サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

171 / 182
定期報告

 カオルのもとへ、ククル、エマ、カイエの三人が集まる光景は、いつしかハワード財閥の旅行会社の宇宙事業部フロアで、すっかり見慣れたものになっていた。

 

 最初の頃は、「また来た」「今日も始まった」と面白がるだけだった若い乗務員達も、最近ではもう半ば日課のようにそのやり取りを見ている。

 しかも、三人の寄り方には妙な規則性まであった。

 

 カオルがフライトから戻る。

 報告を済ませる。

 席に着く。

 するとまず、カイエが「お疲れ」と言いながら来て、便全体の流れや操縦と客室の連携について静かに聞いていく。

 次にククルが、小さなジュースや紙パックの飲み物を手に「お疲れ様!」と明るく駆け寄ってきて、景色だとか、お客さんの様子だとか、感覚に近いことを聞きたがる。

 最後にエマが、自分の分だと言いながら持ってきた菓子をつまみつつ、「今日の相方どうだった?」「何でそう判断したの?」と人と判断の話を聞き出していく。

 

 それを遠巻きに見て、若い乗務員達は勝手な噂を作る。

 

「三つ巴の戦い、今日も始まったね」

「いやもう戦いじゃなくて、儀式だよ、これ」

「カイエさん班、ククルさん班、エマさん班じゃなくて、もうカオル班でしょ」

「それ言ったら怒られるって」

 

 そんな小声が飛ぶことも珍しくなくなった。

 

 そして、その“日常”がすっかり定着してしまったある日のことだった。

 

 

 その日は、フロアの空気がいつもと少し違っていた。

 

 昨日、カイエ達の班が長期フライトへ出ていたからだ。

 木星経由の比較的長めの便で、客層も落ち着いてはいたものの、戻りは遅く、乗務員達はそれなりに疲れていた。

 そのため今日は、カイエ班はシミュレーションを入れず、溜まった報告書の作成や、便中の共有事項の整理へ時間を充てる日になっていた。

 

 だからフロアには、いつもの“動くための緊張”ではなく、“座って片付けるための緩み”があった。

 

 端末のキーを叩く音。

 紙をめくる音。

 時々交わされる小さな確認。

 誰かが「この記載、こっちで合ってます?」と聞き、別の誰かが「うん、それで大丈夫」と返す。

 

 そんな中でも、カオルがフライトから戻ってくれば、やっぱりその周辺には人が集まる。

 

 今日もそうだった。

 

 カオルが昼前の便を終えて戻ると、まずカイエが席を立った。

 

「お疲れ」

 

「ああ」

 

「今日どうだった?戻り、少し早かったよね」

 

「思ったより宇宙船が素直だった。揺れも予定より浅い」

 

「客室への共有は?」

 

「最初に一回、途中で“温かいものだけ注意”を入れた」

 

「うん、それなら十分」

 

 カイエはいつものように静かに聞いていく。

 その声を聞きながら、近くにいた若手の乗務員が、やっぱり始まった、という顔をする。

 

 カイエが一通り聞き終わると、その少し後ろから、案の定ククルが現れた。

 今日は小さな缶の炭酸ジュースを持っている。

 

「カオル、お疲れ様!」

 

「また何か持ってるのか」

 

「今日はこれ!なんか、炭酸の気分かなって」

 

「俺の気分を読むな」

 

「読めてないけど、なんとなく!」

 

 ククルは元気だ。

 長期フライト明けでも、その明るさが大きく削れないのはこの子のすごいところだと、周りはわりと思っている。

 

「でね、今日景色どうだった?ロカA2戻りって、すっごい綺麗だったりするじゃん」

 

「まあ、悪くなかった」

 

「ほらまた、カオルの“悪くなかった”はだいぶ良い方なんだよ」

 

 ククルが勝手に周囲へ言うと、近くの乗務員達がくすくす笑う。

 

「お客さん静かだった?子どもいた?」

 

「少し」

 

「へぇ〜今回はどうだった?」

 

「今回は何もなかった」

 

「今回は、って言い方だと前に何かあったみたいじゃん」

 

 ククルが目を輝かせる。

 カオルは少しだけ目を逸らした。

 

「前に、少しな」

 

「うわ、やっぱり、また今度詳しく聞こ」

 

「聞かなくていい」

 

 そういうやり取りをしていると、当然のように次にエマが来る。

 

 自分の席から、細長いチョコ菓子を一つ持って、いかにも“ついで”みたいな顔をして近寄ってくるのだ。

 

「お疲れ」

 

「ああ」

 

「今日の相方、誰?」

 

「マギー」

 

「うわ、また?最近よく当たるね」

 

「向こうが暇なんじゃないか」

 

「そんなことないでしょ、あの人、何だかんだ人気あるし」

 

 エマはそう言ってチョコを齧る。

 

「で、今日はどう?無線、まだ雑?」

 

「雑だった」

 

「ははっ、即答だ」

 

「でも少しだけ足すようにはなってた」

 

「へえ〜効いてるじゃん」

 

「さあな」

 

「“さあな”じゃないよ、それ、カオルが一回言ったから、気にしてるんだって」

 

 そんなふうに、三人が順番に、当たり前みたいにカオルのまわりへ集まる。

 そして、今日はシミュレーションがなく、報告書作成が中心の日だったこともあり、他の乗務員達はその様子をいつも以上に楽しそうに見ていた。

 

「今日、観客多くない?」

 と、エマが途中でぼそっと言う。

 

「だって今日は暇寄りだから」

 

 ククルが答える。

 

「暇じゃない」

 カイエがすぐに言う。

「報告書作成は立派な仕事。でもシミュレーションないぶん、みんな余裕あるんだよ」

 

 その通りだった。

 席についた乗務員達は、報告書の手を完全には止めていない。

 でも耳は、カオル達の方へ向いている。

 中には顎に手を当てて、完全に“見物人”の顔をしている者までいた。

 

「今日も仲良いですねー」

「お疲れ会始まってる」

「いいなぁ、うちも誰か操縦の話してくれないかな」

「いや、カオルさん相手だから成立してる感じもあるよ」

 

 そんな声も飛ぶ。

 

 カオルは、最近ではこういう小声にいちいち反応しなくなっていた。

 最初は鬱陶しかった。

 今も別に好きではない。

 だが、毎回似たような空気なので、もう半分慣れてしまっている。

 

 ちょうどそんな時だった。

 

 不意に、フロアの空気をすっと撫でるような、柔らかな声がした。

 

「楽しそうね」

 

 ほんの一言。

 それだけなのに、周囲の空気が変わった。

 

 さっきまで楽しげに小声を飛ばしていた乗務員達が、ぴたりと姿勢を正す。

 端末へ向けていた体が、反射的に整う。

 背筋が伸びる。

 カイエも、エマも、ククルも、ほぼ同時に入口の方を見た。

 

「え、エリンさん!?」

 

 誰かが、驚いたように声を上げる。

 

 フロアの入口に立っていたのは、エリンだった。

 

 今日のエリンは、スペースホープ側の制服をきちんと着ている。

 姿勢は相変わらず綺麗で、無駄がない。

 けれど、表情はやわらかい。

 厳しい顔ではない。

 むしろ、穏やかに微笑んでいる。

 

 なのに、皆が勝手に背筋を伸ばしてしまうのは、たぶんその人が持っている“整った圧”のせいだろう。

 

「あら」

 

 エリンは、フロアの空気の変化を見て少しだけ目を細める。

 

「皆んなはシミュレーションやらないで、お休みかしら?」

 

 にこり、と笑う。

 

 その笑顔が優しいからこそ、逆に怖い。

 

「い、いえ!」

 

 真っ先に答えたのはカイエだった。

 

「私達は昨日、長期フライトだったので……今日は報告書作成に時間を充ててます」

 

「あら、そうなの」

 

 エリンは頷く。

 

「それで、報告書は書けたの?」

 

「い、いえ」

 

 カイエの声がわずかに詰まる。

 

「まだ途中です」

 

「なるほど」

 

 エリンは柔らかく言った。

 怒っているわけではない。

 だが、その“なるほど”の中に、全部見えている感じがあった。

 

 そして、そのまま視線を少しだけ横へ流す。

 

「ちなみに、エマは他の班だったわね。ククルは訓練指導班じゃなかったかしら?」

 

 柔らかい声のまま、きっちり言う。

 

「どうしてここにいるの?」

 

「えっ」

「あの、えっと……」

 

 ククルとエマが、揃って言葉に詰まる。

 

 それを見たカオルは、心の中で少しだけ気の毒だと思った。

 普段、あれだけ調子よく喋る二人が、こういう時はきっちり詰まる。

 

 けれど次の瞬間、エリンはふっと笑った。

 

「なーんてね、冗談よ」

 

 その言い方が、あまりにも軽くてやわらかい。

 

 フロア中の乗務員達が、見事なくらい一斉に胸を撫で下ろした。

 

「心臓に悪いです……」

 

 カイエが小さく言う。

 

 エリンはくすっと笑う。

 

「ごめんね」

 

 それから、近くにいた乗務員の一人へ紙袋を差し出した。

 

「はい、これお土産」

 

「ありがとうございます!」

 

 受け取った乗務員が、ぱっと表情を明るくする。

 

「それで」

 

 エリンが、少しだけ首を傾げた。

 

「何に盛り上がってたの?」

 

 その問いへ、近くにいた若い乗務員が、待ってましたと言わんばかりに口を開く。

 

「最近、カオルさんにカイエさん、ククルさん、エマさんがべったりで!」

 

「ちょっと!」

 

 カイエがすぐに止める。

 

「言い方!」

 

「でも合ってるじゃないですか」

「毎回すごいんですよ?」

「帰ってきたら、三人で順番に囲んで」

 

 エリンは、その説明を聞いて、すぐに「あ、そういうこと」と頷いた。

 

「なるほどね」

 

 そして、そのままカオルの方へ歩いてくる。

 

 フロアの空気が少しだけざわつく。

 エリンとカオルが向かい合うのを、皆が見ていた。

 

「久しぶりね、カオル」

 

 エリンが言う。

 

 声は穏やかだ。

 だが、仕事の場でのそれなりの距離感はきちんと保っている。

 

 カオルは、すぐに姿勢を正した。

 

「お久しぶりです」

 

 丁寧に頭を下げる。

 

「いきなりA級を取ったと思えば、同じ会社なんて思わなかったわ」

 

 エリンが言う。

 

「今はスペースホープに出向中だけどね」

 

「承知しています」

 

 カオルが答える。

 

 そのやり取りを見ながら、近くの乗務員達が小さくざわめく。

 

「やっぱり知り合いなんだ」

「ていうか、エリンさんとカオルさんって並ぶと強い……」

「何の強さよ」

 

 そんな囁きも飛んでいた。

 

「今日はどうされたんですか?」

 

 カオルが聞く。

 

「定期報告でね」

 

 エリンが言いながら、ふとフロアの入口付近へ視線を向けた。

 

 そこには、若い乗務員が二人、少しだけそわそわした様子で立っていた。

 

 ユウコとナツキだ。

 

 スペースホープ側の若手乗務員で、今回エリンに連れられて来たのだろう。

 だが、入ってきてからずっとどこか落ち着かず、入口近くで立ち止まっていた。

 

 カオルは、最初その理由が分からなかった。

 単に知らない会社だから緊張しているのかと思っていた。

 

 ところが、次の瞬間、その疑問は一気に解ける。

 

「あの人、マジイケメンじゃん!?」

 

 ユウコが、小声のつもりで全然小さくない声を上げたのだ。

 

「ちょっと!」

 

 ナツキが肘で小突く。

 

「声!」

 

「だってほんとなんだもん!間違って私と付き合ったりしてくれないかな」

 

「どんな間違いよ、面食いには間違いが起きないわよ」

 

「なによ!」

 

「何よ!」

 

 二人が入口付近で早くも小競り合いを始める。

 

 その様子を見て、エリンはごく小さくため息をこぼした。

 

「……やっぱり」

 

 その“やっぱり”に、慣れが滲んでいる。

 

「それじゃあカオル」

 

 エリンが、少しだけ笑みを戻して言う。

 

「いつか同じ便になったら、よろしくね」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 カオルが再び頭を下げる。

 

 エリンは軽く頷くと、そのまま入口付近へ戻りかけた。

 が、二歩ほど進んだところで、ふいに足を止める。

 

 そして、くるりと振り返った。

 

「カイエ、ククル、エマ」

 

「はい」

「なに?」

「えっ、私達?」

 

 三人が揃って反応する。

 

 エリンは、その三人を順に見てから、口元にごくやわらかな笑みを浮かべた。

 

「いくらドルトムントの時に似てて、懐かしいからって」

 

 その言葉に、三人の顔色がほんの少しだけ変わる。

 

「リュウジに出来なかった事を、カオルにしてたら可哀想よ」

 

「……っ」

 

 カイエが一瞬だけ固まる。

 ククルも、ぱちぱちと目を瞬かせた。

 エマは、わずかに目を細める。

 

 そして周りの乗務員達が、揃って「え?」という顔になる。

 

「どういう意味ですか?」

 

 若い乗務員の一人が、思わず口を挟んだ。

 

 エリンは、その問いへ、まるで何でもないことみたいに答えた。

 

「だって似てるもの、リュウジとカオルって」

 

 フロア中の視線が、今度は一斉にカオルへ集まる。

 

 カオル自身は、少しだけ眉を寄せた。

 自分では、そこまで似ているとは思っていない。

 だが、外から見れば何か重なるものがあるのだろうか。

 

 エリンはそのまま続ける。

 

「だから、操縦のこととか、客室のこととか、感想とか、恐らく三人なら聞いてるのかなって思ってね」

 

「おぉ……」

 

 若い乗務員達が、妙に感心した声を上げる。

 

「当時のリュウジは近寄りがたかった分、聞きたかったことを、カオルに聞いてるのね」

 

 その言い方は、完全に冗談半分だ。

 だが、半分は本気なのだろう。

 

「そ、そんなことありません!」

 

 真っ先に声を上げたのはカイエだった。

 

 珍しく、少しだけ声が高い。

 

「……そう?」

 

 エリンが首を傾げる。

 

「そうです!」

 

 カイエは言い切る。

 だが、その言い切り方が逆に少し怪しい。

 

「私は別に、そんな……」

 

「私はちょっと分かるかも」

 

 エマが、ぽつりと言った。

 

「エマ!?」

 

 カイエとククルが同時に振り向く。

 

「いや、だってさ、リュウジさんって、聞こうとしても何か壁あったじゃん。でもカオルは、壁はあるけど、聞けばちゃんと返ってくるし」

 

「それは……」

 

 ククルが少しだけ言葉に詰まる。

 そして、自分でも考えるように眉を寄せた。

 

「でも、もしかしたらちょっとあるかも!操縦の話、聞きやすいし」

 

「ククルまで!?」

 

 カイエがますます動揺する。

 

 エリンは、それを見てふふっと笑った。

 

「ね?」

 

「ね、じゃないです!」

 

 カイエが言うと、周りは面白がってざわめく。

 

「うわ、図星っぽい」

「そんな理由だったんだ」

「なるほどねぇ……」

 

 カオルは、その騒ぎの中で少しだけ黙っていた。

 

 リュウジに似ている。

 それが本当かどうかはさておき、もし三人がどこかで“あの時に聞けなかったこと”を自分に聞いていたのだとしたら。

 

 不思議な話だと思う。

 でも、少しだけ納得もする。

 

 リュウジは近寄りがたい。

 それはカオル自身も分かる。

 無愛想で、必要以上には喋らない。

 けれど飛び出せばとんでもなく強い。

 

 そんな相手に、若い乗務員が客室の感覚や操縦のことをぽんぽん聞けるかと言えば、たしかに難しいだろう。

 

 その点、自分は――少なくとも、ここでは、聞かれれば返している。

 

「ほら、喧嘩しないで行くわよ」

 

 エリンが、最後に入口付近の二人へ声をかける。

 

「だってエリンさん!」

「今の流れは私達も気になります!」

 

 ユウコとナツキが、揃って声を上げる。

 

「はいはい」

 

 エリンは、柔らかく笑って二人へ近づく。

 

 そして、まるで子どもをあやすみたいに、二人の頭へぽん、と手を置いた。

 

「あとで聞かせてあげるから」

 

「ほんとですか!?」

 

「ほんと」

 

「え、じゃあ今の人の名前も――」

 

「ユウコ」

 

 エリンがやわらかい声で名前を呼ぶ。

 

「はい」

 

「仕事」

 

「……はい」

 

 その一言で、ユウコはしゅんとする。

 だが、頭を撫でられているので完全には落ち込めない。

 

 ナツキも同じように頭を撫でられて、少しだけ肩をすくめた。

 

「エリンさん、子ども扱いしないでください」

 

「してないわよ」

 

「してます」

 

「似たようなものよ」

 

 その返しに、周りが笑う。

 

 エリンは最後にもう一度だけ、フロア全体へ視線を巡らせた。

 

「それじゃあ、定期報告終わったらまた来るかもしれないから、その時までにはちゃんと報告書、書き終えておいてね」

 

「はい!」

 

 乗務員達の返事が、さっきまでより明らかに揃っていた。

 

 エリンは満足そうに頷くと、そのままユウコとナツキを連れて歩き出す。

 二人はまだ少しだけ名残惜しそうに後ろを見ていたが、エリンに促されるまま去っていった。

 

 姿が見えなくなるまで、フロアは妙に静かだった。

 

 そして、数秒後。

 

「……えーっと」

 

 若い乗務員の一人が、遠慮がちに口を開く。

 

「今の、結局どういうことなんですか?」

 

 その問いで、空気が一気に緩んだ。

 

 エマが真っ先に吹き出し、ククルが「あーもう」と頭を抱え、カイエは深いため息をつく。

 

「だから違うってば」

 

 カイエが言う。

 

「違うの?」

 

 別の乗務員が聞く。

 

「完全に違うとは言えない感じでしたけど……」

 

「言わなくていいところを言うな」

 

 エマが笑いながら言う。

 

「でも、少しは分かるよね。リュウジさんって聞きにくかったもん」

 

「エマ!」

 

「だって本当だし」

 

 ククルも、少しだけ困った顔で頷く。

 

「うん……私も最初、リュウジさんに操縦のこととか客室のこととか聞くの、ちょっと勇気いった。怖いっていうか、近づきにくいっていうか」

 

「でもカオルさんは?」

 

「聞けば答えてくれる」

 ククルが即答する。

「しかも最近、ちゃんと客室のことも見てる」

 

「へえ……」

 

 乗務員達が揃ってカオルを見る。

 

 カオルは、そんな視線を受けながら少しだけ居心地悪そうに眉を寄せた。

 

「……何だよ」

 

「いや」

「なんか、納得したっていうか」

「エリンさん、見るとこ見てるなって」

 

 若い乗務員が感心したように言う。

 

「でも、リュウジさんに似てるって本当ですか?」

 

 別の一人が聞く。

 

「似てるわよ」

 

 エマが軽い調子で言う。

 

「顔じゃなくて、空気?」

 

 ククルが補足する。

 

「無愛想なとことか、変に真面目なとことか、飛ぶ時に急に静かになるとことか」

 

「褒めてるのか」

 

 カオルが聞く。

 

「半分くらいは」

 

 エマがにやっとする。

 

「半分は何なんだ」

 

「めんどくさいとこ」

 

「……」

 

「ほら、そういう顔する」

 

 周りがまた笑う。

 

 カイエは、その様子を見ながら、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。

 

「まあ、エリンさんの言うこと、全部が外れってわけでもないかもだけど」

 

「カイエまで!?」

 

 今度はエマとククルが揃って見る。

 

「いや、別に、リュウジさんの代わりって意味じゃない。ただ、聞きたかったことを聞きやすい相手なのは、そうなのかも」

 

 その言い方は、ずいぶん落ち着いていた。

 たぶん、少し考えた末に出した答えなのだろう。

 

 ククルも、それを聞いて小さく頷く。

 

「うん、たしかに、そうかも。リュウジさんに“今日の景色どうだった?”とか、さすがに聞きにくいし」

 

「それはそう」

 

 エマが即答する。

 

「“別に”で終わる未来しか見えない」

 

「……否定しづらいな」

 

 カオルがぽつりと言う。

 

 その返しに、また小さな笑いが起きる。

 

「でも」

 

 さっき一番最初に“三つ巴の戦い”と言っていた若い乗務員が、少しだけ真面目な顔で言う。

 

「なんか、いいですね」

 

「何が?」

 

 ククルが聞く。

 

「そうやって、帰ってきた人の話をちゃんと聞いてるの。操縦のことも、客室のことも、人の感じ方も、三人で違う角度から聞いてるじゃないですか、最初は面白がってたけど、今はなんか、それでちゃんとチームになってる感じする」

 

 その言葉に、カイエもエマもククルも、一瞬だけ黙った。

 

 そしてエマが、少しだけ笑って言う。

 

「……それは、ちょっと嬉しいかも」

 

「うん」

 

 ククルも頷く。

 

「最初はほんとに、面白半分もあったし」

 

「ククル」

 

 カイエが呆れたように言う。

 

「でも今は、ちゃんと聞きたいから聞いてる」

 

 ククルがまっすぐ言う。

 

「便の中でどうだったか知ると、次に自分が乗る時の参考にもなるし、カオルが何を見て飛んでるか分かると、こっちも客室で考えやすいし」

 

「……そういうこと」

 

 カイエが静かに頷く。

 

「ただの雑談じゃなくなってるのは、たしか」

 

 カオルは、そんな三人のやり取りを黙って聞いていた。

 

 自分にとっては、いつの間にか“帰ってきた時にあるもの”になっていた。

 でも、それが周りから見てどう映っていたのか、今日少しだけ違う形で分かった気がした。

 

 そして、その空気を全部まとめて見抜いて、しかも軽い冗談みたいに口にしていくエリンの目の鋭さも、改めて実感した。

 

「……凄いな」

 

 ぽつりとカオルが言う。

 

「エリンさん?」

 

 ククルが聞く。

 

「ああ」

 

 カオルは頷く。

 

「見てるとこ、全部見てる」

 

「それはそう」

 

 エマが笑う。

 

「だからエリンさんなんだよ」

 

 カイエも、少しだけ柔らかく笑った。

 

「怖いけどね」

 

「心臓に悪い」

 

 ククルが胸元を押さえて言うと、周囲も同意のように頷く。

 

 そして、その空気の中で、誰かがふと呟いた。

 

「でも、カオルさん、今の話聞いて嫌じゃなかったんですか?」

 

 その問いは、素直だった。

 

 リュウジに似ているだの、代わりみたいだの、聞きやすいからだの。

 そう言われて、気分を悪くしてもおかしくはない。

 

 カオルは、その問いに少しだけ考えてから答えた。

 

「……別に」

 

「別に?」

 

「最初は何言ってるんだと思った。でも、今はまあ……」

 

 そこで一拍置く。

 

「聞きたいことがあるなら、聞けばいいと思う」

 

 その答えに、フロアが少しだけ静かになる。

 

 カイエが、ほんの少しだけ目を細めた。

 ククルは、ぱっと明るい顔になった。

 エマは、何だか面白そうに口元を緩める。

 

「それ、けっこういいこと言ってるよ」

 

 エマが言う。

 

「そうか?」

 

「そうだよ」

 

 ククルが元気よく頷く。

 

「やっぱりカオル、優しいじゃん」

 

「やめろ」

 

「なんでー」

 

「そういう言い方されると疲れる」

 

「そこは慣れて」

 

 カイエが言うと、周りからまた笑いが起きる。

 

 結局、その日の午後は、報告書作成の進みよりも、エリンが置いていった“問い”の方がフロアに長く残った。

 

 リュウジに似ている。

 だから三人は、聞けなかったことを聞いているのかもしれない。

 

 それが本当かどうかは分からない。

 でも、完全に外れているとも言い切れない。

 

 そんな曖昧なところへ、エリンはするりと触れて、皆の胸の中へ置いていったのだ。

 

 そしてカオルは、その余韻が少し残るフロアで、いつものように三人から飛んだ質問へ答えながら、少しだけ自分の立ち位置を考えていた。

 

 S級はまだ遠い。

 操縦も、信頼も、まだ途中だ。

 けれど、ここには、自分が飛ぶことをちゃんと見て、聞いて、次に繋げようとしてくれる人達がいる。

 

 それがリュウジにはなかったのか、あったのに見えなかっただけなのか。

 そこまでは分からない。

 

 ただ、今の自分にはある。

 

 その事実が、今日のエリンの言葉のあとでは、少しだけ重く、少しだけありがたいものに感じられた。

 

 フロアの奥で、誰かがまた「三つ巴の戦い、今日はエリンさんまで参戦だったね」と小さく言って、周りが吹き出す。

 

 カイエが「参戦してない」と呆れたように返し、ククルが「むしろ一撃で終わった感じ」と笑い、エマが「ラスボス感あった」と勝手にまとめる。

 

 カオルは、その騒ぎを聞きながら、小さく息を吐いた。

 

 やっぱり、騒がしい。

 

 でも。

 

 悪くない。

 

 そう思ってしまった時点で、もう自分はこの会社の日常の中へ、ずいぶん深く入り込んでいるのかもしれなかった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

エリンは、ユウコとナツキを連れて社長室へ入った時から、今日は少し長い話になるだろうと思っていた。

 

 形式としては定期報告だ。

 だが、ただの経過報告で済む段階は、もう過ぎている。

 

 スペースホープへ出向してから、気づけば月日がかなり流れた。

 最初は、立て直しの足場を作るだけで精一杯だった。

 次に、残った乗務員達の土台を崩さないこと。

 そして、ようやく最近になって、「この先どうするか」を現実的に口に出来るところまで来た。

 

 社長室には、クルーズのほかに、宇宙事業部本部長と旅行事業部本部長が同席していた。

 

 広い部屋だ。

 無駄に豪華なわけではない。

 けれど、机の配置や壁面のディスプレイ、窓の外へ見える景色まで含めて、“会社の中枢”だと感じさせる静けさがある。

 

 ユウコとナツキは、入室した時点で少しだけ肩が上がっていた。

 いつも気の強いユウコでさえ、こういう場では緊張するらしい。

 ナツキはナツキで、平然を装っているが、視線の置き場がわずかに定まっていない。

 

 エリンは二人の様子を横目で見て、内心で少しだけ苦笑した。

 

 こういう緊張も、いずれは慣れてもらわなければならない。

 副パーサーになれば、外部の人間と話すことも、会社の上層と顔を合わせることも増える。

 客室だけ綺麗に回せればいいわけではない。

 

「それで」

 

 クルーズが椅子へ深く腰掛けたまま言う。

 

「出向して、もう数か月で一年になるな」

 

「はい」

 

 エリンが答える。

 

 声は落ち着いている。

 張りすぎず、崩れすぎず。

 報告の場での声だ。

 

「今年は徹底して基礎をやってきました。姿勢、歩き方、声、優先順位、客室内での導線、緊急時の基本対応。どれも地味ですが、そこが崩れている限り、どれだけ経験を積んでも安定した運航にはなりません」

 

 宇宙事業部本部長が、腕を組みながら頷く。

 

「まあ、遠回りには見えるがな」

 

「遠回りでいいと思っています」

 

 エリンは即座に答えた。

 

「急いで形だけ作っても、客室の中で崩れるなら意味がありません。今年は土台を作る年でした」

 

 クルーズが、少しだけ口元を緩める。

 

「で、来年は?」

 

「来年は個々のレベルアップを目指します」

 

 エリンははっきりと言った。

 

「幸いにも、経験のある乗務員がスペンサーから移籍しました。小規模の運航であれば、私が不在でも回せる形は少しずつ出来ています」

 

 その言葉に、ユウコが思わず小さく声を漏らした。

 

「それって……」

 

 エリンは、ちらりとだけユウコへ目を向ける。

 それは“今は黙って聞いてなさい”という意味も、“その先はちゃんと分かってるから”という意味も含んだ視線だった。

 

「問題はこれからです」

 

 エリンが続ける。

 

「かつてのスペースホープを取り戻すには、この子達をさらにもう一段、二段でも上へ押し上げなければいけません。今のままでも、便は回ります。ですが、“回る”と“信頼される”は違います」

 

 旅行事業部本部長が、そこでわずかに目を細めた。

 

「信頼回復、か」

 

「はい」

 

 エリンが頷く。

 

「スペースホープは一度、大きく信用を失いました。それを取り戻すには、“事故が起きない”だけでは足りません。どの便でも、どの乗務員でも、一定以上の安心感と質を出せること、お客様にも、取引先にも、社内にも、そう思ってもらう必要があります」

 

「それが出来るのは自分しかいない」

 

 クルーズが、静かに言った。

 

 エリンは、ほんの一拍置いてから、まっすぐ頷いた。

 

「はい」

 

 その答えに、ユウコが少しだけ息を呑む。

 ナツキも、隣で小さく姿勢を正した。

 

 エリンは、自分を大きく見せるためにそんなことを言ったのではない。

 本気でそう思っているから、ためらわず言うのだと、二人にも分かる。

 

 クルーズは、しばらくエリンを見ていたが、やがて低い声で言った。

 

「まあいいだろう。期限はあと一年だ。君に任せるさ」

 

「ありがとうございます」

 

 エリンは、静かに頭を下げる。

 

 それから、ゆっくりと立ち上がった。

 

「申し訳ありません、少し失礼します」

 

 クルーズが、怪訝そうに眉を上げる。

 

「何だ?」

 

「いえ」

 

 エリンは、音を立てないように扉へ近づく。

 

 室内は静かだ。

 だからこそ、扉の向こう側のほんの微かな気配が分かる。

 

 押さないでよ。

 そんな小さな声が、確かに聞こえた。

 

 エリンはため息を飲み込み、ゆっくりと扉を開ける。

 

 次の瞬間。

 

 どさっ。

 

 絡まるように、三つの影が前へ倒れ込んできた。

 

「わっ」

「ちょっと!」

「押したのそっちでしょ!」

 

 床へもつれるように倒れたのは、カイエ、ククル、エマだった。

 

 見事なくらい綺麗に重なっている。

 誰が一番前で、誰が最後に押したのか、一瞬では分からない。

 

 エリンは、思わず片手で額を押さえた。

 

「貴方達ねぇ……」

 

 その声音は大きくない。

 だが、十分に効く。

 

 三人は、床に絡まったまま苦笑いを浮かべた。

 

「いや、その」

「違うんです」

「違わなくはないですけど」

 

 言い訳になっていない。

 

 エリンは、半ば呆れながら聞いた。

 

「報告書は終わったの?」

 

「……」

 

 カイエが、そこで目を逸らした。

 

 沈黙が、一番正直だった。

 

 エリンは、ゆっくりと息を吸う。

 

「早く戻って書きなさい!」

 

 今度は少しだけ声を大きくした。

 

「はい!」

 

 三人が見事なくらい揃って返事をする。

 カイエはすぐに立ち上がり、髪を軽く整えると、ほとんど反射のような速さでフロアの方へ戻っていった。

 ククルとエマも、ぱたぱたと後に続く。

 

「ククルもエマも、仕事に戻りなさい!」

 

「はい!」

 

「はーい!」

 

 二人も慌てて去っていく。

 

 そこから少し離れた壁際で、腕を組んだまま全部を見ていた人物がいた。

 

 カオルだ。

 

 騒ぎの中心へ入るでもなく、かといって完全に距離を取るでもなく、妙にちょうどいい位置で立っている。

 ここまでの流れを見ていたのだろうが、表情はあまり変わっていない。

 

 エリンは、そんなカオルへ視線を向けた。

 

「カオルも、遠慮しないで止めていいからね」

 

「……はい」

 

 カオルが頷く。

 

 その返答は素直だった。

 

「それと」

 

 エリンが言う。

 

「カイエに、ユウコとナツキへ報告書の書き方を教えるように伝えて」

 

「分かりました」

 

 カオルは、また短く頷く。

 

「ユウコ、ナツキ」

 

 エリンが入口付近へ声をかける。

 

 二人は、さっきまで緊張して社長室へ入った時とは違う意味で、今は固まっていた。

 目の前で起きた“盗み聞き三人衆の転倒事件”と、仕事モードのエリンの切り替わりに、軽く頭が追いついていない。

 

「カオルに着いて行って」

 

「え?」

 

 ユウコが、きょとんとする。

 

 そして次の瞬間、視線がカオルへ向いた。

 

「あー!イケメンパイロットだぁ〜!」

 

 声が弾む。

 

 ナツキがすぐに肘で小突いた。

 

「はいはい、行くよー」

 

 そう言ってユウコの背を押し、二人はカオルの方へ歩いていく。

 

 カオルは、二人が近づいてきても特に慌てた様子はなかった。

 

「……」

 

 ただ少しだけ、ユウコの目の勢いが強いな、くらいには思ったかもしれない。

 

 エリンは、その光景を確認してから、ゆっくりと社長室の扉を閉めた。

 

「お騒がせしました」

 

 クルーズ、宇宙事業部本部長、旅行事業部本部長へ向き直り、軽く頭を下げる。

 

 クルーズは、ほんの少しだけ肩を揺らした。

 笑っているのか呆れているのか分からないが、慣れた反応ではある。

 

「相変わらず賑やかだな」

 

「申し訳ありません」

 

「いや、いい。君のまわりの空気は、昔からあんなものだった」

 

 宇宙事業部本部長が言う。

 

 エリンは苦笑した。

 

「否定は出来ません」

 

 

 エリンは、クルーズにゆっくりと姿勢を戻した。

 

 だが、その表情は安堵のものではなかった。

 むしろ、ここから先が本当の勝負だと分かっている者の顔だった。

 

 クルーズはそれを見て、机の上で指を組んだ。

 

「それで、君の言う“もう一段、二段上に押し上げる”という話だが」

 

「はい」

 

 エリンは資料を一枚めくる。

 

「具体的には、副パーサークラスの人材を、最低でも複数名、形にしなければなりません」

 

 宇宙事業部本部長が低く言う。

 

「“複数名”か。随分と強気だな」

 

「一人では足りません」

 

 エリンは即答した。

 

「スペースホープは、今ようやく便を回せる段階へ入ってきました。ですが、私一人が中核に立ち続ける形では、運航規模が増えた瞬間に限界が来ます。通常便、教育便、研修便、それに今後、役員や外部機関からの貸切便が増えれば、客室の判断と統率を担える者が、私以外にも必要になります」

 

 旅行事業部本部長が頷く。

 

「つまり、君がいなくても“客室の芯”が崩れない状態を作りたいということか」

 

「はい」

 

 エリンは言った。

 

「それが出来なければ、スペースホープは“エリンがいる時だけ安心な会社”で終わってしまいます。それでは、再建とは言えません」

 

 社長室の空気が少しだけ締まる。

 

 自分達の名前が、これから確実に出る。

 そう分かっているからこそ、軽口も出てこない。

 

「候補は」

 

 クルーズが短く促す。

 

「はい」

 

 エリンは資料の上へ視線を落としたまま続けた。

 

「まず、現時点で“経験値”という意味では、ユウコ、ナツキ、ホーネット。この三人が一歩前に出ています」

 

 クルーズが言う。

 

「そこは予想通りだな」

 

「はい。三人とも、すでに客室の場数があります。判断の速度もありますし、乗客対応そのものも一定以上の水準です。ただし」

 

 エリンは、そこで言葉を区切った。

 

「“副パーサー”という役割で見ると、それぞれに越えなければならない壁があります」

 

「聞こう」

 

 宇宙事業部本部長が腕を組む。

 

 エリンは、まずユウコの名を出した。

 

「ユウコは、客室の中で前へ出る力があります。状況判断も速く、トラブル時に躊躇が少ない。特に、目の前で困っている乗客への反応は非常に早いです。自分の中で“まず動く”というスイッチがあります。ですが」

 

 エリンの声はやわらかいまま、鋭さを失わない。

 

「感情が先に立つ時があります。それは情の厚さでもあるのですが、副パーサーという立場になると、“自分が助けたい相手”だけでなく、客室全体の優先順位を冷静に並べ替えなければならない場面が増えます。ユウコは、そこでもう一歩、視野を広げる必要があります」

 

 次にエリンはナツキの話をする。

 

「ナツキは、逆に全体を見る目があります。感情で動きすぎず、一歩引いて客室全体を整理出来きます。誰が今どこにいて、何が不足していて、どこに穴があるか。そこを見る力は、現時点でもかなり高いです。副パーサーに必要な“客室の俯瞰”という意味では、むしろユウコより適性がある場面もあります」

 

 旅行事業部本部長が感心したように言う。

 

「ほう」

 

「ですが、ナツキは逆に、自分の中で完結させすぎる傾向があります。見えていることを、全部言葉にしなくても分かるだろうと思ってしまう。本人の中では整理出来ているのですが、客室は一人では回りません。副パーサーになれば、見えていることを周囲へ渡し、他の乗務員を動かし、安心させ、判断を共有することまで求められます」

 

 エリンは、少しだけやわらかく続けた。

 

「ナツキは賢いです。だからこそ、“自分の中で分かっている”だけで終わらせない訓練が必要です」

 

 そして、次にホーネット。

 

「ホーネットは、才能型です」

 

 その言葉に、クルーズが薄く笑った。

 

「身も蓋もない言い方だな」

 

「でも事実です」

 

 エリンも淡く笑う。

 

「視野の広さ、気づきの速さ、客室の空気の拾い方、どれも高い。正直に言えば、“見えている範囲”だけなら、現時点でも副パーサークラスに近いものがあります」

 

 宇宙事業部本部長が「ほう」と呟く。

 

「ただし、基礎がまだ荒いです。それに、自分の才能で拾えたものを、他人にも共有出来る形へ落とす訓練が足りません。副パーサーは、“自分だけが見えている”では務まりません。見えたものを、客室全体で使える判断へ変える必要があります」

 

 エリンはそこで一度、資料を閉じた。

 

「ホーネットは、伸びれば非常に強いと思います。ですが、今のまま上へ上げると、“本人は出来るが、周りがついていけない副パーサー”になる可能性があります」

 

 クルーズが頷いた。

 

「なるほど。目立つが、まだ土台が足りないと」

 

「はい」

 

 エリンが答える。

 

「そして、ここまでが“経験値の高い組”です」

 

 そこから先で、エリンの声が少しだけ変わった。

 静かな熱が入る。

 

「ですが、私が本当に押し上げたいのは、この先です」

 

「この先?」

 

 旅行事業部本部長が聞く。

 

 エリンは、次の資料へ視線を落とした。

 

「クミコ、マユ、アズサ、ミドリ、ハヅキ、サリー。この六人は、現時点ではまだ副パーサー候補として“経験不足”です。ですが、伸びしろという意味では、非常に重要です」

 

 クルーズの目が大きく見開く。

 この六人の名前が、ここまで明確に経営陣の前で出るとは思っていなかったのだろう。

 

「まず、クミコ」

 

 エリンは言う。

 

「吸収が早いです。教えたことが、ただ再現出来るだけではなく、自分の中で一度整理されて戻ってくる。それに、人の動きを見る力がかなり育ってきました、まだ経験は足りません。ですが、副パーサーに必要な“周囲を見て、自分の立ち位置を変える”という感覚は、かなりいい速度で伸びています」

 

 クルーズが聞く。

 

「弱点は?」

 

「自分を後ろへ置きすぎるところです」

 

 エリンは即答した。

 

「前へ出るべき場面でも、一度“先輩を立てる”方向へ考える癖があります。それは長所でもありますが、副パーサーになるなら、“今は自分が前へ出る”と決める強さが必要です」

 

「なるほど」

 

「マユは、細部に非常に強いです」

 

 次の名前へ移る。

 

「記録、確認、情報整理、乗客の小さな違和感の拾い方。そのあたりは、今の若手の中でもかなり高い。地味に見えますが、副パーサーに必要な“抜け漏れを防ぐ目”を持っています」

 

 宇宙事業部本部長が腕を組んだまま言う。

 

「地味に見えて重要なやつだな」

 

「はい。非常に重要です」

 

 エリンが頷く。

 

「ただ、マユはまだ“確認役”に寄りすぎています。客室を動かす側へ回ると、遠慮が出る。副パーサーにするなら、“正しさを確認する人”から、“正しさへ周囲を導く人”へ変えなければなりません」

 

「アズサは?」

 

 クルーズが先に促す。

 

 エリンの口元が少しだけ緩む。

 

「アズサは、場の明るさがあります」

 

 その言葉に、社長室の空気が少しだけやわらぐ。

 

「客室は、技術だけで回るわけではありません。特に教育便や研修便では、“場を柔らかくする力”は明確な武器になります。アズサは、その意味で非常に強いです。乗客との距離の詰め方も自然ですし、周囲の空気が固くなった時に、悪目立ちせず解くことが出来る」

 

 旅行事業部本部長が頷く。

 

「接客型の強みか」

 

「はい。ただし、アズサはまだ“楽しさ”と“統率”の両立が課題です。今は明るさが先に立ちますが、副パーサーになるなら、その明るさのまま場を締める技術を覚えなければなりません」

 

 次にミドリ。

 

「ミドリは、観察力があります。本人はあまり前へ出る印象ではありませんが、人の変化を見つけるのが上手い。客室の小さな違和感、乗客同士の空気、乗務員側の緊張、そういう“まだ問題になっていない変化”を拾う力があります」

 

 宇宙事業部本部長が少し意外そうに言う。

 

「ミドリか」

 

「見えにくいですが、確実に伸びています。ただ、拾ったものを口に出すのが遅い“確信が持てるまで言わない”ところがあるので、副パーサーにするなら、もっと早く共有する訓練が必要です」

 

 そしてハヅキ。

 

「ハヅキは、動線感覚が良いです」

 

「動線感覚?」

 

 クルーズが聞く。

 

「はい。客室の中で人がどう動くか、自分がどこへ立てば流れが詰まらないか、そういう“体で覚える客室の整理”に強い。言葉で説明するのはまだ得意ではありませんが、現場での身体感覚はかなりいいものがあります」

 

「副パーサー向きなのか?」

 

 旅行事業部本部長が問う。

 

 エリンは少しだけ考えてから答えた。

 

「現時点では、まだ“補佐型”です。ただ、副パーサーは必ずしも前で喋るだけが仕事ではありません。客室を物理的に詰まらせない、混乱させない、その感覚は非常に大事です。ハヅキは、そこを伸ばせば強いと思います」

 

 最後にサリー。

 

 エリンの声が、ほんのわずかに低くなる。

 

「サリーは、冷静です。感情に流されにくく、客室で一歩引いて全体を見られる。それに、一度理解したことを自分の中で固定する力が強いので、安定感があります」

 

「ナツキと似ているか?」

 

 宇宙事業部本部長が聞く。

 

「似ていますが、少し違います」

 

 エリンは答える。

 

「ナツキは“分かっていて言わない”ことがある。サリーは、“分かっていても、その場で前へ出ない”ことがあります。つまり、冷静さはあるけれど、責任を受け取りにいく一歩がまだ足りません」

 

 クルーズが、そこで椅子へもたれた。

 

「……ずいぶん見ているな」

 

「見ています」

 

 エリンは即答する。

 

「副パーサー候補は、“今出来ている者”だけでは足りません。一年後を見た時に、“その時に立てる者”まで育てなければ、スペースホープはまた細い柱一本で回る状態に戻ります」

 

 社長室が静かになる。

 

「つまり」

 

 クルーズが、ゆっくり言う。

 

「今すぐ上げるならユウコ、ナツキ、ホーネット寄り。だが、本当に育てたいのはそこだけじゃないと」

 

「はい」

 

 エリンは頷く。

 

「クミコ、マユ、アズサ、ミドリ、ハヅキ、サリー、この六人の中からも、一人、二人ではなく、複数名を上へ押し上げたいと思っています」

 

「欲張りだな」

 

 宇宙事業部本部長が言う。

 

「欲張りで結構です」

 

 エリンは静かに返した。

 

「今のスペースホープに必要なのは、“今使える人材”の延命ではなく、“次の層を作ること”です」

 

 旅行事業部本部長が、そこで少しだけ真剣な顔になる。

 

「後一年で、そこまで届くと思うか」

 

 さっきと同じ問い。

 だが今度は、もっと具体的な重さを持っている。

 

 エリンは、一瞬だけ目を伏せ、それからまっすぐ顔を上げた。

 

「分かりません」

 

 やはり、そう答えた。

 

「後一年で、全員を形に出来るかは分かりません。正直に言えば、無理かもしれません。ですが、やれる事はやります」

 

 その声には、覚悟だけがある。

 

「副パーサーは、客室の技術だけではなれません。判断、共有、後輩への目線、外部との折衝、乗客対応、パイロットとの呼吸。それらを一つずつ、意識的に積ませます。通常便の中へ小さな責任を混ぜ、失敗させ、振り返らせ、次へ返す。その繰り返しでしか育たないと思っています」

 

 クルーズは、長く息を吐いた。

 

「……いいだろう」

 

 その声は低く、重かった。

 

「後一年、好きにやれ。必要なものがあるなら言え」

 

「ありがとうございます」

 

 エリンは、深く頭を下げた。

 

 その頭が上がり切る前に、宇宙事業部本部長が一枚の紙を差し出す。

 

「それと、これは別件だ」

 

「別件?」

 

 エリンが受け取る。

 

「今度、宇宙管理局で新しく探索用のシミュレーションをやるらしい」

 

 その言葉で、社長室の空気が少しだけ変わった。

 

 エリンの指先が、紙の端を押さえる。

 

「探索用……」

 

「ラスペランッァでも参加するといい、と向こうから話が来てる。うちの会社からも何チームか送るつもりだ」

 

 クルーズが口元をわずかに上げる。

 

「どうだ、興味あるか」

 

 エリンは、紙へ目を落としたまま答えた。

 

「……あります」

 

 その返事は静かだった。

 だが、十分に本気だと伝わる声だった。

 

 未踏領域。

 調査。

 クルーだけの長時間運航。

 客室側の判断、ストレス管理、情報共有、パイロットとの連携。

 そこには、今のスペースホープに足りないものも、次に必要なものも、全部詰まっている気がした。

 

 そして同時に、エリン自身の胸の奥に残る別の熱も、そこへ確かに触れてくる。

 

「ですが」

 

 エリンは紙を見たまま続けた。

 

「出すなら、意味のある形にします。ただ出るだけでは意味がありません。今の自分達がどこまで通用するのか、何が足りないのか、それを持ち帰れる形にしたいです」

 

「それでいい」

 

 本部長が頷く。

 

「詳細は後で回す。君のところは候補に入れておけ」

 

 エリンは、ゆっくりと紙を揃えた。

 

「はい」

 

 その一言の中に、次の一年へ向かう新しい課題が、静かに加わった。

 

 

 

 

 定期報告を終えて社長室を出た時、フロアの空気はまた普段のざわめきへ戻っていた。

 

 報告書の入力音。

 小さな確認。

 さっきまでの緊張が嘘みたいに、日常の温度へ戻っている。

 

 ただし、入口付近の一角だけは、少し様子が違った。

 

 カオルのまわりに、ユウコとナツキが座っていたのだ。

 

 しかも、二人とも妙に真面目な顔をしている。

 

「ここは、“乗客対応”じゃなくて“客室全体”でまとめろってことですか?」

 

 ユウコが聞く。

 

「そうだ。個別対応だけ書くと、便の流れが見えない」

 

 カオルが答える。

 

「それと」

 

 ナツキがメモを見ながら言う。

 

「“後方区画の判断で一時待機”って、この表現で大丈夫?」

 

「大丈夫だが、理由も一行足した方がいい。読んだ側が想像しなくて済むように」

 

「なるほど」

 

 二人が揃って頷く。

 

 その光景を見て、エリンは少しだけ目を丸くした。

 

 そして、すぐに口元が緩む。

 

「案外、ちゃんとやってるじゃない」

 

 その声に、ユウコとナツキが同時に振り向く。

 

「エリンさん!」

 

「おかえりなさい……っていうか終わったんですか?」

 

「終わったわよ」

 

 エリンは歩み寄りながら答える。

 

「それより、報告書どう?」

 

「カイエさんに途中まで教わって、そのあとカオルさんに見てもらってます」

 

 ナツキが言う。

 

「へえ」

 

 エリンは、そこでちらりとカオルを見る。

 

 カオルは少しだけ視線を逸らした。

 

「頼まれたので」

 

「そう、ありがとう」

 

 その礼を、エリンはごく自然に言った。

 

 カオルは、小さく頷くだけだった。

 

 周囲では、ククルとエマが少し離れた場所からその様子を見ている。

 カイエは、もう報告書へ戻っているが、耳だけはこっちへ向いているのが分かる。

 

 エリンはそんな空気を全部感じ取りながら、手にしていた探索シミュレーションの紙を軽く叩いた。

 

「そうだ」

 

「何ですか?」

 

 ユウコが反応する。

 

「面白い話が一つ入ったわ」

 

 その言葉に、近くにいた乗務員達が少しずつ顔を上げる。

 

 エリンは、紙を掲げた。

 

「宇宙管理局で、新しく探索用のシミュレーションをやるらしいの。うちにも参加枠が来たわ」

 

 一瞬、フロアがしんとする。

 

 それから、じわっとざわめきが広がった。

 

「探索用?」

「旅客じゃなくて?」

「未踏領域みたいな?」

「え、面白そう……!」

 

 ユウコの目が、一気に輝く。

 

「それ、出たいです!」

 

「まだ早いわよ」

 

 エリンが即座に言う。

 

「まずは詳細が来てから」

 

「でも出たいです!」

 

「早いってば」

 

 ナツキは、少しだけ顎へ手を当てる。

 

「探索用、ってことは……通常便とは全然違う前提ですよね」

 

「ええ」

 

 エリンは頷く。

 

「だからこそ、今の自分達がどこまで通用するかを見るにはいい機会かもしれない」

 

 カイエが、そこでようやく端末から顔を上げた。

 

「うちからも何チームか出すって話でしたか?」

 

「ええ」

 

 エリンが答える。

 

 エマが、面白そうに目を細める。

 

「へえ〜それ、かなり燃えますね」

 

「私もも出たい!」

 

「ククルはまず今日の仕事を終わらせなさい」

 

 エリンが言うと、周りから笑いが起きる。

 

「はーい」

 

 ククルがしょんぼりするふりをする。

 

 カオルは、その賑わいの中で紙へ一瞬だけ視線を向けていた。

 

 探索用シミュレーション。

 それは、普通の旅客便とは違う。

 でも、自分が目指している“上”に近づくには、むしろそういう場の方が必要なのかもしれない。

 

 その視線に気づいたのか、エリンがちらりと見る。

 

「カオルも気になる?」

 

「少し」

 

 短い返事。

 

「でしょうね」

 

 エリンは小さく笑う。

 

「でも、出るかどうかはこれから。今は、目の前の便をちゃんと回しなさい」

 

「分かってます」

 

「ならいい」

 

 そのやり取りを見て、また周りが少し楽しそうにざわつく。

 

「エリンさんとカオルさんの会話、静かなのに強い」

「分かる」

「圧があるのに怖くない」

 

「怖くないって何よ」

 

 エリンが言うと、若手達は慌てて笑って誤魔化した。

 

 フロアには、またいつもの日常が戻る。

 報告書。

 お土産。

 三つ巴だの何だのという勝手な噂。

 でも、その上に、新しい話がひとつ乗った。

 

 探索用シミュレーション。

 

 それはまだ紙の上にあるだけの予定だ。

 けれど、その一枚は、確かにこの場所の空気を少しだけ先へ押し出していた。

 

 エリンは、その紙を机へ置きながら思う。

 

 後一年。

 その中で、どこまで押し上げられるか。

 誰を選ぶか。

 何を見せるか。

 

 やることは山ほどある。

 だが、不思議と怖くはなかった。

 

 むしろ、やれることが増えたという感覚の方が強い。

 

 そしてその少し離れたところで、カオルもまた、自分の中に新しい目標の輪郭が増えたことを、まだはっきりとは言葉に出来ないまま感じ始めていた。

 

 フロアのざわめきは、今日も賑やかだ。

 けれど、その賑やかさの下で、皆それぞれが少しずつ次の段階へ目を向け始めている。

 

 それが、今のスペースホープであり、今のハワード財閥の旅行会社であり、そしてエリンが作ろうとしている次の一年の始まりだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。