サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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リスタート

 店を出た時には、コロニーロカA2の夜気が少しひんやりしていた。

 

 暖簾の内側にあった油と出汁の匂いがまだ服に残っていて、さっきまでの賑やかな空気が、そのまま身体にまとわりついている気がする。

 

 最初に出てきたのはキャットだった。

 

「ふぅ。食べたわね」

 

「お前が一番食ってたろ」

 ユアンが言う。

 

「失礼ね。ククルも相当だったわよ」

 

「え、私!?」

 ククルが目を丸くする。

「だって走ってきたし! お腹空いてたし!」

 

「言い訳が小学生なんだよ」

 ナミが呆れたように言った。

 

「なにそれぇ」

 ククルがむっとする。

「ナミだってだし巻きめっちゃ食べてたじゃん」

 

「二切れよ」

 

「三切れ見た」

 

「細かい」

 

 シンゴが、そのやり取りを横で聞きながら小さく笑った。

 

「でも、ちょっと安心した。ちゃんとみんな喋れてよかった」

 

「それはそう」

 カイエが頷く。

「昨日の空気のまま解散してたら、たぶん明日もっと酷かった」

 

 カオルは店の前で立ち止まり、財布をしまいながら全員を見た。

 

「今日はありがとう」

 

「まだ礼を言うのは早いでしょ」

 キャットが言う。

「明日、ちゃんと回ってからよ」

 

「そうだな」

 カオルは素直に頷いた。

 

「じゃあ、明日九時」

 ナミが念押しするように言う。

「遅れないで」

 

「お前が一番早く来そうだな」

 ユアンが言った。

 

「当然」

 ナミは即答した。

「準備しないと気が済まないし」

 

「分かる」

 シンゴが頷く。

「僕も早めに行く。映像、もう一回見返して整理したいし」

 

「僕も、って言い方がシンゴらしい」

 ククルが笑う。

「絶対また早く行って端末並べてるじゃん」

 

「悪い?そういう時は先に触っといた方がいいんだよ」

 

「ううん、悪くない」

 カイエが言う。

「助かる」

 

 ククルがそこで、ぱっとカオルを見る。

 

「ねえ、カオル」

 

「なんだ」

 

「本当に私でいいの?」

 

 さっき店の中では勢いで「やる!」と言った。

 けれど、こうして外の空気に当たると、嬉しさと一緒に現実感も戻ってくる。

 

 未探索領域を経験している。

 それは事実だ。

 でも、それと探索用シミュレーションの追加メンバーとして通用するかは、また別の話だ。

 

 カオルは、そんなククルを見て一拍だけ間を置いた。

 

「いい」

 短く、でもはっきりと言う。

 

「お前が必要だ。それはもう変わらない」

 

 ククルは一瞬だけ目を瞬かせたあと、へへ、と少し照れくさそうに笑った。

 

「……そっか」

 

「そっか、じゃない」

 ユアンが言う。

「もう引くなよ」

 

「引かないよ!」

 ククルが言い返す。

「私、やるって言ったらやるもん!」

 

「そこは信用してる」

 ナミが言った。

 

「え、ほんと?」

 

「ほんと」

 ナミは肩をすくめる。

「その代わり、途中で空気読んで変に遠慮する方が面倒」

 

「うっ」

 ククルが詰まる。

「それ、たまにやる……」

 

「知ってる」

 カイエが苦笑する。

 

「じゃあ、そこは僕が見てる」

 シンゴが言った。

「ククル、遠慮し始めると分かりやすいし」

 

「シンゴまで!?」

 

「分かりやすいよ」

 キャットが笑う。

「顔に全部出るもの」

 

「うぅ……」

 ククルは肩を落とした。

「みんな、私のこと分かりすぎじゃない?」

 

「それだけ一緒にいるってことだろ」

 ユアンが言う。

 

 その言葉に、ククルは少しだけ目を丸くしてから、にっと笑った。

 

「じゃあ、いいか!」

 

 夜の通りに、ほんの少し笑い声が広がる。

 

 それぞれ帰る方向が違うから、そこで自然と足が止まる。

 

「じゃあ、また明日」

 カイエが言った。

 

「また明日」

 シンゴ。

 

「遅れるなよ」

 ユアン。

 

「ユアンに言われたくない」

 ナミ。

 

「私は寝坊しないわよ」

 キャット。

 

「私も!」

 ククルが元気よく言う。

「……たぶん!」

 

「そこは断言しなさい」

 ナミが即座に突っ込む。

 

 最後に、カオルが一度だけ全員を見た。

 

「明日から、ちゃんと勝ちにいく」

 

 その言葉に、全員が小さく頷いた。

 

 

 次の日。

 

 シミュレーションルームの照明が点いた時、そこにいたのは予想通りナミとシンゴだった。

 

 ナミは端末を二台開き、昨夜まとめたメモを画面に並べている。

 シンゴは補助盤の図面と、ラスペランッァの映像を並べて、何やら一人でぶつぶつ言いながら整理していた。

 

「おはよう」

 ナミが先に言う。

 

「おはよう」

 シンゴも顔を上げた。

「カイエ、ちょっといい?昨日の映像のここの切り替えなんだけど」

 

 カイエは部屋に入るなり、もうその流れを見て少しだけ笑った。

 

「おはよう、いいよ、見せて」

 

 そこへユアンが入ってくる。

 

「……早いな」

 

「お前も来てるじゃん」

 ナミが言う。

 

「俺はたまたまだ」

 

「そういうことにしとく」

 ナミが、少しだけ口元を緩めた。

 

 そのやり取りを横目に見ながら、ユアンも席につく。

 昨日ほどの刺々しさはない。

 完全に消えたわけではないが、少なくとも今日は、最初から噛みつく気配はなかった。

 

 キャットはその少し後に現れた。

 

「みんな真面目ねえ」

 

「お前が言うな」

 ユアンが言う。

 

「私は真面目よ」

 キャットは平然と言う。

「ただ、力の抜き方を知ってるだけ」

 

「それ昨日も言ってた」

 シンゴが小さく笑う。

 

 そして最後に、ククルとカオルがほぼ同時に入ってきた。

 

「おはよう!」

 ククルが元気よく言う。

 

「おはよう」

 カオルが続く。

 

 七人が揃う。

 

 昨日までは六人だった空間に、ククルが一人入っただけで、不思議と空気の流れが少し変わった。

 人数が増えた、というだけではない。

 抜け道が一つ増えたような感じだ。

 

 カイエはその全員を見渡して、前に立った。

 

「じゃあ、始めるね。今日はすぐに回さない」

 

 誰も異論はない。

 

「まず、ラスペランッァの映像を細かく分けて見る。昨日話した通り、“誰が何をしてるか”じゃなくて、“誰が抜けた時に誰がどこまで入ってるか”を洗い出す。あと、エリンさんがどのタイミングで空気を整えてるかも見る」

 

「了解」

 ナミ。

 

「うん」

 シンゴ。

 

「分かった」

 ユアン。

 

「はいはい」

 キャット。

 

「りょーかい!」

 ククル。

 

 カオルは無言で頷いた。

 

 映像が再生される。

 

 左補助制御の異常。

 火花。

 ペルシアの仮の負傷。

 クリスタルの切り替え。

 サツキの仮説提示。

 マリの監視範囲の広さ。

 エリンの応急処置と、空気の微修正。

 

 今度は誰も、ただ圧倒されるだけでは見ていない。

 

「止めて」

 ナミが言う。

 

 映像が止まる。

 

「ここ」

 ナミが画面を示す。

「クリスタルは副操縦士席を完全には離れてない。でも、システム側へ手を伸ばしてる。これ、“席を離れる”か“離れない”かじゃなくて、“どこまで届くか”で考えてるんだと思う」

 

「うん」

 シンゴが頷く。

「役割の切り替えっていうより、重ねてる感じ」

 

「それなら僕たちもできる」

 シンゴは続けた。

「完全に役割交代するんじゃなくて、“届く範囲の補助”を先に作る。その方が穴が小さいまま済む」

 

「確かに」

 カイエが言う。

「じゃあ、まずそこを組もう。“完全交代”の前に、“届く範囲の補助”」

 

 ユアンが口を開く。

 

「俺なら、副操縦士席からシステムのログ確認まではいける。ただ、深い切り分けは無理だ。見るのは、“操縦に直結する異常かどうか”までだな」

 

「それで十分」

 ナミが言う。

「そこが先に分かるだけで、私の負担はかなり変わる」

 

「私は逆に」

 ナミが少し考えてから言う。

「システム側から操縦席に返す情報を、もう少し短くする。昨日までの私は“正確さ”を優先しすぎて長かった。今必要なのは、“今、何が危ないか”の先出し」

 

「助かる」

 カオルが短く言った。

 

 ナミは、その一言にわずかに目を細める。

 昨日までなら、それを素直に受け取れなかったかもしれない。

 でも今日は違う。

 

「サツキさんとマリさんは敬語だったよね」

 ククルが画面を見ながら言う。

「でも、敬語でも全然遅くなってなかった」

 

「敬語かどうかは本質じゃないんだろうね」

 キャットが言う。

「内容が渡ってるから、言い方で詰まらない」

 

「僕たちは全員普通に話すって決めたんだし」

 シンゴが言う。

「だったら、なおさら“言葉の短さ”だけじゃなくて“渡し方”を揃えた方がいいと思う」

 

「うん」

 カイエが頷く。

「そこは統一しよう。短くするけど、切らない。情報だけ投げない。誰に渡すかを言葉に入れる」

 

「つまり」

 ユアンが言う。

「“見ろ”じゃなくて、“お前が見ろ”ってことか」

 

「そう」

 カイエは言う。

「それだけで受け手の迷いが減る」

 

「なるほどね」

 キャットが腕を組む。

「シンプルだけど、結構大きい」

 

 映像はさらに進む。

 

 ペルシアが仮負傷して、エリンが応急処置へ入り、クリスタルがシステム補助へ手を伸ばす場面で、ククルが勢いよく手を挙げた。

 

「はい!」

 

「なに」

 ナミが言う。

 

「エリンさん、ここでペルシアさんの手を見ながら、ちゃんとサツキさんとマリさんにも声かけてる」

 ククルが言う。

「これって、“応急処置してる”じゃなくて、“応急処置しながら全体見てる”ってことだよね?」

 

「そう」

 カイエが言う。

「多分そこが大事」

 

「でもそれ、一番難しくない?」

 ククルが首を傾げる。

「一個やりながら、別の詰まりも見るんでしょ?」

 

「難しい」

 カイエは素直に認める。

「だから、最初から全部は真似しない。でも、“一個の対応に没頭しすぎない”は意識する」

 

「だったら僕、そこは手伝えると思う」

 シンゴが言った。

「僕、機械触ってる時は集中しすぎるけど、逆に誰かがハマり込んでるのは見つけやすい。だから、カイエが一個に入った時、僕が周りの詰まりを見る」

 

「いいね」

 カイエが言う。

「お願いしたい」

 

 ククルも、すぐに乗る。

 

「じゃあ私もやる!人の顔色とか空気の固まり方は分かるし、“今この人、視野狭くなってる”ってのは結構見えると思う」

 

「それだ」

 ナミが言う。

「追加メンバーの役割、かなり見えてきた」

 

 ククルが少し照れたように笑う。

 

「へへ」

 

「褒められるとすぐ顔に出る」

 ユアンが言った。

 

「今それ言わなくていいじゃん!」

 

 また小さく笑いが起きる。

 

 

 午前中いっぱいを使って、七人は映像を分解した。

 

 誰が、どこで、どこまで入るのか。

 完全交代と、届く範囲の補助。

 誰かが詰まった時、誰が見るのか。

 情報を誰に渡すのか。

 その一つ一つを言葉にして、手元のシートへ落としていく。

 

 昼前には、仮の役割表が出来上がっていた。

 

 操縦士――カオル。

 副操縦士――ユアン。

 システムエンジニア――ナミ。

 メカニック――シンゴ。

 医療従事者――キャット。

 コックピットコンディション――カイエ。

 追加メンバー――ククル。

 

 そして、その下に“補助範囲”が細かく書き足される。

 

「昼から一本目」

 カオルが言う。

「完成度は求めない。まずは、止まらずに最後まで流す。詰まったら、その場で止める」

 

「了解」

 ナミ。

 

「分かった」

 ユアン。

 

「うん」

 シンゴ。

 

「やってみましょうか」

 キャット。

 

「任せて」

 カイエ。

 

「よーし!」

 ククルが拳を上げる。

「頑張る!」

 

 その元気な声に、カオルはほんの少しだけ口元を緩めた。

 

 

 昼休憩を挟み、午後。

 

 シミュレーションルームの空気が、また少し変わる。

 

 今度は昨日までの張り詰め方じゃない。

 緊張はある。

 でも、その緊張の中に“やり直す”ではなく“始める”熱がある。

 

 カオルが操縦席につく。

 ユアンがその隣。

 ナミがシステム側に端末を並べる。

 シンゴが補助盤へ手を置く。

 キャットが医療キットの配置を確認する。

 カイエは全員が見える位置へ立つ。

 ククルは後方から、それぞれの視線の動きと、呼吸の速さまで見ようとするように立った。

 

 開始ブザー。

 

 電子音が響く。

 

 最初の異常は、左補助制御系の瞬間遅延。

 続けて居住区画の環境値に小さな揺らぎ。

 そして三十秒後、通信系の軽微なノイズ。

 

 昨日までなら、ここで誰かが先に焦った。

 

 だが今日は違う。

 

「左補助、瞬間遅延」

 ナミが言う。

「操縦直結かどうか、ユアン見て」

 

「見てる」

 ユアンが即答する。

「今は直結しない。けど二回目来たら嫌だ」

 

「シンゴ、機械側どう?」

 カイエが渡す。

 

「機械応答はまだ正常」

 シンゴが言う。

「制御寄りの匂い、深追いはまだしない」

 

「了解」

 カオルが短く返す。

「姿勢維持そのまま」

 

「区画の環境値、揺らぎ小」

 ククルが言う。

「でも、ここで乗員の不安が先に出るかも」

 

「いい」

 キャットがすぐ受ける。

「その場合、僕――じゃなくて」

 一瞬詰まってから、キャットが笑う。

「私が聞き取りに入る準備しとく」

 

 その小さな言い直しに、シンゴが吹き出しそうになった。

 

「今のずるい」

 ユアンが言う。

 

「何がよ」

 キャットが平然と言う。

 

「いや、今“僕”って」

 

「気のせい」

 キャットは真顔で返した。

 

 一瞬だけ笑いが起きる。

 でも、それで空気は崩れない。

 

「笑うのは後」

 カイエが言う。

「今、全員いい感じ、そのまま流して」

 

 その言葉で、また熱が揃う。

 

 カオルは前を見たまま、ほんの少しだけ感じていた。

 

 昨日までより、確かに流れている。

 まだ荒い。

 まだ不格好だ。

 でも、止まり方が違う。

 

 そして、その不格好さごと前へ出せる今の空気は、悪くなかった。

 

 七人の最初の一歩は、そうして静かに、けれど確かに動き始めた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 開始ブザーが鳴った瞬間、七人の空気が一斉に締まった。

 

 昼休憩を挟み、映像の分解と役割の再構築を終えてからのシュミレーション。ここでまた昨日までのように噛み合わなければ、せっかくのやり直しは形にならない。

 逆に、少しでも流れれば、そこが新しい起点になる。

 

 だからこそ、静かだった。

 

 操縦席にカオル。

 副操縦士席にユアン。

 システムエンジニアにナミ。

 メカニックにシンゴ。

 医療従事者にキャット。

 コックピットコンディションにカイエ。

 追加メンバーとして後方から全体を見るククル。

 

 七人。

 

 まだ増えたばかりのその一人が、今は妙に大きく見えた。

 

 最初の異常は、左補助制御系の瞬間遅延。

 続いて居住区画Cの環境値が微弱に揺らぎ、さらに三十秒後には内部通信の浅いノイズ。

 重なる。

 だが、まだ軽い。

 あくまで“入口”だ。

 

「左補助、瞬間遅延」

 ナミが言う。

「操縦直結かどうか、ユアン見て」

 

「見てる」

 ユアンが即答する。

「今の段階じゃ直結しない。けど、二回目が来たら嫌な揺れ方だ。カオル、姿勢修正はまだ要らない」

 

「了解」

 カオルが短く返す。

「現状維持」

 

「シンゴ、機械側」

 カイエが言う。

 

「機械応答はまだ正常」

 シンゴが端末を見ながら返す。

「制御寄りの匂いが強い。仮説は二つ。今はまだ切らない」

 

「いい」

 カイエが言う。

「“二つあって、まだ切らない”まで共有で十分」

 

「区画Cの環境値、揺らぎ小」

 ククルが言う。

「でも、今の感じだと乗員の不安が先に出るかも。気分悪いって言い出す人が早めに出るタイプ」

 

 キャットが椅子へ浅く腰かけたまま口元を上げた。

 

「そういうの、助かる。じゃあ私は聞き取り準備だけ先にする。ナミ、居住区画Cの在室情報出して」

 

「出す」

 ナミが即答する。

「二名。うち一名、ストレス反応歴あり、もう一名は平常」

 

「いいわね」

 キャットが言う。

「ククル、その二人のうち先に崩れそうなのはどっちっぽい?」

 

「履歴ある方」

 ククルが迷わず答える。

「でも、たぶん本人より隣の人が気づくかも、“大丈夫?”って先に言う方のタイプ」

 

「そこまで読めるの?」

 ユアンが少し驚いたように言う。

 

「分かる時は分かる!」

 ククルが言った。

「未探索領域って、何もない時間の方が逆に怖いから“なんとなく嫌だな”が先に出る人って顔で分かることあるし」

 

「了解」

 キャットが頷く。

「じゃあ聞き取りは隣の人から先に入る」

 

 その会話の流れを、カイエは後ろから見ていた。

 

 昨日までなら、ここで誰かが“なんでそんなことまでお前が決める”とか、“今はそこじゃない”とか言ったかもしれない。

 だが今日は違う。

 ククルの情報は、現場の“人”に関する仮説として受け取られている。

 その受け方が違うだけで、空気の流れが変わる。

 

 そして、次の異常。

 

 右舷観測補助系に浅い電力揺らぎ。

 その直後に、システム盤のサブログが一枚だけ読み込み遅延を起こす。

 

「右舷補助系、揺れてる」

 ナミが言う。

「でも主観測にはまだ波及してない。ユアン、操縦系に影響ないかだけ先」

 

「ない」

 ユアンが返す。

「今のところは切り離して考えていい」

 

「シンゴ」

 カイエ。

 

「見る」

 シンゴがすぐ返した。

「右舷補助系の電力揺らぎは、たぶん単独じゃない。左補助の遅延と根が一緒の可能性ある。ただ、機械側で今すぐ触る段階じゃない」

 

「ナミ」

 カオルが言う。

「ログ遅延の一枚、危険か」

 

「危険ではない」

 ナミが即答する。

「ただし“遅れたこと”自体は嫌。システム側の再帰判断が浅く暴れてるかも、ここから先、同時に三つ以上来たら詰まる」

 

「なら詰まる前提で構える」

 カオルが言った。

 

 ユアンが、その言い方に少しだけ目を動かした。

 けれど、今日は噛みつかない。

 

「副操縦士側から補助する」

 ユアンが言う。

「三つ重なったら、操縦直結だけ僕が先に切り分ける」

 

「助かる」

 ナミが言った。

 

 短い。

 だが、それだけで空気が少し良くなる。

 

 シンゴはそれを感じながら、端末の表示を追う。

 

 そうだ。

 これだ。

 昨日までなかったのは、この“一拍先に渡して、受けた側がちゃんと返す”流れだ。

 

 その時。

 

 警告音が、今までより一段鋭く響いた。

 

 居住区画Cから、軽度の体調不良申告。

 同時に、左補助制御系の遅延が二回目を記録。

 そしてさらに、通信ノイズがほんの一瞬だけ全系統に浅く走る。

 

 被った。

 

「来た」

 ナミが低く言う。

「二回目」

 

「操縦へ食い込む」

 ユアンが即座に返す。

「カオル、左だけ気をつけろ。まだ大きくは来ないけど、次は嫌だ」

 

「了解」

 カオル。

「姿勢維持そのまま。深い修正なし」

 

「キャット」

 カイエが言う。

「居住区画C」

 

「行ける」

 キャットが立ち上がる。

「ただし完全に席は離れない。ククル、一緒に来て」

 

「え、私?」

 ククルが目を丸くする。

 

「そう」

 キャットが当然みたいに言う。

「今、誰が崩れやすいか分かるのあんたでしょ、医療判断は私がやる。でも、空気の入口はあんたの方が見える」

 

「わ、分かった!」

 ククルは慌てて頷く。

 

「いい」

 カイエが言う。

「キャット、ククル、聞き取り優先。ナミ、今の二人が入ってる間、医療端末の簡易ログも見て」

 

「見る」

 ナミ。

 

「シンゴ」

 カオルが呼ぶ。

「左補助、機械側はまだ正常か」

 

「正常」

 シンゴが返す。

「でも制御の再帰判断が増えてる。次は“物理じゃない異常”として扱った方がいい。補助盤じゃなくて、システム側を浅く抑えた方が早いかも」

 

「受ける」

 ナミがすぐに言う。

「ただし私一人だと少し重い。ユアン、副操縦士席から操縦直結ログだけ持って、そこだけ切り分けて私に投げて」

 

「了解」

 ユアンが言った。

「操縦直結だけ拾う。それ以外は触らない」

 

 そのやり取りを見て、カイエはほんのわずかに目を細めた。

 

 届く範囲の補助。

 まさに、午前中に決めた形だ。

 

 ククルとキャットが後方の医療補助席へ移る。

 居住区画Cとの音声回線が開く。

 

『……なんか、息苦しいです』

 

「うん、聞こえてる」

 キャットが落ち着いた声で言う。

「今は座って。深呼吸は浅くでいい。ククル、隣の人どう?」

 

 ククルは回線越しの相手の息遣いを聞きながら言う。

 

「隣の人、たぶん今、本人よりそっちが焦ってる。“大丈夫?”って二回続けて言ってる。そっち先に落ち着かせた方がいいかも」

 

「了解」

 キャットは回線へ向けて言う。

「隣にいる人、聞こえてる?」

「今、一番大事なのは“何かしなきゃ”って慌てないこと、手を握るだけでいい。呼吸の速さを合わせて」

 

 その言い方が、強くもなく、甘すぎもしない。

 

「……すごい」

 シンゴが思わず小さく言う。

 

「何が?」

 ナミが聞き返す。

 

「ククルの見方と、キャットの返し」

 シンゴが言う。

「医療だけじゃなくて、その場の空気まで見てる」

 

「そこが欲しかったんでしょ、追加一名として」

 ナミは画面を見たまま言う。

 

「うん」

 シンゴは頷く。

「思ってた以上だ」

 

 その間に、ユアンが操縦直結ログを拾って投げる。

 

「ナミ、左補助の遅延、操縦直結はまだ浅い、ただ三回目来たら切る」

 

「了解」

 ナミが言う。

「それなら今のうちに再帰判断を一段抑える。シンゴ、制御に波が返る前に、補助盤側から“固定しない固定”できる?」

 

「できる」

 シンゴが答える。

「仮ロックで暴れ幅だけ狭める。完全固定はしない」

 

「それでいい」

 カイエが言う。

「シンゴ、その処置時間は?」

 

「十五秒」

 シンゴが即答する。

 

「共有」

 カイエが言う。

「シンゴ、十五秒で仮ロック。ナミ、再帰判断を一段抑える。ユアン、三回目だけ先に見る。カオル、姿勢維持。今の優先はそこ」

 

「了解」

 全員の声がほぼ重なった。

 

 熱が、揃った。

 

 

 十五秒後、左補助制御系の暴れ幅は目に見えて落ち着き始めた。

 

「仮ロック入った」

 シンゴ。

 

「再帰判断、一段抑制」

 ナミ。

 

「操縦直結への食い込み、消えた」

 ユアン。

 

「いい」

 カオルが短く言う。

「そのまま維持」

 

「居住区画C、症状落ち着きつつある」

 キャットが言う。

「重症化なし。ククル、今はどう見える?」

 

「一人目は戻ってる」

 ククルが言う。

「二人目の方が、逆に今から遅れて緊張出そう。だから“終わった”って言い切らない方がいい」

 

「了解」

 キャットが回線へ言う。

「二人とも、今は良くなってる。でも急に立たなくていい。そのまま、あと一分だけ座って」

 

 マリの代わりに通信補助を拾っていたナミが、小さく息を吐いた。

 

「……流れてる」

 

「うん」

 カイエが言う。

「今、ちゃんと流れてる」

 

 それは誰に聞かせるでもない言葉だった。

 けれど、その一言で室内の空気が少しだけやわらぐ。

 

 そして最後に、右舷観測補助系の浅い電力揺らぎも、待機電力の再配分だけで収束した。

 

 終了ブザー。

 

 静かな電子音が鳴る。

 

 その瞬間、七人が同時に大きく息を吐いた。

 

 誰か一人が勝ったわけでもない。

 誰か一人が全部解いたわけでもない。

 けれど、最後まで流した。

 止まらなかった。

 そして、昨日までの自分達とは違う形で、ちゃんと回した。

 

 その手応えが、全員にあった。

 

「……やった」

 

 最初にぽつりと零したのはククルだった。

 

「うん」

 シンゴが頷く。

「今の、よかった!すごくよかった」

 

「まだ荒いけど」

 ナミが言う。

「でも、昨日までの“正しいことを叫んで終わる”じゃなかった」

 

「お前、言い方」

 ユアンが苦笑する。

 

「事実でしょ」

 ナミが言い返すが、そこに昨日までの刺はない。

 

「カオル」

 カイエが呼ぶ。

 

「なんだ」

 

「今の、どうだった?」

 

 カオルは少しだけ黙ってから答えた。

 

「勝ち筋が見えた」

 

 その一言に、ユアンがにやっと笑う。

 

「それだな」

 

「うん!」

 ククルが元気よく頷く。

「なんか今、ちゃんとチームって感じした!」

 

 キャットは椅子へ深く座り直し、肩を回した。

 

「疲れたけど、悪くないわね」

 

 シンゴが、そこで少し照れくさそうに言う。

 

「僕、さっきの十五秒、結構よかったと思う。ちゃんと先に言えたし」

 

「よかった」

 カイエがすぐ返す。

「待てる形になってた」

 

「うん」

 ナミも頷いた。

「こっちも受けやすかった」

 

 その時だった。

 

 シミュレーションルームのドアが静かに開いて、エマが顔を出した。

 

「……今、入って大丈夫?」

 

 全員がそちらを見る。

 

 エマは両手に紙袋を下げていた。

 少し大きめの袋と、飲み物用の小さなトレイ。

 その姿だけで、ククルがぱっと顔を明るくする。

 

「エマ!」

 

「お疲れさま」

 エマが柔らかく笑う。

「差し入れ持ってきたよ、ククルに変わって私が差し入れ係」

 

「何その最高の役割」

 ユアンが言う。

 

「勝手に任命したの」

 エマは淡々と言う。

「ククルだけにやらせると量がおかしくなるから」

 

「ひどい!」

 ククルが抗議する。

「でもちょっと分かる!」

 

 また笑いが起きる。

 

 エマは机の上へ袋を広げた。

 

「サンドイッチ。甘いの、しょっぱいの、あと冷たい飲み物」

 

「完璧すぎる」

 シンゴが思わず言う。

 

「今の顔見たら、ちょうどこれかなって思って」

 エマが言う。

「どうだった?」

 

「回った」

 カオルが短く答える。

 

「へえ」

 エマの目が少しだけやわらぐ。

「よかった」

 

「よかったじゃないよ!」

 ククルがもうサンドイッチを取りながら言う。

「すっごいよかったんだから!今の、ちゃんと流れた!」

 

「ククル、落ち着いて食べて」

 カイエが苦笑する。

 

「無理! お腹空いた!」

 

「通常運転ね」

 キャットが笑った。

 

 エマは、その様子を見て本当に安心したように小さく息を吐く。

 

 部屋の空気は、たしかに昨日までとは変わっていた。

 張りつめてはいる。

 でも、今はその張りつめが同じ方向へ向いている。

 

 差し入れを囲みながら、七人は今日の一本目の感触を何度も確認した。

 

 ここが良かった。

 ここはまだ遅い。

 ククルの読みは使える。

 ナミの短さは今の形がちょうどいい。

 ユアンの切り分けは副操縦士としてかなり助かる。

 シンゴの時間共有は次も継続。

 キャットとククルの医療側の空気読みは想像以上。

 カイエのまとめ方も、前よりずっと“整える”側へ寄っていた。

 

 手応えはあった。

 それを、誰も否定しなかった。

 

 

 その夜。

 

 宇宙管理局では、まだ明かりの消えない部屋がいくつもあった。

 

 探索用シミュレーション本番が近いせいか、資料室も統括官室周辺も、普段より人の出入りが遅い。

 端末の立ち上がる音。

 資料をめくる音。

 電子承認の通知音。

 夜なのに、静かな忙しさがそこかしこにあった。

 

 統括官室のドアがノックされ、ローズが分厚いファイルを抱えて入ってくる。

 

「持ってきたぞ」

 

 机の向こうで頬杖をついていたペルシアが、ちらりと視線を上げた。

 

「うわ、分厚!何それ、凶器?」

 

「探索シミュレーションの本番資料だ」

 ローズが言う。

「最終版に近い」

 

「気合い入ってるね」

 ペルシアがファイルの表紙を見て言う。

「ローズが企画したシミュレーションだけあるわね」

 

「お前も少しは手伝えよ」

 ローズが呆れたように言う。

「企画段階では口出したくせに、詰めに入ったら知らん顔しやがって」

 

「無理」

 ペルシアは即答した。

「私はルナちゃんの地球での活動の手続きがあるから」

 

「またルナか」

 ローズが肩をすくめる。

「本当にお前、あの件になると動きが早いな」

 

「当然でしょ」

 ペルシアが言う。

「大事な案件なんだから」

 

「お前の“大事”は偏りすぎなんだよ」

 

「何よ、今さら」

 

 ローズが資料を机へ置く。

 どさり、と重い音。

 

「とにかく目を通せ」

 ローズが言う。

「お前の管轄に関わるところもある」

 

「はいはい」

 ペルシアが気のない返事をする。

「あとでね」

 

「今だ」

 ローズが即座に言う。

 

「厳しくない?」

 ペルシアが嫌そうな顔をした、その時だった。

 

 ドアが勢いよく開く。

 

「統括官! 承認ください!」

 

 活気のある声だった。

 張っている。

 けれど、昨日までの刺々しい張り方ではない。

 忙しさごと前へ出る声だ。

 

 ナミだった。

 

 端末を抱え、少しだけ息を弾ませている。

 髪はきちんとしているのに、目の奥だけ熱がある。

 その顔を見た瞬間、ペルシアの口元に笑みが浮かんだ。

 

「お」

 小さくそう漏らす。

 

 ナミは机の前まで来て、端末を差し出した。

 

「ロカA2側の探索シミュレーション関連、補助承認です。今日中じゃないと回らないので、お願いします」

 

「元気じゃない」

 ペルシアが言う。

 

「忙しいだけです」

 ナミが答える。

 

「ふぅん」

 

 ペルシアは端末を受け取る前に、突然立ち上がった。

 

「え、ちょっ――」

 

 ナミが反応するより先に、ペルシアの手がその頭へぽん、と乗る。

 

 そして、わしゃわしゃと撫でた。

 

「よく戻ってきた」

 

「な、何するんですか!」

 ナミが目を丸くする。

「統括官!」

 

「いいじゃない」

 ペルシアが嬉しそうに言う。

「元気そうだからつい」

 

「つい、で撫でないでください!」

 ナミが顔を赤くする。

「子どもじゃないんですから!」

 

「でもいい顔してる」

 ペルシアは手をどけながら言う。

「昨日よりずっと」

 

 ローズが、そのやり取りを腕組みしたまま見ていた。

 

「なんだ、機嫌いいじゃないか、お前」

 

「そりゃね」

 ペルシアが端末へ承認を入れながら言う。

「ちゃんと進んでるって顔してるもの」

 

 ナミは、まだ少しだけ居心地悪そうにしながらも、端末を受け取った。

 

「……進んでます」

 小さく言う。

 

「そう」

 ペルシアが笑う。

「で、どうだったの」

 

 ナミは一瞬だけ言葉を選ぶ。

 それから、答えた。

 

「今日は一本、ちゃんと流れました。まだ荒いです。でも、昨日までのとは全然違いました」

 

「へぇ」

 ペルシアは嬉しそうに目を細める。

「よかったじゃない」

 

「はい」

 ナミは頷いた。

「ククルも入ったので、空いた穴を見る人が一人増えただけで、思ったより全体が変わって」

 

「でしょ?」

 ペルシアが言う。

「私は最初から言ってたじゃない」

 

「言ってません」

 ナミが即答する。

「押し込んだだけです」

 

「細かいなあ」

 

 ローズが、そこでふっと笑った。

 

「探索シミュレーションの方、動いたのか」

 

「はい」

 ナミが向き直る。

「まだ本番レベルではないです。でも、勝ち筋は見えました」

 

「勝ち筋、か」

 ローズが繰り返す。

「いい言葉使うようになったな」

 

「借り物です」

 ナミが言う。

「でも、嫌いじゃないです」

 

 ペルシアは、それを聞いて机の端へ軽く腰を預けた。

 

「ナミ」

 

「はい」

 

「明日もやるんでしょ?」

 

「やります」

 ナミは答える。

「今度は二本目まで回す予定です。一本目で流れを確認して、二本目で負荷を上げます」

 

「うんうん」

 ペルシアが満足そうに頷く。

「その顔なら大丈夫そうね」

 

「顔で判断しないでください」

 

「するわよ」

 ペルシアが言う。

「だって、ナミ分かりやすいもの」

 

「どこがですか」

 

「声」

 ペルシアが即答した。

「昨日までのあんた、言葉の端が全部尖ってた。今は忙しいけど、前向いてる時の尖り方」

 

 ナミは、少しだけ口を閉じた。

 

 悔しいが、否定しきれない。

 実際、自分でも今日は違うと分かっている。

 

「……そうかもしれません」

 素直に認めると、ペルシアはまた笑った。

 

「素直でよろしい」

 

「だから、頭撫でるのやめてください」

 

「もうしてないでしょ」

 

「さっきしました」

 

「今はしてない」

 

「そういう問題じゃないです」

 

 統括官室に、小さく笑いが広がる。

 

 ローズは資料を机へぽんと叩いた。

 

「で、機嫌良くなったなら、そろそろこれも見ろ」

 分厚い探索シミュレーション資料を顎で示す。

「企画者としては、お前の反応も欲しい」

 

「えー」

 ペルシアがあからさまに嫌な顔をする。

「今いい流れだったじゃない。こう、ナミが元気になって、私も嬉しくて、ハッピーエンドで終われそうだったじゃない」

 

「仕事は終わってない」

 ローズがばっさり言う。

 

「厳しい」

 ペルシアが言う。

「ほんと厳しい。ナミ、この人どうにかならない?」

 

「なりません」

 ナミが即答する。

「ローズさんはたぶん最初からこうです」

 

「裏切り者」

 

「事実です」

 

 ローズは腕を組み直し、わずかに笑った。

 

「元気ならちょうどいい。ナミ、お前も今の進捗、あとで私にも寄越せ。現場の生の反応が欲しい」

 

「分かりました」

 ナミが頷く。

「整理して送ります」

 

「今日中に」

 

「……はい」

 

「よし」

 ローズが満足そうに言う。

 

 ナミは端末を抱え直した。

 

「じゃあ、戻ります」

 

「うん」

 ペルシアがひらひらと手を振る。

「頑張りなさい」

 

「統括官も資料、頑張ってください」

 

「ええー?」

 ペルシアが露骨に嫌そうな声を出す。

 

「それじゃ」

 

 ナミは小さく笑ってから、統括官室を後にした。

 

 ドアが閉まる。

 

 廊下へ出た時、ナミは少しだけ立ち止まった。

 

 胸の中にあるのは、昨日までの重苦しさではない。

 忙しさはある。

 課題も山積みだ。

 でも、その奥に確かな熱がある。

 

 シミュレーションは、ちゃんと動き始めた。

 ククルも加わった。

 カイエも見えてきた。

 ユアンもシンゴも、自分の役割を一段深く掴み始めている。

 カオルは前を見ている。

 

「……勝ち筋、か」

 

 小さく呟く。

 

 その言葉は、思っていたより自分に馴染んでいた。

 

 ナミは歩き出す。

 夜の宇宙管理局の廊下を、今度は昨日までより少しだけ速い足取りで。

 

 

 一方、統括官室では。

 

 ペルシアが、まだナミが出ていったドアの方を見て、にやにやしていた。

 

「嬉しそうだな」

 ローズが言う。

 

「そりゃ嬉しいでしょ」

 ペルシアが言う。

「ちゃんと戻ってきたし」

 

「最初から分かってたみたいな顔してるな」

 

「分かってたわけじゃないわよ」

 ペルシアは肩をすくめる。

「でも、あの子はちゃんと自分で戻れると思ってた」

 

「信頼してるんだな」

 ローズが言う。

 

「してるわよ」

 ペルシアが即答した。

「だって、見てるもの。ただちょっと刺さりすぎるだけで」

 

「お前に言われたくないだろうな」

 ローズが苦笑する。

 

「何よ、それ」

 

「事実だ」

 

「事実ばっかりぶつけてくる人、嫌い」

 

「じゃあお前、自分のこと嫌いだろ」

 

「それはそうかも」

 

 ローズが思わず吹き出した。

 

「自覚あるんだな」

 

「あるわよ」

 ペルシアが言う。

「でも、自覚あるからいいの」

 

「雑な理屈だ」

 

「細かいのはフレイがいるし」

 

 そのフレイが、ちょうど資料を抱えて入ってきた。

 

「統括官、笑ってる場合ではありません。その資料、今日中に見てください」

 

「ほら来た」

 ペルシアがげんなりする。

 

 ローズは肩を揺らして笑いながら、分厚いファイルをもう一度机の中央へ押しやった。

 

「逃げるなよ」

 

「逃げないわよ」

 ペルシアが言う。

「ただ、心が折れそうなだけ」

 

「折る前に手を動かしてください」

 フレイが淡々と言った。

 

 統括官室の夜は、まだ終わりそうになかった。

 けれど、その長い夜のどこかで、ロカA2の若いチームが少しずつ形になり始めている。

 

 それを思うと、ペルシアの口元には、また小さな笑みが浮かぶのだった。

 

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