エリンとの話を終えたあと、リュウジはすぐには動かなかった。
火星の夜は静かだった。
エリンの部屋を出て、外の通路へ出て、そこから移動ポートへ向かうまでの間も、頭の中にはさっきの会話が何度も反芻されていた。
東の未探索領域が危険だという認識は、エリンも変えていない。
だが、それ以上に嫌だったのは、自分がまた一人で抱え込み、一人で行こうとしていたことだった。
そして、もし本当に向かうなら。
操縦。
情報管理。
コックピットコンディション。
引き際を止める人間。
船内全体の呼吸を乱さない人間。
そこまで含めた“形”が必要だと、エリンは言った。
その指摘は正しかった。
正しすぎるほどに。
今までの自分なら、「自分が飛べばいい」で押し切っていたかもしれない。
あるいは、押し切れると思っていたかもしれない。
だが今は違う。
一人で行く話ではなくなった。
一人で抱える話でもなくなった。
なら、次にやるべきことは一つだ。
誰と行くのか。
どういう形で行くのか。
その現実的な輪郭を、ちゃんと作ること。
「……」
リュウジは移動ポートの待機席で、端末を開いた。
夜の宇宙管理局本部へ連絡を入れるか、一瞬だけ迷う。
だが、今の話は後回しにするほど軽くない。
連絡先を開く。
ペルシア。
呼び出し音は、二回で繋がった。
『もしもし?』
いつもの声だった。
少し軽くて、少し面倒くさそうで、でも眠そうではない。
『あら、珍しい。今度はあんたから?』
「今、少し時間あるか」
リュウジが言う。
『あるわよ』
ペルシアが答える。
『でも、その聞き方の時って大体、軽くない話よね。なに? エリンとまた何か進展あった?』
「進展、というか」
リュウジは少しだけ言葉を探した。
「……話はした」
『へえ』
ペルシアの声色が少しだけ変わる。
『ちゃんと?』
「ああ」
リュウジは答える。
「ちゃんと」
電話の向こうで、ペルシアが数秒だけ黙った。
その沈黙は、からかいではなく、確認のための間だった。
『で?』
と、次に問う。
「一人で行く話は駄目だって言われた」
リュウジは言う。
「でも、それだけじゃ終わらなかった。どういう形なら少しでも現実に近づくか、そこまで含めて話した」
『……そう』
ペルシアの声が、今度は少しだけ柔らかくなる。
『やっとそこまで来たのね』
「たぶんな」
リュウジは短く答えた。
『それで、あんたから私に連絡してきたってことは』
ペルシアが言う。
『その“形”を作り始める気になったってことかしら』
「そうだ」
リュウジは迷わず言った。
「ペルシア」
一拍置く。
「一緒に探索してほしい」
その言葉のあと、通話越しに空気が少しだけ変わった。
ペルシアはすぐには返事をしない。
軽く「いいわよ」と言う場面ではないことを、互いに分かっていた。
「東の未探索領域は」
リュウジが続ける。
「もう“俺が一人で見て、一人で戻る”じゃ駄目だ。操縦だけじゃ足りない。コックピットの空気と、情報の流れを見られる人間が必要だ。引くべき時に、俺を止められる人間も」
ペルシアはまだ黙っていた。
その沈黙が否定ではないことを、リュウジは知っている。
考えているのだ。
役割と現実を、同時に。
「……あんたねぇ」
やがて、ペルシアが小さく息を吐いた。
『言うようになったわね、ほんとに』
「何が」
『自分に“止める人間が必要”って、そういうの。前なら絶対、もっと回りくどく言ってたでしょ』
「回りくどくしても仕方ない」
リュウジは言う。
「必要なものは必要だ」
『うん』
ペルシアは頷く気配を見せた。
『それは正しい。で、スターフォックスにも協力してほしい、って声してるわね』
「……そこまで分かるのか」
『分かるわよ』
ペルシアが言う。
『リュウジが“俺一人じゃ駄目だ”って言って、次に名前が浮かぶ連中なんて限られてるもの』
リュウジは、そこで本題を続けた。
「援護に、スターフォックスに協力してほしい」
今度は、ペルシアはすぐに返した。
『フォックスとスリッピーはダメ』
きっぱりだった。
『あの二人は今、ルナちゃんの手伝いがあるから。地球側の活動、まだ立ち上がったばかりでしょ。あそこを急に外すのは無理』
その判断は、予想していた。
そして妥当でもある。
ルナの地球活動は、ようやく実地段階に入ったところだ。
環境改善のための拠点選定。
地質調査。
輸送経路の見極め。
あの計画にはフォックスとスリッピーの支援が既に深く入っている。
「……分かってる」
リュウジは言う。
「だから全員じゃなくていい。援護が欲しい」
『なら』
ペルシアが言う。
『ファルコとクリスタルなら、アーウィンで護衛に回してもいいわよ』
「ファルコとクリスタル?」
リュウジが聞き返す。
『ええ』
ペルシアは続ける。
『フォックスは総合判断がいるし、スリッピーはルナちゃん側で外せない。でも、ファルコなら単独の護衛飛行も強いし、クリスタルは感応も含めて周辺把握ができる。東みたいな“気配が読みにくい場所”なら、むしろあの組み合わせは悪くないわ』
その絵が、リュウジの頭の中にも浮かぶ。
ネフェリスの前衛と少し外側に、アーウィン二機。
ファルコが鋭く外を切り、クリスタルが周辺の乱れを拾う。
少なくとも、“単独で完全に孤立する”形ではなくなる。
「……悪くない」
リュウジが言う。
『悪くない、じゃなくて、かなりいい方よ』
ペルシアは少し鼻を鳴らした。
『でも、そこだけじゃ足りない』
「分かってる」
『ほんとに?』
ペルシアが少しだけ声を低くする。
『じゃあ聞くけど、システムエンジニアはどうするの?』
リュウジは、一瞬だけ黙った。
『ネフェリスのシステムエンジニアは普通じゃダメでしょ?』
ペルシアが言う。
『東の未探索領域よ?何が切れて、何が壊れて、どこまで即時復旧が必要になるか分からない。ただの“船を知ってる人”じゃ足りない。ネフェリスを、生き物みたいに読める人間じゃないと』
その言葉は、あまりにも正しかった。
ネフェリスは、普通の輸送船でもなければ、ただの探査機でもない。
特異な挙動を抱えた、半ば癖のある船だ。
その中枢系は、知識だけでは追いつかない。
感覚と経験と、応答の癖まで理解している人間が必要になる。
そして、そういう人間に心当たりはある。
「……チャコ、か」
リュウジが低く言う。
『でしょ』
ペルシアは即座に答える。
『あの子ならネフェリスの中枢も神経応答制御も、かなり深いところまで触れる。サツキも悪くないけど、今回欲しいのは“場数と勘”まで含んだ方。そうなるとチャコが一番強い』
リュウジは、小さく息を吐いた。
チャコ。
軽い。
よく喋る。
猫型のロボットで、関西弁で、いつもどこか抜けているように見える。
だが、ネフェリスに関してだけは別だ。
あの船の中枢を前にした時のチャコは、ただの機械担当ではない。
明らかに“船の神経”と会話しているような顔になる。
「……でも」
リュウジが言いかける。
『でも、なに?』
「ルナの方はどうなる」
リュウジは言った。
「地球側で、チャコも動いてるだろ」
その問いに、ペルシアは少しだけ黙った。
だが、その沈黙は“分からない”の間ではない。
むしろ、「そこよね」と言いたげな間だった。
『そうなのよ』
ペルシアが言う。
『ルナちゃんの方も、今はまだ完全に安定してるわけじゃない。だからチャコを抜くなら、それ相応の整理がいる。そこが一番面倒』
リュウジは、移動先を宇宙管理局本部に変えることを頭の中で決めた。
「今、本部か?」
『いるわよ』
ペルシアが答える。
『今日はこっちで資料整理と面談と、あとルナちゃん達が地球での活動の件で来る予定』
その言葉に、リュウジの目が少しだけ細くなる。
「ルナとチャコが?」
『ええ』
ペルシアが言う。
『だから、来るなら今の方がいいかもね。どうせリュウジ、電話で終わらせるつもりないでしょ』
「ない」
リュウジは即答した。
『でしょうね』
ペルシアが少し笑う。
『じゃあ、来なさい。でも言っとくけど、ここから先は“お願いして終わり”の話じゃないから、誰をどこから抜いて、どこへ入れて、何を優先するかまで含めて組むわよ』
「分かってる」
『ほんとに?』
「分かってる」
『はいはい』
ペルシアは軽く返した。
『じゃ、待ってる』
◇
宇宙管理局本部の統括官室前は、昼の気配がまだ少し残っていた。
廊下を行き交う職員。
端末を抱えた補佐官。
資料を運ぶフレイ。
遠くから聞こえる短い通話。
本部らしい、無駄のないざわめき。
リュウジが到着した時には、ペルシアはすでに統括官室の外で待っていた。
「遅い」
開口一番、それだった。
「時間通りだ」
リュウジが返す。
「私の感覚では遅いの」
ペルシアは平然としている。
「で?来たってことは、口だけじゃなくちゃんと組む気なんでしょ」
「そうだ」
リュウジは答えた。
ペルシアは一度だけじっとリュウジの顔を見た。
以前より少し違う。
そう感じたのだろう。
押し切る顔ではない。
必要なものを認めた上で来ている顔だ。
「……ふぅん」
小さく息を吐く。
「ほんとに、やっとここまで来たのね」
「エリンさんに言われた」
リュウジが言う。
「一人で行く話は駄目だって」
「それはそうでしょ」
ペルシアは言う。
「でも、それを聞いてまだ来てるってことは、“それでも行く”じゃなくて、“どうすれば行ける形になるか”に変わったってことよ。そこは評価してあげる」
「上からだな」
「私、上だから」
ペルシアは悪びれない。
「忘れた?」
リュウジは小さく息を吐いた。
統括官室へ入ろうとした、その時だった。
「ペルシアさん!」
明るい声が廊下の向こうから飛んできた。
振り向くと、ルナとチャコがこちらへ歩いてきていた。
ルナは資料端末を抱え、少し早足だ。
チャコはその横で、いつものように軽い足取りだが、仕事モードの時の顔をしている。
「おお」
チャコが目を丸くする。
「リュウジもおるやん」
「久しぶり」
ルナも言う。
「って、久しぶりでもないか」
「そうだな」
リュウジが短く返す。
ペルシアが、そこで両手を軽く広げた。
「ちょうどよかったわ。ルナちゃん、チャコ。今から少しややこしい話するんだけど、聞いてもいい?」
「ややこしい話?」
ルナが首を傾げる。
「ええ」
ペルシアは軽く答える。
「東の未探索領域の件」
その一言で、ルナの表情が少しだけ引き締まった。
チャコも笑みを薄くする。
「……そういうことか」
チャコが言う。
「中、入るわよ」
ペルシアが先に扉を開ける。
「立ち話で済む内容じゃないし」
四人は統括官室へ入った。
◇
室内には、統括官らしい整然さがあった。
机。
端末。
簡易ホログラム投影装置。
壁際の資料棚。
そして、急な打ち合わせにも使える小さめの円卓。
ペルシアはその円卓側へ向かい、全員に座るよう促した。
「で、改めて」
彼女が言う。
「リュウジが東の未探索領域へ向かう形を組み直してる。その前提で話すわ」
ルナの目が、自然とリュウジへ向く。
チャコも腕を組みながら、黙って待っている。
リュウジは、正面から言った。
「ペルシアに一緒に行ってほしい。援護にスターフォックスにも協力してほしい」
ルナが小さく息を呑む。
チャコは「ほう」と眉を上げた。
「フォックスとスリッピーはダメ」
ペルシアが即座に言う。
「二人はルナちゃんの手伝いがあるから、今の地球活動から急に外すのは無理」
ルナは、その判断にすぐ頷いた。
「はい。それはそうだと思います」
「せやな」
チャコも言う。
「今、フォックスとスリッピー抜かれたら、地球側ちょいしんどいわ」
「でしょ」
ペルシアは続ける。
「でも、ファルコとクリスタルなら、アーウィンで護衛に回してもいい。ファルコは外から切れるし、クリスタルは周辺把握ができる。東みたいに“分からないものが多い場所”なら、あの組み合わせは悪くない」
ルナはそこで、少しだけ安心したように息を吐いた。
リュウジは頷く。
「俺もそう思う」
「でも」
ペルシアはそこで、指先を机に軽く打つ。
「システムエンジニアはどうするの?ネフェリスのシステムエンジニアは普通じゃダメでしょ?」
その一言で、ルナとチャコが同時に少しだけ表情を変えた。
チャコは、真っ先にそれが誰のことを指しているのか分かった顔だった。
ルナも、すぐにそこへ辿り着く。
「……チャコ、か」
ルナが小さく言う。
「まあ、そうなるわな」
チャコが肩をすくめる。
ペルシアは、そこであえて軽く言う。
「そういうこと、ネフェリスの中枢、神経応答制御、通信死にかけからの立て直し、外乱に対する勘。ただの“船の整備ができる人”じゃ無理。この条件で名前が挙がるの、ほぼチャコ一択なのよ」
チャコは、そこで少しだけ視線を逸らした。
照れているわけではない。
責任の重さを測っている顔だ。
「……そら、ネフェリスで何かある前提なら」
チャコが低く言う。
「ウチがおった方がええとは思う。せやけど」
その“せやけど”の先を、ルナが先に受け取った。
「地球の方だよね」
静かに言う。
ペルシアは頷いた。
「ええ。チャコをこっちへ回すなら、ルナちゃん側の負担が増える。そこをどうするか」
リュウジは、そこでルナを見る。
「……ルナ」
言いかけたところで、
「チャコ、手伝ってあげて」
ルナが先に言った。
室内が、一瞬だけ静かになる。
チャコが目を丸くした。
「ええんか?」
その問いは軽くない。
チャコは本気で聞いている。
ルナは、端末を抱えたまま、まっすぐ頷いた。
「うん。地球での活動、今のところは地質調査が中心だから、私だけでも大丈夫だよ」
「ルナちゃん」
ペルシアが少しだけ声を落とす。
「簡単に言ってるけど、今はまだ初動段階よ?補給の見極めも、拠点候補の絞り込みもある。楽になるわけじゃない」
「分かってます」
ルナはきちんと敬語で返した。
「でも、今の東の未探索領域の話の方が、たぶん“今しか組めない形”だと思います。私は地球の方で、フォックスさんとスリッピーさんにお願いできます。けど、ネフェリスの中枢をちゃんと見られる人は、チャコしかいない」
その言葉に、チャコが少しだけ目を細める。
「……ルナ」
「それに」
ルナは続ける。
「私も、サヴァイヴにもう一度行きたい。今のサヴァイヴがどうなってるのか、気になる。でも、だからって私が今すぐ行くのは違うって分かってる。だったら、せめて」
そこで一度だけ息を吸う。
「チャコが行って、リュウジをちゃんと戻してきてほしい」
その言葉は、強かった。
優しいだけじゃない。
ちゃんと切り分けた上で、言うべきことを言っている。
ペルシアは、ルナの横顔を見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「……ほんとに、大きくなったわねぇ」
小さく呟く。
「ペルシアさん」
ルナが少しだけ困ったように言う。
「褒めてるのよ」
ペルシアはすぐに返した。
「ちゃんと、何を優先するかで決めてる。感情だけじゃない」
チャコは、そこでようやく小さく息を吐いた。
「ルナがそこまで言うなら、分かった」
そして、リュウジを見る。
「ウチ、行くで」
その言葉は短い。
けれど、重かった。
「ただし」
チャコはすぐに続ける。
「ネフェリス側の機関部、中枢、通信、予備系統、全部見直す。“とりあえず行けるやろ”で出るなら、ウチは乗らへん」
「分かってる」
リュウジは即答した。
「あと」
チャコが少しだけ顎を上げる。
「東の未探索領域やからって、操縦で全部押し切れる思ったら大間違いやで。なんかあった時、船ってほんまに人みたいになるからな、変な息の仕方したら、その時点で分かる。そこまで含めて見せてもらう」
「分かった」
リュウジはもう一度頷いた。
ペルシアは、そのやり取りを見ながら腕を組んだ。
「じゃあ」
統括官らしい声で言う。
「整理するわよ」
机上にホログラムを立ち上げる。
簡易な航路図。
東側の未探索領域の外縁。
現状の既知データ。
そして、役割欄。
「まず、操縦はリュウジ。ここは変わらない」
「ああ」
リュウジが短く答える。
「同乗支援」
ペルシアは自分を指す。
「私。コックピットコンディションと全体判断補助、引き際の確認。ここも異論なし?」
「ない」
リュウジが答える。
「ネフェリスの中枢・システム対応」
次にチャコを見る。
「チャコ」
「了解や」
チャコが頷く。
「外周護衛。ファルコ、クリスタル。アーウィン二機。ここは私が後で正式に打診する」
ルナが、静かにその配置図を見ていた。
自分はここには入らない。
それを理解した上で、それでも視線を逸らさない。
「問題は」
ペルシアが言う。
「これで終わりじゃないこと。フォックスとスリッピーを外せない以上、外からの総合支援ラインは弱くなる。だから本部側のオペレーションルームをどう組むかも必要。そこは別で人を置く」
チャコがすぐに口を挟む。
「ナミかマリは?」
「今の配置だと難しい」
ペルシアが答える。
「すぐ戻せる位置じゃない。でもシャオメイ、ジェームズ、イーナは動かせる。ローズも呼び戻せるか調整する」
「ふぅん」
チャコが小さく唸る。
「なら、完全に無茶ではないか」
「無茶ではあるわよ」
ペルシアはあっさり言う。
「ただ、“形にならない無茶”から“組んだ上での危険任務”には変わった。そこは大きい」
その言葉に、リュウジは何も言わなかった。
だが、その重みはちゃんと受け取っていた。
ルナが、そこで静かに聞いた。
「……ペルシアさん。この形なら、本当に行けるんですか?」
ペルシアは、ルナを見た。
「まだ分からない」
はっきり言う。
「必要な人間を並べたからって、それだけで許可が下りるわけでもない。エリンもまだ“条件を詰める段階”よ。でも」
一拍置く。
「少なくとも、もう“リュウジが一人で行く話”ではない。そこは大きく違うわ」
ルナは、その言葉に小さく頷いた。
「……うん」
チャコが、そこでにやっと笑った。
「ほな、ちょっとおもろなってきたな」
「面白がらないで」
ルナがすぐに言う。
「いや、面白がるやろ」
チャコは悪びれない。
「東の未探索領域なんて、普通に生きてたら“よし行こか”ってならん場所やで。そこを今から本気で組み始めるんや。そら、技師としてはちょっと燃えるわ」
「その言い方、怖い」
ルナが苦笑する。
「安心せえ」
チャコが肩をすくめる。
「ちゃんと帰ってくるために燃えとる」
その関西弁の軽さに、室内の空気が少しだけ和らいだ。
ペルシアはそこで、リュウジをまっすぐ見る。
「で、リュウジ」
統括官としてではなく、でも限りなくそれに近い声で言う。
「ここから先、勘違いしないで、今のは“可能性が出た”だけ。これで押し切れると思わないこと」
「分かってる」
リュウジが答える。
「本当に?」
ペルシアが少しだけ目を細める。
「エリンが条件を出して、私が形を並べて、ルナちゃんとチャコが協力を言ってくれた。そこまで出たからって、“じゃあ行ける”で思考を止めたら私が潰すわよ」
「分かってる」
リュウジはもう一度言った。
「ここからは、組む話だ。一つずつ詰める」
ペルシアは、その答えに数秒だけ黙ったあと、小さく頷いた。
「よろしい」
それから、ふっと少しだけ笑う。
「ほんと、そこまで言うようになったのね」
「何度も言うな」
「だって事実だもの」
ペルシアは言う。
「前のリュウジなら、“俺が飛べばいい”で終わってた。今は“誰が必要か”をちゃんと口にする。その変化は大きいわよ」
リュウジは、そこで少しだけ目を伏せた。
「エリンさんに言われた」
低く言う。
「一人で行く話は駄目だって、それで、ちゃんと考えた」
ルナが、その言葉を聞いてほんの少しだけ目を和らげた。
チャコも何も言わないが、視線がやや柔らかくなる。
ペルシアは、そこで息を吐いた。
「じゃあ」
端末を指で叩く。
「今日のところはここまでね。私はこの形をベースに、フォックスとスリッピーを外さない前提で、スターフォックス側と宇宙管理局側の支援線を整理する。チャコはネフェリスの中枢系で“絶対に見直しが必要な箇所”を洗い出して、ルナちゃんは地球側の現行工程を、チャコ抜きでも一時的に回る形に置き換えられるか確認」
「はい」
ルナが敬語で答える。
「了解や」
チャコはいつもの調子で言う。
「俺は?」
リュウジが聞く。
「リュウジは」
ペルシアが少しだけ意地悪そうに目を細める。
「エリンと、もう一回ちゃんと話しなさい。今の形を持って、まだ詰めるべきところも、ちゃんと見せて、その上で、どこまでなら現実に乗せられるか、あの子と擦り合わせる」
「……ああ」
リュウジは頷いた。
それが一番、逃げられない工程だと分かっている。
だが、今はもうそこを避けるつもりはなかった。
「よろしい」
ペルシアは改めて言う。
「じゃあ、ここから先は“誰が熱いか”じゃなく、“誰が何を持つか”で組むわよ。サヴァイヴへ行きたい気持ちだけじゃ、東は越えられない。でも、気持ちがあるからここまで組める。そこ、履き違えないで」
四人とも、静かにその言葉を受け取った。
室内の空気は、もう最初とは違っていた。
まだ決定ではない。
まだ許可でもない。
だが、ただの夢想でもなくなった。
一人で行く話ではなくなった。
一人で抱える話でもなくなった。
役割が置かれ始めたのだ。
誰が前に立ち、誰が支え、誰が守り、誰が止めるのか。
それだけで、東の未探索領域という輪郭のない恐怖に、初めて“形”が入り始めていた。
ルナは、机の上のホログラムを見つめながら、小さく息を吐いた。
「……絶対、帰ってきてね」
ぽつりと言う。
それは、誰に向けた一言か分からないようでいて、きっと全員に向けたものだった。
チャコがその横で笑う。
「当たり前や。行く前から縁起でもないこと言うなや」
「でも」
ルナは少しだけ困ったように笑った。
「言いたくなるでしょ、こういうの」
「まあな」
チャコも否定しない。
リュウジは、その二人を見てから、静かに言った。
「帰る。今度は、ちゃんと」
その言葉に、ペルシアは少しだけ目を細めた。
「……そういうの」
小さく言う。
「簡単に言うの、前よりは許せるようになったわ。ちゃんと“帰る形”を組もうとしてるから」
リュウジは何も返さなかった。
ただ、わずかに頷く。
その頷きだけで十分だった。
宇宙管理局本部の統括官室。
そこで、東の未探索領域へ向かう話は、初めて“本気で組まれ始めた計画”として息を持ち始めたのだった。
ーーーー
宇宙管理局本部の統括官室で、東の未探索領域へ向かうための“形”が初めて輪郭を持ちはじめたあとも、空気はすぐには緩まなかった。
役割を並べることと、実際にその人間達へ打診することは別だ。
今この場では納得しているように見えても、いざ名前を出された側が「嫌だ」と言う可能性だってある。
それに、東の未探索領域という言葉の重みは、聞く者全員の心をほんの少しだけ冷やす。
ペルシアは、机上に展開した簡易ホログラムを指先で消しながら、四人を見回した。
「じゃあ、順番に動くわよ」
軽く言う。
「まずは人の確保。次にネフェリスの見直し。そこから先でようやく、“出せるかどうか”の話になる」
リュウジは短く頷く。
チャコは腕を組んだまま、もう頭の中でネフェリスの内部図を引っ張り出している顔だった。
ルナは端末を抱えたまま、小さく呼吸を整えている。
自分が今、チャコを一時的に手放す側へ回ろうとしていることを、ちゃんと理解している顔だ。
「リュウジ」
ペルシアが言う。
「ファルコとクリスタルには、私から話す。この手の話、リュウジが行くより私が行った方が早い」
「そうかもな」
リュウジは素直に認めた。
「“そうかも”じゃなくて、そうなの」
ペルシアは即座に返す。
「ファルコはまだしも、クリスタルは役割と医療線の整理も同時に見るから、説明が雑だと面倒なのよ」
「……否定できない」
リュウジは言う。
「でしょ」
ペルシアは軽く肩をすくめる。
「ルナちゃんとチャコは、このあと地球活動の件で来たついでに時間ある?」
「私は大丈夫です」
ルナが敬語で答える。
「午後の作業前に戻れれば」
「ウチもいけるで」
チャコが言う。
「ネフェリスの見直し項目、頭の中ではもうある程度出とるし」
その返答に、ペルシアは小さく目を細めた。
「さすがね。そういうの、ほんと早い」
「そら、ネフェリスやし」
チャコは当然みたいに言う。
「普通の船やったら、ここまで食いつかん」
「その“普通じゃない船”に、普通じゃない場所へ入ろうとしてるのよ」
ペルシアが言う。
「しっかり頼むわ」
「任しとき」
チャコはにっと笑った。
◇
最初に動いたのはペルシアだった。
統括官室を出ると、そのまま本部の中層フロアにある簡易ブリーフィングルームへ向かう。リュウジはその少し後ろを歩き、ルナとチャコも続く。
歩きながら、ペルシアは端末で短いメッセージを二件飛ばした。
ファルコ。
クリスタル。
内容は短い。
――今、五分だけ時間ある?
――少し面倒だけど大事な話。
「その呼び方で来るのか?」
リュウジが横から聞く。
「来るわよ」
ペルシアは即答した。
「ファルコは“面倒”って言葉に釣られるし、クリスタルは“大事”で来る」
その言い方に、チャコがくすりと笑う。
「使い分けとるなぁ」
「当然でしょ」
ペルシアは悪びれない。
「人によって餌が違うのよ」
「餌って言い方はどうなんですか……」
ルナが少し困ったように言う。
「伝わればいいの」
ペルシアは軽く返した。
ほどなくして、ブリーフィングルームへ入る。
壁面モニター。
簡易投影装置。
四人掛けの机が三つ。
本部の中でも、急な相談や短時間の任務整理に使われる部屋だ。
ペルシアが中へ入り、端末をテーブルへ置いた直後、扉が開いた。
「面倒な話って何だ」
と、先に入ってきたのはファルコだった。
いかにも不機嫌そうな顔。
だが、本当に嫌ならそもそも来ない。
そういう男だ。
「ファルコ、早いわね」
ペルシアが言う。
「ちょうど近くにいただけだ」
ファルコはぶっきらぼうに答える。
「で? そっちの顔ぶれからして、ろくでもないことだろ」
「ろくでもなくはないわ」
ペルシアは言う。
「危ないだけ」
「十分ろくでもないだろ」
そのやり取りの直後、今度はもう一度扉が開いた。
「失礼するわ」
クリスタルが入ってくる。
本部勤務時の落ち着いた服装だ。
髪を軽くまとめ、目元はいつも通り静かだが、その中にはすぐ状況を読む人間特有の光がある。
「クリスタル」
ペルシアが軽く手を上げる。
「ありがとう」
「メッセージを見て来たけど」
クリスタルは部屋の中を見渡した。
「この面子だと、たぶん軽い話じゃないわね」
「ええ」
ペルシアは頷く。
「軽くないわ」
ファルコとクリスタルが席へ着く。
リュウジは正面に座り、ルナとチャコは少し脇へ寄る位置に座った。
ペルシアだけは立ったまま、机の端に軽く腰を預ける。
「じゃあ、単刀直入に言うわ」
ペルシアが言った。
「東の未探索領域の外縁調査を、本気で組み始める」
ファルコの眉が、わずかに動く。
クリスタルも、表情は変えないまま目だけが少しだけ細くなる。
「東?」
ファルコが低く言う。
「魔のゾーンの方か」
「そう」
ペルシアが答える。
「まだ最終決定じゃない。でも、“リュウジが一人で行く話”ではなくなった。今は、その形を本気で組んでる段階」
クリスタルが、そこで静かにリュウジを見た。
「エリンと話したのね」
「話した」
リュウジは答える。
「そう」
クリスタルは小さく頷く。
「だったら、ここに来てる意味はあるわね」
ファルコは腕を組んだ。
「で、俺達に何をしろって?」
「護衛」
ペルシアは即答した。
「アーウィンで外周援護。フォックスとスリッピーはルナちゃんの地球活動側に固定。だから、ファルコとクリスタルに動いてほしい」
ファルコは舌打ちこそしなかったが、顔は明らかに「面倒だ」と言っていた。
「俺はともかく」
少しだけ顎を上げる。
「クリスタルも連れてく理由は?」
「東の未探索領域だからよ」
ペルシアは言う。
「気配が読みにくい。感応も含めた周辺把握が欲しい。それに、アーウィン二機で行くなら、片方は“飛ばす”だけじゃなく“見る”役が必要。その意味で、クリスタルは最適」
ファルコは黙る。
理屈として外せないことは分かった顔だ。
クリスタルは、そこで腕を組まず、机の上に指を組んだ。
「護衛そのものは構わない」
静かに言う。
「でも、条件があるわ」
「聞くわよ」
ペルシアが言う。
「まず、東の未探索領域へ入る距離と、どこからを“侵入”と見なすかを明確にすること。曖昧なまま護衛はできない。次に、ネフェリス側の中枢応答と通信線が通常想定のままなら、私は飛ばない。こっちが周辺を拾えても、中が死んだら意味がないから」
「そこはチャコを入れる」
ペルシアが言った。
クリスタルの視線が、チャコへ向く。
「チャコ?入るの?」
「そのつもりや」
チャコが言う。
「ネフェリスのシステムエンジニアは普通じゃダメやろ、って話でな」
クリスタルは、その言葉に少しだけ口元を緩めた。
「それなら一気に現実味が出るわね」
「やろ?」
チャコは少しだけ得意そうだ。
ファルコが、そこで低く聞いた。
「チャコを抜くなら、ルナの方はどうする」
ルナが、自分から答えた。
「私だけでも大丈夫です」
はっきり言う。
「今の地球活動は、建設より前の地質調査と環境確認が中心なので。フォックスさんとスリッピーさんがいてくだされば、今の段階は回せます。……それに」
少しだけ表情を引き締める。
「チャコさんがネフェリス側へ入った方が、東の未探索領域の計画には必要だと思います」
ファルコは、そこでルナをまっすぐ見た。
「本気か?」
「はい」
ルナは敬語のまま頷いた。
「もちろん、地球側の負担が軽いとは言いません。でも、今しか組めないなら、そちらを優先するべきだと思います」
その返答に、ファルコは数秒だけ何も言わなかった。
それから、鼻で少しだけ息を抜く。
「……大人になったな」
小さく言う。
「何ですか、それ」
ルナが少しだけ困ったように言う。
「感情だけで言ってないって意味だ」
ファルコはぶっきらぼうに返す。
クリスタルが、その横で静かに補足した。
「昔なら“私も行きたい”が先に出ていたかもしれない。でも今は、地球側と東側のどちらが“今しか組めないか”で話してる。そこは大事よ」
ルナは、それに少しだけ照れたように目を伏せる。
でも、否定はしなかった。
ペルシアは、その空気をひとつ見届けてから、もう一度全員を見回した。
「で」
少しだけ軽く言う。
「結論から言うと、どう?」
ファルコは腕を組んだまま、リュウジを見る。
「一つ聞く」
短く言う。
「何だ」
リュウジが返す。
「今回、お前は“一人で押し切る気はない”って理解でいいのか」
その問いは、確認だった。
信頼を置く前の、最低限の確認。
リュウジは、正面から答えた。
「ああ。そのつもりはない。必要な人間がいて、必要な役割があって、その上でようやく行ける場所だって分かった」
ファルコは、その返事を数秒だけ見ていた。
それから、小さく言う。
「なら、護衛はやる」
ルナが小さく息を呑む。
チャコが「よっしゃ」と小さく呟く。
ペルシアは当然という顔をした。
「ただし」
ファルコはすぐに続けた。
「無茶な突っ込み方をしたら、引きずってでも戻す。護衛機の役目は、“格好よく前に出ること”じゃなく“帰すこと”だからな」
「分かってる」
リュウジは頷く。
「クリスタルは?」
ペルシアが聞く。
クリスタルは、少しだけ視線を落として考えたあと、静かに言った。
「私も入る。東みたいな場所で、気配と外周の乱れを拾える機体が一機でも多い方がいい。ただし」
そこでリュウジを見た。
「中の通信線と、ネフェリス側のコックピットコンディションを軽く見たら、本当に怒るわよ。外と中、両方が生きて初めて護衛は意味を持つんだから」
「分かってる」
リュウジはもう一度言う。
「よろしい」
クリスタルは頷いた。
それで、護衛線は決まった。
ファルコ。
クリスタル。
アーウィン二機。
東の未探索領域へ向かうネフェリスの、少し外側を走る盾になる。
◇
その打診が終わったあと、ペルシアはすぐに空気を切り替えた。
「じゃあ、次」
端末を机に置く。
「チャコ。ネフェリス、見るわよ」
「おう」
チャコは即座に立ち上がる。
「リュウジも来るやろ?」
「ああ」
リュウジも席を立つ。
「ルナちゃんは?」
ペルシアが聞いた。
「私は……」
ルナは少しだけ迷ったが、すぐに答えた。
「このあと地球側の工程表、組み直します。チャコの分が抜けても、今の地質調査が回る形に直しておきたいので」
「ええ」
ペルシアは頷く。
「それが正しい。フォックスとスリッピーには私からも後で伝える。でも、ルナちゃんからもちゃんと話しなさい。“大丈夫です”だけだと、あの二人は逆に心配するから」
「はい」
ルナが敬語で答える。
「じゃあ、解散」
ペルシアが言う。
「ファルコ、クリスタルは後で正式なブリーフ送る。チャコとリュウジはネフェリス。私は一度局長ラインと本部運用側を整理する」
「了解」
ファルコが言う。
「分かったわ」
クリスタルも頷く。
部屋を出る直前、ルナがふとリュウジを見た。
その視線には、色々な感情が混じっている。
サヴァイヴにもう一度行きたい気持ち。
自分が行けない今の立場。
それでも、ちゃんと組んで向かうなら支えたいという思い。
「リュウジ」
ルナが言う。
「チャコ、よろしくね」
「……ああ」
リュウジは短く答える。
「預かる」
その言い方に、ルナはほんの少しだけ微笑んだ。
「うん」
◇
ネフェリスは、木星圏側の整備ドックに静かに繋がれていた。
遠目に見ても分かる。
普通の船ではない。
機体表面のライン。
中枢部の独特な造形。
補助ユニットの配置。
どこか“ただの工業製品”ではない気配がある。
ドックへ入った瞬間、チャコの歩き方が変わった。
さっきまでの軽さが消える。
関西弁はそのままでも、仕事の時の切り替わりがある。
機体へ視線を向ける角度も、呼吸も、明らかに違う。
「……ほな、まずは中枢からやな」
チャコが言う。
「外から見て安心してもしゃあない。東の未探索領域で死ぬ時は、大体“中の応答が想定より遅れた時”や」
リュウジは、その後ろをついていく。
乗り込む。
ブリッジへ。
そこからさらに機関と中枢系へ。
ネフェリスの内部は静かだった。
整備モードの低い駆動音だけが、船の奥で脈打っている。
チャコは、いつものように迷いなく中枢端末へ手を伸ばした。
「まず、見るんはここや」
起動。
複数のウィンドウが一気に開く。
「神経応答制御の遅延値。主系統と副系統の切り替え速度。通信死んだ時の自律補完。あと、エネコア周りの負荷逃がし」
「全部重要だな」
リュウジが言う。
「全部重要や」
チャコは即答した。
「でも東は、“全部重要”の中から“今死ぬやつ”を瞬時に選ばなあかん。せやから、平時の整備項目そのままやと足りへん」
チャコの指が端末の上を走る。
数値。
グラフ。
応答曲線。
制御ログ。
目で追っているのに、どこか“聞いて”いるような顔だと、リュウジは毎回思う。
「……あかんな」
数分後、チャコが低く言う。
「どこだ」
「まず、通信補完の自律切り替えが半拍遅い」
チャコは画面を指した。
「通常航路なら許容範囲。でも東みたいな、外の信号がノイズごと潰れて飛び込んでくる場所やと、これ一個で中の判断が変な間を食う」
「直せるか」
「直す」
チャコは即答した。
「次。重力制御ユニットの補正ログ。これ、今のままやと“綺麗な乱れ”には強いけど、“汚い乱れ”に弱い」
「汚い乱れ?」
リュウジが聞き返す。
「規則ないやつや」
チャコが言う。
「波形が崩れとるやつ。東の未探索領域なんて、むしろそればっかやろ。ここ、読み替えの優先順位を変えんと、操縦の体感より半歩遅れる」
リュウジは、そこで小さく頷く。
エリンが言ったことを思い出す。
操縦だけでは足りない。
支えるものが必要だと。
今、まさにそれを目の前で見ていた。
「あと」
チャコはさらに続ける。
「中枢から操縦席へ返す情報、ちょっと正直すぎる。全部をそのまま流すと、東では逆に邪魔や。見なあかんもんだけ先に上げるように整理せな」
「それはコックピットコンディション側の仕事でもある」
リュウジが言う。
「せやな」
チャコは頷いた。
「ペルシアが乗る前提なら、そこはだいぶ変わる。でも船側からも、“余計な騒ぎ方”を減らしといた方がええ。東では、一個のアラート音が変な焦り作るから」
その言い方に、リュウジは少しだけ目を細めた。
焦り方まで、チャコは見ている。
ただのシステム担当ではない。
やはり、ネフェリスにおいては最適だ。
「まだあるか」
リュウジが聞く。
「山ほど」
チャコは即答した。
「せやけど、今すぐデカいのは三つ」
指を立てる。
「通信補完の切り替え速度。重力制御ユニットの乱れ読み替え。中枢から操縦席へ返す情報の優先整理」
「……大きいな」
「大きいで」
チャコは真顔だった。
「でも逆に言えば、ここ詰めたら“東に向けた船”になり始める。ただ飛べる船やなくて、“東でも呼吸を乱しすぎへん船”に近づく」
その言葉は、妙に重かった。
東でも呼吸を乱しすぎない船。
それは、ただの性能の話ではない。
船と人の間にある“空気”の話だ。
「……チャコ」
リュウジが言う。
「ん?」
「頼む」
チャコは、そこで少しだけ目を丸くした。
それから、いつもの関西弁の軽さを少し戻して笑う。
「今さら何を改まっとるんや。頼まれんでも、やるわ。せやけど」
一拍置く。
「今のリュウジが言う“頼む”は、前よりちゃんと重いな」
リュウジは返事をしなかった。
ただ、わずかに目を細める。
チャコはそれ以上そこを掘らず、再び端末へ向き直った。
「ほな、洗い出すで。東の未探索領域仕様、ネフェリス見直し項目。今日から、本気で組む」
中枢の光が、静かに二人の顔を照らしていた。
そこで初めて、東の未探索領域へ向かう話は、役割だけではなく“船そのもの”にまで降りてきたのだった。