翌日。
スペースホープの宇宙事業部フロアでは、いつも通り午前のシュミレーションが終わり、昼休憩の空気が流れ込んでいた。
ついさっきまで客室内の歩き方や声の高さ、緊急時の役割確認で張りつめていたフロアも、今は一気に力が抜けている。
端末を閉じる音。
椅子を引く音。
誰かが「お腹空いたぁ」と小さく漏らし、別の誰かが「私はもう出前頼んでる」と答える。
昼食は大抵、コンビニか出前だ。
忙しい時は特にそうなる。
朝のうちに適当に買ってきたおにぎりやサンドウィッチ、カップスープで済ませる者もいれば、何人かでまとめて丼物を頼む日もある。
「私、今日パスタにした」
「えっ、どこの?」
「駅前のとこ」
「ずるい、それ美味しいじゃん」
「でも量多いんだよねぇ」
「なら少しちょうだい」
「やだ」
そんなやり取りが、あちこちで飛んでいた。
その中で、エリンだけは今日も変わらず手作りのお弁当だった。
細長い二段のお弁当箱。
開くと、色味の整ったおかずが綺麗に並んでいる。
玉子焼きに、小さく切った野菜のマリネ、鶏肉のハーブ焼き、プチトマト、それに食べやすいサイズのサンドウィッチ。
隙間まできちんと整えられていて、いかにもエリンらしい。
「うわぁ……」
ハズキが、ほとんど毎回同じ反応をした。
「今日も綺麗……」
その隣でアズサが、大きく頷く。
「ほんとに。お店のみたい。っていうか、昨日も思ったけど、エリンさんって朝いつ起きてるんですか?」
エリンは、資料を片手にサンドウィッチを持ちながら、少しだけ肩をすくめた。
「普通よ」
「普通じゃないです」
ハズキが即答する。
「いや、普通じゃないですよ」
アズサまで言う。
「私、朝起きて顔洗って着替えるだけで、もう時間ないですもん」
「貴方は起きるのが遅いのよ」
エリンがさらりと言うと、周りから笑いが起きる。
「それはそうなんですけどぉ!」
アズサが頬を膨らませる。
「でも、それでもこれを作るのはすごいです!」
「慣れよ、慣れ」
エリンは、まるで何でもないことみたいに言う。
だが、その“何でもないこと”を毎日やっているのが、やはりすごい。
ホーネットは、横からじっとそのサンドウィッチを見ていた。
「……ねえ」
「なあに?」
「一口ほしい」
あまりにも堂々とした要求だった。
ミラが、少し離れた席から呆れ顔になる。
「ホーネット、いきなり何言ってるのよ」
「だって美味しそうなんだもん」
「だもん、じゃない」
「エリンの作るものって全部美味しそうじゃない!ちょっとぐらいよくない?」
エリンは、そのやり取りを見ながら、ふっと笑った。
「いいわよ」
そう言って、手元のサンドウィッチを一つ取り分ける。
「え、ほんと!?」
「いいって言ったでしょ、はい」
「やった!」
ホーネットは本気で嬉しそうに受け取った。
その様子を見て、シルヴィアが少し困ったように笑う。
「ホーネット、子どもみたい」
「うるさい!こういう時は素直に喜ぶの」
「それはそうだけど」
ホーネットが一口食べる。
そして、目を見開いた。
「……美味しい」
「でしょう?」
アズサが何故か胸を張る。
「なんでアズサが得意げなのよ」
ミドリが突っ込むと、また小さな笑いが広がる。
エリンは、そんな賑やかさの中でも、片手に資料を持ったまま昼を過ごしていた。
食べながらも、手元の資料へ軽く目を通している。
完全に休み切っているわけではない。
そのあたりも、やはりエリンらしい。
その姿を、クミコは少し離れた席から見ていた。
すごいな、と素直に思う。
毎日きちんとお弁当を作って。
誰よりも早く来て。
訓練の時は細かく見て。
仕事の話になるとぶれない。
それなのに、こうして昼の空気の中では、ちゃんと周りにも柔らかく接してくれる。
「エリンさんって、ほんと凄い……」
クミコが小さく呟きながら携帯をいじっていると、不意に、ピロン、と通知音が鳴った。
画面を見る。
メッセージの送り主は、カイエだった。
クミコは少しだけ首を傾げる。
昼休みにカイエから直接メッセージが来るのは、珍しい。
何か連絡事項だろうか、と思いながら開く。
そこに表示された文を見た瞬間だった。
――もうすぐエリンさんの誕生日なんだけど、私達のプレゼント、渡してほしいから、クミコに送っていい?
「ええー!!」
クミコは反射的に声を上げて立ち上がった。
フロア中の視線が、一斉に集まる。
「え?」
「どうしたの?」
「クミコ?」
アズサもハズキも、ホーネットまでびくっとする。
エリンも資料から目を上げた。
「どうしたの?」
その声は落ち着いている。
でも、まっすぐ見られると、クミコの方が動揺する。
「な、なんでもありません!」
クミコは慌てて座り直した。
携帯を胸元へ隠すみたいに握る。
「ほんとに?」
「ほ、本当です!」
「そう」
エリンは少しだけ首を傾げたが、それ以上は追及せず、また手元の資料へ視線を戻した。
そのことに、クミコは内心で心底助かったと思った。
(危なかった……!)
心臓がうるさい。
しかも、誕生日。
もうすぐ。
クミコは、そこでようやくカレンダーの記憶とエリンの誕生日が頭の中で結びついた。
そうだ。
もうすぐだ。
しかも、カイエ達もプレゼントを用意している。
それをわざわざクミコへ送っていいかと聞いてきたということは、向こうも何か考えているのだろう。
クミコは、エリンに気づかれないように、そっと端末を見下ろした。
返事を打ちたい。
でも今ここで不自然に携帯へ集中したら怪しまれる。
そう思っている間に、横からアズサが小声で耳打ちしてきた。
「ねえ、ほんとに何だったの?」
「えっ」
「今の絶対なんでもなくないでしょ」
「そ、そんなこと……」
「顔に出てるよ」
アズサが妙に鋭い。
ハズキまで少しだけ身を乗り出す。
「大丈夫?悪いことじゃないんでしょ?」
「悪いことじゃないけど……」
クミコが口ごもると、アズサの目がきらっと光った。
「なになに?もしかして恋!?」
「違う!」
クミコが即答したので、逆に周囲が少しだけ笑った。
エリンはそこへ一瞬だけ視線を向けたが、今度こそ本当に流した。
昼休憩が終わるまで、クミコはずっとそわそわしていた。
エリンの誕生日。
サプライズ。
プレゼント。
カイエ達からのメッセージ。
頭の中で、それらがぐるぐると回っていた。
◇
そして夜。
午後のシュミレーション、居残り練習が終わる頃には、フロアの空気は昼間のゆるさから一転して、疲労の色を帯びていた。
今日も基礎から応用までみっちりやった。
歩き方。
客室導線。
緊急時対応。
副パーサー候補組には一段重い役割も混ぜられていた。
エリンは最後まで気を抜かず、全体を見て、止めて、直して、また流した。
さすがに終わる頃には、クミコも肩の奥がじんわり重い。
「ふぁ……」
小さく欠伸を漏らしながら帰り支度をする。
今日は早く帰って、シャワー浴びて寝たい。
そう思いながら鞄を持ってフロアを出た。
ところが、外へ出た瞬間、入口近くの壁際に人影が並んでいるのが見えた。
「……え?」
マユ。
アズサ。
サリー。
ハズキ。
ミドリ。
五人が、なぜか揃って待っていた。
「……何してるの?」
クミコが聞く。
アズサが、隠す気もなく言った。
「待ってた」
「やっぱり」
マユが小さく息を吐く。
「昼のあれ、何かあったんでしょ」
ハズキも頷く。
「すごく気になってました」
ミドリは少しだけ遠慮がちだが、目だけはかなり気になっている顔だった。
「もし言いにくいことなら、無理には聞かないけど……」
サリーが静かに言う。
「でも、クミコのあの反応、見過ごせる感じではなかったです」
クミコは、五人の顔を順に見た。
隠しきれない。
たぶん、このまま何でもないで押し切る方が不自然だ。
それに――。
「……ここじゃなんだから」
クミコは周囲を見てから、小さく言った。
「少し、向こう行こう」
「やっぱりあるんじゃん!」
アズサがすぐ反応する。
「しーっ!」
クミコが慌てて口元へ指を立てる。
五人は、フロアから少し離れた休憩スペースの外側、ベンチのある静かな通路へ移動した。
この時間になると人通りも少ない。
そこで改めて向き合うと、クミコは深く息を吸った。
「……もうすぐ、エリンさんの誕生日なの」
一瞬、沈黙。
それから。
「えええっ!?」
アズサが最初に飛び上がった。
「ほんとに!?」
「ほんと」
「うそ、全然知らなかった!」
ハズキが目を丸くする。
「私も」
ミドリも驚いたように言う。
「知らなかった……」
マユは、手を胸元へ当てた。
「だから昼間、あんなに驚いたんだ」
サリーが静かに納得する。
「うん」
クミコが頷く。
「カイエさんからメッセージが来て、もうすぐエリンさんの誕生日なんだけど、私達のプレゼントを渡したいから、クミコに送っていい?って」
「カイエさん達も知ってるんだ」
マユが言う。
「向こうも準備してるってことだよね」
「うん、たぶん」
クミコは、そこで少しだけ拳を握る。
「だから、思ったの、せっかくだから、ちゃんとお祝いしたい」
「したい!」
アズサが即答する。
「絶対したい!」
「私も」
ハズキも珍しく勢いよく言った。
「エリンさん、いつも私達のためにあんなに動いてくれてるし……」
「うん」
ミドリも小さく頷く。
「盛大に、っていうと大げさかもしれないけど、ちゃんと喜んでもらえる形にしたい」
サリーが、少しだけ口元を緩める。
「サプライズ、ですね」
「それ!」
アズサがすぐに食いつく。
「サプライズで誕生日パーティーやろう!」
その言葉で、全員の目の色が変わった。
ただプレゼントを渡すだけじゃない。
ちゃんと場を作って、みんなで祝う。
エリンが「もう、貴方達……」って呆れながらも、でも嬉しそうに笑ってくれるような、そんな形。
「やろう」
マユが言う。
「絶対、やった方がいい」
「うん」
クミコが頷く。
「ミラさんとランさんにも相談したい!あと、シルヴィアさんとホーネットさん、ユウコさん、ナツキさんにも」
「いいね!」
アズサが手を叩く。
「大人組がいないと回らないし!」
「大人組って言い方……」
サリーが小さく呟く。
「でも、たしかにその四人には協力してほしいです」
「ミラさんとランさんは絶対乗ってくれそう」
ハズキが言う。
「シルヴィアさんも、エリンさんのこと本当に尊敬してますし」
「ホーネットさんは……」
ミドリが少しだけ言い淀む。
「絶対張り切る」
マユが断言した。
全員が想像して、少しだけ笑う。
「うん!たしかに」
クミコも頷く。
「でも、だからこそお願いしたい」
その夜、六人はその場で簡単な役割分担を決めた。
まず、クミコがカイエへ返信する。
プレゼントの件はもちろん受け取る。
それだけじゃなく、こちらでもサプライズパーティーを計画したいと相談する。
マユは、シルヴィアへ連絡。
ハヅキはミラへ。
アズサはランへ。
ミドリはホーネットへ。
サリーは全体の情報整理役を引き受けることになった。
「私、こういうの向いてると思うので」
サリーが淡々と言うと、アズサがすぐに食いつく。
「めっちゃ向いてる!サリー、進行表とか作れそう!」
「作れる」
「頼もしい……!」
クミコは、その瞬間、少しだけ胸が熱くなるのを感じた。
ただの思いつきじゃない。
皆、本気だ。
エリンに喜んでほしい。
ちゃんと祝ってあげたい。
そういう気持ちが、みんなの中で同じ方向を向いている。
◇
その日の夜から、秘密の準備は始まった。
まずはクミコがカイエへ返信する。
――もちろんです!
――それと、こっちでもエリンさんの誕生日サプライズをやりたいと思ってます。
返信は思ったより早かった。
――やっぱりそっちでも考えるよね。
――ありがとう、プレゼントとよろしく。
「よかった……!」
クミコは、ベッドの上で思わず声を漏らした。
そこから先は、一気に話が広がっていく。
マユからシルヴィアへ。
ハヅキからミラへ。
アズサからランへ。
ミドリからホーネットへ。
それぞれの返事も、少しずつ届く。
シルヴィアは、丁寧な文章で「もちろんです。ぜひご一緒させてください」と返してきた。
ミラは「やるに決まってるでしょ」と短いが力強い。
ランは「そういうことなら協力するわ。むしろ、ちゃんと成功させましょう」と頼もしい。
ホーネットに至っては、「当然! 私が一番派手に祝ってあげる!」という、いかにもホーネットらしい返事だった。
「ホーネットさん、絶対暴走しそう」
ミドリが、翌朝みんなにそれを見せながら言うと、全員が頷いた。
「それはそう」
「でも戦力にはなるよね」
「うん、勢いだけは誰よりある」
そして、秘密の打ち合わせが少しずつフロアの隅やメッセージの中で進んでいく。
◇
翌日からしばらく、スペースホープのフロアには不思議な緊張感が流れることになった。
表向きはいつも通り。
シュミレーションをして、報告書を書いて、便に乗って、戻る。
エリンは何も知らず、相変わらずきっちり仕事を回している。
だが、その裏で若手達は、エリンに気づかれないようこそこそと相談していた。
「ケーキ、どうする?」
「大きいのがいいよね」
「でもフロアで切るなら持ち運びも考えないと」
「プレート欲しい!」
「“エリンさん お誕生日おめでとうございます”でいいかな」
「堅い!」
「じゃあ、“大好きなエリンさんへ”?」
「それも重い!」
昼休みの自販機前。
休憩スペース。
帰り道のエレベーター待ち。
とにかく場所を選ばず相談は進む。
エリンは、そんな周囲の妙なそわそわを、何度か感じてはいたらしい。
「最近、何か隠してない?」
ある日の休憩中、ふいにそう聞かれて、クミコが危うくスープをこぼしそうになった。
「か、隠してないです!」
「そう?」
「そうです!」
隣でアズサまで不自然に大きく頷く。
「私達、隠し事とか出来ないタイプですし!」
「それはそうね」
エリンが素直に頷いたので、余計に冷や汗が出た。
ホーネットはホーネットで、秘密裏に装飾担当を買って出た。
「飾りつけなら任せて」
胸を張る。
「こういうのは映えが大事なんだから」
「“映え”でやらないで」
ミラがすぐに言う。
「エリンさん、過剰に派手なの苦手でしょ」
「分かってるわよ!でも、地味すぎても駄目でしょ」
「間は必要ですね」
シルヴィアが、冷静に中間案を出す。
「色味は抑えめで、でもちゃんと“誕生日”と分かる程度、それならエリンさんも嫌がらないと思います」
「流石シルヴィアさん!」
クミコが本気で感心する。
「じゃあシルヴィアさん、全体の雰囲気監修してください!」
「監修って……」
少し困ったように笑いながらも、断らないところがシルヴィアらしい。
ランは、全体進行と時間管理を引き受けた。
「サプライズは、タイミングが全部よ」
きっぱり言う。
「エリンさんは勘がいいから、少しでもズレるとすぐ気づく。やるなら、全員の動きを揃えないと」
「はい」
アズサが素直に返事をする。
「あと、誰がエリンさんを会場に連れてくるかも決めないと」
「それ、重要」
マユが言う。
「自然に呼べる人じゃないと怪しまれる」
そこへユウコがひょこっと混ざってくる。
「それなら私がやる?」
「怪しい」
ナツキが即答する。
「何でよ!」
「やる気が顔に出るから」
「出ないもん!」
「出る」
そんな口論まで、今はどこか明るい。
◇
準備の中心にいたクミコは、日を追うごとに、サプライズの規模が少しずつ大きくなっていくことを感じていた。
最初は、ちょっとしたケーキとプレゼント、みんなで「おめでとうございます」と言えたらいいな、くらいのつもりだった。
でも、いざ動き出すと、誰もが「どうせならもっと喜んでもらいたい」と思い始める。
ミラは、「エリンさんが好きそうなお茶も用意しよう」と言い出した。
ハヅキは、「写真を撮って、あとでアルバムみたいに出来たらいいですね」と言った。
ミドリは、「エリンさんが普段どれだけ凄いか、みんなで一言ずつメッセージを書きたい」と提案した。
サリーは、その全部を整理して、実際に実行可能な形へ落とし込んでいく。
「サリー、ほんと凄い……」
アズサがある晩の打ち合わせで呟いた。
「表作ってる……」
「必要でしょ」
サリーは静かに言う。
「誰が何をいつやるか決めないと、絶対に混乱するし」
「副パーサー向きだ……」
ホーネットがぽつりと言うと、皆が何となく頷いた。
その一方で、クミコは毎日少しずつ緊張していた。
絶対に成功させたい。
でも、エリンに気づかれたくない。
しかも、エリンは本当に勘が鋭い。
ある日も、資料室でホーネットと小声でケーキの話をしている時だった。
「チョコ系と生クリーム、どっちが――」
そこへ、背後から柔らかな声がした。
「何の話?」
「ひゃっ!?」
クミコとホーネットが、ほぼ同時に飛び上がる。
振り返ると、エリンが資料を片手に立っていた。
「え、えっと、その」
ホーネットが珍しく口ごもる。
エリンは、少しだけ首を傾げる。
「そんなに驚くこと?」
「い、いえ、全然」
クミコが慌てて答える。
「そう?じゃあいいけど」
エリンはそれ以上追及せず、探していた資料だけ取って出ていった。
扉が閉まったあと、クミコは本気でその場へへたり込みそうになった。
「心臓止まるかと思った……」
「私も……」
ホーネットが珍しく青い顔をしていた。
こういうギリギリのやり取りも含めて、準備期間はずっと賑やかだった。
◇
そうして迎えた、誕生日の前々日。
プレゼントも揃い始めていた。
カイエ、エマ、ククルからの品は、クミコがまとめて受け取った。
向こうは向こうで、エリンへ贈りたいものをかなり真剣に選んでくれていた。
「ねえ、これ重くないかな?」
クミコが、届いた包みをそっと撫でながら言う。
マユが首を振る。
「大丈夫だと思う、それに、“ちゃんと選んだ”って分かる感じの方が嬉しいんじゃないかな」
アズサは、自分達の寄せ書き用カードを見て目を輝かせていた。
「これ絶対喜びますよね!?」
「喜ぶと思う」
ハヅキが頷く。
「だって、みんなちゃんと書いてくれてるし」
ミドリは、自分の書いたメッセージを見返して少し照れた。
「なんか、改めて文章にすると恥ずかしいですね……」
「でも、そういうの大事よ」
シルヴィアがやさしく言う。
「言葉にしないと伝わらないこともありますから」
その言い方が、どこかエリンに似ていて、皆は少しだけ嬉しくなった。
◇
誕生日当日が近づくにつれて、フロアの空気には、目に見えないわくわくが積もっていった。
誰かがエリンのスケジュールを確認し、誰かがケーキの受け取り時間を調整し、誰かが「ここに装飾を置いたら怪しまれるかな」と頭を悩ませる。
ユウコとナツキまで、途中から完全に協力体制へ入っていた。
「で、結局私達は何をやればいいの?」
ユウコが腕を組んで聞くと、ランが即答する。
「余計なこと言わないこと」
「ひどっ!」
「一番大事」
ナツキが頷く。
「それはそう」
「ナツキまで!」
でも、その“余計なことを言わない”というのが、ユウコにとって一番難しい任務だったかもしれない。
それでも、誰もが同じ気持ちだった。
エリンに、ちゃんと笑ってほしい。
いつも自分達のために走って、見て、叱って、引っ張ってくれる人へ、今日は全部返したい。
少しでも多く、驚いてほしい。
少しでも多く、嬉しいって思ってほしい。
クミコは、準備の最後に、みんなの顔を見渡して思った。
この人達となら、大丈夫。
絶対、成功する。
エリンさんにとって、忘れられない誕生日にしよう。
そうして、スペースホープの若い乗務員達による、盛大で、でも誰より優しいサプライズ計画は、静かに、しかし確実に出来上がっていった。
ーーーー
翌朝。
スペースホープの宇宙事業部フロアには、いつものように朝礼のために乗務員達が集まっていた。
まだ眠気の残る者。
今日のシミュレーション内容を予想して少し肩を固くしている者。
配布資料へ目を落としている者。
それぞれの朝がある中で、前へ立つエリンだけはいつも通りだった。
背筋は真っ直ぐで、声の高さも安定している。
昨日までと何も変わらない。
だからこそ、その口から出た一言は、皆の心臓をまとめて跳ね上がらせるのに十分だった。
「それと、今日から三日間、このフロアの清掃が入るから、使用できなくなるの」
一瞬、誰も反応できなかった。
エリンは続ける。
「だから、しばらくの間、私物や業務用の荷物はロッカー室へ置くようにね」
「端末や必要書類はその都度持ち出して。机の上は今日中に空にしておいて」
そこでようやく、フロアの空気が揺れた。
「えっ!?」
「うそっ」
「えええ!?」
「三日間!?」
驚きの声が、思った以上に大きく上がる。
それもそのはずだった。
エリンの誕生日サプライズは、このフロアでやる予定だったのだ。
この机を少し寄せて。
壁側へ飾り付けをして。
ケーキはこの中央の長机へ置いて。
プレゼントはミラ達が持ち込んだ紙袋へまとめて。
電気を落として、エリンが入ってきた瞬間に――。
そこまで思い描いていたものが、朝一番で全部吹き飛んだ。
クミコは顔から血の気が引くのを感じた。
アズサはわかりやすく口を半開きにしている。
ハズキは「え……」と小さく固まった。
ミドリは持っていた資料を落としそうになり、マユはぎゅっとペンを握りしめる。
サリーだけは表情を大きく変えなかったが、目の奥がわずかに揺れた。
ホーネットは、冗談じゃないでしょ、という顔をしていた。
ミラとランも、さすがに予想外だったのか目を見合わせている。
エリンは、そんな一同の反応へ少しだけ首を傾げた。
「なんでそんなに驚くの?」
声は穏やかだ。
だが、当然の疑問を当然のまま口にしているだけに、余計に鋭い。
「そんなに困らないでしょう?」
乗務員達は、一斉に苦笑いを浮かべた。
「い、いえ」
「その……」
「ちょっと急だったので」
「びっくりしまして……」
誰もまともに言葉を繋げられない。
エリンは、その反応を見てほんの少しだけ怪しそうな表情を浮かべた。
――何かある。
そう思ってもおかしくない空気だった。
けれど、ほんの数秒だけ彼女は皆を見て、結局小さく息をついただけだった。
「……まあ、いいか」
その言い方に、数名が内心で胸を撫で下ろす。
だが、次の瞬間にはエリンはもう仕事の顔へ戻っていた。
「じゃあ、シミュレーションやるわよ」
「は、はい!」
返事はやけに揃っていた。
◇
その日のシミュレーションは、いつも以上に妙な集中力があった。
皆、頭のどこかでサプライズの会場問題を抱えている。
だが、だからといってエリンの前で手を抜くわけにもいかない。
むしろ、妙なところで乱れたら余計に怪しまれる。
「アズサ、笑顔だけ先に出ない」
「はい!」
「クミコ、立ち位置一歩右」
「はい!」
「ホーネット、今のは見えていても口に出すのが遅い」
「……はい」
「ミドリ、拾えてるなら先に共有」
「はい」
「サリー、判断はいい。でも前へ出る」
「……はい」
いつものように、エリンは一人ずつを見て、止めて、直して、流していく。
その姿は、当然ながら何も変わらない。
けれど、指導を受ける側の内心は、まるでいつも通りではなかった。
(どうしよう)
(会場どうするの)
(ケーキもう頼んであるし)
(飾りは!?)
(え、待って、三日間ってことは誕生日当日もこのフロア使えないじゃん)
そんな声が、頭の中でぐるぐるしている。
それでも、エリンの前では何とか平静を装う。
その無駄な努力のせいか、いつもより余計に疲れた気さえした。
◇
昼休みになると、その異変は一気に表へ出た。
普段なら、フロアにはコンビニ袋や出前の容器を持った乗務員達が自然と散らばる。
机で食べる者。
休憩スペースで固まる者。
誰かの弁当を覗き込んで騒ぐ者。
けれど今日は違った。
昼休憩の時間になった途端、乗務員達がまるで何かから逃げるみたいにフロアから消えたのだ。
ぱたぱたぱた、と。
あまりにも露骨な速度で。
エリンは、自席で今日もお手製のサンドウィッチを取り出しながら、その異様な流れを見ていた。
「……」
数分後。
いつもなら何人かは必ず残っているフロアに、ほとんど人がいなくなった。
残っているのは、エリンと、たまたま昼休みのタイミングが重なった若いパイロット二人だけ。
しかもそのパイロット達も、何となく居心地悪そうにしている。
静かすぎる。
エリンは、資料を片手にしたまま、近くの若いパイロットへ視線を向けた。
「ねぇ、何かあったの?」
「え?」
突然話を振られたパイロットが、目を瞬く。
「いえ、俺は……分かりません」
もう一人も、慌てて頷いた。
「僕も何も……」
その答えに、エリンは少しだけ首を傾げた。
あまりにも不自然だ。
でも、今のところシミュレーションや仕事へ手を抜いているわけではない。
奇妙ではあるけれど、何か決定的に困ることが起きているわけでもない。
「……まあ、いいか」
エリンは、また資料へ目を戻した。
今は定期報告の前だ。
考えるべきことは他にもある。
そう思って一度棚上げしたのだが、その“まあいいか”の裏で、乗務員達は別の場所で本気で頭を抱えていた。
◇
クミコ達は、フロアから少し離れたロビーの小テーブルを囲んでいた。
ロビーは昼時のわりに人の流れが少なく、少し奥へ入れば目立ちにくい。
そこへ、スペースホープ組がずらりと集まっている。
クミコ。
マユ。
アズサ。
サリー。
ハズキ。
ミドリ。
ミラ。
ラン。
ホーネット。
シルヴィア。
それにユウコとナツキまで合流していた。
皆、昼食の袋や飲み物は持っている。
けれど、食べることより先に会議だ。
「会場、どうしましょうか……」
クミコが、ほとんど泣きそうな顔で言った。
「今さら別会場なんて……」
「困ったわね」
ミラが腕を組む。
「かなり困った」
ランも珍しく即答する。
「フロアでやる前提で、飾り付けも動線も考えてたもの」
「ケーキも届く先、会社にしちゃってるし……」
ハズキが不安そうに言う。
「受け取り自体は出来ますけど、そのあとどこへ持っていくか……」
「今から大人数入る会場を手配するのは、さすがに厳しいですよね」
マユが呟く。
「しかも、ただ入れればいいって話じゃなくて、サプライズだから、エリンさんに先に気づかれないようにしないといけないし」
「飾り付けもあるし」
ミドリが指を折るように数え始める。
「プレゼントを置く場所もいるし、写真撮るなら背景も欲しいし……」
「困ったなぁ……」
ホーネットが、珍しく本気で頭を抱えていた。
「この直前で場所なくなるとか聞いてないんだけど!?」
「誰も聞いてないわよ」
シルヴィアが静かに返す。
「でも、慌てても部屋は生えない」
「分かってるわよ!」
ホーネットはそう言いながらも、机に頬杖をついた。
どうしよう。
本当にどうしよう。
皆がそう思って黙りかけた、その時だった。
「どうしたんだ?」
低く、よく通る男の声がした。
一斉に顔を上げる。
そこに立っていたのは、リュウジだった。
いつものように余計な愛想はない。
だが、その分だけ存在感がある。
片手には紙袋を提げている。
「どうしてここに?」
ミラが、思わず目を丸くした。
「久しぶりですね」
ランも言う。
リュウジは、紙袋を少しだけ持ち上げた。
「ここのパイロットがB級に上がったからな、祝いを持ってきた」
「へぇ〜」
ホーネットがすぐに口元をにやつかせる。
「案外マメだね。ね、シルヴィア」
隣へ振る。
だが返事がない。
「シルヴィア?」
見ると、シルヴィアはリュウジを見つめたまま、完全に尊敬と見惚れの混ざった目になっていた。
口元が少しだけ開いている。
「あー」
ホーネットが、すぐに理解した顔になる。
「ははーん」
「な、何よ!」
シルヴィアが慌てて姿勢を正す。
「別にー?」
ホーネットが、わざとらしくにやにやする。
リュウジは、そのやり取りにはほとんど関心を示さず、もう一度聞いた。
「それで、何してる?」
クミコが、少しだけ躊躇してから事情を説明した。
もうすぐエリンの誕生日であること。
みんなでサプライズパーティーを計画していたこと。
その会場をフロアへするつもりだったこと。
なのに、朝礼でいきなり三日間の清掃が入ると言われ、当日フロアが使えなくなったこと。
リュウジは、途中で一度も口を挟まなかった。
黙って全部を聞き終えると、少しだけ目を細めた。
「……そういえば、そんな時期か」
「え?」
アズサが聞き返す。
「エリンさんの誕生日、覚えてたんですか?」
「覚えてたっていうか」
リュウジは少しだけ視線を逸らす。
「前にも何度か……あったからな」
何度か、という言い方に含みがある。
「ただエリンさんに気づかれてないといいんですけど……」
ランが少しだけ不安そうに言うと、リュウジはすぐに返した。
「たぶん大丈夫だ。エリンさんは自分の誕生日を忘れてるだろ。過去もそうだったろ」
視線が、ミラへ向く。
ミラが苦笑いを浮かべた。
「そういえばそうでしたね。私達が周りで騒いでたのに、“何の日?”って顔してました」
「でも」
ミラはそこで少しだけ意地悪く続ける。
「リュウジさんも、自分の誕生日忘れてましたよね」
一瞬、周囲が静かになる。
次の瞬間、ユウコがにやにやしながら言った。
「似た者同士ですね」
リュウジは小さく咳払いをした。
「俺のことはいい」
「いや、良くないけど」
ホーネットが面白がる。
だが、リュウジはそのまま話を戻した。
「分かった。会場は、火星の管制棟にある会議室を使え」
一同が、きょとんとする。
「……え?」
ハズキが一番先に反応した。
「使えるんですか?」
「ああ」
リュウジが言う。
「火星のアレクセイ局長には話をしてやる。俺から言えば、たぶん空けてくれる」
「本当ですか!?」
ハズキの声が明るく跳ねる。
「本当だ」
リュウジは相変わらず簡潔だ。
だが、その一言で場の空気が一変した。
「やった!」
「会場が出来た!」
「助かったぁ……!」
アズサとクミコが、思わず顔を見合わせる。
マユも明らかにほっとしている。
サリーが静かに「それなら、かなり現実的です」と呟き、ミドリは「火星の管制棟……映えそう……」と別方向で目を輝かせていた。
「それより問題は」
リュウジが冷静に言う。
「どうやってエリンさんをそこに連れ出すかだ」
一気に現実が戻る。
「そこが一番難しいだろ」
「うーん……」
皆が一斉に考え込む。
火星の管制棟。
会場は確保出来る。
ケーキも飾りも運び込める。
問題は、主役をどうやって自然にそこへ連れていくかだ。
「リュウジさんが連れ出す、ではダメなんですか?」
ミドリが、少しだけ遠慮がちに聞く。
その提案に、一同の視線が一斉にリュウジへ集まった。
「俺でもいいが」
リュウジは、少しだけ考えてから言う。
「詰められたら、誤魔化せる自信はない」
一拍置いて、ナツキが苦笑する。
「リュウジさんらしいですね」
「そういうの、下手そうですもんね」
ユウコも頷く。
「下手だな」
リュウジ自身があっさり認める。
「嘘はつけるが、エリン相手に自然には無理だ」
その言い方が妙に真顔で、皆はかえって納得した。
「じゃあ、やっぱり違う人がいいか……」
クミコが呟く。
「エリンさんが変に警戒しない人で、なおかつ、自然に呼べる人で理由があっても怪しくなくて……」
「むしろ、それ私達の中にいる?」
ホーネットが言う。
「普通に怪しまれる気しかしないんだけど」
「ホーネットは、まず最初から怪しい」
シルヴィアが即答する。
「なんで!?」
「顔に全部出るからです」
「それはホーネットさんに限らず」
サリーが小さく言う。
「ユウコさんも危ないです」
「私も!?」
「一番危ないかも」
ナツキが容赦なく刺す。
「なによ!」
また小競り合いが始まりそうになるのを、ミラが片手を上げて止めた。
「静かに、ここで揉めてる場合じゃないでしょ」
リュウジは、その様子を見ながら少しだけ肩をすくめた。
「まあ、上手くやれ」
そう言って立ち去ろうとする。
そこで、サリーが静かに声をかけた。
「リュウジさん」
「なんだ」
「誕生日パーティー、来てください」
リュウジが、ほんの少しだけ足を止める。
「……俺も?」
「はい」
サリーは、いつも通り静かな顔で言った。
「リュウジさんが来れば、エリンさんも喜びますから」
その言葉に、周囲が一斉に頷く。
「それはそう!」
「絶対喜ぶ!」
「来てほしいです!」
ホーネットが、にやっと笑いながら言った。
「なんなら、自分にリボンでもつけてくれば?“俺がプレゼントです”って言ってよ」
次の瞬間。
「すみません」
シルヴィアが、笑顔のままホーネットの鳩尾へ肘を入れた。
「ぐっ……!?」
ホーネットが前屈みになる。
「バカ言わないの!」
シルヴィアの声は丁寧なのに、内容が全然丁寧ではない。
「……ほどほどにな」
リュウジはそれだけ言って、今度こそその場を離れていった。
けれど、会場の問題を一気に解決してくれたのだから、その背中は今の皆には救世主にしか見えない。
「……で」
ミラが、もう一度場を仕切り直すように言った。
「結局、誰がエリンさんを連れ出すの?」
そこから再び会議が始まった。
◇
候補は何人か出た。
クミコ。
マユ。
ミラ。
シルヴィア。
ユウコ。
ナツキ。
ホーネットは論外として、アズサも絶対に顔へ出るので難しい。
「クミコは?」
アズサが言う。
「自然に呼べそうじゃない?」
クミコはすぐに首を振った。
「無理だよ!緊張したら絶対、声が変になるし」
「たしかに」
ミドリが妙に納得する。
「マユは?」
「私も、嘘つくの向いてないと思う……」
マユが困ったように笑う。
「ミラさんは?」
「私?出来なくはないけど、エリンさん、逆に警戒するかも。“ミラがこんな時間に呼びに来るって何?”ってなるでしょ」
「それもそうですね」
サリーが頷く。
「シルヴィアさんは?」
「私も、今の関係性だと少し不自然です。まだ“ちょっと相談があって”で呼び出せる距離ではないかと」
「うーん」
皆が唸る。
「ユウコさんは」
「だから私を見ないで!」
ユウコが先に抗議する。
「分かってるわよ!私が行ったら、絶対“何か企んでる?”って言われるでしょ!」
「言われると思う」
ナツキが即答する。
「なによ!」
「事実だし」
「じゃあナツキは!?」
「私も、今の状況で急に呼びに行ったら普通に怪しい」
ナツキもきっぱり言った。
「ホーネットさんは、もう候補から外していいと思います」
サリーが真顔で告げると、ホーネットは心外そうに胸を押さえた。
「なんでよ!」
「浮かれた顔で行くからです」
「まだ行くとも言ってないじゃない!」
「言わなくても分かります」
「ひどい!」
結論が出ないまま、時間だけが過ぎていく。
だがその時、ランが静かに口を開いた。
「……私が行く」
一同の視線が向く。
「ランさん?」
クミコが聞き返す。
「うん」
ランは落ち着いた顔のまま頷いた。
「私なら、仕事の相談でも、運航の確認でも、教育便の話でも、それなりに自然に呼べる。それに、エリンさんは今、私とミラにはある程度気を許してる。怪しまれる可能性がゼロとは言わないけど、他の子達よりは低いと思う」
ミラが、その横顔を見てから言った。
「……たしかに、今の中なら、一番自然かも」
「そうですね」
シルヴィアも頷く。
「ランさんなら、理由も作りやすいですし」
「私も賛成」
サリーが言う。
「冷静に連れ出せる人じゃないと厳しいです」
ホーネットも、少しだけ悔しそうな顔をしつつ頷いた。
「……まあ、そこは認める」
「よし」
クミコが、ようやく少しだけ笑顔を取り戻す。
「じゃあ、ランさんにお願いします!」
「分かった」
ランはきっぱり答えた。
「やるなら、ちゃんと自然にやる。ただし、当日は周りも絶対にボロを出さないで」
「はい!」
皆の返事が揃う。
そうして、最終的に――。
エリンを会場へ連れ出す役は、ランが担う。
それが、全会一致で決まった。
◇
会場問題は解決した。
連れ出し役も決まった。
まだ準備すべきことは山ほどある。
ケーキの搬入。
飾り付け。
時間合わせ。
エリンを怪しませないための昼間の立ち回り。
そして、当日の最後の一押し。
でも、一番大きな壁は越えた。
「よし……!」
クミコが、小さく拳を握る。
「絶対、成功させよう」
「うん!」
アズサが元気よく頷く。
「今度こそ、絶対!」
「盛大に祝ってあげましょう」
ミラが静かに言う。
「エリンさん、きっと驚くわよ」
「驚かせましょう」
マユがやわらかく微笑む。
「それで、ちゃんと喜んでもらいたいです」
「うん」
ハズキも頷いた。
「いつも頑張ってるぶん、その日は思いきり祝ってあげたい」
「そのためにも、ここからは本当に秘密厳守ですね」
サリーの言葉に、全員が真剣な顔で頷く。
ホーネットは、そこでふっと笑った。
「なんか、楽しくなってきた」
「今さら?」
シルヴィアが言う。
「今さらよ、こういうの、やっぱり好きなんだもの」
「知ってる」
その答えに、また笑いが起きる。
ロビーの小さなテーブルを囲んだその輪は、さっきまでの焦りが嘘みたいに、今は一つの方向へ向いていた。
エリンに、最高の誕生日を。
盛大に。
でも、エリンらしい形で。
ちゃんと心から笑ってもらえるように。
その気持ちだけを共通の火種にして、皆はまた動き出す。
リュウジが開いてくれた道。
ランが引き受けてくれた最後の役目。
それを無駄にしないためにも、もう失敗は許されない。
けれど不思議と、誰も弱気ではなかった。
今度こそいける。
そう思えたのは、たぶん全員が同じくらい本気だったからだ。
こうして、エリンの誕生日サプライズは、新たな会場と、新たな作戦を得て、さらに大きな熱を持って進み始めたのだった。
ーーーー
その日も、エリンはいつもと変わらない朝を迎えていた。
目を覚まして、顔を洗い、髪を整え、朝食を軽く口にする。
そのあと、手際よくお弁当を作り、仕事の予定を頭の中で確認して、何一つ迷うことなく出勤する。
今日が何の日か。
そんなことを、考える暇はほとんどなかった。
いや、正確には――完全に忘れていた。
今のエリンにとって大事なのは、今日のシミュレーションの内容と、便の流れと、各乗務員の状態と、昨日までの報告書の抜け漏れだ。
自分の誕生日、なんてものは、忙しさの中へきれいに埋もれていた。
だからこそ、フロアに流れる妙なそわそわも、最近ずっと続いていた小さな違和感も、エリンの中では「何かあるのかしら」程度で止まっていた。
まさかそれが、自分のためだとは、本当に思っていなかったのである。
◇
就業時間が終わる頃には、フロアはいつも以上に妙な落ち着かなさに包まれていた。
端末を閉じる音が少し早い。
帰り支度が少し慌ただしい。
でも、皆それを隠そうとしているから、逆に不自然だ。
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様です!」
「失礼します!」
そんな声が飛び交う中で、エリンはロッカー室で着替えていた。
今日も一日よく動いた。
明日もまた朝からある。
だから早めに帰って、食事をして、少しでも早く眠るつもりだった。
ロッカー室で上着を脱ぎ、制服を整え、私服へ着替えていると、控えめな足音が近づいてくる。
「エリンさん」
振り返る。
ランだった。
普段通り落ち着いて見える。
けれど、よく見れば少しだけ呼吸が浅い。
ランは緊張すると、表情より先に声の芯が細くなる。エリンはそれを知っていた。
「なあに?」
エリンが尋ねると、ランは一度だけ息を整えてから言った。
「少し、仕事のことで相談があります。今夜、少しだけ付き合ってもらえませんか」
エリンは、それを聞いてほんの少しだけ目を細めた。
なるほど。
今日は貴方が来たのね。
そんなことを、心のどこかで思う。
でも表には出さず、軽く頷いた。
「いいわよ」
「ありがとうございます」
ランの肩が、わずかに軽くなる。
やっぱり何かある。
けれど、それを今はまだ言わないつもりなのだろう。
エリンはロッカーを閉めた。
「それで、どこへ行くの?」
「火星の管制棟の方です」
「相談にしては、少し遠いわね」
「……そうかもしれません」
その答えが、もうすでに少し怪しい。
エリンは、心の中でふっと笑った。
◇
火星の管制棟へ続く道は、夜になるとどこか静かだった。
人工照明が落ち着いた色で足元を照らし、空気は乾いているのに、頬へ触れる風はやわらかい。
仕事終わりの身体には、それが少し心地よかった。
ランは隣を歩いている。
だが、珍しく口数が少ない。
何度か端末を見ようとして、見ない。
言葉を選ぶように沈黙する。
その様子が、あまりにも分かりやすかった。
「それで」
エリンが先に口を開く。
「何を企んでるの?」
ランの足が、ほんの少しだけ止まりかけた。
「え?」
「何のことですか?」
返しが一拍遅い。
しかも少しだけ高い。
エリンは、口元を緩める。
「私が気づいてないと思った?」
「……」
「皆んなで何か企んでるんでしょ?」
「そ、そんなことないですよ」
その“そ”のつき方で、もう十分だった。
エリンは、少しだけわざとらしく前を向く。
「ふーん。私、帰ろうかな」
「エリンさん!?」
ランの声がはっきり高くなる。
エリンはそこで、ふふっと笑った。
「ほら、いつもは冷静だけど、動揺した時は声が高くなるのがランの癖ね」
「うぅ……」
ランが完全に言葉へ詰まる。
「それで?」
エリンが横目で見る。
「何を企んでるの?」
ランはしばらく前を見たまま歩いていた。
やがて、観念したように小さく息を吐く。
「……言えないですけど、着いてきてください」
その言葉には、隠し事の後ろめたさよりも、「ここまで来たら、どうしても見せたい」という気持ちの方が強かった。
エリンは、それを感じ取っていた。
「……まあ、いいわ」
「え?」
「よく分からないけど、付き合ってあげる」
そう言って、少しだけ歩幅を合わせる。
ランはほっとしたように頷いた。
「ありがとうございます」
こんなにそわそわしているランを見るのは珍しい。
それだけで、今日の夜に付き合う価値はある気がした。
◇
火星の管制棟へ続く道は、少しずつ人気が減っていく。
建物の外壁に沿って、整備された照明が足元を照らす。
夜風がゆるやかに吹いていて、昼間の仕事の熱を少しだけさらっていくようだった。
ランは途中で二度ほど端末を確認した。
そのたびに、エリンは何も言わず、ただ横で歩く。
たぶん、会場側からの連絡だろう。
準備がどこまで進んでいるか、今どこにいるか、そういう確認だ。
「そんなに見なくても、逃げないわよ」
エリンが言うと、ランがぎくりと肩を揺らした。
「べ、別に監視してるわけじゃ」
「してるのね」
「……」
「ふふっ」
ランはもう否定しきれない顔で、でも少しだけ困ったように笑った。
そうして歩くうちに、管制棟へ近づいていく。
普段なら、エリンがここへ来るのは仕事の時だ。
報告、確認、あるいは便の相談。
だからこそ、夜のこの時間に私服で歩いているのは、どこか不思議な気分だった。
やがて、ランが足を止める。
「ここです」
示した先は、火星の管制棟の中でも、通常の来客動線とは少し外れた会議室側の入口だった。
エリンは、そこを見て、ほんの少しだけ眉を上げる。
「仕事の相談にしては、ずいぶん大袈裟ね」
「……そうですね」
ランが素直に言う。
「でも、最後まで付き合ってください」
「ええ」
エリンは静かに頷いた。
ランが扉の前へ立つ。
そこで一度だけ、深く息を吸う。
その背中を見て、エリンは確信した。
もう答えはほとんど出ている。
それでも、扉の向こう側にあるものを、自分はまだちゃんと知らない。
「準備、いいですか?」
ランが聞く。
「私に聞くの?」
「一応」
「なら、いいわよ」
エリンが答えた、その瞬間だった。
ランが扉を開ける。
次の瞬間、暗かった会議室の中で、一斉に灯りがついた。
「エリンさん!」
「お誕生日!」
「おめでとうございます!!」
声が重なった。
拍手。
歓声。
笑い声。
それらが一気に押し寄せる。
会議室の中には、スペースホープの乗務員達がずらりと並んでいた。
クミコ。
マユ。
アズサ。
ミドリ。
ハヅキ。
サリー。
ミラ。
ラン。
シルヴィア。
ホーネット。
ユウコ。
ナツキ。
皆がそこにいた。
エリンは、扉の前でぴたりと止まった。
「……え」
自分でも、驚くほど素直な声が出る。
お誕生日。
その言葉が、少し遅れて胸へ落ちてくる。
――ああ、そうだ。今日。
その瞬間、ようやく思い出した。
今日が、自分の誕生日だったということを。
忘れていた。
本当に、完全に。
だからこそ、目の前の光景は、予想よりずっと深く心へ入ってきた。
「……私……」
声が続かない。
クミコが、少し緊張した顔のまま前へ出る。
「その……エリンさん、お誕生日、おめでとうございます」
マユも、隣でやわらかく微笑む。
「皆で準備しました」
アズサがもう我慢出来ないように身を乗り出す。
「びっくりしました!?しましたよね!?」
エリンは、ようやく少しだけ笑った。
でも、その笑顔はいつものものよりずっと頼りない。
嬉しさと驚きと、少しの戸惑いが全部混ざっていた。
「……びっくりしたわ」
「やった!」
アズサが飛び跳ねそうになる。
ホーネットは胸を張っている。
シルヴィアは、そんなホーネットの袖をそっと引いて少し下がらせた。
「……もう」
エリンは、会議室の中へ一歩入る。
飾り付けは派手すぎない。
でも手抜きでもない。
自分が苦手な“やりすぎたきらきら”ではなく、あたたかい色味で整えてある。
たぶん、かなり相談したのだろう。
ケーキも、自分が好みそうな甘さ控えめのものを選んだのだと分かる。
プレートの字も、どこか少し不揃いで、そのぶんだけ気持ちが入っていた。
エリンは、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。
「……ありがとう」
小さく言う。
すると、また大きな歓声が上がった。
「うわああ」
「言ってもらえた!」
「よかったぁ!」
クミコなんて、もう半分泣きそうな顔をしている。
マユも目元がやわらかい。
ハヅキは本気でほっとしているし、ミドリはもう写真を撮る手が止まらない。
「待って、今の顔すごくいいです!」
ミドリが端末を構えたまま言う。
「いきなり撮るの?」
エリンが笑う。
「だって今の、すごく嬉しそうでした!」
そう言われて、エリンは少しだけ目を伏せた。
嬉しい。
間違いなく、嬉しい。
でも、嬉しいだけじゃない。
自分が忘れていた日に、こうして皆が覚えていてくれて。
それどころか、こんなふうに時間をかけて、考えて、集まってくれたことが――胸に沁みる。
それが、思っていた以上に重たく、あたたかく、嬉しかった。
◇
「はい、まずはこっちへ!」
ユウコが早くも仕切り始める。
「ケーキの前です!」
「ユウコ、急かさないで」
ナツキが小突く。
「エリンさん、まだ頭が追いついてないでしょ」
「たしかに」
エリンが少し苦笑する。
「まだ半分くらい、何が起きてるのか整理できてないかも」
「そりゃそうですよ!」
アズサが元気に言う。
「だってエリンさん、自分の誕生日、忘れてたんですから!」
「そこまで分かりやすかった?」
「分かりやすかったです」
ミラが淡々と言う。
「完全に忘れてる顔してました」
「そう……」
エリンは、本気で少しだけ恥ずかしくなった。
「ケーキ、選んだの私達なんです」
クミコが言う。
「マユと一緒に」
「エリンさんが好きそうなものを考えて」
マユが続ける。
「重すぎなくて、でもちゃんと特別感があるものをと思って」
エリンはケーキを見つめた。
白いクリーム。
綺麗な果物。
やわらかな色合い。
いかにも、この子達が一生懸命考えてくれたのだと分かる。
「……すごく、好きそうな感じね」
「ほんとですか!?」
クミコの声が弾む。
「ほんとよ、ありがとう」
その一言で、クミコとマユの顔がぱっと明るくなる。
「エリンさん、真ん中です」
サリーが静かに促す。
「今日は主役なんですから」
「そうですよ」
シルヴィアも微笑む。
「裏から全体を見る側じゃなくて、今日は前に立ってください」
その言い方が優しくて、エリンは少しだけ息を吐いた。
「……分かったわよ」
皆に促されてケーキの前に立つ。
その瞬間、会議室の中で一斉に歌が始まった。
少し音程の危うい「ハッピーバースデー」。
でも、それがいい。
ユウコの声は大きい。
アズサも負けじと張る。
ホーネットはなぜか途中で変なハモり方をしようとして、シルヴィアに睨まれている。
ハヅキとミドリは真面目に歌っていて、マユは少しだけ照れながら口ずさんでいた。
ミラとランは控えめだが、ちゃんと歌っている。
ナツキは呆れた顔をしながらも、最後まで声を止めなかった。
その全部を見ているだけで、エリンは泣きそうになるのを感じた。
どうしてこんなに、まっすぐなのだろう。
どうしてこんなに、一生懸命なのだろう。
自分のために。
そう思った瞬間、胸の奥がじわっと熱くなる。
「願いごとしてください!」
ミドリが言う。
「願いごと?」
「ローソク吹く前のやつです!」
「そんなの……」
エリンは少しだけ困った顔で笑った。
「久しぶりすぎて、何を願えばいいのか分からないわ」
「今思いついたのでいいです!」
ククルは来ていないのに、なぜかアズサがそのテンションを引き継いでいた。
「急ね」
「急なのも誕生日っぽいです!」
そう言われて、エリンはしばらく皆の顔を見た。
ここにいる子達。
この場所。
この空気。
今、自分の前にあるものが、あまりにもあたたかくて。
「……じゃあ」
小さく息を吸う。
「皆んなが、今よりちゃんと前へ進めますように」
その願いは、きっとエリンらしすぎるくらいエリンらしかった。
一瞬、会議室が静かになる。
「エリンさん……」
ハヅキが小さく呟く。
「そこは自分のこと願ってくださいよ」
ユウコが言う。
「誕生日なんだから!」
「自分のことも、皆んなのことも、結局同じようなものでしょ」
エリンが答える。
そのあとで、ふっと笑って火を吹き消した。
歓声が上がる。
拍手が重なる。
その音が、まっすぐ胸へ届いた。
◇
ケーキを切り分ける時も、当然ながら大騒ぎだった。
「私やります!」
ホーネットが勢いよく前へ出る。
「待って」
ミラが即座に止める。
「ホーネットに任せたら絶対に崩れる」
「崩れないわよ!たぶん!」
「たぶんって言った時点で終わり」
ランが容赦なく切る。
「じゃあ私は何するのよ!」
「皿並べて」
シルヴィアが穏やかに言う。
「それなら被害が少ないので」
「被害って何よ!」
でも結局、ホーネットは皿並べ係に落ち着いた。
エリンは、そんなやり取りまで全部おかしくて、笑ってしまう。
配られたケーキは、誰の皿も少しずつ違う。
でもそれでいい。
手作りじゃないのに、妙に手作りの会みたいなあたたかさがある。
エリンのところへ、クミコがそっと皿を持ってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
「お口に合うといいんですけど……」
「まだ食べてないでしょう」
「そうなんですけど!」
エリンは小さく笑って、一口食べた。
「……美味しい」
その一言で、皆が本気でほっとする。
「よかったぁ……!」
アズサが胸を押さえる。
「なんか私まで緊張してた」
「アズサが緊張するの?」
ナツキが呆れる。
「しますよ!」
そんな他愛ない会話が、今日は全部やわらかい。
◇
そして、プレゼントの時間になった。
「まずは、私達からです」
クミコが代表して、小さな箱を差し出す。
包み紙も、リボンも、派手すぎないが丁寧だ。
いかにも何度も相談して選んだのだろうと分かる。
「開けていいの?」
「もちろんです!」
エリンがリボンをほどき、箱を開ける。
中には、上品な色合いの手帳カバーが入っていた。
薄いグレー寄りの青で、仕事でも私用でも使いやすい落ち着いた色だ。
「……綺麗」
エリンが思わず呟く。
「私マユで選びました」
「エリンさん、いつも手帳使ってるので」
「ありがとう?すごくいいわ、これ」
その一言で、クミコは本気で泣きそうになり、マユも思わず顔を覆いそうになる。
「次、私達です!」
アズサ、ハヅキ、ミドリ、サリーの四人からは、紅茶のセット。
「ちゃんと休んでください、って意味も込めてます」
サリーが静かに言う。
「休める時に、少しでも」
ハヅキが続ける。
「絶対ちゃんと使ってくださいね!」
アズサが力強く言う。
エリンは、それを聞いて本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとう。貴方達のそういう気持ちが、もう十分すぎるくらい嬉しいわ」
ミラとランからは、仕事で使える上質なボールペン。
「いつも安いので済ませようとするから」
ランが言う。
「一つくらい、ちゃんとしたものを持ってほしくて」
「……見てるのね」
エリンが少しだけ目を細める。
「見てます」
ミラが言う。
「そういうところも含めて」
エリンは、そのボールペンを指先で撫でた。
「すごく嬉しい。ありがとう」
シルヴィアとホーネットからは、上品なストールだった。
「夜、冷える時があるでしょう」
シルヴィアが言う。
「ホーネットが、色をかなり真剣に選びました」
「“かなり真剣に”って何よ」
ホーネットが言う。
「私だって考えるわよ」
「ええ、すごく考えてました」
シルヴィアがやさしく返す。
エリンはそれを肩へ軽く当ててみて、ふっと笑った。
「……似合う?」
「似合う!」
ホーネットが即答する。
「絶対似合うと思って選んだんだから!」
「ありがとう」
エリンがそう言うと、ホーネットは少し照れたように顔を逸らした。
そして最後に、ユウコとナツキ。
二人は、顔を見合わせてから一緒に前へ出てきた。
「これ、私達からです」
ナツキが言う。
「一応、二人で選んだ」
ユウコが続ける。
「途中でちょっと揉めたけど」
「“ちょっと”じゃなかったでしょ」
ナツキが即座に返す。
「でも、最終的にはこれがいいってなったの!」
エリンが包みを開ける。
中には、小さな香り袋と、上質なハンドクリームのセットが入っていた。
「仕事の後とか、ちょっとでも落ち着けるかなって」
ナツキが言う。
「あと、エリンさん、手、けっこう使うから」
ユウコが続ける。
「ちゃんと労わってほしいなって」
その言葉に、エリンは一瞬だけ視線を落とした。
自分の手。
書類を持って。
指導で示して。
乗務で動いて。
確かに、人よりよく使っているのかもしれない。
そんなところまで見ていてくれたのかと思うと、胸がまたじんとした。
「……ありがとう」
少しだけ声がやわらかくなる。
「すごく嬉しいわ」
ユウコの顔が、ぱっと明るくなる。
「やった!」
「よかった」
ナツキも、少しだけ口元を緩めた。
◇
そして。
クミコが、最後に少し大きめの包みを持ってきた。
「あと、これ……カイエさん、エマさん、ククルさんからです」
エリンが少し目を丸くする。
「三人から?」
「はい。今日は来られなかったので、私が預かりました」
エリンは、その言葉を聞いた瞬間、表情を少しだけやわらかくした。
「そう……」
包みを開く。
中から出てきたのは、革のポーチだった。
落ち着いた色で、仕事でも私用でも使いやすい、飽きのこない形。
「カイエさんが形を見て。エマさんがサイズを見て、ククルさんが色を推したそうです」
クミコが説明する。
「最後に三人で、“エリンさんならこれ”って決めたって」
エリンは、そのポーチを両手で持ったまま、少しだけ黙った。
ハワード財閥の旅行会社の三人。
今は別の場所にいても、こうして自分の誕生日を覚えていてくれて、選んでくれて、気持ちを送ってくれる。
そのことが、静かに嬉しかった。
「……ありがとう」
エリンは、包みを見つめたまま言う。
「会えなくても、こうして覚えててくれるのね」
「はい」
クミコが笑う。
「すごく楽しみにしてましたよ、“ちゃんと渡してね”って、何回も言われました」
その言葉に、エリンはまた小さく笑った。
でも、その目元は少しだけ潤んでいた。
◇
プレゼントが一通り終わる頃には、会議室の空気はさらにやわらかくなっていた。
誰かが飲み物を配り。
誰かが写真を撮り。
誰かがケーキのおかわりを狙っている。
エリンは、その中心に座りながら、何度も思っていた。
嬉しい。
本当に、嬉しい。
自分は今日が誕生日だということすら忘れていた。
なのに、この子達は覚えていてくれた。
それどころか、こんなふうに手を回して、集まって、考えて、時間をかけて、驚かせてくれた。
そのことが、たまらなくあたたかかった。
ただ祝ってもらっている、というだけじゃない。
“エリンさんに喜んでほしい”という気持ちが、会議室じゅうに満ちている。
それが分かるからこそ、胸の奥がじんじんと熱くなる。
何か言わなければ。
そう思うのに、言葉が上手くまとまらない。
「エリンさん?」
クミコが少しだけ心配そうに覗き込む。
エリンは、そこでようやくゆっくりと顔を上げた。
「……ごめんね」
「えっ」
「ちょっと、予想してなかったくらい嬉しくて」
その一言に、会議室が静かになる。
エリンは、自分でも少し驚くくらい素直な声で続けた。
「今日が自分の誕生日だって、ほんとうに忘れてたの。いつも通り仕事して、いつも通り帰るつもりで、それなのに、こんなふうに皆んなが祝ってくれて、ここまで考えてくれたなんて……思ってなくて」
そこで、少しだけ言葉が詰まる。
笑っていようと思うのに、目の奥が熱い。
「……ありがとう」
もう一度、今度は少しだけ震えた声で言った。
「本当に、ありがとう。すごく幸せな誕生日になったわ」
その瞬間、クミコが完全に泣いた。
「うぇぇ……よかったぁ……」
「ちょっと、クミコ!」
アズサが慌てる。
「ここで泣くの早いって!」
「でもぉ……!」
マユも目元を押さえている。
ハヅキは、こらえるように唇を噛んでいた。
ミドリは「だめだ、私もやばい」と端末を下ろす。
サリーでさえ、ほんの少し目がやわらいでいた。
ミラが小さく笑う。
「もう、皆泣きすぎ」
「ミラも、ちょっと目赤いよ」
ランが静かに言う。
「うるさい」
そのやり取りに、また小さな笑いが生まれる。
あたたかい。
少し泣きそうで、でもちゃんと笑える。
そんな空気が、会議室をやさしく包んでいた。
◇
パーティーが終盤に入った頃、ふとミドリが言った。
「そういえば……リュウジさん、まだ来てないですね」
一瞬だけ、皆が顔を見合わせる。
「来るとは言ってたよね?」
サリーが言う。
「会場の手配までしてくれたのに……」
ハヅキが少し不思議そうにする。
エリンは、その名前が出た瞬間、少しだけ視線を落とした。
来ていない。
でも、もしかしたら。
そう思った時には、もう立ち上がっていた。
「少し、外へ行ってくるわ」
「え?」
ユウコが反応する。
「どうしてですか?」
「夜風に当たりたくなっただけ」
エリンはそう言って、会議室を出た。
◇
火星の夜風は、思っていた以上にやさしかった。
会議室の中の熱と笑い声を、少しだけ外へ流してくれるような風。
その中で、建物の脇に一人分の影があった。
リュウジだ。
壁へ軽くもたれ、夜の方を見ている。
エリンが近づくと、気配で分かったのか少しだけ顔を向けた。
「やっぱり、ここにいたのね」
エリンが言う。
リュウジは、小さく目を細めた。
「……見つかりましたか」
それだけで、少しだけおかしくなる。
「見つかるわよ。会場を用意しておいて、本人だけいないなんて」
エリンはそう言って、リュウジの少し隣へ立った。
「ありがとう」
「何がですか」
「会場。それに、たぶん色々、皆んなが動きやすいようにしてくれたんでしょう?」
「少しだけです」
やっぱり、その“少し”は少しではないのだろう。
エリンは、ふっと笑った。
「貴方の少しは、あまり信用してないの」
「それは、すみません」
そう言いながらも、リュウジの口元はほんの少しだけやわらいでいる。
少しの沈黙。
夜風。
遠くで聞こえる、会議室の笑い声。
エリンは、その静けさの中で、水筒も手帳カバーも、紅茶も、ストールも、皆の顔も思い出していた。
「……今日ね」
「はい」
「本当に、忘れてたの、自分の誕生日だって」
リュウジは、何も言わずに聞いている。
「だから、余計にびっくりして、嬉しくて。何だか、もったいないくらいだったわ」
そう言うと、自分でも少しだけ声が揺れるのが分かった。
「皆があんなに一生懸命準備してくれて、向こうの三人までプレゼントを送ってくれて、なんだか……私、こんなに貰っていいのかしらって思っちゃった」
リュウジは、少しだけ視線を落としてから言った。
「それだけ、皆さんがエリンさんに返したかったんだと思います」
その言葉が、静かに胸へ入る。
返したかった。
そうかもしれない。
自分では、ただやるべきことをやってきただけのつもりだった。
でも、それがこうして戻ってくるのなら、それはもう、ありがたく受け取っていいのかもしれない。
「……そうね」
エリンは小さく頷いた。
その時、リュウジがバックへ手を入れた。
「これ」
差し出されたのは、細長い包みだった。
「プレゼントです」
エリンは少し目を丸くする。
「私に?」
「他に誰がいるんですか」
その言い方があまりにも真面目で、エリンは思わず笑ってしまう。
「開けてもいい?」
「どうぞ」
包みを開く。
中から出てきたのは、落ち着いた色合いの水筒だった。
シンプルで、使いやすそうで、でもちゃんと質がいいと分かる。
仕事の時も、移動の時も、長く使えそうなものだった。
エリンは、それを見て一瞬、息を止める。
「……水筒」
「はい」
「どうして、これ?」
リュウジは、少しだけ目を逸らした。
「ドルトムントの頃から、同じの使ってますよね」
その一言で、エリンの指先が水筒の表面をそっと撫でる。
そうだ。
たしかにずっと使っている。
傷もついているし、蓋のところも少し古い。
でも使えるから、そのままにしていた。
そんなものまで、見ていたのかと思う。
「見てたの?」
「目に入ります」
短い返事。
でも、その短さの中に、嘘のなさがある。
エリンは、水筒を胸元へ抱いた。
その瞬間、今日一日積もっていたものが、最後にそこへ触れて溢れそうになる。
皆のプレゼントはもちろん嬉しかった。
どれも心がこもっていて、思いが伝わってきて、泣きそうになるくらい嬉しかった。
でも、この水筒は少し違う。
長く使っているものに気づいて。
それを替えた方がいいと思って。
でも押しつけじゃない形でそっと渡してくる。
その気づき方が、あまりにもリュウジらしくて。
その“見ていた”という事実が、静かに胸へ沁みた。
「……ありがとう」
声が少しだけ小さくなる。
「すごく、嬉しい」
「そうですか」
「うん」
エリンは、水筒をもう一度見下ろした。
「これ、すごく使うと思う」
「使ってください」
「使うわよ、貴方に言われなくても」
その返しに、リュウジの口元がほんの少しだけ緩む。
「それなら良かったです」
少しの沈黙。
それから、リュウジが静かに言った。
「お誕生日、おめでとうございます」
それは、今夜初めて、リュウジがはっきりと口にした祝福だった。
エリンは、一瞬だけ目を見開く。
それから、本当に嬉しそうに、静かに笑った。
「……ありがとう」
会議室の中で皆に言われた時とは、少し違う響きだった。
もっと静かで、もっと深く胸へ落ちるような、おめでとう。
その一言が、今日という日をきちんと締めくくってくれた気がした。
夜風が、二人の間をやわらかく通り過ぎていく。
火星の夜は静かで、でも不思議と冷たくない。
会議室の灯りと、遠くの笑い声と、手の中の新しい水筒と。
その全部に包まれて、エリンは思った。
こんなふうに、自分の誕生日を幸せだと思える日が来るなんて。
忘れていたくらいなのに。
それなのに、誰よりも大切に祝ってもらっている。
胸がいっぱいだった。
「そろそろ戻らないと」
リュウジが言う。
「皆さん、待ってるでしょう」
「そうね」
エリンは頷く。
でも、すぐには歩き出さない。
もう一度だけ水筒を撫でて、その感触を確かめる。
「大事にするわ」
「そうしてください」
「……ねえ」
「はい」
「今日は、本当にありがとう」
会場のことも。
皆を動きやすくしてくれたことも。
この水筒のことも。
最後にこうして外で静かに祝ってくれたことも。
その全部を込めて言った。
リュウジは、少しだけ目を細めて答える。
「どういたしまして」
それから二人は、並んで会議室の方へ歩き出す。
扉を開ければ、またあの賑やかな声が待っているだろう。
ユウコが騒ぎ、ナツキが呆れ、ホーネットが面白がり、シルヴィアが止め、クミコ達が嬉しそうに駆け寄ってくる。
その全部が、今のエリンにはたまらなく愛おしい。
忘れていたはずの誕生日は、誰かに思い出させてもらうどころか、こんなにもたくさんの気持ちで満たされていた。
そのあたたかさを胸いっぱいに抱えながら、エリンはもう一度だけ、水筒をそっと抱きしめた。
ーーーー
次の日の朝。
いつもより少しだけ早く宇宙事業部のフロアへ入ってきたエリンは、扉を開けた瞬間、ふっと足を止めた。
見慣れた机。
見慣れた椅子。
見慣れた乗務員達の朝の空気。
けれど、昨日の夜を知っているからこそ、その全部が少しだけ違って見える。
自分のために集まってくれた顔。
笑って、騒いで、祝ってくれた声。
手の中にある、新しい水筒の重み。
エリンは胸の奥にまだ残っているあたたかさを、静かに抱えたままフロアへ入った。
「おはようございます、エリンさん!」
真っ先に気づいたのはクミコだった。
その声に、周囲も一斉に顔を上げる。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
「エリンさん、おはようございます!」
昨日の余韻が残っているのだろう。
皆の声が、少しだけ弾んでいた。
エリンは、そんな一人ひとりの顔を見ながら、ふっとやわらかく笑った。
「おはよう、それと……昨日は本当にありがとう」
その一言だけで、何人かの顔がまたぱっと明るくなる。
「いえっ!」
「こちらこそ!」
「喜んでもらえてよかったです!」
アズサなんて、朝からもう嬉しそうに身を乗り出していた。
「エリンさん、昨日ほんとに泣きそうでしたよね!?私、ちょっともらい泣きしそうでした!」
「ちょっとじゃなかったでしょ」
ナツキがすぐ横から言う。
「普通に目うるうるしてた」
「ナツキさんだってしてたじゃないですか!」
「私はしてない」
「してました!」
「はいはい、朝から元気ね」
ミラが半ば呆れながら止めに入る。
エリンは、そのやり取りを見て、また笑ってしまった。
「クミコ、マユ。ケーキ、すごく美味しかったわ」
「ほんとですか!?」
クミコが目を輝かせる。
「ええ、選んでくれてありがとう」
「よかった……」
マユが、ほっとしたように胸元へ手を当てる。
「アズサ、ハヅキ、ミドリ、サリーも。紅茶、ありがとう。昨夜、少しだけ眺めてたの」
「眺めてたんですか?」
ミドリが嬉しそうに言う。
「だって、使うのがもったいなくて」
「使ってください!」
アズサがすぐに言う。
「むしろいっぱい使ってください!」
「ええ、そうする」
エリンは頷いた。
「ミラ、ラン。ボールペンもありがとう。今朝、鞄に入れてきたわ」
その言葉に、ミラとランが一瞬だけ目を見開く。
「もう使ってるんですか」
ランが少しだけ驚いたように聞く。
「使うためにくれたんでしょ?」
エリンが笑う。
「それは……そうですけど」
ミラが少しだけ照れたように目を逸らす。
「ちゃんとそういうところ、律儀なんですね」
「貴方に言われたくないわ」
「それもそうね」
シルヴィアとホーネットへも、エリンはきちんと礼を言った。
「ストール、昨夜持って帰る時にもう使ったの、すごくあたたかかった。ありがとう」
「ほんと!?」
ホーネットがぱっと顔を上げる。
「でしょ!? あれ絶対似合うと思ったの!」
「ええ、似合ってました」
シルヴィアが静かに続ける。
「昨日の帰り際、ちゃんと肩にかけてらしたので」
「見てたのね」
「見ます」
シルヴィアは少しだけ笑った。
ユウコとナツキへ向けた礼は、少しだけやわらかかった。
「ハンドクリーム、昨夜使ったわ。香りが落ち着いてて、すごくよかった。ありがとう」
「やった!」
ユウコが両手を握る。
「選んだ甲斐ありました!」
「揉めたけどね」
ナツキが淡々と言う。
「“揉めた”じゃなくて真剣に討論したの!そこ大事!」
「はいはい」
その全部へ、エリンは一人ひとりちゃんと目を見て礼を言っていった。
昨日の夜、あれだけ胸がいっぱいだった。
だから今日、きちんと言葉にしたかったのだ。
皆が、自分のために動いてくれたこと。
覚えていてくれたこと。
それがどれほど嬉しかったかを。
そんな中で、不意にクミコが「あっ」と声を上げた。
「エリンさん!」
「なあに?」
「すっごい大きい荷物が届いてますよ!」
「……荷物?」
エリンが首を傾げる。
「誰から?」
「それが……」
クミコは少しだけ困ったように笑いながら、フロアの隅を指差した。
そこには、確かにかなり大きな箱が置かれていた。
大人一人が抱えるには少し苦労しそうなくらいの大きさだ。
配送用の無骨な箱なのに、なぜか妙に存在感がある。
「昨日の夜にはなかったわよね」
「朝一番で届いたみたいです」
ハヅキが言う。
「受け取った時、私もびっくりしました」
「差し出し人は?」
エリンが聞く。
クミコは、箱に付けられた伝票と、小さなカードを手に取った。
「えっと……ペルシアさんからです」
「ペルシア?」
エリンが目を丸くする。
「はい!あと、メッセージカードも入ってました」
クミコがそれを差し出す。
カードには、いかにもペルシアらしい勢いのある字で、こう書かれていた。
エリン、誕生日おめでとう!
昨日は行けなかったから、こっちで盛大に送っとくわ。
ちゃんと使いなさい。休みなさい。サボりなさい。
でも仕事はしなさい。
愛を込めて ペルシアより
一瞬、フロアが静かになる。
次の瞬間、あちこちから笑いが漏れた。
「最後、矛盾してません?」
アズサが吹き出す。
「ペルシアさんらしいですね……」
マユが苦笑する。
「“休みなさい。サボりなさい。でも仕事はしなさい”って、どういうことなんでしょう」
ミドリが本気で首を傾げる。
「気持ちよ」
ホーネットが断言する。
「大事なのは勢い」
「絶対違う」
シルヴィアが静かに突っ込む。
エリンは、カードを読んだまま、ふっと笑ってしまった。
「ほんとに、あの人は……」
来られなかったから、荷物で送ってくる。
しかも“盛大に”という言葉が妙に似合う大きさで。
「開けますか?」
クミコがわくわくした顔で聞く。
「ええ」
エリンが頷く。
「でも、何が入ってるのか少し怖いわね」
「確かに……」
サリーが小さく言う。
「ペルシアさん、普通に送るタイプではないですし」
皆で箱の周りへ集まる。
クミコとアズサがガムテープを剥がし、ハヅキが蓋を押さえる。
ミラが「雑に開けないで」と止め、ランが「せめて綺麗に切って」と横から指示を出す。
ホーネットは「早く見たい!」とうずうずしている。
ようやく蓋が開いた。
「……え」
最初に声を漏らしたのはミドリだった。
箱の中には、ふかふかの大きなクッション、やわらかいブランケット、少し高そうな茶葉缶がいくつか、それに小さな卓上加湿器まで詰め込まれていた。
「なにこれ……」
アズサが目を丸くする。
「休憩セット?」
「というか、昼寝環境一式では?」
ナツキが冷静に言う。
「うわ、クッションめっちゃ大きい」
ユウコが笑う。
「ペルシアさん、本気じゃん」
クッションには、さらに小さな札がついていた。
昼休みにでも使いなさい。
床や椅子で仮眠しないこと。
見つけたら私が怒る。
――ペルシア
「怒るのはそっちなのね」
エリンが思わず笑う。
ブランケットにもカードがある。
夜、冷えるんだから肩にかけなさい。
あと、移動中も無理しないこと。
「え、普通に優しい……」
クミコがぽつりと呟く。
「ペルシアさん、こういうとこありますよね」
マユが頷く。
茶葉缶のひとつを、ハヅキがそっと手に取る。
「これ、いいやつじゃないですか?」
「ほんとだ」
シルヴィアがラベルを見て言う。
「かなり質のいいものですね」
「加湿器まで入ってるのがすごい」
ミドリが感心する。
「完全に“ちゃんと休んでねセット”だ」
エリンは、その箱の中身を見つめながら、また胸の奥がやわらかくなるのを感じていた。
昨日は昨日で、皆に囲まれて、胸がいっぱいになるくらい祝ってもらった。
そして今日、こうしてまた別の形で気持ちが届く。
ペルシアらしい。
豪快で、少しおかしくて、でもちゃんとこちらを見ている贈り方だった。
「……ありがとう、ペルシア」
エリンが小さく呟く。
その言葉に、周りも自然とやわらかな顔になる。
「エリンさん」
クミコがそっと言う。
「昨日から、ずっと愛されてますね」
その一言に、エリンは少しだけ目を伏せた。
「そうね」
微笑む。
「本当に、幸せ者だわ」
そう言ったエリンの顔は、昨日の夜よりさらにやわらかかった。
祝われて、驚いて、泣きそうになって、そして今日また、忘れた頃に届く別の優しさに包まれる。
そんなふうに、誕生日の余韻は一日で終わらず、翌朝のフロアまで静かに続いていたのだった。