サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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救助完了②

グレートフォックスの格納庫が背後で閉じると、宇宙はまた、底のない闇へ戻った。

ホークは救った。ブライアンたちの命は、いま確かに“手元”へ戻っている。――なのに、操縦室の空気は軽くならない。

 

残っているのは、ネフェリス。

そして、あの新しいS級――ブルンクリン。

 

アルテミスは加速し、未探索領域へ向けて軌道を取る。牽引の負担が消えたぶん、機体は素直に反応する。素直に反応するということは、操縦者の技量がそのまま結果になるということでもあった。

 

リュウジは操縦桿を握り、目線だけで航行計器をなぞる。

クリスタルはモニターに視線を固定し、ネフェリス方面の漂流ベクトルと粉塵帯の流れを重ね合わせる。

チャコはログとレーダーを切り替え、いま一番危険な“乱れ”を探していた。

ククルは音を立てないように立ち、必要な道具の位置を頭の中で並べ替える。

ペルシアは通信席でヘッドホンを手に持ったまま、舌打ちを飲み込むように息を吐いた。

 

「……来るわね」

 

ペルシアが小さく言った、その直後。

 

スピーカーが、ひび割れたように鳴った。

 

『おい! 救助船! いつまで待たせる! 早く助けに来い!』

 

ノイズ混じりの声。だが、あの癇に障る高圧的な喋りは、誰が聞いても分かる。

 

ブルンクリンだった。

 

チャコが、思い切り眉をしかめる。

 

「うっわ……まだ元気やん」

 

クリスタルが冷めた声で言う。

 

「元気っていうか、うるさい」

 

ククルは反射的に背筋を伸ばしかけて、ペルシアの顔を見て止まった。

ペルシアは目を閉じ、口角だけがわずかに吊り上がっていた。あれは笑みじゃない。刃だ。

 

「ブルンクリン。こちら救助船アルテミス。通信は届いている。今から誘導を始める」

 

ペルシアが落ち着いた声で言うと、すぐに被せるようにブルンクリンが怒鳴った。

 

『誘導だと? そんなものいらない! 僕はS級だ! 宇宙連邦連盟が認めたパイロットだぞ! お前らはさっさと僕の船を牽引しろ!』

 

「……宇宙連邦連盟め」

 

ペルシアが、通信のマイクを握ったまま低く呟いた。

そして、そのまま声の温度を変えずに続ける。

 

「S級が減ったからって、いい加減に選出したわね。こんなのを通すなんて」

 

『なっ……!』

 

ブルンクリンの声が歪んだ。プライドを踏まれた人間の音がする。

 

『貴様……僕を侮辱する気か! 僕は試験を通って――』

 

「黙りなさい」

 

ペルシアが、切り捨てるように言った。

 

「試験を通った? それが何。試験に通った結果が“この程度”なら、連盟の試験も大したことないって話になるだけよ。恥を晒したいなら勝手にしなさい。でもこっちは命を扱ってる。あなたの自尊心の介護をする暇はない」

 

『誰に向かって……!』

 

「救助船の通信士よ。あなたがいま縋りついてる相手」

 

ペルシアの言葉が、途端に鋭さを増す。

 

「分からないなら教えてあげる。あなたはいま“助けられる側”。助けられる側が指図をする権利はない。分かった?」

 

一瞬、無線が静かになった。

ノイズだけが、ぱちぱちと鳴る。

 

だがブルンクリンは折れない。折れないというより、折れ方を知らない。

 

『……ふん。口の利き方を知らない女だな。僕が助かったら連盟に報告する。貴様らの態度は――』

 

「それなら報告ついでに言っておきなさい」

 

ペルシアが遮る。

 

「“この程度で航行不能になるS級を選んだ連盟の責任”ってね」

 

チャコが、耐えきれずに小さく笑った。

笑ったあとで慌てて口を押さえる。笑い事じゃない。――でも、笑いたくなるほど、ペルシアの舌は容赦がない。

 

リュウジは操縦桿から目を離さず、冷たい声で言う。

 

「ブルンクリン。自尊心を守りたいなら、もっとマシな場所で守れ」

 

『……何だ、その声は』

 

「この程度で航行不能になるお前が悪い」

 

リュウジの言葉に、温度はなかった。怒っているのではない。事実を言っているだけだ。

 

ブルンクリンが息を呑む音が、ノイズの向こうでわずかに聞こえた。

 

『僕が悪い? 僕のせいだと言うのか? この粉塵帯は異常なんだ!』

 

チャコが、容赦なく割り込む。

 

「ネフェリスはな、あんたみたいな青二才が振り回せる船ちゃうねん。扱うのは無理や」

 

『黙れ! 下品な訛りの女が!』

 

「下品で結構や。うちが下品でも、船は沈まん。あんたのプライドは沈むけどな」

 

クリスタルが息を吐き、ククルは肩を震わせた。

ペルシアは一瞬だけ目を開け、リュウジを見る。リュウジは頷く。――ここから先は、言葉じゃない。

 

「……通信終わり。ブルンクリン、余計なことは喋るな。酸素を無駄にするな。今から誘導に入る」

 

ペルシアがそう言って、通信の出力を落とした。

 

操縦室の空気が、ぎゅっと固くなる。

次は粉塵帯。ネフェリスは、ホークよりさらに奥にいる。

 

「ペルシア」

 

リュウジが言う。

 

「分かってるわ」

 

ペルシアはヘッドホンを装着し、目を閉じた。

耳の奥に、宇宙が流れ込む。

微小隕石がぶつかる音。粉塵が擦れる音。帯の密度が上がると、音が厚くなる。薄いと、空洞のように“抜ける”。

 

「……薄い帯、ある。十一時方向。角度、二度だけ上げて。速度は落とさない。落としたら粉塵に捕まる」

 

「了解」

 

リュウジの返事は短い。

アルテミスが、滑るように向きを変える。粉塵帯の縁が近づく。モニターに映る粒の密度が増し、外部センサーのログが乱れ始めた。

 

チャコが唸る。

 

「来るで。レーダー、いよいよ乱れる」

 

「乱れていい。乱れた中で、正しいものだけ拾う」

 

ペルシアが言う。

その言葉が、まるで自分にも言い聞かせているように聞こえた。

 

アルテミスは粉塵帯へ突っ込む。

外部カメラの映像が、雪のようなノイズに覆われる。機体が微細な衝撃を受け、操縦桿が小刻みに震えた。

 

「舵、左に一度。はい、戻す。今。――次、右」

 

ペルシアの指示が飛ぶ。

リュウジは即座に応え、機体は薄い帯へ滑り込む。

薄い帯は、確かに“抜け”があった。音が軽い。衝撃が減る。センサーの乱れがほんの少しだけ落ち着く。

 

「抜けた……!」

 

ククルが思わず声を漏らしかけ、慌てて口を押さえた。

 

チャコが歯を見せて笑う。

 

「ようやった」

 

クリスタルも頷く。

 

「流石ね。……でも、本番はここから」

 

ペルシアがヘッドホンを外し、目を開けた。

視線は鋭い。疲労の影はあるのに、芯は折れていない。

 

「ネフェリスまで、あと三分。降下式ワイヤーの準備。ククル、固定具。クリスタル、船体の打ち込みポイント確認。チャコ、姿勢制御の補助ログを出して」

 

「了解」

 

ククルが短く答え、音を立てずに工具ケースを開ける。

クリスタルはモニターを切り替え、ネフェリスの輪郭を探す。

チャコはシステムを叩くように操作し、推力配分の補助画面を出した。

 

そして――暗闇の中に、現れた。

 

ネフェリス。

巨大で、重厚で、しかしいまは傷だらけの獣のように漂っている。船体の一部は焦げ、外装プレートが剥がれ、姿勢が不自然に傾いている。

それでも、あの船は“まだ生きている”。そう感じさせる圧があった。

 

『おい! 見えたか! 早く――』

 

ブルンクリンの声がまた割り込んできた。

 

「黙れ」

 

リュウジの一言で終わった。

 

ペルシアが通信を最小に絞り、作業に集中する。

 

「リュウジ、ネフェリスの上につける。降下式でワイヤーを打ち込む。打ち込みは二本。」

 

「分かった。角度を合わせる」

 

アルテミスが、ネフェリスの上へ回り込む。

降下式牽引のためには、上から“落とす”必要がある。上に立てば、ネフェリスの姿勢が少しでも暴れた瞬間に噛み合わない。

だが下に回れば粉塵帯の残りに巻かれる。――つまり、上からいくしかない。

 

「……チャコ」

 

リュウジが低く言った。

 

「姿勢制御はそっちでやれ。俺は打ち込み角と位置を作る」

 

チャコがニッと笑う。

 

「任せとき。うちが船のケツ持ったる」

 

ククルが息を呑む。

操縦を代わるとか、補助するとか、そんな次元じゃない。いまチャコは、ネフェリスとアルテミスの“間”に生まれるねじれや揺れを、数値と勘で潰さなければならない。

 

「第一ワイヤー、準備」

 

ペルシアが言う。

 

ククルが、降下装置のレバーに手を置く。

 

「いつでも」

 

「クリスタル、打ち込みポイント」

 

「テッペンの補強フレーム、そこ。次も同じ位置。そこ以外は裂ける」

 

「了解」

 

リュウジが機体を微調整する。

ネフェリスの上に“乗る”ような位置取り。

その微調整の間、チャコが姿勢制御で揺れを殺し続ける。

機体が微かに震えるたび、チャコの指が走る。

 

「いま!」

 

ペルシアが叫んだ。

 

「第一、打て!」

 

ククルがレバーを引く。

 

ドン――。

 

船体の下部から、降下式のワイヤーが撃ち出された。

真空なのに、衝撃だけが操縦室に響く。ワイヤーが伸び、先端のグラップルがネフェリスへ向かって落ちていく。

 

「当たれ……!」

 

ククルの唇が動いた。祈りのような声だった。

 

カチッ。

 

モニターに固定の表示。

第一ワイヤー、接続。

 

「入った!」

 

クリスタルが叫ぶ。

 

だがそれで終わりじゃない。むしろここからだ。

 

ネフェリスがワイヤーに引かれ、わずかに姿勢を変えようとする。

この瞬間に捻れれば、接続点が裂ける。

 

「第二、すぐ!」

 

ペルシアが声を張る。

 

「位置、ずらす。チャコ、抑えろ!」

 

「やっとる!!」

 

チャコが歯を食いしばる。

リュウジは操縦桿を押し込み、アルテミスの腹をほんの数メートルだけ滑らせた。数メートルで世界が変わる距離だ。

 

「今度は左。ククル、打て!」

 

「はい!」

 

第二ワイヤーが撃ち出される。

衝撃。伸びる。落ちる。――そして。

 

カチッ。

 

「固定!」

 

ククルの声が裏返った。

 

二本、繋がった。

ネフェリスの姿勢が、そこで初めて“止まった”。

止まったというより、アルテミスがネフェリスの暴れを抱え込んだ。

 

「よし……牽引に入る」

 

リュウジが言う。

 

『おい! 遅い! 僕を――』

 

ブルンクリンの声がまた聞こえたが、ペルシアが無線を切った。

 

「うるさいのよ」

 

それだけで十分だった。

 

アルテミスが推力を調整し、ネフェリスを引き始める。

ネフェリスは重い。アルテミスの機体が悲鳴を上げる。

だがワイヤーは持つ。接続点も持っている。クリスタルの判断が正しかった。

 

「セーシング領域へ戻る。粉塵帯、同じ薄い帯を通る。ペルシア、もう一度」

 

リュウジが言う。

 

ペルシアはヘッドホンを装着し、短く頷いた。

 

「……さっきの帯、まだ生きてる。けど、ネフェリスは重い。揺れが増える。リュウジ、舵は小さく。大きく振ったら裂ける」

 

「了解。小さく刻む」

 

「チャコ、姿勢制御、さっきよりきついわよ」

 

「知っとる。けど、やるしかないやろ」

 

ククルは歯を食いしばり、ワイヤーのテンション表示を見守る。

数字が跳ねるたび、心臓が跳ねた。

ここで切れれば、ネフェリスは再び闇へ落ちる。落ちたら、今度は回収できないかもしれない。

 

粉塵帯が迫る。

牽引中の粉塵帯は、さっきの比じゃない。

ネフェリスの外装の裂け目に粉塵が噛めば、そこから崩れる。

それでも行くしかない。

 

「いま……ここ。薄い。行ける」

 

ペルシアが言った瞬間、アルテミスは薄い帯へ滑り込んだ。

ネフェリスが遅れて入る。遅れがテンションを生む。テンションが船体を軋ませる。

 

ピッ。

 

警告音。

 

「テンションが緩んどる!」

 

チャコが叫ぶ。

 

「落ち着いて。刻む。刻む。いま、左に半度」

 

ペルシアの声が揺れない。

リュウジの操縦が、刃物みたいに細かい。

アルテミスは揺れを受け流し、ネフェリスの遅れを抑えながら、薄い帯を抜けていく。

 

ノイズが減る。

衝撃が減る。

音が軽くなる。

 

「抜けた!」

 

ククルが叫びそうになって、拳を握り締めるだけに留めた。

 

セーシング領域の縁が見えた。

そこは“内側”の光がある。通信が通り、救助船が待ち、帰る場所がある。

 

アルテミスは速度を落とし、領域内へ完全に戻る。

そこで初めて、ペルシアがヘッドホンを外し、大きく息を吐いた。

 

「……よし」

 

クリスタルがモニターでネフェリスの船体を確認し、頷く。

 

「持ってる。裂け目、広がってない」

 

チャコが肩をぐるりと回す。

 

「肩凝ったわ……ほんま」

 

ククルは目を閉じた。

涙は出なかった。けど、胸の奥が熱かった。怖かった。怖かったのに、いま生きてる。――それが分かった。

 

操縦室の誰かが、やっと呼吸を取り戻した。

 

その空気を切り裂くように、ペルシアが通信席に手を伸ばした。

 

「宇宙管理局、オペレーションルーム。聞こえる?」

 

すぐに返答が返る。

ノイズのない、はっきりした声。帰ってきた証拠だ。

 

『こちらオペレーションルーム。受信』

 

ペルシアはマイクを握り、短く、しかし胸を張る声で言った。

 

「こちらアルテミス。ブルンクリン及びブライアン一向の救助完了」

 

一瞬の静寂。

それから、向こう側で誰かが息を飲む音。歓声になりそうで、でも抑え込む音。現場の声が、通信越しに伝わってきた。

 

『……了解。確認した。よくやった、アルテミス』

 

ペルシアは返事をせず、ヘッドホンを外した。

 

そして、操縦室をぐるりと見渡す。

 

リュウジの手は、まだ操縦桿の位置にあった。

チャコは椅子に深く座り込み、ようやく肩の力を抜いた。

クリスタルは医療スペースへ向かう準備を始め、もう表情が仕事の顔に戻っている。

ククルは胸の前で拳を握り、震える息を静かに整えていた。

 

ペルシアは小さく、笑った。

 

「……ほら。やればできるじゃない」

 

誰に言ったのか分からない。

たぶん全員に。たぶん自分にも。

 

そして、彼女は一歩だけ前に出る。

 

「さて――帰るわよ」

 

その声に、誰も逆らわなかった。

アルテミスが持ち帰ったのは船体だけじゃない。

奪われかけた命を、ぎりぎりのところで“こちら側”へ引き戻した、その事実だった。

 

ーーーー

 

ネフェリスを牽引したままセーシング領域の内側へ戻った瞬間、操縦室の空気が「生き返った」ように感じられた。

 

外部カメラのノイズは薄まり、通信の遅延も目に見えて減る。警告音は鳴りっぱなしではなく、必要なときにだけ短く鳴って、必要なときにだけ止む。宇宙が、ようやく言葉の通じる距離に戻ってきた。

 

それでも、終わりではない。

 

アルテミスの後方、牽引ワイヤーの向こうには、巨大な影――ネフェリスがまだいる。外殻は傷だらけで、ところどころに黒く焼けた跡が残り、船体の縁が歪んでいる。生命維持装置が息をしているのは奇跡みたいなものだった。

 

「テンション、安定」チャコが言い、ディスプレイのグラフを指先でなぞる。「……けど、こいつ、微妙に“生き物”みたいに暴れるで。引っ張る側が油断したら、すぐ噛みつきよる」

 

「油断しない」リュウジは淡々と返し、操縦桿を握る指に力を込め直した。余計な動きを削ぎ落した操縦。大きな修正をしない代わりに、微小な呼吸で機体を整える。牽引で一番危険なのは、「戻そう」と欲張ってしまうことだと、彼は分かっていた。

 

「グレートフォックス、こちらアルテミス」

ペルシアが通信席で低い声を出す。怒鳴るときの声とは違う。冷えて、切れて、芯が通っている声だ。

 

「ネフェリス牽引状態で帰還航行に入る。そっちはどう?」

 

『こちらグレートフォックス。状況は把握している』フォックスの声が返る。『我々は側方に付き、牽引テンションの揺れを抑える。必要なら補助牽引も入れる。スリッピー、準備だ』

 

『了解、フォックス! トラクターユニット、出力上げるよ!』

 

スリッピーの明るい声が入り、直後、アルテミスのモニターに「外部補助テンション」の表示が追加された。

 

ネフェリスがわずかに揺れる。

だが、その揺れは「暴れ」ではなく、誰かに肩を支えられたときの、ふっと力が抜ける揺れだった。

 

「助かる」

 

リュウジが短く言う。

 

「ほんまに助かるで……」

チャコが半笑いで呟く。

「あの巨大船を、うちらだけで引っ張り続けるとか、胃に穴あくわ」

 

「……帰れますよね」

 

彼女が絞り出すように言うと、リュウジは前を見たまま、たった一言だけ返した。

 

「当たり前だ」

 

その言葉が、操縦室の空気を少しだけ暖めた。

 

――本来なら、この瞬間こそ、全員が一息ついていいはずだった。

達成感、安堵、疲労。そういうものを、順番に胸へ落としていけばいい。

 

けれど、アルテミスの船内には、まだ“熱”が残っていた。

 

それは、牽引テンションの熱でも、エンジンの熱でもない。

 

ペルシアの中で燃え続けている、怒りの火だ。

 

彼女は通信席のマイクを握り直し、呼吸を整えた。

そして、容赦なく言葉を投げる。

 

「エリン。聞こえてる?」

 

『……聞こえてるわ』

返ってきた声は、少し掠れていた。泣いた後の声じゃない。けれど、喉の奥に砂が溜まっているみたいな疲れ方をしている声だった。

 

「まず言っておく。今回の件、私が戻ってきたから“何とかなった”と思うな」

ペルシアの声は冷たい。

「二度と同じことをするな。あなたは、あそこで一回、心が折れかけた」

 

『……ごめんなさい』

エリンはすぐに謝った。

 

「ごめんなさいで済めば、宇宙警察なんていらないのよ!」

ペルシアが声を荒げた瞬間、操縦室の全員の肩がぴくりと跳ねた。

 

ククルが息を呑む。

クリスタルは「来たわね」とでも言いたげに目を細める。

チャコは口を手で隠し、リュウジに身を寄せるようにして小声で囁いた。

 

「……これはあかん奴やな」

 

「……ああ」リュウジも小声で返す。「エリンさんも気の毒だ」

 

その二人の小声が届く距離で、ペルシアは構わず続ける。

 

「あなた、さっき“出来る限りのことをした”って言ったわよね。出来る限り? 笑わせないで。出来る限りをするっていうのは、準備の段階からやるの。設計図を頭に入れる。想定を潰す。緊急系統の確認をする。通信が死んだときの代替を準備する。――それが出来る限りよ」

 

『……』

エリンが黙る。

 

「黙らない」ペルシアが即座に刺す。

「黙るとね、あなたのチームが不安になる。あなたは“空気”を整える役目。なのに、あなたが黙って、マリが慌てて、サツキが焦って、ブライアンが声を荒げて、最悪の連鎖が起きた」

 

ククルは落ち着かない様子で、視線を行き場なく漂わせた。

たしかに、あの通信ログの中のエリンは、いつものエリンと違っていた。皆を引っ張る人じゃなくて、皆の後ろで揺られている人に見えた。

 

「……エリンさん」

ククルが思わず呟くと、クリスタルが小さく首を振った。

「今は、口を挟まない方がいいわ」

 

ペルシアの叱責は、さらに深く、容赦なく切り込んでいく。

 

「それにね、エリン。あなたが“人のせい”にした時点で終わりなのよ。あの通信で、あなたは言った。“何も言わずに居なくなって、どれだけ心配したと思ってるのよ”って」

 

『……言ったわ』

エリンは静かに認めた。

 

「あなたがそんな言い方をするなら、あなたはもう、ドルトムントで“チーフ”をやってた頃のあなたじゃない」

ペルシアの声が一段低くなる。

「私はあなたの失敗を笑わない。けど、あなたが“あなたであること”を捨てるなら、私は許さない」

 

操縦室の空気が、また重くなる。

誰も笑わない。誰も息を乱さない。

牽引ワイヤーの向こうでネフェリスが軋む音だけが、静かに、船内へ染み込んだ。

 

そのときだった。

 

『ペルシア』

エリンが、いつもより少しだけ低い声で言った。

『一つ言いたいことがあるの』

 

ペルシアの眉が跳ねる。

「なに。言い訳?」

 

『ううん』

エリンの声は、驚くほど落ち着いていた。

『言い訳じゃない。……あなたのおかげで、私の未熟さが分かったわ』

 

「私がいないと何にもできないの!?」

ペルシアが反射的に叫ぶ。怒りの火が、再び強く燃え上がる。

 

だが、エリンは声の温度を変えない。

『違う。そうじゃない。……私が“出来るつもり”になってたの。あなたがいなくても回せるって、どこかで思ってた。……思ってたから、崩れた』

 

ペルシアの口が、ほんの一瞬だけ止まる。

「……」

 

『だから』

エリンは、息を整える。

その間に嘘はなかった。取り繕う音がない。言葉を選んで誤魔化す気配がない。

『無事に戻ってきてくれて、ありがとう』

 

その“ありがとう”は、謝罪よりも真っ直ぐだった。

 

ペルシアは言葉を失ったまま、目だけを細める。

怒りの勢いが、ほんのわずか、揺らいだ。

 

チャコが目を見開き、リュウジの袖を掴むようにして小声で言う。

「……今の、効いたで」

 

「……ああ」リュウジも短く頷いた。「エリンさん、さすがだ」

 

ククルは、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。

“ありがとう”って、こんな状況でも言えるんだ。

怒りの中でも、受け止められるんだ。

 

――そして、エリンはそこで終わらせない。

 

『そうだ。今回のお礼と、ペルシアの帰還祝いをしましょう』

エリンの声が、少しだけ弾む。

『あなたが好きな食べ物、何でも作るわ。何でも』

 

「……へ?」

ペルシアの声が、間抜けなくらい素直に抜けた。

怒りの熱が、音を立てて冷めていくのが分かるほどだった。

 

『唐揚げでもポテトフライでも、お酒のおつまみでも、何でも作ってあげる』

エリンは嬉しそうに言う。

『満足するまで食べて』

 

「ほんとに? 本当?」

ペルシアが子どもみたいな声で返す。

 

操縦室の全員が、同時に表情を崩しかけた。

笑ってはいけない。けれど、笑ってしまう。

緊張を壊すには十分すぎる破壊力だ。

 

『本当よ』エリンが笑う。『満足するまで。あなた、頑張ったんだもの』

 

「やったー!」

ペルシアが、両手を小さく握って喜ぶように言った。

「じゃあ、私、エリンが作るサーモンとアボカドを海苔で包むやつ食べたい!」

 

クリスタルが吹き出しそうになり、慌てて咳払いで誤魔化した。

チャコは肩を震わせ、ククルはぽかんと口を開けたまま、リュウジはこめかみを押さえる。

 

『サーモンとアボカドのポキだね』

エリンが即答する。

『分かったわ。作る。たっぷり』

 

「約束だよ!」

ペルシアが食い気味に言う。

「満足するまで食べさせてよ!」

 

『もちろん。……あ、私、これからナウスにメディカルチェックを受けるから無線切るわね』

エリンの声が少し遠くなる。

『じゃあね』

 

「うん! 楽しみにしてるね!」

ペルシアがすっかり上機嫌で返した。

 

通信が切れる。

マイクの前に残ったのは、さっきまでの怒りの残り香ではなく、食べ物の匂いを想像しているみたいな、妙に平和な沈黙だった。

 

ペルシアが椅子に深く座り直し、満足そうに喉を鳴らす。

「ぐふふ……お酒が待ち遠しいわ」

 

ククルが、ぽつりと呟いた。

「……流石、エリンさん」

 

「本当ね」クリスタルが肩をすくめる。

「上手くペルシアを転がしたわ」

 

「扱いに慣れとるんやな……」チャコが目を丸くする。

「怒りの鎮火、あんな見事にできるんか」

 

リュウジは操縦桿を握ったまま、短く息を吐いた。

「あのペルシアの怒りを収めるなんて……」

それから、少しだけ苦笑する。

「……エリンさんは、やっぱりチーフだな」

 

ククルは、その言葉を聞きながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

怒りをぶつけ合って、傷つけ合って、でも、それで終わらない。

怒りの中にも、守りたいものがあって、謝罪の中にも、感謝があって、冗談の中にも、必死さがある。

 

そんな不器用なやり取りが、この宇宙で彼らを繋いでいるのだ。

 

――そして現実は、待ってくれない。

 

「帰還ルート、安定」リュウジが言う。

「グレートフォックス、補助テンションは?」

 

『安定している。ネフェリスの揺れも抑えられている』フォックスの声が返る。『このまま宇宙管理局へ向かう。管制は既に確保済みだ』

 

「了解」ペルシアがいつもの顔に戻り、端末を叩く。

「宇宙管理局、こちらアルテミス。帰還航行は継続中。ネフェリス牽引状態、予定通り入港する。受け入れ準備は?」

 

『受け入れ準備、完了。医療班、整備班、収容設備、全てスタンバイしている』

オペレーションルームの声が返る。

『…帰ってきてくれ。全員』

 

その“全員”の言葉に、操縦室の空気がまた少しだけ引き締まった。

ホークに乗っていた者たちはグレートフォックスの中で処置を受けている。

ネフェリスに乗っている者たちは、まだ牽引の衝撃に耐えている。

そしてアルテミスの中の彼らも、疲労を抱えたまま、最後の仕事をやりきらなければならない。

 

「……最後まで、気を抜かない」

クリスタルが静かに言った。

 

「当たり前」ペルシアが頷く。

それから、さっきの余韻が完全に消えきらないまま、ぽつりと付け足す。

「でも帰ったら、ポキ。あと、お酒」

 

「結局そこに戻るんかい」チャコが即ツッコミを入れ、クリスタルが小さく笑う。

ククルは、やっと肩の力が抜けて、ほっと息を吐いた。

 

リュウジは視線を前に固定したまま、操縦桿をほんの少しだけ調整する。

宇宙管理局の灯りが、遠くに見え始める。

牽引ワイヤーの先で、ネフェリスはまだ重い影のままだ。だが、その影は確かに“帰る方向”へ引かれている。

 

その確信が、操縦室の全員の背中を、静かに押した。

 

「――帰還まで、あと少し」

リュウジの声は低く、しかし柔らかかった。

「全員、最後までやるぞ」

 

「了解」ペルシアが即答する。

クリスタルが頷き、チャコが「任せとき」と言い、ククルが「はい!」と声を張った。

 

グレートフォックスが側方に寄り添い、アルテミスがネフェリスを牽引したまま、宇宙管理局の管制圏へ滑り込んでいく。

 

その帰路の先にあるのは、叱責でも怒号でもない。

医療チェックと、報告書と、整備と、そして――

 

「……ポキとお酒」

ペルシアが、幸せそうに呟いた。

 

リュウジが、ほんの少しだけ口元を緩める。

「……帰ったら、な」

 

そしてアルテミスは、ネフェリスを引いたまま、確かな速度で“帰還”を続けた。

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