サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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宇宙海賊⑥

 三日後。

 

 宇宙海賊の襲撃、機械室の爆発、緊急着陸、病院での慌ただしい一夜――あまりにも濃すぎる数日を経て、今日は火星コロニーへ帰還する日だった。

 

 早朝から宇宙港は妙にざわついている。

 

 もともとのスペースホープの宇宙船は、宇宙海賊に機械室を爆破された影響で、当然ながらすぐに実戦投入できる状態ではない。

 そこでペルシアが宇宙管理局へ掛け合い、管理局所有の大型宇宙船を一隻、今回の帰還便として手配したのである。

 

 白銀の船体は無骨で、いかにも“官の船”といった印象だった。

 華やかな民間船というより、緊急時に人と物を確実に運ぶための実務の塊みたいな船だ。

 だが内部は広く、セキュリティや医療設備も整っている。

 今回のような便には、たしかに最適だった。

 

 そして何より、驚くべきことがひとつあった。

 

 行きの時点では、宇宙海賊の件もある。

 しかも船内で実際に襲撃と爆発が起きたのだ。

 帰りの便は、せいぜい半分も埋まればいい方だろう、と多くの者が思っていた。

 

 だが、蓋を開けてみれば――。

 

 搭乗予定者は、行きと同じ全員。

 

 企業の社長。

 役員。

 政財界の大物。

 その秘書や護衛。

 誰一人としてキャンセルしなかった。

 

 恐怖を知ったはずなのに。

 むしろそれを知ったからこそ、もう一度この便を選んだのだ。

 

 

「エリンさんは遅れてくるんだっけ?」

 

 搭乗前の準備をしながら、ミラが小さく言った。

 

 広い搭乗ゲートの手前、スペースホープの乗務員達はすでに配置につき、制服の乱れやスカーフの向き、端末の確認、誘導ルートの再確認を進めている。

 宇宙管理局の大型船を使う以上、導線は普段のスペースホープ機とは少し違う。

 だからこそ、いつもよりも早めに集まって、細かいところまで繰り返し確認していた。

 

 ランが、自分のブロックの乗務員達へ目配りしながら頷く。

 

「ええ、リュウジさんの転院の手続きを済ませてくるらしいよ」

 

「保護者みたいですね」

 

 ユウコが、準備用の端末を持ちながらニヤニヤした。

 

 その一言に、近くにいたクミコとアズサが一瞬だけ吹き出しそうになる。

 ミラも、口元へ手を当てて小さく笑った。

 

「まあ、否定しにくいわね」

 

「なんでも、転院しないで退院するって言い張って、病院の先生が困って、エリンさんに連絡したみたいですよ」

 

 そう言ったのはシルヴィアだった。

 手には搭乗名簿。

 顔は落ち着いているが、目元にまだ少しだけ疲労が残っている。

 

「なにそれ」

 

 ミラが思わず笑う。

 

「リュウジさんって、変な所で子どもみたい」

 ランも呆れ半分、でもどこか楽しそうに言った。

 

「そういう所が放っておけないんじゃないですか」

 

 シルヴィアも、少しだけ笑いを含ませて続ける。

 

「たしかに、退院するって言い張る姿はちょっと目に浮かぶ」

 クミコが言う。

 

「“俺は歩けます”とか言ってそう」

 アズサも言った。

 

「言ってそうじゃなくて、たぶん言ったんだと思います」

 シルヴィアが真顔で補足する。

 

 その会話に、ユウコは肩を震わせながら言った。

 

「もー、それを無理やり連れてくるエリンさんも含めて、なんかもう、保護者じゃん」

 

「ユウコ」

 

 低く、だが綺麗によく通る声が飛ぶ。

 

 全員の背筋がぴんと伸びた。

 

 そこに立っていたのはガーネットだった。

 

 今日は、エリンが来るまでの間、実質的な現場の取りまとめ役を引き受けている。

 ガーネットは制服姿のまま、真っ直ぐにユウコを見た。

 

「ほら、いつまでも話をしないで準備してください。今日はユウコが一ブロックを任されてるんですから」

 

「は、はい!」

 

 ユウコが、慌てて姿勢を正す。

 

 その様子を見て、ホーネットが少しだけ口元をゆるめた。

 

「でもさ、お姉ちゃん、スカーフってこの向きでいい?」

 

 ホーネットが首元をいじりながら聞くと、ガーネットは眉を寄せて近づいた。

 

「違う。ちょっと動かない」

 

 そう言って、ホーネットのスカーフの結び目を手早く直す。

 左右のバランスを整え、襟元のラインを引き、最後に軽く肩を払った。

 

「ほら、曲がってる。ちゃんとしなさい」

 

「はーい」

 ホーネットが返す。

 

「返事が軽い」

 ガーネットが即座に言う。

 

「いや、してるじゃん、ちゃんと」

 

「口だけじゃなくて態度でも締めなさい」

 

 ガーネットのその言葉に、ホーネットはさすがに小さく肩をすくめた。

 

「……はーい」

 

 ガーネットは、それ以上は追及せず、視線を全員へ向ける。

 

「宇宙海賊が起こったのに、企業の社長、役員、政財界の大物、全員が搭乗するなんて異例なんだから」

 

 その声に、周囲の空気が少しだけ引き締まる。

 

「本当だよね、何でだろうね」

 

 ホーネットが素直に首を傾げる。

 

「それは貴方達の宇宙海賊の件での対応が良かったからよ」

 ガーネットがきっぱり言った。

 

 その一言で、何人かの表情がほんの少し変わる。

 驚き。

 そして、じわっと広がる実感。

 

「信頼を得たのよ。“危ない目に遭ったのに、もう一度この便に乗る”っていうのは、そういうこと。怖くなかったわけじゃない。でも、怖かった上で、それでもここを選んだの」

 

 ガーネットは、順に乗務員達の顔を見る。

 

「ちゃんとやり切りなさい……………そろそろ搭乗させるわよ」

 

「はい!」

 

 今度は、返事が揃っていた。

 

 

 搭乗が始まった。

 

 ゲートが開く。

 セキュリティを抜けた乗客達が、秘書や護衛を伴いながら、次々と乗り込んでくる。

 

 最初の空気は、たしかに少し緊張していた。

 

 だが、それは“ここは危ないのか”という一色ではない。

 むしろ、“もう一度あの人達に任せる”という種類の静かな緊張だ。

 

「よろしく頼む」

 

 最初にそう言ったのは、行きにも乗っていた企業の社長だった。

 髪を綺麗に撫でつけた初老の男で、前回の便ではやや尊大な印象もあったが、今日は違った。

 

「はい」

 ガーネットが柔らかく頭を下げる。

「本日もよろしくお願いいたします」

 

「前回は世話になった。君達が冷静で助かったよ」

 

「ありがとうございます」

 ガーネットは微笑んだ。

「本日も安全にご案内いたします」

 

 別の役員格の男も、歩きながらミラへ声をかける。

 

「この前の中央ブロックにいた人だね?」

 

「はい」

 ミラが答える。

 

「あの時、落ち着いていてくれて助かった。今日も頼む」

 

「ありがとうございます。本日もよろしくお願いいたします」

 

 乗客達の口から出るのは、行きの時にはあまり聞かなかった言葉ばかりだった。

 

 ――よろしく頼む。

 ――助かった。

 ――君達がいてよかった。

 ――今日もお願いする。

 

 そして、その中で目立ったのは、やはり同じ問いだった。

 

「エリンさんはどこにいるんですか?」

 

 ある秘書が言った。

 それを皮切りに、別の乗客も、役員も、社長も、似たようなことを聞いてくる。

 

「前回、こちらを案内してくださったエリンさんは?」

「チーフパーサーの方は今日は?」

「彼女に一言礼を言いたいんだが」

「あと、あのS級パイロットの方も……」

 

 そのたびに、ガーネットが前へ出てうまく捌いた。

 

「チーフパーサーのエリンは少し遅れておりますが、間もなく合流いたします。本日は私達が先にご案内いたしますので、どうぞご安心ください」

 

 言葉が柔らかい。

 でも曖昧に流してはいない。

 相手に安心を渡しながら、必要な情報だけをきちんと出す。

 

 シルヴィアが、その横でぽつりとミラへ言う。

 

「やっぱりガーネットさん、こういうの上手いですね」

 

「ええ」

 ミラが頷く。

「すごく上手」

 

「怒る時と全然違う」

 ホーネットが小さく言う。

 

「聞こえてる」

 ガーネットが笑顔のまま返した。

 

「ひっ」

 

 ホーネットが肩をすくめる。

 その一連の動きに、近くにいたユウコが笑いを堪えきれずに少しだけ顔を伏せた。

 

 そしてユウコは、今日初めて自分が任された一ブロックの乗客を案内していた。

 

「こちらでございます」

「お手元の端末は、離陸前モードのご準備をお願いいたします」

「お荷物は上の収納、もしくは足元へ」

 

 最初は少しだけ声が硬かった。

 だが、数人案内するうちに呼吸が整ってくる。

 

 目の前の相手は企業の重役だ。

 その横には秘書がいて、後ろには護衛もいる。

 正直、プレッシャーがないと言えば嘘になる。

 

 でも、皆の顔を見ていると分かる。

 彼らは“偉い人”としてこちらを見ているのではなく、“任せる相手”としてこちらを見ているのだ。

 

 それが分かった瞬間、ユウコの声が少しだけ落ち着いた。

 

「何かございましたら、すぐお声がけくださいませ」

 

「ありがとう」

 年配の女性役員が言う。

「前回も、あなた方のおかげで落ち着いていられたわ」

 

「……ありがとうございます」

 ユウコは、思わず少しだけ表情をやわらげた。

 

 その様子を遠くから見ていたランが、小さく頷く。

 

「ちゃんとやれてる」

 

「ええ」

 ミラも言う。

「思ったよりずっと落ち着いてるわ」

 

「緊張してる顔してるけど」

 シルヴィアが言う。

 

「それでも声はぶれてない」

 ランが答えた。

 

 ガーネットが、近くを通りながら一言だけ残す。

 

「そのままよ、ユウコ。肩だけ上がってるから落として」

 

「は、はい!」

 

 ユウコは言われた通り、そっと肩を落とす。

 それだけで少し呼吸がしやすくなる。

 

 

 搭乗は進み、ゲート前のざわめきも少しずつ収束していった。

 

 それでも、ちらほらと聞こえる。

 

「エリンさんはまだ?」

「あのパイロットの方は?」

「今回は別の船なんだね」

「でも君達がいるなら安心だ」

 

 その一つ一つが、乗務員達の胸の奥へ静かに積み重なっていく。

 

 宇宙海賊に襲われた。

 爆発もあった。

 それでも“もう一度あなた達に任せる”と、目の前の人達は言っている。

 

 怖かった出来事が、信頼へ変わる瞬間。

 それは、乗務員として何より大きなことだった。

 

「……すごいね」

 

 クミコが、搭乗の流れが少し落ち着いた隙に小さく呟いた。

 

「何が?」

 アズサが聞く。

 

「皆んな、キャンセルしなかったどころか、“お願いする”って言ってくれるの」

 クミコが言う。

「私、正直、もっと疑われると思ってた」

 

「私も」

 アズサが頷く。

「でも……ちゃんと見てくれてたんだね」

 

 ミラが、その言葉を拾って静かに言った。

 

「ええ、ちゃんと見てたから、また乗ってくれたのよ」

 

 ホーネットが、後方通路を確認しながらぽつりと言う。

 

「なんかさ、“信頼を得た”って言われると、今さらちょっと怖くなるね」

 

「分かる」

 シルヴィアが頷いた。

「前より気を抜けない感じ」

 

「でも、そういう怖さは持ってた方がいいわ」

 ランが言う。

「変に慣れたら、そこで崩れるもの」

 

「はいはい、私も今日は真面目にやるから大丈夫」

 ホーネットが返す。

 

「“今日は”って何」

 ミラが即座に突っ込んだ。

 

「毎日真面目ですー」

 

「声が軽い」

 ガーネットが後ろから言う。

 

「聞こえてた!?」

 ホーネットが振り向く。

 

「当然」

 ガーネットが平然と返した。

「ほら、後方ブロック、目配り止めない。今日はいつも以上に細かく見なさい」

 

「はーい」

 

「返事」

 

「……はい」

 

 そう言い直すホーネットに、近くにいたクミコとアズサが揃って小さく笑った。

 

 

 搭乗がほぼ終わる頃。

 

 ゲートの向こうから、ようやく見慣れた姿が現れた。

 

 エリンだった。

 

 歩幅はいつも通り整っている。

 制服も綺麗だ。

 ただ、ほんの少しだけ疲れが残っているのは、よく見れば分かる。

 

 そして、その後ろには、医療スタッフに付き添われたストレッチャーではなく、ゆっくりした速度で動く移送用の簡易ベッドがあった。

 白いシーツ。

 点滴。

 簡易モニター。

 ――リュウジだ。

 

 もちろん、完全に横たわったままというわけではない。

 上半身を少し起こしていて、顔色も三日前とは比べものにならない。

 だが、それでも“本来、まだ大人しく寝ているべき人”であることに変わりはない。

 

 エリンが、乗務員達を見るなり小さく手を上げた。

 

「ごめんなさいね」

 

 その声だけで、場の空気がふっと和らぐ。

 

「エリンさん!」

 ユウコが、つい半歩前へ出る。

 

「遅くなったわ」

 エリンが言う。

「リュウジが我儘言うから、無理矢理ね。何とか手続きを済ませたわ」

 

 口調は少し呆れている。

 でも、どこか楽しそうでもあった。

 

 それが、皆にはちゃんと分かった。

 

「何言ったんですか?」

 ミラが聞く。

 

「“転院じゃなくて退院でいい”って」

 エリンが言う。

 

 ミラとランが、ほとんど同時に吹き出した。

 

「やっぱり」

 ランが言う。

 

「言いそう」

 ミラも頷く。

 

「言ったわよ」

 エリンが肩をすくめる。

「先生に“ダメです”って三回くらい言われても納得しないから、最後は私が書類の前で立って、“いいからサインしなさい”って」

 

「保護者だ」

 ユウコがまたニヤニヤした。

 

「ユウコ」

 エリンが視線だけ向ける。

 

「すみません、でもそう見えます」

 ユウコが言う。

 

 エリンが小さく笑う。

「でも今日はこの宇宙船の医療ルームで移送することになったから、そこは安心して」

 

「安心してって、リュウジさん本人は?」

 ホーネットが聞く。

 

 ちょうどその時、移送用ベッドの上のリュウジが、こちらへ視線だけ向けた。

 

「……聞こえてる」

 

 相変わらずの、どこか淡々とした声だった。

 だが、その一言だけで何人かが顔をほころばせる。

 

「起きてる」

 クミコが言う。

 

「そりゃ起きてるわよ」

 エリンが言う。

「さっきまで“自分で歩ける”って言ってたんだから」

 

「無理ではないです」

 リュウジが静かに言う。

 

「ダメ」

 エリンが即答する。

 

「……はい」

 

 そのやり取りが、あまりにも自然すぎた。

 

 ミラとランは、思わずまた視線を交わした。

 ユウコはもう口元を押さえている。

 ホーネットに至っては、完全に笑いを堪える顔になっていた。

 

 ガーネットだけが、一歩前へ出てエリンへ報告する。

 

「搭乗はほぼ完了です。遅れも最小限。今は持ち場を維持したまま待機しています」

 

「ありがとう」

 エリンが頷く。

「助かったわ」

 

「こちらこそ」

 ガーネットが言う。

「皆、よく動いてました」

 

 その言葉に、若い乗務員達の背筋が少し伸びる。

 

 エリンは、移送用ベッドを医療スタッフへ引き継ぎつつ、乗務員達へ向き直った。

 

「私はとりあえず、呼ばれていた人達に挨拶してくるわ。ユウコ、そのままブロックお願い」

 

「はい!」

 

「ミラ、ラン、後方と中央の流れ、もう一度だけ見直して」

 

「分かりました」

「了解」

 

「シルヴィア、ホーネット、後方の護衛の動き、少し硬いから空気やわらげて」

 

「はい」

「任せて」

 

「ガーネット」

 エリンが少しだけ笑う。

「繋いでくれてありがとう」

 

 ガーネットも、小さく口元をやわらげた。

 

「ちゃんと戻ってくると思ってましたから」

 

 

 そこからのエリンは、まるで少しも遅れていなかったみたいに自然に船内へ溶け込んだ。

 

 前方ブロック。

 中央ラウンジ寄り。

 特別席。

 役員席。

 それぞれの場所にいる乗客達のもとへ、順番に顔を出していく。

 

「お待たせして申し訳ありません。本日もよろしくお願いいたします」

 

 頭を下げる。

 相手はすぐに手を振る。

 

「いやいや、君が来てくれて良かった」

「大変だったようだね」

「体調は?」

 

「私は大丈夫です」

 エリンが穏やかに答える。

 

「この前は本当に冷静だった。秘書も、あの時君達がいてくれて助かったと言っていたよ」

 

「ありがとうございます。本日も安全にご案内いたします」

 

 別の政界の大物が、わざとらしく小声で言った。

 

「それで、あのS級パイロットの青年は?」

 

 エリンは、一瞬だけ目元をやわらげる。

 

「医療ルームにて移送中です。今回は乗務ではありませんので、ご安心ください」

 

「安心というか、ぜひ一言礼を言いたいんだがね」

 

「機会があればお伝えしておきます」

 

「頼むよ」

 

 また別の女性役員は、エリンの顔を見るなり本気で安心したように息をついた。

 

「やっぱり、あなたがいると違うわね」

 

「ありがとうございます」

 エリンが言う。

「そう言っていただけると嬉しいです」

 

「前回、最後まで声を聞いてるだけで落ち着けたの。今日もお願いね」

 

「もちろんです」

 エリンは微笑んだ。

「本日も、安心してお過ごしいただけるよう努めます」

 

 そのやり取りを、少し離れた位置から見ていたユウコが、小さく呟く。

 

「やっぱすごいなぁ……」

 

 ミラが近づきながら聞く。

 

「何が?」

 

「空気ですよ」

 ユウコが言う。

「エリンさんが一人挨拶して回ってるだけで、乗客の顔が変わるんですもん」

 

 ランも、その光景を見ながら静かに言った。

 

「それがチーフパーサーなんでしょうね」

 

「私、今日一ブロック任されてるだけで心臓ばくばくしてるのに」

 ユウコが言う。

「エリンさん、遅れて戻ってきてすぐこれだもんなぁ……」

 

「だから練習するのよ」

 ミラが言った。

「こういう人達の前でも声がぶれないように」

 

「はい……」

 ユウコが素直に頷く。

 

 その横で、ホーネットがぽつりと言う。

 

「でもさ」

 

「なに?」

 シルヴィアが聞く。

 

「エリンが戻ってきた瞬間、皆の顔ちょっと緩んだよね」

 

「そりゃそうだよ」

 シルヴィアが言う。

「乗務員も、乗客も」

 

「なんか悔しいな」

 ホーネットが言う。

 

「何で?」

 

「いや、だって」

 ホーネットが少しだけ唇を尖らせる。

「分かってたけど、ほんとに“いるだけで違う”んだなって」

 

 シルヴィアは、その言葉に少しだけやわらかく笑った。

 

「だから皆、あの人の下で学びたいんじゃない」

 

 ホーネットはそれには返事をしなかった。

 ただ、少しだけ真面目な顔でエリンの背中を見ていた。

 

 

 搭乗は、最終確認の段階へ入っていく。

 

 医療ルームでは、リュウジの移送設備が固定され、担当の医療スタッフが状態を確認していた。

 エリンも一度だけそこへ顔を出し、短く声をかける。

 

「無理しないでね」

 

「無理はしていません」

 リュウジが言う。

 

「十分してるわよ」

 エリンが返す。

 

「……」

 

「返事は?」

 

「……はい」

 

 そのやり取りを見ていた医療スタッフが、思わず目を逸らしながら笑いを堪えていた。

 

 エリンは、それ以上は何も言わず、でも最後にシーツの端を少しだけ整えてから医療ルームを出る。

 

 その背中を、リュウジはしばらく目で追っていた。

 

 

 そして、離陸前。

 

 全員がそれぞれの持ち場へ戻り、船内の空気が少しずつ“出発前のもの”へ変わっていく。

 

 乗客は全員搭乗済み。

 護衛も着席。

 役員達もシートへ収まり、秘書達も端末を閉じ始めている。

 

 エリンは、最後に全体を見渡した。

 

 行きとは別の船。

 同じ乗客。

 少し違う顔ぶれの乗務員の立ち位置。

 でも、流れている空気は明らかに前回とは違う。

 

 恐怖を知った上で、それでも進むための空気。

 

 エリンは、静かに息を吸った。

 

「各乗務員、最終確認」

 

 その声が船内へ落ちる。

 

「前方、完了」

 ミラ。

 

「中央、完了」

 ラン。

 

「後方、完了」

 シルヴィア。

 

「一ブロック、完了です!」

 ユウコ。

 

「補助導線、異常なし」

 ホーネット。

 

 順に声が返る。

 どの声にも、以前より少しだけ芯がある。

 

 エリンは、その返事を聞きながら、ゆっくりと頷いた。

 

「それじゃあ、帰りましょうか」

 

 誰に向けたともつかないその言葉が、でも妙にあたたかく船内へ広がった。

 

 火星コロニーへ向かう帰還便は、そうして静かに動き始めようとしていた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 帰りの便は、行きとはまるで違って穏やかに進んでいった。

 

 もちろん、それはただ単に“何も起きなかった”という意味だけではない。

 

 宇宙海賊の襲撃も、機械室の爆発も、緊急着陸も、全部を知った上でこの便に乗っている乗客達。

 その乗客達を、前回の混乱を潜り抜けてきた乗務員達が迎え、案内し、見守り、そして送り届けていく。

 

 その空気自体が、もう前回とは違っていた。

 

 警戒はある。

 緊張もある。

 でも、それは疑いや恐怖だけで張りつめたものではなく、“前回を越えてここにいる者同士”の、静かな信頼の上に乗ったものだった。

 

 宇宙管理局から借り受けた大型宇宙船は安定していた。

 官用船らしい堅実な造りの船体は、多少の揺れがあってもぶれ方が小さい。

 ラウンジの照明も落ち着いていて、医療ルームも静かだ。

 行きの便で一度神経を削られた乗客達にとって、それはかなり大きな安心材料になっていた。

 

 さらに、今日はエリンがいる。

 ミラがいる。

 ランがいる。

 シルヴィアがいて、ホーネットがいて、ユウコやクミコやアズサ、マユ、サリー、ハヅキ、ミドリ、ナツキが、それぞれの持ち場でちゃんと立っている。

 

 前回を知っている乗客達が、彼女達の顔を見るだけで肩の力を少し抜いていくのが分かった。

 

 

「本日はご搭乗いただき、誠にありがとうございます」

 

 エリンの声は、今日もよく通っていた。

 

 前方ブロックの通路で軽く頭を下げながら、目配りを欠かさない。

 乗客の表情。

 護衛達の立ち位置。

 秘書達の動き。

 手元の端末を見ている役員が、少しでも眉を寄せたらすぐに拾えるような距離感。

 

 でも、その全部をやりながら、声だけはやわらかい。

 

「どうぞごゆっくりお過ごしください。何かございましたら、いつでもお声がけくださいませ」

 

 役員の一人が、シートへ腰を落ち着けたまま言う。

 

「今日は安心したよ」

 

 エリンは、穏やかに微笑んだ。

 

「ありがとうございます。そう言っていただけるのは、とても嬉しいです」

 

 別の企業の社長も、コーヒーを受け取りながらミラへ言った。

 

「この前も君だったね」

 

「はい」

 ミラが答える。

 

「今回は穏やかでいい」

 

「ええ」

 ミラも、小さく笑う。

「本日は最後まで落ち着いてお過ごしいただけるよう努めます」

 

 ランのいる中央ブロックでも、空気は終始穏やかだった。

 

 行きの便では警戒心の強かった護衛達も、今日は必要以上に客席を圧迫しない。

 それは、前回“乗務員の指示に従った方が船内が整う”と身をもって知ったからだろう。

 

「お飲み物はいかがいたしましょうか」

 

 ランが聞けば、年配の政治家が小さく頷く。

 

「温かいものをもらえるかな」

 

「かしこまりました」

 

「……君達、前回から三日くらいしか経っていないのに、驚くほど普通に見えるね」

 

 その言葉に、ランは一瞬だけ目を細めた。

 驚くほど普通。

 それはきっと、最大級の褒め言葉だ。

 

「ありがとうございます。“普通に見える”ようにするのが、私達の仕事ですから」

 

 相手が、少しだけ感心したように笑う。

 

「なるほど」

 

 後方ブロックでは、シルヴィアとホーネットが並んでいた。

 

 ホーネットは相変わらず元気だが、今日は浮ついていない。

 視野の広さはそのままに、余計な軽口は必要な時以外ほとんど挟まず、乗客の動線を実にきれいに拾っている。

 

「こちら、少し段差がございますので」

 

 その一言で、立ち上がった秘書の足元を先に見る。

 視線が広い。

 やはり本物だ。

 

 シルヴィアは、その横でさりげなく支えに入る。

 

「お手元、よろしければお持ちいたしましょうか」

 

「ありがとう」

 

「いえ」

 

 たったそれだけ。

 でも、客室全体を見た時に、“あの二人がいるから後方は大丈夫だ”と思える動きだった。

 

 ユウコも、自分に任された一ブロックをかなり落ち着いて捌いていた。

 

 前回は人質役として宇宙海賊の目の前に立ち、今回は一つのブロックの空気を預かっている。

 数日の間に経験したことがあまりにも濃すぎて、本人の中ではまだ整理しきれていないのだろう。

 それでも、不思議と声はぶれなかった。

 

「こちらでございます。どうぞ、ごゆっくりお座りくださいませ」

 

 そんなユウコを見て、ナツキが通路の端で小さく呟く。

 

「ちゃんとしてるじゃない」

 

 ユウコは、聞こえていたのかいないのか、ほんの少しだけ肩を上げた。

 

「そりゃそうでしょ、今日は私が一ブロックなんだから」

 

「そういうところよ」

 ナツキが小さく笑う。

 

 

 そして何より、今回の帰還便には“リュウジがいる”という安心が、乗客達の中にも薄く広がっていた。

 

 ただし、彼は客室に出てきてはいない。

 

 医療ルームで移送中。

 それが今回の条件だった。

 

 だが、“あの時助けてくれたS級パイロットが同じ船にいる”という事実だけで、前回の便を知る者達の表情は少し違った。

 

 何人かは、エリンへそれとなく聞いてきた。

 

「彼は大丈夫なのかね」

 

「安静に移送しております」

 エリンが答える。

「本日は医療ルームから外には出ておりませんが、状態は安定しております」

 

「そうか、それなら良かった」

 

 そう言って、それ以上は踏み込まない。

 

 それも、また前回を越えた者達の距離感だった。

 

 

 そして、火星コロニーへの帰還便は、本当に穏やかに進んでいった。

 

 大きな揺れもなく。

 怒号もなく。

 レーザー銃もなく。

 爆発もなく。

 

 ただ、乗客達が少しずつくつろぎ、乗務員達がその空気を整え、必要なものを必要なだけ渡し、時間が過ぎていく。

 

 それは、本来ならただの“普通のフライト”だ。

 でも、前回のことを知っている者達にとって、その“普通”がどれほどありがたいものか、誰もが知っていた。

 

 エリンは時々、通路の途中で小さく息を吐いた。

 

 それは疲労でもある。

 安堵でもある。

 

 こんなに静かな便が、これほど胸に沁みるなんて思わなかった。

 

 

 やがて着陸の時が来る。

 

 前回のような緊急着陸ではない。

 けれど、着陸の案内が入った瞬間、何人かの乗客がほんの少しだけ肩を強張らせたのが見えた。

 

 その一瞬の緊張を、乗務員達は見逃さない。

 

「どうぞご安心くださいませ」

「間もなく通常着陸でございます」

「お座席、シートベルトのご確認をお願いいたします」

 

 行きと違って、声の端々に余裕があった。

 それがそのまま、客室の安心へ変わっていく。

 

 そして、火星コロニーへ到着した。

 

 船体が静かに接続され、減圧も問題なく済み、ゲートが開く。

 

 降機の案内が始まる。

 

 

 エリンは、笑顔で乗客を降ろしていった。

 

 それは、前回とまるで違う意味の笑顔だった。

 

 “無理やり安心させるため”ではない。

 “崩れないために貼りつける笑み”でもない。

 

 ちゃんと送り届けられた。

 皆、無事だ。

 そう思えるからこその笑顔。

 

「ありがとうございました」

 

「こちらこそ、本日もご搭乗、誠にありがとうございました」

 

 役員の一人が通り過ぎる時に言う。

 

「次も、君達に頼みたい」

 

「ありがとうございます」

 エリンが微笑む。

「その時も、ぜひお待ちしております」

 

 別の女性も、降り際に小さく手を握った。

 

「本当にありがとう、前回も、今回も」

 

「いえ」

 エリンがそっと手を添え返す。

「無事にお送りできて何よりです」

 

 ミラも、ランも、シルヴィアも、ホーネットも、他の乗務員達も、それぞれに乗客を送り出していく。

 

「お足元お気をつけて」

「本日はありがとうございました」

「またお待ちしております」

 

 その声の重なりが、やわらかく船内へ響いていた。

 

 

 全員を降ろし終えたあと、船内はようやく乗務員達だけの空間になった。

 

 ラウンジも空。

 シートも静か。

 役員達の秘書も護衛も、もういない。

 残るのは、フライトを終えた疲労と、仕事を無事終えたあとの小さな達成感だけだ。

 

「じゃあ、清掃に入りましょうか」

 

 エリンが言う。

 

「はい」

「了解です」

 返事がそれぞれから返る。

 

 客室の清掃は、こういう時こそ丁寧にやる。

 ゴミの回収。

 忘れ物確認。

 収納の締め直し。

 ラウンジ周辺の整頓。

 ブランケットの回収。

 テーブルの拭き上げ。

 

 マユとサリーが前方寄り。

 ミラとランが中央。

 シルヴィアとホーネットが後方。

 クミコ達が補助に入る。

 

 穏やかなフライトの後の清掃は、どこか心地いい。

 まだ少しだけ緊張が残っている身体を、仕事の手順がやわらかくほどいていく感じがある。

 

 エリンは、前方寄りの座席列の間を見ながら、落とし物がないか確認していた。

 

 その時。

 

「エリンさん、大変です!?」

 

 慌てた様子のサリーが、かなり急ぎ足で近づいてきた。

 

 その声に、客室のあちこちで動いていた乗務員達の視線が一斉に集まる。

 

 何かあった。

 その空気が、さっと広がる。

 

「どうしたの?」

 

 エリンが、しかし落ち着いた声で聞く。

 

 サリーは、息を少し弾ませながら言った。

 

「リュウジさんがいなくなりました!?」

 

 その場にいた全員が、一拍遅れて驚いた。

 

「えっ!?」

 クミコが声を上げる。

 

「は!?」

 ユウコも顔を上げる。

 

「もう!?」

 ホーネットが言う。

 

「早い」

 シルヴィアが思わず呟いた。

 

 マユも、ミラも、ランも、一瞬だけ動きを止める。

 

 だが、その中で。

 

 エリンだけが、ほんの少しだけ口元をやわらげた。

 

「やっぱりね」

 

 その一言に、皆が逆に固まる。

 

「やっぱりって……」

 

 マユが驚いた顔で聞く。

 

「何でもお見通しなんですね」

 ナツキが半ば呆れたように言う。

 

「そりゃそうよ」

 ユウコが小さく笑う。

 

 エリンは、そんな反応を流すように小さく肩をすくめた。

 

「ほら、無駄口は叩かなくていいから。清掃しちゃいましょ」

 

「え、でも」

 サリーがまだ戸惑っている。

「探さなくていいんですか?」

 

「大丈夫」

 エリンが言う。

「たぶん今頃、もう確保されてるから」

 

「確保って」

 ホーネットが吹き出しそうな顔になる。

 

 ちょうどその時だった。

 

 エリンの携帯端末が、小さく震えた。

 

 画面を見下ろす。

 

 短いメッセージが一つ。

 

 確保

 

 送り主を見て、エリンはくすっと笑った。

 

「ね?」

 

 その“ね?”には、少しの呆れと、かなりの納得と、そして少しだけ安堵が混ざっていた。

 

 

 その少し前。

 

 リュウジは、案の定、医療ルームから抜け出していた。

 

 いや、本人の中では“抜け出す”ではなく、“もう十分だから動く”くらいの感覚だったのかもしれない。

 だが周囲から見れば、どう考えても抜け出しである。

 

 火星コロニーの宇宙港内は、それなりに広い。

 帰還便のゲート周辺は関係者で賑わっていたが、少し離れれば他便の案内や移動客もいて、流れに紛れること自体は難しくない。

 

 リュウジは、移送用の簡易車椅子を“借りるだけだ”と半ば強引に押し、途中からは普通に自分で立って歩こうとして、医療スタッフに止められ、最終的には「少しだけですよ」と言い残して出てきたのである。

 

 当然、少しだけで済む気は最初からなかった。

 

 彼が向かっていたのは、冥王星便の搭乗ゲートの方角だった。

 

 ベッドの上でじっとしているのが性に合わない。

 

 背中の傷は痛む。

 それでも歩ける。

 なら動く。

 

 そんな、いかにもリュウジらしい理屈で足を進めていた。

 

 だが。

 

「どこに行くつもりだ」

 

 低い声が、前から飛んだ。

 

 リュウジは、ぴたりと足を止めた。

 

 少し遅れて、別の声も聞こえてくる。

 

「予想通りすぎるんだけど」

 

 その声音には呆れがたっぷり混じっていた。

 

 リュウジは、ゆっくりと顔を上げる。

 

「……メノリ」

 

 通路の先に立っていたのはメノリだった。

 腕を組み、眉間にうっすら皺を寄せている。

 その横にはシャアラもいる。

 腰へ手を当て、まるで“またか”と言わんばかりの顔だ。

 

「シャアラもか」

 

 リュウジは、思わずため息を零した。

 

「どうしてここに」

 

 メノリが、ほんの少しだけ片眉を上げる。

 

「エリンさんから連絡がきた」

 

 その一言に、リュウジの表情がわずかに固まる。

 

 シャアラが、そこで悪びれもせずに言った。

 

「リュウジが抜け出すだろうから、捕まえておいてってね」

 

 その言い方があまりにも自然で、リュウジはまた一つ深いため息を吐く。

 

「……そこまで読まれてたか」

 

「読まれるに決まってるでしょ」

 シャアラが言う。

「病院から無理やり転院させられたばっかりで、すぐ大人しくしてるような人じゃないもの」

 

「否定しないんだな」

 メノリが言う。

 

「否定しても無駄だろ」

 

「無駄だな」

 メノリはきっぱり言った。

 

 そして、一歩前へ出る。

 

「観念しろ、さっさと病院に行くぞ」

 

 リュウジは、少しだけ眉をひそめる。

 

「もう十分だろ」

 

「十分じゃない」

 メノリが即答した。

 

「十分ではないわね」

 シャアラも言う。

「背中に破片刺さって、大量出血した人が何言ってるの」

 

「もう抜けた」

 リュウジが言う。

 

「抜けたあとも治るまでが怪我なの」

 シャアラが返す。

「何、子どもみたいなこと言ってるの」

 

「お前に言われたくない」

 

「何ですって?」

 

 メノリが、二人の間へ低い声を落とす。

 

「そこ、今やるな」

 

 ぴたりと空気が締まる。

 

 リュウジはそれ以上言い返さなかった。

 シャアラも肩をすくめて口を閉じる。

 

「で」

 メノリが言う。

「自分で戻るか、引きずられて戻るか、どっちだ」

 

 リュウジは、さすがに少しだけ本気で考えた。

 

 今の身体で、メノリ相手に強引に抜けるのは無理だ。

 しかもシャアラまでいる。

 この二人がわざわざここに立っている時点で、逃がす気が一切ない。

 

 そして、何より。

 

「逃げたらルナに言いつけるからね」

 

 シャアラが、にっこり笑ってそう言った。

 

 その瞬間、リュウジの肩がわずかに落ちた。

 

「……卑怯だな」

 

「有効でしょ?」

 シャアラが得意げに言う。

 

 メノリは、鼻で小さく息を吐いた。

 

「今回は諦めるか」

 

 リュウジは、半ば観念したようにそう言って肩を落とした。

 

「最初からそうしろ」

 メノリが言う。

 

「本当よ」

 シャアラも続ける。

「こっちだって、呼び出されて来てるんだから」

 

「エリンさん、ちゃんと先回りしてたんだね」

 リュウジが小さく呟く。

 

「そりゃそうだ」

 メノリが言う。

「お前の行動くらい、今のあの人なら読む」

 

 その言葉に、リュウジはほんの少しだけ目を細めた。

 

 否定はしない。

 むしろ、妙に納得している顔だった。

 

 そして、シャアラが端末を取り出し、短くメッセージを打つ。

 

「送っとくね」

 

「何を」

 

「確保って」

 シャアラが言う。

「安心するでしょ」

 

 リュウジは、それには何も言わなかった。

 少しだけ視線を逸らしただけだ。

 

 メノリは、それを見て静かに言う。

 

「ほら、戻るぞ」

 

「……はいはい」

 

「返事が軽い」

 メノリが言う。

 

「誰かに似たんだろ」

 

「誰だ」

 

「さあな」

 

 シャアラが笑いながら言う。

 

「似たのはたぶん、頑固な方でしょ」

 

 そうして三人は、宇宙港の奥へと引き返していった。

 

 

 一方その頃、客室ではエリンが端末のメッセージを見て、くすっと笑っていた。

 

 確保

 

 たったそれだけ。

 

 でも、それだけで十分だった。

 

 サリーが、まだ少し不安そうに聞く。

 

「本当に大丈夫なんですか?」

 

「ええ」

 エリンが端末をしまいながら言う。

「たぶん、今頃ふてくされて戻ってるわ」

 

「想像つく」

 ホーネットが笑う。

 

「すごいなぁ……」

 クミコが言う。

「ほんとに何でも読まれてる」

 

「だって、エリンさんですから」

 ミラが穏やかに言う。

 

 ランも、小さく笑った。

 

「それに、相手がリュウジさんだし」

 

「そうね」

 エリンが頷く。

「放っておいたら、絶対そのうち冥王星便に乗る顔してたもの」

 

「顔で分かるんですか?」

 ユウコが聞く。

 

「分かるわよ」

 エリンが即答する。

 

「どういう顔なんですか」

 ナツキが聞く。

 

「無駄に静かで、妙に素直な顔してる時ほど怪しいの」

 

「分かるかも……」

 シルヴィアが言う。

 

「私も分かる」

 ミラが頷く。

 

「皆んな分かるんですね」

 アズサが言う。

 

「ええ」

 ランが小さく息を吐く。

「でも、それを先回りするのは、やっぱりエリンさんくらいだと思う」

 

 エリンは、それには何も言わず、ただ小さく笑うだけだった。

 

 その笑みは、呆れ半分、安心半分、そして少しだけ楽しそうでもあった。

 

 穏やかな帰還便。

 無事に送り届けた乗客達。

 そして案の定、医療ルームを抜け出すリュウジ。

 

 最後の最後まで、やはり“普通”では終わらない。

 でも、それでこそ彼ららしいのかもしれない。

 

「ほら」

 エリンが言う。

「清掃、終わらせちゃいましょ」

 

「はい!」

 

 返事があちこちから返る。

 

 客室には、もう乗客はいない。

 残っているのは、乗務員達の笑いをこらえた空気と、仕事を終えた後の少し軽い疲れだけ。

 

 その中で、エリンはもう一度だけ端末へ視線を落とした。

 

 確保

 

 たった二文字のその報告が、妙に可笑しくて。

 

 エリンは、誰にも聞こえないくらい小さく、もう一度だけ笑った。

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