サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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伝説の副パーサー

そのあと、旅行事業部のフロアは一気に慌ただしくなった。

 

 定期便の一フロアを任される。

 しかも明々後日から四日間、三便だけとはいえ、本物の現場だ。

 

 それまでのシュミレーションは、あくまで社内での訓練だった。

 だが、これから必要になるのは“形としてできる”ことではなく、“実際の便の中で崩れずにやれる”ことだ。時間の流れも、乗客の層も、機体の揺れ方も、社内とは違う。エリンはそれを誰より分かっていたからこそ、残された時間を一分も無駄にするつもりはなかった。

 

 フロア中央の大型モニターに、エリンは編成表を映し出した。

 

 最初の便は、すでに告げた通りだ。

 

 クミコ。

 ハズキ。

 ミドリ。

 サリー。

 マユ。

 

 そしてチーフパーサーとしてエリン、臨時副パーサーとしてペルシアが乗る。

 

 そこまでは全員が知っている。

 だが、残り三便分のメンバーについては、まだ誰も聞かされていなかった。

 

 フロアの空気が少しだけ張りつめる。

 自分の名前がどこに入るのか。

 誰と組むのか。

 経験のある者と新人がどう混ざるのか。

 それによって、見える景色は大きく変わる。

 

 エリンは端末を操作しながら、淡々と口を開いた。

 

「残りの便についても、今の段階で仮編成を出します」

 

 画面が切り替わる。

 四つの枠が現れ、それぞれの便ごとに名前が並んだ。

 

 一便目は新人五人。

 二便目は、経験の浅い者と、ある程度周囲が見える者を混ぜた編成。

 三便目は、全体の流れを掴める人間を少し増やし、判断の要るポジションを多めに担当させる。

 四便目は、経験者を軸にしつつ、まだ現場経験の少ない者を混ぜて、フライトの完成度を高める狙いが見えた。

 

 どちらかがひとつの便に偏らないよう、意図的に分散された構成だ。

 

 ミラは自分の名前を確認し、すぐにその周囲の名前も追った。

 なるほど、と胸の内で頷く。

 不安定になりそうな子の横に、声掛けが上手い子を置く。

 緊張で視野が狭くなる子の近くに、周囲を見て判断できる子を置く。

 そして、便ごとに色が違う。

 エリンは単に人数を割っているのではなく、“便ごとの課題”ごとに編成を分けているのだ。

 

 ランもまた、少し驚いたような顔で画面を見ていた。

 

「……すごい」

 

 思わず声に出る。

 

 その呟きに気づいたエリンが、軽く視線だけを寄越した。

 

「何が?」

 

「いえ……組み方が、です」

 

 ランは正直に答えた。

 

「経験年数だけで分けてるんじゃないんですね」

 

「そんなことしたら、意味がないでしょ」

 

 エリンはあっさり言う。

 

「現場に出た時に必要なのは“平均値”じゃない。穴が空きそうな場所を、誰がどう支えるかよ」

 

 その言葉に、ミラは改めて画面を見上げた。

 やはり、この人は人の並べ方まで現場で考えている。

 

 ペルシアは画面を眺めながら、ふーん、と鼻を鳴らした。

 

「相変わらず細かいわねぇ」

 

「当たり前でしょ」

 

「でも嫌いじゃない」

 

「そう」

 

「褒めてるのよ」

 

「はいはい」

 

 短いやり取りに、少しだけ場が和む。

 

 エリンはそこで全員を見渡し、はっきりと言った。

 

「この編成は、今の段階での仮編成です。明日の訓練を見て、必要なら入れ替えます」

 

 その一言で、全員の背筋が伸びた。

 つまり、まだ決まったわけではない。

 今日の訓練次第で、自分の位置は変わるかもしれない。

 

「だから、誰がどの便だから楽とか、きついとか、そういう見方はしないこと」

 

 エリンの声は静かだったが、逃げ道を与えない響きがあった。

 

「どの便も本番。任された以上、全部同じ重さで考えなさい」

 

「はい!」

 

 返事は、これまでよりもずっと揃っていた。

 

    ◇

 

 それから旅行事業部は、編成ごとのシュミレーションへ入った。

 

 今までは一班、二班という大きなくくりで訓練していたが、ここからはより実際の便に近い単位で動く。五人一組で、それぞれに役割を持たせる。誰が先導するか、誰が荷物を見るか、誰が中央の空気を整えるか、誰が後方を拾うか。単純な人数の割り振りではなく、“この便の中でどう呼吸を合わせるか”を、身体で覚えさせる時間だった。

 

 最初の便――新人五人組は、当然のことながら空気が硬かった。

 

 クミコは責任感が表に出やすく、任された役割を一人で抱え込もうとする。

 ハズキは明るいが、緊張すると声が一段高くなり、急に動きが速くなる。

 ミドリは慎重で観察力がある分、決断が半拍遅れる。

 サリーは気配りが細かいが、周囲を優先しすぎて自分の動線を見失いやすい。

 マユは飲み込みは早いが、まだ“お客様に見られる自分”への自覚が浅い。

 

 誰も悪くない。

 ただ、全員が“新人のつまずき方”を、それぞれ別の形で持っていた。

 

 だからこそ、エリンとペルシアが前に立つ意味がある。

 

「クミコ、前へ出すぎ」

 

 ペルシアが即座に言う。

 

「はいっ」

 

「返事が速すぎ。そんなに焦ってるとお客まで焦るわよ」

 

 クミコがはっとして口をつぐむ。

 

「いい? 先導するっていうのは、先に行くことじゃないの。お客が安心してついてこられるように“先に空気を敷く”の」

 

 その言葉のあとに、ペルシアは自分でやってみせる。

 足音。

 視線。

 半歩分の距離。

 肩越しに相手の存在を感じさせながら、それでも引っ張りすぎない歩幅。

 

「こう。自分が先頭じゃなくて、“道がここにありますよ”って身体で示す感じ」

 

 クミコは真剣な顔でそれを見ていた。

 何度も頷き、それからもう一度歩く。

 最初よりは良い。

 だが、まだ“意識してやっている”硬さがある。

 

「うん、半分よし。じゃあ、あと五回」

 

「五回ですか!?」

 

「少ないでしょ?」

 

 ペルシアは笑う。

 クミコは情けない顔をしたが、文句は言わなかった。

 

 一方で、ガーネットが見ている二便目以降の編成は、サービス動線や緊急時の声掛けを中心に、より静かで密度の濃い訓練が続いていた。

 

「サリー、今の返答は優しいです。でも、優しいだけでは足りません」

 

 ガーネットの声は淡々としている。

 

「“安心させる言葉”は、優しさよりも順番です。先に状況を短く伝えて、そのあとで寄り添う」

 

 そう言って、自分で実演してみせる。

 

「お待たせしました。すぐに対応しますので、そのままで大丈夫です」

 

 短い。

 だが、相手を放り出していない。

 

「この順番。分かりますか?」

 

「……はい」

 

 サリーは少し悔しそうに頷く。

 

「悔しいなら覚えられるわ」

 

 ガーネットはそう言って、次の反復に入った。

 

 リュウジのところへ入った若いパイロット達も、また別の意味で絞られていた。

 

 彼らは機体の操縦そのものよりも、“乗客を乗せる便のパイロットとして何を見るか”を徹底的に叩き込まれていた。リュウジは相変わらず無駄口が少なく、説明も短い。だが短いからこそ、一つひとつの言葉が強く刺さる。

 

「便は、飛べばいいんじゃない」

 

 リュウジは静かに言った。

 

「出発前の空気、乗務員の動き、乗客の不安、全部含めて便だ。操縦席だけ別世界だと思うな」

 

 若いパイロット達は、返事も忘れるほど真剣な顔で聞いていた。

 

    ◇

 

 そうして、編成ごとのシュミレーションは夕方まで続いた。

 

 途中で何度も止まり、何度もやり直し、何度も役割を入れ替えた。

 誰かが詰まれば全員で立て直し、誰かが一歩前へ出すぎれば後ろがその意味を考える。五人一組になることで、逆にごまかしが利かなくなった。班の色も、弱点も、呼吸の合い方も、嫌でも見える。

 

 だからこそ、実りは大きかった。

 

 エリンは最後にその日の総括を短く告げた。

 

「今日の時点で、最初の五人は予定通り行きます」

 

 クミコ達が一斉に息を呑む。

 

「ただし、行けるから安心していいという意味ではない。明日で仕上げるつもりで」

 

「はい!」

 

 五人の返事には、昨日までにはなかった芯があった。

 怖い。

 でも逃げない。

 そういう声だった。

 

 その日の訓練が終わると、特別講師達は一度それぞれの仕事を切り上げ、エリンに連れられる形で会社を出た。

 

 目的地は、コロニー内の居酒屋だった。

 

 

    ◇

 

 

店は火星コロニーの中央区画から少し外れた場所にあった。

 大きな店ではないが、暖簾をくぐると木の匂いと出汁の香りが混じり合った、どこか落ち着く空間が広がっている。店内はほどよく賑わっていたが、エリンが予約していたらしい奥の半個室は、外の喧騒から少しだけ切り離されていた。

 

 集まったのは、ペルシア、ガーネット、フレデリック、マユミ、フレイ、リュウジ、そしてエリン。

 この三日間、スペースホープの各部署へ入り、それぞれの場所で立て直しを進めてきた面々だ。

 

 席に座るなり、ペルシアが辺りを見回して口を開いた。

 

「へぇ、思ったよりちゃんとした店じゃない」

 

 その言い方に、エリンが眉をひそめる。

 

「思ったよりって何よ」

 

「だって、エリンに“労いの席を用意した”とか言われたら、てっきり近場の安い店に放り込まれるかと思ったもの」

 

「そんなことしないわよ」

 

「いや、しそうですね」

 

 そう言ったのはフレデリックだった。

 だが言い方は柔らかく、どこか面白がっている。

 

「エリンさんは“美味しいなら十分でしょう”って、本気でおっしゃりそうです」

 

 その敬語混じりの言い方が、かえって可笑しい。

 マユミがすかさず頷く。

 

「分かる。変なところ実利主義だもんね」

 

「私はそんなに雑じゃないけど」

 

「雑よ」

 

「雑ですね」

 

「雑」

 

 ペルシア、フレデリック、フレイの声が綺麗に揃った。

 さらに、黙って座っていたリュウジまで小さく頷いた。

 

「リュウジまで何で頷いてるのよ」

 

 エリンが睨むと、リュウジは視線を逸らしたまま淡々と答えた。

 

「事実かと」

 

「……そう」

 

 エリンはそれ以上言い返さなかった。

 どうせ何を言っても、この面々に“そういうところよ”と返されるだけだと分かっている。

 

 飲み物が揃う。

 ビール、日本酒、サワー、烏龍茶、そしてコーヒー。

 ペルシアとマユミは早速ビール。フレデリックは日本酒を選び、ガーネットとフレイは烏龍茶。リュウジは当然のようにコーヒーで、エリンは最初の一杯だけビールにした。

 

 エリンはグラスを持ち上げる。

 

「じゃあ、皆んな。ありがとう」

 

 その声で、場が少しだけ引き締まる。

 

「明日からいよいよ本番に入るから、その前に、まずはここまでの労いを込めて。乾杯」

 

「乾杯」

 

 グラスが軽く触れ合う。

 最初の一口を飲んだ瞬間、ペルシアが大きく息を吐いた。

 

「あー、生き返る」

 

「大げさね」

 

 エリンが言う。

 

「大げさじゃないわよ。久々に朝から晩までちゃんと働いたんだから」

 

「“ちゃんと”って何よ」

 

「ちゃんとはちゃんとよ」

 

 曖昧な返しに、自然と笑いが起きる。

 

 料理が運ばれてくる。刺身、出汁巻き卵、焼き魚、串焼き、揚げ出し豆腐、大皿のサラダ。居酒屋らしい料理だが、どれも丁寧に作られていて、疲れた身体にはちょうどよかった。

 

 少し場が和んだところで、エリンは本題を切り出した。

 

「それで、進捗を聞かせて」

 

 その一言で、全員の顔が少しだけ仕事の表情に戻る。

 

 最初に話し始めたのはマユミだった。

 

「総務は思ったより筋がいいよ」

 

 ジョッキを置きながら言う。

 

「今まで“言われたからやる”で止まってただけで、根は真面目。システムを入れて流れを見えるようにしたら、一気に理解が進んだ」

 

「運用は回りそう?」

 

 エリンが聞く。

 

「総務部内だけなら仮運用いける。全社展開はもうちょい調整が必要。でも、今までみたいな“誰か一人が知ってるから何となく回る”状態からは抜けられる」

 

「それなら十分ね」

 

 エリンが頷くと、マユミは満足そうに肩をすくめた。

 

 次はフレデリックだった。

 

「広報は、方向性さえ定まれば伸びると思います」

 

 彼はエリンに向かってきちんと敬語を使う。

 それが場の軽さを壊すことなく、不思議とちょうどいい温度を作っていた。

 

「ただ、今までは“綺麗に見せること”と“伝わること”を同じだと思っていたようです。そこはかなり崩しました」

 

「手応えは?」

 

「あります。トップページもチラシも、ようやく“何を伝えたいか”に寄ってきました」

 

「ありがとうございます」

 

 エリンが短く礼を言うと、フレデリックは少しだけ笑った。

 

「お役に立てていれば何よりです」

 

 次にフレイが口を開く。

 

「財務は、数字そのものは読めてる」

 

 簡潔だ。

 

「だけど、“断るべき支出を断る”という意識が弱い。必要と言われたものをそのまま通すのでは、財務の意味がない」

 

「改善はできますか?」

 

「ええ。判断基準を残して帰る」

 

 エリンは頷く。

 

「お願いします」

 

 そのあと、ガーネットに視線を向けた。

 

「ガーネットは?」

 

 ガーネットは烏龍茶のグラスを静かに持ち直してから答えた。

 

「二班は、想像以上に素直です」

 

 その言葉に、エリンの口元が少し柔らかくなる。

 

「緊急時対応はまだ不安が残りますけど、怖さを認めた上で前に出る感覚は少しずつ掴めてきています。サービス動線も、最初に比べればかなり整ってきました」

 

「そう」

 

「特に、ランが上手く繋いでいます。二班の空気が崩れないのは、彼女の存在が大きいかと」

 

 その評価は、エリンにとっても納得できるものだった。

 ランは目立って前へ出るタイプではない。だが、流れを乱さず、必要な時に必要なところへ支えを入れるのがうまい。

 

「ありがとう」

 

 エリンが言うと、ガーネットはほんの少しだけ目元を緩めた。

 

 次に、全員の視線が自然とリュウジへ向く。

 

 リュウジはしばらく黙っていたが、やがて短く口を開いた。

 

「パイロット達は甘いです」

 

 やはりそこからだった。

 皆が小さく苦笑する。

 

「ですが、見込みがないわけではありません」

 

 エリンは黙って先を促す。

 

「操縦の技術だけ見れば、そこまで悪くない。ただ、“便を飛ばす”という意識が薄いです。機体と数字しか見ていない」

 

「矯正は可能?」

 

 エリンが聞くと、リュウジは少し考えてから答えた。

 

「時間はかかります」

 

 率直だった。

 

「ですが、変わります。」

 

 その言葉は、リュウジにしてはかなり前向きな評価だった。

 エリンはそれを聞いて、小さく息を吐く。よかった、と心のどこかで思う。

 

 最後に、ペルシアだった。

 

 彼女はすでに二杯目のビールに入っていて、頬が少しだけ上気している。

 

「一班は面白いわよー」

 

 開口一番それだった。

 

「面白い、でまとめないで」

 

 エリンが釘を刺す。

 

「ちゃんと話すわよ」

 

 ペルシアは笑ったまま続ける。

 

「基礎はほんとによく入ってる。歩き方と姿勢は見事。そこはエリンの執念が実ったって感じ」

 

「それで?」

 

「ただ、荷物対応と乗り入れはまだ“仕事してる感”が抜けないのよね」

 

 その言い方に、エリンも内心で頷いた。

 

「でも、人との距離を詰める感覚は思ったより早く入るかも。特にクミコとミドリは伸びる。ハズキは華があるけど焦ると全部速くなる。サリーは人を見る目がいい。マユはまだ“見られている自分”に慣れてない」

 

 エリンはその分析を頭の中で整理しながら聞いていた。

 細かい表現は雑でも、見るべきところはちゃんと見ている。それがペルシアだ。

 

「最初の五人、いけると思う?」

 

 エリンが聞く。

 

 ペルシアは少しだけ真顔になった。

 

「いけるわよ」

 

 その言葉に迷いはなかった。

 

「完璧じゃない。でも、エリンと私が乗るなら大丈夫。むしろ今ここで現場見せない方が、変に固まる」

 

 エリンは、その言葉で少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。

 自分の判断は間違っていない。

 それを、信頼している相手に言葉で返してもらえるのは大きかった。

 

 マユミが、そんな空気を見てニヤリと笑う。

 

「それにしても、エリンがここまで本気になるとはねぇ」

 

「何よそれ」

 

「だって、会社一個まるごと立て直そうとしてるじゃん」

 

 エリンは眉を寄せる。

 

「そこまで大げさじゃないわよ」

 

「大げさじゃありませんよ」

 

 今度はフレデリックだった。

 彼は少しだけ口元を和らげながら、しかし言葉自体ははっきりとしている。

 

「外から見れば、かなり本気です」

 

 フレイも黙って頷いた。

 ガーネットも否定しない。

 リュウジも、何も言わないが視線だけは同意している。

 

 エリンは少しだけ言葉に詰まり、グラスを持ち上げた。

 冷えたビールが喉を落ちる。

 

 確かに本気だ。

 自分でも分かっている。

 

 スペースホープはもう、ただの出向先ではなくなっていた。

 ここで働く人間達が、自信と誇りを取り戻そうとしている。その姿を見てしまった以上、中途半端なところで手を離すつもりにはなれない。

 

 ペルシアが、それを見透かしたように笑う。

 

「まぁでも、エリンらしいっちゃらしいわよ」

 

「何が?」

 

「自分のことは後回しで、人の会社まで背負い始めるところ」

 

「背負ってないわよ」

 

「背負ってるわよ」

 

 ペルシアは即答した。

 

「でも、その顔してる時のエリン、嫌いじゃない」

 

 その言葉に、エリンは一瞬だけ黙る。

 マユミが面白そうに見守り、フレデリックが微笑みを浮かべ、フレイは静かにお茶を飲む。ガーネットはどこか柔らかな表情で、リュウジだけは一見いつも通りだが、目元がほんの少しだけ緩んでいた。

 

 エリンは小さく息を吐いた。

 

「……明日から本番よ」

 

 その一言で、場の空気がまた少しだけ引き締まる。

 

「最初の便で全部が決まるわけじゃない。でも、最初の便で空気は決まる。だから崩したくない」

 

「大丈夫です」

 

 今度は、リュウジがはっきりと言った。

 しかもエリンに向けて、きちんと敬語だった。

 

 全員の視線が向く。

 

「エリンさんとペルシアが乗るなら、崩れません」

 

 短い。

 けれど、その言葉の重みは十分だった。

 

 ペルシアが嬉しそうに笑う。

 

「でしょ?」

 

「お前が調子に乗るな」

 

 リュウジが即座に返す。

 敬語はエリンに対してだけで、ペルシアにはいつも通りだ。その差が分かりやすくて、場にまた少し笑いが戻る。

 

 ガーネットも静かに言った。

 

「最初の便は、きっと大変です。でも、一番いい経験になると思います」

 

 エリンはその言葉に頷いた。

 

「そうね」

 

 それから全員を見回す。

 

「だから、今日はもうほどほどにしておきましょう。明日に備えて」

 

「えー、もう少し飲みたい」

 

 案の定、ペルシアが不満そうに言う。

 

「駄目。貴方、明日副パーサーで乗るんだから」

 

「分かってるわよ」

 

「分かってなさそう」

 

「失礼ね」

 

 そんなやり取りに、皆が少しだけ笑う。

 

 明日から、いよいよ本番だ。

 訓練ではない。

 現場だ。

 

 それぞれの胸の内に、緊張も不安もある。

 それでも、ここまで来たのだ。

 

 エリンは小さくグラスを持ち上げ、もう一度だけ全員を見た。

 

 ペルシア。

 ガーネット。

 フレデリック。

 マユミ。

 フレイ。

 リュウジ。

 

 自分一人では、ここまで来られなかった。

 この面々がいたからこそ、スペースホープはようやく“動き出す場所”まで辿り着いたのだ。

 

 明日の便が、その最初の証明になる。

 

 失敗はあるだろう。

 綺麗にはいかないだろう。

 それでも。

 

 エリンは静かに思った。

 

 ここから先は、もう前に進むしかないのだと。

 

 

ーーーー

 

 

  初フライト当日の朝は、まだコロニーの人工空が淡い青を保っている時間から始まった。

 

 スペースホープの旅行事業部に配属されているクミコ、ハズキ、ミドリ、サリー、マユの五人は、いつもよりずっと早く会社へ来ていた。早く来たからといって何か特別にできるわけではない。むしろ準備自体は前日のうちにほとんど整えてあり、制服も、靴も、髪型の確認も、持ち物も、すべて一通り点検してある。それでも、家でじっとしている方が落ち着かなかったのだ。

 

 誰もが緊張していた。

 

 初めての本物のフライト。

 初めての本物の宇宙船。

 初めての、本当にお客様を乗せた定期便。

 

 しかも今回は、ただ見学に行くのではない。スペースホープの乗務員として、実際にその場に立ち、動き、空間を支える側として搭乗するのだ。シュミレーションルームの中で何度も歩き、何度も姿勢を正し、何度も声を出し、何度もやり直してきた。だが、それらが今日からは全部“練習”ではなくなる。

 

 更衣室で制服に着替える時、クミコの指先は少し震えていた。

 

 襟を整え、スカーフの位置を直し、袖口を確認する。鏡の前に立つと、そこには見慣れた自分の顔があるはずなのに、今日はやけに他人みたいに見えた。宇宙船の乗務員の制服を着た自分。少し大人びて見えるその姿に、誇らしさよりも先に「本当に私がこれを着ていいのかな」という戸惑いが来る。

 

「クミコ、曲がってる」

 

 隣から声がして、びくりと肩が跳ねた。

 

 ハズキだった。彼女も制服姿になっている。いつもなら明るくてよく喋るハズキも、今日は声が少しだけ固い。

 

「え、どこ?」

 

「スカーフ。ほら、こっち」

 

 ハズキが手を伸ばして、クミコの首元を整える。ハズキの指先も、少し冷えていた。

 

「ありがとう」

 

「ううん。……私も、たぶん変」

 

「見てあげる」

 

 お互い様だった。

 そうして二人で整え合っていると、少しだけ呼吸が落ち着いた。

 

 少し離れたところでは、ミドリが鏡に向かって無言で姿勢を確認していた。背筋を伸ばし、肩の位置を調整し、顎を引く。歩き方と姿勢を叩き込まれた二週間が、もはや身体の癖になっている。だが、今日はその癖すら信用できないような気がして、何度も何度も確認してしまう。

 

 サリーは、控えめに深呼吸を繰り返していた。

 彼女は人の様子を見るのがうまい。だからこそ、周囲が緊張していることも、自分が緊張していることも、全部分かってしまう。分かってしまうから余計に身体が固くなる。自分だけならまだしも、今日は五人一組で動くのだ。誰か一人が崩れると全体に波及する。そのことを知っているからこそ、必死に呼吸を整えていた。

 

 マユは、髪をまとめた手を一度ほどいて、もう一度結び直していた。

 手順はもう分かっている。鏡の前にいる自分も一応は整って見える。けれど、“これで本当にいいのか”という気持ちが抜けない。練習ではなく本番だと思うと、少しでも何か足りないのではないかと不安になる。

 

 そうして五人が、それぞれのやり方で自分を落ち着かせようとしていた時、更衣室の扉が開いた。

 

「準備できた?」

 

 入ってきたのはエリンだった。

 すでに制服姿で、髪もきっちりとまとめられている。その立ち姿だけで空気が変わる。何度見ても、やはりこの人は現場の人だと分かる。

 

「は、はい」

 

 声が綺麗に揃わない。

 誰の返事も少しずつ緊張していた。

 

 エリンはそんな五人を見て、ほんの少しだけ目元を和らげた。

 

「うん。緊張してるわね」

 

 図星すぎる一言に、五人とも言葉が出なくなる。

 

「いいのよ」

 

 エリンは静かに言った。

 

「初めての現場で緊張しない方が怖いから」

 

 その言い方に、不思議と少しだけ胸が軽くなる。

 緊張していることを責められるのではない。むしろ、それが当然だと認めてもらえたからだ。

 

「ただし、緊張していることを隠そうとしないこと。隠そうとすると、余計に身体が固くなる。深呼吸して、姿勢を整えて、それでも緊張してるならそのままでいい」

 

 エリンは一人ひとりの顔を見て言った。

 

「今日は、完璧にやるために行くんじゃない。現場の空気を知るために行くの。もちろん仕事はするし、手も抜かない。でも“完璧でいなきゃ”って思いすぎると、何も見えなくなる」

 

 その言葉を、五人は真剣な顔で聞いていた。

 

 そこへ更衣室の外から、軽いノックの音がした。

 

「おっはよーう。新人五人組、ちゃんと生きてるー?」

 

 その声で、場の空気が一瞬だけ変わる。

 ペルシアだった。

 

 エリンが半ば呆れた顔で扉を開けると、そこには同じく制服姿のペルシアが立っていた。臨時の副パーサーとして同行するだけあって、彼女もまた仕事の顔をしている。だが、エリンと違ってそこにあるのは、切れ味の鋭さよりも先に、人の肩の力を抜かせる明るさだった。

 

「何その顔。今から死地に向かうみたいじゃない」

 

「それに近い気分です……」

 

 ハズキが思わず本音を漏らすと、ペルシアは吹き出した。

 

「正直でよろしい。でも安心しなさい。今日はエリンも私もいるから、宇宙船がひっくり返ってもどうにかなるわよ」

 

「ひっくり返る前提で言わないで」

 

 エリンがすぐに突っ込む。

 

「例えよ例え。まったく細かいなぁ」

 

 そのやり取りに、五人の口元がわずかに緩んだ。

 それを見て、ペルシアは満足そうに頷く。

 

「よし。ちょっとは人間っぽい顔になったじゃない」

 

 そして、五人をぐるりと見回す。

 

「いい? 今日の目標は、“ちゃんと帰ってくること”。これ、冗談じゃなく大事だからね」

 

 急に声音が変わる。軽い調子のままなのに、言葉だけはまっすぐ胸に入ってくる。

 

「すごいことをやろうとしなくていい。知らないことは勝手に判断しない。分からないなら聞く。無理そうならすぐに振る。抱え込まない。これ守れれば、十分合格」

 

 クミコたちはこくこくと頷いた。

 

「返事」

 

「はい!」

 

 今度は少しだけ揃った。

 

 エリンはそれを見て小さく頷く。

 

「じゃあ、行きましょう」

 

 

 ブリーフィングルームは、定期便を運航する会社の乗務員達がすでに待機している場所だった。

 

 宇宙港の乗務員区画の一角にあるその部屋は、想像していたよりもずっと実務的だった。壁には便の情報が表示されたモニター、乗務員用の連絡端末、簡易なチェックリストの一覧が並び、中央にはテーブルと椅子が整然と配置されている。華やかさはない。だが、その無駄のなさが逆に“本物の現場”を感じさせた。

 

 そこへ案内されるまでの通路で、クミコ達五人は、目に映るものすべてに圧倒されていた。

 

 すれ違う乗務員の歩き方。

 遠くで聞こえる機内アナウンスの音。

 搭乗時刻を告げる表示板。

 整備担当や地上係員達の、迷いのない動き。

 

 今までシュミレーションでしか見てこなかったものが、全部本物の速度で回っている。

 

 ブリーフィングルームの扉の前で一度立ち止まり、エリンが後ろを振り返った。

 

「深呼吸」

 

 小さく言う。

 

 五人は一斉に息を吸った。

 吐く。

 それでも心臓は速いままだったが、少なくとも足元の感覚が少し戻る。

 

 扉が開く。

 

 中には、今回定期便を担当する会社の乗務員達がすでに集まっていた。

 人数はそれほど多くない。だが、その一人ひとりが“慣れている人間”の空気を纏っている。無駄に騒がず、けれど固すぎもしない。必要な緊張感の中で、それぞれが自分の役割を理解して待機しているのが分かった。

 

 クミコ達五人は、その視線を浴びた瞬間、さらに身体が固くなるのを感じた。

 自分達が見られている。

 それも“新人”としてではなく、“今日から一緒に飛ぶ乗務員”として。

 

 そこへ、定期便側のチーフパーサーが入ってきた。

 

 四十代ほどの女性だった。

 髪はきっちりとまとめられ、姿勢にまるで揺れがない。笑みはあるが、仕事の場に必要な線を絶対に越えない種類の人だと一目で分かる。目線は柔らかいのに、隙がない。長く現場に立ってきた人特有の、静かな存在感があった。

 

 その姿を見た瞬間、エリンはすぐに一礼する。

 

「初めまして。本日はよろしくお願いします」

 

 その動きの綺麗さに、クミコ達は思わず息を呑んだ。

 何度も見てきたエリンの所作のはずなのに、こうして本物の現場で見ると、また別のものに見える。

 

 チーフパーサーは、穏やかな笑みを浮かべてエリンへ声をかけた。

 

「エリンさん、初めまして」

 

「本日はよろしくお願いします」

 

 エリンがもう一度、丁寧に言う。

 

 チーフパーサーは、ほんの少し目を細めた。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。十全十美のエリンさんと同じ宇宙船に乗れるとは光栄です」

 

 その言葉に、クミコ達五人だけでなく、後ろにいた他の乗務員達もわずかに空気を動かした。

 十全十美。

 それは明らかに最大級の賛辞だった。

 

 だが、エリンは少しも浮かれた様子を見せなかった。

 

「そんな大したことはありません」

 

 きっぱりと、しかし角のない声で返す。

 

 それから、五人の方へ軽く手を向けた。

 

「それから本日、スペースホープから六人連れてきています」

 

 その言い方は、エリン自身を除いた人数だった。

 つまり、新人五人と、臨時副パーサーとして乗るペルシア。

 

「よろしく~」

 

 そこで、緊張感を一気に削るように軽く手を上げたのがペルシアだった。

 

 その一言と仕草に、クミコ達は一瞬だけ現実へ引き戻される。

 ああ、ペルシアはいつでもペルシアだ、と。

 

「こら、ペルシア!」

 

 エリンがすぐに叱責する。

 

「あはは」

 

 ペルシアが苦笑いを浮かべる。

 

「だって堅いんだもん」

 

「堅くなる場面でしょ」

 

「はーい」

 

 そのやり取りに、定期便側のチーフパーサーがふと目を瞬かせた。

 

「今、ペルシアって言いました?」

 

 その問いに、エリンが小さく頷く。

 

「え、ええ。今回の四日間のフライトだけですが、臨時で搭乗してもらいます」

 

 チーフパーサーの顔に、驚きと、そして明らかな敬意が浮かぶ。

 

「そうでしたか。エリンさんだけでなく、伝説の副パーサー、ペルシアさんともご一緒できるなんて」

 

 その言葉に、ペルシアがぱっと嬉しそうな顔になった。

 

「ねぇ、聞いた?」

 

 すぐ隣にいたクミコへ身を寄せる。

 

「私、伝説の副パーサーだって」

 

 クミコは目をぱちぱちさせるしかない。

 それでも、なぜかその言葉に嘘っぽさはなかった。目の前のチーフパーサーが本気でそう言っているのが分かったからだ。

 

「ペルシア、調子に乗らない」

 

 エリンがまた釘を刺す。

 

「はーい」

 

 返事は軽い。

 だが、その軽さがこの場ではむしろありがたかった。張り詰めた空気の中で、クミコ達は少しだけ呼吸を取り戻すことができたからだ。

 

 エリンはそこで、改めて姿勢を正した。

 

「本日は、我々がチーフパーサーの下で働きます。どうかよろしくお願いします」

 

 そう言って、頭を下げる。

 

 その言葉は重かった。

 

 “働きます”――。

 つまり今日の便では、スペースホープ側が客として乗るのではなく、完全に“下につく側”として現場へ入るということだ。学ばせてもらう立場であり、任せてもらう立場でもある。

 

 クミコ、ハズキ、ミドリ、サリー、マユの五人は、そのやり取りを見ながら唾を飲み込んでいた。

 

 やっぱりこの二人は、凄い人だったのだ。

 

 今までもそう思っていた。

 エリンが厳しいこと。

 ペルシアが器用で、空気を掴むのがうまいこと。

 それは三日間一緒にいて嫌というほど分かった。

 

 でも、それはあくまで“自分達に教えてくれる凄い人”という範囲でしかなかった。

 今、目の前で起きているのは、それよりもっと広いものだった。

 

 他社のチーフパーサーが、エリンを称賛する。

 ペルシアを“伝説の副パーサー”と呼ぶ。

 しかもそれが、お世辞でも何でもなく、本気の敬意として向けられている。

 

 ミドリはそこでようやく気づいた。

 自分達がこの数日、一緒にいて、叱られ、笑われ、教わってきた相手は、ただ教え方がうまい人たちではない。宇宙船の中で本当に空気を支えてきた、本物の現場の人間なのだ。

 

 サリーは手のひらの中で指先をそっと握る。

 怖い。

 やはり怖い。

 でも、それと同時に少しだけ誇らしかった。

 

 こんな人達の下で飛べるのだ。

 初めての便が、この人達と一緒なのだ。

 それは不安よりも先に、もう一歩だけ前へ出させてくれるような事実だった。

 

 ハズキは相変わらず落ち着きなくきょろきょろしそうになる自分を必死で抑えていた。

 ここで子供みたいに浮かれてはいけない。

 そう分かっているのに、胸の奥はずっとざわざわしている。

 

 マユは、気づけば背筋を伸ばしていた。

 さっきまで“制服を着た自分”がどこか借り物みたいに感じていたのに、今は少しだけ違う。まだ馴染んではいない。けれど、ここに立っていてはいけないわけではないと、ようやく思えた。

 

 クミコは五人を代表するような気持ちで、小さく呼吸を整えた。

 

 怖い。

 けれど、逃げたくはない。

 

 チーフパーサーは、そんな五人の様子も見ていたのだろう。柔らかな声で言った。

 

「そんなに固くならなくて大丈夫ですよ」

 

 その一言で、五人が一斉に顔を上げる。

 

「初便の緊張は、誰でも同じです。私も最初は手が震えました」

 

 意外だった。

 目の前にいるこの人が、そんなふうに言うとは思わなかったのだ。

 

「でも、分からないことを分からないと言える人は、強いです。今日一日、無理に背伸びしなくていい。その代わり、見て、聞いて、吸収してください」

 

「はい……!」

 

 クミコ達の返事は、さっきより少しだけまとまっていた。

 

 エリンはその様子を見て、ほんのわずかに目元を和らげた。

 声に出して褒めはしない。

 だが、ちゃんと届いているのが分かる。

 

 ブリーフィングはそこから本格的に始まった。

 

 便名。

 出発時刻。

 搭乗予定人数。

 客層。

 特記事項。

 通路の混みやすいポイント。

 今日の運航で注意すべきこと。

 

 チーフパーサーが話すたび、エリンとペルシアは余計な口を挟まずに聞いていた。必要なところだけ短く確認し、あとは五人にまず聞かせる。その姿勢そのものが、“今日は教える側であると同時に、学ばせる側でもある”ことを示していた。

 

 クミコ達は必死でメモを取る。

 字が少し震えていた。

 それでも、誰もペンを止めなかった。

 

 途中で、乗務員の配置表が配られる。

 そこに自分の名前がある。

 それだけで、また現実味が増す。

 

 マユが小さく息を吸った。

 ハズキは思わずメモ用紙を持つ手に力を入れた。

 ミドリは何度も配置表とチーフパーサーの説明を見比べる。

 サリーは耳を澄ませながら、周囲の流れも見ようとしていた。

 クミコは自分の胸の鼓動を、何とか一定に保とうとしている。

 

 エリンは、そんな五人の様子を横目で見ながら思った。

 

 大丈夫。

 まだ完璧じゃない。

 でも、ここに立つだけの下地は、もうある。

 

 そしてペルシアは、どこか楽しそうに笑みを浮かべていた。

 この緊張も、圧も、全部ひっくるめて“フライト前の空気”なのだと知っている人の顔だった。

 

 やがてブリーフィングが一通り終わる。

 

 チーフパーサーが資料を閉じ、全員を見渡した。

 

「それでは、今日一日よろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

 声が重なる。

 

 その瞬間、クミコ達五人の胸の中で、何かが静かに切り替わった。

 

 もう、始まるのだ。

 訓練ではなく、本当に。

 

 椅子が引かれ、皆が立ち上がる。

 エリンとペルシアも、それぞれ自然な動きで支度に入る。

 

 クミコはその二人を見た。

 やっぱり凄い人達だと思った。

 いや、凄いという言葉だけでは足りない。

 

 この人達がいるから、空気が整う。

 この人達が前に立つと、怖いのに、どこか安心する。

 それはたぶん、技術や経験だけではなく、“戻る場所を作ってくれる人”だからなのだろう。

 

 そして今日、その後ろに自分達も立つのだ。

 

 ハズキが小さく呟く。

 

「……行くんだね」

 

 誰にともなく漏れた声だった。

 

 ミドリがこくりと頷く。

 

「うん」

 

 サリーは深呼吸をして、少しだけ笑った。

 

「ちゃんと帰ってこよう」

 

 それは、ペルシアが更衣室で言った言葉だった。

 

 マユも、小さく、でも確かに頷く。

 

 クミコは制服の裾をそっと整え、前を向いた。

 

 怖さは消えない。

 けれど、それでも。

 

「はい、スペースホープ組」

 

 ペルシアが振り返って声をかける。

 その顔には、いつもの軽さの奥に、しっかりと仕事の熱が宿っていた。

 

「置いていかれたくなかったら、ちゃんとついてきなさい」

 

「はい!」

 

 今度の返事は、これまでで一番揃っていた。

 

 エリンはその声を背中で聞きながら、静かに歩き出す。

 

 初フライトが、いよいよ始まろうとしていた。

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