サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第14話

夜風が静かに吹き抜け、星々が空を覆っていた。

 木々の葉が微かに揺れ、遠くで夜鳥の鳴く声が聞こえる。

 ――春はもうすぐそこまで来ている。

 けれど、この夜はまだ少し冷たかった。

 

 大いなる木の根元、焚き火の傍でルナは布袋に次々と食料を詰め込んでいた。

 干した魚、焼き保存した肉、月梨を薄く切って乾かしたもの。

 そして、小さな革袋に入れた香草と塩。

 それを丁寧に布で包み、ぎゅっと結ぶ。

 

「そんなに詰めたら重くなるぞ」

 背後から低い声がした。

 振り返ると、リュウジが腕を組んで立っていた。

 

「だって、シンゴたちもう三日も向こうにいるのよ? 食料が足りないかもしれないじゃない」

「足りなくなったら狩りくらいできる。チャコがいるんだ、心配するほどでもない」

「それでも……何かあったら困るでしょ」

 ルナはリュウジを見上げながら、小さく息を吐いた。

「少しでも安心して過ごしてほしいの」

 

 その言葉に、リュウジはふっと笑みを浮かべる。

「相変わらずだな。……お前は」

「え?」

「人のことばっかり心配して、自分のことは後回し」

 リュウジの声には優しさが混じっていた。

「でも――そういうところ、嫌いじゃない」

 

 その言葉に、ルナは思わず顔を赤らめ、俯いた。

 火の明かりが頬を赤く染め、焚き火の音が静かに弾ける。

 

「……リュウジは、どうして行くことにしたの?」

「この目で見ておきたいんだ。あの遺跡が、今どうなっているのか」

「心配、なんだね。シンゴたちのこと」

「そういうことだ」

 短い返事の中に、迷いのない響きがあった。

 

 ルナは袋の口を閉じ、立ち上がる。

「じゃあ、準備はこれで終わり。……行こうか」

「もう行くのか?」

「うん。夜明け頃には着きたいから」

 

 その時、背後から声がした。

「二人とも気をつけて」

 ベルが焚き火の影から顔を出し、手を振る。

 その隣でシャアラが小さく手を合わせた。

「気をつけてね、ルナ」

「ありがとう。すぐ戻るから」

「二人とも無理するなよ」とメノリの声が続く。

 その言葉に、リュウジが軽く頷いた。

 

 火の粉が空へ舞い上がり、夜の空気を照らす。

 ルナは袋を背負い、リュウジの横に立った。

「じゃあ――行こう」

「ああ」

 

 二人は焚き火の灯りを背にして歩き出す。

 森の方角には、うっすらと霧が漂っている。

 ルナはその背中を追いながら、胸の奥で小さく呟いた。

 

 ――どうか、無事でありますように。

 それは、シンゴたちのことだけでなく、隣を歩く彼への祈りでもあった。

 

 木々の間を抜け、二人の姿は夜の闇へと溶けていった。

 残された焚き火の炎が、名残惜しげにゆらめいている。

 

◇◇◇

 

 夜の帳が少しずつ薄れていく。

 空には無数の星がまだ瞬いていたが、東の空の端には淡い光が差し始めていた。

 冷たい空気の中、ルナとリュウジは遺跡へ向かって歩いていた。

 

 森の木々がざわめく音だけが、夜明け前の静寂に響いていた。

 

「……ずいぶん静かね」

 ルナがぽつりと呟いた。

 その声は夜気の中に溶け、ほんのかすかに震えていた。

 

「この時間帯は、獣もまだ動かない」

 リュウジが短く答える。

 彼の声は落ち着いていて、夜明け前の空気によく馴染んでいた。

 

「……いつも思うけど、リュウジって本当に何でも分かってるみたい」

「そんなことはない。たまたま経験があるだけだ」

「でも、みんなあなたを頼りにしてる。私だってそう」

 

 その言葉に、リュウジは少しだけ歩を緩めた。

「……頼りにされるのは悪くないが、重いな」

「重い?」

「ああ。期待に応えられないと、誰かを失う気がする」

 

 ルナは立ち止まり、リュウジの背を見つめた。

 淡い星明かりが彼の肩を照らし、その横顔を柔らかく浮かび上がらせる。

 

「リュウジ……あの時のこと、まだ気にしてるの?」

「……“悲劇のフライト”のことか」

「うん」

 リュウジはしばらく黙り、空を見上げた。

 星の光が、彼の瞳に淡く映る。

 

「忘れられるわけがない。あれは、俺の人生を変えた出来事だ」

 その言葉は静かで、しかしどこか遠くを見ているようだった。

 

 ルナは小さく息を吸い、彼の隣に並ぶ。

「……でも、あの夜、リュウジが話してくれたことで、私も変わったよ」

「変わった?」

「うん。人って、どんなに過去に傷ついても、前に進めるんだって思えた」

 ルナの声は穏やかで、けれど確かな強さがあった。

 

 リュウジはほんの少しだけ、表情を和らげる。

「お前は、やっぱり強いな」

「そんなことない。怖いよ、今でも。だけど――リュウジがいると、不思議と前を向けるの」

 

 ルナの言葉に、リュウジは少しだけ視線を逸らした。

 その頬がわずかに紅く染まっていることに、彼女は気づかない。

 

「……朝日が出るな」

 リュウジが指さした先、遠くの地平線が金色に染まり始めていた。

 雪面がその光を反射し、二人の周囲がふっと明るくなる。

 

「きれい……」

 ルナの瞳に朝の光が映り込む。

 彼女の横顔を見つめながら、リュウジは心の奥で静かに呟いた。

 

 ――この光を、もう一度見られるとは思わなかった。

 

 長い沈黙のあと、ルナが口を開いた。

「ねぇ、リュウジ」

「なんだ」

「帰ったら、みんなで春の食事会をしようよ。新しい季節をお祝いしてさ」

 リュウジは少し驚いたようにルナを見る。

「お前、そういうことを考えてる時が一番らしいな」

「でしょ?」

 ルナがいたずらっぽく笑う。

 その笑顔に、リュウジもわずかに口元を緩めた。

 

 太陽が昇り始め、森の木々の影が長く伸びていく。

 二人はその光の中を進みながら、ゆっくりと遺跡へ向かって歩みを重ねていった。

 

 ――もう、あの冷たい冬は過ぎたのだ。

 

◇◇◇

 

朝日が完全に昇りきったころ、遺跡がある丘陵地帯にたどり着いた。

 雪はすっかり溶け、地表から立ち上る白い霧が幻想的に揺らめいている。

 ルナとリュウジは、光に照らされた石の回廊をゆっくりと進んだ。

 

「前に来たときより……雰囲気が違うわね」

 ルナが呟くと、リュウジは周囲を警戒するように見渡した。

「空気が動いてる。内部の構造が変わったのかもしれない」

 

 遺跡の入口を抜けると、以前は静寂に包まれていた空間が、今はわずかに振動していた。

 壁面の文様が光を帯び、足音に合わせて波紋のように輝く。

 

 やがて二人は中央の広間――かつてコールドスリープの装置が並んでいた場所にたどり着いた。

 しかし、その光景は以前とはまるで違っていた。

 

「……下がってる?」

 ルナが息を呑む。

 床の中央部分が円形に沈み込み、下層へと続く階段が出現していた。

 そして、その先には――薄く開いた扉がひとつ。

 

 その扉の隙間から、ふいに光が漏れた。

 まばゆい白の中から、三つの影が現れる。

 

「ルナ!」

 弾むような声が響いた。

 チャコが両腕を振りながら走り出してきた。

 その後ろから、シンゴとアダムが続く。

 

「チャコ!? シンゴ、アダムも!」

 ルナの声に、リュウジも目を見開く。

「なんだ……お前ら、無事だったのか」

「そっちこそ、元気そうでなによりや!」とチャコが笑う。

 アダムは嬉しそうにルナの腰にしがみつき、ルナは優しく頭を撫でた。

 

「でも、何があったの? この遺跡……まるで別の場所みたい」

「それ、ウチらもびっくりしてん」

 チャコが興奮気味に言う。

「ほら、こっち来て! リュウジにも見せたいもんがあるんや!」

 

 導かれるままに進んだ先――それはかつて誰も踏み入れたことのない部屋だった。

 円形の天井、壁一面に並ぶモニターとパネル。

 中央には光を帯びた操作卓が浮かんでいる。

 

「つまり、この遺跡そのものが……宇宙船なのね」

 ルナが息をのむように呟いた。

「間違いないと思う!」

 シンゴは頷き、胸を張った。

「ここ、操縦室だったんだよ!」

 

「動くのか?」

 リュウジの低い声に、チャコは耳を伏せるように言った。

「そこが問題やねん。……どういうわけか、うごかへんのや」

「エネルギーの流れも一応生きとるけど、反応せえへん」

 

「リュウジなら、何かわからへんか?」とチャコが目を輝かせた。

「少し見せてくれ」

 リュウジは操作卓に近づき、軽やかに指を動かす。

 長い年月で眠っていた装置が、彼の手に呼応するように淡く光を放った。

 

「何をしてるの?」とアダムが首をかしげる。

「これが宇宙船なら、自己診断プログラムがあるはずだ」

 リュウジが呟き、手元のスイッチを押す。

 

 数秒後、モニターが点灯し、遺跡全体の構造図が映し出された。

 ライン状のエネルギーフローが網のように広がり、その一角が赤く点滅している。

 

「これやな、流石やなリュウジ!」

 チャコが感心したように声を上げた。

「何、あれ?」

 ルナが指差す先――ひとつだけ異常を示す赤いマーク。

 

「恐らく、重力制御ユニットだろう」

 リュウジの言葉に、シンゴの表情が曇った。

「やっぱり、そうなんだね……」

 ルナは静かに頷いた。以前リュウジが話していた“東の森の重力異常”のことが、今すべて繋がった気がした。

 

「でも通信機は使えるんでしょう?」とルナが尋ねる。

「う、うん」とシンゴが頷く。

 

「皆をここに呼び寄せた方がいいわね」

 ルナの瞳が真剣に光る。

「この遺跡……いえ、宇宙船を拠点にした方が安全かもしれない」

 その考えにチャコもアダムも頷いた。

 

「俺が行こう」

 リュウジの声が静かに響いた。

 全員の視線が彼に集まる。

 

「悪いけど、お願い」とルナが言った。

「明日の昼には戻ってくる」

 リュウジは短くそう告げ、装備を整えて立ち上がる。

 

 ルナは一歩近づき、小さな声で言った。

「気をつけてね」

 その声に、リュウジは振り向かず、ただ一度だけ頷いた。

 

 扉が開く音が静かに響く。

 彼の背中が光の中へと消えていく。

 残されたルナの胸の奥に、言葉にならない不安が静かに広がっていった。

 

◇◇◇

 

朝の光が森の枝葉を透かして射し込み、霧が白く漂っていた。

 湿った草を踏みしめる音が静かに響く。

 リュウジは薄く息を吐きながら、慎重に木々の間を抜けていった。

 夜の冷えはまだわずかに残っているが、風の中には春の匂いが混じっていた。

 

 背には食料を包んだ布袋。

 その重さよりも、仲間のもとへ早く戻りたいという思いの方が、リュウジの足を速めていた。

 

 やがて、木々の向こうに見慣れた巨大な幹が現れた。

 ――大いなる木。

 陽を浴びて立つその姿は、冬の間に見たときよりもずっと力強く、暖かく見えた。

 

「おーい! リュウジじゃねぇか! 早かったな!」

「無事だったのね!」とシャアラが顔を覗かせた。

 リュウジは手を上げて応え、ロープ梯子を登る。

 

 上ではすでにメノリとベル、カオルが待っていた。

 彼らの顔には安堵と、少しの緊張が入り混じっていた。

 

「ルナはどうした?」

 メノリの問いに、リュウジは一息ついて答えた。

「遺跡に残っている。それにシンゴも、チャコも、アダムも全員無事だ」

 

 その言葉に、シャアラがほっと息を吐く。

「よかった……本当に心配してたのよ」

 

「それで、何があったんだ?」とベルが腕を組む。

 リュウジは皆を囲むように腰を下ろし、短く報告を始めた。

 

「遺跡の内部が変化していた。中心部が沈み、地下に新しい部屋が出現した。

 シンゴたちはそこで“操縦室”を見つけた。あの遺跡は――間違いなく、宇宙船だ」

 

「宇宙船!?」とハワードが目を丸くする。

「すげぇじゃないか! じゃあ帰れるのか!?」

「それが、そう簡単じゃない。重力制御ユニットが壊れているらしい」

「……やっぱりな」とカオルが低く呟く。

「東の森の重力異常。あれはそのユニットの影響かもしれない」

 

「動かないけど、通信はできる」とリュウジは続けた。

「ルナは皆を呼び寄せようと言ってた。あの場所を拠点にする方が安全だ」

「たしかに……」とメノリが頷く。

「ここも悪くないけど、冬の間に脆くなってる。遺跡なら気候の影響も受けにくいだろう」

「行こうぜ! なんかワクワクしてきた!」とハワードが笑う。

「……お前、こういう時だけ元気だな」とカオルが呆れたように返す。

 

 笑い声が広がる。

 長く続いた冬の疲れを、ほんの少し癒すような明るさだった。

 

 リュウジは立ち上がり、皆を見渡す。

「荷物を軽くまとめてくれ。今日中に出る。日が沈む前に半分は進んでおきたい」

「了解」とメノリが短く答える。

 ベルは真っ先に槍と荷を背負い、シャアラは毛布を小さく畳み、ハワードは「食料は任せろ!」と張り切っている。

 カオルは静かにリュウジの隣に立ち、短く言った。

「先導は俺がやる。夜は冷える。無理はするな」

「助かる」

 

 やがて、出発の時が来た。

 夕暮れの光が森の奥に差し込み、木々の影が長く伸びている。

 鳥の群れが遠くの空を渡り、春の息吹を告げる風が吹き抜けた。

 

「じゃあ――行こう」

 リュウジの声に、全員が頷く。

 ハワードが先に笑いながら言った。

「まるで遠足みたいだな!」

「お前の遠足は騒がしいに決まってる」とメノリが呆れたように言う。

「俺が黙ってたら退屈だろ?」

「……まぁ、それも一理あるな」とベルが苦笑した。

 

 ルナが待つ遺跡へ――

 一行は森を抜け、静かな光の道を進んでいった。

 

◇◇◇

 

遺跡――いや、“宇宙船”の扉が、静かな音を立てて開いた。

 外の冷たい風が流れ込み、長い階段を登ってきたリュウジたちの影が、青白い光の中へと伸びていく。

 

「アダム……シンゴ……!」

 

 最初にその声を上げたのはハワードだった。

 次いでシャアラが駆け出す。

 広い操縦室の中央には、ルナ、チャコ、シンゴ、そしてアダムが立っていた。

 彼らの背後には、無数の光のパネルが浮かび上がり、遺跡の内部を柔らかい蒼光で満たしている。

 

 ルナが振り向いた瞬間、その瞳に光が反射した。

 そして、まるで春の光を抱いたような微笑みを浮かべる。

 

「リュウジ……! みんな……!」

 

 ルナの声が響いた。

 ハワードはその声に反応し、勢いのまま走り寄ってシンゴに抱きついた。

「おい、ハワード! シンゴが倒れる!」とリュウジが慌てて制止するが、ハワードは涙目で笑っていた。

「よかった……ほんとによかったよ! 全員、生きてる!」

 

 その言葉に、誰もが笑みを浮かべた。

 長い冬を乗り越え、過酷な旅を終えた仲間たちが、ようやく一つの場所に立っている。

 

◇◇◇

 

遺跡の中心――蒼く光る通路の先に、金属製の扉がひときわ存在感を放っていた。

 その前に立ち止まったメノリが、眉をひそめながらルナへと問いかける。

「ルナ、あそこが操縦室なのか?」

「ええ」

 

 ルナが扉に手をかけると、静かな空気を切るように「シュー」という音が響き、重い扉が横に滑った。

 

 操縦室の中は、まるで時間が止まっていたかのようだった。

 中央には円形の制御台、壁面には無数の光パネル。

「こんな部屋があったんだな……」とメノリが低く呟いた。

 

 だが、その言葉を遮るように――

 「ブーブー!」と警告音が鳴り響いた。

 

「な、なんだ!?」とハワードが肩をすくめる。

 次の瞬間、地面が激しく揺れた。

 足元のパネルが軋み、天井の金属がカタカタと鳴る。

 

「地震!?」とルナが叫ぶ。

「落ち着け、揺れは長く続かない!」とカオルが低く指示を飛ばす。

 

 数秒後、振動は嘘のように止んだ。

 全員が一斉に安堵の息を吐く。

 だが――

 今度は「ピーピー」という電子音が鳴り響いた。

 

「なんだ、今度は……?」

 チャコが耳をぴくりと動かす。

 

 操縦席の隅で、通信機のランプが点滅していた。

 音声が、ノイズを挟みながら明確に響く。

 

「……こちら、オリオン号。応答せよ。救難信号をキャッチした」

 

 その瞬間、全員の表情が凍りついた。

 

「い、今の……!」

「救難信号や!」とチャコが叫ぶ。

 

 マイクのホログラムが制御台に浮かび上がり、シンゴが反射的に駆け寄った。

「もしもし!聞こえてますか!?こちらロカA2ソリア学園!」

 しばしの静寂――

 

「聞こえている」

 

 その言葉を聞いた瞬間、全員が息を呑んだ。

 

「つ、つながったんだ!」とハワードが身を乗り出す。

 彼はマイクに顔を近づけると、慌てたように叫んだ。

「助けてくれ!大変なんだ、不時着して、あーもう!早く助けに来てくれーっ!」

 

「ハワード、邪魔をするな!」とメノリが鋭く叱責する。

「ここはシンゴに任せましょう」とルナも声を上げた。

 

 ハワードはしぶしぶ後ろへ下がり、両手を広げて「ちょっと興奮しただけだよ」と苦笑した。

 

 シンゴはマイクを握り直し、深呼吸をした。

「こちらロカA2ソリア学園。修学旅行中に重力嵐に巻き込まれ、この星に不時着しました」

 

「現在の状況を伝えろ」

 

 ノイズ混じりの音声が返る。

「けが人はいません。詳しい説明は省きますが、9人と一匹です」

「一人や」とチャコが即座に訂正する。

 

「宇宙船は?」

「あります!でも重力制御ユニットが故障していて、動きません」

「姿勢制御ユニットは?」

「問題ありません!」

 

「了解。――そちらに急行する」

 

 その言葉を最後に、通信がプツンと切れた。

 

「え!? もしもし!? 応答してください!!」

 シンゴが必死に呼びかけるが、もう何も返ってこない。

 

 静寂――

 遺跡の中に、電子音だけが余韻のように響く。

 

「どうしたんだ?」とメノリが尋ねる。

「……切れた」とシンゴは小さく答えた。

 

 誰もすぐには言葉を出せなかった。

 期待と不安が入り混じった、重たい沈黙が広がる。

 

「……大気圏に突入して、一旦切れたんやろか?」とチャコがぽつりと言った。

「そうかもしれない」とベルが頷く。

 

 するとルナが顔を上げ、少しだけ明るい声で言った。

「でも、“そちらに急行する”って言ってたもん。

 本当に……助けが来るんだよ、きっと」

 

 その言葉に、シャアラの瞳が潤んだ。

「じゃあ……本当に、帰れるのね……!」

 彼女は両手を胸に当てて、嬉しそうに微笑む。

 

「そうだよ!僕たち、帰れるんだ!やったー!」とハワードが跳ねるように叫び、シンゴもそれに笑顔で頷いた。

 

 皆の表情に、希望の色が宿る――だが、その時。

 

「安心するのはまだ早い」

 低く鋭い声が、静寂を切り裂いた。

 

 カオルだ。

 全員の視線が彼に集まる。

「俺たちが“大気圏突入”したときのことを思い出せ」

 

 その言葉に、ルナたちの表情が一瞬で曇る。

 ――あのとき、シャトルは奇跡的に生き延びた。だが二度と飛べる状態ではなかった。

 

「もしも救助船もそうなって、動かなくなったら……」

 シャアラが声を震わせる。

「私たち、一生この島に……」

 

 ルナはすぐにシャアラの肩に手を置き、優しく微笑んだ。

「大丈夫よ。カオルは“はしゃぎすぎるな”って言ってるだけなの。

 私たちがここまで生きてこられたのも、あの時、冷静に動けたからでしょ?」

 

 その声に、少しずつ皆の顔が落ち着きを取り戻していく。

 リュウジも黙って頷きながら、操縦席のパネルに視線を戻した。

 

 青白い光が再び穏やかに脈打つ。

 それは、まるでこの星そのものが、彼らの希望を見守っているかのようだった。

 

◇◇◇

 

救難信号の余韻が静まり、操縦室には低い電子音だけが残っていた。

 メノリが前へ出て、皆を見回す。

「……救助船の到着までに、私たちにできることは全部やっておこう」

 

 その一言に、全員の表情が引き締まる。

「確かに、どこから来るか分からへんもんな」とチャコが頷いた。

「東西南北……全部、見張りを立てる必要があるね」とルナが言う。

 

 シンゴがすぐに通信機を操作しながら提案する。

「通信機はここで維持しておく。万が一、向こうから再び連絡が入るかもしれないし」

「じゃあ、ウチとアダム、シャアラはここに残るわ」とチャコが答えた。

 

 メノリは頷くと、地図の代わりに床の砂を使って指で描き出す。

「東はハワード、西はカオル、北は私とベル、南はルナとリュウジ。

 四方で狼煙を上げれば、救助船がどの方向から来ても分かるはずだ」

 

「原始的やけど、確実やな」とチャコが笑う。

「いい作戦だ」とリュウジが頷いた。

 

 それぞれが準備を始める中、ルナが焚き火の灰を払いながらリュウジを見た。

「じゃあ、私たちは南ね。行こう」

 

 だがリュウジの反応は鈍かった。

「リュウジ?」

 ルナが首を傾げると、彼は少し間を置いて呟いた。

「……通信機の声、どこかで聞いた気がしたんだ」

「え?」

「気のせいだろうけどな」

 その顔には、ほんの一瞬、苦い影が差していた。

 

 それぞれが道を分かれ、リュウジとルナ、そしてメノリとベル、カオルは山道を進んでいく。

 森の奥から吹く風は湿り気を帯び、木々の間に薄い霧が漂っていた。

 歩きながら、ルナが小声で呟く。

「ねぇ、ここ……前にも来た場所だよね」

 

 足元に流れる小川。

 その先には、あの滝があった。

 リュウジがルナのリュックを取り戻すために飛び込んだ、あの崖。

 

 リュウジは立ち止まり、滝を見上げた。

 白い水飛沫が風に舞い、陽光に虹を映している。

「……すこし任せる」

 

 そう言って、リュウジは滝の方へと歩き出した。

 

「ちょっと、どこ行くの?」とルナが慌てて声を上げる。

 だがリュウジは振り返らず、滝壺の縁をゆっくりと進んだ。

 

 滝の裏側には、かすかに口を開けた洞窟があった。

 水の音に混じって、冷たい風が吹き抜ける。

 リュウジは足元の落ち葉を一枚拾い上げ、軽く握りつぶす。

 手を開くと、葉は風に乗って洞窟の奥へと流れていった。

 

「……やっぱり、続いているな」

 彼は小さく呟き、滝を背にして中へと姿を消した。

 

 一方その頃、崖の中腹ではルナとメノリが蔓を頼りに登っていた。

 岩肌は濡れて滑りやすく、ルナの手のひらは赤くなっていた。

「気をつけろ、ルナ。足場が悪い」

「うん……メノリも」

 

 ようやく崖の上にたどり着いた時、風が頬を撫でた。

 振り返ると、霧の向こうから人影が現れる。

 

「リュウジ……!」

 ルナが思わず声を上げる。

 背後の茂みを抜けて現れたリュウジは、肩のあたりが濡れていた。

 

「滝の裏に洞窟があった。そこを進むと、上へ抜ける道がある」

 

 メノリは真剣な表情で頷く。

「分かった。私が伝えておこう。ルナたちは南の狼煙を」

「分かった」

 

 リュウジとルナは視線を交わす。

 風が滝の音を乗せ、二人の間を流れていった。

 どこかで鳥が鳴き、太陽が霧を照らす。

 

 ◇◇◇

 

 南の崖沿いは、海風が強く、湿った空気が肌を刺すように冷たかった。

 空一面を灰色の雲が覆い、今にも雨が降り出しそうだった。

 森の木々がうねり、波打つようにざわめいている。

 

 ルナとリュウジは、南側の高台にいた。

 そこからは、遠くの海が鈍く光って見える。

 風が唸り、焚き木を積むルナの髪を激しく揺らした。

 

「風が強いね……火がつくかな」

 ルナが火打石を握りながら呟いた。

 火花が何度か散るが、湿った木がなかなか燃え上がらない。

 

「……乾いた葉を下に敷け。上から風を逃がさないように石で囲むんだ」

 リュウジが低い声で指示を出す。

 ルナは頷きながら手際よく動いた。

 しばらくして、小さな炎が生まれ、徐々に広がっていく。

 

「うまくいったね」

「ああ。……これで南は問題ない」

 

 リュウジは風上に立ち、雲の流れを見つめていた。

 厚い雲の合間から光が一筋差し込み、彼の横顔を淡く照らす。

 

 ルナは少し間をおいてから口を開いた。

「ねぇ、リュウジ。……さっきの救難船、信じてる?」

 

 リュウジは目を細め、海の彼方を見た。

「正直、期待はできない」

 

「どうして?」

 ルナの声は風にかき消されそうになりながらも、まっすぐに彼へ届いた。

 

「無線の通信……反応が速すぎた。音声の間もおかしい。

 まるで、俺たちが呼びかけるのを“待っていた”ようだった」

 

 リュウジの声は冷静だったが、どこか警戒を帯びていた。

 ルナは炎を見つめ、唇を噛んだ。

 

 リュウジは続ける。

「俺はS級パイロットだった。未知の宙域を何度も航行してきた。

 だが――この惑星どころか、この星系の近くにも、生命を確認できるような星はなかった。

 たまたま救助船が通るなんて、あり得ない」

 

 風が強まり、炎が一瞬かすかに揺れた。

 ルナはそっと手をかざして炎を守る。

「……じゃあ、あの声は?」

 

「わからない。ただ、どこかで聞いたことがある気がする」

 リュウジは短く言った。その表情には、かすかな迷いが浮かんでいる。

 

「気のせいじゃないの?」

「そうだといいがな」

 

 ルナは黙って空を見上げた。

 灰色の雲は重く垂れこめ、光はほとんど届かない。

 それでも彼女の目には、小さな炎の明かりが確かに映っていた。

 

「……ねぇ、リュウジ」

「なんだ」

「もし、本当に誰も来なかったとしても――私たちで生きていけるよね?」

 

 リュウジは少しだけ息を呑み、そして小さく笑った。

「お前はほんと、強いな」

「強くなったの。みんながいたから」

 

 その言葉に、リュウジは何も返さなかった。

 ただ、風の中で小さく頷き、炎を見つめた。

 

 遠くで雷鳴が低く響く。

 今にも雨が降り出しそうな空の下、二人の狼煙がゆらゆらと立ち上っていった。

 

◇◇◇

 

ポツリ――と、空から冷たい雫が落ちてきた。

 それはすぐに数を増し、灰色の空の下で、音を立てて地面を叩き始めた。

 風が強まり、焚き木の炎が一瞬だけ揺らいで消える。

 

「……降ってきたね」

 ルナが小さく呟いた。頬に伝う雨粒が冷たく、指先までじんと痺れる。

 

「薪を濡らすな。あっちの岩陰に運ぶぞ」

 リュウジの声が雨音の中でもはっきりと響く。

 二人は急いで薪木を抱え、近くの岩の下に移動させていく。

 

 地面はぬかるみ始め、靴の底にまとわりつく泥が重い。

 息を切らせながら、ルナが空を仰いだそのとき――

 

「……あれ?」

 ルナの声がかすかに震えた。

「リュウジ、見て! 東の空――!」

 

 リュウジが顔を上げる。

 厚い雲の切れ間、遠くの地平線の向こう――

 灰色の帳を突き破るように、一筋の光が現れた。

 

 それは、まるで夜明けを裂く流星のように尾を引きながら、ゆっくりと降下していく。

 雨雲を貫き、金色の閃光が東から西へと移動していった。

 

「……間違いない、救難船だ!」

 ルナの瞳が大きく見開かれ、声が震える。

 その視線を追って、リュウジも息を呑んだ。

 

 光は確かに、人工的な軌跡を描いていた。

 自然の流星ではありえない滑らかな動き。

 それは確かに“誰かが操縦している”ものだった。

 

 だが――

 

「火をつける!」

 ルナが叫ぶ。

 リュウジは首を振る。

「この雨じゃ間に合わない!」

 

 焚き木はすでに濡れ、火打石を叩いても火花すら立たない。

 ルナは悔しそうに唇を噛み締めた。

 

 二人はただ、丘の上から東の空を見つめ続けた。

 光は次第に低くなり、やがて雲の下へ消えていく。

 その軌道は島の上空を横切り、西の海へと続いていた。

 

 リュウジの目が鋭く光る。

「……あれは、降りる。海面に――」

 

 次の瞬間、遠くで閃光が走り、遅れて低い爆音が響いた。

 海の向こうに白い水柱が上がる。

 救難船が、不時着したのだ。

 

 ルナは胸を押さえ、震える声で言った。

「……見えた。確かに、見えたわ」

 

 だが、リュウジは別のものに目を留めていた。

 落下の途中、救難船から――

 一瞬、何か光るものが切り離され、雨空を滑るようにして島の北方へ落ちていったのだ。

 

「今の……」

「何か、落ちたよね?」

「ああ。確認しないといけないな」

 

 リュウジはそう呟き、長く息を吐いた。

 雨脚はさらに強くなり、地面を叩きつける。

 視界の向こうでは、すでに光は消えていた。

 

「今日はもう無理だ。戻ろう」

「……うん」

 

 二人は薪木を岩陰に残し、濡れた道を駆け出した。

 南の風に押されながら、泥を蹴って進む。

 灰色の空の下、彼らの背後では、遠くで雷鳴が轟いていた。

 

 やがて、“みんなの家”が木々の間に見えてくる。

 そのときもなお、ルナの胸は高鳴っていた。

 ――確かに、見たのだ。

 あの東の空を裂く光を。

 

◇◇◇

 

“みんなの家”の入り口には、雨音が木の壁を叩く音が響いていた。

 ルナとリュウジが戻ったとき、すでにカオル、ベル、メノリの三人が焚き火の傍に座っていた。

 濡れた外套を脱ぎながら、リュウジが扉を閉めると、外の風の唸りがかすかに遠のく。

 

「おかえり」

 ベルが立ち上がり、二人に布を差し出した。

「すごい雨だな。そっち、大丈夫だったか?」

 

「なんとかね」

 ルナは息を整え、濡れた髪を払いながら答える。

 肩にかかる雫が床に落ちて、パチンと音を立てた。

 

 カオルが焚き火越しに顔を上げる。

「西の海岸を見てきた。かなり遠い沖合いだが……確かに、海面に降りてた」

 

 その声は低く、湿った木々の香りと共に、部屋に重く響いた。

 

「本当に……不時着したのね」

 ルナの言葉に、メノリが腕を組む。

「普通じゃない。あの天候で、あの高度。まともな航行とは思えない」

 

 リュウジは黙って火を見つめていた。

 やがてゆっくりと口を開く。

「……やはり、様子がおかしいな」

 

 その口調には、確信と警戒が混じっていた。

「低空飛行のままバランスを失ってた。機体が制御を失ってるような動きだった。あれが救難船なら、操縦士は相当追い詰められてる」

 

 焚き火の炎が、リュウジの瞳を淡く照らす。

 その表情は、どこか険しい。

 

 ルナは静かに頷き、少し言いづらそうに言葉を続けた。

「私たち、見たの。空から……何かが落ちたの」

 

「落ちた?」

 ベルが驚いたように身を乗り出した。

 ルナはリュウジと視線を交わす。

 

「ええ。救難船が海に降りる前に、光るものが一つ……途中で離れて、北の方に落ちていったの」

 

 その瞬間、場の空気が凍りついた。

 焚き火の爆ぜる音が、やけに大きく聞こえる。

 

「それは……部品じゃなくて?」とメノリ。

「分からない。でも、自然な落下じゃなかった」

 リュウジの声が低く響いた。

「まるで、意図的に切り離したような……そんな感じだった」

 

「……機体を軽くするため、か」

 カオルが腕を組み、目を細める。

「もしそうなら、燃料切れか、制御不能。どちらにしても無事じゃすまん」

 

 ベルが不安そうに呟く。

「じゃあ、助けが来たと思ったのに……」

 

「まだ分からないわ」

 ルナがベルの言葉を遮るように言った。

 その表情には不安と、かすかな決意が同居していた。

「でも確かに、空を裂くように光ってたの。私たちは、それを見たの」

 

 カオルは黙って頷き、焚き火に薪を足した。

 炎が再び大きくなり、部屋の中が暖かく満たされていく。

 

 ルナは焚き火を見つめた。

 雨はまだ止まない。

 けれど――あの光は確かに、希望のように空を裂いていた。

 その希望が、本当に救いなのか、あるいは新たな試練なのかは、まだ誰にも分からない。

 

⬜︎

 

雨脚が強くなっていた。

 灰色の空が海と地平を区別できないほど低く垂れ込め、冷たい風が頬を刺す。

 

 「火は西の海岸に起こしてきた。湿気がひどいが、なんとか燃えてる」

 カオルが振り返りながら言う。その肩にはまだ雨粒が滴っていた。

 

 「ありがとう、カオル。これで目印になるわ」

 ルナは小走りで隣に並びながら言い、マントを握る手に力が籠る。

 

 道はぬかるみ、踏みしめるたびに泥が靴の裏にまとわりつく。

 雨が木々を打ち、枝葉がしなりながら滴を落としていた。

 

 しばらく歩いた後、視界の向こうに海が見えた。

 灰色の波間に、巨大な影がゆらめいている。

 

 「……見えるな」

 リュウジが呟く。

 「やっぱり、相当でかいな」

 

 カオルもその視線を追い、眉をひそめた。

 「……あの大きさ、どう見ても恒星間輸送船だろうな」

 

 「俺もそう見える」

 リュウジは濡れた前髪を払いながら答える。

 「だが……どうして、こんな所に」

 

 風が一層強まり、潮の香りが鼻を突いた。

 

 カオルが唇を引き結ぶ。

 「まさか、俺たちと同じように――」

 

 「重力嵐に巻き込まれたのかもしれない」

 リュウジが言葉を継ぐ。

 その声音には確信と、どこかに滲む警戒の色があった。

 

 「……だが、違和感があるな」とカオル。

 「何がだ?」

 

 「輸送船が単独航行してるなんて、普通はありえない……」

 

 リュウジは無言で頷いた。

 海の彼方に浮かぶその影を、まるで睨むように見つめる。

 波間に漂う残骸のような光が、ちらちらと稲光に照らされている。

 

 「……沈む前に、何が起きたか確かめる必要がある」

 リュウジの声は、冷静で、それでいて決意に満ちていた。

 

 ルナはその二人の背を見つめながら、胸の奥がざわついた。

 あの光――

 あれが本当に“救い”の光なのか、それとも――

 

 「雨、強くなってきたわ。行きましょう」

 ルナの声に、三人は頷いた。

 足音と雨音が重なり、海岸の方へと彼らの影が消えていった。

 

⬜︎

 

雨は相変わらず降り続いていた。

 灰色の空の下、西の海岸には、焚き火の煙がかすかに立ち上っている。

 火を守るように岩の窪みがあり、その中に数人の影が揺れていた。

 

 「ベル!」

 ルナの声に反応して、大柄な少年が手を振った。

 「ルナ!無事だったんだね!」

 

 その後ろから、シャアラ、シンゴ、チャコ、アダム、そしてハワードが現れる。

 ずぶ濡れの姿だったが、皆の顔には安堵の笑みが浮かんでいた。

 

 「おお、みんな揃ったやないか!」とチャコが嬉しそうに声を上げる。

 「遺跡の方も問題なかったで。無線も通っとる」

 

 「よかった……ほんとに、全員無事で」

 ルナは胸を撫でおろし、濡れた髪をかき上げた。

 アダムはルナの腕に小さくしがみつき、「迎えに来てくれてありがとう」と呟く。

 

 「とにかく中に入れ。濡れたままだと体力を削られる」

 リュウジの一声で、全員が岩の窪みへと移動した。

 

 内側は意外と広く、壁の岩が外気を遮り、かすかな暖かさを保っていた。

 メノリが火のそばでマントを絞り、ハワードは肩をすくめて呟く。

 「雨のせいで服がベタベタだよ……髪も最悪だ」

 

 「贅沢言うな」

 カオルが淡々と返すと、ハワードはむくれた表情で火を見つめた。

 

 ルナは皆の顔を順に見渡しながら、安堵の息を漏らした。

 そのとき、背後からリュウジの声がした。

 

 「ルナ、少し来てくれ」

 

 振り返ると、リュウジは海の方を見つめていた。

 「どこへ行くの?」とルナが尋ねると、リュウジは短く答えた。

 

 「……救助船から、何かが落ちたのを見ただろう。

  あれを確認しておきたい」

 

 ルナは目を丸くした。

 「でも、この雨の中を?」

 

 「雨は弱まってきてる。夜になれば潮が満ちる。今しかない」

 

 その言葉に、ルナは少しの間考えたが、結局頷いた。

 「わかった、私も行く。

  二人の方が早いでしょ」

 

 リュウジは少しだけ驚いたように目を向けたが、反対はしなかった。

 「無理はするなよ」

 

 二人は焚き火のそばにいる皆に軽く声をかけ、海岸へ向かった。

 

 外は薄暗く、雨脚は弱まりつつある。

 雲の切れ間から、淡い夕光が波に反射していた。

 

 潮の香りが強くなり、海面には救助船の光がゆらめいている。

 その光に導かれるように、リュウジとルナは並んで歩いた。

 

 「……あの光、どこに落ちたんだろう」

 ルナが呟くと、リュウジは少し先を見据えながら答える。

 「浜辺の端、岩場の方だと思う。海流が弱いから、まだ流されていないはずだ」

 

 波が足元を洗い、二人の影が濡れた砂に揺れる。

 ルナはふと、隣を歩くリュウジの横顔を見た。

 雨に濡れた髪が頬に張り付き、真剣な瞳がわずかに光を映している。

 

 (……この人は、どこまで覚悟しているんだろう)

 

 胸の奥が締め付けられるように痛んだ。

 だが、その思いを口には出さず、ただ一歩、彼の後を追った。

 

 ――海の果てで輝く“光”が、

 やがて彼らの運命を、大きく変えていくとも知らずに。

 

⬜︎

 

冷たい雨は止む気配を見せなかった。

 灰色の空と荒れた波が溶け合い、世界はまるで薄い霧の幕の中に沈んでいるようだった。

 

 リュウジとルナは波打ち際を進みながら、海面の先に漂う青白い光を見つけた。

 「このあたり……ね」

 ルナが濡れた髪をかき上げながら呟く。

 

 リュウジは頷き、視線を鋭く走らせた。

 雨の帳の中で、砂の上に金属の塊が半ば埋もれていた。

 近づくと、外殻には焼け焦げた跡があり、波に打たれながらも微かに光を放っている。

 

 「……脱出ポッドだな」

 リュウジの声は低く、確信に満ちていた。

 

 ルナは驚いて目を見開く。

 「誰か、乗ってるの……?」

 

 「生命維持ランプが点いてる。中に人がいる」

 リュウジは側面のレバーを引き、緊急開放装置を操作した。

 「プシィィィ……」と空気の抜ける音が響き、ハッチがゆっくり開く。

 

 中から、白髪まじりの男性が姿を見せた。

 濡れた作業服を着て、頬には油の汚れが残っている。

 しかし、その目には確かな力が宿っていた。

 

 「おじいさん……?」

 ルナが思わず声を漏らす。

 

 男は軽く咳き込みながら、のそりと上体を起こした。

 「……ふぅ、死ぬかと思ったわい。あー、腰が……」

 

 その声には不思議と張りがあり、雨の音を押し返すように響く。

 

 「無理に動かないで!」

 ルナが慌てて支えると、男は片手を上げて笑った。

 「大丈夫じゃ、嬢ちゃん。年寄りをなめたらいかん」

 

 リュウジは目を細め、落ち着いた口調で尋ねた。

 「……あんた、どこの船の乗組員だ?」

 

 男は額の汗と雨をぬぐい、胸のタグを指さした。

 そこにはかすれて読みにくい文字で「POLTO」と刻まれている。

 

 「ワシはポルト。恒星間輸送船《オリオン号》の整備士じゃ」

 

 その一言に、リュウジとルナは顔を見合わせた。

 

 「オリオン号って……救助船の?」

 ルナの声に、ポルトは眉をひそめ、雨を見上げた。

 

 「救助船、じゃと……? あの連中、まだ動いておったか……」

 低く唸るように呟いたあと、ポルトは息を整えて言った。

 「……《オリオン号》はジャックされたんじゃ。脱獄囚どもにのう。

  ワシはどうにか脱出ポッドで逃げ出したが……」

 

 「ジャック……?」

 ルナの瞳が大きく揺れた。

 

 ポルトは苦笑した。

 「まったく、年寄りに厳しい時代じゃ。宇宙のど真ん中で犯罪者と一緒になるとは思わんかったわい」

 

 それでも、その口調には不思議な明るさがあった。

 まるで死の淵をくぐり抜けてきた人間の、達観した強さのように。

 

 リュウジは真剣な表情でポルトの手首を取り、脈を確かめた。

 「……問題ないな。だが休め。外はまだ冷える」

 

 「気づかい、痛み入る。若いの」

 ポルトは笑いながら立ち上がり、

 「ふむ……この重力、地球型か。いい星じゃな」と空を見上げた。

 

 冷たい雨が、白髪の上に降り注ぐ。

 その姿は、どこか頼もしく、そして不思議な存在感を放っていた。

 

 ルナは濡れたマントを外し、ポルトの肩にかけた。

 「今は岩の窪みに避難しましょう。仲間もいるんです」

 

 「おお、助かるわい。礼はあとでたっぷり言わせてもらう」

 

 三人は雨の中、足を取られながらも岩陰へと戻った。

 波の向こう、救助船《オリオン号》の灯が、

 遠くで静かに瞬いていた――その光が、本当に“救い”なのかも知らぬまま。

 

⬜︎

 

警告――

 

 雨脚はいっそう強まっていた。

 波音と雨音が混ざり合い、遠くの海も空もひとつに溶けているようだった。

 

 ルナとリュウジは、ポルトを支えながら岩の窪みに戻った。

 中では、焚き火の明かりがわずかに灯り、他の仲間たち――カオル、メノリ、ベル、シャアラ、ハワード、シンゴ、チャコ、アダム――が身を寄せ合っていた。

 

 「戻ったのね!」

 ルナの姿を見つけたシャアラが、安堵の笑みを浮かべる。

 だがその背後から、ルナに支えられた老人の姿を見て、全員の表情が変わった。

 

 「だれ……?」

 ハワードが警戒心をあらわにする。

 

 ルナは息を整え、言葉を選ぶように告げた。

 「この人はポルトさん。オリオン号の整備士さんよ」

 

 その名を聞いた瞬間、全員が息を呑んだ。

 「オリオン号……って、救助船の?」とベルがつぶやく。

 

 ポルトは湿った髪を撫でつけながら、にかっと笑った。

 「そうじゃ。まあ“元”整備士じゃがの。命からがら脱出してきたわい」

 

 その声に一瞬安堵の空気が流れた――が、次の瞬間、ポルトの動きに皆が目を見張った。

 老人は無言で、足元の焚き火に手を伸ばし、掴んでいた砂をばさりとかけたのだ。

 

 「なっ……何をするんですか!」

 シャアラが驚いて声を上げる。

 

 火は一瞬で消え、窪みの中は闇に包まれた。

 ただ、雨と風の音だけが響く。

 

 「……火を見られるわけにはいかん。あいつらに気づかれる」

 低く、しかし明瞭な声だった。

 

 「“あいつら”って、誰のことだ?」

 カオルの鋭い声が響く。

 

 ポルトはゆっくりと腰を下ろし、濡れた作業服のポケットから、小型の金属部品を取り出した。

 「お前たちの無線を聞かせてもらった。重力制御ユニットを探しておるんじゃろ? それなら、これを持ってきた」

 

 手のひらの上で、部品がかすかに光を放っていた。

 チャコが目を見開き、思わず前に出た。

 「そ、それ……まさか、ユニットの中核部か!?」

 

 「左様じゃ。これがなければ、ユニットは目を覚まさん。

  ……だがのう、あの救助船、いや――《オリオン号》には、まだ“奴ら”が乗っとる」

 

 全員が息を呑んだ。

 

 「どういうこと?」とルナが声を震わせる。

 

 ポルトは眉を寄せ、苦々しい笑みを浮かべた。

 「三人の脱獄囚じゃ。ワシが整備中に潜り込み、船を乗っ取った。

  航行中に重力嵐に巻き込まれたが、奴らはまだ諦めとらん。

  もし生きていれば、この星に降りてきとる」

 

 「じゃあ……救助じゃなくて、奴らが……?」

 ルナの声が小さく震えた。

 

 ポルトは頷き、雨の外を見た。

 「雨が降っているうちが好機じゃ。足跡を消しながら、お前達の宇宙船まで行く。

  あのユニットを使えば、重力制御を復旧できる。先に手を打たんと、取り返しがつかん」

カオルが無言で立ち上がる。

 「……なら、俺はここに残る。あの船を監視する」

 

 「カオル?」

 ルナが振り返ると、カオルは小さく頷いた。

 

 「奴らの動きを見ておく。こっちに来るようなら、すぐに知らせる」

 そしてリュウジに視線を向ける。

 「ルナを頼む」

 

 リュウジは短く頷いた。

 「任せろ」

 

 ルナは唇を噛み、カオルに言った。

 「……気をつけてね」

 

 「お前もな」

 

 ポルトはリュウジの肩に手を置いた。

 「案内を頼む。……年寄りは雨に弱くてな」

 

 「無理しないでください」

 ルナが言うと、ポルトはにこやかに笑った。

 「はは、こう見えても、まだ現役の整備士じゃよ」

 

 三人は、雨の闇の中へと消えていく。

 背後に残ったカオルは、焚き火の灰を指でなぞりながら呟いた。

 

 「――脱獄囚、か。…何事もなく済めばいいがな」

 

 外では雷鳴がとどろき、オリオン号が遠くで、赤く瞬いた。

 

⬜︎

 

冷たい雨が降りしきるなか、一行は泥の道を慎重に進んでいた。

 森の木々が風にしなり、葉のしずくが一滴、また一滴と落ちてくる。

 

 ルナは肩にかけた布袋を押さえながら、前を行くポルトとリュウジを追いかけた。

 カオルは海岸に残り、脱獄囚の様子を監視している。

 遺跡へ向かうのは、ルナ、リュウジ、メノリ、ハワード、ベル、シャアラ、シンゴ、チャコ、アダム――そして、ポルトの九人だった。

 

 「滑るから気をつけて」

 ルナが声を張ると、ベルがうなずいて先頭のリュウジに続く。

 

 「まったく、雨ばっかりだな。靴の中がもう池だよ」

 ハワードがぼやく。

 

 「文句を言う前に足を動かせ」

 メノリの冷静な声が返り、ハワードは口をつぐんだ。

 

 「この湿気、ウチの内部センサーも誤作動起こしそうや」

 チャコがぼやくと、隣を歩くアダムが心配そうに覗き込む。

 「チャコ、大丈夫? さっきから震えてる」

 「ウチのは震えてるんやない、味わっとるんや。この星の“雨”っちゅうもんをな」

 

 「……なんか詩的ね」

 シャアラがくすっと笑い、少しだけ空気が和らいだ。

 

 その時、ポルトがふと振り返った。

 「おぬしら……ロカA2の“ソリア学園”の生徒たちじゃな?」

 

 ルナは驚いて足を止めた。

 「え……? どうして、それを?」

 

 「いやぁ、わしもずいぶん前にニュースで見た。

  “重力嵐に巻き込まれ、修学旅行船ノヴァ・セレスティア行方不明”――あれは銀河でも相当な騒ぎになったんじゃよ」

 

 「……銀河でも?」

 ルナの瞳が大きく揺れた。

 

 「うむ。各コロニーで報道された。探索艦が十隻以上派遣され、

  なかでもハワード財閥が懸賞金をかけておった。“息子を見つけた者には百億単位の報奨金”とな」

 

 「ひゃ、百億ぅ!? 俺そんな価値あったのか!?」

 ハワードは叫び、顔を引きつらせた。

 

 ベルが苦笑して肩をすくめる。

 「ハワード、自分で言っても……でも、すごい話だな」

 

 「すごいどころじゃない」

 メノリは驚きとともに呟いた。

 「銀河規模のニュース……私たちの存在が、まだ覚えられていたなんて」

 

 「それだけじゃない。おぬしらの親たちは、今でも探しとる。

  ハワード家だけやない、他のコロニーからも捜索チームが出とったんじゃ」

 ポルトはしわの刻まれた手で杖代わりの棒を突きながら言った。

 

 ルナは、胸の奥が熱くなった。

 「……ずっと、誰にも知られずに生きてると思ってた。

  でも、探してくれてたんだね……」

 

 「けどな」

 リュウジが雨の向こうを見つめながら口を開いた。

 「この惑星は、どの星図にも載っていない。

  重力嵐に巻き込まれた時点で、座標が数光年単位でずれている可能性もある。

  ――偶然、ここに流れ着いたのは奇跡だ」

 

 「……それでも、希望はある」

 ルナがまっすぐ前を見た。

 「だって、誰かが探してくれてるんだもん。今も、どこかで」

 

 ポルトはゆっくりと頷き、微笑んだ。

 「おぬしはええ子じゃな。希望はな、消えんもんじゃ」

 

 その言葉に、シャアラがほっとしたように息をついた。

 「……なんだか、心が少しあったかくなりました」

 

 雨の音が再び強くなる。

 ポルトは立ち止まり、空を見上げた。

 「もうすぐや。――この先を抜ければ、遺跡が見えてくる」

 

 その声に、一行は顔を上げた。

 重い雨雲の下を進む彼らの足取りには、不安も希望も入り混じっていた。

 ――この星で、生き延びてきたすべての時間を抱えて。

 

⬜︎

 

遺跡の入り口に着いた頃、雨はまだ細かく降り続いていた。

 濡れた岩肌が淡く光り、冷たい風が頬をなでていく。

 

 「ここが……」

 ポルトは目を細め、壁面を見上げた。

 「なんちゅう構造じゃ……ワシの知っとるどの宇宙船とも違う。

  古代技術か、あるいは……ずっと前の文明の遺産かもしれん」

 

 その声に、ルナも息をのんだ。

 遺跡の内部には白く光る管が通り、かすかに鼓動のような振動を伝えている。

 まるでこの建造物そのものが“生きている”ようだった。

 

 「ポルトさん、重力制御ユニットの取り付けはどこで?」とシンゴが尋ねる。

 「こっちじゃ」

 ポルトは奥の円形台座へ向かい、チャコと並んで配線を確認した。

 

 「出力ライン、正常!」

 「データ端子、接続完了や!」

 「電源、投入――」

 

 わずかな音とともに、ユニットのコアが淡い光を放つ。

 遺跡全体が静かに脈打ち、空気が変わった。

 

 「やった……! 本当に動いた!」

 ルナが笑顔を見せると、ポルトは少し照れくさそうに頷いた。

 「まだ仮稼働じゃが、安定しとる。これで気候制御も戻るはずじゃ」

 

 その時、外から吹き込む風がぴたりと止まった。

 リュウジが入口に立ち、雨の止みかけた空を見上げる。

 

 雲の切れ間から、うっすらと光が差していた。

 だが――その目には、喜びよりも警戒の色が浮かんでいた。

 

 「……晴れてきたね」

 ルナが彼の横に並んで呟く。

 

 「ああ」

 リュウジの声は低かった。

 「雨が止めば、奴らが動く。――脱獄囚どもが」

 

 ルナの表情が一瞬にして強張る。

 「……そんな」

 

 「天候が回復すれば、煙も足跡も見えるようになる。

  カオルが見張ってるが、もし気づかれたらここまで来るのも時間の問題だ」

 

 ルナは唇を噛み、遺跡の奥を振り返る。

 チャコとシンゴが作業を続け、ポルトは制御盤の数値を確認している。

 平穏な光景なのに――胸の奥がざわついた。

 

 「……そういえば、あの無線の声。思い出せた?」

 ルナが問うと、リュウジは静かに首を振った。

 

 「いや……まだだ。過去の記憶をいくら辿っても、輪郭が掴めない。

  でも……聞いたことがある気がする」

 

 その声には、ほんのわずかな戸惑いが滲んでいた。

 ルナは彼の横顔を見つめながら、小さく呟いた。

 「……どんな人なんだろうね」

 

 「それが問題だ」

 リュウジは目を細め、遠くの空を睨んだ。

 「もし敵なら、この星の平穏は一瞬で壊れる」

 

 外では、雨が完全に止み、雲の隙間から青がのぞき始めていた。

 湿った地面から蒸気が立ち昇り、森の匂いが濃くなる。

 だがその静けさが、かえって不気味に思えた。

 

 「ルナ」

 「なに?」

 

 「もし、何かあったらすぐにアダムと一緒にここを離れろ。いいな」

 「リュウジ……」

 

 その声の奥に、ただならぬ覚悟があった。

 ルナは何も言えず、ただ小さく頷いた

 

⬜︎

 

海岸に吹きつける雨は、ますます勢いを増していた。

 灰色の雲が低く垂れ込め、遠くの海面は白い波頭で覆われている。

 

 岩の窪みに身を潜め、カオルは静かに息を殺していた。

 見張り役は自分ひとり。

 冷たい潮風が頬を刺すたび、雨粒が地面の砂を黒く染めていく。

 

 ――動いたな。

 

 沖合のオリオン号が、わずかに傾いた。

 艦の側面から、黒い影が三つ、海へ滑り降りる。

 小型ボートが波間に落ち、静かに水を切って進みはじめた。

 カオルは身を低くして、濡れた岩越しにその様子を見守る。

 

 エンジンの音はない。

 風と波の音に紛れ、ただ異様な静けさだけが漂っていた。

 

 やがて、先頭に立つ男が手を海面に伸ばした。

 その瞬間、海が爆ぜるように盛り上がり――ボートが一気に加速した。

 

 ボートはあっという間に波を駆け抜け、西の海岸に滑り込む。

 浅瀬にぶつかる寸前、三つの影が軽やかに飛び降りた。

 

 砂浜を踏みしめる音が、雨音の中で異様に響く。

 カオルは岩陰からじっとその姿を見据えた。

 

 一人は、腰に黒光りするレーザー銃を提げた中年の男。

 無精ひげを生やし、眼光は鋭い。

 リーダーのようだ――その周囲の空気が違っていた。

 

 もう一人は、長い銀髪の女。

 腰には、蛇のようにうねる電気ウィップが巻かれており、

 時折、青白い火花を散らしては雨を照らしていた。

 その笑みには、楽しげな残酷さが宿る。

 

 三人目は――巨躯の男。

 全身の半分が金属に覆われ、機械の義肢が鈍く光を放っている。

 歩くたびに「ギシ…ギシ…」と、鉄が軋む音が響いた。

 

 カオルは喉の奥で息を止めた。

 (……あれが脱獄囚、ってわけか)

 

 彼らは海岸に立ち、空を見上げていた。

 何かを探すように、周囲を見回している。

 リーダー格の男が指を鳴らすと、サイボーグの男が頷き、

 海辺に立つ岩を軽々と持ち上げた。

 

 信じがたい腕力――人間のものとは思えない。

 

 「……やっぱり、ただの犯罪者じゃないな」

 カオルは低く呟き、雨の音に紛れて立ち上がった。

 

 ――ルナたちに知らせないと。

 

 だが、今はまだ動けない。

 この雨が止むまでは、足跡を残すわけにはいかない。

 

 カオルは岩陰に戻り、静かに呼吸を整えた。

 稲光が一閃し、空を裂く。

 雷鳴が響いた瞬間、海岸の影がふと振り返る。

 

 カオルは体を伏せた。

 

 心臓が高鳴る――

 だが、そのまま奴らは海の方へ視線を戻す。

 

 「……危ない」

 小さく吐き出した息が、冷たい風に消えた。

 

 遠く、雨に煙る遺跡の方角を見つめながら、カオルは歯を食いしばった。

 「……早く知らせないと」

 

⬜︎

 

遺跡の入口に、荒い足音が響いた。

 振り向いたリュウジの視線の先には、ずぶ濡れのカオルが立っていた。

 雨に打たれた髪から滴が落ち、息は荒く、手には泥がこびりついている。

 

 「……カオル!」

 ルナが駆け寄ると、カオルは肩で息をしながら低く告げた。

 「――脱獄囚たちだ。……奴ら、もう“みんなの家”にいる」

 

 その一言に、全員の表情が凍りついた。

 「みんなの家に!?」とシャアラが声を上げ、

 「まさか、俺たちの拠点を……」とベルが拳を握りしめた。

 

 「間違いない。三人だ。銃と電撃武器、それにサイボーグの化け物が一人」

 カオルの声は低く、焦りを押し殺している。

 「オリオン号からボートで渡ってきた。……今は様子を伺ってるが、いずれ動く」

 

 沈黙が落ちた。

 だがその沈黙を破ったのは、カオルの鋭い視線だった。

 

 「……ところで、ハワードは?」

 

 その問いに、場の空気が変わった。

 ルナが周囲を見回し、ポルトも眉をひそめた。

 「さっきまで、ここにおったはずじゃが……?」

 

 「ハワード?」

 シャアラが声を上げたが、返事はない。

 いつも賑やかな彼の姿が、どこにも見当たらなかった。

 

 嫌な予感が走る。

 リュウジが壁際に置かれた装置の箱を覗き込み、

 「……無い」

 と低く呟いた。

 

 「何が?」

 ルナが尋ねる。

 

 「姿勢制御ユニットの収納ケースだ。中身が空だ」

 

 「ええっ!? まさか、ハワードが――」

 メノリの声が強張る。

 

 ポルトがすぐに遺跡のコンソールを確認し、険しい顔で言った。

 「落ち着け。ハワードが持ってったのは“本体”やない。

  ここに残っとるデータを見るに、奴が持ってったのは――

  “姿勢制御ユニットのメモリー”じゃ」

 

 「メモリー?」

 ルナが聞き返す。

 

 「要は、ただのバックアップや。本体とリンクしてなきゃ意味はない。

  宇宙船本体に影響は出ん」

 

 安堵の息がいくつか漏れたが、リュウジの顔は曇ったままだ。

 「だが、問題は別だ。……奴らに見つかれば、ハワードが狙われる」

 

 「行くぞ」

 リュウジが即座に立ち上がる。

 「カオル、もう一度案内してくれ。ルナ、メノリ、ここを頼む。

  万が一に備えてポルトさんたちはユニットを守ってください」

 

 ルナは頷きながらも、胸の奥に不安が広がっていくのを感じた。

 ――ハワード、お願い、無事でいて。

 

 そのとき、外の空が再び唸りを上げた。

 厚い雲の隙間から、陽光が差し込み、湿った森が不気味に光る。

 その光の向こうには、すでに“異質な影”が動き出していた。

 

⬜︎

 

遺跡の操縦室には、雨が滴るような静けさが満ちていた。

 リュウジとカオルは救助装備を手早く整え、外に出ようとしたその瞬間――

 無線機が突如、低い唸りを上げた。

 

 「……おい! 聞こえるか! 聞こえたら返事をしろ!」

 

 冷たく乾いた声。

 威圧的ではないが、どこか底の見えない圧があった。

 リュウジは即座に動きを止め、ルナが無線機に手を伸ばした。

 

 「全員、ここに集まれ!」

 メノリの声で、仲間たちは次々と操縦室へ駆け込む。

 雨音が壁を叩き、遠くで雷鳴が響いた。

 

 ポルトが顔をしかめ、無線機に耳を寄せた。

 「……この声は……ブリンドー! 脱獄囚の一人じゃ!」

 

 その名が告げられた瞬間、リュウジの瞳が鋭く見開かれた。

 ――やはり、奴か。

 

 「メカニックのジジイか!」

 無線の向こうから、怒声が響いた。

 「おいこのクソジジイ! よくも一人で逃げやがったな!」

 

 「当り前じゃ!」

 ポルトがふてぶてしく鼻を鳴らした。

 「なんだったら輸送船ごとぶっ飛ばしてやればよかったわ!」

 

 「なんだと! 今度会ったらボキボキにへし折ってやる!」

 無線の奥で、何人かが笑っている。

 その軽薄さが、かえって不気味だった。

 

 ルナは声を整え、静かに問うた。

 「それで――要件はなんなの?」

 

 間を置いて、ブリンドーの声が返る。

 「ハワードとかいうガキは預かった。

  こいつを返してほしかったら、本物の“姿勢制御ユニット”を持って来い」

 

 操縦室の空気が一気に重くなった。

 カオルが拳を握りしめ、唇を噛む。

 「……間に合わなかったか」

 

 雨音だけが響く中、無線からさらに声がした。

 「返事はどうした?」

 

 メノリがルナを見る。

 「ルナ、どうする?」

 

 ルナは黙って数秒考え、唇を結んだまま答えた。

 「……ハワードの無事を確認させて」

 

 「裏切者がどうなろうとも構わないってことか?」

 ブリンドーの声は嘲るように冷たい。

 

 「違うわ。ただ、ハワードの声を聞かせて。彼が生きてる証拠を」

 

 「いいだろう。……来い!」

 

 数秒後、無線から震える声が聞こえた。

 「ルナ……僕だ。許してくれ……本当は、上手くいくはずだったんだ……」

 

 その声にルナが息を呑む間もなく、甲高い女の声が割り込んだ。

 「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと命乞いでもしたらどうなの!」

 

 バチッ――!

 電撃がはぜる音、そしてハワードの悲鳴が響いた。

 

 「分かったわ! もういいわ!」

 ルナが思わず叫ぶ。

 

 「じゃあ取引成立だ」

 ブリンドーの声には、嗜虐的な笑みが滲んでいた。

 

 「まだよ!」

 ルナの声が鋭く跳ねる。

 

 「……なんだ?」

 

 「あなたたちが武器を持っていることは分かっている。

  姿勢制御ユニットを渡したあとで殺されたんじゃたまらないわ!

  命の保証がほしいの!」

 

 短い沈黙が流れた。

 無線機の奥で、ブリンドーが笑った。

 

 「保証だと? ふざけるな……」

 

 次の瞬間、怒鳴り声が響く。

 「交渉は決裂だ! ゆっくり狩りだしてやるから覚悟しておけ!」

 

 通信が切れかけたその時――

 

 「待て、ブリンドー」

 

 低く、鋭い声が空気を裂いた。

 操縦室にいた全員が息を呑む。

 

雨音が途切れたような一瞬の静寂。

 無線機の奥から、湿った低音が再び響いた。

 

 「……誰だ、貴様」

 

 それに応じたリュウジの声は、まるで氷を伝うように冷ややかだった。

 「――ドルトムント財閥の旅客機の時は随分と世話になったな」

 

 操縦室の空気が一瞬、張り詰めた。

 ルナも、メノリも、息を呑む。

 その名が出るということは――彼が言う“あの事件”の真実に触れている。

 

 ブリンドーは短い沈黙のあと、低く笑った。

 「ほう……。その声、忘れちゃいねえ。

  あの時のガキか。まだ生きてやがったとはな」

 

 「お前のほうこそ。まだ空気を吸ってるとは思わなかった」

 リュウジの口調は淡々としている。だが、その奥には確かな怒りがあった。

 

 「ふん、あの事故で何人死んだ? 百? 二百? それとももっとか?」

 ブリンドーの声に、嘲りが混じる。

 「どっちにしろ、お前もその中の一人になるはずだった。

  まさかあの宇宙船から生きて戻るとはな」

 

 リュウジは言葉を噛み締めるように呟いた。

 「お前たちは、どうしてあんなことをしたのか理由はなんだ!」

 

 「理由?」

 ブリンドーは軽く鼻で笑った。

 「この宇宙のどこに、理由のある死がある?

  欲と命令、それだけだ。たまたま金の匂いがする宇宙船を狙った

  それだけのことだ」

 

 「たまたま、だと……?」

 ルナが息を呑んだ。リュウジの拳が小さく震える。

 「その“たまたま”で、何百人もが犠牲になったんだぞ」

 

 「へぇ。じゃあお前はその亡霊どもを背負って、まだ生きてるわけだ」

 ブリンドーの声に揶揄が滲む。

 「まったく、滑稽なもんだな。英雄気取りのガキが、地べたを這いずって生き延びてるなんて」

 

 その言葉に、操縦室の温度が下がった気がした。

 リュウジの目は、もはや怒りでも悲しみでもない――静かな怒りが宿っていた。

リュウジは無線に顔を近づけた。

 「――お前のような奴が、また誰かを殺すのは、絶対に許さない」

 

 「ククッ……いいねぇ、あの時と変わらねえ」

 ブリンドーが満足げに笑う。

 「いいだろう。お前に免じて、交渉には乗ってやる」

 

 「条件は明日の日の出。

 場所は東の森との境にある滝の下――場所はハワードが知ってる。ロープを降りた所だ。そこでハワードと姿勢制御ユニットを交換する」

 リュウジの声は、まるで軍人のように正確だった。

 

 「ふん……。妙な真似はするなよ、ガキが。

  今度は、逃がしはしねえ」

 

 「俺もだ。

  あの日の決着を――この惑星でつけてやる」

 

 その言葉と同時に、無線がブツリと切れた。

 誰も息をしていないかのような静寂。

 雨音だけが、遠くで囁くように続いている。

 

 ポルトが小さく頭を振った。

 「……あやつは危険じゃ。交渉など信じるな」

 

 「分かってる」

 リュウジの目は一点を見つめていた。

 そこには恐怖ではなく、静かな覚悟があった。

 

 ルナはそんな彼の横顔を見つめ、胸の奥に言葉にならない感情が込み上げる。

 ――リュウジは、まだ“あの日”に囚われている。

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