サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第16話

外では、森を揺らすような足音と重い金属音が響いていた。

 湿った風が遺跡の壁を伝い、時折、砂埃が落ちる。

 ――彼らが来た。脱獄囚たちだ。

 

 石扉の外から、声が聞こえる。

「こりゃまた、ずいぶん立派な建物だな……」

 ブリンドーの声だった。皮肉を含んだ低い調子が、分厚い石壁の向こうから伝わる。

「中にいるのは分かってる。おとなしく出てこい。話をしようじゃねぇか」

 

 遺跡の中で、ルナたちは息をひそめて耳を澄ませていた。

 扉の隙間から外の様子は見えない。だが、近づく気配は確かにある。

 カオルは壁に背を預け、短く呟いた。

「やっぱり来やがったな」

「……早すぎる」メノリが唇を噛む。「まだ、修理が……」

 

 ルナは緊張した面持ちで周囲を見渡し、奥にいるシンゴの方へと声を張った。

「シンゴ、重力制御ユニットの修理、あとどのくらい?」

 金属片を組み合わせていたシンゴが顔を上げる。額には汗がにじんでいた。

「もう少し……! でも、細かい接続が多くて時間がかかるんだ!」

「どのくらいか、目安を言って!」

 ルナの声が少し強くなる。

「……あと一時間、いや……三十分、あれば!」

「分かった。絶対に時間、稼ぐから」

 ルナはそう言って深く頷くと、再び扉の方に向き直った。

 

 その時、通信機からブリンドーの声が再び響く。

『あー……こっちの声、聞こえてるか? 中に隠れてるガキども』

 その余裕のある口調が、空気をさらに重くする。

『いいか、あと十分だ。開けねぇなら――この扉ごと吹き飛ばす』

 

「吹き飛ばす!?」

 ハワードが青ざめた顔で叫ぶ。

「爆弾……ってこと?」シャアラの声が震える。

「救難用の小型爆弾か……」ベルが低く呟いた。

「本来は岩盤脱出用の道具……だが、十分に危険だ」メノリが分析的に続ける。

 

 ルナは拳を握りしめ、眉を寄せる。

 重たい沈黙の中で、リュウジが静かに言った。

「……脅しじゃない。あいつは本気だ」

 

 ルナはその言葉を聞きながら、胸の奥に重い痛みを感じた。

 呼吸を整え、仲間たちに視線を送る。

「外に出たら全滅……でも、このままじゃ遺跡ごと壊されるかもしれない」

「どうするつもりだ?」とカオルが問う。

「考える……何か方法があるはず」

 

 アダムが小さな声でルナの袖を引いた。

「ルナ……ぼく、皆んなを守りたい」

「大丈夫よ、アダム。ここにいれば安全」

 ルナはそう言いながら、彼の頭に手を置いた。小さな震えが伝わってくる。

 

 ⬜︎

 

外の無線越しに、低く冷たい声が響いた。ブリンドーだ。

「さあ、どうする。俺たちは気が長い人間じゃねえ」

 

石の壁の中で、ルナたちは顔を見合わせる。静けさの先にある、迫り来る時間の重みが誰の肩にものしかかっていた。

 

「どうする?」とメノリが問う。規律を忘れぬ声だが、その澄んだ瞳に焦りの余白がある。

「戦うか?」とハワードが神妙に呟く。手の震えが止まらない。

 

アダムが窓の暗がり越しに、心配そうに小さく呼ぶ。

「ルナ……」

 

ルナはわずかに視線を落とす。額に細かな汗。選択を迫られ、表情が揺れている。静寂の裂け目から、誰かが息を吸う音がした。

 

そのとき、リュウジが表情を変えずに言った。声は低く、冷たい岩のように硬い。

「この宇宙船を捨てるしかない」

 

その言葉に場内の空気が一瞬凍る。視線が一斉にリュウジへ集まった。

 

「そ、そんな、もうちょっとで修理が終わるのに」

シンゴが声を張る。若い声に必死さが滲む。彼は工具箱を手にして、額に汗を輝かせている。

 

だが、杖をつきながら静かに歩み寄るポルトが淡々と告げた。

「じゃが、もう間に合わん」

 

「でも、せっかく、ここまで頑張ってきたんだ、やだよ僕」

シンゴが食い下がる。手元のナットをぎゅっと握りしめる。

 

ポルトの目が柔らかくも厳しくシンゴを捉える。

「メカニックに大事なのは結果じゃ。頑張ろうが駄目なものは駄目じゃ。即座に頭を切り替えろ、最善の手を考えるんじゃ!」

その言葉は叱咤であり、長年の経験が滲み出た励ましでもある。

 

「でも、ここを奴らに渡したら僕たちが帰れなくなるじゃないか!?」とハワードが叫ぶ。恐怖と自己嫌悪が混じった声だ。

 

チャコが、すばやく理解したように口をはさむ。関西弁が石壁に反響する。

「奴らの宇宙船を奪うんやろ? それで逃げるつもりや」

 

その言葉に、ルナたちから驚きの声が上がる。考えの飛躍が、瞬時に場の動きを変えた。

 

「だが奴らは目の前にいるぞ。どうやってここから逃げる?」とメノリが冷静に問い返す。戦略眼がぶれることはない。

 

カオルが低くつぶやく。

「この中に誘き寄せて閉じ込める」

 

ベルが賛同するように頷いた。

「うん、そうすれば時間稼ぎもできる」

 

シャアラは嬉しそうに小さく笑い、希望の匂いを隠せない。

「私たちも助かるかもしれない」

 

メノリが考えをまとめる。短い決断の声が場を固めた。

「時間がない。それでいこう」

 

ルナは言葉を選びながら、アダムの方へ振り向く。遺跡は、アダムにとって自分の匂いが染みついた場所だ。

「ちょっと待って、アダムはそれでいいの? この遺跡はアダムのものだし、それにここにはアダムの情報がどこかにあるかもしれない」

 

アダムは少し戸惑いながらも、まっすぐに答えた。幼い語り口だが、決意は深い。

「ううん、僕にはみんながいる。僕には皆が家族だから」

 

ルナの目がほんの少し潤む。小さく――嬉しそうに、彼女は呟いた。

「アダム……」

 

メノリが作戦の最後の確認をする。

「これからやる作戦にはアダムの力が必要だ。協力してくれるか?」

 

「うん、僕頑張るよ」アダムは頷いた。小さな拳を強く握る。

 

ルナは皆を見回してから、意を決してマイクに寄る。手の震えは消えていた。声は柔らかく、しかし確固としている。

「分かったわ。言うとおりにするから」

 

無線の向こうからブリンドーの声が返る。待っていたかのような嘲りを含んでいる。

「やっと返事をしやがった」

 

そして遺跡の扉がゆっくりと開いた。外光が一瞬内部を斜めに切り、三人の影が入り口から差し込む。ブリンドー、ボブ、シルヴァがそれだ。

 

ボブが石の床を踏みしめながら、鼻を鳴らすように呟いた。

「誰もいねぇじゃねえか」

 

シルヴァが狡猾に笑う。

「裏口から逃げたんじゃないの?」

 

ブリンドーが後方に立ち、冷静に言う。

「いや、そんな筈はねぇ。何人もの人間が気配もなく、簡単に脱出できるわけがねぇ」

 

彼らは遺跡の中を踏査し始める。壁の隙間を覗き、機器の陰を探る。

ルナたちは操縦室の小さなモニターに集まり、カオルが窓越しに外の様子を監視する。画面越しに男たちの動きが映る。声だけが、薄い壁を越えてこちらに届く。

 

「じゃあどっかに隠れているわけね」シルヴァが吐き捨てるように言う。

「恐らくな」ブリンドーが応じる。

「それらしい場所は見当たらねぇけどな」ボブが呟き、壁を叩く。

 

そのとき、ルナはアダムに小さく囁く。

「次に壁を叩いたら、ドアを開けて」アダムは目を閉じ、顔をこわばらせるが頷いた。力を集中させる。

 

ボブが壁を叩いた瞬間、ルナが声を張る。低く鋭い。

「今よ!」

 

アダムは目を閉じ、手を強く握る。遺跡の古い機構に働きかける彼の意思が、石と鉄に伝わっていく。古い歯車が軋むような音を立て、環境制御ルームの扉がゆっくりと開いた。

 

その中を覗き込んだボブの瞳が驚きで見開く。

「な、なんだこの部屋は?」

 

シルヴァも首をかしげ、不敵な笑みを浮かべながら中へ踏み込む。

「姿勢制御ユニットはここかも」

 

ブリンドーが入り口で待ち構える。念のための抑えだ。

「奴らが隠れてるかもしれねぇ、油断するな!」と警告する。

 

ボブが見つけた機械を器用に外し、慎重に扱う。金属の摩擦音。薄暗い光が機内に反射する。

「外してみろ! 手荒な真似はするなよ!」ブリンドーが苛立ちを隠せずに声を張る。

 

ボブが機械を引き抜き、手に掲げた。皆の視線がモニターに釘付けになる。

「よし、取れたぞ!」ボブが高らかに言う。

 

「見せてみろ! 姿勢制御ユニットかもしれない」ブリンドーの声が遠慮なく響く。彼は中に踏み込む。

 

その瞬間、ルナの命令が刃のように飛ぶ。

「閉めて!」

 

アダムは最後の力を振り絞る。石板が重く動く音、油圧の断続的なうなり。環境制御ルームの入口が内側から閉ざされる。金属の唸りとともにスチールの扉が降り、最終的に重厚な鍵が噛み合う音がした。

 

「な、なんだ、ガラクタだ!」ボブの声が上ずる。だが同時に、ブリンドーが閉まっていく扉に気づき、振り向く。だが時既に遅し。扉は完全に閉じ切り、三人は中に取り残された。

 

遺跡側の小さな画面に映る、閉じ込められた三人の顔。ブリンドーの目が怒りで赤く燃える。ボブは腕を振り上げ、檻を叩く。シルヴァはコンソールをひっかいた。音が壁に反響して、やせ細った怒声がこだまする。

 

リュウジは、薄く不適な笑みを浮かべた。低く、けれどはっきりとした声で言う。

「その狭い部屋なら小型爆弾も使えないはずだ」

 

皆の胸に張り詰めていたものが一瞬ほどけるような気配が流れた。しかしそれは勝利の喜びではない。時間を得ただけだという現実が、彼らの目に戻る。

 

アダムの小さな手が震える。だがその瞳はしっかりと仲間を見ている。

ルナは小さく呟いた。

「もう少し、頑張ろう」

 

ポルトは低く頷き、ポケットから解毒薬や工具を取り出す。チャコは端子にしがみつき、内部のロックを何重にも確認する。ハワードはまだ震えているが懸命に手伝い、ベルは外の警戒に目を光らせる。メノリは指示を、シャアラは手当ての準備をする。

 

扉の向こうで三人が暴れ、罵声を上げる。だが徐々にその声は力を失っていく。閉じ込められた狭い空間は、時間という名の刃でじわじわと彼らをしとめ始めるだろう。

 

ルナはリュウジの横顔を見上げる。彼は冷静そのものだが、その手は少しだけ力を入れていた。ルナはぐっと胸が熱くなり、視界の端で涙をこらえた。声を出さずに、彼に一度だけ小さく頷く。

 

「行こう」リュウジは短く応える。時間は限られている。だが今、彼らにはその時間がある。彼らは生き延びるため、そして帰るために、固く結束して動き出した。

 

⬜︎

 

朝の光が差し込む遺跡の外。雨上がりの湿った土の匂いが立ち込め、森の葉が風に揺れていた。

 ルナたちは急ぎ荷をまとめ、これからオリオン号へと向かおうとしていた。姿勢制御ユニットの修理を終え、出発の準備を整えるためだ。

 

 リュウジは、遺跡の入り口に立ったまま仲間たちを見送るように立っていた。腰の黒曜石のナイフを確かめ、目線を森の奥へ向ける。

 

「……俺はここに残る。奴らが遺跡から出てきた時のために、見張っておく」

 

 静かにそう告げたリュウジの声に、みんなの足が止まる。

 メノリが振り返り、「一人で平気か?」と眉を寄せた。

 リュウジは軽く肩をすくめて言う。

「その方が都合がいい」

 

 カオルがその言葉に頷く。

「……ああ、確かに。リュウジ一人の方がかえっていい。あいつは音も立てずに動ける。こっちは修理を急ぐしかない」

 

 ベルが心配そうに眉を下げる。

「でも、危なくないか? 奴らが出てきたら……」

 

「その時は、俺が時間を稼ぐ。それで十分だ」

 リュウジの言葉は淡々としていたが、どこかに“覚悟”のような硬さがあった。

 

 ルナは胸の奥がざわつくのを抑えきれず、前へ出た。

「リュウジ……」

 呼び止める声には、微かな震えがあった。

 彼が振り向くと、ルナは真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。

 

「絶対に一人で足止めとか、しないでね。

 今度こそ“全員で帰る”って決めたんだから……絶対よ」

 

 一瞬、風が止んだ。森の葉が揺れ、差し込む光の中で、リュウジの表情がわずかに柔らぐ。

「ああ。分かってる」

 短い言葉だったが、その声には確かな温度があった。

 

 ルナは少しだけ安堵の息をついた。

 リュウジは再び遺跡の入り口に視線を戻し、振り返らずに言った。

「お前たちは行け」

 

 ベルがルナの背を押し、シャアラが小さく「気をつけて」と囁く。

 ルナは振り向き、もう一度だけリュウジを見た。彼の姿はすでに森の影に溶けかけていた。

 

 静かな風の中、ルナは小さく呟いた。

「絶対に無茶はしないで」

 

 誰にも聞こえないほどの声で。

 

⬜︎

 

ルナたちが遺跡を発ってから、およそ二時間が経過した頃だった。

 朝の陽が高く昇り、森を包む霧がゆっくりと晴れ始めたそのとき。

 遺跡の方角から、重い衝撃音と共に地面が震えた。

 空気が裂け、鳥たちが一斉に飛び立つ。

 

 「……来たか」

 

 リュウジは低く呟いた。

 遺跡の入り口から立ち上る黒煙。その向こう、爆煙をかき分けるようにして三つの影がゆらりと現れた。

 ――ブリンドー、ボブ、シルヴァ。

 

 その姿を目にした瞬間、リュウジの目に冷たい光が宿る。

 「……もう出てきたのか」

 心の中で呟くその声には、焦りよりも“読みどおり”という確信が混じっていた。

 

 破壊された遺跡の入り口から、脱獄囚たちはゆっくりと外に歩み出る。

 互いに言葉を交わしながら、あたりを見回している様子が遠目にも分かった。

 あの爆音――どうやら小型爆弾で扉を吹き飛ばしたらしい。

 

 リュウジは森の木陰に身を潜め、深く息を吐く。

 「……あいつらも、オリオン号に向かっているのは分かってるはずだな」

 

 頭の中で素早く距離を計算する。

 ルナたちは今ごろ、崖を越えたあたりだ。

 このまま脱獄囚たちが追えば、数時間も経たずに追いつかれる――。

 

 リュウジは腰の黒曜石のナイフに手をかけた。

 手に伝わる冷たい感触が、戦いの記憶を呼び覚ます。

 ほんの一瞬、足が前へ出かけた。

 

 だが――脳裏にルナの声が響く。

 

 「絶対に一人で足止めとかしないでね。

 今度こそ“全員で帰る”って決めたんだから……絶対よ」

 

 その瞬間、リュウジの手はぴたりと止まった。

 唇の端に苦笑を浮かべ、ゆっくりとナイフから手を離す。

 「……ったく、あいつの言葉は、よく効くな」

 

 リュウジは木陰を離れ、森の奥へと身を沈める。

 葉の間をすり抜ける風が、静寂の中に彼の気配を紛れ込ませていく。

 靴底が湿った土を蹴り、木々の影を縫うように駆ける。

 

 ――目指すは、オリオン号。

 仲間たちが無事であることを確かめるために。

 そして、もし奴らが先回りするつもりなら、その前に“動きを封じるため”に。

 

 森の奥へ消えるその背に、もう迷いはなかった。

 ただ、仲間を信じ、戦わずして守る――リュウジなりの戦い方で。

 

⬜︎

 

森の中を風のように駆け抜ける。

 枝葉が頬を掠め、湿った土が足元で跳ねる。呼吸は乱れず、視線はまっすぐ前を射抜いていた。

 

 「……一人なら、森を抜けるのは早い」

 

 独りごちる声は低く、だが確信に満ちている。

 この森の地形は、何度も歩き回って覚えた。動物の通る獣道、ぬかるみの場所、崖を越える最短の道筋――すべて頭の中に入っている。

 

 リュウジは崖の縁に足をかけ、勢いよく跳躍した。

 風を切る音が耳をかすめる。

 岩肌に指先をかけ、軽く身体を引き上げると、そのまま頂上に立った。

 

 「オリオン号まで……あと少しだ」

 

 そう呟きながら、ふと空を見上げる。

 薄く広がる雲の切れ間から、淡い光が差し込む。

 ――ルナたちは、もう海岸に着いている頃だろう。

 

 リュウジはそう判断し、再び走り出した。

 道すがら、「みんなの家」が遠くに見える位置に差し掛かる。

 一瞬だけ、彼の足が止まった。

 

 長い日々を共に過ごした拠点。

 あの場所に宿った笑い声や焚き火の灯りが脳裏をよぎる。

 ――だが、立ち止まっている暇はない。

 

 リュウジは息を吐き、再び疾走を続けた。

 木々の間を縫うように、音もなく進む。

 だが、そのとき――。

 

 西の森に入った瞬間、肌を刺すような“気配”が走った。

 リュウジの足が止まり、視線が鋭く森の奥を射抜く。

 わずかな枝の軋み、風とは異なる空気の流れ。

 ――人の気配だ。

 

 「……まだこんなところにいたのか」

 その声は低く、冷ややかに響く。

 

 彼の頭の中で、瞬時に距離と方向が割り出される。

 脱獄囚どもの動き――遺跡を出たのなら、崖を越えて東へ進んでいるはず。

 ならば、この気配は……。

 

 リュウジはすぐに判断を下した。

 「急げ、奴らはもう崖を登り終えた頃だ。時間がない」

 

 その言葉に、背後にいた仲間たち――ベル、メノリ、シャアラが反応した。

 息を詰め、うなずく音がする。

 彼らの足取りが一段と速くなる。

 

 リュウジは先頭に立ち、草をかき分けて進んだ。

 太陽が頭上に昇るにつれ、森の陰影が短くなっていく。

 その光の先に――

 脱獄囚たちの影が確実に近づいていることを、誰もが感じていた。

 

⬜︎

 

 西の森を抜けると、潮風が頬を打った。

 ルナたちがたどり着いた海岸は、どこまでも灰色の雲が垂れ込め、波が岩を叩いていた。

 

 沖合には、オレンジ色の巨大な影――オリオン号が静かに浮かんでいる。

 その威容は、傷つきながらも確かに“希望”の形をしていた。

 

 浜辺には、脱獄囚が使ってきたゴムボートが打ち上げられている。

 

 ルナは潮風に髪をなびかせながら、ポルトの方を向いた。

 「ポルトさん……あの船まで、どれくらい時間がかかりますか?」

 

 老人は海を睨みつけ、皺の刻まれた顔に真剣な影を落とす。

 「手漕ぎでおよそ二十分。

  それからオリオン号のロック解除に二十分、姿勢制御ユニットの取り付けに二十分。

 ――一時間あれば、飛べるじゃろう」

 

 ルナはその数字を心の中で繰り返した。

 一時間――あの脱獄囚たちがここに辿り着くには、同じくらいの時間。

 ギリギリだ。

 

 彼女はすぐにリュウジへ視線を送る。

 「どう思う?」

 

 リュウジは海を見据えたまま、短く答えた。

 「……ギリギリだな。向こうも移動してる。ここまで来たら時間との勝負だ」

 

 ルナは唇を噛む。

 「やっぱり……足止めが必要、よね」

 

 その言葉に、すぐ横でベルが顔を上げた。

 「じゃあ、俺が残る。俺の力なら、少しは時間を稼げる」

 

 「私もだ」メノリが続ける。「撤退のタイミングを計る役は必要だろう」

 

 その流れに、ハワードがため息をついた。

 「しょうがないな……僕も残るよ。今度こそ、役に立たないわけにはいかないしね」

 いつもの軽口のようでいて、声の奥に静かな決意があった。

 

 リュウジとカオルも前に出る。

 「俺たちも残る」とリュウジが言い、カオルが無言で頷く。

 しかし、ルナは即座に首を振った。

 

 「ダメ。あなたたち二人しか、この船を操縦できないの。

  ここで倒れられたら、みんなの希望が消えちゃう」

 

 言葉は穏やかだが、迷いのない声だった。

 リュウジはしばしルナを見つめ、そして静かに笑った。

 「……分かった。だが、お前たちも無茶はするな」

 

 「分かってる」ルナも短く返す。

 そのやり取りに、どこか信頼のようなものが宿っていた。

 

 カオルがポルトの方を振り向く。

 「船の準備は頼む」

 

 「任せとけ。ワシの手で、オリオン号を再び飛ばしてやる」

 老人は力強く答え、チャコとシンゴも黙って頷いた。

 

 やがて、浜辺に浮かべられたボートが波に揺れた。

 リュウジ、カオル、ポルト、チャコ、シンゴ、アダム、シャアラが乗り込む。

 ルナは砂浜に立ち、彼らの背中を見送った。

 

 オールが水をかく音が、静かな波音の中に溶けていく。

 リュウジは振り返らない。ただ前を向き、黙々と漕ぎ続けた。

 

 やがて、オリオン号の黒い船体が近づく。

 その後ろで、残されたルナ、メノリ、ベル、ハワードは互いに視線を交わした。

 

 ルナが静かに呟く。

 「ここからが、私たちの戦いね――」

 

 海風がその声を運び、遠ざかるボートに届いた気がした。

 

⬜︎

 

海岸へと続く通路に、ルナたちは木の枝や倒木を引きずり出して積み上げていた。

 潮風の中に土と樹皮の匂いが混じる。ベルが肩で息をしながら、丸太を持ち上げる。

 

 「これで……少しは通りにくくなるか」

 「そうね。時間を稼ぐしかないもの」ルナは額の汗をぬぐった。

 「でも、やりすぎると逆に怪しまれる。自然に見えるように頼む」メノリが冷静に指示する。

 

 ハワードは拾った木片を放り投げながら、苦笑いを浮かべた。

 「まさか自分が“障害物づくり”なんてやる日が来るとはね」

 「言ってる場合か、早くしろ」メノリが短く返す。

 その横では、ハワードが木の陰で風の向きを確かめながら、ルナに声をかけた。

 「ルナ、この辺りは巨大ウツボカズラがあった場所だ」

 

 ルナは顔を上げた。

 以前、彼らを襲った肉食植物――あの巨大ウツボカズラの根がまだ森の奥に残っている。

 慎重に近づき、周囲を観察する。

 

 「生きてる……まだ活動してるわ」

 ウツボカズラのつぼの中で、わずかに揺れる反応。

 「利用できるかもしれない」メノリが目を細めた。

 「でも危険すぎる。下手に刺激したら……」ルナは言葉を飲み込んだ。

 

 そのまま彼らは木陰に身を隠し、息を潜めた。

 森の奥から何かが近づいてくる気配を待つ。

 だが――時間だけが過ぎていった。

 

 風の音、波の音。

 鳥の声さえしない。

 

 「……おかしいわね」ルナが小声で言う。

 「もう来ててもいい時間だ」メノリも眉を寄せた。

 「もしかして……別の道を?」ハワードが不安げに呟く。

 

 ルナは決意したように立ち上がる。

 「確認してくる。すぐ戻るわ」

 「ルナ!」ベルが止めようとしたが、彼女はすでに森の奥へと駆け出していた。

 

⬜︎

 

 潮の香りが強くなる。

 ルナが木々の間から海岸を見下ろすと、目に飛び込んできたのは信じがたい光景だった。

 

 浜辺に、三つの影――脱獄囚たち。

 別のルートから、海岸に降り立っていたのだ。

 

 「……気づかれてた」

 ルナは息を呑んだ。

 砂浜に残る足跡の数、慎重な進軍――まるで最初から自分たちの足止め策を読まれていたかのようだった。

 

 ブリンドーが海の方を見上げている。

 その視線の先には、沖に浮かぶオリオン号。

 やはり、彼らの狙いは同じだった。

 

 「……急がなきゃ」

 ルナは踵を返し、森を駆け戻った。

 足元の枝が折れる音さえ、遠くで聞こえる爆音のように響く。

 

⬜︎

 

 一方その頃、オリオン号に到着したリュウジたちは、波しぶきを浴びながら船体へと取り付いていた。

 外殻は黒ずみ、部分的に焦げた跡が残っている。

 「……ここから内部に入るのは難しいな」カオルが冷静に分析する。

 

 「パスコードロックがかかっとる。こいつを突破せんとどうにもならん」

 ポルトは工具箱を開け、金属音を立てながら部品を取り出した。

 

 「チャコ、“パスコードクラッカー”は使えるかの?」

 「そら、使えるで!ジョイントでなんとかなるはずや!」

 チャコは尻尾を揺らしながら、端末を船体のハッチに接続する。

 

 「シンゴ、電源を確保してくれ」

 「了解!」シンゴは素早く配線を繋ぎ、電圧を調整する。

 機器のランプが赤から青に変わった。

 

 「……やれそうか?」リュウジが尋ねる。

 「やれる!」チャコが短く答える。

 「なら急げ。――ルナたちが時間を稼いでる間に終わらせるぞ」

 

 ポルトは手を止めずに頷いた。

 「一時間以内に飛ばす。ワシらの手でな」

 

 オリオン号のハッチに、わずかな電子音が響く。

 錆びついた金属の扉が、ゆっくりと音を立てて動き出した。

 

⬜︎

 

金属の扉が軋む音を立てて開いた。

 船内には長い間使われていなかった機械の匂いと、焦げたような鉄の臭気が漂っていた。

 非常灯の淡い光が廊下を照らし、彼らの影をゆらゆらと伸ばしている。

 

 ポルト、チャコ、シンゴはすぐに機械室へと走り、姿勢制御ユニットの取り付けに向かう。

 シャアラとアダムは、安全確保のために貨物庫へ身を潜めた。

 そして――残ったのはリュウジとカオル。

 

 「俺も姿勢制御ユニットの取り付けに行く」

 リュウジが短く言い、歩き出そうとする。

 

 「待て!」

 背後からカオルの低い声が響いた。

 

 リュウジが振り返ると、カオルの表情には焦りと不安が入り混じっていた。

 「お前……俺に操縦を任せるつもりか?」

 

 「他に誰がいる?」

 リュウジの声は冷静だった。

 「お前ならできる。――ルイも、それを望んでいる」

 

 その名を聞いた瞬間、カオルの眉がかすかに揺れた。

 視線を落とし、苦しげに拳を握る。

 「俺は……あの時、ルイを守れなかった」

 

 リュウジはゆっくりと近づき、カオルの肩に手を置いた。

 「お前とルイがいたから、俺はあそこまで行けた。

  アストロノーツ養成学校で、俺に張り合えたのは――お前とルイだけだ」

 

 カオルが顔を上げる。

 リュウジの目は真っすぐだった。

 そこにあの冷たさはなく、どこか懐かしい光が宿っていた。

 

 「だから、俺はお前たちに感謝してる。

  あの時のお前がいたから、俺も強くなれたんだ」

 

 カオルの喉が詰まる。

 リュウジが笑みを浮かべる。

 

 「お前は俺にとって――ライバルだ。

  だから、頼むぜ“相棒”」

 

 リュウジは軽く背中を叩き、そのまま操縦室を出ていった。

 扉が閉まる音が静かに響く。

 

 しばらくその場に立ち尽くしたカオルは、ふと口元に笑みを浮かべた。

 「リュウジが……そんなこと、考えてたとはな」

 

 彼は深く息を吸い込み、前方の操縦席に向かう。

 指先がレバーに触れるたび、かつての記憶が蘇る。

 ――ルイが横で笑っていた日の記憶。

 

 「ルイ……力を貸してくれ」

 静かな祈りのように呟くと、カオルは操縦席に腰を下ろした。

 

 薄暗い操縦室の照明が、再び灯り始める。

 ディスプレイに電源が入り、長く眠っていたオリオン号が再び息を吹き返した。

 

⬜︎

 

ルナたちは森を抜け、白い砂浜に飛び出した。

 潮の匂いが鼻を刺し、波音の向こうから重低音のような轟きが響いてくる。

 

 「……あれは!」メノリが目を凝らした。

 

 海の上には、丸太で組まれた筏が浮かんでいた。

 そこにはブリンドー、シルヴァ、ボブ――三人の脱獄囚の姿。

 すでに海に出て、沖へと進み始めていた。

 

 ボブは船尾に立ち、両腕を海面に突き立てている。

 次の瞬間、轟音が鳴り響いた。

 サイボーグの腕部から噴き出す高圧の風が、まるでジェットエンジンのように筏を押し出した。

 

 「うおおおおおおッ!!!」

 「急げボブ!!」

 「分かってる」

 「ボブ、スピードを維持しろ。シルヴァ、センサーの反応を見ておけ」

 「ええ、問題ないわブリンドー。……けど、油断しない方がいい。まだ、あのガキ(ルナ)たちは諦めてない」

 

 その会話が風に乗って、遠くの浜辺にかすかに届いた。

 

 「くっ……もう動いてる!」ルナが弓を構えた。

 「ベル、あそこだ!」

 「分かってる!」

 ベルは長い腕で槍を引き絞り、力いっぱい投げ放つ。

 

 風を切る音が響き、槍が海を越えて飛んだ――だが、届かない。

 メノリも次の矢を番えるが、波風が邪魔をする。

 「距離がありすぎるわ!」

 「くそっ……」ハワードは悔しげに拳を握った。

 「僕らじゃ、もう追いつけない……!」

 

 ルナは深呼吸をし、目を閉じた。

 意識を静かに沈め、心の奥へ。

 

 ――アダム。聞こえる?

 

 (ルナ? どうしたの?)

 (脱獄囚が……海に出たの。筏で! ボブのサイボーグの力で、信じられないスピードよ!)

 (分かった、すぐ伝える!)

 

 アダムは目を開け、貨物庫にいるシャアラの方を見た。

 「シャアラ! ルナたちが言ってる、脱獄囚が海に出たって!」

 「……えっ!? 本当に!?」

 「急いで、リュウジたちに伝えて!」

 「分かったわ!」

 

 シャアラは通信用端末の前に駆け寄り、息を整えながらスイッチを押した。

 「こちらシャアラ。海岸で脱獄囚が筏を出したわ! ものすごい速さで沖へ向かってる!」

 

 少しの静寂ののち、リュウジの声が無線から響いた。

 「了解。――カオル、エンジンを始動しろ。いつでも飛び立てるように準備しておけ」

 

 

 操縦席に座るカオルが、無言でレバーを押し込んだ。

 「了解」

 低い唸りが船体全体を震わせる。

 暗かったパネルに灯がともり、制御系が次々に起動していく。

 

 ゴォォォ……

 外殻のスラスターがわずかに光を帯び、機体が海面を押すように震えた。

 「エンジン、始動。推力安定まで三十秒」

 「いいぞ、そのまま維持しろ」リュウジの声が通信に重なる。

 

 船体の中では、ポルトとチャコ、シンゴが黙々と機械室で作業を続けていた。

 ボルトを締める音、火花の閃き、蒸気の抜ける音。

 長い眠りから覚めるように、オリオン号が再び息を吹き返していく。

 

 

 ルナたちはまだ砂浜に立ち尽くしていた。

 「アダムには伝えた。あとは――」

 ルナが空を見上げる。

 遠く、雲の合間に見える黒い機体。

 オリオン号が、ゆっくりと光を帯びていく。

 

 「お願い……間に合って」

 ルナの声が、潮風に消えていった。

 

⬜︎

 

 「ポルトさん、取り付け完了です!」

 機械室でシンゴが声を上げた。

 「よし、電力供給ラインも問題なしじゃ!」

 ポルトが頷くと、チャコが素早く端末を叩く。

 「制御系、オールグリーンや! いつでも飛ばせるで!」

 

 「了解、操縦室に伝える!」

 シンゴは船内通信機に向かい、息を整えて叫んだ。

 「カオル! 姿勢制御ユニットの取り付け終わったよ! いつでも発進でるよ!」

 

 その声が操縦席に届く。

 カオルは短く頷き、前方の窓越しに海を見据えた。

 「了解、これより操縦に入る」

 彼の両手が操縦桿を握りしめ、ゆっくりと右へ、左へと倒される。

 わずかに揺れた船体が、反応を返す。

 

 「重力制御ユニット、始動レバーを上げる」

 カオルは呼吸を整え、ゆっくりレバーを押し上げた。

 低い轟音が船体を包み、オリオン号がゆっくりと海面から浮き上がっていく。

 

 「よし……!」

 カオルの目に希望の光が宿る。だが次の瞬間――

 

 「ガガッ――!」

 船体が激しく揺れた。

 「な、なんだ!?」

 計器盤の一部が赤く点滅し、警告音が鳴り響く。

 重力制御ユニットの片方が停止していた。

 

 「カオル! 重力制御が不安定だ、落ちるぞ!」

 リュウジが通信越しに叫ぶ。

 

 「――くそっ!」

 機体がバランスを崩し、海面へと急降下していく。

 白い飛沫が上がり、船体が水を弾きながら、ドンッと鈍い音を立てて海面に叩きつけられた。

 

 「落ち着けカオル! 重力制御ユニットの始動が早い! 焦るな!」

 通信機越しに、リュウジの冷静な声が響く。

 「……ああ、分かってる!」

 カオルは歯を食いしばり、深く息を吐いた。

 そしてもう一度、慎重に始動レバーを押し上げる。

 

 「重力制御、再起動……推力安定!」

 わずかに時間が止まる。

 海面が波紋を広げ――オリオン号が再び浮き上がった。

 

 「……上がった!」チャコが叫ぶ。

 「ふぅ……今度こそ安定じゃ!」ポルトも胸を撫で下ろす。

 

 

 浜辺で見上げていたルナたちは、船体が再び浮上したのを見て歓声を上げた。

 「浮いた……!」

 「やった……本当に飛ぶんだな……!」ベルが目を細める。

 「すごい……あんな巨大な船が……」とメノリも思わず声を漏らした。

 

 しかし――ルナの目が海岸の先で止まる。

 「……え?」

 

 海岸の反対側。崖を回り込むように、黒い影が動いていた。

 砂を蹴り上げながら走る三人の男と女。

 「……まさか、もう……!」

 ルナは息を呑んだ。

 

 その目に映ったのは、脱獄囚たちが貨物庫の外壁に取り付こうとしている姿。

 「嘘……もう追いついたの!?」

 

 風の中、彼女の声が震えた。

 「ベル! メノリ! ハワード! ――脱獄囚が、オリオン号に!」

 彼女の叫びが、海鳴りに混じって響いた

 

⬜︎

 

貨物室の片隅、シャアラはアダムを抱きしめていた。

 金属の軋む音、警告灯の赤い点滅――そのたびに心臓が跳ねる。

 

 ガシャンッ!

 

 突然、扉が開いた。

 差し込む光の中に、怒りに満ちた三つの影――ブリンドー、シルヴァ、ボブ。

 

 「操縦室へ向かうぞ!」

 ブリンドーの声は荒く、低く響く。

 

 「もう容赦しないからねぇ……」とシルヴァが唇を歪め、

 「皆殺しだァッ!!」とボブが咆哮した。

 

 三人は怒りを纏って、廊下を駆け抜けていく。

 シャアラはアダムを胸に抱いたまま、小さく震えていた。

 「……アダム、動かないで」

 「うん……」とアダムが小さく頷いた。

 

 

 操縦席に座るカオルは、船体の振動を感じながら航行データを確認していた。

 だが、不意に「ピッ、ピッ、ピッ」と赤いランプが点滅を始めた。

 

 「……これは?」

 ボタンを押すと、モニターに遺跡内部――開閉していく扉の映像が映し出された。

 

 「……しまった!」

 カオルは即座に通信機を取った。

 「奴らに侵入された! 全員、警戒しろ!」

 

 その声は機械室にも響き渡った。

 

 

 「なんじゃと!?」

 ポルトが振り向いた瞬間、背後の扉が**ドンッ!**と開いた。

 飛び込んできたのはボブとシルヴァ。

 

 「ジジイィィィィッ!」

 「死ねぇぇぇぇぇ!」

 

 毒針が空気を切り裂く。

 ポルトが体をひねって一発目を避ける。

 

 だが二発目――

 

 カンッ!

 黒曜石のナイフが火花を散らして弾いた。

 

 「何本打っても同じだ」

 低く呟いたのはリュウジだった。

 

 その姿勢は無駄がなく、音すら殺されていた。

 次々に放たれる毒針を、ナイフ一本で弾き返していく。

 

 「……むかつくわね」

 シルヴァは狙いをリュウジからチャコに変えた。

 

 「なんぼ撃っても無駄やで」

 チャコは軽快に体を翻し、矢のような針を避ける。

 「ウチには効かへんし、やめとき」

 軽口を叩くチャコの姿に、シルヴァの眉が釣り上がる。

 

 「調子に乗りやがって!」

 ボブが怒号を上げ、突進してきた。

 

 「ほれ!」

 ポルトが床にナットとボルトの箱を投げつける。

 

 ジャララ――ッ。

 

 ボブがそれを踏みつけ、体勢を崩す。

 「うおっ!?」

 そのまま壁に激突した。

 

 「今じゃ、逃げるぞ!」

 ポルトが操縦室への扉を開く。

 

 リュウジ、チャコ、シンゴが一斉に走り出した。

 

 背後から「チッ、弾切れか!」とシルヴァの舌打ちが聞こえた。

 

 

 「どうした!」

 操縦席のカオルが振り返る。

 リュウジたちは息を切らしながら転がり込むように入った。

 

 「奴らがそこまで来てる!」

 「ここのロックは外から解除できんはずじゃが……」ポルトが言いかけた瞬間――

 

 ドンッ!

 金属音が響き、扉が大きく歪む。

 

 「せやけど、この馬鹿力や! じきに破られてまうで!」

 チャコの声が上ずる。

 

 「ここで戦っても勝ち目はない」

 リュウジが冷静に言った。

 「武器になるもんはないんか!」

 「可能性があるのは……貨物室くらいじゃ!」

 

 「ここから出るのは一度きりだ。俺の指示に従え」

 リュウジは操縦盤に向かい、スイッチを操作する。

 

 「自動操縦に切り替えた。進路は維持できる」

 「何をするつもりだ?」カオルが立ち上がる。

 「扉が開いた瞬間に突っ込む」

 リュウジは短く言った。

 

 ドガァンッ!

 

 ボブのタックルで扉が吹き飛ぶ。

 その勢いでボブが室内に倒れ込む。

 

 「やった!」とシルヴァが叫ぶ――が、その直後。

 

 「今だ!!」カオルの号令。

 

 カオル、リュウジ、チャコ、シンゴ、ポルトの五人が一斉にタックルを仕掛け、

 シルヴァとブリンドーを通路に吹き飛ばした。

 

 「貨物室へ急げ!」

 リュウジの声が響く。

 

 

 「武器になるものを探すんじゃ!」

 扉の向こうからポルトの声。

 

 シャアラは息を吐き、アダムに微笑んだ。

 「ポルトさんたちだわ」

 アダムも「よかった……」と頷いた。

 

 だが――次の瞬間。

 

 ガチャッ!

 

 もう一つの扉が開く。

 そこにはブリンドー、シルヴァ、ボブの姿があった。

 

 「ガキどもが! 俺たちと一戦交えようってのか!」

 ボブの声が轟く。

 

 リュウジはナイフを構え、シルヴァと対峙。

 カオルは長いパイプを手に、ボブに向かう。

 

 「坊やたちにダンスを教えてあげるわ。恐怖と痛みでもがき苦しむダンスをね」

 シルヴァがウィップを鳴らした。

 

 「シンゴたちは下がってろ」リュウジの声は低く冷静だ。

 

 「このずんぐりむっくりはウチに任せとき!」チャコが前に出る。

 「チャコ、大丈夫か?」

「楽勝やがな!」

 

 「旧式のペットロボットがぁ!」

 「旧式でもウチの爪はハイパーセラミック製や! 切り裂くでぇ~!」

 

 チャコは素早く跳び上がり、「にゃにゃにゃにゃにゃっ!」と叫びながら

 ボブの顔を引っ掻く。

 

 「ぐぬぬぬ、貴様ァァ!」

 サイボーグの頬にヒビが入り、火花が散る。

 

 「そない怖い目で睨んでも怖ないでぇ」チャコは笑う。

 

 一方、シルヴァの電気ウィップがリュウジを追う。

 「ふふ……逃げても無駄よ」

 青白い閃光が走り、リュウジの腕に焼けるような痛み。

 「ぐっ……!」

 

 そのとき、シャアラが震える目でパワードローダーを見つけた。

 「あれなら……!」

 

 「アダム、ここに隠れてて!」

 「うん!」

 

 パワードローダーのライトが赤く点滅する。

 

 「まちなさいッ!」

 シャアラの声に全員が振り向く。

 

 「わ、わたしが相手よ!」

 

 「震えちゃって可愛いわねぇ。ボブ、遊んでやりな」

 「ああ!」

 

 ボブが突進。

 「こないでぇええ!」

 シャアラは右足のペダルを踏み込む――パワードローダーが暴走。

 

 「なにっ!?」

 ボブが押しつぶされるようにコンテナに叩きつけられる。

 

 「おれのパワーをなめるなよぉおお!!」

 ボブが反撃し、シャアラを押し返す。

 

 「いやぁあ! やめてぇええ!」

 シャアラは涙を流しながらスティックを回した。

 その動きに反応し、アームがボブを掴み――投げ飛ばした!

 

 飛んだボブがシルヴァに激突し、二人まとめてガスボンベ群へ。

 金属音とともに白煙が噴き出す。

 

 「やばい! あれは引火性のガスや!」チャコが叫ぶ。

 

 ドォォォン!!

 

 爆炎が走り、ボブとシルヴァの姿が火に包まれた。

 次々と誘爆が起こり、貨物室全体が赤く染まる。

 

 「アダム!!」

 リュウジの胸にアダムが飛び込む。

 

 「シャアラもこっちに!」

 「左のアクセルを踏め!」ポルトの声。

 シャアラのパワードローダーが後退し、全員の元へ。

 

 「いかん! このままでは動力炉まで爆発する! この船は終わりじゃ!」

 「なに!?」リュウジが目を見開く。

 

 「逃げるんじゃ! みんなパワードローダーに乗れ!」

 ポルトがハッチレバーを下げると、後部ハッチが開き、青空が広がる。

 

 「ポルトさんも早く!」

 「いいか、出来るだけ遠くに飛ぶんじゃ!」

 

 「分かった!」カオルが叫ぶ。

 

 シャアラはツマミを最大に回し、パワードローダーが浮かび上がる。

 「掴まれ!」リュウジがポルトの腕を掴む。

 

 だが――

 

 「おっと!」

 ボブが背後からポルトを掴んだ。

 

 「離せ!」

 「離すかよ! この顔に傷つけたツケ、返してもらうぜ!」

 「そうだい、やっちまいな!」シルヴァも呻く。

 

 「わしに構わず逃げろぉぉぉおお!!」

 ポルトは叫び、リュウジの手を振り払った。

 

 「ポルトさん!!!」

 

 パワードローダーが上昇、青空に舞い上がり――海へ落ちた。

 

 

 「カオルたちだ!」メノリが叫んだ。

 「何がどうなってんだ!?」ハワードは混乱している。

 煙を上げながら蛇行するオリオン号。

 

 「みんな、無事みたいだ……」ベルが胸を撫で下ろした。

 

 だが、ルナの顔は青ざめていた。

 「……リュウジが……いなかった……」

 

 その瞳は遠くの空を追い続けていた。

 青く燃える海の向こう、オリオン号の残骸が沈みゆく。

 

 ⬜︎

 

貨物室の奥、爆発の衝撃で黒煙が漂う中――ポルトは背後から伸びてきた太い腕に首を掴まれた。

 

 「ジジイだけでも、殺してやる!」

 怒号と共に、ボブのサイボーグの腕がギチギチと軋む音を立てる。

 

 「ぐっ……ぅ……」

 ポルトの喉が絞まり、苦しげな呻き声が漏れた。

 顔は赤くなり、眼球が飛び出しそうなほど見開かれる。

 

 「ははっ! どうだ! 年寄りは喉が弱ぇなあ!」

 ボブは狂気の笑みを浮かべながら、さらに力を込めた。

 

 だが――その瞬間、ボブの表情が歪んだ。

 

 「ぐあぁぁっ!!」

 

 苦痛の叫びとともに、鮮血が飛び散る。

 見ると、ボブの手の甲には黒曜石のナイフが深々と突き刺さっていた。

 血がサイボーグの金属部分を伝い、赤い筋を描く。

 

 「がっ……リュウジ……!」

 

 ポルトが崩れ落ち、咳き込みながら膝をついた。

 「ごほっ……げほっ……!」

 息を整える間もなく、彼は顔を上げ、厳しい声を上げた。

 

 「リュウジ! なぜ逃げなかったのじゃ!」

 

 その声は怒りではなく、悲しみに震えていた。

 

 リュウジは静かに立っていた。

 爆風に揺れる灰色の髪を払うと、ゆっくりと口を開いた。

 

 「悪い、ポルトさん。俺はどうやら――仲間を残して逃げることはできないみたいだ」

 

 その声は静かで、どこか寂しげだった。

 唇の端に、わずかな笑みが浮かぶ。

 

 「わざわざ死地に戻るなんて……あんたもバカだねぇ」

 シルヴァが炎の向こうで、不敵に笑う。

 頬には煤がつき、髪は乱れていたが、その目だけは獲物を見つめる猛獣のようだった。

 

 「このガキがあああっ!!!」

 ボブが怒り狂い、手に刺さったナイフを引き抜く。

 血が飛び散り、床に赤い点を作る。

 

 リュウジはポルトに駆け寄り、低く囁いた。

 「ポルトさん、コンテナを覆ってるシーツでパラシュートを作ってください。脱出を」

 

 「お前はどうするつもりじゃ……!」

 ポルトの声は掠れていた。

 

 リュウジは静かにナイフを握り直す。

 「ケリをつけてきます」

 その目には、迷いはなかった。

 

 炎に照らされた瞳が、ボブとシルヴァを鋭く射抜いた。

 

 

  西の海岸 ― 残された仲間たち

 

 海岸では、波しぶきと爆発音が混じっていた。

 カオルがシャアラを支えながら砂浜を走り、シンゴはアダムを背負っている。

 チャコは胸元から砂を払いながら海から上がってきた。

 

 「カオル! リュウジは!?」

 駆け寄ってきたルナが息を切らしながら尋ねた。

 

 「……え?」

 カオルが振り返り、はっとした表情を浮かべる。

 

 「まさか……」

 彼の視線がオリオン号に向く。

 燃え上がる炎の中、船体の影が見えた。

 

 「まさか、ポルトさんを助けるために残ったんか!」

 チャコが叫ぶ。金属の耳が震えていた。

 

 ルナはその言葉を聞き、顔を強張らせた。

 「……リュウジが……まだ……オリオン号に……」

 

 その瞳は涙を溜め、震えていた。

 

 背後で、海風が冷たく吹く。

 遠く、燃え落ちるオリオン号の船体が、

 夜の海に赤く滲んでいた。

 

⬜︎

 

爆発の余韻がまだ残る貨物室。

 壁は焦げ、床には金属片が散乱し、煙がゆらめいていた。

 その中で、立っている影は三つ。

 

 リュウジ。

 ボブ。

 シルヴァ。

 

 互いに睨み合い、炎の光が頬を照らしていた。

 

 「……おもしれぇガキだ。普通はとっくに死んでるはずだがな」

 ボブの声は低く、鉄が擦れるようだった。

 肩から火花が散っている。右腕は半分焦げていた。

 

 「無駄口は後だ。時間がない」

 リュウジの声は静かだが、足元は微動だにしない。

 

 シルヴァは、焼け焦げた服を気にも留めず、

 床に転がっていた鉄パイプを拾い上げた。

 「電気ウィップも毒針も壊れたけど……こんなのでも充分ね」

 笑みは冷たい。

 それはもう、女ではなく戦闘機械のそれだった。

 

 ボブが地面を蹴った。

 床が鳴り、金属がひしゃげる。

 その質量が弾丸のように突っ込んでくる。

 

 「おらぁっ!!!」

 

 リュウジはギリギリまで動かず、ボブの腕が伸びた瞬間、

 上体を捻って避ける。

 

 ガァンッ!

 

 ボブの拳が壁に直撃し、鉄板が凹む。

 リュウジは反動で横へ滑り込み、距離を取る。

 

 「チッ、反応が早ぇな……!」

 ボブが腕を引き抜く間もなく、

 その背後から鉄パイプが唸りを上げた。

 

 「後ろがガラ空きよ、坊やッ!」

 

 シルヴァの声と同時に、パイプが横薙ぎに振られる。

 リュウジはナイフで受け止め――火花が散る。

 

 金属と黒曜石が擦れ、甲高い音が響く。

 

 「悪いな。こっちも少し急いでるんでな」

 リュウジが押し返すと、シルヴァは滑らかに後退した。

 その姿勢のまま、パイプを地面に打ちつけ、

 煙を上げてボブの動きを隠す。

 

 「今だ!」

 ボブが煙の中から飛び出す。

 その動きは重いが速い。

 サイボーグの脚が床を削り、火花を散らす。

 

 リュウジは一歩下がり、

 ――その脚の軌跡を正確に読む。

 

 右足、わずかに反応が遅い。

 それがリュウジの目に映った。

 

 「そこか」

 

 瞬間、ナイフが弧を描く。

 ボブの右脚の太腿に突き立ち、血が飛び出る。

 

 「ぐっ!?」

 ボブが膝をつく。

 

 だが、すぐにシルヴァのパイプがリュウジの肩を掠めた。

 「油断しすぎよ!」

 金属が肉を裂き、血が滲む。

 

 リュウジは後ろに飛び退き、肩を押さえる。

 浅い。だが出血は止まらない。

 

 「……なるほどな。二人での連携か」

 口角がわずかに上がる。

 「いいコンビだ。だが、俺には通用しない」

 

 リュウジの目が細くなる。

 周囲を観察していた。

 壁の凹み、散らばったパイプ、床の油、火花の位置――

 すべてを一瞬で読み取る。

 

 (ボブは突進特化、シルヴァは範囲攻撃……

 連携のタイミングをずらせば、互いにぶつかる)

 

 リュウジは左腕の血を袖で拭い、再び構えを取った。

 ナイフを逆手に握り、低く身を沈める。

 

 「来い」

 

 ボブが唸り声を上げた。

 「ぶっ潰してやる!!!」

 同時に、シルヴァが後方から走り出す。

 鉄パイプがきらめき、斜めに振り下ろされた。

 

 リュウジはその刹那、床を蹴った。

 低く潜り込み、シルヴァの足元を滑るように抜ける。

 

 「なっ!?」

 

 その背後で――ボブの突進が止まらない。

 シルヴァのパイプとぶつかり、火花が散った。

 

 「ボブ! 止まりなさい!」

 「うるせぇ、邪魔すんな!!!」

 

 反動で二人の間に隙が生まれる。

 

 リュウジはその瞬間を逃さず、

 壁際の鉄パイプを蹴り上げ、ボブの顔面へ。

 

 ガァンッ!

 

 ボブのヘッドプレートが歪む。

 「ぐおおっ……このッ……!!」

 

 「動きが単調なんだよ」

 リュウジの声が冷たく響いた。

 

 シルヴァが再び構え直す。

 額から汗を流しながら、息を荒げている。

 

 「どうやら……生半可な手じゃ倒せないわね」

 「気づくのが遅い」

 

 リュウジが一歩踏み込み、シルヴァの鉄パイプとナイフがぶつかる。

 キィィン――ッ!

 火花が散る中、リュウジの左足が静かに動く。

 

 シルヴァは勘づいて後ろへ下がる。

 リュウジの蹴りが空を裂き、風が舞った。

 

 その一瞬。

 ポルトが後方で、必死にコンテナのシーツを結んでいた。

 

 「ぐぬぬ……早うせねば……」

 

 振り返ったリュウジは短く頷く。

 「行ってください、ポルトさん」

 

 「リュウジ……お主という奴は……!」

 ポルトはシーツのパラシュートを抱え、後方ハッチへ走った。

 

 その背を見届けるように、リュウジはナイフを構え直す。

 血に濡れた刃が赤く光る。

 

 ボブは右脚を引きずりながら立ち上がる。

 「逃がさねぇぞ……誰もよォッ!!!」

 

 シルヴァも鉄パイプを肩に担ぎ、

 「……いいわ。最後の一人になるまで遊びましょうか」と笑った。

 

 リュウジは構えたまま、薄く笑った。

 

 「遊びなら、もう終わりだ」

 

 再び、金属音が鳴り響く。

 炎の中で三人の影が交錯し、

 血と火花が飛び散る。

 

 ――決着は、まだ遠い。

 

⬜︎

 

爆発の余韻が、まだ遠くで鳴り響いていた。

 海は赤く染まり、オリオン号の残骸から立ちのぼる煙が、空を覆っている。

 

 波の音も、風の音も、どこか遠くに感じられた。

 その時――

 

 「……あれを見て!」

 シャアラの震えた声が上がる。

 

 ルナたちが一斉に空を見上げた。

 燃え上がるオリオン号の少し上、薄い白布のようなものがゆっくりと風に揺れていた。

 

 「パラシュート……?」

 メノリが息を呑む。

 

 夕陽を受けて光るそれは、確かに“人”を包んでいた。

 布がはためき、ゆっくりと海岸近くの砂地に降りていく。

 

 「ポルトさん……!」

 シンゴが叫んだ。

 

 ベルが駆け出し、ハワードがその後を追う。

 砂浜にたどり着くと、そこには息を荒げながらも、しっかりと地に足をつけたポルトの姿があった。

 顔や腕に火傷の跡があるが、まだその目には力が宿っていた。

 

 「……よかった、ほんとうに……!」

 シャアラが両手を胸に当て、震える声で呟いた。

 

 「ポルトさん! どうやって……!」

 シンゴが駆け寄ると、ポルトはゆっくりと息を整え、静かに答えた。

 

 「……リュウジじゃ」

 

 その名を口にした瞬間、皆の表情が変わった。

 ルナの心臓が強く鳴る。

 

 「リュウジが……?」

 ルナの声はかすれていた。

 

 ポルトは頷く。

 「わしを助けてくれた……。自分の脱出を捨てて、わしにパラシュートを託しての」

 「そんな……じゃあ、リュウジはまだ――」

 

 ルナの声が震え、言葉が途切れた。

 カオルがそっと視線を落とす。

 「……あいつは、最後まで仲間を見捨てない奴だ」

 

 波の音がまた戻ってきた。

 ルナはその場に立っていられず、膝から崩れ落ちる。

 砂が手に触れ、冷たさが指先を刺した。

 

 「……どうして……いつも……」

 声はかすれ、涙が頬を伝う。

 

 それでも、泣き声はあげなかった。

 リーダーとして、みんなの前で泣くわけにはいかない。

 それでも――涙は止められなかった。

 

 肩を震わせ、両手を握り締める。

 視界の先には、燃え落ちるオリオン号。

 あの中に、彼がまだいる。

 

 「リュウジ……」

 

 その名を呼んだ声は、海風に溶け、静かに消えていった。

 

 ポルトはそれを見て、唇を噛んだ。

 「……わしが替われるなら、そうしたかった」

 老いた声には深い悔恨が滲んでいた。

 

 夕陽が沈みゆく海に、煙と涙が滲む。

 空を漂うパラシュートが、風に押され、遠くへ流れていった

 

⬜︎

 

燃え続けるオリオン号の機械室。

 天井から落ちたパイプが火花を散らし、空気が金属と焦げの臭いで満ちていた。

 

 ボブは肩を上下させながら、血走った目でリュウジを睨みつけていた。

 シルヴァは鉄パイプを両手に構え、息を荒くしている。

 対するリュウジは、焼け焦げた床の上で微動だにせず、ただ静かに二人を見据えていた。

 

 ――さっきまでとは、空気が違う。

 

 シルヴァが無意識に唇を噛む。

 リュウジの動きが、まるで別人のように研ぎ澄まされていた。

 

 「なに……? 動きが……変わった?」

 

 ボブが一歩退きながら呟く。

 それまで冷静に避けるだけだった男が、いまは“狩る者”の眼をしている。

 

 リュウジはゆっくりと黒曜石のナイフを握り直し、低く構えた。

 炎が彼の横顔を照らし、鋭い光を瞳に宿す。

 

 「……おい、さっきまでの余裕はどうした?」

 

 「なにを――」

 

 言葉の途中で、ボブの目の前からリュウジの姿が消えた。

 瞬間、風が走る。

 

 ボブの左頬に浅い切り傷が走り、血が一筋流れ落ちた。

 

 「……っ!」

 「バカな、いつの間に――」

 

 リュウジは既にボブの背後にいた。

 その身のこなしは音もなく、まるで影が動いたかのようだった。

 

 「手加減してたのかい?」

 シルヴァの声は震えていたが、それを悟られまいと強がっていた。

 鉄パイプを構え、火花を散らすように構え直す。

 

 リュウジはその問いに、淡々と答えた。

 

 「手加減なんかする訳ないだろう」

 

 「じゃあ……なんなの、その速さ……!」

 

 リュウジはナイフを肩に立てかけるようにしながら、目だけを細めた。

 

 「俺はただ――お前らを“殺す気”がなかっただけだ」

 

 その言葉が落ちた瞬間、空気が変わった。

 ボブもシルヴァも思わず息を飲んだ。

 

 リュウジの声は、氷のように冷たく、

 だが底に燃える怒りと決意が滲んでいた。

 

 「仲間は逃した。もう遠慮はしない」

 

 彼の足元から、小さな爆風のような気圧が立ち上がる。

 焦げた床を蹴り、リュウジが一気に間合いを詰める。

 

 ボブが咄嗟に腕を構えた。

 金属の拳と黒曜石の刃がぶつかり――

 ガギィィン! と鋭い音が響く。

 

 ボブの腕が弾かれ、バランスを崩す。

 その瞬間、シルヴァの鉄パイプが横から走った。

 だがリュウジは、それすら予期していた。

 

 ナイフを捻って受け流し、シルヴァの体勢を崩す。

 パイプが床に当たり、火花が散った。

 

 「くっ……このっ!」

 「焦るな、シルヴァ! まだ勝負は――」

 

 ボブが叫ぶ前に、リュウジが一歩踏み込む。

 ボブの首元にナイフの切っ先がわずかに触れ、皮膚を掠めた。

 血が一筋、光を反射する。

 

 「……っ!」

 「次は皮一枚じゃ済まねぇ」

 

 ボブの背筋に冷たいものが走る。

 今まで戦ってきたどんな兵士とも違う。

 この男の動きは、理屈ではなく“経験”の塊だった。

 

 シルヴァは一歩退き、汗を拭う。

 「……どうやら、本気を出してくれたみたいね」

 

 リュウジは返さない。

 ただ、その目が“戦場”の目に戻っていた。

 悲劇のフライトを生き延びた者の、戦いを知る者の目だ。

 

 炎が壁を伝い、金属が軋む。

 その中で三人の影が揺れ、再びぶつかり合う――

 

 火花、怒号、金属音。

 爆発に照らされたその戦いは、まるで地獄の舞踏のようだった。

 

 

 同じ頃、海岸では。

 ルナはオリオン号を見上げながら、

 両膝を砂に落とし、震える手で顔を覆っていた。

 

 「……リュウジが……助けてくれたんだね……」

 

 声が掠れ、唇が震える。

 涙は流れ出すのを拒むように、まぶたの奥で震えていた。

 

 「リュウジ……お願い……生きて……」

 

 その願いが、海風に乗って空へと消えていった。

 だがその瞬間も、

 オリオン号の中では――

 リュウジの刃が、炎の中でまだ輝き続けていた。

 

⬜︎

 

――静寂。

 

 炎の音すら遠のいて聞こえるほど、空気が重く沈んでいた。

 焦げた鉄の匂いの中、ただ一人、リュウジだけが動いていた。

 その足音が、まるで死の刻印のように、機械室に響く。

 

 「……くそっ……なんで当たらねぇ!」

 ボブが吠えながら突進する。

 しかしリュウジは、滑るように横へ身をずらす。

 ほんの指先の距離で拳を避け、ナイフの切っ先で義腕の関節をかすめた。

 

 ギギッ……!

 金属が裂ける音。

 

 「腕の出し方が雑だな」

 低い声が、炎に包まれた空間に響く。

 

 ボブの体が一瞬硬直する。

 その背後に、もうリュウジが立っていた。

 「ぐっ……いつの間にっ!?」

 次の瞬間、リュウジの足がボブの膝裏を打つ。

 ボブは崩れ落ち、床に叩きつけられた。

 

 リュウジは微動だにせず、上から見下ろした。

 その目には、もはや一片の感情もない。

 

 「……なんだ、その目は……!」

 ボブが叫ぶ。

 声は震えていた。

 

 シルヴァは鉄パイプを構えながらも、身体が動かない。

 胸の奥を冷たい何かが締め付けていた。

 目の前の男――リュウジの放つ圧力は、もはや人間のものではなかった。

 

 殺気が、空気を震わせる。

 息を吸うだけで肺が痛むほど、張り詰めた圧。

 

 「な……なに、このプレッシャー……!?」

 「こんな……ガキの殺気じゃねぇ……!」

 

 ボブが呻くように言った。

 それは恐怖という名の本能的な拒絶だった。

 

 リュウジは一歩、また一歩と前に出る。

 焼け焦げた床が、彼の足の下で“ギシ、ギシ”と鳴る。

 

 「狩られる側の気分はどうだ?」

 

 低く、押し殺した声。

 その一言で、二人の背筋に氷が走った。

 

 シルヴァは思わず後退する。

 「な、なんなのよあんた……人間じゃ……!」

 ボブも立ち上がりながら、無意識に後ずさる。

 

 「く、くそっ! こんなところにいられるか!」

 怒鳴り声を上げるが、それは恐怖を隠すための虚勢にすぎなかった。

 

 リュウジは追い詰めるように前へ進む。

 炎の中を歩むその姿は、まるで地獄の底から現れた復讐者だった。

 

 「――逃げられると思うな」

 

 ナイフの刃がわずかに光る。

 シルヴァが悲鳴を上げ、ボブが叫んだ。

 

 「行くぞシルヴァ! ここで死ぬ気か!」

 「わ、わかってる!」

 

 二人は背を向け、操縦室の方向へと走り出した。

 床を蹴るたび、金属が響き、焦げた煙が揺れる。

 

 リュウジはその背を見送りながら、わずかに息を吐いた。

 その表情は怒りでも安堵でもない――ただ、冷たく静かな決意の色をしていた。

 

 「……後はブリンドーだけか」

 

 リュウジはポツリと呟いた。

 炎の中、リュウジの影だけがゆらりと揺れた。

 

⬜︎

 

火の粉が舞う貨物室。

 天井の配管が爆ぜ、赤い警報灯が断続的に点滅している。

 警報音と機械の悲鳴が入り混じる中、リュウジは壁際に備え付けられた船内通信機に手を伸ばした。

 

 指先が血に濡れていた。

 だが、その目は静かで、鋭かった。

 

 「……ブリンドー」

 

 「貴様……ッ!」

 ブリンドーの怒りは既に最高潮だ。操縦室では警報灯が赤く点滅し、計器が悲鳴を上げている。

 船体は揺れ、警告音が耳を刺していた。

 

 「何が起きてやがる……何をした、貴様ァッ!!」

 

 「……あの時とは、逆の立場だな」

 

 「……なに?」

 ブリンドーの声が一瞬、静まる。

 

 リュウジは通信機のマイクを強く握り、わずかに笑みを浮かべた。

 「“悲劇のフライト”の時――操縦桿を握っていたのは俺だった」

 

 「貴様……それを、まだ……!」

 ブリンドーの歯噛みする音がノイズ混じりに聞こえる。

 「てめぇが操縦を誤らなければ、誰一人死ぬ事はなかったんだ!!」

 

 「確かに、全員を救えなかったのは俺のせいだ」リュウジの声が低く響いた。

 「だが、お前が引き金を引いた。」

 

 沈黙。

 わずかな機械音だけが鳴る。

 

 「くだらねぇ理由で、命を奪った。金のためか? 欲のためか? それともただの気まぐれか?、そんな“くだらないもの”のために、多くの人を、無関係の人間を殺したんだ」

 

 

 「黙れえええええええええ!!!」

 

 操縦室で、ブリンドーが計器を拳で叩き割る音が響いた。

 警報音がさらに高まり、赤い光が乱反射する。

 

 「俺が負けただと!? この俺が!? 何故だ! 何故貴様なんかに、俺が負ける!!」

 

 リュウジはわずかに目を閉じ、静かに言葉を返す。

 

 「お前は“殺す”だけで何も背負っていない」

 

 沈黙。

 言葉は静かだったが、刃のように鋭く突き刺さった。

 

 「俺は失った命を背負って生きてる。だから――」

 

 リュウジは深く息を吸い、最後の一言を吐き出した。

 

 「――お前は負けたんだよ」

 

 通信の向こうから、荒い息が聞こえる。

 そして――

 

 「この俺が……負けるだと……!? そんなことが、あるかあああああああ!!」

 

 操縦席でブリンドーは絶叫し、操縦桿を思い切り引いた。

 オリオン号が低空で急旋回する。

 機体は警告を無視して下降を続け、東の森に向かって突っ込んでいった。

 

 リュウジは通信機を見つめたまま、目を閉じる。

 「……あの世で、お前が殺した人たちに泣いて詫びろ」

 

 そう言い残し、ゆっくりと手を離した。

 

 無線の向こう、ブリンドーの怒声が最後に響く。

 「くそぉぉおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 ――次の瞬間。

 

 夜空を裂くような閃光。

 東の森の奥、遺跡の影が白く照らされ、轟音が大地を揺らした。

 火柱が上がり、黒い煙が空へと昇っていく。

 

 爆風が吹き抜け、海岸の砂を巻き上げる。

 遠くからその光を見たルナたちは、息を呑んだ。

 

 「……リュウジ……」

 ルナの声は風に掻き消された。

 誰も何も言えず、ただ燃え上がる空を見上げていた。

 

 燃え盛る炎の向こう、波の音だけが静かに続いていた。

 誰も、言葉を発せなかった。

 

 ルナはただ、胸の奥で祈っていた。

 ――どうか、あの光の中で、リュウジがまだ生きていてくれるように。

 

⬜︎

 

東の森の奥。

 かつて“遺跡”と呼ばれた場所には、今や巨大な機体が突き刺さっていた。

 オリオン号――赤々と燃え上がるその残骸が、空を焦がしている。

 

 鉄が焼ける匂い、油がはぜる音。

 炎の向こうには、もう誰の姿も見えなかった。

 

 丘の上で、ルナたちは立ち尽くしていた。

 それぞれが言葉を失い、ただ赤い光に照らされながら、

 “彼”の名を胸の中で呼んでいた。

 

 ルナ

 

 「……うそ……でしょ……」

 

 ルナの唇から、震える声が漏れた。

 炎に照らされた瞳には涙が浮かび、頬を伝ってこぼれ落ちる。

 

 「どうして……また一人で……」

 

 声が掠れる。

 彼の優しい言葉が、耳の奥で響く。

 

 ――“怖かっただろ、よく頑張ったな”

 

 思い出した途端、胸の奥が締めつけられた。

 「もう……笑ってくれないの……?」

 膝をつき、地面に落ちる涙を見つめる。

 

⬜︎

 

「……馬鹿野郎が」

 

 カオルは腕を組み、唇を噛み締めた。

 あの時、自分が引き留めていれば。

 あいつを止められたかもしれない。

 

 だが、同時に理解していた。

 “リュウジ”という人間は、そういう奴だった。

 

 「結局、最後まで……人を背負って生きやがった」

 

 声が震える。

 彼の中で、かつてのライバルとしての誇りと、

 友を失った痛みがせめぎ合っていた。

 

 「……あの世でルイにでも自慢してろよ」

 「お前がいなきゃ、俺は……こんなに強くなれなかったんだ」

 

 燃え上がる炎を見つめながら、

 カオルは静かに拳を握り締めた。

 

⬜︎

 

「……信じられない」

 

 メノリは、握った手を胸に押し当てていた。

 冷静な彼女の目からも、涙が溢れる。

 

 「いつも危険を顧みずに、前に出て……」

 「でも、誰よりも仲間を想っていた……」

 

 目を閉じる。

 あの夜、火の番をしながらルナを心配していた彼の横顔が浮かぶ。

 

 「ありがとう、リュウジ……お前いたから、私たちはここまで来れた」

 

 風が吹き、彼女の髪が揺れた。

 まるで、彼の声が風に溶けて届いたように感じた。

 

⬜︎

 

 「……嘘だろ……」

 

 ハワードは両手で頭を抱えた。

 「やっと謝ったのに……まだ話したいこと、山ほどあったのに……!」

 

 地面を拳で叩く。

 「何回もムカついたし、何回も喧嘩した。

 それでも……あいつ、最後まで俺を見捨てなかった」

 

 涙を拭いながら、かすかに笑う。

 「ほんと、ずるいよな……リュウジ、最後までカッコつけすぎだよ」

 

⬜︎

 

チャコ

 

 「ウチ……もうイヤや……」

 

 チャコは両手を胸に抱き、小さな声で呟いた。

 「なんでウチら、こないな思いばっかせなあかんのや……」

 

 炎の光がチャコの瞳に映る。

 「リュウジ、あんたは強すぎるで……

 でもウチ、忘れへん。あんたの分まで、ウチら生き抜く」

 

⬜︎

 

 「……リュウジ、僕……信じられないよ……」

 

 シンゴは唇を噛み、静かに言葉を続けた。

 「僕たちのために、あんな危険なこと……」

 「どうして、いつも一人で背負うんだよ……」

 

 両拳を握り締める。

 「でも、リュウジが信じてくれた“仲間”って言葉、僕、忘れない」

 「次は僕が、誰かを守れるようになるから」

 

 その言葉に、チャコが涙を拭いながら頷いた。

 

⬜︎

 

 「リュウジ……お前は、立派な男だったよ」

 

 穏やかで深い声。

 ベルはゆっくりと炎を見つめながら、静かに言葉を紡いだ。

 

 「怖くても、仲間を守るために前に立つ――

 簡単なことじゃない。でも、お前はやってのけた」

 

 優しく微笑みながら、続けた。

 「お前が教えてくれた“強さ”の意味……

 俺は、絶対に忘れないよ」

 

 その声には、優しさと哀しみが滲んでいた。

 

⬜︎

 

「……あやつは最後まで立派な男じゃった」

 

 ポルトは深く帽子を脱ぎ、胸に当てた。

 「命の重さを、あやつは知っとった」

 「わしら年寄りが学ばされるような若者じゃよ……」

 

 「……安らかに眠れ、リュウジ」

⬜︎

 

シャアラは皆から少し離れた場所で、炎に照らされた遺跡を見つめていた。

 両手を胸の前で組み、小さな声で呟く。

 

 「……リュウジ、どうして……」

 

 声は震えていた。

 あの人の背中を思い出す――いつも冷静で、どんな危機の中でも揺るがなかった姿。

 だけど本当は、誰よりも痛みを抱えていたことを、シャアラは知っていた。

 

 「……怖かったはずなのに、ずっと前を見ていた」

 「私、あの時あなたの強さに憧れてたの……」

 

 涙が頬を伝い落ちる。

 「ねぇ……もし、もう一度会えるなら――」

 シャアラは空を見上げる。夜風が髪を揺らした。

 

 「その時は、ちゃんと笑って“ありがとう”って言いたい」

 

 炎の光が弱まり、夜の闇が戻っていく。

 彼女の頬を照らすその光が、まるで誰かが優しく撫でてくれたように見えた。

 

⬜︎

 

 アダムはルナのそばに立ち、燃え続けるオリオン号を見つめていた。

 彼の目は涙ではなく、どこか深い“感覚”の色をしていた。

 

 「……みんな、リュウジのことを“もういない”って言ってるけど……」

 小さな声で呟く。

 

 「僕、感じるんだ」

 

 アダムは胸に手を当てる。

 ナノマシンが静かに反応していた。

 それは痛みでも悲しみでもなく――“信号”だった。

 

 「まだ……どこかで、生きてる」

 

 ルナが振り向き、アダムを見る。

 「アダム……本当に……?」

 

 アダムは頷いた。

 「うん、わかるんだ。

 だって、僕の中にもリュウジの光が少し入ってるから」

 

 その小さな言葉に、ルナの目が潤む。

 アダムは空を見上げて、そっと微笑んだ。

 

 「リュウジは、まだ“僕たち”の中にいる。

 だから、僕……もう泣かないよ」

 

 風が吹く。

 ナノマシンの淡い光が、アダムの周囲でほんの少しだけきらめいた。

 その光はまるで――リュウジの魂が、優しく彼を見守っているかのようだった。

 

⬜︎

 

その瞬間だった。

 

 ――足音。

 

 焦げた煙の向こうで、黒い影がゆらりと動いた。

 皆が同時に振り向く。

 日を背に、ゆっくりと歩いてくる人影があった。

 服は破れ、腕には火傷と傷跡。

 それでも、背筋はまっすぐに伸びていた

 

 「……勝手に殺すなよ」

 

 かすれた声。

 しかし、その口元には、確かに笑みがあった。

 

 ルナの身体が反応した。

 心臓が跳ねる。息が止まる。

 次の瞬間には、もう地面を蹴っていた。

 

 「リュウジっ――!!」

 

 風を切る音が、涙の中に混ざった。

 視界が滲んで、彼の姿が何度も歪む。

 それでも走った。何度も転びそうになりながら。

 

 灰を巻き上げて駆け寄るルナに、リュウジは小さく微笑んだ。

 服は焼け、腕には火傷と傷跡。

 それでも、その目は昔と同じだった。まっすぐで、強くて、優しい。

 

 「……泣くな」

 リュウジは、傷ついた手でルナの頬に触れた。

 ざらついた指先が、彼女の涙を拭う。

 

 「……ちゃんと帰ってきただろ」

 

 「……嘘……嘘よ……」

 ルナは嗚咽を抑えきれず、彼の胸に飛び込んだ。

 腕の中で、彼の体温を感じる。

 心臓の鼓動が聞こえた。

 本当に、生きている。

 

 「もう……心配かけないで……もう……置いていかないでよ……」

 

 震える声。

 言葉のたびに胸が震え、涙が彼の服を濡らしていく。

 

 リュウジは何も言わず、そっと彼女の背中に手を回した。

 その手はまだ熱を帯びていたが、どこか優しくて温かかった。

 

 「……悪かった」

 短い一言に、全ての想いが詰まっていた。

 

 ルナは首を横に振った。

 「違う……違うの……私のほうこそ、ごめん、信じてたのに……でも、怖かったの……」

 

 彼女の声が震え、喉の奥で途切れる。

 リュウジはその頭をそっと抱き寄せ、耳元で低く囁いた。

 

 「……お前の声が聞こえた。ずっと。それがあったから、生きて帰れた」

 

 ルナは目を見開いた。

 涙の向こうで見つめ合う二人。

 リュウジの頬を日の光が照らした。

 

 「ねぇ……ほんとに、生きてるのよね……?」

 ルナが尋ねると、リュウジは少し笑った。

 

 「ほら、触って確かめろよ」

 冗談めかして言うその声が懐かしい。

 

 ルナは両手で彼の胸を押さえた。

 鼓動が確かに響いている。

 それだけで、もう何も言えなかった。

 

 「……帰ってきてくれて……ありがとう」

 

 その言葉を聞いたリュウジは、静かに頷き、

 「お前が待ってたから、帰ってこられた」と囁いた。

 

 その瞬間、二人の間を包む風が、やさしく吹き抜けた。

 灰が舞い上がり、光の中できらめいた。

 

 周りでは、メノリが口元を押さえ、ハワードが「マジかよ……!」と叫び、

 ベルが安堵の息をつき、チャコは「ウチ、心臓止まるか思たで……!」と涙ぐんだ。

シンゴは目を見開いたまま、「やっぱり、生きてたんだ……」と呟き、

 カオルは少し離れた場所で、ふっと息を吐きながら空を見上げた。

 シャアラも涙を流し、必死に拭っている。ポルトは「よく戻ってきた」と嬉しそうに呟き。アダムは涙を拭い「良かった」と笑みを浮かべた。

 

⬜︎

 

――轟音とともに、世界が赤く染まった。

 ブリンドーの絶叫、崩壊する船体、爆風。

 オリオン号は東の森に向かって傾き、制御不能のまま滑走していた。

 

 リュウジは貨物室の床に叩きつけられ、視界がぐにゃりと歪んだ。

 熱風と煙が押し寄せる。肺が焼けつくように痛い。

 それでも――彼は立ち上がった。

 

 「……まだ終わってない」

 

船内の自動警報が淡々と告げた。

 リュウジは息を吐き、周囲を見渡す。

 目に入ったのは、倒れたままのパワードローダー。

 外装は焦げているが、動力ユニットはまだ生きている。

 

 「……頼むぞ」

 

 リュウジは駆け寄り、操作席に飛び乗った。

 燃え盛る熱風が背中を焼く。

 マニュアルモードを起動させ、残った動力を一点に集中させる。

 足元のスラスターが赤く光り始めた。

 

 「出力……60%……まだいける」

 

 震える指先で計器を調整し、

 視界の先にある開閉ハッチへと照準を合わせる。

 ハッチは半壊しており、片側が歪んでいる。

 だが、押し破れる角度だ。

 

 「――脱出だ」

 

 リュウジは小さく呟き、ペダルを踏み込んだ。

 スラスターが爆ぜ、

 パワードローダーは轟音とともに前方へ突き進む。

 

 次の瞬間、オリオン号の後部が爆発。

 その爆風に押されるようにして、リュウジの機体はハッチを突き抜けた。

 炎が視界を覆い、世界が赤く染まる。

 

 だが、彼は離脱直前にパワードローダーの重力制御ユニットを切り替え、

 スラスターを制御モードから滑空モードに移行。

 機体は爆風を受け流しながら、空中で大きく弧を描いた。

 

 「……持ってくれよ……!」

 

 パワードローダーのフレームが軋みを上げる。

 だが、リュウジは必死に操縦桿を握り、姿勢を維持した。

 

 最後の力で東の森に向かって着地する。

 

 ――ドォォンッ!

 

 衝撃が全身を貫き、機体が横転。

 金属の軋む音、火花。

 視界が白く弾け、リュウジは意識を失った。

 

⬜︎

 

がつけば、視界は緑だった。

 木々に遮られた日差しが、ぼんやりと差し込んでいる。

 身体は痛む。息をするたびに肺が焼ける。

 それでも、意識ははっきりしていた。

 

 「……あの爆発で、よく生きてたもんだな」

 

 リュウジは小さく笑った。

 パワードローダーの外装は壊れていたが、コクピットの安全フレームが彼を守っていた。

 体中に痛みが走る。それでも、生きている。

 

 「……みんなは無事だったか?」

 

 口元にかすかな笑みを浮かべ、リュウジはハーネスを外した。

 パワードローダーの左脚は完全に壊れている。

 だが右側の重力ユニットは、まだ微かに光を放っていた。

 

 「よし……お前もよく頑張ったな」

 

 機体の装甲を軽く叩き、リュウジはふらつきながら立ち上がる。

 遠くには、オリオン号の墜落炎上が見えた。

 遺跡が燃えている――仲間たちがいる場所だ。

 

 「……まったく。

 勝手に、死んだなんて思うなよ」

 

 リュウジは自嘲気味に笑い、

 傷だらけの体で、森を抜けていった。

 陽の光が差し込む方へ――

 あの声のする場所へと。

 

⬜︎

 

仲間たちの安堵の声が少しずつ遠のいていく中、

 ルナはリュウジの隣に膝をついていた。

 頬には涙の跡、手のひらには灰がこびりついている。

 けれどその目は、もう迷っていなかった。

 

 「……本当に、リュウジなのよね」

 震える声で、ルナが呟く。

 

 リュウジは少し苦笑した。

 「幽霊にしては、傷が痛いけどな」

 

 その冗談めいた一言に、

 ルナの頬がゆるみ、また新しい涙が零れた。

 

 彼女はしばらく俯いたまま、

 唇をかすかに震わせて言葉を探していた。

 

 「ねぇ……どうやって、生きて帰ってきたの……?」

 

 小さな声。

 風に混ざって消えそうなほどの囁きだった。

 

 リュウジは少し空を見上げた。

 灰色の雲の切れ間から、朝の光が差している。

 燃え尽きた遺跡が遠くで煙を上げていた。

 

 「……最後に、パワードローダーが残ってたんだ」

 「シャアラ達が脱出したやつ?」

 

 ルナが顔を上げる。

 リュウジは静かに頷いた。

 

 「ポルトさんを逃がしたあと、爆発が更に広がって、流石に間に合わない思ったけど、機体の重力制御が、まだ生きてた」

 

 彼の声は淡々としていたが、

 その指先にはかすかに震えが残っていた。

 

 「それに賭けて、出力を全開にして……爆風を利用して、外に吹き飛ばされた。森の中に落ちたが――運がよかったんだろうな」

 

 淡々と語るその姿に、

 ルナは胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

 「運……? そんなのじゃない」

 ルナは首を横に振った。

 「あなたが、生きようとしたから……そして、私たちの元に帰ってこようとしたから……」

 

 その言葉に、リュウジはわずかに目を細めた。

 「……お前は、ほんと強いな」

 

 「強くなんかないわ」

 ルナは涙を拭おうともせず、

 まっすぐ彼を見つめた。

 

 「怖かった……もう二度と、リュウジに会えないと思って……私、信じることしかできなかった……」

 

 「それで十分だ」

 リュウジの声が低く響いた。

 「信じてもらえた。それが、俺には一番の力になった」

 

 ルナは驚いたように瞬きをした。

 「……え?」

 

 リュウジは笑みを浮かべた。

 「ルナの声が聞こえた気がしたんだ。無茶をするなって」

 

 ルナの頬が赤く染まる。

 「そ、そんな……それ、ただの……」

 

 「命令じゃなかったのか?」

 「ち、違う! 心配だったのよ!」

 

 慌てて言い返すルナを見て、

 リュウジは少しだけ、優しく笑った。

 

 「……ああ、そうか。心配してくれたんだな」

 「も、もう……からかわないで……」

 

 ルナは視線をそらしたまま、

 そっと彼の腕を取った。

 手のひらに、傷と火傷の跡。

 その手を包み込むように握りしめた。

 

 「……痛くないの?」

 「痛いよ、でも、もう慣れた」

 

 「嘘。そんなの……」

 ルナの指先が、震えていた。

 リュウジはその手をそっと握り返した。

 

 「ルナ」

 

 「……なに?」

 

 「お前がここにいてくれて、本当によかった」

 

 その言葉に、ルナは息を詰めた。

 胸の奥がぎゅっと締め付けられ、

 もう何も言えなくなっていた。

 

 彼女はただ、リュウジの肩に顔を埋め、

 静かに頷いた。

 

 ――その瞬間、

 長かった闇の旅路が、ようやく終わりを告げた気がした。

 

 光が二人の影を、ゆっくりと一つに重ねていく。

 

 

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