってくるべき人たちがいる。

 

暗闇の中で、受信ランプが小さく点滅を続けていた。

まるで、“まだ生きている”と主張する心臓みたいに。

 

ーーーー

 

「……セーシング領域を越えるぞ」

 

リュウジの声が落ちた瞬間、操縦室の空気が一段沈んだ。

アルテミスの前面モニターに、境界線を示す淡い表示が走る。数字の羅列が増え、ノイズ値が跳ね、レーダー画面は星図の輪郭を失っていく。静寂が薄皮一枚で破れ、代わりに“ざわつき”が船内の骨格を伝ってきた。

 

ペルシアはヘッドホンを片耳だけ押さえ、目を閉じた。

視界を捨て、耳を研ぐ。宇宙の振動を音に変換した波が、鼓膜の裏側へ流れ込む。粒子が擦れ合うざらつき、帯電の尖り、遠い衝突の鈍い腹鳴り。そこに、ほんのわずか――“薄いところ”だけが、違う匂いで混ざっている。

 

「右、二度。……いや、今のは粉塵の渦。戻して。左に一度、そこで維持。……そう。今の帯よ」

 

ペルシアの指示は短いが、精密だった。

リュウジは一切迷わず舵を切る。大きく動かさない。粉塵帯で大きな姿勢変換は、最悪の結果を呼ぶ。微調整だけで“薄い帯”に機体を滑り込ませていく。

 

チャコがレーダー画面を睨みながら、喉の奥で笑った。

 

「相変わらず、耳だけで道を作りよる……」

 

クリスタルは計器の変化を追い、医療用ケースの固定具を無意識に確認する。ククルは椅子の背に手を添え、息を殺したままペルシアの口元を見ていた。言葉が止まるたび、心臓が跳ねる。今の沈黙は、“見失った”なのか、“見つけた”なのか。

 

ペルシアが低く言った。

 

「来る……ここ、薄い。いける。リュウジ、今」

 

リュウジの目が細くなる。呼吸が一瞬、止まった。

そして――アルテミスが、粉塵帯の“裂け目”へ突っ込む。

 

ざああ、と、耳鳴りみたいなノイズが船体を舐めた。

窓の外は何も見えない。星も、闇も、ただ白い塵の濁流に飲まれる。機体が細かく振動し、計器の針が揺れ、警告音が鳴りかけては押し戻される。姿勢制御スラスターが短く、短く鳴く。

 

「……まだ、薄い帯の中。維持。余計に切らないで」

 

ペルシアの声が、逆に落ち着いている。

怖いときほど声を尖らせない。尖らせた瞬間、全員が動揺する。ペルシアはそれを知っている。だから、心臓が喉元にせり上がっていても、声だけは平らにする。

 

リュウジは頷く代わりに、指先だけで操縦桿を押した。

押しすぎない。引きすぎない。粉塵帯の“流れ”に逆らわず、しかし流されない。抜けるべき方向へ、機体の鼻先をほんの数度だけ向け続ける。

 

数十秒が、永遠みたいに伸びた。

 

そして突然――視界が開けた。

 

モニターのノイズが一段落ち、警告値が下がり、星図が輪郭を取り戻す。粉塵のざらつきが薄れ、スラスターの鳴きが止まる。

 

「抜けたな」

 

リュウジの声がようやく息を含んだ。

 

チャコが拳を握り、座席の肘掛けを叩いた。

 

「ようやった!」

 

ククルがぱっと顔を上げる。

 

「流石、リュウジさんです!」

 

クリスタルが息を吐きながら笑う。

 

「S級って伊達じゃないね」

 

だが、ペルシアだけは笑わなかった。モニターから目を離さず、指先を端末の縁で二度叩く。

 

「……でも本番はここからよ」

 

その一言で、浮きかけた空気が再び締まる。

 

ペルシアは通信ログを開きながら言った。

 

「ネフェリスは、送信が壊れた場合、他に通信手段はないの?」

 

チャコが即答する。

 

「非常系統なら通信は使えるはずや。あの船、しぶといで」

 

「そうよね」

 

ペルシアの脳裏に、過去の映像がよぎる。宇宙爆発の余波でボロボロになったネフェリスが、それでも通信を繋ぎ続けた日。あの船は“やれる”船だ。ちょっとした粉塵で黙るはずがない。

 

チャコも同じ違和感を口にした。

 

「せや。ちょっとした粉塵なんて、影響ないはず……ないんやけどな」

 

「……まあいいわ」

 

ペルシアは感情を切り捨てるように言い、通信回線を開いた。

 

「とりあえず、ブライアンに連絡を取る。ホーク、こちらの指示通り動いて」

 

端末を切り替え、ホークの設計図を表示する。彼女の目はすでに“船の中身”を見ていた。どこに何があって、どの系統をどう繋げば、どの程度の通信が戻るか――頭の中で組み上がっている。

 

「送信機が壊れてるなら、ホーク型には避難シャトルがある。避難シャトルの通信機を接続しなさい。主系統じゃなくていい、非常でもいい、まず“声が出る形”を作って」

 

クリスタルが感心したみたいに言う。

 

「避難シャトルによく気がついたわね」

 

「当たり前でしょう」

 

ペルシアは一瞬だけ視線を上げる。

 

「ホークの設計図は頭に入れてるんだから」

 

リュウジが機体を前へ滑らせる。

 

「もう少し近づこう」

 

アルテミスは粉塵帯の外縁をなぞりながら、座標の方向へ進む。距離が縮まり、通信ランプがわずかに反応し始めた。

 

そして――

 

スピーカーが、ノイズ混じりに息を吹き返す。

 

『……こちらホーク。ブライアンだ』

 

一瞬、全員の動きが止まった。

次の瞬間、ククルが思わず声を上げる。

 

「繋がった……!」

 

ペルシアの声が低くなる。感情ではなく、刃の温度。

 

「ブライアン、そっちの状況は?」

 

『こっちは機体ギリギリだ。エンジンと姿勢制御がやられてる。生命維持装置も……何とか持ってる状況だ』

 

ブライアンの声は荒い。息が切れている。焦りと疲労が混じっている。

 

ペルシアは短く頷き、次の矢を刺した。

 

「ふーん。ちなみにネフェリスから応答がないんだけど、何か知ってる?」

 

『……なに?』

 

ブライアンの声色が変わった。驚きと苛立ちが同時に立ち上がる。

 

『おい! ブルンクリン!』

 

スピーカーの向こうで、何かがぶつかる音がした。

それから少し遅れて、別の回線が割り込む。

 

『……何ですか』

 

淡々としている。苛立ちすら面倒だと言わんばかりの声。若く、尖って、そして――自分が中心だと信じ切った声。

 

ブライアンが噛みつく。

 

『なぜ無線連絡を取らない!』

 

ペルシアは、ブライアンの怒号を遮るように言った。

 

「もういい」

 

その一言が、空気の主導権を奪った。

 

ペルシアはマイクに口を寄せる。

声は低く、冷えたままだ。

 

「ブルンクリン。無線封鎖していた理由は?」

 

『君は?』

 

ブルンクリンの返しは挑発だ。答える気がない。

 

ペルシアは眉一つ動かさずに返す。

 

「救助船の通信士で足りるかしら?」

 

『ふん。まあいい。それより早く助けに来い!』

 

チャコが思わず吐き捨てる。

 

「生意気なやつやな」

 

クリスタルも同意するように息を吐いた。

 

「本当ね」

 

ククルが慌てて取り繕う。

 

「ま、まあまあ……」

 

ペルシアは無視して続ける。

 

「そっちの船の様子は?」

 

『大したことない。僕は無事だ』

 

「……あんたのことじゃない!」

 

ペルシアの声が一段だけ鋭くなる。

 

「宇宙船のことよ!」

 

『誰に口を聞いている!!』

 

ブルンクリンが叫ぶ。

その瞬間、操縦室の温度が上がった。ペルシアの拳が、机の下で握られる。額に見えない怒りの筋が浮かぶ。

 

リュウジが苛立ちを隠さずに割り込んだ。

 

「おい。さっさと答えろ」

 

『誰だ、お前は!!』

 

「S級のリュウジだ」

 

リュウジの名が出た瞬間、通信の向こうに一拍の間が落ちた。

 

『リュウジ?……ああ、過去の英雄か』

 

その言い方が、地雷だった。

 

『リュウジ!? 本当にリュウジなのか!?』

 

ブライアンの驚きが被さる。

 

「うるさい」

 

リュウジが冷たく切る。余計な感情のやりとりは、今は要らない。

 

「ブルンクリン。宇宙船はどうなんだ?」

 

『……』

 

返事がない。

お得意の無線封鎖――そう思った矢先、ブルンクリンがしぶしぶ口を開く。

 

『……エンジンが止まっただけだ』

 

「他の仲間は?」

 

リュウジの質問は鋭い。船の状態より、まず“人”だ。

 

『他?……大丈夫だろう』

 

「根拠は?」

 

リュウジの声がさらに冷える。

 

『そんなことより早く助けに来い!』

 

チャコが舌打ちし、クリスタルが目を細めた。ククルの口元が引きつる。

この男は、言葉の端々から“仲間”を見ていない。

 

リュウジが、静かに告げた。

 

「ブルンクリン、教えといてやる」

 

その声は怒鳴り声ではない。怒りを通り越した、氷みたいな声だった。

 

「仲間は道具じゃない!!」

 

一瞬、通信が静まり返った。

ブルンクリンから応答がない。沈黙が、彼の未熟さをそのまま露呈する。

 

ペルシアが鼻で笑った。

 

「はぁ……くだらない」

 

そして、作戦に戻る。救助は感情でやらない。優先順位は決まっている。

 

「とりあえず、先にホークを救出しましょう」

 

『なんでだ!?』

 

ブルンクリンが食いつく。自分が先だと言わんばかりだ。

 

ペルシアはブルンクリンの言葉を無視して、淡々と指示を重ねる。

 

「ホークを牽引する。後から来ているグレートフォックスに収納。そこからネフェリスの救助に移る」

 

『おい!! ふざけるな!!』

 

ブルンクリンの声が割れる。

 

『こっちは長い間、宇宙空間を漂ってストレスが溜まっているんだ!! 先に遭難したのは僕たちなんだ! 先に助けるのが――』

 

そこで、ペルシアの理性が“限界”を越えた。

 

「うるさーーーい!!」

 

操縦室のスピーカーが震えた。

音量ではない。圧だ。空気の主導権を握り潰す声。

 

チャコが小声で呟く。

 

「……あかん、キレてもうた」

 

リュウジが視線だけでチャコを制した。今、余計な一言は全員を燃やす。

 

ペルシアは、怒鳴りながらも内容は正確だった。怒りを武器に変えている。

 

「いい!? ホークはいつ生命維持装置が壊れるか分からない状況なの! 宇宙船もネフェリスよりボロボロなのよ! バカ!!」

 

『誰に向かってバカだって!!』

 

「黙れ!」

 

ペルシアの声が、さらに鋭くなる。

 

「あんたがS級だか何だか知らないけど――」

 

怒りの中で、必要な情報だけが研ぎ澄まされる。

 

「“あんたが事故を起こした所為で”、多くの人が命をかけて助けに来てるんでしょうが!!」

 

ペルシアの目が細くなる。声に笑いはない。あるのは、覚悟の刃。

 

「そんなことも分からない奴が口を挟むな!!! 青二才が!!!」

 

叫び終えた次の瞬間。

ペルシアの指が、通信端末のロックを叩いた。

 

ブルンクリン回線――封鎖。

 

『おい! 待て! ふざ……!』

 

声は途中で途切れ、ノイズに沈んだ。

 

操縦室に、数秒の静寂が落ちた。

誰もすぐに言葉を出せない。

 

その沈黙を破ったのは、ペルシアだった。怒りの余韻を切り捨て、仕事に戻る声音。

 

「……よし。ホークに集中する」

 

リュウジが頷く。

 

「牽引ルートを出せ。粉塵の戻りがある。時間は削れ」

 

チャコが即座に指を走らせる。

 

「了解。牽引フックの同期、こっちで見る」

 

クリスタルは医療ケースのロックを外し、必要物品を並べ始める。

 

「ホーク側は生命維持がギリギリ。搬入したらまず呼吸と循環、次に外傷確認」

 

ククルが唇を噛みしめ、背筋を伸ばす。

 

「私、動線確保します。担架と酸素、すぐ出せるように……!」

 

ペルシアは一度だけ深く息を吐き、声の温度を戻した。

 

「よし。ブライアン、聞こえる?」

 

ブルンクリンのノイズが消え、ブライアン回線だけが残る。

 

『……聞こえてる』

 

ブライアンの声が、さっきより少しだけ落ち着いた。ペルシアの怒鳴りが“味方”だと理解したからだ。

 

「ホークを先に引っ張る。避難シャトル通信、維持。生命維持の優先確認」

 

『了解だ』

 

ペルシアはマイクを置き、操縦席のリュウジを横目で見た。

 

「リュウジ。頼むわよ」

 

リュウジは答えなかった。代わりに、操縦桿を握る指に力を込める。

その横顔が、“英雄”ではなく“現場のパイロット”の顔に戻っている。

 

アルテミスは、静かに加速した。

粉塵帯の奥――壊れかけたホークへ向けて。

 

スピーカーの奥で、ブライアンの息が聞こえる。

遠い闇の中に、助けを待つ人間がいる。

 

そして、通信の外側――封鎖された回線の向こうで、ブルンクリンが何か叫んでいるのだろう。

 

だが、今は知らない。

命の順番は、叫びの大きさでは決まらない。

 

ペルシアは端末を叩き、最後に一言だけ吐いた。

 

「……さあ、仕事よ。ここからが、本当の救助」

 

ーーーー

 

 

ペルシアの怒鳴り声が操縦室に残響のように漂っていた。

さっきまで通信機の向こうで暴れていたブルンクリンの声は、封鎖と同時にノイズへ沈み、いまは静けさだけが残っている――はずだった。

 

しかし、静けさは長く続かなかった。

 

スピーカーのランプが、ひと呼吸遅れて点滅する。

粒子の摩擦音みたいなザザッというノイズが走り、その向こうから、聞き慣れた声が割り込んできた。

 

「ちょっと待って……今の声って、ペルシア!?」

 

エリンの声だった。驚きが、そのまま息になって漏れている。

操縦席のリュウジが一瞬だけ目だけを動かし、ペルシアの横顔を見る。ペルシアはヘッドホンを半分外し、マイクへ口を寄せた。

 

「ええ」

 

そっけない。氷みたいに短い。

それだけで、操縦室の空気がまた締まる。

 

「ペルシアさん!? 本当にペルシアさんが!」

 

次に飛び込んできたのはマリの声だ。泣きそうなほどの安堵が混じっている。

その直後、少し遅れてサツキが息を吐いた。

 

「よかった……リュウジも、ペルシアさんも戻ってきて……」

 

またノイズの間に、エリンが小さく安心したような息を落とすのが聞こえた。

それが、なぜだかペルシアの神経を逆撫でした。

 

操縦室で一番危険なのは、恐怖でも焦りでもなく、“緩み”だ。

救助の最中に、その緩みは命取りになる。ペルシアはそれを骨の髄まで知っている。

 

「……安心してる場合じゃないわよ」

 

ペルシアの声が、ひとつ低く落ちた。

 

「とりあえず、ペルシア。私たちも出来る限りのことをするわ」

 

エリンの言葉は、いつもの彼女らしい。落ち着いて、前を向こうとする声。

それに対してペルシアは、即座に刃を返した。

 

「何もしなくていい」

 

一瞬、回線の向こうが静まり返る。

 

「……何、言ってるのよ!」

 

エリンの声が跳ねる。

その驚きに、ブライアンがどこか乾いた調子で割り込んだ。

 

「おい、手厳しいな」

 

「余計なことをするなって言ってるのよ」

 

ペルシアは感情を噛み殺しているようで、逆に刺さる。

その声だけで、回線の向こうの空気が変わったのが分かる。エリンが言い返す前に、ブライアンが息を飲んだのが聞こえた。

 

ペルシアは矛先をブライアンへ向けた。

 

「何言ってるのよ。だいたいブライアン、あなた何回事故を起こせば気が済むの?」

 

「……ぐっ」

 

ブライアンの喉が詰まる音。痛いところを突かれた反応だ。

 

「あなたが事故を起こす度に、命をかけてる人が沢山いるのよ」

 

ペルシアの指が端末の縁を叩く。カツ、と乾いた音が操縦室にも響く。

 

「攻めの操縦と無謀は紙一重なの。あなたは“攻めてる”つもりで、“無謀”に落ちてる」

 

ブライアンが何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。

その沈黙に、ペルシアは畳みかける。

 

「今回の救出任務、舐めていたわね」

 

回線の向こうで、誰かが息を止めた。マリか、サツキか、あるいはエリンか。

ブライアンが唾を飲む音が、やけに大きく聞こえた。

 

「だから、初めて操縦するメンバーを入れた」

 

ペルシアの声は冷たく、しかし一語一語が真っ直ぐだ。

 

「リュウジはそんなことをしなかった。連携が乱れるから、一緒に操縦したことがある人間しか選ばなかったのよ」

 

操縦席のリュウジが、計器から視線を外さないまま、ほんの少しだけ眉を動かした。

肯定も否定もせず、ただ事実として受け取っている。

 

ブライアンの声が、やっと出る。

 

「……すまない」

 

その一言は、軽い謝罪じゃない。追い詰められた人間の、やっと絞り出した音だった。

 

だがペルシアは、謝罪で終わらせない。

 

「通信ログを見れば全部わかる!」

 

声が鋭くなる。

 

「サツキもマリも、ラスペランツァでたった一回、過酷な任務をしただけでいい気になってるの?」

 

サツキの息が詰まる。

 

「ホークの整備は二日間もあったのに、バイパスを引いただけで修理もしてない!」

 

「……ですが、初めて乗る宇宙船でしたし」

 

サツキが反論した。

それは言い訳ではなく、必死な説明のつもりだったのだろう。だが、その瞬間ペルシアの怒りが一段深く沈む。

 

「整備士のくせに、初めて乗る宇宙船のことは分からないの?」

 

ペルシアの声が、切っ先のように細くなる。

 

「事前に設計図を見ることはできるでしょ!」

 

ペルシアは次の標的へ滑らかに移る。

 

「マリも、私が言うまで避難シャトルの通信機を使う発想が出てこない」

 

マリの声が小さく震えた。

 

「……っ」

 

「あなたも何にも設計図を見てない証拠よ」

 

ペルシアは容赦しない。

 

「宇宙管理局を代表してきてるくせに、その責任感がないのよ!」

 

短い沈黙。

そしてペルシアは、とどめを刺すように言った。

 

「役立たずが」

 

その言葉に、回線の向こうで空気が破裂した。

 

「いい加減にして!」

 

エリンの声が怒りで震える。

 

「私たちは出来る限りをしてる!」

 

ペルシアは即答した。

 

「だから何よ。出来る限りのことをしてないから言ってるのよ!」

 

互いに引かない。

この回線の向こうにいるのは、たった一つの船で命を繋いでいる人間たちだ。ここで仲間割れは致命的だと分かっているはずなのに、それでも言葉は止まらない。ペルシアの怒りは、ただの苛立ちじゃない。恐怖を押さえ込むための“熱”だ。

 

そして――ペルシアが、最も痛い場所へ踏み込んだ。

 

「それに、一番の役立たずはあんたよ! エリン!」

 

「……何ですって!?」

 

エリンの声が跳ねた。信じられない、と言いたげな怒り。

 

ペルシアは淡々と、しかし致命傷になる事実を並べる。

 

「通信ログを見ても、慌てる仲間に『落ち着いて』とか、平凡なことしか言ってないじゃない」

 

言葉が、冷たい。

 

「集中してないのか、気が散ってるのか。全然、空気を整えられてないじゃない!!」

 

エリンが噛みつくように返した。

 

「誰のせいよ!」

 

声が割れる。

 

「何も言わずに居なくなって! どれだけ心配したと思ってるのよ!」

 

操縦室のククルが、はっと息を呑んだ。

リュウジは操縦桿を握る指に力を込めたまま、何も言わない。クリスタルは“やばい”という顔で、ペルシアの横顔を見た。ペルシアがここで爆発したら、回線ごと壊れる。

 

だが、ペルシアは爆発しなかった。

その代わり、刃をさらに研いだ。

 

「いつからエリンは、人のせいにするようになったのよ」

 

低い声。決して大声じゃない。だからこそ刺さる。

 

「あなたは一からやり直したいから、一般乗務員としてハワード財閥の旅行会社に入ったんじゃないの?」

 

その言葉は、エリン自身の選択を正面から突く。

ペルシアは続けた。

 

「これが、あなたが一からやり直した結果なの?」

 

「そ、それは……」

 

エリンの声が揺れる。言葉が詰まる。

 

「半年で副パーサーに上がって、周りからちやほやされて調子に乗ってるんじゃないの?」

 

ペルシアは止まらない。

耳を塞ぎたくなるほど痛いのに、正論が混じっているから、誰も完全には否定できない。

 

「エリンがそんなんだから、マリやサツキがあなたを気にして、本来の仕事に集中できてないんじゃないの?」

 

回線の向こうが、完全に沈黙した。

エリンは言い返せない。マリもサツキも、否定できない。

 

ペルシアは、そこで一呼吸置いた。

そして――声のトーンを変えずに言い切った。

 

「何があっても、乗客には関係ない。いつも通り接すること!」

 

その瞬間だった。

回線の向こうで、エリンの息が止まるのが聞こえた。

 

それは――ドルトムント財閥の旅行会社にいた頃。

エリンが、よく言っていた言葉だ。乗務員として、どれだけ心が揺れても、どれだけ現場が崩れても、客の前では“いつも通り”を守る。その“いつも通り”を作るのがエリンの仕事だった。

 

エリンが、はっと我に返ったように小さく息を吐く。

その隙を、ペルシアは逃さない。

 

「仲間の力を最大限に活かすのが、エリンの仕事でしょ!」

 

声が、初めて強く跳ねた。

 

「それを人のせいにして、いつからそんな三流乗務員になったのよ!!」

 

操縦室のチャコが、椅子の背を握りしめて肩を震わせた。

“笑い”じゃない。“痺れ”だ。ペルシアの言葉は殴るように痛いのに、同時に正しい。だから怖い。

 

ペルシアは、最後にもう一度だけ叫ぶ。

 

「命がかかってるのよ!! 宇宙を舐めるな!!」

 

回線の向こうで、誰も言葉を出せない。

ノイズだけが、しばらく流れた。

 

――数秒。あるいは十数秒。

時間の感覚が歪む沈黙の中で、エリンの声がようやく戻ってきた。

 

「……ごめんなさい」

 

たったそれだけ。

けれど、それはエリンが“仕事”に戻った合図でもあった。

 

ペルシアは鼻で短く笑う。

 

「ふん」

 

そのとき、操縦席のリュウジが前方モニターを指した。

 

「……見えた。ホークだ」

 

全員の視線が一斉に前へ集まる。

粉塵の薄い霧の向こう、星の海に沈みかけた影がある。姿勢が微妙に傾き、推進光は弱い。生きているのか死んでいるのか、ぎりぎりの境目みたいな輪郭。

 

ペルシアの声が、瞬時に“現場の声”へ切り替わった。

 

「とりあえず続きは後!」

 

エリンたちへ向けて、短く命令する。

 

「まずは救助するから、待ってなさい!」

 

そう言って回線を整理し、必要なチャンネルだけを残す。

怒りの熱は、まだ完全に消えていない。だが、ペルシアはその熱を燃料に変える。救助のための燃料に。

 

リュウジがアルテミスをホークへ寄せる。

チャコが牽引用の同期ログを走らせ、クリスタルが医療動線を頭の中で組み立て、ククルが器材の位置を確認する。

 

スピーカーの向こうで、ブライアンが小さく息を吐いた。

 

『……助かった』

 

その声は、やっと“助けが来た”という実感に震えていた。

 

ペルシアは答えない。代わりに、低く短く言った。

 

「生きてるなら、仕事しなさい」

 

優しさじゃない。叱責でもない。

ただ、生き延びるための命令だった。

 

アルテミスが、ホークの影へ滑り込んでいく。

粉塵の残滓が船体を撫で、計器がわずかに揺れる。

 

だが、もう迷いはない。

 

さっきまでの怒鳴り合いも、刺し合いも、全部いったん封印だ。

この瞬間だけは、誰もが同じ方向を見る。

 

――救う。

 

リュウジが短く告げる。

 

「牽引に入る」

 

ペルシアが頷く。

 

「やりなさい。私が耳で道を作る」

 

そして、アルテミスはホークへ手を伸ばした。

怒号の余韻を引きずったままでも、人は動ける。

むしろ、その余韻があるからこそ、全員の指先が鋭くなる。

 

“命がかかってる”。

その言葉の重さが、操縦室の空気を一つに束ねていた。

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