サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第17話

 オリオン号が燃え落ちてから数日が経った。

 黒く焦げた遺跡の跡地に、風が吹き抜けていく。

 今は一度、大いなる木を拠点として生活を始めようとしていた。

 

 だが、そこには以前のような笑顔も、活気もなかった。

 

 「……あの船があれば、地球に帰れたかもしれないのにな」

 メノリが呟いた声は、火のない焚き火の上で消えた。

 

 「オリオン号も遺跡の船も壊れてもうたら……もうどうしようもあらへんなぁ」

 チャコが項垂れた耳をぴくぴくと動かしながら、小さくため息をつく。

 

 ハワードは湖を見つめたまま、拳を握り締めていた。

 「俺……いや、僕、あの時……もっと冷静に行動できてたら……」

 

 「責めるな、ハワード。誰のせいでもない」

 ベルが穏やかに言う。けれどその声にも力はなかった。

 

 カオルも口を開かなかった。

 あの日、リュウジと肩を並べて戦った彼にとって――燃え落ちた船の残骸は、まるで自分たちの希望そのものの墓標のように見えた。

 

 シンゴも、工具箱を閉じたまま動こうとしない。

 「……修理できるものが、もう何もないんだね」

 そう言って、膝の上で小さく拳を握った。

 

 アダムは沈んだ皆を見回し、ルナの袖をそっと引いた。

 「ルナ、リュウジは?」

 

 ルナは小さく首を振る。

 「熱が下がらないの。薬草は試したけど……まだ眠ったまま」

 

 仲間たちの間に、さらに重い沈黙が落ちた。

 男子寝室の奥、リュウジは布をかけられて横たわっている。

 息はある。だが、その額には汗が滲み、顔色は悪い。

 あの爆発から助かった代償は、あまりにも大きかった。

 

 

 その夜。

 焚き火の代わりに、簡易なロウソクを囲んでいた。

 ルナは皆の顔を見回し、深く息を吸い込む。

 

 「ねぇ……聞いてほしいことがあるの」

 

 皆の視線がルナに向く。

 弱々しく、しかし確かな意志がその瞳にあった。

 

 「この惑星には、他にも遺跡がある。

 それも“メインコンピュータ”がある大陸――

 もしそこに行ければ、別の宇宙船があるかもしれない」

 

 メノリが眉を寄せた。

 「大陸……? でも、この海をどうやって渡るつもりだ? オリオン号はもう――」

 

 「筏を作れば、行けるかもしれない。

 潮の流れを調べて、風向きを読めば……」

 ルナの言葉は前向きだった。けれど、誰も反応しなかった。

 

 「……そんなの、また危険だよ」とシンゴが呟く。

 「誰かが死んだら、どうするんだ」

 

 「僕も反対だ」ハワードも言う。

 「今は無理だよ。リュウジもあの状態だし……」

 

 ベルも、珍しく黙ったままだった。

 チャコは尻尾を垂らし、首を振る。

 「ウチら、もうボロボロやで……」

 

 カオルも、ルナを見つめてから視線を落とした。

 「現実的じゃない。あの距離を渡るなんて、自殺行為だ」

 

 それでも――

 ルナの表情は、どこか静かに燃えていた。

 

 「……そうかもしれない。

 でも、“ここで終わり”にしたくないの」

 

 彼女の声が夜気に溶けた。

 松明の火が風に揺られて淡く輝く。

 

 「私たちは、こんなに遠くまで来た。

 何度も絶望したけど……それでも、何度も立ち上がってきた。

 リュウジだって、何度も命を懸けて守ってくれた」

 

 彼女の視線が、男子寝室の方を向く。

 「今度は、私たちが立ち上がる番だと思うの」

 

 静まり返った空気の中、

 メノリがゆっくりと目を閉じた。

 「……簡単には賛成できないけど……ルナの言うことは分かる」

 

 ハワードも少し口角を上げた。

 「まったく……どこまで前向きなんだよう」

 

 ルナは微笑んだ。

 けれど、その笑顔の裏に――焦りと不安が滲んでいた。

 

 “お願い、早く治って……”

 

 彼女は、心の中で呟いた。

 あの男の背中にもう一度立ってもらうために。

 

 

 皆が眠りについたあと。

 ルナはそっと立ち上がり、リュウジの寝ているそばに座った。

 灯りは消え、外の風が布をなでている。

 

 彼の額にそっと手を当てる。

 熱い――それでも、少し下がっている気がした。

 

 「……あなたがいなくなったら、私はどうすればいいの……」

 

 ルナの声が小さく震える。

 「みんな、あなたがいないと……止まっちゃうの」

 

 返事はない。

 リュウジの穏やかな寝息だけが、かすかに聞こえる。

 

 ルナはその手を握りしめた。

 「……だから、もう一度立ち上がって。

 あなたの力が、まだ……必要なの」

 

 その時――

 かすかに、リュウジの指が動いた。

 

 ルナは息を呑み、涙を零した。

 けれど彼は、まだ夢の中にいた。

 それでも――彼女には分かった。

 

 ――リュウジは、必ず帰ってくる。

 

⬜︎

 

ぼんやりとした白い光の中で、リュウジはゆっくりと目を開けた。

 周囲は静まり返っていて、風の音も、仲間の声も聞こえない。

 まるで、時間が止まったような空間。

 

 「……俺は……死んだのか……?」

 自分の声が遠くに吸い込まれていく。

 

 そのとき、背後から懐かしい声がした。

 

 「そんな顔すんなよ。生きてるよ、ちゃんと」

 

 リュウジが振り向くと、そこには優しい笑みを浮かべるルイの姿があった。

 白い光に包まれながらも、その瞳の温かさは昔のままだった。

 

 「ルイ……!」

 リュウジの喉が震える。

 「……ああ、なんだ……やっぱり……死んだのかと思った」

 

 ルイは微笑みながら首を横に振った。

 「死んじゃいないさ。ただ、少し休んでるだけ。

  いろいろ大変だったろう? 悲劇のフライトに、脱獄囚との戦いまで」

 

 リュウジは目を伏せた。

 「……そうだな。

  でも、あの戦いで……少しは、自分の中で決着がついた気がする」

 

 ルイは穏やかに頷いた。

 「そうか……。なら、よかった」

 そして少し口元を緩めて言った。

 「それより――カオルの操縦、見たか?」

 

 リュウジは思わず笑みを浮かべる。

 「見たよ。相変わらず出力上げすぎて、海に落っこちたけどな」

 

 ルイは吹き出すように笑った。

 「ははっ、やっぱり! 訓練学校の時からそうだったよね。

  重力制御ユニットの出力を早く上げすぎて、教官に怒られてた」

 

 「そんなこともあったな……」

 リュウジも思い出して小さく笑う。

 束の間、二人の間にあの頃の空気が戻った。

 

 だが、ルイはふと真剣な表情になった。

 

 「それでも……カオルがまた操縦してくれて、本当に嬉しかったよ」

 

 「……あいつは、ずっと自分を責めてた。

  “ルイを殺したのは自分だ”ってな」

 

 ルイは静かに目を閉じ、柔らかく首を振った。

 「違うよ。あの事故はカオルのせいじゃない。

  あれは……僕が悪かったんだ」

 

 「お前が?」

 

 「あの時、シャトルの天井パネルを直そうとして、

  シートベルトを外したんだ。

  タイミングが悪くて、船体が揺れた拍子に……僕は外へ投げ出された。

  完全に僕のミスだった」

 

 リュウジは言葉を失った。

 ずっと心の奥で背負ってきた罪の記憶が、静かにほどけていくようだった。

 

 ルイは少し笑みを戻し、言葉を続けた。

 「でも、もういいんだ。

  カオルはまた前を向いてる。

  それだけで、僕の願いは叶ったも同然さ」

 

 「……お前、カオルに夢を託したんだな」

 

 ルイは力強く頷いた。

 「そう。

  だから――伝えてくれ。

  “必ず、宇宙飛行士になれ”って」

 

 「……ああ、必ず伝える」

 リュウジはまっすぐに頷いた。

 

 ルイは柔らかく微笑む。

 「ありがとう。

  カオルも……そしてリュウジ、お前も、

  懸命に生きてくれ。

  僕の分まで――な」

 

 リュウジは言葉を失い、ただ頷いた。

 

 その瞬間、光が少しずつ強くなり、ルイの姿が淡く揺らめき始める。

 

 「おい、ルイ……!」

 リュウジが手を伸ばす。

 

 ルイは穏やかに笑いながら、その手をそっと押し返した。

 「もう行きな。

  君は“生きている側”に戻るんだ。

  僕は、いつでも見てるから」

 

 その声が、風に溶けるように消えていった。

 

 

 目を開けたとき、リュウジは汗ばんだ額を感じた。

 息が浅く、胸の奥にまだ熱が残っている。

 だが、不思議と心は穏やかだった。

 

 「……ルイ……伝えるよ。

  お前の夢、必ず」

 

 薄く笑みを浮かべながら、リュウジは静かに目を閉じた。

 外では、朝の光がゆっくりと大いなる木を照らしていた。

 

⬜︎

 

 薄い朝靄が漂い、草葉の露が光を反射している。

 焚き火の煙がゆっくりと立ち上り、まだ冷たい風が大いなる木を揺らした。

 

 リュウジは静かに目を開けた。

 ぼんやりとした視界の中で、かすかに光る火の残り火が見える。

 額には冷たいタオル、喉は乾き、体には重たい疲労が残っていた。

 

 息を整えながら、上体を起こそうとしたその時――

 

 「……起きたか」

 

 低く落ち着いた声がした。

 入り口に現れたのは、カオルだった。

 

 「カオル……」

 リュウジの声はまだ掠れている。

 

 カオルは無言のまま水筒を差し出した。

 「飲め。昨日の夜は熱でうなされてた」

 

 「……迷惑かけたな」

 水をひと口飲み、リュウジは息を吐いた。

 カオルはそれには答えず、リュウジへ視線をやる。

 

 しばらく、静寂が続いた。

 外では鳥のさえずりが微かに響いている。

 

 「あの時の操縦、見てたか?」

 カオルが不意に言葉を発した。

 

 リュウジは薄く笑みを浮かべる。

 「ああ。出力上げすぎて海に落ちたな」

 

 「……あの時と同じ失敗だな」

 カオルは苦笑し、膝の上で指を組んだ。

 「訓練学校でも同じことやって、教官に怒られた」

 

 リュウジは微かに笑った。

 「ルイも笑ってたよ」

 

 カオルの目が驚きに揺れる。

 「ルイが?」

 

 「ああ。夢で会った。

  お前の操縦を見て、あいつ、嬉しそうだった」

 

 カオルは言葉を失い、焚き火の炎をじっと見つめた。

 小さな火が、彼の横顔を淡く照らしている。

 

 「……あいつの事故、ずっと頭から離れなかった」

 カオルは、かすれる声で言った。

 「俺が操縦してなければ、あんなことにはならなかったんじゃないかって」

 

 「違う」

 リュウジは真っ直ぐに言葉を放った。

 「ルイが言ってた。

  あれは自分のミスだって。

  天井のパネルを直そうとして、シートベルトを外した瞬間に揺れが来た。

  あいつ自身が……そう言ってた」

 

 カオルの目が静かに揺れる。

 焚き火の赤い光が、涙に反射して小さく光った。

 

 「……本当に、そう言ってたのか?」

 

 「ああ。

  それにな――ルイはお前に夢を託した。

  “必ず宇宙飛行士になれ”って」

 

 カオルは長く息を吐き、目を伏せた。

 その指先が、膝の上でゆっくりと力を握りしめる。

 

 「……あいつらしいな」

 

 「ルイも、お前がまた操縦してくれて喜んでた」

 

 「……そうか」

 カオルは小さく笑った。

 「なら、もう一度、あいつの夢を叶えるために飛ぶさ。

  俺の手で」

 

 リュウジはその言葉を聞いて、静かに頷いた。

 

 二人の笑い声が、焚き火の音に溶けていく。

 そこには、かつての重苦しい空気はもうなかった。

 

 

 朝日がゆっくりと昇り、

 大いなる木の外に広がる森が金色に染まり始める。

 

 リュウジは肩の力を抜き、見上げた。

 その顔には、穏やかな笑みが戻っていた。

 

 ――ルイ。

 お前の夢、ちゃんと届いてるよ。

 

⬜︎

 

朝靄が晴れ、森を渡る風が静かに揺れていた。

 焚き火の煙が細く立ちのぼる大いなる木のふもとで、リュウジは立ち上がった。

 

 カオルがその様子を見て眉をひそめた。

 「どこ行くつもりだ?」

 

 「遺跡の方を見てくる」

 

 「まだ体、万全じゃないだろ。昨日の熱、下がったばかりだぞ」

 

 リュウジは小さく笑って肩をすくめた。

 「寝てるだけじゃ落ち着かない」

 

 カオルは溜息をつく。

 「まったく、お前は昔からそうだ。

  自分が倒れても前に出ようとする」

 

 「性分だからな」

 リュウジは軽く笑い、背を向けた。

 

 朝日が差し込む森の中を見つめながら、カオルが呟く。

 「……無茶するなよ」

 

 「分かってる」

 振り返ったリュウジの口調は淡々としていたが、その目の奥には確かな決意が宿っていた。

 

 「何かあればすぐ戻れ。いいな」

 

 「了解」

 短く返すと、リュウジは大いなる木の影を抜け、遺跡の方角へ歩き出した。

 

 乾いた土を踏む音だけが静かな森に響く。

 遠くで鳥の鳴き声がこだましていた。

 

⬜︎

 

リュウジはゆっくりと足を運ぶ。

 まだ完全に体力は戻っていない。

 歩くたびに、胸の奥が少し痛む。

 それでも――どうしても、この場所に来なければならなかった。

 

 目の前には、かつてオリオン号が衝突した遺跡の残骸。

 今は黒く焼け焦げ、鉄と砂が混ざったような匂いが漂っている。

 

 崩れた壁の一角に、金属の腕――ボブのものだろうか――が突き刺さっていた。

 

 リュウジは、しばらくその場に立ち尽くした。

 彼らが死んだことを、誰も確認していなかった。

 だが――この光景を前にして、それがすべてを物語っていた。

 

 「……終わったんだな」

 

 低く、かすれた声が漏れる。

 ブリンドーの怒号。

 ボブの突進。

 シルヴァの狂気。

 そのすべてが、ここで燃え尽きた。

 

 「……悪党だったが、あいつらも人間だった」

 

 リュウジは膝をつき、目を閉じる。

 胸の奥で小さく、祈りを捧げるように呟いた。

 

 「……お前たちの生き方を、俺は肯定できない。

  だが――せめてあの世では自分達の行いを反省してくれ」

 

 風が吹き抜け、焦げた灰が舞い上がる。

 その灰の向こうに、ルイや仲間たちの顔が一瞬浮かんだ気がした。

 

 リュウジは立ち上がり、空を見上げる。

 雲間から光が差し、崩れた遺跡を包み込む。

 

 「……もう終わったんだ。これでいい」

 

 そう呟くと、リュウジはゆっくりと背を向けた。

 だが、足取りは重い。

 まだ熱が残っているのか、額から汗が滲んだ。

 

 (……帰らなきゃな。みんな、心配してるだろう)

 

 そう思いながら、ふらつく足を前に進めた。

 

 

― 大いなる木にて ―

 

 その頃。

 大いなる木の上では、昼の風が葉を鳴らしていた。

 ルナは小屋の外に立ち、何度も森の方を見つめている。

 

 「……まだ、帰ってこない」

 

 呟く声が小さく震えていた。

 隣でチャコが、木の根元に腰を下ろして欠伸をしている。

 

 「ルナ、落ち着きぃなぁ。病み上がりやし、そう簡単には戻らんやろ」

 

 「分かってるけど……。昨日まで高熱だったのに、無理して……」

 

 ルナの声には焦りが混じっている。

 それでも目は、森の奥からリュウジが現れることを信じて離さなかった。

 

 「まったく、心配性やなぁ。リュウジは丈夫や。そう簡単に倒れるわけあらへん」

 

 チャコは軽い調子で言いながら、ふとルナの表情を見た。

 その瞳の奥に、深い不安と――優しさが混ざっているのを感じた。

 

 「なぁ、ルナ。リュウジのこと、信じとるんやろ?」

 

 ルナは少し間を置いて、小さく頷いた。

 「うん……信じてる。信じてるけど……怖いの。

  また、どこかで傷ついて帰ってくるんじゃないかって」

 

 チャコは尻尾を揺らして微笑んだ。

 「ほな、次に帰ってきたら言うたらええ。

  “もう無茶しないで”って、ちゃんと本人に伝えたらええやん」

 

 ルナは小さく笑った。

 「……そうだね」

 

 森を渡る風が吹き抜け、二人の髪と尾を揺らす。

 空には一筋の雲が流れていた。

 

 その下――まだ煙の残る遺跡から、一人の影がゆっくりと森を戻ってくる。

 

⬜︎

 

風が木々の葉を揺らし、鳥たちがねぐらに戻る声が遠くで聞こえる。

 

 その中を、ひとりの影がゆっくりと歩いていた。

 リュウジだった。

 足取りはまだ重い。病み上がりの体には、長い道のりが堪えていた。

 それでも、その表情は穏やかだった。

 

 (……やっと終わった。あいつらの戦いも、俺の中の答えも)

 

 深く息を吐き、木々の隙間から見えてきた“大いなる木”を見上げる。

 あの上に――仲間たちがいる。

 待ってくれている人たちが。

 

 「……ただいま」

 

 誰に言うでもなく、リュウジは小さく呟いた。

 

 

― 大いなる木の上 ―

 

 「……あっ!」

 

 見張りをしていたシャアラの声が上がった。

 「リュウジが、戻ってきたわ!」

 

 その声に、ルナは勢いよく立ち上がった。

 座っていた丸太椅子がガタンと倒れる。

 「ほんとに!?」

 

 彼女は階段を駆け下りていった。

 チャコが慌てて後を追いながら、「あーもう、危ないで!」と叫ぶ。

 

 木の根元にたどり着くと、そこには泥と灰にまみれたリュウジの姿。

 ルナは思わず立ち止まり、胸の奥が熱くなった。

 

 「……リュウジ!」

 

 彼が顔を上げる。

 少しだけ笑みを浮かべ、息を整えながら「戻った」と一言。

 

 その瞬間、ルナは堪えきれずに走り出した。

 「バカ……! 本当に……もう……!」

 

 言葉の途中で、ルナは近寄った。

 リュウジは驚きながらも、頷く。

 彼女の肩が小刻みに震えているのが分かった。

 

 「……心配、したんだから」

 

 その声は掠れていた。

 

 リュウジは静かに呟いた。

 「悪かった。……でも、もう大丈夫だ」

 

 「ほんとに?」

 

 「ああ」

 

 ルナは少し顔を上げた。

 その瞳の奥に、安堵と哀しみが同時に浮かぶ。

 「……そう、なんだね」

 

 リュウジは頷き、視線を少し落とした。

 「遺跡に祈りに行ってたんだ」

 

 「……祈った?」

 

 「……ああ。せめて最後くらいは、な」

 

 ルナはそっと目を閉じた。

 「ありがとう、リュウジ」

 

 そのやり取りを少し離れた場所で聞いていたカオルが、

 「まったく……お前ってやつは」と苦笑した。

 

 チャコは尻尾を揺らして言う。

 「せやけど、無事でほんまによかったわ。ウチ、もう心臓止まるかと思ったで、ウチだけやない、ルナなんて朝からずっとそわそわしとったんやから」

 

 「チャコ!」とルナが振り返り、顔を真っ赤にする。

 

 そのやり取りに、リュウジは小さく笑った。

 「……ただいま」

 

 「おかえりなさい」

 ルナの声が、優しく森に溶けた。

 

⬜︎

 

夜になり、焚き火の炎がゆらめいていた。

 その橙の光が一人ひとりの顔を照らし、疲労と安堵の両方を滲ませていた。

 皆が輪になり、久々に穏やかな時間を過ごしていた。

 

 ハワードが少し離れた場所で星を見上げ、ぽつりと呟いた。

 「……リュウジも、やっぱり人間なんだな」

 

 ベルが優しい声で応える。

 「うん。あんな顔、初めて見たよ。

  どこかホッとしてるっていうか……やっと肩の荷が下りたみたいだった」

 

 シンゴは火に薪をくべながら言った。

 「きっと、リュウジも“終わらせに行った”んだね」

 

 その言葉に、シャアラは両手を胸の前で組み、小さく祈るように目を閉じた。

 「争いが、もう起きませんように……」

 

 アダムはその様子を見ながら、膝の上で手をぎゅっと握った。

 「リュウジ、すごい人だよね。とっても優しいし」

 

 ルナは静かに笑いながら火を見つめた。

 「そうね。リュウジはいつもはあんまり語らないけど……誰よりも、誰かを守るために戦ってる」

 

 メノリはその言葉に目を細め、火の向こうで小さく頷いた。

 「……そういう人ほど、自分のことを一番後回しにするものだ。でも、リュウジが無事に戻ってきてくれて本当に良かった」

 

 「まったくじゃな」

 ポルトが焚き火越しに腕を組みながら、低くうなずいた。

 「命を賭けて戦う者ほど、戦う理由を語らん。

  あの青年も、きっと己の中にようけ背負うもんがあるんじゃ」

 

 チャコが尻尾を揺らしながら笑う。

 「ほんまやで。ウチはもう心臓止まるか思たわ。

  でも、あの顔見たら全部ふっとんでもうた」

 

 「まったく、みんな心配しすぎだ」

 ハワードが照れ隠しのように笑い、肩をすくめた。

 「……ま、俺も心配してたけどな」

 

 焚き火の火の粉が空へと舞い、星空に溶けていく。

 その炎の明かりが仲間たちの顔を照らし、言葉のひとつひとつが温かく木霊していった。

 

 メノリが火を見つめながら、そっと呟いた。

 「……あの炎みたいに、希望はまだ消えていない」

 

 ポルトがうなずきながら笑う。

 「そうじゃな。まだ道は続いとる。どんな闇でも、灯りがあれば進めるもんじゃ」

 

 ルナはその言葉に静かに微笑み、焚き火に手をかざした。

 「うん。

  きっと、私たちはまだ……ここからだよ」

 

 その炎が、彼らの決意と絆を優しく照らしていた。

 

⬜︎

 

 夜の森は静まり返り、焚き火のぱちぱちという音だけが響いていた。

 炎が仲間たちの顔を照らし、それぞれが言葉少なに穏やかな時間を過ごしていた。

 

 そのとき、背後の階段を軋ませながら、ゆっくりと足音が聞こえてきた。

 「……ん?」とハワードが振り返る。

 

 そこに現れたのは、上半身裸のリュウジだった。

 まだ包帯がうっすらと見える胸には、戦いの跡が幾筋も走っている。

 汗と傷跡が焚き火の光に照らされ、陰影が刻まれる。

 

 「……ちょっと、シャワーもらう」

 低く短く言い放ち、リュウジはそのまま無造作にシャワールームの方へ歩いていった。

 

 「ちょ、ちょっと! 服くらい着ろ!!!」

 メノリの声が響いた。

 彼女は顔を真っ赤にして立ち上がる。

 

 「まったくもう……男ってやつは……!」

 そう言いながら椅子に座り直し、頬を押さえてそっぽを向く。

 

 「うわぁ……あの筋肉……」

 ハワードが感心したように目を丸くした。

 

 「ほんとだ……すごいな……」とベルも穏やかに呟く。

 「力任せじゃない、鍛え方が違う……って感じだ」

 

 「やっぱり訓練の賜物なんやろなぁ」

 チャコは火のそばで腕を組み、「ウチのメカボディにもあんな見た目つけたいわ~」とぼやく。

 

 ルナは静かに火越しにリュウジの背中を見つめていた。

 その肩、腕、背中に刻まれた無数の傷跡。

 それが、あの脱獄囚との戦いの証であることを思い出す。

 

 (……どれだけ痛かったんだろう)

 

 胸の奥が少し痛くなる。

 誇らしいのに、寂しい。

 ルナはそんな複雑な気持ちを抱きながら、炎を見つめ続けた。

 

 やがて、シャワールームの方から足音が戻ってくる。

 濡れた髪を手で整えながら、タオルを肩に掛けたリュウジが再び現れた。

 相変わらず上半身は裸のままだ。

 

 「お、おい、リュウジ! まだ服着てないのか!」とハワードが言うと、

 「そのまま出てくるなって言っただろう!!」とメノリが再び真っ赤になる。

 

 リュウジはきょとんとしたように首を傾げた。

 「……何の話をしてるんだ?」

 

 「そりゃあ、お前の格好のことだ!」とメノリが言う。

 

 「別に減るもんじゃないだろ」

 そう言って焚き火のそばに腰を下ろすリュウジに、ハワードは吹き出した。

 「ははっ、すげぇ。やっぱりこの人、肝が据わってるわ」

 

 ベルは苦笑しながら、

 「リュウジ、風邪引くよ。少しは休みなよ」と静かに言った。

 

 ルナはその言葉に小さく頷き、焚き火の光の中で彼の横顔を見つめた。

 (……あなたは、ほんとに不器用なんだから)

 

 彼女の胸の中に、微かな安心と、また次に待つ決意の火が静かに灯っていた

 

⬜︎

 

夜風が木々の間を抜け、焚き火の炎がゆらめいた。

 橙の光が仲間たちの顔を照らし、静かで穏やかな時間が流れていた。

 

 リュウジは焚き火の輪に加わり、黙って腰を下ろした。

 濡れた髪を軽くかき上げ、ただ皆の会話に耳を傾けている。

 

 「こうしてみんなで火を囲むの、なんか久しぶりだね」

 ルナが微笑みながら言った。

 

 「ほんとだよ。やっと“日常”が戻ったって感じがする」

 シンゴが薪をくべながら答える。

 

 「ウチもやっと電池が落ち着いたわ~。このまま平和が続いてほしいもんやな」

 チャコが尻尾をぱたぱたと揺らしながら言うと、ハワードが笑った。

 

 「お前が静かなときって、逆に不気味なんだよな」

 

 「なんやて!? ウチは癒し系ロボやで!」

 「どっちかって言うと、にぎやか系だろ」とメノリが軽く笑いながら言った。

 

 「……にぎやかも悪くないさ」

 ベルが優しい声で言葉を添える。

 「静かすぎると、人は孤独を感じるもんだ」

 

 「そうだね……こうして笑ってられること自体、奇跡みたいなものだよ」

 シャアラは手を組んで、火を見つめながら呟いた。

 

 アダムも静かに頷く。

 「これもリュウジのおかげだね」

 

 その言葉に、ルナは少しだけリュウジを見た。

 火の光が彼の横顔を照らし、普段よりも穏やかに見えた。

 

 「……リュウジは優しいしね」

 

 メノリが腕を組みながら火を見た。

 「優しさってのは、強さと紙一重だろう。

  あいつ、無茶ばっかりするけど……背負ってるものがあるんだろうな」

 

 「まったくじゃ」

 ポルトが頷きながら低く言う。

 「命を懸ける者ほど、ようけ背負っとる。あやつも同じじゃ」

 

 「せやけど、リュウジはほんま不器用やなぁ」

 チャコがため息まじりに言う。

 「もうちょい自分の体大事にしたらええのに」

 

 「それが、あいつらしいのかもしれないな」

 ベルがやわらかく言葉を添えた。

 

 「……そうだね」

 ルナが微笑み、火を見つめた。

 「誰かのために戦って、守って……

  そんな人だから、きっと、リュウジは一番傷ついてるのかも」

 

 そのとき、焚き火の向こうでリュウジが小さく笑った。

 穏やかで、どこか照れくさそうな笑み。

 

 「……うるさいな。みんな勝手に話すな」

 

 「ふふっ、聞こえてたんだ」ルナが笑う。

 

 「そりゃあ、これだけ賑やかならな」

 リュウジは軽く肩をすくめ、火を見つめた。

 

 誰も何も言わなくても、その表情だけで十分だった。

 焚き火の炎が夜空へと舞い、ひとつ、またひとつと星に溶けていく。

 その光はまるで――仲間たちの希望のように、静かに燃えていた。

 

⬜︎

 

夜はさらに深まり、焚き火の炎も静かに音を立てていた。

 仲間たちはすでに眠りについている。

 火のそばには、ルナだけが残っていた。

 

 風が頬を撫で、木々の隙間から夜空がのぞく。

 無数の星が瞬き、どこまでも広がっている。

 

 ルナはその光を見上げながら、膝を抱えた。

 (……このまま、ここで暮らしていくのかな)

 (でも、それじゃ……きっと、終わらない)

 

 小さく息を吐き、火にくべられた薪をひとつ動かす。

 ぱち、と音がして火花が舞った。

 

 「……ねぇ、お父さん」

 思わず口をついて出た声は、風に消えるほど小さかった。

 「私、どうしたらいいのかな……」

 

 大陸のメインコンピュータ――。

 あそこに行けば、もしかしたら宇宙船があるかもしれない。

 帰る方法が、見つかるかもしれない。

 

 けれど、それは危険な旅だ。

 この平穏を壊すかもしれない。

 誰かが傷つくかもしれない。

 

 「……でも、私は……このままじゃ嫌だ」

 小さく呟いたその言葉に、ルナ自身の決意が宿った。

 

 ――そのとき。

 

 「……眠れないのか」

 

 背後から低く、静かな声がした。

 ルナは振り返る。

 焚き火の影の中に、リュウジが立っていた。

 髪は少し乱れ、目の下にはまだ疲労の色が残っている。

 

 「……リュウジ。まだ寝てなくていいの? 熱、完全には下がってないでしょ」

 「平気だ。少し風に当たりたかっただけだ」

 

 リュウジは焚き火の反対側に腰を下ろす。

 炎の光が彼の瞳に反射して、ゆらりと揺れた。

 

 しばらく、二人の間に沈黙が流れる。

 森の虫の声と、遠くで鳴く夜鳥の声だけが響いていた。

 

 「……考えてたんだ」

 ルナが口を開く。

 「この星に残ること。

  それとも、大陸にあるメインコンピュータまで行くこと」

 

 リュウジは目を閉じ、少しだけ息を吐いた。

 「危険だな。距離もあるし、未知の領域だ」

 

 「それでも、行きたいの」

 ルナの声は揺るがなかった。

 「ここにいても、何も変わらない。

  帰る方法を探したい。

  この星で生きるにしても、何か“答え”を見つけたいの」

 

 焚き火の炎がふっと揺らぎ、ルナの瞳を照らした。

 その光の中で、リュウジは彼女をじっと見つめていた。

 

 「……本当に行く気か」

 「うん」

 「止めても無駄なんだろうな」

 ルナは小さく笑った。

 「もう、リュウジにも読まれてるね」

 

 リュウジは少しだけ笑みを浮かべ、火に枝をくべた。

 「お前がそう言うなら、俺も行く」

 「え?」

 「どうせ静かにしてても退屈だ。

  それに……このまま終わりにしたくない」

 

 ルナは驚いたように目を見開いた。

 「でも、リュウジはまだ体調が――」

 「心配するな。俺は丈夫だ」

 そう言いながら、彼は焚き火の炎を見つめた。

 

 「お前が行くなら……それだけだ」

 

 ルナは言葉を失い、ただ火の明かりの中で彼を見つめた。

 

 夜は静かに、更けていった。

 その小さな火が、次の冒険の始まりを告げる灯のように、柔らかく燃えていた。

 

⬜︎

 

朝日が枝の隙間から差し込み、森がゆっくりと目を覚ます。

 大いなる木の根元では、朝食を終えた仲間たちが集まり、静かに座っていた。

 潮風が穏やかに吹き抜け、木漏れ日がルナの肩を照らしている。

 

 ルナは立ち上がり、皆を見渡した。

 その表情には、夜の焚き火で決めた覚悟がにじんでいた。

 

 「みんな……聞いてほしいの」

 ルナの声に、全員の視線が集まる。

 

 「私たちは、もう宇宙船を失った。

  でも――この星で、ただ“待つだけ”じゃ、きっと何も変わらない」

 

 その言葉に、ハワードが腕を組み、すぐに口を開く。

 「何が言いたいんだ、ルナ」

 

 ルナは一歩前に出た。

 「大陸にあるメインコンピュータまで行きたいの。

  そこに行けば、宇宙船や通信装置が残ってるかもしれない」

 

 静まり返る空気。

 メノリが眉をひそめた。

 「ルナ、それは危険すぎるだろう。焦って結論を出すべきじゃないんじゃないか?」

 

 「そうだよ」

 シンゴも小さく声をあげた。

 「今の設備じゃ、動力が足りない。

  大陸まで渡るのは……無理だよ」

 

 チャコが尻尾を垂らし、首を横に振る。

 「ウチもそう思うわ。

  遺跡で動いとる設備や機械は、もうギリギリや。

  修理するにも、部品がないんや」

 

 ルナは俯き、それでも口を開いた。

 「でも……このまま、何もしないでここにいたら――」

 

 「何もしないわけじゃないだろう」

 メノリが静かに言葉を重ねる。

 「私たちは生き延びた。

  ここで暮らしを整えながら、救助を待つ方が現実的だ」

 

 ハワードも頷く。

 「そうだな。無理に動いて全滅したら意味がない。

  オリオン号が墜ちた場所を考えれば、救助船が来る可能性はあるはずだ」

 

 ルナは息を飲んだ。

 次に、希望を求めるようにポルトに向き直る。

 「ポルトさん、……船は作れませんか?

  木でも、金属でも、何か浮かべる方法があれば……」

 

 ポルトは腕を組んで首を振った。

 「水に浮かぶ船か。……すまんが、それはワシの専門外じゃ。

  わしは宇宙工学の技術者であって、海の船大工ではないでな」

 

 「……そう、ですか」

 ルナの声が少しだけ震える。

 

 「ルナ」

 メノリがやわらかく言葉を添えた。

 「今は休むときだ。焦る気持ちは分かるけど、みんなまだ疲れてる」

 

 「……そうだな」

 ハワードも肩をすくめた。

 「いまは無理をするより、現状を守ることを考えよう」

 

 ルナは静かに腰を下ろした。

 そして小さく、ぽつりと呟いた。

 

 「……ごめん。私、少し急ぎすぎてたかも」

 

 風が吹き、木の葉がさらさらと音を立てる。

 その音がまるで、ルナの心を慰めるかのようだった。

 

 そんな中、輪の外で黙っていたリュウジが、ただ静かに彼女の背を見ていた。

 その表情は、どこか複雑で、言葉にはならない優しさを含んでいた。

 

⬜︎

 

それから、数日が経った。

 

 日が沈み、森に夜の帳が下りるころ。

 みんなの心は、どこか沈んでいた。

 

 宇宙船を失った現実――。

 それが、ようやく全員の胸に重くのしかかってきていた。

 

 食料集めも、どことなく集中が切れている。

 今までなら笑い合いながら進めていた作業も、言葉少なに、無言のまま終わることが多くなった。

 遺跡の倉庫に積み上げられる食料の量も、日に日に少なくなっていった。

 

 夜。

 皆が寝静まったあと、ひとり焚き火の前に座っていたのは――カオルだった。

 

 パチ……パチ……と薪が弾ける音だけが響く。

 カオルはその炎を無言で見つめ、何度も小さく息を吐いた。

 

 (……あの時、俺がもう少し上手くやっていれば……)

 胸の奥で、そんな後悔が何度も浮かんでは消える。

 

 その時だった。

 

 「……お前、何してるんだ」

 

 背後から聞こえた低い声。

 カオルが振り返ると、焚き火の光にリュウジの姿が浮かび上がっていた。

 

 「火の番だ」

 カオルは淡々と答えた。

 

 だが、リュウジは首を横に振る。

 「そうじゃない」

 

 「……」

 

 「皆んなに元気がないこと、気付いてるだろ?」

 

 リュウジの声には、わずかに苛立ちが混じっていた。

 カオルは目を伏せ、低く答える。

 「ああ……分かってる」

 

 「それなのに、お前まで落ち込んでどうする」

 

 その言葉に、カオルは顔を上げ、眉をひそめた。

 「……なんだと?」

 

 焚き火の炎が、二人の影を揺らす。

 リュウジはカオルを真っ直ぐに見据えた。

 

 「気持ちは分かる。……俺だって同じだ」

 「……」

 「だがな、他の奴らはいいとしても――

  アストロノーツ養成学校にいたお前まで落ち込んでどうするんだ」

 

 その言葉は鋭く、重かった。

 カオルは一瞬、何も言えなかった。

 

 リュウジは焚き火を見つめたまま、静かに続けた。

 「お前が沈んだら、みんなが余計に不安になる。

  せめてお前だけは、いつも通りでいてくれ」

 

 「……」

 

 「ルナは、一人で戦ってるぞ」

 

 その一言が、カオルの胸に突き刺さった。

 リュウジはそれだけ言うと、火の光を背にしてその場を離れていった。

 

 焚き火の火が小さく揺れ、カオルは拳を強く握りしめた。

 「……そうだな。

  あいつの言う通りだ……俺がこんなんじゃ、駄目だ」

 

 火の粉が夜空へと舞い上がる。

 それを見上げながら、カオルはゆっくりと目を閉じた。

 

 ――そのやり取りを、少し離れた場所から静かに聞いていた影があった。

 

 ルナだった。

 

 焚き火の光の届かない木陰で、彼女は小さく胸に手を当てる。

 リュウジの言葉、カオルの沈黙、そのすべてが胸に響いていた。

 

 (……リュウジは、ちゃんと見てるんだね)

 (みんなのこと、そして……私のことも)

 

 ルナは空を見上げた。

 雲の切れ間から、星々が静かに瞬いていた。

 

 火の温もりと夜風の冷たさが混ざり合い、

 彼女の頬をかすめていった

 

⬜︎

 

数日後の昼下がり。

 大いなる木の下は、どこか静まり返っていた。

 

 「ハワード、食料集めに行くよ」

 ルナは声を張った。

 

 しかし、返事がない。

 もう一度呼んでも、やはり沈黙だけが返ってきた。

 

 (もう……また寝てるのかな)

 

 ため息をついて、ルナは手にした籠をぎゅっと握りしめた。

 「いいわ、一人で行ってくる」

 

 その声に、そっと足音が近づいた。

 「待って、ルナ。私も行くわ」

 

 シャアラが駆け寄ってくる。

 「シャアラ……いいの?」

 「うん。最近、みんな少し疲れてるもの。

  それに……昨日、森の奥でコンテナを見つけたの」

 

 「コンテナ?」

 ルナが首を傾げると、シャアラは思い出すように眉を寄せた。

 「オリオン号が爆発した時に落ちたようなの

  たぶん……“重力制御ユニット”みたいなもの」

 

 その言葉に、ルナの目が見開かれた。

 「本当!?」

 

 「ええ。ほら、この間、ポルトさんが言ってたでしょ。

  “ユニットの一部が見つかれば、また機能を再現できるかもしれん”って」

 

 ルナは一瞬迷ったが、すぐに表情を引き締めた。

 「行こう、シャアラ。確かめないと」

 

 二人は森の奥へと歩き出した。

 

 木々の合間から見える空は、少し曇っている。

 風が湿っていて、どこか不穏な気配が漂っていた。

 

 やがて、森の中にあるコンテナに辿り着く。

 コンテナの中にあるボックスをシャアラが指を指し、ルナが確認した。

 

 「これね……間違いないわ」

 ルナは駆け寄り、ボックスの側面についた識別コードを見た。

 「GCU……グラビティ・コントロール・ユニット……!」

 

 「ほんとに……オリオン号の部品なんだ」

 シャアラは目を丸くして言った。

 

 「まだ動くかもしれない」

 ルナは慎重にボックスを開け、重力制御ユニットの側面のスイッチのような突起を見つけた。

 

 「ルナ、それはやめた方が……」

 「少しだけ、確認するだけよ」

 

 ルナは小さく息を呑み、指を伸ばす。

 ――カチッ。

 

 その瞬間、ユニットから淡い青い光が漏れ出した。

 

 「えっ……?」

 シャアラの髪がふわりと浮いた。

 

 ルナも、自分の足が地面から離れるのを感じた。

 「これって……!」

 

 浮き上がった。

 重力がなくなったかのように、身体がふわりと宙に舞う。

 周囲の木箱や破片までもが一緒に浮かび上がっていた。

 

 「きゃっ!」

 シャアラは空中でもがきながら叫ぶ。

 「ルナ! 怖い! 止めて!」

 

 「だ、大丈夫!すぐに――」

 

 ルナは慌ててスイッチを探した。

 手が震え、光のパネルを押し込む。

 

 ――ピッ。

 

 次の瞬間、重力が戻った。

 

 「きゃああっ!」

 

 二人の身体が勢いよく地面に落ちる。

 ドサッ! ガシャーン!

 

 空中に浮かんでいたボックスも一斉に落下。

 ひとつがルナの肩を直撃した。

 

 「ルナ!!!」

 

 シャアラが叫び、駆け寄る。

 ルナは仰向けに倒れ、意識が朦朧としていた。

 

 「ルナ! ねえ、ルナ! しっかりして!」

 必死に呼びかける声も、ルナの耳には遠くに聞こえるだけだった。

 

 青白いユニットの光がまだ微かに瞬いている。

 風の音が遠くに消え、視界がぼやけていく――。

 

 最後にルナが見たのは、泣きそうな顔で覗き込むシャアラの瞳だった。

 

 そして、静寂が訪れた。

 

⬜︎

 

その瞬間――アダムの身体がピクリと震えた。

 手にしていた小枝が湖の水面に落ち、波紋を広げる。

 

 胸の奥に、何かが突き刺さるような衝撃。

 **“ルナの驚きと恐怖”**が、無意識のうちに彼へ伝わってきたのだ。

 

 「……ルナ!」

 

 アダムは立ち上がり、湖のほとりで魚を釣っていたリュウジの方を振り返る。

 顔は青ざめ、目には涙が浮かんでいる。

 

 「ルナが――!」

 

 「……何?」

 リュウジの手から釣り竿が滑り落ちる。

 アダムが駆け寄り、その手を強く掴んだ。

 

 「ルナが、危ないの!」

 

 その声を聞きつけ、少し離れた場所で水筒を片付けていたメノリもすぐに駆け寄ってくる。

 「アダム、どうした? 何かあったのか?」

 

 「説明はあとだ!」

 リュウジは短く言い、腰に差していたナイフを確かめた。

 「案内しろ、アダム。どっちだ!」

 

 「こっち!」

 アダムはリュウジの手を引き、全力で走り出す。

 

 森を抜ける足音が響く。

 その音を聞きつけ、チャコが顔を出した。

 「どないしたん!? えらい慌てとるやないか!」

 

 「ルナに何かあったみたいだ!」

 リュウジの声が鋭く響く。

 

 「なんやて!? ほなウチも行くで!」

 チャコは小走りで追いかけ、背中のツールポーチをしっかり締める。

 

 すぐにシンゴも姿を見せた。

 「待って! 僕も行く!」

 

 後ろから、無言でカオルも合流する。

 険しい表情のまま、ただ無駄のない足取りでついていく。

 

 ――大いなる木の根元を出る直前。

 ベルが荷物を抱えながら、振り向いて叫んだ。

 

 「ハワード!」

 

 「ん……?」

 葉陰の寝床から、寝ぼけた顔のハワードが顔を出した。

 「……なに? もう朝ごはん?」

 

 「緊急事態だ! 行くよ!」

 ベルの声が森に響く。

 

 「き、緊急事態!?」

 ハワードは目を見開き、寝癖のついた髪を直しながら慌てて立ち上がる。

 「ちょ、待って、何が――」

 

 しかしベルはもう走り出していた。

 ハワードも慌ててその背中を追い、森の奥へと飛び込んでいく。

 

 緑の木々がざわめき、鳥たちが驚いて一斉に飛び立つ。

 仲間たちは、ただひたすらに走った。

 

 ルナの名前を胸に――。

 そしてその先に待つものを、誰も知らないまま。

 

⬜︎

 

森の奥。

 焦げた金属の匂いと、微かな機械音が漂っていた。

 

 そこに――ルナが倒れていた。

 

 その傍らで、シャアラが泣きじゃくっている。

 「ルナ! お願い、目を開けてよ!」

 

 髪は土で汚れ、手に力がはいる。

 震える声を何度も繰り返しながら、シャアラはルナの頬を叩いた。

 

 やがて、木々の向こうから複数の足音が響く。

 「シャアラ!」

 先頭を走るリュウジの声が飛ぶ。

 

 シャアラが振り向いた。涙に濡れた瞳が揺れる。

 「リュウジ! ルナが……ルナが動かないの!」

 

 リュウジは無言で駆け寄り、膝をつく。

 ルナの首筋に手を当て、脈を確かめた。

 

 「……生きてる」

 

 その一言で、シャアラの張り詰めた息が震え、肩が落ちた。

 「よかった……!」

 

 遅れてメノリ、カオル、チャコ、シンゴ、ベル、アダム、ハワードが駆けつける。

 

 「ルナ!」

 「しっかりしてぇ!」

 「怪我は……?」

 それぞれが口々に叫ぶが、リュウジの表情は険しいままだ。

 

 「頭を打ってる。呼吸はあるが……意識が戻らない」

 リュウジの声に、場の空気が一気に凍る。

 

 「な、なんでこんなことに……」とシンゴが呟いた。

 

 「重力制御ユニットの誤作動だろうな」

 メノリが焦げた金属装置を見て、苦い声を漏らす。

 「重力制御ユニット……。危険だって分かってたのに……」

 

 「……私が、一緒にいたの」

 シャアラが涙を拭いながら言った。

 「ルナが……試したいって言って……。

  止めたけど、止められなかったの……」

 

 「もうええ、シャアラ。責めたらあかん」

 チャコが静かに言って、そっと彼女の肩に手を置いた。

 「ルナは、きっとみんなのために動いたんや」

 

 ベルが近づき、落ち着いた声で言う。

 「運ぼう!大いなる木で治療した方がいい」

 

 リュウジはルナをそっと抱き上げた。

 その腕の中で、ルナの顔は青白く、唇にはかすかに傷がある。

 「……軽いな」

 リュウジが呟いた。

 

 アダムがその腕に手を触れた。

 「ルナ、苦しい夢を見てる……。すごく怖かったの、伝わってくる……」

 

 リュウジは短く頷くと、静かに言った。

 「安心しろ。もう大丈夫だ」

 

 メノリが前に出て言う。

 「急ごう」

 

 「分かった。俺が運ぶ」

 リュウジはしっかりとルナを抱きかかえ、森の奥へと足を踏み出した。

 

 後ろで、カオルが呟く。

 「ルナ……無理すんなよ……」

 

 その言葉に、誰も何も返さなかった。

 ただ、焚き火のない森を照らす陽の光が、ルナの頬をわずかに温めていた。

 

⬜︎

 

夜。

 みんなの家の中では、ランプの光がゆらめき、壁に柔らかな影をつくっていた。

 ルナはまだ眠っている。

 けれど、その顔には以前よりも安らかな表情が戻っていた。

 

 リュウジは椅子に腰を下ろし、腕を組んで黙っている。

 その周りを囲むように、みんなが集まっていた。

 静寂の中、時おりルナの寝息だけが聞こえる。

 

 「……なぁ」

 ハワードがぽつりと口を開いた。

 「オレ、情けないよ。ルナはこんなになるまでみんなのために頑張ってたのに……

  オレなんて、ただ落ち込んでただけだった」

 

 誰もすぐには返さなかった。

 けれど、その言葉がみんなの胸に深く刺さった。

 

 「……ウチもや」

 チャコが静かに言う。

 「いつも文句ばっか言うて、動いてへんかった。ルナは一人で“前に進もう”ってしとったのに」

 

 メノリはルナの寝顔を見つめながら、ゆっくり頷いた。

 「ルナは、誰かに命令されたからじゃなくて、自分で考えて動いたんだろうな。

  本気で……みんなのために」

 

 ベルが穏やかな声で続ける。

 「俺たちが落ち込んでる間も、ルナは前を向いてた。

  ……その背中を、今度は俺たちが追わなきゃ」

 

 「そうだね……」

 シンゴがうつむいたまま言う。

 「僕、修理のことばっかりで、ルナがどんな気持ちで動いてたか考えてなかった」

 

 シャアラは両手を胸の前で握り、祈るように呟いた。

 「ルナがあんなに頑張ってくれたのに、私……何もできなかった」

 

 アダムが顔を上げ、静かに言った。

 「ルナは……“みんなで帰る”って信じてる。

  だから僕たちも信じなきゃ」

 

 その言葉に、誰もが目を閉じた。

 ルナの思いが――彼らの心の中で、確かに息づいていた。

 

 メノリが顔を上げ、落ち着いた声で言った。

 「……ルナが目を覚ましたとき、胸を張って言いたい。

  “私たちも前を向いてる”とな」

 

 カオルが短く頷く。

 「だったら、動くしかない。

  このまま“待つだけ”なんて、ごめんだ」

 

 リュウジは静かに立ち上がった。

 窓の外――満天の星空が広がっている。

 「……ルナが命懸けで見せてくれたんだ、無駄にはしない」

 

 ベルが優しく微笑んだ。

 「ルナが守ったこの場所から……今度は、俺たちが未来を探す番だ」

 

 ランプの光が、みんなの顔を照らした。

 その瞳の奥には、再び希望の炎が灯っていた。

 

 ――誰からともなく、視線がルナの寝顔に集まる。

 彼女の頬に反射した光が、まるで“行け”と背中を押すように見えた。

 

 その夜、みんなの胸の中で一つの決意が固まった。

 大陸へ渡る――そして、新たな希望を探す旅へ。

 

⬜︎

 

朝の光が“みんなの家”の窓から差し込んでいた。

 淡い金色の光が床を照らし、長い夜が終わったことを告げていた。

 

 ルナはまぶしそうに目を細める。

 頭はまだ少し重いが、周囲の音がゆっくりと戻ってくる。

 木の床を歩く足音。遠くで誰かが小声で話す声。

 そして、すぐ傍にいる――リュウジの静かな息づかい。

 

 「……おはよう」

 かすれた声で呟くと、リュウジが振り向いた。

 「起きたか」

 その声には、ほっとした安堵の色が滲んでいた。

 

 「みんなは?」

 ルナの問いに、リュウジは軽く顎をしゃくる。

 「外だ。ルナが倒れてから、ずっと話してた」

 

 ルナは上体を起こそうとして、まだ体が重いことに気づいた。

 それでも、無理に笑顔を作る。

 「……ありがとう。心配かけちゃったね」

 

 「別に」

 そう言いつつも、リュウジの口元はわずかに緩んでいた。

 「お前が無茶すんのは今に始まったことじゃないからな」

 

 ルナは小さく笑った。

 「そうかもね。でも……みんなが笑ってくれるなら、それでいい」

 

 外では、木の葉を揺らす風の音が心地よく響いていた。

 ルナはそっと立ち上がり、家の外に出た。

 

 そこには、すでに仲間たちが全員集まっていた。

 焚き火の跡の前に輪になって座り、それぞれが静かに空を見上げている。

 

 「ルナ!」

 最初に気づいたのはシャアラだった。

 「よかった……もう動けるの?」

 

 「うん、もう大丈夫」

 ルナは微笑みながら歩み寄る。

 メノリが呆れたように息をつき、

 「まったく、倒れてもすぐ立ち上がるんだな」と苦笑した。

 

 「……それがルナだからな」

 ベルが穏やかに言うと、ハワードも頷いた。

 「そうそう。まるで止まらない太陽みたいだ」

 

 みんなが微笑む中、ルナは少しだけ真剣な表情を見せた。

 「ねえ、みんな……昨日の夜、みんなが何を考えてたか、だいたい分かる気がする」

 

 誰も言葉を返さない。

 ルナは続けた。

 「私は……みんなのために動いたつもりだった。でも、本当は違うの。

  みんなと一緒に“生きたい”って思ったから、動いたの」

 

 チャコが口を開く。

 「……ルナ。ウチら、見てたら思ったんや。

  落ち込んでる場合ちゃうって」

 

 シンゴも頷いた。

 「そう。僕たち、ルナがあんなに頑張ってるの見て、

  自分が情けなくなったんだ。何もできないで」

 

 ベルが言葉を継ぐ。

 「だから……考えたんだ。

  俺たちも動かなきゃって。ルナが信じた“希望”を、俺たちも信じようって」

 

 メノリが小さく息を吐き、微笑んだ。

 「大陸に行こうって話、厳しいと思っていた自分が恥ずかしい」

 

 シャアラも静かに頷く。

 「ルナが見せてくれた勇気、私も欲しい。

  だから……私も行きたい。みんなと」

 

 「僕もだ」

 アダムが小さな声で言った。

 「大陸に行って……この星のことを知りたい。

  ルナが信じてる未来を、僕も見たい」

 

 ハワードが腕を組んで、ため息をつく。

 「やれやれ、みんな本気かよ……。

  でも、まあ……こうなったら俺も行くしかないか」

 

 カオルが立ち上がり、空を見上げた。

 「決まりだな。俺たちは止まらない。

  行くなら、全員でだ」

 

 リュウジが最後に口を開いた。

 「……全員、本気で言ってるんだな」

 その声には、いつになく穏やかな響きがあった。

 「だったら、俺も賛成だ。

  行こう。ルナが信じた未来を見に」

 

 ルナは一人ひとりを見回し、静かに微笑んだ。

 「ありがとう、みんな……。

  “みんなで帰る”って、今度こそ叶えよう」

 

 朝の光が、彼らを包んだ。

 その瞳には、もう迷いはなかった。

 

 ――彼らは再び前を向く。

 失ったものではなく、これから掴むものを見据えて。

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