サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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テレビ会議

 副パーサーの件は、結局のところ断られた。

 

 はっきりと、だが誠実に。

 ハワード財閥の旅行会社にも事情があり、繁忙期を前にして副パーサークラスの人材をそのまま切り出すことは出来ない。

 その理屈は、エリンにも分かった。

 分かったからこそ、反論の余地もなかった。

 

 社長室を出て、長い廊下を歩き、エレベーターへ乗り、受付を抜けるまでの間、三人ともほとんど口を開かなかった。

 

 建物の外へ出ると、コロニー特有の乾いた風が頬を撫でた。

 人工の空は淡い橙色で、遠くに浮く交通レーンの光が規則正しく走っている。ハワード財閥の旅行会社が入る高層ビルの足元はいつも通り整然としていて、人の流れにも無駄がない。

 それが逆に、今のエリンには少しだけ遠く感じられた。

 

 エアポートへ戻るにはまだ少し時間がある。

 直行してしまってもよかったが、エリンは一度だけ足を止めた。

 

「少し休みましょうか」

 

 その声に、クミコとマユはほとんど同時に顔を上げた。

 

「はい」

「はい」

 

 二人とも、どこかほっとしたような返事だった。

 社長室で聞いた話も、見たものも、まだ自分の中で整理しきれていないのだろう。エリン自身も同じだった。

 

 通りに面した小さな喫茶店へ入る。

 ハワード財閥のビル群の近くにあるだけあって、客層は落ち着いていた。スーツ姿の会社員、打ち合わせ中らしい二人組、端末を開いて静かに作業する人。店内には豆を挽いた香ばしい匂いと、低く流れる音楽が満ちている。大きすぎない照明の明るさが、少しだけ張りつめていた神経を緩めた。

 

 三人は窓際の席へ通された。

 外を見れば、エアポート行きの交通シャトルが規則正しく行き交っている。

 

 エリンはホットコーヒーを、クミコはミルクティーを、マユは温かいココアを頼んだ。

 飲み物が運ばれてくるまでの時間、誰も口を開かなかった。

 

 沈黙が重いわけではない。

 ただ、社長室で交わされた言葉があまりにも大きくて、それをそれぞれが自分の中へ落とし込もうとしている時間だった。

 

 やがて、白いカップが三つ置かれる。

 

 エリンは、湯気の立つコーヒーへ目を落としたまま、静かに言った。

 

「……今回の未探索領域の調査は、諦めようと思う」

 

 その一言で、クミコもマユもはっと顔を上げた。

 

「え……」

 

 声を漏らしたのはクミコだった。

 マユも、ココアのカップへ伸ばしかけていた手を止めている。

 

 エリンは、二人を見ないまま続ける。

 

「行きたい気持ちはある。でも、今の話を聞いて、やっぱり今のスペースホープを離れるのは違うと思ったの」

 

 コーヒーの湯気が、エリンの顔の前でゆっくり揺れる。

 

「副パーサークラスを借りられない。つまり、今の現場は、今いるメンバーで育てるしかない。それなら、今の私が抜けるのは危うすぎるわ」

 

 クミコは何か言いたくて、でもすぐには言葉が出なかった。

 マユも同じだった。

 未探索領域。

 ラ・スペランツァ。

 エリンにとってどれだけ大きな意味があるか、全部を知っているわけではない。

 それでも、あの社長室でエリンが“行きたい”と口にした時の声は、忘れられなかった。

 

 だからこそ、その気持ちを自分で切ろうとしている今の姿が、胸に重かった。

 

 最初に口を開いたのは、意外にもマユだった。

 

「……でも」

 

 小さな声だった。

 それでも、ちゃんと芯のある声だった。

 

「エリンさんが、やりたいことなら……やってほしいです」

 

 エリンがそこで初めて顔を上げる。

 マユは少しだけ緊張した顔をしていたが、目は逸らさなかった。

 

 クミコも、その言葉に背中を押されたように続ける。

 

「私も、そう思います」

 

「クミコ」

 

「だって、エリンさんが行きたいって、あんなふうに言うの珍しいです」

 

 クミコの声は少しだけ震えていた。

 けれど、それは怖さだけではない。

 

「だから……私達のせいで諦めてほしくないです」

 

 まっすぐなその言葉に、エリンの胸が少しだけ痛んだ。

 

「貴方達のせいじゃないわよ」

 

 エリンはすぐに言った。

 

「そういう訳にはいかないの」

 

 クミコが唇をきゅっと結ぶ。

 マユも、両手でカップを包み込むように持ちながら、静かに聞いていた。

 

「今のスペースホープは、ようやく仕事が入り始めたところよ」

 

 エリンは、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「これからが一番大事な時期なの。ここでチーフパーサーの私が抜けて、現場が不安定になったら、せっかく繋がった流れまで切れるかもしれない」

 

「でも……」

 

 クミコが食い下がるように言う。

 

「私達も、前よりは出来るようになってます」

 

「ええ。なってるわ」

 

 エリンはその点を否定しなかった。

 

「ミラもランも、ちゃんと前に立てるようになってきてる。クミコも、マユも、他の皆んなも、少しずつ上がってきてる」

 

 その言葉に、二人の目が少しだけ揺れる。

 認められている。

 それは嬉しい。

 でも今この場では、それだけでは足りなかった。

 

「だったら……」

 

 クミコがなおも言おうとする。

 その先を、エリンは静かに引き取った。

 

「でも、それは“いずれ”の話よ」

 

 その一言が、テーブルの上へ重く落ちる。

 

「クミコとマユは、いずれは副パーサーになる器だと思ってる」

 

 クミコの呼吸が止まり、マユも目を見開く。

 想像もしていなかったわけではない。

 社長室での話の流れから、どこかでそういう意味合いは感じていた。

 それでも、エリンの口からはっきりと“なる器”だと言われるのは、やはり別の重みがあった。

 

「そして、その先にはチーフパーサーだってあるわ」

 

 クミコもマユも、言葉を失ったままエリンを見つめる。

 

 エリンの眼差しは真剣だった。

 慰めでも、おだてでもない。

 本当にそう思っている目だ。

 

「でも、それは今じゃないの」

 

 その言葉は優しかった。

 けれど、逃げ道のない優しさだった。

 

「今は地に足をつけて、一歩ずつ前に進んでほしい」

 

 エリンは、コーヒーのカップへ一度だけ視線を落としてから、また二人を見る。

 

「今の貴方達に必要なのは、“私がいなくても何とかしなきゃ”って急に上を背負うことじゃない」

 

 マユの指先が、カップの縁を少しだけなぞる。

 その言葉は、痛いほど分かる。

 もしエリンが抜けるとなれば、自分達は確実に急ぎ足で押し上げられる。

 それは成長ではなく、追い立てられることに近いかもしれない。

 

「焦って役目だけ先に大きくなると、技術も自信も追いつかないまま本番へ出ることになる」

 

 エリンは静かに続けた。

 

「そうなると、一番悔しいのは貴方達自身よ」

 

 その言葉に、クミコは目を伏せた。

 マユもまた、小さく息を呑む。

 

 悔しい。

 その言葉は、妙に現実味を持って二人の胸へ刺さった。

 今なら分かる。

 自分が足りないまま前へ出るのが、どれだけ苦しいか。

 客室の中で、守りたいのに守りきれない。

 整えたいのに整えられない。

 そういう悔しさは、きっと簡単には消えない。

 

 しばらくの沈黙のあと、クミコがゆっくり顔を上げた。

 

「……副パーサーになるには、どうすればいいですか?」

 

 それは、諦めたくない人間の問いだった。

 “今じゃない”と言われた。

 なら、じゃあどうすればそこへ行けるのか。

 それを知りたいという、まっすぐな問いだ。

 

 マユも、その問いに乗るようにエリンを見つめていた。

 

「私も、知りたいです」

 

 エリンは、二人のその顔を見て、ほんの少しだけ笑った。

 嬉しかったのだ。

 “今じゃない”と言われて落ち込むだけではなく、その先を問うてきたことが。

 

「そう簡単な話じゃないわよ」

 

 まずは、正直にそう言う。

 

 クミコもマユも、その一言で少しだけ身構えた。

 だがエリンは、そこで切り捨てるようなことはしなかった。

 

「でも、難しいからって曖昧にしていい話でもないわね」

 

 そう言って、カップの持ち手へ指をかける。

 コーヒーを一口だけ飲んでから、エリンはゆっくりと話し始めた。

 

「まず一つ目。自分の仕事を、安定して出来ること」

 

 クミコもマユも、すぐに姿勢を正した。

 

「それも、“出来る時もある”じゃ駄目。緊張しても、疲れていても、予想外のことが起きても、大きく崩れずに出来ること」

 

 エリンの声は落ち着いている。

 まるで訓練の時のように、一つずつ段階を置いていく。

 

「副パーサーは、他人を見る役目が増える。でも、自分が毎回ぐらついていたら、当然そこまで手が回らない」

 

 クミコは、その言葉に胸の内で何度も頷いた。

 たしかに今の自分は、まだ自分のことで精一杯になる場面がある。

 責任感で前には出る。

 でも、前に出たあとの呼吸がまだ荒い。

 それを自分でも分かっているからこそ、エリンの言葉は痛いほど入ってくる。

 

「二つ目」

 

 エリンは続ける。

 

「自分の隣の二人か三人を、同時に見られること」

 

「隣の……二、三人」

 

 マユが小さく繰り返す。

 

「ええ」

 

「全体、じゃないんですか?」

 

 クミコが尋ねると、エリンは首を横に振った。

 

「いきなり“全体を見ろ”って言われても、ほとんどの人は空っぽになるの」

 

 その言い方に、二人は少しだけ納得したように黙る。

 

「だから最初は、“自分の担当に加えて、隣の二、三人を見る”ところからでいい」

 

 エリンは手元で軽く指を動かしながら、目に見えない客席配置を描くように言う。

 

「この子、今少し呼吸が浅いな。あの子、返事はしてるけど目線が固いな。あっちは手が足りてないな。そういうのを、自分の役目をやりながら拾えるようになること」

 

 マユの目が、そこで少しだけ強くなる。

 それは自分が一番足りていない場所だと分かったからだ。

 

「三つ目」

 

 エリンは少しだけ間を置いた。

 

「緊急時に、一番静かでいられること」

 

 クミコもマユも、表情を引き締める。

 

「これは、声を小さくしろって意味じゃないわよ」

 

 エリンはすぐに補足する。

 

「頭の中を静かに出来るかどうか」

 

 その言葉に、二人ともはっとした顔をした。

 

「誰かが吐いた。泣いた。倒れた。予定が崩れた。そういう時に、心臓は跳ねて当然。でも、そのまま頭まで一緒に跳ねたら副パーサーは務まらない」

 

 エリンの脳裏には、あの教育便でユウコが吐瀉を受けた時の姿が浮かんでいた。

 あの瞬間、ユウコは頭を静かに保った。

 だからあの場は崩れなかった。

 

「焦らない人間なんていないわ。でも、焦った中で順番を守れる人間はいる」

 

 クミコは、ゆっくりとその言葉を飲み込んだ。

 “順番を守る”。

 それは今まで考えたことのない表現だった。

 でもたしかに、緊急時に一番必要なのは、感情の勢いより順番なのだろう。

 

「四つ目」

 

 エリンの声が少しだけ柔らかくなる。

 

「人を見て、言葉を変えられること」

 

 マユが静かに顔を上げた。

 

「……エマさんみたいに、ですか」

 

 その問いに、エリンは微笑む。

 

「そうね。エマはそのあたり、とても上手い」

 

 マユの胸の中で、さっきシュミレーションルームで見たエマの姿が浮かぶ。

 同じ『こちらへどうぞ』でも、相手によって声の温度も速度も違っていた。

 あれは確かに、“正解の言葉を言う”のとは全然違う。

 

「副パーサーは、正しいことを知ってるだけじゃ足りない」

 

 エリンは言う。

 

「相手が今、何を受け取れる状態なのかを見て、同じ意味を別の形で渡せないといけないの」

 

 クミコは、その言葉にふとカイエの声も思い出していた。

 厳しいのに、置いていかれない指導。

 きっとあれも、相手の受け取れる形を知っているから出来るのだ。

 

「五つ目」

 

 エリンは最後に、二人の目を順番に見た。

 

「自分一人で背負わないこと」

 

 その一言に、クミコの肩がぴくりと動く。

 マユも、少しだけ目を伏せた。

 

「副パーサーって、前に立つでしょう?」

 

 エリンは静かに言う。

 

「だから勘違いしやすいの。自分が全部整えなきゃ、自分が全部拾わなきゃって」

 

 それはクミコには痛すぎるほど分かる話だった。

 そしてマユにも、別の意味で刺さる。

 自分一人で全部は持てない、と最初から引いてしまうこともまた、背負い方の一種だからだ。

 

「でも本当に強い副パーサーは、ちゃんと人へ渡せる」

 

 エリンは言い切る。

 

「誰へ何を任せるか。どこで助けを求めるか。誰の力をどう繋ぐか。それが出来る人の方が、客室は強い」

 

 喫茶店の窓の外で、エアポート行きのシャトルがまた一台通り過ぎていく。

 店内には静かな音楽が流れている。

 それなのに、今このテーブルの上には、訓練の場よりも重い言葉が並んでいた。

 

 クミコは、しばらく何も言えなかった。

 副パーサーになる方法を聞いたつもりだった。

 でも、返ってきたのは“やることの多さ”ではなく、“在り方”の話だった。

 技術だけではない。

 頭の静けさも、言葉の置き方も、任せ方も必要なのだ。

 

 マユもまた、自分の中で何かが静かに組み変わっていくのを感じていた。

 副パーサーとは、ただ段階が一つ上がることではない。

 見える範囲も、背負う意味も、全然違うものになるのだ。

 

 エリンは、そんな二人の沈黙を急かさなかった。

 コーヒーをもう一口だけ飲み、静かに待つ。

 

 やがて、クミコが小さく息を吐いた。

 

「……やっぱり、遠いです」

 

 その本音に、エリンは少しだけ笑った。

 

「そうでしょうね」

 

「でも」

 

 クミコはすぐに続けた。

 

「前より、何が遠いのかは分かりました」

 

 その言葉に、マユも小さく頷く。

 

「私もです」

 

 エリンは、その返答を聞いてゆっくりと頷いた。

 

「それなら今日は十分よ」

 

 喫茶店の空気は変わらない。

 でも三人の間には、来た時とは別の静けさがあった。

 

 未探索領域の件は、まだ決着していない。

 スペースホープの未来も、これからの育成も、どれも簡単にはいかない。

 それでも今、エリンの中でひとつだけ確かになったことがある。

 

 自分は、行きたい。

 そして同時に、今のこの子達をちゃんと立たせたい。

 その両方を諦めない道を、探さなければならない。

 

 クミコとマユは、まだ今ではない。

 でも、“いずれ”その場所へ行く。

 今日のこの会話が、その一歩になるのなら、ここへ連れてきた意味はあったのだと思えた。

 

 エリンは、そろそろ冷め始めたコーヒーへ視線を落としながら、静かに言った。

 

「帰りましょうか」

 

 クミコとマユは、同時に頷いた。

 

「はい」

「はい」

 

 三人は席を立つ。

 喫茶店の扉を開けると、また火星コロニーの乾いた空気が流れ込んできた。

 

 エアポートはまだ少し先だ。

 でも、その道のりは来た時よりも少しだけ、足元がはっきりしている気がした。

 

 

ーーーー

 

 

 宇宙管理局の会議室は、夜の静けさをそのまま閉じ込めたような場所だった。

 

 壁一面を使った大型モニター。

 中央の机。

 天井から落ちる白い照明。

 無機質で、どこか冷たいはずのその部屋に、今日は妙な熱があった。

 

 机の上に肘をつきながら、ペルシアは一つ息を吐いた。

 連絡はすでに回してある。

 時間も揃えた。

 後は繋がるのを待つだけだというのに、胸の奥は妙にざわついていた。

 

「なんか久しぶりね」

 

 独り言みたいにそう呟いたところで、最初の映像がモニターに映し出される。

 

 クリスタルだった。

 

 相変わらずどこか清潔な雰囲気を纏っている。髪を軽くまとめ、椅子の背にもたれながらこちらを見ていた。

 

「当たり前でしょ。最後に会ったのは、ブライアンとブルンクリンの救出任務以来だもん」

 

 開口一番、それだ。

 だが、その声音がいつも通りなのが少し嬉しい。

 

「そうだっけ?」

 

「そうよ。あんた、本当にそういうとこ適当なんだから」

 

 ペルシアが肩をすくめて笑うと、次に映ったのはチャコだった。

 

 古びた機体の外装こそ相変わらずだが、画面越しでも分かるくらいに目元が明るい。チャコはモニターの向こうで、こちらを見た瞬間にぱっと表情を崩した。

 

「なんや、元気そうで安心したわ」

 

「私はいつでも元気よ」

 

「それを自分で言うあたりがもうペルシアやなあ」

 

 けらけらと笑うチャコの声に、会議室の空気がほんの少し緩む。

 

 続いて接続されたのはサツキだった。

 整備士らしい簡素な作業服姿で、後ろには工具棚らしきものが見える。忙しい合間を縫って繋いできたのだろうが、姿勢はきちんとしていた。

 

「ペルシアさんは変わらないですね」

 

「それ、褒めてる?」

 

「半分は褒めています」

 

「半分なんだ」

 

 そこでペルシアが笑うと、サツキも少しだけ口元を緩めた。

 

 四人目はマリだった。

 宇宙管理局の通信施設の一角らしく、後ろには複数の端末画面と、控えめな照明が見える。以前よりも少し大人びた顔つきになっているが、真面目なところは変わらない。

 

「ペルシアさん、らしいです」

 

「マリも冥王星の管制で元気にやってるみたいね」

 

 その言葉に、サツキが横から目を瞬いた。

 

「マリ、冥王星に配属なの?」

 

「……まあね」

 

 わずかに間を置いてからの返答。

 その間に、リュウジが接続された。

 

 最後に映し出された彼は、他の誰よりも背景が簡素だった。

 白い壁、机、整えられた端末。余計なもののない空間。

 本人もまた、いつものように無駄のない姿勢で座っている。

 

「飛ばされたのか」

 

 開口一番、それだった。

 

「ぶっ!?」

 

 チャコが口元を押さえて吹き出す。

 

「チャコ……」

 

 マリが呆れたように眉を寄せるが、本人も少しだけ肩が揺れている。

 サツキまで口元へ手を当てていた。

 

「まあいいじゃない」

 

 クリスタルがあっさり流す。

 

「それで?」

 

 その一言で、ようやく場が本題へ戻る。

 

 ペルシアは肘を外し、背もたれへ深く座り直した。

 さっきまでの軽さを残しつつも、声の芯が少し変わる。

 

「連絡したとおり、未探索領域の件は正式に許可が出た」

 

 その一言で、モニター越しの全員の表情が同時に締まった。

 

「出発は二ヶ月後。場所は南側の航路を二ヶ月ってところかしら」

 

「了解や」

 

 チャコが真っ先に答える。

 関西弁のままでも、その声音には仕事の時の切り替えがあった。

 

「南側か……」

 

 マリも小さく頷く。

 

「北側、西側は事故もあったし、東側は魔のゾーン。必然的に南側ってわけ」

 

 ペルシアが言うと、誰も異論は出さない。

 それぞれの頭の中に、過去の事故記録や観測データ、未回収の空白地帯の地図が浮かんでいるのだろう。

 

「宇宙船は何を使うんですか?」

 

 サツキが問う。

 

「それはリュウジに決めてもらうけど、ネフェリスかアルテミスかな」

 

「どちらも俺は問題ない」

 

 リュウジが即答する。

 

「ウチも大丈夫や」

 

 チャコが頷く。

 

「私はアルテミスは初めてだから、先に色々と見てみたいです」

 

 マリが少し身を乗り出して言う。

 

「私はどちらでもいいわよ」

 

 クリスタルはいつもの調子で肩をすくめる。

 

 そこでリュウジが短く切り込む。

 

「とりあえず宇宙船を決めるにも、早いうちに集まってシュミレーションを重ねた方がいいだろ」

 

「ええ」

 

 ペルシアもすぐ頷いた。

 

「皆んなの仕事の都合もあるから、どれくらいから宇宙管理局に集まれそう?」

 

 サツキが少し考えてから答える。

 

「私は一ヶ月前でお願いしたいです」

 

「私はいつでも」

 

 クリスタルが言う。

 

「私も同じです」

 

 マリも続く。

 

「ウチはルナと相談せなあかんけど、一ヶ月前からがええとこやろな」

 

 チャコが言い、リュウジもそれに続いた。

 

「俺も一ヶ月前ならなんとかなる」

 

「なら一ヶ月前から宇宙管理局に集合にしましょう」

 

 ペルシアはそうまとめてから、そこでほんの少し間を置いた。

 

 問題は、ここからだった。

 

「それと、問題が一つあるのよ」

 

 その言葉に、モニター越しの空気が微かに張る。

 

「問題ですか?」

 

 サツキが最初に反応した。

 

「ええ」

 

 ペルシアは頷く。

 だが、そのあとの言葉だけは少し出しにくそうだった。

 

「エリンなんだけど、仕事の都合で来られないかもしれないのよ」

 

 会議室の空気が、目に見えない形で変わった。

 

「エリン、来られんのか?」

 

 チャコが一番に声を上げる。

 そこには驚きもあれば、信じたくない気持ちも滲んでいた。

 

「エリンさんが……」

 

 マリが顎に手を当てたまま、考えるように目を伏せる。

 

「一応、代わりのコックピットコンディションを探しているけど、すぐにどうなる話じゃないわ」

 

 ペルシアは言った。

 それは、表向きにはまだ整理された説明だ。

 だが、画面の向こうの誰もが、その一言で済む話ではないとすぐに分かった。

 

「ククルは?」

 

 クリスタルが問う。

 

「ククルは会社から正式にお断りの連絡があったわ。繁忙期なんだって」

 

 その返答に、今度は誰もすぐに口を開かなかった。

 

 未探索領域の調査。

 宇宙船。

 航路。

 期間。

 集結時期。

 そういった条件よりも、今ここで全員の胸へ一番重く落ちたのは、“エリンがいないかもしれない”という事実だった。

 

 

 最初にその沈黙を破ったのはチャコだった。

 

「……それ、かなり厳しいやろ」

 

 声の響きはいつもと同じなのに、軽さはほとんどなかった。

 

 チャコは、ただ仲間として寂しいからそう言ったわけではない。

 エリンがいない、ということがこの調査に何をもたらすかを、誰よりも身体感覚で知っているからこその言葉だった。

 

「チャコもそう思う?」

 

 ペルシアが聞き返す。

 

「当たり前やん」

 

 チャコは即答した。

 

「ウチら、何回エリンに助けられてきた思てんねん」

 

 その一言に、クリスタルが小さく頷く。

 

「そうね。しかも、助けられてる時って、こっちは大体あとから気づくのよね」

 

 その言い方に、サツキがわずかに目を上げる。

 

「あとから……ですか?」

 

「そうよ」

 

 クリスタルは腕を組んだ。

 

「エリンって、前に出る時は出るけど、本当に厄介なのは“見えないところで整えてる”時なの」

 

 その表現に、リュウジが静かに目を伏せる。

 否定しない。

 それがすでに同意だった。

 

「乗務員って、表に見える仕事だけじゃないでしょ」

 

 クリスタルは続ける。

 

「皆んなの呼吸、クルーの疲れ方、誰がどこで無理してるか、どういう順番で声をかけるか。あの人、そういうのを勝手に拾って勝手に整えてるのよ」

 

「ほんまそれや」

 

 チャコが大きく頷く。

 

「しかも、自分がやったみたいな顔せんしな」

 

「そうなのよ。腹立つくらい自然にやるの」

 

 クリスタルが言うと、少しだけ場に苦笑が混じった。

 だが、その苦笑の裏側にあるのは、やはり重さだった。

 

 サツキが、慎重に口を開く。

 

「やはりエリンさんがいないのは大きいですね」

 

 その言葉にリュウジは少しだけ考えるように黙ってから、短く言った。

 

「大きい」

 

 即答ではなかった。

 だからこそ、その一言には重みがあった。

 

「興味本位だけど、どういうところが、一番?」

 

 今度はマリが尋ねる。

 マリの声音は落ち着いていたが、知りたいという気持ちははっきりしていた。

 

 リュウジは言葉を選ぶように目を細める。

 

「一つじゃない」

 

 そう前置きしてから、続けた。

 

「エリンさんは、船内を整えるだけじゃない。操縦にも影響する」

 

 サツキがわずかに身を乗り出す。

 整備や機体管理を担う立場の彼女には、その“コックピットに影響する”という言葉が引っかかったのだろう。

 

「具体的には、どういう意味?」

 

「操縦に集中するには、船内の情報が綺麗に上がってくることが大事だ」

 

 リュウジの声は低いが、澱みがない。

 

「誰が不安定か。皆んなの体調がどうか。クルーが今どのくらい余裕を持っているか。予定の変更がどこまで波及しそうか。そういうのが、必要な形で入ってくると判断が早くなる」

 

 クリスタルがそこで頷いた。

 

「エリンはそれが上手いのよね。感情を持ち込まずに、でも冷たくもなく伝える」

 

「そうだ」

 

 リュウジが続ける。

 

「しかも、必要ない情報は切る。だから操縦側が無駄にざわつかない」

 

 マリはその言葉を聞きながら、自然と過去の光景を思い出していた。

 何かが起こった時、客室から上がってくる報告の質で、船全体の動きが変わることがある。

 それは管制の側にいても何度も見てきた。

 

「つまり、エリンさんがいないと、操縦側が余計な揺れを拾いやすくなるんだな」

 

「そういうことだ」

 

 リュウジは頷く。

 

「特に未探索領域みたいに、先が読めない任務ではな」

 

 その一言で、重みがまた増した。

 

 未探索領域。

 未知の航路。

 不確定な天候、未確認の障害、予想外のトラブル。

 そういう場所では、コックピットの判断一つが致命的に遅れることもある。

 そして判断を支えるのは、操縦技術だけではない。

 船全体の空気と情報の流れなのだ。

 

 チャコが腕を組みながら唸る。

 

「ウチから見ても、エリンおらんと船内の温度が変わるんよな」

 

「確かにね」

 

 サツキが聞き返す。

 

「せや」

 

 チャコは真面目な顔で頷いた。

 

「別にエリンがぎゃあぎゃあ騒いで空気作るわけやないで。でもな、エリンがおるだけで、みんなの呼吸が揃うんや」

 

 その表現は感覚的だった。

 だが、ここにいる面々にはよく分かった。

 

「リュウジが前向いて、ウチが横で騒いで、クリスタルが医療と全体見て、サツキが機材見て、マリが後ろ繋いで、ペルシアが外から無線飛ばしてくる。そこにエリンがおると、全部の“間”が繋がるんや」

 

 チャコはそう言ってから、少しだけ口元を歪めた。

 

「エリンおらんと、その“間”を誰が埋めるんやって話やろ」

 

 クリスタルが短く息を吐く。

 

「それなのよね」

 

 サツキは静かに考え込んでいた。

 整備士として、サポート要員として、彼女はエリンの役割を“客室の要”として見ていた。

 だが今、チャコやリュウジの言葉を聞くことで、それが単なる客室管理ではなく、船全体の呼吸を整えるものなのだとあらためて理解していた。

 

「私は……」

 

 サツキが慎重に口を開く。

 

「エリンさんは“人の疲れ”を見るのがとても上手いと思っています」

 

 その言葉に、クリスタルが「そうね」とすぐ返す。

 

「表情だけじゃなくて、声の調子とか、返事の速度とか、座る癖とか。そういうところで、この人は今ちょっと危ないって拾うじゃないですか」

 

「拾う」

 

 マリが小さく繰り返す。

 

「うん」

 

 サツキは頷いた。

 

「調査って、どうしても長丁場になりますし、南側の航路を二ヶ月となると、肉体的な疲れより先に“感覚が鈍る疲れ”が出てくると思うんです」

 

 リュウジがほんの少しだけ目を上げる。

 サツキは続けた。

 

「そういう時、機材は数字で出ます。でも、人は数字で出ないです。エリンさんはそこを見て、言葉にして、休ませる順番まで組める人です」

 

 マリもそこで静かに頷いた。

 

「私も同じことを思ってました」

 

 ペルシアが腕を組んだまま、マリを見る。

 

「マリも?」

 

「はい」

 

 マリは少し息を整えてから続けた。

 

「私は現場より管制側にいる時間の方が長いですけど、それでも分かるんです。エリンさんが乗っている時の通信は、余計な揺れが少ない」

 

「余計な揺れ」

 

 ペルシアが繰り返す。

 

「はい」

 

 マリは頷く。

 

「何かが起こっても、報告が必要な形で整理されてくる。だからこちらも支援しやすいですし、外から見ていても“船の中がまだ崩れていない”って分かるんです」

 

 チャコが「せやせや」と頷き、クリスタルも目を細める。

 

「エリンって、表に見える派手さはないけど、崩れない土台なのよね」

 

「だから厄介なんだよな」

 

 リュウジがぼそりと言う。

 

 その一言に、何人かが少しだけ笑った。

 リュウジらしい言い方だ。

 けれどその中には、確かな評価があった。

 

「厄介って言い方」

 

 サツキが少しだけ苦笑する。

 

「代わりが利かないってことだ」

 

 リュウジは簡潔に言った。

 

「船内を回せる人間はいる。乗務員として優秀な人間もいる。だが、エリンさんみたいに船全体のリズムを見ながら、必要な情報を必要な順番で通せる人間はそういない」

 

 その言葉は、会議室の全員に重く落ちた。

 

 クリスタルがテーブルへ指を軽く打ちつける。

 

「ククルが駄目ってのも痛いわね」

 

「せやなあ」

 

 チャコが眉を寄せる。

 

「ククルはまだ荒っぽいとこもあるけど、あの子はあの子で場を前に進める力あるしな」

 

「でも会社が断ったなら仕方ない」

 

 ペルシアが言う。

 その声音は淡々としているが、その奥に苛立ちがないわけではない。

 

「繁忙期ってのも嘘じゃないし、むこうだって今が大事な時なのは分かる」

 

 クリスタルが息を吐く。

 

「分かるけど、納得はしづらいわね」

 

 その“分かるけど”が、皆の本音だった。

 

 

 会議の空気は、そこで少しずつ“じゃあどうするか”へ向かい始めた。

 

 ただエリンがいないと厳しい、と言い合っていても何も進まない。

 それはここにいる誰もが分かっている。

 

「代わりのコックピットコンディションを探してるって言いましたよね」

 

 マリがペルシアへ確認する。

 

「ええ」

 

「候補はいますか?」

 

「ゼロじゃないわ。でも、すぐに“この人なら”って言えるレベルはいない」

 

 ペルシアは正直に言った。

 

「乗務員として優秀な人間ならいる。でも今回必要なのはそれだけじゃない。長期調査の中で、客室とコックピットの間を静かに繋げる人間。しかもラ・スペランツァの癖も、リュウジの操縦の癖も、チャコの動きも、クリスタルの判断も、ある程度読める方がいい」

 

「そんな人、そうそうおらんやろ……」

 

 チャコが呻くように言う。

 

「だから探してるって言ってるのよ」

 

 ペルシアが頭を掻く。

 

 サツキが少し考えてから口を開いた。

 

「もし代わりを立てるとしても、シュミレーションの量を相当増やさないと無理ですね」

 

「そうだな」

 

 リュウジも頷く。

 

「それでもエリンさんがいた時と同じにはならない」

 

 その一言が、また重い。

 

 クリスタルは腕を組み直し、椅子へ深くもたれた。

 

「最悪、エリン抜きで行くにしても、その場合は調査のやり方自体を少し変えないといけないかもね」

 

 ペルシアがすぐに反応する。

 

「どう変えるの?」

 

「私達と操縦の情報伝達を、もっと単純にする」

 

 クリスタルは淡々と言う。

 

「誰が何を上げるか、誰がどこまで判断するか、全部細かく決めるの。エリンがいる時みたいな“自然な補完”は期待しない前提で」

 

 マリが頷いた。

 

「手順で埋める、ってことですね」

 

「そう。でもそれはそれで窮屈になるし、現場の柔らかさはなくなる」

 

 クリスタルは少しだけ顔をしかめる。

 

「調査の長丁場でそれをやると、今度は別の疲れが溜まるのよ」

 

 チャコが腕を広げる。

 

「しかもウチらみたいなん、いざ何か起こった時は手順通りに動くだけや済まへんしな」

 

「そうなのよね」

 

 クリスタルが同意する。

 

「だから結局、誰かが“今この船の空気どうなってるか”を持たないといけない」

 

「それがエリンさん、ってことだ」

 

 リュウジが短く締める。

 

 そのたびに話が同じ結論へ戻ってくる。

 それが逆に、エリンの不在がどれほど大きいかを際立たせていた。

 

 

 少しの沈黙のあと、ペルシアがふっと息を吐いた。

 

「ねえ」

 

 その声に、全員が自然と彼女を見る。

 

「皆んな、エリンがいないと厳しいってのはもう分かったわ」

 

「うん」

 

「せやな」

 

「はい」

 

 それぞれが返す。

 

「じゃあ逆に聞くけど、エリンがもし本当に来られないってなった時、それでもやる?」

 

 その問いは、会議の温度を一段下げた。

 

 感情ではなく、選択の話になる。

 未探索領域の調査は、遊びでも記念旅行でもない。

 任務だ。

 ならば“誰がいないからやめる”というものでも、本来はない。

 

 最初に答えたのはリュウジだった。

 

「やる」

 

 迷いがなかった。

 

「任務だから?」

 

 クリスタルが聞く。

 

「それもある」

 

 リュウジは頷く。

 

「だが、エリンさんがいないからといって、それを理由に止めるような調査なら最初から組むべきじゃない」

 

 その言い方は厳しい。

 だが、ここにいる面々にとってはむしろ当然の線引きだった。

 

 チャコが少しだけ唸る。

 

「そらそうやけど……気持ちの問題は別やで」

 

「分かってる」

 

 リュウジはそう返す。

 

「だから厳しいって言ってる」

 

 サツキが静かに続ける。

 

「私も、やるべきだとは思います。ただ……」

 

「ただ?」

 

 ペルシアが促す。

 

「エリンさんがいない前提なら、今までの感覚で進めると危ないです」

 

「それはそうね」

 

 ペルシアがすぐに頷く。

 

「だから最初から、エリンさんがいない時のラ・スペランツァを、別物として組み直す必要があると思います」

 

 マリも続いた。

 

「私も同意見です。エリンさんがいない穴を“誰か一人で埋める”発想じゃなくて、今までエリンさんが持っていた役目を分解して、誰が何を持つかを再配置するしかないと思います」

 

 その言葉に、クリスタルが少しだけ目を細める。

 

「マリ、いいこと言うじゃない」

 

「ありがとうございます」

 

 マリは軽く頭を下げる。

 

「分解、か」

 

 チャコが呟く。

 

「たしかに、エリンがやってることって一個やないもんな」

 

「そう」

 

 クリスタルが指を折るように言う。

 

「船内の空気を見る。クルーの疲れを見る。客の体調変化を拾う。操縦へ必要な情報を通す。予定変更時の流れを整える。誰かが無理を始めた時に早めに切る。ざっとこれだけでもある」

 

「多いですね……」

 

 サツキが本音を漏らす。

 

「多いのよ」

 

 クリスタルはさらりと答える。

 

「しかも本人は多いって顔しないから腹立つの」

 

「そこはほんまにそうや」

 

 チャコが深く頷いた。

 

 リュウジは、しばらく黙っていたがそこで低く言った。

 

「だが、それを分けたとしても、最後に誰かが全体の責任を持つ必要はある」

 

「それを誰がやるかよね」

 

 ペルシアが腕を組む。

 

 会議室の空気が、そこで再び重くなった。

 

 チャコが自分を指差すようにして言う。

 

「ウチは正直、ちゃう思う」

 

 誰も驚かなかった。

 チャコ自身、場を動かす力はある。

 だがそれはまた別の種類の力だと、全員が知っている。

 

「ウチは流れ変えるのは得意やけど、静かに整えるんはちゃう」

 

「分かる」

 

 クリスタルがすぐに言う。

 

「チャコにしか出来ない役目はあるけど、エリンの代わりとはまた違う」

 

 サツキは少し考え込んでから言った。

 

「私は機材と整備側に寄りすぎますし、視野が船内全体に向くまで時間がかかると思います」

 

「マリも、今のところは外との接続が本職だしな」

 

 リュウジが言う。

 

「ああ。私もそう思う」

 

 マリは素直に認めた。

 

 クリスタルが肩をすくめる。

 

「私も医療と全体観察は出来るけど、船内の“流れ”を持つのは本職じゃないのよね」

 

「ほな、結局……」

 

 チャコが言いかけたところで、全員の視線が自然と一人へ集まった。

 

 ペルシアだった。

 

「なによ」

 

 本人はすぐ気づいて、少しだけ眉を寄せる。

 

「いや、ペルシアやろって話や」

 

 チャコがあっけらかんと言う。

 

 クリスタルも、あっさり頷いた。

 

「まあ、能力だけ見ればそうね」

 

 サツキも静かに口を開く。

 

「私も、ペルシアさんが一番近いと思います」

 

「うん。私もそう思います」

 

 マリまで同意する。

 

 リュウジは数秒だけ黙ってから、短く言った。

 

「そうだな」

 

 ペルシアは、その四方からの視線を受けて大きくため息を吐いた。

 

「やっぱりこうなるか」

 

 頭を掻く。

 その仕草は、半分は呆れ、半分は覚悟の前触れだった。

 

「奥の手を使うか」

 

 ペルシアがそう呟くと、モニター越しの全員がわずかに身を乗り出した。

 

「奥の手?」

 

 クリスタルが問う。

 

「なにそれ」

 

 チャコも目を丸くする。

 

 ペルシアは、そこで口元だけ少しだけ笑った。

 けれどその目は、あまり笑っていない。

 

「私が乗る」

 

 一瞬、全員が言葉を失った。

 

 クリスタルが最初に眉を上げる。

 

「……は?」

 

「いや、そらそうやろけど」

 

 チャコが言う。

 

「でも、ペルシアは宇宙管理局で統括やろ?」

 

「そうよ」

 

 ペルシアはさらりと答える。

 

「だから面倒なの」

 

 リュウジがそこで、ようやく少しだけ表情を変えた。

 

「許可は下りるのか」

 

「まぁ大丈夫だとは思うけど…」

 

 ペルシアは肩をすくめる。

 

「でも“奥の手”って言ったでしょ」

 

 その言い方に、クリスタルがふっと笑った。

 

「なるほど。上の方に直接ね」

 

「ええ」

 

 ペルシアは頷く。

 

「未探索領域の正式調査。宇宙管理局案件。ラ・スペランツァの再編成。そこに“外部から乗せる代行人材が見つからない”って話を持っていけば、私が一時的に現場へ降りる形なら通せる余地はある」

 

「たしかに、筋は通る」

 

 マリが言う。

 冥王星管制で培ったのか、そういう手続きの匂いに敏感になっているらしい。

 

「でも、それでペルシアさんの今の仕事はどうするんですか?」

 

 サツキが尋ねる。

 

「誰かに押しつける」

 

 ペルシアは即答した。

 

 その言い方に、チャコがまた吹き出しそうになったが、今回は辛うじて堪えた。

 

「まあ、本当は引き継ぎ組まなきゃだけどね」

 

 ペルシアは続ける。

 

「でもそれくらいしないと、エリン不在の穴は埋まらない」

 

 リュウジは、しばらくその案を頭の中で回していたようだった。

 やがて低く言う。

 

「ペルシアなら、完全な代わりにはならなくても、船を前に進めることは出来る」

 

「完全な代わりなんて無理よ」

 

 ペルシアは鼻で笑う。

 

「エリンはエリンだもの」

 

 その言葉に、誰も異論を挟まなかった。

 

 クリスタルがそこで少しだけ真面目な顔になる。

 

「でも、ペルシアが乗るなら一つ条件があるわ」

 

「なによ」

 

「“私は出来るから”で押し切らないこと」

 

 ペルシアが眉を上げる。

 

「どういう意味?」

 

「そのままの意味。あんたは緊急に強い。判断も速い。でも、速すぎるのよ。エリンみたいに“他の人間が今どこで引っかかるか”を前提にしないと、今度は別の形で船がちぐはぐになる」

 

 ペルシアは少しだけ黙った。

 図星なのだろう。

 チャコもその横で「それはそうやな」と小さく頷く。

 

「分かってるわよ」

 

 少し遅れてから、ペルシアは言った。

 

「だからこそ、今こうして皆んな集めてるんじゃない」

 

 それは強がり半分、本音半分だった。

 けれど、その言葉にここにいる全員は、ペルシアもまたこの件を軽く見ていないのだと分かった。

 

 マリが静かに言う。

 

「もしペルシアさんが入るなら、私も外との繋ぎ方を少し変えます」

 

「どう変えるの?」

 

「今までよりも細かく、でも絞って上げます。現場が迷わないように」

 

 サツキも続く。

 

「私も、機材の点検項目を少し見直します。エリンさんが拾っていた“感覚の違和感”までは無理でも、せめて機体側から余計な揺れが出ないように」

 

 チャコが腕をぶんと組み直した。

 

「ウチもや。ウチはウチで、場の空気が固まりすぎんように動く。せやけど、はしゃぎすぎへんよう気ぃつけるわ」

 

 クリスタルが少し笑う。

 

「言うだけなら簡単ね」

 

「なんや、信用してへんのかいな」

 

「半分くらいしか」

 

「ひどっ」

 

 少しだけ笑いが戻る。

 だが、その笑いの下には、すでに覚悟が敷かれ始めていた。

 

 リュウジは最後に、ペルシアを真っ直ぐ見た。

 

「問題は、エリンさん本人がどう決めるかだ」

 

 その一言に、全員の空気がまた落ち着く。

 

 そうだ。

 結局そこへ戻る。

 いくらこちらで体制を組み直しても、いくらペルシアが現場へ降りる算段を立てても、エリン自身が来ると決めるかどうかは別問題だ。

 

 ペルシアは深く息を吐いた。

 

「ええ。だからまずは私が宇宙管理局側を動かす」

 

 そう言って、机の上で指を組み直す。

 

「その上で、エリンにはもう一回ちゃんと話す」

 

「説得するんか?」

 

 チャコが問う。

 

「説得っていうか……」

 

 ペルシアは少し考えてから、口元だけで笑った。

 

「逃げ道を塞ぐ」

 

 その物騒な表現に、クリスタルが肩を揺らす。

 

「出たわね、ペルシア節」

 

「でも必要でしょ」

 

 ペルシアは開き直った。

 

「エリンって、“責任”って言葉を持たせるとすぐそっちに寄るのよ。だから“責任を果たしながら行ける道”を先に作ってからじゃないと、あの人は絶対に自分のやりたい方を選ばない」

 

 リュウジは、その分析に一言も異論を挟まなかった。

 それが一番の答えだった。

 

 マリが小さく笑う。

 

「たしかに、エリンさんらしいです」

 

 サツキも静かに頷く。

 

「はい。そう思います」

 

 チャコは画面の向こうで腕を組んだまま、しみじみと言った。

 

「ほんまに、世話の焼ける人やなあ」

 

 クリスタルが呆れたように息を吐く。

 

「でも、そういうところがエリンなのよね」

 

 その言葉に、誰も何も返さなかった。

 返す必要がないほど、皆同じことを思っていたからだ。

 

 ペルシアは、そんな仲間達の顔をモニター越しに一人ひとり見た。

 クリスタル。

 チャコ。

 サツキ。

 マリ。

 リュウジ。

 

 久しぶりの顔ぶれ。

 ラ・スペランツァの名のもとに、また同じ方向を向こうとしている人達。

 

 その輪の中へ、やはりエリンは必要だ。

 感情だけの話じゃない。

 任務として、船として、チームとして。

 

 だからこそ、ここで終わらせるわけにはいかなかった。

 

「じゃあ決まりね」

 

 ペルシアが言う。

 

「私は宇宙管理局側を動かす。皆んなは一ヶ月前から集合できる準備を進めて。宇宙船の候補はネフェリスとアルテミスで絞る。細かいシュミレーション項目は後で流す」

 

「了解や」

「分かりました」

「はい」

「うん」

「ああ」

 

 返事が順番に重なる。

 

 会議の終わりが近づく中、ペルシアは最後に一度だけ念を押した。

 

「それと、エリンの件はまだ外へ漏らさないで。正式にどうするか決まるまで、あの人を変に追い詰めるのは逆効果だから」

 

 クリスタルがすぐに頷く。

 

「分かってるわよ」

 

「ウチも黙っとく」

 

 チャコも真顔で言う。

 

 サツキとマリも、静かに了承を返した。

 リュウジだけは少し黙っていたが、やがて短く言った。

 

「俺は、必要なら直接話す」

 

 その一言に、ペルシアの口元が少しだけ上がる。

 

「そうね。最後はそれが一番効くかも」

 

「どういう意味や」

 

 チャコが眉をひそめると、ペルシアはにやりと笑った。

 

「そのままの意味よ」

 

 そして、会議はそこで一旦締められた。

 

 モニターの向こうの顔が、一人、また一人と消えていく。

 最後に残ったリュウジの映像も、無言のまま画面から切れた。

 

 静かになった会議室で、ペルシアはひとり椅子へ深く座り直す。

 

「……やっぱりこうなるか」

 

 誰もいない部屋で、もう一度同じ言葉を呟く。

 頭を掻く。

 そして、端末を引き寄せた。

 

 奥の手を使う。

 口にしたからには、本当にやるしかない。

 

 宇宙管理局上層部への打診。

 自分の現場参加の許可取り。

 引き継ぎ先の調整。

 そして何より、エリンの逃げ道を一つずつ潰しながら、なおかつ“責任を放り出さずに来られる道”を作ること。

 

 面倒だ。

 とんでもなく面倒だ。

 だが、それをやるのは嫌いじゃなかった。

 

 ペルシアは端末を開き、まず最初の連絡先を叩く。

 

「さぁて……忙しくなるわよ、エリン」

 

 誰へともなくそう言って、口元に小さな笑みを浮かべた。

 

 その笑みは、悪戯っぽくもあり、頼もしくもあった。

 ラ・スペランツァはまだ、終わっていない。

 そして、エリン抜きで始めるつもりも、まだ誰も持っていなかった。

 

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