サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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特別講師

 次の日の朝、旅行事業部のフロアには、これまでとはまた違う緊張が漂っていた。

 

 歩き方と姿勢だけを延々と叩き込まれた二週間余り。

 ようやく昨日、エリンの口から「明日から忙しくなる」と告げられたことで、乗務員たちの胸の内には少しばかりの期待が生まれていた。今日からはきっと、乗客の乗り入れやサービス対応に本格的に入れる。ここまで積み上げた姿勢と歩き方が、ようやく実際の仕事に繋がる。

 

 そんな前向きな予感と、同時に、エリンが言う“忙しくなる”が決して生半可な意味ではないだろうという警戒も、皆の中には確かにあった。

 

 それでも朝の空気は、以前のような重苦しさばかりではなかった。

 フロアのあちこちで、制服の襟元を整える手つきにも、端末を開く視線にも、どこか前のめりな意識が滲んでいる。やっと次に進める。そんな思いが、皆の身体を少しだけ軽くしていた。

 

 ミラとランも、いつもより早めに出勤していた。

 

「今日は何から入るんだろうね」

 

 ミラが端末を立ち上げながら言うと、ランが柔らかく頷いた。

 

「乗り入れかな。それともサービス動線からかも」

 

 ランの声にも、微かな期待が混じっている。

 二人とも、歩き方と姿勢だけの反復が無駄だったとは思っていない。むしろ必要な時間だったと今では分かっている。けれど、現場というものはやはり“人と向き合うこと”で初めて完成する。乗客の表情を見ること。声をかけること。空気を整えること。その段階へようやく進めるのだと思うと、自然と気持ちは引き締まった。

 

 そこへ、フロアの入り口から規則正しい足音が響いてきた。

 

 エリンだった。

 

 彼女はいつものように無駄のない動きでフロアへ入り、自席に荷物を置いた。白い指先が端末を机の端に揃え、資料の束を軽く整える。その一連の所作だけでも、やはり他の乗務員たちとはどこか違う。静かなのに、周囲の空気が自然とその人の方へ向く。

 

 いつもなら、そこで「おはようございます!」とあちこちから声が飛ぶ。

 もちろん今日も挨拶はあった。だが、エリンはそれに軽く頷いたあと、すぐに振り返った。

 

「皆んな、ちょっといい?」

 

 その一言で、フロアの空気がすっと変わった。

 

 乗務員全員の視線がエリンに向く。

 今朝のこの段階でわざわざ全員へ向けて声をかけるのは珍しい。しかも、いつもの訓練開始の淡々とした号令ではない。少しだけ含みのある言い方だった。

 

 ミラもランも、自然と手を止めて立ち上がる。

 若い乗務員たちも、それにならうように姿勢を正した。

 

 エリンは全員の視線を受け止めたまま、いつも通り落ち着いた声で告げた。

 

「今日から二週間だけ、皆んなに特別講師を付けることにしました」

 

 その言葉に、フロアがざわりと揺れる。

 

「特別講師ですか?」

 

 最初に口を開いたのはミラだった。

 彼女の声には、驚きと、少しの警戒とが混じっている。

 

「ええ」

 

 エリンは短く頷く。

 

 それから、フロアの扉の方へ視線を向けて、まるで何でもないことのように言った。

 

「入っていいわよ」

 

 次の瞬間、フロアの入り口から二人の女性が姿を見せた。

 

「やっほー、ぐっもーにん」

 

 明るく、場の空気を一瞬で掻き回すような声。

 金髪を揺らし、どこか自信満々に片手を上げて入ってきた女性がいた。目元は華やかで、笑い方も大きく、立っているだけで周囲の空気を自分の色に染めるような存在感がある。

 

 その隣から続いたのは、もう少し静かな声だった。

 

「おはようございます」

 

 凛とした響き。

 伸びのある黒髪を後ろでひとつにまとめ、無駄のない姿勢で入ってきた女性は、先ほどの金髪の女性とは対照的に、すっとした涼やかさをまとっていた。強いのに押しつけがましくない。立っているだけで“空気を整える”人の気配がある。

 

 乗務員たちの間から、「誰?」「え、すごい美人……」「関係者?」と小さな声が漏れる。

 

 だが、その中でミラとランだけは、二人の顔を見た瞬間に目を見開いていた。

 

「ペルシアさん!?」

 

 ミラが、驚きのあまり半歩前へ出る。

 

「ガーネットさん!?」

 

 ランも、思わず名を呼んでいた。

 

 二人の女性は、その反応にそれぞれ違う表情を見せた。

 金髪の女性――ペルシアは、にっと笑う。

 そして、そのまま勢いよくミラとランの方へ近づいてきた。

 

「お、ミラとランじゃない。思ったより元気そうじゃない」

 

 軽やかに言いながら、ペルシアはミラの頭をくしゃっと撫で、そのままランの頭も同じように撫でた。昔から変わらない、距離感の近い挨拶だった。

 

 ミラは思わず目を丸くし、それから少しだけ唇を尖らせる。

 

「私は元気ですよ」

 

「そうなの?」

 

 ペルシアはケラケラと笑った。

 

「てっきりエリンにコテンパンに打ちのめされてるのかと思ったのに」

 

 その一言で、フロアにいた若い乗務員たちの表情が一瞬だけ“ですよね!?”と言いたげに揺れる。

 

 だが、その空気をばっさり切ったのはエリンだった。

 

「ペルシア、余計なこと言わなくていいから」

 

 じろりと睨みつける。

 

「はいはい」

 

 ペルシアは肩をすくめ、悪びれた様子もなくエリンの隣へ戻る。

 黒髪の女性――ガーネットも静かにその横へ並んだ。

 

 エリンは二人を一瞥してから、言った。

 

「自己紹介して」

 

「はーい」

 

 まず口を開いたのはペルシアだった。

 

「ペルシアです! 皆んなよろしくね」

 

 手をひらひらと振りながら、明るく言う。その軽さに、若い乗務員たちは思わず面食らっていた。目の前にいるのがただの外部講師ではなく、エリンやミラ、ランが明らかに信頼している人物だということだけは、空気で分かる。けれど、あまりにも“思っていた特別講師像”と違うのだ。

 

 次に、ガーネットが一歩だけ前に出る。

 

「ガーネットです。短い間ですが、よろしくお願いします」

 

 簡潔で、凛とした自己紹介だった。

 声の通り方が綺麗で、それだけでフロアのざわつきが少し静まる。ランが彼女を見つめる目には、驚きだけではなく、どこか懐かしさも混じっていた。

 

 エリンはそこで、全員に向けて告げる。

 

「二人はドルトムントの時に、私の下で副パーサーをしていた元同僚。実力は保証するわよ」

 

 その一言に、フロア全体がどよめいた。

 

 ドルトムント。

 その名は、スペースホープにいる若い乗務員たちでさえ知っている。宇宙旅行業界に身を置く者なら、一度は耳にする会社だ。厳しさ、実力主義、そして高い水準。そこにいた人間が、しかもエリンの下で副パーサーをしていた。そう聞かされれば、嫌でも緊張は走る。

 

 エリンは、その反応を大して気にも留めず、すぐに次の指示へ移った。

 

「今日から十人ずつで二班を作ってもらいます。ミラを含めた十人が一班。ランを含めた十人が二班ね」

 

 皆の視線がミラとランへ向く。

 二人とも自然と背筋が伸びた。

 

「ペルシアには、乗客の乗り入れと荷物対応、座席の誘導」

 

「りょーかい」

 

 エリンが言い終わる前に、ペルシアが気楽そうに返事をする。

 だが、その軽さとは裏腹に、そこに並んだ項目は“空間の第一印象”を左右するものばかりだった。ミスがあれば最初の不安に直結し、上手くいけば乗客の心を一気に掴める。まさにペルシアらしい担当だと、ミラは思った。

 

「ガーネットには、サービス動線・対応、緊急時の初動を指導してもらいます」

 

「分かりました」

 

 ガーネットは短く頷く。

 その一言に、無駄な揺れがまるでない。ランはその横顔を見ながら、昔と同じだと胸の内で思った。静かなのに、曖昧さがない。だからこそ、彼女に教わると誤魔化しが効かない。

 

「午前は一班がペルシア、二班はガーネット。午後はその逆で指導を受けてください」

 

「はい!」

 

 返事が、ぴたりと揃う。

 特別講師という言葉の重みを、皆がちゃんと感じていた。

 

 だが、エリンの話はまだ終わらなかった。

 

「ちなみに、特別講師は二人だけじゃないわよ」

 

 その一言に、乗務員たちの顔がまた上がる。

 

「総務部には宇宙連邦のマユミ、財務部には宇宙管理局のフレイさん、広報部には記者のフレデリックさんに来てもらってます」

 

 その名を聞いて、乗務員たちは本気で驚きを隠せなかった。

 総務部にも、財務部にも、広報部にも、それぞれ外から講師が来ている。つまりこれは、旅行事業部だけを立て直す話ではなく、スペースホープ全体を立て直すための動きだということだ。

 

「すご……」

 

「本気だ……」

 

 誰かが小さく呟く。

 

 エリンはさらに、当然のように続けた。

 

「それと、パイロット」

 

 その声に、フロアの隅にいた若いパイロットたちが一斉に顔を上げた。

 彼らもここ数日、旅行事業部のフロアの片隅で書類や簡易訓練に追われていたが、乗務員たちとはどこか距離を置いていた存在だ。

 

「貴方たちにも講師を呼んであるから」

 

「講師? 誰ですか?」

 

 代表するように、若いパイロットの一人が聞く。

 緊張よりも好奇心が勝った声だった。

 

 その時、フロアの奥から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。

 

 一歩。

 また一歩。

 

 それだけで、空気が変わる。

 

 エリンは、その足音の方を見ずに言った。

 

「私が知っている限りで、一番のパイロット」

 

 そして、フロアの扉が開いた。

 

「S級パイロットのリュウジよ」

 

 その名が落ちた瞬間、パイロットたちは大きく目を見開いた。

 驚愕、という表現がふさわしいほどの反応だった。中には反射的に姿勢を正す者までいる。

 

 一方で、乗務員たちの反応はまるで違った。

 

「えっ、本物!?」

「リュウジさん!?」

「うそ、かっこいい……!」

「イケメンすぎ……!」

 

 黄色い声が、一気にフロアに広がった。

 

 扉のところに立っていたリュウジは、相変わらず無駄のない立ち方をしていた。派手ではないのに目を引く。静かなのに存在感がある。パイロットとしての自信が、声を出さなくても体から滲んでいる。

 

 エリンが横目でリュウジを見る。

 

「リュウジ、一言ある?」

 

 リュウジは一拍だけ沈黙し、それから短く言った。

 

「……よろしく」

 

 それだけだった。

 

 フロアに一瞬、微妙な間が落ちる。

 

「それだけ? つまんない」

 

 即座に突っ込んだのは、やはりペルシアだった。

 

「うるさい」

 

 リュウジが低く返す。

 そのやり取りだけで、乗務員たちの緊張が少しだけ緩みかける。

 

「本物のリュウジさんだ……」

「サインもらいたい……」

「あとで写真……いや無理か……」

「近くで見ると余計すごい……」

 

 そんな声が、あちこちでひそひそと飛び交う。

 だが、その空気を切り裂くように、エリンの雰囲気がふっと変わった。

 

 にこり、と笑っている。

 けれど、その笑みの底が、ひやりと冷えている。

 

 ミラもランも、その変化にすぐ気づいた。

 そして、乗務員たちも遅れて気づく。

 

 まずい。

 

 エリンはそのまま、穏やかな声で言った。

 

「リュウジ、その子たち、乗務員がしっかりしないと操縦に集中できないみたいだから」

 

 フロア全体に悪寒が走った。

 

 C級ライセンスのパイロットたちが口にしたあの言葉。

 それをエリンは、忘れてなどいなかったのだ。

 

「しっかりと教えてあげて」

 

 その微笑みのまま、そう告げる。

 

 リュウジは真剣な顔で頷いた。

 

「分かりました」

 

 その返事は、軽くなかった。

 乗務員たちは一斉に思った。

 

 ――やっぱり、怒ってたんだ。

 

 いや、怒っていたというより、きっちり覚えていて、きっちり用意していたのだ。逃げ道も、言い訳もできない形で。

 

 フロアの空気が凍りかけた、その時だった。

 

「さ、さぁ、一班はシュミレーションルームに行きましょ!」

 

 ペルシアが、明るすぎる声を出した。

 おそらく半分は本気で楽しんでいて、半分はこの空気から早く逃がしてやろうという気まぐれな優しさだ。

 

「ほらほら、もたもたしない! 午前は私が担当なんだから、のんびりしてたら置いてくわよ!」

 

 そう言いながら、ミラを含む一班の乗務員たちを半ば追い立てるように連れていく。

 

 若い乗務員たちは「は、はい!」「行きます!」と慌てて動き出した。

 あまりの情報量と緊張に、もはや頭が追いついていない者も多い。けれど、少なくとも足だけは動かすしかなかった。

 

「二班も行きましょう」

 

 ガーネットが静かに言う。

 その声は落ち着いていて、自然と人を従わせる力があった。

 

 ランを含む二班の乗務員たちも、「はい」と返し、彼女の後に続く。

 ガーネットは振り返らない。だが、誰ひとり置いていかれないよう、歩幅だけはきちんと調整されている。その細やかさに、ランは少しだけ胸が熱くなるのを感じた。

 

 フロアには、パイロットたちとリュウジ、それからまだ机の前に立っているエリンだけが残った。

 

 乗務員たちが去っていく背中を、エリンは静かに見送っていた。

 

 ここから先の二週間は、また別の意味で厳しくなる。

 だが、それはもう“何も知らずに叩き込まれる厳しさ”ではない。

 実力のある人間から、実際の現場に直結する技術を学ぶ時間だ。

 

 そして同時に、スペースホープという会社全体が、本気で立ち直ろうとしている証でもあった。

 

 シュミレーションルームへ向かう途中、ミラは先を歩くペルシアの背中を見つめていた。

 派手で、軽くて、騒がしくて、でも不思議と頼れる背中。

 

「……ペルシアさん」

 

 思わず小さく名前を呼ぶと、ペルシアは振り返りもせずに言った。

 

「なに? 今から泣き言なら聞かないわよ」

 

「泣き言じゃないです」

 

「じゃあ何?」

 

 ようやく肩越しにこちらを見る。

 ミラは少し笑った。

 

「ちょっと安心しました」

 

 その言葉に、ペルシアは一瞬だけきょとんとした顔をしたあと、ふっと口元を緩めた。

 

「そりゃ良かった」

 

 そしてすぐに、いつもの調子で言う。

 

「でも安心するのは早いわよ? 私、教える時はちゃんと厳しいから」

 

 その一言に、一班のあちこちから「ええっ!?」と声が上がる。

 だが、その反応すら、今の旅行事業部には少しだけ心地よかった。

 

 厳しくてもいい。

 怖くてもいい。

 何を目指しているかが分かるなら、ついていける。

 

 そんな確かな感覚が、乗務員たちの胸に宿り始めていた。

 

 シュミレーションルームの扉が開く。

 新しい二週間が、そこから始まろうとしていた。

 

 

ーーーー

 

 

エリンはリュウジにパイロット達を預けると、旅行事業部のフロアを離れ、まずは総務部へと向かった。

 

 モンサンビルでの夜を経て、スペースホープの空気は確かに変わり始めていた。だが、立て直すべきなのは旅行事業部だけではない。会社そのものが長い間、緩みと惰性と諦めの中で沈みかけていたのだ。乗務員を整えるだけでは足りない。総務も、広報も、財務も、そしてパイロット達も、それぞれが自分の場所で立ち直らなければ、この会社は本当の意味では浮上できない。

 

 そのためにエリンは、容赦なく、そして周到に手を打っていた。

 

 総務部のフロアに足を踏み入れると、そこには既にマユミがいた。

 

 壁際の大きなモニターには表計算ソフトと業務フロー図が映し出され、何本もの線が部門同士を結び、色分けされたブロックがそれぞれの工程を示している。マユミは総務部の人間を机の周りに集め、まるで教師のように、しかし教師よりもずっと速いテンポで説明を続けていた。

 

「だから、今までみたいに個人の端末にだけデータを置いちゃ駄目。引き継げないでしょ。見て、この申請の流れ。備品購入申請が来る、確認する、予算の紐付けをする、承認を回す。これを全部、見える化しておかないと、誰か一人が休んだだけで止まるのよ」

 

 総務部の若い職員が恐る恐る手を挙げる。

 

「で、でも、今まではその都度、口頭確認でも……」

 

「その“その都度”が一番危ないの」

 

 マユミはぴしゃりと言ったが、声の調子は明るい。

 

「口頭は楽よ。楽だけど残らない。残らないってことは、責任も流れる。効率化ってね、速くすることじゃないの。止まらなくすることなのよ」

 

 そう言いながら、マユミは手元の端末を軽快に操作し、新しい入力フォームを立ち上げてみせた。備品名、必要数、現状在庫、使用部署、使用目的、緊急度、予算区分。そのすべてが一覧で見られるようになっている。

 

 総務部の職員達は最初こそ目を白黒させていたが、画面の中で複雑だった業務が一本の流れとして繋がっていく様子を見るうちに、少しずつ表情が変わっていった。

 

 エリンは入口近くでその光景を見つめ、静かに頷いた。

 

 マユミに依頼したのは、スペースホープ全体の効率化を見据えた新しいシステムの構築だった。今までは各部署が好き勝手に動き、紙と口頭と個人の感覚で業務が回されていた。そんなものが長く続くはずがない。会社が傾けば真っ先に綻ぶのは、そういう“何となく回っている”部分だ。

 

 マユミはそれを骨の髄まで理解している。

 

 エリンに気づいたマユミが、軽く片手を上げた。

 

「お、エリン。ちょうどよかった。総務部、思ったより筋がいいわ。基本が真面目だから、ちゃんと仕組みを作れば伸びる」

 

「そう。助かるわ」

 

「でも在庫管理はひどい。倉庫の棚、あとで一緒に見たい」

 

「分かった」

 

 短く言葉を交わし、エリンは次の部署へと向かった。

 

 広報部のフロアでは、フレデリックが見事に“記者”の顔になっていた。

 

 長い脚を組んで椅子に腰掛けているかと思えば、次の瞬間には立ち上がり、広報部の人間が撮った写真を片っ端から端末の大画面に映し出しては、ひとつずつ容赦なく指摘している。

 

「この写真、悪くない。でも“誰に見せたい写真か”がない。記録写真で終わってる」

 

 広報部の女性が、緊張した声で言う。

 

「で、でも、笑顔も入っていますし……」

 

「笑顔は入ってる。けど、それだけだ」

 

 フレデリックは指先で画面を示した。

 

「見出しと同じだよ。目立つ言葉を置けばいいわけじゃない。最初の一秒で“続きを見たい”と思わせるかどうかだ」

 

 次の画面に映し出されたのは、スペースホープの古いホームページのトップ画面だった。過去の栄光を引きずるような文言、大きすぎる装飾文字、意味の薄いスローガン、無駄に長い説明。

 

「これも同じ。言いたいことが多すぎる。多すぎると、結局何も伝わらない」

 

「じゃあ、どうすれば……」

 

「絞るんだよ」

 

 フレデリックは笑わなかった。だが、その目は楽しそうだった。

 

「この会社が今、一番伝えるべきは何? “昔すごかった”こと? 違う。これから何を取り戻したいのかだろ」

 

 広報部の人間達は真剣に頷く。

 

「写真も、文章も、チラシの見出しも、全部同じ。見せたいのは“自分達が作りたい未来”だ。そこがないと、ただの飾りになる」

 

 エリンはその場に長く留まらず、また静かに頷くだけに留めた。フレデリックに任せれば、広報部は嫌でも“見せ方の本質”を叩き込まれるはずだった。

 

 次に向かったのは財務部だった。

 

 ここではフレイが、予想通り、誰よりも真面目な顔で財務状況を洗い直していた。

 

 机の上には山のような伝票、予算書、支払明細、過去の月次資料が広げられ、画面には項目別に分けられた支出一覧がびっしりと並んでいる。

 

「これは必要経費です」

 

 フレイが淡々と告げる。

 

「こっちは現場の運営に直結する。削ると業務が止まります。けれど、こちらは違います」

 

 彼女が示したのは、毎年恒例を理由に続いていた装飾品の購入費や、実態の伴わない広報イベント費、意味もなく更新されてきた備品類の請求だった。

 

「固定費と変動費の区別が曖昧です。そこを曖昧にしたまま“必要です”と言われたものを全部通していたら、会社は持ちません」

 

 財務部の女性が、おずおずと聞く。

 

「でも……必要と言われたら、私達は……」

 

「必要かどうかを判断するのが財務です」

 

 フレイの声には無駄がなかった。厳しいが、誤解の余地もない。

 

「断ることは、相手を敵にすることじゃありません。会社を生かすための確認です」

 

 エリンはそこで初めて、少しだけ表情を緩めた。フレイがこうして他部署に立つ姿を見ると、宇宙管理局で見せる几帳面さがそのまま活きているのが分かる。柔らかさには欠けるが、こういう時にはその堅さこそが信頼になる。

 

 ひと通り見て回ったあと、エリンは最後にシュミレーションルームへと向かった。

 

 今日の午前、一班はペルシアの担当になっている。ペルシアに乗り入れ、荷物対応、座席誘導を任せることにしたのは、技術だけでなく、彼女が“人の間に空気を作る天才”だからだ。今のスペースホープには、技術と同じくらい、その空気が必要だった。

 

 だが――。

 

 シュミレーションルームの扉を開けて中を覗いた瞬間、エリンはほんの少しだけ眉を動かした。

 

 中では、一班の乗務員達が綺麗に円になって床へ座り込んでいた。そしてその真ん中には、当然のようにペルシアがいる。

 

「あははは! いや、エリンがそんな事まで言ったの!? うわぁ、想像つくわぁ!」

 

 ペルシアが腹を抱えて笑っている。

 

 ミラは思わず眉をひそめた。

 訓練はどうしたのだろう。

 

 だが乗務員達の顔を見ると、誰一人として嫌そうではない。むしろ緊張がほぐれたような表情で、先ほどまでの“特別講師が来る”という硬さが嘘のようだった。

 

「まったくエリンは冷たいよねぇ。ハズキはどう思ったの?」

 

 ペルシアが話を振る。

 

 ハズキは最初、明らかに戸惑っていた。だが、周りの空気に押されるように口を開く。

 

「えっと……もの凄く怖い人だと思いました」

 

「ハズキちゃん!」

 

 隣のミドリが慌てるように声を上げたが、ペルシアは手をひらひらさせた。

 

「いいのいいの。そういうのを聞きたいのよ。じゃあミドリは?」

 

「私は別に……」

 

 ミドリは視線を泳がせた後、苦笑いを浮かべる。

 

「ただ、冷たい人だとは思ってました」

 

「うんうん、そうなるよねぇ」

 

 ペルシアは大きく頷いた。

 

「クミコは?」

 

「いやぁ……エリンさんが凄いのは分かりましたけど、何を考えているかは全然分かりませんでした」

 

「分かるー!」

 

 ペルシアが膝を叩く。

 

「まったくエリンって容赦ないよねぇ。こんな可愛い初心者にも、あんなにバシバシ言うんだから」

 

 その言い方に、何人かが思わず吹き出す。

 

「あの、ペルシアさん……」

 

 ミラがそこで口を挟んだ。

 

「どうしたの?」

 

「訓練は?」

 

 ミラの言葉は、かなり真っ当だった。

 

 だがペルシアは全く動じず、むしろ楽しそうに笑う。

 

「まぁいいじゃない。まったくミラは真面目だなぁ」

 

 そう言ってから、ペルシアは視線をハズキに戻した。

 

「でね、エリンって昔から、寝ないで働くくせに“平気だけど?”って顔するのよ」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

 ハズキが目を丸くする。

 

「そうそう。昔なんて三日連続で寝ないで書類まとめて、そのままブリーフィング入ろうとしてたんだから」

 

「三日!?」

 

「盛ってません?」

 

 ミドリが半眼になる。

 

「盛ってないわよ。ねぇミラ?」

 

 いきなり話を振られたミラは一瞬詰まった。

 

「……二日は見ました」

 

「でしょ?」

 

 ペルシアが勝ち誇ったように笑う。

 

「でもエリンさん、ちゃんとしてそうなのに……」

 

「ちゃんとしてるから余計タチ悪いのよ」

 

 ペルシアはうんうんと頷く。

 

「しかもね、自分がしんどい時ほど人に優しくなるの。そういうタイプ」

 

「え、じゃあ私達に厳しかったのは元気だったってことですか?」

 

 クミコが真顔で聞く。

 

「いや、それは単純にムカついてたんじゃない?」

 

 ペルシアがさらりと言うと、室内に笑いが起きる。

 

「もー、怖いこと言わないでくださいよ!」

 

「でも分かる気がします……」

 

「私、最初の一週間、本当に夢にエリンさん出てきました」

 

「何て言われたの?」

 

「“肩を落とさない”って……」

 

 今度は一斉に笑いが起こった。

 

「やだもう、それは重症ね」

 

 その空気に乗って、話はどんどん脱線していった。

 

「エリンさんって甘いもの食べるんですか?」

 

 誰かが聞く。

 

「食べるわよ。結構好き」

 

「えっ、何が好きなんですか?」

 

「んー、焼き菓子系かな。あと紅茶と一緒に食べるやつ」

 

「意外!」

 

「意外でもないでしょ。見た目どおり繊細なのよ」

 

「じゃあペルシアさんは?」

 

「私は何でも食べる」

 

「説得力ありますね」

 

「なにそれ失礼じゃない?」

 

 また笑いが起きる。

 

「ペルシアさんってお酒強そうです」

 

「そうね、強いわよ」

 

「じゃあ酔ったらどうなるんですか?」

 

「可愛くなる」

 

「自分で言うんですか!?」

 

「言うわよ」

 

 ハズキが腹を抱えて笑い、ミドリが「ちょっと見てみたいかも」と言い、クミコが「いや、でも面倒くさそう」と真顔で返す。

 

 そこから話はさらに変な方向へ転がっていった。

 

「ペルシアさんって恋人いるんですか?」

 

「えっ」

 

 ミラが思わず変な声を出したが、ペルシアは平然としていた。

 

「なに突然」

 

「いや、なんかモテそうだなって」

 

「モテるわよ」

 

「また自分で言う!」

 

「事実だもの」

 

「じゃあ今は?」

 

「今はいない。募集中」

 

 その返答に、乗務員達が一斉に盛り上がる。

 

「ええー!」

「意外!」

「なんでですか!」

「選びすぎじゃないですか?」

 

「うるさいわねぇ。こっちにも都合があるのよ」

 

「どんな人がタイプなんですか?」

 

「そうねぇ……私に優しくて、お酒が強くて、仕事ができて、顔が良くて、面白い人」

 

「条件多すぎません!?」

 

「妥協しないの大事よ」

 

「でもその条件だと絶対いないですよ」

 

「いるわよ。ほら、あそこに」

 

 ペルシアが何気なく扉の方を指さした。

 

 その瞬間だった。

 

 シュミレーションルームの空気が、ぴたりと止まった。

 

 そこに立っていたのは、エリンだった。

 

 しかも、笑っている。

 

 にこやかに。

 やわらかく。

 ものすごく穏やかに。

 

 ――なのに、怖い。

 

 さっきまでの笑いが一瞬で凍る。

 円になっていた乗務員達は、誰からともなく背筋を伸ばした。

 ミラは額に嫌な汗が浮くのを感じた。

 

 エリンは扉にもたれかかるように立ちながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「ペルシア」

 

「は、はい?」

 

 ペルシアが珍しく微妙に引きつった声を出す。

 

 エリンは笑顔のままだった。

 

「私は貴方に何をお願いしたんだっけ?」

 

 その一言は静かだった。

 怒鳴っていない。

 責めてもいない。

 けれど、室内の温度が一気に数度下がったように感じられた。

 

 ペルシアは一拍、いや二拍ほど固まったあとで、わざとらしく空を見上げる。

 

「えーっと……乗務員の指導、かな?」

 

「かな、じゃないわよね?」

 

 エリンの笑みは崩れない。

 そのまま一歩だけ中へ入ってくる。

 

「乗客の乗り入れと荷物対応、座席の誘導。それをお願いした記憶があるんだけど、気のせいかしら?」

 

「い、いやー、ほら、その前に心の距離を縮めるのも大事かなって」

 

「そう」

 

 エリンは頷く。

 

「で、どうして途中から恋愛相談になってたの?」

 

 乗務員達の肩がぴくっと跳ねた。

 

 ハズキは目を逸らし、ミドリは口元を押さえ、クミコはもう笑っていいのか駄目なのか分からず微妙な顔になっている。

 

 ペルシアは乾いた笑いを漏らした。

 

「いやぁ、場が温まってたからつい……」

 

「そう」

 

「その、空気作りは大事かなって……」

 

「大事ね」

 

 エリンはあくまで笑顔だ。

 

「でも、十分温まったでしょう?」

 

「……はい」

 

「じゃあそろそろ本題に入ってくれる?」

 

「……はい」

 

 ペルシアがしゅんと肩を落とすと、乗務員達の中から小さな笑いが漏れた。

 だが、エリンがそちらへ視線を向けると、その笑いも慌てて飲み込まれる。

 

 エリンはそこで、ふっと表情を緩めた。

 

「ただし」

 

 全員が身構える。

 

「最初に緊張を解くのは悪くないわ」

 

「え?」

 

 ペルシアが顔を上げる。

 

「やりすぎだけどね」

 

 その一言に、今度こそ皆が吹き出した。

 

 ペルシアが「ほらぁ、私のやり方も一応認められてるじゃない」と胸を張ろうとすると、エリンがすぐに冷ややかに付け加える。

 

「一応、ね」

 

「一応かぁ」

 

「十分でしょ」

 

 そんなやり取りの後、エリンは室内を見渡した。

 

「皆んなも、せっかく空気がほぐれたんだから、そのまま訓練に入って。ペルシアの話が面白かったのは認めるけど、それで今日一日終わったら許さないわよ」

 

「はい!」

 

 今度の返事は妙に揃っていた。

 

 エリンは満足そうに頷くと、ペルシアへ視線を戻す。

 

「じゃあ、続きお願い」

 

「はーい……」

 

 ペルシアは立ち上がり、大きく伸びをした。

 

「それじゃあ、改めて一班。ここから本当に乗務員の訓練を始めまーす」

 

「今から!?」

 

 誰かが半ば叫ぶように言うと、ペルシアはにやりと笑う。

 

「当たり前でしょ。私、エリンほど甘くないからね?」

 

「さっきまで一番甘かったじゃないですか!」

 

「それはそれ、これはこれ」

 

 室内に再び笑いが広がる。

 

 その空気を確認してから、エリンは静かに扉を閉め、今度こそその場を後にした。

 

 後ろでは、ペルシアの軽快な声が聞こえてくる。

 

「はい、まずは二人一組で荷物の預かりからやるわよ。あと、誰が私の恋人候補に失格かは後で発表しまーす」

 

「そんなのいりません!」

 

「ちょっと気になります!」

 

「気になるの!?」

 

 そのやり取りに、また笑いが起きる。

 

 エリンは廊下を歩きながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

 まったく、本当にペルシアは放っておくとすぐ脱線する。

 けれど、ああして人の心の壁を崩す速さは、やはり誰にも真似できないのだと、エリンは認めざるを得なかった。

 

 技術を教える前に、人と人との距離を縮める。

 それもまた、乗務員に必要な資質のひとつだった。

 

 

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