サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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女子会

 

 端末の画面には、組み直しかけの編成表が並んでいた。

 

 ミラを前に出す便。

 ランを後ろに置き、シルヴィアを中央導線へ入れる便。

 ユウコとナツキを繋ぎへ置き、クミコとアズサ、ミドリ、サリー、ハズキ、マユを後方支えとして振り分けた便。

 

 そこから、自分の名前を外す。

 

 そのたびに、胸の奥が小さく軋んだ。

 でも、呼吸は前より深く入っていた。

 

 怖い。

 それでも、任せる。

 それが今の自分に必要なことだと、サラにはっきり言われたからだ。

 

 エリンは、一つの便を保存し、次の便へ移ろうとした。

 

 その時だった。

 

 端末が震えた。

 

 表示された名前を見て、エリンは一瞬だけ目を細める。

 

「……タツヤ班長?」

 

 こんな時間に珍しい。

 しかも、ただの思いつきで掛けてくる人ではあるけれど、夜遅い時間の連絡は何かしら理由がある時が多い。

 

 エリンは少しだけ姿勢を正し、通話を取った。

 

「もしもし」

 

『おう、エリンか』

 聞き慣れた声だった。

 どこかのらりくらりとしていて、力が抜けているように聞こえるのに、芯がある。

『遅くに悪いねぇ。まだ起きてた?』

 

「起きてます」

 エリンは答えた。

「班長こそ、どうしたんですか?」

 

 すると、いつもの軽い返しが来るかと思ったのに、電話の向こうのタツヤ班長は妙に含みのある沈黙を置いた。

 

『……いやぁ』

 少し間の抜けたような、でも珍しく歯切れの悪い声だった。

『ちょっとねぇ、聞きたいことと、伝えたいことがあってさ』

 

 その言い方に、エリンは思わず端末を持ち直した。

 

 何だろう。

 仕事の話ではなさそうだ。

 でも、いつもの雑談とも少し違う。

 

「何かあったんですか?」

 エリンが問う。

 

『いや、うーん……』

 タツヤ班長が、そこでなぜか咳払いをした。

『真面目に答えてほしいんだけど』

 

 その前置きが妙に神妙で、エリンも自然と声を引き締める。

 

「はい、分かりました」

 

 すると次の瞬間、班長の声色が少しだけ変わった。

 

『ユイがさ、乗務員になりたいって言い出したんだよねぇ』

 

 エリンは数秒、言葉を失った。

 

「……は?」

 

『しかも、エトワール養成学校に行きたいんだって』

 タツヤ班長は続ける。

『急にだよ? 急に。いや、急じゃないのかもしれないけど、こっちからしたら急じゃん?』

 

 エリンは無言で額に手を当てた。

 

「……何ですか、それ」

 

『何ですかって、こっちが聞きたいよぉ』

 タツヤ班長の声音が一気に崩れる。

『エトワールって五年間、寮生活だろ?会えないの寂しいじゃんか。まだユイ、うちで普通に飯食ってさ、普通にただいまって帰ってくるのにさ、それがいきなり五年って、長すぎない?』

 

「知りませんよ、そんなの」

 エリンは呆れたように言う。

「娘離れしてください」

 

『冷たっ』

 タツヤ班長が言う。

『いや、でもさぁ。エリン、エトワール卒業生だろ?しかも、ちゃんとやりきった側だろ?意見を聞きたいんだよぉ……』

 

 最後の方は、少し本気で泣きが入っていた。

 

 エリンは思わず深くため息をつく。

 

「班長、本気で泣かないでください」

 

『泣くよぉ』

 タツヤ班長は情けない声で言う。

『だって寂しいじゃんか、しかもあの子、“ちゃんと一人でやりたい”とか言うんだよ?そんなの応援しろってことだろうけどさぁ、分かってるけどさぁ……』

 

 エリンは額に当てた手をそのままに、天井を仰いだ。

 

 この人はこういうところがある。

 普段は適当に流しているようでいて、妙に情が深い。

 自分の娘のこととなればなおさらだ。

 

「……班長」

 エリンが言う。

「ユイは、真面目な子です。軽い気持ちで言っているなら、そんなふうに“エトワール”まで出してこないと思います。ちゃんと考えて、ちゃんと調べた上で言ってるんじゃないですか」

 

『それは、そうかもしれないけどさぁ』

 

「それに」

 エリンは続ける。

「エトワールは厳しいです。寮生活も楽じゃないし、五年って長いです。でも、そこまでして行きたいって思えるなら、たぶんもう半分は決めてるんですよ。班長が寂しいのと、ユイの進路は別です」

 

『うわぁ』

 タツヤ班長が小さく呻いた。

『正論で殴ってくるねぇ……』

 

「聞きたいって言ったのは班長でしょう」

 エリンが返す。

 

『そうなんだけどねぇ』

 班長は少しだけ笑った。

『いや、でも、うん……そうか。そうだよなぁ。ユイ、ああ見えて決めたら頑固だもんなぁ』

 

「班長譲りですね」

 エリンが言う。

 

『それ、褒めてる?』

 

「褒めてません」

 

『ひどいなぁ』

 

 そのやり取りで、電話の向こうの空気が少しだけ緩んだ。

 エリンの胸の中にも、わずかに笑う余地が戻る。

 

 だが、そこでタツヤ班長の声が不意に変わった。

 

 さっきまでの情けない父親の声ではない。

 のらりくらりとした調子は残っているのに、芯だけがぐっと定まる。

 

『で』

 班長が言う。

『ここからが、伝えたいことなんだよねぇ』

 

 エリンは、自然と姿勢を正した。

 

「……はい」

 

『最近さ、リュウジと、たまに仕事してるんだよ』

 

 エリンの指先が止まる。

 

「仕事?」

 少しだけ聞き返した。

 

『うん。今の配送の方でさ』

 班長が言う。

『向こうも暇してる時間がある時に手伝いみたいなことしてくれることがあって、まあ、ずっと一緒ってわけじゃないけど、顔合わせる機会がちょいちょいあるんだ』

 

 エリンは黙って聞いていた。

 

『で、見てるとさ』

 班長が続ける。

『最近、どこか思い詰めた顔してるんだよねぇ。表向きは変わらないよ? ちゃんと動くし、ちゃんと仕事もする。でも、昔から見てると分かるんだよ。ああ、今ちょっと深いところで考え込んでるなって顔』

 

 エリンは小さく息を呑んだ。

 

 自分だけじゃない。

 やはり、そう見えていたのか。

 

『エリンならさ』

 タツヤ班長の声は静かだった。

『そういう時、どうすればいいか分かるだろうって思って』

 

 エリンは、少しだけ目を伏せた。

 

 どうすればいいか。

 その問いに、今の自分は即答できない。

 

 少しの沈黙のあと、エリンは低く言った。

 

「……認めない、と言いました」

 

『ん?』

 

「リュウジが東の未探索領域の調査をしたいと話がありました。」

 エリンは続ける。

「私は、認めないと言いました。本音も聞きました。それでも、認めないと」

 

 電話の向こうで、タツヤ班長はすぐには答えなかった。

 

 のらりくらりとした人だ。

 でも、必要なところでは、ちゃんと間を取る。

 

『そっかぁ』

 やがて、班長がぽつりと言う。

『そう言ったんだねぇ』

 

「はい」

 

『で、それは』

 班長が少し声を落とす。

『東の未探索領域だから、駄目なのかい?』

 

 エリンは眉を寄せた。

 

「……どういう意味ですか」

 

『いやぁ』

 タツヤ班長が少しだけ笑う。

『過去にはさ、北や南の未探索領域の調査だってあったでしょう。ブライアンの救出と俺の救出もあった。エリン自身だって、救われたことがあったでしょ』

 

 その言葉に、エリンの胸が小さく揺れる。

 

 たしかにそうだ。

 

 未探索領域の任務は、今回が初めてじゃない。

 西も、北も、南も、それぞれ違う危険を抱えていた。

 ブライアンの救出だって、決して安全な任務ではなかった。

 タツヤ班長自身が危険な現場へ出ていた時もある。

 そして、自分もまた、危険地帯から救われた側の一人だ。

 

『東の未探索領域も、他の任務も』

 班長は続ける。

『危険は変わらないよ。もちろん、性質は違うさ。東は魔のゾーンだしねぇ。でも、“危険だから駄目”ってだけなら、今までだって駄目なはずだった』

 

 エリンは、何も言わなかった。

 

 それは、ずっと心のどこかに引っかかっていたことでもあったからだ。

 

『それにさ』

 班長が少しだけ声を強める。

『リュウジはS級だろ?そうなれば、危険なこともしなきゃならない時がある。今回だけじゃないよ。これから先だって、あるだろうさ』

 

 エリンの指先が、端末の縁を少しだけ強く押した。

 

 そうだ。

 S級である以上、危険から完全に離れて生きることは出来ない。

 それは、誰より自分が分かっているはずだった。

 

『エリンが認めないのはさ』

 班長が言う。

『リュウジが一人でやることに対して、じゃないのかい?』

 

 その一言で、エリンの呼吸がわずかに止まる。

 

 言葉が、胸の奥へ真っ直ぐ落ちた。

 

『もし仮にさ』

 タツヤ班長は静かに続けた。

『リュウジが“エリンにも東の未探索領域の調査をやってほしい”って言ってたら、その時はどうしてた?』

 

 エリンは、すぐには答えられなかった。

 

 東だから駄目。

 魔のゾーンだから駄目。

 危険だから駄目。

 

 そう言ってきた。

 それは嘘じゃない。

 今も、その危険性を甘く見るつもりはない。

 

 でも。

 

 もし、リュウジが一人ではなく。

 自分にも来てほしいと言っていたら。

 

 その時、自分はどうしていただろう。

 

 完全に反対しただろうか。

 それとも、“どうやったら少しでも安全に出来るか”を考えていただろうか。

 

 答えは、思ったより早く胸の中に浮かんでしまった。

 

 ――たぶん、後者だ。

 

 エリンは、そこで息を呑んだ。

 

『こう見えてもねぇ』

 タツヤ班長が、少しだけ笑う。

『リュウジやエリンとは、ドルトムントじゃ一番長い付き合いだからなぁ、君たち二人がどんな顔するか、だいたい分かるつもりなんだよ』

 

 その声は、いつもののらりくらりとした響きを残しながらも、やけに真っ直ぐだった。

 

『エリン』

 班長が言う。

『東が危ないのは本当だよ。それは否定しない、でも、エリンが本当に引っかかってるのは、そこだけじゃないんじゃないかい?』

 

 エリンは、しばらく答えられなかった。

 

 頭の中で、色々なものが繋がっていく。

 

 サラの言葉。

 信頼しなさい。

 任せる範囲を決めて、預けなさい。

 全部を自分で抱え込むな。

 

 リュウジの言葉。

 サヴァイヴは、俺が俺を許した場所なんです。

 資料の中じゃなく、本人の口から出た本音。

 

 そして今の、タツヤ班長の言葉。

 

 東の未探索領域だからではない。

 危険だからだけでもない。

 自分が怖がっているのは――。

 

「……一人で行くこと、かもしれません」

 エリンは、ようやく小さく言った。

 

 電話の向こうで、班長が何も言わずに待っているのが分かる。

 

「私」

 エリンは続ける。

「東が危険だからって、何度も言いました。それは本心です。でも……」

 一度言葉を切る。

「もし、私にも来てほしいって言われていたら、たぶん、ただ止めるんじゃなくて、どうすれば少しでも安全に出来るかを考えていたと思います」

 

 言ってしまってから、自分で愕然とした。

 

 そうか。

 そこだったのか。

 

 自分は、“東だから”だけで拒絶していたわけではない。

 “リュウジが一人で行こうとしている”ことに、強く反発していたのだ。

 

『うん』

 タツヤ班長が、静かに相槌を打つ。

 

 その“うん”は、全部分かっていた人の声だった。

 

『そういうことだと思うよ』

 班長が言う。

『危険そのものを否定してるんじゃない。一人で背負って、一人で行って、一人で帰れなくなるのが怖いんだろうさ』

 

 エリンは、目を閉じた。

 

 その通りだった。

 

 悲劇のフライトのあと、リュウジがずっと一人で背負ってきたことを知っている。

 サヴァイヴでようやく、自分を許す方へ少し動けたことも知ってしまった。

 そんな人が、また一人で魔のゾーンへ行く。

 それが、怖かったのだ。

 

『だからねぇ』

 班長が少しだけ声音を柔らかくする。

『エリンがやることは、“危険だから全部駄目”って切ることじゃないのかもしれない。リュウジがまた一人で全部抱えない形を、考えさせることかもねぇ』

 

 その言葉は、サラの“信頼しなさい”とどこかで繋がっていた。

 

 一人で抱え込ませない。

 任せる範囲を決める。

 預ける。

 戻ってきた時に受け止める。

 

 乗務員の育成に対して言われたことが、そのまま別の形で目の前に落ちてくる。

 

「……班長」

 エリンが低く言う。

「ずるいですね」

 

『何がだい?』

 

「そんなふうに言われたら」

 エリンは苦笑した。

「自分が何に反発しているのか、見えてしまうじゃないですか」

 

『そうかい?』

 タツヤ班長は、少しだけ楽しそうに笑った。

『でも、見えたなら良かったじゃん』

 

「良くないです」

 エリンは即答した。

「厄介さが増しただけです」

 

『そりゃそうだ』

 班長はあっさり言う。

『でも、そういうもんでしょ。答えって、見えた瞬間に楽になるもんじゃないし』

 

 エリンは、その言葉に小さく息を吐いた。

 

 たしかに、その通りだ。

 気づいたからといって、すぐに楽になるわけじゃない。

 むしろ、今の方がずっと厄介だ。

 

 東の危険性を理由に切るだけでは済まなくなった。

 自分が本当に怖がっているものを、自分で知ってしまったから。

 

『まあ』

 タツヤ班長が少しだけ調子を戻す。

『ユイの件もそうだけどさ、結局、信じるかどうかなんだろうねぇ』

 

 エリンは、少しだけ目を開いた。

 

 ユイ。

 エトワール。

 五年の寮生活。

 送り出す父親としての怖さ。

 

 リュウジ。

 未探索領域。

 魔のゾーン。

 帰ってこないかもしれない怖さ。

 

 全然違う話のようでいて、どこかが重なっている。

 

 相手が自分の手の届かない場所へ行く。

 それでも、信じるしかない部分がある。

 

「……班長」

 エリンが言う。

「ユイの件、少しちゃんと話を聞いてあげてください」

 

『うわ、そこで戻る?』

 班長が笑う。

 

「戻ります」

 エリンは言う。

「班長、寂しいだけで最初から反対しそうですから」

 

『そんなことないよぉ』

 と言いながら、その声は若干怪しかった。

 

「あります」

 エリンは断言する。

「でも、ユイが本気なら、ちゃんと応援してあげてください」

 

『……うん』

 班長が少しだけ静かになる。

『そうするよ。エリンにそこまで言われたらねぇ』

 

 少しの沈黙。

 

 そのあと、班長がぽつりと言った。

 

『リュウジのことも、いきなり答えを出さなくていいと思うよ。でも、今みたいに“何が引っかかってるか”を自分で見失わなければ、たぶん大丈夫だ』

 

 エリンは、端末を持つ手を少しだけ強くした。

 

「……はい」

 

『おう』

 班長が言う。

『じゃあ、遅いし今日はちゃんと休みな。あんまり考えすぎると、エリンも顔に出るタイプじゃないけど、出る時は出るからねぇ』

 

 エリンは、その言葉に少しだけ苦笑した。

 

「班長に言われたくありません」

 

『ひどいなぁ』

 班長が笑う。

『でも、まあ、そういうとこも含めて長い付き合いだからさ』

 

「……そうですね」

 

『じゃ、おやすみ』

 

「おやすみなさい」

 

 通話が切れたあと、エリンはしばらくその場に座っていた。

 

 端末の画面には、途中まで組み直した編成表が残っている。

 自分の名前を外した便。

 ミラ達を前へ出した便。

 預けることを決めた線。

 

 そして今、その“預ける”という言葉が、乗務員の育成だけではなく、リュウジとの間にも重なっていた。

 

 自分は、危険そのものだけを拒んでいたわけじゃない。

 リュウジがまた一人で抱え込み、一人で行こうとしていることに、強く反発していた。

 

 それに気づいた瞬間、胸の奥の霧が少しだけ形を持った。

 

 まだ答えは出ていない。

 認めるとも、認めないとも、今この場で簡単には言えない。

 

 でも、自分が何に怒って、何を怖がっているのかだけは、前よりはっきりした。

 

「……厄介ね」

 

 小さく呟く。

 

 でも、その声には、さっきまでより少しだけ芯が戻っていた。

 

 エリンは端末へ視線を落とし、編成表の続きへ指を置いた。

 

 まずは、目の前の便を組み直す。

 それから先のことは、そのあとだ。

 

 夜の静かなフロアの中で、エリンはもう一度、ゆっくりと呼吸を整えた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 ロカA2の夜は、木他のコロニーより少しだけ湿っている気がする。

 

 気候制御の設定のせいか、空気はいつもほんのりと重い。窓の外に見える人工の夜空は静かで、遠くに走る輸送ラインの光だけが、たまに星みたいに揺れて見えた。

 

 リュウジは久しぶりに、自分の家へ戻ってきていた。

 

 滅多に帰らないわけではない。

 けれど、最近は宇宙管理局やスペースホープ、打ち合わせや調査資料の整理で、寝るだけみたいな日が続いていた。帰る場所ではあるのに、生活の匂いが薄くなっていくのが自分でも分かるくらいだった。

 

 今日は、少し違った。

 

 無理やりでもいいから、自分の生活へ戻る時間を作ろうと思った。

 部屋に入り、靴を脱ぎ、照明をつけ、静かな室内を見回した時、ようやく少しだけ息が抜ける感覚があった。

 

「……飯、作るか」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 冷蔵庫を開ける。

 中は空ではない。

 でも、まともに料理をするには少し足りない。

 

 簡単なものでもいい。

 何か作って食べる。

 そういう当たり前を一つ挟まないと、ここ最近の頭の重さはずっと残ったままだと思った。

 

 財布と端末を取り、上着を羽織って外へ出る。

 

 ロカA2の夜の商店区画は、昼間より人が少ない。

 それでも生活の明かりは残っている。

 遅くまで開いている八百屋。

 惣菜の匂いが漂う小さな店。

 古びた喫茶店。

 学生や仕事帰りの大人が、ゆるい足取りで通りを行き交っている。

 

 久しぶりのこの空気は、妙に懐かしかった。

 

 昔は、もっとここを歩いていた。

 何も考えずに、帰り道の流れで。

 でも今は、ここに自分の生活があるという感覚が、少し遠い。

 

 そんなことを思いながら角を曲がった、その時だった。

 

「……あ」

 

 女の声が、同時にいくつか重なる。

 

 リュウジが顔を上げる。

 

 そこにいたのは、ルナ、メノリ、シャアラ、チャコだった。

 

 ルナが最初に目を丸くする。

 メノリは一瞬だけ眉を上げ、すぐに「なんだお前か」みたいな顔になる。

 シャアラは手に持っていた小さなバッグを胸の前で抱え直し、チャコはぱっと目を輝かせた。

 

「おお」

 チャコがにやっと笑う。

「リュウジやん」

 

「久しぶり」

 ルナがすぐに言う。

「こんなとこで会うんだ」

 

「久しぶり、ってほどでもないだろ」

 リュウジが言う。

 

「いや、こういう生活圏で会うのは久しぶり」

 ルナは笑う。

「最近ずっと忙しそうだったし」

 

「……まあな」

 

 メノリが腕を組みながら、じろりと見る。

 

「何だ、その顔。やつれてはないが、妙に冴えないな」

 

「開口一番それか」

 リュウジが返す。

 

「嘘をついてどうする」

 メノリは淡々と言う。

「実際、少し思い詰めた顔をしている」

 

 その横で、シャアラが口を開いた。

 

「私も、少しだけそう思った。いつものリュウジと、ちょっと違う」

 

 チャコが頷く。

 

「せやな、なんや、顔つきがちょっと重い」

 

 ルナだけは、少し照れたような、でもまっすぐな顔で言った。

 

「何か思い詰めた顔してるよ」

 

 四方向から似たようなことを言われて、リュウジは小さく息を吐いた。

 

「お前ら、失礼だな」

 

「でも本当でしょ?」

 ルナが首を傾げる。

 

「本当だ」

 メノリが即答した。

 

「せやな」

 チャコも平然と乗る。

 

「本当でしょ」

 シャアラだけ少し慌てた。

 

 その反応に、リュウジはほんの少しだけ目を細めた。

 

 変わらない。

 この面子は、本当に変わらない。

 

 遠慮のないやつ。

 遠慮しようとしても隠しきれないやつ。

 真正面から見るやつ。

 横から茶化すやつ。

 

 サヴァイヴで一緒にいた時間が、今もそのまま空気の中に残っているみたいだった。

 

「で?」

 チャコが楽しそうに聞く。

「リュウジ、こんな時間に何してたん?」

 

「買い出し」

 リュウジが答える。

「家に戻ったから、飯でも作るかと思って」

 

「おお」

 ルナが少し嬉しそうに言う。

「ちゃんと帰ってるんだ」

 

「帰るだろ、家なんだから」

 

「たまにしか帰ってないだろ」

 メノリが切る。

 

「お前、ほんとに言い方が遠慮ないな」

 リュウジが言う。

 

「今さらだろ」

 メノリは平然としている。

 

 チャコがその横で肩を揺らした。

 

「せやけど、丁度よかったわ。うちら、今から女子会やねん」

 

「女子会?」

 リュウジが聞き返す。

 

「そう」

 ルナが頷く。

「たまたま、みんな予定空いてて、こういうこと滅多にないから、ちょっとお茶しようって話してたの」

 

「そしたら、男が一人混ざったってわけや」

 チャコが面白そうに言う。

 

「いや、まだ混ざってないだろ」

 リュウジが返す。

 

「え、混ざらないの?」

 ルナがわざとらしく目を丸くする。

 

「女子会だろ」

 

「気にするんだな」

 メノリが言う。

「意外だな」

 

「いや、普通気にするだろ」

 

「私は別に気にしないけど」

 シャアラが小さく言う。

「リュウジがいても、変な感じしないし」

 

 言ったあとで少し顔が赤くなり、慌てて視線を逸らした。

 その様子を見て、ルナがくすっと笑う。

 

「私も別にいいよ、むしろ、今の顔のまま一人で買い出し行かせるのもどうかと思うし」

 

「賛成」

 チャコが即答する。

「どうせ一人で帰って、一人で考え込むんやろ。だったら混ざればええやん」

 

「お前の言い方は毎回雑だな」

 リュウジが言う。

 

「でも当たっとるやろ」

 チャコがにやっとする。

 

 メノリは少しだけ考える顔をしてから、短く言った。

 

「来ればいい、どうせ、今のまま一人にしてもろくなことを考えないだろう」

 

「お前ら、ほんとに……」

 

「何?」

 ルナが言う。

「嫌?」

 

 その聞き方は少しだけずるい。

 正面から、でも軽く。

 

 リュウジは数秒だけ黙った。

 

 そして、小さく息を吐く。

 

「……分かった。行く」

 

「よし」

 チャコがぱっと笑う。

「決まりや」

 

「女子会じゃなくなったわね」

 シャアラが小さく言う。

 

「今日は特例」

 ルナが楽しそうに言った。

「たまにはこういうのもいいでしょ」

 

 そうして五人は、商店区画の奥にある小さな喫茶店へ向かった。

 

 

 その喫茶店は、ロカA2の古い区画にある、小さな店だった。

 

 木のテーブル。

 少し低めの照明。

 壁には年代物のポスターや、もう使われていない古い宇宙船の写真が飾られている。

 コーヒーと甘い焼き菓子の匂いが混ざった、静かな店だ。

 

 ルナはこの店が好きだった。

 チャコも何度か来たことがあるらしい。

 メノリは「騒がしすぎないから嫌いじゃない」と以前言っていたし、シャアラは本を持って一人で来ても落ち着けそうだと思っていた。

 

 五人で奥の席へ座る。

 

 ルナとシャアラが並び、向かいにメノリ。

 チャコはルナの隣へぴょんと乗り、リュウジはその向かい側へ腰を下ろした。

 

「女子会やのに、リュウジおるとちょっと絵面変わるな」

 チャコが言う。

 

「今さら気づいたのか?」

 メノリが返す。

 

「せやけど、まあ」

 チャコが肩をすくめる。

「おもろいからええわ」

 

 注文を簡単に済ませる。

 ルナは甘い飲み物と軽いケーキ。

 シャアラは紅茶。

 メノリはブラックコーヒー。

 チャコはミルク多めの何か甘いもの。

 リュウジはブラックコーヒーと、食事になるものを追加した。

 

「ちゃんと食べるんだ」

 ルナが少し笑う。

 

「家で作る予定だったからな」

 リュウジが答える。

「腹は減ってる」

 

「なら丁度いいね」

 ルナが言う。

 

 少しして飲み物が来る。

 湯気が立つ。

 甘い匂いが混ざる。

 その空気の中で、ルナは改めてリュウジの顔を見た。

 

「やっぱり」

 小さく言う。

「思い詰めた顔してるよ」

 

 今度は、さっきより少しだけ静かだった。

 

 店の中の落ち着いた空気が、そうさせるのかもしれない。

 ルナの言葉は軽くない。

 でも、責める響きもない。

 

 ただ、本当にそう見えたことをそのまま言っているだけだ。

 

「そうかもな」

 リュウジが言う。

 

 その返答に、四人の視線が自然と集まる。

 

「何かあったん?」

 チャコが先に聞く。

 

 リュウジは、コーヒーカップへ一度視線を落とした。

 

「……東の未探索領域の調査をやりたいと思ってる」

 

 その一言で、場の空気が少しだけ変わった。

 

 ルナとメノリは、顔を見合わせるでもなく、小さく息を吐く。

 シャアラは目を丸くし、チャコは眉を上げた。

 

「話は聞いてる」

 ルナが先に言った。

 

「私もだ」

 メノリが続ける。

「エリンさん経由で、多少は」

 

 リュウジは少しだけ驚いたように二人を見る。

 

「……そうか」

 

「そうだよ」

 ルナが頷く。

「完全には知らないけど、東の未探索領域の外縁を見に行きたいって話は聞いてる」

 

「魔のゾーンの話やろ」

 チャコが言う。

「そら、こっちの耳入るわ」

 

「私は……」

 シャアラが口を開く。

「ルナ達が話しているのを少し聞いたくらい、だけど……」

 

 シャアラは、そこで少しだけリュウジを見た。

 

「危ないんだよね」

 

「危ない」

 リュウジは短く答えた。

 

 メノリが腕を組む。

 

「危ない、で済む話ではないな。一歩間違えれば帰ってこない。むしろ“帰ってくる方が異常”の部類だろう」

 

「そうだな」

 リュウジは認める。

 

 ルナはカップに触れたまま、少しだけ目を伏せた。

 

「それで?今はどう考えてるの?」

 

 リュウジは、そこで少し間を置いた。

 

「……エリンさんの言葉を受けて」

 静かに言う。

「少し考えてる」

 

 チャコが、そこで口の端を上げた。

 

「エリンのこととなると、素直に止まるんやな」

 

 その言い方は少し茶化しているようで、でもただの茶化しではなかった。

 

 リュウジは小さく息を吐いた。

 

「エリンさんだけじゃない」

 そう言って、顔を上げる。

「俺は、悲劇のフライトで全部を失ってる。でも……」

 一拍置く。

「エリンさんも、ペルシアも、お前達も、俺にとっては大事な存在だ。本気で止められれば、止まる」

 

 その言葉に、テーブルの上の空気が静かに揺れた。

 

 ルナの目が少しだけ丸くなる。

 シャアラは、驚いたように息を呑む。

 チャコは「ほう」と言わんばかりに眉を上げ、メノリは少しだけ目を細めた。

 

「……お前も変わったな」

 メノリがぽつりと言う。

 

 リュウジは、少しだけ苦笑した。

 

「そうか?」

 

「そうだ」

 メノリは即答する。

「前なら、お前はそんな言い方をしなかった。“俺の問題だ”と切り離していたはずだ。今は違う。止める人間の存在を、自分の中へ入れている」

 

 リュウジは、数秒だけ黙っていた。

 

 その沈黙自体が、たぶんメノリの言葉を認めていた。

 

「そら、サヴァイヴで変わらんかったら嘘やろ」

 チャコが言う。

「うちら、あんなとこで一緒に生きたんやで?」

 

「うん」

 ルナが頷く。

「しかも、あの時のリュウジは、今よりもっと一人で全部背負おうとしてた」

 

 リュウジは、そちらを見る。

 

 ルナは少しだけ視線を遠くへ向けた。

 

「最初の頃なんて、そうだったよ。何かあれば先に動こうとして、誰かが怖がってても、自分はそれを表に出さなくて、止まったら駄目だ、みたいな顔してた」

 

「そうやなぁ」

 チャコも頷く。

「今もそういうとこゼロちゃうけど、昔はもっとやった。ほんま、止まったら死ぬって思ってるみたいな顔しとったもん」

 

 シャアラは、口を開いた。

 

「……でも、ルナも、チャコも、メノリも、みんなもいて、少しずつ、変わったんだと思う」

 

 その言い方は、シャアラらしかった。

 大きく断定しない。

 でも、優しく外さない。

 

 リュウジは、静かにシャアラを見た。

 

「……ああ」

 小さく頷く。

「そうかもしれない」

 

 そこへ注文していた食べ物が届く。

 皿の音。

 湯気。

 甘い香り。

 

 短い中断が入ったおかげで、場の空気が少しだけ呼吸を取り戻す。

 

 ルナはストローに口をつけるでもなく、カップの縁を指でなぞった。

 

「私は、もちろん反対だよ」

 静かに言う。

 

 その声に、他の三人も自然と意識を向けた。

 

「危ないし、リュウジがどういう気持ちで行きたいのかも分かるけど、それでも、怖い。だから、賛成は出来ない」

 

「私もだ」

 メノリが即座に続ける。

「東の未探索領域など、正気で行く場所じゃない、サヴァイヴにもう一度行きたい気持ちは、私にもある。だが、それとこれとは別だ」

 

「うちも反対や」

 チャコが言う。

「そらサヴァイヴ、もう一回見たいで?あそこが今どうなっとるんか、気になるしな。でも、魔のゾーン抜ける前提って、やっぱり頭おかしいわ」

 

「私も……」

 シャアラが少しだけ声を震わせる。

「もう一度、サヴァイヴに行けるなら行きたいって、思う。でも、リュウジが一人で危ないところに行くって聞いたら、やっぱり嫌」

 

 四人とも、結論は同じだった。

 

 反対。

 でも。

 

 ルナがそこで少しだけ表情を柔らかくした。

 

「でも、ちゃんと話をしてくれてるんだよね。ペルシアさんにも、エリンさんにも」

 

「そうだな」

 リュウジが答える。

 

「なら、それはちゃんと変わったってことだと思う」

 ルナは言う。

「昔のリュウジなら、もっと一人で決めてた気がするから」

 

「うん」

 シャアラも頷く。

「ちゃんと止められる場所に、自分から来てるってこと、だと思う」

 

 チャコが、そこでにやっと笑った。

 

「エリンのこととなると、ほんま素直に止まるんやな」

 もう一度言う。

「昔やったら、“俺の問題だ”で切ってたんちゃう?」

 

「……そうかもしれない」

 リュウジは認める。

 

「せやろ?」

 チャコが嬉しそうに言う。

 

「でもな」

 チャコはすぐに少し真面目な顔へ戻った。

「それ、ええことやと思うで、本気で止めてくれる相手がおるって、めっちゃ大事やし」

 

「うん」

 ルナも頷く。

「止められる相手がいるって、ちゃんと大事だと思う」

 

 メノリは、コーヒーカップを持ちながら低く言った。

 

「それに、リュウジが“本気で止められれば止まる”と言ったのも、大きい。今までのリュウジなら、そこまで認めなかった」

 

「だから変わったって言ってるんやろ」

 チャコが言う。

 

「同じことを言ったつもりはない」

 メノリが返す。

 

「言うとるやん」

 チャコが笑う。

 

「細部が違う」

 メノリは平然としている。

 

 そのやり取りに、ルナがくすっと笑い、シャアラも少しだけ口元を緩めた。

 

 変わらない。

 ほんとうに、ここだけは変わらない。

 

 その空気の中で、リュウジは少しだけ肩の力を抜いていた。

 

 女子会に男一人で混ざるなど、少し前の自分ならまずしなかっただろう。

 こういう場所で、自分の抱えていることをここまで口にすることも、なかったはずだ。

 

 でも今は、それが不自然ではなかった。

 

 サヴァイヴで一緒に生きた人間達。

 悲劇のフライトとは関係のないところで、でも自分の今に深く関わっている人間達。

 エリンやペルシアとはまた違う距離で、自分を知っている相手達。

 

「……なあ」

 リュウジが、少しだけ低い声で言う。

 

「何?」

 ルナが顔を上げる。

 

「お前らも、サヴァイヴにもう一度行きたいのか」

 

 その問いに、ルナは迷わなかった。

 

「行きたいよ」

 まっすぐに言う。

「もちろん怖いけど、でも、行きたい。あそこが今どうなってるのか、自分の目で見たい」

 

「私も」

 シャアラが小さく頷く。

「怖いけど……行ってみたい。あそこって、辛いだけの場所じゃなかったから」

 

「そらそうや」

 チャコが即答する。

「大変やったけど、うちらが生きた場所やしな。簡単に“もう終わった場所”とは思えへんわ」

 

「……私もだ」

 メノリは少しだけ間を置いてから言った。

「認めたくないが、気になる。見たいと思う。それが本音だ」

 

 リュウジは、その返答を聞いて静かに目を伏せた。

 

 やはり、そうなのだ。

 サヴァイヴは自分一人の場所ではない。

 皆にとっても、ただの遭難先ではない。

 

 それを再確認したような気がした。

 

「でも」

 ルナが言う。

「だからって、今すぐ“じゃあ行こう”にはならないよ。そこはちゃんと別だと思ってる。行きたい気持ちと、行っていいかは違う」

 

「うん」

 リュウジは頷く。

 

「そのへん、ちゃんと考えてるなら」

 メノリが言う。

「まだ完全に壊れてはいないな」

 

「メノリ、言い方」

 チャコが呆れたように言う。

 

「事実だろ」

 メノリは真顔だった。

 

 ルナが、そこで少しだけ笑った。

 

「でも、安心した。今のリュウジ、ちゃんと止まるって言ったから」

 

「俺は止まらない人間みたいだな」

 リュウジが言う。

 

「昔はわりとそうだったよ」

 ルナがあっさり返す。

 

「うん」

 シャアラも小さく頷く。

「けっこう」

 

「お前らな……」

 リュウジが小さく息を吐く。

 

 その反応に、チャコが笑う。

 

「せやけど、ほんま変わったで、前はもっと、自分がどうなろうが構わんみたいな顔しとった」

 

 その言葉に、リュウジは少しだけ黙った。

 

 図星だった。

 

 少し前までなら、自分がどうなろうと構わない部分が確かにあった。

 悲劇のフライトのあとにずっと引きずっていた、“本当はあの時に死ぬはずだった”という感覚は、完全には消えていない。

 

 でも今は、それだけではない。

 

 エリン。

 ペルシア。

 そして目の前の四人。

 

 大事な存在だと、はっきり口に出来る相手がいる。

 本気で止められたら止まる、と言えるくらいには。

 

「……そうかもな」

 リュウジが低く言う。

 

 メノリが、その一言を聞いて少しだけ視線を柔らかくした。

 

「認めるのか」

 

「認めるしかないだろ」

 リュウジが返す。

 

「素直になった」

 ルナが嬉しそうに言う。

 

「それはどうだろうな」

 リュウジが言うと、チャコがすぐに笑った。

 

「いや、前よりはだいぶや。昔やったら、“別に変わってない”とか言って終わってたやろ」

 

「……言いそうだな」

 リュウジは苦笑した。

 

「言ってた」

 メノリが断言する。

 

 店の空気が、少しだけ軽くなる。

 

 女子会のはずだった。

 そこへ男が一人混ざって、しかも話題はかなり重い。

 それでも、この五人でいると、不思議と空気は完全には沈まない。

 

 ルナが少しだけ身を乗り出した。

 

「ねえ、エリンさんと、また話すの?」

 

「時間を置いてからな」

 リュウジが答える。

「すぐにもう一度言っても、駄目だと思った」

 

「それはそうかも」

 ルナが頷く。

「エリンさんも、考える時間は必要だろうし」

 

「うん」

 シャアラも言う。

「ちゃんと時間を置いた方がいいと思う」

 

「でも、置きすぎるなよ」

 メノリが低く言う。

「そのまま曖昧にして、勝手に進めるのが一番駄目だ」

 

「分かってる」

 リュウジは短く答えた。

 

「あと」

 チャコが言う。

「エリンだけやなくて、うちらにも途中経過くらいは言うんやで。また一人で抱え込みだしたら、しばくで」

 

「物騒だな」

 

「せやけど本気や」

 チャコがにやっとする。

 

「チャコ」

 ルナが苦笑する。

 

「冗談半分、本気半分や」

 チャコは悪びれない。

「でも、ほんまにそうやで。今のリュウジ、ちゃんと止まるって言うたんやから、言うたなら、うちらも止める側に入るわ」

 

 その言葉に、リュウジは少しだけ目を細めた。

 

「……ああ」

 

 店の時計が、静かに時間を進める。

 運ばれてきた甘い物も少しずつ減り、コーヒーの湯気も穏やかになっていく。

 

 重い話をしているはずなのに、この空気はどこか温かかった。

 

 サヴァイヴを生きた。

 それは、ただ同じ事故に遭ったということではない。

 同じ極限を見て、同じように怖がって、同じように明日を繋いだということだ。

 

 だから、言葉が届く。

 全部ではなくても、届く。

 

「……女子会なのに、悪いな」

 リュウジがぽつりと言う。

 

「今さら?」

 ルナが笑う。

 

「むしろ、今日いなかったらもったいなかったかも」

 シャアラが小さく言う。

 

「せやな」

 チャコが頷く。

「女子会に男一人混ぜるんも、たまにはええやろ」

 

「たまに、どころか最初で最後かもしれないな」

 メノリが言う。

 

「それはそれで面白くないやん」

 チャコが返す。

 

「面白さが基準なのか」

 リュウジが言うと、チャコは当然みたいに言った。

 

「せやで。生きるんには、けっこう大事やろ」

 

 その言葉に、リュウジは一瞬だけ目を止めた。

 

 チャコは本気で深いことを言おうとしている時ほど、こういう軽い顔をする。

 だから余計に、胸に残る。

 

 生きること。

 大事なこと。

 止まること。

 預けること。

 

 エリンにも、ペルシアにも、タツヤ班長にも、今は同じようなことを別の言葉で突きつけられている気がした。

 

「……帰るか」

 メノリが静かに言う。

「そろそろ時間だ」

 

「うん」

 ルナも頷いた。

「リュウジも、ご飯買いに出たんだったよね」

 

「ああ」

 リュウジが言う。

「結局、店で食ったけどな」

 

「じゃあ、買い出しの目的は半分達成やな」

 チャコが笑う。

 

「半分どころか、だいぶ予定狂ってるでしょ」

 ルナが言う。

 

「ええやん」

 チャコは平然としている。

「予定通りばっかりやったら、おもろないで」

 

 会計を済ませ、五人は店を出た。

 

 夜のロカA2は、来た時よりさらに静かになっていた。

 商店区画の灯りは少し減っている。

 通路を歩く人影も、まばらだ。

 

 店の前で、自然と足が止まる。

 

「じゃあね」

 ルナが言う。

「またちゃんと話して」

 

「うん」

 リュウジは頷いた。

 

「曖昧にするな」

 メノリが言う。

「お前はそういうの、たまにやる」

 

「分かってる」

 

「リュウジ」

 シャアラが少しだけ勇気を出すように言う。

「無理しすぎないでね。考えるのは大事だけど、抱え込みすぎたら駄目だから」

 

「……ああ」

 リュウジは静かに答えた。

 

「ほな、またな」

 チャコが言う。

「今日はちゃんと女子会だけで集まるつもりやったのに、結局混ざってもうたわ」

 

「嫌だったか?」

 リュウジが聞く。

 

「全然」

 チャコがにやっと笑う。

「むしろ、たまにはこういう方がおもろい」

 

 ルナも笑う。

 

「うん、私もそう思う」

 

 メノリは小さく息を吐いたが、否定はしなかった。

 シャアラも、少しだけ嬉しそうに頷いている。

 

 四人と別れたあと、リュウジは一人で通路を歩き出した。

 

 さっきまでより、少しだけ胸が軽い。

 何も解決していない。

 エリンは認めていない。

 自分の中で整理しきれていないものも、まだ残っている。

 

 それでも。

 

 ちゃんと話して、ちゃんと反対されて、ちゃんと止まる理由がある。

 そして、自分が止まると口に出来る。

 

 それは、昔の自分から見れば、ずいぶん大きな変化なのかもしれなかった。

 

「……変わった、か」

 

 メノリの言葉を、ふと口の中で転がしてみる。

 

 そうかもしれない。

 少なくとも、前の自分よりは。

 

 ロカA2の夜風は、少しだけ湿っていた。

 木星圏の人工の夜空の下で、リュウジはようやく本来の目的を思い出した。

 

「……買い出し、して帰るか」

 

 そう呟いて、近くの遅くまで開いている店へ足を向ける。

 

 女子会に混ざった男が、結局最後は食材を買って帰る。

 妙に生活感のある締め方に、リュウジは少しだけ目を細めた。

 

 悪くない、と思った。

 こういう夜も。

 こういう帰り方も。

 

 サヴァイヴを生きた日々の延長に、今こうして誰かと笑って、誰かに止められて、また自分の家へ戻る夜がある。

 

 それだけで、少しだけ救われる気がした。

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