サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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無謀

 

「東の未探索領域の調査を行いたい」

 

 その一言が落ちた瞬間、空気が変わった。

 

 さっきまで店内に流れていた、賑やかなざわめきも、焼き物の匂いも、隣の席の笑い声も、全部が遠くなったように感じた。

 

 エリンも。

 ペルシアも。

 

 言葉を失う。

 

 東の未探索領域。

 

 その名を知らない宇宙事業関係者はいない。

 通称――魔のゾーン。

 別名――パイロット殺し。

 

 無数の隕石群が帯のように、壁のように、時に濁流のように幾重にも連なって流れ続ける危険宙域。

 しかも、その軌道に規則性はない。

 昨日まで開いていた隙間が、今日は閉じる。

 右へ逸れた群が、次の瞬間には左から食い込んでくる。

 通常の観測で見える流れと、実際に中へ入って感じる流れが食い違うことさえある。

 

 一歩でも足を踏み入れたら最後、帰ってきたものはいない。

 

 ――正確には、一人だけいた。

 

 リュウジ。

 

 サヴァイヴから帰還する際、重力嵐に飛ばされ、ネフェリス宇宙船ごと魔のゾーンの中心へ叩き込まれた。

 そして、生還した。

 

 だからこそ。

 

 その場所へ、もう一度自ら行くと言われて、平然としていられるわけがなかった。

 

「……認められないわ」

 

 最初に声を出したのはエリンだった。

 

 低い。

 静かだ。

 けれど、その静かさの奥に、はっきりとした拒絶がある。

 

「私もよ」

 ペルシアが続いた。

「それはダメ。話にならない」

 

 リュウジは、二人の反応を予想していたのだろう。

 表情をほとんど変えなかった。

 

「まだ理由を話していません」

 

「理由を聞いたら認めると思う?」

 エリンが言う。

「思わないわよ。東の未探索領域なんて、そういう話じゃないもの」

 

「そうだよ」

 ペルシアもテーブルに肘をつき、真っ直ぐリュウジを見る。

「あそこは“危ないけど準備すれば何とかなる場所”じゃない。行ったら死ぬ場所。それを一番知ってるの、あんたでしょ」

 

「知ってる」

 リュウジが言った。

「だから言ってる」

 

 エリンの眉が寄る。

 

「なら、なおさらよ、知っているなら、どうしてそんなことが言えるの?」

 

 リュウジは一拍置いた。

 

 それから、二人を正面から見た。

 

「惑星サヴァイヴを見つけたい」

 

 今度こそ、エリンもペルシアも完全に固まった。

 

「……何ですって?」

 エリンの声がわずかに掠れる。

 

 リュウジは視線を逸らさない。

 

「恐らく、魔のゾーンの先にある」

 

 その言葉に、ペルシアが先に我に返った。

 

「ちょっと待って、待って待って。今、何を言った?」

 

「惑星サヴァイヴを見つけたい」

 リュウジはもう一度言う。

「そして、恐らくあの先にある」

 

「“恐らく”で行く気?」

 ペルシアの声が鋭くなる。

「魔のゾーンよ?パイロット殺しよ?そこを越えた先にサヴァイヴが“あるかもしれない”で、あんたまた行くつもりなの?」

 

「あるかもしれない、じゃない」

 リュウジが低く言う。

「可能性は高い」

 

「何を根拠に!?」

 ペルシアが言う。

 

 リュウジは、そこでようやく少しだけ視線を落とした。

 

「俺が帰還した時の記録。ネフェリスのログり重力嵐に流された時の座標のズレ。星図に残っていない重力の偏り。それと、あの時に見えた宙域の配置。断定はできない。けど――」

 

 言葉が切れる。

 

 それでも、その先を押し出すように続けた。

 

「サヴァイヴは、あの先にある可能性が高い」

 

 エリンが、ゆっくりと息を吸った。

 

「……だから?」

 エリンが言う。

「だから見つけに行くの?」

 

「はい」

 リュウジは頷く。

 

「ダメよ」

 エリンは即座に言った。

「それはダメ。認められない。絶対に」

 

 リュウジは静かに受け止める。

 

 だが、引かなかった。

 

「エリンさん。俺は、あの星を見つけたい」

 

「そんなの分かってるわよ!」

 エリンの声が初めて強くなる。

「分かってるから言ってるの!でも、だからって貴方が行っていい理由にはならないわ!」

 

 店内の空気が、さらに張る。

 

 ペルシアも、今度ばかりは茶化さない。

 

「あんた」

 ペルシアが低く言う。

「サヴァイヴを見つけたいのは分かる。分かるけど、それと“行く”は別だ。思いがあるからって、何でも通ると思うな」

 

「通すつもりはない」

 リュウジが言う。

「だから、こうして話してる」

 

「話したからって認めるわけじゃない」

 ペルシアが返す。

 

「分かってる」

 リュウジは言った。

「でも、黙って動くつもりはなかった」

 

「そこだけは正解」

 ペルシアが言う。

「でも、中身が最悪」

 

 エリンは、まだリュウジを見たままだった。

 

「どうして?」

 エリンが静かに言う。

「どうして、そこまでして見つけたいの?何を確かめたいの?」

 

 リュウジは、少しだけ目を細めた。

 

「あの星は、ただの遭難先じゃない」

 リュウジが言う。

「俺達が生きた場所だ」

 

 

 そこでリュウジは一度言葉を切った。

 

「魔のゾーンの先に、本当にサヴァイヴがあるなら、今のまま“なかったこと”にしていい場所じゃない」

 

 ペルシアが苦い顔をする。

 

「……そういう言い方、ずるいのよ。こっちが何も言えなくなるじゃない」

 

「言ってるだろ」

 リュウジはペルシアにだけ、いつもの口調で返した。

 

「言ってるけど!」

 ペルシアが即座に言い返す。

「言ってるけど、それでもダメだって言ってるの!サヴァイヴを見つけたい気持ちは否定しない!でも、あんたがまた魔のゾーンに入るなんて、認められるわけないでしょ!」

 

「俺しか行けない」

 リュウジが言う。

 

「それをやめろって言ってるの!」

 ペルシアがテーブルを軽く叩いた。

「“俺しかいない”って言い方!そうやって何でも背負って、自分が行くのが正しいみたいな顔するのやめて!」

 

「正しいとは思ってない」

 リュウジの声は低い。

「でも必要だ」

 

「必要ない」

 エリンがきっぱりと言った。

 

 その一言は、刃のようだった。

 

「“貴方しか知らない”と“貴方が行くべき”は違う。そこを混同しないで」

 

 リュウジがエリンを見る。

 

 エリンの目は、怒っている。

 でも、それ以上に怖がっていた。

 

「一回、生きて帰ったからって」

 エリンが言う。

「二回目も帰れる保証なんてどこにもない。むしろ、一回目が奇跡だったってどうして思えないの?」

 

「奇跡だったと思ってる」

 リュウジは答える。

「ネフェリスの性能も、重力嵐の抜け方も、あの時の判断も、全部が噛み合っていた。再現性が高いとは言わない」

 

「ならなおさらよ!」

 エリンが言う。

「どうしてそこまでして行くの!また、貴方はそうやって……!」

 

 言葉が切れた。

 

 その先を言えば、別の傷まで開いてしまうと分かっているように。

 

 だが、リュウジは止まらない。

 

「行かなきゃ、ずっと分からないままだ」

 リュウジが言う。

「サヴァイヴが本当にあの先にあるなら、今のうちに可能性を確かめたい」

 

「“確かめたい”で死地に行くの?」

 ペルシアが言う。

「冗談じゃない。見つけたい気持ちは分かる。だけど、見つける前にあんたが帰ってこなかったら何の意味もない」

 

「帰ってくる」

 リュウジが言う。

 

「その前提が軽いの!」

 ペルシアの語尾が跳ねた。

「みんな“帰ってくるつもり”で行って帰ってこなかったの!魔のゾーンは、そういう場所なんだよ!」

 

 その言葉に、リュウジはほんの少しだけ黙る。

 

 だが、諦める気配はなかった。

 

「それでも」

 リュウジが言う。

「俺は行きたい」

 

「行きたい、じゃないでしょ」

 エリンが静かに言う。

「行きたいで済む話じゃない。それはもう、リュウジ一人の願望じゃないもの。行けば、周りも巻き込む。誰が支援するの?誰が待つの?誰が止められなかった責任を背負うの?貴方は、そこまで考えてるの?」

 

「考えてます」

 リュウジは答えた。

 

「足りないわ」

 エリンが言う。

「全然足りない」

 

 その言葉は、冷たかった。

 でも、それは切り捨てる冷たさではない。

 必死に止めるための冷たさだった。

 

「少なくとも、私は反対」

 エリンが言う。

「今ここで、認めるなんて絶対に言わない」

 

「俺も反対」

 ペルシアがすぐ続く。

「しかも全力で、サヴァイヴの話を出されたからって、そこだけは譲らない」

 

 リュウジは、二人を順に見た。

 

 そして静かに言った。

 

「それでも、止まるつもりはありません」

 

 その一言に、今度はペルシアが本気で顔をしかめた。

 

「ほんっとに頑固、そういうところが嫌いなのよ」

 

「嘘つけ」

 リュウジが、ペルシアにだけはいつもの調子で返す。

 

「今それ言う!?」

 ペルシアが睨む。

「そういう軽口で流せる話じゃないでしょ!」

 

「流してない」

 リュウジが言う。

 

「流してるのと同じ!」

 ペルシアがまた言い返す。

 

 エリンは、そんな二人のやり取りを挟まず、ただリュウジを見ていた。

 

「……少なくとも」

 エリンがゆっくり言う。

「今の私は、絶対に認められない。それだけは変わらないわ」

 

 リュウジは、小さく頷いた。

 

「分かっています」

 

「分かってないから言ってるのよ」

 ペルシアがまた呟くように言う。

 

 店のざわめきは変わらない。

 笑い声も、グラスの音も、料理の匂いもそのままだ。

 

 なのに、この三人の席だけ、まるで別の場所みたいに冷えていた。

 

 東の未探索領域。

 魔のゾーン。

 パイロット殺し。

 その先に、サヴァイヴがあるかもしれない。

 

 それは、あまりにも強い言葉だった。

 

 エリンもペルシアも、認められない。

 でも、リュウジも止まらない。

 

 その事実だけが、重く、深く、テーブルの上に沈んでいた。

 

 リュウジは、二人の強い否定を真正面から受け止めながらも、声を落とさなかった。

 

「誤解しないでください」

 リュウジが静かに言う。

「いきなり魔のゾーンを抜けて、その先まで行こうとしているわけではありません」

 

 ペルシアが睨むように顔を上げる。

 

「じゃあ何よ」

 

「魔のゾーンを抜けるための調査」

 リュウジは答えた。

「外縁の流れ方。重力の偏り。隕石群の密度。航路として成立する可能性のある筋を、まず確かめたい。今のままでは、何も分からない」

 

「……調査、ね」

 ペルシアの声は低い。

「言い方を変えただけじゃない」

 

「違う」

 リュウジは、今度はペルシアをまっすぐ見た。

「一人でやる。無茶はしない、深追いもしない。少なくとも最初は、外縁から流れを測るところまでだ」

 

「一人で?」

 エリンの眉が寄る。

「一人だから大丈夫だとでも言うつもり?」

 

「同行者を危険に晒すつもりはありません」

 リュウジが言う。

「だから一人で行きます」

 

「その発想がもう無茶だって言ってるの!」

 ペルシアが声を荒げた。

「一人で行く方が余計に危ないでしょ!あんた、本当に何を言ってるのか分かってる!?」

 

「分かってる」

 リュウジは言う。

「だからこそ、一人で行く」

 

 ペルシアの頬が、酔いの赤みとは別に熱を持ったように見えた。

 

「……っ」

 

 拳が、テーブルの上で小さく震える。

 

 エリンはその横顔を見た瞬間、ペルシアの怒りがただの反発じゃないことを悟った。

 怖いのだ。

 怒っているのは、怖いからだ。

 

「ペルシア……」

 

「トイレ」

 

 ペルシアが、ほとんど噛みつくように言った。

 

 立ち上がる動作も勢いが強い。

 椅子が少し音を立てて引かれ、ジョッキの中のビールがわずかに揺れた。

 

「ちょっと頭冷やしてくる」

 ペルシアが言う。

「今このまま座ってると、私、ほんとに殴るかもしれないから」

 

 そう言い捨てて、ペルシアは振り返らずに歩いていった。

 

 その背中が見えなくなるまで、エリンは黙って見送った。

 

 リュウジも、何も言わない。

 

 店のざわめきは変わらない。

 隣の席の笑い声も、奥から聞こえる皿の触れ合う音も、そのままだ。

 なのに、この席だけが妙に静かだった。

 

 エリンは、目の前に置かれた湯呑みに指先を添えたまま、しばらく口を開かなかった。

 

 やがて、小さく息を吐く。

 

「……分かってあげて」

 

 その声は、さっきまでの強い拒絶とは違っていた。

 静かで、どこか疲れていて、それでも真っ直ぐだった。

 

 リュウジは、少しだけ目を伏せる。

 

「分かっています」

 

「いいえ、分かってないわ」

 エリンは首を横に振った。

「少なくとも、今のリュウジは、ペルシアがどうしてあんなに怒ったのか、全部は分かってない」

 

 リュウジは黙る。

 

 エリンは続けた。

 

「悲劇のフライトで、私とリュウジが傷ついた時。ペルシアは、悲しみの淵にいたのよ」

 

 リュウジの表情が、ほんの少しだけ揺れた。

 

 エリンは、それを見ても言葉を止めなかった。

 

「皆んなを守るために宇宙管理局に行ったのに、それが出来なかったって、ずっと、自分を責めていた。リュウジが助かったあとも、私が動けるようになったあとも、簡単には戻れなかった」

 

 エリンの声は穏やかだった。

 でも、その穏やかさがかえって、あの頃の重さを思い出させる。

 

「ペルシアは強そうに見えるでしょう?実際、強いわ。でも、あの人は、守れなかったことを簡単に流せる人じゃない。表には出さなくても、ずっと抱えるの」

 

 リュウジはテーブルの上の箸袋を見つめたまま、低く言う。

 

「……そうですね」

 

「もし貴方が今度は帰ってこなかったら」

 エリンは、そこで一度言葉を切った。

 

 それを口にするだけで、胸の奥が冷える。

 

 それでも、言わなければならなかった。

 

「ペルシアも、私も悲しむ」

 

 はっきりと、そう言った。

 

 リュウジの指先が、膝の上でわずかに強張る。

 

「私達だけじゃないわ」

 エリンは続けた。

「皆んな、リュウジが思ってる以上にリュウジを見てる。だから、“一人で行くから大丈夫”なんて、そんな言い方で片づく話じゃないのよ」

 

「……片づけるつもりはありません」

 リュウジが言う。

「ただ、誰かを巻き込みたくないだけです」

 

「それがもう違うの」

 エリンは静かに返した。

「巻き込んでるのよ、もう。こうして話をした時点で。リュウジが“行きたい”って言った時点で、私達はもう、巻き込まれてる」

 

 リュウジは言葉を失う。

 

 エリンは、そんな彼を見ながら小さく目を細めた。

 

「リュウジは、昔からそう。自分が抱えればいい、自分が背負えばいいって思ってる。でも、そうじゃない。貴方が勝手に背負おうとするたびに、周りも一緒に背負うことになるのよ」

 

 店員が少し離れた場所で「お待たせしました」と別の席へ料理を置いていく。

 その何でもない日常の音が、今だけ妙に遠く聞こえる。

 

「……俺は」

 リュウジが、ようやく口を開いた。

「サヴァイヴを見つけたいんです」

 

 エリンは何も言わない。

 その先を待つ。

 

「見つけたい、というより……」

 リュウジは言葉を探すように少し黙ってから続けた。

「やりたいんです。カオルはサヴァイヴまでルナ達を連れて操縦するのが夢なんです。なら俺はそこまでの航路を見つけたい」

 

「分かるわ」

 エリンはすぐに言った。

「そこは分かる。私だって、リュウジ達がいたあの星を、ただの遭難先だったなんて思っていない。でも」

 そこでエリンは少しだけ身を乗り出した。

「分かることと、認めることは違うの」

 

 リュウジは顔を上げる。

 

「私は、リュウジの気持ちを否定しない。でも、そのために貴方が魔のゾーンに入ることは、やっぱり認められない」

 

「……エリンさん」

 

「ごめんなさい」

 エリンは先に言った。

「これは譲れない。今の私には、どうしても“行ってきて”なんて言えない」

 

 その言葉は、拒絶でありながら、祈りにも近かった。

 

 リュウジはその重さを受け止める。

 受け止めた上で、まだ諦めていない顔をしている。

 

 エリンは、それを見て小さく苦笑した。

 

「ほんとに、止まらないのね」

 

「……止まれません」

 リュウジが答える。

 

「ええ、知ってる」

 エリンは言った。

「だから困ってるのよ」

 

 その時だった。

 

 少し乱暴に足音が戻ってくる。

 

 ペルシアだった。

 

 さっきほど顔は赤くない。

 たぶん、本当に水で顔でも洗ったのだろう。

 でも、目の奥にある熱はまだ消えていなかった。

 

「……少しは落ち着いた?」

 エリンが聞く。

 

「落ち着いた」

 ペルシアが答える。

「でも、賛成はしない。そこは一ミリも変わってないから」

 

 リュウジは、ペルシアの顔を見て静かに言う。

 

「そうだろうな」

 

 ペルシアは、そんな彼をじっと見つめてから、低く言った。

 

「……リュウジ」

「あんたがサヴァイヴを大事に思ってるのは分かる。分かるし、そこは茶化さない。でも、だからこそ聞く」

 

 店の喧騒の中で、その声だけが妙に真っ直ぐ通る。

 

「サヴァイヴを見つけるために、今ここで自分を失う価値があるの?私には、そうは思えない」

 

 リュウジは少しだけ黙った。

 

 エリンも何も言わない。

 今は、ペルシアの言葉を最後まで聞くべきだと思ったからだ。

 

「私、あの時」

 ペルシアが言う。

「悲劇のフライトの時、本当に嫌だったの。宇宙管理局に行って、皆んなを守る側に立ったつもりでいたのに。結局、何も守れなかった」

 

 その声は、怒っているのに、どこか掠れていた。

 

「だから、今度は嫌なの。また“分かってたのに止められなかった”ってなるの。そんなの、私はもう嫌」

 

 エリンが静かに目を伏せる。

 

 ペルシアは、ジョッキに残ったビールを一口だけ飲んでから、テーブルへ戻した。

 

「もし貴方が今度は帰ってこなかったら」

 ペルシアが言う。

「私は絶対、また自分を責める。エリンもきっと、そうなる。だから反対。理屈じゃなく、反対」

 

 その言葉に、リュウジはようやく本当に言葉を失ったようだった。

 

 反対されることは予想していた。

 でも、ここまで真正面から、感情ごと置かれると、簡単には返せない。

 

「……悪い」

 しばらくして、リュウジが小さく言う。

 

「謝ってほしいわけじゃない」

 ペルシアはすぐに返した。

「止まってほしいの」

 

 リュウジは沈黙する。

 

 エリンが、その沈黙の中でゆっくり言った。

 

「少なくとも、今ここで許可は出ない。それは変わらないわ」

 

「ええ」

 ペルシアも頷く。

「全力で反対。サヴァイヴの名前を出されても、そこは譲らない」

 

 リュウジは、二人を交互に見た。

 

 そして、静かに言う。

 

「……それでも、考えは変わらない」

 

 ペルシアが小さく目を閉じる。

 

「ほんとに頑固」

 

「知ってるでしょう?」

 リュウジが、ペルシアにだけはいつもの調子で返した。

 

「知ってるよ」

 ペルシアは苦く笑った。

「だから余計に厄介なの」

 

 エリンは二人のやり取りを見て、胸の奥に重いものが沈むのを感じていた。

 

 サヴァイヴ。

 魔のゾーン。

 リュウジの決意。

 ペルシアの恐怖。

 自分自身の恐怖。

 

 全部が絡み合って、簡単に解ける話ではない。

 

 それでも、今はまだ答えを出せない。

 

 認められない。

 でも、止まらない。

 

 その膠着が、店の喧騒の中で異様なほど鮮明に浮かび上がっていた。

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

「とりあえず今日は帰る!」

 

 ペルシアが、半ば言い切るようにそう言った。

 

 さっきまでの二次会めいた空気は、もう残っていない。

 ビールの酔いも、途中からほとんど飛んでいた。

 

 エリンはリュウジを見た。

 

 テーブルの上には、食べ終えた皿がいくつも重なっている。けれど、その光景の妙な生活感さえ、今はこの場の張り詰めた空気を和らげるには足りなかった。

 

「……少し考えて」

 

 エリンが静かに言う。

 

 強い否定でも、慰めでもない。

 ただ、それだけを置くように。

 

 リュウジはその言葉を受け止め、ほんの少しだけ目を伏せた。

 

「はい」

 

 それ以上は言わない。

 今ここで言葉を重ねても、もう前へは進まないと分かっているのだろう。

 

 ペルシアは席を立つと、リュウジの方を見ずに伝票をつかんだ。

 

「今日は私が払う……あんたはもう少し、その頭冷やしなさい」

 

「分かった」

 リュウジが言う。

 

 その返事に、ペルシアは小さく舌打ちしそうな顔をした。

 

「そういうとこよ。素直に返されると、余計腹立つの」

 

 エリンが小さく息を吐く。

 

「ペルシア」

 

「分かってるわよ」

 ペルシアがぶっきらぼうに言う。

「これ以上は店の人に迷惑」

 

 そうして二人は席を立ち、リュウジを残して店を出た。

 

 引き戸が閉まる直前、エリンは一度だけ振り返った。

 リュウジは席に座ったまま、もうこちらを見てはいなかった。テーブルの上の空いた湯呑みに手を添え、何かを考え込むように視線を落としている。

 

 あの顔を、エリンは知っている。

 

 ああいう時のリュウジは、止まっているように見えて、止まっていない。

 自分の中で、もう次の一手を考えている。

 

 だからこそ、怖かった。

 

 

 外へ出ると、夜の空気が少しだけ冷たかった。

 

 夜景はどこか人工的に整いすぎていて、だからこそ逆に、今のエリンとペルシアの感情には馴染まなかった。店から漏れる灯り、通りを歩く人影、上空を静かに流れていく輸送艇の光。それらは穏やかな夜のはずなのに、二人の間にはまだ、店の中の重さがそのまま残っている。

 

 しばらく、どちらも口を開かなかった。

 

 ヒールの音と、ペルシアの少し早い足音だけが並ぶ。

 

 最初に沈黙を破ったのはペルシアだった。

 

「……本気ね」

 

 エリンは前を見たまま答える。

 

「ええ、本気」

 

「いつかは言い出すんだろうって分かってたけど、改めて聞くと最悪だわ」

 ペルシアが吐き捨てるように言う。

「東の未探索領域、魔のゾーン。しかも、サヴァイヴを見つけたいからって」

 

 その言葉の中には怒りがある。

 でも、それだけじゃない。

 

「言われた瞬間、ほんとに酔いが飛んだ」

 ペルシアが言う。

「一気に醒めた」

 

「私もよ」

 エリンは静かに言った。

 

 二人の歩幅は、自然と少しずつ揃っていく。

 

「……でも」

 ペルシアが少しだけ声を落とす。

「分からないわけじゃないのよね」

 

 エリンは、そこで小さく目を伏せた。

 

「ええ」

 

「サヴァイヴを見つけたいって気持ちは、分かる」

 ペルシアが言う。

「リュウジにとっては“たまたま漂着した星”だけじゃない。分かるから、余計にタチ悪い」

 

「そうね」

 エリンが言う。

「ただの無茶なら、もっと簡単に切れるのに」

 

 ペルシアが苦く笑った。

 

「でしょ?“見つけたい理由”がちゃんとしてるのが厄介なのよ。しかも本人が、実際に魔のゾーンから帰ってきた唯一の人間だし」

 

「だから、余計に止まらない」

 エリンが言った。

 

 少しだけ風が強くなった。

 エリンは前髪を耳へかける。

 

「リュウジって」

 ペルシアがぽつりと言う。

「本当に、一度“行く意味がある”って思ったら止まらないわよね」

 

「ええ」

 エリンは頷く。

「自分の中で筋が通ってしまうと、止まれない人だもの」

 

「しかも、筋が通ってるから周りも完全には否定しきれないのが最悪」

 ペルシアが言う。

「ただの無謀ならまだ怒りやすい。でも、サヴァイヴって言われると……ね」

 

 エリンは返事をしなかった。

 代わりに、少しだけ歩く速度を落とす。

 

 彼女の胸の中にも、同じものがあったからだ。

 

 サヴァイヴ。

 あの星の名前を聞けば、色々な感情が一緒に揺れる。

 悲しさ。

 懐かしさ。

 失ったもの。

 でも、確かに生きた時間。

 

 リュウジがそこに執着する理由を、エリンは誰より分かってしまう。

 だからこそ、否定しきれない。

 でも、だからといって、魔のゾーンに行かせられるわけがない。

 

「……私ね」

 エリンがようやく口を開く。

「サヴァイヴを見つけたいって言葉だけなら、否定しないの」

 

「うん」

 ペルシアも頷く。

 

「見つけたいわよ、私だって」

 エリンは静かに言った。

「もし本当にあの先にあるなら、確かめたい。でも、それと“リュウジが行く”は別なのよ」

 

「そう」

 ペルシアが言う。

「そこをあいつ、分かってるようで分かってない。“俺しか知らない”“俺しか行けない”って、またああいう考えになる」

 

「ええ」

 エリンの声は低かった。

「いつもそう。自分が背負えば済むと思ってる。でも、背負われる側はそうじゃない」

 

 ペルシアは、そこで少しだけ顔をしかめた。

 

「……あいつ、一人で行くかも」

 

 その一言に、エリンの指先がわずかに強張る。

 

「私もそう思った」

 

 エリンは足を止めた。

 

 ペルシアは視線を少し逸らした。

 それが答えみたいなものだった。

 

「……ねぇ」

 ペルシアが静かに言う。

「もし、今度こそ帰ってこなかったらって考えた?」

 

 エリンは、返事をしなかった。

 しなかったのではなく、出来なかった。

 

 考えたくない。

 でも、考えてしまう。

 それがどれだけ恐ろしいことかも分かっている。

 

「私は嫌」

 ペルシアが続ける。

「ほんとに嫌。また“分かってたのに見送った”ってなるの。そんなの、もう耐えられない」

 

「私もよ」

 エリンがやっと言った。

 声が、少しだけ掠れていた。

「耐えられない」

 

 少しの沈黙。

 

 遠くで、酔客の笑い声が上がる。

 何でもない夜の音なのに、妙に現実感がなかった。

 

「だから、明日」

 ペルシアが歩き出しながら言う。

 

 エリンも並んで歩く。

 

「局長には話をしてみる」

 

 エリンが顔を上げる。

 

「……そうね」

 

「もう私達だけで抱える話じゃない」

 ペルシアが言う。

「リュウジの性格も、魔のゾーンの危険性も、サヴァイヴの話も、全部含めて、上には上で、止め方を考えてもらわないと」

 

「ええ」

 エリンが頷く。

「少なくとも、正式な枠組みの中へ入れないと。このままだと、本当に勝手に動きかねないもの」

 

「でしょ」

 ペルシアが言う。

「“ちゃんと段階を踏め”っていう首輪を付けさせないと」

 

「首輪って言い方」

 エリンが少しだけ苦笑した。

 

「でもそういうことでしょ」

 ペルシアが言う。

「好きに飛び出させないための。それでも、完全には安心できないけど」

 

「……そうね」

 エリンは認める。

 

 リュウジは、きっと簡単には引かない。

 局長に話しても、正式な資料を出させても、それで全部が終わるとは思えない。

 

 でも、何もしないよりはずっといい。

 少なくとも、彼が“自分一人の判断”で前へ出ようとするのを、少しでも遅らせられる。

 

「局長、なんて言うかしら」

 エリンが小さく言う。

 

「頭抱えるわよ、きっと」

 ペルシアが即答した。

「で、“なんでこんな話を持ってくるんだ”って私に言う。でも、持ってくわ。言われても持ってく」

 

「ええ」

 エリンは頷く。

「その方がいい」

 

 ペルシアは少しだけ空を見上げた。

 

「はーあ……二次会のつもりだったのになぁ」

 

「十分、濃い二次会だったじゃない」

 エリンが言う。

 

「濃すぎるのよ」

 ペルシアが言った。

「もう少し、こう……焼き鳥食べながらくだらない話で終わりたかったわ」

 

「それは私も同感」

 エリンが少し笑う。

 

 ほんの少しだけ、空気がやわらぐ。

 

 でも、そのやわらぎの奥にはまだ重いものが残っている。

 

 魔のゾーン。

 サヴァイヴ。

 リュウジの決意。

 自分達の恐怖。

 

 どれも簡単に片付くものじゃない。

 

 エリンは歩きながら、ふと呟くように言った。

 

「……少し考えて、って言ったけど、たぶん、リュウジは今夜ずっと考えるでしょうね」

 

「ええ」

 ペルシアが言う。

「で、考えた結果、さらにやる気になる可能性もある」

 

「ありそうね」

 エリンが苦く笑う。

 

「ほんとに厄介」

 ペルシアが言う。

「でも」

 少しだけ間を置いて続ける。

「放っておけないのよね」

 

 エリンは、その言葉に何も返さなかった。

 返す必要もなかった。

 

 同じことを思っていると、分かっていたから。

 

 夜の道を、二人は並んで歩いていく。

 明日、局長へ話す。

 そこからまた、別のやり取りが始まるだろう。

 

 今夜はまだ終わらない。

 でも、少なくともこの問題は、もう二人とリュウジだけのものではなくなり始めていた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 翌朝。

 

 宇宙管理局本部は、前日の探索シュミレーションの熱が嘘みたいに、いつもの朝の顔へ戻っていた。

 

 長い廊下を行き交う職員達。

 端末を片手に足早に移動する技術班。

 各フロアから聞こえてくる報告の声。

 大型モニターには各宙域の気象データと航路状況が並び、何事もなかったみたいに“今日の仕事”が始まっている。

 

 その中で、ペルシアだけは珍しく機嫌が悪かった。

 

 他人に当たり散らすほどではない。

 でも、分かる人には分かる程度に眉間の皺が深く、歩く速度が少しだけ速い。

 

 昨夜、リュウジから聞かされた話。

 東の未探索領域――魔のゾーン。

 その先にあるかもしれない、惑星サヴァイヴ。

 

 その全部が、一晩経っても喉の奥に刺さったまま抜けていなかった。

 

「統括官、おはようございます」

 フレイが軽く会釈する。

 

「……おはよう」

 ペルシアは返したものの、声は少し低かった。

 

 フレイが一瞬だけその顔を見る。

 

「局長のところですか?」

 

「ええ」

 ペルシアは短く答えた。

「今のうちに話しといた方がいいと思って」

 

「そう」

 フレイはそれ以上踏み込まない。

 ただ、少しだけ柔らかい目をする。

「コーヒー、持っていきましょうか?」

 

「いらない」

 ペルシアは言ってから、一拍置く。

「……やっぱり持ってきて、濃いやつ」

 

「分かりました」

 フレイがわずかに口元を緩めた。

 

 

 局長室の扉の前で、ペルシアは一度だけ呼吸を整えた。

 

 昨日、エリンの前ではかなり感情が出た。

 リュウジ相手にも、だいぶ強く言った。

 でも、局長に持っていくなら順番が違う。

 

 怒りや恐怖だけではなく、事実と危険性と、最悪の想定まで含めて話さなければならない。

 

 コンコン、と扉を叩く。

 

「どうぞ」

 

 返ってきた声は落ち着いていた。

 いつもの局長の声だ。

 ただ、今日はほんの僅かに柔らかい。

 

 ペルシアが中へ入ると、局長は机の上の書類から顔を上げた。

 

「朝から珍しいな」

 局長が言う。

「昨日のシュミレーションの報告なら、午後でもよかっただろう」

 

「報告っていうより相談」

 ペルシアは言った。

 

 その言い方に、局長の目が少し細くなる。

 

「重い話か」

 

「かなりね」

 

 局長は黙って向かいの席を示した。

 ペルシアが座る。

 ちょうどその時、フレイがノックをして入り、濃いコーヒーを一つ置いて、何も言わずに出ていった。

 

 局長は、その様子を見てから言う。

 

「で?」

 

 ペルシアは局長をまっすぐ見た。

 

「リュウジが、東の未探索領域――魔のゾーンの調査をしたいって言ってる」

 

 局長の表情は変わらなかった。

 でも、ペルシアには分かった。

 その内側で何かが一瞬止まったことを。

 

「……理由は?」

 局長がゆっくり聞く。

 

「惑星サヴァイヴを見つけたい」

 ペルシアは言う。

「恐らく、魔のゾーンの先にある可能性が高いって本人は考えてる。帰還時のネフェリスの航行ログ、重力嵐の偏差、当時の星図にない流れ、それを根拠にしてた」

 

 局長はしばらく黙っていた。

 

 窓の外には、ロカA2の朝の光が薄く差している。

 机の上の端末には今日のスケジュールが並んだままだが、局長はもうそれを見ていなかった。

 

「……気をつけた方がいいな」

 局長がやがて言った。

 

 ペルシアは少しだけ眉を寄せる。

 

「気をつける?」

 

「東の未探索領域は、宇宙開発が始まってからずっと、何も分かっていない場所だ」

 局長の声は低く、慎重だった。

「危険だ、近づくな、という共通認識だけがあって、実態はほとんどブラックボックスのまま放置されてきた。だからこそ、もしその話が役員や宇宙連邦連盟に聞かれたら」

 一拍置く。

「無理にでも調査をしろ、と言いかねない」

 

 ペルシアは、そこで初めてはっきり目を見開いた。

 

「……そっち?」

 

「そっちだ」

 局長は言う。

「“分からない危険宙域の先に、有人生存実績のある惑星があるかもしれない”しかも、それを実際に通過して帰ってきた唯一の人間がいる。そうなれば、上は黙っていない。危険性を理解して止める者より、可能性に飛びつく者の方が多い」

 

 ペルシアは、じわりと背中が冷えるのを感じた。

 

 昨夜までは、まだ個人の無茶に近い話だと思っていた。

 危険で、感情的で、止めるべきもの。

 もちろんそれは今も変わらない。

 でも、局長の言葉は別の怖さを持っていた。

 

 もしこの話が“個人の執着”ではなく、“宇宙開発上の未踏課題”として上に拾われたら。

 もし役員や連盟が、利益や名誉や歴史的意義を見たら。

 リュウジ個人の暴走では済まなくなる。

 

「……最悪」

 ペルシアがぽつりと言う。

 

「最悪だ」

 局長はあっさり頷いた。

「だからこそ、話の持っていき方を間違えるな。感情論だけで止めようとすれば、逆に“宇宙管理局は保守的すぎる”と取られる。かといって、軽く扱えば本当に動き出す。かなりまずい話だ」

 

 ペルシアはコーヒーに手を伸ばし、一口飲んだ。

 濃い。

 苦い。

 でも、その苦さが今はちょうどよかった。

 

「局長は、どう思う?」

 ペルシアが聞く。

「私は反対。エリンも反対。でも、あいつは止まらない。しかも、このまま押し込めたら黙って一人で動くかもしれない。でも、正直、それすら嫌」

 

 局長はペルシアを見た。

 

「お前はどうしたい?」

 

 その問いに、ペルシアはすぐには答えられなかった。

 

 反対は反対だ。

 それは本当だ。

 

 魔のゾーンにリュウジを行かせたくない。

 サヴァイヴを理由にされたところで、その気持ちは揺らがない。

 

 でも。

 

 完全に押し込めて、黙って飛ばれるのも嫌だった。

 何も知らないまま、後から“行っていた”と聞かされる未来はもっと嫌だ。

 それに、もし本当にサヴァイヴがあの先にあるなら――その可能性を、全部無視していいのかと問われれば、それも簡単には言えない。

 

「……反対は反対なんだけど」

 ペルシアが口籠る。

 

 局長はその様子を見て、ほんの少しだけ目元を和らげた。

 

「迷ってるな」

 

「迷うに決まってるでしょ」

 ペルシアは苦く笑う。

「止めたいに決まってる。でも、止め切れない。それに、もし本当にあいつが行くなら、せめて宇宙管理局の目の届く範囲に置きたい」

 

「そうだろうな」

 局長は静かに言った。

 

 そして、机の上で指を軽く組む。

 

「もし実行するのであれば」

 局長がゆっくり言う。

「宇宙管理局として、全力で支援しなさい」

 

 ペルシアは、はっきりと目を見開いた。

 

「……いいの?」

 

 局長はすぐには答えなかった。

 

 窓の外へ一瞬だけ視線を向け、それからまたペルシアを見る。

 

「よく聞け」

 局長の声は落ち着いていた。

「“行け”と言ってるわけじゃない。“やらせろ”と言ってるわけでもない。ただ、もし止めきれずに実行段階へ入るなら、個人の無茶として放り出すな。宇宙管理局が責任を持って管理しろ、という意味だ」

 

 ペルシアは黙って聞く。

 

「隠れて行かれるのが一番まずい」

 局長は続けた。

「リュウジが一人でネフェリスを出して、誰にも見送られず、誰にも管理されず、撤退ラインもなく、通信も支援も曖昧なまま入る。それが最悪の形だ」

 

「……うん」

 ペルシアが小さく返す。

 

「だから、もし本当に動くなら」

 局長は言う。

「観測班、航路解析班、重力気象班、機関整備班、医療支援班、全部を噛ませろ、ログの再解析も、外縁観測の再配置も、撤退条件の設定も、単独判断にさせるな。やるなら徹底的に縛る。その上で、それでもなお“行く価値がある”と組織として認めるかどうかを判断する」

 

 ペルシアは、そこでようやく局長の意図を正しく飲み込んだ。

 

 許可ではない。

 支援の約束でもない。

 だが、“もしそうなるなら、個人の衝動のままにはさせない”という、組織側の覚悟ではある。

 

「……局長」

 ペルシアが言う。

「それってつまり、最初から可能性をゼロにはしてないってことよね」

 

 局長は、少しだけ考えるようにしてから答えた。

 

「ゼロに出来るなら、したい。東の未探索領域は、そのくらい危険だ。本音では反対だよ。だが、現実としてリュウジのような人間がいて、サヴァイヴの可能性があり、しかも上に知られたら政治案件に変わる。その状況で、“感情的にダメだ”だけでは長く持たない」

 

 その言葉は重かった。

 

 ペルシアはカップの縁に指を添えたまま、しばらく黙る。

 

「……あいつ、本当に面倒」

 ペルシアが小さく言う。

 

「今さらか」

 局長がほんの少しだけ口元を動かす。

 

「今さらだけど」

 ペルシアは息を吐く。

「サヴァイヴを見つけたいって言われたら、完全には切れない。でも、行かせたくもない。最悪」

 

「だから、お前に聞いた」

 局長が言う。

「お前はどうしたいのか、と」

 

 ペルシアは少しだけ視線を泳がせた。

 

 どうしたいか。

 そんなの、本音は一つだ。

 

 止めたい。

 やめてほしい。

 サヴァイヴがどうであれ、魔のゾーンなんかに二度と近づいてほしくない。

 

 でも、その一方で。

 

 もし本当に、あの先にサヴァイヴがあるなら。

 もし本当に、リュウジがそこへ向かう理由を持ってしまっているなら。

 全部を蓋するだけでは、たぶん終わらない。

 

「……止めたい」

 ペルシアが、ようやく言った。

「本音は、反対。今でも、そこは変わらない」

 

「だろうな」

 局長が言う。

 

「でも」

 ペルシアは続ける。

「もし本当にやる流れになるなら、絶対に一人で行かせたくない。宇宙管理局の管理外で動かしたくない。ちゃんと縛って、ちゃんと見て、ちゃんと止められる形にしないと嫌」

 

 局長は小さく頷いた。

 

「それでいい」

 

「いいの?」

 ペルシアが、また同じことを聞く。

 

「いい」

 局長は答えた。

「お前が反対であることと、組織として最悪を避けるための準備を進めることは両立する。むしろ、そうでなければならない」

 

 ペルシアはそこで、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 

 許可ではない。

 でも、何もかも自分一人で抱えなくていいと分かっただけで、少しだけ息がしやすくなる。

 

「まず何をする?」

 ペルシアが聞く。

 

「リュウジに正式な計画書を書かせろ」

 局長が即答する。

「感情や経験則ではなく、観測仮説、危険度評価、撤退条件、成功条件、支援要求、その全部を文書で出させる。ネフェリスの帰還ログも解析班へ回す。ただし、話はまだ限定しろ。役員にも、連盟にも、今は上げるな。噂で漏れたら面倒になる」

 

「分かった」

 ペルシアが頷く。

 

「それと」

 局長が続ける。

「エリンにも共有しておけ、情で止める役と、現実で縛る役、両方必要だ」

 

 ペルシアが、少しだけ苦く笑う。

 

「エリンは、たぶん今日も反対するよ」

 

「当然だ」

 局長は言う。

「それでいい。誰かが“嫌だ”と言い続けることも必要だ。そういう声がなくなると、人はすぐに無茶を正当化する」

 

 その言葉に、ペルシアは静かに頷いた。

 

 たしかにそうだ。

 自分も昨日、途中で感情に引っ張られて「私もネフェリスに乗る」と口走った。

 あれは本気だった。

 だからこそ、危なかった。

 

 エリンが止めてくれなければ、あのまま話が別の方向へ転がっていたかもしれない。

 

「……局長」

 ペルシアが言う。

「もし、本当に魔のゾーンの先にサヴァイヴがあるとしたら」

 

 局長はすぐには答えなかった。

 

「その時は」

 局長がゆっくり言う。

「宇宙開発の歴史が動く、そして同時に、多くの人間がそこへ群がる。だからこそ、余計に慎重でなければならない」

 

 ペルシアは、その重さを受け止める。

 

 サヴァイヴは、リュウジ達にとっては帰れなかった星であり、生きた星であり、忘れられない場所だ。

 だが、それが“見つかる価値のある惑星”として世の中へ出た瞬間、別の欲望が一気に乗る。

 

 資源。

 航路。

 居住可能性。

 宇宙連邦連盟の名誉。

 企業の利益。

 歴史的発見。

 

 ロマンだけでは済まない。

 

「だから、気をつけた方がいい」

 局長が、最初の言葉をもう一度繰り返した。

「リュウジ個人の問題として見ているうちは、まだ小さい。だが、話が外へ広がった途端に、別の手で動かされる。その前に、こちらで握れ」

 

「……うん」

 ペルシアは深く頷いた。

 

 もう、ただ反対して怒っているだけでは駄目だ。

 止めるにしても、支えるにしても、先に枠を作らなければならない。

 

 局長は最後に言った。

 

「お前は、反対の立場でいろ。その上で、逃げ道も潰せ。それが今の最善だ」

 

 ペルシアは立ち上がった。

 

「分かった。じゃあ、まずはエリンと話して、リュウジに計画書を書かせる」

 

「そうしろ」

 局長が言う。

「ただし、急がせすぎるな。焦った計画は、だいたい死ぬ」

 

「うん」

 ペルシアは答えた。

 

 扉の前まで行き、ふと足を止める。

 

「局長」

 

「なんだ?」

 

「……ありがとう」

 ペルシアが言う。

「正直、もう少し“絶対ダメだ”で切られるかと思ってた」

 

 局長は、机の上の書類へ視線を戻しながら言う。

 

「切れるなら切ってる。だが、切れない話もあるんだよ」

 

 その言葉は、やけに現実的だった。

 

 ペルシアは小さく苦笑して、局長室を後にした。

 

 

 廊下へ出ると、さっきより少しだけ足取りが軽くなっている自分に気づく。

 

 状況は何も好転していない。

 むしろ、見えた危険は増えたくらいだ。

 

 でも、少なくとも進め方は見えた。

 

 感情だけで止めるのではなく、形にさせる。

 リュウジの衝動を、組織の枠へ押し込む。

 その上で、誰がどこまで許容できるかを見極める。

 

「……ほんとに面倒」

 ペルシアが小さく呟く。

 

 でも、そう言いながら、口元にはかすかな苦笑もあった。

 

 あいつは止まらない。

 だから、止まらないなら止まれないなりに、こちらで縄をかけるしかない。

 

 エリンには何て言おうか。

 たぶん、顔をしかめるだろう。

 それでも必要な話だ。

 

 そして、リュウジには――。

 

「計画書、地獄みたいに細かく書かせてやる」

 

 ペルシアは、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 少なくとも、簡単には前へ進ませない。

 進むなら、全部を晒させる。

 そのくらいはしてやるつもりだった。

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