サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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ガーネットとユイ

 

ランとガーネットが十四班に来てから、しばらく経った。

 

最初は、全員が少しずつ固かった。

 

ランは緊張すると声が大きくなる。

 

ミラは同期であるランがいることで安心している反面、自分も先輩側に立たなければならないという意識で、時々動きが慎重になりすぎる。

 

ガーネットは副パーサー経験者として、動きそのものは整っていた。立ち姿も、声の出し方も、報告のまとめ方も、一定以上に安定している。

 

けれど、十四班ではそれだけでは足りない。

 

自分が整っているだけでは、現場は整わない。

 

ランを前に出す。

 

ミラを支える。

 

カイエの指摘を受け止める。

 

ククルの勢いを殺さず、エマの静かな補正を拾う。

 

エリンの意図を読み、リュウジから入る航行側の情報を客室に変換する。

 

そのすべてを、ガーネットは少しずつ学んでいた。

 

そして、カイエはまだガーネットを許していなかった。

 

それは誰の目にも分かった。

 

仕事はする。

 

必要な指摘もする。

 

「今の補助は、良かったと思います」

 

そう言えるようにもなった。

 

けれど、許したわけではない。

 

ペルシアが十班でどれだけ傷ついたか。

 

その後、ドルトムントを辞め、宇宙管理局へ移ることを選んだ時、どんな顔をしていたか。

 

カイエは忘れていない。

 

ガーネットが、十班のチーフパーサーによるエリンへの処分工作を知らせ、その結果、十班で孤立していたことも知った。

 

知らなかった事実を知った。

 

それは受け止めた。

 

けれど、受け止めることと、許すことは違う。

 

カイエは、その線を曖昧にしなかった。

 

ガーネットも、それを求めなかった。

 

ただ、仕事で見せる。

 

それだけを積み重ねていた。

 

そんなある日のことだった。

 

訓練後の十四班事務所には、冬の気配が入り始めていた。

 

コロニー内の人工気候は制御されているが、それでも季節感を演出するため、通路の温度や照明は少しずつ変わる。

 

夕方の光は前よりも低く、事務所の窓に映る宇宙港の灯りも、どこか冷たく見えた。

 

ランは訓練記録を見ながら、肩を落としていた。

 

「また最初の声が大きかった……」

 

ミラが横から覗き込む。

 

「でも前よりは落ち着いてたよ」

 

「ミラ、慰めてる?」

 

「半分」

 

「半分なの?」

 

「残り半分は本当」

 

「つまり、半分は慰めなんだ」

 

「うん」

 

「正直すぎる」

 

ランとミラは互いには通常口調で話す。

 

十班で同期だった二人の距離感は、十四班の中でも少し独特だった。

 

そのやり取りを、ククルが少し離れたところで笑いながら見ている。

 

「ラン、声は大きいけど元気があるからいいと思うよ」

 

ランはすぐに姿勢を正した。

 

「あ、ありがとうございます、ククルさん」

 

「ラン、私にはそんなに固くなくていいよ」

 

「でも、まだ慣れなくて……」

 

「そこも三割落とそ」

 

「三割……」

 

ミラが小さく笑う。

 

「ラン、全部三割落とせばちょうどいいかも」

 

「ミラまで」

 

エマが資料を片づけながら言う。

 

「ランは反応が速いから、そのままでいいところもあるよ。ただ、言葉が出る前に息を一つ吐くともっと良くなると思う」

 

「ありがとうございます、エマさん」

 

「うん。無理に急がなくていい」

 

カイエは端末を閉じ、ランの記録を見た。

 

「ラン、今日の後半は悪くなかった。特に乗客役の不安を拾うのは早かった」

 

「ありがとうございます」

 

「ただ、拾った後にすぐ謝罪に入る癖がある。謝罪より先に、相手が何を知りたいのかを見て」

 

「はい。気をつけます」

 

カイエはミラにも視線を向ける。

 

「ミラはランを支えようとしすぎる時がある。ランが自分で戻せる時は、待って」

 

「はい。分かりました」

 

「うん。二人とも、今日は前より良かった」

 

ランとミラは少しだけ顔を見合わせた。

 

嬉しそうだった。

 

その空気を、ガーネットは静かに見ていた。

 

かつての十班では、褒める言葉は少なかった。

 

失敗を避けるための注意はあっても、次にどうすればいいかを渡す言葉は少なかった。

 

十四班は違う。

 

厳しい。

 

だが、逃げ道を塞ぐ厳しさではない。

 

戻る道を示す厳しさだった。

 

ガーネットがその違いを噛みしめていると、奥の席でタツヤ班長が大きく伸びをした。

 

「よし」

 

全員の視線が集まる。

 

タツヤ班長は、いつもののらりとした表情で言った。

 

「そろそろ寒くなるし、みんなでおでんでも食べながら、ランとガーネットの歓迎会をやろうか」

 

一瞬、事務所が止まった。

 

その後、ククルがぱっと顔を明るくする。

 

「おでんですか!」

 

「いいねぇ。寒くなると、やっぱりおでんでしょ」

 

エマが静かに頷く。

 

「歓迎会としては、かなり十四班らしい気がします」

 

「派手な店より、温かいもの食べる方がうちっぽいでしょ」

 

タツヤ班長はそう言って笑った。

 

エリンが少し呆れたように、けれど嬉しそうに言う。

 

「班長、急ですね」

 

「思いついた時にやらないと、こういうのは流れるからね」

 

「それは分かりますけど」

 

「エリン、店の候補ある?」

 

エリンは少し考えた。

 

「あります。宇宙港の第三区画に、個室に近い席があるおでん屋さんがあります。人数が多くても入れると思います」

 

「さすが」

 

「ただし、予約は必要です」

 

「そこは任せた」

 

「はい」

 

エリンはタツヤ班長には敬語で返す。

 

リュウジが端末を閉じ、静かに言った。

 

「歓迎会ですか」

 

タツヤ班長が笑う。

 

「リュウジも来るんだよ」

 

「はい。もちろん行きます」

 

「何その、業務命令を受けたみたいな返事」

 

エリンがリュウジを見る。

 

「リュウジ、歓迎会だからもう少し気楽にね」

 

「分かりました」

 

「その返事がもう硬い」

 

ククルが小さく笑う。

 

「リュウジさんらしいですね」

 

エマも頷く。

 

「リュウジさん、歓迎会も任務みたいに受け取っていますね」

 

リュウジは少しだけ困った顔をした。

 

「任務だとは思ってない」

 

カイエが静かに言う。

 

「でも、準備は完璧にして来そうですね」

 

「食べに行くだけだろ」

 

「リュウジさんの場合、店の場所、避難経路、帰りの便まで確認しそうです」

 

リュウジは一瞬黙った。

 

「……確認しておいた方がいいだろ」

 

ククルが笑った。

 

「やっぱり!」

 

エリンも少し笑った。

 

ランはそのやり取りを見て、少し緊張がほぐれたようだった。

 

「十四班って、訓練以外でもこういう感じなんですね」

 

ミラが小声で返す。

 

「うん。割といつもこうだよ」

 

「ミラ、最初からよく馴染めたね」

 

「最初は全然だったよ」

 

「でも今は自然だよ」

 

「そう見えるなら、少しは成長したのかも」

 

ランはミラを見て、少し嬉しそうに笑った。

 

ガーネットは、そんな二人を見ていた。

 

エリンがガーネットに声をかける。

 

「ガーネット」

 

「はい、エリンさん」

 

「歓迎会、参加できる?」

 

「もちろんです。ありがとうございます」

 

「固くしなくていいよ。ランもガーネットも、もう十四班の一員なんだから」

 

ガーネットの表情が一瞬だけ止まった。

 

それから、静かに頷く。

 

「はい」

 

十四班の一員。

 

その言葉は、まだ少し重い。

 

けれど、拒む重さではなかった。

 

 

歓迎会の日。

 

宇宙港第三区画のおでん屋は、人工重力の調整音がかすかに響く古い通路の奥にあった。

 

大きな看板はなく、暖簾のような布に小さく店名が書かれている。

 

扉を開けると、湯気と出汁の香りが一気に広がった。

 

大根。

 

卵。

 

こんにゃく。

 

厚揚げ。

 

餅巾着。

 

牛すじ。

 

つみれ。

 

昆布。

 

人工気候で寒さが演出されているとはいえ、宇宙港の通路から入ると、その温かさは妙に身体に染みた。

 

ククルが思わず声を上げる。

 

「いい匂い……!」

 

エマも静かに微笑む。

 

「これは当たりですね」

 

カイエが店内を見渡す。

 

「席も奥で落ち着けそうです」

 

ミラがランの袖を軽く引く。

 

「ラン、固まってる」

 

「だって歓迎会って言われると緊張する」

 

「おでんだよ」

 

「おでんでも緊張する」

 

「ランらしい」

 

ランとミラは笑い合った。

 

奥の席にはすでにタツヤ班長がいた。

 

だが、一人ではなかった。

 

小さな女の子が、タツヤ班長の隣で湯気の上がる鍋をじっと見つめている。

 

ユイだった。

 

「あ」

 

ククルが小さく声を漏らす。

 

エリンの表情が柔らかくなる。

 

「班長、ユイも連れてきたんですか?」

 

タツヤ班長はいつものように手を上げた。

 

「うん。今日は預け先の都合がつかなくてね。歓迎会だけど、まあ、ユイも十四班には慣れてるし」

 

ユイはエリンを見るなり、ぱっと顔を明るくした。

 

「エリンさん!」

 

エリンは笑って手を振る。

 

「ユイ、こんばんは」

 

それからユイの視線がリュウジを見つけた。

 

「リュウジ!」

 

リュウジは少しだけ目を丸くしたが、すぐに落ち着いて頷いた。

 

「こんばんは、ユイ」

 

ユイは迷わず席を立ち、ぱたぱたとリュウジの方へ走ってきた。

 

「こっち!」

 

「こっち?」

 

「リュウジ、こっち座って!」

 

タツヤ班長が苦笑する。

 

「ほら、こうなる」

 

エリンが少し困ったように笑う。

 

「ユイ、リュウジにも席を選ばせてあげて」

 

「だって、リュウジはここ!」

 

ユイは奥の座席の端を指差した。

 

リュウジはエリンを見る。

 

「……座ってもいいですか?」

 

エリンは小さく笑った。

 

「いいんじゃない? ユイが呼んでるし」

 

タツヤ班長も頷く。

 

「頼むよ、リュウジ。今日はユイ係も兼任で」

 

「分かりました」

 

「任務みたいに返事するねぇ」

 

リュウジは少し困った顔をしたが、ユイに手を引かれるまま席へ向かった。

 

ユイは満足そうにリュウジの隣に座る。

 

そして、すぐに反対側を指差した。

 

「エリンさんもここ!」

 

エリンが目を瞬かせる。

 

「私も?」

 

「うん。リュウジの隣!」

 

その瞬間、十四班の何人かが微妙な顔をした。

 

ククルは口元を押さえ、エマは静かに視線を逸らす。

 

カイエは表情を変えないようにしているが、ほんの少し口元が動いた。

 

ミラは何となく察して、ランの袖を引く。

 

ランはまだ意味が分かっていない。

 

ガーネットは、ユイを見ていた。

 

その目が、意外なほど柔らかかった。

 

普段の整った姿勢。

 

隙のない表情。

 

丁寧で、少し距離のある態度。

 

それとはまるで違う。

 

ユイを見るガーネットの顔には、自然な温かさがあった。

 

タツヤ班長がそれに気づく。

 

「ガーネット、子ども好き?」

 

ガーネットは少し驚いたように顔を上げた。

 

「え……あ、はい。好きです」

 

タツヤ班長が少し面白そうに笑う。

 

「意外だねぇ」

 

「よく言われます」

 

ガーネットは少しだけ視線を逸らした。

 

だが、ユイが鍋の方を覗き込もうとすると、すぐに手を伸ばした。

 

「ユイ、そこ熱いから近づきすぎないで」

 

その声は柔らかかった。

 

ユイはきょとんとして、ガーネットを見る。

 

「だれ?」

 

ガーネットは少し膝を折るようにして、ユイと目線を近づけた。

 

「ガーネット。今日から、じゃなくて少し前から十四班にいる」

 

「ガーネット?」

 

「うん」

 

「きれいな名前」

 

ガーネットの表情が一瞬止まった。

 

それから、ほんの少しだけ笑った。

 

「ありがとう」

 

ククルが小声でエマに言う。

 

「ガーネットさん、今すごく優しい顔してたね」

 

エマも頷く。

 

「うん。意外だった」

 

カイエも見ていた。

 

許していない。

 

それは変わらない。

 

けれど、今のガーネットがユイを見る目は、演技には見えなかった。

 

ガーネットはユイが鍋に近づきすぎないように、さりげなく器を手前へ寄せた。

 

「熱いものは、少し待ってから食べるんだよ」

 

「うん」

 

「卵は好き?」

 

「好き!」

 

「じゃあ、あとで少し冷ましてもらおう」

 

「うん!」

 

ユイはにこにこしていた。

 

タツヤ班長が目を細める。

 

「へえ。本当に子ども好きなんだ」

 

ガーネットは少し照れたように言う。

 

「子どもは、反応がまっすぐなので」

 

「大人は?」

 

「面倒です」

 

タツヤ班長が吹き出した。

 

「そこ、正直だね」

 

ガーネットは少し慌てて姿勢を正す。

 

「すみません、タツヤ班長」

 

「いや、いいよ。俺もだいたい同意見」

 

エリンは、ユイに呼ばれるままリュウジの隣に座った。

 

席順としては、ユイを真ん中に、リュウジとエリンが両側から挟む形になった。

 

タツヤ班長は向かい側。

 

その横にククル、エマ、カイエ。

 

少し離れてミラとラン。

 

ガーネットはユイが見える位置に自然と座った。

 

「ユイ、熱いからゆっくりね」

 

エリンが小皿に大根を取り、少し箸で割って冷ます。

 

リュウジは湯気の立つ卵を見て、ユイに聞いた。

 

「卵、半分にするか?」

 

「うん!」

 

「熱いから待て」

 

「待つ」

 

「本当か?」

 

「待つ!」

 

ユイは真剣に頷いた。

 

その様子を見て、リュウジは卵を半分に割り、黄身が崩れないように慎重に小皿へ移した。

 

「熱いぞ」

 

「うん」

 

「ふーってするか?」

 

「リュウジがして」

 

「俺が?」

 

「うん!」

 

リュウジは一瞬だけ迷った。

 

それから、周囲の視線に気づかないふりをして、卵に軽く息を吹きかけた。

 

エリンが横から半眼で見る。

 

「リュウジ」

 

「熱いので」

 

「甘やかしすぎ」

 

「今日だけです」

 

「この前もそう言ってた気がする」

 

「……覚えていません」

 

「覚えてる顔だよ」

 

ユイは嬉しそうに笑っている。

 

「リュウジ、やさしい!」

 

リュウジの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

「熱いものは危ないからな」

 

「じゃあ、もう一個もリュウジがふーってして」

 

「一個だけだ」

 

「えー」

 

「……じゃあ、大根ならいい」

 

エリンがすぐに言う。

 

「リュウジ」

 

「卵は一個です」

 

「そういう問題じゃない」

 

「大根は野菜です」

 

「そういう問題でもない」

 

タツヤ班長が笑いをこらえながら言う。

 

「リュウジ、ユイには甘いねぇ」

 

リュウジは少し困った顔をした。

 

「甘やかしているつもりはありません」

 

ククルが小声で言う。

 

「完全に甘やかしてますね」

 

エマが静かに頷く。

 

「かなり甘いです」

 

カイエも淡々と続ける。

 

「普段のリュウジさんからは想像できないですね」

 

エリンは小さくため息をつき、ユイの小皿を確認する。

 

「ユイ、大根は一つだけね。卵も食べたから」

 

「はーい」

 

「リュウジも勝手に追加しない」

 

「分かりました」

 

「本当に?」

 

「分かりました」

 

「返事が怪しい」

 

リュウジは黙った。

 

そのやり取りを、ランとガーネットはじっと見ていた。

 

ガーネットが小さく呟く。

 

「……本当に、夫婦みたい」

 

ランも思わず頷く。

 

「噂は本当だったんだ……」

 

ミラが隣でぎょっとする。

 

「ラン、声」

 

「あ」

 

エリンがゆっくりランとガーネットを見る。

 

「噂?」

 

ランの肩が跳ねた。

 

「あ、いえ、その……」

 

ガーネットは口元を押さえたが、もう遅い。

 

エリンはにこりと笑った。

 

その笑顔を見て、リュウジがわずかに背筋を正す。

 

ククルが小声で言う。

 

「エリンさんの笑顔が少し怖いです」

 

エマが頷く。

 

「これは聞かれる流れですね」

 

カイエは静かにお茶を飲んでいた。

 

タツヤ班長は面白そうに箸を止めた。

 

「噂って何?」

 

ランは明らかに困っていた。

 

「えっと……」

 

ミラが助けようとする。

 

「エリンさん、ランはまだ十四班の空気に慣れていなくて……」

 

「ミラ、今は助けなくていいよ」

 

「はい……」

 

ランは覚悟を決めたように、背筋を伸ばした。

 

「すみません。十班にいた頃、十四班の噂をいくつか聞いていました」

 

エリンは通常口調のまま聞く。

 

「どんな噂?」

 

ランはガーネットを見る。

 

ガーネットは少し目を伏せた。

 

「私から言う」

 

エリンの視線がガーネットへ移る。

 

「ガーネット、知ってたの?」

 

「はい、エリンさん。十班では、そういう話が流れていました」

 

リュウジが嫌な予感を覚えた。

 

「そういう話って何だ」

 

ガーネットはリュウジを見る。

 

「リュウジとエリンさんが付き合っている、という噂」

 

リュウジが無言で固まった。

 

エリンは一瞬だけ目を瞬かせた。

 

ククルは口元を押さえて震えている。

 

エマは静かに目を閉じた。

 

カイエは表情を変えないようにしているが、明らかに聞いている。

 

タツヤ班長は「あー」と妙に納得した声を出した。

 

ユイだけが何のことか分からず、卵を見つめている。

 

「付き合ってるってなに?」

 

場の空気が一気に止まった。

 

エリンが即座に反応する。

 

「ユイ、それは大人が勝手に言ってる変な話」

 

「変な話?」

 

「そう。おでんが冷める前に食べようね」

 

「うん」

 

エリンは自然に話を流した。

 

だが、ランとガーネットへの視線は戻らない。

 

リュウジは少し咳払いをする。

 

「それは誤解だ」

 

ガーネットは続けた。

 

「それだけじゃない」

 

リュウジの顔がさらに硬くなる。

 

「まだあるのか」

 

ランが申し訳なさそうに言う。

 

「ペルシアさんとも……その、かなり親しいから、二股ではないか、とか」

 

リュウジが完全に固まった。

 

ククルが耐えきれずに吹き出しかけ、慌てて口を押さえる。

 

エマは落ち着いた声で言った。

 

「噂というより、悪意のある創作ですね」

 

カイエの目が少し鋭くなる。

 

「十班らしいですね」

 

その一言に、空気が少し冷えた。

 

ガーネットは何も言い返さなかった。

 

ランはすぐに頭を下げる。

 

「すみません。私が流したわけではありません。でも、聞いていました」

 

ガーネットも静かに言う。

 

「私も、聞いていた。否定もしなかった」

 

エリンは二人を見ていた。

 

怒っているというより、呆れている。

 

そして、少しだけ疲れている。

 

「そういう噂、十班でどういう扱いだったの?」

 

ランは言いにくそうに答える。

 

「十四班は特別だから、何でも許されるとか……リュウジさんはS級だから周りの女性が放っておかないとか……エリンさんもペルシアさんもリュウジさんに甘いとか……」

 

リュウジは片手で額を押さえた。

 

「滅茶苦茶だな」

 

ガーネットが続ける。

 

「十班では、十四班を羨む気持ちと、遠ざける気持ちが混ざっていた。十四班はエリートだから違う。特別だから普通ではない。そういう言い方で、自分たちが変わらない理由にしていた」

 

その言葉に、カイエの視線がガーネットへ向く。

 

ガーネットは受け止めるように続けた。

 

「私も、その空気の中にいた。全部を信じていたわけじゃない。でも、噂を止めることもしなかった。だから、今さら他人事みたいに言う資格はない」

 

ククルが珍しく真面目な顔になる。

 

「ペルシアさんが聞いたら怒りそうですね」

 

エマが静かに言う。

 

「怒るでしょうね。たぶん、リュウジさんより先に」

 

リュウジはぼそっと言う。

 

「あいつなら、二股扱いされたことより、エリンさんまで巻き込まれた方に怒るだろうな」

 

エリンは少しだけ笑った。

 

「うん。ペルシアならそうだね」

 

タツヤ班長が湯飲みを置く。

 

「まあ、噂っていうのは勝手に歩くからねぇ」

 

いつもの軽い声。

 

けれど、その目は少し真面目だった。

 

「十四班は特別枠だし、目立つ。リュウジはS級。エリンとペルシアは客室側の中心。外から見れば、距離が近く見えるのも分かる」

 

リュウジはタツヤ班長を見る。

 

「それで噂になるんですか」

 

「なるよ。現場を知らない人は、仕事の距離と私的な距離の区別がつかない時がある」

 

エリンが静かに頷く。

 

「特に十四班は、助けを呼ぶのが早いし、役割をまたいで動くから」

 

ククルが言う。

 

「リュウジさんが客室側のことを見てくれたり、エリンさんが航行側の情報をすぐ聞いたりするから、そう見えるんですかね」

 

エマが続ける。

 

「ペルシアさんも距離の詰め方が独特でしたし」

 

カイエが淡々と補足する。

 

「ペルシアさんは誰にでも近いです。ただ、必要な時だけです」

 

リュウジが頷く。

 

「そうだな」

 

ガーネットはそのやり取りを聞いていた。

 

十班では、十四班の距離の近さを「特別だから」「エリートだから」「内輪で甘いから」と見ていた。

 

けれど、今は違うと分かる。

 

十四班の距離の近さは、馴れ合いではない。

 

現場で互いを早く使うための距離だ。

 

助けを呼ぶための距離。

 

遠慮で遅れないための距離。

 

その結果、外からは誤解されることもある。

 

だが、そこには現場の理由がある。

 

ランは恐る恐る言った。

 

「でも、今のユイちゃんを見ていたら……その、誤解する人がいるのも分かる気がしました」

 

エリンが少し眉を上げる。

 

「どういう意味?」

 

ランは慌てる。

 

「悪い意味ではなくて! リュウジさんがユイちゃんの卵を冷まして、エリンさんが量を見て、二人で自然に面倒を見ていたので……」

 

ガーネットも小さく頷く。

 

「夫婦みたいに見えた」

 

また空気が止まった。

 

リュウジの手元の箸が止まる。

 

エリンは少しだけ目を伏せた。

 

頬が、ほんのり赤くなっている。

 

けれど、すぐに咳払いをした。

 

「違うよ。そういう関係じゃないから」

 

否定はした。

 

ただ、その声は強くなりきらなかった。

 

不快そうというより、困っている。

 

それも、完全に嫌がっている困り方ではなかった。

 

エリンは少しだけリュウジの方を見て、すぐに視線を戻した。

 

「ただ、ユイが安心してくれているなら、それは……悪いことじゃないと思う」

 

ククルが小さく笑う。

 

「エリンさん、満更でもなさそうです」

 

「ククル」

 

「すみません」

 

エマが静かに続ける。

 

「でも、今の反応も含めて、かなり夫婦っぽいです」

 

「エマ」

 

「すみません、エリンさん」

 

カイエは湯飲みを持ったまま、淡々と言った。

 

「否定はしているのに、嫌そうではないですね」

 

エリンは少しだけ目を細める。

 

「カイエまで……」

 

リュウジは小さく息を吐いた。

 

「見え方が厄介すぎる」

 

ユイは卵を食べながら、にこにこしている。

 

「ユイ、家族みたい?」

 

ユイが聞く。

 

タツヤ班長が慌てて笑った。

 

「ユイ、それは大人の話だからね」

 

「大人の話ばっかり」

 

「今日はおでんの話にしよう」

 

「じゃあ、もちきんちゃく食べたい」

 

「はいはい」

 

タツヤ班長が餅巾着を取ろうとすると、ガーネットが先に器を差し出した。

 

「タツヤ班長、熱いので少し冷ましてからの方がいいと思います」

 

「お、助かる」

 

「ユイ、少し待てる?」

 

「待てる!」

 

「偉い」

 

ガーネットは自然にそう言った。

 

その顔は、また柔らかかった。

 

カイエはそれを見て、少しだけ目を細める。

 

意外だった。

 

本当に子どもが好きなのだ。

 

子どもを自分の立場や評価に使おうとしているのではない。

 

ただ、熱いものを食べて火傷しないように見ている。

 

ただ、待てたことを褒めている。

 

カイエはその事実を、黙って受け止めた。

 

エリンは話を戻すように、ランとガーネットを見る。

 

「リュウジと私が付き合っているという噂も、ペルシアと二股という噂も、事実ではないよ」

 

ランはすぐに頭を下げた。

 

「はい。すみません」

 

ガーネットも頭を下げる。

 

「すみません、エリンさん」

 

「謝るのは、噂を信じたことより、噂を扱う怖さを分かっていなかったことかな」

 

ガーネットは顔を上げた。

 

エリンの声は穏やかだった。

 

だが、そこにはチーフパーサーとしての厳しさがあった。

 

「現場では、根拠のない話が人の動きを変える。あの人はあの人と近いから、きっとこうだろう。あの人は贔屓されている。あの人は特別扱いされている。そういう見方が入ると、正しい指示も歪む」

 

ガーネットは目を伏せる。

 

「はい」

 

「十班でそれが起きていたなら、なおさら危ない。十四班への嫉妬や誤解が、現場判断に混ざっていた可能性がある」

 

カイエが静かに言った。

 

「混ざっていたと思います」

 

その声には、怒りがあった。

 

ランは小さく肩をすくめた。

 

ミラも黙っている。

 

ガーネットは逃げなかった。

 

「混ざっていた。少なくとも、私は影響を受けていた」

 

「でしょうね」

 

カイエの声は冷たい。

 

ガーネットは頷く。

 

「うん」

 

そこでタツヤ班長が口を開いた。

 

「でも、今日は歓迎会だからね」

 

空気が少し緩む。

 

「過去の話をするのも大事だけど、今ここでおでんが冷めるのはもったいない」

 

ククルがすぐに乗る。

 

「それは大問題です」

 

エマも頷く。

 

「大根は温かいうちが一番です」

 

リュウジが静かに言う。

 

「冷めたら温め直せばいいだろ」

 

ククルがリュウジを見る。

 

「リュウジさん、それはそうなんですけど、そういうことじゃないです」

 

エマも続ける。

 

「おでんは時間も味の一部です」

 

「そういうものか」

 

エリンが笑う。

 

「そういうもの」

 

リュウジは少しだけ納得したように大根を取った。

 

ユイがリュウジの器を覗く。

 

「リュウジ、大根好き?」

 

「ああ」

 

「ユイも好き」

 

「じゃあ、こっちを少し分ける」

 

「いいの?」

 

「ああ。熱いから冷ましてからな」

 

エリンがすぐに見る。

 

「リュウジ」

 

「半分だけです」

 

「聞く前に言い訳しない」

 

「……すみません」

 

タツヤ班長が楽しそうに笑う。

 

「完全に甘いねぇ」

 

ユイは大根をもらい、満足そうに頬を緩めた。

 

「リュウジ、ありがとう!」

 

リュウジは少しだけ表情を柔らかくした。

 

「どういたしまして」

 

エリンは呆れたように言う。

 

「ユイ、リュウジは甘いから、お願いしすぎないようにね」

 

「リュウジ、甘いの?」

 

「うん。かなり甘い」

 

リュウジは少しだけ抗議するように言う。

 

「エリンさん」

 

「何?」

 

「甘やかしすぎてはいません」

 

「今、自分の大根半分あげたよね」

 

「半分です」

 

「量の問題じゃないの」

 

「ユイが好きだと言ったので」

 

「だから甘いって言ってるの」

 

そのやり取りを見て、ランがまた小声で呟いた。

 

「やっぱり……」

 

ミラが慌ててランの袖を引く。

 

「ラン、二回目」

 

「ごめん」

 

ガーネットも小さく息を吐く。

 

「でも、分かる」

 

カイエは黙ってお茶を飲む。

 

ククルは笑いをこらえ、エマは静かに箸を置いた。

 

そのエマが、ふと顔を上げた。

 

「ところで」

 

全員の視線がエマへ向く。

 

エマは真面目な顔で言った。

 

「この店、デザートはありますか?」

 

一瞬、場が止まった。

 

ククルが目を丸くする。

 

「エマ、今?」

 

「今だから」

 

「まだおでん食べてるよ?」

 

「おでんの後に甘いものが必要」

 

リュウジが首を傾げる。

 

「おでん屋にデザートはあるのか?」

 

エマは静かにメニューを開く。

 

「あります。黒蜜きなこアイス、抹茶プリン、白玉ぜんざい」

 

ククルが覗き込む。

 

「本当だ!」

 

エマの目が少しだけ真剣になる。

 

「歓迎会だから、デザートまでが歓迎会」

 

カイエが淡々と言う。

 

「エマらしいね」

 

「カイエも食べる?」

 

「……白玉ぜんざいなら」

 

ククルが笑う。

 

「食べるんだ」

 

「少しだけ」

 

エマは店員を呼ぼうとする。

 

エリンが止める。

 

「エマ、まだ早いよ。ユイもいるから、食べすぎないようにしないと」

 

ユイがすぐに反応した。

 

「デザート!」

 

エリンはしまった、という顔をした。

 

リュウジはユイを見る。

 

「食べたいのか?」

 

「食べたい!」

 

「何がいい?」

 

エリンが即座に言う。

 

「リュウジ」

 

「小さいものなら」

 

「また甘い」

 

「食後なので」

 

「理由になってるようで、なってないよ」

 

エマが静かに補足する。

 

「抹茶プリンは小さいです」

 

ククルが笑う。

 

「エマ、味方を増やしにきたね」

 

エマは真顔で言う。

 

「デザートは戦略」

 

タツヤ班長が笑いながら手を上げた。

 

「じゃあ、歓迎会だし、デザートも頼もうか。ユイは小さいプリンを半分ね」

 

「半分?」

 

ユイが少し不満そうにする。

 

リュウジが静かに言う。

 

「俺の分を少し足す」

 

エリンがリュウジを見る。

 

「リュウジ」

 

「一口だけです」

 

「……一口だけね」

 

「はい」

 

ユイが嬉しそうに笑う。

 

「リュウジ、やさしい!」

 

エリンは小さくため息をついた。

 

「完全に負けてる……」

 

リュウジは小さく言う。

 

「勝ち負けではありません」

 

「そういう顔じゃないよ」

 

「どういう顔ですか」

 

「ユイに弱い顔」

 

タツヤ班長が笑う。

 

「エリン、よく見てるねぇ」

 

「班長、笑い事ではありません」

 

「いや、助かってるからね」

 

「甘やかしすぎは困ります」

 

「まあまあ。ユイも楽しそうだし」

 

エリンはもう一度ため息をついた。

 

けれど、その横顔はどこか柔らかかった。

 

リュウジがユイの皿を少し引き寄せ、食べやすい位置に置く。

 

エリンは何も言われなくても紙ナプキンを取り、ユイの手元にそっと添えた。

 

リュウジがプリンを一口分だけ分ける。

 

エリンが量を確認する。

 

「それ以上はだめ」

 

「分かっています」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

「リュウジ、ユイにお願いされると基準が甘くなるから」

 

「……否定はしません」

 

「そこは否定して」

 

リュウジは少し困った顔をした。

 

ユイはそんな二人を見上げて、にこにこしている。

 

その姿は、子どもを甘やかす父親役を、母親役が少し呆れながら止めているようにしか見えなかった。

 

ランとガーネットは同時に沈黙した。

 

ククルは耐えきれずに小さく笑う。

 

エマは、注文したデザートの到着を待ちながら、静かに言った。

 

「これは、噂が生まれる理由は分かりますね」

 

エリンがエマを見る。

 

「エマまで?」

 

「すみません、エリンさん。見え方の話です」

 

リュウジは額を押さえた。

 

「事実ではない」

 

エマは落ち着いた声で返す。

 

「関係性の事実ではなく、見え方の事実です」

 

「余計にややこしい」

 

カイエが静かに言う。

 

「でも、今のは確かに夫婦っぽかったです」

 

リュウジはカイエを見る。

 

「カイエまで言うのか」

 

「すみません。見えたものは見えたので」

 

エリンは少し頬を赤くした。

 

けれど、すぐに否定するように軽く咳払いをする。

 

「違うよ。そういう関係じゃないから」

 

そう言いながらも、エリンの声は強くなりきらなかった。

 

視線もすぐにはリュウジから外れない。

 

リュウジが困ったように黙っていると、エリンは少し照れたように目を伏せて、ユイの紙ナプキンを整え直した。

 

「ただ、ユイが安心してくれているなら、それは……悪いことじゃないと思う」

 

ククルが小さく笑う。

 

「エリンさん、満更でもなさそうです」

 

「ククル」

 

「すみません」

 

エマが静かに続ける。

 

「でも、今の反応も含めて、かなり夫婦っぽいです」

 

「エマ」

 

「すみません、エリンさん」

 

カイエは湯飲みを持ったまま、淡々と言った。

 

「否定はしているのに、嫌そうではないですね」

 

エリンは少しだけ目を細める。

 

「カイエまで……」

 

リュウジは小さく息を吐いた。

 

「見え方が厄介すぎる」

 

タツヤ班長は楽しそうに笑った。

 

「でも、ユイが安心してるのは事実だからね」

 

ユイはプリンを見ながら元気に言った。

 

「リュウジもエリンさんも、やさしいよ!」

 

その一言で、エリンは完全に言い返せなくなった。

 

「……ありがとう、ユイ」

 

リュウジも小さく頷く。

 

「ゆっくり食べろ」

 

「うん!」

 

エリンは頬の赤みを隠すように、ユイの小皿を少しだけリュウジ側へ寄せた。

 

「リュウジ、こぼしそうになったら見てて」

 

「分かりました」

 

「ほら、そういうところです」

 

ランが思わず呟く。

 

ガーネットも静かに頷いた。

 

「噂とは違う。でも、そう見える理由はある」

 

エリンは否定しようとして口を開きかけた。

 

けれど、ユイが嬉しそうにプリンを食べ、リュウジが当然のようにその皿を支え、エリン自身も当然のようにユイの口元を拭いていることに気づいて、結局何も言えなかった。

 

「……もう、その話は終わり。デザートが来たんだから、食べよう」

 

その声はいつものように整っていた。

 

ただ、完全に否定しきれていないことだけは、その場の全員に伝わっていた。

 

 

デザートが来ると、エマの表情は少しだけ明るくなった。

 

黒蜜きなこアイス。

 

抹茶プリン。

 

白玉ぜんざい。

 

おでん屋にしては妙に本格的な甘味が並ぶ。

 

ククルが目を輝かせる。

 

「すごい。おでん屋さんなのに本格的ですね」

 

エマは満足そうに頷く。

 

「だから確認したかった」

 

カイエは白玉ぜんざいを少しだけすくう。

 

「温かいものの後に甘いものは合うね」

 

「でしょ」

 

エマは珍しく少し得意げだった。

 

ユイは抹茶プリンを見つめている。

 

「これ、ユイの?」

 

エリンが小皿に半分移す。

 

「半分ね」

 

「もう半分は?」

 

「明日また食べようね」

 

「えー」

 

リュウジが自分の分のプリンを少しだけ小皿に乗せた。

 

「一口だけ足す」

 

エリンがすぐに見る。

 

「リュウジ」

 

「一口です」

 

「……本当に一口だけ?」

 

「はい」

 

ユイはぱっと笑った。

 

「リュウジ、ありがとう!」

 

リュウジは小さく頷く。

 

「ゆっくり食べろ」

 

「うん!」

 

エリンは仕方なさそうに笑いながら、ユイの口元に紙ナプキンを用意する。

 

「こぼしたら拭くからね」

 

「こぼさない!」

 

「そう言ってこぼすことがあるから」

 

「リュウジ、こぼさないよね?」

 

リュウジは真面目に答える。

 

「こぼす時はある」

 

ユイが目を丸くする。

 

「リュウジも?」

 

「ああ」

 

エリンが笑う。

 

「リュウジ、そこで正直に言うのね」

 

「嘘はよくないので」

 

「そうだけど、ユイが驚いてる」

 

ユイはリュウジを見て、なぜか嬉しそうに言った。

 

「じゃあ、ユイもこぼしても大丈夫?」

 

「こぼさないように食べる。でも、こぼしたら拭けばいい」

 

エリンは少しだけ目を細めた。

 

「それはいい答え」

 

リュウジはエリンを見る。

 

「ありがとうございます」

 

「でも、甘やかしは別」

 

「……はい」

 

そのやり取りは自然だった。

 

エリンが生活の線を引き、リュウジがユイの願いを受け止める。

 

リュウジが少し甘やかし、エリンが少し止める。

 

それでも、二人の間に険悪さはない。

 

むしろ、互いの役割を分かって動いている。

 

タツヤ班長はその様子を見ながら、少し目を細めた。

 

「本当に助かるよ」

 

エリンはすぐにタツヤ班長へ向き直る。

 

「いえ、班長。ユイが楽しそうなら何よりです」

 

リュウジも頷く。

 

「今日はよく食べています」

 

「リュウジはそこを見るんだねぇ」

 

「体調を見るには食欲も大事です」

 

エリンが小さく笑う。

 

「ほら、また報告書みたい」

 

「事実です」

 

「そういうところ」

 

ユイがプリンを食べながら言う。

 

「リュウジ、エリンさんに怒られてる」

 

「怒られてはいない」

 

エリンが微笑む。

 

「怒ってないよ」

 

ユイは首を傾げる。

 

「でも、リュウジ、ちょっと小さくなってる」

 

リュウジは黙った。

 

ククルが耐えきれずに笑い、エマも口元を押さえた。

 

カイエは淡々と言う。

 

「ユイはよく見ていますね」

 

ガーネットも小さく笑った。

 

「本当に」

 

リュウジは少しだけ困った顔をした。

 

「ユイ、プリンを食べろ」

 

「はーい」

 

ユイは嬉しそうに食べ始めた。

 

その場の空気がまた温かくなる。

 

歓迎会のはずだった。

 

ランとガーネットを迎えるための会。

 

だが、いつの間にか、十四班という班そのものを見せる場になっていた。

 

噂の元になるほど近い距離。

 

けれど、噂とは違う理由。

 

誰かを守るため。

 

誰かが安心するため。

 

現場で迷わないため。

 

そういう距離だった。

 

 

歓迎会も終わりに近づいた頃、ユイは少し眠そうになっていた。

 

お腹が温まり、デザートまで食べ、周囲の大人たちの話し声が柔らかく続く中で、まぶたが重くなってきたのだろう。

 

ユイはリュウジの袖を掴んだまま、こくりと頭を揺らした。

 

リュウジはすぐに気づいた。

 

「ユイ、眠いのか」

 

「ねむくない……」

 

「眠そうだ」

 

「ねむくない……」

 

言いながら、ユイの頭がリュウジの腕に軽く寄りかかる。

 

エリンが柔らかく笑う。

 

「完全に眠いね」

 

タツヤ班長が少し申し訳なさそうに言う。

 

「そろそろ帰るか」

 

エリンはタツヤ班長に向かって頷いた。

 

「そうですね。班長、私も一緒に送ります」

 

「いや、今日は俺が連れて帰るよ」

 

「でも、荷物もありますし」

 

「じゃあ、出口までお願いしていい?」

 

「はい」

 

リュウジが静かに言う。

 

「俺が抱えます」

 

エリンがリュウジを見る。

 

「大丈夫?」

 

「はい。起こさないようにします」

 

ユイは小さく呟いた。

 

「リュウジ、だっこ……」

 

リュウジは少しだけ目を細めた。

 

「分かった」

 

ユイをそっと抱き上げる。

 

その動きは、船の中で揺れを殺す時のように静かだった。

 

重心を読み、頭を支え、身体を揺らさない。

 

ガーネットはその動きを見て、思わず息を呑んだ。

 

「本当に、扱いが丁寧……」

 

ランも頷く。

 

「噂とは違う意味で、すごいですね」

 

リュウジは聞こえていた。

 

「また噂か」

 

ランは慌てる。

 

「あ、すみません!」

 

ガーネットは小さく笑った。

 

「今のは褒め言葉」

 

リュウジは少しだけ困った顔をした。

 

エリンはユイの上着を整え、リュウジの腕の中で寒くないように掛けた。

 

その手つきがあまりに自然で、リュウジも少し身体を傾け、エリンが上着を掛けやすいようにする。

 

「リュウジ、少し右」

 

「はい」

 

「ユイの腕、こっち」

 

「分かりました」

 

「首元、寒くないように」

 

「これで大丈夫ですか?」

 

「うん。ありがとう」

 

短い言葉だけで、動きが噛み合う。

 

どちらが指示するともなく、どちらかが困る前に片方が動く。

 

ユイを中心に、二人の手が自然に役割を分けていく。

 

それは仕事というより、生活の中にある動きだった。

 

ランが息を呑む。

 

ガーネットも黙った。

 

ミラは少し困ったように笑う。

 

ククルは小声で言う。

 

「これは……」

 

エマが静かに続ける。

 

「夫婦に見えますね」

 

カイエが淡々と言う。

 

「否定しづらいですね」

 

エリンは振り返った。

 

「聞こえてるよ」

 

ククルは慌てて姿勢を正す。

 

「すみません、エリンさん」

 

エマは落ち着いて言う。

 

「すみません。ただ、見え方の話です」

 

エリンはまた否定しようとした。

 

「だから、違うって――」

 

そこまで言って、ユイが安心しきった顔でリュウジの腕の中に収まり、その上着を自分が整えていることに気づく。

 

言葉が少しだけ止まった。

 

頬の赤みを隠すように、エリンは視線を逸らした。

 

「……でも、ユイが寒くないなら、それでいいよ」

 

ククルが小さく笑う。

 

「エリンさん、やっぱり満更でもないです」

 

「ククル」

 

「はい、すみません」

 

リュウジは小さく息を吐いた。

 

「見え方が厄介すぎる」

 

タツヤ班長は笑った。

 

「でも、ユイが安心してるのは事実だからね」

 

ユイはリュウジの腕の中で、寝ぼけながら呟いた。

 

「リュウジ……エリンさん……また、おでん……」

 

エリンは優しく答えた。

 

「また行こうね」

 

リュウジも静かに言う。

 

「ああ。またな」

 

「デザートも……」

 

エマが即座に反応した。

 

「次も必要ですね」

 

ククルが笑う。

 

「エマ、そこ拾うんだ」

 

エマは真面目だった。

 

「大事な約束だから」

 

ユイは小さく笑い、そのまま眠った。

 

 

店を出ると、宇宙港の通路には冬の人工風が流れていた。

 

照明は少し青く、遠くの発着案内が静かに点滅している。

 

タツヤ班長はユイの荷物を持ち、エリンはユイの上着を直す。

 

リュウジはユイを抱えたまま、歩幅を落として歩いた。

 

ランとガーネットは少し後ろを歩く。

 

ミラがランの横に並び、ククルとエマ、カイエがその後ろに続いた。

 

ランが小さく言う。

 

「今日、十四班に来たんだなって、初めてちゃんと思いました」

 

ミラが笑う。

 

「今さら?」

 

「訓練では、まだ補填要員って感じだったから」

 

「おでんで実感するの、ランらしい」

 

「だって、みんなで同じ鍋食べたら、そう思うでしょ」

 

「分かるけど」

 

ガーネットが前を歩くリュウジとエリン、そして眠るユイを見た。

 

「噂は、本当じゃなかった」

 

ランがガーネットを見る。

 

ガーネットは続けた。

 

「でも、噂になる理由は分かった」

 

「家族みたいだったから?」

 

「うん。でも、恋愛の話じゃない。十四班の距離感だった」

 

ミラが静かに頷いた。

 

「そうだと思います」

 

ランは少し考えた。

 

「十班で聞いてた時は、変な話だと思いながらも、少し信じてたかもしれません」

 

「私も」

 

ガーネットは認めた。

 

「信じるというより、信じた方が楽だった。十四班が特別で、普通じゃなくて、内輪で甘い班だと思えれば、自分たちができない理由になる」

 

カイエが後ろから静かに言う。

 

「それを分かっているなら、次は止めてください」

 

ガーネットは振り返る。

 

「うん。止める」

 

「お願いします」

 

カイエの声はまだ硬い。

 

でも、確かに前より少しだけ柔らかかった。

 

ククルが少し明るく言う。

 

「まあ、ペルシアさんが聞いたら、十班に乗り込んでいきそうですけどね」

 

エマが即座に言う。

 

「行きますね」

 

ミラも頷く。

 

「行くと思います」

 

ランが小さく笑う。

 

「私、止められる自信ないです」

 

ガーネットが言う。

 

「私もない」

 

カイエが淡々と続ける。

 

「私も止めません」

 

ククルが目を丸くする。

 

「カイエ、止めないの?」

 

「内容による」

 

エマが静かに言う。

 

「つまり、止めない可能性が高いね」

 

「否定はしない」

 

皆が少し笑った。

 

その笑い声に、ユイがリュウジの腕の中で少し身じろぎした。

 

リュウジはすぐに立ち止まり、揺れないように抱え直す。

 

エリンが小声で言う。

 

「大丈夫?」

 

「はい。起きてはいません」

 

「ありがとう」

 

「いえ」

 

二人の声は静かだった。

 

それを見て、ガーネットはまた思う。

 

距離が近い。

 

けれど、噂とは違う。

 

これは、役割と信頼の距離だ。

 

外から見れば誤解されるかもしれない。

 

でも、中に入れば分かる。

 

この距離は、誰かを守るための距離だ。

 

ユイを起こさないため。

 

タツヤ班長を助けるため。

 

十四班の空気を乱さないため。

 

それぞれが自然に動いているだけだった。

 

タツヤ班長が振り返る。

 

「みんな、今日はありがとう」

 

エリンはすぐに答える。

 

「こちらこそ、班長。歓迎会を開いていただいてありがとうございました」

 

「俺が食べたかっただけでもあるけどね」

 

「それも分かっています」

 

タツヤ班長は笑う。

 

「エリンには隠せないね」

 

ユイを抱えたリュウジが少しだけ頭を下げる。

 

「班長、車寄せまで運びます」

 

「助かるよ、リュウジ」

 

「はい」

 

リュウジはタツヤ班長には敬語で返す。

 

エリンに対しても敬語。

 

それ以外の相手には、普段通り淡々と通常口調。

 

その切り替えも、ランとガーネットにはようやく馴染んできた。

 

初めて見た時は、なぜエリンには敬語なのだろうと思った。

 

だが、今なら分かる。

 

リュウジにとってエリンは、ただ近い相手ではない。

 

現場で自分を止めてくれる人。

 

判断を正してくれる人。

 

だから、敬意が口調に出ている。

 

それを恋愛の噂に変えるのは、あまりにも雑だった。

 

ランは小さく言う。

 

「噂って、怖いですね」

 

ミラが頷く。

 

「うん」

 

ガーネットも静かに言った。

 

「見えているものを、勝手に別の形にするから」

 

カイエが答える。

 

「だから、現場では事実を見るんです」

 

ガーネットはカイエを見た。

 

「うん」

 

「ガーネットさんも、今日見たことは忘れないでください」

 

「忘れない」

 

カイエは頷いた。

 

それ以上は言わなかった。

 

その短い会話を、エリンは少し前で聞いていた。

 

振り返りはしない。

 

ただ、口元だけ少し緩める。

 

歓迎会は、成功だったのかもしれない。

 

ランとガーネットを迎えるだけではない。

 

噂をほどく。

 

誤解を正す。

 

ガーネットの意外な一面を見る。

 

カイエが、ほんの少しだけガーネットを見る角度を変える。

 

エマがしっかりデザートまで求める。

 

ユイが笑う。

 

リュウジが少し甘やかし、エリンが少し止める。

 

そして、二人が夫婦のように見えると言われて、エリンが否定しながらも完全には嫌がらなかった。

 

そういう時間になった。

 

ペルシアがいたら、きっと言うだろう。

 

「おでんで人間関係を煮込むなんて、十四班らしいわね」

 

エリンは心の中で、その声を思い浮かべて少し笑った。

 

 

車寄せに着くと、タツヤ班長の迎えの車がすでに来ていた。

 

リュウジはユイをそっと後部座席に寝かせる。

 

ユイは一瞬だけ目を開けた。

 

「リュウジ……」

 

「着いたぞ」

 

「また、おでん……」

 

「ああ。またな」

 

「エリンさんも……」

 

エリンが顔を近づける。

 

「また一緒に食べようね」

 

「うん……デザートも……」

 

エマが後ろから静かに言う。

 

「約束ですね」

 

ククルが笑う。

 

「エマ、まだ言ってる」

 

ユイは満足そうに目を閉じた。

 

タツヤ班長が静かにドアを閉める。

 

「二人とも、本当に助かった」

 

エリンは頭を下げる。

 

「いえ。ユイも楽しそうでした」

 

リュウジも頷く。

 

「よく食べていました」

 

「そこを見るんだね」

 

タツヤ班長は笑った。

 

「まあ、いいことだ」

 

そして、ランとガーネットを見る。

 

「ラン、ガーネット。今日は歓迎会ってことで、気楽に来てもらったつもりだったけど、どうだった?」

 

ランは少し緊張しながらも答えた。

 

「はい。とても楽しかったです。十四班のことが、少し分かった気がします」

 

タツヤ班長は頷く。

 

「それはよかった」

 

ガーネットも一歩前に出る。

 

「ありがとうございました、タツヤ班長。歓迎していただけて、嬉しかったです」

 

「うん。これからよろしく」

 

「はい」

 

タツヤ班長は最後に全員を見渡した。

 

「じゃあ、今日は解散。明日からまた訓練ね」

 

ククルが少し肩を落とす。

 

「明日もですか」

 

「もちろん」

 

エマが静かに言う。

 

「歓迎会の翌日も十四班ですね」

 

カイエが頷く。

 

「休ませてはくれませんね」

 

エリンが笑う。

 

「明日は少し軽めにするよ」

 

リュウジが確認するように言う。

 

「軽め、ですか?」

 

エリンがリュウジを見る。

 

「リュウジ、あなたが軽めを疑わない」

 

「すみません」

 

ランが小さく笑い、ミラもつられて笑った。

 

ガーネットも、ほんの少し笑った。

 

車が静かに走り出す。

 

ユイを乗せた車の尾灯が、通路の奥へ消えていく。

 

その光を見送った後、十四班の面々はしばらくその場に立っていた。

 

ククルがぽつりと言う。

 

「いい歓迎会だったね」

 

エマが頷く。

 

「うん。おでんも美味しかったし、デザートも良かった」

 

カイエが静かに言う。

 

「エマはそこなんだね」

 

「重要」

 

「否定はしない」

 

ククルが笑う。

 

「エマ、最後までデザートだったね」

 

「歓迎会はデザートまで」

 

「名言みたいに言ってる」

 

「名言にしてもいい」

 

「それはどうかな」

 

カイエが少しだけ口元を緩める。

 

「でも、ユイは喜んでた」

 

エマは静かに頷いた。

 

「うん。それなら頼んで正解」

 

ククルも笑った。

 

「たしかに。ユイちゃん、すごく嬉しそうだった」

 

カイエは前方を見た。

 

「リュウジさんは、完全に甘かったけどね」

 

ククルがすぐに頷く。

 

「甘かった。すごく甘かった」

 

エマも淡々と続ける。

 

「エリンさんが止めていなかったら、プリンを半分以上渡していたと思う」

 

「それはありそう」

 

「ありえるね」

 

三人は小さく笑った。

 

その笑いは、訓練中の張り詰めたものではなく、十四班のいつもの雑談の空気だった。

 

ガーネットはカイエを見る。

 

カイエもガーネットを見た。

 

まだ、許したわけではない。

 

でも、今日は少し知った。

 

ガーネットが子どもを見る目。

 

噂を自分の過去として受け止めたこと。

 

十四班の距離を、ようやく噂ではなく現場の形として見たこと。

 

それは小さいが、確かな前進だった。

 

ランは深く息を吐く。

 

「明日からも頑張ります」

 

ミラが笑う。

 

「ラン、また声大きくなってる」

 

「あ、ごめん」

 

エリンが微笑む。

 

「ラン、三割ね」

 

「はい」

 

皆が笑う。

 

その笑いの中で、ガーネットはふと空を見上げた。

 

宇宙港の天井には、人工の夜空が映っている。

 

本物の星ではない。

 

けれど、光は確かにそこにある。

 

十四班も、そうなのかもしれない。

 

外から見れば、作られた特別な班。

 

噂に包まれ、誤解され、羨まれ、遠ざけられる班。

 

だが、中に入れば違う。

 

そこには、温かい鍋を囲む人たちがいた。

 

子どものために大根を冷ます人がいた。

 

眠ったユイを起こさないように抱えるリュウジがいた。

 

その横で、ユイの上着を整え、食べる量を見て、甘やかしすぎないように止めるエリンがいた。

 

夫婦のように見えるほど自然に噛み合っている。

 

エリンは否定していた。

 

けれど、完全に嫌そうではなかった。

 

それは、噂のような軽い関係ではない。

 

誰かを守るために積み重ねてきた距離だった。

 

不器用でも前に進もうとするランがいた。

 

まだ許せないまま、それでも仕事で見るカイエがいた。

 

デザートまで逃さないエマがいた。

 

場を明るくするククルがいた。

 

そして、その中で、自分も少しずつ変わろうとしている。

 

ガーネットは静かに息を吐いた。

 

「十四班って、変な班だね」

 

ランが隣で笑う。

 

「それ、歓迎会の感想ですか?」

 

「うん」

 

ミラが少し嬉しそうに言う。

 

「でも、いい班でしょ」

 

ガーネットは少し考えた。

 

そして、頷いた。

 

「うん。いい班だと思う」

 

カイエはその言葉を聞いていた。

 

何も言わなかった。

 

けれど、否定もしなかった。

 

エリンは皆を見渡し、最後に言った。

 

「じゃあ、帰ろう。明日も早いよ」

 

「はい!」

 

ランの声がまた少し大きい。

 

ククルが笑い、エマが肩をすくめ、ミラが「ラン」と小さく注意する。

 

ガーネットも笑った。

 

カイエも、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 

十四班の歓迎会は、湯気と出汁の香りと、少し厄介な噂と、エマのデザートへの執念と、眠るユイの温度の中で終わった。

 

そして、ランとガーネットはようやく実感していた。

 

自分たちは、ただ補填要員としてここにいるのではない。

 

この面倒で、温かくて、特別で、それでも特別ぶらない班の一員として、ここにいるのだと。

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