地球調査三日目。
グレートフォックスは、前日と同じ丘の東側へ接地していた。
脚部の下には荷重分散板。
船体の傾き、接地圧、表層沈下量をナウスが常時監視している。
『全脚部の荷重は許容範囲内です』
船内スピーカーから、ナウスの平坦な声が流れる。
『前回接地時と比較し、地表の変形は確認されません』
「待機可能時間は?」
操縦席のフォックスが尋ねる。
『現在の条件では、六時間二十二分です。ただし、風速または接地圧に変化が生じた場合は再計算します』
「分かった」
ルナは中央画面に表示された地形図を見ていた。
三日目の優先事項は、前日に発見した硬い支持層の広がりを確認することだった。
テラフォーミングマシンを支えられる可能性がある地盤。
その範囲を確認するため、東側で追加の地中走査と二か所のボーリングを行う。
そこまでが、出発前に決めた予定だった。
そして、時間と安全に余裕があれば。
丘の中央部。
地表からおよそ五十センチ下に埋まる、正体不明の人工構造物を調査する。
ルナは地図の中央に表示された黄色い区域を見つめた。
「今日は見られるでしょうか」
「何を?」
隣にいたスリッピーが尋ねる。
「中央の人工構造物です」
「やっぱり、ずっと気になってたんだね」
「気になりますよ」
ルナは素直に答えた。
「でも、先に支持層の調査です」
「自分から言えるようになったね」
「スリッピーさん達が、何度も言うからです」
「言われなくても出来るようにならないと」
「分かっています」
ルナは少しだけ頬を膨らませる。
スリッピーが楽しそうに笑った。
前方から、フォックスの声が飛ぶ。
「まだ地上へ出てない」
「はい」
「人工物の話をする前に、今日の天候を見ろ」
ルナはすぐに大気観測画面へ視線を移した。
「風速、毎秒三・九メートル。西側の粉塵帯は南へ離れています」
「活動終了基準は?」
「毎秒十二メートルです。ただし、視界低下や突風が確認された場合は、数値に達していなくても撤収します」
「機体側の条件は?」
「脚部の接地圧に異常が出た場合、地上班は作業を停止して帰還します」
「人数確認は?」
「移動開始時、作業地点到着時、撤収開始時、機材回収完了時、船内帰還時です」
フォックスは短く頷いた。
「忘れるな」
「はい、フォックスさん」
地球を見たい。
人工構造物の正体を知りたい。
その気持ちを持つこと自体は悪くない。
だが、気持ちが手順を追い越してはいけない。
ルナは防護服の装備一覧を開き、もう一度だけ自分の生命維持装置を確認した。
◇
午前中の支持層調査は、大きな問題もなく進んだ。
最初の追加走査地点。
深さ六・五メートル付近で、前日に確認したものと同質の硬い層が現れた。
二か所目。
深さ七・二メートル。
わずかに深くなっていたが、硬い層は途切れていない。
三か所目。
丘の東端に近い場所では、硬い層が斜面方向へ傾きながら続いていた。
「岩盤の上面が、西から東へ下がっています」
地質担当者が立体地図へ線を引く。
「丘の下にある自然地形そのものが、東側へ傾斜しているようです」
「機械を置くなら、どの辺りになりますか?」
ルナが尋ねる。
「現時点では、この区域です」
地図の東寄りに、緑色の四角が表示された。
「ただし、上部には造成された地層があります。基礎を岩盤まで届かせる必要があります」
「杭基礎ですか?」
「その可能性が高いです」
「テラフォーミングマシンの重量と振動条件が分かれば、設計を始められますか?」
「概略検討には入れます」
ルナの顔が明るくなる。
地質担当者は、すぐに言葉を加えた。
「まだ概略です」
「はい。分かっています」
「建設出来ると決まったわけではありません」
「それも分かっています」
「随分、返事が早くなりましたね」
ルナは少し笑った。
「何度も言われましたから」
通信越しに、スリッピーの声が入る。
『僕達が言ってるみたいに聞こえるけど、専門家の人達も同じことを言ってるからね』
「皆さんに言われています」
『じゃあ大丈夫そうだね』
「喜ぶことと、決まったと思うことは別です」
『うん。今日はちゃんと分けられてる』
ルナは再び地図を見る。
前日までは小さかった緑色の区域が、南北方向へ広がっていた。
まだテラフォーミングマシン本体の大きさには足りないかもしれない。
だが、点だった可能性が面になり始めている。
「現場責任者さん」
ルナが全体回線を開く。
「午前中の予定は、ここまででよろしいですか?」
『支持層の確認は予定どおり終了しました』
「次は中央部の人工構造物ですか?」
『天候、機材、作業員の状態に問題がなければ移行出来ます』
ルナは自分で返事をする前に、周囲を見た。
作業員達の歩き方。
防護服の警告表示。
呼吸の状態。
ボーリング機材の温度。
グレートフォックスの接地圧。
「先に休憩を入れましょう」
『了解しました』
以前なら、今すぐ中央へ向かいたいと言っていたかもしれない。
だが、人工構造物は逃げない。
疲労した状態で近づき、壊したり見落としたりする方が問題だ。
十五分の休憩後。
地上班は、丘の中央部へ向かって移動を開始した。
◇
中央部には、初日に設置した四つの重り付き標識が残っていた。
標識の中央。
地表から五十センチほど下に、長さ二十メートル以上の人工物が埋まっている。
初日の走査では、平らな板状に見えた。
だが、角度を変えて観測した結果、単純な一枚の板ではないことが分かっていた。
複数の平面。
規則的な空間。
厚い壁のような反射。
そして、その下に続く自然岩盤。
「地中レーダーを展開します」
地質担当者と測量担当者が、構造物を囲むように走査線を設定する。
「前回とは角度を変えます」
「南北、東西、斜め方向の三系統」
「立体的に再構成出来るように、基準点を固定します」
若い測量技術者が、重り付きの標識を一つずつ確認する。
「標識位置、初日から変化なしです」
「地表変位も?」
「この周辺では確認されません」
ルナは安心しかけたが、すぐに気持ちを整えた。
変化がないことと、安全であることは同じではない。
「スリッピーさん、映像は届いていますか?」
『全部届いてるよ』
「解析をお願いします」
『任せて』
『私も地中反射データを受信しています』
ナウスが続く。
『既存の地球地理情報および建造物記録との照合を開始します』
「建造物記録まで残っているんですか?」
『宇宙管理局が保有する地球移住以前の地理資料に、一部欠損はありますが保存されています』
地中レーダーが動き始めた。
台車が地表をゆっくりと往復する。
走査波が、灰色の土の下へ送られていく。
一本目。
二本目。
三本目。
画面には、複雑な反射が重なっていく。
平らな面だと思われていた場所の下に、細長い空間が現れる。
その横に、厚い石積みのような構造。
さらに、その下に円弧を描く反射。
「アーチでしょうか」
若い測量技術者が呟く。
地質担当者が画面を拡大する。
「可能性があります」
「自然に出来た形ではありませんよね」
「規則的すぎます」
ルナは画面へ近づきそうになり、一歩手前で止まった。
「ナウス、照合はどう?」
『継続中です』
平坦な構造。
石積み。
アーチ。
階段のように連続する段差。
構造物は、地下に一枚だけ埋まっているのではなかった。
丘の中央部そのものを覆うように、複数の建物が重なっている。
だが、多くの部分が崩落していた。
上部は潰れ、内部空間へ瓦礫と土砂が入り込んでいる。
それでも、厚い壁と基礎の一部は形を保っていた。
『過去地形との位置照合に、大きなずれがあります』
ナウスが報告する。
「どういうこと?」
『現在の海岸線および標高が、保存記録と一致しません。地殻変動と堆積物による地形変化を補正します』
スリッピーが通信越しに言う。
『ちょっと待って。今の丘を、昔の地形まで戻してみる』
ルナ達の腕端末へ、二つの地形が重ねて表示された。
現在の地形。
灰色の大地に囲まれた、小高い丘。
過去の地形。
広い湾。
潮の満ち引きによって陸と海の境界が変わる干潟。
その中央に浮かぶ、小さな岩山。
「海……」
ルナが呟く。
「ここ、昔は海の近くだったんですか?」
『正確には、広大な干潟に囲まれた区域だったみたい』
スリッピーが答える。
『地殻変動と海水面の変化、それから大量の堆積物で、今は丘に見えてる』
過去の地形図が拡大される。
岩山の上には、複雑な建物が立っていた。
外壁。
斜面へ張りつくように続く建物。
最上部へ向かう塔。
ルナの目が大きくなる。
その姿には見覚えがあった。
学校の教材。
地球の歴史資料。
人類が地球に暮らしていた頃の文化遺産を紹介する映像。
「まさか……」
スリッピーの声が、僅かに震える。
『僕も今、同じこと考えてる』
『照合結果を報告します』
ナウスの声が入った。
地上班の全員が動きを止める。
『現在地点は、旧地球フランス地域に存在した歴史的建造物群、モンサンミッシェルの記録座標と一致します』
一瞬。
通信回線から、全ての声が消えた。
風が防護服へ当たる音だけが聞こえる。
「モンサンミッシェル……」
ルナは、ゆっくりと名前を繰り返した。
目の前にあるのは、灰色の土に覆われた丘だった。
映像で見たような美しい尖塔はない。
海もない。
斜面へ連なる建物も見えない。
だが、この地面の下に残っている。
人類が、まだ地球で暮らしていた時代の建造物が。
「確定出来るんですか?」
ルナは感情を抑えながら尋ねた。
『座標だけでは確定出来ません』
ナウスは淡々と答える。
『ただし、自然岩盤の形状、建造物基礎の配置、石造アーチと推定される反射、過去記録との重なりから、可能性は極めて高いと判断します』
「表面近くの炭素系複合材は?」
『後世の補強材または保存工事用資材である可能性があります。モンサンミッシェル建設当初のものではありません』
地質担当者が地表を見つめる。
「石造建築の上に、後世の補強工事が加えられていたのかもしれません」
「それが崩れて、土砂と一緒に埋まった」
「可能性はあります」
若い測量技術者が小さく息を呑む。
「自分達、モンサンミッシェルの上を歩いていたんですか?」
その言葉を聞いた瞬間。
ルナは周囲を見回した。
「全員、その場で止まってください」
穏やかだが、はっきりした声だった。
「これ以上、中央へ機材を入れないでください」
「まだ走査範囲が残っています」
地質担当者が言う。
「外側から出来る範囲だけにしましょう」
「構造を確認するには、中央部での追加走査が必要です」
「地面の下に、空間が残っているかもしれません」
ルナは地中画像を指す。
「今までのように、ただの地盤として扱うことは出来ません」
現場責任者から通信が入る。
『調査を中止しますか?』
ルナは一度、フォックスを見る。
フォックスは自分から答えなかった。
ルナが何を優先するか、待っている。
「中央部への立ち入りは中止します」
ルナは決めた。
「外周からの非接触調査だけ続けます」
『建設候補地の評価に影響します』
「はい」
『この構造物が強固であれば、基礎として利用出来る可能性もあります』
建設側の考えとしては、間違っていなかった。
厚い石積み。
自然岩盤と一体化した基礎。
長い年月と地殻変動を経ても残っている構造物。
地盤として利用出来れば、工事規模を抑えられる可能性もある。
それでも、ルナは首を横に振った。
「モンサンミッシェルを、テラフォーミングマシンの基礎にはしません」
迷いのない声だった。
「ルナさん」
「地球を再生するために来たのに、地球に残っているものを壊して始めたくありません」
ルナは灰色の地面を見つめる。
地表からは何も見えない。
それでも、そこにある。
「これが本当にモンサンミッシェルなら、私達だけの判断で使っていいものではないと思います」
『地球には、現在の所有者も管理者もいません』
ナウスが事実を述べる。
「だからこそです」
ルナは答えた。
「誰も止める人がいないから、好きに使っていいとは思いません」
地球に生きる人はいない。
この建造物を守ってきた人もいない。
修道院を訪れる人も、干潟を歩く人も、塔を見上げる人もいない。
だからといって、残っている歴史まで無かったことには出来ない。
「未来を作るために、過去を全部壊す必要はありません」
ルナは地図を開いた。
「機械を置ける可能性がある支持層は、東側にあります」
「中央を避ければ、配置可能面積が小さくなります」
地質担当者が言う。
「設計を変えます」
「輸送路も長くなるかもしれません」
「それも含めて考えます」
「工事費は増えます」
ルナは一瞬だけ黙った。
クラウドファンディングで集めてもらった資金。
支援してくれた人達。
ステファン財閥グループの協力。
限られた時間と資材。
簡単に工事費を増やすと言っていいわけではない。
それでも。
「増える費用も、必要な条件として報告します」
ルナは真っ直ぐ答えた。
「安くするために、モンサンミッシェルを壊すとは言えません」
現場責任者は、しばらく何も言わなかった。
やがて、落ち着いた声で答える。
『分かりました』
「ありがとうございます」
『中央区域を保存対象として仮設定します。建設候補区域から除外し、外周部からの非破壊調査のみ実施します』
「お願いします」
若い測量技術者が、地図の中央部へ新しい線を引いた。
赤ではない。
危険だから入れない区域ではない。
青い線。
保存調査区域。
丘の地図に、初めて新しい意味の色が加わった。
◇
外周からの調査によって、モンサンミッシェルの残存範囲が少しずつ明らかになった。
現在の丘の中央。
自然岩盤の上に、複数の石造構造が残っている。
上部の建築物は大部分が崩落。
かつての塔や屋根は確認出来ない。
内部空間の多くも、土砂と瓦礫で埋まっている。
それでも。
一部の壁。
アーチ。
階段状の通路。
斜面に沿って造られた基礎。
岩盤へ食い込むように築かれた構造が、地中に残っていた。
『南側に、比較的大きな空間があります』
スリッピーが報告する。
「中へ入れますか?」
ルナが尋ねる。
『今は無理だよ。入口があるかも分からないし、上から掘ったら崩れる可能性がある』
「分かりました」
『見たい?』
「見たいです」
ルナは正直に答える。
「でも、入りません」
『うん』
スリッピーの声は柔らかかった。
『それでいいと思う』
「保存するには、どうすればいいでしょうか」
『まず、水と地盤の動きを調べないと』
スリッピーが地図へ別の層を重ねる。
『初日に見つけた西側の湿潤帯。もしかしたら、モンサンミッシェルの周辺にあった排水設備か、昔の水の流れと関係してるかもしれない』
「壊れた配管だけではないんですか?」
『まだ分からない。でも、位置が建物の外周と重なる』
地質担当者も頷く。
「水が内部へ入り続けているなら、石材の劣化や崩落が進みます」
「テラフォーミングマシンの調査だけではなく、モンサンミッシェルを守るための調査も必要になる」
「はい」
作業が増える。
建設候補区域は狭くなる。
設計条件も厳しくなる。
それでも、ルナは負担だとは思わなかった。
「見つけられてよかったです」
ルナは静かに言った。
「知らないまま、この上へ機械を置かなくてよかった」
フォックスが少し離れた場所から答える。
「まだモンサンミッシェルだと確定したわけじゃない」
「はい」
「記録には推定と書け」
「分かっています」
「保存方法も決まってない」
「それも書きます」
「良い結果だけ出すな」
ルナはフォックスを見る。
「最初から、そのつもりです」
フォックスはそれ以上何も言わなかった。
◇
『地上活動終了まで、残り四十分です』
ナウスの案内が入る。
ルナは全体回線を開いた。
「本日の調査を終了します。中央区域には入らず、外周の機材から順番に回収してください」
「地中レーダー、回収します」
「観測標識は?」
「中央部の外周に、保存区域を示す標識を残します」
「アンカーは使用しないでください」
「重り付き標識を使用します」
「地表へ新しい穴は開けません」
初日には、地盤を確認するためにアンカーを打ち込もうとした。
今は違う。
地下に何があるのか分かった以上、同じ行動は取らない。
「人数確認」
「地上班十一名、全員確認」
「試料」
「午前中のボーリング試料六本。中央部では採取なし」
「地中レーダー」
「回収完了」
「観測ドローン」
『二機ともグレートフォックスへ帰投中です』
ナウスが答える。
「保存区域の標識」
「八基、設置完了」
最後に、ルナは青い標識で囲まれた中央部を振り返った。
灰色の地面。
目に見える建物はない。
それでも今は、ただの丘には見えなかった。
人類が残した時間が、地面の下に重なっている。
「また来ます」
ルナは小さく呟いた。
「今度は、壊さないで調べる方法を持ってきます」
「ルナ」
フォックスが呼ぶ。
「はい、フォックスさん」
「戻るぞ」
「はい」
ルナは振り返り、グレートフォックスへ向かって歩き出した。
◇
その日の作業終了後。
グレートフォックスは地球低軌道へ移行していた。
回収した地質試料は分析区画へ送られ、地中走査のデータはスリッピーとナウスが再構成している。
中央ラウンジでは、現場責任者と各担当者による報告会が終わったところだった。
「本日の結論です」
現場責任者が大型画面を指す。
「東側の支持層は、前日の確認地点から南北方向へ広がっている可能性があります」
緑色の区域が、前日より広がっている。
「ただし、中央部を保存対象としたため、テラフォーミングマシンの配置案は変更が必要です」
「はい」
「輸送路についても、中央部を避ける経路へ修正します」
「お願いします」
「地下構造物については、モンサンミッシェルである可能性が高いものの、現時点では推定です」
「断定はしません」
ルナが答える。
「今後は非破壊調査を基本とし、文化的価値を損なわない方法を検討します」
「地球の文化遺産を扱える専門家も必要ですね」
地質担当者が言う。
「石造建築、歴史資料、保存技術。建設チームだけでは判断出来ません」
「宇宙管理局へ相談します」
ルナは端末へ入力する。
「地球史や建築保存に詳しい人を探してもらいます」
報告会が終わる。
技術者達は、それぞれ休憩とデータ整理へ戻っていった。
だがルナだけは、中央ラウンジに残った。
端末には、何も書かれていない白い画面が表示されている。
「何してるの?」
スリッピーが近づいてくる。
「報告を書こうと思って」
「宇宙管理局への?」
「クラウドファンディングの支援者の皆さんへです」
スリッピーは画面を覗き込む。
ページ上部には、企画名が表示されている。
――故郷への一歩。
ルナが地球で開拓技師として活動するために始められたクラウドファンディング。
宇宙管理局の公式ホームページへ紐づけられた専用ページだった。
「今日公開するの?」
「はい」
「疲れてない?」
「少し疲れています」
「明日でもいいんじゃない?」
ルナは首を横に振った。
「今日、何が分かったのかを、今日のうちに伝えたいです」
「支援者に?」
「はい」
ルナは端末の白い画面を見る。
「皆さんから支援をいただいたから、私はここまで来られました」
企業や銀行から断られ続けた日々。
成功する確証がない。
若すぎる。
実績がない。
信用がない。
何度、同じ言葉を聞いたか分からない。
それでも、クラウドファンディングのページを見て、支援してくれた人達がいた。
地球へ行ったことのない人。
ルナに会ったこともない人。
それでも、故郷への一歩という言葉を信じ、お金を預けてくれた。
「良いことだけ報告したくありません」
ルナは言った。
「支持層が見つかったことも書きます。でも、建設出来ると決まったわけではないことも書きます」
「モンサンミッシェルのことは?」
「書きたいです」
「まだ推定だよ」
「推定だと分かるように書きます」
「建設場所を変える可能性も?」
「書きます」
「工事費が増えるかもしれないことも?」
ルナは一度だけ黙り、それから頷いた。
「書きます」
スリッピーは少しだけ目を細めた。
「支援した人が、不安になるかもしれないよ」
「なると思います」
「計画が順調じゃないって思う人もいる」
「順調じゃないところを隠したら、支援してくれた人に嘘をつくことになります」
ルナの声は静かだった。
「皆さんが支援してくださったのは、完成したテラフォーミングマシンじゃありません」
「うん」
「これから地球で活動を始めようとしていた私です」
何の実績もなかった。
まだ夢しか持っていなかった。
その段階で、支えてくれた。
「だったら、上手くいかなかったことも、迷ったことも、ちゃんと伝えたいです」
スリッピーは笑った。
「分かった。画像の整理を手伝うよ」
「ありがとうございます、スリッピーさん」
「でも、地中画像をそのまま載せても、普通の人には分かりにくいよ」
「そうですよね」
「色を分けて、説明をつけよう。緑が支持層候補、青がモンサンミッシェル推定区域」
「危険区域は赤ですね」
「黄色は追加調査」
「お願いします」
「任せて」
スリッピーが隣へ座る。
少し離れた場所で聞いていたフォックスが、短く言った。
「公開前に見せろ」
ルナが振り返る。
「フォックスさんも確認してくださるんですか?」
「誤解を招く表現がないか見る」
「ありがとうございます」
「感想文にするな」
「活動報告にします」
「良い結果だけ並べるな」
「書きません」
「モンサンミッシェルを発見したと断定するな」
「推定と書きます」
「なら書け」
ルナは笑顔で頷いた。
「はい」
◇
最初の文章は、なかなか進まなかった。
『地球調査三日目、私達はモンサンミッシェルを見つけました』
そこまで入力し、ルナは手を止める。
「駄目ですね」
「うん」
スリッピーが即答する。
「まだ見つけたって確定してない」
「消します」
文章を削除する。
『本日の調査では、モンサンミッシェルの可能性が高い地下構造物を確認しました』
「これは?」
「さっきよりいいと思う」
『表現上の問題はありません』
ナウスも答える。
「でも、最初からこれだと、何の調査をしているか分からないですよね」
ルナは再び手を止める。
誰に向けて書くのか。
技術者ではない。
地球へ行ったことのない人達。
クラウドファンディングのページで、ルナの夢を読んでくれた人達。
「最初に、お礼を書きます」
「それがルナらしいね」
ルナは一文字ずつ、文章を入力し始めた。
何度も削る。
言葉を足す。
専門用語を減らす。
ただし、正確さは失わない。
支持層という言葉には説明をつける。
人工構造物は、モンサンミッシェルと確定していないことを明記する。
中央区域を建設候補から外した理由も書く。
工事条件が厳しくなる可能性も隠さない。
最後に、ルナ自身の言葉を加えた。
一時間後。
画面には、一つの報告文が完成していた。
ルナはフォックスとスリッピーへ画面を向ける。
「読んでいただけますか?」
フォックスは立ったまま、最初から最後まで目を通した。
スリッピーも横で読む。
ナウスは文章データを解析している。
「どうでしょうか」
フォックスは一か所を指した。
「ここ」
「どこですか?」
「『安全な岩盤を発見しました』」
「問題がありますか?」
「安全とは確定してない」
「あ……」
「『支持層として利用出来る可能性がある硬い地盤』にしろ」
「はい」
ルナはすぐに修正する。
スリッピーも別の場所を指す。
「ここは、地中の画像だけだとモンサンミッシェルの形が分からないから、過去の地形と重ねた図を一緒に載せよう」
「場所を公開して大丈夫でしょうか」
「正確な座標は外して、地形の比較だけにする」
「保存区域に勝手に近づく人はいませんよね」
「今の地球へ個人で行ける人はほとんどいないけど、情報管理はした方がいいね」
「お願いします」
『文章中に、事実とルナの意見が混在しています』
ナウスが告げる。
「どこ?」
『「過去を守りながら未来を作りたい」という部分です』
「それは私の気持ちです」
『事実ではありません』
「でも、書きたいです」
『その場合、「私は」と主語を明確にすることを推奨します』
「分かりました」
ルナは修正する。
――私は、地球の過去を守りながら、未来を作っていきたいと思っています。
「これなら?」
『意見として明確です』
「ありがとうございます、ナウス」
『どういたしまして』
全ての確認が終わる。
ルナは公開ボタンの上へ指を置いた。
少しだけ緊張する。
「公開します」
「うん」
スリッピーが頷く。
フォックスは何も言わなかった。
だが、止めもしなかった。
ルナはボタンを押した。
◇
### クラウドファンディング「故郷への一歩」
### 地球現地調査・活動報告
このたびは、私の地球での活動にご支援いただき、本当にありがとうございます。
皆さんからお預かりした支援によって、現在、フランス地域において、テラフォーミングマシンと関連設備を建設するための地質・地盤調査を行っています。
今回の調査には、ステファン財閥グループの建設チーム、グレートフォックスのフォックスさん、スリッピーさん、人工知能ナウスが参加しています。
調査三日目までに、候補地の東側地下約六~八メートル付近で、テラフォーミングマシンの基礎を支える層として利用出来る可能性がある、硬い地盤を確認しました。
ただし、現時点で建設可能と決定したわけではありません。
地表近くには、過去に造成されたと考えられる不均一な地層があります。また、別の区域では地表の移動、湿った軟弱な地層、小規模な空洞も確認されています。
今後、機械の重量や運転時の振動を確認し、必要な基礎の深さや地盤改良の方法を検討します。
本日の調査では、もう一つ大きな発見がありました。
候補地中央部の地下に、複数の石造構造物が残っていることを確認しました。
現在の座標、自然岩盤の形、石造建築の配置、過去の地理資料との照合結果から、この構造物はモンサンミッシェルの遺構である可能性が高いと考えられています。
ただし、現段階では確定ではありません。
建物の上部は大きく崩れ、内部の多くは土砂や瓦礫で埋まっています。安全に内部へ入る方法も、まだありません。
私達は、中央部への立ち入りと掘削を中止し、この区域を保存調査区域として設定しました。
モンサンミッシェルの遺構を、テラフォーミングマシンの基礎として利用する予定はありません。
そのため、当初より建設可能な区域が狭くなり、機械の配置、輸送路、工事方法を変更する可能性があります。工事費や必要な調査も増えるかもしれません。
それでも私は、地球を再生するために、地球に残っている歴史を壊すことから始めたくないと思っています。
誰も管理する人がいないから、自由に使っていいのではなく、誰も守る人がいないからこそ、私達が慎重に扱わなければならないと考えました。
地球調査は、予定どおりに進むことばかりではありません。
調べるたびに、新しい問題が見つかります。
建設出来ると決まったわけでもありません。
ですが、何も分からなかった土地について、少しずつ「使える可能性がある場所」「避けなければならない場所」「守るべき場所」を分けられるようになってきました。
皆さんからいただいた支援は、結果が決まっている計画のためではなく、この一歩を踏み出すために使わせていただいています。
上手くいったことだけではなく、難しかったことや予定を変更したことも、これから正直に報告します。
まだ小さな一歩です。
それでも今日、地球の未来へつながる地盤と、地球の過去を伝える建造物の両方を確認することが出来ました。
私は、地球の過去を守りながら、未来を作っていきたいと思っています。
明日からも、安全を一番に、一つずつ調査を続けます。
引き続き、見守っていただけますと嬉しいです。
惑星開拓技師
ルナ
◇
公開から数秒後。
ページの閲覧数が一つ増えた。
続いて二つ。
三つ。
まだ誰からも反応は届いていない。
遠い宇宙にいる支援者が、同じ時間にページを見ているとは限らない。
それでもルナは、公開された文章をもう一度最初から読んだ。
「緊張します」
「公開したあとに言うんだ」
スリッピーが笑う。
「変なことを書いていませんよね」
「三人で確認したでしょ」
「そうですけど」
「公開直後に何度も読み直しても、文章は変わらないよ」
フォックスが短く言う。
「休め」
「もう少しだけ……」
「駄目だ」
「コメントが一つ来るまで」
「いつ来るか分からない」
「でも」
『新規コメントを一件受信しました』
ナウスの声が入った。
ルナとスリッピーが、同時に画面を見る。
「早いですね」
「誰だろう」
ルナはコメント欄を開いた。
そこには、短い文章が表示されていた。
『建設が遅れても構いません。残っているものを大切にしてください。正直な報告をありがとうございます』
ルナは、しばらく画面を見つめた。
「……よかった」
小さな声だった。
「何が?」
スリッピーが尋ねる。
「分かってもらえました」
「一人目だけどね」
「一人でも嬉しいです」
続いて、二件目。
『モンサンミッシェルが残っているかもしれないなんて驚きました。いつか地球で見られる日を待っています』
三件目。
『良い結果だけでなく、問題も書いてくれたので安心しました。調査チームの皆さん、必ず無事に帰ってください』
ルナの目が少し潤む。
支援者達は、完成だけを待っているわけではなかった。
地球の再生が、簡単ではないことも分かっている。
それでも、一緒に進もうとしてくれている。
「ルナ」
フォックスが呼ぶ。
「はい」
「読んだな」
「はい」
「なら休め」
ルナは少し笑った。
「分かりました」
端末を閉じる前に、最後にもう一度だけページを見た。
故郷への一歩。
ペルシアが勢いで付けたように見えた題名。
けれど今は、その言葉が地球の上で現実になり始めている。
地盤を測ること。
危険な場所を避けること。
過去の建物を守ると決めること。
そして、支えてくれた人達へ、今起きていることを伝えること。
どれも、地球を劇的に変える行動ではない。
だが、大きな未来は、こうした小さな判断の上にしか作れない。
ルナは窓の外に浮かぶ地球を見つめた。
その地表には、灰色の土に覆われたモンサンミッシェルが眠っている。
今はまだ、誰の目にも見えない。
けれど、もう忘れられた場所ではなかった。
ルナ達が見つけた。
支援者へ伝えた。
守ると決めた。
「おやすみなさい」
ルナは地球へ向かって、小さく言った。
「明日も、よろしくお願いします」
グレートフォックスは静かに地球の軌道を進む。
未来を作るための調査と。
過去を残すための調査。
二つの役割を抱えた四日目が、ゆっくりと近づいていた。