初日の地上調査を終えたグレートフォックスは、粉塵帯が通過した直後に地表を離れた。
右後方脚部へ偏っていた荷重は、最後まで危険値には達しなかった。
それでも、長時間の地上待機はしない。
丘の地盤が安全だと確認出来るまでは、機体そのものを試験荷重に使うべきではないというフォックスの判断だった。
グレートフォックスはフランス上空を離れ、地球低軌道へ移行していた。
窓の外には、傷ついた地球の夜が広がっている。
かつての都市照明はない。
地表のほとんどは暗く、一部に大気中の放電や火山活動による淡い光が浮かぶだけだった。
機内中央のラウンジでは、ステファン財閥グループの建設チームが初日のデータを整理している。
地中レーダーの波形。
表層硬度。
軟弱層の位置。
地表温度。
土壌試料。
地下に埋まっていた人工構造物の反射。
若い測量技術者が足を取られた、小規模な表層空洞。
どれも、前回の下見だけでは分からなかったものだった。
ルナはテーブルへ両手をつき、地形図を見ていた。
丘の平地には、調査結果に応じて複数の色が重ねられている。
赤。
立ち入りや機材展開を避ける区域。
黄色。
追加調査が必要な区域。
緑。
現時点では大きな異常が見つかっていない区域。
だが、緑色はまだ小さい。
丘の北側に、細長く残っているだけだった。
「少ないですね」
ルナが呟く。
地質担当者が顔を上げる。
「初日の調査範囲を考えれば、むしろ十分です」
「そうでしょうか」
「はい。地盤調査では、異常が見つからなかったという結果にも条件があります」
担当者は緑色の区域を指す。
「今日の簡易走査で確認出来たのは、主に表面から二メートル程度までです」
「その下は、まだ分からない」
「そうです」
ルナは小さく頷いた。
緑だから安全なのではない。
今の調査では、危険が見つかっていないだけ。
その違いを忘れてはいけない。
「明日は、ここを深く調べるんですよね」
「北側の安定候補区域でボーリング調査を行います」
地質担当者が画面を切り替える。
予定されている掘削地点が三か所表示された。
「同時に、人工構造物の範囲も確認します。ただし、掘り返すかは反射データを見てから判断します」
「軟弱層は?」
「試料の一次分析が終わってからです。水分の由来によって調べ方が変わります」
「地下水なのか、壊れた設備から漏れたものなのか」
「はい」
ルナは地形図を見つめる。
一日で、こんなにも知らないことが増えた。
けれど、以前のように落ち込む気持ちはなかった。
分からないことが見えるようになった。
それは、何も見えなかった時よりもずっといい。
「ルナ」
背後からフォックスの声がした。
ルナが振り返る。
「はい、フォックスさん」
「まだやるのか」
「明日の予定を確認しています」
「確認は終わってる」
「もう一度だけ見ておこうと思って」
「三回目だ」
ルナは僅かに目を逸らした。
「数えていたんですか?」
「見れば分かる」
フォックスはテーブル上の端末を閉じた。
「あっ」
「休め」
「でも、まだ皆さんが作業しています」
「交代でやってる」
周囲を見ると、確かに先ほどまでいた技術者の何人かは、すでに休憩区画へ下がっていた。
今残っている者も、全員が一晩中作業を続けるわけではない。
地質担当者が少し笑う。
「ルナさんも休んでください。明日は地上で動いてもらいますから」
「私は機材を操作するわけではありませんし……」
「全体を見る人が疲れていたら、一番困ります」
出発前に、自分で言った言葉だった。
無理をしている人がいれば、周囲が止める。
自分も例外ではない。
「……分かりました」
ルナは端末から手を離した。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ラウンジを出ようとした時、フォックスが再び声を掛ける。
「ルナ」
「はい」
「明日、地上へ降りても、今日の結果を良い方へ解釈するな」
ルナは足を止めた。
「緑の区域が見つかったから、安全だと思うなということですか?」
「そうだ」
「分かっています」
「人工物も同じだ」
フォックスは続ける。
「昔の基礎が残っていたとしても、使えるとは限らない」
「はい」
「使えると思って見ると、危険を見落とす」
ルナは一度、閉じられた端末へ視線を戻す。
人工構造物が、強固な基礎として再利用出来るかもしれない。
地下設備が残っているなら、建設に利用出来るかもしれない。
そんな期待がなかったわけではない。
「使えるかどうかを確かめるんですよね」
「ああ」
「使うために理由を探すんじゃなくて」
「そうだ」
ルナはしっかりと頷いた。
「覚えておきます」
フォックスはそれ以上何も言わず、操縦室へ戻っていった。
◇
休憩区画へ向かう途中、ルナは観測窓の前で足を止めた。
地球がゆっくりと眼下を流れている。
暗い海。
灰色の雲。
かつて大陸だった形。
遠くから見れば、静かで穏やかな星にも見える。
けれど、地表には深い亀裂がある。
崩れた都市がある。
大気は、人間が防護装備なしで呼吸出来る状態ではない。
見た目だけでは分からない。
地面も。
空も。
人も。
「まだ起きてたの?」
明るい声が横から聞こえた。
スリッピーだった。
片手に小型端末を持ち、もう片方には温かい飲み物の容器がある。
「今、休むところです」
「フォックスに追い出された?」
「追い出されたわけではありません」
「じゃあ、休めって言われた?」
「……はい」
「同じだよ」
スリッピーは笑いながら、窓の横へ並ぶ。
ルナは眼下の地球を見たまま尋ねる。
「スリッピーさんは、まだ作業ですか?」
「観測ドローンのデータを整理してたんだ。もう終わったよ」
「人工構造物のこと、何か分かりましたか?」
「休むところだったんじゃないの?」
ルナは口を閉じる。
スリッピーは困ったように笑った。
「少しだけね」
「ありがとうございます」
「まだ確定じゃないよ」
スリッピーは端末を開き、ルナにも見えるよう画面を傾けた。
地中レーダーの反射が立体的に再構成されている。
地表からおよそ五十センチ下。
平らな板状の構造が、南北方向へ長く伸びている。
「建物ですか?」
「建物の床かもしれないし、大きな道路の基礎かもしれない」
「どのくらいの大きさですか?」
「今分かってる範囲だけで、長さは二十メートル以上。横幅はまだ見切れてない」
画面の一部には、反射が途切れている場所があった。
「ここは?」
「空間があるか、材料が違うかのどっちか」
「地下施設の入口でしょうか」
「可能性はある。でも」
スリッピーの声が少しだけ真面目になる。
「期待しすぎない方がいいよ」
「フォックスさんにも言われました」
「やっぱり?」
「はい。使えると思って見ると危険を見落とすって」
「そのとおりだね」
スリッピーは画面を閉じた。
「僕は機械が好きだから、古い設備を見ると、つい直せるかどうかを先に考えちゃうんだ」
「スリッピーさんでもですか?」
「もちろん」
スリッピーはあっさり答える。
「壊れてても、ここをつなぎ直せば動くとか、別の部品を使えば残せるとか」
「分かる気がします」
「でも、直せることと、直して使う価値があることは別なんだよね」
ルナは少し考える。
「新しく作った方が安全な場合もある」
「そういうこと」
「残っているから使うんじゃなくて、使う方がいいか調べる」
「うん」
スリッピーは飲み物を一口飲む。
「それでも、何か残ってたらワクワクするけどね」
ルナは笑った。
「私もです」
「明日、顔に出しすぎないようにね」
「気をつけます」
「完全に隠さなくてもいいよ」
「どちらですか?」
「最初は喜んでいい。でも、調べる時はちゃんと切り替える」
ルナは眼下の地球を見る。
「はい」
「ルナなら出来るよ」
「ありがとうございます、スリッピーさん」
その言葉を受け取ってから、ルナはようやく休憩区画へ向かった。
◇
地球調査二日目。
グレートフォックスは、前日よりも早い時間にフランス上空へ戻っていた。
西側の粉塵帯は、夜の間に南へ移動している。
候補地上空の風速も、前日より低かった。
『地表付近の平均風速、毎秒四・二メートル』
ナウスが報告する。
『視界、良好。大気中有害粒子濃度は前回と同程度です』
「着陸地点は?」
フォックスが尋ねる。
『昨日と同一地点への接地は推奨しません』
「理由は?」
『右後方脚部が接地した位置に、三・四ミリメートルの沈下を確認しました』
操縦室の空気が少しだけ重くなる。
僅かな沈下。
それだけで機体が危険になる数値ではない。
だが、初日の数時間だけで地表が変形したことは事実だった。
「別の位置を探す」
フォックスが言う。
「北側の候補区域に置きますか?」
ルナが尋ねる。
「調べる前に載せない」
「そうですよね」
グレートフォックスを、これから安全性を確かめる場所へ先に置くわけにはいかない。
スリッピーが地形図を拡大した。
「東側に小さな岩盤の露出があるよ。機体全部は無理だけど、短時間の荷下ろしなら、そっちの方が安定するかも」
「地下は?」
「浅い範囲には大きな反応なし。ただ、平地から少し離れる」
「距離は?」
「昨日の荷下ろし地点まで百八十メートルくらい」
フォックスは数秒で判断した。
「そこへ降りる」
「了解」
ルナは中央区画の建設チームへ連絡する。
「皆さん、今日は昨日と違う場所へ着陸します」
『理由は?』
「昨日の接地点で、僅かな沈下が確認されました」
ルナは隠さず伝えた。
「大きな異常ではありませんが、同じ場所へ機体の重量を掛けるのは避けます」
『機材の運搬距離が延びますね』
「はい。予定を少し変更する必要があります」
現場責任者が答える。
『地上車を先に降ろしましょう。ボーリング機材は分割して運びます』
「お願いします」
『調査時間は足りますか?』
ルナはすぐに答えなかった。
窓の外。
風の数値。
活動可能時間。
機材の運搬距離。
昨日のように、予定を詰め込んではいけない。
「午前中は、北側の地中探査とボーリング一か所を目標にしましょう」
『人工構造物の調査は?』
「午後まで安全に活動出来る場合だけにします」
『分かりました』
無理に全部やろうとしない。
その判断が、二日目には自然に共有されるようになっていた。
◇
グレートフォックスは丘の東側へ接地した。
今回は、脚部の下に安定板を展開し、接地圧を分散させている。
『全脚部、荷重正常』
ナウスが告げる。
『推奨待機可能時間、五時間二十分』
「昨日より長いね」
スリッピーが言う。
「油断するな」
フォックスが返す。
「分かってるよ」
船外活動班は、防護服を装着して地表へ降りた。
ルナ。
フォックス。
地質担当者二名。
測量担当者二名。
ボーリング機材担当者三名。
通信・電源担当者二名。
今回は初日より人数が多い。
それでも、無秩序には動かない。
ルナは全員が地上へ降りたことを確認すると、腕端末へ人数を入力した。
「地上班、十一名。全員確認しました」
『こちらでも十一名を確認しています』
ナウスが答える。
「二人一組を崩さないでください」
ルナが全員へ伝える。
「担当が違っても、移動する時は必ず近くの人へ声を掛けてください」
若い測量技術者が真剣な表情で頷いた。
昨日、単独で隊列を離れた人物だった。
「離れる時は、自分から報告します」
「お願いします」
ルナは責めるような言い方をしなかった。
昨日の失敗は、今日の手順へ変わっている。
個人を縮こまらせるのではなく、全員が安全に動ける形へ変える。
それでいい。
「まず、通信中継器を設置します」
通信担当者が小型中継器を運ぶ。
昨日とは違い、重り付きの自立台を先に広げる。
アンカーは、地中の状態を簡易確認してから使用する。
「反射異常なし」
「固定します」
『地上回線、接続しました』
スリッピーの声が明瞭に入る。
『みんな、聞こえる?』
「聞こえています、スリッピーさん」
『よし。今日は地上車の位置も全部こっちで追ってるからね』
「お願いします」
『ルナの位置も追ってるよ』
「どうして私だけ言うんですか?」
『昨日、フォックスに止められるまで人工物を掘りたそうにしてたから』
「今日は勝手に行きません」
『今日は、ね』
「スリッピーさん」
通信の向こうで、スリッピーが笑っている。
フォックスが低く言った。
「無駄話は終わりだ」
『はーい』
◇
北側の安定候補区域へ向け、地上車がゆっくりと進む。
昨日発見した湿潤帯を避け、北へ大きく迂回する経路だった。
先頭には地表圧を測る小型無人車。
その後ろを、地中レーダー。
さらに、分割されたボーリング機材を積んだ運搬車が続く。
ルナとフォックスは徒歩で側面を進んだ。
灰色の地表。
弱い光。
遠くに見える崩壊した建造物の影。
風が吹くたび、細かな粉塵が防護服へ当たる。
ルナは歩きながら、何度も周囲を見る。
前日より落ち着いていた。
初めて地球へ立った時のように、何もかもに目を奪われることはない。
今見るべきものを、自分で選べるようになっていた。
「停止してください」
先頭の若い測量技術者が声を上げた。
隊列が止まる。
「何かありましたか?」
ルナが尋ねる。
「昨日の地形図と、今の測定位置が少し合いません」
「どのくらいですか?」
「東へ四十センチほどずれています」
僅かな差。
機器の誤差として処理出来る程度にも思える。
だが、若い技術者は画面を見つめたまま続けた。
「最初は測位の誤差だと思いました。でも、三つの基準点が全部同じ方向へずれています」
年配の測量担当者が端末を確認する。
「地表が動いた可能性があるな」
「昨日からですか?」
ルナが聞く。
「表層だけが風や水分で移動したのかもしれません。あるいは、地下の変形が続いている可能性もあります」
フォックスが周囲を見る。
「機材を止めろ」
「はい」
ルナもすぐに全体へ伝える。
「全車両、その場で待機してください。地表の変位を確認します」
若い技術者は、少し不安そうに年配の担当者を見る。
「自分の測定が間違っている可能性もあります」
「それでも言ってくれてよかったです」
ルナは即座に答えた。
「間違っているかどうかを、今から確かめればいいんです」
若い技術者の表情が僅かに和らぐ。
「はい」
「スリッピーさん、上空から昨日の地形と比較出来ますか?」
『出来るよ。ドローンを回す』
観測ドローンがグレートフォックス側から飛来する。
上空から複数の基準点を読み取り、昨日の地形データと重ねる。
『測量ミスじゃない』
スリッピーの声が入った。
『地表の一部が、東側へ三十七から四十二センチ動いてる』
「範囲は?」
『今見えてるだけで、長さ十二メートルくらい』
地質担当者が足元を見る。
「浅い地滑りかもしれません」
「傾斜はほとんどありませんよね」
ルナが尋ねる。
「表面は平らです。ただ、地下の軟弱層が傾いていれば、上の硬い層だけが動くことがあります」
「このまま通れますか?」
「通るべきではありません」
返事は明確だった。
ルナは迷わず頷く。
「経路を変えましょう」
現場責任者が通信越しに尋ねる。
『さらに北へ回ると、ボーリング開始が一時間以上遅れます』
「構いません」
『今日中に一本目が終わらない可能性があります』
「危険な場所を通って時間を守る方が問題です」
ルナは地図を開く。
「西側は湿潤帯。今の場所は地表が移動しています」
「南側へ戻る案は?」
測量担当者が言う。
「人工構造物の近くを通ることになります」
「まだ地下の範囲が分かっていません」
ルナは少し考える。
北へ回れば遅れる。
南へ戻れば、未確認の人工構造物へ近づく。
どちらにも問題がある。
「今日は、ボーリング地点を変えられませんか?」
地質担当者がルナを見る。
「変える?」
「今いる場所より東側で、地表が動いていない範囲を調べるんです」
「本来の候補地点より、丘の端に近くなります」
「テラフォーミングマシン本体の建設地点には向かないでしょうか」
「本体には向かない可能性があります。ただ、輸送路や仮設設備の候補にはなります」
「なら、そこを調べる意味はありますよね」
地質担当者は地形図を見る。
「あります」
「本来の予定地点へ無理に行くより、今安全に調べられる場所を調べたいです」
現場責任者が尋ねる。
『今日の目的を変更するということですか?』
「はい」
ルナははっきり答えた。
「ボーリングをすることが目的ではありません。この丘の地盤を知ることが目的です」
昨日までなら、予定を変更することにもう少し迷っていたかもしれない。
だが今は違う。
何のための調査なのか。
そこを見失わなければ、手順を変えることは失敗ではない。
「東側で簡易走査を行い、問題がなければ一本だけ掘りましょう」
数秒後、現場責任者が答える。
『分かりました。その方針で進めます』
「ありがとうございます」
若い測量技術者が地図に新しい経路を引く。
「東へ二十五メートル移動すれば、昨日の地表変位範囲から外れます」
「そこまで無人車を先行させましょう」
「はい」
隊列は向きを変えた。
予定どおりではない。
けれど、誰も混乱していなかった。
変更の理由を、全員が理解していたからだ。
◇
新しい調査地点は、平地の東端に近い場所だった。
地表には細かな石が多い。
前方には、丘の斜面が緩やかに落ちている。
「簡易走査を始めます」
地中レーダーが、十メートル四方を格子状に往復する。
スリッピーとナウスが船内からデータを解析する。
『深さ二メートルまで大きな空洞なし』
ナウスが報告する。
『地表変位も検出されません』
『もう少し深いところに、反射の硬い層があるよ』
スリッピーが続ける。
「何メートルですか?」
『六メートルから八メートルの間』
地質担当者が画面を見る。
「岩盤の可能性があります」
ルナの胸が僅かに高鳴る。
だが、すぐには喜ばない。
「ボーリングで確認出来ますか?」
「はい」
「お願いします」
機材担当者達が分割されていたボーリング装置を組み立てる。
支持脚を広げる前に、四か所の地表硬度を確認。
重量が一か所へ集中しないよう、脚部の下へ荷重分散板を置く。
電源ケーブルを接続。
掘削軸の垂直を確認。
土壌試料を連続して取り出せるよう、採取管を装着する。
ルナは作業へ手を出さず、少し離れた場所から全体を見る。
「ボーリング開始します」
低い機械音が、地球の平地へ響き始めた。
掘削軸がゆっくりと地面へ入っていく。
一メートル。
表層は乾燥した土と細かな瓦礫。
二メートル。
灰色の粘土質の層。
三メートル。
粒の粗い土と、人工物らしき小さな破片。
「何か混じっています」
機材担当者が採取管を開く。
土の中から、薄い金属片と黒い素材が出てきた。
「昔の建設残土かもしれません」
地質担当者が言う。
「自然の地層ではないんですか?」
「少なくとも、上部三メートルは人の手で造成された可能性があります」
ルナは周囲を見渡す。
今は何もない丘。
けれど、かつて誰かが地面を平らにし、何かを作った。
公園。
軍事施設。
大規模な広場。
前回の下見で考えられていた候補が、ただの想像ではなくなり始めている。
「この造成地盤は使えますか?」
「状態次第です」
地質担当者は慎重だった。
「材料が均一ではありません。大型設備を直接載せるのは難しいかもしれません」
「その下まで基礎を届かせれば?」
「安定した層があれば可能です」
掘削は続く。
四メートル。
五メートル。
採取される土の色が少しずつ変わる。
突然、機械音が僅かに高くなった。
「抵抗上昇」
機材担当者が操作盤を見る。
「硬い層へ入りました」
「深さは?」
「六・八メートル」
地質担当者が採取管を確認する。
取り出されたのは、これまでの土とは違う、密度の高い灰色の岩片だった。
「岩盤ですか?」
ルナが尋ねる。
「まだ断定出来ません」
担当者は岩片へ分析器を当てる。
「風化した岩盤か、非常に硬い人工層かもしれません」
『周辺の反射と合ってる』
スリッピーの声が入る。
『少なくとも、点じゃなくて広がってるよ』
「どのくらいですか?」
『この地点から北西へ十五メートル以上。東側は斜面の下まで続いてる可能性がある』
ルナは思わず笑顔になりかける。
だが、途中で表情を整えた。
「さらに掘りますか?」
地質担当者が答える。
「あと二メートル確認したいです。硬い層の厚さを見ます」
掘削が再開される。
七メートル。
七・五メートル。
八メートル。
硬い層は途切れない。
ボーリング装置の振動は安定している。
地表にも異常はない。
「八・五メートル」
機材担当者が読み上げる。
「岩質、継続しています」
地質担当者は、採取された円柱状の試料を慎重に並べた。
亀裂。
風化。
密度。
水分。
一つずつ確認する。
ルナは、その答えを急かさなかった。
自分の望む言葉を待つのではなく、専門家が数字を確認する時間を待つ。
やがて、地質担当者が顔を上げた。
「この地点には、支持層として利用出来る可能性があります」
ルナの目が大きくなる。
「本当ですか?」
「可能性です」
「はい」
「上部の造成層は、そのまま大型設備を支えられる状態ではありません」
ルナは頷く。
「地盤改良が必要」
「それに加えて、基礎をこの硬い層まで届かせる必要があります」
「杭を使うんですか?」
「一つの方法です。ただし、テラフォーミングマシンの重量と振動条件が必要です」
「まだ、建てられると決まったわけではない」
「はい」
地質担当者は、それでも少しだけ表情を緩めた。
「ですが、建設を諦める結果でもありません」
その言葉が、ルナの胸へゆっくりと入ってくる。
建てられる。
そう言われたわけではない。
問題なく進められるとも言われていない。
地盤改良が必要。
深い基礎が必要。
さらに調査が必要。
条件はいくつもある。
それでも。
諦める必要はない。
「よかった……」
ルナは小さく息を吐いた。
今度は、笑顔を隠さなかった。
「本当によかったです」
『ルナ、まだ一か所目だよ』
スリッピーが通信越しに言う。
「分かっています」
『すごく嬉しそうだけど』
「嬉しいです」
ルナは素直に答えた。
「でも、これで全部大丈夫だとは思っていません」
『うん。それならいいよ』
「ありがとうございます、スリッピーさん」
フォックスは採取された試料を見下ろしていた。
「次は?」
地質担当者が答える。
「この地点から五メートル離れた場所で、もう一本確認したいです」
「時間は?」
『現在の風速、毎秒五・一メートル』
ナウスが報告する。
『今後二時間以内に急激な悪化は予測されていません』
「機体待機時間は?」
『残り三時間四十八分』
現場責任者から通信が入る。
『二本目を開始しても、撤収時間には間に合います』
全員の視線がルナとフォックスへ集まる。
ルナはすぐに進めるとは言わなかった。
地表変位が見つかった。
予定地点を変更した。
一本目では、支持層になる可能性がある硬い層が見つかった。
次を急ぎたい気持ちはある。
「二本目を始める前に、休憩を入れましょう」
ルナが言った。
機材担当者の一人が時計を見る。
「今ですか?」
「はい」
「天候は安定しています」
「だから、今のうちに休みたいです」
ルナは全員を見る。
「天候が悪くなってからでは休めません。撤収準備もあります」
地質担当者が頷いた。
「機材の冷却時間も必要です」
「では、十五分休憩。その間に一本目のデータを整理しましょう」
現場責任者が決定する。
「了解しました」
作業員達はボーリング装置を停止させ、それぞれ決められた休憩位置へ移動した。
地表へ直接座ることは出来ない。
折り畳み式の簡易座席を広げ、防護服の状態を確認しながら水分補給を行う。
ルナもフォックスの近くへ座った。
「自分から休憩を言えたな」
フォックスが言う。
「昨日、言われましたから」
「昨日言われなければ、続けてたか」
「……少し迷ったかもしれません」
「だろうな」
「でも、今日は止めました」
「ああ」
短い返事。
それだけだったが、ルナにはフォックスが認めてくれたことが分かった。
「フォックスさん」
「何だ」
「支持層が見つかりました」
「可能性だ」
「はい」
「一か所だけだ」
「分かっています」
「上の地盤は弱い」
「それも分かっています」
ルナは笑顔のまま答える。
「でも、駄目だと決まらなかったでしょう?」
フォックスは黙ってルナを見る。
「前回、地球を回った時は、降りる場所ごとに問題が見つかりました」
ルナは遠くの灰色の平地へ目を向ける。
「建物が残っていても危険だった。平らに見えても地面が脆かった。地下施設があっても、その周りから崩れていた」
「ああ」
「だから、ここも調べたら駄目かもしれないって、少し思っていました」
正直な言葉だった。
明るく振る舞っていても、不安がなかったわけではない。
「でも今、難しいけど出来るかもしれないって、少しだけ数字で言えるようになりました」
「まだ小さい結果だ」
「最初の一歩は、小さいものだと思います」
フォックスは何も答えなかった。
否定もしなかった。
ルナはそれで十分だった。
◇
休憩後、二本目のボーリングが始まった。
最初の地点から西へ五メートル。
上部の地層は、一か所目とほぼ同じだった。
乾燥した表土。
造成された土。
人工物の小さな破片。
そして、六メートルを超えたところで硬い層へ到達する。
「一か所目より二十センチ浅いです」
地質担当者が言う。
「同じ層でしょうか」
「可能性が高いです」
さらに掘り進めても、硬い層は続いていた。
少なくとも、点だけに存在する岩ではない。
一定の広がりを持つ地盤。
ルナは地形図へ、二つ目の印が加わるのを見ていた。
緑色の区域が、ほんの少しだけ広くなる。
『北西側の反射とつながったよ』
スリッピーが報告する。
『硬い層は、この辺り一帯にあると思う』
「テラフォーミングマシンの建設位置として考えられますか?」
ルナが尋ねる。
地質担当者はすぐには答えなかった。
地形図。
掘削結果。
人工構造物。
湿潤帯。
地表変位。
それらを順番に確認する。
「本体の位置は、まだ決められません」
「はい」
「ですが、設計条件を検討する段階へ進める可能性はあります」
ルナの顔が明るくなる。
「設計条件」
「機械の総重量。運転時の振動。基礎の大きさ。電源施設との距離。輸送路からの進入方向」
「それが分かれば、必要な基礎を考えられる」
「はい」
単に置けるか、置けないかではない。
どのような条件なら置けるのか。
調査が、次の段階へつながり始めていた。
「ステファン財閥グループへ、テラフォーミングマシンの想定重量を詳しく確認します」
ルナが言う。
「振動条件も必要ですね」
「お願いします」
「それから、建設資材を運ぶ経路も別に考えないといけません」
若い測量技術者が地形図へ近づく。
「今日見つかった地表変位区域は、輸送路には使えません」
「昨日の湿潤帯も避ける必要があります」
別の技術者が言う。
「そうすると、東側から入るしかない」
「でも、東側は斜面です」
「勾配を緩くする造成が必要になる」
次々と意見が出る。
以前なら、自分の担当だけで話していた技術者達が、今は一枚の地図を囲んでいる。
地盤。
測量。
輸送。
電源。
全てがつながり始めていた。
ルナはその輪の外から、一度全体を見る。
「皆さん」
声を掛けると、視線が集まる。
「今出た課題を、三つに分けませんか?」
「三つ?」
「テラフォーミングマシン本体を置く場所」
ルナは硬い層が見つかった区域を指す。
「資材を運ぶ道」
次に丘の東側を指す。
「それから、作業する人達が安全に待機する場所です」
技術者達が地形図を見る。
「本体の地盤が強くても、そこへ行く道がなければ建てられません」
ルナは続ける。
「機械を置けても、人が安全に作業出来なければ使えません」
現場責任者が頷いた。
「建設地点、輸送導線、活動拠点を分けて評価する」
「はい」
「一つの場所へ全部を集める必要はないということですね」
「前回の調査でも、単独の建物だけ直すのではなく、区域全体を考えないといけないと分かりました」
ルナは地図を見つめる。
「今回も同じだと思います」
設備だけを建てれば終わりではない。
その設備へ人が近づく。
資材を運ぶ。
点検する。
故障すれば修理する。
いつか地球で暮らす人達が、そこを起点に活動する。
「テラフォーミングマシンは、地球を戻すための最初の設備です」
ルナの声は静かだった。
「だから、建てる瞬間だけじゃなくて、そのあとも使い続けられる場所にしたいです」
地質担当者が、少しだけ表情を和らげた。
「では、午後は人工構造物ではなく、東側斜面の輸送経路調査を優先しましょう」
現場責任者が確認する。
「地下構造物の調査は延期しますか?」
「はい」
ルナは頷いた。
見たい。
何が埋まっているのか知りたい。
その気持ちはある。
だが、今日の二本のボーリングで、建設へつながる可能性が見えた。
次に必要なのは、その場所へ資材を運べるかを確かめることだ。
「人工構造物は逃げません」
ルナは少しだけ笑う。
「安全に調べられる準備をしてからにしましょう」
スリッピーの声が通信へ入る。
『ルナが我慢した』
「聞こえていますよ、スリッピーさん」
『だって、昨日からずっと気にしてたでしょ』
「気にはなっています」
『今すぐ見たい?』
「見たいです」
ルナは正直に答えた。
「でも、今日は行きません」
『うん。合格』
「何の合格ですか?」
『フォックスの注意をちゃんと守れた合格』
フォックスが低く言う。
「お前が決めるな」
『じゃあフォックス、合格?』
「当たり前の判断だ」
『厳しいなぁ』
ルナは小さく笑った。
◇
午後の調査では、丘の東側斜面へ複数の測量標識が置かれた。
現在の傾斜。
表層の硬さ。
地中の空洞。
造成した場合に崩れやすい方向。
大型輸送車両が通るために必要な幅。
地表を削る量。
補強すべき範囲。
調べる項目は多い。
だが、午前中に役割を分けたことで、作業は落ち着いて進んでいた。
ルナは若い測量技術者と一緒に、東側の標識位置を確認していた。
「ここから丘の上まで、道を作れるでしょうか」
「現在の傾斜のままでは、大型車両は難しいです」
「緩やかにする必要がある」
「はい。ただ、一直線に登るのではなく、斜面を回り込むようにすれば勾配を抑えられます」
技術者は端末上へ曲線を引く。
「ここから入って、一度北へ振って、それから西へ戻る」
「距離は長くなりますね」
「その分、車両への負担は減ります」
「地盤は?」
「途中に一か所、反射が乱れている場所があります」
以前の彼なら、その言葉を口にする前に迷っていたかもしれない。
だが今は、すぐに問題を示している。
「そこを避けた経路は作れますか?」
「少し外側へ広げれば可能です。ただ、擁壁が必要になると思います」
「記録しましょう」
「はい」
若い技術者は端末へ入力しながら言った。
「昨日、標識を取りに戻った時は、自分の失敗を早く消したいと思っていました」
ルナは彼を見る。
「今日、測定のずれを見つけた時も、最初は言うか迷いました」
「間違っているかもしれないと思ったからですか?」
「はい」
彼は地表へ視線を落とす。
「また自分のせいで作業を止めたらどうしようって」
「でも、言ってくれました」
「昨日、ルナさんに言われたので」
失敗した時こそ声を出す。
一人で直そうとしない。
「結果的に、本当に地面が動いていました」
「はい」
「言ってくださらなかったら、機材をその上へ通していたかもしれません」
ルナはまっすぐ彼を見る。
「作業を止めたんじゃありません」
「え?」
「危険な場所へ進むのを止めてくれたんです」
若い技術者の表情が変わる。
「同じ止めるでも、違います」
ルナは笑顔を向ける。
「ありがとうございました」
「……はい」
防護マスク越しでも、彼が少し笑ったことが分かった。
◇
『地上活動終了予定まで、残り三十分です』
ナウスの案内が入る。
ルナはすぐに全体回線を開いた。
「作業を終了してください。記録を確認して、撤収に移ります」
初日のような慌ただしさはなかった。
機材を止める。
試料を密閉する。
測量標識のうち、風で移動する可能性があるものは回収する。
地表変位区域とボーリング孔の周囲には、重り付きの標識を残す。
人数確認。
「地上班、十一名」
『十一名を確認』
「試料容器、合計八本」
「八本確認」
「地中レーダー、回収」
「回収済み」
「ボーリング機材」
「分割、固定完了」
「忘れ物はありませんか?」
ルナの問いに、若い測量技術者が端末を確認する。
「測量標識、回収対象は全て戻っています」
「残置した標識は?」
「座標登録済みです」
「ありがとうございます」
最後に、ルナは調査地点を振り返った。
二つのボーリング孔。
地表変位を示す標識。
東側斜面へ並ぶ測量点。
昨日と比べれば、丘の見た目はほとんど変わっていない。
テラフォーミングマシンもない。
建物もない。
人が暮らせる空気もない。
けれど、地図の上では違う。
何も分からなかった灰色の平地に、意味が生まれている。
危険な場所。
調べる場所。
道を作れるかもしれない場所。
そして、設備を支えられる可能性がある場所。
「ルナ」
フォックスが呼ぶ。
「戻るぞ」
「はい、フォックスさん」
ルナはグレートフォックスへ向かって歩き始めた。
◇
船内へ戻り、防護服を脱いだルナは、中央ラウンジの大型画面の前に立っていた。
二日目の結果が、一枚の地図へ整理されている。
北側。
地表変位のため、輸送経路候補から除外。
東側。
深さ約七メートル付近に、支持層として利用出来る可能性がある硬い地盤。
斜面。
造成と補強を前提に、輸送路として検討可能。
西側。
湿潤した軟弱層。継続調査。
中央。
人工構造物。未調査。
「二本のボーリングだけでは、建設可否は判断出来ません」
地質担当者が報告する。
「はい」
「今後、硬い層の広がりを確認する必要があります。少なくとも、あと四か所」
「地表変位の原因も調べる必要があります」
測量担当者が続ける。
「東側輸送路は、造成量と斜面安定性の計算が必要です」
「人工構造物が基礎設計へ影響する可能性もあります」
問題は多い。
一日目よりも、さらに多くなった。
それでも、現場責任者は最後にこう言った。
「現時点で、この候補地を除外する理由はありません」
ルナは、画面から顔を上げる。
「調査を続けられるんですね」
「はい」
「テラフォーミングマシンを建設出来る可能性も?」
「残っています」
慎重な言葉だった。
だが、明確だった。
可能性は残っている。
「よかった」
ルナは胸元へ手を当てる。
「本当に、よかったです」
初日のように、ただ安堵しただけではない。
今日は、自分達の判断で危険な経路を避けた。
予定地点を変更した。
地盤の硬い層を見つけた。
輸送路の考え方を整理した。
そして、一度失敗した若い技術者が、今度は全員を止める情報を出してくれた。
地球だけを調べているのではない。
この場所で活動するためのチームも、少しずつ出来上がっている。
「明日は、何を優先しますか?」
現場責任者が尋ねる。
以前なら、すぐに人工構造物と答えていたかもしれない。
ルナは地図を見る。
支持層。
輸送路。
湿潤帯。
人工構造物。
「まず、今日見つけた硬い地盤の広がりを確認したいです」
「人工構造物ではなく?」
「はい」
ルナは少しだけ残念そうに笑う。
「気にはなりますけど」
スリッピーが隣から言う。
「すっごく気にしてる顔だね」
「仕方ないじゃないですか」
「でも、我慢する?」
「我慢します」
ルナは地図の緑色の区域を指す。
「テラフォーミングマシンを支えられる場所があるか。それを先に確かめたいです」
フォックスが短く頷いた。
「それでいい」
「はい」
ルナは窓の向こうへ目を向けた。
グレートフォックスは、再び地表を離れようとしている。
丘が少しずつ遠ざかる。
灰色の大地。
弱い光。
濁った空。
それでも、その中に小さな緑色の区域があるように思えた。
実際の地面が緑になったわけではない。
草もない。
木もない。
ただ、調査地図の中で可能性を示す色が、昨日より少しだけ広がった。
けれどルナには、それが未来の始まりのように見えた。
「まだ二日目ですね」
ルナが言う。
「そうだよ」
スリッピーが答える。
「あと何日もあります」
「うん」
「問題もたくさん見つかりました」
「そうだね」
「でも、進んでいますよね」
スリッピーは少しだけ笑った。
「進んでるよ」
ルナはその言葉を聞き、地球を見つめた。
何もなかった場所へ、一つ目の測定点が置かれた。
一つ目の試料が採られた。
一つ目の地盤の可能性が見つかった。
まだ建設は始まっていない。
地球の空も変わっていない。
それでも。
ルナ達は、夢の中にあった地球再生を、現実の地面へ少しずつ下ろし始めていた。