サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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甘党

探索用シュミレーションの開始を告げるアナウンスがホール全体に響いたあと、観客席の空気は目に見えて変わった。

 

 さっきまで出店やパンフレットで散っていた意識が、一気に特設ステージへ集まっていく。

 階段状の客席に座る一般客も、企業関係者も、参加チームの控え選手達も、皆それぞれの思惑を胸に前を向く。

 巨大スクリーンには進行順とチーム紹介が映し出され、舞台上の透明ブースには、最初の出場チームが既に入っていた。

 

 その瞬間だった。

 

 エリンの表情が変わる。

 

 ミラも。

 ペルシアも。

 クリスタルも。

 エマも。

 

 ついさっきまで、若い乗務員達を宥めたり、差し入れを配ったりしていた柔らかい空気がすっと消えて、代わりに“現場を見極める人間”の目になった。

 

 ミラ達も、その変化に気づく。

 特にエリン、ペルシア、クリスタルの三人は、舞台が始まった瞬間に呼吸の深さまで変わったように見えた。

 

「……始まったわね」

 エリンが小さく言う。

 

「ええ」

 クリスタルが腕を組む。

「まずは基準を見るにはちょうどいい」

 

「最初のチーム、編成は悪くないわよ」

 ペルシアがスクリーンを見上げながら言う。

「操縦士が前のめりっぽいけど、副操縦士がそれを抑えられるなら回る」

 

 ステージ上では、最初のチームが初期異常に入っていた。

 

 左補助制御の一時的な遅延。

 環境系の浅い揺らぎ。

 通信ノイズ。

 

 探索用としては比較的オーソドックスな入り方だが、ここから先の流れで実力差が出る。

 

「速いですね」

 ミラが思わず言う。

 

「速いけど、少し危うい」

 エリンが即座に返す。

「操縦士が全部先に取ろうとしてる。副操縦士がログの切り分けに入る前に、操縦側で判断を前倒ししてるわ」

 

「ほんとだ」

 ランも身を乗り出すようにして見る。

「情報が上がりきる前に、“分かったつもり”で動いてる感じ」

 

「客室でもあるでしょ、こういうの」

 ペルシアが言う。

「先に善意で動いちゃって、結果的に流れを詰まらせる人。悪気はないんだけどね」

 

「ええ」

 エリンが頷く。

「でも探索では、それが一番怖い。一つ先回りしたつもりが、後ろで二つ詰まるから」

 

 若い乗務員達は、言葉を挟まずに聞いていた。

 

 エリン達の言葉は短い。

 だが、ただ“上手い”“危ない”で終わらない。

 何がどう危ないのか、どこで流れが詰まるのかが具体的だ。

 

 ステージ上では、その評価を裏づけるように、最初のチームの情報処理が少しずつ偏り始めていた。

 

 操縦士が主導しすぎて、副操縦士のログ切り分けが一拍遅れる。

 システムエンジニアは正しい情報を出しているのに、受け手が渋滞して次へ渡らない。

 メカニックが仮説を二つ同時に出したが、どちらを先に見ればいいかの整理が間に合わず、医療側への共有まで薄くなる。

 

「惜しいですね……」

 エマがぽつりと言った。

「一人ひとりはちゃんと出来てるのに」

 

「そう」

 クリスタルが頷く。

「出来てる人間が多いチームって、逆にこうなりやすい。全員が“自分の持ち場は守れる”から、その次の受け渡しが雑になる」

 

「技術の問題じゃないんですね」

 シルヴィアが静かに言う。

 

「最終的には技術にも出るけど、入口は流れの問題ね」

 ペルシアが言う。

「今のチーム、悪くないわよ。むしろ水準は高い。でも“誰が空いた穴を見るか”が曖昧。だから、崩れた時の戻しが遅い」

 

 ホーネットが小さく息を呑んだ。

 

「すご……そんなとこまで見えるんだ」

 

「見えるようになるのよ」

 エリンが言う。

「見ようとし続ければ」

 

 最初のチームは、そのまま大崩れこそしなかったが、終盤で立て直しに余計な秒数を使った。

 終了後、客席からは十分に大きな拍手が起きる。

 一般客から見れば、相当高度で、相当すごいチームに見えるだろう。

 

 だが、エリン達の空気は厳しかった。

 

「基礎点は高いわね」

 エリンが言う。

「でも、探索の点で見ると少し物足りない」

 

「うん」

 ミラも頷く。

「“予定外が起きた時の強さ”って意味では、まだ怖いですね」

 

「いい客室班ではあると思う」

 ペルシアが言う。

「ただ、未探索領域や複合トラブルで押し切るには、ちょっと綺麗すぎる」

 

「綺麗すぎる、ですか」

 クミコが聞き返す。

 

「ええ」

 ペルシアはスクリーンから目を離さないまま言う。

「想定通りなら強い。でも想定の外へ足を突っ込んだ時、綺麗に組みすぎたチームは案外脆いのよ」

 

 次のチームが呼ばれる。

 

 今度は企業規模としては中堅どころらしい。

 客席の期待値も、さっきほどは高くない。

 だが、始まった瞬間にペルシアの眉が少しだけ動いた。

 

「……あら」

 

「どうしたの?」

 エリンが聞く。

 

「面白いのがいる」

 ペルシアが言う。

「操縦じゃないわね。後ろ」

 

 エリンも見る。

 クリスタルも見る。

 舞台上のブース後方。コックピットコンディションに入っている、細身の女性が目に留まる。派手に動くわけではない。声量も大きくない。だが、誰かの言葉が被りそうになる一拍前に、短く切って、必要な方へ渡している。

 

「……なるほど」

 エリンの目が細くなる。

「こんな人が隠れてたのね」

 

「でしょ?」

 ペルシアが少しだけ楽しそうに笑う。

「前へ出るタイプじゃないけど、温度の戻し方が上手い。今の二回目の揺れ、あの人がいなかったら操縦席とシステム席が噛んでたわよ」

 

「ほんとだ」

 ランも思わず言う。

「声が大きいわけじゃないのに、ちゃんと通ってる」

 

「言葉の長さがいいんですね」

 ミラが言った。

「“ここ見て”“今はそれでいい”がすごく短い」

 

「しかも、拾いすぎてない」

 クリスタルが静かに言う。

「全部を整理しようとしてない。ずれたところだけ戻してる」

 

 エマも、そのチームをじっと見ていた。

 

「医療側も悪くない。コックピットコンディションが一歩入った後、医療従事者がちゃんと“自分がやるべき範囲”に戻れてる。押されっぱなしになってない」

 

「うん」

 エリンが頷く。

「いいチームね、これ。派手じゃないけど強い」

 

 ホーネットが少し驚いたように言う。

 

「さっきのチームより、なんか静かじゃない?」

 

「静かよ」

 ペルシアが言う。

「でも静かなのに止まってない。それが強いの」

 

「すごいな……」

 ユウコがぽつりと呟く。

「目立つ人がいなくても、ちゃんと回るんだ」

 

「むしろ探索って、そういう強さの方が後で効くこともあるわ」

 エリンが言う。

「一人の天才が引っ張るより、“全員が半歩ずつ早い”方が崩れにくいから」

 

 そのチームは、序盤から終盤まで大きく波を作らずに走り切った。

 客席の受けも良い。

 一般客には、もしかしたら一つ前のチームの方が派手で分かりやすかったかもしれない。だが、エリン達の空気はむしろ今の方が熱を帯びていた。

 

「ローズ、こういうのも拾ってるのね」

 ペルシアが感心したように言う。

「人選、思ったより嫌らしいわ」

 

「嫌らしいって言い方」

 クリスタルが呆れたように言う。

 

「褒めてるのよ」

 ペルシアが平然と返す。

 

 さらに三チーム目。

 

 今度は逆に、システムエンジニアが突出していた。

 

 異常検知の速さ。

 ログの整理。

 仮説の切り方。

 どれも優秀だ。

 けれど――

 

「強いけど冷たいわね」

 エリンが言った。

 

「冷たいですね」

 ミラもすぐに頷く。

「返ってくる情報は正確なんですけど、他が受ける余白を作ってない」

 

「それ」

 ランが言う。

「全部“正しいこと”なのに、息が詰まる感じ」

 

「客室でもたまにある」

 エマが小さく言った。

「間違ってないのに、寄り添われてる感じがしない人」

 

「ええ」

 エリンは頷く。

「正しいことを言えば流れるわけじゃない。受けられる形で渡さないと、正しさは時々凶器になるの」

 

「うわ……」

 クミコが息を漏らす。

「それ、めちゃくちゃ怖い言葉です」

 

「でも本当よ」

 エリンは言う。

「正しさだけで人は動かないもの」

 

 そのチームは、中盤で医療側がほんの少し反応遅れを起こした。

 理由は明白だった。

 システム側からの情報が完璧すぎて、逆に“こちらがどう受ければいいか”が切り取れなかったのだ。

 

「惜しい」

 クリスタルが言う。

「能力は高いのに、他の席を弱くしてる」

 

「本人は悪気ないでしょうけどね」

 ペルシアが言った。

「でも、あれだと長丁場で確実に疲れる」

 

 若い乗務員達も、もう単に“すごい”では見ていなかった。

 このチームは何が強くて、何が苦しいのか。

 それをエリン達の言葉を借りながら、自分の中で少しずつ掴み始めている。

 

「さっきのチームと逆ですね」

 ハズキが言う。

「さっきは全体が静かに回ってたけど、今は一人が強すぎて流れが細くなってる感じ」

 

「そうだね」

 ミドリも頷く。

「強い人がいると強いけど、その人が“強すぎる”と逆にしんどいのか」

 

「面白いでしょ」

 ペルシアが言う。

「強さって、一つじゃないのよ」

 

 アナウンスが入り、次のチームへの転換時間が流れる。

 

 その時だった。

 

 通路側から、見慣れた足取りが近づいてきた。

 

「……あ」

 ホーネットが小さく声を上げる。

 

 階段席を上がってくる男の姿。

 人の多いホールの中でも、妙に目に入る。

 余計な力が入っていないのに、立っているだけで空気の輪郭が変わるような存在感。

 

 リュウジだった。

 

 ペルシアが、にやっと笑う。

 

「来たわね」

 

 エリンがそちらを見た。

 

「呼んでたの?」

 

「ええ」

 ペルシアが当然のように言う。

「S級も呼んであるから」

 

 

ミラ達の間に、小さな緊張が走る。

 

 リュウジは客席の列を抜けて、エリン達の前まで来ると、まずはエリンへ軽く頭を下げた。

 

「お久しぶりです、エリンさん」

 

「久しぶり」

 エリンが答える。

「よく来たわね」

 

「ペルシアに呼ばれたので」

 リュウジが言う。

 

「私のせいみたいな言い方しないでよ」

 ペルシアが言う。

「でも来たんだからいいじゃない」

 

「ペルシア、声かけたのね」

 クリスタルが呆れたように言う。

 

「そりゃそうでしょ」

 ペルシアが肩をすくめる。

「せっかくならS級の目も欲しいし」

 

 リュウジは、その場にいる顔ぶれを見回した。

 

「久しぶりだな」

 

「久しぶりです」

 ミラが答える。

 

「お久しぶりです」

 ランも会釈した。

 

「久しぶり」

 ホーネットは気負いなく手を上げる。

 

「お久しぶりです」

 シルヴィアも小さく頭を下げた。

 

 ユウコ、ナツキ、クミコ、アズサ、マユ、サリー、ハズキ、ミドリ達は、思わず背筋を伸ばしていた。

 名前だけは嫌というほど聞いてきた人物が、こうして普通に目の前へ来ると、それだけで緊張するのも無理はない。

 

「それで?」

 ペルシアが待ちきれないように聞く。

「メンバーは決まった?」

 

「メンバー?」

 エリンが少し首を傾げた。

 

「リュウジにも出ろって言ったのよ」

 ペルシアが言う。

 

「なるほどね」

 エリンが苦笑する。

「貴方らしいわ」

 

「だって出た方が面白いじゃない」

 ペルシアが言う。

「せっかくこういう場なんだし」

 

 リュウジは小さく息を吐いてから答えた。

 

「システムはマユミに声をかけた。メカニックはスリッピーに頼んである」

 

「マユミとスリッピー?」

 ペルシアが目を丸くする。

「なんかもう、その時点でだいぶ濃いね」

 

「濃いわね」

 クリスタルも言う。

「癖の強さだけなら十分」

 

「そこは技術も見てくれ」

 リュウジが少しだけ苦笑する。

 

 そのやり取りを聞きながら、スペースホープの若い乗務員達はただ驚くしかなかった。

 リュウジが出る。

 しかも、もうチーム編成がある程度進んでいる。

 

 その空気のまま、リュウジはエリンへ向き直った。

 

「エリンさん。スペースホープから三人、借りてもよろしいですか?」

 

 その言葉に、客席の空気がぴたりと止まる。

 

「ええ、構わないわ」

 エリンはあっさり答えた。

「誰を考えてるの?」

 

 リュウジの視線が、一人ずつ動く。

 

 そして止まった。

 

「ミラ、アズサ、ハズキ」

 

 名前を呼ばれた三人が、ほぼ同時に目を見開いた。

 

「私ですか?」

 ミラが思わず言う。

 

「わ、私ですか?」

 アズサも声を裏返しかける。

 

「……え」

 ハズキは一拍遅れて自分を指差した。

 

 周囲の乗務員達も、緊張と驚きで固まる。

 

 リュウジは、その三人を見て言った。

 

「全員、コックピットコンディションに入ってほしい」

 

「全員……?」

 ミラが聞き返す。

 

 それは無理もない反応だった。

 

 通常なら、一つのチームにコックピットコンディションは一人。

 けれど、今のリュウジの言い方はそれを飛び越えている。

 

 ペルシアが、すぐにその空気を拾って言う。

 

「今回、リュウジの方は特別参加枠だから、構成の自由度があるのよ。普通のチームより遊べるってこと」

 

「遊ぶ言い方やめてくれ」

 リュウジが小さく言う。

 

「でも意味は合ってるでしょ」

 ペルシアが言う。

「技術担当を厚くするんじゃなくて、空気を見る側を重ねたいんでしょ?」

 

「そうだ」

 リュウジは短く答えた。

 

 エリンは、三人を見ながら静かに言う。

 

「どうするかは貴方達が決めていい。でも、選ばれた意味はちゃんと考えなさい。それだけのものを、貴方達が持ってるってことだから」

 

 アズサはまだ緊張で肩が強ばっていた。

 

「でも……私、そんな……コックピットコンディションって、エリンさんとかカイエさんみたいな人がやるもので……」

 

「そう決めつけなくていいわ」

 エリンが言う。

「形は一つじゃないもの」

 

 ハズキも戸惑いを隠せない。

 

「私……ちゃんと出来るか分からないです」

 

「分からないのは当然よ」

 エリンは落ち着いた声で言う。

「でも、声をかけられたのには意味がある。それをまず受け止めてみなさい」

 

 ミラは静かに息を吸った。

 

「……私で役に立つなら、やります」

 

 最初にそう答えたのはミラだった。

 迷いは残っている。

 けれど、その奥にははっきりと覚悟があった。

 

「アズサは?」

 ホーネットが思わず聞く。

 

 アズサは、ぎゅっと拳を握ってから顔を上げた。

 

「やります。すごく緊張しますけど……でも、声をかけてもらったならやりたいです」

 

 最後にハズキが、小さく頷いた。

 

「私もやります……私、派手に前へ出る方じゃないですけど、見ることなら多分できると思うので」

 

 リュウジは静かに頷いた。

 

「ありがとう」

 

 その一言だけだった。

 けれど、それで十分だった。

 

 そして、その流れを見ていたクリスタルが口を開く。

 

「それじゃあ医療従事は私がやろうか?」

 

 たしかに自然な提案だった。

 クリスタルの実力は十分すぎるほどある。

 

 だが、リュウジはすぐに首を横へ振る。

 

「いや、ラスペランッァからは選ぶつもりはない」

 

「へえ」

 ペルシアが目を細める。

「そこは分けるんだ」

 

「分ける」

 リュウジが言う。

 

 そして、その視線がエマへ向く。

 

「エマ、医療従事で入ってくれ」

 

「……私がですか!?」

 エマが、珍しくはっきりと驚いた声を出した。

 

「応急処置ぐらいできるだろ」

 リュウジは言う。

 

「それは、まぁ……」

 エマは困ったように瞬きをした。

「できますけど……」

 

「それで十分だ」

 リュウジが言う。

 

 エマは、一瞬だけ言葉を失った。

 

 それは確かに、自分のやってきたことに近い。

 専門医のような高度な治療はできない。

 でも、誰かが不安で固まりそうな時、そのそばにいて最低限の処置をしながら落ち着かせることなら、自分にもできるかもしれない。

 

「まぁいいじゃない」

 ペルシアが横から口を挟む。

「どうせぼっちだったんだし」

 

「その言い方……」

 エマが少し困ったように言う。

 

「だって本当でしょ」

 ペルシアは悪びれない。

「一人で観客席にいるより、出る側の方が面白いわよ」

 

 ホーネットが思わず笑う。

 

「たしかにそれはそうかも」

 

「ホーネットまで」

 エマが小さく苦笑する。

 

 それでも、エマは最後にちゃんとリュウジを見た。

 

「……分かりました。私でいいなら、やります」

 

「ありがとう」

 リュウジが言う。

 

 その瞬間、客席の一角だけがまた別の熱を帯びたようだった。

 

 ミラ、アズサ、ハズキ、エマ。

 四人が、リュウジのチームへ入ることになったのだ。

 

 それを見て、エリンは小さく息を吐いた。

 

「賑やかになりそうね」

 

「そうね」

 ペルシアが笑う。

「しかも面白くなりそう」

 

 クリスタルは腕を組んだまま、少しだけ呆れた顔をする。

 

「面白さで組まれても困るんだけど」

 

「でも、悪くないでしょ?」

 ペルシアが言う。

 

 クリスタルは一拍置いてから、静かに頷いた。

 

「……悪くはない」

 

 エリンも同じように頷く。

 

「ええ。むしろ、かなり見たいわね」

 

 その言葉に、若い乗務員達の目もまた少しだけ熱を帯びた。

 

 自分達がいま見ているのは、ただの大会じゃない。

 この場で、誰かの可能性が新しく組み直されていく瞬間だ。

 

 その事実に、胸が高鳴らないわけがなかった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 リュウジに名前を呼ばれたエマ、ミラ、ハズキ、アズサは、まだ少し戸惑いの残る顔のまま立ち上がった。

 

「じゃあ、行こう」

 リュウジが短く言う。

 

「は、はい」

 アズサが慌てて返事をする。

 

「お願いします」

 ハズキが小さく頭を下げる。

 

「行ってきます」

 ミラがエリンへ視線を向けた。

 

「ええ」

 エリンが静かに頷く。

「焦らなくていいわ。まずはちゃんと話を聞いてきなさい」

 

「はい」

 ミラが答える。

 

 エマは少しだけ困ったように笑いながらも、もう覚悟を決めた顔だった。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 ペルシアがひらひらと手を振る。

「面白くなりそうだから、ちゃんと頑張りなさいよ」

 

「その言い方……」

 エマはやっぱり少し苦笑した。

 

 リュウジはそれ以上余計なことは言わず、エマ、ミラ、ハズキ、アズサを連れて、客席脇の通路から控え室側へ向かっていく。

 

 去っていく後ろ姿を、スペースホープの乗務員達は自然と目で追っていた。

 

 人混みの中へ混ざっていく四人。

 そこに、今からもう一つ別のチームが形になっていく気配があった。

 

 それを見送りながら、ペルシアがふとエリンへ顔を向ける。

 

「で?人選について、どう思う?」

 

 エリンは、通路の先へ消えていくリュウジ達の背中を見たまま、小さく息を吐いた。

 

「うーん……悪くはないんじゃない?リュウジにとっては相性がいいメンバーだし」

 

 その一言に、周りの若い乗務員達がほぼ同時に反応した。

 

「相性ってあるんですか?」

 クミコが真っ先に聞く。

 

「ありますよね?」

 ユウコも思わず身を乗り出す。

 

「あるわよ」

 ペルシアが即答した。

「むしろ、かなり大きいわ」

 

「そんなにですか」

 ミドリが目を丸くする。

 

「ええ」

 クリスタルも頷く。

「探索でも客室でも、組み合わせで流れはかなり変わる。能力が高い者同士なら何でも噛み合う、ってわけじゃない」

 

 ホーネットが顎へ手を当てる。

 

「へぇー……強い人を集めたらそれで最強、って感じでもないんだ」

 

「ならないわね」

 エリンが言った。

「もちろん、個々の実力は大事よ。でも、それをどう噛み合わせるかで全然違う」

 

 若い乗務員達が一斉にエリンを見る。

 

 エリンは、少しだけ考えるように視線を舞台へ戻してから続けた。

 

「例えば、私にとって相性がいいのはホーネット。ランはミラやクミコ。前で空気を作る人が得意な人や、後方で全体を支える人は相性がいいのよ、分かりやすい例だと、ユウコとナツキは特にそう」

 

「えっ、私とナツキですか?」

 ユウコが目を瞬いた。

 

「そうよ」

 エリンがあっさり言う。

 

 ナツキも少しだけ驚いた顔をする。

 

「私達って、そんなに相性いいんですか?」

 

「いいわ」

 エリンは言った。

「かなり分かりやすいくらいにね」

 

「どこが?」

 ホーネットが興味津々で聞く。

「ちょっと気になる」

 

 エリンは、どこか教師みたいに落ち着いた口調で説明を始めた。

 

「ユウコは前に出て空気を動かすのが得意。良くも悪くも、場に勢いを作れるでしょう?言葉も表情も大きいし、最初の一歩を踏ませる力がある。でも、その分だけ流れが散りやすい時もある」

 

「うっ」

 ユウコが少しだけ詰まる。

「それは……否定できないです」

 

「そこへナツキが入ると、ちゃんと線が戻るの」

 エリンは続ける。

「ナツキは前に出るタイプではあるけど、どちらかというと“散った線をまとめる”方が得意。だから、ユウコが場を動かして、ナツキがその動きを形にする。これ、かなり相性がいいのよ」

 

 ナツキは、その説明を聞きながら少しだけ眉を上げた。

 

「……言われてみると、たしかに」

「ユウコが先にお客様へ入って、私が後ろから整えること多いですね」

 

「でしょ?」

 エリンが頷く。

 

「へぇ……」

 ユウコが妙に感心した顔をする。

「なんか、ちゃんと意味あったんだ」

 

「意味あるわよ」

 エリンが少しだけ笑う。

「貴方達、自分で思ってる以上に噛み合ってるもの」

 

「なんかちょっと嬉しいかも」

 ユウコが照れたように言う。

 

「今さら?」

 ナツキが呆れ半分で言った。

 

「いや、だって改めて言われると」

 ユウコが言う。

「ほら、ちょっとさ」

 

「単純ね」

 ナツキは苦笑する。

「でも、まぁ……悪くない」

 

 そのやり取りを見ながら、クミコがエリンへ聞いた。

 

「じゃあ、さっきエリンさんが言った“ランさんはミラさんや私”っていうのは?」

 

「そこも同じよ」

 エリンが答える。

「ランは、前へ出る人を気持ちよく走らせるのが上手い。自分が全部を取りに行くんじゃなくて、相手の流れがちゃんと続くように土台を作るの。だからミラとも相性がいいし、クミコとも相性がいい」

 

「私もですか?」

 クミコがぱっと顔を上げる。

 

「ええ」

 エリンは頷く。

「クミコって、一見すると前に出たがりに見えないでしょう?」

 

「えっ、そうなんですか?」

 クミコが目を丸くする。

 

「見えないわよ」

 ミドリが即答した。

「むしろ、最初は様子見る方じゃない?」

 

「え、そうかな」

 クミコが首を傾げる。

 

「そうだよ」

 アズサがいない今、その代わりみたいにハズキが言う。

「クミコって、勢いで飛び出すより、“ここだ”って決まったらしっかり前に出る感じ」

 

「そうそう」

 マユも頷く。

「だから最初の押し出しより、“入った後に温度を保つ”方が上手いと思う」

 

「なるほど」

 エリンが頷いた。

「で、そういうタイプはランと相性がいいの。ランは、相手が安心して前に出られる土台を作れるから」

 

 ランは少しだけ照れくさそうに笑った。

 

「そんなに器用にやれてるかは分からないですけどね」

 

「やれてるわよ」

 エリンが言う。

「少なくとも、私はそう見てる」

 

 その一言に、ランは少しだけ目を伏せた。

 

「……ありがとうございます」

 

 ホーネットが、そこで口を挟む。

 

「じゃあ、エリンと私が相性いいのは?そこも気になる」

 

「そこは分かりやすいでしょ」

 エリンが言った。

「貴方の視野はかなり広い。しかも、考えるより先に身体が動く。そういう人は、後ろで全体を見ながら“今は行っていい”“ここは戻って”を返せる人と噛み合うのよ」

 

「へぇー」

 ホーネットが納得したように頷く。

「じゃあ、私は一人で完結するタイプじゃないんだ」

 

「完結する必要ないでしょ」

 エリンが言う。

「前に出る人が前に出やすいよう、後ろにいる人がいる。後ろで支える人が支えやすいよう、前で空気を動かす人がいる。それだけの話よ」

 

「なんか、そう言われると全部ペアみたいですね」

 サリーがぽつりと言う。

 

「ペアっていうより、噛み合わせかな」

 クリスタルが静かに言った。

「歯車みたいなものよ。大きい歯車と小さい歯車、速い歯車と遅い歯車。同じ形だけ集めても綺麗に回るとは限らない。違う形だから噛み合う」

 

 その説明に、ミドリが思わず頷く。

 

「それ、すごく分かりやすいです」

 

「でしょ?」

 ペルシアが言う。

「だから人選って、“上手い人を並べればいい”じゃないのよ」

 

 その流れで、ペルシアがまた通路の先――リュウジ達が消えた方向を見ながら言った。

 

「たださ、リュウジが選んだ人選、どっちかって言うと前で空気を作る人が多くない?」

 

「……たしかに」

 ホーネットが小さく呟く。

 

「なんならスリッピーやマユミも、前で空気を作るタイプじゃない?」

 クリスタルが言う。

「スリッピーは技術者だけど、存在感が後ろに引っ込まないし、マユミも、静かに見えて場を前へ押し出す側でしょう」

 

「そうね」

 エリンが頷く。

「だからエマを選んだのよ」

 

 クリスタルが少し目を丸くする。

 

「エマを?」

 

「そう」

 エリンはエマへ視線を向けた。

「エマは後方で全体を支えるのが得意。もちろん、前で空気を作ることもできる。でも、本質的には“場を落ち着かせて、崩れた人を戻す”方が強い。それに、ミラも今はだいぶ後方で全体を支えることができる」

 

「ミラも?」

 ペルシアが驚いたように言う。

 

「ええ」

 エリンは頷く。

「昔のミラは、自分で抱え込む方が強かった。でも今は違う。前に出る人を走らせながら、後ろで温度を戻す余裕がある」

 

 ペルシアは、その言葉をすぐには飲み込んだ。

 

「なるほどね」

 

「ええ」

 エリンはきっぱり言う。

「ミラは自分で思ってる以上に変わってるもの」

 

 ランがその横で小さく笑う。

 

「たしかに、ミラ、前みたいに“全部自分で見ます”って感じじゃなくなりましたね。前は一人で綺麗に片づけようとしすぎてた。今は、ちゃんと他の人に預けてる」

 

ランが笑う。

 

「それ、すごく大事ですよね」

 シルヴィアが言う。

「自分で全部抱えるのって、一見優秀に見えますけど、長くは持たないですし」

 

「そう」

 クリスタルが頷く。

「探索みたいに想定外が重なる場所では特にね」

 

「じゃあ」

 ホーネットが少し考えるような顔で言う。

「リュウジって、あえて“前で空気を作る人”を多めに置いて、その中にエマと今のミラを入れて支える形にしたってこと?」

 

「そういうこと」

 ペルシアが言った。

「バランスを単純に半々にしたんじゃなくて、“前へ押し出す強さ”をわざと濃くしてる。その代わり、後ろで戻せる人を要所に置いてるのよ」

 

「なるほど……」

 ユウコが感心したように言う。

「それって、なんかリュウジさんらしいですね」

 

「どういう意味?」

 ナツキが聞く。

 

「えっと」

 ユウコが少しだけ考える。

「綺麗に整ったチームっていうより、“まず前に進む力”を大事にしてる感じ?」

 

「それはあるかも」

 ペルシアが頷いた。

「リュウジって、きっちり守るだけの人じゃないもの。行ける時は行くし、その代わり落ちる前にちゃんと拾う」

 

「そうですね」

 ランが小さく言う。

「だから、たしかにあの編成はリュウジさんっぽいかも」

 

 若い乗務員達は、それぞれ考え込むように黙った。

 

 さっきまでは“選ばれた”“すごい”でしか見えていなかったものが、少しずつ形を持ち始めている。

 誰が強いか。

 誰が上手いか。

 それだけではなく、誰と誰が噛み合うのか。

 前で空気を作る人と、後ろで全体を支える人。

 その組み合わせで、同じ技量でもチームの色が変わる。

 

「なんか……」

 クミコがぽつりと言う。

「人選って、思ってた以上に深いですね」

 

「深いわよ」

 エリンが答えた。

「それが噛み合った時、チームは一人の力以上になる。逆に噛み合わなければ、どれだけ優秀でも苦しくなる」

 

「じゃあ、今日ここで見てるチームも」

 ミドリが言う。

「その“相性”まで含めて見た方がいいんですね」

 

「ええ」

 エリンが頷く。

「誰が上手いか、じゃなくて、誰が誰を生かしてるか、そこまで見えるようになると、見方が一段変わるわ」

 

 ちょうどその時、ステージでは次のチームが二つ目の複合異常に入っていた。

 

 システム側が強いチーム。

 だが、そこへ医療系の揺らぎと操縦系の遅延が重なる。

 

「……ほら」

 クリスタルが小さく言う。

「今のチーム、システムが強いけど、副操縦士との噛み合わせが少し硬い。正しい情報は出てるのに、受ける側が“自分で消化しなきゃ”になってる」

 

「ほんとだ」

 ランが言う。

「副操縦士がちょっと苦しそう」

 

「こういうのも相性よ」

 ペルシアが言う。

「どっちも悪くないのに、組み合わせると少し息が詰まる」

 

 ホーネットが腕を組みながら、ぽつりと漏らす。

 

「……面白いね。上手い人が集まったら終わり、じゃないんだ」

 

「そう」

 エリンが静かに言った。

「だから、チーム作りって面白いのよ」

 

 その言葉は、若い乗務員達の胸に静かに落ちた。

 

 舞台の上では、次々とチームが試されていく。

 客席のこの一角でもまた、別の意味で“見る目”が試され始めていた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 中央ホールの照明が、ひときわ強く落ちた。

 

 ざわめきの上を、電子音混じりの短いファンファーレが流れる。

 巨大スクリーンに次の出場順が映し出され、観客席のあちこちから小さな声が上がった。

 

 そして、そこに映し出された文字を見て――まず、ホーネットが吹き出した。

 

「ちょっと待って。何この名前」

 

 ユウコも目をぱちぱちさせる。

 

「え、ほんとだ……」

 

 大きなモニターの中央に、丸みのあるフォントでこう表示されていた。

 

 チーム甘党

 

 一拍遅れて、客席のあちこちでもくすくすとした笑いが起こる。

 それまで“探索用シミュレーション選抜セッション”という大仰な雰囲気だっただけに、その名前の軽さが妙に際立って見えたのだろう。

 

「甘党って……」

 ナツキが呆れたように言う。

「ここ、遊びに来てるわけじゃないんだけど」

 

「でも、逆に気になる」

 ホーネットがにやにやしながら言う。

「誰がつけたの、これ」

 

「なんとなく想像つくわね」

 エリンが小さく笑う。

 

 ペルシアも肩を揺らしていた。

 

「いいじゃない。可愛いでしょ、しかも覚えやすい」

 

「貴方ね?」

 クリスタルが半眼で言う。

 

「さぁ、どうかしら」

 ペルシアは悪びれもせずに言った。

 

 その名前の下に、今度はゆっくりと参加者の名前が並び始める。

 

 リュウジ

 スリッピー

 マユミ

 エマ

 ミラ

 アズサ

 ハズキ

 

 その表示が出た瞬間、スペースホープの客席側でも、控え室側でも、違う種類の驚きが同時に起こった。

 

 

 別室の控え室では、出番をまだ先に控えたカオル達が、壁際の大型モニターに映し出された次の出場チームを見ていた。

 

 その場の空気はさっきまでかなり張っていた。

 

 自分達の出番はまだ後。

 他チームの動きを見ながら最終確認をするつもりで、全員がそれぞれ端末や資料を手にしていたのだ。

 

 だが、モニターに表示された名前を見た瞬間、誰もがぴたりと動きを止めた。

 

「……は?」

 最初に声を漏らしたのはユアンだった。

 

 ナミが目を見開く。

 

「ちょっと待って、今の、見間違いじゃないわよね」

 

 シンゴも、持っていた端末を下ろした。

 

「リュウジ……しかも、スリッピーとマユミ?」

 

 カオルは、スクリーンに映る名前をじっと見つめていた。

 

 その中でも、まず真っ先に目に飛び込んできたのは、やはり一番上の名前だった。

 

 リュウジ

 

 胸の奥が、ひやりと冷えるような感覚があった。

 

 追い越したいと思ってきた相手。

 S級。

 今の自分達の“勝ち筋”を考える上でも、無視できない存在。

 

 その名前が、よりにもよって今ここで、客席からではなくステージの出場者側として表示されている。

 

「……リュウジ、出るのか」

 カオルが低く言った。

 

 その声には驚きだけではなく、別の熱も混じっていた。

 

 カイエは、表示された名前を追って目を細める。

 

「エマ……あと、ミラまで」

 

 ククルも、思わず身を乗り出す。

 

「ほんとだ、エマとミラだ」

 

 ナミは、表示の中段にある一つの名前に目を止めたまま、眉を寄せた。

 

「スリッピー……よりによって、そこ連れてくるの」

 

「知ってるの?」

 シンゴが聞く。

 

「知ってるも何も」

 ナミが言う。

「宇宙管理局のペルシアさんの直属チーム、スターフォックスの技術者よ。技術者の中でも、あの人は変わり種で有名よ。悪い意味じゃなく、発想が飛び抜けてる。普通の積み上げ型じゃない。そういう人がメカニックに入るって、かなり厄介」

 

 ユアンは、黙ってスクリーンを睨んでいたが、やがて短く息を吐いた。

 

「……濃いな」

 

「濃いね」

 キャットが後ろから言う。

「名前だけで胃が重くなる編成」

 

「笑えません」

 ナミが言う。

 

「でも、面白い」

 キャットは少しだけ口元を上げた。

「こういうの、嫌いじゃない」

 

 カイエは、モニターから目を離さずに言った。

 

「ミラとエマが入るんだ……」

 

 ただ知り合いの名前がある、というだけではない。

 客室の空気を知っている人間が、あのリュウジのチームに加わる。

 それがどういう意味を持つのか、カイエにははっきりとは分からなかったが、単純な火力だけで組んだチームではないことだけは直感で分かった。

 

 ククルが小さく呟く。

 

「しかも“チーム甘党”だよ……」

 

 その言い方に、シンゴが思わず吹き出しそうになる。

 

「そこ気になるの?」

 

「気になるでしょ!」

 ククルが言う。

「こんなピリピリした大会で、そんな名前つける!?」

 

「つける人は一人しか思い浮かばないけど」

 カイエが呆れ半分で言う。

 

「ペルシアさん……」

 ククルが即答した。

 

 ナミは、その名前に少しだけ眉を寄せた。

 

「たぶんそうでしょうね」

 

 そして、画面の表示がチーム詳細から舞台袖の準備映像へ切り替わった瞬間、全員がまた息を呑んだ。

 

 そこにはもう、リュウジ達のチームが控え室から移動を始める様子が映り始めていた。

 

 カオルは、スクリーンの中のリュウジから目を離せない。

 

 ユアンもナミも、もう気楽な観察では見ていなかった。

 今の自分達にとって、これは“見学”じゃない。

 未来の対戦相手。

 比較対象。

 越えるべき壁。

 

 その壁が、意外なほど軽い名前を掲げて、しかし本気で舞台へ上がろうとしている。

 

「……見るしかないわね」

 ナミが言った。

「嫌でも参考になる」

 

「うん」

 シンゴも頷く。

「むしろ、今見られるのは大きい」

 

 カオルは、小さく息を吐いた。

 

「見よう」

「全部」

 

 

 一方、ステージ裏のシミュレーションルームでは。

 

 リュウジが扉を開けると、そこには既にスリッピーとマユミがいた。

 

 外の喧騒が嘘みたいに、室内は整然としている。

 機材は既に立ち上がっていて、各席の端末は待機状態。

 壁際には補助機材と飲み物の棚。

 奥のモニターには、システム起動確認の文字列が流れていた。

 

「おっ、来た来た」

 スリッピーが椅子をくるっと回しながら手を上げる。

「やあ、リュウジ。それに、新しいメンバー達も」

 

 軽い声だった。

 その軽さだけならホーネットにも近いが、こちらはもっと技術屋特有の“頭の回転が先にある軽さ”だった。

 

 マユミは逆に落ち着いていた。

 

「はじめまして、控え室から急に引っ張られて、びっくりしたでしょう」

 

 ミラが一歩前へ出て、きちんと頭を下げる。

 

「よろしくお願いします」

 

 アズサも慌てて続いた。

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

 ハズキもやや緊張した面持ちで頭を下げる。

 

「よろしくお願いします」

 

 エマはその様子を見て、小さく笑った。

 

「私も改めて、よろしくね」

 

 その直後、部屋のスピーカーから無線の声が入る。

 

『準備ができたら教えてくれ』

 

 マリの声だった。

 

 通る声。

 だが、硬すぎない。

 舞台外から全体を見ている人間の声だとすぐに分かる。

 

「分かった」

 リュウジが短く返す。

 

 けれど、その返事のあとすぐに席へつく者は誰もいなかった。

 

 特にミラ、アズサ、ハズキの三人は、まだ部屋の空気に身体が馴染んでいない。

 客席から連れてこられて、突然この中へ入ったのだ。

 緊張しない方が無理だ。

 

 それを見たエマが、ふわりと三人の前へ立った。

 

「大丈夫?」

 やわらかな声だった。

 

「だ、大丈夫です」

 アズサが反射的に答える。

 

「大丈夫って答える顔してないよ」

 エマが少しだけ笑う。

 

「……分かります?」

 ハズキが小さく言う。

 

「分かるよ」

 エマが頷く。

「私も最初はこういう部屋、すごく緊張したし、何をどう触ったらいいのか分からないまま、空気だけすごい張ってるから」

 

 ミラは、そんなエマを見ながら少しだけ呼吸を整えた。

 

「たしかに、今はちょっと緊張してるかも」

 

「してていいんだよ」

 エマが言う。

「緊張してないふりの方が危ないし」

 

 その時、スリッピーが席でくるりと回ったまま、何かを口へ放り込んだ。

 

「そうそう、緊張しなくていいよ」

 

 その言い方があまりにも普段通りで、三人は思わずそちらを見る。

 

 スリッピーは何でもない顔で咀嚼している。

 

 エマが少し首を傾げた。

 

「スリッピーさん、それ何食べてるの?」

 

「ん?」

 スリッピーが手元の小箱を持ち上げる。

「新作のチョコだよ。試作品。ちょっとビター寄りだけど、後味に香りが残るやつ」

 

「私にもください」

 エマが、あまりにも自然に言った。

 

 ミラ達は一瞬だけ目を瞬いた。

 

 今から探索用シミュレーションに出る部屋で、最初に交わされる会話がそれなのか。

 そんな戸惑いが、三人の顔にそのまま出ていた。

 

 スリッピーは笑いながら箱を差し出した。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 エマは一粒つまんで口へ入れる。

「……あ、美味しい。これ好きかも」

 

「でしょ?」

 スリッピーが得意げに言う。

「後味がふわっと広がる感じ、いいよね」

 

 そのやり取りの横から、マユミもすっと手を出した。

 

「私にもちょうだい」

 

「もちろん」

 スリッピーが箱を向ける。

 

 マユミも口へ入れて、少しだけ目を細めた。

 

「美味しい、思ったより重くないね」

 

「甘いだけじゃないでしょ?」

 スリッピーが言う。

「そこがポイント」

 

 余りにも和やかだった。

 

 シミュレーションルーム。

 舞台の裏。

 巨大な観客席。

 次の出場。

 なのに、そこで交わされているのは新作チョコの感想だ。

 

 ミラ、アズサ、ハズキは、そろって戸惑った。

 

 エマが、その三人の顔を見てふわりと笑う。

 

「みんなも食べてみて、美味しいよ」

 

「え、でも……」

 アズサが目をぱちぱちさせる。

 

「いいから」

 エマが箱を差し出す。

「ほら」

 

 三人は恐る恐る一粒ずつ取った。

 

 アズサが先に口へ入れる。

 次いでハズキ。

 ミラも少しだけ躊躇ってから続いた。

 

「……あ」

 アズサが目を丸くする。

「美味しいです」

 

「ほんとだ」

 ハズキも静かに言った。

「思ってたより軽い」

 

 ミラも小さく笑った。

 

「たしかに、美味しい、ちょっとほっとするかも」

 

「でしょ!」

 エマが嬉しそうに言う。

「甘いものって、緊張してる時にいいんだよ」

 

「それ、たぶん理屈より好きなだけだよ」

 マユミが言う。

 

「それもある」

 エマはあっさり認めた。

 

 そこへ、リュウジが振り返る。

 

「準備はいいのか?」

 

 声音は落ち着いていた。

 急かしているわけではない。

 ただ、そろそろ動き出すかを確認しているだけだ。

 

 エマはすぐにスリッピーの小箱からもう一粒取り出すと、リュウジへ差し出した。

 

「リュウジさんも一つ食べてみてください」

 

「俺もか?」

 リュウジが少しだけ眉を上げる。

 

「はい」

 エマがにっこり言う。

「美味しいですよ」

 

「……分かった」

 

 リュウジは、エマの手から一粒受け取って口へ入れた。

 

 一拍。

 

「……美味いな」

 

「でしょ!」

 エマがぱっと顔を明るくする。

 

 スリッピーも満足そうに笑った。

 

「良かった、S級のお墨付きだ」

 

「そういうの取るんだ」

 マユミが呆れたように言う。

 

「取るよ」

 スリッピーは平然としていた。

「だって大事じゃない? 権威って」

 

 ミラ達は、そのやり取りを見ながら、さっきまで自分達の中にあった硬いものが少しずつほどけていくのを感じていた。

 

 あまりにも自然に、緊張のままではいられない空気に引き込まれる。

 

 その時、またマリの声が飛ぶ。

 

『リュウジ、準備をしてくれ』

 

 さっきより少しだけ強い声だった。

 “そろそろ本当に始めるぞ”という、現場側の温度が乗っている。

 

 だが、そこでリュウジが言ったのは別のことだった。

 

「コーヒーはないのか?」

 

 一瞬、部屋の空気が止まる。

 

 マリの無線の向こうで、数秒だけ沈黙があった気がした。

 

 スリッピーが、まるで普通の確認みたいに答える。

 

「たしか後ろの棚にあったと思うよ」

 

 エマがくるりと振り返って棚へ向かう。

 

「ほんとだ、色々あります、コーヒー、紅茶、スポーツドリンク、あと甘いやつも」

 

 そして、棚の前から全員へ聞いた。

 

「みんな何飲みます?」

 

 その瞬間だった。

 

 ミラとアズサとハズキは、思わず顔を見合わせる。

 

 ――この人達は、今から探索用シミュレーションをやるってことを分かっているのだろうか。

 

 そんな言葉が三人の頭に同時に浮かんだ。

 

 けれど、不思議と嫌な戸惑いではなかった。

 むしろ、クスッと笑いそうになるような、肩の力が抜ける戸惑いだった。

 

 アズサが堪えきれず、小さく笑う。

 

「……ふふ」

 

「どうしたの?」

 ミラが聞く。

 

「いえ」

 アズサが口元を押さえる。

「なんか、ちょっとだけ、この人達、ほんとに今から本番なんだなって思ったら、逆に面白くなってきちゃって」

 

「分かる」

 ハズキも小さく頷いた。

「変に気負ってないっていうか、でも、だからこそ余裕があるのかな」

 

 ミラも、ようやく少しだけ自然な笑みを浮かべた。

 

「たしかに、この空気、悪くないね」

 

 エマは棚の前で振り返る。

 

「で、何飲む?私はコーヒー牛乳っぽいのが気になる」

 

「エマ、それはあとでにしなさい」

 マユミが言う。

 

「えー」

 エマが少しだけ唇を尖らせる。

 

「俺はブラック」

 リュウジが言う。

 

「はい」

 エマが嬉しそうに探し始める。

 

「僕は……」

 スリッピーが少しだけ考えてから言う。

「いや、やっぱり水でいいや、集中したいし」

 

「今さら?」

 マユミが言う。

 

「今さらだよ」

 スリッピーは平然としていた。

 

 その時、マリの声が今度ははっきりと強く飛んだ。

 

『リュウジ、始めるぞ?』

 

 その一言で、室内の空気がようやく切り替わる。

 

 和やかなまま。

 でも、芯の部分だけがすっと締まる。

 

 リュウジが短く答える。

 

「分かった」

 

 エマが棚から離れ、飲み物の確認をやめて席の後方へ戻る。

 ミラ、アズサ、ハズキも、それぞれ自分の立ち位置へ入った。

 

 さっきまであった緊張は、完全には消えていない。

 けれど、もう息苦しくはなかった。

 

 

 その様子を客席のモニター越しに見ていたペルシアとホーネットは、ほぼ同時に吹き出した。

 

「ちょ、ちょっと待って」

 ホーネットが腹を押さえながら言う。

「自由人がいるんだけど!」

 

「いるわね!」

 ペルシアも腹を抱えて笑う。

「しかも一人じゃない!何よあの空気、ゆるすぎるでしょ!」

 

 客席の若い乗務員達も、あまりの自由さに笑いをこらえきれない。

 さっきまでの“緊張の舞台裏”という想像が、完全に裏切られていた。

 

 だが、その中でエリンだけは、笑みを浮かべながらも目は真剣だった。

 

「今の動き、見ておきなさい」

 エリンが静かに言う。

 

 ホーネットがまだ笑いながら返す。

 

「え、エマのこと?」

 

「そう」

 エリンは頷く。

「緊張した三人の力を抜くために、場を和ませているのよ」

 

「甘いもの好きなだけでしょ」

 ペルシアが言う。

 

「それもあるわね」

 エリンが笑みを浮かべる。

「でも、どんな時でも自分ができることを行う……あれが乗務員の姿よ」

 

 その言葉に、客席の空気が少しだけ変わった。

 

 若い乗務員達も、ただ面白がっていた顔から少しずつ真面目な顔へ戻る。

 

 シルヴィアは、その意味をもう理解していた。

 

「たしかに」

 シルヴィアが言う。

「エマさん、何も“大丈夫だよ”って言ってない。でも、チョコを食べるっていうどうでもよさそうな流れで、三人の呼吸を戻してる」

 

「ええ」

 ランも頷く。

「無理に励ましてないんだよね、“緊張しなくていい”って押しつけるんじゃなくて、“緊張したままでも大丈夫な空気”を作ってる」

 

「そういうこと」

 エリンが言う。

 

「でも、あの場でチョコはすごいね」

 ホーネットが笑う。

「私でもちょっと驚いた」

 

「場所は選んでほしい時もあるけどね」

 エリンが小さく苦笑した。

「でも、ああいう“自分の持ち味を変えずに場へ出す”のは大事なの。緊張してるからって、自分まで固くなってしまったら意味がないでしょう?」

 

「なるほど……」

 クミコがぽつりと言う。

「エマさん、ただ優しいだけじゃなくて、ちゃんと仕事してるんですね」

 

「そうよ」

 エリンが答える。

「乗務員って、何もマニュアル通りの言葉を言うだけじゃない、その場の空気に合わせて、“今この人達に必要なもの”を出すの。たまたま今回は、それがチョコだったってだけ」

 

「たまたま、ですか?」

 アズサがその場にいない代わりのように、ハズキが小さく呟く。

 

「半分は、ね」

 エリンが言う。

「でも、あれで三人の肩が落ちたでしょう?」

 

「落ちてた」

 ユウコがすぐに言う。

「見てても分かったです。最初の顔と全然違った」

 

「そう」

 エリンが頷く。

「それだけで、あの数分には意味があるのよ」

 

 ペルシアは、まだ口元に笑いを残しながらも、今度は真面目に言った。

 

「リュウジも分かってるのよね。だから止めない。むしろ、自分もチョコ食べてるし」

 

 ホーネットがまた吹き出しそうになる。

 

「そこだよね!リュウジまで食べてるの、ずるい!」

 

「でも、あれで完全に“今の空気”が共有された」

 クリスタルが静かに言う。

「このチームは、“張り詰める”より“落ち着いて始める”方を選んだ。多分、それがあの編成には合ってる」

 

 エリンは、その言葉に小さく頷いた。

 

「ええ、だから悪くないのよ」

 

 若い乗務員達は、モニターの中のシミュレーションルームを見つめたまま黙っていた。

 

 ほんの少し前まで、自分達は“緊張したらどうするか”“ちゃんとやらなきゃ”という話ばかりしていた。

 けれど今、目の前で行われていたのは、緊張を完全に消すことではなく、“緊張したままでも自分達のリズムに戻す”という、もっとしなやかなやり方だった。

 

 それは、確かに乗務員の仕事に似ていた。

 

 お客様を無理やり落ち着かせるんじゃない。

 不安を否定するんじゃない。

 ただ、その場が大丈夫だと思える温度を作る。

 

「……すごいね」

 マユが小さく言う。

 

「うん」

 サリーも頷いた。

「優しいのに、ちゃんと仕事なんだね」

 

「そう」

 ペルシアが静かに言う。

「それが出来る人って、ほんとに強い」

 

 ステージ上のブースでは、もうシミュレーション開始直前の最終確認に入っていた。

 甘いものの箱は脇へ置かれ、飲み物の話も終わり、各席の端末が待機状態へ揃う。

 

 空気は和らいだまま。

 だが、芯は緩んでいない。

 

 エリンは、その光景をじっと見つめながら、小さく息を吐いた。

 

「見てなさい、ここからが本番よ」

 

 そしてモニターの向こうで、リュウジ達が動き出した。

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