サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第2話

山頂からの絶景を前に、四人はしばし沈黙していた。風が岩肌を打ち、潮の香りを含んだ空気が頬を撫でていく。

 

「……やはり、私たちは完全に孤立している」

メノリが口を開いた。その声は硬く張り詰めているが、瞳の奥には冷静さと共に責任感が宿っていた。

 

彼女は懐から小さな鉛筆を取り出し、ルナのほうを振り返った。

「ルナ、手帳を出してくれ。ベルから借りていたものがあっただろう」

 

「う、うん。あるよ」

ルナはリュックを開け、布に包んで大切にしていた手帳を取り出した。父の形見と共に常に持ち歩いているリュック。その奥から現れた手帳は、表紙に少し擦り傷があるがまだ使える状態だ。

 

メノリはルナの正面に立ち、手帳を開かせた。

「ここが私たちのいる山だ。南には浜辺とシャトル。中間には湖と巨木。東西は鬱蒼とした森。そして北は大海原。……この全体像を記録しておけば、次の行動方針を立てやすくなる」

 

「わ、わかった」

ルナは鉛筆を握りしめ、山の形を簡単に描き込み、その周囲に湖やシャトルの位置を示していった。線は多少歪んでいたが、彼女の必死さが伝わる。

 

「こうかな……。ちょっと曲がっちゃったけど」

「正確さよりも位置関係が大事だ。よくやった」

メノリが短く評価を告げると、ルナの顔に安堵の色が広がった。

 

ハワードは記録を覗き込みながら不安げに呟いた。

「でも……こんな小さな島で、ほんとに生きていけるのか?」

 

メノリは彼を一瞥した。

「だからこそ情報を集めるんだ。闇雲に動いても消耗するだけだろう」

 

リュウジはずっと黙ったまま、遠くの湖を見下ろしていた。その視線の鋭さに気づいたルナが、そっと問いかける。

「リュウジ、湖のほうを見てるの?」

 

彼は少しだけ頷き、静かに言った。

「水の確保が最優先だ。山頂で全体を見た以上、湖へ降りて補給してからシャトルへ戻るのがいい」

 

「そうだな」

メノリもすぐに賛同した。

「一泊してしまったことで、他の仲間が不安に思っているだろう。湖で水を得てから戻る。これで異論はないな?」

 

ハワードは不満そうに肩をすくめたが、結局うなずいた。

「……わかったよ」

 

◇◇◇

 

下山は登りよりも難儀だった。岩場は急斜面で、一歩間違えれば滑落しかねない。ルナは息を詰めながら足場を探り、リュックを抱えるようにして降りていく。

 

「気を抜くなよ」

リュウジが短く声をかける。その背中は相変わらず落ち着いていて、ルナの胸に安心感をもたらした。

 

途中、リュウジの足元で「カツン」と乾いた音が響いた。彼は立ち止まり、靴の下に転がった黒く光る石を拾い上げる。

 

「……?」

ルナが覗き込むと、それは艶やかで刃のような輝きを放つ黒曜石だった。

 

「これ……ガラスみたい」

「黒曜石だな」リュウジは短く答えると、石の鋭利な端を指先で確かめ、無言でポケットにしまった。

 

「道具に使えるかもしれない。持っておく」

 

その無駄のない行動に、ルナは「やっぱり頼りになる」と思わず見とれてしまう。

だがリュウジの横顔は冷たく、何を考えているのかは読み取れなかった。

 

メノリはそれを見て、心の中で小さくうなずいた。

――こういう小さな判断力が、私たちを生き延びさせる。

 

こうして四人は慎重に岩場を下り、再び湖を目指して歩き出した。

仲間が待つシャトルへ戻る前に、必ず水を手に入れるために。

 

◇◇◇

 

湖畔はひっそりと静まり返っていた。昨日と同じ場所、波ひとつない水面。

ルナたちは容器を取り出し、無言のまま水を汲み始める。しゃがむたび、砂利がかすかに音を立て、水が容器に満ちていく。

 

「……よし、これで十分だな」

リュウジが確認すると、誰も異論を挟まなかった。

 

四人はすぐに立ち上がり、湖を後にした。森を抜ける間も口数は少なく、ただ一歩一歩、戻る道を確かめるように歩いた。

 

やがて木々の間から、傷だらけのシャトルが見えた。夕陽を受けた銀色の船体は、どこか懐かしい温もりを放っているようだった。

 

「……帰ってきた」

ルナが思わず呟くと、胸の奥の張りつめていたものが少し和らいだ。

 

外で待っていた仲間たちが一斉に駆け寄る。

 

「ルナ! みんな! ほんとに帰ってきたんだね!」

シャアラが涙ぐみながら抱きついてくる。

 

「どれだけ心配したと思ってるんや!」

チャコが頬を膨らませて叫び、その後ろでシンゴが「うわぁ、本当に!」と声を上げて跳ねていた。

 

ベルは少し離れた場所で、胸に手を当ててホッとしたように微笑んでいる。

 

そしてカオルは、口を開かなかった。ただ火のそばにしゃがみ込み、ぱちぱちと燃える炎を見つめていた。

その炎は、彼女と他の仲間たちが必死で挑戦し続け、ようやく成功させたものだった。

 

「……火だ」

ルナが小さく呟く。

 

暖かな光と熱が、全員を包み込む。夜の冷え込みや闇の恐怖を、ほんの少し和らげてくれる。

 

「これで……大丈夫だね」

シャアラの震える声に、皆が頷いた。

 

火がある。水もある。帰る場所もある。

その事実が、仲間たちの胸に確かな安堵を広げていった。

 

ルナは火の揺らめきを見つめながら、深く息を吐いた。

――ここからなら、きっとやっていける。

 

「それで……どうして遅くなったんだ?」

ベルが口を開く。声は抑えているが、心配がにじんでいる。

 

ルナは一度深呼吸してから、仲間たちに報告を始めた。

「山に登ったの。そこから島全体を見渡せて……シャトル、湖、それから森。全部確認できた」

 

「森はやっぱり広いんやな」

チャコが小さくつぶやく。

 

「北側は……大海原だった」

続けたのはメノリだった。険しい表情のまま、短く言い切る。

「つまり、ここは孤島だ。陸続きの望みは絶たれた」

 

その瞬間、全員の顔色が変わった。

シャアラは息をのんで口を手で覆い、シンゴは呆然と空を見上げる。

 

「じゃあ……本当に助けが来るまで、ここで……?」

ベルの声が震える。

 

リュウジが低い声で言った。

「だからこそ、今は生きるための準備を進めるんだ。焦っても意味はない」

 

冷静な声が、動揺していた空気を少し和らげる。

 

ハワードの限界と休息

 

「……僕は、少し休む」

皆が沈黙している隙に、ハワードがかすれた声を出した。顔は土色で、足取りも重い。

 

「ハワード、大丈夫?」

シンゴが駆け寄ろうとするが、ハワードは手を軽く振ってシャトルの中に入っていった。

その背中は、強がりを捨てた少年そのものだった。

 

「……無理もないな」

リュウジが小さくつぶやいた。

険しい山道を登り、巨大トカゲを目にし、眠れぬ夜を過ごした。体力も心も削り取られて当然だ。

 

 

メノリは視線を焚き火に移した。炎はぱちぱちと音を立て、しっかりと燃えている。

その前にいたベルとシャアラに歩み寄り、短く言う。

「よくやった。お前たちが火を守ったおかげで、皆が帰る場所を失わずにすんだ」

 

「え……」

ベルは目を丸くした。シャアラは頬を赤く染め、嬉しそうに肩をすくめる。

 

「なかなか火がつかなくて……でも、ベルが諦めなかったから」

シャアラの声に、ベルが少し照れながら胸を張る。

「いや、シャアラだってずっと風を防いでくれた」

 

仲間のやり取りに、ルナも思わず口元を緩めた。

重苦しかった空気が、ようやく温かいものに変わっていく。

 

 

「ねえ、明日なんだけど」

ルナが一歩前に出て、皆に声をかけた。

 

「皆で湖に行こうよ。水を汲みに。ちゃんとみんなで分けられるように」

 

その提案に、メノリはすぐに頷いた。

「賛成だ。水の確保が最優先だろう」

 

「僕も! 絶対に役に立つ!」

シンゴが拳を握り、チャコも「うちも行く」と短く答える。

 

不安の中にも前を向こうとする力が生まれ、皆の表情が少しずつ明るくなっていった。

 

 

夜。

ほとんどの仲間が眠りについた後、リュウジは一人、少し離れた岩場に腰を下ろしていた。

月明かりに照らされる手元には、昼間に拾った黒曜石。鋭く割れるその石を、彼は無言で削り続けている。

 

「カン……カン……」

石を砕く規則的な音が夜の静寂に響く。

 

「……リュウジ?」

背後から声がした。振り返ると、ルナが立っていた。

 

「どうした」

短い問い。

 

ルナは少し息をはずませながら、歩み寄ってくる。

「眠れなくて……それに、リュウジが何をしてるのか気になったの」

 

「武器を作ってる。これなら獣に対抗できる」

リュウジは黒曜石を見せる。月明かりを反射して、不気味な光を放った。

 

ルナはしばらくそれを見つめ、やがて顔を上げる。

「ねえ、やっぱりリュウジのこと……もっと知りたい」

 

リュウジの手が一瞬止まる。

「……またか」

 

「私も、転校してきたばかりで……リュウジのことをよく知らない。でも一緒に生きていくなら、少しでも分かりたいの」

 

夜風が二人の間を吹き抜ける。草の葉が揺れ、虫の声が細く響く。

 

リュウジはしばらく無言で石を見つめていたが、やがて視線を逸らした。

「……寝ろ」

 

その言葉は冷たく短く、拒絶をはらんでいた。

 

ルナの胸に小さな痛みが走る。けれど反論することもできず、ただうつむいて立ち尽くした。

やがて静かに背を向け、仲間の眠るシャトルへと歩いていく。

 

リュウジはその背中を見送ることなく、再び石に向き直った。

「カン……カン……」

音だけが夜に溶けていった。

 

 

夜の帳が明け、灰色の空が次第に淡い金色へと染まっていく。

シャトルの外に出ると、夜露が草の葉を濡らし、ひんやりとした風が頬を撫でた。

波の音は遠くから絶え間なく聞こえ、昨日までの緊張を包み込むように優しく響いていた。

 

ルナは目を細め、息を吸い込んだ。潮と森の匂いが混じり合った空気が胸を満たす。

「……今日も頑張らなきゃ」

小さく自分に言い聞かせるように呟く。

 

焚き火の前に腰を下ろしていたリュウジが、ふいに立ち上がった。

彼の傍らには、昨日の夜に削っていた黒曜石の欠片が並んでいる。

リュウジは黙々と最後の仕上げを終えると、柄の部分に森で採った細い蔓を巻きつけ、しっかりと結びつけた。

黒曜石の刃先は朝日を受けて鈍い光を放ち、見るからに鋭さを帯びていた。

 

「……」

ルナが見つめていると、リュウジは無言でそのナイフを二本手に取り、すっと差し出してきた。

 

「持って行け。森の中じゃ、何があるかわからない」

 

その声は低く冷たい響きを持っていたが、そこに宿るのは突き放すような冷淡さではなかった。

ルナはきゅっと唇を結び、両手で受け取った。

「……ありがとう」

短い言葉しか出てこなかったが、それだけで胸が熱くなる。

 

ナイフの重みは、ただの道具以上の意味を持っているように感じられた。

(リュウジが……心配してくれている)

そう思うと、自然と笑みがこぼれる。彼の鋭い横顔を見ていると、ほんの少しだけ安心できた。

 

出発の声を上げたのはメノリだった。

「そろそろ出るぞ。時間を無駄にはできないだろう」

いつもの厳格な口調。手にはベルから借りてきた手帳とペンがある。

 

「はい!」と元気に返事をしたルナが仲間たちを振り返った。

 

シンゴは工具袋を背負い、目を輝かせている。

「湖ってどんなだろうな! もしかしたら淡水魚がいるかもしれない!」

「シンゴ、あんまりはしゃぎすぎちゃダメだよ 。転んだら大変だ」とベルが横から声をかける。

ベルの声は少し震えていたが、それでも大きな体が皆の荷物を分担してくれていた。

 

シャアラは小さなハンカチを握りしめ、不安そうに足取りを重ねる。

そんな彼女のそばにルナが寄り添い、そっと肩を叩いた。

「大丈夫。みんなで一緒に行くんだから」

その笑顔に、シャアラもかすかにうなずいた。

 

ハワードはというと、相変わらず落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回している。

「僕はあんまり汚れたくないんだけどなぁ……でもまあ、湖の水が本当に飲めるなら、文明人らしい快適さに一歩近づくってわけだね」

「余計なことを言うな。口より足を動かした方がいいだろう」メノリがきっぱりと釘を刺すと、ハワードは小さく肩をすくめた。

 

そのやり取りに、チャコが「ほんま調子ええなぁ、あんた」と笑い声をあげる。

関西弁の調子が一瞬場を和ませ、緊張が少しだけほぐれた。

 

カオルはといえば、無言のまま列の最後尾に立ち、静かに森を見渡していた。

表情からは何も読み取れないが、気配を張り巡らせて仲間を守ろうとしていることが、ルナにはなんとなく分かった。

 

こうして八人は、森を抜け、湖を目指して歩み始めた。

 

森の中は朝露に濡れ、光が木々の隙間から斜めに差し込んでいた。

鳥の羽ばたきが時折頭上をかすめ、どこか遠くで獣の鳴き声が響く。

葉の擦れる音に一同が身を強張らせるが、リュウジが残してくれた黒曜石ナイフの存在がルナの心を支えていた。

 

「ルナ、手帳に記録してくれ。ここから少し北に向かっていることを書いておくんだ」

メノリが指示を出し、ルナはペンを走らせる。

「うん……えっと、山から少し下った平地を通ってる、でいいかな?」

「そうだ。それで十分だろう」

 

シンゴが地面を覗き込み、何かを拾い上げた。

「見て! ほら、これ!」

掌に乗っていたのは見慣れない殻の破片だった。

「貝殻か? この辺りに水辺が近い証拠かもしれないな」とベルがつぶやく。

 

「湖はもうすぐかもしれない……!」ルナの胸が高鳴る。

 

やがて木々が途切れ、視界がぱっと開けた。

目の前に広がっていたのは、鏡のように澄みきった湖だった。

 

太陽の光を受けて水面はきらめき、淡い青と銀の揺らめきが風に合わせて踊っている。

湖の奥には一本、空を突くようにそびえ立つ巨木があった。

枝葉は大きな傘のように広がり、湖面に影を落としている。

 

「……きれい」シャアラが息を呑んだ。

しばらくその場に立ち尽くし、胸の前で両手を重ねる。

「ここはまるで……妖精の湖みたい……フェアリーレイク、そう呼びたい」

 

彼女の声には震えが混じっていたが、瞳は確かな輝きを宿していた。

ルナはその横顔を見て、自然と笑顔になった。

「うん、すごく素敵な名前だよ、シャアラ」

 

「じゃあ、あの木は……」とシンゴが指を差す。

「大いなる木。湖を見守っているみたいだから」

シャアラは少し恥ずかしそうに答えた。

 

「大いなる木、か……いい名前だ」ベルが頷き、メノリも手帳に記録していく。

 

ルナは湖面に映る仲間たちの姿を眺めながら、心の奥に小さな安堵を抱いていた。

(リュウジにも、この景色を見せてあげたいな……)

 

だが同時に、彼の姿がここにないことが妙に心に引っかかっていた。

リュウジは今、拠点で一人火を守っている。

その背中を思い浮かべると、なぜだか胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われる。

 

それでも、今は仲間と共にこの奇跡のような場所に立っている。

ルナは拳を握りしめ、小さく深呼吸した。

「よし、ここでちゃんと水を汲んで帰ろう!」

 

仲間たちの「おー!」という声が湖畔に響き渡った。

 

 「チャコ、念のために調べてもらえるか?」

 「そうやなぁ。きれいに見えても、体に悪いもんが混ざっとったら危険やで」

 一度は口にしているので問題はないと思うが、念のためメノリが支持を出す。

 チャコが腰から分析装置を取り出し、水辺へと近づく。器用に前脚で水をすくい、装置に通すと小さな光が点滅し始めた。

「ふむふむ……水分子の構造は純粋そのもの。毒素や細菌の反応は出てへん。これなら飲んでも大丈夫や!」

 

 その報告に皆の顔が一気に明るくなった。ルナも思わず胸に手を当てる。やっと、安心して飲める水を手に入れたのだ。昨日、あれほど喉の渇きに耐えてきたことを思い出すと、その有り難みは計り知れなかった。

 

「じゃあ、さっそく汲みましょう」

 ルナは笑顔を作り、仲間を促した。皆は持参した容器や布袋を取り出し、次々と水をすくい入れていく。透明な水が日差しを受け、容器の中で宝石のように輝いた。

 

 そんな中、ハワードがにやりと笑い、ルナの背後に忍び寄った。

「よーし、せっかくなんだ。湖の水質をもっと直接的に確かめてみようじゃないか」

 彼は軽い調子で言うと、ルナの背中を押した。

 

「きゃっ!」

 突然の衝撃に、ルナの身体は前のめりに倒れ、冷たい湖の水へと落ちていった。水面が大きく跳ね上がり、飛沫が仲間たちの顔や衣服を濡らす。湖に沈んだ瞬間、ルナの全身を鋭い冷気が包み込み、思わず息が止まった。

 

 次の瞬間――頭の奥で、何かが激しく脈打つような感覚が走った。

(……っ、なに、これ……?)

 視界が一瞬、白く霞み、脳が軋むように痛んだ。ルナは反射的に頭を押さえ、水中で身を丸める。胸の奥で、何かがざわめくようにうごめいているのを感じた。しかし、それはほんの一瞬のことだった。水面へ浮かび上がる頃には、痛みはすっと消え去っていた。

 

「ルナ!」

 シャアラが叫び、駆け寄ろうとする。だがルナはすぐに顔を上げ、何でもないとばかりに片手を挙げた。濡れた髪から水滴が滴り落ち、頬を伝う。

「だ、大丈夫……っ。心配しないで」

 彼女は必死に笑顔を作った。仲間には知られたくなかった。あの異様な感覚を、今は誰にも知られたくない――そう思った。

 

「おいおい、いいダイブだったじゃないか!」

 ハワードが悪びれもせずに笑い声を上げる。

「これで本当に安全だってわかっただろ? 体を張って確かめるなんて、さすがルナだよ!」

 

 その言葉に、ルナの胸に熱い怒りが込み上げた。湖から這い上がると、濡れた服を絞りながら、鋭い目でハワードを睨みつける。

「ハワード! ふざけないで! こんな危険な場所で押したら、本当にどうなるかわからないのよ!」

 彼女の声は震え、周囲の空気を張り詰めさせた。

 

「お、おい……冗談だって。そんなに怒るなよ」

 ハワードは目を逸らし、額の汗を拭った。彼の軽率さを咎めるルナの真剣な眼差しに、少しばかり気圧されたようだった。

「ちょっとしたスキンシップってやつだろ……?」

 

「冗談で済まされることじゃない!」

 メノリが鋭く言い放った。「規律を乱す行為は全体の危険に直結するんだ。二度とするな、ハワード」

「は、はい……」

 ハワードは小さく肩をすくめ、口をつぐんだ。

 

 重苦しい空気が一瞬漂ったが、ルナは深呼吸して気持ちを落ち着けた。今は喧嘩を続けている場合ではない。

「……とにかく、水は十分に汲めたから、次は食料を探しましょう」

 ルナの言葉に皆が頷き、気分を切り替えるように森の奥へと歩き出した。

 

 森は湿り気を帯び、木々の間から差し込む光がまだら模様を描いていた。しばらく歩くと、枝の間に色鮮やかな果実が揺れているのが見えた。丸い形をしており、淡い青白さを放つものと、赤く燃えるような色合いのものが混ざっていた。

 

「見て! 果物よ!」

 シャアラが嬉しそうに指差す。

「淡い青白いのは……まるで月の光を閉じ込めたみたい。月梨、と呼びたいわ」

 その名はすぐに仲間の心に響いた。

 

「そして赤い方は……炎みたいやなぁ。炎果ってとこか」

 チャコがうなずき、前脚を組んだ。「名前はええけど、まずは食べられるかどうか調べんとあかんな」

 

「当然だろう」

 メノリが頷く。「外見だけでは判断できない。検証が先だ」

 

「でも……綺麗ね」

 ルナは果実に手を伸ばしながらつぶやいた。その瞳には、不思議な期待と不安が入り混じっている。

 

「よーし、なら僕が先に食べてみようか!」

 ハワードが胸を張り、炎果をもぎ取ろうとした。

「待て!」

 メノリが鋭く声をかける。「勝手な行動は認めない」

 

 チャコが分析装置で月梨と炎果を調べ始める。結果が出るまでの間、皆は固唾を飲んで見守った。やがて装置が小さく音を鳴らす。

「問題なし! 糖分も水分も豊富で、ビタミン様の成分も含まれとる。どっちも食料としていけるで!」

 

「やった!」

 シャアラが嬉しそうに声を上げ、両手を合わせた。ルナもほっと笑顔を浮かべ、仲間たちは次々に果実を収穫していった。

 

 その中でルナは、湖に落ちた時のあの異変を思い出していた。頭の奥で何かが目覚めようとしている感覚――それは確かに存在した。しかし今は、誰にも話さない。仲間の前で、不安を顔に出すわけにはいかないのだから。彼女は果実を口に運び、静かに微笑んだ。

(大丈夫。私は、皆を守らなきゃ……)

 

 森の奥から湖をあとにして、彼らはゆっくりと帰路についた。手には汲んだ水の入った容器、そして枝葉にくるまれた果物──赤く艶やかな「炎果」と、淡い銀色に輝く「月梨」。ただそれだけで、まるで宝物を抱えているような気分だった。

 

ルナは荷物を胸に抱きながら、仲間たちを振り返った。

「ねぇ、やっと持って帰れるね。これで皆に安心してもらえる」

 

シンゴが息を弾ませつつ、肩の小さなチャコを持ち直す。

「水さえ確保できれば、当分は生き延びられるね! 僕、ちょっと緊張してたけど、よかったぁ……」

 

「当然だろう」メノリは前を向いたまま言い切った。揺るぎない声音は、彼女がどれほど疲れていても規律を崩さないことを物語っていた。「水の確保は最優先事項だ。これで拠点に戻っても、不安の芽をひとつ摘み取れる」

 

「ふー……でも僕、もう足が棒だよ」ハワードがわざとらしく嘆息する。「けど、まぁ……さすが僕たちって感じかな? ちゃんと成果を持って帰れるわけだし」

 

その調子のいい言葉に、ベルは苦笑して首をかしげた。

 

シャアラは両腕に抱いた月梨を落とさぬように大事そうに抱えつつ、ほっと息を漏らす。

 

その声にルナは振り返って微笑んだ。

「さあ、帰りましょう!」

 

小さな笑顔のやり取りが、重たい疲労を少しだけ和らげた。

 

***

 

やがて木々の隙間から、見覚えのある残骸のシルエットが現れた。シャトルだ。傾いた機体の側面が夕陽に照らされ、光を反射している。長い道のりを歩いてきた彼らにとって、その姿はまさに帰る場所そのものだった。

 

「着いた……」シンゴが胸を張り、大げさに両腕を広げる。

 

ルナもつい笑ってしまい、重たい足取りで最後の坂を下る。

 

だが、先に目に入ったのは、シャトルの残骸の影に座り込むひとつの人影だった。黒髪を短く刈り込み、鋭い横顔を見せながら手元の石を削っている──リュウジだ。

 

彼は仲間が戻ったことに気づいているはずなのに、視線を上げることなく、ただ黙々と黒曜石を削り続けていた。光を帯びた刃先がちらりと鋭く光る。

 

「リュウジ!」ルナは思わず声を弾ませ、片手を大きく振った。

「ただいま!」

 

疲れているはずなのに、その声は明るかった。仲間と共に成果を持って帰れた喜びを、真っ先に彼に伝えたかった。

 

だがリュウジは、手を止めなかった。刃を石で研ぐ音だけが乾いた響きを立て、彼の横顔は冷たく、無表情のまま。

 

その沈黙は、ルナの胸に針のように突き刺さった。

 

「……」

 

気まずい空気が一瞬、仲間たちを包む。

 

シンゴが小声で「え、無視された……?」とつぶやき、ベルが「まあまあ」と制した。

 

メノリは眉をひそめ、淡々とした口調で言った。

「ルナの声に応えないのは無作法だ。もっとも、無事に戻ってきた私たちを見れば、それで十分だと考えているのかもしれないが」

 

ハワードは頭をかき、苦笑いを浮かべた。

「ま、まぁ……リュウジらしいっていうかさ。ほら、口数少ないし」

 

「……でも」シャアラが月梨を胸に抱きしめ、視線を落とす。「ルナ、あんなに笑って言ったのに……」

 

ルナは一瞬だけ言葉を失ったが、すぐに笑顔を取り繕った。

「うん、大丈夫。リュウジは……そういう人だから」

 

彼女の声は揺れなかったが、その胸の奥では、ひどく冷たいものが広がっていった。

 

***

 

こうして彼らは、湖からの帰還を果たし、成果を携えて拠点に戻った。

しかし、その場に待っていたひとりの沈黙が、仲間たちの安堵をほんの少し曇らせることになるのだった。

 

ルナの笑顔は空回りしたまま、仲間たちはシャトルの傍らに腰を下ろした。重い荷を降ろす音、肩の力が抜ける安堵の吐息があちこちから漏れる。長い道のりの果てにたどり着いた拠点で、彼らはようやく息を整えた。

 

「とりあえず……これを皆で分けよう」

ルナは抱えてきた果物を広げた。炎果は深紅の表皮に黒い筋が走り、熟したように甘い香りを放っている。月梨は淡く輝き、まるで夜空の欠片を閉じ込めたような美しさだった。

 

「すごい……きれいだね」シャアラが小さな声で感嘆する。

 

ルナはナイフで果物を慎重に切り分けていった。炎果の中身は鮮やかな橙色で、瑞々しい汁が溢れ出す。月梨は淡い青白の果肉を持ち、透明な雫が滴り落ちた。

 

「見てるだけで元気が出そうだな」ベルが柔らかく微笑む。

 

「……まぁ、味は未知数だな」ハワードが肩をすくめながらも、視線は果物に釘付けだった。

 

「大丈夫だよ、もう食べられるって分かってるんだから」シンゴが胸を張る。

 

「俺は甘すぎるのは苦手だ……」カオルが小声でつぶやくと、シンゴが笑って「だったら月梨が合うかも!」と返した。

 

ルナは笑みを浮かべながら、皆に小片を配った。

「さぁ、いただこう。せっかく見つけたんだから」

 

一斉に果物を口に運ぶ。

 

「……あまっ!」シンゴが目を丸くする。

「これ、めちゃくちゃうまい!」

 

ハワードも口に含んだ瞬間、思わず声を漏らす。

「……なるほど、これは……悪くないな。いや、かなりうまい」

 

「思ったより食べやすい」カオルが呟く。

 

ベルは目を細めて頷いた。

「こうして皆で食べられるのが、何より嬉しいよ」

 

シャアラも胸の奥から安堵がこみ上げてくるのを感じながら、静かに言った。

「……ほんとに、幸せな味」

 

ルナは皆の笑顔を見渡し、心から安堵した。

──これで、少しは希望を持ってもらえたかな。

 

ただ一人、輪に加わらない影があった。リュウジだ。相変わらずシャトルの影に座り、削った黒曜石を磨き続けている。果物の香りが漂っても、視線を上げることはない。

 

ルナは切り分けた果物を一片持ち、歩み寄ろうとした。

「……リュウジも、どう?」

 

その瞬間、メノリが低く制した。

「無理に誘う必要はない。食べたい時に自分で来るだろう」

 

ルナは立ち止まり、黙って頷いた。無理やり差し出せば、余計に拒絶されるだろうと分かっていたから。

 

***

 

食後、仲間たちはそれぞれの姿勢で休み始めた。ベルは火のそばに腰を下ろして足を伸ばし、シャアラは月梨の皮を集めて布に包む。シンゴとハワードは口論混じりに「どっちが甘いか」で盛り上がり、カオルはその様子を苦笑しながら眺めていた。メノリは手帳を広げ、地形の記録を確認している。

 

ルナはそんな光景を見つめながら、胸の奥にじんわりとした幸福を覚えていた。

──まだまだ不安も危険もある。でも、こうして皆で食べて笑って……生きてる。それだけで、きっと前に進める。

 

夕陽が傾き、森の影が長く伸びていく。

シャトルの残骸の前には、ほんの短い時間だけ、確かな安らぎが満ちていた。

 

 

夜の帳がすっかり降り、森のざわめきも静かに遠ざかっていく。

シャトルの拠点から少し離れた海辺では、波が岩を撫でるように寄せては返していた。

その水際に、ひとり腰を下ろす影がある。月明かりに照らされる横顔――リュウジだった。

 

ルナは見張りを交代するつもりで近づいたが、その手には槍ではなく竿のようなものが握られているのに気づき、思わず立ち止まった。

 

「リュウジ……何してるの?」

 

彼は顔を上げず、海面をじっと見つめている。竿の先には細長い蔓が垂れ、波間に揺れていた。

 

「……見てわからないのか」

低く返された声。

 

ルナは小さく息を呑み、すぐに目を輝かせた。

「もしかして……釣り!?」

 

リュウジはわずかに眉をひそめ、溜息を吐いた。

「騒ぐな。逃げるだろ」

 

「あ……ごめん」

口を押さえるルナ。けれど、好奇心は抑えきれなかった。

「でも……どうやって作ったの? 糸も針もなかったのに」

 

「……糸は蔓だ」

リュウジは視線を外さぬまま、短く答える。

「木の蔓を裂いて撚り合わせれば十分強度が出る。針は……骨を削って毛ばりにした」

 

「え……骨で? そんなの思いつかないよ。ほんとにすごい!」

 

「……静かにしろ」

リュウジはまたも低く遮った。海面に一瞬揺れが走ったが、すぐに消え去る。

 

ルナは肩をすくめ、小声で「ごめん」と呟きながら、そっと彼の隣に腰を下ろした。

波の音だけが、二人の間を満たす。

 

少し間を置いて、ルナは勇気を振り絞るように口を開いた。

「ねえ……どうして、そんなに距離を置くの?」

 

「協力はしている。それで十分だ」

 

「でも……もっと心を開いてくれてもいいと思う」

ルナは夜風に揺れる髪を押さえながら、真剣な瞳を向ける。

「……それに。不時着のときに言ってたよね。『死ぬのは構わない。だが、俺の罪とお前たちは関係ない』って。あれ、どういう意味?」

 

一瞬、リュウジの目がわずかに揺れる。けれど答えは返らない。代わりに深く重たい溜息が吐き出された。

 

そして彼は手にしていた竿をルナへと差し出した。

「……持ってろ」

 

「えっ?」

戸惑うルナの手に竿が渡される。

 

「火が弱ってる。薪を足してくる」

それだけを告げ、リュウジは背を向けて歩き出した。

 

「もう……逃げた」

ルナは唇を尖らせ、竿を握りしめる。

 

その瞬間だった。

 

「――っ!」

 

竿がぐい、と強く引かれた。

 

「わ、わっ!? ちょっと、待って!」

ルナは慌てて竿を引き寄せる。木の蔓がきしみ、水面が大きく跳ねた。月明かりに銀色の魚影が躍る。

 

心臓が高鳴り、リュウジの不器用な背中が頭に浮かぶ。

ルナはぎゅっと歯を食いしばった。

 

「……絶対に逃がさないんだから!」

 

その声は波と風に溶け、夜空へと響いた。

傍らには、シャトルの残骸で作った水容器。そこに最初の魚が収まるのも、もうすぐだった。

 

 

海面を跳ねた魚は、月光に銀色の軌跡を残しながら必死に暴れている。

ルナは必死に竿を引き寄せ、濡れた砂の上に転がした。

 

「やった……! 捕まえた!」

 

思わず声が弾む。魚はまだ跳ね続けていたが、ルナは慌てて両手で押さえ込み、シャトルの残骸で作った水容器へと放り込んだ。

 

「ふぅ……危なかった」

額にかいた汗を拭うと、背後から足音が近づいてくる。

 

「……騒がしいと思ったら」

薪を抱えたリュウジが戻ってきて、ルナと容器を交互に見やる。

「釣れたのか」

 

「うん! ほら、見て!」

ルナは目を輝かせて容器を示した。水の中で魚が必死に尾を打っている。

「リュウジのおかげだよ。竿も仕掛けも全部リュウジが作ったんだし」

 

「……運が良かっただけだ」

彼はそう言うと、腰を下ろして魚を取り上げた。鋭く割った黒曜石を手にすると、迷いのない動きで魚の腹を切り開き、素早く内臓を取り出して砂に埋める。

次に海水を掬い上げて内側を洗い流し、血を落とすと、綺麗になった身を火のそばに置いた。

 

「……すごい」

その一部始終を見ていたルナが思わず声を漏らす。

「手際がいいね。本当に、なんでもできちゃうんだね」

 

「……生き延びるには必要なことだ」

リュウジは淡々と答えたが、その横顔にわずかな影がよぎった。

 

それ以上は言葉を続けず、木の枝を削って串を作り、魚を突き刺す。

火の上にかざされると、じゅうっと音を立てて脂が落ち、香ばしい匂いが夜風に乗って広がった。

 

「わぁ……いい匂い」

ルナのお腹が小さく鳴る。思わず頬を赤らめた。

 

リュウジは無言で串を返し、焼き色を確かめると、一本をルナに差し出した。

「……食え」

 

「いいの?」

受け取った串はまだ熱く、ルナは指先をひょいと離しながら嬉しそうに笑った。

「ありがとう、リュウジ」

 

焼けた魚にかぶりつく。熱さに思わず「ふーっ」と息を吹きかけるが、次の瞬間には頬がほころんでいた。

「おいしい……!」

 

その声に、リュウジはちらりと視線を向けるが、すぐに火に目を戻す。

「……腹を満たすだけだ」

 

「うん。でも……一緒に食べると、もっとおいしいね」

ルナは素直にそう言った。

 

焚き火のはぜる音と、遠くから聞こえる波の音。

二人の間に漂っていた距離は、ほんの少しだけ近づいたように感じられた。

 

朝の空は薄い桃色から黄金色に変わり、浜辺にやわらかな光が差し込んでいた。潮騒が静かに繰り返し、森の方からは小鳥の鳴き声がこだまする。

 

まだ半分眠たげな声で、シャアラがあたりを見回した。

「……あれ? ルナがいない」

 

「浜辺だ」

焚き火の跡に腰を下ろしていたリュウジが、短く答えた。夜明け前からずっと起きていたらしい。

 

「ほんまに? こんな朝っぱらから何しとんねん」

チャコが眉をしかめ、そそくさと立ち上がる。

 

リュウジの示す方向へ目を向ければ、浜辺にしゃがみ込むルナの姿が見える。水で洗った魚を並べ、手際よく捌いていた。

 

「うわ……ほんまや。あれ、全部ルナが?」

シンゴの目がまん丸になる。

 

ルナもみんなに気づいたようで、ぱっと笑顔を浮かべた。

「おはよう! 見て、見て!」

両手を大きく広げると、その後ろには容器いっぱいに獲れた魚が並んでいる。

 

「こんなに捕れたんだよ!」

 

「すごいなぁ……」

ベルが優しい声で呟く。目を細めて、まるで弟や妹を褒める兄のような眼差しでルナを見ていた。

「ルナ、本当に頑張ったんだな。朝からよう働いた」

 

ルナは頬を赤くして、でも嬉しそうに笑う。

「えへへ……ありがとう」

 

「けど、どうやってこんなに?」

シンゴが首を傾げる。

 

ルナは胸を張って答える。

「リュウジが作ってくれた釣り竿で釣ったんだよ!」

 

「え、リュウジが?」

シャアラが目を丸くする。

チャコは顎に手を当てて「ほぉん、器用やな」と感心の声を漏らす。

 

一方のリュウジは無言で背を向け、黒曜石をいじっているだけだった。

 

「……リュウジ、あんたって本当に不思議やな」

チャコが笑う。

「なんでそんな道具まで作れるんや。普通の学生ちゃうみたいや」

 

「チャコ、言いすぎるな」

カオルがやんわりと制した。

「リュウジはリュウジなりに、みんなのために動いてる。それだけで十分だろ」

メノリが呟く

 

「……そうやな」

チャコは肩をすくめて引き下がる。

リュウジは何も言わずに背を向けたが、その胸の奥には昨夜の出来事がよぎっていた。

 

――魚を焼き終えたあと。

 

「おいしい……」

満足そうに微笑んだルナは、火の前で力尽きたようにまぶたを閉じ、そのままリュウジの肩に頭を預けてしまった。

 

驚いて振り返ったが、起こそうと伸ばした手を止める。

「……」

 

ルナの寝顔は幼いほどに無防備で、疲れを滲ませていた。

その唇から、かすかな寝言が漏れる。

 

「……お母さん……お父さん……置いてかないで……」

 

リュウジの胸の奥に、小さな衝撃が走る。

(……こいつにも、色々あったんだな)

 

何も言わず、肩に預けられた重みをそのまま受け止めた。

遠くの海に月が浮かび、焚き火の炎が二人を淡く照らし続けていた。

 

再び朝

 

やがて空が白み始める頃、ルナはゆっくりと目を覚ました。

「……あれ、私……?」

眠気の残る声で瞬きを繰り返す。

 

「やっと起きたか」

リュウジは短く言う。

「シャトルの中で寝ろ」

 

「ん……でも、なんか久々にぐっすり眠れた気がする」

ルナは伸びをしながら笑った。

 

「……寝ろ」

再び促されるが、彼女は首を横に振った。

 

「ううん、もう起きちゃったから大丈夫。それより……」

ルナは真剣な瞳でリュウジを見上げる。

「釣り方と、魚の捌き方を教えてよ」

 

リュウジは短く溜息をついた。

「……面倒だ」

 

「お願い!」

ルナはにっこり笑って身を乗り出す。

「昨日みたいに、また一緒にできたら嬉しいから」

 

その笑顔に押され、リュウジはしばし黙ったまま視線を逸らす。

「……仕方ない。少しだけだ」

 

ルナは思わず両手を打ち鳴らした。

「やった!」

 

こうして、孤島での新しい一日の始まりは、二人の小さなやり取りから幕を開けた。

 

 

「ルナ、すごいね!」

シンゴが嬉しそうに手を叩く。

「これで朝ご飯、豪華になるじゃん!」

 

「ほんまや、焼いたら絶対うまいで!」

チャコがにやりと笑う。

 

「ルナ、偉いぞ」

メノリがもう一度穏やかに言った。

「ルナのおかげで、今日はみんなの腹も心も満たされそうだ」

 

「うん!」

ルナは少し照れながらも力強く頷いた。

 

そのやり取りを見ていたシャアラは、ふとリュウジに視線を向けた。

「リュウジも……ルナのこと、ちょっとは褒めてあげたら?」

 

リュウジは黙ったまま黒曜石を削り続ける。

 

「もう……」

ルナは少しだけ頬を膨らませたが、笑顔は崩さなかった。

 

浜辺に集まった仲間たちは、ルナが並べた魚の数に目を見張っていた。

潮の香りと、焚き火から立ちのぼる煙が朝の空気に混じる。

 

「ほぉ〜……めっちゃようけあるなぁ」

チャコが腰に手を当てて感心する。

 

「うん! リュウジが作ってくれた釣り竿で、こんなに獲れちゃったんだ」

ルナは目を輝かせ、誇らしげに笑った。

 

「いやぁ……すごいな。朝からこれだけの食料があるなんて」

ベルは柔らかい声で言い、少し目を細めた。

 

「リュウジ……本当に器用なんだね」

シャアラが静かに言うと、リュウジはそっぽを向いたまま、魚を焚き火の上に並べ始める。

 

「俺は道具を作っただけだ。獲ったのはルナだろ」

短く言い捨てるような口調。

 

「でも、釣り方も捌き方も教えてくれたんでしょ?」

ルナは手を止め、にっこりと笑ってリュウジを見る。

「ありがとう。すごく助かったよ」

 

リュウジはわずかに手を止め、だがすぐに「……そうか」とだけ呟いた。

 

「お〜い、もう焼けてるのあるよ!」

シンゴが串を手にとって跳ねるように声をあげる。

 

「焦がさんように気を付けや」

チャコが慌てて火加減を見に行く。

 

「じゃあ、みんなでいただこうか」

ベルが穏やかに提案し、全員が頷いた。

 

魚の香ばしい匂いが漂い、口に入れるとじゅわっと旨味が広がる。

 

「うまっ! これ……めちゃくちゃうまいやん!」

チャコが大声をあげる。

 

「ほんとだ! 塩とかないのに……」

シンゴも夢中でかぶりついた。

 

「素材の味が生きているんだな」

ベルがにこやかに言う。

 

そのとき、ハワードが腕を組んで言った。

「おい、俺には大きめの魚をよこせ。腹減ってんだよ」

 

一瞬空気が止まる。

しかしルナは苦笑して、一番大きな魚を差し出した。

「はい、ハワード。これならいいでしょ?」

 

「ふん……まあまあだな」

ハワードは受け取り、豪快にかぶりつく。

 

「なんか、こうしてみんなで食べると、不安も少し和らぐね」

シャアラが微笑む。

 

「食料が確保できるって大事だからな」

カオルは串を持ったまま、淡々とした口調で言う。

 

「ルナ、リュウジ。ほんとによくやってくれた」

メノリが真っ直ぐに礼を言う。

「これで、今日一日は少し安心できる」

 

ルナは照れ笑いを浮かべて頷いた。

リュウジは黙って魚を口に運んでいたが、その表情はいつもより少しだけ和らいで見えた。

 

魚を食べ終えた仲間たちは、少し満足した表情で海風に当たりながら休んでいた。腹を満たすと、ようやく気持ちにも余裕が生まれてくる。

 

「さて……次のことを考えなければならない」

メノリが魚の骨を置き、凛とした口調で切り出した。

 

「水だろ?」

カオルが焚き火の灰を払いつつ呟く。

 

「そうだ。フェアリーレイクは確かに豊富な水源だが、遠い。半日かけて行き来するのは非効率だ」

メノリは冷静に言い、全員の視線を集めた。

 

「じゃあ……どうするの?」

ルナが問いかける。

 

「シャトルに近い森の中に、貯水池を作る。湖で水を汲み、大きな布に移して運び、そこに溜めるんだ」

 

「なるほどな……」

ベルが感心したように頷いた。

「確かに、拠点のすぐそばに水があるのは安心だ」

 

「やっぱりメノリって頼りになるね」

シャアラが柔らかく笑いかける。

 

「ふん、まあ理にはかなってるな」

ハワードは腕を組んだままうなずいた。

 

「じゃあ、今日から実行しよう」

メノリの声は決意に満ちていた。

 

 水汲みと運搬

 

大きな布を広げ、湖まで行って水を汲む。仲間たちは交代で布の端を持ち、森の中へと運んでいった。

 

「うわっ!」

シンゴが岩に足を取られ、布が揺れた。危うく水がこぼれそうになる。

 

「シンゴ! しっかり持て!」

メノリの叱責が飛ぶ。

 

「ご、ごめん……でもわざとじゃないよ!」

シンゴは必死に言い訳をするが、メノリは「気を抜くな」と冷たく言い放った。

 

その言葉に、シンゴの顔が曇る。唇を噛みしめ、うつむいたまま歩く姿に、ルナは心配そうに目を向けた。

 

(……シンゴ、頑張ってるのに)

ルナの胸の中に小さな痛みが残る。

 

やがて森の中に掘った浅い窪地へと着き、布から水を流し込む。貯水池はまだ小さいが、確かに水が溜まり始めていた。

 

「これで……拠点の水の問題は一歩解決だな」

ベルが安堵の声を漏らした。

 

 食料探しの指示

 

「次は食料だ」

メノリは汗を拭いもせず、すぐに次の課題を提示した。

 

「ちょ、ちょっと待てよ……」

ハワードが声をあげる。

「俺たちは湖まで行って、布で水運んで……もうヘトヘトだぞ。少し休ませろって」

 

「ダメだ。無駄にできる時間はない。生き延びるために、私たちは動き続けなければならない」

メノリは迷いなく返す。

 

「……お前、いつまでリーダー気取りなんだよ」

ハワードの声が低くなる。

 

「何だと?」

メノリが眉をひそめる。

 

「ここは修学旅行の延長じゃねえんだ。お前が生徒会長だからって、勝手に仕切んな!」

ハワードの怒声が森に響いた。

 

「私は仕切っているのではない。最善の判断をしているだけだ」

メノリも負けじと冷ややかに言い返す。

 

重苦しい空気に、皆が黙り込む。ルナは両手を胸の前で握り、ベルは落ち着かせようと口を開こうとした。

 

「……だったらよ」

ハワードが吐き捨てるように言った。

「今日の夜にでも、多数決で決めりゃいいだろ。誰がリーダーか、はっきりな」

 

一瞬、静寂が流れる。

やがてメノリは鋭い視線を返したまま、短く頷いた。

 

「いいだろう。多数決で決める。それで不満がなくなるのならな」

 

仲間たちは顔を見合わせ、不安そうに頷く者、視線を逸らす者、それぞれの反応を見せた。

次第に風が強まり、森の木々をざわめかせる。

その音が、彼らの胸に広がる緊張をさらに煽っていた。

 

貯水池に水を溜め終えたあと、仲間たちは一息ついた。だが、腹は正直だ。魚を食べたとはいえ、全員の胃袋を満たすには十分ではない。

 

「次は食料の調達だ」

メノリが鋭い視線で全員を見回す。

「果物は数が限られている。持ち帰れる量も少ない。となれば……動物性のたんぱく源を確保する必要がある」

 

「動物って……罠とかで捕まえるやつか?」

カオルが眉を上げる。

 

「そうだ。足跡を探して、そこに仕掛けを設ければ捕獲できる。小型の獣なら、枝と蔓を使った落とし罠で十分だろう」

メノリは淡々と説明し、既に頭の中では設計を組み立てていた。

 

「小型の獣……あのワラビーみたいなのか」

ルナが思い出したように呟く。

以前森の奥で見かけた、すばしっこいあの生き物。食料になるとリュウジが言っていた。

 

「うん、あれなら私も見た!」

シャアラが目を輝かせる。

「でも、すっごく可愛かったよね」

 

「可愛いからといって見逃す余裕はない。生きるためには捕らえるんだ」

メノリの口調は厳しく、妥協の余地を与えなかった。

 

罠の設置

 

森の中に入り、獣道を探す。落ち葉の上には小さな足跡が点々と続いていた。

 

「ここだな」

ベルがしゃがみ込み、指で土をなぞる。

「軽い足取り……ワラビーのやつかもしれない」

 

「じゃあ、ここに仕掛けるぞ」

メノリは素早く枝を集め、蔓で結び合わせていく。

輪を作り、軽く踏めば閉じるような仕掛けを作りながら、的確に仲間へ指示を飛ばした。

 

「ルナ、枝をもう一本持ってこい。

ベル、その石で支柱を打ち込め。

チャコは結び目を確認してくれ」

 

「はい!」

ルナは大きな枝を抱えて駆け寄る。

 

「……ふむ、これなら強度も十分だ」

チャコが仕上げを確認すると、メノリは満足げに頷いた。

 

「これで罠は完成だ。あとは獣がかかるのを待つだけだ」

 

捕獲の瞬間

 

その後、少し離れた場所で息を潜め、待つことにした。

森の空気はしっとりとしていて、時折鳥の声が響く。

仲間たちは緊張した面持ちで罠の方を見つめていた。

 

やがて、カサカサと落ち葉を踏む音が近づく。

現れたのは、あのワラビーのような小動物だった。

丸い耳をぴんと立て、小さな前足で地面を探るように跳ね回っている。

 

「……来た」

ルナが思わず声を漏らしかけるが、ベルに口を押さえられた。

 

小動物は警戒しながらも、やがて罠の上に足を踏み入れる。

次の瞬間――バシンッ! 

罠が閉じ、蔓が小さな体を絡め取った。

 

「やった……!」

ルナが小さく声を上げた。

 

だが、その瞬間――

「待って!」

シャアラが立ち上がり、罠の方へ駆け寄ろうとする。

 

シャアラの葛藤

 

「やめて! 可哀想……!」

罠にかかった小動物は必死にもがき、悲鳴のような声を上げていた。

 

「シャアラ!」

メノリが制止の声を放つ。

「近づくな。危険だ」

 

「でも……こんな小さな子、食べるなんて……!」

シャアラの目には涙が浮かんでいた。

両手を胸に当て、必死に訴える。

 

「生きるためだ」

メノリの声は冷たかった。

「情に流されていては、全員が飢える。犠牲なくして生存はない」

 

「……っ」

シャアラは言葉を失い、その場で立ち尽くした。

 

ルナはそんな彼女を見て、胸が締めつけられる思いだった。

(シャアラの気持ちもわかる……でも、私たちだって生きなきゃ……)

 

仲間たちの間に重い沈黙が落ちた。

 

森の中、仕掛けた罠からは苦しげな鳴き声が響いていた。

皆が駆けつけると、小型のワラビーのような獣が足を罠に取られ、必死にもがいていた。前足は深く食い込み、血がにじんでいる。

 

「……っ」シャアラは思わず目を覆った。「かわいそう……こんなの、助けてあげようよ」

 

「シャアラ!」メノリがきつく声を飛ばす。「私たちが仕掛けた罠なのよ。もう責任は逃げられない」

 

「だが……止めを刺すのはお前だろう?」ハワードがすぐさまメノリを睨んだ。「お前がリーダー気取りで指示したんだ。責任を取れ」

 

「何だって? 自分はやらないのか?」メノリが怒気を込めて睨み返す。

 

「僕がやる必要はない!」ハワードは胸を張った。「こういうのはお前の役目だ。ほら、やれよ」

 

「……っ、最低な奴だな」メノリが歯を食いしばる。だが、獣の苦しげな声に近づこうとはしなかった。

 

そのやりとりを見ていたルナは、槍を強く握りしめた。胸の鼓動が耳の奥で鳴り響く。

「……私がやる」

 

空気が一瞬で変わった。

「ルナ?」ベルが驚いたように目を細める。

 

ルナは一歩、また一歩と獣に近づいた。足元の落ち葉がざくりと音を立てるたびに、槍を握る手が震えた。

「……怖いけど、でも……」

 

「おい、やめとけ。無理するな」ハワードが吐き捨てるように言う。

 

「うるさい!」ルナの声は震えながらも鋭かった。「私だって怖いよ……でも、誰かがやらなきゃ……!」

 

その瞬間、ルナの手から槍がふっと奪われる。

「貸せ」

 

リュウジだった。黙ったまま槍を握りしめ、息をひとつ吐く。

「俺がやる」

 

「リュウジ……」ルナの声がかすれる。

 

リュウジは無言で獣に歩み寄り、その目を一瞬だけ見据えた。そして、ためらいなく槍を突き出した。

短い鳴き声が途切れ、森に重い沈黙が落ちる。

 

「…………」

シャアラはその場にしゃがみこみ、両手で顔を覆った。肩が小刻みに震えている。

 

「仕方なかったんだ」ベルが静かに言葉を添える。「これで……みんなの命がつながるんだ」

 

だが、シャアラは答えず、ただ下を向いたまま。

ルナは胸に重たいものを抱えながら、槍を持つリュウジの背をじっと見つめていた。

 

リュウジは振り返らず、短く吐き捨てるように言った。

「……これが現実だ」

 

焚き火の赤い光が、獣の肉を串に刺して炙る。

カオルは無言のまま、鋭い手つきで肉を捌いていった。骨と肉を無駄なく分け、串に刺し、火のそばに並べていく。

 

「……できた」

短くそう告げ、視線も上げずに仲間へ串を渡した。

 

「やった! やっと肉だ!」

ハワードが待ちきれない様子で声を張り上げる。

「果物や根っこばっかりで、僕もう干からびるかと思ったんだよ! ……うん、この匂い、最高!」

豪快にかぶりつくと、口元が脂で光った。

 

ベルは串を両手で持ち、ゆっくりと頷いた。

「……ありがたいな。命をいただくんだ。ちゃんと感謝して食べよう」

その声は柔らかく、焚き火の音に溶ける。

 

「おいしい……」

シンゴが小さく頷き、顔をほころばせる。

「これなら、また頑張れるよ」

 

「食べないと、明日は動けなくなるだろう」

メノリは厳しい声で言い、迷いなく肉を口に運んだ。

 

だが、シャアラは串を見つめたまま、唇を噛んで首を横に振った。

「……私、ちょっと……」

 

「シャアラ」メノリが鋭く目を向ける。「食べなきゃ意味がない」

 

「でも……あの子、苦しそうに……」

シャアラの声は震え、瞳は涙に濡れていた。

 

「じゃあ、僕が食べてあげようか?」

ハワードがにやりと笑い、手を伸ばす。

「僕なら何本でもいけるよ!」

 

「やめて!」

シャアラは慌てて串を抱え込んだ。

 

カオルは焚き火の向こうで淡々と口を開く。

「……食わないなら、それでいい」

短く吐き捨てるような声。

「ただ、無駄にはならない。誰かが食う」

 

その言葉にシャアラは目を伏せ、小さな肩を震わせた。

 

ルナが立ち上がり、思わず声を荒げた。

「もうやめてよ! シャアラの気持ちを考えてよ!」

その瞳は強く燃えていて、焚き火の光を映して揺れていた。

 

仲間たちが一瞬、息を呑んだ。

 

ルナはシャアラの隣にしゃがみ込み、優しく笑みを向けた。

「無理に食べなくてもいいよ。大事なのは、みんなでここにいることだもの」

 

「……ルナ……」

シャアラの声がかすかに震え、涙がこぼれそうになった。

 

ベルが穏やかに頷いた。

「ルナの言うとおりだな。少しずつでいいんだ。シャアラ、無理はしなくていい」

 

「……でも、食べないと……」

シャアラはまだ迷っていた。

 

ルナは微笑みながら、自分の串を差し出した。

「じゃあ、私が一緒に食べる。少しだけでも、勇気を出そう?」

 

火の粉が舞い、夜の森が静かに包む。

シャアラはしばらく迷ったが、やがてルナの言葉に背を押され、ほんのひと口だけ肉をかじった。

「……うん」

 

ベルが優しく微笑む。

 

焚き火の炎が揺れ、赤い光がみんなの顔を順番に照らしていた。

誰も口を開かず、ぱちぱちと木がはぜる音だけが夜に響く。やがてメノリが立ち上がり、手帳を胸に抱えたまま冷静に口を開いた。

 

「昼間の言い合いの結果だ。リーダーは多数決で決める。それでいいな?」

 

誰も反対しない。皆、静かに頷いた。

 

ルナは少し緊張しながらも立ち上がり、焚き火の炎に照らされた顔を上げた。

 

「リーダーは……ベルがいいんじゃないかなって思う。ベルは落ち着いてるし、みんなを守れる力もあるから」

 

名前を呼ばれたベルは驚いたように目を見開いたが、すぐに困ったように首を振る。

 

「いや……ルナの方がいいと思う。ルナはみんなを引っ張ってくれてる。俺は力はあるけど、人をまとめるのは苦手だから」

 

「そんなことないよ」ルナは慌てて首を振った。「私はまだまだだし……」

 

そのやり取りを聞いていたシャアラがすぐに笑顔で言った。

「私はルナがいいと思う。いつも前を向いてるから」

 

「僕も賛成だよ。ルナが声を出すと、なんか頑張ろうって思えるし」シンゴもはっきりと口にする。

 

視線が自然とカオルとリュウジに集まる。

カオルは黙って焚き火を見つめたまま、短く言った。

「……ルナでいい」

 

リュウジは目を伏せ、低い声で言葉を落とす。

「俺も同じだ。ルナならできる」

 

ハワードは肩をすくめて鼻を鳴らす。

「メノリじゃなきゃいい。ルナでいいさ」

 

その一言に、メノリの表情がきゅっと強張った。唇を噛み、手帳を握る手に力がこもる。だがやがて、深く息を吐いて目を閉じた。

 

「……多数決なら、異論はない」

 

こうして場は自然にまとまった。

沈黙を破ったのはチャコだった。焚き火の明かりに照らされた丸い目がきらりと光る。

 

「ルナ、あんたがリーダーや。ウチ、しっかり横で支えるで。データも調べるし、みんなの役に立ってみせる」

 

チャコの言葉に場の空気が少し和らぐ。ルナは胸に手を当て、仲間たちの顔を順に見渡した。

 

「ありがとう。でも、本当に私なんかでいいのかな。私はまだ全然頼りないし……」

 

ベルがやわらかく笑った。

「頼りないなんて思ってないよ。みんなもそうだろ?」

 

「うん」シンゴが大きく頷く。

「そうだよ」シャアラも続ける。

 

リュウジは黙って頷き、カオルは焚き火越しにルナを一瞥しただけだが、それが確かな肯定だった。

 

ルナは一度俯き、深呼吸してから顔を上げる。

「……じゃあ、決めたからには、みんなで一緒にやっていこう。一人じゃできないことばっかりだから。私は皆に支えてもらいながら、ちゃんと前を向く。だから……よろしく」

 

その声は震えていたが、確かな強さがあった。

焚き火の炎が大きく揺れ、その決意を祝福するように夜空へ火の粉を散らしていった。

 

夜の海はどこまでも暗く、潮騒だけが一定のリズムで耳に響いていた。

焚き火はもうほとんど消えかけ、残り火が赤く呼吸を繰り返すように揺れている。

 

その少し離れたところで、リュウジがひとり腰を下ろしていた。膝を抱えるように座り、背筋を伸ばして視線は遠い海へ。月光に照らされた横顔は硬く、近寄りがたい影を纏っている。

 

シャトルの残骸の中で横になっていたルナは、どうしても眠れなかった。胸の奥がそわそわと落ち着かない。気がつけば毛布をそっと抜け出し、冷たい砂を踏んで彼の背を追っていた。

 

気配に気づいたリュウジがわずかに顔を動かす。

「……また来たのか」

 

感情の読めない声。振り返りもしないが、確かに彼女に向けられた言葉だった。

 

ルナは小さく笑い、彼の隣に腰を下ろす。

「うん。ちょっと、眠れなくて……それに、聞きたいことがあって」

 

リュウジは答えない。月明かりに照らされた彼の瞳は、ただ波打ち際の闇を映していた。

 

しばらく黙って彼の横顔を見つめていたルナは、意を決して口を開いた。

「ねえ、どうして……私をリーダーに推薦したの?」

 

その問いに、リュウジはわずかに肩を揺らした。だが、返答はなかった。沈黙だけが流れ、潮騒がふたりの間を満たす。

 

「……そうなんだね」ルナは小さく息を吐いた。

「リュウジにとっては、誰がリーダーでも同じなんだ。だったら、深く考えてないってことか」

 

自分で口にしてみると、胸の奥にじんと寂しさが広がる。彼女は無理に笑みを作り、立ち上がった。

「ごめんね、邪魔しちゃった。もう寝るよ」

 

背を向けて歩き出そうとしたその瞬間。

 

「……誰でもいいってことはない」

 

低く鋭い声が夜気を切った。

 

ルナの足が止まる。振り返ると、リュウジは依然として座ったまま、ただ視線だけを彼女に向けていた。

 

「不時着した時……真っ先にみんなを引っ張ったのはお前だ。オオトカゲに襲われた時も、獣に止めを刺す時も……お前が最初に『自分からやる』って言った」

 

ルナは息を呑む。リュウジの声は淡々としているのに、その一つひとつが胸の奥に強く響いた。

 

「それに……」彼は少し言葉を選ぶように間を置く。

「お前には……誰かを思いやる心がある」

 

その一言に、ルナの胸が温かくなった。彼がそんな風に見てくれていたことに驚き、同時に嬉しさが込み上げる。

 

「……じゃあ、どうしてメノリじゃだめだったの?」

 

素直な疑問が口をついて出た。

 

リュウジは視線を海に戻す。

「修学旅行とかなら問題なかった。けど、これはサバイバルだ。適性がいる」

 

「適性……」

 

「メノリは自分に厳しい。それは悪いことじゃない。けど、同じ厳しさを他人にも求める。俺やカオルならまだしも……シンゴやハワードはあれじゃついていかない」

 

静かな口調。けれど一切の迷いはなかった。

 

ルナはしばらく彼を見つめていたが、やがてふっと笑みをこぼした。

「……ちゃんと見てるんだね、リュウジって」

 

リュウジは表情を変えずに、ただ少しだけ肩をすくめる。

 

ルナは立ち上がり、名残惜しそうに砂を払った。

「ありがと。……でも、あんまり無理しないでね」

 

リュウジの返事はなかった。だが、彼の視線がほんの一瞬だけルナを追ったことに気づいて、ルナは胸の奥が温かくなるのを感じた。

 

彼女は小さく手を振り、シャトルの方へと歩いていった。背後で波の音と、リュウジの沈黙が夜に溶けていく。

 

シャトルの中はしんと静まり返っていた。

それぞれが疲れ果て、深い眠りに落ちている。わずかに聞こえるのは寝息と、外の波の音だけ。

 

ルナはそっと入口をくぐり、毛布の端を手に取った。まだかすかに残る焚き火の匂いが鼻をかすめる。

 

横になりながら、彼女は天井をじっと見つめた。目を閉じても眠れない。胸の奥に残るのは、さっきのリュウジの言葉。

 

――「誰でもいいってことはない」

――「お前には……誰かを思いやる心がある」

 

その低い声が耳の奥で何度も響き、心を熱くする。

 

「……リュウジ、そんな風に思ってくれてたんだ」

 

小さくつぶやくと、頬がじんわり熱くなる。これまで、彼はいつも冷たく、どこか距離を置いていた。それなのに、ずっと見ていてくれたのだと知ると、不思議な安心感が広がっていった。

 

同時に、彼があまりに自分を顧みず、無理をしているのではないかという思いが、胸の奥に引っかかる。

「……無理しないでね、って言ったけど……ちゃんと届いてるかな」

 

答えはもちろん返ってこない。けれど波音の合間に、外でじっと座っているリュウジの背中を思い浮かべると、まるでそこから静かな返事が届いたように感じられた。

 

ルナは小さく息を吐き、毛布をきゅっと抱き寄せる。

「……大丈夫。リーダーとして頑張るから。みんなのために。リュウジも、きっと隣で……」

 

言葉は途中で溶けていく。まぶたが重くなり、意識が波にさらわれるように沈んでいった。

 

こうしてルナは、久しぶりに心からの安堵に包まれて眠りについた。

シャトルの外では、月光を浴びたリュウジが、変わらぬ姿勢で海を見守り続けていた。

 

リーダーに選ばれてから一週間。

ルナは日々、仲間たちの表情を気にかけながら過ごしていた。朝になれば食料を探し、昼は水を運び、夜はシャトルで身を寄せ合って眠る。そんな繰り返しの生活。

 

最初は皆が前向きに協力していたが、日が経つにつれて疲労と苛立ちが顔を出すようになっていた。

 

その日も昼食後、空気はどこか重苦しかった。

 

「ちょっとは休ませてよ!僕は限界なんだ!」

ハワードが声を張り上げる。

 

「僕だって疲れてるよ!でも食料を集めないと、明日のご飯がなくなるんだ!」

シンゴも負けじと反論した。

 

二人は互いに睨み合い、今にも取っ組み合いになりそうだった。

 

「ちょっと待って!」

ルナが慌てて二人の間に飛び込んだ。

「ハワード、シンゴ!喧嘩しても仕方ないでしょ。みんな同じくらい大変なんだから!」

 

ハワードはふんと顔をそむけ、シンゴは唇を噛んで黙り込む。

 

ルナは二人を見回し、深く息を吸った。

「……ごめん。私がもっとちゃんと考えてあげられたらよかったよね。狭いシャトルでぎゅうぎゅうになって寝て、昼間はずっと外で働いて……そりゃ、ストレスも溜まるよ」

 

その言葉に、シャアラがぽつりとつぶやく。

「夜は……外は危ないから、シャトルしかないんだよね……」

 

「せやなぁ」チャコが小さくうなずいた。

「この島、夜はオオトカゲやら獣やら、何が出てくるかわからへん。シャトルは壊れとっても鉄の箱や。夜に安全なのは、あそこだけやで」

 

皆の間に沈黙が落ちた。

その静けさを破ったのは、ルナの声だった。

 

「……だったら、シャトル以外に、もう一つ“安全な場所”を作ればいいんじゃないかな」

 

皆の視線が一斉にルナに向く。

 

「例えば……“大いなる木”。あの大きな木の上に、家を建てることはできないかな?」

 

「大いなる木に……家を?」ベルが目を丸くする。

「木の上なら……確かに、獣は登ってこれないかも」

 

だがすぐにメノリが首を振った。

「でも、あのあたりにはオオトカゲがいる。近づくのは危険だ」

 

「木の下にはね」ルナは真剣な表情で言葉を返す。

「でも、大いなる木の上なら問題ないでしょ?あの高さなら、オオトカゲだって登ってこられない」

 

「なるほど……」リュウジが腕を組んで考え込む。

「上から見張れば、外の様子も分かる。シャトルより見晴らしがいいかもしれないな」

 

「でも、どうやって建てるんだ?」シンゴが不安げに尋ねる。

「木の上に家なんて……」

 

「方法なら考えよう。みんなで力を合わせればできるはずだよ」

ルナは力強く言った。その瞳には不安と同じくらい、仲間を信じる意志が宿っていた。

 

ベルがぽつりと笑う。

「……なんか、ワクワクしてきたな」

 

シャアラも少しずつ笑顔を取り戻す。

「うん……木の上で寝られたら、夜も少しは楽しくなるかも」

 

チャコが腕を組んでうなずいた。

「なるほどなぁ。狭いシャトルでギスギスするより、木の上で広々寝られる方がええわ」

 

「でも油断は禁物だ」メノリはまだ厳しい顔を崩さない。

「木の上だからといって絶対に安全とは限らない」

 

「分かってる。でも、今のままじゃ皆が壊れちゃう」ルナは静かに答えた。

「だから、新しい居場所を作ろう。みんなで――大いなる木に、私たちの家を」

 

仲間たちはそれぞれ考え込みながらも、少しずつ頷いていった。

新しい挑戦が、今まさに始まろうとしていた。

 

「それじゃあ、夕方までには戻るから」

ルナは背負ったリュックを直しながら、仲間たちに声をかけた。

 

「気をつけろよ」リュウジが短く告げる。

 

「任せて!」ルナは笑顔で返すと、シャアラ、メノリ、ハワード、シンゴ、ベル、チャコと共に歩き出した。

大いなる木を調べに行く――その期待と不安を背負いながら。

 

残されたのは、リュウジとカオル。

二人はしばらく無言で、出発していく仲間たちの背を見送った。

 

やがてリュウジが小さく息を吐き、カオルに目を向ける。

「……どうせ帰ってきたら、木を切ったり加工したりすることになる」

 

カオルは頷いた。「……だろうな」

 

「だったら今のうちに、道具を用意しておくべきだ」

リュウジはそう言って、シャトルの残骸の方へ歩き出した。

 

シャトルの影。

歪んでねじれた鉄板の一枚を、リュウジは足で押さえつける。

 

「ノコギリを作る」

ぼそりと呟く声に、カオルがわずかに眉を動かした。

 

「……ノコギリ?」

 

「木を切るのに手斧や槍じゃ効率が悪い。鉄板を加工すれば使える」

 

カオルは黙って鉄板を見下ろし、それから肩をすくめた。

「……やってみろ」

 

リュウジは石を拾い上げ、鉄板の端を叩き始めた。

ガン、ガン、と乾いた音が空気を震わせる。

 

カオルも近くにしゃがみ込み、無言で別の石を手にする。

「……こっちは押さえておく」

 

二人は言葉少なに、しかし呼吸を合わせて鉄板を加工していった。

強く叩きつけるたびに、鉄の表面に細かい凹凸が刻まれていく。

 

しばらくすると、リュウジが口を開いた。

「……刃の形をギザギザにする。木の繊維を引っかけるためだ」

 

「ふん」

カオルは相槌ともつかぬ声を返し、黙々と石を振り下ろした。

 

汗が額を流れ落ちるころ、鉄板の一辺には確かにギザギザの歯が並んでいた。

リュウジはそれを持ち上げ、光に透かして確認する。

 

「……試すぞ」

 

近くに生えていた細い木へ歩み寄り、鉄板を幹に当てて前後に動かす。

キィ、キィ、と鉄と木が擦れる音が響く。

 

数度繰り返すと、木の繊維が少しずつ削られ始めた。

 

「……いける」

リュウジが短く言う。

 

カオルが顎を引いた。「思ったより切れてるな」

 

「完璧じゃないが、薪くらいなら作れる」

 

二人は周囲の枯れ木を切り倒し、次々とノコギリで切り分けていった。

ザク、ザクと刃が木を裂き、ほどなくして数本の薪が積み上がる。

 

カオルが切り口を眺めながら呟く。

「……悪くない」

 

「これで、大いなる木の上に家を建てる準備もできる」

リュウジの声は低かったが、その眼差しには確かな手応えが宿っていた。

 

二人はまた無言に戻り、黙々と鉄板を研ぎ直しては木を切る作業を繰り返す。

 

昼の作業を終えて積み上げられた薪は、すでに小さな山を成していた。

リュウジが手慣れた動きでそれを割り、火の中へくべていく。火花が弾け、乾いた木の匂いがあたりに漂った。

 

その隣でカオルは腕を組み、黙って火を見つめていた。

やがて、低く呟くように言った。

 

「……最近、ルナと仲良さそうだな」

 

リュウジは手を止め、わずかに眉をひそめた。

「どういう意味だ?」

 

カオルは顔を上げず、炎の奥を見たまま答える。

「夜……一緒にいるのをよく見かける。釣りしてた時も、見張りの時も」

 

リュウジは鼻を鳴らし、乾いた笑いのような息を吐いた。

「……あいつが勝手にしてることだ」

 

カオルはようやくリュウジに視線を向ける。

「……そうか」

それ以上何も言わず、再び炎に視線を戻した。

 

短いやり取り。だが、そこにわずかな温度差が残る。

リュウジは火箸代わりの棒で薪を突きながら、何かを振り払うように小さく息を吐いた。

 

調査組の帰還

 

夕方。

西の空が茜色に染まり始めたころ、林の向こうから賑やかな声が近づいてきた。

 

「ただいまー!」

ルナが真っ先に姿を見せ、元気に手を振った。

 

その後ろからシャアラやメノリ、ハワード、シンゴ、ベル、チャコがぞろぞろと続く。みな額に汗をにじませ、足取りには疲れが見えるが、表情には達成感が宿っていた。

 

「見て! 大いなる木、本当にすごかったよ!」

シャアラも興奮した様子で続ける。

「まるで空まで届いているみたいなの……! 登るのは大変そうだけど、上なら安全だと思うわ」

 

メノリは腕を組み、真剣な表情で頷いた。

「問題は、どうやってあの高さまで資材を運ぶかだな。縄の使い方次第だろう」

 

「おーい! こっちの方がすごいぞ!」

ハワードが声を張り上げ、シャトル前に積まれた薪の山を指差した。

 

「うわぁ……!」シンゴが目を丸くする。

「すごい! こんなに切りそろえられてるなんて……」

 

「ほんまや。しかもノコギリまで作っとるやん!」チャコは鉄板のギザ刃を見て目を輝かせた。

「残骸からここまで加工するなんて……よう思いついたなぁ」

 

ベルは薪を一つ手に取り、切り口をじっと見つめた。

「……リュウジ、カオル。すごいよ。これなら建材もちゃんと準備できる」

彼の声は穏やかで、だが確かな感嘆が込められていた。

 

ルナは感激したように笑い、リュウジに駆け寄った。

「ありがとう! 本当に助かるよ。これで……みんなの家づくりが前に進むね!」

 

しかしリュウジはそっけなく視線を逸らすだけだった。

「……仕事だ。やることをやっただけだ」

 

その言葉にルナは少し唇を尖らせたが、それでも嬉しそうに薪の山を見上げ続けた。

 

夜、シャトルの外。焚き火の明かりに囲まれて、皆が集まっていた。

今日の夕食は、昼に採れた木の実と、干し肉のように炙った獣の肉。質素ではあるが、全員が少し笑顔を見せながら箸を動かしている。

 

食べ終わった頃、チャコが立ち上がり、焚き火の明かりを背にして皆を見回した。

「みんな。今日の“大いなる木”の調査の結果を報告するね」

 

ルナが姿勢を正すと、他の仲間も真剣に耳を傾ける。

 

「まず、根の張り方。地面深くまで広がってて、まるで大地そのものと繋がっているみたいやった。強風や揺れにもびくともせんやろうな」

チャコの声は淡々としているが、どこか誇らしげだった。

 

「それと幹の強度。あの太さやったら、人間の家を一軒建ててもびくともせん。枝の分岐点を利用すれば、基礎はしっかり組めるはずや」

 

「ほんとに……木の上に家が建てられるんだね」

ルナが目を輝かせると、シンゴも「すごいなぁ!」と声を上げた。

 

「ただし……」チャコは一呼吸置いて続ける。

「設計をきちんと考えんと、重さのバランスを崩して危険なことになる。だから今夜、火の番をしながら設計図を描いてみるつもりや」

 

「頼もしいな」ベルが微笑む。

「チャコがいれば、俺たちの家は大丈夫だ」

 

メノリも腕を組みながら「それなら資材集めも計画的にできそうだな」と頷いた。

 

ルナは嬉しそうにチャコへ向き直る。

「ありがとう、チャコ。私たちが安心して眠れる場所を作ろう!」

 

砂浜に描かれる設計図

 

夜も更け、皆がシャトルへ戻っていく頃。

チャコはひとり、焚き火から火のついた棒を取り、砂浜へしゃがみ込んだ。

 

「……ここが幹で……枝がこう伸びとる。基礎は三角形に組んで……」

ぼそぼそと独り言を言いながら、棒の先で砂に線を引いていく。暗闇に囲まれた砂の上に、徐々に家の設計図が浮かび上がっていく。

 

そのとき、背後から足音が近づいた。

「……何をしとるんや?」

 

振り返ると、釣り竿を肩に担いだリュウジが立っていた。焚き火の残光に照らされ、表情は影になっている。

 

リュウジは砂の図面に目を落とすと、短く言った。

「……食料集め」

 

チャコは少し呆れたように眉をひそめる。

「こんな夜中にか? 全然寝とらんやろ」

 

リュウジは視線を逸らし、淡々と答えた。

「……あんまり眠ることができない体質になったんだ」

 

「体質……?」

チャコはその言葉に一瞬引っかかりを覚えた。だが、リュウジの横顔にそれ以上の問いを投げることはしなかった。

 

「……まあ、ええわ。気ぃつけてな」

チャコはそれだけ告げ、再び砂に線を描き始めた。

 

リュウジは少しの間、黙ってその姿を見ていたが、やがて踵を返し、波打ち際の方へ歩いていった。

潮騒の音に混じって、竿を担ぐ金属音が静かに響いていた。

 

朝日が昇り始め、砂浜は金色に照らされていた。

潮風はまだ少しひんやりしていて、焚き火の残り火から漂う煙が空へ溶けていく。

 

シャトルから次々と仲間たちが顔を出し、伸びをしながら外へ出てきた。

ベルが大きく息を吸い込む。「ふぅ……今日もいい天気だね」

「ほんと。朝からこんなに空が広いと、ちょっと気持ちが救われるね」ルナもリュックを抱き直しながら微笑んだ。

 

すると、砂浜の端でしゃがみ込んでいるチャコに気づく。

「チャコ? もう起きてたんだ」

「いや、寝とらん。ずっと描いとったんや」

 

仲間たちが集まると、チャコは棒を手に立ち上がり、砂に描かれた複雑な線を指し示した。

そこには、幹を中心に三角形の基礎を組み合わせた骨組み、枝の上に乗る床板の位置、さらには屋根を想定した斜線までが描かれている。

 

「これが……家?」シンゴが目を丸くした。

「そうや。大いなる木の枝に沿って基礎を組む。三角形をベースにすれば揺れに強い。床はこの辺りに板を並べて……高さは大人が立っても余裕あるくらい。雨が降っても屋根が斜めに流す仕組みにする」

 

「すごい……ちゃんと考えられてる」ルナは思わず声をあげた。

シャアラも「まるで本当に木の上に家があるみたい……」と目を輝かせる。

 

ベルは図面をじっと眺めて、穏やかに言った。

「チャコ、君は本当に頼もしいね。これなら……僕たちが安心して眠れる日も近い」

 

「ふん、こんなもんで本当に作れるのかよ?」ハワードが腕を組む。

だがメノリがすかさず言い返す。

「現状、唯一の具体的なプランだ。否定するなら自分で考えてみたらどうだ?」

 

「ぐっ……」ハワードは口をつぐんだ。

 

ルナが笑顔で仲間を見回した。

「でも……夢みたいだよね。木の上に私たちの家ができるなんて」

 

シンゴがはしゃいで言う。

「木の上なら、オオトカゲも上がってこられないよね!」

「せやな。あの大きさやと幹は登れんやろう。せいぜい下で吠えるだけや」チャコが冷静に答える。

 

カオルは腕を組んだまま、ぶっきらぼうに「悪くない」とだけ呟いた。

リュウジは皆の後ろで黙って設計図を見ていたが、口元がわずかに動いた。

 

その気配に気づいたルナが「リュウジ、どう思う?」と声をかけると、彼は短く「……十分だ」と答えた。

 

その言葉にチャコが小さく頷く。

「なら、今日から材料集めを始めよか。板に使える太めの枝、縄の代わりになる蔓……あとは……」

 

「よし、分担して進めよう!」ルナが両手を叩いて皆を奮い立たせた。

太陽が高く昇る前に、新しい拠点作りが動き出そうとしていた。

 

太陽が高く昇り始めたころ、一行は大いなる木を目指して出発した。

「僕はここで魚を取っておくよ! 焚き火の番もしなきゃだし!」とハワードが胸を張って宣言し、拠点に残った。

その後ろ姿にシンゴが小声で「サボる気じゃないよね……」と呟いたが、ルナは「大丈夫だよ」と微笑んで歩を進めた。

 

森を抜け、見上げるとそこには圧倒的な存在感を放つ大いなる木。枝は空に広がり、太い幹は仲間全員が両手を広げてようやく抱えられるほどの太さだった。

 

「……やっぱり大きいな」ベルが汗を拭いながら呟いた。

「本当にここに家を作れるんだね……」シャアラは見上げながら少し怯えも混じった声を出す。

ルナは、胸の奥が熱くなるのを感じながら仲間に笑顔を向けた。

「うん。今日からここが、みんなの未来の場所になるんだ」

 

作業はすぐに始まった。二人一組で木を探し、鉄板を加工したノコギリを手に、交互に押し引きする。

 

ベルとシンゴの組は、すぐに大きな木を選んだ。

「ベル、もっと力入れて!」

「わかってる……でも、すごい固いな」

「大丈夫だよ、僕がリズムを合わせるから!」シンゴは小柄な身体で必死に押し引きし、ベルは大きな手でその動きを支えた。ぎこちなさの中に、確かな協力が芽生えていた。

 

カオルとリュウジの組は、言葉少なに淡々と伐採を進める。

「……真っすぐ伸びてる」

「使えるな」

互いに短く言葉を交わすだけだが、切り進める音は着実に木を倒すリズムとなって森に響いた。

 

シャアラとメノリは、伐り倒された枝を払い、細い木をまとめていく。

「けっこう重いね……」

「気を抜くな。ちゃんと揃えて積まないと後で困る」

メノリの厳しい言葉に、シャアラは一瞬たじろぐが、それでも両腕で木を抱え「わ、私もやれる……!」と必死に声を絞り出す。

 

ルナはあちこちを回りながら、仲間に声をかけていた。

「ベル、もうちょっと! シンゴと呼吸を合わせて!」

「シャアラ、無理しないで。でもすごいよ!」

その笑顔は疲れを押し隠すものの、仲間に安心を与えていた。

 

チャコの確認

 

「チャコ!」ルナが伐り倒された一本を指さすと、チャコはちょこちょこと駆け寄ってきた。

幹に耳を当て、トントンと叩き、表面を舐めるように眺める。

「うん、こりゃええ木や。虫食いもないし、幹の詰まり具合も問題なし。建材にぴったりやで!」

「やった!」シンゴが飛び跳ねる。

「よし、一本確保だね!」ルナも両手を打ち合わせた。

 

 木を何本か集め終わると、ルナは仲間を集めて声を上げた。

「ねえ……せっかくだし、今日は枠組みだけでも作ってみない?」

 

「枠組み?」シンゴが目を瞬かせる。

「大いなる木の枝に丸太を組んで、骨組みだけでも形にするの。そうすれば、ここに家ができるんだって実感できると思うんだ」

汗で濡れた額を押さえながら、ルナは仲間を見渡した。

 

チャコはにやっと笑い、「おおきに、ルナ。ええアイデアや! ウチもワクワクしてきたわ!」と尻尾を振った。

「……確かに、形が見えた方がやる気は出るな」カオルが短く賛同する。

「なら決まりだ。きちんと蔓を締めなければ危険だが……私が見ておく」メノリも冷静に頷いた。

力を合わせて

 

伐った丸太を大いなる木の枝に引き上げ、蔓で縛る。

「せーの!」ルナが合図すると、全員が力を込めて丸太を引く。

 

ベルの大きな体が重さを支え、シンゴとシャアラが必死に押す。

「こっちにもう少し! 傾いてる!」メノリの声が飛ぶ。

「わかってる!」ルナが答え、蔓をきゅっと締め上げる。

リュウジは無言で丸太の角度を直し、カオルは黙々と支え続ける。

 

丸太が枝に固定されると、みんなは一斉に息を吐いた。

 

「……すごい、もう家の骨組みに見えるよ」シャアラが目を丸くする。

「ほんまやな。ええ感じにできとるで!」チャコが感嘆の声をあげる。

「これが……俺たちの家になるんだな」ベルが呟いた。

 

ルナは胸の奥が熱くなるのを感じながら、仲間を見渡した。

「うん。ここから始まるんだね。私たちの、新しい居場所が」

 

夕暮れの森は、橙色の光に包まれていた。

大いなる木の枝に組み上げられた丸太の基礎は、まだ不格好ながらも確かに家の形を思わせていた。

 

「やったな……」

ベルが大きな手で額の汗をぬぐい、ぽつりと呟く。

 

「すごいよ……ほんとに、できてる」

シャアラが胸の前で両手を組み、目を輝かせた。

 

「これでようやく、私たちの居場所が一歩進んだな」

メノリも息を整え、誇らしげに見上げる。

 

シンゴは嬉しそうに丸太を叩き、「これならもっと補強できるよ!」と声を弾ませた。

 

ルナは仲間たちを見渡し、自然と笑みがこぼれる。

「みんなで力を合わせたから、ここまでできたんだね」

 

チャコも腕を組んでうなずき、「ほんま、よう頑張ったわ。ウチ、感動してまうで」と目を細めた。

 

そのとき――

 

「おーい! みんなーっ!」

 

間の抜けた、けれどやけに元気な声が響いた。

振り向けば、ハワードが両手を振りながら駆けてくる。

 

「ハワード?……」シャアラが小さ首を傾げた。

「魚は?」シンゴが首をかしげる。

 

「えーっと……一匹も釣れなかった!」

ハワードはあっけらかんと笑い、胸を張った。

 

「……堂々と言うことじゃないだろ」メノリが眉をひそめる。

「ほんまにあんたってやつは……」チャコも呆れる。

 

だがハワードは気にする様子もなく、大いなる木を見上げて目を丸くした。

「おおっ! これはすごい! もう基礎ができたのか!」

 

「触るなよ、まだ仮止めなんだから!」シンゴが慌てて声をあげる。

「危ないから、登らないで!」ルナも警告する。

 

だが次の瞬間、ハワードは枝をつかんでスルスルと登り始めた。

「ちょっと見るだけだって! 大丈夫、大丈夫!」

 

「ほんまにやめとき!」チャコが尻尾を逆立てる。

「ハワード!」ベルも必死に呼びかける。

 

だが聞く耳を持たず、ハワードは基礎の丸太に飛び乗った。

「おーっ! 思ったより高いな! わぁ、気持ちいい!」

 

「降りろ!」メノリが鋭く叫ぶ。

「危ないってば!」ルナが必死に手を伸ばす。

 

だが、ハワードは興奮したまま飛び跳ね始めた。

「おおっ! 案外頑丈だぞ! いけるいける!」

 

「やめろ! 蔓が持たない!」シンゴが青ざめる。

「ほんまに切れるで!」チャコが声を震わせる。

 

ピシッ……

 

乾いた音が、夕暮れの森に響いた。

丸太を縛っていた蔓の一本が、音を立てて裂けた。

 

「ハワード! 今すぐ降りて!」ルナが悲鳴をあげる。

「ま、まずい……!」ハワードも顔を引きつらせた。

 

だが遅かった。

バキッ! メリメリッ!

 

次々と蔓がはじけ飛び、固定されていた丸太が大きく傾く。

 

「うわああっ!」

ハワードの叫びと同時に、木の上にあった基礎の丸太は無造作に地面へと落下していった。

 

ゴウッ! ドシャーンッ!

 

轟音とともに木屑と土埃が舞い上がり、せっかく積み上げた努力が、一瞬にして崩れ去った――。

 

土煙がようやく晴れたとき、森の中はしんと静まり返っていた。

地面には、さっきまで枝の上に組み上げていた丸太の基礎が、無惨に散らばっている。蔓は千切れ、木片がそこかしこに突き刺さり、仲間の誰もが言葉を失った。

 

「……あああ……」

シンゴはがっくりと膝をつき、唇を震わせた。

「やっと……やっとここまでできたのに……!」

 

「ほんまや……」チャコは耳を伏せ、しっぽを力なく垂らす。

「どんだけ時間と体力つこうたと思てんのや……全部パーやないか」

 

「これが、どれほどの作業だったかわかっているのか?」

メノリの声は低く、怒りを必死に押さえているのがわかる。

「計画も工程も、全部崩壊したんだぞ……!」

 

三人の非難の視線が、一斉にハワードに突き刺さった。

当の本人はしばらく呆然としていたが、次第に眉をひそめ、ふいに笑みを浮かべた。

 

「……ふん、こんなもん」

ハワードは両手を広げ、落ちている丸太を見渡した。

「人ひとり支えられないような家なんて、ただのガラクタだろ? むしろ早めに壊れてよかったじゃないか」

 

「なっ……!」

シンゴは勢いよく立ち上がり、顔を真っ赤にした。

「お前が飛び跳ねなきゃ、まだ持ってたんだよ! 僕たちが何時間もかけて作ったんだぞ!」

 

「だからさ、その程度のもんだってことだろ?」

ハワードは肩をすくめ、まるで悪びれた様子もない。

「だったらまた作り直せばいい。僕に言わせりゃ、最初から甘いんだよ」

 

「ふざけんな!」

シンゴは一歩前に詰め寄った。

「ハワードは一度だって真剣に作業したか? 釣りも失敗して、役に立たなくて、挙げ句の果てに全部壊して……!」

 

「なんだと!」

ハワードの顔が怒りに歪み、二人の間に火花が散る。

 

「やめて!」

ルナが慌てて二人の間に飛び込んだ。

両腕を広げ、シンゴとハワードを必死に押しとどめる。

 

「シンゴ、気持ちはわかる。ハワードのせいで大事なものを失ったって、私も悔しい。でもね……!」

ルナはシンゴをまっすぐ見つめ、言葉を続けた。

「壊れてしまったものは、もう戻らないんだよ。怒りをぶつけても、余計に仲間がバラバラになるだけだよ」

 

シンゴの肩が震え、目には悔し涙がにじんでいた。

 

ルナは今度はハワードに向き直る。

「ハワード、あなたの言いたいこともわかる。壊れるものなら、いずれまた同じことが起こるかもしれない。だから改良が必要だって言いたいんでしょ?」

 

ハワードは一瞬言葉に詰まったが、すぐに鼻を鳴らした。

「……まあ、そういうことだ」

 

「でもね、それを『ガラクタ』なんて言葉で片づけちゃだめだよ」

ルナの声は柔らかいが、はっきりとした強さを帯びていた。

「みんなで汗を流して作った努力まで、否定することになるんだから」

 

その言葉に、シンゴもハワードも口を閉ざす。

怒りと悔しさは消えない。けれど、ルナの必死な眼差しが、二人を少しだけ立ち止まらせた。

 

チャコがため息をつきながら口を開いた。

「……ルナの言うとおりや。ウチらは仲間やろ。ケンカしてる場合やないで」

 

メノリも腕を組み、眉をひそめたまま頷く。

「まずは冷静になることだ。やり直すにしても、次はもっと堅牢な方法を考えなければならない」

 

重苦しい沈黙の中、それでも少しずつ皆の呼吸は落ち着いていった。

失ったものの大きさに心は沈んでいたが――ルナの言葉が、崩れかけた絆をつなぎ止めていた。

 

大いなる木の根元で、誰もがしばらく呆然と立ち尽くしていた。崩れ落ちた基礎の丸太は、まるで彼らの心を映すように無惨に散らばり、静かな森の中に虚しい音を残している。

 

「……戻ろう」

最初に口を開いたのはメノリだった。腕を組み、唇を固く結びながら仲間を見渡す。

「今日の作業は失敗に終わった。夜も遅い。危険を冒してここで過ごす必要はない。シャトルへ戻るべきだ」

 

その言葉に、皆は小さく頷いた。シンゴは肩を落とし、チャコも耳を垂らしたまま無言で歩き出す。

火がちらつく砂浜に比べれば、シャトルの中は窮屈でも安全だ。皆がそう思っていた。

 

だが、歩きながらルナの胸には、別の思いが渦巻いていた。

(……このままでいいのかな? みんな疲れてる。狭いシャトルで押し込められて、昼間は体を酷使して……。その繰り返しじゃ、いつか限界が来る)

 

夜風が頬を撫でる。後ろを歩くシャアラの姿が目に映る。疲れ切った顔で、それでもルナに寄り添うように歩く親友。彼女を見て、ルナは決意を固めた。

 

シャトルに戻ると、皆はほとんど言葉を交わさず腰を下ろした。小さな明かりが灯る空間に、重苦しい沈黙が広がる。

 

「今日の件を見てわかっただろう」

メノリが口を開き、冷静な声が響いた。

「やはりシャトルで過ごしたほうがいい。ここは狭いが、安全性は確認されている。余計な危険を冒す必要はない」

 

するとルナが顔を上げた。瞳は疲れているのに、そこにははっきりとした光が宿っていた。

「……私はそうは思わない」

 

皆の視線が一斉にルナに注がれる。

 

「確かに、シャトルは安全。でもね……みんなの顔を見ればわかるよ。この狭さと不自由さが、どれだけストレスになってるか。シンゴとハワードのケンカだって、そのせいでしょ?」

 

シンゴは顔を伏せ、ハワードは不満げにそっぽを向いた。

 

「だから私は、大いなる木に家を作るのが一番だと思う。広くて風も通って、皆がちゃんと休める場所を作る。それがこれから先を生き延びるために必要なんだ」

 

メノリは眉をひそめた。「だが今日の失敗を見ただろう。危険すぎる」

 

「うん、わかってる」

ルナはしっかりと頷いた。

「でも、あれは準備不足だったからだよ。丸太の数も足りなかったし、蔓だって細くて弱かった。次はもっと――今までの倍以上の丸太を用意する。そして、蔓も太くて頑丈なものを探す」

 

静かな空気の中に、ルナの声だけが響いた。

 

「時間はかかる。でも、きっとできる。みんなで力を合わせれば」

 

チャコが耳をぴんと立て、小さく笑った。

「……ルナの言うこと、わからんでもないな。確かに広い家があったら、ウチらもぐっすり眠れるやろ」

 

ベルもおずおずと口を開いた。

「……俺も、大きな木の上で寝られたら安心だと思う。父さんも昔、森でのキャンプは木の上が一番だって言ってたし……」

 

シンゴも頷いた。「僕も……まだ諦めたくない」

 

少しずつ、皆の表情に光が戻っていく。

 

メノリは腕を組み、深く息を吐いた。「……そうか。ルナがそこまで言うなら、否定はしない。ただし次は、絶対に失敗は許されない。いいな?」

 

「うん!」

ルナは力強く頷き、仲間の顔を順番に見渡した。

「もう一度やろう。今度は、みんなで絶対に完成させよう!」

 

その言葉に、小さなシャトルの中に、確かな決意の熱が灯っていった。

 

その夜、狭いシャトルの中には疲労と落胆が漂っていた。

崩れ落ちた基礎の残骸が目に焼き付いて離れず、誰もが言葉を失っていた。外では虫の声が響いているのに、ここだけ時間が止まったように重苦しい。

 

ルナは膝を抱えながら、ぼんやりと天井を見上げていた。

(どうすれば……どうすればもっと強い基礎が作れるんだろう?)

 

ふと目に入ったのは、狭い空間を形作る銀色の壁だった。月明かりを反射して淡く光る鉄板。

その瞬間、胸の奥で火花が散ったように閃いた。

 

「……シャトルだ!」

 

思わず声を上げると、皆の視線が集まる。ルナは勢いのまま身を乗り出した。

 

「ねえ、シャトルの鉄板を使えないかな? 基礎にあの鉄板を敷いたら、もっと頑丈になると思う!」

 

その提案に、最初に反応したのはシンゴだった。

「それだ! 鉄なら丸太よりずっと強いよ!」

瞳を輝かせ、両手を叩いて喜ぶ。

 

「すごい発想、ルナ!」

シャアラも笑顔になり、ぱちぱちと手を叩く。

 

ベルも目を丸くして、「父さんがよく言ってた。鉄は木よりも耐久性があるって! これで家が壊れなくなるんじゃないか!」と声を弾ませた。

 

一瞬、閉ざされていた空気がぱっと開け、希望の光が差し込んだかのように皆が顔を上げた。

その表情を見て、ルナも胸が熱くなり、頬を緩ませた。

(よかった……! みんながまた元気を出してくれた!)

 

だが、そのとき――冷ややかな声が響いた。

 

「どうやって持っていくつもりだ?」

 

メノリだった。腕を組み、じっとルナを見据えている。その目には冷静さと、どこか苛立ちが混ざっていた。

 

「この鉄板は大人でも動かすのが難しい。私たちの人数と力で、どうやって大いなる木まで運ぶつもりだ?」

 

はっとして、シンゴもシャアラもベルも言葉を失った。

現実を突きつけられ、さっきまでの喜びが一気に霧散していく。

 

チャコもリュウジもカオルも、すぐには何も言えなかった。ただ無言で顔を見合わせ、結局は静かに頷いた。

「……確かに、そうやな」

チャコの耳がしょんぼりと下がる。

 

「なんだよ、ぬか喜びさせやがって!」

ハワードも落胆の声を漏らした。

 

その様子を見たメノリはさらに言葉を重ねた。

「不用意な発言は、皆を失望させるだけだ。希望を持たせるのは簡単だが、その希望が叶わなければ、それは裏切りになる」

 

空気がぴんと張り詰めた。

ルナの胸は、締め付けられるように痛んだ。

 

「言い過ぎやろ」

チャコが低い声で呟き、メノリを咎めるように睨んだ。

 

しかしルナは首を横に振った。

「……ごめん」

 

その一言は、思った以上に小さな声になった。

希望を与えられると思ったのに、逆に皆をがっかりさせてしまった。そんな思いが胸の中で渦巻いて、声が震えた。

 

シンゴもシャアラもベルも、言葉を失いながらルナを見ていた。彼らの表情には「責めてはいけない」と「でも現実は厳しい」という複雑な感情が入り混じっていた。

 

シャトルの中に再び沈黙が訪れた。

風の音が鉄板を震わせ、ぎしぎしと軋む。その音が、ルナの心に重く響いた。

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