全ての定期便が終わり、エリンもペルシアもスペースホープへ戻ってきた。
四日間、三便ずつ。
最初は一フロアを任されるだけでも重すぎる責任に思えたが、終わってみれば、その短い期間が旅行事業部に残したものはあまりにも大きかった。
定期便へ出た乗務員は、誰もが何かを持ち帰った。
それは単なる疲労ではない。
もちろん、足の重さや喉の乾きや、立ちっぱなしで張った腰の痛みもある。だが、それ以上に大きかったのは、実際の宇宙船の中で自分が何を見て、何が見えていなかったのかという感覚だった。
乗客の目線。
通路の詰まり方。
荷物の収まり方。
声をかける順番。
不安そうな沈黙。
急ぎ足の気配。
そして、そのすべてを、静かに、けれど確実に整えていくエリンとペルシアの背中。
定期便に乗った者達は、戻ってくるたびに「凄かった」と言った。
誰もが、口を揃えて言った。
エリンさんが凄かった。
ペルシアさんが凄かった。
あの二人の連携は、見ないと分からない。
同じ便に乗れば分かる。
それは最初の五人だけの感想ではなかった。
二組目も、三組目も、最後に乗ったミラとランでさえも、まるで初めて見たみたいな顔でそう言ったのだ。
そして、その定期便もとうとう終わり、特別講師達がスペースホープを離れる日が来た。
朝の旅行事業部のフロアには、いつもより少しだけ重たい空気が流れていた。
誰もが出社はしている。
挨拶も返ってくる。
机の端末もいつも通り起動する。
だが、どこか落ち着かない。そわそわしていて、視線の置きどころが定まらない。理由はみな分かっていた。
今日で、特別講師達が終わる。
マユミは総務部へ入り、乱れていた申請と在庫管理の流れに骨を通した。
フレイは財務部へ入り、数字を“処理するもの”から“会社の呼吸を見るもの”へ変えた。
フレデリックは広報部へ入り、見せることと伝わることの違いを叩き込んだ。
リュウジはパイロット達へ、操縦だけでは足りないという厳しい現実を見せつけた。
そしてペルシアとガーネットは、旅行事業部に入り、乗務員達の身体と意識そのものを変えていった。
その日々が、今日で一区切りになる。
エリンは、いつもの時間にフロアの前方へ立った。
その横にはペルシア、ガーネット、少し離れてリュウジの姿もある。
乗務員達が自然と視線を向ける。
エリンは一人ひとりの顔を見てから、静かに口を開いた。
「それじゃあ、今日で特別講師の皆んなは終わりになります」
その一言が落ちた瞬間、フロアのあちこちから、抑えきれないような声が漏れた。
「えぇー……」
「もうですか」
「寂しいです」
「残念すぎる……」
思わずこぼれたような、惜しむ声だった。
それを聞いてペルシアはどこか嬉しそうに口元を緩めたが、エリンはすぐに手を軽く上げた。
「はい、落ち着いて」
その声で、皆が少しだけ姿勢を戻す。
エリンはごく自然に続けた。
「だから今日の訓練はとことん厳しくしてあげてね。ガーネット、ペルシア」
その言い方があまりにもあっさりしていて、一瞬、乗務員達は意味を理解できなかった。
だが次の瞬間、ガーネットがいつも通りに背筋を伸ばして答える。
「分かりました」
さらに、ペルシアがにやりと笑った。
「オッケー。足腰立たせなくしてあげる」
その言葉に、乗務員達の顔が一斉に引きつった。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「最後の日にそれ!?」
「普通、優しく終わる流れじゃないんですか!?」
ハズキが半ば悲鳴みたいに言うと、ペルシアはけらけらと笑う。
「甘いわねぇ。最後だからこそでしょ」
「そんな“最後の晩餐”みたいな言い方で言わないでください!」
クミコが真顔で言い返す。
だが、エリンはそこへさらに追い打ちをかけるように、穏やかに微笑んだ。
「それじゃあ、いつも通りに頑張りましょう」
その“いつも通り”が、今の旅行事業部には十分重かった。
結局、誰も反論できないまま、それぞれが動き出す。
ガーネットが二班を連れていく。
ペルシアが一班を引き連れていく。
リュウジは、今日は残っているパイロット二人に視線を送り、「行くぞ」とだけ短く言って連れていった。
フロアが一気に静かになる。
エリンはその様子を少し見届けてから、自分も歩き出した。
◇
エリンが最初に訪れたのは、ガーネットが訓練をしている二班のシュミレーションルームだった。
扉を開ける前から、中の空気が以前とは違うことは分かっていた。
足音の運び。
返事の間。
人が動く時に生まれる空気の揺れ方。
何も見なくても、以前の“ただ指示を待つだけの訓練”ではなくなっているのが伝わってくる。
エリンは静かに扉を開け、中へ入った。
そこには、初めてこの会社に来た時に見た光景とは、もはや比べものにならないほど動いている乗務員達がいた。
座席誘導の位置取り。
荷物対応の間合い。
声をかける順番。
通路中ほどでの流れの繋ぎ方。
すべてが完璧というわけではない。まだ粗さもあるし、判断の遅れや、詰めの甘さも残っている。だが、それでも“何を見て動いているのか”が以前よりはるかに分かる動きになっていた。
訓練の様子を見ていたガーネットの横に、エリンがそっと並ぶ。
「訓練はどう?」
エリンが小さく声をかけると、ガーネットは視線だけで乗務員達の方を示した。
「見ての通りです」
その答えに、エリンは自然と口元を緩めた。
「初フライトがいい刺激になったようね」
ガーネットはすぐには頷かなかった。
少しだけ間を置いてから、静かに言う。
「フライトだけではありません」
エリンが横目で彼女を見る。
「エリンさんとペルシアが見せた背中が、刺激になってるんです」
その言葉に、エリンはほんの少しだけ目を瞬かせた。
「……皆んな、ちゃんと見てくれてたんだね」
自分で言うのもおかしいが、どこか照れくさい気持ちが混ざっていた。
ガーネットはそれを見て、少しだけ目を和らげる。
「当たり前です。帰ってくるなり、エリンさんが、ペルシアが凄かったと毎日、大騒ぎでしたから」
その“毎日”という部分に、エリンは思わず苦笑した。
「なんか恥ずかしいわね」
「でも、その声を上手く拾ってくれたから、乗務員達はただ浮かれるだけでなく、次に繋げようと頑張ってる」
エリンがそう言うと、今度はガーネットの方が少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「それこそ、なんか恥ずかしいです」
その反応が珍しくて、エリンはふふっと笑みを漏らした。
少しだけ和んだ空気の中で、訓練は続く。
前方の乗り入れ。
荷物対応。
途中であえて入れられた想定外の変更。
それらに対する乗務員達の反応を見ながら、エリンは改めて感じていた。
やっと、ようやく、本当にやっと。
この子達はスタートラインに立ったのだと。
だからこそ、エリンは尋ねる。
「それで、ガーネットから見てこの子達はどう?」
ガーネットはしばらく乗務員達を見つめたまま、やがて言った。
「ようやくスタートラインに立った、という所でしょうか」
その言葉に、エリンはすぐ頷いた。
「ええ、私も同じ見解。まだまだ足りない所だらけだけど、確実に前には進んでいる」
「はい、私もそう思います」
だが、ガーネットの表情はそこで終わらなかった。
むしろ、次に続く言葉の方が大事だと言いたげに、少しだけ真剣さを深める。
「ですが、問題はまだあります」
「……ええ」
エリンもすぐに表情を引き締めた。
そこにあるのは、甘い期待ではなく、現実の話だ。
ガーネットははっきりと言う。
「旅行フライトの仕事が来るまでの間に、全体を見れるミラやランのような乗務員が最低でも後、二人は必要です」
その言葉は重かった。
けれど、エリンにとっては既に分かっていた問題でもある。
「分かってる」
エリンは静かに答える。
「副パーサークラスの乗務員に育てるには、経験が圧倒的に足りない」
「はい、私もそう思います」
ガーネットは頷く。
訓練だけでは届かない。
現場が必要だ。
だが現場の数には限りがある。
その間に、どれだけ実地に近い感覚を積ませ、判断を外へ出せる人材を増やすか。そこが、次の大きな壁だ。
少しの沈黙。
だが、その沈黙を先に破ったのはエリンだった。
「だから、諦めると思う?」
その問いに、ガーネットは一瞬だけ驚いたようにエリンを見た。
エリンの横顔は、真剣だった。
だが、その真剣さは重く沈んだものではない。
むしろ、まだやることがあると分かっている人間の顔だ。
その表情を見た瞬間、ガーネットは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「思いません」
即答だった。
エリンもまた、ごく自然に言う。
「仕事をしながら育てるわ」
難題であることは分かっている。
時間も足りない。
人数も足りない。
環境だって整いきってはいない。
それでも、止まるという選択肢は彼女の中にない。
ガーネットは、その言葉に心から頷いた。
「エリンさんらしいです」
エリンは少しだけ肩の力を抜くように息を吐いた。
「それじゃあ、私は行くね」
「あ、その前に、一つ教えていただきたい事が」
ガーネットが声をかける。
エリンが振り返る。
「なぁに?」
「どうして今回のフライトでは、ペルシアを同行させたのですか?」
その質問は、もっともだった。
エリン自身が前へ立つのは分かる。
だが、定期便に同行させる補佐が必要なら、ガーネットという選択肢もあったはずだ。
緊急時の対応や、静かな支え方という意味では、むしろ彼女の方が向いている場面もある。
だがエリンは、その問いに全く迷わなかった。
「そんなの簡単よ」
即答だった。
ガーネットは少し身を乗り出すように待つ。
エリンはごく真面目な顔のまま、言った。
「私とガーネットが定期便に行って、一人になったペルシアがちゃんと訓練やると思う?」
数秒、沈黙があった。
「……え?」
ガーネットの口から、思わずそんな間の抜けた声が漏れる。
エリンはさらに力強く続けた。
「絶対、やらないでしょ」
その断言には一片の迷いもなかった。
ガーネットは数回瞬きをしたあと、真剣にその場面を想像した。
ペルシア一人が訓練を任される。
最初は「やるわよー」と言いながら始まる。
でも気づけば雑談に流れ、関係ない話で盛り上がり、最終的に「今日の訓練は空気作りだから」とか何とか理屈をつける。
そして乗務員達もそれに巻き込まれて笑っている。
――あり得る。
いや、かなりの確率でそうなる。
「そうでしたか」
ガーネットは、妙に納得したように頷いた。
エリンもごく自然に頷き返す。
「だからペルシアを連れて行くしかなかったのよ。つまり、消去法ね」
「なるほど……」
理屈としてはひどく雑なのに、妙に筋が通っている。
ガーネットはそれ以上何も言えなかった。
エリンは満足したように微笑むと、今度こそシュミレーションルームを後にした。
◇
次にエリンが向かったのは、ペルシアが一班を見ているシュミレーションルームだった。
いや、正確には“訓練をしているはずの”シュミレーションルームである。
エリンは廊下を歩きながら、半分は諦めていた。
ガーネットの所では、ちゃんと訓練になっていた。
だが、ペルシアだ。
しかも今日は最終日。
乗務員達も寂しさと解放感で気が緩みやすい。
そうなると、嫌な予感しかしない。
シュミレーションルームの扉の前に立つ。
中から聞こえてくるのは、規則正しい足音や声掛けではない。
笑い声だった。
しかも一人二人ではない。
かなり盛り上がっている。
エリンは眉をぴくりと動かした。
そして、静かに扉を開ける。
案の定だった。
訓練ではなく、ただのおしゃべり会になっていた。
中央にペルシアが座っている。
その周りを囲むように、ミラ、クミコ、ハズキ、ミドリ、サリー、マユ、その他の乗務員達までが円になって笑っていた。椅子を適当に引き寄せた者もいれば、床に座り込んでいる者もいる。姿勢の確認も、動線の反復も、緊急時対応の想定も何一つやっている気配がない。
しかも、その話題がまた酷かった。
「それでねー、あの時のリュウジの顔がほんと面白くて」
ペルシアが腹を抱えて笑っている。
「えぇー、見たかったです!」
ハズキが目を輝かせる。
「訓練しないで話をしてるのエリンさんにバレたら怒られませんかね」
別の乗務員が、笑いながらも一応そんなことを言う。
ペルシアはそれに、いかにも大丈夫だという顔で手をひらひらさせた。
「大丈夫よ」
「本当ですか?」
「本当本当。これは定期便の反省会にしておけば大丈夫だから」
その“全てを聞かれているとも知らずに”言い切るところが、実にペルシアらしい。
ミラが少しだけ苦笑しつつも、「定期便の反省会でリュウジさんの顔の話になるのかな……」と小さく言う。だが、その声も結局笑いに紛れる。
クミコ達も最初は少し緊張していたのだろう。
けれど、ペルシアのテンポに巻き込まれれば、空気はあっという間に砕ける。
特別講師最終日というのもあり、どこか皆、浮かれていた。
エリンは、その光景を扉のところで数秒、無言で見つめた。
笑い声は続く。
誰一人気づかない。
そして。
「……へぇ」
ぽつりと漏れた一言は、小さかった。
小さいのに、部屋の空気を一瞬で凍らせるには十分だった。
笑い声がぴたりと止まる。
乗務員達が一斉に振り向く。
そこに立っていたのは、もちろんエリンだった。
にこりともしていない。
怒鳴ってもいない。
ただ、静かにそこに立っている。
それが一番怖かった。
「え、エリンさん……」
ハズキの声が裏返る。
ミラは額に嫌な汗がにじむのを感じた。
クミコ、ミドリ、サリー、マユも、それぞれ一気に姿勢を正す。
そして一番最初に反応したのは、やはりペルシアだった。
「あ、あれー? どうしたの、エリン」
明らかにわざとらしい声である。
エリンはゆっくりと部屋の中へ入ってきた。
歩幅は一定。
足音は静か。
けれど、その一歩ごとに乗務員達の背筋が伸びていく。
「どうしたの、じゃないわよね?」
声は穏やかだった。
穏やかなのに、逃げ場がない。
「これは何?」
誰も答えられない。
ペルシアが最初に口を開く。
「えっと……ほら、定期便の反省会?」
その瞬間、乗務員達の半分が心の中で“終わった”と思った。
エリンは一拍置いてから、にっこりと、しかし全く目が笑っていない笑顔を作った。
「定期便の反省会」
「う、うん」
「へぇ」
その“へぇ”が、さっきよりもずっと怖い。
「それで、リュウジの顔がどうしたの?」
ペルシアの表情が固まる。
「……聞いてた?」
「聞いてたわよ」
エリンは一歩前へ出た
その言葉に、乗務員達の顔色が一斉に変わった。
ハズキは目を閉じて何かを祈り始め、クミコは今にも立ち上がって頭を下げそうな勢いだ。ミドリは口を真一文字に結び、サリーは視線のやり場に困り、マユは完全に硬直していた。ミラでさえ「これはまずい」と全身で思っているのが分かる。
エリンはそんな面々をぐるりと見渡した。
「定期便の反省会、ね」
静かな確認。
それだけなのに、部屋の温度が二度ほど下がった気がする。
「だったら今ここで、全員、今日の定期便の反省を一人ずつ言ってみなさい」
「えっ」
小さく悲鳴を上げたのはハズキだった。
「今すぐ」
エリンが付け足す。
「ペルシアからどうぞ」
「私!?」
「当たり前でしょ。主犯なんだから」
即答だった。
ミラが小さく肩を震わせる。笑っているわけではない。巻き込まれる恐怖だ。
ペルシアは咳払いを一つしてから、妙に真面目な顔を作った。
「えっと、本日の反省はですね」
「その前に」
エリンが遮る。
「何分、おしゃべりしてたの?」
「……十分くらい?」
部屋のあちこちから「いやもっと」と思っている気配がした。
エリンはじっとペルシアを見る。
「三十分」
「そんなに!?」
「そんなに、よ」
エリンが言う。
「恐らく訓練始めてから十分で脱線してるわよね」
「……細かく把握してる」
「だいたい想像つくわよ」
そう言うと、エリンはくるりと乗務員達へ向き直る。
「はい、全員立って」
その声に、全員が反射的に立ち上がる。
「椅子を端に寄せて。今から訓練再開します」
「ええぇぇぇ!?」
今度は、乗務員達全員の声が綺麗に揃った。
「“ええぇぇぇ”じゃない」
エリンは容赦がない。
「特別講師最終日だからって、喋って終わると思わないこと」
「でも、でも、反省会って……」
クミコがか細く抵抗すると、エリンはすぐに言う。
「反省は動きで見せなさい」
その台詞が、妙に格好良くて、そして妙に理不尽だった。
ペルシアが横から助け舟を出そうとする。
「いやぁ、でも最終日だし? ちょっとくらい思い出話も――」
「ペルシア」
「はい」
名前を呼ばれただけで、声が小さくなる。
「足腰立たせなくしてあげるって、朝言ってたわよね?」
「言った……かも」
「じゃあ、責任持ってやりなさい」
その一言で、ペルシアは完全に逃げ道を失った。
「……みんな、ごめん」
両手を合わせて謝る。
だが、当然ながら乗務員達の視線は冷たい。
「ペルシアさんのせいじゃないです」
「いや、八割くらいペルシアさんのせいです」
「私たちも乗ったのが悪いけど」
「でも主犯はペルシアさんです」
好き放題言われている。
エリンはそれを聞き流しながら、きっちりと指示を出していく。
「一班、最初は定期便の乗り入れ想定。二班も今から合流。ガーネットにも来てもらう」
「え、ガーネットさんまで!?」
ミラが目を見開く。
「当然でしょ。どうせやるなら最後までやるわよ」
その言葉に、乗務員達の顔がさらに引き攣った。
数分後、ガーネットも呼ばれて合流した。
状況を聞いたガーネットは、珍しくほんの少しだけ目を丸くしたあと、すぐに理解したように頷いた。
「なるほど」
「なるほど、じゃないのよ」
ペルシアが抗議する。
「ちょっと喋ってただけじゃない」
「三十分も喋ってたなら、ちょっとじゃないわよ」
ガーネットが冷静に返す。
その正論に、ペルシアは反論できない。
そこからの訓練は、本当に容赦がなかった。
エリンは、普段以上に細かく止めた。
クミコの立ち位置が半歩前に出れば止める。
ハズキの声が少しでも浮けば止める。
ミドリの判断が遅れれば止める。
サリーが遠慮して様子を見るだけで終われば止める。
マユの表情が固まれば止める。
そして他の乗務員達にも同じように、流れの乱れ、視線の置き方、動きの迷いを一つずつ拾っていく。
ペルシアは、朝言った通り“足腰立たせなくしてあげる”を、本当にやる羽目になった。
「はい、そこもう一回!」
「えぇー!?」
「今の返事がもう駄目! 元気が足りない!」
「それは理不尽です!」
「理不尽じゃない! 疲れた時の返事に空気が出るの!」
「うわーん!」
ハズキが半泣きで叫び、クミコが「落ち着いて!」と横で支え、ミドリが「今のは確かにハズキが悪い」と静かに追い打ちをかけ、サリーが「とりあえず息を整えて」とまとめ、マユがその様子を見ながらもきちんと後方の動線確認を続ける。
その全部にエリンとガーネットの視線が入り、ペルシアは“主犯”として逃げ道を失ったまま前に立たされ続ける。
途中でミラがぼそっと呟いた。
「……特別講師最終日、絶対こうなると思ってた」
ランが隣で苦笑する。
「私も」
だが、その表情にはどこか安堵も混じっていた。
喋って終わるのではなく、最後までちゃんと厳しく締める。
それがエリンだし、結局はそれが一番彼女らしい。
やがて訓練が一区切りついた頃には、本当に皆の足が少し怪しくなっていた。
息は上がり、額には汗がにじみ、返事の音量も最初より確実に落ちている。
だが、不思議と空気は悪くなかった。
厳しく止められ、何度もやり直させられ、しかも途中で雑談をしていたことを思えば当然もっと重い空気になってもおかしくない。
それでも、誰も腐っていない。
むしろ、“最後までちゃんと見てもらった”という実感があった。
エリンは、全員を前に立たせて最後に言った。
「これで終わり」
乗務員達が、一斉に肩を落とす。
「特別講師として教えるのは、今日まで」
その言葉に、さっきまでの訓練の疲れとは別の静けさが落ちる。
ペルシアも、今はもうふざけていなかった。
ガーネットも、真っ直ぐに乗務員達を見ている。
「でも」
エリンは続ける。
「ここから先は、教えてもらう側じゃなくて、自分たちで繋いでいく側になるの」
誰も声を出さない。
「足りないものはまだ山ほどある。経験も、判断も、連携も、正直まだ全然足りない」
それは耳の痛い現実だった。
けれど、今の旅行事業部の誰も、その言葉から目を逸らさなかった。
「それでも、ここまで来た」
エリンの声が、静かに落ちる。
「だから、止まらないで。これからは、自分たちで見て、自分たちで拾って、自分たちで次に繋げなさい」
ペルシアがそこで、ようやく笑った。
「ま、たまには私のこと思い出してもいいけどね」
「たまにでいいんですか?」
ハズキが聞くと、ペルシアは少し考えるふりをした。
「毎日でもいいわよ」
その返しに、疲れきった乗務員達の中から小さな笑いが漏れる。
ガーネットも静かに言った。
「皆さんは、確実に前へ進んでいます。焦らず、でも止まらずに」
その言葉が、最後の締めとしてあまりにも彼女らしかった。
エリンは一人ひとりの顔を見た。
皆、疲れていた。
けれど、同時に、少しだけ誇らしそうでもあった。
厳しかった。
理不尽なほど止められた。
最後の最後で油断して、雑談で盛り上がって、それをこっぴどく叱られた。
それでも、こうして終わってみると、今日一日の全部が、きっとちゃんと残るのだろうと思える。
エリンはほんの少しだけ微笑んだ。
「お疲れさま」
その一言に、乗務員達の胸の奥で、何かが静かにほどけた。
特別講師達の時間は、そこで終わった。
けれど、終わったからといって、ここで止まるわけではない。
むしろ、本当の意味でのスタートはここからなのだと、旅行事業部の全員が、同じように感じていた。
ーーーー
特別講師としてスペースホープに入っていた面々が、各フロアでそれぞれ最後の別れを済ませたあと、会社のロビーには小さな人だかりができていた。
広報部の職員達はフレデリックの前で深々と頭を下げ、総務部の職員達はマユミに次々と声をかけている。財務部の面々も、フレイに対していつも以上に硬い姿勢で礼を述べていた。旅行事業部からは少し遅れて、ガーネットとペルシアを囲むように乗務員達が集まり、名残惜しそうに何度もお礼を繰り返している。
その光景を、エリンは少し離れた位置から静かに見つめていた。
最初にスペースホープへ来た時のことを思えば、こんなふうに、誰かが去ることを惜しんで人が集まる空気になるとは想像もしていなかった。あの頃のこの会社は、誰かが入って来ても、誰かが出て行っても、ただ静かに、乾いたように受け流していた。挨拶も薄く、感情も薄く、熱がそこに留まらなかった。
けれど今は違う。
誰かが教えてくれたこと。
自分達が変わっていく実感。
それを与えてくれた相手が去る寂しさ。
そういうものが、ちゃんとロビーの空気に残っている。
エリンは、それを見て、ほんの少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じていた。
最初にエリンのところへやってきたのは、総務部で散々暴れ回ったマユミだった。
「はいはい、そんな湿っぽい顔しない」
そう言いながらも、マユミ自身の目元も少しだけ柔らかい。
「こっちはこっちで楽しかったし、まだ完全に終わりってわけじゃないんだから。困ったら呼びなさいよ」
「ええ、ありがとう」
エリンが言うと、マユミはふっと笑った。
「でも本当、あんた無茶するよね。会社一個立て直す勢いで動くんだもん」
「そこまでじゃないわよ」
「いや、十分そこまでよ」
肩をすくめるように言って、マユミはエリンの肩をぽんと軽く叩いた。
「ま、やるなら最後までやりなさい。中途半端が一番格好悪いから」
「分かってる」
「ならいい」
短いやり取りだった。けれど、その言葉は妙にマユミらしくて、エリンは少しだけ笑みを深くした。
次に来たのはフレイだった。
彼女はいつも通り背筋を伸ばし、きっちりとした動作で一礼する。
「短い間だったけど、お世話になったわね」
「こちらこそ。助かりました、フレイさん」
「いえ。私がやったことは最低限よ」
エリンは苦笑する。
「その最低限がなかったら、財務は今もふわふわしたままでした」
「……そうであれば、来た意味はあったわね」
そう答えるフレイの口調は変わらず落ち着いている。だが、その表情はいつもより少しだけ和らいでいた。
「エリンも、無理をしすぎないようにしなさいね」
「耳が痛いですね」
「自覚はあるだね」
「ありますよ」
エリンが素直に言うと、フレイはわずかに目を細めた。
「だったら何も言わない。数字も人も、切れる前に手を打つのが一番だから」
「はい。覚えておきます」
それを聞いて、フレイはもう一度小さく頭を下げた。
フレデリックは、最後までどこか洒落た空気を崩さない人だった。
「名残惜しいですね」
そう言って、彼は少しだけ肩をすくめる。
「広報部も、ようやく自分達の言葉で話し始めたところです」
「でも、あとは自分達でやっていけます」
「そう願います」
彼はそう言いながら、ロビーの奥、旅行事業部の職員達が集まる方へちらりと視線を向けた。
「それにしても、面白い会社でした」
「面白い?」
「ええ」
フレデリックははっきり頷いた。
「壊れかけているのに、まだ完全には死んでいない。だから少し言葉を入れるだけで、ちゃんと反応が返ってくる。ああいう現場は嫌いではありません」
その言い回しがいかにも彼らしくて、エリンは小さく笑った。
「また必要なら呼ばせてもらいます」
「ぜひ。もっと格好いい見せ方を教えて差し上げます」
「今以上に派手にされても困りますけど」
「派手と伝わるは違いますよ」
きっちり敬語で返され、エリンは「はいはい」と苦笑しながら頷いた。
そして、ガーネットが歩み寄ってくる。
彼女は旅行事業部の乗務員達に囲まれて、何度も「ありがとうございました」と頭を下げられていた。その全部に丁寧に返したあとで、ようやくエリンの前まで来たのだ。
「お疲れ様」
エリンが言うと、ガーネットは少しだけ表情を和らげる。
「エリンさんも、お疲れ様です」
「最後まできっちりやってくれて助かったわ」
「私に出来ることをしただけです」
「その“出来ること”が、あの子達には必要だったのよ」
エリンがそう言うと、ガーネットはほんの少しだけ困ったように笑った。
「あの子達、本当に変わりました」
「ええ」
「でも、まだまだです」
「分かってる」
「それでも、前に進めると思います」
ガーネットのその一言に、エリンはしっかりと頷いた。
「私もそう思う」
ガーネットはそこで一度、きちんと頭を下げた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう」
その会話のあと、ようやくロビーの人の波が少しだけ引き、最後にペルシアがやってきた。
乗務員達に囲まれながらも、最後まで一番騒がしかったのはもちろん彼女だった。
「えー、もう終わり? 寂しくて泣いちゃう?」
「泣きます!」
「本当に寂しいです!」
「でも訓練は二度とあの量やりたくないです!」
口々に言われ、ペルシアがけらけらと笑う。
「ひどいわねぇ。でも、分かる」
「自分でも分かるんですか!?」
そんな調子で最後まで場をかき回していたペルシアだったが、エリンの前に立つと、さすがに少しだけ声の温度を落とした。
「じゃ、行くわね」
「ええ」
「で?」
「で、じゃないでしょ」
エリンが呆れたように言う。
「ちゃんと帰って、向こうでも真面目に仕事しなさいよ」
「なによそれ、母親みたい」
「貴方に言う時はそれぐらいでちょうどいいの」
「失礼ねぇ」
そう言いながらも、ペルシアはどこか嬉しそうだった。
エリンはそこで、ふと辺りを見回した。
全員いる。
マユミも、フレイも、フレデリックも、ガーネットもいる。
けれど、そこにひとりだけいない人間がいた。
「……リュウジは?」
エリンが問うと、ペルシアはあっさり言った。
「まだ教えてるのよ」
「え?」
「最後だからって張り切っちゃってるんじゃない? パイロット二人、さっき完全に魂抜けそうな顔してたもの」
それを聞いて、エリンは小さく息を吐いた。
呆れたようでいて、どこか納得している息だ。
「そうね。じゃあ後で呼んでくる」
ペルシアは「ふーん」と頷いてから、少しだけ真面目な目でエリンを見た。
「エリン」
「なに」
「頑張りすぎないように、はもう言わない」
その言い方に、エリンが少し目を細める。
「言っても無駄そうだし」
「そうね」
「だから、せめて倒れる時は誰かの目の前にして」
「物騒なこと言わないで」
「本気よ?」
そう言って、ペルシアはふっと笑う。
「ま、あんたなら何とかするんでしょ」
その言い方には、呆れと信頼が半分ずつ入っていた。
エリンは、少しだけ苦笑しながら答える。
「何とかするわよ」
「うん。そう言うと思った」
ガーネットも、フレイも、マユミも、フレデリックも、それぞれ短くエールを送ってロビーを後にしていった。
「総務の流れ、止めないでよ」
「数字は嘘をつきませんから」
「広報は“格好いい”より“伝わる”を忘れずに」
「必要なら、また呼んでください」
そんな言葉達が、ロビーの空気に少しずつ溶けていく。
エリンは、その背中を見送りながら、静かに頭を下げた。
「本当にありがとう」
最後の人影が自動ドアの向こうへ消えるまで、彼女はその場に立っていた。
◇
一方、その頃。
旅行事業部のフロアでは、ペルシアとガーネットを見送った余韻がまだ色濃く残っていた。
訓練で散々絞られたはずなのに、いざ本当にいなくなると、やはり寂しい。
あの騒がしさも、あの容赦のなさも、あの一言で空気を変えてしまう感じも、今日を境にしばらくは見られないのだと思うと、誰もが少しだけ気の抜けた顔になってしまう。
クミコは自分の席に座りながら、さっきまでのシュミレーションルームを思い出していた。
ハズキは机に突っ伏したまま「最後まで地獄だった……」と呟き、ミドリはそれでもメモだけはきっちり整理している。サリーは静かに水を飲み、マユは端末を開いては閉じ、まだ気持ちの置き場を探しているようだった。
ミラとランもまた、そんな空気を少し離れた位置から見ていた。
「静かになっちゃったね」
ミラがぽつりと言う。
「そうだね」
ランが柔らかく返す。
「でも、またすぐ慌ただしくなると思うよ」
「うん。そうだね」
そんな会話が交わされた直後、フロアの扉が開いた。
入ってきたのは、リュウジだった。
その瞬間、フロアにいた乗務員達の視線が一斉に集まる。
それも無理はない。特別講師として入っていた四日間、リュウジは基本的にパイロット達の方に付きっきりで、旅行事業部のフロアへ顔を出すことはそれほど多くなかった。しかも、彼はいるだけで空気を少し変えてしまう。整った顔立ち、無駄のない立ち姿、そして何より“S級パイロットのリュウジ”という肩書きが、まだ若い乗務員達にとってはどうしても特別に映るのだ。
だが本人は、そんな視線などまるで気にした様子もなく、いつも通りの歩幅でフロアへ入ってきた。
辺りを見渡し、少しだけ眉を寄せる。
どうやら探している相手がいないらしい。
その視線が止まった先にいたのが、ミラだった。
「ミラ」
「はい!」
反射的に返事をしてしまい、ミラは自分で少しだけ苦笑する。
だがそのまま立ち上がり、リュウジの方へ歩み寄った。
「エリンさん達は?」
リュウジが聞く。
相変わらず余計な前置きがない。
「エリンさんは、ペルシアさん達が帰るので見送りに行きましたよ」
ミラが答えると、リュウジは一瞬だけ目を細めた。
「そうか」
「てっきりリュウジさんも帰ったかと」
「そういえば、そんな時間だったな」
あまりにも自然に言うものだから、ミラは思わずくすっと笑ってしまう。
「もしかして、訓練してたんですか?」
「ああ」
リュウジはあっさり頷いた。
「最後だからやり過ぎた」
その言い方が妙にいつも通りで、ミラはまた笑う。
「リュウジさんは変わらないですね」
「そうか?」
「はい。そういうところ、昔と一緒です」
ミラがそう言うと、リュウジは少しだけ視線を逸らした。
照れたわけではない。
けれど、こういう話題の返し方に慣れていないのは昔から変わらなかった。
そのやり取りを、周りの乗務員達は聞いていた。
最初は“ミラがリュウジと普通に話している”ことに驚き、次に“昔と一緒です”という言葉に引っかかり、最後には一人がとうとう我慢できずに口を開いた。
「ちょ、ちょっと待って」
呼び止められたミラが振り返る。
「どうしたの?」
すると、その乗務員は信じられないものを見るような顔で言った。
「ミラさん、リュウジさんと知り合いなんですか!?」
一瞬、フロアがしんと静まる。
そして次の瞬間、あちこちから同じような声が上がった。
「えっ、知り合いなんですか!?」
「普通に話してた!」
「しかも“昔と一緒”って!?」
ミラはきょとんとした。
言われてみれば、確かに今のやり取りは、このフロアの乗務員達から見れば不思議だったのかもしれない。
「知り合いも何も……」
ミラは苦笑して言う。
「リュウジさんとは、ドルトムント時代に同じ班だったから」
「ええ!?」
その場の全員の声が、見事に揃った。
「なんで言ってくれないんですか!?」
「いや、言う機会なかったし……」
ミラが少し困ったように笑う。
すると、すぐ隣でランがくすっと笑った。
「ちなみに私もね」
それを聞いた乗務員達が、もう一度きれいに声を揃える。
「ええええ!?」
クミコに至っては、本気で目を見開いたまま数秒固まっていた。
「ランさんも!?」
「うん」
「嘘でしょ!?」
「嘘じゃないよ」
ランは穏やかな顔で頷く。
「ドルトムントの時、エリンさん、リュウジさんと同じ班だったから」
その事実は、若い乗務員達にとってはほとんど衝撃だった。
今まで身近にいたミラとランが、そんな“伝説みたいな班”の一員だったのだ。
その驚きの勢いのまま、クミコが突然ぴしりと背筋を伸ばし、リュウジの前でミラに頭を下げた。
「お、お願いします!」
あまりにも勢いがありすぎて、ミラが「え、え?」と困惑する。
「紹介してください!!」
その一言に、フロアの空気が一気に弾けた。
「私もお願いします!」
「サインほしいです!」
「写真もいいですか!?」
「一生の記念になります!」
気づけばクミコの声につられて、皆んなが頭を下げている。
ミラは完全に戸惑っていた。
「え、ええ? 紹介って、今ここにいるじゃない……」
ランも思わず苦笑する。
「たしかに」
リュウジ本人は、その騒ぎの中心にいながら、数秒だけ黙っていた。
どう反応するべきか本気で迷っている顔だった。
そしてその沈黙が、逆に周囲の期待を高めてしまう。
「だ、駄目ですか?」
「一枚だけでも……!」
ハズキが半ば祈るような目で見上げる。
リュウジはそこで、小さく息を吐いた。
それからミラを見る。
「……お前ら、いつもこうなのか?」
ミラは肩をすくめた。
「ここまでは、さすがに初めてかもです」
ランがやわらかく付け足す。
「でも、皆んな、特別講師の皆さんのこと本当に尊敬してますから」
その言い方に、リュウジは一瞬だけ目を伏せた。
尊敬、という言葉は彼にとって少し扱いづらいものなのだろう。
だが、次の瞬間には観念したように言った。
「……少しだけなら」
その一言で、フロアが歓声に包まれた。
「やったー!」
「ほんとに!?」
「ありがとうございます!!」
途端に色紙やら端末やら、どこから持ってきたのか分からないほどの勢いで集まり始める。クミコは色紙を二枚も持っていて、ハズキは撮影用に髪を整え始め、ミドリはなぜか列を整理しようとしている。サリーは「一人ずつにしよう」と落ち着かせ、マユは既に顔が赤い。
リュウジは完全に囲まれていた。
「押すな」
「す、すみません!」
「一人ずつ! 一人ずつで!」
「ミドリ、ありがとう!」
そんなわちゃわちゃした空気の中で、リュウジは思った以上にきちんと対応していた。
色紙には短く名前を書く。
写真は頼まれれば断らない。
ただし、無駄な笑顔はない。
それでも、断らないというだけで十分すぎるほどだった。
クミコは感激のあまり、写真を撮った直後に「家宝にします」と真顔で言い、ハズキは「近い、顔が良すぎる」と謎の感想を漏らし、ミドリは「並んでください」と最後まで秩序を守ろうとしていた。サリーはそんな皆の様子を見て困ったように笑い、マユは緊張しすぎて写真の時に完全に固まっていた。
ミラとランは、その様子を少し離れたところから見ていた。
「すごいことになっちゃったね」
ミラが言うと、ランがくすっと笑う。
「うん。でも、リュウジさん、思ったよりちゃんと付き合ってくれてる」
「昔だったら、もう少し早く逃げてたかも」
「それはあるかも」
そんな会話をしているところへ、フロアの扉が静かに開いた。
エリンだった。
ロビーで特別講師達を見送り終え、いないリュウジを探してここまで来たのだろう。扉のところで足を止めたエリンは、目の前の光景を見て、一瞬だけ何も言わなかった。
旅行事業部の真ん中で、リュウジが乗務員達に囲まれている。
写真を撮られ、色紙にサインを書かされ、質問まで飛んでいる。
本人は明らかに居心地悪そうなのに、逃げるに逃げられないまま、妙に律儀に付き合っている。
エリンはその場で、ふうと小さく息を吐いた。
そして、呆れたように、けれどどこか楽しそうに、笑みを浮かべた。
まったく。
最後の最後まで、騒がしい。
けれど、その騒がしさが嫌ではなかった。
むしろ、以前のスペースホープにはなかった種類の熱だと分かるからこそ、エリンはその光景を少しだけ眩しく感じていた。