サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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反発

 それから数日。

 

 探索用シュミレーションに向けた即席チームは、顔合わせを終えてからすぐに何度か訓練へ入った。

 

 追加一名は、まだ決まっていない。

 

 そこが、じわじわと効いていた。

 

 最初のうちは「六人でも何とか形にはなるだろう」と全員がどこかで思っていた。

 操縦士にカオル。

 副操縦士にユアン。

 メカニックにシンゴ。

 システムエンジニアにナミ。

 医療従事者にキャット。

 コックピットコンディションにカイエ。

 

 役割だけ見れば、確かに穴はない。

 むしろ、個々の能力は高い。

 

 だが、実際に動かしてみると分かる。

 このチームは“足りない手”よりも“流れを受ける人”が足りなかった。

 

 誰もがそれぞれの役割をちゃんと考え、ちゃんと口に出す。

 だからこそ、その口が同時に開いた時、受け止める場所が一つ足りないのだ。

 

 

 一回目の本格的なシュミレーションは、探索航路上での観測機器異常から始まった。

 

 操縦席の正面モニターには、未探索領域手前で微弱な磁気の乱れ。

 副操縦士席にはセンサー誤差の警告。

 船内では居住区画の一部で温度制御の遅延。

 しかも、そこへ通信系の一瞬のラグまで被さる。

 

「操縦は維持」

 カオルが最初に言った。

「まず機体姿勢を崩さない」

 

「その前にセンサー誤差の原因を切り分ける」

 ユアンがすぐに返す。

「ここで表示だけって決めつけるのは早い」

 

「決めつけてない」

 カオルが言う。

「だが、先に舵を切る方が危ない」

 

「だから、切れって言ってるわけじゃない」

 ユアンの声が少し強くなる。

「確認を優先するって言ってるだけだ」

 

「確認しながら飛ぶ」

 カオルは短く返した。

 

「その“ながら”で雑になるのが嫌なんだよ」

 ユアンが言う。

「前しか見なくなるだろ、お前」

 

「ユアン」

 カイエが低く声を挟む。

「言い方」

 

「言い方の問題じゃないだろ」

 ユアンが引かない。

 

 そこへナミが入る。

 

「二人とも一回黙って。センサー誤差、通信遅延、温度制御遅延。今並んでる異常が同系統か別系統か、それを分けないと話にならない」

 

「なら出してくれ」

 カオルが言う。

 

「今やってる」

 ナミが即座に返した。

「“今やってる”ことに対して急かすの、やめて」

 

「急かしてない。必要な順番を聞いてるだけだ」

 

「その言い方が急かしてるのよ」

 

 シンゴが、そこで慎重に口を開いた。

 

「えっと……温度制御の遅延が出てるなら、電力の流れか補助配線のどこかにノイズが入ってる可能性がある。でも、現物見に行くのはまだ早いと思う。先にナミの解析を待って、それから」

 

「待ってる間に温度がさらに落ちたら?」

 キャットが頬杖をつきながら言う。

「その区画に人がいる前提なら、医療側としては“まだ大丈夫か”を早めに知りたいわ」

 

「だから温度の実測を……」

 シンゴが言いかける。

 

「誰が取るの?」

 キャットが静かに重ねる。

「今この場で、誰がその役割を持つの」

 

 そこで一瞬、全員の言葉が止まった。

 

 その隙間こそが問題だった。

 

 カイエは、すぐに気づく。

 ここで追加一名がいれば、医療区画の実測確認とコックピットへの報告、その受け渡しが出来た。

 でも今は、その役を誰かが兼ねないといけない。

 

「私が行く」

 キャットが言う。

「温度と乗員の状態を見てくる」

 

「それだと医療側が単独になる」

 ナミが言う。

「戻るまで報告が途切れる」

 

「なら誰かつける?」

 キャットが聞く。

 

「誰を」

 ユアンが言う。

 

「お前は無理」

 カオルが即答した。

 

「は?」

 ユアンの眉が跳ねる。

「なんでだよ」

 

「副操縦士が席を外れるのは論外だ」

 

「分かってる」

 ユアンが言い返す。

「でも、今の言い方はないだろ」

 

「必要ないから言っただけだ」

 

「そういうところがだな……!」

 

「そこまで」

 カイエが今度は少し強めに言った。

「今のはシュミレーションでしょ。感情で返さない」

 

 だが、一度ざらつき始めた空気はすぐには戻らない。

 

 結局、その回はキャットが単独で確認へ向かい、ナミがモニターから推定を出し、シンゴが補助配線の仮説を立て、カオルとユアンが舵を維持しながら言い合いを続ける形で終わった。

 

 終了のブザーが鳴った時、全員が揃って小さく息を吐いた。

 

 いい意味ではない。

 

 

「今の、かなり最悪に近かったわね」

 

 モニターが落ちたあと、カイエが腕を組んで言った。

 

「いや、そこまでじゃない」

 カオルが言う。

 

「そこまでよ」

 ナミが冷たく返す。

「全体の流れが見えてないまま、各自が自分の正しさを投げ合ってた」

 

「ナミ、それは言いすぎだろ」

 ユアンが言う。

「俺はちゃんと副操縦士として必要な指摘をしただけだ」

 

「したわよ」

 ナミが頷く。

「でも、それを“誰が受けて、どう返すか”が抜けてた。結局、今の回は情報が散ってただけ」

 

 シンゴが、小さく言う。

 

「……ごめん。僕がもう少し早く温度実測の補助案を出せれば」

 

「シンゴは悪くない」

 キャットが椅子へもたれながら言う。

「悪いのは、役割を一枚受ける人がいないこと、だから全部が剥き出しでぶつかる」

 

「追加一名ね」

 カイエが言う。

 

「ええ」

 キャットが頷く。

「しかもただの補助じゃ駄目。今の流れ、誰か一人が“待って、今の情報を整理する”って言える位置にいないと、毎回こうなる」

 

 カオルが、それには少しだけ黙った。

 

 分かっているのだろう。

 だが、分かっていることと、それをすぐ受け入れることは別だ。

 

「次やる」

 カオルが言った。

「今のまま終わる方が無駄だ」

 

「やるのはいいけど」

 ナミが言う。

「一回整理してからにして。このまま回したら、次も同じ」

 

「じゃあ整理しろ」

 ユアンが言う。

 

「何で命令口調なの」

 ナミが即座に返す。

 

「命令じゃない!頼んでる」

 

「頼んでるように聞こえないのよ」

 

「だから、お前も……」

 

「はいはい、そこまで」

 

 カイエが両手を軽く上げた。

 

「一回休憩、今のまま続けても、互いにムキになるだけ」

 

 誰も反対しなかった。

 それが逆に、今の空気の悪さを証明していた。

 

 

 二回目のシュミレーションは、少しだけ条件を変えた。

 

 今度は外部観測中の微小デブリ接触。

 それに伴う船体振動。

 観測機器の片側停止。

 さらに乗員一名に軽度の裂傷とパニック症状。

 

 前回より分かりやすい。

 だから今度はもう少し整うかと思った。

 

 だが、現実はそう簡単ではなかった。

 

「左観測機器が死んでる」

 ユアンが先に言う。

「右に寄せる」

 

「寄せすぎると機体バランスが崩れる」

 カオルが返す。

 

「崩れるほど寄せろって言ってない」

 

「だったら言い方を変えろ」

 

「お前が勝手に深く取ってるだけだろ!」

 

 その時点で、もう空気はざらついている。

 

「裂傷の程度は?」

 キャットが聞く。

「深さが分からないとこっちが判断できない」

 

「乗員の映像、少し乱れてる」

 ナミが言う。

「システム側からははっきり見えない。シンゴ、居住区画のカメラ補助いける?」

 

「やる」

 シンゴがすぐ答える。

「でも、その間、観測機器の方は……」

 

「誰かが見ろ」

 カオルが言う。

 

「“誰か”じゃ困るのよ」

 ナミが苛立ちを隠さず言う。

「今、何を誰が見るかを決めるのが先」

 

「そのために話してる」

 ユアンが返す。

 

「話してるだけで決まってない!」

 

 キャットがそこで、深く息を吐いた。

 

「……これ。追加一名がいない問題もあるけど、そもそも全員、“自分が先に見るもの”を正しいと思いすぎてるわね」

 

「間違ってないだろ」

 カオルが言う。

 

「間違ってないわ」

 キャットがあっさり頷く。

「だから面倒なのよ。全員正しい。でも、それを同時にやる器が今のチームにない」

 

 その言葉が、妙に痛かった。

 

 間違っていない。

 だが噛み合っていない。

 

 それが一番厄介だ。

 

 シュミレーションが終わったあと、今度は前回よりも明らかに沈黙が重かった。

 

 

 数回目のシュミレーションが終わった頃には、誰もが少しずつフラストレーションを溜めているのが分かった。

 

 カオルは表情には出しにくいが、返事が短くなっている。

 ユアンは露骨に語尾が硬い。

 ナミは冷静なまま、冷静すぎて逆に刺さる。

 シンゴは気を遣いすぎて口数が減ってきた。

 キャットは飄々としているが、その分だけたまに投げる一言が妙に鋭い。

 そしてカイエは、その全部を受けながら少しずつ疲れていた。

 

 追加一名が決まらない。

 

 そのこと自体も焦りになる。

 

「ねぇ、カイエ」

 シュミレーションルームを出たあと、ナミが小声で言った。

「追加一名、本当に早めに決めた方がいい。今のままだと、私たち“足りないものへの苛立ち”を互いにぶつけ始めてる」

 

「分かってる」

 カイエが言う。

 

「ならいいけど」

 ナミは静かに息を吐いた。

「私、次あたり本気でユアンにきつく言いそう」

 

「お前も大概きついだろ」

 横からユアンが言う。

 

「聞こえてたの?」

 ナミが言う。

 

「そりゃな。わざと小さくしてる声の方が余計に聞こえる」

 

「じゃあ遠慮なく言うけど」

 ナミが足を止める。

「必要以上にカオルに噛みついてる。連携深めるための意見と、対抗心が混ざってる」

 

「混ざってない」

 ユアンが即座に言う。

 

「混ざってる」

 ナミが言う。

「本人は否定するでしょうけど」

 

「お前だって、毎回俺の言い方にばっかり食いついてるだろ」

 ユアンが返す。

「そっちは何なんだよ」

 

「言い方が荒いと情報の流れが崩れるから」

 ナミが言う。

「それが仕事」

 

「便利な言葉だな」

 

 そのやり取りを見ていたシンゴが、困った顔で一歩引く。

 キャットはその横で、あまり止める気もなさそうに眺めていた。

 

 カオルは、少し離れた位置から言う。

 

「そこまでにしろ」

 

 声は低い。

 だが、それだけだった。

 

「カオル」

 カイエがそちらを向く。

「止めるなら、もう少しちゃんと止めなさい」

 

「……」

 

「短く切るだけじゃ、今の二人には足りない」

 

 カオルは、そこで少しだけ言葉に詰まる。

 それを見て、ユアンがまた小さく息を吐いた。

 

「ほら、こういうとこだよ」

 

「ユアン」

 今度はカイエが鋭く呼ぶ。

 

「分かってるよ」

 ユアンは視線を逸らした。

 

 空気がひどい。

 

 カイエは、その事実に内心で苛立ちながらも、どうにか繋ぎ止めないといけないと思った。

 

 その時だった。

 

「お疲れさまー!」

 

 妙に明るい声が、廊下の向こうから飛んできた。

 

 全員がそちらを見る。

 

 そこにいたのはククルだった。

 

 片手に大きめの紙袋。

 もう片方に飲み物のトレー。

 いつも通り元気で、そして場の重さを見た瞬間に、すべてを理解したような顔になった。

 

「うわ」

 ククルが言う。

「思ったより空気死んでる」

 

「ククル」

 カイエが思わず言う。

「何しに来たの」

 

「お手伝い」

 ククルがにこっと笑う。

「カイエから“たぶんピリつくから、何か差し入れあると助かるかも”って昨日聞いたから」

 

 カイエは一瞬だけ目を見開いた。

 

「私、そこまで言ってた?」

 

「言ってたよ」

 ククルが当然みたいに言う。

「“たぶん面倒なことになる”って」

 

 キャットが、それを聞いて少しだけ笑った。

 

「面白いわね。自覚はあったの」

 

「あるわよ」

 カイエが言う。

「むしろなかったら困る」

 

 ククルは紙袋をテーブル代わりのサイドカウンターへ置いた。

 

「はい、甘いのとしょっぱいの両方。あと飲み物。こういう時って、頭使いすぎて味覚死ぬでしょ」

 

「ククル、天才」

 シンゴが思わず言う。

 

「でしょ?」

 ククルが笑う。

「だから呼ばれたの」

 

 ユアンは、少しだけ気まずそうな顔をしながら紙袋の中を覗いた。

 

「……何これ」

 

「チョコとクラッカーと、ナッツと飴」

 ククルが言う。

「あと、カイエが“熱い飲み物より冷たい方がいいかも”って言ってたから、ジュースとお茶」

 

「なんでこんなに的確なの」

 ナミが少しだけ感心する。

 

「客室やってると、こういうの分かるんだよ」

 ククルが言う。

「顔見れば、“甘いので回復する人”と“塩気欲しい人”ってなんとなく分かるし」

 

「じゃあ俺は?」

 ユアンが聞く。

 

「ユアンは塩」

 ククルが即答した。

 

「なんで」

 

「今の顔、しょっぱい顔してるから」

 

 それには、さすがのユアンも少しだけ笑ってしまった。

 

 空気が、ほんの少しだけ緩む。

 

 

 差し入れを囲んで、六人と一人は休憩スペースの端に集まった。

 

 シュミレーションルームの外、壁沿いに並ぶ簡素なベンチ。

 そこでククルが勝手知ったる顔でお茶を配り、紙袋の中身を広げていく。

 

「はい、カオルはこれ」

 ククルがスポーツドリンクを渡す。

 

「何で俺だけこれなんだ」

 

「水分足りてなさそうだから」

 ククルが言う。

「口数少ない時ほど、脳内で燃やしてる顔してる」

 

 カオルはそれには何も言わず、受け取った。

 

「ナミはブラックコーヒーじゃなくて甘いミルクティーね。今は角立ちすぎ」

 

「……見抜かれてる」

 ナミが言う。

 

「シンゴはチョコ!キャットさんはナッツ系かなぁ。カイエは両方!ユアンは塩クラッカー」

 

「俺、完全に塩担当なんだな」

 ユアンが言う。

 

「そう」

 ククルが頷く。

「顔がずっと“しょっぱい”から」

 

 キャットがナッツをつまみながら、くすっと笑った。

 

「いい子ね。こういうの、好き」

 

「ありがとう」

 ククルが嬉しそうに言う。

「でもたぶん今一番必要なの、差し入れっていうより、空気の抜き方だから」

 

 その言葉に、全員が少しだけ黙る。

 

 ククルは、あえて軽い調子のまま続けた。

 

「別に誰かが間違ってるっていうより、みんなそれぞれ真面目すぎるんじゃない?」

 

「真面目すぎる?」

 シンゴが聞く。

 

「そう」

 ククルが頷く。

「カオルは前を見すぎ、ユアンは張り合いすぎ、ナミは整理しすぎ、シンゴは抱えすぎ、キャットさんは冷静すぎ、カイエは止めすぎ」

 

 言われた当人達が、順番に少しずつ顔をしかめる。

 

「で」

 ククルが笑う。

「それ、全部必要なの。でも、全部が同時に出ると、そりゃうるさいよ」

 

 カイエが、思わず額を押さえた。

 

「……分かってるのよ、分かってるんだけど」

 

「うん」

 ククルが頷く。

「だから追加一名が欲しいんでしょ?」

 

「そう」

 ナミが言う。

「受ける人がいれば、だいぶ違う」

 

「でも決まってない」

 ユアンが言う。

 

「そこに苛立ってるんでしょ、みんな」

 ククルが言った。

 

 その一言で、妙に静かになった。

 

 図星だった。

 

 誰か一人に怒っているわけではない。

 今のチームが駄目だと思っているわけでもない。

 ただ、“何かが一枚足りない”感覚がずっと消えなくて、その不快さが互いの言葉を少しずつ尖らせているのだ。

 

「……そうね」

 カイエが小さく言う。

 

「うん」

 シンゴも頷く。

 

 ユアンは、クラッカーを一枚かじってから言った。

 

「俺、カオルに噛みつきすぎてたかも」

 

 その言葉に、ナミが少しだけ目を上げる。

 

「かも、じゃなくて噛みついてた」

 

「お前もな」

 ユアンが言う。

 

「ええ、私も」

 ナミがすぐ認めた。

「ちょっとイラついてた」

 

 キャットが、ナッツを口に入れながら言う。

 

「素直でいいじゃない。そういうの、早めに言った方が楽よ」

 

 カオルは、スポーツドリンクを一口飲んでから低く言った。

 

「次はもう少し話し方を変える」

 

 ククルが、そこでにっと笑う。

 

「うん、それそれ。“俺は悪くない”じゃなくて、“次どうする”って言えるなら、まだ全然平気」

 

 カイエは、その横顔を見ながら思う。

 

 こういう時のククルは、本当に強い。

 無理に説教しない。

 でも、ちゃんと必要な言葉だけを真ん中へ置く。

 

「ありがとう」

 カイエが言う。

 

「どういたしまして」

 ククルが言う。

「で、追加一名まだ決まってないんだよね?」

 

「ええ」

 カイエが言う。

 

「そっかぁ」

 ククルが少し考えるように首を傾げた。

「じゃあ、そこはまた後で一緒に考えようか。今このメンバーで出来ること、もうちょっとだけやってみればいいじゃん」

 

 ナミが、そこで少しだけ表情を和らげた。

 

「……そうね。足りない一人にイライラするより、今いる六人で噛み合わせた方が先か」

 

「その通り」

 ククルが言う。

「足りないものは足りないものとして、今あるものまで悪くしちゃもったいないでしょ」

 

 その言葉で、空気がやっと少しだけ人間らしく戻った。

 

 差し入れは、思っていた以上に効いた。

 

 甘いものも。

 しょっぱいものも。

 冷たい飲み物も。

 でも、それ以上に、“外から来た人が軽くしてくれた”ことが大きかったのかもしれない。

 

 

 休憩のあと、もう一度だけ簡易シュミレーションを回した時、さっきまでより言葉のぶつかり方が少しだけ変わった。

 

「ユアン、先に切り分けだけ出せ」

 カオルが言う。

 

「了解」

 ユアンが返す。

「でも操縦系への波及、可能性高い。そこだけ頭に置いとけ」

 

「ああ」

 カオルが短く頷く。

 

「ナミ、今どこまで見えてる?」

 カイエが聞く。

 

「通信と温度制御は別系統。観測機器の乱れは同時発生だけど、原因はまだ不明」

 ナミが即答する。

「シンゴ、配線系の仮説いる?」

 

「いる」

 シンゴが言う。

「三パターンで絞るから、その間だけ時間ほしい」

 

「キャット」

 カイエが視線を向ける。

 

「医療スペース見に行く」

 キャットが立ち上がる。

「ただし一人で抱えない。戻ったらすぐ共有する」

 

 前よりは、ずっといい。

 

 完璧ではない。

 それでも、“同時に正しいことを叫ぶだけ”ではなくなってきていた。

 

 ククルは、その様子を後ろから見て、嬉しそうに頷いた。

 

「うんうん。ちょっとマシになってるじゃん」

 

 カイエは、その声を聞きながら小さく息を吐いた。

 

 まだ足りない。

 追加一名も決まっていない。

 フラストレーションも完全には消えていない。

 

 でも、少なくとも今は、同じ方向を向き直せる程度には戻った。

 

 それだけでも、十分な前進だった。

 

 そしてカイエは、改めて思う。

 

 連携を深めるために敬語をなくしたのは、やっぱり正解だった。

 ぶつかり方は荒くなった。

 でも、その荒さが見えたからこそ、手も打てる。

 

 足りない一人を探しながら、今いる六人をどう噛み合わせるか。

 その作業はまだ続く。

 

 けれど、ククルの差し入れで一度ほどけた空気の中で、カイエはほんの少しだけ確信していた。

 

 このチームは、まだ崩れていない。

 面倒で、うるさくて、扱いにくい。

 でも、だからこそ、ちゃんと形になれば強い。

 

 そんな予感が、確かにあった。

 

 

ーーーー

 

 

 

 探索用シミュレーションの即席チームは、崩れてはいなかった。

 

 けれど、だからといって順調でもなかった。

 

 探索用シミュレーションを重ねるたび、そんな空気がじわじわと濃くなっていった。

 

 

 三回目の本格シミュレーションは、未探索領域の観測中に起きた想定外の放射線ノイズから始まった。

 

 船体右舷のセンサーに乱れ。

 観測ドローンの片方が応答遅延。

 船内の一部に微弱な電力の揺らぎ。

 さらに、医療区画で保管していたサンプルケースの固定が外れ、乗員一名が指先を裂傷。

 

 シミュレーション用の警報が鳴り、会議室を改造した模擬コックピットの空気が一瞬で変わる。

 

「姿勢維持」

 カオルが即座に言う。

「外へ余計な修正はかけない」

 

「右舷センサーが死んでるか、ノイズ食らってるか」

 ユアンが被せる。

「片方の観測値を切る」

 

「切るな」

 カオルが言う。

 

「死んでたらどうすんだよ」

 ユアンが語気を強めた。

「ノイズ混じりの数値抱えたまま飛ぶ方が危ないだろ」

 

「だから確認してからだ」

 カオルが返す。

「切るのは最後でいい」

 

「その“最後”の判断が遅いんだよ、お前は」

 

 その言葉で、空気がぴりつく。

 

「今の言い方、いらない」

 ナミが言う。

「必要なのは優先順位であって、人格評価じゃない」

 

「人格評価なんてしてない」

 ユアンが言い返す。

「操縦の癖を言ってるだけだ」

 

「今は同じ」

 ナミが冷たく返した。

「少なくとも、情報整理の邪魔」

 

 シンゴが、そこで端末を見ながら慎重に口を挟む。

 

「放射線ノイズと電力揺らぎが連動してるなら、観測ドローン側じゃなくて船体内の受信系かもしれない。でも、それだと医療区画の固定が外れた理由とは……」

 

「船体振動の伝播」

 キャットが、椅子へもたれたまま言う。

「外部ノイズで一瞬だけ姿勢制御が揺れたなら説明はつく。で、裂傷した乗員は誰が見るの?」

 

「医療はお前だ」

 カオルが言う。

 

「当然」

 キャットは淡々としている。

「でも、私はサンプルケースの固定も見ないといけない。裂傷だけならまだしも、そこから二次災害が出る可能性があるなら、一人じゃ遅い」

 

「そこに追加一名がいれば、って話でしょ」

 ナミが言う。

 

「そう」

 キャットが頷く。

「でもいない以上、今は誰かが兼ねるしかない」

 

「兼ねるって誰が?」

 ユアンが聞く。

「副操縦士は動けない。システムも今は席外せない。メカは?」

 

 そこで全員の視線がシンゴへ向いた。

 

 シンゴは、一瞬だけ肩を強ばらせた。

 

「僕が行ってもいいけど、でも、今この状態で受信系の仮説を切るのは」

 

「だったらこっちに残れ」

 カオルが言う。

 

「でも医療側が単独になる」

 キャットが言う。

「それだと戻り報告が途切れる」

 

「なら、お前が医療だけ見てすぐ戻れ」

 カオルが短く言った。

 

 キャットの目がわずかに細くなる。

 

「軽く言うのね。裂傷の程度も、固定の外れ方もまだ見てないのに」

 

「だからまず見ろと言ってる」

 

「“まず見ろ”と“すぐ戻れ”を同時に言うの、嫌い」

 キャットの声は軽い。だが、その軽さが逆に棘になる。

 

「キャット」

 カイエが低く名前を呼ぶ。

 

「何?」

 キャットが視線だけ向ける。

 

「今は言葉遊びしない」

 

「遊んでないわよ」

 キャットが言う。

「本当に嫌いなだけ」

 

 結局、その回も収まり切らなかった。

 

 誰も致命的に間違っていない。

 だから余計に譲らない。

 判断の優先順位が違うだけで、互いの声が少しずつ尖っていく。

 

 終了ブザーが鳴った時、模擬コックピットの空気は、訓練の疲労よりも苛立ちで重たくなっていた。

 

 

「今の、誰が何を一番嫌がってたか分かる?」

 

 終わったあと、カイエがホワイトボードの前で腕を組んだまま言った。

 

 返事はない。

 

「カオルは“切る判断を急かされる”のが嫌。ユアンは“確認を後回しにされる”のが嫌。ナミは“整理前に話が走る”のが嫌。シンゴは“中途半端な情報で前へ出される”のが嫌。キャットは“現場の重さを軽く扱われる”のが嫌……で、私は、全員がそれを隠しもしないのが一番面倒」

 

 最後の一言だけ少し疲れていた。

 

 ユアンが机へ肘をついて言う。

 

「じゃあ、どうしろって言うんだよ」

 

「そこを考えるためのシミュレーションでしょ」

 ナミが返す。

 

「毎回お前はそう言うけど」

 ユアンの口調が荒くなる。

「結局、“あんたの言い方が悪い”って話にしかならないじゃん」

 

「実際悪い時があるから」

 ナミの声も冷えていた。

「情報を投げる時に熱量が高すぎるのよ。副操縦士として必要なのは分かる。でも、あんたは必要な一言に余計な棘をつける」

 

「は?」

 ユアンが顔を上げる。

「お前だって、毎回いちいち俺の言葉尻拾ってくるだろ。それは棘じゃないのかよ」

 

「私は情報の流れを直してるだけ」

 

「便利な理屈だな」

 ユアンが吐き捨てるように言う。

 

 その時、シンゴが小さく「やめよう」と言いかけたが、声は二人の間へ届かなかった。

 

「そこまで」

 

 カオルが言った。

 

 低く、短く。

 だが、それだけだった。

 

 ユアンがすぐにそちらを見る。

 

「“そこまで”じゃないだろ。お前もだよ、カオル」

 

「何がだ」

 

「厳しすぎるんだよ」

 ユアンが言う。

「必要な判断をしてるのは分かる。でも、お前、毎回“間違える前に切る”だろ。それで余計に喋りづらくなる時あるんだよ」

 

 シンゴが、思わず顔を上げた。

 ナミも、目だけでカオルを見る。

 カイエは何も言わない。

 キャットだけが、少し面白そうにその空気を眺めていた。

 

 カオルは数秒だけ黙ったあと、言った。

 

「必要だから切ってる」

 

「そういうとこだって言ってるんだろ」

 ユアンが苛立ちを隠さない。

「“必要だから”で全部通ると思ってる」

 

「通るだろ」

 カオルが返す。

「実際、今の回で一番危なかったのは判断の散り方だ」

 

「その通り」

 ナミが言う。

「でも、“危ないから切る”と“先に潰す”は違う」

 

「ナミ」

 カイエが言う。

「今は追い打ちいらない」

 

「……ごめん」

 ナミは短く謝ったが、その声にもまだ硬さが残っていた。

 

 その日は、それ以上続けても無駄だと全員が何となく理解していた。

 

 

 四回目、五回目とシミュレーションを重ねるたびに、フラストレーションは薄れるどころか別の形で溜まっていった。

 

 カオルの厳しさは変わらない。

 いや、むしろ訓練が進むほど「ここで甘くする意味がない」とでも思っているのか、指摘がより短く、より鋭くなっていった。

 

「遅い」

「違う」

「それじゃ足りない」

「今の返し、次はなしだ」

 

 淡々としている。

 怒鳴るわけではない。

 だが、その短さと温度の低さが、受ける側には余計に堪える。

 

 ユアンはユアンで、そこへ張り合うように返す。

 

「今のは遅くない」

「違うのはそっちだ」

「先に聞くべきだろ」

「副操縦士を何だと思ってる」

 

 ナミは、その二人の間へ毎回割って入って流れを整えようとするが、本人も余裕を失い始めていた。

 最初の頃の冷静な切り返しが、だんだんと本気で刺しにいくものになっていく。

 

「だから、言い方が悪い」

「今の説明じゃ誰も動けない」

「整理してから喋って」

「感情が先」

 

 シンゴは、気を遣いすぎてますます口が重くなった。

 

 メカニックとして必要な情報は見ている。

 だが、少しでも言葉を挟むタイミングを間違えると誰かの話を遮ることになる。

 そう思うたびに、一歩引いてしまう。

 

「……シンゴ」

 

 ある回で、カオルが低く言った。

 

「今、何を見てた」

 

 シンゴは反射的に背筋を伸ばす。

 

「えっと、補助電源の切り替え遅延と、配線系の仮説を」

 

「なら出せ」

 カオルが言う。

 

「でも、ナミが今……」

 

「今じゃないならいつだ」

 

 それは正しい。

 正しいが、シンゴには少し強すぎた。

 

「……ごめん」

 思わず口から出る。

 

 その瞬間、ナミが顔をしかめ、カイエがこめかみを押さえた。

 キャットは、そこでようやく小さく言う。

 

「謝らせるの、好きなの?」

 

 その声は軽い。

 だが、妙に空気を裂いた。

 

 カオルは一瞬だけ視線を向ける。

 

「そういう意味じゃない」

 

「でも、今の流れはそう見える」

 キャットが言う。

「厳しくするのはいいけど、萎ませたら終わりよ」

 

 その言い方に、今度はカオルの方がわずかに眉を寄せた。

 

 カイエに対しても小言は出た。

 

「カイエ、それ今まとめる必要ある?」

 ナミが言う。

「情報の整理と温度管理を同時にやろうとして、どっちも半端」

 

「分かってる」

 カイエが答える。

「でも誰かが切らないと、話が散るでしょ」

 

「切るのと抱えるのは違う」

 キャットが言う。

「あなた、今ちょっと全部引き受けすぎ」

 

「じゃあどうしろって言うの」

 珍しくカイエの声に棘が混じった。

「みんな前に出る、誰かが間に入らなきゃ崩れるでしょ」

 

「崩れてるわよ、もう少しで」

 キャットが平然と返す。

 

 その言葉に、場が一瞬だけ凍った。

 

 図星だった。

 

 そして、それはシンゴに対しても向いた。

 

 別の回。

 生命維持系の一時停止と、補助配管の詰まりが同時に出た時、シンゴは原因の仮説を三つ出した。

 それ自体は悪くない。

 だが、出し方が慎重すぎて時間がかかった。

 

「シンゴ」

 ユアンが苛立った声で言う。

「仮説三つ並べるのはいいけど、今一番濃いのを先に言ってくれ。全部同じ熱量で出されると判断できない」

 

「ごめん、でも断定はまだ……」

 

「断定じゃなくて優先順位」

 ナミが言う。

「今の場面で必要なの、正確さだけじゃない」

 

「分かってるけど」

 シンゴの声が少し強ばる。

「間違ってたら困るし」

 

「間違う前提で話して」

 カオルが言った。

「そのためのシミュレーションだ」

 

 それも正しい。

 だが、積み重なると、刃になる。

 

 

 そうして、ある日の夕方。

 

 シュミレーションを二本続けて失敗に近い形で終えた頃、空気はもう完全に擦り切れていた。

 

 休憩スペースに戻っても、誰もすぐには口を開かない。

 ペットボトルのキャップをひねる音。

 椅子が引かれる音。

 端末を机に置く音。

 そういう無機質なものばかりが耳につく。

 

 その時だった。

 

「差し入れー!」

 

 明るい声が、廊下の向こうから飛んでくる。

 

 ククルだった。

 

 前にも一度、空気が死んでいた時に差し入れを持ってきた。

 今日も同じように、紙袋を両手に抱えている。

 

 だが、今回はその声が届いた瞬間ですら、すぐには空気が変わらなかった。

 

 それを見て、ククルもさすがに少しだけ表情を改める。

 

「……うわ、今日は重いね」

 

 紙袋をテーブルへ置く。

 中には、小分けの焼き菓子、塩気のあるスナック、エナジーバー、缶のジュース。

 いつも通り、ちゃんと気が利いている。

 

「ククル」

 カイエが言う。

「ごめん、今日ちょっと」

 

「うん、見れば分かる」

 ククルが静かに答える。

「でも、だから来たんだよ」

 

 シンゴが、ようやく小さく「ありがとう」と言った。

 

 ユアンは無言で紙袋の中を見て、塩気のあるクラッカーを取る。

 ナミは缶のミルクティーを手にし、キャットはナッツの小袋を開けた。

 カオルはスポーツドリンクを取ったが、すぐには口をつけなかった。

 

「……何がそんなにしんどいの?」

 

 ククルは、あえて優しくは聞かなかった。

 軽く、でも逃げ場を作らずに言う。

 

 誰もすぐには答えない。

 

 結局、最初に口を開いたのはナミだった。

 

「噛み合わないの」

 短く言う。

 

「知ってる」

 ククルが言う。

「見てなくても顔で分かる」

 

「でも、噛み合わない理由が一個じゃない」

 ナミが続ける。

「誰かが明確に悪いなら、そっちの方がまだ楽。でも今は、全員がそれぞれ正しい方向を見てるのに、受け皿がない」

 

「追加一名」

 ククルが言う。

 

「そう」

 カイエが頷く。

「そこもある」

 

 ユアンが、クラッカーをかじりながら低く言う。

 

「それだけじゃない。単純に、カオルが厳しすぎる」

 

 空気が張る。

 

 カオルは、ユアンを見た。

 

 ユアンは引かなかった。

 

「必要なのは分かる。でも、お前の“必要だから”は、時々、人を切りすぎる」

 

 今度は、カオルがすぐに返さなかった。

 

 その沈黙に、シンゴが耐えきれなくなったように口を開く。

 

「……でも、ユアンも、ちょっと言い方きつい時あるよ」

 

 全員がそちらを見る。

 

 シンゴは自分で言ってしまったことに少し驚いたような顔をしたが、それでも続けた。

 

「張り合うのは分かるけど、それで、話が必要以上に強くなる時ある」

 

 ユアンの眉が寄る。

 

「お前までそう言うのか」

 

「そういう言い方」

 ナミが言う。

「ほら、すぐそうなる」

 

「何だよ」

 

「今、“お前まで”って言ったでしょ」

 ナミの声は静かだが硬い。

「それがもう、味方か敵かで聞いてる」

 

 キャットが、ナッツをつまんだまま言う。

 

「みんな、疲れてるだけよ」

 

「それで済ませられるか」

 ユアンが言う。

 

「済ませるんじゃないの」

 キャットは肩をすくめる。

「疲れてる時の自分を把握しなさいって話。今のあんた達、全員いつもより一段階刺さる」

 

 ククルが、その言葉に静かに頷く。

 

「うん。今必要なの、正論じゃなくて、ちょっと一回ほぐすことじゃない?」

 

 ペットボトルを開ける音。

 

 誰も反論しなかった。

 

 だが、ほぐれ切るには、今日は深く潜りすぎていた。

 

 

 その夜。

 

 宇宙管理局の一角、書類と端末に埋もれたデスク周りで、ペルシアは両側から挟まれていた。

 

 右にはクリスタル。

 左にはフレイ。

 

 クリスタルは、相変わらず冷静な顔で指示書を持っている。

 フレイは別の端末を開き、次の捜索ルートと監視体制の修正案を示している。

 

「ペルシア、こっちの承認が先」

 クリスタルが言う。

 

「いや、こっちの補給便の時間変更も早めに」

 フレイが続ける。

 

「ちょ、待って待って」

 ペルシアが机に頬杖をつきながら言う。

「一人ずつ喋ってくれない?私、そんなに器用じゃないんだけど」

 

「知ってる」

 クリスタルが即答する。

 

「だから囲ってるんです」

 フレイも平然と言った。

 

「ひどくない?」

 

 その時だった。

 

 遠くの廊下から、妙に勢いのある足音が聞こえてくる。

 

 ペルシアが顔を上げるより先に、その足音は部屋の前まで来ていた。

 

 ばたん、と勢いよくドアが開く。

 

「ペルシアさん! ハンコください!!」

 

 鬼のような形相だった。

 

 ナミだった。

 

 髪はいつも通り整っている。

 制服も乱れていない。

 だが、目だけが完全に修羅場を通ってきた人間のそれだ。

 

 クリスタルが片眉を上げる。

 フレイも珍しく少しだけ目を見開いた。

 

「うわ」

 ペルシアが素直に言う。

「何その顔」

 

 ナミは、書類を机にどん、と置いた。

 

「参加申請の仮承認です!管理局側の手続き、ここで止まってるんで、ハンコください」

 

「いや、押すけど」

 ペルシアが書類を手に取る。

「どうしたのよ、そんなに。顔が完全に“今すぐ誰か殴りたいけど我慢してます”のやつなんだけど」

 

 ナミは、その言葉に一瞬だけ口を閉ざした。

 

 それから、押し殺した声で言う。

 

「……疲れました」

 

「知ってる」

 ペルシアが言う。

「見れば分かる」

 

「もう本当に」

 ナミが言う。

「全員、悪いわけじゃないんです。でも、全員、面倒くさいんです」

 

 クリスタルとフレイが、黙って視線を交わす。

 

 ペルシアは、書類へ目を通しながら「へぇ」とだけ言った。

 

「言ってみなさいよ」

 

 それは、促しているのか、面白がっているのか、微妙な声音だった。

 

 ナミは、一度だけ深く息を吸った。

 

「カオルは厳しいんです!必要だから、って切るのは分かる。でも、毎回その刃が鋭すぎる!ユアンは張り合いすぎるし、言葉に棘がある。キャットさんは軽いし、軽いくせに核心だけ刺してくる!シンゴは気を遣いすぎて引くし、カイエは全部繋ごうとして抱え込みすぎるし、全員イライラしてるのも分かるし、そのイライラを誰も“イライラしてる”って認めないままぶつけ合ってるんです!」

 

 最後は、半分叫びに近かった。

 

 ペルシアは、話の途中で一回も口を挟まなかった。

 書類をめくり、必要箇所に視線を落としながら、ただ聞いている。

 

 ナミは、その反応の薄さに少しだけ苛立ったのか、さらに言った。

 

「私は、システムエンジニアとして必要なことを言ってるだけなんです!でも、言えば言うほど“冷たい”とか“刺さる”とかなるれだからって黙ってたら、今度は情報が流れない!何なんですか、もう!」

 

 クリスタルは腕を組んで黙っている。

 フレイも同じだ。

 宇宙管理局の空気は静かだが、その静けさが逆にナミの荒れた呼吸を浮かび上がらせていた。

 

 ペルシアは、ようやく一枚目の書類へ判を押した。

 

 ぽん。

 

 乾いた音がする。

 

「……で?」

 ペルシアが言う。

 

「で、って」

 ナミが詰まる。

 

「それ、誰が悪いの?」

 

 ナミは一瞬だけ言葉を失った。

 

 何度も考えた問いだったはずだ。

 だが、こうして真正面から聞かれると、答えがすぐには出ない。

 

「……誰か一人じゃないです」

 

「でしょうね」

 ペルシアが言う。

「じゃあ、何が一番面倒?」

 

「……追加一名がいないこと」

 ナミが絞り出すように言った。

「そこが埋まってないせいで、受け皿が足りない。でも、それだけじゃない。今のチーム、みんな自分の正しさを持ってるから、譲る時の形を知らないんです」

 

「ふぅん」

 ペルシアは二枚目にも判を押す。

「じゃあ、あんたは?」

 

「私?」

 

「そう」

 ペルシアが顔を上げた。

「あんたは、その中で何してるの?」

 

 ナミは答えかけて、少しだけ詰まる。

 

「……整理してます」

 

「しさ整理しながらイラついてる」

 

「……」

 

「それ、バレてる?」

 

 図星だった。

 

 ナミの指先が、書類の端を少しだけ強く掴む。

 

「たぶん」

 

「なら、余計に刺さるでしょうね」

 ペルシアが言う。

「“正しいけど、今のあんたも余裕ない”って、向こうも感じるだろうし」

 

 ナミは唇を結んだ。

 

 反論はない。

 したくても出来ない。

 

「で、カイエは?」

 ペルシアが聞く。

 

「抱え込みすぎです」

 ナミが即答する。

「全部繋ごうとして、全部少しずつ背負ってる」

 

「カオルは?」

 

「切りすぎ」

 

「ユアンは?」

 

「張り合いすぎ」

 

「キャットは?」

 

「軽すぎ」

 そこでナミは、一瞬だけ眉を寄せた。

「……でも、あの人、妙に本質だけ見てる時がある」

 

「シンゴは?」

 

「引きすぎです。優しいけど、それが今は弱さにもなってる」

 

 ペルシアは、そこでふっと息を吐いた。

 

「ちゃんと見てるじゃない」

 

 ナミが顔を上げる。

 

「何がですか」

 

「全員のこと」

 ペルシアが言う。

「自分がムカついたところだけじゃなくて、全員のズレ見えてる。それなら、まだ終わってないでしょ」

 

「……」

 

 それだけだった。

 

 慰めはない。

 「頑張ってるね」もない。

 「大変だったね」もない。

 

 でも、ナミは少しだけ呼吸が落ち着いた自分に気づいた。

 

 ペルシアは三枚目にもハンコを押す。

 

「はい、これでいい?」

 

 ナミは、差し出された書類を受け取る。

 

「……ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 ペルシアが頬杖をついたまま言う。

「で、また煮詰まったら来れば?」

 

「……そうします」

 

 それだけ言って、ナミは踵を返した。

 

 ドアが閉まる。

 足音が遠ざかる。

 

 部屋に、少しだけ静けさが戻った。

 

 

 しばらくして、クリスタルが口を開いた。

 

「何か言わなくて良かったの?」

 

 フレイも、端末から目を上げる。

 

「慰めるとか、アドバイスするとか」

 

 ペルシアは、インクの乾きを待つように判子を机へ置いた。

 

「いいのよ」

 

「どうして?」

 クリスタルが聞く。

 

 ペルシアは、椅子へ少し深く座り直して言った。

 

「今のナミって、答えが欲しかったわけじゃないの、自分がどこまで見えてるか、確認したかっただけ」

 

 フレイが、少しだけ考える顔になる。

 

「確認?」

 

「そう」

 ペルシアが頷く。

「本当に余裕なくなると、人って“誰が悪いか”しか言えなくなるでしょ。でもあの子、ちゃんと全員のズレを見てた。自分がイライラしてることも、カイエが抱えてることも、カオルが切りすぎることも。そこまで見えてるなら、今はまだ口出ししなくていい」

 

 クリスタルは腕を組んだまま言う。

 

「でも、慰めるくらいは出来たでしょう」

 

「慰めたら、たぶん少し楽になるわよ」

 ペルシアが言う。

「でも、今あの子に必要なのって、楽になることじゃないもの」

 

「じゃあ何ですか?」

 フレイが聞く。

 

「自分で持って帰ること」

 ペルシアは答えた。

「“あ、私ちゃんと見えてたんだ”って状態で戻ること。それが一番、次の言葉を変えるから」

 

 クリスタルとフレイは、少しだけ黙った。

 

 ペルシアは、その沈黙を気にせず続ける。

 

「下手にアドバイスすると、あの子、今度はそれを“正解”として持ち帰るでしょ。でも、あのチームって今、“誰かの正解を足す”より、“自分達のズレを自分達で掴む”段階なのよ。だから、今は聞くだけでいい」

 

「……なるほどね」

 クリスタルが小さく言った。

 

「優しいんだか、突き放してるんだか分からないですね」

 フレイが言う。

 

「どっちもよ」

 ペルシアが肩をすくめる。

「人を育てる時って、そういうもんでしょ」

 

 それから、ふっと口元をゆるめた。

 

「それに、ナミはあれで戻ったらちゃんと考える子だし。今頃、“あ、私も刺さってたな”とか思ってるわよ」

 

 クリスタルが、わずかに笑う。

 

「そうかも」

 

「でしょ?」

 ペルシアが言う。

「だから今はいいの。次に来た時、今度はもう少し違う顔してたら、それで十分」

 

 フレイは、端末を閉じながら言う。

 

「案外ちゃんと見てるんですね」

 

「何よ、その“案外”」

 ペルシアが顔をしかめる。

 

「普段の統括官を見てると、もっと勢いで生きてるのかと」

 

「勢いでも生きてるわよ」

 ペルシアが言う。

「でも、人を見る時まで雑だったら、宇宙管理局でこんな仕事してられないでしょ」

 

 その言葉に、クリスタルとフレイは小さく笑った。

 

 宇宙管理局の夜は、まだしばらく終わらない。

 捜索。

 監視。

 調整。

 承認。

 書類。

 仕事はいくらでもある。

 

 だが、その片隅で、別の場所ではまた若いチームがぶつかり合いながら形になろうとしている。

 ナミが今しがた持ち帰った苛立ちも、たぶんその一部だ。

 

 ペルシアは、机の上のハンコをくるりと回した。

 

「さて、じゃあ私も働きますか」

 

「最初から働いて」

 クリスタルが言う。

 

「働いてください」

 フレイも言った。

 

「厳しくない?」

 ペルシアが言いながらも、端末を引き寄せる。

 

 けれど、その顔にはほんの少しだけ、面白がるような色が混じっていた。

 

 まだ崩れていない。

 あのチームも、ナミも。

 

 なら、今はそれで十分だと、ペルシアは思っていた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 それから数日後。

 

 探索用シュミレーションのチームは、表面上はまだ回っていた。

 

 顔合わせは済んでいる。

 役割も決まっている。

 追加一名だけがまだ決まっていない。

 それでも、六人で出来るところまではやると決めて、何度もシュミレーションを重ねていた。

 

 だが、もはや問題は“追加一名がいないこと”だけではなくなっていた。

 

 最初はそこが大きな穴だった。

 誰か一人、情報や人の流れを受け止める役がいれば、ここまで尖らずに済む――全員、どこかでそう思っていた。

 

 けれど数を重ねるうちに、それだけでは説明がつかなくなっていく。

 

 カオルの厳しさ。

 ユアンの張り合い。

 ナミの冷静さに潜む刺。

 キャットの軽さと、軽いくせに核心だけを突いてくる厄介さ。

 シンゴの遠慮。

 カイエの抱え込み。

 

 追加一名がいなくても、噛み合うチームは噛み合う。

 反対に、一枚足りないだけで済まない時は、その一枚が入ったところで全部は解決しない。

 

 全員が、うっすらそれに気づき始めていた。

 

 だからこそ、苦しかった。

 

 

 最初の頃は、フラストレーションにもまだ理屈がついていた。

 

 役割が足りない。

 流れを受ける人がいない。

 情報が散る。

 だからぶつかる。

 

 そう整理できていた。

 

 だが、今は違う。

 

 シュミレーションが始まる前から、空気が少し硬い。

 席につく時の椅子を引く音。

 端末を開く動作。

 誰かが資料をめくる速度。

 そういう細かいところに、じわじわとした苛立ちが滲んでいる。

 

 カオルは以前よりも無駄に言葉を削るようになった。

 それは彼なりの集中なのだろう。

 だが、受ける側からすると、“こちらを信じていない”ようにも聞こえる。

 

 ユアンは、その削られた言葉へ、以前より敏感に反応するようになった。

 張り合いはもともとあった。

 だが今は、“自分を通したい”だけではなく、“切られたくない”という意地が混ざっている。

 

 ナミは、全体を整理しようとして、結果として誰よりも全員のズレを見てしまう。

 だから指摘が増える。

 そして指摘が増えるほど、自分だけが“冷たく聞こえる役”を引き受けている気がして、内側で小さく苛立つ。

 

 シンゴは、そんな空気の中で、何か言えば余計に散るのではないかと考えるようになっていった。

 その結果、必要な時に一拍遅れる。

 遅れるとカオルに切られる。

 切られると、ますます慎重になる。

 

 キャットは一見変わらない。

 相変わらず飄々としているし、気が向いたことをそのまま口にする。

 だが、その変わらなさが逆に、他の五人の神経を時々逆撫でする。

 

 そしてカイエは、その全部をまとめようとして、日に日に目の下の疲れが濃くなっていった。

 

 

 ある日の午前中のシュミレーション。

 

 想定は、未探索宙域内での観測中に発生したコックピット周辺の微弱な気圧変動。

 それに伴う計器誤差。

 さらに居住スペースでの軽度なめまい症状を訴える乗員が発生、という流れだった。

 

 開始から十五分。

 

「左の計器、またずれてる」

 ユアンが言う。

「補正入れる」

 

「入れるな」

 カオルが即座に返した。

「変動源が確定してない」

 

「確定待ってたら遅いだろ」

 ユアンの声がすぐに硬くなる。

「前回もそれで後手に回った」

 

「前回と今回を同じにするな」

 カオルが言う。

「今は変動幅が違う」

 

「違うのは見りゃ分かる」

 ユアンが返す。

「でも“だから大丈夫”とは言ってない」

 

「誰も言ってない」

 カオルの声は低い。

「判断を飛ばすな」

 

「飛ばしてない、先に切ってるだけだ」

 

「その“だけ”が危ないって言ってる」

 

 ナミが、その間に端末を叩きながら言う。

 

「二人とも、一回黙って。左計器のずれ、気圧変動そのものじゃなくて読み取り側のラグかもしれない。補正入れる前にログ見る」

 

「なら早く出さ」

 カオルが言う。

 

「今出してる」

 ナミが返す。

「急かされると逆に遅れる」

 

「急かしてない。必要な速度を確認してるだけ」

 

「それを急かすって言うの」

 

 シンゴが、控えめに口を挟んだ。

 

「もし読み取りラグなら、配線じゃなくて接続部の緩みかもしれない」

「ただ、気圧変動が本当に来てるなら、他区画にもズレが――」

 

「乗員がめまい訴えてる」

 キャットが、椅子へもたれたまま言う。

「そっち見る。今の段階だと、軽い循環不良かストレス反応か、あるいは環境の変動かも、一人で行くと戻り共有が遅れる」

 

「ならカイエ」

 カオルが言う。

「お前が」

 

「無理」

 カイエが即座に言った。

「今この場で離れたら、こっちの流れが切れる。そこ、追加一名がいない問題と一緒でしょ」

 

「毎回それだな」

 ユアンが言う。

「追加一名がいない、追加一名がいないって。それ言ってれば済む話じゃないだろ」

 

 カイエの視線が鋭く動く。

 

「済むなんて言ってない。でも、今の穴がそこでしょ」

 

「穴はそこだけじゃない」

 ユアンが返す。

「話の通し方も悪い」

 

「ユアン」

 ナミが低く言う。

「今そこに噛みつく必要ある?」

 

「あるだろ」

 ユアンはもう引かない。

「結局、誰も何を優先して決めるのか明確じゃないまま走ってる」

 

「違う」

 カオルが言う。

「優先は明確だ。お前がその都度噛むから散る」

 

「俺のせいにするなよ」

 ユアンが正面から睨み返した。

「お前が短く切りすぎるから、こっちが補わないといけないんだろ」

 

 その瞬間、空気が一気に冷えた。

 

 シミュレーションはそのまま続いたが、誰も内心では手応えを持っていなかった。

 終わった時に残ったのは、課題の整理よりも、喉の奥に刺さるざらつきだった。

 

 

 午後の回はもっとひどかった。

 

 疲れが残ったまま、休憩も十分に取らずに入ったのが良くなかったのだろう。

 

 今度は、観測機の一時停止と、サンプルコンテナの温度管理異常。

 医療スペースに運び込まれた試料への対処と、観測データの保全を同時に迫られるシナリオ。

 

「試料の保全を先にする」

 ナミが言う。

「観測データが飛んだら、この回まるごと意味がなくなる」

 

「人間が先」

 キャットが言う。

「試料なんて後でもいい」

 

「後でいいって、今それ本気で言ってる?」

 ナミの声が冷える。

「探索用シュミレーションで、観測データを後回しにするの?」

 

「医療従事者の前で“人間よりデータ”って言うの?」

 キャットが返す。

「それ、本番でやったら嫌われるわよ」

 

「嫌われるかどうかの話してるんじゃない」

 ナミが言う。

「失われたら取り戻せないものを――」

 

「人間も同じでしょ」

 

「だから程度を見ろって言ってるの!」

 

 シンゴが間に入ろうとした。

 

「ちょっと待って。試料コンテナの温度管理と、乗員の状態が同時に崩れたなら、冷却系のトラブルかもしれない。そこ繋がってる可能性あるから――」

 

「ならそこを最初に出せ」

 カオルが言った。

 

 短く。

 鋭く。

 それ自体は正しい。

 だが、シンゴは一瞬言葉を詰まらせた。

 

「……ごめん」

 

 思わず出た謝罪。

 

 その一言で、また空気が変わる。

 

「謝らなくていい」

 ナミがすぐに言う。

 

「でも遅かっただろ」

 カオルが言う。

 

「カオル」

 カイエが今度ははっきりと声を上げた。

「今の言い方、きつい」

 

「事実だ」

 

「事実でも、相手が縮むなら意味ない」

 カイエが返す。

 

 ユアンがそのやり取りに、苛立ちを滲ませて口を開く。

 

「ほら、そうやって。結局、誰かが何か言えば、今度は“言い方”の話になる」

 

「実際そうでしょ」

 ナミがユアンを見る。

「今のチーム、内容より言い方で崩れてる部分が増えてる」

 

「お前、それ俺に言ってるのか」

 ユアンが笑いもしないで言う。

 

「全員に言ってる」

 ナミが答える。

「私も含めて」

 

 その回が終わった時、もはや誰もすぐに席を立たなかった。

 

 沈黙。

 

 じっとしているだけで、部屋の空気が神経を逆なでする。

 フラストレーションは、もう「少し溜まってきた」どころではない。

 爆発の寸前。

 その手前の一番嫌な温度まで来ていた。

 

 

 その様子は、宇宙管理局側にも微妙に伝わっていた。

 

 ナミは一応、管理局所属の立場で参加している。

 だから必要書類や進捗報告のために、管理局へ戻るタイミングがある。

 

 そのたびに、ナミの顔は少しずつ変わっていた。

 

 以前は、疲れていても芯は立っていた。

 今は、疲れの中に明らかな苛立ちと、押し殺した怒気が混ざっている。

 

 宇宙管理局のフロアの端。

 

 ナミが端末を持って早足で通り過ぎていくのを、ペルシアは少し離れた場所から見ていた。

 

「ふーん」

 

 小さく、そう漏らす。

 

 それだけだった。

 

 呼び止めもしない。

 あえて声もかけない。

 ただ、目だけで追っている。

 

 クリスタルが、書類を抱えたまま隣に来て言う。

 

「何見てるの?」

 

「ナミ」

 ペルシアが顎で示した。

「ずいぶん煮えてる」

 

「声かけなくていいの?」

 フレイも端末を片手に言う。

 

「まだいい」

 ペルシアは肩をすくめた。

「今の顔は、“自分で分かってるけど止まれない”顔だから。そこで外から何か入れると、逆に変に整うのよ」

 

「整う?」

 クリスタルが眉を上げる。

 

「そう」

 ペルシアが言う。

「本当に爆発する手前って、一回ちゃんと爆発させた方がマシな時あるでしょ。今、あのチームそれ」

 

 フレイが、少しだけ呆れたように息を吐いた。

 

「見てるだけなのね」

 

「見てるだけ」

 ペルシアが言う。

「今はまだね」

 

 その横顔は、面白がっているというより、観察している顔に近かった。

 

 

 そして、数日後。

 

 とうとう、その瞬間が来た。

 

 その日のシュミレーションは、開始前から空気が悪かった。

 

 追加一名はまだ決まらない。

 候補を出しては、役割の噛み合わせで首を傾げ、保留になる。

 今の六人でやるしかない状態が続いている。

 

 模擬コックピットに入った瞬間から、誰も余裕がなかった。

 

 カイエはいつもより口数が少ない。

 シンゴは明らかに肩が強張っている。

 ナミは端末を見る目が冷え切っている。

 ユアンは椅子へ座った時点で、すでに不機嫌そうだった。

 キャットだけは変わらない顔をしていたが、その変わらなさが今日は余計に浮いて見えた。

 

 始まったシナリオは、未探索領域内での局所通信障害と、観測データの一部ロスト。

 そこへ船内医療区画での軽度の薬剤アレルギー反応が重なるという、またしても“人とデータのどちらをどこまで優先するか”を問うものだった。

 

 開始から十分で、もうおかしくなった。

 

「通信復旧が先」

 ナミが言う。

 

「医療確認が先」

 キャットが返す。

 

「だから程度を――」

 

「程度を見たいなら、誰か現場へ行くの?」

 

「誰が行くんだよ」

 ユアンが苛立ち混じりに言う。

「毎回同じ話だろ」

 

「同じ話で済ませてるのはあんた」

 ナミが返す。

 

「は?」

 ユアンが顔を上げる。

 

「“また同じ”って顔で切るでしょ。その時点で思考止めてる」

 

「止めてない」

 ユアンが声を荒げた。

「毎回同じ穴で詰まってるから言ってるんだ」

 

「言い方」

 カイエが挟む。

 

「また言い方かよ!」

 ユアンが、とうとう机を軽く叩いた。

「もううんざりなんだよ、それ!」

 

 部屋が静まり返る。

 

 シンゴがびくっと肩を揺らす。

 ナミの眉がぴくりと動く。

 カオルは無言のまま、真っ直ぐユアンを見る。

 

「何だよ」

 ユアンがカオルへ言う。

「その顔。また“必要ない”って切るのか?」

 

「……今、お前が感情で走ってる」

 カオルが低く言う。

 

「だから、それだよ!」

 ユアンが立ち上がった。

「いつもそうだ!お前は“今感情だ”“今遅い”“今違う”って切るだけだろ!こっちはそのたびに“じゃあどう言えばいいんだ”ってなる!」

 

「ユアン、座って」

 カイエが言う。

「今のは訓練中」

 

「知ってるよ!」

 ユアンが振り返る。

「だから余計にムカついてるんだろ!」

 

 ナミもそこで椅子から立ち上がった。

 

「じゃあ言うけど、私も限界!毎回毎回、情報を整理して返して、流れを繋いで、それでも“冷たい”“刺さる”“言い方”って!何をどうしろっていうの!必要だから言ってるのに、こっちが悪者みたいになるの、もううんざり」

 

「私は別に悪者扱いなんてしてないわ」

 キャットが椅子に座ったまま言う。

 

「その軽さが腹立つのよ!」

 ナミが思わず声を荒げた。

「あなたはいつも“私は変わらない”って顔してるけど、こっちはその余裕ごと見てるの!軽く言ってるくせに、刺すところだけ刺して、自分は無傷みたいな顔して!」

 

 キャットの目が、少しだけ細くなった。

 

「無傷じゃないわよ」

 静かに言う。

「ただ、いちいち顔に出さないだけ」

 

「それが余計に面倒なの!」

 

「ナミ」

 カイエが強めに呼ぶ。

 

「カイエだって!」

 ナミは、今度はカイエを見た。

「全部繋ごうとして、全部背負おうとして、結局こっちにまで“今はそれじゃない”って返すでしょ!じゃあ誰が吐き出せばいいの!?どこでズレを言えばいいの!?」

 

 カイエも、一瞬だけ言葉を失った。

 

 図星だったからだ。

 

 そしてその沈黙を見て、ユアンが吐き捨てるように言う。

 

「もういい」

 

 その一言で、空気が凍った。

 

「こんなんで本番とか無理だ」

 ユアンが言う。

「俺、降りる」

 

 シンゴが目を見開く。

 

「ユアン……!」

 

 だがユアンは止まらない。

 

「こんなチーム、やってられない。誰もまとまらない。毎回、口だけ出して終わる。だったら、最初から俺は降りる」

 

 カオルが低く言う。

 

「勝手に決めるな」

 

「勝手じゃないだろ」

 ユアンが睨み返す。

「こっちはずっと付き合って、ずっと噛み砕いて、それでも“切る”だ“言い方”だって、もう疲れた」

 

「……」

 カオルは返事をしない。

 その沈黙が、さらに空気を悪くする。

 

 ナミが、そこで乾いた声を出した。

 

「じゃあ、私も降りる」

 

 今度はカイエが息を呑んだ。

 

「ナミ」

 

「無理」

 ナミの声は震えていなかった。

「私はこのチームに必要なことを言ってるつもりだった。でも、それがただ空気を悪くしてるなら、いない方がマシ。少なくとも、今の私はそうとしか思えない」

 

「それは違う」

 カオルが言う。

 

「違わない!」

 ナミが、初めて真正面から怒鳴った。

「違わないでしょ!今のあんた達見て、何一つ噛み合ってないじゃない!」

 

 その怒声の直後。

 

 キャットが、椅子からゆっくり立ち上がった。

 

「……なら、私も降りるわ」

 

 静かな声だった。

 

 だが、その静けさが一番重かった。

 

「キャット!」

 カイエが思わず声を上げる。

 

「だって、そうでしょう?」

 キャットは淡々としている。

「ここまで来て、“誰が悪いわけでもないのに、全員が無理をしてるチーム”に、私が居座る理由もないもの。軽く見えるのが気に入らないなら、それでいいし」

 

「そういう意味で言ったんじゃ――」

 ナミが言いかける。

 

「分かってる」

 キャットが遮る。

「でも、分かってても刺さる時はあるの。それはあなた達だけじゃない」

 

 誰も動けなかった。

 

 カイエも。

 シンゴも。

 カオルも。

 

 ユアンが降りると言った。

 ナミも続いた。

 キャットまで。

 

 もう、ただのぎくしゃくでは済まない。

 

 その時だった。

 

「待って!!」

 

 勢いよくドアが開く音と同時に、明るい、けれど今は明らかに切羽詰まった声が飛び込んできた。

 

 ククルだった。

 

 両手に差し入れの袋を持ったまま、部屋の空気を一目見て、顔色を変えている。

 

「ちょっと待って、何それ!?何が起きたの!?」

 

 ユアンも、ナミも、キャットも、動きを止める。

 

 ククルは袋を抱えたまま、慌てて三人とカイエ達の間へ入った。

 

「待って待って待って!今の、ほんとに今決める流れじゃないでしょ!?ちょっと、誰も動かないで!」

 

 そこで、場面は止まった。

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