サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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救助完了①

アルテミスの前方モニターに、ホークの機影がはっきりと映った。

 

星の海に沈みかけた金属の塊。

船体はところどころが裂け、外装パネルがめくれ、推進光はほとんど死んでいる。姿勢も微妙に傾き、反射の角度がゆっくりと変わるたびに、傷だらけの表面が痛々しく光った。

 

「牽引するため、もっと寄せるぞ」

 

操縦席でリュウジが短く告げる。

その声は落ち着いていたが、舵を切るたびに息が細かく抜けているのを、隣のペルシアは聞き逃さない。

 

「リュウジ。ホークの“上”につけて」

 

ペルシアの指示は明快だった。

アルテミスの牽引機構は真下への降下式――船底からワイヤーを落として固定するタイプだ。下に潜り込む形にしないと、構造的にやりにくい。

 

「分かった」

 

リュウジはスロットルを僅かに絞り、機体の姿勢を微調整する。

船体が微かに振動し、操縦室の床に、低い音が伝わってきた。

 

「スターフォックス、聞こえる?」

 

ペルシアが回線を切り替えた。

直後、ノイズ混じりに低い男の声が返る。

 

『ああ、聞こえてる』

 

フォックスだ。

その声の奥には、周囲の粉塵帯のざわめきと、艦内の緊張が混じっている。

 

「これからホークを牽引する。あなたたちはセーシング領域の縁で待機。グレートフォックスに格納するから準備しておいて」

 

『任せといてよ!』

 

スリッピーの明るい声が割り込んだ。

この状況でその元気さは少し救いになる。だが油断は禁物だ。ペルシアは淡々と続ける。

 

「ハッチ開閉手順と内部の固定ポイント、先に確認して。牽引後の揺れで中が散らかったら、次の救助に響く」

 

『了解! 準備しとく!』

 

回線が切れ、操縦室は再びアルテミスだけの世界に戻る。

そこへ、チャコがシステム席から短く言った。

 

「ペルシア、位置についたで」

 

「クリスタル。ホークの船体、どう?」

 

「ちょっと待って」

 

医療・観測を兼ねるクリスタルが、船体映像を拡大する。

モニター上でホークの両翼が映し出される。片翼の付け根に亀裂。もう片方はパネルが剥がれ、内部のフレームが露出している。

 

「かなり損傷してるわね。牽引ワイヤーを打ち込む場所を間違えたら、宇宙船が保たない」

 

その声は冷静だったが、言葉の中身が恐ろしい。

牽引は“引っ張る”だけではない。ここからセーシング領域の縁まで戻る間、粉塵の乱流も、機体同士の微振動も全部ホークを揺さぶる。固定点が弱ければ、ホークは裂け、乗っている人間ごと宇宙に放り出される。

 

「アルテミスの牽引は真下への降下式やろ? 大丈夫なんか?」

 

チャコが渋い声を落とす。

 

「どうだろうな」

 

リュウジが、正直に言う。

無責任な“いける”は言わない。それでも、目はホークから外さない。視線の奥に、S級の覚悟だけがある。

 

「グラップルは二丁ですが、ありました!」

 

後方でククルが声を上げた。

彼女はさっきから必要な器材を一つずつ確認し、位置を整えていた。声には緊張があるのに、どこか明るい。明るさは、恐怖の裏返しでもある。

 

「クリスタル、どう思う?」

 

ペルシアが、判断を投げる。

この瞬間、ペルシアが“指示”ではなく“相談”をするのは珍しい。だが今は、責任を分けるという意味で必要だった。

 

「グラップルで宇宙船の両翼に打ち込んだ方がいいわね」

 

クリスタルは迷わず言った。

 

「ただし……姿勢制御があまり機能してないとなると、両翼には同時に打ち込まないとホークは姿勢を保てない。片方だけ固定した瞬間に、船体が捻れて裂ける可能性がある」

 

モニターには、ホークの翼の付け根の亀裂が拡大されている。

そこを引っ掛ければ、一発で終わりだ。

 

「同時って……」

 

ククルが息を呑んだ。

 

「そうなるとグラップルができるのは、リュウジとクリスタルだけね」

 

ペルシアが言う。

彼女の視線が、操縦席のリュウジと、観測席のクリスタルを往復した。

 

「そうなったら操縦は!?」

 

ククルが声を上げる。

当然の疑問だ。外に出たら、操縦席が空になる。

 

「姿勢制御はチャコがどうにかできるだろ」

 

リュウジが淡々と言う。

 

「せやけど、細かい微調整は無理やで」

 

チャコが即座に返す。

無理なものは無理だと、はっきり言うのがチャコの良さだ。言えない空気は、宇宙で死につながる。

 

その瞬間、リュウジが横目でペルシアを見た。

 

「微調整は、ペルシアがやる」

 

操縦室の空気が一段、冷える。

ククルが目を丸くした。

 

「ペルシアさんが!?」

 

ペルシアは端末から目を離し、肩をすくめた。

 

「仕方ないわね」

 

軽口みたいな言い方。

でも、その軽さが逆に怖い。

 

「大丈夫なんか?」

 

チャコが思わず聞く。

この質問に、ペルシアは正面から答えない。リュウジが答えた。

 

「ライセンスは持ってないが、操縦のやり方は昔、教えてある」

 

“昔”。

それはドルトムント財閥の頃。

リュウジがシュミレーション訓練中に何度も遊びに来ては操縦のやり方を教えろと言われ――リュウジが叩き込んだ操縦だ。

 

「それに賭けるしかないわね」

 

クリスタルが言う。

賭け、という言葉が重い。宇宙では賭けは嫌われる。だが、救助は常に賭けでもある。

完璧な条件など、ほとんどない。

 

ペルシアが頷き、声を落とした。

 

「なら、決まりね。準備しましょう」

 

その一言で、操縦室の空気が一気に動き出した。

 

 

準備は速かった。

速いが、雑ではない。

 

ククルが牽引器材のチェックリストを読み上げる。

クリスタルが船体映像から固定候補点を二つ絞り、両翼のフレーム強度を推定する。

チャコが姿勢制御の補助ルーチンを立ち上げ、緊急時のスラスター配分を手動に切り替える。

 

ペルシアはヘッドホンを装着し、宇宙の“音”を拾う。

粉塵が擦れる微細な振動。

小さな隕石が飛ぶときの、規則的な波。

そしてホークの周辺だけ、わずかに違う“鈍い揺れ”。それがホークが不安定な姿勢で漂っている証拠だ。

 

「リュウジ、あと三十メートル寄せる。ゆっくり。粉塵の帯、いま薄い」

 

「了解」

 

リュウジの手が、操縦桿を僅かに倒す。

アルテミスがホークへ滑るように近づいていく。

 

モニターのホークが大きくなる。

傷も、裂け目も、剥がれたパネルも、はっきり見えるようになる。

その“見え過ぎる”恐ろしさが、操縦室の腹の底を冷やした。

 

『こちらホーク……ブライアンだ。……近づいてきてるのが見える』

 

弱々しいが、ちゃんとした声だ。

生きている。まだ。

 

「無駄口はいい。牽引に入る。船体の振動を抑えて、固定ポイントを保って」

 

ペルシアが言う。

ブライアンが息を吐いた。

 

『……了解』

 

「ホーク側、外部ハッチは開けないで。圧力差で余計に壊れる。船内で固定。負傷者は動かさないで」

 

クリスタルが続ける。

医療者の声は、こういうとき最も強い。

 

『分かった……エリン、マリ、サツキ。聞いたな』

 

向こうで誰かが返事をした。ノイズの向こうで、微かに「はい」と聞こえる。

 

ペルシアは通信を必要最低限にし、目線で合図する。

――外に出る。

 

リュウジとクリスタルは、宇宙服に切り替えるため、操縦室を離れた。

だが“離れる”という行為が、これほど重い瞬間はない。

 

操縦席が空く。

代わりに座るのは、ペルシアだ。

 

ククルが不安そうに息を呑む。チャコが小さく舌打ちし、操作端末へ指を走らせる。

 

「ペルシア、操縦席、頼むで」

 

「言われなくても」

 

ペルシアは椅子に腰を落とし、操縦桿に触れた。

その手つきは、初めて触る人間のそれじゃない。

“知っている手”だ。

 

ただ、彼女の肩は僅かに硬い。

硬さは怖さではない。責任の重さだ。

 

チャコが横で言う。

 

「微調整は言うほど簡単ちゃうで」

 

「簡単だなんて言ってない」

 

ペルシアは視線をモニターから外さない。

 

「でも、やる」

 

その言葉は短く、強かった。

 

 

エアロックのシーケンスが始まる。

操縦室のモニターに、外部カメラ映像が切り替わった。

 

銀色の宇宙服を着たリュウジが先に出る。

背中に固定された推進パックが、微かな光を点す。

クリスタルが続く。彼女は器材バッグを胸に抱え、ワイヤーとグラップルを握っている。

 

ククルが息を止めた。

自分の仕事は“補助”だと分かっていても、今この場で一番怖いのは見ている側かもしれない。

 

「二人とも、命綱確認」

 

チャコが言う。

リュウジが親指を立てる。クリスタルも頷く。

 

『外部作業に入る』

 

リュウジの声が、ヘルメット越しに通信へ乗る。

 

「こちら操縦席。速度ゼロ維持」

 

ペルシアが答える。

“操縦席”と言った自分の声が、少しだけ他人のものに聞こえた気がした。

だが、その違和感を飲み込み、操縦桿をほんの僅かに引く。

 

アルテミスの姿勢が、ピタリと止まる。

止まった、というより“固定された”。宇宙の中で、狙った位置に止めるのは簡単じゃない。

だがペルシアは止めた。

 

「……おお、普通にやるやん」

 

チャコが思わず呟く。

ペルシアは聞こえないふりをした。

 

外部カメラの向こうで、リュウジとクリスタルが左右に分かれる。

ホークの両翼へ向かう。

 

ホークは微かに回転している。

その回転は、今は鈍い。だが、そこに“引っかかり”が入れば一気に捻じれる。

 

「ペルシア、右側、十センチ下げろ。今の回転に合わせるんだ」

 

リュウジの声。

 

「了解。十センチ、下げる」

 

ペルシアが操作する。

チャコが横で姿勢制御補助を走らせ、スラスターの出力を調整する。

 

モニターのホークが、ほんの僅かに位置を変える。

その僅かが命取りになる。だからこそ、僅かを揃える。

 

「クリスタル、固定ポイント見える?」

 

『見える。フレーム露出部、二次桁。ここなら持つわ』

 

クリスタルの声は冷静だ。

だが映像の彼女の手は震えていない。震えたら終わりだと分かっているからだ。

 

リュウジが言う。

 

『カウント合わせる。遅れるな』

 

クリスタルが返す。

 

『了解』

 

チャコが操縦室で唸る。

 

「同時に打つって、言うほど簡単やないで……」

 

ククルが小さく呟いた。

 

「……でも、やるしかないんですよね」

 

「せや。やるしかない」

 

チャコが答えた。

 

ペルシアが息を吸い、ヘッドホンの向こうの“音”を拾う。

ホークの回転。粉塵帯の流れ。アルテミスの船体が受けている微振動。

それらの“揺れ”を、耳で数値に変える。

 

「今。回転が一番鈍い。リュウジ、クリスタル。いま打てる」

 

ペルシアの声が落ちる。

外の二人が、その“いま”を信じる。

 

『カウント入る。三、二、一――』

 

リュウジの声。

 

『――いまだ!』

 

同時に、外部カメラの映像が跳ねた。

二丁のグラップルが、ホークの両翼へ撃ち込まれる。

 

金属が噛み合う鈍い音が、通信越しに響いた。

一瞬、ホークがびくりと震える。

捻れる。裂ける。そう思ったその瞬間――

 

「姿勢、保った……!」

 

ククルが息を吐いた。

チャコが即座にシステムログを確認する。

 

「固定値、出たで! 左右ともにロック確認!」

 

ペルシアは操縦桿を握り締めたまま、ほとんど動かない。

動けば、引っ張りの角度が変わり、ホークを壊す。

 

『固定完了。テンション調整入る』

 

リュウジの声。

クリスタルも続く。

 

『ワイヤーの張り、左右均等にする。急に引くな。ゆっくり、ゆっくり』

 

「了解。ゆっくり引く」

 

ペルシアが言う。

その言葉と同時に、アルテミスがわずかに後退を始める。

 

ほんの数センチ。

その数センチが、牽引の始まりだ。

 

ホークが引かれて動く。

動いた瞬間、船体がもう一度、嫌な揺れを見せた。

亀裂の部分が光の角度で黒く沈む。裂け目が広がるように見え、ククルの喉が鳴る。

 

「大丈夫。ワイヤー張力、左右均衡」

 

チャコが言う。

ペルシアは頷く。

 

「このまま、セーシング領域の縁まで戻す」

 

リュウジとクリスタルが外部作業から引き上げる。

エアロックへ戻る二人の宇宙服が、ホークの影を横切った。

 

操縦室の空気は張り詰めたままだ。

だが、今だけは確かに、ひとつのことが成立している。

 

――引っかけた。

――繋いだ。

――運べる。

 

『こちらホーク……牽引、感じる。……助かった』

 

ブライアンの声が、やっと“現実”の重さを帯びた。

 

ペルシアは答えない。

その代わり、冷たくも強い声で言う。

 

「生きてるなら、帰ってきなさい」

 

そしてペルシアは操縦桿を握ったまま、耳で粉塵の流れを読む。

チャコはスラスターの癖を見抜き、クリスタルは帰還後の医療動線を頭の中で組み立て、ククルは次に必要な器材を黙って整える。

 

ここからが、本当の地獄だ。

牽引したまま粉塵帯を抜け、セーシング領域の縁へ戻り、グレートフォックスへ格納する。

途中でホークが裂ければ終わり。

途中でアルテミスが姿勢を崩せば両方終わり。

 

でも――

 

「行くわよ」

 

ペルシアが言った。

その声に、迷いはひとつもなかった。

 

アルテミスは、傷だらけのホークを抱えたまま、ゆっくりと星の海を引き返し始めた。

 

ーーーー

 

操縦室の照明は落としてあるのに、ペルシアの額だけが妙に光って見えた。

 

ホークを牽引したまま、セーシング領域の縁へ向けて引き返す。

その「引き返す」という言葉が、ただ戻るだけの行為じゃないことを、五人は骨の芯で理解していた。

 

牽引ワイヤーの先にあるのは、壊れかけた宇宙船と、まだ生きている命。

そしてその命を保持するために、少しの揺れも、少しの判断ミスも許されない。

 

ペルシアは操縦桿を握りしめたまま、目を閉じていた。

閉じた目の奥で聞いているのは宇宙の“音”だ。粉塵帯のざわめき、微小隕石の波、ホークの船体が発する鈍い振動。それらが音の膜となって耳を塞ぎ、同時に彼女に道を教える。

 

「……いま、薄い。右に一度振って、十秒後に戻す」

 

「了解」

 

リュウジの声が、ペルシアの指示をなぞるように響く。

だが操縦席に座っているのはまだペルシアだった。

代わりに、リュウジは席の後ろ、操縦桿の角度と姿勢制御のログを目で追い、次の一手を頭の中で組み立てている。

 

チャコはシステム席で、牽引テンションの数値を睨んでいた。

表示が僅かでも跳ねるたび、指先が走り、補助スラスターの割り当てを変える。

 

「左、テンション上がっとる。ほんの少しやけど、捻れが入るで」

 

「分かった。今、抑える」

 

ペルシアが答える。

声は落ち着いている。しかし、その落ち着きは“余裕”ではない。緊張を喉の奥に押し込めているだけだ。

 

後方のククルは、声を出さずに立っていた。

チャコの肩越しにログを覗き込み、必要な操作を覚えるように目で追っている。

口を挟まないのは、今はペルシアの耳を邪魔しないためだ。

 

そしてクリスタルは、医療スペースの準備を整えながらも、操縦室のモニターを外さない。

牽引中にホークが裂ければ、医療の出番どころじゃなくなる。出番があるなら「格納後」ではなく、「裂ける瞬間」かもしれない。

 

「……セーシング領域の縁まで、あと十分」

 

リュウジが時間を告げた。

 

ペルシアは頷く。頷いた瞬間、首筋を汗が伝った。

宇宙服の内側ではなく、普通の制服の襟の中を汗が滑る感覚。

それが生々しく、彼女がどれだけ神経を削っていたかを物語っていた。

 

「……よし。ここまでくれば粉塵の密度は落ちる。牽引の負担も少し下がるはず」

 

ペルシアが小さく呟く。

 

チャコが鼻で笑いかけて、途中でやめた。

 

「笑えるほど余裕はないわね」

 

クリスタルの声がかぶさる。

 

ペルシアは返事をしなかった。

代わりに、操縦桿から手を離した。

 

その瞬間、操縦室の空気がふっと揺れた。

誰かが息を止めていたのが分かる。息を止めていたのは、ペルシア自身かもしれない。

 

「リュウジ」

 

ペルシアが短く呼んだ。

 

「ああ」

 

リュウジは迷いなく操縦席に座り、操縦桿を受け取る。

その手つきが操縦席に馴染むのは、ほんの一瞬だった。まるで元からそこにいたみたいに。

 

ペルシアは操縦席から立ち上がった。

 

その瞬間だった。

汗が、どっと噴き出した。

 

額から、背中から、掌から。

冷たい宇宙の近くにいるのに、身体の内側だけが熱い。心臓が遅れて暴れ、呼吸が一拍、乱れた。

 

「……ふぅ」

 

ペルシアは息を吐いてから、何でもない顔を作ろうとした。

しかしクリスタルが見逃さない。

 

「汗、すごいわよ」

 

「見ないで」

 

ペルシアは素っ気なく言い返したが、声に棘はない。

その棘を出す余裕すら、今はないのだ。

 

リュウジが横目で言う。

 

「助かった」

 

たったそれだけ。

だがペルシアの肩が、ほんの少しだけ落ちた。

 

「当然でしょ。私の耳を誰だと思ってるの」

 

軽口で返す。

それでいてペルシアは、座席の背に指先を置いたまま離さなかった。手を離すと、膝が少し震えそうだった。

 

チャコが、意地の悪い笑いを浮かべる。

 

「ほんまは怖かったんちゃう?」

 

「怖いわよ」

 

ペルシアは即答した。

 

操縦室が一瞬、静かになる。

 

「怖いに決まってるでしょ。命がぶら下がってんだから。怖くない方がどうかしてる」

 

その言葉に、チャコの笑いが消えた。

ククルが小さく頷いた。

 

リュウジが、操縦桿を握ったまま言う。

 

「怖いなら、なおさら、よくやった」

 

ペルシアは返事をしなかった。

代わりに通信席へ向かい、ヘッドホンを外して耳を揉んだ。

耳が熱を持っている。ずっと音を拾い続けた証拠だった。

 

「グレートフォックス、こちらアルテミス。ホーク牽引中。格納準備、状況は?」

 

ペルシアが通信を入れる。

すぐに返答が来た。

 

『了解。格納庫は開けた。誘導灯も展開済み。牽引状態で入ってこい』

 

フォックスの声だ。

いつもより低く、仕事の声だった。

 

『こっちでトラクタービームを合わせる。スリッピー、出力調整!』

 

『任せて! 牽引ワイヤーに負担かけないように、吸い込み角度作るよ!』

 

スリッピーの声が続く。

その直後、モニターに巨大な影が映った。

 

グレートフォックス。

その格納庫が、星空に口を開けた獣のように見える。

だが今は、その口が希望でもあった。

 

「リュウジ、格納庫の上縁、少し下げて。牽引角がきつい」

 

ペルシアが指示を出す。

 

「了解」

 

リュウジが機体を滑らせるように動かす。

牽引しているホークは遅れて動く。遅れることでワイヤーが張り、張りで船体が軋む。

その“遅れ”を計算しながら、アルテミスは巨大な格納庫へ入っていく。

 

「テンション安定。いけるで」

 

チャコが言う。

だが次の瞬間、警告音が短く鳴った。

 

ピッ。

 

表示が赤に変わる。

 

「右グラップル、張力跳ねたで!」

 

チャコが叫ぶ。

 

クリスタルが身を乗り出す。

 

「ホークの右翼、裂け目が広がってる!」

 

モニターのホークの右翼付け根。

亀裂が、ほんの少しだけ伸びた。ほんの少し。

だがその“ほんの少し”が次に繋がる。

 

ククルが息を呑み、声を抑えて言う。

 

「どう、するんですか……?」

 

ペルシアが即答する。

 

「止めない。止めたら捻れる。入る」

 

「リュウジ、速度落とす。微調整は俺がやる」

 

リュウジが言う。

操縦桿が微かに動く。

アルテミスはブレーキではなく、姿勢で“減速”する。

 

『アルテミス、トラクタービーム当てる。揺れを殺す。耐えろ』

 

フォックスの声。

次の瞬間、視界がわずかに歪んだ。

グレートフォックス側の牽引力がかかる。アルテミスとホーク、二つの船体が同時に引かれ、揺れが吸い取られていく。

 

チャコが歯を食いしばる。

 

「右テンション、戻った……!」

 

クリスタルが叫ぶ。

 

「亀裂、止まった!」

 

ククルの肩が落ちる。

泣きそうな顔をして、でも泣かなかった。

 

「入った……入りましたよね……?」

 

「入った」

 

ペルシアが短く言う。

 

格納庫内の誘導灯が機体を照らす。

灰色の床面に描かれたライン、誘導灯の点滅、空気のない広い空間。

アルテミスはホークを引いたまま、指定された位置へ滑り込む。

 

『固定完了。ホークをこちらで保持する。牽引解除していい』

 

フォックスの声が響いた。

 

「チャコ、牽引解除手順」

 

ペルシアが言う。

 

「了解や。解除いくで」

 

チャコが手順を踏む。

リュウジは操縦桿を微動だにさせない。

クリスタルはホークの船体を見つめ、最後まで裂け目が広がらないかを確認する。

ククルは拳を握り締め、祈るように見守る。

 

カチリ。

 

解除の合図。

ワイヤーがわずかに弛み、ホークがグレートフォックスの保持力に完全に移った。

 

その瞬間、操縦室の空気が初めて緩んだ。

 

「……よし」

 

リュウジが小さく言った。

 

ペルシアが息を吐く。

 

「ホーク、救助完了。次、ネフェリス」

 

言葉は冷たいが、目の奥は熱い。

まだ終わっていない。むしろ、ここからが本当の地獄だ。

 

『ホーク側のハッチ、こっちで開ける。お前らはネフェリスへ向かえ』

 

フォックスが言う。

 

「了解」

 

ペルシアが返し、通信を切る。

 

操縦室に静寂が戻る。

静寂の中で、誰かの心臓の音が聞こえそうだった。

 

「……ブルンクリン、まだ文句言ってるんやろな」

 

チャコが苦笑いを浮かべた。

 

「言わせておけばいい」

 

ペルシアは一言で切る。

 

「ネフェリスの座標、もう一度出して。漂流ベクトル、粉塵帯の流れ。全部、今ここで更新する」

 

ペルシアの声が、再び仕事の声に戻る。

汗が引いたわけじゃない。疲れが消えたわけでもない。

ただ“次”に入っただけだ。

 

クリスタルが端末を操作し、座標を共有する。

 

「ネフェリスはホークよりさらに奥。漂流方向は……粉塵帯の流れに逆らってるわね。つまり、どこかに引っかかってる」

 

「引っかかってる、か」

 

リュウジが呟く。

その引っかかりが何か、想像はつく。粉塵の渦、微小隕石の帯、あるいは……船体の損傷で姿勢が固定され、抜けられなくなっている。

 

「リュウジ、行ける?」

 

ククルが、思わず口を挟んだ。

自分の声が震えているのが分かって、慌てて唇を噛む。

 

リュウジは答えた。

 

「行けるか、じゃない。行く」

 

ペルシアが頷く。

 

「ネフェリスはブルンクリンが無線封鎖してたのもある。だからこっちから“通す”。通信ログ送信、定時で投げ続ける。反応がなくても、投げる」

 

「了解や。自動でログ飛ばすルーチン組むで」

 

チャコが言った。

 

ペルシアはククルを見る。

 

「ククル。次は“明るく”しなくていい。静かに、必要なものを必要な順に出せるようにして」

 

「はい」

 

ククルは深く息を吸って、強く頷いた。

明るさは武器だ。だが武器にも使い時がある。今は、静けさが武器だ。

 

リュウジが操縦桿を少し倒し、アルテミスを格納庫から離脱させる。

グレートフォックスの口が、背後でゆっくり閉じていく。

その中に、ホークと、そこに乗っていた命が収まった。

 

ひとつ救った。

だが、もうひとつが残っている。

 

操縦室のモニターに、ネフェリスの方向を示す矢印が浮かぶ。

薄暗い宇宙の中で、それは針のように細い。

だがリュウジの目は、その針を逃さない。

 

「ネフェリスへ向かう」

 

リュウジが言った。

 

ペルシアが短く返す。

 

「――今度は、私が怒鳴る暇もないわよ」

 

チャコが笑いかけ、やめた。

クリスタルが、軽く肩を回した。

ククルが、装備の固定ベルトを締め直した。

 

アルテミスは速度を上げていく。

もう牽引はない。機体は軽い。操作は自由になる。

自由になるほど、危険も増える。

 

粉塵帯のざわめきが、また近づいてくる。

セーシング領域の奥――未探索領域の闇が、口を開けて待っている。

 

その闇へ、アルテミスは迷いなく突っ込んでいった。

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