サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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開始

それからカオル達は、探索用シュミレーションを重ねていった。

 

 最初の一本目で得た手応えは、偶然ではなかった。

 

 もちろん、いきなり全てが噛み合ったわけではない。

 シンゴの仮説提示が少し遅れて、ナミの返しが強くなりかけた。

 ユアンが操縦補助へ意識を寄せすぎて、キャットの医療判断とぶつかりそうになった。

 ククルも、最初は「今言っていいのかな」と迷う癖が抜けず、せっかく見えた空気の歪みを一拍遅れて口にしてしまうことがあった。

 

 だが、それでも違った。

 

 前の彼らなら、その“一拍の遅れ”や“言い方のズレ”が、そのまま刺になっていた。

 今は違う。

 

「ククル、今のは早くていい」

 カイエが言う。

 

「え、早かった!?」

 ククルが目を丸くする。

 

「いい意味で」

 ナミが端末を見たまま言う。

「私が医療ログ見る前に、居住区画の空気が変わるって言ったでしょ。あれで先に構えられた」

 

「ほんと!?」

 ククルがぱっと顔を明るくする。

 

「ほんと」

 キャットが言う。

「だから、迷ったら今後も先に出して、外れても、そこは私が直すから」

 

「う、うん!」

 

 そんなふうに、返ってくる言葉が変わった。

 

 ユアンもそうだった。

 

「ナミ」

 シュミレーション中にユアンが言う。

「今のログ、長い。三秒で要約して」

 

「了解」

 ナミがすぐ返す。

「補助制御は危険度低、環境系が先。以上」

 

「助かる」

 ユアンが言う。

 

 以前のナミなら、その“長い”の一言に棘を感じて言い返していたかもしれない。

 だが今は、ユアンが“噛んでいる”のではなく“渡している”と分かる。

 

「今の言い方なら平気」

 休憩中にナミが言った。

「前は“長い”で終わってた。今は“何をしてほしいか”まであるから」

 

「そこは意識してる」

 ユアンが言う。

「言われたしな」

 

「誰に?」

 ククルが聞く。

 

「全員に」

 ユアンが肩をすくめる。

 

 それを聞いて、シンゴが吹き出す。

 そんな小さな笑いも増えた。

 

 シンゴ自身も変わっていった。

 

「仮説二つ」

 シンゴが言う。

「一つ目、右舷補助の物理揺らぎ。可能性三割。二つ目、制御側の誤帰還。可能性七割。三十秒で切る」

 

 以前より声が通る。

 しかも、“まだ結論じゃないが、今どこまで見えているか”を、待てる形で出せるようになってきた。

 

「その出し方、すごくいい」

 カイエが言う。

 

「ほんと?」

 シンゴは少しだけ照れたように笑う。

「僕、前は全部を同じ重さで出しちゃってたから」

 

「今は優先が見える」

 カオルが言った。

「受けやすい」

 

 その一言で、シンゴは思わずまっすぐ座り直した。

 

 キャットは相変わらずだった。

 

 相変わらず、軽い。

 相変わらず、面倒くさい。

 だが、その軽さが今は以前より役に立っていた。

 

「はい、ここで一回みんな硬くなってる」

 キャットが言う。

「良くないわね。特にユアン、呼吸浅い」

 

「なんでそこで俺なんだよ」

 

「顔に出るから」

 キャットが言う。

「あとカオルは逆に静かすぎ。こういう時は怖いのよ」

 

「どうしろって言うんだ?」

 

「一回、声に出して共有」

 キャットが言う。

「“今はまだ持つ”でもいいから言いなさい」

 

 カオルは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに前を見たまま言った。

 

「今はまだ持つ。ただし次の揺れで修正が要る」

 

「ほらね」

 キャットが言う。

「それだけで全員の呼吸変わる」

 

 実際、その通りだった。

 

 そしてカイエは、それを見逃さない。

 

 カイエもまた、一歩ずつ変わっていった。

 

 前までは、誰かが詰まるたび、自分がその全部を受けて整理しようとしていた。

 だが今は違う。

 

「ナミ、今の情報はユアンへだけ渡して、シンゴ、全部説明しなくていい。先に濃い方だけ。ククル、その違和感はキャットに、キャット、今の軽口はあと。カオル、短くていいから“どこを見るか”だけ言って」

 

 抱えるのではなく、流れを戻す。

 誰かの代わりに背負うのではなく、渡し先を整える。

 

 それが、少しずつ出来るようになっていった。

 

 ククルが入ったことで、そこも変わった。

 

 ククルは、空気の詰まりを見つけるのが早かった。

 

「今、ナミちょっと速い、ユアンが先に噛みそう。シンゴ、今の顔だと“まだ迷ってる”って分かる。カオル、次の一言、ちょっと強いかも」

 

 そういうものが、驚くほど見えていた。

 

 そしてそれを、ククルはもう迷いすぎずに出せるようになっていた。

 

 カイエは、そんなククルを見ながら何度も思った。

 

 必要だったのは、単純な人数じゃない。

 “空気の変化を、人として拾える目”だったのだと。

 

 

 前日。

 

 探索用シュミレーション本番を翌日に控えた最後の調整日は、昼過ぎで切り上げになった。

 

 宇宙管理局側からも「前日に無理に詰め込みすぎるな」と通達が出ていたし、ローズが企画した本番用シナリオはかなり負荷が高いらしい、という噂ももう全員に回っている。

 

「今日はここまで」

 カオルが言う。

「明日、頭が鈍った状態で入る方が怖い」

 

「珍しくまともなこと言う」

 ナミが言った。

 

「珍しくは余計だ」

 

「でも正しい」

 キャットが肩を回す。

「私も今日はもう回さなくていいと思う。変に疲れを残す方が面倒」

 

「僕も賛成」

 シンゴが言う。

「今の一本、かなり良かったし、最後はいい感触のままで終わった方が、明日も入りやすいと思う」

 

「うん!」

 ククルも元気よく頷く。

「それに私、お腹空いた!」

 

「お前はいつでもだろ」

 ユアンが言う。

 

「今日は特に!」

 

 そんなやり取りをしながら、皆それぞれ片づけに入る。

 

 その中で、カイエはふと視線を上げた。

 

 カオルが、まだ席を立っていなかった。

 端末の電源は落としている。

 でも、ただ静かに画面の黒くなったモニターを見ていた。

 

 その表情は、張っているようで、どこか遠い。

 たぶん、明日のことを考えている。

 あるいは、もっと別のことを。

 

 ククルも、そのカオルに気づいたらしい。

 片づけの手を止め、ちらりと視線を送る。

 

「……カオル」

 

 カイエが呼ぶと、カオルはゆっくり顔を上げた。

 

「なんだ」

 

「少し話せる?」

 

 ククルも、その言葉に反応して近づいてくる。

 

「私もいい?」

 

「むしろ、ククルもいてほしい」

 カイエが言う。

 

 カオルは少しだけ目を細めたが、断らなかった。

 

「分かった」

 

 

 三人が移動したのは、シミュレーションルームから少し離れた、フロア端の休憩スペースだった。

 

 自販機と、小さな丸テーブル。

 窓の外には、コロニーの人工夜景が少しずつ濃くなっていく途中の光が見える。

 

 昼と夜の間の、微妙な時間帯だった。

 

 ククルが迷わず自販機へ向かった。

 

「飲み物、私が買ってくる!」

 

「いや、待て」

 カオルが言う。

「俺が――」

 

「こういう時は、追加メンバー特権!」

 ククルが勢いよく言う。

「二人とも、何がいい?」

 

 その勢いに押されて、カオルが小さく息を吐く。

 

「……水でいい」

 

「カイエは?」

 

「私はカフェオレ」

 

「りょーかい!」

 

 ククルは元気よく自販機へ向かい、ほどなくして三本の缶を抱えて戻ってきた。

 

「はい、どうぞ!」

 

「ありがとう」

 カイエが受け取る。

 

「助かる」

 カオルも短く言った。

 

 三人が座る。

 自然と、ククルが真ん中になった。

 

 少しだけ沈黙が落ちる。

 

 けれど、その沈黙は気まずさではなかった。

 何を切り出すか、それぞれが選んでいる静けさだった。

 

 最初に口を開いたのはククルだった。

 

「……緊張してる?」

 

 真正面だった。

 

 カオルは一瞬だけ目を瞬いたあと、正直に言った。

 

「ああ」

 

「やっぱり」

 ククルが頷く。

 

「分かるのか」

 カオルが聞く。

 

「分かるよ」

 ククルは言う。

「カオル、緊張すると静かになる。それで、静かになりすぎる」

 

「それ、今日キャットにも言われた」

 カオルが少しだけ口元を動かした。

 

「キャットも分かってるんだ」

 ククルが笑う。

 

 カイエは、そのやり取りを見ながら、ゆっくり言葉を選んだ。

 

「今のチーム、前よりずっといい。でも明日が本番って思うと、やっぱり別なんだよね」

 

「そうだな」

 カオルは頷く。

「シュミレーションで流れたからって、本番で同じとは限らない。今回のシュミレーションはかなり負荷が高いらしいし」

 

「ローズさんが企画したんでしょ?」

 ククルが少し眉を寄せる。

「なんか、絶対優しくない気がする」

 

「優しくはないだろうな」

 カイエが苦笑する。

「でも、それはたぶん悪い意味じゃない」

 

 カオルは缶の水を少しだけ飲んだ。

 

「明日、勝ちたい」

 

 ぽつりと、そう言う。

 

「うん」

 ククルはすぐに頷いた。

 

「ただ“やりきる”じゃなくて」

 カオルは続ける。

「勝ちたい。S級の怪物たちに比べたら、俺たちはまだ足りない。それでも、今の俺たちでどこまで行けるか、見せたい」

 

 カイエは、その言葉を静かに受け止める。

 

 以前なら、そこに少しだけ無理のある熱を感じたかもしれない。

 でも今は違う。

 

 カオルの言う“勝ちたい”は、自分一人で突っ走るための言葉じゃない。

 ちゃんと今の七人を見た上で、それでも前へ出したい言葉になっている。

 

「見せられるよ」

 カイエが言う。

 

 カオルがそちらを見る。

 

「本当に」

 ククルも続ける。

「だって今の私たち、前みたいにバラバラじゃないもん。まだ完璧じゃないけど、ちゃんと噛み合ってきてる」

 

「……ああ」

 カオルは小さく頷いた。

「それは分かってる」

 

「でも?」

 カイエが聞く。

 

 カオルは少しだけ黙ってから言った。

 

「俺が崩したら、終わる気がする」

 

 その一言で、ククルの表情が変わった。

 

「それは違うよ」

 すぐに言う。

「終わらない」

 

「そうだね」

 カイエも続ける。

「むしろ前のカオルは、そこを一人で背負いすぎてたと思う」

 

 カオルは何も言わない。

 

 だからカイエは、そのまま続けた。

 

「前のカオルって、“自分が切って前を作る”に寄りすぎてた。でも今は違う。今のカオルは、ちゃんとユアンに見せてるし、ナミに渡してるし、シンゴの仮説を待ってる。キャットにもククルにも、入ってくる余地を作ってる。それってすごく大きいことだよ」

 

「うんうん」

 ククルが大きく頷く。

「前のカオルって、なんか“俺が前! 以上!”って感じあった!」

 

「言い方」

 カイエが笑う。

 

「でも本当だもん!」

 

 カオルは少しだけ困ったように息を吐いた。

 

「否定しづらいな」

 

「でしょ?」

 ククルが胸を張る。

 

「でも今は違う」

 ククルは続けた。

「今のカオル、ちゃんと待つし、待った上で、ここだって時は出る。それってすごくやりやすいよ」

 

 その言葉は、カオルにとって思っていたより大きかったらしい。

 少しだけ目を伏せ、それから低く言う。

 

「……そうか」

 

「そうだよ」

 ククルが言う。

「だから、“自分が崩したら終わる”は違う。崩れたら、私たちが引っ張る。それがチームでしょ?」

 

 カオルは、今度はククルをまっすぐ見た。

 

 ククルは、昨日までの気後れが少し嘘みたいに、真っ直ぐ見返している。

 追加メンバーとして入ったばかりなのに、その言葉には妙な重みがあった。

 

「……そうだな」

 カオルが答える。

 

 カイエは、そこで缶のカフェオレを少しだけ口にしてから言った。

 

「私も、明日は変に全部を見ようとしすぎない。整えることはする。でも、私一人で回そうとはしない。今の七人なら、それはもう違うって分かったから」

 

「うん」

 ククルが頷く。

「カイエ、前よりすごくよくなったよ」

 

「え?」

 

「いやほんとに」

 ククルが言う。

「前は“なんとかしなきゃ”って顔が強かった。今は“ここを戻そう”って顔してる。細かい違いだけど、全然違う」

 

 カイエは、その評価に少しだけ驚いた。

 けれど、否定できない。

 

「……ククルって、そういうの本当によく見てるね」

 

「でしょ?」

 ククルが嬉しそうに笑う。

「だから追加メンバーに選ばれた!」

 

「調子に乗るな」

 カオルが言う。

 

「乗ってない!」

 ククルが即答する。

「ちょっと嬉しいだけ!」

 

「それを調子に乗ってるって言うんじゃない?」

 カイエが笑う。

 

 ククルがむっとする。

 でも、そのむくれ方さえ今は明るい。

 

 少しして、カイエがふと真面目な声で言った。

 

「ねえ、カオル」

 

「なんだ」

 

「明日、本番が始まる前に、一言だけでいいから、みんなに共有してほしいことがある」

 

 カオルは目で続きを促す。

 

「“勝ちたい”でもいい。“ここを見る”でもいい。とにかく、今の自分が何を一番大事にしてるかを言ってほしい。たぶん、それがあるだけで、みんなの受け方が変わる」

 

 カオルはすぐには答えなかった。

 

 少し考えてから、ゆっくり頷く。

 

「分かった」

 

「うん」

 カイエも頷く。

「それがあれば、私も整えやすい」

 

 ククルが、そこで缶ジュースを両手で持ちながら言った。

 

「じゃあ私も言う!」

 

「何を」

 カオルが聞く。

 

「明日、みんなが視野狭くなってきたら、遠慮なく言う!あと、怖がってる人がいたら先に拾う!それが私の役割!」

 

「いいね」

 カイエが笑う。

 

「うん」

 カオルも短く言った。

「それでいい」

 

 その一言で、ククルの目がまた少しだけ輝く。

 

「よし!」

 

 夕方と夜の境目だった空が、窓の外でだいぶ暗くなっていた。

 

 休憩スペースの照明だけが三人を照らしている。

 少し前まで、ここは“本番前の不安を吐き出す場所”だった。

 今はもう少し違う。

 不安はある。

 でも、その不安を同じ方向へ向け直す場所になっていた。

 

「カオル」

 ククルがふと聞く。

「明日、もし本当にすっごい難しかったらどうする?」

 

「どうするも何もない」

 カオルが言う。

「その時は、その場で食らいつく」

 

「雑!」

 

「でも本音だ」

 カオルは少しだけ口元を緩めた。

「難しいなら、難しいままでも勝ち筋を探すしかない」

 

 ククルは一瞬だけぽかんとして、それから笑った。

 

「……なんかそれ、カオルっぽいね」

 

「そうか?」

 

「うん」

 カイエも頷く。

「でも嫌いじゃない。今のは、前みたいに一人で抱え込む言い方じゃなかったし」

 

 カオルは、その言葉に何も返さなかった。

 だが、缶を持つ手から少しだけ力が抜けたのが分かった。

 

 やがて、ククルが立ち上がる。

 

「よし!じゃあ今日はもう帰って寝る!ちゃんと寝ないと明日、頭回らないもんね!」

 

「そこは正しい」

 カイエが言う。

 

「お前、寝坊するなよ」

 カオルが言った。

 

「しないよ!」

 ククルは胸を張る。

「たぶん!」

 

「そこは断言しろ」

 カオルとカイエがほぼ同時に言った。

 

 一瞬の静寂のあと、三人とも思わず笑った。

 

 こういう小さな噛み合い方が、今は妙に嬉しかった。

 

 

 

ーーー

 

 宇宙管理局が主催する探索シュミレーション当日。

 

 その日、宇宙管理局本部は朝から異様な熱気に包まれていた。

 

 普段の宇宙管理局本部は、張り詰めた実務の空気が前面に出る場所だ。

 長い廊下、整然とした受付、行き交う職員達、画面の光、通信音、無駄のない足取り。

 けれど今日ばかりは違った。

 

 本部正面エントランスからして、人の波ができている。

 

 各コロニーから参加する企業チームの関係者。

 宇宙管理局の職員達。

 招待を受けた企業の上層部。

 訓練データの分析を目的に来た技術者。

 報道。

 そして、一般観覧席を目当てに来た見学客達。

 

 探索シュミレーションは、本部内の中央ホールを丸ごと使った特設ステージで行われる。

 通常は式典や発表会に使われる大空間だが、今日はその中央に六席構成の大型シミュレーションブースがいくつも並べられ、上部には巨大スクリーン、左右には各チームのデータ表示盤、周囲には階段状の観覧席が設けられていた。

 

 まるで競技大会だ。

 いや、実際に競技なのだろう。

 

 探索用の操縦技術。

 複数トラブルへの対応力。

 役割の切り替え。

 心理的圧迫下での連携。

 それら全部を、管理局が“観客の目に晒される形”でやると決めた時点で、これはもう単なる訓練ではない。

 

 そんな本部の前に、スペースホープの乗務員達も到着していた。

 

「……すごい人ですね」

 

 最初に小さくため息をこぼしたのはミラだった。

 

 その横でランも周囲を見回す。

 

「想像していましたけれど、ここまでとは思いませんでした」

 

 シルヴィアも、中央ホールへ続く大きな案内表示を見上げた。

 

「管理局、本気ですね。一般観覧席まで作るなんて……」

 

 エリンは、その三人の反応を見て小さく頷く。

 

「ええ。私もここまで大規模だとは思っていなかったわ」

 

 そこまではよかった。

 

 問題は、その後ろだ。

 

「あっ、見て見て! あのお店オシャレじゃない!?」

 

 ホーネットが目を輝かせて指差した先には、本部内イベント用に臨時出店しているカフェブースがあった。白と銀を基調にした洗練された内装で、限定ドリンクの看板が出ている。

 

「ほんとだ! え、ちょっと待って、あれ絶対映えるやつじゃん!」

 ユウコが目を輝かせる。

「管理局の本部ってもっと堅苦しいだけかと思ってたけど、やるじゃん!」

 

「ね! あとあっちも可愛い!」

 ホーネットがさらに別の方向を指差す。

 

「待って、待って」

 ナツキが手元の案内板を見ながら顔を上げる。

「あっち、出店あるよ」

 

「本当だ!」

 アズサがすぐに食いついた。

「え、何あれ、屋台ですか?」

 

「この規模のイベントだと、あるのかもしれないね」

 ハズキが言う。

「しかも結構本格的だし、ちょっと見てみたい」

 

「パンフレット見て!」

 クミコが広げた冊子をぶんぶん振る。

「チーム紹介、すごいよ! プロフィールまで載ってる!」

 

「本当だ」

 ミドリが横から覗き込む。

「過去の経歴もあるし、進行表も細かいね。これ読むだけでも楽しいかも」

 

「ひ、人、多いですね……」

 マユが少しだけ顔色を悪くしていた。

「思っていた以上に……」

 

「うぅ……」

 サリーも目をぱちぱちさせる。

「ちょっと、くらくらします……」

 

 その様子を見て、エリン、ミラ、ラン、シルヴィアの四人は、ほぼ同時にため息をこぼした。

 

「貴方達ねぇ……」

 エリンが額を押さえる。

 

「まだ中にも入っていないのに、もう収拾がついていないじゃない」

 ミラが苦笑する。

 

「予想はしていましたけど、予想以上でしたね……」

 ランも肩を落とす。

 

「ええ」

 シルヴィアがどこか達観したように言う。

「しかも全員、見ているところが違うのが厄介です」

 

 ホーネットが振り返った。

 

「だって、仕方ないじゃん! 初めて来たんだし!」

 

「私も初めて来ましたけど、ここまでではないですよ」

 ユウコが言いかけて、エリンにじろりと見られた。

「……すみません、今のは違います」

 

「全員、一回集まって」

 エリンが一歩前へ出た。

 

 その声は大きくない。

 けれど、乗務員達の耳にすっと入る、仕事の時の声だった。

 

 ホーネットとユウコがぴたりと止まり、ナツキ達も、クミコ達も、マユ達も自然とそちらへ集まる。

 

 エリンは全員の顔を一度見てから、静かに言った。

 

「今日は遊びに来たわけじゃないの。探索シュミレーションの後学のために来たのよ。もちろん、せっかく来たのだから雰囲気を楽しむのはいいわ。でも、それが目的になったら意味がない。分かった?」

 

「はーい……」

 ユウコが少しだけしゅんとした声を出す。

 

「声が軽い」

 エリンが言う。

 

「はい!」

 今度は全員の返事が揃った。

 

「よろしい」

 エリンが頷く。

「それと、マユ、サリー。人酔いしているなら無理に前へ出なくていい、今日は一日長いから、最初に無理すると後で持たないわ」

 

「はい……」

 マユが小さく頷く。

 

「ありがとうございます……」

 サリーもほっとしたように言う。

 

「ミラ」

 エリンが横を見る。

 

「はい」

 ミラはすぐに一歩前へ出た。

 

「二人、私と一緒に動こうか、少し外周寄りを歩けば楽だし、ホールの空気にも徐々に慣れられると思うよ」

 

「お願いします」

 マユが言う。

 

「私もお願いします……」

 サリーがミラの袖を見るようにして頷いた。

 

「ラン」

 エリンが今度はランを見る。

 

「ホーネットとユウコ、あとナツキ達の暴走を止めて、放っておくと、たぶん出店に吸われるわ」

 

「了解です」

 ランが言ってから、少しだけ笑った。

「でも、“止める”というより“監視する”に近いかもしれません」

 

「それでいいわ」

 エリンが返す。

 

「シルヴィア、クミコ達のパンフレット組をお願い。読み込みすぎて移動しない未来が見えるから」

 

「承知しました」

 シルヴィアが頷いた。

「クミコさん達、こういう時は足が止まりやすいですものね」

 

「言い方ぁ!」

 クミコがすぐ反応する。

「でも否定できません!」

 

「素直でよろしいですね」

 シルヴィアがさらりと言った。

 

 エリンは、その様子を見て小さく息を吐いた。

 

 まるで校外学習の引率だ。

 いや、実際そういうものかもしれない。

 今回連れてきた若い乗務員達にとって、ここは普段のフライトとはまるで違う世界だ。

 全コロニーから集まるチーム。

 管理局の本部。

 探索用の特設ステージ。

 高い緊張感。

 そして華やかさ。

 

 目を奪われない方が難しい。

 

「エリンさん」

 

 ミラが小さく声をかける。

 

「なに?」

 

「本当に、いい機会ですね」

 ミラがホール全体を見回しながら言う。

「こういう“宇宙事業の広さ”を、実際に見せることって大事だと思います」

 

「ええ」

 エリンも同じ景色を見た。

「実務だけしていると、どうしても自分の便、自分の客室、自分の会社で世界が閉じがちになるでしょう?でも本当はもっと広いの。宇宙事業って、飛ばす人も、整える人も、守る人も、全部繋がっている。今日はそれを見てほしいの」

 

 ホーネットが、その言葉を聞いて少しだけ真面目な顔になった。

 

「……なんか、分かるかも。ここに来るまでは、“管理局のイベント”って感じだったけど、ほんとにいろんな会社の人がいるんだね」

 

「そうですね」

 クミコもパンフレットから顔を上げる。

「しかも、出場チームの役職とか経歴を見てると、全然違う背景の人が混ざってます」

 

「副操縦士兼医療従事、とかもあります」

 ミドリがページを指差す。

「一人で二役持っている人も結構いるんですね」

 

「探索だからでしょうね」

 シルヴィアが言った。

「客室の通常運航とは違って、穴が空いた時の埋め方が重要なんだと思います」

 

 エリンは、そこでシルヴィアの横顔を見た。

 

 以前より、ずっと言葉が深くなっている。

 ドルトムントにいた頃も優秀だったが、今は“現場の繋がり”まで含めて物を見るようになっていた。

 

 その成長が、少し嬉しい。

 

「……エリンさん?」

 シルヴィアが視線に気づいて聞く。

 

「なんでもないわ」

 エリンは小さく笑う。

「いい着眼点だと思っただけ」

 

 シルヴィアは少しだけ照れたように目を伏せた。

 

 その時、また別の方角から声が上がる。

 

「ねえ見て!」

 ユウコが勝手に先へ行きかけていた。

「あっち、探索シュミレーションの記念品が売ってる!」

 

「本当だ!」

 ホーネットも飛びつく。

「え、なにそれ、めっちゃ面白そう!」

 

「待ちなさい」

 ランがその二人の腕を片方ずつ掴んだ。

「勝手に散らない。見るにしても全員で動くよ」

 

「えー」

「ちぇー」

 

「子どもみたいな声出さないで」

 ナツキが呆れたように言う。

 

「でもナツキさんだって、さっき出店見てたじゃないですか」

 アズサが言う。

 

「見てただけ」

 ナツキが言い返す。

 

「私も見てたよ」

 ハズキが真顔で言う。

「ちょっと甘い匂いが気になっただけ」

 

「ほら、みんな一緒じゃん!」

 ユウコが勝ち誇ったように言う。

 

「勝ち誇るところじゃないわよ」

 ミラが苦笑した。

 

 

 中央ホールへ足を踏み入れた瞬間、若い乗務員達から一斉に小さな感嘆の声が上がった。

 

 広い。

 

 まず、その一言に尽きる。

 

 本部の中央を吹き抜けにして作られた巨大ホールの中心には、半円状に組まれた特設ステージがある。

 その上に、探索用シュミレーションのブースが複数。

 ひとつひとつが透明素材と金属フレームで仕切られ、観客席からでも中の動きが見えるように設計されていた。

 

 上部巨大スクリーンには、現在の進行状況と出場チーム一覧。

 左右には実況とデータ解析用の補助表示。

 客席はかなりの数が既に埋まっていて、そこに各企業の関係者や出場を待つチームの面々が入り混じっている。

 

 ただ見るだけじゃない。

 見られている。

 その緊張もまた、会場の空気を濃くしていた。

 

「うわ……」

 クミコが思わず立ち止まる。

「本当に競技会場みたい……」

 

「競技会場っていうか、ほとんどそれだよね」

 ミドリも目を丸くする。

 

「舞台みたい……」

 サリーが少しだけ息を呑んだ。

 

「ええ」

 マユも頷く。

「しかも、観客席との距離が思っていたより近い……」

 

「近いよね」

 ホーネットが小声で言う。

「これ、自分が出る側だったら、かなり嫌かも」

 

「嫌どころじゃないでしょ」

 ナツキが言う。

「客席の圧すごいし」

 

「だからこそ、見てほしかったの」

 エリンが静かに言った。

 

 全員がそちらを見る。

 

「探索って、ただ技術があればいいわけじゃない。こういう圧の中で、どれだけ自分達の流れを守れるかも含めて実力なの。貴方達も、客室で似たようなことをやっているでしょう?乗客の目、上司の目、会社の看板、見え方は違っても、晒される緊張は同じよ」

 

 その言葉に、ミラが頷いた。

 

「確かにそうですね。フライトも、お客様の前では全部が“見られている”前提ですものね」

 

「ええ」

 エリンが言う。

「だから、今日は技術だけじゃなくて“空気の持ち方”も見て」

 

「空気の持ち方……」

 ホーネットが繰り返す。

 

「そう」

 エリンは言った。

「誰かが崩れた時にどう戻すのか、言葉の温度をどう揃えるのか、それって、客室にもそのまま使えるから」

 

 その言葉に、ユウコが少しだけ身を乗り出した。

 

「じゃあ、乗務員って結構向いてるんですかね、探索のチームに入るの」

 

「向いてる人は向いていると思うわ」

 エリンが答える。

「客室って、結局“人が不安になる瞬間”を一番近くで見る仕事だから。それをどう静めるか、どう流れを戻すかっていう感覚は、かなり強い武器になるの」

 

 ホーネットが、ちらっとシルヴィアを見る。

 

「じゃあ、シルヴィアとか強そう。あとミラとかランも」

 

「エリンさんが一番じゃないですか?」

 クミコが素直に言った。

 

 その言葉に、エリンは小さく苦笑する。

 

「私は別よ、経験が長いだけ」

 

「それも強さじゃないですか」

 ミドリが言う。

 

「そうかしら」

 エリンは少しだけ目を細めた。

「でも、今日の主役はあの子達よ。ちゃんと見てあげましょう」

 

 そう言って、ステージの方を見た。

 

 巨大スクリーンに、出場チーム一覧が映し出される。

 

 各コロニーから選ばれた企業チームの名前。

 操縦士、副操縦士、システムエンジニア、メカニック、医療従事者、コックピットコンディション、追加メンバー。

 役職と名前が並び、客席が少しずつざわつく。

 

 スペースホープの若い乗務員達も、自然と前のめりになった。

 

 ホーネットも。

 ユウコも。

 ナツキ達も。

 パンフレット組も。

 人酔いしていたマユとサリーも。

 

 みんな、もうさっきまでみたいにあちこちへ気を取られてはいなかった。

 

 今は目の前の舞台へ、ちゃんと集中している。

 

 エリンはその横顔を見ながら、胸の中で小さく頷く。

 

 こういう“自分の世界の外”を見せること。

 それだけで、乗務員の目線は一段上がる。

 

 単に接客が上手いとか、訓練をこなせるとか、それだけでは見えないものがある。

 もっと広い宇宙事業の中で、自分達がどこに立っているのか。

 今日、この子達はそれを少しでも感じられるだろう。

 

 その時、ユウコがまた小さな声で言った。

 

「ねぇ」

 

「何?」

 ナツキが返す。

 

「やっぱり、あのお店オシャレだったよね」

 

「今!?」

 ナツキが目を剥く。

 

「だって気になるんだもん!」

 

「終わったらね」

 ミラが笑いをこらえながら言った。

 

「本当ですか!?」

 ユウコが顔を上げる。

 

「時間があれば」

 ミラは柔らかく言う。

「ちゃんと最後まで見るなら」

 

「私も見る!」

 ホーネットがすかさず乗る。

 

「貴方達、本当に単純ね」

 シルヴィアが苦笑した。

 

 それでも、その単純さが少し可笑しくて、エリンもほんの少しだけ笑った。

 

 大きなホール。

 人波。

 出店。

 パンフレット。

 騒がしい若い乗務員達。

 そして、これから始まる探索シュミレーション。

 

 にぎやかで、落ち着かなくて、でもどこか胸が高鳴る。

 

 宇宙管理局本部は、その日、普段の冷たい機能美とは違う熱を帯びていた。

 

 そしてスペースホープの乗務員達もまた、その熱の中へ、少しずつ呑み込まれていくのだった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 

 宇宙管理局本部の中央ホールは、開始前だというのに既に熱を帯びていた。

 

 巨大な特設ステージの上では、最終確認に入っている職員達が慌ただしく行き交い、上部スクリーンには出場チームの一覧と進行表が映し出されている。観客席も、前方の関係者席から徐々に埋まり始め、一般客のざわめきと企業関係者達の低い話し声が、天井の高いホールの中で幾重にも重なっていた。

 

 その一角、ステージがよく見える中ほどの客席に、エリン達はひとまず腰を落ち着けていた。

 

「すごいですね……ここからだと、ステージ全体が見えます」

 ミラが席に座りながら、手すり越しにホール全体を見渡す。

 

「ええ。見やすいわね」

 エリンも前方へ視線を向けた。

「席の位置としては悪くないわ。全体の流れも見えるし、チームごとの入り方も確認しやすい」

 

「でも、思ってたより近いです」

 ランがステージまでの距離を測るように目を細める。

「これ、出る側からしたらかなり緊張しそうですね」

 

「するでしょ」

 ホーネットが椅子にもたれながら言う。

「私なら絶対やだもん。あんなところで全コロニーの人に見られるとか」

 

「でも、ちょっと格好いいとも思う」

 ユウコが身を乗り出すようにして言う。

「ほら、あのスクリーンとか、チーム名がばーんって出るの、めっちゃテンション上がりません?」

 

「上がる気持ちは分かるけど、あの場に立つのはまた別だと思う」

 ナツキが腕を組みながら言った。

「見てるだけなら面白いけど、やる側は胃が痛くなりそう」

 

「私はもう今の時点でちょっと胃がきゅっとしてます……」

 サリーが胸元を押さえながら小さく言う。

 

「分かる」

 マユも静かに頷いた。

「人の多さもだけど、空気がすごいよね。みんな“何か始まる”って顔してる」

 

「でもパンフレット見ると、もっと緊張します」

 クミコが膝の上に冊子を広げながら言う。

「このチーム、この人元探索局の人とか、そういうの見ると、うわぁ……ってなります」

 

「ほんとだ」

 ミドリが横から覗き込む。

「実績ある人、思ったより多いね。企業チームって言っても、もうほとんど選抜みたい」

 

「え、見せて」

 アズサも身を寄せる。

「うわ、ほんとだ。しかも、追加メンバーの欄までちゃんと載ってるんだ」

 

「そこ見ちゃうよね」

 ハズキも頷く。

「今回の探索用って、追加一名が結構重要って聞くし」

 

「そこをちゃんと見るのはいいことよ」

 エリンが言う。

「この規模のシュミレーションだと、主役の役割だけじゃなくて、“誰が穴を埋めるのか”が結果に出るもの」

 

「やっぱりそうなんですね」

 ミラが納得したように頷いた。

「通常運航でも、誰かが詰まった時にどう補うかは大事ですけど、探索だともっと露骨に出るんでしょうね」

 

「ええ」

 エリンは静かに言う。

「客室は、ある程度定型があるでしょう?でも探索は定型が崩れる前提でやるから、“予定外にどう対応するか”がそのまま実力になるの」

 

「うーん……」

 ホーネットが少しだけ真面目な顔をした。

「なんかこうして話聞くと、ほんとに別物なんだね」

 

「別物よ」

 エリンがはっきりと言う。

「でも、学べるところは多いわ。だから今日は、単に“すごい”で終わらせないで見て」

 

「はい!」

 クミコが素直に返事をする。

 

「はい」

 マユ、サリー、アズサ、ハズキ、ミドリも続ける。

 

「分かりました」

 ユウコとナツキも、さすがに今はきちんとした声で返した。

 

 ホーネットだけは、椅子の背にもたれたまま片手を上げる。

 

「りょーかい」

 

「貴方だけ返事が軽いのよ」

 エリンが言うと、ホーネットは「だって分かってるし」と悪びれずに笑った。

 

 その時だった。

 

「……あ」

 

 シルヴィアが、通路側へ顔を向けた。

 

 エリン達もつられるようにそちらを見る。

 

 客席の段差を一段ずつ上がってくる、落ち着いた黒いワンピース姿の女性がいた。柔らかな雰囲気と、少し眠たげにも見える優しい目元。人の波の中でも、どこか空気を和らげるような穏やかさがある。

 

「エマさん」

 シルヴィアがぱっと顔を明るくした。

 

 エマはその声に気づくと、少し驚いたように目を瞬いてから、ふわりと笑った。

 

「シルヴィア!久しぶり」

 

 席の間を縫うように近づいてくるエマに、シルヴィアが立ち上がる。

 

「久しぶり」

 シルヴィアが言うと、エマはそのまま自然な動きでシルヴィアを抱きしめた。

 

「んっ……」

 シルヴィアが少し目を丸くする。

 

 エマは柔らかく抱きしめたまま、ほんのり嬉しそうに言う。

 

「相変わらず抱き心地がいいね」

 

 その一言に、ホーネットがぶっと吹き出しそうになった。

 

「なにそれ」

 ホーネットがにやにやしながら言う。

「久しぶりの挨拶それなの?」

 

「だって本当だもの」

 エマが何でもないように言う。

 

 シルヴィアは頬をほんの少しだけ赤くしながら、でも嫌そうではなかった。

 

「エマさん、相変わらずですね……」

 

「そうかな」

 エマは首を傾げる。

「でも、シルヴィアさん見ると安心するから」

 

 その言い方がエマらしくて、ミラが少しだけ笑った。

 

「お久しぶりです、エマさん」

 ミラが声をかける。

 

「久しぶり」

 エマは穏やかに会釈する。

「ミラも、ランもホーネットも元気そう」

 

「元気!」

 ホーネットが即答する。

「エマも一人?」

 

「うん」

 エマが頷いた。

「カオル達のチームは控え室に移動したから、私だけ一人で、だから……」

 少しだけエリン達の席を見回してから、控えめに言った。

「一緒に居させてください」

 

「もちろんよ」

 エリンがすぐに答えた。

「むしろ、よく来てくれたわ」

 

「ありがとうございます」

 エマはやわらかく微笑む。

「一人で見てるより、こっちの方が落ち着きそう」

 

「エマさん、こっち座ってください!」

 クミコがすぐに自分の隣を空ける。

 

「あ、でもミラさん達の近くの方がいいですか?」

 マユが言う。

 

「いや、エマさん、うちらのとこでもいいよ」

 アズサが言う。

「パンフレット、今ちょうど見てたし」

 

「……いやいや、待って」

 ホーネットが割り込む。

「エマはこっちでしょ。私の隣、空いてるし」

 

「ホーネット、あなた絶対あとで色々聞く気でしょ」

 ナツキが呆れる。

 

「当たり前じゃん」

 ホーネットは悪びれずに言う。

「だって控え室の空気とか気になるし」

 

 ユウコも身を乗り出した。

 

「それは私も気になります。カオルさん達、今どんな感じなんですか?」

 

「みんな、思ったより静かだったよ」

 エマは座りながら言った。

「でも、嫌な静けさじゃなくて、ちゃんと集中してる時の静けさ」

 

 その一言に、エリンが少しだけ目を細めた。

 

「そう、なら、悪くないわね」

 

「はい」

 エマは頷く。

「もちろん緊張はしてますけど、ちゃんと同じ方向向いてる感じです」

 

「よかったぁ……」

 クミコがほっとしたように胸を撫で下ろす。

 

「クミコさん、親みたい」

 シルヴィアが言う。

 

「だって気になるじゃないですか!」

 クミコがむっとする。

 

「でも分かる」

 ミドリも言う。

 

「ククルが入ったの、やっぱり大きかった?」

 ホーネットがエマに聞く。

 

 エマは少し考えてから頷いた。

 

「大きいと思う。技術的な意味だけじゃなくて、空気の抜け道が増えた感じ、誰かが詰まった時に、そこへ一人多く気づけるようになったっていうか」

 

「なるほど……」

 ナツキが腕を組みながら言う。

「それ、客室でも同じかも、一人多く“空気がおかしい”って気づける人がいると、全然違うし」

 

「そういうところを、今日は見てほしいのよ」

 エリンが静かに言う。

「ただ上手い下手じゃなくてね」

 

 エマはその言葉に頷いてから、ふとエリンを見た。

 

「エリンさん、みんなを連れてきたの、やっぱりそういう理由ですか?」

 

「ええ」

 エリンは答える。

「こういう場を一度見ておくだけで、仕事の見え方が変わる子もいるもの。全部を理解しなくていいの。でも、“世界は広い”って知るだけで十分な時もあるわ」

 

 マユが、その言葉を聞いて小さく息を吐く。

 

「……分かる気がします。まだ始まってもないのに、もう“自分は全然知らないんだな”って思ってます」

 

「それでいいのよ」

 エリンが言う。

「知らないって分かることが最初の一歩だから」

 

 サリーもこくりと頷いた。

 

「私も……」最初は人が多くてしんどいって思ってましたけど、今は、ちゃんと見なきゃって気持ちの方が少し強いです」

 

「偉い」

 ミラが柔らかく言う。

「それで十分だよ」

 

 その時、また通路側が少しざわついた。

 

 今度は二人組だった。

 

 一人は見慣れた緩い雰囲気の統括官――ペルシア。

 もう一人は、隙のない歩き方と静かな視線が印象的なクリスタル。

 

 そしてペルシアの両手には、見るからに色々なものが入った紙袋がいくつもぶら下がっていた。

 

「……うわ」

 ホーネットが思わず言う。

「なんかすごい量持ってる」

 

「たぶん、出店で買ったんだろうね」

 ランが言う。

 

 ペルシアはエリン達を見つけるなり、にやっと笑った。

 

「はいはい、ちょっと詰めてー差し入れ持ってきたわよ」

 

「差し入れ?」

 ユウコがぱっと目を輝かせる。

 

「そう」

 ペルシアが紙袋を持ち上げる。

「せっかく出店があるんだから活用しないともったいないでしょ」

 

「……貴方、本当にそういうところだけ仕事が早いわね」

 エリンが呆れたように言う。

 

「褒めてる?」

 ペルシアが笑う。

 

「褒めてないわ」

 

 クリスタルはその横で小さくため息をついた。

 

「ペルシアが一人で全部買い込もうとするから、見ているだけで疲れた。止めても聞かないし」

 

「だってどれも美味しそうだったのよ」

 ペルシアは悪びれもしない。

「それに、どうせなら色々あった方が楽しいじゃない」

 

「楽しいの基準が雑」

 クリスタルが言う。

 

「でもありがと!」

 ホーネットが素直に言う。

「何買ったの!?」

 

「えーっとね」

 ペルシアが袋の中を覗き込む。

「串焼き、サンド、甘いやつ、塩気のあるやつ、あと限定ドリンク。誰が何好きか分かんないから、とりあえず一通り」

 

「ペルシアさん、そういうところだけは妙に気が利くんですよね」

 ナツキが半ば呆れ、半ば感心したように言う。

 

「“だけ”は余計ね」

 ペルシアが言い返す。

 

 エマが、そのやり取りを見てふわっと笑った。

 

「相変わらずですね」

 

「エマもいたの」

 ペルシアが目を細める。

「よかったじゃない、ぼっち回避できて」

 

「その言い方……」

 エマは少し困ったように笑う。

 

 クリスタルはシルヴィアを見つけると、小さく顎を引いた。

 

「久しぶり、元気そうでよかった」

 

「クリスタルさんも」

 シルヴィアが答える。

「お忙しそうですね」

 

「忙しいわよ」

 クリスタルが即答する。

「ペルシアが無駄に寄り道するから」

 

「寄り道じゃないわよ」

 ペルシアが即座に抗議する。

「情報収集。こういうイベントって、食べ物も含めて空気を知るものでしょ」

 

「都合よく言い換えないで」

 クリスタルがぴしゃりと言う。

 

 そのやり取りに、若い乗務員達の間で小さく笑いが起きる。

 

 ペルシアは、空いている席へどさどさと袋を置いた。

 

「はい、食べたい人から取って、でも本番前だから、食べすぎて眠くなるのはなしね」

 

「そのセリフ、差し入れした人が言うの?」

 ホーネットが笑う。

 

「言うわよ」

 ペルシアが当然のように言う。

「私は無責任な善意は振りまかない主義なの」

 

「その割には量が多いですけど」

 ミラが言う。

 

「多い方が楽しいじゃない」

 

「やっぱり雑だわ」

 エリンが言って、小さくため息をついた。

 

 けれどその顔は、さっきまでより少しだけやわらいでいた。

 

 こうして知っている顔が次々と揃っていくと、この大きな宇宙管理局本部の中央ホールも、ほんの少しだけ身近に感じられる。

 

 クミコが、おそるおそる紙袋を覗く。

 

「これ、食べてもいいんですか?」

 

「いいわよ」

 ペルシアが言う。

「そのために持ってきたんだから」

 

「じゃ、じゃあ一つ……」

 クミコが小さな焼き菓子を取ると、アズサ、マユ、サリー、ハズキ、ミドリも少しずつ手を伸ばし始めた。

 

「これ甘い匂いします」

 アズサが目を輝かせる。

 

「ほんとだ」

 ハズキが言う。

「しかも見た目も可愛い」

 

「サリー、大丈夫?」

 マユが隣を見る。

 

「うん」

 サリーが少し微笑む。

「こういうの食べると、ちょっと落ち着くかも」

 

「よかった」

 マユもほっとした顔をする。

 

 ユウコは、限定ドリンクのカップを見つけて声を上げた。

 

「え、これあの店のじゃないですか!?」

 

「そうよ」

 ペルシアが言う。

「さっきあんた達が騒いでたやつ」

 

「見てたんですか!?」

 ユウコが驚く。

 

「聞こえてたもの」

 ペルシアがさらっと言う。

 

「ペルシアさん、案外優しいですね」

 ナツキが言う。

 

「案外は余計」

 ペルシアが言い返す。

 

 その横で、エリンが小さく笑う。

 

「結局、買ってきたのね。貴方らしいわ」

 

「でしょ?」

 ペルシアが得意げに言う。

 

「そこは否定しないのね」

 クリスタルが呆れたように言った。

 

 客席に座るスペースホープの一団は、気づけばさっきまでよりずっとまとまった空気になっていた。

 

 出店に気を取られていた子達も、パンフレットに夢中だった子達も、人混みに少し酔っていた子達も、今は手元にひとつずつ差し入れを持ちながら、前方のステージを見ている。

 

 そしてその外側には、エリン、ミラ、ラン、シルヴィア、エマ、ペルシア、クリスタルといった、場を支える側の顔が揃っていた。

 

 どこか不思議な布陣だった。

 

 客室の先輩達。

 宇宙管理局の関係者。

 他企業の乗務員。

 立場も所属も違うのに、こうして一つの客席で同じ舞台を見ようとしている。

 

「……なんか」

 ホーネットがぽつりと言う。

 

「なに?」

 ミラが聞く。

 

「すごいメンバーだよね、ここ」

 ホーネットが笑う。

「客席なのに、なんか普通に圧あるんだけど」

 

「たしかに」

 ユウコがこくこく頷く。

「これ、近くの席の人からしたらちょっと怖いかもしれません」

 

「それはないと思うけど」

 ランが苦笑する。

 

「でも分かる」

 シルヴィアが言う。

「少なくとも、視線の情報量は多いですね。皆さんそれぞれ見ている場所が違うので」

 

「シルヴィアさん、その言い方ちょっと格好いい」

 クミコが言う。

 

「ありがとう」

 シルヴィアは平然と答えた。

 

 その時、会場全体に開始直前のアナウンスが流れた。

 

『まもなく、宇宙管理局主催・探索用シュミレーション選抜セッションを開始いたします』

 

 ざわめきが変わる。

 

 いままで雑多に散っていた音が、ひとつの方向へ集まり始める。

 客席の意識が一斉に前を向く。

 職員達の動きが止まり、出場待ちの関係者達も目を上げる。

 

 スペースホープの乗務員達もまた、その空気に引かれるように静かになった。

 

 エリンは、その横顔を見ながら思う。

 

 こういう場の空気に一度でも身を置いておくこと。

 それだけで、仕事に対する視野は確実に広がる。

 

 今日、ここで何を感じるか。

 何を持ち帰るか。

 それはきっと、この子達の今後に残る。

 

「始まるわね」

 エリンが静かに言った。

 

「はい」

 ミラが頷く。

 

「ちゃんと見ましょう」

 ランが言う。

 

「ええ」

 シルヴィアも頷いた。

 

 ホーネットも、ユウコも、ナツキも。

 クミコ、アズサ、マユ、サリー、ハズキ、ミドリも。

 それぞれの手元に差し入れを持ったまま、目はもうステージへ向いている。

 

 そして、その客席の一角に流れる空気は、先ほどまでの落ち着かなさとは違っていた。

 

 賑やかで、少し騒がしくて、でも同じ方向を向いている。

 そんな空気だった。

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