サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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始動

 キャットからの連絡は、拍子抜けするくらい早かった。

 

 カイエが送ったメッセージは、送信してからまだ十分も経っていない。

 正直、タツヤ班長の言い方からして「気が向いたら返す」タイプだと思っていたし、下手をすると半日くらい既読もつかないのではないかと覚悟していた。

 

 だが、端末はすぐに震えた。

 

 短い通知音。

 表示された差出人の名前は、たしかにキャット・レーン。

 

 カイエは、少しだけ呼吸を整えてから画面を開いた。

 

 文面は、思っていた以上にそっけない。

 

 話ぐらいは聞いてあげる。

 今日の夕方、ソーラ・デッラ・ルーナ南棟のレストラン“オルビータ”。

 遅れないで。待つのは好きじゃないの。

 

「……感じ悪いわね」

 

 思わず口から漏れた。

 

 だが、同時に少しだけ安堵もする。

 少なくとも、門前払いではない。

 話を聞く気はある。

 それだけで今は十分だった。

 

 カイエは、そのメッセージをすぐにカオルへ転送した。

 

 キャットから返事きた。今日の夕方、南棟の“オルビータ”で会う。来られる?

 

 返事は遅くなかった。

 

 行く。少し業務の調整がある。遅れるなら連絡する。

 

「少し、ね……」

 

 カイエは、短い返事を見ながら小さく呟く。

 

 カオルの言う「少し」は、案外少しではない時がある。

 本人は時間に雑なタイプではないが、仕事を優先する癖が強い。

 その上で“行く”と答えた以上、何とかするつもりなのだろうけれど、そこにどこまで余裕があるかは別問題だ。

 

 けれど、医療従事者の候補と会う場だ。

 操縦士であるカオル本人がいないのも違う。

 

 カイエは端末を閉じて、深く息を吐いた。

 

「遅れないでよ、本当に」

 

 

 夕方。

 

 コロニーロカA2のエアポート、ソーラ・デッラ・ルーナ南棟にあるレストラン“オルビータ”は、空港施設内にある店らしく、どこか妙に洒落ていた。

 

 大きなガラス窓。

 外には発着デッキの一部が見え、その向こうに宇宙港の白い光が広がっている。

 店内は落ち着いた間接照明で、木目と金属を合わせたような内装は、いかにも「ビジネス利用も意識しています」という顔をしていた。

 昼は打ち合わせ、夜は軽い会食。

 そういう使われ方を前提にしている店なのだろう。

 

 カイエは、約束の十分前には店へ着いていた。

 

 案内された席は、窓際寄りの二人用テーブル。

 いや、厳密には三人でも座れる広さはある。

 タツヤ班長の話からして、“キャット”がこういう店を指定するのは少し意外だったが、考えてみれば元宇宙ハンターという肩書きだけで荒っぽい場所を好むと決めつける方が浅いのかもしれない。

 

 カイエは姿勢を崩さずに座り、端末で時刻を確認した。

 

 あと五分。

 

 店内には、スーツ姿の男二人が資料を広げている席もあれば、若い乗務員らしき二人組が食後のデザートをつついている席もある。

 静かすぎず、うるさすぎず、話をするにはちょうどいい空気だ。

 

 そして、約束の三分前。

 

「待たせてないかしら」

 

 声がした。

 

 カイエが顔を上げる。

 

 そこに立っていた女性を見て、まず最初に思ったのは、なるほど、扱いが難しそうだった。

 

 背は高め。

 細いが華奢というほどではなく、無駄のない身体つき。

 長い黒髪を緩く一つにまとめていて、顔立ちは整っている。

 年齢はカイエより少し上に見えるが、はっきりとは分からない。

 服装はシンプルなジャケットとパンツスタイル。

 派手さはないのに、妙に目を引く。

 

 そして何より、視線が独特だった。

 落ち着いている。

 だが、油断しているわけではない。

 こちらを一瞬見ただけで、たぶん席の位置、出入り口、窓際、店員の動線、その全部を把握している。

 

「いいえ」

 カイエは立ち上がって軽く会釈する。

「カイエです」

 

「知ってるわ」

 女性――キャットは、ほんの少しだけ口元をゆるめた。

「タツヤから“真面目な子が来る”って聞いてるもの」

 

「班長……」

 

「班長?」

 キャットが椅子を引きながら聞き返す。

「ああ、タツヤのこと。あの人、今でもそんな呼ばれ方してるのね」

 

「知り合いなんですね」

 

「ええ」

 キャットは、まるで当たり前のことみたいに言う。

「昔、何度か仕事をしたわ。面白い男だった」

 

 その“面白い男”の言い方が、妙に大人びていた。

 年齢不詳に見える理由は、この話し方かもしれない、とカイエは思う。

 

 キャットは、メニューもろくに開かないまま水を一口飲んだ。

 

「それで?話ぐらいは聞いてあげるって返したけど、本当に“話を聞く”だけのつもりで来たわけじゃないの。私を呼んだってことは、何かしらの役割を押しつけたいんでしょう?」

 

 随分と率直だった。

 

「押しつけたいわけではありません」

 カイエは冷静に言う。

「ただ、探索用シミュレーションの医療従事者として、あなたに参加してもらえないかと思って」

 

「探索用」

 キャットがその単語を繰り返す。

「宇宙管理局の、あれね」

 

「ご存知ですか?」

 

「話は回ってきてるわ。元ハンターのところには、そういう“面白そうな匂い”だけはすぐ届くの」

 キャットは淡々と言う。

「でも私は今、管理局の人間でも企業の人間でもないわよ」

 

「承知しています」

 カイエは頷いた。

「それでも、タツヤ班長が、あなたなら探索用に向いていると」

 

「タツヤが」

 キャットは、そこで初めて少しだけ面白そうに目を細めた。

「へぇ。あの人、ちゃんと私のことを思い出したのね」

 

「連絡先もいただきました」

 

「そう」

 キャットは、また水を一口飲む。

「で、今のところのメンバーは?」

 

 カイエは、順に説明した。

 

 操縦士はカオル。

 副操縦士はユアン。

 メカニックはシンゴ。

 システムエンジニアには宇宙管理局のナミ。

 コックピットコンディションは自分。

 

「ふぅん……」

 

 キャットは、その名前を一つずつ頭の中へ置くみたいに繰り返した。

 

「カオル」

「ユアン」

「シンゴ」

「ナミ」

「あなた」

 

 そして、特に感情の見えない顔で言う。

 

「まだ顔が見えないわね」

 

「それは……」

 

「人選が悪いって意味じゃないの」

 キャットが先に言った。

「ただ、“探索用のチーム”としての輪郭が、まだ少し見えづらい。それぞれの役割は分かる。でも、どう噛み合うのかまではまだ見えない」

 

 その言葉に、カイエは少しだけ身を乗り出した。

 

「何を見れば分かるんですか」

 

「中心よ」

 キャットは即答した。

「操縦士。その人がどういうタイプかで、医療が前に出るべきか、引くべきかが変わる」

 

 なるほど、と思う。

 同時に、やはりこの人は現場を知っているとも思った。

 

「今日は操縦士本人も来る予定です」

 カイエが言う。

「少し仕事の調整があって、遅れるかもしれませんが」

 

「遅れるの」

 

「まだ確定じゃありません」

 

「そう」

 キャットは少しだけ肩をすくめた。

「私は待つの、好きじゃないんだけど」

 

「すみません」

 

「別に謝らなくていいわ。あなたが遅れるわけじゃないもの」

 

 言い方は柔らかいのに、妙に切れ味がある。

 

 店員が注文を取りに来たので、カイエは一度話を切った。

 キャットは迷わず軽めの前菜と白身魚のソテーを頼み、カイエはコーヒーだけにする。

 

「食べないの?」

 キャットが聞く。

 

「あとでにします」

 カイエが答える。

「話が先ですから」

 

「真面目ね」

 キャットが言う。

「タツヤが言ってた通り」

 

「どう言ってたんですか」

 

「“ちゃんとしてる子”って」

 キャットが言う。

「あと、“最初から舐めた話し方はしない”って」

 

 その評価は、少しだけ意外だった。

 

「……班長にしては、ちゃんと見てますね」

 

「そういうところは、ちゃんと見てる男よ」

 キャットは淡々と言った。

 

 

 話が進むにつれて、キャットはやはり最初は面倒くさそうだった。

 

 医療資格を持っているとはいえ、今はどこかへ所属しているわけではない。

 自由に仕事を受け、自由に断っている。

 探索用シミュレーションに出たところで報酬が特別いいわけでもないし、拘束時間の長さを考えれば、割に合うかどうかも怪しい。

 

「正直に言うと」

 キャットがナイフとフォークを持ちながら言う。

「私は“未来の人材育成のために頑張りましょう”っていう熱意、あまり持ち合わせていないの」

 

「でしょうね」

 カイエが言う。

 

 キャットが少しだけ目を上げた。

 

「今の“でしょうね”は面白いわ。普通はそこで取り繕うものじゃない?」

 

「取り繕っても意味がない気がしたので」

 

「そう」

 キャットは小さく笑う。

「嫌いじゃないわ」

 

 だが、それでも食いつきは鈍い。

 

「探索用、ねぇ。閉鎖空間、未知のトラブル、役割ごとの連携。言ってることは分かるし、たぶんそれなりに面白いんでしょうけど、わざわざ私が入らなくても、医療資格持ってる人は他にもいるでしょう?」

 

「います」

 カイエは認めた。

「でも、あなたじゃないと駄目だと思ったんです」

 

「どうして?」

 

「医療だけの人だと、操縦側との距離感が掴みきれないかもしれない。でも、あなたは操縦も知っている。しかも元宇宙ハンターで、未知の状況も前提にしてきた」

 

 キャットは、それを聞きながらも表情を大きくは動かさない。

 

「上手く褒めるのね」

 

「褒めているつもりはありません」

 カイエが言う。

「必要な要素をそのまま言ってるだけです」

 

「なお悪いわね」

 キャットが笑う。

「便利そうってことだもの」

 

「便利だから頼むんじゃありません」

 

「じゃあ?」

 

「必要だからです」

 

 その一言には、カイエ自身も少し驚くくらい力が入っていた。

 

 キャットは、数秒だけナイフを止めた。

 

「……本当に真面目」

 

「それはよく言われます」

 

「疲れない?」

 

「疲れます」

 カイエは即答した。

「でも、必要な時はそうするしかないので」

 

 キャットは、それ以上は何も言わなかった。

 ただ、まだ完全には乗っていない。

 話を聞いているだけ。

 その線は崩していない。

 

 カイエは内心で少しだけ焦った。

 

 悪い反応ではない。

 だが、決め手もない。

 これでは、“面白そうだから考えておく”くらいで終わる可能性が高い。

 

 そこで。

 

「遅くなった」

 

 低い声がした。

 

 カイエが顔を上げる。

 

 レストランの入り口近くから、まっすぐこちらへ歩いてくる男がいた。

 

 カオルだ。

 

 制服ではなく、仕事終わりなのか少しラフなジャケット姿。

 それでも立ち姿は整っていて、歩くたびに妙に目を引く。

 もともと顔立ちがいい上に、本人にその自覚がほとんどないから余計に質が悪い。

 

 キャットの視線が、明らかにそこで変わった。

 

 ほんの一拍。

 それまでの、少し面倒そうで、少し距離を測っているような目ではなくなる。

 

「……あら」

 

 小さく言った。

 

 カイエは、それを聞き逃さなかった。

 

 カオルはテーブルのそばまで来ると、まずカイエへ目を向ける。

 

「悪い。少し押した」

 

「来たならいい」

 カイエが言う。

「こちらがキャットさん」

 

 カオルは視線を移して、軽く頭を下げた。

 

「はじめまして、カオルです」

 

 その短い挨拶に対して、キャットは少しだけ目を細めたまま答える。

 

「キャットよ。はじめまして」

 

 そして次の瞬間、ナイフとフォークを置いて、実に自然な口調で言った。

 

「いい男」

 

 カイエの動きが止まる。

 

 カオルも一瞬だけ目を瞬いた。

 さすがに予想していなかったのだろう。

 

「……は?」

 

 カオルが言う。

 

 キャットは、まるでごく当たり前の感想を述べただけみたいな顔で続ける。

 

「だって、そうでしょう?顔立ちがいいし、立ち方も悪くない。声も落ち着いてる。そういうの、嫌いじゃないの」

 

「……」

 

 カオルは、珍しく言葉に詰まった。

 

 カイエは、そこでようやく咳払いした。

 

「キャットさん」

 

「何?」

 キャットが悪びれもせずに見る。

 

「今、話の流れがおかしくなったんですけど」

 

「そうかしら」

 キャットは言う。

「私は正直に言っただけよ」

 

 その様子を見て、カイエは内心で悟った。

 

 班長の言う通り、本当に扱いが難しい。

 

 だが、同時に分かったこともある。

 

 空気が変わった。

 明らかに。

 

 さっきまで“面倒そうだから半分聞いてるだけ”だったキャットが、今はちゃんとカオルに興味を持った。

 それがいい意味なのか悪い意味なのかはまだ分からない。

 でも、少なくとも“この場からもう帰りたい”という空気ではなくなった。

 

「座って」

 カイエがカオルに言う。

 

「……ああ」

 

 カオルはまだ微妙な顔をしながらも、カイエの隣へ座った。

 

「遅れた理由は?」

 カイエが小声で聞く。

 

「整備との引き継ぎが長引いた」

 カオルが答える。

「それと、ユアンに少し捕まった」

 

「何て?」

 

「“俺もそのシミュレーション、本気でやるからな”って」

 

「……らしいわね」

 カイエが息を吐く。

 

 キャットは、そんな二人の小声のやり取りを見ながら、楽しそうでもなく、でもつまらなそうでもない表情で言った。

 

「あなたが操縦士なのよね」

 

 カオルが視線を向ける。

 

「ああ」

 

「探索用シミュレーションに出るつもり?」

 

「そのつもりだ」

 

「どうして?」

 

 その問いは、妙に真っ直ぐだった。

 

 カオルは、少しだけ考えたあとで答える。

 

「今の自分に足りないものがあるからだ」

 

 キャットの目が、少しだけ細くなる。

 

「へぇ」

「操縦が上手いだけじゃ足りない、って思ってるのね」

 

「足りない」

 カオルは言う。

「だから出る」

 

 短い。

 だが、その短さの中に迷いがない。

 

 キャットは、そこで初めてちゃんと笑った。

 

 小さく。

 でも、はっきりと。

 

「いいわ」

 

 カイエが顔を上げる。

 

「え?」

 

「話、受ける」

 キャットは言った。

「探索用シミュレーションの医療従事者。参加してあげる」

 

 あまりにもさらっと言われて、今度はカイエの方が一瞬遅れる。

 

「……本当に?」

 

「本当に」

 キャットが頷く。

「別に、いい男だからってだけで決めたわけじゃないわよ。でも、操縦士本人の顔を見て決めた方が早いと思ったし、今の返事、嫌いじゃなかったから」

 

 カオルは、少しだけ眉を寄せる。

 

「“いい男”は否定しないんだな」

 

「そこは本音だもの」

 キャットが平然と返す。

 

 カイエは、頭を抱えたくなった。

 

「やっぱり扱いが難しい……」

 

 キャットがその呟きを拾う。

 

「タツヤに聞いたの?」

 

「ええ」

 カイエが言う。

「“扱いが難しいから気をつけろ”って」

 

「失礼ね」

 キャットは言った。

「私は少し自由なだけよ」

 

「それを難しいって言うんです」

 カイエが即答する。

 

 カオルは、隣で小さく息を吐いた。

 

「でも、受けるなら助かる」

 

「素直ね」

 キャットが言う。

「嫌いじゃないわ」

 

「それ、すぐ言うのか?」

 

「思ったことは言う方なの」

 キャットが言った。

「そうしないと面倒でしょう?」

 

「十分面倒です」

 カイエが真顔で言う。

 

 

 そこから先の話は、案外早かった。

 

 キャットは、正式な条件をいくつか確認した。

 日程。

 拘束時間。

 想定しているシミュレーションの種類。

 管理局側の関与。

 負傷想定の有無。

 医療従事者としての裁量の範囲。

 

 その質問は的確で、無駄がない。

 ふわふわして見えるのに、確認するところはきっちりしている。

 

 カオルは、それを聞きながら内心で少し見直していた。

 最初の「いい男」の印象が強すぎたが、少なくとも現場の話になればきちんと切り替わるらしい。

 

「一応聞くけど」

 キャットが言う。

「私は操縦も分かるし、医療も見られる。でも今回は医療従事者として入る。その上で、緊急時に操縦側へ口を出すこともあるかもしれないわよ?」

 

「構わない」

 カオルが言う。

 

「即答ね」

 

「必要なら言えばいい」

 カオルは答えた。

「黙って見ていられる方が困る」

 

 キャットは、その返しにまた少しだけ笑う。

 

「そう、それならやりやすいかも」

 

 カイエは、そのやり取りを見ながら、ようやく肩の力を抜いた。

 

 これで、六人揃った。

 

 操縦士、カオル。

 副操縦士、ユアン。

 メカニック、シンゴ。

 システムエンジニア、ナミ。

 コックピットコンディション、自分。

 医療従事者、キャット。

 

 とりあえず、ここまでは来た。

 

「あと一人」

 カイエが言う。

 

「追加枠ね」

 キャットが頷く。

「それは顔合わせしてから決めればいいんじゃない?」

 

「俺もそう思う」

 カオルが言った。

 

 キャットは、そこでふっと視線をカイエへ向ける。

 

「あなた、昨日まで相当悩んでたでしょ」

 

「……分かります?」

 

「分かるわよ」

 キャットは言う。

「今の顔、さっきよりずっと軽いもの」

 

 図星だった。

 

 カイエは、小さく息を吐いて笑う。

 

「ええ。正直、かなり」

 

「いいんじゃない」

 キャットが言う。

「チーム編成なんて、最初の一人二人が固まらないのが一番気持ち悪いもの」

 

「よく分かってますね」

 

「そりゃ、現場は何回も組んできたもの」

 キャットはナプキンで口元を押さえながら言う。

「その代わり、集めた後の方が面倒よ。人は揃えたら勝手に噛み合うわけじゃないから」

 

「そこは分かってる」

 カオルが言う。

 

「本当に?」

 キャットが少し楽しそうに聞く。

 

「本当にだ」

 

「ならいいわ」

 キャットが頷く。

「“いい男”なだけじゃ困るもの」

 

「それ、まだ言うんですね……」

 カイエが呆れる。

 

「言うわよ」

 キャットが涼しい顔で言う。

「だって事実だし」

 

 カオルは、今度は何も言い返さなかった。

 言い返しても無駄だと判断したのか、単にもう面倒くさくなったのか。

 たぶん両方だろう。

 

 その様子を見て、カイエは内心で思った。

 

 たしかに、これは面倒だ。

 

 でも、悪くない。

 

 少なくとも、探索用シミュレーションのチームとしては、悪くないどころか、かなり面白いところまで来た気がする。

 

 店の窓の外では、宇宙港の光が静かに広がっていた。

 発着する船の影が遠くに動き、人工夜の空がぼんやりと明るい。

 

 カイエは、その光を横目に見ながら思う。

 

 医療従事者は見つかった。

 しかも、思っていた以上に癖の強い一人が。

 

 次は、この六人をちゃんと一つのチームとして並べる番だ。

 

「じゃあ」

 カイエが言う。

「正式な顔合わせ、組みます」

 

「ええ」

 キャットが頷く。

 

「分かった」

 カオルも短く言う。

 

 そこでようやく、カイエは心の底から思った。

 

 人数は揃った。

 

 少なくとも、今はそれで十分だった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

レストランを出た後、カオルとカイエは並んでソーラ・デッラ・ルーナの通路を歩いていた。

 

 空港施設の夜は明るい。

 発着案内の光、店の看板、移動通路の照明、それらが白く床へ反射していて、人工の夜なのにどこか寝るには惜しい色をしている。

 

 少し前までは、医療従事者が決まらないことばかりが頭にあった。

 けれど今、カイエの胸の内はさっきまでよりだいぶ軽い。

 

 キャットが参加を受けた。

 それも、ただ曖昧に保留したのではなく、ちゃんと頷いた。

 

 癖は強そうだ。

 いや、強いどころではない。

 だが、医療資格があり、操縦もできて、元宇宙ハンター。

 探索用シミュレーションに放り込む人材としては、むしろ出来すぎているくらいだった。

 

 その横を歩くカオルは、相変わらず無表情に近い顔をしている。

 けれど、ほんの少しだけ肩の力が抜けているのは分かった。

 

「……で?」

 

 先に口を開いたのはカイエだった。

 

「なにが」

 

 カオルが短く返す。

 

「“いい男”って言われた感想」

 カイエがさらりと言う。

 

 カオルの歩幅が、ほんの一瞬だけ乱れた。

 

「別にない」

 

「ふぅん」

 カイエが横目で見る。

「ちょっと固まってたくせに」

 

「急に言われたら誰でもそうなるだろ」

 

「そうかしら」

 カイエは口元をゆるめる。

「私はちょっと面白かった」

 

「面白がるな」

 

「でも、あれで明らかに空気変わったじゃない」

 カイエが言う。

「最初は完全に“話だけ聞くけど面倒そう”って顔してたのに、カオルが来た途端、興味持った」

 

 カオルは、それにはすぐに返さなかった。

 

 しばらく歩いてから、小さく息を吐く。

 

「……結局、受けたのは俺の顔だけが理由じゃないだろ」

 

「もちろん」

 カイエは即答した。

「でも、きっかけにはなったわね」

 

「嫌な言い方だな」

 

「事実だもの」

 カイエが肩をすくめる。

「それに、その後の返事も悪くなかったし」

 

「返事?」

 

「“今の自分に足りないものがあるから出る”ってやつ」

 カイエが言う。

「キャット、あれ聞いて乗ったところもあると思う」

 

 カオルは、それを聞いて少しだけ眉を寄せた。

 

「そうか?」

 

「ええ」

 カイエが頷く。

「カオル、思ってるより真っ直ぐなのよ。そういうの、キャットみたいなタイプには案外響く」

 

「……分からないな」

 

「そりゃ本人は分からないでしょ」

 カイエが小さく笑う。

「でも、私はそう見えた」

 

 少しの沈黙。

 

 通路の向こうを、小型の配送カートが音もなく横切っていく。

 遠くでは、出発前の案内アナウンスが流れていた。

 

 カオルは、そのタイミングで話を変えた。

 

「ユアンとシンゴには、明日声をかける」

 

「明日?」

 カイエが聞き返す。

「今日じゃなくて?」

 

「今の時間だと遅い」

 カオルが言う。

「ユアンはまだフライト終わりかもしれないし、シンゴは研修の資料見てる時間だ」

 

「へぇ」

 カイエが少しだけ感心したように言う。

「そこはちゃんと考えるんだ」

 

「何だその言い方は」

 

「いや」

 カイエが笑う。

「カオルって、思い立ったらその場で連絡しそうなイメージもあるから」

 

「仕事の時間まで勝手に踏み込まない」

 カオルが言った。

「そこまで子どもじゃない」

 

「子どもじゃない、ね」

 カイエは少しだけ目を細めた。

「その割には、さっきキャットに“いい男”って言われて固まってたけど」

 

「……それは関係ないだろ」

 

「あるでしょ」

 

 カイエがそう言うと、カオルは露骨に面倒そうな顔をした。

 

「お前、しばらくその話する気か」

 

「するかも」

 

「やめろ」

 

「考えとく」

 カイエは楽しそうに言った。

 

 

 

 小会議室に集まった六人の空気は、まだ少しだけ硬かった。

 

 ハワード財閥の旅行会社の中でも、探索用シミュレーションに向けた顔合わせというのは、やはり特別だ。

 しかも今回は、ただの訓練ではない。

 宇宙管理局が今後の未探索領域調査と人材育成を兼ねて行う、本格的な探索想定のシミュレーション。

 

 操縦士、カオル。

 副操縦士、ユアン。

 メカニック、シンゴ。

 システムエンジニア、ナミ。

 医療従事者、キャット。

 そしてコックピットコンディションのカイエ。

 

 役割は揃った。

 だが、顔ぶれが揃っただけではチームとは呼べない。

 

 長机を囲むように座る面々の前で、カイエは一度だけ全員の顔を見回した。

 

 カオルはいつも通り、無駄な力みのない姿勢で座っている。

 ユアンはカオルの真正面。いかにも“意識してます”という位置取りだ。

 シンゴは少し緊張しているのか、背筋を伸ばしすぎている。

 ナミは端末を脇に置いて静かに周りを見ていた。

 キャットは、椅子の背にもたれながら脚を軽く組み、いかにも“観察してる”顔をしている。

 

 最初に口を開いたのはカイエだった。

 

「じゃあ、始めるわね」

 

 全員の視線がカイエへ向く。

 

「今日は正式な顔合わせと、軽いすり合わせ。本番前に、誰がどういう人間か、どんな時にどう動くかを知っておきたいの」

 

 そこでカイエは一拍置いた。

 

「その前に、一つだけルールを決める」

 

 少しだけ空気が締まる。

 

「このチーム、敬語はなしで行くわよ」

 

 その一言に、ユアンがわずかに眉を上げた。

 シンゴが「え」と小さく目を丸くする。

 ナミも少しだけ意外そうに瞬きをした。

 キャットだけが、面白そうに口元をゆるめる。

 

「連携を深めるため?」

 ナミが確認するように聞いた。

 

「そう」

 カイエが頷く。

「探索用のシミュレーションって、たぶん思ってるよりずっと忙しい。何か起きた時に、“すみません”とか“お願いします”とか、一個一個挟んでる余裕はない。それに、役職とか年齢とか会社の立場より、今この場でどう伝わるかの方が大事」

 

 カオルは黙って聞いていたが、小さく頷いた。

 

「賛成だ」

 

 短い一言。

 だが、それだけで流れができる。

 

 ユアンは少しだけ腕を組んで言った。

 

「……俺も別にいいです。いや、いい」

 

「敬語抜くなら最後までちゃんと抜きなさい」

 カイエがすぐに言う。

 

 ユアンは一瞬だけ詰まって、それから咳払いした。

 

「……いい。別にその方がやりやすいなら」

 

「うん」

 カイエが頷く。

「最初は気持ち悪いかもしれないけど、すぐ慣れる」

 

 シンゴが、少しだけ困ったように笑った。

 

「僕……いや、俺は、ちょっと慣れるまで時間かかるかも」

 

「それでもいいわよ」

 カイエが言う。

「大事なのは“敬語を崩すこと”じゃなくて、“距離を詰めること”だから。途中で混ざってもいい。ただ、本番までにはちゃんと崩しといて」

 

「分かった」

 シンゴは、今度は少し自然に頷いた。

 

 ナミは指先で端末を軽く叩きながら言った。

 

「私は問題ない。もともと、現場寄りだと敬語を削ることもあるし」

 

「さすが」

 カイエが言う。

 

「ただ」

 ナミが横目でキャットを見る。

「この人は、最初から敬語使う気がなさそうだけど」

 

 キャットは、楽しそうに笑った。

 

「だって、面倒じゃない。最初からそうしなさいって言われるなら助かるわ」

 

「助かるのね」

 カイエが少し呆れたように言う。

 

「ええ」

 キャットが涼しい顔で言う。

「距離が曖昧な方が、私はやりにくいもの」

 

 カイエは、それに小さく頷いてから、改めて全員を見る。

 

「よし、じゃあ、今からここでは敬語なし。呼び方も、役職付きはなし。カオルはカオル、ユアンはユアン、シンゴはシンゴ、ナミはナミ、キャットはキャット、私はカイエでいい」

 

「了解」

 カオルが言う。

 

「……了解」

 ユアンも続く。

 

「うん」

 シンゴが頷く。

 

「分かった」

 ナミ。

 

「はいはい」

 キャットが言う。

「じゃあ遠慮なくやるわね」

 

「もともと遠慮してなかったでしょ」

 カイエが返す。

 

「そこは見抜かれてるのね」

 

 小さな笑いが、一度だけ部屋に落ちた。

 

 それだけで、最初の硬さが少しだけほどけたのが分かった。

 

 

「じゃあ改めて、自己紹介」

 カイエが言う。

「短くでいいから、自分の役割と、どういう動き方をするタイプかまで言って」

 

「俺からでいいか」

 

 カオルが先に口を開いた。

 

「操縦士のカオル。操縦は前に出る。何かあった時も、まず飛ばすことを優先する。その分、見えてないものがあったら言ってくれ、黙られる方が困る」

 

 短い。

 だが、いかにもカオルらしい自己紹介だった。

 

 次にユアン。

 

「副操縦士のユアン。隣で黙って座ってるつもりはない。おかしいと思ったら言う。相手がカオルでも関係ない」

 

 真正面から言い切った。

 その物言いに、キャットが少しだけ口元を上げる。

 

「いいじゃない。そういうの、嫌いじゃないわ」

 

「別に、好かれたくて言ってない」

 ユアンが返す。

 

「へぇ」

 キャットが面白そうに目を細める。

「ちゃんと張るのね」

 

「張るって何だよ」

 

「プライド」

 ナミがさらっと言った。

 

 ユアンがそちらを見る。

 

「……悪いか」

 

「悪くない」

 ナミが言う。

「隠して変になるより分かりやすい方がいい」

 

 そこでシンゴが少しだけ緊張した顔で口を開いた。

 

「メカニック担当のシンゴ。まだ勉強中のことも多い。だから、分からないことは分からないって言う。でも、その分、見落としはしないようにする。手を抜くつもりもない」

 

 その言葉には、シンゴらしい真面目さが滲んでいた。

 

「いいね」

 キャットが言う。

「変に出来るふりするより、そっちの方が信用できる」

 

 シンゴは、少しだけ驚いたように目を瞬いた。

 

「……ありがとう」

 

「ナミ」

 カイエが促す。

 

「システムエンジニアのナミ。もともとは宇宙管理局側の運用補助だけど、監視系と船内システム補助は一通り見てる。数字だけ読むつもりはない。必要な情報はちゃんと噛み砕いて返す。あと、うるさくなったら止める」

 

 その最後の一言に、ユアンが眉を上げる。

 

「もう止める前提かよ」

 

「前提」

 ナミが即答する。

「今のところ、この部屋で一番うるさくなりそうなの、あんたとカオルだから」

 

「俺は必要なことしか言わない」

 カオルが言う。

 

「熱量が高いの」

 ナミが返した。

 

 カイエが、そこで小さく笑う。

 

「そういうのを見たくて集めたのよ」

 

「私の番?」

 キャットが言う。

 

「ええ」

 カイエが頷く。

 

 キャットは、椅子にもたれたまま軽く顎を上げた。

 

「医療従事者のキャット。医療資格あり。操縦も分かる。元宇宙ハンター。だから、未知のことが来ても別にそんなに慌てない。その代わり、私のペースを無理に崩そうとすると面倒なことになる。それと……」

 

 そこで、視線がすっとカオルへ向く。

 

「いい男は好き」

 

「そこ自己紹介に入れるの!?」

 カイエが即座に突っ込んだ。

 

 会議室の空気が一瞬止まり、それからシンゴが吹き出しそうになる。

 ナミは額を押さえた。

 ユアンは明らかに「何なんだこいつ」という顔をしている。

 

 当のカオルは、深くため息を吐いた。

 

「……キャット」

 

「何?」

 キャットが涼しい顔で聞く。

 

「今、それ必要だったか」

 

「必要じゃないけど」

 キャットは言う。

「言いたかったから言った」

 

「連携が深まる前に混乱するでしょ、それ」

 カイエが言う。

 

「でも、こういう人なのは早めに共有した方がよくない?」

 

「そういう問題じゃないのよ」

 

 今度こそ、部屋の中でちゃんと笑いが起きた。

 

 その笑いを見て、カイエは少しだけ安心する。

 最初の張りつめた感じは、もうかなり薄れていた。

 

 そして最後に、自分。

 

「コックピットコンディションのカイエ。客室の経験から、長時間の空気、疲労、判断の揺れを見て支える。必要なら止めるし、必要なら背中も押す。あと、連携のために遠慮はしない。だから、こっちにも遠慮しないで」

 

 全員が小さく頷いた。

 

 

「よし」

 カイエがホワイトボードの前に立つ。

「じゃあ、ここから少しだけ机上のすり合わせやる。難しいことじゃなくていい。でも、“どう考えて、何を先に見るか”は見たい」

 

 シナリオを書き出していく。

 

 ――探索シミュレーション開始から三時間。

 ――小規模な外部衝撃。

 ――副操縦士側モニターにエラー。

 ――一部電力低下。

 ――同時に医療スペースで乗員一名が意識障害。

 

「これにどう動く?」

 カイエが聞く。

「順番は自由。でも、“実際にその場にいるつもり”で」

 

 最初に反応したのは、やはりカオルだった。

 

「操縦維持、外部衝撃の原因が不明なら、コースは焦って変えない。ユアンはエラーの切り分け。シンゴは電力低下が表示系か実損かの判別」

 

「了解」

 ユアンが即座に言う。

「でもエラーの種類次第では、こっちを優先する。操縦系に波及してたら遅い」

 

「その判断は?」

 ナミがすぐ入る。

「表示だけなのか、本当にセンサーが死んでるのか、誰がどこまで見る?」

 

「システム側だろ」

 ユアンが返す。

 

「返すだけじゃなくて、どう返すかも含めてよ」

 ナミが言う。

「“危ないかもしれません”じゃ遅い。“今どこまで危ないか”まで出さないと、操縦は動けない」

 

「……」

 ユアンが少しだけ口を閉じた。

 

 シンゴが慎重に言葉を継ぐ。

 

「僕……俺なら、電力低下が本当に起きてるなら、局所損傷も疑う。でも、いきなり見に行くのは早い気がする。まずナミから情報ほしい」

 

「そう」

 キャットが言う。

「で、意識障害の人は?」

「そっちは誰が見るの?」

 

 そこで、場が一瞬だけ止まる。

 

 カオルは、わずかに言葉を切った。

 

 キャットがそれを見て、少しだけ笑った。

 

「ほら、今、止まった」

 

 カオルは視線を向けるが、言い返さない。

 

「私は医療へ行く」

 キャットが言う。

「でも、その時に“医療だけで完結する問題なのか”“全体に影響する問題なのか”を誰かが共有し続けないと、今度はコックピットが孤立する」

 

「そこは私」

 カイエが言う。

「今の話なら、医療とコックピットの間を私がつなぐ。ただ、追加一名がいるなら、その人間がそこを補助できると理想」

 

「賛成」

 ナミが言う。

「追加一名、単純な補助じゃなくて、情報と人のつなぎ役がいい」

 

「物理的な手より?」

 シンゴが聞く。

 

「今のところはそっち」

 キャットが頷く。

「物は直せても、人の焦りは一段階挟まないと厄介になる」

 

 ユアンが、少しだけ腕を組みながら言う。

 

「でも、追加一名まで“空気をつなぐ”側に回すと、現場で実際に動く手が減らないか」

 

「減る」

 カイエが言う。

「でも、このチームは手が足りないより、温度差がズレる方が危ない」

 

「……」

 

「ユアン」

 カイエが真っ直ぐ見る。

「今、あんたは何を優先して考えた?」

 

「副操縦士側のエラーと、操縦への波及」

 ユアンが即答した。

 

「カオルは?」

 

「飛行維持」

 カオルが言う。

 

「シンゴは?」

 

「損傷と現物確認の境界」

 シンゴ。

 

「ナミは?」

 

「システム情報の整理と返し方」

 ナミ。

 

「キャットは?」

 

「人が倒れたことで、コックピットの判断がどう揺れるか」

 キャットが言う。

 

「そう」

 カイエが頷く。

「全員、見てる場所が違う。それ自体は悪くない。でも、それを知らないまま本番に入ると絶対ぶつかる」

 

 キャットが口元をゆるめた。

 

「なるほど」

「敬語をやめさせた意味、今ちょっと分かった」

 

「でしょ?」

 カイエが言う。

「さっきまで“すみません”“お願いします”って挟んでたら、このスピードで本音出なかったわよ」

 

 ナミも小さく頷く。

 

「たしかに」

「敬語あると、一回考える」

 

「俺も」

 シンゴが言う。

「今の方が、思ったこと出しやすい」

 

 ユアンが少しだけ視線を逸らして言う。

 

「……まあ、やりやすくはある」

 

「素直でよろしい」

 カイエが言う。

 

「素直って何だよ」

 

「そのまま」

 

 また少しだけ笑いが起きる。

 

 

 その後も、二つ三つシナリオを回した。

 

 酸素供給の局所異常。

 未知の信号受信。

 長時間拘束による軽いパニック。

 補助電源切り替えの遅延。

 

 そのたびに、言葉の出し方は少しずつ速くなり、間も減っていった。

 

 敬語を外しただけで、ここまで空気が違うのかと、カイエ自身も少し驚いていた。

 

 特に、ユアンが変わった。

 

 最初は“言うことを選んでいる”感じがあったが、敬語を外してからは、張り合うにしても、ちゃんと本音で噛んでくる。

 カオルも、最初からそのつもりだったのか、それを嫌がらない。

 むしろ、正面から返している。

 

 シンゴも、敬語を外したあたりから少しだけ声が出やすくなった。

 ナミはもともと切り替えが早い。

 キャットは最初からほとんど変わらない。

 だからこそ、余計に他の面々の変化が分かりやすかった。

 

 ひと通り終えたあと、カイエがホワイトボードの前でまとめる。

 

「今日分かったこと、三つ。一つ、カオルとユアンは思った通り早めにぶつかる。二つ、ナミはたぶん一番先に全体を整理できる。三つ、シンゴはちゃんと口に出させれば強い。あとキャットは……」

 

「何?」

 キャットが聞く。

 

「やっぱり面倒」

 カイエが言う。

 

「ひどい」

 キャットが笑う。

 

「でも必要」

 カイエがすぐに続けた。

 

 その一言に、キャットは少しだけ目を細める。

 

「そういう言い方、嫌いじゃないわ」

 

「それはどうも」

 

 カオルが、椅子に深く座りながら言う。

 

「追加一名はやっぱり必要だな」

 

「うん」

 ナミが頷く。

「思ったより、“間を受ける人”がいないと情報が偏る」

 

「単純にメカ補助でも医療補助でもない」

 キャットが言う。

「空気を読みすぎず、でも見落とさない人。そういうのがいい」

 

「……難しいわね」

 カイエが言う。

 

「そこはまた考えるしかないな」

 カオルが答える。

 

 その時、シンゴが少しだけ手を挙げるように言った。

 

「でも、今日、敬語なしにしたの、かなり正解だったと思う」

 

 全員がシンゴの方を見る。

 

 シンゴは少しだけ照れた顔をしたが、そのまま続けた。

 

「最初、正直かなり緊張してた。知らない人もいたし、何をどこまで言っていいかも分からなかった。でも、“敬語なしでいこう”って最初にカイエが言ったから。少なくとも、“遠慮して黙る”方が駄目なんだなって分かった」

 

 その言葉に、カイエはほんの少しだけ目を細めた。

 

「そういうこと、ちゃんと伝わってるならよかった」

 

 ユアンも、少しだけ不服そうな顔のまま頷いた。

 

「……まあ、確かに。敬語だと、いちいち距離測るし」

 

「でしょ?」

 カイエが言う。

「探索用でそれやってたら遅いのよ」

 

 キャットが、そこでくすっと笑った。

 

「いいわね。真面目なくせに、こういうところはちゃんと割り切ってる」

 

「褒めてる?」

 カイエが聞く。

 

「褒めてる」

 キャットが答える。

「連携を深めるために敬語を外すなんて、案外言えそうで言えないもの」

 

 ナミも、その言葉に頷いた。

 

「たしかに。会社も立場もバラバラだし、最初に誰かが線を引かないと、曖昧なままだった」

 

「だから引いたの」

 カイエが言う。

「“慣れ合うため”じゃなくて、“噛み合うため”にね」

 

 その言い方に、カオルが小さく息を吐いた。

 

「そういうのは、お前がいて助かる」

 

「なに急に」

 カイエが少しだけ目を瞬く。

 

「事実だ」

 カオルが言う。

「俺一人じゃ、あそこまで最初に整えられない」

 

 ユアンが、そこでちらりとカオルを見た。

 

「……それ、ちゃんと口に出すんだな」

 

「言う必要があるなら言う」

 カオルが返す。

 

「へぇ」

 

「何だよ」

 

「いや」

 ユアンが少しだけ口元を上げた。

「思ってたよりちゃんとしてるなって」

 

「失礼だな」

 

 会議室に、また小さく笑いが起きた。

 

 その笑いの中心で、カイエは静かに思う。

 

 まだ足りない。

 追加一名も必要だ。

 本番までに詰めることはいくらでもある。

 

 でも、今日やったことは無駄じゃない。

 

 最初に敬語を外した。

 そのおかげで、全員が少しずつ自分の輪郭を出した。

 探索用シミュレーションに必要なのは、綺麗に整った挨拶ではなく、ぶつかった時にちゃんと音が鳴る関係だ。

 

 それが、今は少しだけ見えた気がした。

 

「じゃあ今日はここまで」

 カイエが言う。

「次までに追加一名を絞る。それから、もう一回だけ似たことやるわよ。次はもう少し深く」

 

「了解」

「分かった」

「うん」

「はいはい」

「やる」

 

 返事はばらばらだった。

 でも、そのばらばらさがさっきよりずっと自然だった。

 

 それだけで、十分だった。

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