サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第15話

リュウジは無言で操縦室の扉を開けた。

雨で濡れた外気が一気に流れ込み、室内の空気がぴんと張る。

 

「行く」──短い声だけを残して、彼は扉の向こうへ歩き出す。

その背中には、怒りでも哀しみでもない、ただ一点に向かう冷たい決意が宿っていた。

 

室内に残された者たちは、誰一人として声を発せなかった。

メノリは唇を固く結び、ポルトは眉を寄せ、チャコは小さく「はよ行け」とだけ呟いたが、それは励ましにも見え、諫めにも見えた。

カオルは拳を握りしめ、ベルは黙って空を仰いだ。誰もが胸の奥で何かを抑えている。

その沈黙の重さに、ルナだけが耐えられずに立ち上がった。

 

「リュウジ!」

 

彼女は扉の外へ駆け出した。雨で髪が顔に張り付く。足元は滑りやすい岩だが、構わない。リュウジの姿を見つけると、ルナは少し息を切らしながら彼の腕を掴んだ。

 

リュウジは振り返らない。指先にはわずかに力が入っているのが見えた。

「離せ、ルナ」と、声は低く冷たく響いた。

「ハワードは、必ず助ける」怒りが鎌首をもたげるのを抑えるように、肩だけが震えた。

 

ルナは顎を引き、真っ直ぐに彼の目を見つめる。声は震えていたが、言葉は確かだった。

「お願い、考え直して。一緒に”考えればきっとなんとかなる筈よ!」

 

リュウジの目に、一瞬、過去の影が走る。悲劇のフライト、火と煙、取り返しのつかない喪失。

「俺が……俺があの日を終わらせなきゃ、また誰かが──」と彼は低く言った。言葉の端に血が滲むようだった。

 

「わかってる」ルナは強く頷き、雨粒を振り払うようにして続けた。

「でも、誰か一人が“その役目”を背負うことにしたら、あなたが壊れてしまう。リュウジ、あなたはもう一人じゃない。あなたが一人で背負うって決めるたびに、私たちが壊れるんだよ」

 

リュウジの肩の力が、ほんのわずかに抜ける。だが、口元は硬い。

「最悪の場合、犠牲は一人の方がいいんだ。多くの仲間を危険に晒すわけにはいかない」

 

ルナは彼の腕を更に強く握った。雨音が二人の言葉を包み込む。

「そうやってまた、“一人でなんとかする”って言う。あの日から何も変わってない。リュウジ、あなたは変わったって私は見てる。仲間を信じられるようにもなった。だから、お願い、皆んなで考えよう」

 

ルナの声は次第に熱を帯び、瞳に光が宿った。彼女の手のひらに伝わる彼の脈拍を確かめながら、彼女は続ける。

「ハワードを取り戻すんでしょ? でも、それは“あなたが死ぬこと”で成し遂げるものじゃない。私たち皆でやるべきこと。リュウジ、あなたが一人で行って、もしものことがあったら……残された私たちがどうする? 私、嫌だよ、そんな終わり方。あなたがいなくなるの、絶対に嫌だ」

 

リュウジの目が揺れた。拳の白さが変わる。彼の胸の中で、何かが軋んで崩れそうになるのが見て取れた。

「ルナ……」と、彼はかすかに唇を震わせた。言葉がごく短く、しかし熱を帯びる。

 

リュウジの頬に、雨が一粒落ちた。彼はその雨粒を見つめ、やがてゆっくりと大きく息を吐いた。

拳の力が抜け、ルナの手の中に腕を任せるようにして、彼は小さく首を振った。

 

 「……お前は本当に、変わらないな」

 苦笑いを浮かべるその表情には、怒りよりも安堵が滲んでいた。

 「分かった。作戦を立てよう」

 

ルナは目を見開き、一つ息を吐いた。

「ありがとう、リュウジ」

 

リュウジはそれからゆっくりと向き直り、操縦室の方を見た。背中はまだ冷たく堅かったが、雨の中のその姿には、どこか安心が混じっていた。二人は互いの手を握り合い、短い沈黙の後、静かに戻って行った。

 

操縦室に入ると、皆が息を呑んで見つめていた。ルナは小さく合図をし、リュウジは無言でうなずく。

メノリが口を開く前に、ポルトが低い声で言った。

「よかろう。準備は任せんか。ワシも手を貸す」

 

外の雨は止み、雲の隙間から薄い光が差し込んでいた。運が傾いているなら、今はその傾きを味方に変えるしかない──皆の顔に、決意が灯る。

 

⬜︎

 

操縦室の簡易作戦盤に、泥で擦った地図が置かれた。灯りは薄く、外の雨で湿った空気が重い。全員が輪になり、メノリが声を絞り出すように計画を読み上げた。

 

「まず前提を確認する。救出チームは――ルナ、ベル、メノリ、カオル、リュウジの五名だ。到着地点は東の森と滝の境、滝の下の岩場。脱獄囚たちはそこでハワードと接触する。いいな?」

メノリはゆっくりと、命令口調だが冷静に続ける。

 

ルナが力強く頷く。

「ええ、私たちでハワードを取り戻す。無駄な衝突は避けたい。」

 

ベルは小さく息をついて言った。

「俺も問題ない」

 

カオルは黙って地図を指差す。短く「了解」とだけ告げた。表情に余計な感情はない。

 

リュウジは地図を見下ろし、低い声で確認する。

「位置取りは俺たちの前方を塞がないように。滝の前で姿を見せずに、脱獄囚に武器を置かせる──そのタイミングを合わせる」

 

メノリが手を合わせて指示を細分化する。

「手順を箇条書きで。まず一、脱獄囚が滝下に到着したら、我々は姿を見せずに待機する。二、彼らが滝下に降りたら、レーザー銃と電気ウィップを地面に置かせる。三、数歩前に進ませたところで私が姿を現す。『ハワードを先に渡せ』と要求する。四、もし動いたら、その場で姿勢制御ユニットは川に落とすと宣言する。いいだろう?」

 

「うん、それで行こう」ルナは言葉に迷いなく頷いた。顔には引き締まった決意がある。

 

カオルが低く呟く。

「こっちは滝の裏の洞窟から静かに近づく。レーザー銃と電気ウィップの奪取は俺がやる。動きを見て合図を出す」

 

メノリはさらに細かく配置を指示した。

「私が正面に出るときの位置取りはこうだ。リュウジ、あなたは私の側で牽制を担当する。ルナ、ベルは援護に回れ。ルナは撤退判断権を持つ。カオルは奪取後すぐに合図、全員で川に飛び込んで対岸へ撤退。川は流れを確認済みだ。対岸で集結、そこから更に離脱だろう」

 

リュウジが頷いた。

「受け渡しは一瞬、手渡しじゃなく『見える場所に置かせる』形にする。取りに来たら、即撤退だ」

 

ベルは静かに拳を握りしめる。

「荷物は最低限、流されても良いように縛る。治療具はすぐ使えるようにしておく」

 

ルナがメンバーを見渡し、最後に声を張った。

「もし交渉が破綻したら、誰かを囮にして長引かせるなんてしない。全員で撤退する。誰か一人に任せるんじゃない、みんなで動くの。私たちでハワードを取り戻すのよ」

 

メノリは鋭く頷いた。

「わかっている。指示は私が出す。だが実行は全員だ。動いたらメモリーは川に落とす、という脅しは私が行う。それで彼らが油断して武器を置けば、カオルが奪う。速やかに、かつ冷静に行動しろ。いいか、皆」

 

チャコがいつもの関西弁で励ますように叫ぶ。

「ウチらで息を合わせたら、どないかなる!」

 

シャアラは緊張した声で言う。

「私、外で待機して負傷者の手当てをする。誰か怪我したらすぐ連れてくるから」

 

ハワードの名を出すと、皆の表情に一層の緊張が走ったが、同時に一列に並ぶような確かな連帯感が生まれた。

 

メノリが最後に、短く命令調でまとめる。

「では、最終確認。到着したら姿を見せず待機。武器を置かせ、数歩前に来させる。私が出る。『ハワードを先に渡せ』と命じる。動いたらユニットを川へ落とすと脅し、カオルが滝裏洞窟から静かに接近、武器を奪取。奪取完了の合図で全員が川へ飛び込み、対岸へ移動。ルナ、撤退判断は一任する。いいか、皆、怯まず、だが慎重に」

 

全員が一斉に頷いた。小さな声でそれぞれが自分の覚悟を確認する。外は晴れ間が差し始め、滝の水音が低く響く――光が戻れば、相応の危険もまた戻る。だが、作戦は固まった。互いに背中を預け合う約束が、静かに空気を満たした。

 

⬜︎

 

滝の下。空はまだ薄暗く、岩場にしみ込んだ朝露が冷たく光る。

ルナたちは昨夜の通りに身を隠していた──カオルは滝の裏の洞窟へ、メノリとリュウジは同じ岩陰に、ベルとルナはその後ろの岩にしずかに潜む。息は殺し、鼓動だけがやけに大きく耳に響いた。

 

東の空がじわりと白みを帯び、空気が凍りつくように静まった瞬間、崖上に四つの影が現れた。

ロープで両手と胴を縛られているハワードの姿を見つけると、ルナは胸をなでおろした。無事だ――その安堵はひとときのものだった。

 

だが、次の瞬間ベルが焦りの声を上げた。

「洞窟の方に向かってるぞ!」

「やはり、リュウジの意図を理解していなかったか」とメノリが低く言った。

 

あえてリュウジが「ロープを降りた場所」と言ったのは、洞窟側から奇襲するためだった。

それに気づかず、ハワードが洞窟の方向へ歩いていくのを見て、全員の胸が冷えた。

しかし、ハワードが何かを思い出したように足を止め、向きを変え、ロープの方に歩き出した。

「ちゃんと気づいたみたいね」とルナが呟いた。

 

⬜︎

 

脱獄囚たちが滝下に降りると、その巨大な東の森を見上げ、三人は驚きつつ苛立ちを露わにした。

「どこにいやがる! 日の出の時刻はとっくに過ぎてるぞ!」とボブが声を上げる。

 

メノリは視線で一息合図を送ると、思い切って叫んだ。

「ここにいる!」

 

「姿を見せろ」ブリンドーの低い声が響く。

「お前たちが武器を持っていることは分かっている。おいそれと出て撃たれるわけにはいかない」

 

沈黙の後、メノリはさらに言葉を重ねた。

「レーザー銃と電気ウィップを地面に置け」

 

ボブが怒気混じりに取り上げる。ハワードの首に手をかけ、脅す。

「何を! 今すぐこのガキを殺したって構わないんだぜ!」

 

メノリの語気は強まる。

「ならば姿勢制御ユニットを破壊する」

 

「落ち着け、ボブ」ブリンドーが静かに制した。

「いいだろう。武器は置く」

 

シルヴァが訝しげにブリンドーを見上げる。

「いいの? ブリンドー」

「構わん、こっちにはまだ手がある」

 

ブリンドーとシルヴァ、ボブが地面に武器を置いた。

「これで満足か?」

ブリンドーが宥めるが、メノリは一歩も引かない。さらに命じる。

「そこから前に歩いてこい」

 

しばしの応酬のあと、ブリンドーは渋々命令を通す。シルヴァが不敵に笑いながら数歩前に進み、動きを止める。

「これでいいだろう!」とブリンドーが声を張ると、メノリが岩陰から姿を現した。

 

ハワードがか細く「メノリ〜」と漏らす。ロープに縛られた足取りはぎこちないが、表情には安堵の色がある。

「姿勢制御ユニットは?」とブリンドーが迫る。メノリは右手で背中からユニット(偽物)を取り出して見せつけた。

 

「本物かい?」とシルヴァが疑う。ボブが一歩詰めるその瞬間、メノリは冷たく宣言する。

 

ボブが一歩近づこうとした瞬間、メノリが叫んだ。

「動くな! 一歩でも動いたら、川に捨てる!」

 

「ハワードをこっちへ!」

ブリンドーが舌打ちし、ボブに合図した。

ボブがハワードの背を押す。

縛られたまま、ハワードはふらつきながらメノリに近づく。

 

その時――。

ブリンドーは背後に何かを感じた。

反射的に振り返る。

「どこに隠れてやがった!!」

 

洞窟から静かに近づいていたカオルの姿が、視界に入った。

カオルはすぐに飛び退き、放たれた金属針が背後の岩に突き刺さる。

 

隙を突いてシルヴァとブリンドーが武器に襲いかかる。

 

「レーザー銃だけは取らせるか」とカオルは弓を手早く引き絞り、ブリンドーめがけて放つ。矢は寸前で躱されるが、その一瞬でシルヴァが電気ウィップに手をかけた。事態が急転する。

 

「ハワード、川に飛び込んで!」とルナが叫ぶが、縛られたハワードは状況を把握できず、動きが止まる。ボブがハワードに近づこうとしたとき、ベルの投げた槍がズボンを貫き、ボブの足を止めた。槍は地面に深く刺さり、ボブは呻いて動けない。

 

「急いで!」ルナが矢をシルヴァめがけて放つが、シルヴァは躱してなお電気ウィップを振る。ウィップは腰に巻き付き、激しい電撃が走る。ルナはハワードをかばい、悲鳴を上げた。痛みによろめくが、ルナは踏ん張る。

 

「ルナ!くそ!」

メノリは歯を食いしばり、姿勢制御ユニットを空へ放り投げた。

ボブとシルヴァの視線がそちらに釘づけになる。

「うおぉぉお!!!」

ベルが咆哮を上げながら、ルナとハワードを押し込むようにして川に飛び込んだ。

 

「このガキが!」シルヴァが針を放ち、ハワードの臀部に命中する。

「ぐあっ!」

「苦しみながら死ね!」シルヴァは笑いながら走る。

 

ボブを追い抜いていく。だがシルヴァの身体は速い。ユニットをキャッチし、走り去ろうとしたその瞬間、メノリが躊躇なく川へ飛び込んだ。

 

事態は一気に混沌と化した。カオルも弓を収め、滝裏から飛び込んで対岸へ泳ぐ。ルナとメノリは水の冷たさに耐えながら、ハワードを必死に支える。対岸に到着した瞬間、背後でガラガラと岩が崩れる音がした。ブリンドーがレーザー銃を構え、対岸の岩陰から低くつぶやくように言った。

「そこも射程距離だ」

 

ブリンドーの顔には怒りと興奮が混じっている。シルヴァは残虐な笑みを浮かべ、ボブは偽物を握りつぶして憤る。レーザー銃の照準は、ルナのこめかみへと向けられた。銃声が一閃すれば、すべてが終わる。

 

だがその瞬間、「ゴンッ」という硬い衝撃音が響き、レーザー銃と黒曜石のナイフが同時に地面へ落ちた。リュウジの投げたナイフがレーザー銃に当たり、銃の照準が逸れたのだ。

 

朝日の光を背に、リュウジが岩陰から現れた。

「次、会った時は容赦しないんじゃなかったのか?」

不敵な笑みを浮かべるリュウジ。

 

ルナは息を呑んだ。

彼の背に射す光はまるで救いのようだった。

 

「ベル、槍を」

ベルは無言で投げる。

リュウジは視線を逸らさずにキャッチした。

 

「お前らは先に行け」リュウジが命じる。メノリが即座に指示を飛ばす。

「ベルはハワードを。カオルはルナを背負え!」

 

カオルは躊躇なくルナを抱え上げ、暗闇を背に森の中へと走り出す。ベルはハワードを担ぎ、その後を追う。メノリは血の気の引いた表情のまま殿を務めた。

 

「誰かを残すなんてダメだって言ったじゃない!」ルナは息が荒く、だが必死に叫んだ。カオルは振り返らずに走る。

「すまない、ルナ。今はリュウジに賭けるしかないんだ」カオルの声は短く、決然としていた。

 

メンバーは森の奥へと散っていく。背後の岩陰にはブリンドーが立ち、冷たい笑みを浮かべる。

「ガキどもに本当の恐怖を教えてやろうかね」シルヴァが楽しげに呟く。ボブは偽物を握りつぶし、怒りで震えている。

 

背に負われながら、ルナは振り返る。

滝のしぶきの向こうに立つリュウジの姿。

その瞳は鋭く、炎のように燃えていた。

 

――「生きて、帰ってきて。」

 

ルナの小さな呟きは、滝の轟音に溶けていった。

 

⬜︎

 

滝壺の音が響く。

 霧を含んだ風が流れ、岩肌を打つ水飛沫が空気を震わせていた。

 太陽は雲に隠れ、淡い灰色の空が広がっている。

 

 森の奥へ消えたルナたちの足音が、ようやく遠ざかる。

 リュウジはその場に立ち尽くし、静かに息を整えた。

 逃げ切るまで、少しでも時間を稼がなければならない。

 

 滝の轟音が響く中、リュウジはわずかに身を低くして三人を見据えていた。

 彼の足元を水が流れ、光が滝に反射して揺らめく。

 

 「……チッ、生意気なガキだ」

 ボブが吐き捨て、また一歩、前に出る。

 その筋肉質な肩が上下に揺れ、地面を踏むたびに土が弾けた。

 

 「おい、やめとけ」

 ブリンドーの声がしたが、ボブは聞いちゃいない。

 「いいだろ? 少しくらい痛い目に遭わせても。なあ、ブリンドー」

 「好きにしろ。ただし殺すな。利用価値はある」

 

 その一言に、リュウジの瞳がわずかに光を帯びた。

 

 「利用価値……ね」

 小さく呟いた声は、滝の音に紛れて消えた。

 

 ボブが突進した。

 巨体が風を切り裂き、リュウジの目前に迫る。

 だがリュウジは構えを崩さない。動じず、ただ観察する。

 次の瞬間、ボブの拳が地面を砕いた。

 そのわずかな隙に、リュウジの足がほんの数センチ、右へずれた。

 

 ボブの巨腕が空を切る。

 勢いのまま足を取られ、体勢を崩したボブは泥の上を転げ、ブリンドーたちの足元に戻る。

 

 「て、てめぇ……!」

 息を荒くしながら起き上がるボブを、ブリンドーが押さえた。

 「下がれ。相手が悪い」

 

 ブリンドーはレーザー銃を構えた。

 狙いを定め、引き金を引く――。

 

 閃光が走り、空気が焦げる。

 その弾丸がリュウジの頬をかすめ、細い焦げ跡を残した。

 煙が立ち上る中、リュウジは目を細めた。

 

 「……お前、レーザー銃、下手だな」

 

 その言葉に、ブリンドーの表情が凍る。

 リュウジは静かにこめかみを指で叩いた。

 

 「狙うなら――ここだ」

 

 「……ほぅ」

 ブリンドーの口元に笑みが浮かぶ。

 「面白ぇ。じゃあ、その通りにしてやろうか」

 

 引き金が引かれた。

 しかし、その光弾はリュウジの頬を再び掠めただけだった。

 彼の体はまるで風そのもののように滑らかに動き、弾道を見切っていた。

 

 「なっ……!」

 ブリンドーの声に、わずかな焦りが混じる。

 

 「何者だい、あんた……?」

 シルヴァが警戒の声を漏らす。電気ウィップを手に、目を細めている。

 

 リュウジは答えない。ただ、静かに視線を向けるだけだった。

 その瞳の奥には、氷のような冷たさと、どこか哀しげな光が宿っていた。

 

 「油断するな」

 ブリンドーの低い声が響く。

 「こいつは……“悲劇のフライト”の、パイロットだ」

 

 その言葉に、シルヴァとボブの顔色が変わった。

 

 「……へぇ、あのフライトの?」

 シルヴァの口元に薄笑いが浮かぶ。

 「じゃあ、お前が――あの時のガキか」

 

 リュウジの指がわずかに動いた。

 だが、攻撃の構えではない。

 ただ、心の奥に沈む何かを抑え込むように、拳を握り締めただけだった。

 

 「そうだ。お前たちのせいで、あの日……全部が終わった」

 静かな声。

 だが滝の音を押し返すほどの重さがあった。

 

 「終わりじゃないさ」

 ブリンドーの唇が歪む。

 「始まりだったんだよ。お前がこうして、生きて地獄を見るためのな」

 

 空気が張り詰める。

 滝の水飛沫が光を受けて散り、音が遠のいた気がした。

 

 リュウジはただ静かに、彼らを見据えていた。

 ――戦うためではない。

 仲間を守るために、ここに立っている。

 

 「……もう一度言う。油断するな」

 ブリンドーが呟き、再びレーザー銃を構えた。

 今度こそ、殺意がこもっている。

 

 だがリュウジの瞳には、恐怖はなかった。

 ただ、凪いだ海のような静けさと決意が映っていた――。

 

⬜︎

 

滝の轟音が響き渡る中、ブリンドーの冷たい笑みが広がった。

 「……シルヴァ、やれ」

 その合図と同時に、シルヴァの指先が動く。

 

 瞬間――。

 バチィィッ!

 青白い閃光が夜明けの空気を裂いた。

 電気ウィップが唸りを上げ、蛇のようにリュウジへと襲いかかる。

 

 「消し炭にしてあげる!」

 シルヴァが叫び、鞭が地面を叩くたびに土が爆ぜ、焦げた匂いが漂った。

 だが――リュウジは一歩も動じない。

 

 電気ウィップが彼の肩をかすめた瞬間、彼は体をひねり、風のように後方へと滑る。

 髪先を掠める閃光。

 その動きには焦りがなく、まるで攻撃の軌跡を読むかのようだった。

 

 「ちょろちょろと……!」

 シルヴァの眉が吊り上がる。

 左の腕を翻し、袖口から小さな機構が展開される。

 カチリ、と音を立て、細い針が数本、装填された。

 

 「逃げられると思う?」

 微笑んだ次の瞬間、**シュッ!**と音を立てて毒針が放たれた。

 光を反射しながら幾本もの針がリュウジを襲う。

 

 リュウジは地面に手をつき、身を低く沈めた。

 その動きは滑らかで、一本、また一本と針が彼の背後の岩に突き刺さっていく。

 毒が岩肌を焦がし、白い煙を上げた。

 

 「……やるわね」

 シルヴァの瞳に光るのは、怒りではなく、獲物を仕留める悦び。

 「でも次は――外さない!」

 

 再び、ウィップが唸りを上げる。

 同時に、ボブが突進した。

 「こいつは俺が仕留める!」

 

 リュウジの視線が一瞬だけボブに向く。

 だが、彼の体は動かない。

 次の瞬間、電気ウィップが空を裂き、ボブの腕をかすめた。

 「うおっ!? おい、どこ狙ってんだシルヴァ!」

 「うるさい! 前に出ないでよ!」

 

 そんな二人のやり取りの隙を縫って、リュウジは一歩、後退する。

 だがその足取りには逃走の気配はない。

 ――誘っている。

 

 滝壺の飛沫が彼の頬を濡らし、陽光が差し込み始める。

 その姿はまるで、嵐の中に立つ影のようだった。

 

 「……リュウジ」

 ブリンドーが呟く。

 「お前、何を考えてやがる」

 

 リュウジはわずかに口を開いた。

 「考えるまでもない」

 静かな声だった。

 「俺はもう――誰も失いたくない。それだけだ」

 

 その言葉が、風に流れた。

 ブリンドーの表情がわずかに歪む。

 「悲劇のフライトの時もそう思ってたか?」

 

 リュウジの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。

 滝の音が遠ざかる。

 頭の奥で、あの日の記憶――

 炎と、崩壊と、叫び声がよみがえる。

 

 「……あの時は、守れなかった」

 リュウジは呟いた。

 「でも今度は違う」

 

 「甘いな」

 ブリンドーが唇を歪め、レーザー銃を再び構える。

 銃口が、真っすぐリュウジの胸元を狙った。

 

 「もう終わりだ」

 「終わりかどうかは、お前が決めることじゃない」

 

 静かに言い放つリュウジ。

 滝の水音が一層強く響き、光が彼の横顔を照らした。

 

ブリンドーの口元が歪んだ。

 「終わりだ、リュウジ!」

 

 言葉と同時に、レーザー銃の閃光が空を裂いた。

 光線が岩肌を焼き、リュウジの頬をかすめ、焦げた匂いが漂う。

 

 ――速い。でも、狙いが甘い。

 

 リュウジはわずかに目を細め、冷静に体をひねって距離を取った。

 頬を伝う血を拭いながら、口角を上げる。

 

「クソガキがぁぁ」

ブリンドーの怒声と同時に、シルヴァが動いた。

 

 右手のウィップが唸りを上げ、電撃が夜気を裂いた。

 バチィィン!

 鋭い閃光がリュウジのすぐ横を走り、焦げた草が煙を上げる。

 

 同時に――彼女の左腕の機構が開き、細い毒針が連射された。

 

 「チッ……!」

 リュウジは瞬時に身を翻した。一本、二本……三本目。

 避けきれず、針が右腕と脇腹、太腿に突き刺さった。

 

 焼けるような痛みが走る。

 血とともに、痺れがじわじわと広がっていく。

 

 ――神経系を狙うタイプか。

 

 リュウジは顔を歪め、右手で針を抜こうとした。だが、指先が震え始めている。

 呼吸を整えようとする彼に、さらに追い討ちがかかる。

 

 「今だ、ボブ!!」

 

 ブリンドーの声。

 それに応じるように、ボブが地面を蹴った。

 

 「死ねぇぇぇっ!!」

 

 巨体が地鳴りを上げて突進してくる。

 リュウジは寸前で体をひねったが、毒の影響で反応が遅れた。

 ドンッ!

 ボブの肩が腹にめり込み、体が宙を舞う。

 

 背中が巨木に激突。鈍い音が響く。

 「ぐっ……!」

 視界が白く弾け、呼吸が止まりそうになる。

 

 「ざまぁみろ!」

 ボブが勝ち誇ったように叫ぶ。

 だがその瞬間――

 ボブの額部のサイボーグ装甲がピシリとひび割れた。

 

 「な……!」

 ボブが驚きに眉をひそめる。

 木の衝撃で自分の強化装甲にヒビが入ったのだ。

 

 「……ふっ、サイボーグでも壊れるんだな。」

 リュウジが低く笑う。

 

 だがボブの表情が一変した。

 「このガキィィィ!!」

 怒りで顔を真っ赤にし、地面を踏み鳴らす。

 金属音を響かせながら、ボブは再び突進の体勢を取った。

 

 ブリンドーがそれを制し、冷ややかに言う。

 「まあいい……三対一にしては、よく頑張ったもんだ。」

 

 リュウジは肩で息をしながらも、静かに笑った。

 「……所詮、三対一だ。」

 

 ブリンドーが眉をしかめる。

 リュウジは空を見上げ、滝の音の向こうに聞こえる風の音を確かめた。

 

 ――もう、時間は稼げた。

 

 次の瞬間、リュウジは滝壺へと走り出した。

 「逃がすな!」とブリンドーの怒声が飛ぶ。

 レーザーの閃光が再び走るが、リュウジの体は滑るように躱した。

 

 そして、走りながら腰の黒曜石のナイフを抜く。

 彼は振り向きざまにナイフを放った。

 

 キィン!

 黒曜石の刃が閃光を裂き、ブリンドーのレーザー銃の照準部に突き刺さった。

 「なっ……!」

 

 リュウジは一瞬だけ振り返り、薄く笑う。

 「こうやって狙うんだよ。」

 

 そのまま滝壺へと身を投げた。

 冷たい水飛沫が舞い、彼の姿は霧の中に消えた。

 

⬜︎

 

遺跡の入り口に足音が近づく音が響いた。

 湿った空気を押し分けて姿を現したのは、全身ずぶ濡れで泥と血にまみれたリュウジだった。

 その顔には疲労が刻まれているが、瞳は鋭く、まだ光を失っていなかった。

 

「リュウジ!」

 待っていたシャアラが駆け寄る。彼女の手には、藻を溶かしたランタンが淡く光っていた。

「……無事、だったのね」

「なんとか、な」

 短い返答。だが、その一言にすべての重みが込められていた。

 

 二人が遺跡の奥へ進むと、金属の壁が湿っている。

 

 空気は冷たいが、静電気のような微光が床の溝を走っていた。

 仲間たちは中央の円形ホールに集まり、ハワードは毛布に包まれて眠っている。

 

「よし、解毒は進んでおる。毒素は抜けたはずじゃ」

「ポルトさん……ありがとうございます」

 ルナの声が震えていた。

「この子は運がええ。針が浅かったのと、わしの薬がまだ残っとった」

 老人はひげを撫でて言い、リュウジをちらりと見た。

「おぬしも、よく戻ってきおったな。まったく命知らずじゃ」

 

 ルナが振り向いた。

 リュウジの姿を見た瞬間、その表情が凍る。

「そんな……リュウジ、傷が……!」

 彼の腕や肩には浅い切り傷、そして毒針が二、三本刺さったままだ。

「ちょっと、動かないで!」

 ルナが慌てて近づく。

「もう抜けてる。毒は効かない」

「でも――」

「S級パイロットは毒性への抗体を植え付けられてる。心配いらない」

 淡々とした口調に、ルナは息を詰めた。

 

「それでも、血が……!」

 彼女が手を伸ばそうとした時、メノリの声が飛んだ。

「ルナ、焦るな。まずは衛生を確保するんだ。シャアラ、水を用意してくれ」

「わかったわ」

 シャアラが水の入った容器を持ってくる。

「俺は布を裂いてくる」

 カオルが黒曜石のナイフを使って布を裂き始めた。

「ウチも手伝うで!」

 チャコが軽い足取りでそのあとを追う。

「僕も手伝うよ」

 シンゴが走り出し、アダムもその背中を追った。

「……わしは休憩じゃな。年寄りは腰が痛くてたまらん」

 ポルトは冗談めかして腰をさすり、笑みを浮かべる。

 

 ルナは静かにリュウジの前に膝をついた。

「……ごめんね」

 その一言に、リュウジは眉をひそめる。

「てっきり怒鳴られると思ったんだが」

「怒らないわ」ルナは首を振った。

「結局、最後はあなたに頼っちゃった。撤退は“全員で”って、私が言ったのに……守れなかった」

 

 湿った空気の中、金属の壁が冷たく響く。

 リュウジは少し間を置き、かすかに笑みを浮かべた。

「怖かっただろ。よく頑張ったな」

 その手が、そっとルナの頭に触れた。

 力強くも優しい手のひら。ぽん、ぽんと二度。

「……っ」

 ルナは俯き、声を詰まらせた。

 目の奥が熱くなり、視界が滲む。

「生きて帰ってきてくれて……ありがとう」

 それは、涙に滲んだ声であった。そして、その表情は、泣き顔と笑顔の中間だった。

 

「リュウジ」

 カオルの声がした。戻ってきた彼は裂いた布を差し出す。

「包帯、巻いとけ」

「ふん、心配性だな」

「お前が無茶するからだ」

 

 そしてベルが来て、小さな光球をランタンに注ぐと、淡い青光が遺跡の壁を照らした。

「これで少しは明るくなるね」

「ありがとう、ベル」ルナが微笑む。

「……ハワードも落ち着いたし、今夜は休めそうだな」カオルが呟く。

「そうじゃ。若いもんは寝とけ。夜明け前にゃ空が明るうなる」ポルトが笑う。

 

 ルナはその光景を見渡した。

 ――自分たちは、確かにここまで生きてきた。

 命を賭け、涙を流し、それでも仲間でいる。

 

⬜︎

 

夜。

 遺跡の中は、しんとした静けさに包まれていた。

 壁の模様に沿って、かすかに光の筋が流れ、青白く波打つように床を照らしている。

 外では風が木々を揺らす音が微かに響き、遠くで水の滴る音が繰り返されていた。

 

 仲間たちはそれぞれの場所で眠りについていた。

 メノリは地図を胸に抱え、カオルは壁際で警戒しながら目を閉じている。

 シャアラは小さな布をアダムの肩にかけ、チャコは静かにその隣で丸くなっていた。

 ポルトはハワードの様子を見守りながら、いつの間にか机にもたれて眠っている。

 そしてシンゴは遺跡の端に置かれた通信装置の近くで、眠るようにうたた寝していた。

 

 ルナは一人、遺跡の中央にいた。

 そこにはリュウジがいた。

 背を金属の壁に預けたまま、上半身を少し傾け、深く眠っている。

 腕には包帯が巻かれ、破れた服の隙間から覗く皮膚に、まだ戦いの痕が残っていた。

 

 ルナはそっと彼の傍にしゃがみ込んだ。

 毛布を取り出し、音を立てないようにその肩にかける。

 微かな呼吸音が聞こえるたびに、彼が確かに生きていることを感じた。

 

「……ほんとに、無茶ばかりするんだから」

 小さく呟いて、ルナは苦笑する。

 

 その表情には安堵と、少しの哀しさが混ざっていた。

 目の前のリュウジの寝顔は、いつもと違っていた。

 険しさが消え、年相応の静けさをたたえている。

 その顔を見ていると、不思議と胸があたたかくなった。

 

「ありがとう、リュウジ……」

 声にならないほどの小さな囁きが、遺跡の空気に溶けた。

 

 ルナは膝を抱え、静かに今日を思い返す。

 脱獄囚たちとの戦い。

 作戦が崩れ、ハワードが囚われ、恐怖で足がすくんだあの瞬間。

 それでも――リュウジは最後まで冷静だった。

 仲間を逃がすため、自分を犠牲にしてまで時間を稼いでくれた。

 あの瞬間、ルナは痛いほどに思い知った。

 自分がどれほど彼に頼っていたのかを。

 

 ――「怖かっただろ、よく頑張ったな」

 

 思い出しただけで、胸の奥が熱くなる。

 その優しい声が、まだ耳に残っていた。

 

「……怖かったよ」

 ルナは小さく呟いた。

「でもね、みんながいたから……。あなたが、いたから……私は、逃げなかった」

 

 彼女の瞳に、淡い光が宿る。

 涙ではなく、今は静かな決意の光。

 

 ふと見ると、リュウジの手が微かに動いた。

 寝言のように、彼が何かを口にした。

「……ルナ……無事で、よかった……」

 

 その言葉に、ルナの胸が一瞬震えた。

「うん……。みんな、無事だよ」

 答える声は、彼の眠りを妨げないように柔らかかった。

 

 遺跡の天井の光が、ゆっくりと弱まっていく。

 ルナは立ち上がり、ランタンの火を細める。

 静かにもう一度、リュウジに毛布を直してかけた。

 

 彼の額にかかる髪が少し濡れていた。

 ルナはためらいながらも、指先でその一筋をそっと避けた。

 

「おやすみ、リュウジ」

 その言葉は、夜の遺跡に消えていった。

 

 そしてルナは壁にもたれ、リュウジの隣で膝を抱えたまま、目を閉じた。

 微かな振動が床を伝い、どこかで遺跡がゆっくりと息をしているように感じた。

 ――長い一日が、ようやく終わった。

 だが、明日はまた、新しい戦いが始まる。

 

 それでも今は、この静けさの中で。

 仲間の息遣いと、リュウジの穏やかな寝息を聞きながら。

 ルナは、初めてほんの少しだけ、心から安心して眠りについた

 

⬜︎

 

薄い朝靄が漂い、遺跡の外は静寂に包まれていた。

 夜の名残を溶かすように、淡い陽光が東の森の上から射し込み、湿った石壁をゆっくりと照らしていく。

 風がひとすじ流れ、木々の葉を微かに揺らした。

 

 その中で、リュウジは一人、外気を吸い込むように深く息をついていた。

 体の傷はまだ痛むが、動くには支障ない。毒もすでに体内から抜けている。

 彼は遠くの空を見上げながら、どこか思索に沈んでいた。

 

 そのとき、遺跡の入り口から小さな足音が近づいてくる。

 振り向くと、そこに立っていたのはハワードだった。

 寝ぐせのついた金髪、どこかまだ眠そうな表情。だが、その瞳には迷いの色があった。

 

「……リュウジ」

 呼びかける声は震えていた。

 

 リュウジはゆっくりと振り返る。

「どうした、ハワード。まだ休んでてもいい時間だぞ」

 

 そう言いながらも、リュウジの声は穏やかだった。

 ハワードは少し唇を噛み、視線を落としたまま小さく首を振る。

 

「僕……どうしても、今、言わなきゃって思って」

「言わなきゃいけないこと?」

 

 リュウジの問いに、ハワードは拳を握りしめた。

 その指先が震えている。

 

僕が、避難シャトルの“切り離しボタン”を押したんだ」

 ハワードの声は小さかった。

 それでも、はっきりと届く。

 

「……あの時、皆んなが止めてくれたのに、操縦席でふざけて、ボタンを押しても何にも起きないと思ってた。」

 

 彼の拳が震え、唇を噛む音が静寂に響いた。

 リュウジは目を細め、ハワードをじっと見つめた。

 その表情は怒りでも軽蔑でもなかった。むしろ、どこか遠くを見つめるような穏やかさがあった。

 

 ハワードは続けた。

「……あの事故のあと、僕、ずっと怖かった。

 みんなに嫌われるのが、怖くて。

 だから冗談ばっか言って……バカやって……。でも、本当は、ずっと心の中では、謝りたくて……。

 でも今の僕にとって、みんなは……大切な家族なんだ。

 やっと出会えた仲間なんだ……!」

 

 ハワードは頭を深く下げた。

「本当に……ごめん」

 

 その言葉に、長い沈黙が流れた。

 森の鳥が一羽、鳴き声を上げる。

 リュウジはゆっくりと歩み寄り、ハワードの肩に手を置いた。

 

「……そうか」

 低いが、優しい声だった。

 

 ハワードが顔を上げると、リュウジは穏やかに笑っていた。

「お前も……俺も、恵まれてるな」

 

「え……?」

 

「誰だって、間違える。でも――仲間がいる。

 謝ることも、守ることもできる。それって、すごいことだと思うよ」

 

 リュウジは少しだけ空を見上げた。

 薄い雲の切れ間から、朝日が覗いている。

 

「……もう、自分を責めるな。過去は消せないけど、これからどうするかは自分で決められる」

 そう言うと、彼はゆっくりと遺跡の階段を降り始めた。

 

「リュウジ……」

 ハワードが呼び止めようとする。

 

 だが、リュウジは背を向けたまま振り返らずに言った。

「朝の空気はうまいな。……お前も来るか?」

 

 一瞬、ハワードは何も言えなかった。

 胸の奥がじんと熱くなる。

 涙をこらえながら、彼は笑みを浮かべてうなずいた。

 

「……うん」

 

 二人の背に朝日が差し込む。

 冷たい風が頬を撫で、遠くでルナの声が聞こえた。

 

「リュウジ、ハワード! 朝ごはんできたよ!」

 

 その声に、二人は同時に顔を見合わせ、少しだけ笑った。

 そして、光の射す方へ、ゆっくりと歩き出した

 

⬜︎

 

遺跡の天井の裂け目から、やわらかな朝の光が差し込んでいた。

 湿った石の床には夜露の冷たさがまだ残り、吐く息がほんのり白い。

 カオルは夜明けと同時に出発しており、その姿はもう見えなかった。

 仲間たちは、遺跡の中央に石を積んで作った即席の「調理台」を囲んでいた。火は焚かれていないが、温めた石に乗せた焼き網の上では、昨夜の残りの魚の切り身がじりじりと焼かれている。

 

 ベルが焙った月梨の皮をめくりながら言った。

「……やっぱり、こうやって食べる朝は落ち着くな」

 

 彼の口調は穏やかだったが、どこか疲労が滲んでいた。

 その隣で、メノリが腕を組みながら周囲を見渡す。

「今日は外に出るのは最小限にしたほうがいいだろう。カオルが戻るまでは、下手に動くべきじゃない」

 

 チャコが石の上で魚をひっくり返しながら、尻尾をぴくりと動かした。

「ウチもそう思うわ。あの脱獄囚ら、どんな動きしとるかわからへんもん」

 

 アダムはそのやり取りをじっと見ていたが、ふと手を伸ばして、焼き上がった魚を少しだけ口に運んだ。

「……あつい。でも、おいしい」

 その素朴な一言に、場が少しだけ和んだ。

 

 ルナは皆の様子を確認しながら、石の器に注いだ果実汁を配って回る。

 その横で、リュウジは黙って座り、片腕に包帯を巻いたまま静かに空を見ていた。

 ルナはその姿に一瞬だけ視線を止めたが、何も言わずに隣へ座る。

 

「……痛まない?」

 小さな声で尋ねると、リュウジは首を横に振った。

「もう平気だ。それより、お前こそ寝たのか?」

「うん……少しだけ」

「ならいい」

 

 その短い会話のあと、しばし沈黙が流れた。

 リュウジはさっきまで起きていたハワードが毛布に包まって、眠りについている姿を見て呟いた。

「ポルトさんの薬、効いたんだな」

 

 ポルトは焚き石の向こう側で器具を拭きながら、ニヤリと笑う。

「そりゃあ当然じゃ。ワシがいなければ、ハワードは今頃、青い顔して寝とったわい」

 

 その言葉に、ルナは思わず笑った。

「ふふっ……本当に、ポルトさんがいてくれて良かった」

「まったくじゃ。年寄りを軽く見るもんじゃないぞい」

 

 その笑い声の隣で、ハワードが布団代わりの毛布にくるまりながら寝息を立てていた。

 顔はまだ青白いが、安らかな寝顔だ。

 ルナが見つめると、シンゴが隣から顔を覗かせた。

 

「昨日は……怖かったね、ルナ」

「うん……でも、みんながいたから大丈夫だったよ」

「リュウジがいなかったら、どうなってたか分からなかったけどね」

 

 その言葉に、リュウジは軽く肩を竦めた。

「……余計なこと言うなよ、シンゴ」

「へへっ、ごめん。でも本当のことだよ」

 

 メノリが立ち上がり、皆に目を配る。

「今日はこのまま遺跡に滞在して、体を休める。

 カオルが戻ったら今後の動きを決めよう」

 

 その言葉に皆が頷く。

 ポルトは魚を一口食べながらうなるように言った。

「ワシらがこうして穏やかに飯を食うのも、リュウジが時間を稼いでくれたおかげじゃな」

 

 ルナはその言葉に反応して、リュウジの顔を見つめる。

 だが彼はただ、焼き魚の切れ端を器に乗せ、淡く笑った。

「……みんなが無事なら、それでいい」

 

 シャアラが柔らかく笑いながら言葉を添える。

「ねえ……この味、なんだか懐かしいね」

「うん。焦げてるけど、あったかいね」とアダムが微笑む。

 

 誰もが疲れていたが、確かな安堵がそこにあった。

 外では鳥の声が響き、風が遺跡の天井を抜けていく。

 原始の世界の中で、彼らは再び小さな日常を取り戻しつつあった。

 

⬜︎

 

昼前、遺跡の外から足音が響いた。

 それは規則的で、警戒と疲労が入り混じった音。

 入り口に現れたのはカオルだった。背中には泥と雨の跡が残り、肩には槍を背負っている。

 

「カオル!」

 最初に声を上げたのはルナだった。

 リュウジも振り返り、眉をわずかに上げる。

 

「無事だったか」

「なんとか、な」

 

 カオルは短く答えると、息を整え、壁際に置かれた石の上に腰を下ろした。

 その顔には、長時間の偵察で得た確かな緊張が宿っていた。

 

「……で、どうだった?」とメノリが尋ねる。

 カオルは頷き、低く言った。

「やつら、地形を把握し始めてる。川の流れ、崖の位置、遺跡の周囲……すべて地図に落としていた」

 

 その言葉に、一同の表情が固まった。

 チャコの尾がピンと立つ。

「ウチらの拠点、バレるのも時間の問題やないか……」

 

「二、三日もすれば、この遺跡に近づくはずだ」

 カオルのその一言が、静まり返った空気をさらに重くする。

 

 ルナは唇を噛みしめた。

「……まだ、船は動かないのよね?」

 

 するとポルトが工具を片手に顔を上げた。

「うむ、重力制御ユニットの調整が終わっとらん。チャコとシンゴが補助系統をつないどる最中じゃ」

 

 その横でシンゴが苦い顔をした。

「動力線が腐食しててさ、手作業で繋ぎ直してるんだ。あと少しなんだけど……」

 

「もう少しで終わるやろ?」とチャコが励ますように言う。

「うん。でも時間が足りない……」

 

 ルナは両手を握りしめて立ち上がった。

「じゃあ、少しでも時間を稼がなきゃ」

 

 リュウジが顔を上げた。

「……罠を張るか」

 

「罠?」とハワードが首を傾げる。

「うん。遺跡の周りに“人が踏み込めば崩れる足場”や“動くと音が鳴る罠”を仕掛けよう」

 ルナは即座に答えた。

 

「古典的だが、効果的だろう」とメノリも頷く。

 

 ルナは頷き、皆を見渡した。

「じゃあ決まりね。今日は“防衛線の日”。ここを、絶対に守ろう」

 

 その言葉に、全員の表情が引き締まった。

 シャアラはそっとルナの背に手を当てて微笑む。

「……きっと大丈夫。だって、今度はみんな一緒だから」

 

 その一言に、ルナは小さく息を吸い込んでうなずいた。

 

⬜︎

 

 昼下がり。遺跡の奥では、金属音とチャコの小さな声が響いていた。

「こっちの接続、もう一回確認してみるで!」

「了解、チャコ。……出力、安定してきた!」とシンゴ。

「あと少しで、重力制御ユニットも動くじゃろう」ポルトの低い声が重なる。

 

 一方そのころ――

 森の縁では、ルナたちが静かに防衛の準備を始めていた。

 

 「リュウジ、ここを掘るの?」

 ルナが膝をついて湿った土を掘り返す。

 リュウジは頷き、地面の傾斜を指差した。

「ここなら水が溜まらない。踏んだら一気に崩れる」

 ベルが少し離れた場所で大きな丸太を持ち上げながら言う。

「罠の上にかぶせる木はこれでいい?」

「ああ、それを渡しておけ。葉と泥で隠せば、見た目じゃ分からない」リュウジが淡々と返す。

 

 木の葉を集めているハワードが、息を切らしながら笑った。

「僕、こういうの映画でしか見たことないよ……本当にやるんだね」

「映画より現実の方が厄介だ。相手は銃を持ってる」とカオルが短く言う。

「……でも、やるしかないのよ」とルナが言いながら、掘り出した土をならした。

 

 少し離れた場所では、メノリとシャアラが縄を編んでいた。

「この蔓、けっこう強いね」とシャアラが手を動かしながら言う。

「踏んだ瞬間に足に絡むようにするんだ。……テンションはこんなもんでいいだろう」

 メノリは木の枝を支点にして、巧みに蔓を固定する。

「これで足を取られたら、逆さ吊りになるはず」

「すごい……メノリ、本当に器用ね」

「器用というより、必死なだけだ」と小さく笑い、もう一度結び目を締めた。

 

 ルナが二人の様子を見に行くと、シャアラが少し不安そうに尋ねた。

「……ルナ、本当にこれで大丈夫なの?」

「完璧じゃなくていいの。少しでも時間を稼げれば、それでいいの」

「うん……」

 ルナの言葉に、シャアラの顔にも少しだけ力が戻る。

 

 リュウジとカオルはもう一つの仕掛けを組み上げていた。

 太い枝と木の幹を組み合わせて、木の楔を打ち込み、上部には石と丸太を括りつけている。

「縄を切れば、この木が落ちてくる。……檻代わりだ」

 リュウジが言うと、カオルがうなずく。

「重さは十分あるな。人間一人じゃ持ち上げられん」

「逃げ道を制限するにはちょうどいい」

「……お前、こういうの慣れてるな」

「S級パイロットはあらゆる事を叩き込まれるからな」

 リュウジは一瞬だけ表情を固くしたが、すぐに小さく笑って答えた。

 

 

 作業の合間、ベルが丸太を肩に担いだまま近づいてきた。

「ルナ、こっちの穴は埋め終わったよ」

「ありがとう、ベル。ほんと、助かるわ」

「力仕事なら任せてくれ」

 笑顔を見せるベルに、ルナも自然と笑顔を返す。

 以前の気弱な面影はなく、今は確かな頼もしさがあった。

 

 太陽が傾き始める頃、全ての仕掛けが完成した。

 縄が木々を渡り、葉で隠された罠がいくつも森に潜む。

 風が吹くたびに、木の軋む音がわずかに響く。

 

 「これで……よし」

 メノリが手についた土を払い、全体を見渡した。

 リュウジが隣に立ち、静かに言う。

「三日はもたないだろう。それでも、遺跡を守るには十分な時間だ」

「向こうが動くのはいつ?」とルナが尋ねる。

「たぶん二日以内だ」とカオルが断言するように言った。

「森の地形を測ってた。次はこっちを探る」

 

 ルナは息を飲んだ。

 恐怖ではなく、覚悟のために。

 

「――どんなに危なくても、絶対に誰も失わない」

 その言葉に、全員が頷いた。

 

 遠く、遺跡の方向からかすかにチャコの声が風に乗って届く。

「ルナー! こっちはあとちょっとやでー!」

「分かった! こっちも終わったわ!」とルナが笑顔で返す。

 

 夕陽が森を橙に染めていた。

 原始的な罠たちが、まるでこの星そのもののように静かに息づいている。

 彼らの決意と希望を乗せながら――。

 

⬜︎

 

夜。

 森の奥に流れる風が、葉をかすかに揺らしていた。

 焚き火はあえて焚かず、代わりに月の光だけが地面を照らす。

 遠くではカオルが巡回を終えて、岩の上に腰を下ろしている。ベルとメノリは見張りを交代しながら休息をとり、遺跡の中ではシンゴとチャコとポルトがまだ修理を続けている。

 

 その少し離れた場所。

 リュウジは木の幹に背を預け、夜空を見上げていた。

 彼の横に、そっとルナがやってきた。

 

「……交代の時間、じゃないけど」

「眠れないのか?」

「うん。色々考えちゃって」

 

 リュウジは小さく息を吐き、夜空から視線を落とした。

 空には薄く雲が流れ、月の光が時折、樹々の隙間を照らす。

 

「昼間の罠、すごかったね。ベルもハワードも、メノリも、みんな……本気で守ろうとしてる」

「当たり前だ。あいつらにとっても、ここが“帰る場所”になってるんだ」

 

 リュウジの声は低く、だが柔らかかった。

 ルナはその横顔を見ながら、少しだけ微笑んだ。

「……あなたも、そう思ってくれてるの?」

「ん?」

「“ここが帰る場所”って」

 

 一瞬、リュウジは答えを探すように黙り込んだ。

 風が二人の髪を揺らし、森の葉がざわりと鳴る。

 

「……そうだな。たぶん、俺にとってもそうだ」

「えっ?」

「今さら帰る場所があるとは思ってなかった。でも……お前たちと過ごしてるうちに、そう感じるようになったんだ」

 リュウジの声には照れもなく、ただ静かな本音が滲んでいた。

 

 ルナは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

 それを悟られないよう、少しうつむく。

 

「……ありがとう、リュウジ」

「何がだ?」

「いつも、助けてくれるから。今日だって、本当は私がみんなを守るって決めたのに、またあなたに頼っちゃった」

「頼られるのは悪くない」

「え?」

 リュウジは少し笑って続けた。

「お前は一人で背負いすぎる。けど、リーダーってのは全部を抱え込むことじゃない。仲間を信じて任せることだ」

「……でも、あなたは一人で残ったじゃない」

「それは違う。俺は――信じたからだ。お前たちが逃げ切るって」

 

 ルナはハッと顔を上げた。

 月光に照らされたリュウジの横顔は静かで、どこか切なげだった。

 

「怖くなかった?」

「怖くないわけないさ。……でも、あの瞬間は迷わなかった」

 リュウジはそう言って小さく笑った。

「お前の声が聞こえてた気がしたからな。“生きて帰ってきて”って」

「……えっ」

 ルナの頬が一気に熱くなった。

「ま、幻聴かもしれないけどな」

「も、もう……からかわないでよ」

 ルナは俯きながら呟き、両手で頬を覆った。

 

 リュウジは少しだけ笑い、そのまま夜空に視線を戻した。

 風が流れ、森の奥から鳥の羽音が響いた。

 

「ルナ、もし……明日、何かあっても、怖がるな」

「なに、それ。縁起でもないこと言わないで」

「違う。怖くても、立ち止まるなってことだ。お前が動けば、みんなも動ける」

「……そんな風に言われたら、泣いちゃうじゃない」

「泣いてもいいさ。泣いて、また立てばいい」

 

 ルナは小さく頷き、リュウジの肩にそっと頭を寄せた。

 彼は驚いたように一瞬固まったが、何も言わなかった。

 

 静寂の中で、虫の音と風の囁きだけが響く。

 それは戦いの前夜とは思えないほど、穏やかな時間だった。

 

⬜︎

 

 夜が明ける前、まだ遺跡の内部は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。

 中央のホールには、罠づくりを終えたルナたちが集まっていた。

 シンゴとチャコ、ポルトは奥の機関室で重力制御ユニットの調整を続けている。

 リュウジはその手前に立ち、工具を置く音に耳を澄ませながら、静かにみんなの顔を見渡した。

 

「作戦の最終確認をしておこう」

 メノリの声に皆が頷いた。

 ルナは地面に棒で地図を描きながら、罠の配置と動線を指差した。

「メノリが囮になって、ボブを誘導する。ベルと私は罠のロープを切るタイミングを合わせて、上から檻を落とす。カオルはシルヴァを引きつける。――それでブリンドーを孤立させる」

「それであの三人を一気に制圧するってわけだな」とベルが確認するように言った。

 ルナは頷き、「うん。……あとは慎重に」と言葉を締めた。

 

 全員の顔に緊張が走る。

 その時、リュウジが低い声で口を開いた。

 

「俺も行く」

 

 その一言に場が静まり返った。

 ルナが目を見開き、思わず立ち上がる。

「ダメ。今回は……私たちでやるの」

 

「何?」とリュウジがわずかに眉を寄せる。

「いつも、あなたに頼ってばかりだった。危険な時も、決断の時も……。でも、もうみんな分かってるの。あ私たちはやれるって」

 ルナの声は小さかったが、その瞳には確かな光が宿っていた。

 

 メノリが腕を組み、「ルナの言うとおりだ」と静かに頷く。

「私たちももう、子どもじゃない。リュウジに頼らずにやり遂げるべき時だろう」

「そうそう! ウチらだって成長しとるで」とチャコも自信ありげに言う。

「なあ、リュウジ。俺達を信じてほしい」とベルが穏やかに笑った。

 

 リュウジはしばらく沈黙していた。

 燃料タンクの低い唸りだけが響く中で、彼の瞳は一人ひとりの顔をゆっくりと見つめていた。

 やがて、わずかに笑みを浮かべる。

 

「……分かった。信じる」

 その声には、どこか優しさが混じっていた。

 

 ルナは安堵の息を漏らす。

「ありがとう。でも、私たちが戻るまで、ここを頼むね」

「ああ。お前たちが帰る場所は、ちゃんと守っておく」

 

 リュウジは背中を壁に預け、腕を組んだ。

 その横顔には、頼もしい仲間を見送る誇りと、どこか父親のような静けさがあった。

 

 

出発の時 ――夜明けに向かって

 

 遺跡の出口。

 薄明の光が差し込み、森の外では鳥の声がかすかに響いていた。

 

 ルナたちは装備を整え、互いに頷き合った。

「行こう。……みんな、気を引き締めて」

「おう! 任せとけ!」とベルが力強く答えた。

 メノリは背負った槍を確かめ、「作戦に狂いはない。焦らなければ勝機はある」と冷静に言う。

「気をつけるんだよ」とシンゴの声が遺跡の奥から聞こえ、チャコが「ウチらのぶんまで頑張ってな」と笑顔を見せる。

 

 その声を背に、ルナたちは静かに遺跡を後にした。

 リュウジは最後まで見送っていた。

 彼の胸の奥には、不安と誇り、そして――一抹の寂しさが入り混じっていた。

 

 (あいつら……本当に強くなったな)

 リュウジは小さく息を吐き、腰の黒曜石ナイフを握りしめた。

「信じるってのは……こういうことか」

 

 そして彼は、再び遺跡の奥に戻り、重力制御ユニットの様子を確かめに歩き出した

 

⬜︎

 

東の森の奥は、朝の光が届いても薄暗かった。巨木の根が地を盛り上げ、蔓とシダが幾重にも垂れ下がる。湿った土の匂い、遠くで水が滴る音。わずかに軽い重力のせいで、枝葉は人の気配に敏感に揺れた。

 

「――始めよう」

メノリが小さく告げる。声は低く、芯がある。「配置、間違えるな。合図は二度の指笛だ。いいな」

「うん。……行こう」ルナが頷き、ベルと目を合わせる。ベルは静かに太い蔓縄のテンションを確認し、ナイフの刃先で結び目の位置を測った。

カオルは短く「俺は滝筋の上段だ」と告げ、影に溶けるように消えた。

 

メノリは囮役。白い腕に土を塗り、足音がわずかに響くよう落葉を選んで踏む。巨木と巨木の間を抜けると、茂みの向こうで低い唸り声がした。

「見つけたぞォ……!」

ボブだ。樹皮を裂くような足音で突進してくる。金属が擦れる鈍い音――頭部のサイボーグ補強が朝の光を鈍く弾いた。

 

「こっちだ」

メノリは振り向かない。呼吸だけ整え、計った歩幅で木々の間を縫う。狙いは一本の太い枝。そこから吊られた偽の蔓橋――下は浅く偽装した落ち窪み。さらに数歩先、仕上げの“檻”の直下。

「逃がすかよッ!」

ボブの影が迫る。吐息が熱い。茂みの縁でメノリの踵が一瞬沈む。その瞬間、茂みの中でルナが小さく指を立てた。

「今」

ベルが頷き、太蔓に噛ませた楔支点のロープをルナと同時に切る。

 

バサン――!

頭上の枝組が落ちると同時、積み上げた角木の檻が重力に従って真下へ。

「ぐっ……ぬおおおお!」

ボブの肩に檻の梁がのしかかり、脚が木枠に絡まって動きが止まる。鉄ではない。けれど、湿った木と楔の噛み合わせは強固だ。サイボーグの頭部が梁にぶつかり、表面に入った細いヒビが、今日ふたたび軋んだ。

檻の外でベルが素早く予備蔓を回し、柱に巻き付けて固定する。

「ベル、結び目、もう一段!」

「了解。……よし、動けないはずだ」

「離れて!」ルナが手で合図し、二人は葉の影に身を滑らせた。

 

 

森の反対側、湿った岩棚の上。

ヒュッ――と短い指笛。

シルヴァの足が止まる。「こっちにいる……?」

電気ウィップが唸り、青白い火花が葉を焼く。

「遊んであげる。出てきなさいよ」

「……悪いが、踊りは得意じゃない」

カオルが真正面から歩み出る。槍の穂先が低く揺れ、狩人の目だけが笑わない。

 

シルヴァが先に打つ。裂帛の一閃――ウィップの軌道をカオルは幹に沿って滑らせ、穂先で絡みを外す。逆手に持ち替えた瞬間、女の左袖から針が弾けた。

「――ッ」

身を屈め、岩肌に針が刺さる音を背で聞く。カオルの槍が返る。シルヴァは踝で地面を蹴り、紙一重で躱した。

一歩、また一歩。互いに間合いが縮まらない。

ウィップが空気を裂けば、槍が線を断つ。針が唸れば、影が沈む。

どちらも一撃を許さない。森の奥気だけが、二人の間で熱を帯びていく。

 

 

その頃。

ブリンドーは一人、地図でもなぞるように静かに森を歩いていた。足跡を追わず、地形の“癖”を読む。

「……足音を消してるな。だが、蔓の張りは消えん」

彼が踏み出す一歩――

足首に柔らかい感触、次の瞬間には乾いた滑車音。

 

ガシャン!

視界が反転し、世界が逆さになる。

「チッ」

宙に引かれ、ぶら下がる。足に食い込む蔓縄が軋む。

「ガキの仕事にしては筋がいいな」

彼は落ち着いて上体を反らし、レーザー銃を持ち上げた。

岩陰に、走る影――。

赤い光条が走り、岩角が爆ぜる。砕片が葉を散らす。

「ルナ!」

ベルが覆い被さる。「大丈夫か」

「平気……行くよ!」ルナは息を詰め、合図を送る。退き線へ。

影がすべり、葉が跳ねる。

 

「ガキの遊びだ」

ブリンドーが吐き捨てると、銃口を自分の上――吊り縄に向けた。

ドン、と短い発光。蔓が焦げ切れ、体が落ちる。

膝で衝撃を殺し、そのまま回転、着地。

「さて、狩りの続きといこうか」

 

逃げる背に、真紅の線が伸びた。

ジュ――ッ。

「っ……!」

メノリの上腕の布が焼け、白い肌に赤い線が走る。

「メノリ!」

「大丈夫だ、掠っただけだ」メノリは歯を食いしばり、声は揺らさない。「ベル、ルナを先に――いや、ここは私が押さえる。ルナ、退け。次の罠まで下がるんだ」

「でも――」

「リーダーは前で倒れるべきじゃないだろう」

メノリは自分の傷口に短く布を巻きながら、顎で森の奥を示した。瞳はまっすぐ、いつもの厳しさの裏に、柔らかな信頼が宿る。

ルナは息を呑み、それでも頷く。「分かった。――ベル、右へ。次の窪地へ誘導する」

「了解。ルナ、足元に気をつけて」

 

背後で、ブリンドーの気配が迫る。葉の擦れる音が、重く近い。

遠く、カオルとシルヴァの金属音がまだ続く。互いに一撃も入らない、拮抗の音。

東の森は、罠と息遣いと、決意の匂いで満ちていく。

 

ルナは振り返らない。

(信じて。――私たちで、やり遂げる)

胸の奥でそう言い切って、次の影の中へと仲間を導いた。

 

⬜︎

 

 東の森の奥。

 木々のざわめきの中に、金属が擦れる音と荒い息づかいが響いていた。

 カオルは鋭い眼光を放ちながら、シルヴァの攻撃をかわしていた。

 電気ウィップが地面を焦がし、毒針が木の幹に突き刺さる。

 静寂と殺気が交錯する。

 

「フッ……反応が早いわね、坊や」

 シルヴァの唇が笑みを描く。

 

「そっちもな。だが――焦ってるのはお前のほうだ」

 カオルの低い声が森に響いた。

 

 互いに一歩も譲らず、攻防が続く。だがその時、遠くで「ピシュッ!」と鋭い音が響いた。

 空気を震わせるレーザーの音――。

 カオルの顔色が変わる。

 

「……ルナたちか!」

 

 シルヴァの隙を突き、カオルは枝を蹴り上げるようにして一気に離脱。

 シルヴァが追おうとしたが、すぐに電気ウィップを引き戻し、舌打ちをした。

 

「……あの子たちね。面白いわ」

 

 カオルはその声を背に、森を駆け抜けていった。

 

 

 その頃――

 ルナたちは、切り立った崖を背に追い詰められていた。

 

 正面にはブリンドーが立ち、レーザー銃を構えている。

 その黒い銃口が、わずかに陽光を反射した。

 

 ルナは呼吸を整え、両手を広げて仲間の前に立った。

 

 ブリンドーの口角がゆっくりと上がる。

「その勇気に免じて――お前から殺してやるよ」

 

 ルナの心臓が跳ねる。

 恐怖を押し殺しても、膝がわずかに震えていた。

 

 ――その時だった。

 

 

 崖の上から「シュッ」と風を裂く音が走り、「ガンッ!」と鋭い衝撃音。

 ブリンドーの手からレーザー銃が弾き飛ばされた。

 

「なっ……!」

 ブリンドーが驚きに顔を上げる。

 

 崖の上から降り注ぐ陽光を背に、カオルが立っていた。

 手には槍。無言のまま、崖を滑るように降りてくる。

 

「……カオル!」

 ルナが叫ぶ。

 

 カオルは足を地につけると同時に、低く呟いた。

「下がれ。ここから先は、俺がやる」

 

 その一言に、ルナの胸が熱くなる。

 ブリンドーの意識がカオルへと移った、その瞬間――。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 ベルが叫び声を上げ、両腕で大きな岩を持ち上げた。

 その巨体が地面を踏みしめ、渾身の力で岩を放る。

 

 岩はブリンドーにではなく――足元のレーザー銃へと正確に飛んだ。

 

「なっ――!」

 

 ドンッという鈍い衝撃。

 銃身が歪み、火花が散った。

 爆発というほどではないが、閃光と煙が走り、ブリンドーが咄嗟に腕で顔を覆う。

 

 わずかに後退したブリンドーの足元に、焦げた地面が広がった。

「……チッ、やるじゃねぇか」

 

 煙の中からカオルが前に出て、槍を構えた。

「次は外さねぇぞ」

 その声に、ブリンドーは口角を上げたまま一歩引く。

 

 ルナはその隙を見逃さなかった。

「今よ、みんな!」

 

 ルナ、メノリ、ベル――3人が同時に動く。

 崖の陰から光が差し込み、森の奥で風が吹き抜けた。

 戦いの緊張が、一瞬だけ緩む

 

⬜︎

 

 

土埃がまだ舞っている。

 岩肌に散らばる破片の中、ルナたちは息を切らしながら、森の奥――遺跡の方角へと駆け抜けていた。

 

「こっちだ!」とベルが声を張り上げる。

 ルナ、メノリ、カオルが続き、枝をかき分けながら走る。

 だが、その時だった。

 

 ――バキッ。

 

 茂みが不自然に動いた。

 反射的にルナが立ち止まる。

 次の瞬間、樹々の陰から、丸太を抱えた巨体――ボブが現れた。

 

「逃がすかァ!!」

 その声と同時に、丸太が横薙ぎに振り払われる。

 風圧だけでも地を削るほどの威力。

 ルナたちは一斉に飛び退いた。

 

「こっちの道を――」

 メノリが進路を変えようとした瞬間、地面が青白く光を放った。

 

 バチィッ!!

 

 電撃が地を這い、空気が焼ける匂いが広がる。

「ひっ……!」

 シルヴァが姿を現した。

 片手には電気ウィップ、もう片方の手首からは細い針のような装置が覗いている。

 

「またお前たちね。学習能力のないガキども」

 艶めいた笑みを浮かべながら、電撃の鞭を振る。

 その背後、木々の間からは――ゆっくりと歩いてくるブリンドーの姿が見えた。

 

「ほう……逃げ足は早いようだな」

 低く響く声。

 レーザー銃を失った右手には、折れた金属片を握りしめている。

 額には血が滲んでいたが、目の奥は冷え切っている。

 

 三方向から、逃げ場を塞ぐように迫ってくる。

 森の空気が一気に重くなった。

 

 ルナたちは息を詰め、一歩……また一歩と後ずさる。

 湿った土が足元で崩れる音がした。

 

「もう少しだ……もう少し下がれば、落とし穴がある」

 カオルが低い声で囁く。

「でも……三人同時は無理よ!」

 メノリの焦った声がかすれた。

 

 その瞬間――。

 

 ヒュッ。

 

 風を切る音がした。

 続いて、ブチッと何かが切れる音。

 

「なっ……!」

 ブリンドーが顔を上げる。

 次の瞬間、シルヴァの真上――木々の間から巨大な檻が落ちてきた。

 

 ドゴォッ!

 

 木片が弾け、土煙が舞う。

「きゃっ……!? な、なにこれっ!」

 シルヴァが電気ウィップを振るうが、檻の格子に絡まって電撃が反射し、青白い火花を散らす。

 

「今だ、走れ!」

 ベルが叫ぶ。

 

 ルナ、メノリ、カオルの三人は同時に背後へと飛び出した。

 全力で駆ける足音が森に響く。

 

「おい!待ちやがれ!」

 ボブが丸太を放り捨て、怒号と共に追いかける――が。

 

 ズボッ!!

 

 足元の地面が崩れ落ち、ボブの巨体がそのまま落とし穴に吸い込まれた。

「ぐわあああっ!!」

 木屑と土を巻き上げ、もがく音が響く。

 

 ブリンドーは歯ぎしりをしながら、落とし穴の縁に視線を向けた。

「ガキどもが……なるほど、罠か」

 

 ルナたちの姿が森の奥へ消えていく。

 ブリンドーは拳を握りしめ、低く呟いた。

 

「――もう遊びは終わりだ」

 

 その声には、怒りというよりも冷徹な殺意が宿っていた。

 

⬜︎

 

息を切らしながら、ルナ、メノリ、ベル、カオルの四人が遺跡へと戻ってきた。

 森を抜け、石造りの壁が見えた瞬間、全員の足が自然と速まる。

 入り口の前ではリュウジとハワード、シャアラ、アダムが待っていた。

 

「……戻ったか」

 リュウジの低い声。焚き火もない薄暗い朝の光の中で、その輪郭が浮かぶ。

 

「どうだった?」とハワードが不安げに声を出す。

「もうすぐ来るわ。森の奥まで進んできてる」

 ルナが告げると、空気が一気に張り詰めた。

 

 ベルは汗をぬぐい、短く息を吐いた。

「……追いつかれるのは時間の問題だ」

「まだ宇宙船は直っていない。なら、ここで迎えるしかないだろう」

 メノリの声は落ち着いているが、どこか緊張を隠せない。

 

 リュウジはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。

「――遺跡を使うか」

 

 ルナはその言葉に目を向ける。

「……うん。ここで立て籠もる。もう逃げてばかりじゃ終わらない」

 

 その決意を聞いたアダムが小さく手を上げた。

「ぼくが扉を閉めるよ」

 その目は幼さの奥に、強い意志が宿っていた。

 

「お願い、アダム」

 ルナがそう言うと、アダムは深く頷き、両手を広げた。

 遺跡の入り口の両脇に埋め込まれた石板が、かすかに光を帯びる。

 重く鈍い音――ガコン、ガコンと響き、巨大な石扉がゆっくりと降り始めた。

 外の光が少しずつ細くなり、やがて完全に閉ざされる。

 

「これで……入れないわね」

 シャアラが小さく呟く。

 その声には安堵と、わずかな恐れが混じっていた。

 

 ベルが周囲を確認しながら言う。

「こっちの入り口からじゃ簡単には入れない。厚みも相当だ」

「……だが安心はできん。あいつら、頭も回る」

 カオルは壁に手をつきながら、外の気配を探るように目を細めた。

 

 その中で、ルナがふとリュウジのほうを見た。

 いつものように冷静な表情。しかし、その背中は確かに疲れているように見えた。

 ルナは一歩近づき、小さく呟く。

「……ありがとう、リュウジ」

 

「何のことだ?」

 リュウジは眉を上げてとぼけるように言う。

 

「……檻よ。シルヴァを捕まえた罠。あれ、リュウジが作動させたんでしょう?」

「……」

 一瞬だけ、リュウジの目が細められる。

「見間違いじゃないのか」

 

「リュウジのナイフを見間違えるわけないわ。あの音、あのタイミング――私、ちゃんと聞いてたもの」

 

 ルナの言葉に、リュウジは少しだけ息を漏らした。

「……そうか」

 短い返事。しかしその中に、どこか安堵と照れが混じっていた。

 

「どうして助けに来たの?」

 ルナの問いに、彼は肩をすくめた。

「助けたわけじゃない。罠の調整が甘かっただけだ」

 

 ルナはくすっと笑った。

「嘘つき」

 

 その一言に、リュウジは小さく目を逸らした。

「……まったく、お前はよく見抜くな」

 

 その時、遺跡の奥からシンゴの声が響く。

「重力制御ユニット、あと少しで動きそうだ!」

 機械音と共に、金属を打つ音が反響する。

「チャコ、そっちの回路をもう一度確認して!」

「了解や! ウチに任せとき!」

 

 ポルトはその隣で黙々と手を動かしながら、低く呟いた。

「……まだ少し時間がかかる。だが、もうすぐだ」

 

  ルナはその声に少しだけ笑みを浮かべた。

「みんな、本当に頼もしくなったね……」

 

 リュウジは壁にもたれかかりながら腕を組む。

「――お前の影響だろ」

 

「え?」とルナが目を瞬かせる。

「お前が、みんなを変えた。俺もな」

 そう言うと、リュウジは外の光が消えて暗くなった入り口の方を見つめた。

 

 ルナはその横顔を見つめ、静かに言葉を落とした。

「……今度は、私たちがあなたを守る番だよ」

 

 リュウジはわずかに笑みを浮かべた。

「守られるのは柄じゃないが……悪くない」

 

 ルナは頷き、遺跡の奥へと歩き出した。

 その背中に、リュウジの静かな視線がしばらく注がれていた。

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