サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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怖さを知る

 エリンは一班をペルシアに任せたあと、次にガーネットが見ている二班のシュミレーションルームへと向かった。

 

 廊下を歩きながら、エリンは無意識に息を整えていた。

 今日は朝から動きっぱなしだ。総務、広報、財務、それぞれの部署に入れた講師たちは、想像以上にうまく機能していた。マユミは総務部の仕事の流れを容赦なく分解し、誰が見ても止まらない仕組みに変えようとしている。フレデリックは広報部の人間に、見せるということの本質を叩き込み始めていた。フレイは財務部に対して、数字を見ることは会社の呼吸を読むことなのだと、まるで外科医のような正確さで教えている。

 

 そして旅行事業部。

 

 ここがいちばん重要で、いちばん手がかかる。

 だからこそ、ペルシアとガーネットを呼んだ。

 

 扉の前で足を止める。

 中から聞こえてくる声は、さきほど一班で聞いたような笑い混じりのざわめきではなかった。抑えられていて、だが沈んでいない。張りつめすぎてもいない。ほどよい緊張のある空気。エリンはその時点で、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。

 

 扉を静かに開ける。

 

 二班はサービス動線の確認から、緊急時の初動まで、一連の流れを細かく分けて訓練しているところだった。ガーネットは客席とギャレーの間に立ち、若い乗務員たちの動きを、目だけでなく、空気ごと見ていた。

 

「今の返事、遅くはありません。でも、安心できる返事ではないです」

 

 ガーネットの声は強くない。

 けれど、曖昧でもなかった。

 

 指摘された乗務員はびくりとしたが、潰れはしなかった。ガーネットが次の瞬間には、どうしてそうなのかをちゃんと説明し始めたからだ。

 

「お客様は、私たちが言った言葉だけを聞いているわけではありません。声の高さ、呼吸の置き方、視線の向け方、その全部で“この人は落ち着いているか”を見ています。今のあなたは、言葉は正しかった。でも、呼吸が浅かった」

 

 そう言うと、ガーネットは自分で一歩前に出る。

 

「見ていてください。まず、相手の目を見る前に、自分の呼吸を一つ落とします」

 

 胸元でほんの少し息を吐く。

 それだけで、空気が変わる。

 

「それから、必要以上に笑わない。緊急時に笑顔は要りません。必要なのは、落ち着いていることです」

 

 そこで、もう一度同じ台詞を言う。

 

「大丈夫です。こちらで案内しますので、そのままお待ちください」

 

 先ほどと同じ意味の言葉なのに、聞こえ方がまるで違った。

 押しつけがましさがない。だが頼りないわけでもない。ただ、その場に安心を置くような声だった。

 

 若い乗務員たちが、はっとしたような顔をする。

 

 エリンはその様子を見て、胸の奥でそっと安堵した。

 よかった。

 ガーネットも呼んで正解だった。

 

 ペルシアだけに任せていたら、それはそれで一班は間違いなく伸びる。だが、全員が同じ教え方に向いているわけではない。ペルシアの指導は強い。早い。空気を掴む天才だ。だが、緊急時の恐怖で思考が止まりかける人間の内側に、ゆっくり寄り添いながら技術へ変換していくには、別の質が要る。

 

 その質を持っているのが、ガーネットだった。

 

 ガーネットはエリンの存在に気づくと、今見ていた乗務員たちに「そのまま続けて」と静かに言い残し、そっとこちらへ近寄ってきた。

 

「お疲れ様です、エリンさん」

 

「お疲れ様」

 

 エリンも小さく頷く。

 

 ガーネットは昔と変わらず、まっすぐ立っていた。派手さはないが、姿勢ひとつで周囲を整える人だ。エリンが信頼を寄せる理由はそこにある。

 

「調子はどう?」

 

 エリンが続けると、ガーネットは振り返って二班の様子を見た。

 

「はい。技術はまだまだですけど、やる気が凄いですね」

 

 その言葉に、エリンは優しく微笑んだ。

 

「そうでしょ」

 

 自分が育てている、という言い方はしない。

 けれど、その声にはどこか誇らしさが滲んでいた。

 

 ガーネットは少しだけ言い淀んでから、口を開いた。

 

「……私が緊急時の初動を任されて、良かったんですか?」

 

 エリンが「え?」と視線を返す。

 

 ガーネットは目を伏せることなく言った。

 

「正直に言って、私は緊急事で動揺したこともあります」

 

 その言葉は静かだった。

 けれど、そこには彼女自身の記憶の重さがあった。

 

「ペルシアほど、緊急に強い乗務員を私は知りません」

 

 それは事実だった。

 ガーネットに限らず、エリンもそれを知っている。ペルシアは非常時になるほど異様なほど冴える。周囲の混乱を切り分け、必要なことだけを抜き出し、躊躇なく決断する。あれは努力で届く領域というより、たしかに一種の才能だった。

 

「……ペルシアが緊急時に強いのは知ってるよ」

 

 エリンは素直に認める。

 

「はっきり言えば、私より強いと思う」

 

 ガーネットが息を呑む。

 エリンがそこまで言い切るのは珍しい。

 

「でしたら――」

 

 言いかけたガーネットの言葉を、エリンはやわらかく遮った。

 

「だけどね、ペルシアは緊急時で動揺した子の気持ちが分からないのよ」

 

 ガーネットが目を瞬かせる。

 

「良くも悪くも、あの子は才能型だから」

 

「……エリンさん」

 

 ガーネットの声は、少しだけ揺れていた。

 

 エリンは二班の様子へ視線を向けたまま続ける。

 

「怖さを知らないわけじゃない。でも、怖さの中で身体がすくんで、頭が真っ白になる感覚を、あの子は経験として理解できない。理解できないから、乗り越え方を言葉にするのが苦手なの」

 

 そこに責める響きはなかった。

 ただ、役割の違いを正確に見ている声だった。

 

「緊急時の怖さを知って、それでも乗り越えたことがあるガーネットだから意味があるのよ」

 

 ガーネットの目が少しだけ見開く。

 

「怖かったことがある人にしか、かけられない言葉がある。怖くて足が止まった人にしか、教えられない立ち直り方がある。だから、お願いしたの」

 

 エリンはそこでようやくガーネットへ視線を戻した。

 

「だからよろしく頼むわよ」

 

 その笑みは、厳しい指導者のものではなく、信頼して任せる人の顔だった。

 

 ガーネットは、ほんの一瞬だけ喉を鳴らしたあと、背筋を伸ばして頷いた。

 

「分かりました」

 

 その返事に迷いはもうなかった。

 

 エリンは小さく頷くと、二班の訓練をもう一度見渡した。

 サービス動線の確認をしている若い乗務員たちは、まだぎこちなさが残る。それでも、ガーネットの指導の下で、少しずつ“慌てないこと”を身体に入れ始めていた。

 

 これなら大丈夫だ。

 そう思って、エリンは静かにその場を離れた。

 

 

 一方その頃、一班のシュミレーションルームでは、先ほどまでの談笑が嘘のように、空気が切り替わっていた。

 

 いや、完全に嘘ではない。

 乗務員たちの表情には、まださっきまで笑っていた余韻が残っている。けれど、それがかえって良かったのだろう。無理に肩を上げた緊張ではなく、ほどよく力の抜けた集中に変わっていた。

 

 今やっているのは、荷物の搬入だった。

 

 乗客役が通路を進み、上部荷物入れに手荷物を入れようとする。乗務員はその動きを先読みし、危険なく、自然に、そして不快感なく補助する。それだけのことなのに、やってみると難しい。距離感、声のかけ方、タイミング、姿勢、全部が噛み合わなければ綺麗に見えない。

 

「ミドリ!」

 

 ペルシアの声が飛ぶ。

 

 ちょうどミドリが、乗客役の荷物を上の荷物入れに入れようとしていた時だった。

 

「はい!」

 

 ミドリは反射的に返事をする。

 少しだけ緊張が戻った顔だ。

 

「皆んなも聞いて」

 

 ペルシアがわざと大きめの声を出した。

 

「荷物入れのテクニックを教えてあげる」

 

 乗務員たちが一斉にそちらを向く。

 

「ミドリみたいに身長が低い場合、上の荷物入れに入れるのは難しい。そういう時はどうする?」

 

 ミドリは一瞬だけ考えて、すぐに言った。

 

「その時は、他の乗務員に頼ります!」

 

 自信満々だった。

 たぶん、“正解を言えた”という顔をしていた。

 

 だがペルシアは唇の端を上げる。

 

「半分正解」

 

「半分?」

 

 ミドリが目を丸くする。

 

「そ。フライト前は他の乗務員が忙しい場合があるのよ」

 

 ペルシアは通路の前後を手で示してみせる。

 

「乗り入れが一気に来る時間帯なんて、誰だってバタバタしてる。近くに同僚がいても、今こっちに来てって簡単に呼べるとは限らないの」

 

 クミコがそこで口を挟んだ。

 

「じゃあ、そういう時はどうするんですか?」

 

 ペルシアはにやりと笑う。

 

「そういう時は、背の高いお客に頼むのよ」

 

「え、いいんですか?」

 

 クミコだけじゃなく、周りの何人かも同じ顔をした。

 

「いいのよ」

 

 ペルシアはあっさり言う。

 

「お客と話すキッカケにもなるし、何より乗務員が頼んで断る男なんていないわよ」

 

 その言い方に、室内がどっと笑いに包まれた。

 

「分かりました」

 

 クミコが笑いながら頷く。

 

「そこ、妙に納得しないでよ」

 

「でもなんか、分かる気がします」

 

 ハズキが口元を押さえて笑う。

 

 ペルシアは満足そうに頷いてから、ミドリの方へ向き直った。

 

「それと、さっき爪先立ちになったでしょ」

 

「はい」

 

「それが危ないのよ」

 

「危ない?」

 

 ミドリが首を傾げる。

 

「爪先立ちの時がいちばんバランス悪いの。そんな時に宇宙船が揺れたらどうなる?」

 

 ミドリの顔から笑みが消える。

 

「……転びます」

 

「そう。自分も転ぶし、荷物も落ちる。最悪、お客にも当たる」

 

 ペルシアは指を一本立てる。

 

「だから“届くかどうか”だけで動いたら駄目。安全かどうかで考えるの」

 

「なるほど……」

 

 ミドリが真剣に頷いた。

 

 ペルシアはそこで、ふと室内全体を見回す。

 

「だけど、思ってたよりもしっかり出来てるのね、皆んな」

 

 その言葉に、乗務員たちが一瞬きょとんとする。

 褒められると思っていなかったのだろう。

 

「そりゃ、エリンさんに叩き込まれてますから」

 

 ハズキが半分やけくそ気味に言うと、また笑いが起きる。

 

「いやいや、荷物入れや乗客の乗り入れはまだまだだよ」

 

 ペルシアがすぐに釘を刺す。

 

「ええ!?」

 

 ハズキがあからさまに肩を落とす。

 

「だけど」

 

 ペルシアは続けた。

 

「歩き方と姿勢は見事なものよ」

 

 その言葉に、皆が少し息を止めた。

 

 歩き方。

 姿勢。

 エリンにしつこいほど叩き込まれた基礎中の基礎。

 

「エリンの教えた歩き方ってね、足の裏全体で踏むような教えでしょ」

 

 ペルシアは自分でも実際に歩いて見せる。

 

「これ、何がいいかって、宇宙船が揺れた際でも揺らぎにくいのよ。片足に変な力が入らないから」

 

 そのままわざと少しだけ身体を横に揺らす。

 それでも重心が崩れない。

 

「それから姿勢」

 

 背筋をすっと伸ばし、顎を引き、肩の位置を整える。

 

「こうやって凛とした姿に見せることで、何もしていなくても乗客は安心するの。『この人はちゃんとしてる』って、言葉より先に感じるから」

 

 ミラはその言葉を聞きながら、エリンが繰り返していたことの意味がまた別の角度から繋がるのを感じていた。

 

 歩き方と姿勢。

 あまりにも地味で、何度も何度もやらされて、もう嫌になるほどやった基礎。

 けれど、それは本当に基礎中の基礎だったのだ。

 

 ペルシアは皆を見渡して言う。

 

「この二つが出来ていないと、他の業務が完璧でも意味がない。つまり、基礎中の基礎よ」

 

 ハズキがぽつりと呟く。

 

「……なんか、やっと繋がってきた気がします」

 

「でしょ?」

 

 ペルシアが笑う。

 

「エリンって説明不足なところあるからねぇ」

 

「それ、本人に言ったら怒られません?」

 

「怒られるかもね。でも事実だし」

 

 その時、扉の外で誰かの気配がした。

 ペルシアがちらりと視線を向けたが、何も言わない。

 

 おそらくエリンだろう。

 だが今はもう、最初のように笑いで完全に脱線はしない。ペルシアもちゃんと分かっている。

 

「よし、それじゃあ続きやるわよ」

 

 手をぱんと叩く。

 

「次は“背の高いお客に頼む”パターン、実際にやってみる。ハズキ、乗務員役。クミコ、背の高いお客役ね」

 

「私が背の高いお客ですか?」

 

「気分よ気分。細かいこと言わない」

 

 その適当さに笑いながらも、皆の表情はさっきまでよりずっと前向きだった。

 

 ただ叩き込まれるだけではなく、なぜそれが必要なのかを、違う角度から受け取れる。

 しかも、技術と一緒に、人との距離の縮め方まで混ざっている。

 ペルシアの教え方は雑に見えて、要所を外さない。

 

 ミラはその様子を見て、小さく息を吐いた。

 

 エリンの基礎があって。

 ガーネットの丁寧さがあって。

 ペルシアの実践と空気作りがある。

 

 この二週間で、自分たちはまた大きく変わるのかもしれない。

 そんな予感が、たしかに胸の中に灯っていた。

 

 

ーーーー

 

 

 エリンは自席に戻ると、すぐに端末を立ち上げ、午前中に各部署で見聞きした内容をまとめ始めた。

 

 総務部の在庫管理の整理状況。

 広報部でフレデリックが指摘した改善項目。

 財務部でフレイが洗い出した固定費と変動費の区分。

 それに、パイロット班へ入ったリュウジの初動。

 

 どれも急ぎで整理しておきたい内容ばかりだった。

 

 スペースホープはまだ立て直しの途中にいる。

 少しでも判断を先延ばしにすれば、その隙間からまた古い悪習が戻ってくる。だからエリンは、見たこと、聞いたこと、感じたことを、その日のうちにできるだけ言語化して残すようにしていた。

 

 カタカタと軽快に響くタイピング音が、昼を過ぎたフロアに小さく続いていく。

 

 旅行事業部のフロアは、午前の指導で一班と二班、それからパイロット達まで抜けているせいで、いつもよりずっと静かだった。机の並びは変わらないのに、人の気配が薄いだけでこうも景色が違って見えるのかと、エリンはふとそんなことを思う。

 

 端末の画面には、各部署の現状と改善予定の一覧が並んでいた。

 総務部はまだ棚卸しの精度が甘い。

 広報部は表現の熱量が足りないが、方向さえ決まれば伸びる。

 財務部は数字を扱う力はある。ただ、断る勇気が育っていない。

 旅行事業部は――。

 

 そこでエリンの指先が止まった。

 

 旅行事業部は、たしかに変わってきている。

 だが、それはまだ“変わり始めた”に過ぎない。ここから実務に落としていく段階で、また何度でも壁にぶつかるだろう。歩き方や姿勢をいくら整えても、実際に人と向き合えば、焦りも不安もすぐに顔を出す。だからこそ、今は一気に多方面から風を入れている。

 

 ペルシア。

 ガーネット。

 リュウジ。

 マユミ、フレイ、フレデリック。

 

 それぞれに任せた役割を思い浮かべながら、エリンは小さく息を吐いた。

 

 そして、時計が昼を少し回った頃だった。

 

 目元の奥がじわりと重くなり、エリンは無意識に片手で目頭を軽く押さえた。視線を一度画面から外し、肩の力を抜く。朝からほとんど座りっぱなしで、しかも意識はずっと張ったままだ。さすがに少し、目が疲れてきていた。

 

 その時だった。

 

 廊下の向こうから、にぎやかな声が近づいてきた。

 

 笑い声。

 明るい返事。

 誰かが慌てて否定するような声。

 そして、その全部をかき回すような、よく通る軽やかな女の声。

 

 エリンは目元から手を離し、少しだけ顔を上げた。

 

 一班が戻ってきたのだと、すぐに分かった。

 

 次の瞬間、旅行事業部のフロアの扉が勢いよく開いた。

 

「ただいまー!」

 

 先頭で入ってきたのは、やはりペルシアだった。

 金髪を揺らしながら、まるで自分の職場に戻ってきたみたいな顔でずかずかとフロアへ入ってくる。その後ろには、どこか頬を上気させた一班の乗務員達が続いていた。皆、午前中の訓練でそれなりに疲れているはずなのに、顔つきは思ったより明るい。

 

 ペルシアはエリンの姿を見つけると、一直線に歩み寄ってきた。

 

「エリン」

 

 机の前まで来るなり、にっこりと笑う。

 

「今日は私たちの歓迎会やるの?」

 

 その一言に、フロアへ入ってきたばかりの一班が一斉に足を止めた。

 何を言い出すのだこの人は、という顔と、もしかして何かあるのか、という期待が半分ずつ混じったような表情になる。

 

 エリンは一拍置いて、淡々と言った。

 

「やる訳ないでしょ」

 

 即答だった。

 

「えー、冷たい」

 

 ペルシアが唇を尖らせる。

 

「私もそう言ったんだけどね? ミラがどうしてもって」

 

「え!?」

 

 いきなり話を振られたミラが、声を裏返らせた。

 

「私は何も言ってないですよ!?」

 

 ミラの反応があまりにも素直だったせいで、一班のあちこちから笑いが漏れる。

 ハズキが口元を押さえ、ミドリは肩を揺らし、クミコに至っては「やっぱり」と言いたげにペルシアとミラを交互に見ていた。

 

 エリンは小さく息を吐いてから、ほんの少しだけ目元を和らげた。

 

「ほら、ペルシア。ミラで遊ばないの」

 

「遊んでないわよー。ちょっと反応が見たかっただけ」

 

「それを遊ぶって言うの」

 

「細かいなぁ」

 

 ペルシアは悪びれた様子もなく肩をすくめる。

 エリンはそれ以上追及せず、椅子の背もたれに軽くもたれて、一班全体を見渡した。

 

「で?」

 

 短い一言だったが、その意味は全員に伝わった。

 午前中の指導がどうだったか、という問いだ。

 

 ペルシアは机の端に手をつき、満足げに口を開く。

 

「思ってたよりずっといい子達だったわよ。基礎がちゃんと入ってるから、話が早い早い」

 

 その言い方は軽かったが、嘘ではなかった。

 一班の乗務員達の顔が、少しだけ誇らしげになる。

 

「ただし」

 

 と、ペルシアは人差し指を立てる。

 

「荷物対応と乗り入れは、まだまだ全然駄目」

 

「ええー……」

 

 すかさずハズキが情けない声を出した。

 午前中のシュミレーションルームでも似た反応をしていたが、こうしてフロアでも同じように肩を落とすのが何だか可笑しくて、また笑いが起きる。

 

「いや、ほんとに駄目なのよ」

 

 ペルシアは言う。

 

「姿勢と歩き方は見事。そこはエリンに叩き込まれただけあるわ。でもね、荷物対応は“人と話すための技術”でしょ。そこはまだ固いのよ、皆んな」

 

「固い、ですか」

 

 ミドリが呟く。

 

「そ。ちゃんとやろうとしすぎて、逆に距離が遠い」

 

 ペルシアはそう言って、自分でミドリの真似をするように、ぴしっと姿勢を作った。

 

「『お荷物、お預かりします』って言う時に、顔まで仕事モードになりすぎるの。もう少し、相手の生活に入っていく感じが要るわね」

 

 その説明を聞きながら、他の乗務員達も真剣に頷いていた。

 午前中にたくさん言われたことが、今こうして言葉として整理されると、少しずつ理解が深まる。

 

 エリンはそこでミラへ視線を向けた。

 

「ミラ、午前はどうだった?」

 

 ミラは一瞬だけ背筋を伸ばす。

 

「はい。荷物の搬入と、乗り入れでの声掛けを中心に見てもらいました。私達、歩き方と姿勢ばっかりやってたじゃないですか」

 

「そうね」

 

「だから正直、もっと基本動作が抜けてるかと思ってたんですけど……思ったより自然に身体は動きました」

 

 エリンは静かに聞いている。

 

「でも、人に頼ることとか、お客様に手伝ってもらうこととか、そういう“空気の使い方”が全然足りてないって思いました」

 

 その言葉に、ペルシアが「そうそう」と大きく頷く。

 

「いいこと言うじゃない、ミラ」

 

 褒められたミラは、少しだけ照れくさそうに目を逸らした。

 

「あと」

 

 クミコが恐る恐る口を挟む。

 

「ペルシアさんが、荷物入れで爪先立ちになるの危ないって教えてくれて……私達、今まで“届くかどうか”しか考えてなかったなって思いました」

 

「それも大事な気づきね」

 

 エリンが頷くと、クミコの顔が少し明るくなった。

 

 ハズキも、ここぞとばかりに手を挙げる。

 

「あの! あと、歩き方と姿勢、やっぱり無駄じゃなかったです!」

 

 その言い方があまりにも真っ直ぐで、フロアにまた笑いが起きる。

 だがハズキ本人はかなり真剣だった。

 

「最初は本当に“なんでずっと歩いてるんだろう”って思ってたんですけど、荷物対応してる時、揺れても身体がぶれにくいって意味が分かりました」

 

 その言葉に、エリンの目元がほんの少しだけ和らいだ。

 

「そう」

 

 短い返事。

 だが、それだけでハズキは少し嬉しそうだった。

 

 ペルシアはそんな一班の様子を見て、また楽しそうに笑う。

 

「でしょ? エリンって説明不足なところあるけど、教えてること自体は間違ってないのよ」

 

 エリンがじろりと見る。

 

「説明不足、とは?」

 

「褒めてるのよ」

 

「褒め方がおかしいの」

 

「細かいなぁ」

 

 同じやり取りなのに、さっきよりフロアの空気はずっと柔らかかった。

 一班の乗務員達も、気づけばエリンの前でそこまで萎縮していない。ペルシアが間に入るだけで、緊張がうまく分散されているのが分かる。

 

 エリンは端末の横に置いていたメモへ視線を落とし、一班の午前の様子をいくつか書き留めた。それから、顔を上げる。

 

「午後はガーネットに見てもらう予定だったわね」

 

「はい」

 

 ミラが頷く。

 

「午前中と比べて、どう違うかもちゃんと見てきなさい。教える人が違うと、同じことでも受け取り方が変わるから」

 

「分かりました」

 

 そこへ、遅れて数名の若い乗務員がフロアの奥から駆け足で戻ってきた。

 パイロット班の二人だ。どうやらリュウジに一旦解散を告げられたらしい。顔色はやや青く、だが妙に目だけは冴えている。

 

 そのうちの一人が、旅行事業部の賑やかな空気に少し面食らったように立ち止まる。

 

「……ずいぶん楽しそうですね」

 

「そっちは?」

 

 ペルシアが即座に聞く。

 

 若いパイロットは苦笑いした。

 

「楽しいというより……自分が今までどれだけ“飛ばすこと”しか考えてなかったか、痛感しました」

 

 その言葉に、エリンが視線を向ける。

 

「リュウジが?」

 

「はい」

 

 若いパイロットはごくりと喉を鳴らしてから言った。

 

「“パイロットは操縦だけできればいいと思ってるなら辞めろ”って最初に言われました」

 

 その報告に、一班の乗務員達が「うわぁ……」という顔をする。

 ペルシアだけは妙に楽しそうだ。

 

「リュウジらしいね」

 

「笑いごとじゃないです……」

 

「でも事実でしょ?」

 

 ペルシアが返すと、若いパイロットは何も言えなくなった。

 

 エリンは少しだけ目を細めた。

 リュウジに任せて正解だったのだろう。彼はエリンとは違う角度で、だが本質を外さずに教えることができる。操縦の技術だけではなく、“乗客を乗せる責任”の重さを、彼の言葉なら嫌でも実感させられるはずだ。

 

 フロアに、昼休憩前のざわめきが広がる。

 

 午前の訓練の熱気。

 ペルシアの笑い声。

 パイロット達の疲れた顔。

 エリンの机の上の整然とした資料。

 

 それら全部が同じ空間にあることで、スペースホープが今まさに一斉に変わり始めているのだと、誰の目にも分かるようになっていた。

 

 ペルシアはそこで、またしても唐突に言った。

 

「で、やっぱり歓迎会やろうよ」

 

「だから、やらない」

 

 エリンが即答する。

 

「えー」

 

「えー、じゃないの」

 

「じゃあせめて、お昼豪華にするとか」

 

「しない」

 

「ミラもそう思うでしょ?」

 

「だから私は何も言ってませんって!」

 

 ミラが慌てて否定すると、ペルシアが満足げに笑い、ハズキ達がまた吹き出した。

 

「ほら、ペルシア。ミラで遊ばない」

 

「分かってるわよ。でも、反応が素直だから可愛いんだもの」

 

「本人が困ってるでしょ」

 

「困ってる顔も可愛い」

 

「最低ですね」

 

 ミドリが思わず言うと、今度はフロア全体に笑いが広がった。

 

 エリンも完全には止めず、ただ小さく息を吐くだけだった。

 その様子を見て、一班の乗務員達はまた少し安心する。こうして誰かが軽口を叩き、誰かが突っ込み、誰かが笑っている。その中に自分達も自然に混ざれていることが、何だか不思議で、でも心地よかった。

 

 エリンは時計を見た。

 

「そろそろ昼休憩に入りなさい」

 

 その言葉に、一班もパイロット達もそれぞれ動き出す。

 

「午後もありますからね」とミラが声をかけ、ハズキ達は「はい!」と返事をする。午前とは違って、その返事に気持ちの沈みはない。疲れてはいるが、前を向いた声だった。

 

 ペルシアはエリンの机に肘をつきながら、小さく笑う。

 

「いい顔になってきたじゃない」

 

「そうね」

 

 エリンも否定しない。

 

「でも、ここからよ」

 

「分かってるわよ」

 

 ペルシアは肩をすくめる。

 

「だから午後はちゃんと真面目にやるって」

 

 その“ちゃんと”がどこまで本当なのかは怪しい。

 けれど、少なくとも今の一班には、彼女の軽さが必要だとエリンは認めていた。

 

 フロアのざわめきが、少しずつ昼の気配へと変わっていく。

 エリンはそこで再び端末へ目を落としたが、今度はほんの少しだけ、口元が柔らかくなっていた。

 

 スペースホープは、まだ立て直しの途中にある。

 けれど、こうして誰かが笑い、誰かが学び、誰かが悔しがりながらも前へ進もうとしている。

 その光景そのものが、もう以前とは違っていた。

 

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