サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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久々の再会

 アルテミスが出発したその日。

 

 見送りの熱気がまだ宇宙管理局の中にうっすらと残っている頃、ルナたちは局内にある喫茶店へ向かっていた。

 

 喫茶店は、宇宙管理局の本館と研究棟を繋ぐ渡り廊下の脇にあった。

 全面が大きなガラス張りになっていて、店の奥の席からはドックの一部が見える。少し前までアルテミスが停泊していた場所は今はもう空で、白い照明だけが整然と並んでいた。

 

 店の中は、局員や来客でそれなりに賑わっている。

 けれど、昼のピークは少し過ぎたのか、席を探して歩き回るほどではない。コーヒーの香りと、焼きたてのパンの匂いが混ざっていて、張りつめていた気持ちを少しだけほどいてくれるような空気が流れていた。

 

「わぁ、混んでるね」

 

 ルナがきょろきょろと店内を見回しながら言う。

 声にはまだ見送りの余韻が残っていて、少しだけ弾んでいた。

 

「そりゃそうだろ。さっきまで大々的に見送りやってたんだし」

 

 ハワードが肩をすくめる。

 

「でも、みんなでこうして集まるの、ほんとに久しぶりだね」

 

 ベルが穏やかに言った。

 その声を聞いて、ルナはぱっと笑顔になる。

 

「そうなの! だから嬉しくて」

 

 その笑顔は、さっきアルテミスを見送った時の少し寂しそうな顔とは違っていた。

 見送りは見送りで大事だった。けれど、こうして残された者同士で顔を合わせるのもまた、ルナにとっては大事な時間だった。

 

 シャアラが少し大袈裟に両手を広げる。

 

「まったくよ! 最近みんな忙しすぎるのよ。私なんて、会おうと思っても予定が合わないんだから」

 

「シャアラも人のこと言えないでしょ」

 

 シンゴが苦笑する。

 

「だって私は忙しいの!」

 

「みんな忙しいんだ」

 

 メノリが静かに言うと、シャアラは「それはそうなんだけど」と唇を尖らせた。

 

 ハワードはそんなやり取りを面白そうに見ながら、店員に向かって手を上げていた。

 

「すみません。八人なんですが、席ありますか?」

 

 店員が少し驚いた顔をしたあと、奥の広めの席へ案内してくれる。

 八人掛けの長方形のテーブル。ちょうど窓際で、外のドックが見える場所だった。

 

「おお、いい席じゃないか」

 

 ハワードが満足そうに言う。

 

「ほんとだ」

 

 ルナがすぐに窓側へ寄り、外を見た。

 ついさっきまで、あそこからアルテミスが出ていったのだと思うと、胸の奥がきゅっと締まる。

 でも、その感情を長く引きずるより、今はこうしてみんなといる時間を大事にしたかった。

 

「ルナ、座らないと注文できないぞ」

 

 メノリがやんわりと声をかける。

 

「あ、ごめん」

 

 ルナは慌てて席へ戻り、みんなもそれぞれ腰を下ろした。

 

 注文はばらばらだった。

 ハワードは見た目の華やかなプレートを迷わず頼み、シャアラは苺の乗ったパンケーキに真っ先に目をつけた。

 シンゴは腹が減ったと言ってボリュームのあるサンドイッチを選び、カオルは迷わず定食風のランチセット。

 ベルはスープと軽食。メノリはサラダと紅茶。ルナは少し悩んでからオムライスを選び、最後に大きめのパフェをみんなで一つ頼むことになった。

 

「ハワード、それ一人で食べるの?」

 

 ルナがメニュー写真を覗き込んで言う。

 

「当然だろう?」

 

 ハワードは胸を張る。

 

「役者たるもの、食事も華やかであるべきだからね」

 

「意味分からないわよ」

 

 シャアラがすぐに突っ込む。

 

「でも似合ってる」

 

 ベルが穏やかに言うと、ハワードは「そうだろう?」と満足げに髪をかき上げた。

 

 そんな風に、最初の数分はたわいのないやり取りばかりだった。

 けれど、みんなの表情が少しずつ柔らかくなっていくにつれて、自然と話題は“これから”へ移っていった。

 

 最初に切り出したのはシャアラだった。

 

「そういえばさ、せっかくだから進路の話しない?」

 

 その一言に、みんなが少しだけ顔を見合わせる。

 

「進路?」

 

 ルナが目を丸くする。

 

「そうよ」

 

 シャアラは頷いた。

 

「こうしてみんな揃ったんだから、ちゃんと聞きたいじゃない。誰がどうするのか」

 

「まあ、確かに」

 

 シンゴがサンドイッチを持ち上げながら頷く。

 

「最近は会っても短い時間ばっかりだったし」

 

「そうだな」

 

 カオルも腕を組んだ。

 

「じゃあ、シャアラからだな」

 

「え、私から?」

 

「当然でしょ」

 

 シンゴが笑う。

 

 シャアラは「もう」と少し頬を膨らませたあと、咳払いを一つした。

 

「じゃあ、言うけど」

 

 そこで少しだけ背筋を伸ばす。

 その仕草に、みんなが自然と耳を傾けた。

 

「私は、小説を書く為に短期大学に進学するの」

 

 その言葉に、ルナがぱっと顔を輝かせた。

 

「やっぱり!」

 

「やっぱりって何よ」

 

「だってシャアラ、書くの好きだったじゃない」

 

「そうだけど……」

 

 少しだけ照れたように目を逸らす。

 

 ベルが静かに頷く。

 

「シャアラらしいな」

 

「そう?」

 

「うん。好きなことに真っ直ぐだから」

 

 その言葉に、シャアラは少し照れくさそうに笑った。

 

「でしょ。だから私、絶対サヴァイブの時の作品を書くの。未来の大作家よ」

 

「その自信はすごいな」

 

 カオルが呆れ半分に言うと、シャアラは胸を張る。

 

「いいのよ、自信は大事なんだから」

 

「それはそうかも」

 

 シンゴが笑った。

 

「次はハワードだな」

 

 その流れで名前を振られて、ハワードは待ってましたとばかりに身を乗り出した。

 

「僕は、芸能プロダクションと契約して、役者としてデビューする予定だ」

 

 堂々たる宣言だった。

 

「おお」

 

 シンゴが素直に声を上げる。

 

「ほんとに決まったの」

 

「もちろんだとも」

 

 ハワードは得意げだ。

 

「まだ正式な初仕事はこれからだが、舞台を中心にやっていくことになると思う」

 

「凄いな」

 

 メノリが静かに言う。

 

「ありがとう、メノリ」

 

 ハワードはすぐに微笑み返した。

 

「まあ僕ほどの素材ともなれば、いずれは見つかる運命だったんだけどね」

 

「はいはい」

 

 シャアラが半眼になる。

 

「でも、ちゃんと努力したんでしょ?」

 

 ルナが訊く。

 

「当然だ」

 

 ハワードは少し真面目な顔になった。

 

「オーディションだって簡単じゃなかったし、演技のレッスンも受けた。見た目だけじゃ残れないってことくらい、僕だって分かってる」

 

 その言葉に、みんな少しだけ驚いたように目を瞬く。

 ハワードはいつも大げさで、自信満々で、軽く見られがちだ。

 でも、そういうところだけはちゃんと現実を見ている。

 

「頑張ったんだな」

 

 ベルが穏やかに言う。

 

「まあね」

 

 ハワードは少し照れたように笑う。

 

 その空気のまま、次はメノリへ視線が集まった。

 

 メノリは、もともとこういう場で自分から大きく何かを言うタイプではない。

 だから、みんなの視線が集まっても一拍置いてから、静かに口を開いた。

 

「私は……お父様の元で秘書業を行うことになってる」

 

 シンプルな答えだった。

 けれど、その言葉には迷いがなかった。

 

「秘書か」

 

 カオルが言う。

 

「メノリらしいな」

 

「そうか」

 

「そうでしょ」

 

 シンゴが頷く。

 

「落ち着いてるし、色々見てるし」

 

「それに、メノリなら人の話ちゃんと聞けそう」

 

 ルナも笑う。

 

 メノリは少しだけ肩をすくめた。

 

「聞けるかどうかは分からないけど、やるしかない」

 

「嫌じゃないの?」

 

 シャアラが率直に聞く。

 

 メノリは少しだけ考えた。

 

「嫌ではない」

 

 そして、ゆっくり続ける。

 

「お父様の仕事を近くで見るのは勉強になるし、今の私に一番出来ることでもあると思ってる」

 

 ベルが頷く。

 

「無理に違う道へ行くより、まず出来ることから始めるってことか」

 

「ああ」

 

 メノリは静かに笑った。

 

「遠回りに見えても、それが一番まっすぐな時もある」

 

 その言葉に、ルナは少しだけ胸の奥が揺れた。

 まだ自分の番ではないのに、何だかその言葉が先に刺さった気がした。

 

「次は僕だね」

 

 シンゴが手を挙げる。

 

「僕はメカニックとして就活中」

 

 その言葉は予想どおりでもあり、やっぱりそうかという納得もあった。

 

「出来ればサツキさんと同じ会社を希望してる」

 

「やっぱりな」

 

 カオルが笑う。

 

「そんな顔してる?」

 

「してる」

 

 ルナも頷いた。

 

「でもいいじゃない。シンゴ」

 

「そうかな」

 

「うん」

 

 シャアラが言う。

 

「何か壊れてても、シンゴって楽しそうに見てるじゃない」

 

「楽しそうって……」

 

 シンゴは少し苦笑する。

 

「いや、でもまあ、そうかも」

 

 素直に認めると、みんなが笑った。

 

「メカってさ、ちゃんと動いてる時より、何で動かないんだろうって考える時の方が面白いんだよ」

 

 シンゴは、少しずつ言葉に熱が入っていく。

 

「しかもサツキさんの会社って、ただ直すだけじゃなくて、長期航行の機体とか補助設備とか、かなり深いところまで見られるだろ。ああいうの、すごくやってみたいんだ」

 

「いいじゃないか」

 

 ベルが穏やかに言う。

 

「好きなのが伝わる」

 

「でも、競争率高そうだよな」

 

 カオルが現実的なことを言う。

 

「それはそう」

 

 シンゴも頷いた。

 

「だから、今必死で勉強してる。落ちたら悔しいし」

 

「受かるわよ」

 

 ルナが力強く言う。

 

「ありがとう」

 

 シンゴは少し照れくさそうに頭をかいた。

 

「次は俺だな」

 

 カオルが背もたれに軽く身体を預けた。

 

「俺は一ヵ月後に宇宙連邦連盟ライセンス試験を受ける」

 

 その言葉に、ルナは思わず身を乗り出した。

 

「とうとう!」

 

「とうとうだ」

 

 カオルは珍しく口元を少し上げる。

 

「リュウジ達が戻ってくる頃には、俺もパイロットだ」

 

 それは宣言だった。

 自信というより、決意に近い。

 

「凄いじゃない!」

 

 ルナが嬉しそうに言う。

 

「まだ受かってない」

 

「でも、受かるつもりで言ってるんでしょ?」

 

 シャアラがにやりとする。

 

「当たり前だ」

 

 カオルはきっぱり言った。

 

「落ちる前提で受ける試験じゃない」

 

「かっこいいな」

 

 シンゴが素直に感心する。

 

 カオルは鼻を鳴らした。

 

「そんなもんじゃない」

 

 ベルの番になると、空気は少し落ち着いた。

 

「俺は、惑星開拓の技師の専門の大学に進学する予定だ」

 

 ベルらしい、静かでぶれない言葉だった。

 

「ベルはずっとそれだよね」

 

 ルナが言う。

 

「うん」

 

 ベルは頷く。

 

「実際に現場で動くのはまだ先だと思うけど、まずはきちんと基礎を積みたい」

 

「ベルってほんとに真面目」

 

 シャアラが感心したように言う。

 

「でもベルがやるならできるわよ」

 

「そうかな」

 

「そうよ」

 

 メノリが静かに言う。

 

「ベルは“作る”ことにも“直す”ことにも向いてる」

 

 ベルは少しだけ目を細めた。

 

「ありがとう」

 

 そして、自然と視線はルナへ集まった。

 

 ルナは、その瞬間だけ少し緊張した。

 みんなの未来は、それぞれに形が見えていた。

 大学。

 プロダクション。

 秘書。

 就職。

 試験。

 専門大学。

 

 自分はどうか。

 

「私は……」

 

 ルナは、一度言葉を切った。

 

 みんなが待ってくれている。

 急かさないで、ただちゃんと聞いてくれる顔だった。

 

「正直、迷ってる」

 

 その本音から始めた。

 

「でも、私はこのまま惑星開拓の技師として活動を始めようと思う」

 

 一瞬、沈黙が落ちた。

 

 みんな、その意味を測っていた。

 大学へ行く、会社へ入る、誰かの下で経験を積む――そういう話ではないことはすぐ分かる。

 でも、じゃあ具体的にどうするのか、そこがまだ見えない。

 

「一人で始めるの?」

 

 シャアラが一番に聞いた。

 

「ええ」

 

 ルナは頷く。

 

「正確には、チャコと二人だけどね」

 

 その言葉に、全員の表情が少し変わる。

 

「普通はどこかの会社に入るんじゃないの?」

 

 シンゴが率直に言う。

 

「普通はね」

 

 ベルが静かに続ける。

 

「個人で活動するには、どうしても資金がかかるから」

 

「問題ないのか?」

 

 メノリがまっすぐ尋ねる。

 

 ルナは、その問いをきちんと受け止めた。

 

「そこは、お金を借りられるよう企業や銀行を回る予定よ」

 

 出来るだけ明るく言った。

 けれど、言っている内容の難しさは自分でも分かっている。

 

 ハワードが、そこで少し身を乗り出した。

 

「まあその時は僕に言ってくれ」

 

 芝居がかった笑みを浮かべる。

 

「パパに話ぐらいしてやるさ」

 

「そう簡単な問題じゃない」

 

 カオルがすぐに言った。

 

「いくらかかると思ってるんだ」

 

「そのとおりだ」

 

 メノリも静かに続ける。

 

「しかも未経験の新人となれば、協力する企業も少ないだろ」

 

 その指摘は厳しい。

 だが、冷たくはない。

 ちゃんと現実を見ているからこその言葉だ。

 

 ルナは、その二人の言葉を聞いて、ほんの少しだけ肩に力が入るのを感じた。

 痛いところを突かれている。

 でも、ここで目を逸らしたくなかった。

 

「大丈夫よ!」

 

 ルナは、少しだけ強く言った。

 

「何とかしてみるから」

 

 シャアラが眉を寄せる。

 

「“何とかする”って、かなり大変よ?」

 

「分かってる」

 

 ルナは頷く。

 

「でも、やってみたいの」

 

 その声は、今度は少し落ち着いていた。

 

「会社に入る道も考えた。でも、私はまず自分で動いてみたい。小さくてもいいから、自分の手で現場を作りたいの」

 

 ベルが静かに聞く。

 

「どうしてそこまで個人にこだわるんだ?」

 

 ルナは少しだけ考えた。

 どうしてだろう。

 色んな理由がある。

 でも、一番大きいのはきっとこれだ。

 

「私は、地球で働きたいの」

 

「地球で?」

 

 シンゴが首を傾げる。

 

「ええ」

 

 ルナは頷く。

 

「サヴァイブのようにもう一度、人間が暮らせるようにしたいの」

 

 その言葉に、ベルが少しだけ目を細めた。

 

「ルナらしいな」

 

「そうかな」

 

「うん」

 

 ベルは静かに笑う。

 

「でも、それなら確かに会社に入るだけじゃ足りないのかもしれない」

 

 メノリは腕を組んだまま、まだ少し厳しい顔をしていた。

 けれど、その目つきはさっきほど否定的ではない。

 

「簡単じゃないことは分かってるのね」

 

「分かってる」

 

 ルナは、今度ははっきりと言った。

 

「資金も必要。信用もない。経験も足りない。全部分かってる」

 

「だったら」

 

 メノリは少しだけ声をやわらげる。

 

「計画だけはちゃんと立てろ」

 

「うん」

 

「勢いだけで飛び込んだら、本当に潰れるてしまう」

 

「うん、分かってる」

 

 ルナは真っ直ぐ頷いた。

 

 そのやり取りを見ながら、ハワードが口を挟む。

 

「でも、僕はいいと思うぞ」

 

 全員が視線を向ける。

 

「もちろん簡単じゃない。だけど、最初から“無理だ”で終わらせるのは違うだろう」

 

 その声は、普段よりずっと真面目だった。

 

「ルナが本気でやるなら、僕は応援する」

 

 ルナの胸が少し熱くなる。

 

「ありがとう、ハワード」

 

「礼を言うのは早い。まだ何もしてないからね」

 

 そう言って、ハワードは笑った。

 

 シンゴも腕を組みながら言う。

 

「僕も、実際どうなるかは分からないけど……ルナなら、変なところで諦めないだろうなとは思う」

 

「変なところって何よ」

 

「変なところは変なところだよ」

 

 シンゴが笑う。

 

「でも、そういうの大事でしょ。たぶん」

 

 シャアラが頷く。

 

「うん。私もそう思う」

 

 そして、少しだけ意地悪そうに笑う。

 

「でもさ、もし成功したら、私がその話を小説にしてもいい?」

 

「まだ早いわよ!」

 

 ルナが思わず笑いながら返すと、場の空気が少しだけ軽くなった。

 

 そうして、張っていたものが少し緩んだところで、ルナはあらためてみんなを見渡した。

 

 シャアラは、自分の好きなものを形にしようとしている。

 ハワードは、見られる側の世界へ本気で飛び込もうとしている。

 メノリは、自分の出来る場所から責任を引き受けようとしている。

 シンゴは、好きな技術の世界でちゃんと働けるようになろうとしている。

 カオルは、誰にも譲らない目標へ真っ直ぐ進んでいる。

 ベルは、地に足のついた道を静かに選んでいる。

 

 みんな、それぞれだ。

 同じ方向じゃない。

 でも、ちゃんと前を向いている。

 

 ルナは、嬉しくなった。

 少しだけ寂しくもなった。

 そして、それ以上に、負けたくないと思った。

 

「みんな」

 

 ルナが静かに言う。

 

 自然と全員の視線が集まる。

 

「それぞれの道で、夢に向かって頑張ろうね」

 

 その言葉は、子どもの頃ならもっと軽く言えたかもしれない。

 けれど今は違う。

 難しさも、遠さも、途中で躓くかもしれないことも、少しは分かっている。

 それでも、あえて口にしたかった。

 

 シャアラが、ふっと笑った。

 

「何それ、卒業式みたい」

 

「でも、いいんじゃないか?」

 

 ベルが言う。

 

「うん、そうだね」

 

 シンゴも頷く。

 

「頑張ろう」

 

「当然だ」

 

 カオルが短く言う。

 

「僕はもう頑張っているとも」

 

 ハワードが胸を張ると、メノリが小さく息をついた。

 

「そういうところは変わらないな」

 

「そこが僕の長所だ」

 

「はいはい」

 

 そのやり取りに、みんなが笑った。

 

 やがて注文していた料理が運ばれてくる。

 湯気の立つ皿。

 綺麗に飾られたパフェ。

 香りのいい紅茶。

 それらがテーブルに並ぶだけで、話の雰囲気も少し変わる。

 

「いただきます」

 

 ルナが言うと、みんなもそれぞれに食事へ手を伸ばした。

 

 食事をしながらも、話は止まらなかった。

 

 シャアラは短大に入ったら絶対に有名な先生の講義を取るんだと張り切り、ハワードは自分の初舞台の話をし始める。

 シンゴは「その前に面接の受け答え考えないと」と頭を抱え、カオルは「お前はまず声が小さい」と真顔で言う。

 ベルは「ルナの計画、あとでもっと詳しく聞かせて」と穏やかに言い、メノリは「資金計画だけは本当に甘く見ない方がいい」と釘を刺す。

 

 その全部が、なんだか愛おしかった。

 

 久しぶりに集まった。

 そして、久しぶりにみんなの顔を見た。

 たぶん次はまた、こんなふうに全員揃うのは難しいかもしれない。

 それぞれの道が本格的に動き始めるのだから。

 

 でも、だからこそ今この時間が大事だった。

 

 ルナはスプーンを持ちながら、ふと窓の外を見た。

 宇宙管理局のドックはもう落ち着いている。

 アルテミスは、あの先で宇宙を進んでいるのだろう。

 チャコもリュウジも、エリンも、クリスタルも、マリも、サツキも。

 それぞれの持ち場で、それぞれの責任を背負って。

 

 そして、自分たちもまた、ここで止まっているわけにはいかない。

 

 ルナは、もう一度だけみんなの顔を見た。

 

 きっと、道は違う。

 でも、頑張るという一点だけは同じだ。

 

 それで十分だと、今は思えた。

 

 喫茶店の中には、相変わらずコーヒーの香りが漂っている。

 窓の外の人工の光は静かで、時間だけが少しずつ進んでいく。

 

 みんなそれぞれの道へ進む。

 怖さもある。

 不安もある。

 でも、それでも進むしかない。

 

 ルナは、もう一度だけ小さく心の中で繰り返した。

 

(みんな、それぞれの道で頑張ろう)

 

 その願いは、きっとこの場にいる全員の中に、同じようにあった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 アルテミスの船内は、時刻の感覚が薄れていく。

 

 もちろん、船内時計は正確に刻まれている。

 休憩時間も交代時間も、航路の切り替えも、全部きちんと数字で管理されている。

 けれど、窓の外にあるのはひたすら黒い宇宙だ。

 近くを流れる人工衛星の光もない。

 惑星の輪郭も見えない。

 ただ、静かな闇が広がっているだけ。

 

 それが一時間なら、まだいい。

 一日でも、人は何とかやり過ごせる。

 だが、それが何日も続くと、どれだけ訓練を積んでいても、どれだけ理屈では理解していても、じわじわと心へ圧がかかってくる。

 

 今、アルテミスのコックピットでは、クリスタルが操縦席に着いていた。

 

 補助操縦を兼ねた短時間の交代だ。

 通常の航行ならリュウジがほとんどの時間を握っているが、長期調査ではそうもいかない。

 疲れを溜めれば、判断の精度は必ず落ちる。

 だから、短い時間でも交代し、身体と神経を少しずつ休ませる。

 

 クリスタルは操縦席に座っていても、医療担当らしい冷静さを崩さない。

 前面モニターへ映る航路と機体の状態を流し見しながら、片手で軽く補助系の感度を確認する。

 大きな揺れも問題もない。

 だからこそ、こういう時は逆に神経が鈍りやすいことを彼女は知っていた。

 

 サツキは後方席寄りの位置に座り、機関系の表示と生活設備の数値を交互に見ている。

 エリンは、コックピットと生活区画の間を繋ぐ位置に腰を下ろし、手元の簡易記録と船内の巡回記録を見返していた。

 

 今は、チャコとマリとリュウジが休憩に入っている。

 

 しばらく静かな時間が続いたあと、クリスタルがぽつりと言った。

 

「エリンって、いつ休んでるの?」

 

 いきなりだった。

 だが、本人は本気で聞いている。

 

 エリンは記録から目を離し、少しだけ首を傾げた。

 

「そうね、ちょくちょく休んでるわよ」

 

 さらっと答える。

 

 その答えに、サツキが思わず笑った。

 

「ちゃんと休んだ方がいいですよぅ」

 

 “ですよぅ”と少し間延びした言い方になったのは、半分本気で、半分冗談だからだろう。

 エリンはその言い方へ、少しだけ目を細めた。

 

「ちゃんと休んでるってば」

 

「そう見えないのよね」

 

 クリスタルが言う。

 

「エリンって気配がないから、休んでるのか働いてるのか分からないのよ」

 

「あのねぇ」

 

 エリンが少し呆れたように言う。

 だが、その反応がクリスタルには面白かったらしい。

 

「ほんとよ」

 

 クリスタルは肩をすくめる。

 

「気づいたら飲み物置いてあるし、気づいたら誰かの荷物が整ってるし、気づいたら記録が一行増えてるし。幽霊みたいなのよ、あんた」

 

「確かに」

 

 サツキがくすっと笑った。

 

「私もたまに思います。さっきまでそこにいなかったのに、次の瞬間には後ろにいるなって」

 

「それ、ただの悪口じゃない?」

 

「違いますよ。褒めてます」

 

 サツキが真面目な顔で言うので、今度はエリンが少し笑った。

 

「でもちゃんと休まないと、気が滅入るわよ」

 

 クリスタルの声が少し真面目になる。

 

「そうですよ」

 

 サツキも頷く。

 

「未探索領域の調査って、ストレス溜まりますし」

 

「そうね」

 

 クリスタルが前を向いたまま答える。

 

「ただただ暗闇を進んでるってだけだしね」

 

 その言い方は少し乱暴だが、本質を突いていた。

 

 捜索任務なら、まだ目標がある。

 救助なら、救う相手がいる。

 輸送なら、届ける先がある。

 だが未探索領域の調査は違う。

 もちろん目的はある。

 けれどその目的は、今この瞬間に目に見える形では存在しない。

 何かを“探している”わけでもない。

 何かを“見つける”保証があるわけでもない。

 ただ、危険のある空間を進み、記録し、帰る。

 

 その淡々とした繰り返しが、想像以上に心を削るのだ。

 

「仕方ないわよ」

 

 エリンは苦笑しながら言った。

 

「捜索任務と違って、何かを探す目的があるわけじゃないから」

 

「でも本当にストレスが溜まりそうです」

 

 サツキが素直に言う。

 

「まだ二日なのに、妙に長く感じる時ありますし」

 

「分かるわ」

 

 クリスタルが短く返す。

 

「時計見て、“まだこんな時間?”って思う時あるもの」

 

 エリンは二人のやり取りを聞きながら、小さく苦笑した。

 そうだ。

 まさにそこなのだ。

 

 時間の流れが変わる。

 仕事をしている時は速い。

 でも、何も起きていない時間だけが妙に長い。

 その“長い静けさ”が、人の心の隙間へ入り込んでくる。

 

 エリンはそこで、少しだけ記録端末を閉じた。

 

「未探索領域の調査の時って、毎回クルーが変わるのは知っている?」

 

 その問いに、サツキが顔を上げる。

 

「え? そうなんですか?」

 

「ええ」

 

 エリンは頷いた。

 

「なんでだと思う?」

 

 サツキは、思わず考え込んだ。

 

 機材の適性だろうか。

 航路の違いか。

 専門ごとの組み合わせか。

 あるいは、経験値を分散させるためか。

 

 頭の中でいくつか理由は浮かんだ。

 でも、どれも今ひとつ決め手がない。

 

「……分かりません」

 

 結局、素直にそう言うしかなかった。

 

 エリンは、小さく頷く。

 

「狭い宇宙船の中でストレスが溜まって、一緒に乗っていた者同士が仲悪くなるからよ」

 

 サツキが目を丸くする。

 

「えっ」

 

 クリスタルは、前を向いたまま小さく笑った。

 

「あるのよ、そういうの」

 

 エリンも続ける。

 

「最初は些細なことなの。話し方とか、片付け方とか、交代のタイミングとか。そういう本当に小さいもの」

 

「でも、それが積もるんですね」

 

 サツキが呟く。

 

「そう」

 

 エリンは頷いた。

 

「狭い場所で、ずっと同じ顔ぶれで、逃げ場がないでしょ。しかも外は暗いし、目的も遠いし、疲れも少しずつ溜まる。そうなると、地上なら流せるようなことが流せなくなるのよ」

 

「なるほど……」

 

 サツキは、本気で納得した顔をした。

 たしかに、船内は広いとは言えない。

 仮眠室、キッチン、食料区画、コックピット、それぞれ必要な区画はあるが、結局は一つの空間の中で何日も顔を付き合わせることになる。

 

 クリスタルがそこで補足する。

 

「だから、未探索領域の調査って“技術”だけじゃなく“人間関係”の運用も含まれてるのよ」

 

「それ、めちゃくちゃ大変じゃないですか」

 

 サツキが素直に言う。

 

「大変よ」

 

 クリスタルが即答する。

 

「だから、みんな毎回ちょっとずつ消耗するの」

 

 エリンはその言葉に、少しだけ笑みを和らげた。

 

「でも大丈夫」

 

 その声音が、静かに落ちる。

 

「アルテミスでは、私がいる限り、そんな事はさせないから」

 

 その言い方は穏やかだった。

 けれど、強い。

 

 ただの慰めではない。

 出来ると分かっている人の声だった。

 

 サツキは、その一言に思わず背筋を伸ばした。

 クリスタルも、少しだけ視線を横へやる。

 

 エリンは大袈裟なことを言わない。

 だからこそ、こうして短く言い切る時の重みが違う。

 

 その時だった。

 

 コックピットの扉が開いて、誰かが入ってくる。

 

 足音だけで分かった。

 リュウジだ。

 

「早いわね」

 

 エリンが振り返る。

 

 リュウジは、少しだけ眠そうな顔をしていた。

 けれど、寝起きで機嫌が悪いとか、そういうことはない。

 ただ、純粋に“眠い”が顔へ出ているだけだ。

 

「チャコとマリがうるさいんです」

 

 エリンには敬語。

 その短い答えに、チャコとマリの様子がなんとなく想像できてしまう。

 

「ふふっ」

 

 クリスタルが吹き出した。

 

「二人で何してるのかしら」

 

「知りません」

 

 リュウジはそう言って、コックピットの中央を通り過ぎると、迷いなくエリンの横の座席へ腰を下ろした。

 

 そのまま、シートへ背を預ける。

 そして、ほとんど三秒もしないうちに、静かな寝息を立て始めた。

 

 サツキが目を瞬く。

 

「……はや」

 

「早すぎるでしょ」

 

 クリスタルが呆れたように言う。

 

 だが、その次にはにやにやとした笑みが浮かんでいた。

 

「エリンの横が落ち着くのね」

 

「はいはい」

 

 エリンは、慣れたように流す。

 

 けれど少しだけ苦笑が深くなった。

 こういうことを言われるのにも、もう慣れてはいる。

 それでも、真正面から言われると少しだけ照れる。

 

「ちょっと見てくる」

 

 そう言って、エリンは立ち上がった。

 

 クリスタルは「お願い」と軽く手を振る。

 サツキは、小さく笑いながら「行ってらっしゃいです」と言った。

 

 

 休憩区画へ向かう途中で、既に何かの気配はしていた。

 

 扉の向こうから漏れてくる、遠慮のない笑い声。

 そして、それに混じる、誰かのすすり泣きのような声。

 

 エリンは歩きながら、ほんの少しだけ頭を抱えたくなった。

 

(嫌な予感しかしない)

 

 扉を開ける。

 

 そこには予想どおりの光景が広がっていた。

 

 チャコが腹を抱えて大笑いしている。

 耳をぴょこぴょこ揺らしながら、椅子の上で転げ落ちそうな勢いだ。

 

 その横で、マリがボロボロ泣いていた。

 泣いているといっても悲しい涙ではない。

 感情がぐしゃぐしゃに揺さぶられた時の、それもかなり大きく揺さぶられた類の涙だ。

 

 二人の前には、小型の再生端末。

 そして、その画面に流れているのは――ハワードが差し入れてきた舞台映像だった。

 

 エリンは、入口に立ったまま数秒だけ固まった。

 

「……何してるの?」

 

 ようやく出た言葉がそれだった。

 

 チャコは笑いすぎてすぐには返せない。

 ひいひい言いながら、画面を指差すばかりだ。

 

「エリン……っ、見てぇや……っ、ハワードが……っ」

 

 言葉になっていない。

 

 マリはマリで、涙を拭きながらも画面から目が離せていない。

 

「だって……だって、こんなの……!」

 

 何が“こんなの”なのかは、端末を見ればすぐに分かった。

 

 ハワードが、全身全霊で舞台上に立っていた。

 

 派手な衣装。

 大袈裟な身振り。

 胸に手を当て、天を仰ぎ、感情を惜しげもなく前へ出している。

 演目そのものは真面目なのだろう。

 だが、ハワードという存在の濃さが、映像越しでも一切薄まっていない。

 

 しかも本人は本気だ。

 本気だからこそ、面白くもあり、妙に胸へ来るところもある。

 その絶妙な温度差が、チャコには笑いとして、マリには感情の揺れとして出ているのだろう。

 

「ほらぁ!」

 

 チャコがまた笑いながら言う。

 

「ここの台詞回し、いちいち気取っとるんやけど、本人は大真面目なんや!」

 

「だから余計に……っ」

 

 マリが涙声で言う。

 

「でも、ちゃんと上手いんですよ……! 悔しいけど!」

 

「それなんよなぁ!」

 

 チャコが膝を叩く。

 

 エリンはそのやり取りを見て、呆れながらも少しだけ肩の力が抜けた。

 

 なるほど。

 リュウジが逃げ帰ってくるわけだ。

 この二人が、この調子で同じ映像を見ていたら、静かに休めるはずがない。

 

「二人とも」

 

 エリンがやや低めの声で言う。

 

「休憩してるのよね?」

 

「しとるで?」

 

 チャコが即答する。

 

「これも立派な休憩や」

 

「そうかしら……」

 

 エリンは腕を組んだ。

 

「私はちょっと違う気がするけど」

 

 マリがようやく涙を拭きながら振り向く。

 

「でも……っ、ストレス解消にはなってます……!」

 

 その言い方に、エリンは思わず小さく吹き出した。

 

「それは否定しないわ」

 

 実際、この二人は今、明らかに発散している。

 未探索領域の暗さとか、船内の閉鎖感とか、そういうものとはまるで無縁みたいな顔で。

 

 エリンは、ふっと心の中で思った。

 

(この二人はストレスとは無縁ね)

 

 少なくとも、今この瞬間だけはそう見える。

 

 チャコは笑っている。

 マリは泣いている。

 でも、そのどちらもちゃんと外へ出ている。

 内側に溜め込んで、静かに腐らせるより、よほど健康的だ。

 

「で、リュウジは?」

 

 チャコがようやく笑いの波を抜けながら聞く。

 

「寝たわ」

 

「はっや」

 

 チャコが目を丸くする。

 

「流石やな」

 

 マリも鼻をすすりながら小さく笑った。

 

「エリンさんの横ですか?」

 

「ええ」

 

「やっぱり落ち着くんですね」

 

 その言い方に、エリンは「マリまで」と少しだけ呆れたように眉を上げた。

 

 でも、反論はしない。

 したところでどうせ面白がられるだけだと分かっているからだ。

 

 エリンは、二人の前の端末を見下ろす。

 

「それ、どこまで見たの?」

 

「ちょうどクライマックスや!」

 

 チャコが嬉々として答える。

 

「あと十分ぐらいやな!」

 

「……長いわね」

 

「見る?」

 

 マリが涙目のまま真剣に勧めてくる。

 

「今のハワード、本当にすごいんです」

 

 エリンは、そこで一瞬だけ迷った。

 いや、正確には迷うふりをした。

 こういう時に下手に付き合うと、休憩時間が全部吹き飛ぶ。

 でも、ハワードの差し入れを無下にするのも少し違う。

 

「少しだけ」

 

 そう言って、エリンは二人の間ではなく、少し後ろの壁際へ立った。

 

 画面の中では、ちょうどハワードが長い台詞を言っていた。

 やたらと抑揚があり、やたらと視線が強く、いかにも彼らしい。

 けれど、その演技が思いのほかしっかりしていることも分かる。

 

 だから余計に可笑しいし、だから余計に胸へ来る。

 

 チャコがまた笑い、マリがまた目元を押さえる。

 エリンはその中間で、やっぱり少しだけ笑っていた。

 

 アルテミスの船内では、こうして少しずつ、みんなそれぞれのやり方で閉鎖空間のストレスを流している。

 チャコは笑い、マリは泣き、リュウジはエリンの横で寝る。

 サツキは黙って機器を見る時間で落ち着き、クリスタルは誰かと話すことで均衡を取る。

 

 そして、エリンはその全部を見ながら、必要以上にいじらず、でも崩れないように整えていく。

 

 未探索領域の暗闇はまだ続く。

 今日も、明日も、その先も。

 

 けれど、こうしている限り大丈夫だと、エリンは静かに思っていた。

 

 少なくとも、アルテミスでは。

 自分がいる限り。

 この船の空気は、誰にも簡単には壊させない。

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