サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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方針

 

エリンとの話を終えたあと、リュウジはすぐには動かなかった。

 

 火星の夜は静かだった。

 エリンの部屋を出て、外の通路へ出て、そこから移動ポートへ向かうまでの間も、頭の中にはさっきの会話が何度も反芻されていた。

 

 東の未探索領域が危険だという認識は、エリンも変えていない。

 だが、それ以上に嫌だったのは、自分がまた一人で抱え込み、一人で行こうとしていたことだった。

 

 そして、もし本当に向かうなら。

 

 操縦。

 情報管理。

 コックピットコンディション。

 引き際を止める人間。

 船内全体の呼吸を乱さない人間。

 

 そこまで含めた“形”が必要だと、エリンは言った。

 

 その指摘は正しかった。

 

 正しすぎるほどに。

 

 今までの自分なら、「自分が飛べばいい」で押し切っていたかもしれない。

 あるいは、押し切れると思っていたかもしれない。

 

 だが今は違う。

 

 一人で行く話ではなくなった。

 一人で抱える話でもなくなった。

 

 なら、次にやるべきことは一つだ。

 

 誰と行くのか。

 どういう形で行くのか。

 その現実的な輪郭を、ちゃんと作ること。

 

「……」

 

 リュウジは移動ポートの待機席で、端末を開いた。

 

 夜の宇宙管理局本部へ連絡を入れるか、一瞬だけ迷う。

 だが、今の話は後回しにするほど軽くない。

 

 連絡先を開く。

 ペルシア。

 

 呼び出し音は、二回で繋がった。

 

『もしもし?』

 いつもの声だった。

 少し軽くて、少し面倒くさそうで、でも眠そうではない。

『あら、珍しい。今度はあんたから?』

 

「今、少し時間あるか」

 リュウジが言う。

 

『あるわよ』

 ペルシアが答える。

『でも、その聞き方の時って大体、軽くない話よね。なに? エリンとまた何か進展あった?』

 

「進展、というか」

 リュウジは少しだけ言葉を探した。

「……話はした」

 

『へえ』

 ペルシアの声色が少しだけ変わる。

『ちゃんと?』

 

「ああ」

 リュウジは答える。

「ちゃんと」

 

 電話の向こうで、ペルシアが数秒だけ黙った。

 その沈黙は、からかいではなく、確認のための間だった。

 

『で?』

 と、次に問う。

 

「一人で行く話は駄目だって言われた」

 リュウジは言う。

「でも、それだけじゃ終わらなかった。どういう形なら少しでも現実に近づくか、そこまで含めて話した」

 

『……そう』

 ペルシアの声が、今度は少しだけ柔らかくなる。

『やっとそこまで来たのね』

 

「たぶんな」

 リュウジは短く答えた。

 

『それで、あんたから私に連絡してきたってことは』

 ペルシアが言う。

『その“形”を作り始める気になったってことかしら』

 

「そうだ」

 

 リュウジは迷わず言った。

 

「ペルシア」

 一拍置く。

「一緒に探索してほしい」

 

 その言葉のあと、通話越しに空気が少しだけ変わった。

 

 ペルシアはすぐには返事をしない。

 

 軽く「いいわよ」と言う場面ではないことを、互いに分かっていた。

 

「東の未探索領域は」

 リュウジが続ける。

「もう“俺が一人で見て、一人で戻る”じゃ駄目だ。操縦だけじゃ足りない。コックピットの空気と、情報の流れを見られる人間が必要だ。引くべき時に、俺を止められる人間も」

 

 ペルシアはまだ黙っていた。

 

 その沈黙が否定ではないことを、リュウジは知っている。

 考えているのだ。

 役割と現実を、同時に。

 

「……あんたねぇ」

 やがて、ペルシアが小さく息を吐いた。

『言うようになったわね、ほんとに』

 

「何が」

 

『自分に“止める人間が必要”って、そういうの。前なら絶対、もっと回りくどく言ってたでしょ』

 

「回りくどくしても仕方ない」

 リュウジは言う。

「必要なものは必要だ」

 

『うん』

 ペルシアは頷く気配を見せた。

『それは正しい。で、スターフォックスにも協力してほしい、って声してるわね』

 

「……そこまで分かるのか」

 

『分かるわよ』

 ペルシアが言う。

『リュウジが“俺一人じゃ駄目だ”って言って、次に名前が浮かぶ連中なんて限られてるもの』

 

 リュウジは、そこで本題を続けた。

 

「援護に、スターフォックスに協力してほしい」

 

 今度は、ペルシアはすぐに返した。

 

『フォックスとスリッピーはダメ』

 

 きっぱりだった。

 

『あの二人は今、ルナちゃんの手伝いがあるから。地球側の活動、まだ立ち上がったばかりでしょ。あそこを急に外すのは無理』

 

 その判断は、予想していた。

 そして妥当でもある。

 

 ルナの地球活動は、ようやく実地段階に入ったところだ。

 環境改善のための拠点選定。

 地質調査。

 輸送経路の見極め。

 あの計画にはフォックスとスリッピーの支援が既に深く入っている。

 

「……分かってる」

 リュウジは言う。

「だから全員じゃなくていい。援護が欲しい」

 

『なら』

 ペルシアが言う。

『ファルコとクリスタルなら、アーウィンで護衛に回してもいいわよ』

 

「ファルコとクリスタル?」

 リュウジが聞き返す。

 

『ええ』

 ペルシアは続ける。

『フォックスは総合判断がいるし、スリッピーはルナちゃん側で外せない。でも、ファルコなら単独の護衛飛行も強いし、クリスタルは感応も含めて周辺把握ができる。東みたいな“気配が読みにくい場所”なら、むしろあの組み合わせは悪くないわ』

 

 その絵が、リュウジの頭の中にも浮かぶ。

 

 ネフェリスの前衛と少し外側に、アーウィン二機。

 ファルコが鋭く外を切り、クリスタルが周辺の乱れを拾う。

 少なくとも、“単独で完全に孤立する”形ではなくなる。

 

「……悪くない」

 リュウジが言う。

 

『悪くない、じゃなくて、かなりいい方よ』

 ペルシアは少し鼻を鳴らした。

『でも、そこだけじゃ足りない』

 

「分かってる」

 

『ほんとに?』

 ペルシアが少しだけ声を低くする。

『じゃあ聞くけど、システムエンジニアはどうするの?』

 

 リュウジは、一瞬だけ黙った。

 

『ネフェリスのシステムエンジニアは普通じゃダメでしょ?』

 ペルシアが言う。

『東の未探索領域よ?何が切れて、何が壊れて、どこまで即時復旧が必要になるか分からない。ただの“船を知ってる人”じゃ足りない。ネフェリスを、生き物みたいに読める人間じゃないと』

 

 その言葉は、あまりにも正しかった。

 

 ネフェリスは、普通の輸送船でもなければ、ただの探査機でもない。

 特異な挙動を抱えた、半ば癖のある船だ。

 その中枢系は、知識だけでは追いつかない。

 感覚と経験と、応答の癖まで理解している人間が必要になる。

 

 そして、そういう人間に心当たりはある。

 

「……チャコ、か」

 リュウジが低く言う。

 

『でしょ』

 ペルシアは即座に答える。

『あの子ならネフェリスの中枢も神経応答制御も、かなり深いところまで触れる。サツキも悪くないけど、今回欲しいのは“場数と勘”まで含んだ方。そうなるとチャコが一番強い』

 

 リュウジは、小さく息を吐いた。

 

 チャコ。

 軽い。

 よく喋る。

 猫型のロボットで、関西弁で、いつもどこか抜けているように見える。

 

 だが、ネフェリスに関してだけは別だ。

 あの船の中枢を前にした時のチャコは、ただの機械担当ではない。

 明らかに“船の神経”と会話しているような顔になる。

 

「……でも」

 リュウジが言いかける。

 

『でも、なに?』

 

「ルナの方はどうなる」

 リュウジは言った。

「地球側で、チャコも動いてるだろ」

 

 その問いに、ペルシアは少しだけ黙った。

 

 だが、その沈黙は“分からない”の間ではない。

 むしろ、「そこよね」と言いたげな間だった。

 

『そうなのよ』

 ペルシアが言う。

『ルナちゃんの方も、今はまだ完全に安定してるわけじゃない。だからチャコを抜くなら、それ相応の整理がいる。そこが一番面倒』

 

 リュウジは、移動先を宇宙管理局本部に変えることを頭の中で決めた。

 

「今、本部か?」

 

『いるわよ』

 ペルシアが答える。

『今日はこっちで資料整理と面談と、あとルナちゃん達が地球での活動の件で来る予定』

 

 その言葉に、リュウジの目が少しだけ細くなる。

 

「ルナとチャコが?」

 

『ええ』

 ペルシアが言う。

『だから、来るなら今の方がいいかもね。どうせリュウジ、電話で終わらせるつもりないでしょ』

 

「ない」

 リュウジは即答した。

 

『でしょうね』

 ペルシアが少し笑う。

『じゃあ、来なさい。でも言っとくけど、ここから先は“お願いして終わり”の話じゃないから、誰をどこから抜いて、どこへ入れて、何を優先するかまで含めて組むわよ』

 

「分かってる」

 

『ほんとに?』

 

「分かってる」

 

『はいはい』

 ペルシアは軽く返した。

『じゃ、待ってる』

 

 

 宇宙管理局本部の統括官室前は、昼の気配がまだ少し残っていた。

 

 廊下を行き交う職員。

 端末を抱えた補佐官。

 資料を運ぶフレイ。

 遠くから聞こえる短い通話。

 本部らしい、無駄のないざわめき。

 

 リュウジが到着した時には、ペルシアはすでに統括官室の外で待っていた。

 

「遅い」

 開口一番、それだった。

 

「時間通りだ」

 リュウジが返す。

 

「私の感覚では遅いの」

 ペルシアは平然としている。

「で?来たってことは、口だけじゃなくちゃんと組む気なんでしょ」

 

「そうだ」

 リュウジは答えた。

 

 ペルシアは一度だけじっとリュウジの顔を見た。

 

 以前より少し違う。

 そう感じたのだろう。

 押し切る顔ではない。

 必要なものを認めた上で来ている顔だ。

 

「……ふぅん」

 小さく息を吐く。

「ほんとに、やっとここまで来たのね」

 

「エリンさんに言われた」

 リュウジが言う。

「一人で行く話は駄目だって」

 

「それはそうでしょ」

 ペルシアは言う。

「でも、それを聞いてまだ来てるってことは、“それでも行く”じゃなくて、“どうすれば行ける形になるか”に変わったってことよ。そこは評価してあげる」

 

「上からだな」

 

「私、上だから」

 ペルシアは悪びれない。

「忘れた?」

 

 リュウジは小さく息を吐いた。

 

 統括官室へ入ろうとした、その時だった。

 

「ペルシアさん!」

 

 明るい声が廊下の向こうから飛んできた。

 

 振り向くと、ルナとチャコがこちらへ歩いてきていた。

 

 ルナは資料端末を抱え、少し早足だ。

 チャコはその横で、いつものように軽い足取りだが、仕事モードの時の顔をしている。

 

「おお」

 チャコが目を丸くする。

「リュウジもおるやん」

 

「久しぶり」

 ルナも言う。

「って、久しぶりでもないか」

 

「そうだな」

 リュウジが短く返す。

 

 ペルシアが、そこで両手を軽く広げた。

 

「ちょうどよかったわ。ルナちゃん、チャコ。今から少しややこしい話するんだけど、聞いてもいい?」

 

「ややこしい話?」

 ルナが首を傾げる。

 

「ええ」

 ペルシアは軽く答える。

「東の未探索領域の件」

 

 その一言で、ルナの表情が少しだけ引き締まった。

 チャコも笑みを薄くする。

 

「……そういうことか」

 チャコが言う。

 

「中、入るわよ」

 ペルシアが先に扉を開ける。

「立ち話で済む内容じゃないし」

 

 四人は統括官室へ入った。

 

 

 室内には、統括官らしい整然さがあった。

 

 机。

 端末。

 簡易ホログラム投影装置。

 壁際の資料棚。

 そして、急な打ち合わせにも使える小さめの円卓。

 

 ペルシアはその円卓側へ向かい、全員に座るよう促した。

 

「で、改めて」

 彼女が言う。

「リュウジが東の未探索領域へ向かう形を組み直してる。その前提で話すわ」

 

 ルナの目が、自然とリュウジへ向く。

 チャコも腕を組みながら、黙って待っている。

 

 リュウジは、正面から言った。

 

「ペルシアに一緒に行ってほしい。援護にスターフォックスにも協力してほしい」

 

 ルナが小さく息を呑む。

 チャコは「ほう」と眉を上げた。

 

「フォックスとスリッピーはダメ」

 ペルシアが即座に言う。

「二人はルナちゃんの手伝いがあるから、今の地球活動から急に外すのは無理」

 

 ルナは、その判断にすぐ頷いた。

 

「はい。それはそうだと思います」

 

「せやな」

 チャコも言う。

「今、フォックスとスリッピー抜かれたら、地球側ちょいしんどいわ」

 

「でしょ」

 ペルシアは続ける。

「でも、ファルコとクリスタルなら、アーウィンで護衛に回してもいい。ファルコは外から切れるし、クリスタルは周辺把握ができる。東みたいに“分からないものが多い場所”なら、あの組み合わせは悪くない」

 

 ルナはそこで、少しだけ安心したように息を吐いた。

 

 リュウジは頷く。

 

「俺もそう思う」

 

「でも」

 ペルシアはそこで、指先を机に軽く打つ。

「システムエンジニアはどうするの?ネフェリスのシステムエンジニアは普通じゃダメでしょ?」

 

 その一言で、ルナとチャコが同時に少しだけ表情を変えた。

 

 チャコは、真っ先にそれが誰のことを指しているのか分かった顔だった。

 ルナも、すぐにそこへ辿り着く。

 

「……チャコ、か」

 ルナが小さく言う。

 

「まあ、そうなるわな」

 チャコが肩をすくめる。

 

 ペルシアは、そこであえて軽く言う。

 

「そういうこと、ネフェリスの中枢、神経応答制御、通信死にかけからの立て直し、外乱に対する勘。ただの“船の整備ができる人”じゃ無理。この条件で名前が挙がるの、ほぼチャコ一択なのよ」

 

 チャコは、そこで少しだけ視線を逸らした。

 

 照れているわけではない。

 責任の重さを測っている顔だ。

 

「……そら、ネフェリスで何かある前提なら」

 チャコが低く言う。

「ウチがおった方がええとは思う。せやけど」

 

 その“せやけど”の先を、ルナが先に受け取った。

 

「地球の方だよね」

 静かに言う。

 

 ペルシアは頷いた。

 

「ええ。チャコをこっちへ回すなら、ルナちゃん側の負担が増える。そこをどうするか」

 

 リュウジは、そこでルナを見る。

 

「……ルナ」

 言いかけたところで、

 

「チャコ、手伝ってあげて」

 

 ルナが先に言った。

 

 室内が、一瞬だけ静かになる。

 

 チャコが目を丸くした。

 

「ええんか?」

 

 その問いは軽くない。

 チャコは本気で聞いている。

 

 ルナは、端末を抱えたまま、まっすぐ頷いた。

 

「うん。地球での活動、今のところは地質調査が中心だから、私だけでも大丈夫だよ」

 

「ルナちゃん」

 ペルシアが少しだけ声を落とす。

「簡単に言ってるけど、今はまだ初動段階よ?補給の見極めも、拠点候補の絞り込みもある。楽になるわけじゃない」

 

「分かってます」

 ルナはきちんと敬語で返した。

「でも、今の東の未探索領域の話の方が、たぶん“今しか組めない形”だと思います。私は地球の方で、フォックスさんとスリッピーさんにお願いできます。けど、ネフェリスの中枢をちゃんと見られる人は、チャコしかいない」

 

 その言葉に、チャコが少しだけ目を細める。

 

「……ルナ」

 

「それに」

 ルナは続ける。

「私も、サヴァイヴにもう一度行きたい。今のサヴァイヴがどうなってるのか、気になる。でも、だからって私が今すぐ行くのは違うって分かってる。だったら、せめて」

 そこで一度だけ息を吸う。

「チャコが行って、リュウジをちゃんと戻してきてほしい」

 

 その言葉は、強かった。

 

 優しいだけじゃない。

 ちゃんと切り分けた上で、言うべきことを言っている。

 

 ペルシアは、ルナの横顔を見て、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「……ほんとに、大きくなったわねぇ」

 小さく呟く。

 

「ペルシアさん」

 ルナが少しだけ困ったように言う。

 

「褒めてるのよ」

 ペルシアはすぐに返した。

「ちゃんと、何を優先するかで決めてる。感情だけじゃない」

 

 チャコは、そこでようやく小さく息を吐いた。

 

「ルナがそこまで言うなら、分かった」

 そして、リュウジを見る。

「ウチ、行くで」

 

 その言葉は短い。

 けれど、重かった。

 

「ただし」

 チャコはすぐに続ける。

「ネフェリス側の機関部、中枢、通信、予備系統、全部見直す。“とりあえず行けるやろ”で出るなら、ウチは乗らへん」

 

「分かってる」

 リュウジは即答した。

 

「あと」

 チャコが少しだけ顎を上げる。

「東の未探索領域やからって、操縦で全部押し切れる思ったら大間違いやで。なんかあった時、船ってほんまに人みたいになるからな、変な息の仕方したら、その時点で分かる。そこまで含めて見せてもらう」

 

「分かった」

 リュウジはもう一度頷いた。

 

 ペルシアは、そのやり取りを見ながら腕を組んだ。

 

「じゃあ」

 統括官らしい声で言う。

「整理するわよ」

 

 机上にホログラムを立ち上げる。

 簡易な航路図。

 東側の未探索領域の外縁。

 現状の既知データ。

 そして、役割欄。

 

「まず、操縦はリュウジ。ここは変わらない」

 

「ああ」

 リュウジが短く答える。

 

「同乗支援」

 ペルシアは自分を指す。

「私。コックピットコンディションと全体判断補助、引き際の確認。ここも異論なし?」

 

「ない」

 リュウジが答える。

 

「ネフェリスの中枢・システム対応」

 次にチャコを見る。

「チャコ」

 

「了解や」

 チャコが頷く。

 

「外周護衛。ファルコ、クリスタル。アーウィン二機。ここは私が後で正式に打診する」

 

 ルナが、静かにその配置図を見ていた。

 自分はここには入らない。

 それを理解した上で、それでも視線を逸らさない。

 

「問題は」

 ペルシアが言う。

「これで終わりじゃないこと。フォックスとスリッピーを外せない以上、外からの総合支援ラインは弱くなる。だから本部側のオペレーションルームをどう組むかも必要。そこは別で人を置く」

 

 チャコがすぐに口を挟む。

 

「ナミかマリは?」

 

「今の配置だと難しい」

 ペルシアが答える。

「すぐ戻せる位置じゃない。でもシャオメイ、ジェームズ、イーナは動かせる。ローズも呼び戻せるか調整する」

 

「ふぅん」

 チャコが小さく唸る。

「なら、完全に無茶ではないか」

 

「無茶ではあるわよ」

 ペルシアはあっさり言う。

「ただ、“形にならない無茶”から“組んだ上での危険任務”には変わった。そこは大きい」

 

 その言葉に、リュウジは何も言わなかった。

 だが、その重みはちゃんと受け取っていた。

 

 ルナが、そこで静かに聞いた。

 

「……ペルシアさん。この形なら、本当に行けるんですか?」

 

 ペルシアは、ルナを見た。

 

「まだ分からない」

 はっきり言う。

「必要な人間を並べたからって、それだけで許可が下りるわけでもない。エリンもまだ“条件を詰める段階”よ。でも」

 一拍置く。

「少なくとも、もう“リュウジが一人で行く話”ではない。そこは大きく違うわ」

 

 ルナは、その言葉に小さく頷いた。

 

「……うん」

 

 チャコが、そこでにやっと笑った。

 

「ほな、ちょっとおもろなってきたな」

 

「面白がらないで」

 ルナがすぐに言う。

 

「いや、面白がるやろ」

 チャコは悪びれない。

「東の未探索領域なんて、普通に生きてたら“よし行こか”ってならん場所やで。そこを今から本気で組み始めるんや。そら、技師としてはちょっと燃えるわ」

 

「その言い方、怖い」

 ルナが苦笑する。

 

「安心せえ」

 チャコが肩をすくめる。

「ちゃんと帰ってくるために燃えとる」

 

 その関西弁の軽さに、室内の空気が少しだけ和らいだ。

 

 ペルシアはそこで、リュウジをまっすぐ見る。

 

「で、リュウジ」

 統括官としてではなく、でも限りなくそれに近い声で言う。

「ここから先、勘違いしないで、今のは“可能性が出た”だけ。これで押し切れると思わないこと」

 

「分かってる」

 リュウジが答える。

 

「本当に?」

 ペルシアが少しだけ目を細める。

「エリンが条件を出して、私が形を並べて、ルナちゃんとチャコが協力を言ってくれた。そこまで出たからって、“じゃあ行ける”で思考を止めたら私が潰すわよ」

 

「分かってる」

 リュウジはもう一度言った。

「ここからは、組む話だ。一つずつ詰める」

 

 ペルシアは、その答えに数秒だけ黙ったあと、小さく頷いた。

 

「よろしい」

 

 それから、ふっと少しだけ笑う。

 

「ほんと、そこまで言うようになったのね」

 

「何度も言うな」

 

「だって事実だもの」

 ペルシアは言う。

「前のリュウジなら、“俺が飛べばいい”で終わってた。今は“誰が必要か”をちゃんと口にする。その変化は大きいわよ」

 

 リュウジは、そこで少しだけ目を伏せた。

 

「エリンさんに言われた」

 低く言う。

「一人で行く話は駄目だって、それで、ちゃんと考えた」

 

 ルナが、その言葉を聞いてほんの少しだけ目を和らげた。

 チャコも何も言わないが、視線がやや柔らかくなる。

 

 ペルシアは、そこで息を吐いた。

 

「じゃあ」

 端末を指で叩く。

「今日のところはここまでね。私はこの形をベースに、フォックスとスリッピーを外さない前提で、スターフォックス側と宇宙管理局側の支援線を整理する。チャコはネフェリスの中枢系で“絶対に見直しが必要な箇所”を洗い出して、ルナちゃんは地球側の現行工程を、チャコ抜きでも一時的に回る形に置き換えられるか確認」

 

「はい」

 ルナが敬語で答える。

 

「了解や」

 チャコはいつもの調子で言う。

 

「俺は?」

 リュウジが聞く。

 

「リュウジは」

 ペルシアが少しだけ意地悪そうに目を細める。

「エリンと、もう一回ちゃんと話しなさい。今の形を持って、まだ詰めるべきところも、ちゃんと見せて、その上で、どこまでなら現実に乗せられるか、あの子と擦り合わせる」

 

「……ああ」

 リュウジは頷いた。

 

 それが一番、逃げられない工程だと分かっている。

 だが、今はもうそこを避けるつもりはなかった。

 

「よろしい」

 ペルシアは改めて言う。

「じゃあ、ここから先は“誰が熱いか”じゃなく、“誰が何を持つか”で組むわよ。サヴァイヴへ行きたい気持ちだけじゃ、東は越えられない。でも、気持ちがあるからここまで組める。そこ、履き違えないで」

 

 四人とも、静かにその言葉を受け取った。

 

 室内の空気は、もう最初とは違っていた。

 

 まだ決定ではない。

 まだ許可でもない。

 だが、ただの夢想でもなくなった。

 

 一人で行く話ではなくなった。

 一人で抱える話でもなくなった。

 

 役割が置かれ始めたのだ。

 誰が前に立ち、誰が支え、誰が守り、誰が止めるのか。

 

 それだけで、東の未探索領域という輪郭のない恐怖に、初めて“形”が入り始めていた。

 

 ルナは、机の上のホログラムを見つめながら、小さく息を吐いた。

 

「……絶対、帰ってきてね」

 ぽつりと言う。

 

 それは、誰に向けた一言か分からないようでいて、きっと全員に向けたものだった。

 

 チャコがその横で笑う。

 

「当たり前や。行く前から縁起でもないこと言うなや」

 

「でも」

 ルナは少しだけ困ったように笑った。

「言いたくなるでしょ、こういうの」

 

「まあな」

 チャコも否定しない。

 

 リュウジは、その二人を見てから、静かに言った。

 

「帰る。今度は、ちゃんと」

 

 その言葉に、ペルシアは少しだけ目を細めた。

 

「……そういうの」

 小さく言う。

「簡単に言うの、前よりは許せるようになったわ。ちゃんと“帰る形”を組もうとしてるから」

 

 リュウジは何も返さなかった。

 ただ、わずかに頷く。

 

 その頷きだけで十分だった。

 

 宇宙管理局本部の統括官室。

 そこで、東の未探索領域へ向かう話は、初めて“本気で組まれ始めた計画”として息を持ち始めたのだった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

宇宙管理局本部の統括官室で、東の未探索領域へ向かうための“形”が初めて輪郭を持ちはじめたあとも、空気はすぐには緩まなかった。

 

 役割を並べることと、実際にその人間達へ打診することは別だ。

 今この場では納得しているように見えても、いざ名前を出された側が「嫌だ」と言う可能性だってある。

 それに、東の未探索領域という言葉の重みは、聞く者全員の心をほんの少しだけ冷やす。

 

 ペルシアは、机上に展開した簡易ホログラムを指先で消しながら、四人を見回した。

 

「じゃあ、順番に動くわよ」

 軽く言う。

「まずは人の確保。次にネフェリスの見直し。そこから先でようやく、“出せるかどうか”の話になる」

 

 リュウジは短く頷く。

 チャコは腕を組んだまま、もう頭の中でネフェリスの内部図を引っ張り出している顔だった。

 ルナは端末を抱えたまま、小さく呼吸を整えている。

 自分が今、チャコを一時的に手放す側へ回ろうとしていることを、ちゃんと理解している顔だ。

 

「リュウジ」

 ペルシアが言う。

「ファルコとクリスタルには、私から話す。この手の話、リュウジが行くより私が行った方が早い」

 

「そうかもな」

 リュウジは素直に認めた。

 

「“そうかも”じゃなくて、そうなの」

 ペルシアは即座に返す。

「ファルコはまだしも、クリスタルは役割と医療線の整理も同時に見るから、説明が雑だと面倒なのよ」

 

「……否定できない」

 リュウジは言う。

 

「でしょ」

 ペルシアは軽く肩をすくめる。

「ルナちゃんとチャコは、このあと地球活動の件で来たついでに時間ある?」

 

「私は大丈夫です」

 ルナが敬語で答える。

「午後の作業前に戻れれば」

 

「ウチもいけるで」

 チャコが言う。

「ネフェリスの見直し項目、頭の中ではもうある程度出とるし」

 

 その返答に、ペルシアは小さく目を細めた。

 

「さすがね。そういうの、ほんと早い」

 

「そら、ネフェリスやし」

 チャコは当然みたいに言う。

「普通の船やったら、ここまで食いつかん」

 

「その“普通じゃない船”に、普通じゃない場所へ入ろうとしてるのよ」

 ペルシアが言う。

「しっかり頼むわ」

 

「任しとき」

 チャコはにっと笑った。

 

 

 最初に動いたのはペルシアだった。

 

 統括官室を出ると、そのまま本部の中層フロアにある簡易ブリーフィングルームへ向かう。リュウジはその少し後ろを歩き、ルナとチャコも続く。

 

 歩きながら、ペルシアは端末で短いメッセージを二件飛ばした。

 

 ファルコ。

 クリスタル。

 

 内容は短い。

 

 ――今、五分だけ時間ある?

 ――少し面倒だけど大事な話。

 

「その呼び方で来るのか?」

 リュウジが横から聞く。

 

「来るわよ」

 ペルシアは即答した。

「ファルコは“面倒”って言葉に釣られるし、クリスタルは“大事”で来る」

 

 その言い方に、チャコがくすりと笑う。

 

「使い分けとるなぁ」

 

「当然でしょ」

 ペルシアは悪びれない。

「人によって餌が違うのよ」

 

「餌って言い方はどうなんですか……」

 ルナが少し困ったように言う。

 

「伝わればいいの」

 ペルシアは軽く返した。

 

 ほどなくして、ブリーフィングルームへ入る。

 

 壁面モニター。

 簡易投影装置。

 四人掛けの机が三つ。

 本部の中でも、急な相談や短時間の任務整理に使われる部屋だ。

 

 ペルシアが中へ入り、端末をテーブルへ置いた直後、扉が開いた。

 

「面倒な話って何だ」

 と、先に入ってきたのはファルコだった。

 

 いかにも不機嫌そうな顔。

 だが、本当に嫌ならそもそも来ない。

 そういう男だ。

 

「ファルコ、早いわね」

 ペルシアが言う。

 

「ちょうど近くにいただけだ」

 ファルコはぶっきらぼうに答える。

「で? そっちの顔ぶれからして、ろくでもないことだろ」

 

「ろくでもなくはないわ」

 ペルシアは言う。

「危ないだけ」

 

「十分ろくでもないだろ」

 

 そのやり取りの直後、今度はもう一度扉が開いた。

 

「失礼するわ」

 クリスタルが入ってくる。

 

 本部勤務時の落ち着いた服装だ。

 髪を軽くまとめ、目元はいつも通り静かだが、その中にはすぐ状況を読む人間特有の光がある。

 

「クリスタル」

 ペルシアが軽く手を上げる。

「ありがとう」

 

「メッセージを見て来たけど」

 クリスタルは部屋の中を見渡した。

「この面子だと、たぶん軽い話じゃないわね」

 

「ええ」

 ペルシアは頷く。

「軽くないわ」

 

 ファルコとクリスタルが席へ着く。

 リュウジは正面に座り、ルナとチャコは少し脇へ寄る位置に座った。

 ペルシアだけは立ったまま、机の端に軽く腰を預ける。

 

「じゃあ、単刀直入に言うわ」

 ペルシアが言った。

「東の未探索領域の外縁調査を、本気で組み始める」

 

 ファルコの眉が、わずかに動く。

 クリスタルも、表情は変えないまま目だけが少しだけ細くなる。

 

「東?」

 ファルコが低く言う。

「魔のゾーンの方か」

 

「そう」

 ペルシアが答える。

「まだ最終決定じゃない。でも、“リュウジが一人で行く話”ではなくなった。今は、その形を本気で組んでる段階」

 

 クリスタルが、そこで静かにリュウジを見た。

 

「エリンと話したのね」

 

「話した」

 リュウジは答える。

 

「そう」

 クリスタルは小さく頷く。

「だったら、ここに来てる意味はあるわね」

 

 ファルコは腕を組んだ。

 

「で、俺達に何をしろって?」

 

「護衛」

 ペルシアは即答した。

「アーウィンで外周援護。フォックスとスリッピーはルナちゃんの地球活動側に固定。だから、ファルコとクリスタルに動いてほしい」

 

 ファルコは舌打ちこそしなかったが、顔は明らかに「面倒だ」と言っていた。

 

「俺はともかく」

 少しだけ顎を上げる。

「クリスタルも連れてく理由は?」

 

「東の未探索領域だからよ」

 ペルシアは言う。

「気配が読みにくい。感応も含めた周辺把握が欲しい。それに、アーウィン二機で行くなら、片方は“飛ばす”だけじゃなく“見る”役が必要。その意味で、クリスタルは最適」

 

 ファルコは黙る。

 理屈として外せないことは分かった顔だ。

 

 クリスタルは、そこで腕を組まず、机の上に指を組んだ。

 

「護衛そのものは構わない」

 静かに言う。

「でも、条件があるわ」

 

「聞くわよ」

 ペルシアが言う。

 

「まず、東の未探索領域へ入る距離と、どこからを“侵入”と見なすかを明確にすること。曖昧なまま護衛はできない。次に、ネフェリス側の中枢応答と通信線が通常想定のままなら、私は飛ばない。こっちが周辺を拾えても、中が死んだら意味がないから」

 

「そこはチャコを入れる」

 ペルシアが言った。

 

 クリスタルの視線が、チャコへ向く。

 

「チャコ?入るの?」

 

「そのつもりや」

 チャコが言う。

「ネフェリスのシステムエンジニアは普通じゃダメやろ、って話でな」

 

 クリスタルは、その言葉に少しだけ口元を緩めた。

 

「それなら一気に現実味が出るわね」

 

「やろ?」

 チャコは少しだけ得意そうだ。

 

 ファルコが、そこで低く聞いた。

 

「チャコを抜くなら、ルナの方はどうする」

 

 ルナが、自分から答えた。

 

「私だけでも大丈夫です」

 はっきり言う。

「今の地球活動は、建設より前の地質調査と環境確認が中心なので。フォックスさんとスリッピーさんがいてくだされば、今の段階は回せます。……それに」

 少しだけ表情を引き締める。

「チャコさんがネフェリス側へ入った方が、東の未探索領域の計画には必要だと思います」

 

 ファルコは、そこでルナをまっすぐ見た。

 

「本気か?」

 

「はい」

 ルナは敬語のまま頷いた。

「もちろん、地球側の負担が軽いとは言いません。でも、今しか組めないなら、そちらを優先するべきだと思います」

 

 その返答に、ファルコは数秒だけ何も言わなかった。

 

 それから、鼻で少しだけ息を抜く。

 

「……大人になったな」

 小さく言う。

 

「何ですか、それ」

 ルナが少しだけ困ったように言う。

 

「感情だけで言ってないって意味だ」

 ファルコはぶっきらぼうに返す。

 

 クリスタルが、その横で静かに補足した。

 

「昔なら“私も行きたい”が先に出ていたかもしれない。でも今は、地球側と東側のどちらが“今しか組めないか”で話してる。そこは大事よ」

 

 ルナは、それに少しだけ照れたように目を伏せる。

 でも、否定はしなかった。

 

 ペルシアは、その空気をひとつ見届けてから、もう一度全員を見回した。

 

「で」

 少しだけ軽く言う。

「結論から言うと、どう?」

 

 ファルコは腕を組んだまま、リュウジを見る。

 

「一つ聞く」

 短く言う。

 

「何だ」

 リュウジが返す。

 

「今回、お前は“一人で押し切る気はない”って理解でいいのか」

 

 その問いは、確認だった。

 信頼を置く前の、最低限の確認。

 

 リュウジは、正面から答えた。

 

「ああ。そのつもりはない。必要な人間がいて、必要な役割があって、その上でようやく行ける場所だって分かった」

 

 ファルコは、その返事を数秒だけ見ていた。

 

 それから、小さく言う。

 

「なら、護衛はやる」

 

 ルナが小さく息を呑む。

 チャコが「よっしゃ」と小さく呟く。

 ペルシアは当然という顔をした。

 

「ただし」

 ファルコはすぐに続けた。

「無茶な突っ込み方をしたら、引きずってでも戻す。護衛機の役目は、“格好よく前に出ること”じゃなく“帰すこと”だからな」

 

「分かってる」

 リュウジは頷く。

 

「クリスタルは?」

 ペルシアが聞く。

 

 クリスタルは、少しだけ視線を落として考えたあと、静かに言った。

 

「私も入る。東みたいな場所で、気配と外周の乱れを拾える機体が一機でも多い方がいい。ただし」

 そこでリュウジを見た。

「中の通信線と、ネフェリス側のコックピットコンディションを軽く見たら、本当に怒るわよ。外と中、両方が生きて初めて護衛は意味を持つんだから」

 

「分かってる」

 リュウジはもう一度言う。

 

「よろしい」

 クリスタルは頷いた。

 

 それで、護衛線は決まった。

 

 ファルコ。

 クリスタル。

 アーウィン二機。

 

 東の未探索領域へ向かうネフェリスの、少し外側を走る盾になる。

 

 

 その打診が終わったあと、ペルシアはすぐに空気を切り替えた。

 

「じゃあ、次」

 端末を机に置く。

「チャコ。ネフェリス、見るわよ」

 

「おう」

 チャコは即座に立ち上がる。

「リュウジも来るやろ?」

 

「ああ」

 リュウジも席を立つ。

 

「ルナちゃんは?」

 ペルシアが聞いた。

 

「私は……」

 ルナは少しだけ迷ったが、すぐに答えた。

「このあと地球側の工程表、組み直します。チャコの分が抜けても、今の地質調査が回る形に直しておきたいので」

 

「ええ」

 ペルシアは頷く。

「それが正しい。フォックスとスリッピーには私からも後で伝える。でも、ルナちゃんからもちゃんと話しなさい。“大丈夫です”だけだと、あの二人は逆に心配するから」

 

「はい」

 ルナが敬語で答える。

 

「じゃあ、解散」

 ペルシアが言う。

「ファルコ、クリスタルは後で正式なブリーフ送る。チャコとリュウジはネフェリス。私は一度局長ラインと本部運用側を整理する」

 

「了解」

 ファルコが言う。

 

「分かったわ」

 クリスタルも頷く。

 

 部屋を出る直前、ルナがふとリュウジを見た。

 

 その視線には、色々な感情が混じっている。

 サヴァイヴにもう一度行きたい気持ち。

 自分が行けない今の立場。

 それでも、ちゃんと組んで向かうなら支えたいという思い。

 

「リュウジ」

 ルナが言う。

「チャコ、よろしくね」

 

「……ああ」

 リュウジは短く答える。

「預かる」

 

 その言い方に、ルナはほんの少しだけ微笑んだ。

 

「うん」

 

 

 ネフェリスは、木星圏側の整備ドックに静かに繋がれていた。

 

 遠目に見ても分かる。

 普通の船ではない。

 

 機体表面のライン。

 中枢部の独特な造形。

 補助ユニットの配置。

 どこか“ただの工業製品”ではない気配がある。

 

 ドックへ入った瞬間、チャコの歩き方が変わった。

 

 さっきまでの軽さが消える。

 関西弁はそのままでも、仕事の時の切り替わりがある。

 機体へ視線を向ける角度も、呼吸も、明らかに違う。

 

「……ほな、まずは中枢からやな」

 チャコが言う。

「外から見て安心してもしゃあない。東の未探索領域で死ぬ時は、大体“中の応答が想定より遅れた時”や」

 

 リュウジは、その後ろをついていく。

 

 乗り込む。

 ブリッジへ。

 そこからさらに機関と中枢系へ。

 

 ネフェリスの内部は静かだった。

 整備モードの低い駆動音だけが、船の奥で脈打っている。

 

 チャコは、いつものように迷いなく中枢端末へ手を伸ばした。

 

「まず、見るんはここや」

 起動。

 複数のウィンドウが一気に開く。

「神経応答制御の遅延値。主系統と副系統の切り替え速度。通信死んだ時の自律補完。あと、エネコア周りの負荷逃がし」

 

「全部重要だな」

 リュウジが言う。

 

「全部重要や」

 チャコは即答した。

「でも東は、“全部重要”の中から“今死ぬやつ”を瞬時に選ばなあかん。せやから、平時の整備項目そのままやと足りへん」

 

 チャコの指が端末の上を走る。

 

 数値。

 グラフ。

 応答曲線。

 制御ログ。

 

 目で追っているのに、どこか“聞いて”いるような顔だと、リュウジは毎回思う。

 

「……あかんな」

 数分後、チャコが低く言う。

 

「どこだ」

 

「まず、通信補完の自律切り替えが半拍遅い」

 チャコは画面を指した。

「通常航路なら許容範囲。でも東みたいな、外の信号がノイズごと潰れて飛び込んでくる場所やと、これ一個で中の判断が変な間を食う」

 

「直せるか」

 

「直す」

 チャコは即答した。

「次。重力制御ユニットの補正ログ。これ、今のままやと“綺麗な乱れ”には強いけど、“汚い乱れ”に弱い」

 

「汚い乱れ?」

 リュウジが聞き返す。

 

「規則ないやつや」

 チャコが言う。

「波形が崩れとるやつ。東の未探索領域なんて、むしろそればっかやろ。ここ、読み替えの優先順位を変えんと、操縦の体感より半歩遅れる」

 

 リュウジは、そこで小さく頷く。

 

 エリンが言ったことを思い出す。

 操縦だけでは足りない。

 支えるものが必要だと。

 

 今、まさにそれを目の前で見ていた。

 

「あと」

 チャコはさらに続ける。

「中枢から操縦席へ返す情報、ちょっと正直すぎる。全部をそのまま流すと、東では逆に邪魔や。見なあかんもんだけ先に上げるように整理せな」

 

「それはコックピットコンディション側の仕事でもある」

 リュウジが言う。

 

「せやな」

 チャコは頷いた。

「ペルシアが乗る前提なら、そこはだいぶ変わる。でも船側からも、“余計な騒ぎ方”を減らしといた方がええ。東では、一個のアラート音が変な焦り作るから」

 

 その言い方に、リュウジは少しだけ目を細めた。

 

 焦り方まで、チャコは見ている。

 ただのシステム担当ではない。

 やはり、ネフェリスにおいては最適だ。

 

「まだあるか」

 リュウジが聞く。

 

「山ほど」

 チャコは即答した。

「せやけど、今すぐデカいのは三つ」

 指を立てる。

「通信補完の切り替え速度。重力制御ユニットの乱れ読み替え。中枢から操縦席へ返す情報の優先整理」

 

「……大きいな」

 

「大きいで」

 チャコは真顔だった。

「でも逆に言えば、ここ詰めたら“東に向けた船”になり始める。ただ飛べる船やなくて、“東でも呼吸を乱しすぎへん船”に近づく」

 

 その言葉は、妙に重かった。

 

 東でも呼吸を乱しすぎない船。

 

 それは、ただの性能の話ではない。

 船と人の間にある“空気”の話だ。

 

「……チャコ」

 リュウジが言う。

 

「ん?」

 

「頼む」

 

 チャコは、そこで少しだけ目を丸くした。

 それから、いつもの関西弁の軽さを少し戻して笑う。

 

「今さら何を改まっとるんや。頼まれんでも、やるわ。せやけど」

 一拍置く。

「今のリュウジが言う“頼む”は、前よりちゃんと重いな」

 

 リュウジは返事をしなかった。

 ただ、わずかに目を細める。

 

 チャコはそれ以上そこを掘らず、再び端末へ向き直った。

 

「ほな、洗い出すで。東の未探索領域仕様、ネフェリス見直し項目。今日から、本気で組む」

 

 中枢の光が、静かに二人の顔を照らしていた。

 そこで初めて、東の未探索領域へ向かう話は、役割だけではなく“船そのもの”にまで降りてきたのだった。

 

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